Coolier - 新生・東方創想話

復讐の連鎖

2005/06/07 04:37:58
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 濃い闇と対照的に、月が強く輝いていた。
 明かりが窓から射し込み、私の輪郭を浮かび上がらせる。
 紅魔館の一室。私は自室のベットに仰向けに寝転がっていた。手にした懐中時計を月にかざす。銀色の懐中時計が薄く輝く。
 私は目を細めて時計を眺め、思い出に浸る。幼い私。そして母や姉。優しい思い出が身を包んでゆく。
 しかし、優しく包んでくれたその思いでは、突如、姿を変えた。それは棘となって全身に刺さる。痛く、悲しい。
 かざした手を胸にあて、目を閉じた。思い出が瞳の奥で暴れている。私はそっと優しく両手で時計を握り暴れる心を落ち着ける。深く呼吸をし、頭をからっぽにしていく。
 やがて気持ちが落ち着いてきた。私は、はぁ、と溜め息をこぼす。
 だめだ、まだあのことを思い出すと心が暴れる。だけど忘れたくない。忘れてはだめだ。あのこと。あのときのことを……










 強く輝く太陽が木々や花々を色鮮やかに照らしていた。私と姉さんはお互いにはしゃぎながら駆け回っていた。
「早く捕まえてよぉー、さくやー」
「そんなこといったって」
 私は立ち止まり、両手を太ももに置いてうつむき、肩で息をする。
 私の額から汗が一粒こぼれた。太陽の光に反射し、きらきらと輝くそれは私の手のひらに落ちると、ぴっと弾けた。
 少し離れた場所で姉さんが私を見つめ、早く早く、と急かすように呼んでいる。
「私だって鬼がしたいんだからー」
「じゃあ少し手加減してよぉ。姉さんに追いつかないよ」
「それはだーめ」
 私はむぅ、と頬を膨らました。こうなったら絶対捕まえてやるんだから。
 姉さんめがけて駆け出そうとしたとき、遠くから母さんの声が聞こえた。
「二人とも、ご飯にするわよ」
 母さんが遠くの方で手を振っている。
「じゃあ帰ろっか」
 姉さんが私の方に歩み寄ってきた。
「えー。勝ち逃げずるい」
 私はもう一回頬を膨らまし、姉さんを見る。
「続きはまた今度ね。さ、帰ろう」
 姉さんが私の横に並び、優しい瞳で見つめてくる。私は、しかたないなぁ、とつぶやいて姉さんと一緒に家に向かって歩きだした。
 そのときどこからかくぐもった鳴き声聞こえた。そのこえは動物や人間のものではない。もっと別のもの。これは……
「妖怪だわ! さくや、気をつけて!」
 姉さんが素早くナイフを出し構える。私も少し遅れて同じ動作をする。
 私たちの世界には「妖怪」という人とも動物とも違った生き物が存在する。彼らは人外の力を発揮し、人を食う。意思を持たない低位の妖怪から、人と変わらない知力を備えている高位の妖怪まで様々な種類がいる。
 人は常に妖怪たちから身を守るために戦い続けてきた。術などが発達し、個人の能力を高める方法なども開発されてきた。それらの力を身に付けた者たちは妖怪から人々を守ってきた。
 私は、私の力で姉さんや母さんを守るために戦う! そう誓う。
 鬼の鳴き声は徐々に近づいてきている。恐怖と緊張感が増してゆく。
 鳴き声がピークに達したとき、前方の木々の茂みから赤い何かが飛び出した。
 姉さんが叫ぶ。
「鬼よ!」
 赤い何か――鬼は唸り声を上げながら私たちに突っ込んでくる。鬼は大の大人ほどの大きさがあった。だが本物の鬼はもっと大きい。たぶん子鬼だろう。それでも、普段、理性のない妖怪など下位の妖怪しか相手にしていなかった私たちには強敵だ。
 姉さんの声が飛ぶ。
「さくや! 逃げて!」
 私はとっさに横に飛ぶ。姉さんは子鬼を睨んだまま動かない。姉さん!
