※この話は今までの作品世界観と一応繋がっています…が、この話単体でも問題ありません。
後、船長が変な意味で自重していない箇所があります。苦手な方はご注意を。
それでは、本編をどうぞ。
現在、12月24日の夜。そう、所謂クリスマスの前夜。クリスマスイブという奴だ。
クリスマスというのは、外の世界でかなりの勢力を誇っている宗教から始まった祝い事らしいけど、ぶっちゃけその辺はどうでもいい。私は宗教研究家じゃないし。
元より宴会飲み会どんとやれなこの幻想郷、起源だの目的だのといった堅苦しい物なんて、まとめて地底の核融合炉にでも放りこまれるのがオチに決まっている。
ひたすら愉快に盛大に、人数集めてどんちゃん騒ぐ。例えクリスマスだろうと正月だろうと関係ない。口実ぐらいにはされるかもしれないけど。
一部の知識人は渋面を浮かべている光景が目に浮かぶけど、この幻想郷じゃそっちの方が異端扱いされるから割りきってもらうしかないね。
……………………。
いやいやいや。そうじゃないでしょ私。こんなこと考えてる場合じゃないっての。
今、私が何をさておいても優先して考えるべきはただ一つ。
―――この、馬鹿村紗と二人きりという危機的状況を、どうやって切り抜けるかだ。
最初の方でも触れたけど、今夜はクリスマスイブ。
当然あちこちで色々予定が組まれるわけだけど、ここ命蓮寺の連中も例外ではなかったわけで。
まず聖は白黒と人形遣いと図書館引きこもりの三魔法使いどもに呼び出されて不在。何でも『クリスマスしか発動できない魔術を発動する手伝いをしてほしい』とか。
胡散臭いことこの上ない依頼だったけど、聖は『了承!』の一言であっさり承諾し、笑顔で出かけていった。あんたはどこの謎ジャム母さんだ。
次に星とナズーリンは二人でお出かけ中。……といっても、そうときめくような内容じゃない。
どうやら二人の上司である毘沙門天に呼び出しを食らったらしい。この貴重な一夜をあんなムサいおっさんの用事で台無しにされるとは、ほんの少し同情するものがある。
ま、どーせナズーリンがお得意の口八丁手八丁で丸め込みさっさと切り上げて、後は星と二人でお楽しみなんだろうけど。畜生爆発しろ。
最後の一輪だけど、正直私同様、予定なんて無いと思ってた。だって交友関係狭そうだし地味だし……おっと失言。
で、その一輪はというと。先日の騒動で知り合った地底の土蜘蛛に捕縛され、そのまま地底へと拉致されていった。
嫌がる素振りは見せてたけど、どこか満更でもないように思えたのは私だけじゃない筈だ。なんだかんだ言っても、一緒に騒げる知り合いがいるってのはいいものらしい。
とまあ、そんなわけで。
今命蓮寺にいるのは誰からの誘いもない正体不明の絶対領域美少女であるこのぬえちゃんと、どうしようもない性癖を内に秘めたこの馬鹿船長だけってわけ。
……いや、後悔なんかしてないわよ? こんな事ならデビュー直後に何でもいいからあちこちと交友関係深めておけばよかったなんて欠片も思ってないから。
私はぬえ。正体不明がウリで、それこそが存在意義。自分からそれを崩すような行動をするもんじゃないし、したいとも思わない。
だから、今年のクリスマスも例年どおり、『ひとり』で過ごすつもりだった。
つもりだった、のに。
『げげっ馬鹿村紗!? な、なんであんたがここにいるのよ!』
『いやーっはっは。実は今日、なーんも予定無くてさー。…む? ってぇことはぬえ、あんたもひょっとして予定無しとか?』
『…………』
『図星ですか。うむ、ならしょうがない。今夜は予定無し同士で、たっぷり親睦を深めましょうか!』
『なっじょ、冗談じゃ……! 私はひとりで――』
『ふふふ。これでもうひとり寂しくイブの夜を過ごす悲しき幽霊船長ムラサとはオサラバサヨナラアディオス! 胸が熱くなるわ!』
『聞けよ人の話』
こんな具合で結局こいつの勢いに押し切られ、今に至る。思えばもっと強く反抗しておくべきだったかもしれない。後悔先に立たずとはよく言ったものだわ……。
にしても。まさかこいつも今夜予定無しとは思わなかった。ひょっとしてムラサも私や一輪に負けないくらい、交友関係狭い…のだろうか。
まあそりゃ、多少問題な性癖はあるけど、面倒見いいしカレー作るの上手いしセーラー服似合ってるし寺の管理(元々が船だしね)もそこそこ真面目にやってるしカレーは美味しいし、人受けは悪くない…と思う。
それこそ幽霊繋がりで白玉楼の亡霊とか半人半霊剣士とか騒霊三姉妹とかとは属性的にも似通ってるわけだし、親交が出来ても不思議じゃないのに。