 そう叫ぼうとしたが出来なかった。私の体が一切の動きを拒否した。
 姉さんが時を止めたのだ。姉さんが横に飛びつつ、突進しようとする体勢のまま固まっている子鬼にナイフを投げるのが見える。
 自分以外が時を止めると、私も例にもれず動けなくなる。だが止まった世界を感じ、見ることだけはできる。
 時が動き出す。ナイフは鬼の脇腹に刺さり、鬼が悲鳴をあげ苦しむ。
 私たちは間合いをとり様子を見た。すると鬼は刺さったナイフを自分で抜き、捨て、私たちをその赤い狂気の眼で睨みつける。
「ギサマラ」
 鬼の聞き取りづらいくぐもった声を聞き、姉さんが驚きの声を上げた。
「喋れる!? まずいわね。喋って理性があるなんて結構な妖怪だわ」
 姉さんが唸り、きつい顔をした。
「さくや、本気でいくわよ」
「うん」
 私はうなずき、姉さんの顔を見て目で合図をする。姉さんも私も見てうなずいた。
 睨み付けていた鬼が私に向かって来る。速い! 今度は鬼も本気でくるようだ。それならこっちも手加減なしだ。
「姉さん!」 
 私は姉さんに向かって叫ぶ。
 そして私は迫ってくる鬼の恐怖を振り払い、精神を集中。世界に私しかいない、そんなイメージを作る。胸の中で何かが弾けると、時は止まる。
 そこはとても冷たい世界。時間、光、風、音すべてが止まる。見ている景色は時を止める前と変わらないが、生命の息吹を感じない冷たい世界へと変わる。
 私と同じく姉さんも時を止める。
 私たちはありったけのナイフを鬼に投げた。鬼はその分厚い筋肉に守られ、中途半端な攻撃は効かない。だから出し惜しみなどせず一気に決める!
 放たれたナイフたちは鬼の眼前で止まり、動き出すのを今か今かと待っている。
 そして時は動き出す。
 私たちは同時に時を戻した。ナイフが一斉に鬼へめがけて殺到、突き刺さっていく。鬼の絶叫がこだまする。悲鳴の大きさに比例するように、血が勢いよく飛び散る、
 鬼の大きな体が崩れ、倒れてゆく。そしてうつ伏せに倒れた。口からは大量の血をこぼしている。その口が何かをつぶやいていた。
「オ……ガ、ア……」
 苦しげに唸る。だがその声も徐々に弱くなり、そして聞こえなくなった。あの凶悪な眼からも光が消えていった。
 私は何か気持ちの悪いものを感じた。いつも理性のない妖怪たちを相手にしているからだろうか。相手は妖怪なのに、殺してしまった、という思いがあった。あまり鬼の死体を見ていたくなかった。
「ねえ、早くいこ」
 鬼を見つめていた姉さんに急かすように言った。
「……そうだね」
 姉さんが私に微笑み、歩き出した。
 私は内からわいてくる罪悪感にもにたものを紛らわすため、姉さんに笑いながら話かけた。
「私たちって結構強いんだね。いつも弱い妖怪ばっかりだったから判んなかった」
「だからってあんまり油断しちゃだめよ」
 姉さんが私の頭をくしゃっ、と撫でた。私は笑った。姉さんも笑っていた。
 辺りが夕焼けの赤に包まれようとしているときだった。
 
 
 
 私の名前はさくや。歳は十二歳。姉さんと母さん、それに私の三人で暮らしている。
 私たちの家は山奥の方にある。山には妖怪たちが住んでいるため、近づく者はほとんどいない。
 しかし、そこさえ除けばいいところだ。緑豊かだし、動物もたくさんいるし。それに、妖怪だって実際のところはそんなに強い妖怪が住んでいるわけではなくて、それほど危険ではない。私と姉さんでほとんど退治できる。
 今の暮らしに不満があるわけじゃないけど、一つだけ、嫌なところがある。それは友達が出来ないことだ。
 山を降りれば街があるのだが、母さんは勝手に行ってはいけないと言う。何故だかわからないけど。そのため、母さんと姉さん以外の人間にはほとんど会わない。友達も出来ない。いつも姉さんと二人で遊んでいる。
 今日みたいに鬼ごっこをするときはちょっとつまらない。大勢で遊んでみたいな、そう思う。
 私はそんなことを家に向かって歩きながら姉さんに言った。
 姉さんは「仕方ないことなんだよ」って言った。何が仕方ないのかって聞いたら、「大人になればわかるよ」って言われた。姉さんだってまだ十六歳なんだから、子供じゃないにしろ、まだ大人じゃないと思うけどなぁ。
 遠く眼下に街が見える。辺りはもう夕暮れで赤く染まり、街の家々の屋根を照らしていた。