そういや、前に一輪がボソッと呟いてたっけ。『命蓮寺一同は全体的に、幻想郷の他の方々との関わりが少なすぎる』とかなんとか。
あの時はたいして気にも留めていなかったけど……ううむ。これからは多少意識した方がいいのかもしれない。
……って、なんで私がこんなこと心配してるんだか。
私には、どうでもいい話で。
元から興味も何も、ないんだから。
カチ、コチ、カチ、コチ……
壁にかけられた古時計の規則正しい動作音のみが、絶えず部屋に響いていた。二つの針が示している時刻はそれほど遅くないが、外は十分暗く、寒い。
普段の賑やかさが嘘のように静まり返ったこの部屋の中央に設置された炬燵とその上に置かれた蜜柑入りの笊。見事な冬の風物詩である。
その炬燵に揃って潜り込んでいるのは村紗とぬえの二人のみ。だがその間にはひとり分の空間が存在し、なんとも言い難い二人の距離感を表現していた。
潜り込んだ時から現在に到るまでどちらもほとんど動かず、黙りを決め込んでいた。
ぬえはどこか物憂げそうに卓上に突っ伏し、村紗はあさっての方向へ向きずっと目線を泳がせている。互いに顔を合わせたくないのだ。
気まずい。
それが、今二人が共通して抱いている感情であった。
別に喧嘩や言い争いをしたわけではない。それくらいならいつもやっているし、むしろその方がいくらかましだった。
特にこれといった理由は無い。ただ、今ここに。二人しかいないというのが気まずいのだ。
両者ともに、この重苦しい空気を必死に耐えていた。まるで終わりの見えない持久戦のようである。
ただ同じ場にいて同じ敵を相手どっているというのに、それぞれ単独で戦うというのも妙な話だが。
(気まずい………)
(気まずいなぁ…)
何の進展も起こらないまま、ただただ時間だけが動き、流れていく。
カチコチと規則正しく時を刻む古時計の音さえも、今の二人にとっては苦痛でしかない。
普段気にならない些細な物音にさえ過敏になり、イライラする時があるのは誰しも共通している事だろう。
(………何か面白いこと言えよ馬鹿村紗。それがあんたの取り柄でしょうに)
(あーどうしよう。ぬえとこんな風に過ごす機会なんて滅多に無いから、どうやって切り出せばいいのか分からないや)
互いに意識しているというのに、そんな素振りは欠片も見せない。これも一種の意地の張り合いといえる。
もしこの場を第三者が見ていたら、きっと歯がゆくて仕方がなくなるだろう。
何か一言。どちらかが口火を切ればそれだけで状況は変化するだけの話なのだが。
(く、苦しい。なんか息苦しくなってきた……。早く何とかしろよ馬鹿村紗!)
(すいへーりーべー、なんたかかんたら…。周期表の暗記用語呂合わせ文章を読んで落ち着け私。ぶっちゃけ最初しか覚えてないけどって…あれ? 私、まだ割と余裕あるかも)
まだまだ余裕のある村紗がちらりと横を見やると、そこには苦虫を噛み潰したような表情でぷるぷる震えるぬえの姿が。
いつもならすぐこちらの動きに反応し毒を吐いてくるところだが、今はそれが出来ないくらい程に焦燥しているようだ。
(ありゃりゃ。なんか一杯一杯な感じ。でもこんなぬえもこれはこれでいいかもしれん)
別に村紗には、某フラワーマスターのような嗜虐趣味があるわけではない。が、好きな子をいぢめて楽しみたいという欲求は普通にある。
ましてや相手はあのぬえ。普段から悪戯ばかりして周りをからかい楽しんでいるような天邪鬼っ娘だ。
日頃の意趣返しも含めて、ここはちょっとからかっても罪にはなるまい。
(よし、ちょいとからかってやりますかね。ぐふふ)
自分からこの空気を壊すのは少し抵抗があったが、それを差し引いてもお釣りのくる見返りはある。
そう判断した村紗は早速行動に移った。
「ぬーえ、さっきから黙りこんでるけど、一体何を考えてるのかなぁ~?」
「!!? ななな何よいきなり話しかけないでくださりますっ!? ハッ」
不意を突かれ思い切り動転してしまい、まったく柄でないお嬢様風の口調で反応してしまったぬえ。
はっと我に返るが時既に遅し。隣の村紗はニヤニヤとしてやったりな笑みを浮かべている。殴りたくなるくらいの実にいい笑顔だ。
(わかっててやりやがったなこの馬鹿村紗っ……!)
愛用の三又矛をセーラー服に隠された薄い胸に思い切り突き立てたいという衝動を抑えこみ、なんとか飲み込む。
(落ち着け、落ち着け。ここで堪えなければそれこそ相手の思うつぼ。堪えるのよぬえ堪えなさい。よし堪えた!)
ふうと一息つくぬえだったが、その隙を相手が見逃すはずもない。
「アハハハハ! 『話しかけないでくださりますっ!?』だって! アッハッハッハ、こりゃおかしい! ぬえ、あんた最高。最っ高に似合ってないわよそれ」
「ぬぬぬ……!」
腹を抱えて大爆笑する村紗を見たその時、ぬえは決心した。
こいつは殺す。不思議な弾幕で殺すと。既に死んでいるとかそんなもん知ったことか。私が殺すと今決めた。
まずは三色のUFO弾幕で集中砲火し、それからこの矛を999回突き刺して、串刺しにしたまま地底へと放りこんでやる。
ついでにこの間拾ったくさやの干物もおまけで投下してやろう。他の地底連中が迷惑する? 知ったことか。
「ん? くさやなら大好物ですが何か?」
「大好物なのかよっ!? って、な、何で分かったのさ!?」
「いやだってあんた、おもいっきり声に出してたじゃん」
「ぬわ――――!?」
某RPGの父親キャラよろしくな断末魔をあげ、ぬえ、撃沈。見事な自爆だった。
これが漫才なら大受けし、会場が大爆笑の渦に巻き込まれること間違いなしだったろうが、芸人ではない彼女にとってこの状況は地獄以外の何者でもない。
「えーっと。とりあえず揉み揉みしてもしもーし。ぬえさんぬえさん、聞こえますかー? 聞こえたら返事をしてくださーい」
「どさくさに紛れて変なところを揉むな耳元に顔近づけんなうざい死ね」
「よしよしいつもどおりの返しで安心した。もっといぢめても大丈夫みたいだねぇ~」
「なぁっ!?」
悪態ついたらさらに増長させてしまった。ぬえ、ここで痛恨の行動選択ミス。リセットボタンがあるなら押したい場面だろう。
そんな彼女の様を眺め、にししと笑う村紗は愉快そうだ。こうなると完全に彼女のペースである。
くそっ、と胸の内で呟くも悔しさが紛れるはずもなく。ただひたすら不愉快さが増すばかりだった。
「ちぃっ! もう勘弁ならん! あんたみたいな性悪女の相手なんかこれ以上してられるかっ!」
「ふふふ、どこへ行こうというのかね?」
「あー? そんなもん自分の部屋に決まってるでしょうが。いちいち説明させんなうっとおしい」
「あんた、忘れたの? 今の命蓮寺、ここ以外の部屋はどこも大掃除の時に動かした仏像とか石像だらけで足の踏み場も無いのですけど」
「……………。うわあぁぁぁぁそうだったーっ!?」
もう一つの目を背けたい現実を思い出させられ、ぬえは頭を抱えて絶叫した。
意外な印象を持たれるかもしれないが、この命蓮寺はかなり物が多い。
星の毘沙門天信仰関連の彫刻だのナズーリンが集めてきたよく分からんガラクタ(集めた当人は価値あるものだと主張している)などはまだ序の口。
魔界に封印されていた頃に集めたという聖の魔法道具やら村紗の船関係の道具やら一輪の聖写真集やらが寺のあちこちに放置され、一時はゴミ屋敷同然の状態だったのだ。
流石にこのままでは新年を気持よく迎えられないということで命蓮寺一同が一念発起し、なんとか整理と整頓を終えたのがつい昨日の話。
しかしいくら片付いたといっても全てではなく、まだ移動し終えていない物もそこそこ残っている。そしてその一部がぬえの部屋にあるというわけだ。
無論自分の部屋を一時的にとはいえ物置替わりにされるのはいい気がするはずもなく、当初ぬえは抵抗を示した。
だが、他の連中の部屋もさほど変わらない状況では、自分だけ除外しろなどという我侭が通るはずもない。
結果哀れにも正体不明少女の部屋は、がっちり体型の毘沙門天偶像や聖お手製の命蓮石像に占領されてしまったのである。
「ま、私としてはああいう漢くさい男性像に囲まれて過ごす夜も嫌いじゃないんだけど。ぬえちゃんはそこんとこどうかしらねぇ?」
「……………」
一言も発さず、ぬえは元の位置にどかっと腰を下ろした。
ここにいるのも最悪だが、あの色々な意味で窮屈な部屋で一晩を過ごすのはもっと嫌だ。
アレらを割と好ましいと捉えているこの馬鹿船長には内心引いたが、普段が普段だしそうでもないかとすぐ思い直した。
一部にはそれで納得できてしまう自分もどうなのかという気持ちもあるからだったりするのだが。
「ほらほら。そんなアンニュイな顔せずに笑って笑って。スマイルが一番よ にぱーってね」
「誰のせいだ誰の。はあ……ほんともう、最悪」
相変わらずへらへらしている村紗を見ていると、怒りを通り越し呆れてしまう。
本来なら、ひとりで静かに聖夜を過ごしているはずだったのに、どうしてこうなってしまったのか。
先ほどと同じ思考を巡らせるぬえだが、ふとその中で小さな疑問が湧いた。
それは小さいが、何か引っかかる自分自身への疑問。
(―――なんで私、こんなところにいるんだろう)
今夜はひとりで静かに過ごしたい。それは間違いなくぬえの本音であり本心だ。それは疑いようもない。
…ないのだが。
(それならこんな馬鹿の相手なんかせず、さっさと退散すればいい……よね)
ちらりと横目を向けると、隣には聞いたことのない歌をふんふんと口ずさみながら蜜柑を剥く馬鹿船長がいた。
既に何個か食べてしまったようで、手元には剥いた後とおぼしき皮が散らかっている。あんなに食べて腹は大丈夫なのだろうか。
(――っ。私、また余計な心配してる。さっきからおかしい。おかしいよ……)
ここから逃げ出そうと思えばそれは容易い話だ。別に部屋へ戻るだけが選択肢ではないのだから。
それこそ命蓮寺の外に飛び出せば済む話である。その後はどこへ行こうがぬえの勝手、思う存分ひとりを満喫できるだろう。
でも、そうしなかった。今も、そうしようとは強く思っていない。全く考えていないわけでもないが、実際に行動に移すほどではない。
ここまで考えて、ぬえの頭にひとつの仮説が浮かんだ。
(もしかして、もしかして私、私、こいつと……この馬鹿村紗と一緒に過ごしたいって、心の何処かで思ってるの……? ――っ!)