 私は赤く染まった姉さんの顔をみた。少し悲しげな、影のある表情をしていた。私には『仕方ないこと』というのがあまりよくないことだと悟り、もうこれ以上聞くのはやめた。
 そう思い下を向いたとき、何かの光が私の目に飛び込んだ。光源を探すと、姉さんのポケットから垂れていた銀の懐中時計が、夕日に照らされ赤い光を発していた。思わず見惚れてしまう。
「いいなぁ。その懐中時計。私も欲しいな」
 その美しい造りと不思議な魅力に溜め息が出た。姉さんが時計を持ち上げ、見つめる。
「これは母さんから貰ったものなんだ」
 姉さんが時計を懐かしそうに見つめた。
「これを貰ったとき、母さんはこう言ったんだ」
「何て?」
 私は先をうながすように聞いた。姉さんが時計を眼前に持ってくる。
「時に迷わないように、って言われたんだ。でも、時に迷うことなんてありえるのかな?」
 私は姉さんのその言葉にとあるイメージが湧いてきた。
 誰もいない一人ぼっちの世界に取り残されている私。
 そんな光景を想像してしまい、恐怖が湧いてくる。だがそんなことはありえないと自分に言い聞かせる。
 私たちは時を止めることが出来る。正確には時を止めるのではなく、私たちが時という法則から外れるのだ。結果的には、普通の人から見たらあたかも時を止めているように見える。そしてこの時の法則から永遠に外れることも理論上可能なのだ。しかし、そのためには人間ではありえないほどの力が必要。出来たとしたら、その人はもう人ではない。
 そうは思ってもさっきのイメージが頭から離れない。
 止まった時の中に置き去りにされる私。動いているのは私だけ。すべてが止まり、絵画の中に閉じ込められてしまったよう。とても寂しく、悲しい。そして永遠に孤独。私はそんな孤独に耐えられず……
「な、何を考えてるんだろ。そんなことありえないのに」
「何か言った?」
 姉さんが私の顔を覗き込んでくる。私は何でもないよ、と言い駆け出した。
「お腹すいたから早く帰ろう」
 私は姉さんの手を引っ張って走り出した。



 日が落ち、あたりを暗く染めていくころ。私は姉さんと母さん、家族で食卓を囲んでいた。
 食事をしながら母さんに今日あった出来事を話す。私は鬼ごっこをしていて、私ばかり鬼だったことを話したら、母さんに笑われてしまった。
「笑わなくてもいいでしょ。姉さんの足が速すぎるのが悪いの」
 そう言ったら今度は姉さんにも笑われてしまった。二人して笑わなくってもいいのに。
 母さんが、違う話題に振る。
「そういえば、修行の方はどう?」
 姉さんが胸を張って答える。
「ばっちりだよ。さくやも強くなってきているし、もうここらへんの妖怪じゃ私たちには敵わないよ。だから安心して母さん。私とさくやでどんな妖怪からも守ってあげる」
「ありがとう」
 母さんが優しく笑みで返す。
 私も気持ちは姉さんと一緒だ。妖怪から母さんを守ってみせる。まだまだ姉さんには及ばないけど、もっと強くなる!
 テーブルの下で握りこぶしを作り、そう誓う。
 姉さんが母さんに聞いた。
「ねぇ、昔みたく母さんも修行に付き合ってよ。母さんのナイフさばきとかまた見たい! それにまた時を操ってみせて」
 母さんは苦笑いをしながら答えた。
「昔みたく体が動かないの。それにもう今は時を操ることは出来ないわ」
 姉さんが本当に? とくってかかる。
「本当にもう時を操れないの?」
「ええ、ごめんね。でも修行を見るだけなら大丈夫よ」
「ホント! 約束だよ」
 その言葉に母さんが笑顔でうなずいた。そして私にも笑顔を向けた。そしてその笑顔が少し悲しい笑顔になった。そんな気がした。
「どうしたの?」
 私は母さんの顔を見ながら聞く。母さんは「なんでもないよ」と言い、微笑んだ。そしてもう一度私をみて言った。
「明日、街に行くわ」
 私は思わず立ち上がって聞く。
「ホント!?」
 ええ、と母さんがうなずく。
「嬉しい! 街に行くなんて何ヶ月ぶりかな?」
 私は嬉しくてたまらなかった。
「ほんと、久しぶりだね。さくや、嬉しいのはわかるけど、大変なんだからね。色々必要なものを買ったり荷物運んだりするの」
 姉さんが落ち着かせるように私に言う。
「わかってるって」
 私は、大丈夫、と笑顔で答える。