ぶんぶんと頭を左右に振るい、たった今浮かんだ妙な考えを振り払う。
いけない。こんな事を考えてはならない。絶対に駄目だ。
何故なら――
(私はぬえなんだ。誰にとっても正体不明で、そうでないと私じゃない。だから誰かと一緒に過ごしたいなんて。ひとりが……ひとりが、嫌だなんてそんな……。あっ――)
冷静に考えれば考えるほど、訳が分からなくなる。感情が交錯し、理解不能になる。不安定になる。
突然喉元から何かがこみ上げてきて、ぬえはうっと呻き口元を抑える。酷い吐き気だった。
(冗談、冗談じゃない。私は、ずっとひとりで、ひとりで、ひとりで……? ……いやだ。いやだ……いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ―――!)
体の震えは先ほどとは比較にならないほど大きくなり、自身を抱きしめるよう回した腕には力がこもり。それでも収まらない。
「ん? どしたのぬえ」
ここまできて、ようやくぬえの異常に気付いた村紗が声を掛けた。
それが、最後の引き金になった。
「いやだあああああぁぁぁぁぁ―――――っ!!」
突如ぬえの周りに大量の弾幕が出現した。どうやら何かのスペルカードを発動したらしいが、その弾の数と大きさは尋常ではない。
「え? え? ええーっ??」
状況がいまいち飲み込めず、一瞬呆けてしまった村紗目がけて、それが一気に押し寄せてきた。
「ちょ待っ……うわぉっ!」
チチチチ…とグレイズの音がして、弾幕の波が村紗の横を通り抜けていった。ぎりぎりちょん避け成功である。
意識して狙ったわけではない。咄嗟に後ろに飛び退いたその場所が、偶然弾幕の切れ目になっていたのだ。
ほっと胸をなでおろす村紗だったが、周囲を見た瞬間その安堵は掻き消える。
部屋の中にあった物が、無残にも吹き飛ばされ、破壊されていた。
炬燵はひっくり返り、熱源が完全に破損。これではもう使い物にならないだろう。
部屋の隅にまとめていた財宝の類……星の能力に引き寄せられた物が主である……も粉々になったり大きく歪んでいたりと見るに耐えない。
壁に貼ってあった聖の似顔絵も破れ、これまた無残な有様だ。所有者の一輪が見たら泣き崩れるか激怒すること間違いないだろう。
いや、この際それはどうでもいいとしてもだ。
「何この威力、明らかに殺しにきてるレベルじゃないの!」
村紗が憤るのも無理のない話である。
元々ぬえはその性格上、弾幕の量も範囲も凄まじい物がある。何しろあの腋巫女達相手に『正体不明の弾幕に怯えて死ね!』と宣言したくらいだ。
とはいえ、所詮弾幕ごっこは弾幕ごっこ。本当の意味で殺すためのものではない。それはどんな人妖でも変わらないルールなのだ。
だが今しがた、彼女が放ってきたそれは明らかに異常な威力を有していた。それこそ既に死んだ身である村紗ですら、避けた後でぞっとするほどにだ。
例えるなら無差別に巨大爆弾の爆発。無差別にその威力を撒き散らすそれには悪意こそあれど、遊び心や優美さなどは全く存在しない。
「ちょっとぬえ、いくら頭にきたからって今のはやりすぎ――うおっと!?」
説教しようと一歩前に出た村紗の目前に突然青UFOが出現し、突進してきた。
のけぞりで何とかやり過ごしたはいいが体勢を持ち直せず、そのまま仰向けにひっくり返ってしまった。流石に某映画のようにはいかないらしい。
「あでで……背中打った……。おいこらぬえ、人の話を遮って攻撃たぁいい度胸……あれ?」
即座に飛び起き、抗議しようとした村紗だったが。
「―――あれっ? いない?」
凄惨な状況になったこの部屋にいたのは、村紗ただ一人。
正体不明少女の姿は、煙のように消え失せていた。
どんよりと濃厚な雲が立ち込めた寒空の下、ぬえは全力で疾走していた。目的地などは無い。
息が切れ、頬を汗が伝い落ち、歪な背中の羽を風に揺らしながら、ひたすら夜の世界を駆ける。
「―――はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
色々な感情が目まぐるしく脳内を駆け巡り、飛び交い。気を緩めるとそれら全てに押し潰されそうになる。
それらから目を背け、歯を食いしばり、地を蹴る足に力を込める。さながらその後ろ姿は、天敵に追跡される獲物のようでもあった。
どのくらい走り続けただろうか。少し休もうと足を止め、周りを見渡す。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ここ、は」
そこは草原だった。いや、正確には草原だった『場所』というべきだろうか。
草は皆枯れ果て、木の葉一枚残っていない木々はぽつぽつと立ち、生き物の気配はどこにもない。時折吹き抜ける木枯らしだけが、ぬえを除くとこの場にある唯一の動きだった。
「……………」
乱れた呼吸を落ち着かせつつゆっくりと歩み、近くの少し大きな枯れ木の根元に腰を降ろし、膝を抱え顔を埋める。ぬえの全身を疲労が襲っていて、これ以上動けない。
頭の中の混乱はいまだに続いていた。先程よりは落ち着いたが、あくまでもそれは比較すればというだけである。
次々と沸き上がってくる感情のどれが本音でどれが偽りなのか、さっぱり区別がつかない。それが今のぬえだった。
「はは……。馬っ鹿みたい。ようやくひとりに、なれたっていうのに。全然いい気分になれないなんて、さ」
自嘲気味に呟いてみるも、それを聞いてくれる者は誰もいない。
それに気づいて一瞬寂しさを感じ、そんな感情を抱いてしまう自分に再び違和感を感じる。
ひとりでいたい。
ひとりはいやだ。
二つの相反する感情は、どちらも一向に引き下がらず。ぬえの心を左右からぐいぐいと押しこんでくる。
そのどちらも正しくて、どちらも間違っていて。二つの境界線の上を、ぐらぐらとぬえの心は天秤のように揺れ動いていた。
その揺れ幅は大きく、時間がたっても落ち着く気配が無い。
「わかんない……わかんないよぅ……」
止まらないくらいなら、いっそ天秤ごと壊れてしまえばいいのに。そうなれば苦しまず、楽になれるのに。
こう考え、さっきよりも深くぬえが顔を埋めたその時だった。
ずぅぅん、という重たい音が、背後から聞こえた。
「ん、何――――――」
何の気も無しに振り向いて、背後に着地した物の姿が目に飛び込んだその瞬間、ぬえの体は硬直した。
それは今ここにある筈が無い物で、尚且つ絶対にあってはならない物だったからだ。
あまりにも壮大で重量級で、それでいて独特の造形美も備えたそれは―――
「せ、聖輦船――――っ!?」
そう、そこにあったのは彼女も見慣れた空飛ぶ巨大船、聖輦船。
かつて聖復活の為に村紗達が起こした(…といっていいのかどうかは少し微妙だが)星蓮船騒動。
その直前に一輪や村紗は地底から解き放たれたわけだが、その際村紗と一緒に復活した聖お手製の(俄には信じ難いが)船がこの聖輦船である。
村紗達の活動拠点となったり、法界への移動に使われたりといった役割を果たした後は船としてのお役御免となった今は形を変え、命蓮寺として利用されている。
聖に船を寺に変えて利用すると告げられた時の村紗が、非常に複雑な表情をしていたのはぬえの記憶に新しいが、それは別の話だ。
「なんで、聖輦船がこんなところに……?」
事態が飲み込めず、呆然と立ち尽くすしかないぬえ。すると聞き覚えのある声が船の上から降ってきた。
「ふ、ふふ。ふふふふ……。ふははははーっ!」
「! この声……」
見上げたぬえの視線の先には、船首でセーラー帽を斜に被り錨に凭れかかり、ビシッとポーズを決めるどや顔の船長がいた。
ついでに煙草パイプも加えていたが中身は詰めていないらしく、煙は出ていない。あくまでもドレスアップアイテムという扱いらしい。そういう用途のものではないのだが。
「……って、お前何やってるんだ馬鹿村紗――ッ! どや顔はともかくワケを言え―――ッ!!」
このあまりにも突飛な展開にしばし呆然とし、すぐに事態の深刻さを理解して我に返ったぬえの尤もすぎる突っ込みが飛んだ。
現在聖輦船は命蓮寺として利用されるのみにその役目を固定され、再び船として利用することは禁じられている。
一度寺として定着させたものを再び動かすのは問題があるし、そもそもする意味が無いからだ。
だが、村紗は今、その禁を破っている。これは確実に厳罰ものだ。
いくらあの優しい聖であってもこれは見逃してくれないだろう。笑顔でルナティックエア巻物を展開される光景が容易に想像できる。
こういった惨憺たる未来に怯える気持ちも込められたぬえの叫びだったが、当の村紗は一向に動じる様子が無い。
それどころかセーラ帽をくいっと人差し指で持ち上げ、にやりと笑みを浮かべている。
「よぉ、ぬえっち。この寒風吹きすさぶ星空の下、そんな服装で寒くねぇの?」
「へ? そりゃ寒いに決まってる……って、何その妙な言い回しは。意味分からないんだけど」
明らかに普段とは違うキャラの口調で語りかけられ、面食らうぬえ。
悪乗りなら普段からよくやるが、このネタはさっぱり分からない。そもそも今のぬえはそんな気分では無い。
「あんたがここにいたのってさぁ、私に会う為だよねぇ」
「いや、別に誰も待ってないし、そもそもここには成り行きで来ただけだし」
「私に! 私だけの為に! あんたわざわざここで待っててくれるとは!」
「あの村紗さん、少しは人の話を聞いてください。いや割と本気でお願いします」
困惑のあまり丁寧語になっているぬえの願いなど、どこ吹く風といった調子でセリフを続ける村紗。どうやらある程度まで進めない限り、止めるつもりは無いらしい。
こいつ面倒くせぇ。ぬえは心底そう感じた。
「これは最早愛だぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ちょ、ちょっとうぎゃーっ!?」
いきなり叫んだかと思うと、船首から村紗が勢い良く跳躍し、ぬえ目がけて飛び込んできた。
当然、先ほどからずっと展開に付いていけていないぬえに回避する余裕などあるはずも無い。
腹部に砲弾と化した村紗のタックルを食らい、そのままぬえは大地に沈んだ。
その胸の上に足を置き、再びポーズを決める村紗。相変わらずのテンションである。
「よっしゃあぁぁぁぁっ! 着地大成功! でも痛い! やはりまな板にダイビングしちゃいかんって事か。うん、いい経験した」