 そっかぁ。明日は街に行けるんだ。楽しみだなぁ。なんだか今日は眠れなそうだ。
 案の定、その日の夜は興奮してほとんど眠れなかった。



 次の日。太陽が高く昇り、強い日差しを注いでいた。
「さくや。早くいくわよ。まだ寝ぼけているの?」
 母さんの声がぼんやりと聞こえる。眠い。
「しゃんとしなさい!」
 姉さんが私の背中を強く叩く。あまりの強さに前のめりになってしまう。
「い、痛いよぉ。そんなに強く叩かないでよ」
「じゃあちゃんとしなさい。置いてくわよ」
 姉さんが先にずんずん歩いて行ってしまう。母さんも後を追うように歩き出す。
「ま、待って、母さん、姉さん!」
 私は急いで姉さんたちの後を追いかけた。
 
 
 
 街に来るのはこれで三度目だ。私がもっと小さかったころは、街には連れて行ってくれなかった。
 目に映るものすべてが新鮮に見える。物も人も。私は常にきょろきょろとあたりを見回していた。
 踏みしめる石造りの道。レンガ造りの家々。その窓の向こうに見える家族の笑顔。ベンチで語りあう恋人。すれ違ってゆく人々。街の中心に見える噴水。その周囲を囲むように並ぶ露店の数々。
 私の目は新しい全てを捕らえ、心躍らせていた。
 人々は活気にあふれ、とても賑やかだった。
 私たちは街の中心にある噴水の広場に向かった。広場では市場が開かれている。この街では月に何度か、他の村や街から商人が集まり、市場を形成する。そこには食料や衣料のほか、この街ではめったに見られないような珍しい物も数多く売られていた。
 迷子にならないようにと、姉さんと手を繋ぎながら市場を眺めて歩いていく。私は見たことがないものを見つけると、じっくりと眺めてしまう。だが、姉さんが「次いくよ」と手を引っ張ってしまう。私は名残惜しく過ぎてゆく露店を振り返りながら見るので、しょっちゅう後ろを向きながら歩いていた。
 どん、と肩に衝撃が走った。誰かにぶつかってしまった。見知らぬ男の人を見上げ、「ごめんなさい」と謝った。
 しかし、その人は怯えたような顔で私を見ていた。そしてすぐに行ってしまった。
 何であんな表情していたんだろう? 謝り方がいけなかったのかな?
 浮かれていて気づかなかったが、よく人々をみると、私たちのことをさっきの男の人と同じような顔をして見ている人がいる。それに私たちを避けているような気もする。
「そんなに怖がらなくても何もしないのに」
 そうつぶやいた。
「さくや、あんまり立ち止まっていると迷子になっちゃうよ」
 姉さんがそう言い、私の手を引っ張る。
 変な考えはよそう。そう思い、急いで姉さんの隣に並び、一緒に歩いた。
 そのとき、どこからか女性のかん高い悲鳴が耳を貫いた。
 反射的に悲鳴の方へ体を向けると、妖怪が街へ入ろうとするところだった。妖怪は赤い体の巨大な鬼だった。頭には大きな角がある。鬼は長生きし、力をつければつけるほど角が大きくなってゆく。あの妖怪の角からみるに、かなりの力を持った妖怪だ。
 鬼は街に入ろうとするが、街全体に張ってある退魔の術により弾かれる。しかし、鬼はそれを強引に突破。術が青白い炎となって弾けた。
 市場の周りは大混乱だった。悲鳴や叫び声があちこちで聞こえ、人々は我先にと逃げまどう。
 鬼はもの凄い速さでこちらへと走ってくる。眼が赤く輝き、狂気を感じさせる。その眼は確実に私たちを見ていた。まさかこの鬼は……
「姉さん! この鬼ってあのときの?」
「ええ。昨日殺した子鬼の親でしょうね。私たちを殺しにきた……」
 姉さんが苦い顔で唸る。
 鬼は暴れ、私たちに迫ってくる。村人が鬼に踏まれ、巨大な手で吹き飛ばされてゆく。
 このままじゃ関係のない人たちまで犠牲がでる。勝てるかわからないけど、闘うしかない。
 姉さんも気持ちは一緒だったみたいで、ふともものベルトに下げていたナイフを取り出していた。
「さくや、行くよ!」
「うん!」
 私は大きくうなずく。
「待ちなさい! 二人とも」
 母さんが私たちを止めようと声を上げる。姉さんが母さんの方を振り向かず、うつむいてつぶやいた。
「わかってる。ここで力を使えばまた、化け物扱いされる。でも、行かなきゃ。あの鬼は私たちを狙っている」
 化け物扱いされる? いったい何のことだろう?