「…………ぐふう」
痛いと言っている割にはぴんぴんしている村紗だが、額からはだらだらと血が流れている。正直かなり痛々しい。
今の発言の中で身体的特徴を馬鹿にされ、内心憤るぬえだがすぐには起き上がれなかった。例えるなら某ハーフ野菜人の赤ん坊に頭突きされた弱虫兄貴状態である。
「おやおや。これだけ一方的にやられても反撃無しとは、あのぬえも随分と丸くなっちゃったもんだわ。まー普段が普段だし、自業自得と考えるのもありかしら」
「……よ……」
「んん? 何か言いたいのならはっきり言わないと伝わらないぞぉ~? ほらほら、どうしたどうした」
「……ろよ………」
「何ぃ、聞こえんなぁ?」
煽りモード全開になった村紗がわざとらしく聞き耳を立て、近づいてきたその瞬間をぬえは逃さなかった。
「……いい加減にしろよ……。この……大馬鹿船長が――っ!」
全身全霊、渾身の力を込め、ぬえは愛用の鉾をぶん投げた。狙いは目の前の馬鹿船幽霊の顔面だ。
「うおっ危ねっ。だが残念、狙いが甘すげぶっ!?」
かなり近距離での投擲にも関わらず難なく鉾を回避し、余裕を持って振り返った村紗の顔面に赤UFOが直撃、爆発した。
鉾の影に隠れる形で発射されたぬえの弾幕だ。UFOの形なのはぬえの能力による外見の変化であり、彼女の好みだからである。
爆風が消えるとそこには見事なアフロ頭になった幽霊船長のボロ姿があった。地味に露出が増えているので見ている方が寒い格好だ。
「はーっ、はーっ……! どうだ、思い知ったかこのやろー…」
肩で息をするぬえに対し、村紗は割と平気な様子だった。それどころか、その表情はどこか嬉しそうにみえる。
まさか攻撃されて喜んでいるのでは、と一瞬疑ったぬえだが、どこぞの天人じゃあるまいしと考え直す。流石にそこまでいくと引くレベルではなくなってしまう。
「………ぷっ、くくく」
「何がおかしいのよ」
「いやいや。ようやくいつものぬえらしくなってきたのが嬉しくてさ。そうそう、やっぱりあんたはこうでなくっちゃ」
「え? …………………。あ」
ここへきて、ようやくしてやられたという事に気付いたぬえ。何やらデジャヴを感じるが、先程も似たようなやり取りがあったのだから当然だろう。
しかし今のぬえの心境は、先程の時とは異なっていた。
相手の思惑通りにはまってしまった、という悔しさがあるのは共通している。だが、不思議と不快感は無い。
それどころかむしろ爽やかさを感じているくらいだ。ずっと心にたちこめていた靄が吹き飛ばされたような、そんな感覚がぬえの中にあった。
「わ、私――」
「はいストップ。そこでまた考えこまれて無限ループになるのは絶対許しませんよっと」
「え、あ、いや、別にそんなつもりは、もうない、んだけど」
まだどこか吹っ切れていない感じはあるが、だから今すぐどうなるというわけでもない。
先程までとは別の意味で、どうしたらいいのか分からない。今のぬえはそんな心境だ。
「ならばよし。じゃあ時間も限られてる事だし、さっさと行きましょー」
「へ? あ、ちょっと待って、待ちなさいよ」
背を向け、手をひらひらさせながら船の方へと歩き出した村紗を慌てて追いかける。
訳がわからないままで置いてけぼりにされるのは色々な意味で困る。
「行くって、どこによ」
「決まってるじゃん。今夜は聖夜で、私達はどこの集まりからもハブられた悲しき同士。ならやる事は一つしかないっしょ」
くるりと振り返り、ぐっと親指を立てて村紗はにやりと笑う。
それはさっきぬえに見せたそれとは別種の、非常に嫌らしい笑みだった。
「―――――聖夜を楽しんでる連中の、殲滅よ」
守矢神社上空。
「む、無茶はよしな早苗! あんなデカブツ、人一人の力でどうこう出来るようなもんじゃない!」
「大丈夫ですよ神奈子様。たかがボロ船一隻、現人神の力で押し返s\ピチューン/」
「「さ、早苗――――ッ!!」」
「ワハハハハ、おニューなモ○ルスーツなら兎も角、人間如きに足止め食らうような聖輦船ではないわっ!」
「ちょっとだけ同情しないでもないけど……。ま、あの風祝にゃ前に酷い目に遭わされてるし、別にいっかぁ」
人里上空。
「け、慧音大変よ! 突然里の上空にでかい船が現れて!」
「何っ! そ、それでどうしたんだ? まさか攻撃されたのか!?」
「いや、攻撃はされてないけど……。その、なんというか言葉にしづらいものをばら蒔いていったのよ、あの船」
「………は?」
「うおすげっ! 慧音先生の等身大人形があの船から降ってきたぞ!」
「こっちは妹紅さんの64分の1スケール人形だぜ! ヒャッハー!」
「おいおいマジかよ、この鈴仙人形はいてないじゃねぇかよグヘヘ」
「な、何をやってるんだお前達ぃぃぃぃっ!!?」
「ナズーリン、あんたが集めたガラクタ、有効活用してあげたよ。感謝しなさいね」
「ぜぇぜぇ……。さ、流石にあれだけの量に正体不明の種つけるのは大変だったわ……。でもやるだけの価値はあった、かな」
博麗神社上空。
「あらいつぞやのエセ宝船。素敵なお賽銭箱はあっちy」
「対神社破壊専用砲、放てーっ!」
ズドーン!