 姉さんはうつむいたまま飛び出していった。
「大丈夫だよ。母さん」
 私はそう言って姉さんの後を追った。振り返って見た母さんの顔は、辛そうだった。何があったのだろう?
 私は走りながらナイフを取り出す。木目のスローイングナイフ。刃の輝きが鋭さをみせる。
 私は視線をまた前に戻す。鬼の狂気の眼が私を貫く。怖い。いままで闘ってきた妖怪とは桁違いだ。
「ワガコノイノチ、キサマラノイナチデツグナッテモラウ」
 鬼が聞き取りづらいくぐもった声で言う。と同時にその巨大な手を私たちに向かって突き出す。
「さくや!」
 姉さんが叫ぶ。私は一瞬で、時を止めなきゃ逃げられないと悟った。
 私は時を止める。そして止まった時の中で、私は今にも直撃しそうな鬼の手から飛びのく。そして私は元の時間の法則に戻る。
 鬼の手は私を捉えることは出来なかったものの、空振りした手が近くにいた人々を吹き飛ばした。
「さくや! 大丈夫?」
 姉さんが私のそばに駆け寄ってくる。
「大丈夫」
 私は笑みを向けた。しかし、呼吸が乱れ、汗が噴き出していた。鬼の攻撃を受けたら確実に死ぬ、というプレッシャーが時を止める精神の消耗を大きくしていた。私たちは時を止めると精神を消耗する。精神の消耗は肉体へと影響する。
 私たちに向けて鬼が再び拳を突き出してくる。早い!
 私は右へ、姉さんは左へとっさに飛び退いた。鬼の拳は近くの家を破壊し、人々に瓦礫が襲う。
「姉さん! このままじゃ他の人たちも巻き添えになっちゃうよ」
「そうね。いったんどこか人のいない場所へ」
 私たちは時を止めて街の出口の方へ走った。しかし。
「ニガサン」
 鬼が私たちの前を塞ぐ。こいつ、速い!
 姉さんがとっさにナイフを投げる。ナイフは鬼の肩口に刺さるものの致命傷にはならない。これだけ大きい妖怪じゃ、ナイフの一本や二本じゃ倒すことは出来ない。
 この鬼、強いよ。 
 噂によると自分が角の重みで倒れてしまうような大きな角を持った鬼もいるらしいが、この鬼でこれだけ強いのだから、噂の鬼はいったいどれだけ強いんだろう?
 どうすればいいかわからず、思考が一瞬現実から逃げる。
「どうするの? 姉さん。逃げることはできないし、倒すことも……」
 私は怯えた声で姉さんに呼びかける。
「さくや、あの技をやるわ」
 姉さんが鬼を睨みながら言う。
「あの技って、もしかして……。だめだよ! あれはまだ未完成だし、こんなところで使ったら他の人も巻き添えになちゃうよ」
「仕方ないわ。時を止めても私たちの速さではこいつから逃げられない。かといってこのまま闘っても被害を増やすばかり。あの技で一撃で決めるしかない。二人でやれば出来る!」
 やるしかないのか。誰かを傷つけてしまうかもしれないということもあるが、あの技は自分が自分じゃなくなるみたいで嫌だ。でも、他に打開策がない。
「やるよ、さくや! 準備して」
 姉さんが鬼の前に立ちはだかる。私は急いで鬼の後ろに立つ。私と姉さんで鬼を挟む形になる。
 姉さんが眼を閉じ、深く深呼吸をする。私も同じように集中する。鬼は姉さんめがけて突進してくる。
 姉さんが大きく眼を見開いた。今だ!
『インスクライブレッドソウル!!』
 私達は同時に叫んだ。
 姉さんが鬼の正面にありったけのナイフを投げる。私も鬼の背中めがけてありったけのナイフを投げる。姉さんのナイフは呪力で薄紅色の光をまとって威力を増し、鬼を切り刻む。そして反対側に居る私の方へと抜けてくる。私のナイフも鬼を切り刻み、姉さんの方へ抜けていく。
 お互いのナイフが鬼を貫き、お互いの正面に飛んできた瞬間、私たちは時を止めた。そして飛んできたナイフを回収。時を戻しまた鬼に向かって投げる! 