「ああぁぁぁぁあぁぁぁぁっ!? 私の神社ーっ!?」
「素晴らしい威力だわ。うんうん、古道具屋にあった戦艦の砲台を真似てちまちま製作したかいがあったってもんよ」
「お・ま・え・らぁ~! こんな舐めた事して、ただで済むと思ってないだろうな!? ぶっ殺してやるからそこ動くんじゃないわよ!」
「そう来るのも計算のうち。対腋巫女ネバネバ弾、発射ーっ!」
ドカーン、ベチャッ!
「な、何これうわやだぬるぬるぬちゃぬちゃしてて気持ち悪い! しかも身動き取れない!? うがーっ!」
「こんなこともあろうかと! 河童に頼んで作ってもらった特製ネバネバ弾よ! ちなみにそいつは焼いても凍らせても変化しないトンデモ素材! ま、明日には溶けてなくなるから、安心して頂戴」
「ま、待ちなさいよこの……うぐっ、何気にこれ納豆臭っ! 嫌ぁぁぁぁぁぁっ!」
「……ねぇ、あの紅白巫女は別にクリスマスを楽しんでなかったから、ターゲットにしなくてもよかったんじゃない?」
「こまけぇ事ぁいいのよ! ほら、次の目標目指してしゅっぱーつ!」
そうこうしながら夜もかなり更けてきた頃。一人甲板に腰を下ろし、ぬえはぼんやりと空を眺めていた。
今宵は雲ひとつなく、さらに新月なため非常に星がよく見える。普段は中々見えない天の川の姿は、素直に素晴らしかった。
「中にいないと思ったら、こんなところにいた。本当にあんた寒くないの?」
振り向くと、二つのコーヒーカップを持った村紗が立っていた。カップからは湯気が立ち上っている。
別に断る理由は無い。差し出されたそれを素直に受け取り、口をつける。
中に入っていたのはホットココアだった。飲むと程よい甘さが疲れた体全体に染み渡っていくようだ。
「寒いに決まってるじゃん。つーか、そっちこそどうなのよ。そんなボロ姿だし、あんたの方が寒いんじゃないの?」
「意外とそうでもないんだなこれが。多分私の体温が低いせいだと思うわ。うーん、私幽霊でよかった」
「そんな感慨深げに言われても、全然羨ましく感じない」
自分の種族に誇りを持つという点は共感できるけど、と内心でぬえは呟く。
口にしないのは、そうするとまたイニチアシブを取られそうな予感がするからだ。
今度は二人で並んで座り、揃って空を眺める。距離はつかず離れずといった具合だ。
船はずっと一定の速度を保っており、それに合わせて頭上の星々はゆっくりと後ろへ移動していく。
「はー、それにしても疲れた。やっぱアレね、幻想郷って広いやね。本当はもっと制圧したかったとこなんだけど」
「あれだけやっておいてまだ足りないというのかあんたは。付き合わされたこっちの身にもなってほしいっての」
大げさな身振りとため息で呆れを表現するぬえ。呆れ半分、疲れ半分といったところだが悪意はない。
この後の展開を考えると、もう少し深刻さがあってもおかしくはないのだが。
「でも楽しかったでしょ?」
「………そりゃ、つまんなくはなかったけど、さ」
気楽な口調で尋ねられたが、対するぬえの返答はどうにもはっきりしていない。
楽しかった、と素直に答えればそれでいい筈なのに、何故かそれは出来ない。かといって楽しくなかったというわけでもない。
再び自分の中にもやもやしたものが沸き上がってくるのを感じ、ぬえはきゅっと唇の端を噛み締める。
ここへきて、まだ煮え切らない自分自身に対する苛立ち。それをどうにもできないもどかしさ。
きっとこれは本当なら、考える必要のない悩みなのだろう。気にするほどのものでもないのだろう。だが今のぬえにとってはそうではない。
(ほんと、馬鹿みたい。正体不明をウリにしてる私が、自分の正体不明な感情に翻弄されるなんて、笑い話にもなりゃしない)
黙りこみ、暗い顔になっていくぬえをしばしの間静観していた村紗だったが、やがて真面目な口調でぽつりと呟いた。
「そっか。ぬえらしい答え、ありがとうね」
「えっ?」
言葉の意味がわからず、きょとんとするぬえ。
私らしい答え? 今の曖昧な返しのどこが自分らしかったというのだろうか。
真意を探ろうと村紗の顔を見つめるも、その真剣な表情からは何も読み取れない。
「正直に言うと、さ。私、ちょっぴり怖かったんだ」
「怖かったって、何が?」
「今の質問で、ぬえに『楽しくなかった』って、断言されるんじゃないかってね」
「! そんな事――っ」
驚き、咄嗟に何かを言おうとしたぬえだが、言葉が出て来ない。
否定するのも、肯定するのもおかしい。どちらかが正しいはずなのに、どちらも正解とは思えないのだ。
「ああ、そんなに無理して答えなくてもいいから。それこそあんたの性じゃないわよ」
「だから! どうしてそういう――!」
「あやふやで曖昧でどっちつかず。それが私の知ってる、正体不明少女のぬえだもの」