 姉さんも同じように回収し、投げる。
 飛んできたナイフを時を止め回収し、時を戻しまた投げる。
 普通の人から見れば、私たちが幾千もの刃を放ち、鬼を刻んでいる光景が見えるだろう。
「ガゥァァアァ」
 鬼の悲鳴が聞こえる。だが連続で時を止めている私たちには断片的にしか聞こえない。巨大な鬼の体は徐々に削られ血しぶきが舞う。
 そして私たちの精神も徐々に削られていく。目の前がぼやけてくる。体中を痛みが走り抜けてゆく。
 そして、眼が変色してゆく。赤く紅く。長時間連続で時を止めると私たちはこうなってゆく。普段は時を連続で止められないのだが、眼が紅くなるこの力を使えばそれが可能になる。
「!!」
 私は何本かのナイフを取りそこなってしまう。ナイフはそのまま私の後方へ飛んでいった。
 私の体力は限界が近い。姉さんを見ると、眼が変色し、辛そうな顔をしている。
 もう限界だよ姉さん。そう目で合図をすと、姉さんは回収したナイフを投げずに時を止めるのをやめた。私も来たナイフを回収しそのまま時を戻した。
 私はそのまま膝から崩れ落ちた。
「さくや!」
 姉さんが駆け寄ってくる。姉さんが私を支える。その手は返り血で真っ赤だった。手だけじゃない。全身真っ赤だった。そして私も。
 姉さんに抱きかかえられ、鬼を見た。それはもう生き物の形を留めてなかった。幾千もの刃に刻まれ、赤い塊となっていた。
 足音が聞こえた。おぼろげな視線でそちらを見ると、母さんが駆け寄ってきていた。泣きそうな顔をしている。
「無事でよかった」
 母さんは私を撫でてそう言った。
 私は周囲を見渡した。人々が遠巻きに私たちを見ている。皆怯えたような顔をしている。鬼は死んで街の危機は去ったというのに。ひそひそと声が聞こえる。赤い眼、化け物、そんな単語が聞こえた。
 そんな人々を見渡している最中、私はある一点で視線が止まった。眼が見開かれる。
 視線の先には、胸から血を流し倒れている少女がいた。その母親らしき人が必死に呼びかけている。その少女の胸にはナイフが刺さっていた。あれは! あれは技の途中、私が取り損なってしまったナイフ。
 その事実に手が震えた。あの技は未完成。こうなってしまうことは分かっていた。しかし、それでも自分のせいで誰かが傷ついたという事実を改めて思い知り、胸が苦しくなる。
 鬼を倒すにはこうするしかなかった。こうするのが一番よい手段だった。でも……
 私は軋む体を無理矢理起こして立ち上がる。そしてその少女のもとへと歩みだした。母さんと姉さんが心配そうについてくる。辺りは静寂だった。
 少女の前で立ち止まり、膝をついて少女を見る。ナイフは抜かれていたが、血があふれ出していた。血と共に少女の生命が零れ落ちているようだった。これは……もう助からない。
「ごめんなさい」
 私は少女に謝った。どうすれば、何をすればいいかわからなかった。声は少女に届いているだろうか? そして少女の母親にも同じ言葉を言った。
「ごめんなさい」
 いままで少女を抱きしめうつむいていた母親が顔を上げた。私の赤い瞳と少女の母親の瞳が交わった。
 母親の瞳には、悲しみと、恐怖と、そして怒りがあった。その瞳が突然、私に襲い掛かる。
「この化け物! よくも娘を!」
 母親が私のナイフで襲い掛かる。私はとっさに逃げようとするが足に力が入らない。時を止めようにも集中できない。母親との距離が近い。刺さる!