「!!」
その一言を聞いた瞬間、ぬえの中で何かがくるんと反転した。心を覆いつつあったもやもやがすぅ…と消えていく。
「ぬえ、私を甘く見てもらっちゃ困るわ。どんだけ長く付き合ってると思ってるの? あんたが正体不明で天邪鬼な悪戯娘だって事、一番実感してるのは誰かなんて考えるまでもないでしょ?」
「村紗………」
「そりゃ私は地霊殿の主みたく心なんて読めないから、あんたの本音とか本心なんて分からない。でも、それって別にどうしても分からないと困るってわけでもないと思うのよ、私は」
よっと立ち上がり、軽く伸びをして村紗は言葉を続ける。
「気持ちを深く理解するのが、必ずしも良好な関係を築くのに必要なわけじゃない。特にあんたの場合は理解されすぎるとかえって困る立場の筈だしね。私だってどんなに親しい相手だろうと知られたくない秘密とかあるし」
「…………」
「なので。こういう小難しい話は考えるまでもないと判断した私は、いつもどおりあんたと楽しく騒ぐのが一番だという結論にたどり着いたわけなのです。ドゥーユーアンダスタン?」
「………あんたは、それでいいかもしれない。でも、もし私がそうじゃなかったら、どうするのよ」
「じゃあ逆に聞くけど、私と一緒に馬鹿やるのは楽しくなかった?」
「う。そ、それは」
「ほらね。あんたは楽しくない事を我慢して延々と続けられるようなタイプじゃない。そこは断言させてもらうわ」
自信満々でビシッと指を突きつける村紗。はっきりとした根拠があるわけではないのに、何故か正論だとこちらに信じさせる説得力がその全身から溢れていた。
「ま、そんなあんただからこそ、自分自身の感情とか気持ちとかが分からなくて混乱しちゃう時もあるんでしょうけどね。もっとメンタル面を鍛えた方がいいぞ? 私みたいにね」
「あ……!」
この時、ぬえはようやく気がついた。先程までずっと混乱し、不安になっていたのは自分の感情の正体がつかめなかったからではないという事に。
(――そっか。そうだったんだ)
そっと胸に手を当て、眼を閉じる。
嵐の海のように荒ぶり高まっていたぬえの心は、すっかり落ち着きを取り戻していた。
(私は、普段の自分と違う状態になるのが怖かった。ただ、それだけの話だった)
ここまで考えたぬえの口元は自然と緩んでいた。
今まで悩んでいた自分の姿がとても滑稽で馬鹿げていて、今では笑えてしまう。そのくらい、ぬえの心には余裕が生まれていた。
(……にしても。まさかよりにもよってこいつにそれを気付かされるとはね。私もヤキがまわったもんだわ)
盛大に胸の内で溜息をつく。
自分の不甲斐なさに対するものであったが、もう自己嫌悪の念は無い。
故に、これから口にする言葉は単なる義理であり。
聞こえない大きさで呟くのはささやかな嫌がらせ。
「………ありがと」
「ん? んんん? 何か今ぬえらしからぬ言葉が聞こえたような気がしたけど、気のせいかな?」
「気のせいよ気のせい」
「そうかそうか気のせいか。なら仕方ないわね。…くくっ」
急に背を向け、体を震わせる村紗。どうやら笑いを必死にこらえているらしい。
「何がおかしいのよ」
「いや、だって、ねぇ……。ぷくくく、小声で『………ありがと』とか、ぜ、全然似合ってない……! ぷっ、あっはっはっは!」
「し、しっかりと聞こえてんじゃないのよ、この馬鹿―――っ!!」
変わらず満天の星空の中、ゆっくりと進む船の上で。今度はちゃんとした『弾幕ごっこ』の範疇の弾幕が展開された。
それの発動者である正体不明少女と避ける側である船幽霊船長の表情は、とびきり明るい笑顔だった。
終わり
クリスマスでも騒いでるのがお似合いで実に良かったです。
>3様
そう言ってもらえるとなによりです。
>4様
ぬえは誰かと一緒に楽しむというのが素直に出来ないタイプだと個人的に考えています。
その辺をもっとうまく表現できるようになりたいなぁ……。
>10様
うちの船長は欝ブレイカーなので、暗い空気も雰囲気も自分からぶち壊してくれます。
何故か村紗がやってくれると説得力があるような気がしてくる不思議。
>12様
迷惑をかけた方々にはごめんなさい(by村紗) でも影で呪詛を吐くよりはずっと健康的だと思います。
>13様
どちらかが普段どおりでなくても無理やり普段の雰囲気に引き戻す。
そういう関係って素晴らしいものですよね、よね!
>14様
ムラぬえちゅっちゅっちゅっ
以上です。評価、コメントありがとうございました
自分の中の説明のつかない感情に戸惑うぬえが女の子してて可愛いなあ
そして、鈍感というか、馬鹿というか、そんな愛すべき船長が素敵だ。
だいぶ遅れましたが作者氏ハピバ!