 私はそう直感し、思わず目を閉じ身をすくめる。ナイフが肉を刺す鈍い音が聞こえた。だが何故か来るはずの痛みがこなかった。恐る恐る目を開ける。
「か、母さん!」
 私を庇うように母さんが横から入ってきていた。そして私の変わりに……
 私は崩れ落ちる母さんを抱きとめる。支える手が震える。
「母さん!」
 姉さんも駆け寄ってくる。
 少女の母親は刺さったナイフから手を離した。手が震えている。そのままよろよろと数歩後ずさり、崩れ落ちた。
「わ、私は、何を」
 そして震える声でつぶやいた。
「そ、その眼。その眼が一瞬妖怪にみ、見えて」
 私たちの返り血で真っ赤に染まった体と赤く紅い眼。その姿は妖怪と思われても仕方ないほどに禍々しかった。
 私と姉さんは必死に母さん、母さんと呼びかけ続けた。母さんは心配させまいと弱弱しく微笑んでいる。しかし、血が止まらない。このままではまずい。
 姉さんが遠巻きに見ている人々に向かって叫んだ。
「誰かお医者様を呼んできて。お願い!」
 だが彼らは誰も動かなかった。
 遠巻きにみる人々を掻き分けて奥から誰かが前へ出てきた。街の住人たちが声々にその人を呼んだ。
「長」
「無事だったのでしたか、長」
 長、と呼ばれた壮年の男が私たちに話しかけてきた。
「鬼を退治してくれたことには感謝する。しかし、そもそも鬼が村に来た原因はおまえたちだ。その結果、このようなことになってしまった」
 長が辺りを見渡す。家が壊れ、瓦礫があちこちに飛び散っている。傷ついた人々がうずくまっている。どこからかすすり泣く声も聞こえる。
 長は続ける。
「そして君たちのその眼。人間のものではない」
 人々がざわついた。
「街を危険な目にあわせる訳にはいかない。もう二度と街には近づくな。早々に立ち去りなさい」
 姉さんが苦しそうな母さんを抱えて、反論する。
「母さんが危ないのよ!」
「化け物を診るなど出来ない! 立ち去りなさい!」
 長が叫ぶ。
 私は化け物、その言葉にはっとなる。化け物? 私が? そんな。違う! 私達は……
「私たちは化け物なんかじゃない!」
 姉さんは拳を震わせて長を、人々を睨んでいた。今にも彼らに襲い掛かってしまいそうだ。私は姉さんに呼びかけた。
「姉さん、やめて。帰って薬草で治療すればなんとかなるよ」
 私はもうこれ以上、街の住民たちが私たちのせいで傷つくのが嫌だった。そして、また化け物と言われることが嫌だった。
 私たちは母さんを抱えて街を後にした。振り返ると人々の恐怖と怒りを含んだ目が私を貫く。私たちは傷ついた心と体を引きずって帰った。母さんを二人で抱えて。





 家に戻った私たちは母さんをそっとベットに寝かせた。
 母さんの呼吸は荒い。今は意識もない。血が傷口からにじみ出ている。なんとかしないと。
 私と姉さんは、かき集めてきた薬草で止血薬を作り、母さんの傷口に塗った。しみたのか、母さんが顔をしかめる。しばらくして、血は収まり少しずつ安静な状態になってきた。
 しかし、これはあくまで気休めだ。もっとちゃんとした治療を受けないと。
 私たちは重い溜め息をついた。もう日は暮れ、辺りは薄暗くなっていた。
「明日、もう一度街に行ってお医者様を呼んでくるわ」
 姉さんが意思の強い声ではっきりと言った。私はでも、とつぶやく。
「二度と来るなって言われたんだよ。それにあんな怪物が現れた後なら、護衛や術者も呼んでいるだろうし、危ないんじゃ」
 私は不安な顔を姉さんに向けた。姉さんが優しく微笑む。
「大丈夫だよ。なんとかなる。母さんは助かる」
 姉さんは私の頭を撫でた。そして母さんの側に行き、そっとつぶやいた。
「待ってて母さん。必ず助けるから」
 
 
 
 
 
 翌朝。私は誰かの足音で目が覚めた。ベットから起き上がり周囲を見渡した。まだ日が昇りきっておらず薄暗い。隣のベットには寝ているはずの姉さんがいなかった。まさか一人で街へ?
 私は急いでベットから降り、扉を開け姉さんを探す。もう家にはいないのだろうか? 
 私は家を飛び出した。遠くに、今まさに街へ向かおうとする姉さんの背中が見えた。私は叫ぶ。
「姉さん!」
 姉さんは振り返って私を見た。私はもう一度叫ぶ。
「私も行く!」
 姉さんが驚いた顔をした。姉さんが私に言った。
「行くのは私一人でいい」
 私は反論する。
「やだ! 絶対行く! 姉さんが駄目だって言ってもついて行く!」
 私は絶対について行くつもりだ。姉さんまで危険な目に遭わせるわけにはいかない。誰にも傷ついてほしくない。
 姉さんがやれやれといった表情をした。
「わかったわ。早く準備してきなさい」
 私は、うん、とうなずき家に戻る。急いで支度をした。
 家を出るとき、母さんの顔を見た。静かに寝ているものの、顔色は昨日より悪い。早くちゃんとした治療をしてあげないと。
 私は母さんに、もう少し待ってて、と言い家を出た。
 家を出て少し歩いた木の下に姉さんはいた。姉さんは「辛い思いをするかもしれない。本当にいいの?」と言ったが、私は大丈夫、と笑顔で答えた。
 私たちは街に向かった。街へと向かっている間、私たちの間に会話はなかった。薄暗い静寂の森を抜け、山を降り、街を目指し歩いた。
 街の入り口までたどり着くと、そこには武器や杖を持った男の人たちが入り口を守っていた。村を守るための守衛と、村を覆う新しい退魔陣を作るために呼んだ術者たちだ。
 姉さんが臆することなく入り口に進んでゆく。だが、守衛たちが行く手をはばむ。
「どいて」
 姉さんが強い声で言うが、彼らはどかない。彼らは私たちを睨みつけるように言った。
「妖怪や化け物は絶対に入れるなと言われている」
「私たちは人間よ!」
 姉さんが叫ぶ。だがその言葉は聞き入れてはもらえなかった。
 騒ぎを聞きつけたのか、奥から長が出てきた。姉さんの前に出る。長は守衛から剣を取り上げると、いきなり姉さんに切りかかった。
「何を!?」
 突然の凶行に一瞬油断した姉さんは、時を止め、なんとか剣から逃げた。少し後ろにいた私の隣に並ぶ。そして時を戻した。
 剣は何も捕らえず地面をえぐるに終わった。しかし、守衛たちからは畏怖のざわめきが上がっていた。
「き、消えた!?」「なんだあれは……」「に、人間じゃない」
 長が剣を返し、私たちに言う。
「人間は突然消えたりはしない。それに人間は赤い眼などしてはいない。おそらくお前たちには人間とは違う何かの血が混じっている。そういう類のものは妖怪などの負を寄せ付ける」
 その言葉に私は胸が痛んだ。普通の人間は時を止めたりはしない。やっぱり私たちは人間ではないのだろうか?
 姉さんが違う、と叫んだ。
「違う! どんな血が混じっていようと私たちは人間よ」
 村長が姉さんの言葉を受け流すように言った。
「どんなに自分たちが人間だと主張しても、まわりが認めないのだ。お前たちのような異端の能力を持った存在は、人々に恐怖を与える。お前たちが何もしなくともそこにいるだけで」
 長の言う意味を知り、私はどこからかくる胸の痛さに倒れこみそうだった。
 姉さんは拳を震わせうつむいていた。振り絞った声で村長に言う。
「たとえそうだったとしても。それでもお願い。母さんが危ないの。助けて」
 震える声で必死に言う。うつむいた顔からは表情は読み取れなかった。
 長は姉さんの言葉を聞き、続けた。
「お前たちの母親は不幸なことだったと思う。だか、だめだ。助けることはできない」
 長の言葉を聞き、今度は私が叫んだ。
「お願い。母さんを助けて。どんなことだってするから。お願い」
 胸の痛みをこらえて叫んだ。だがその声は長の声にかき消された。
「だめだ! 村の惨劇の原因はお前たちなのだ。それによって村の多くの者が傷つき、死に、泣いた。彼らはお前たちを許さないだろう。直接的には鬼のせい、と分かってはいても許せないのだ。理解はしても納得は出来ない。そのためお前たちを助けることはできない。お前たちを助けることを彼らが許さない」
 長の意思の強い言葉に私たちは反論の言葉がでなかった。
 私と姉さんはうなだれていた。私は胸が痛かった。涙が出そうだった。
 長の言い分は分かる。でも……でも母さんが。何か、どうにかならないのか。
 だが、そんな思考を長の言葉がかき消す。
「帰りなさい。そしてもう二度と村には近づくな」
「でも!」「母さんが!」
 私たちは同時に叫び、訴える。
「帰りなさい! もう私たちとお前たちの間に話し合いの余地はない。これ以上何か言うのならお前たちを妖怪とみなして攻撃する。立ち去りなさい!」
 有無を言わさぬその迫力に私はあとずさる。しかし、姉さんは違った。怒りのこもった眼を向けている。そしてナイフを取り出そうとしていた。
「姉さんやめて!」
 私は姉さんに後ろから抱きつき凶行に及ぼうとするのを止める。
「離してさくや! 母さんが、母さんが!」
 姉さんの行動に、守衛たちが武器を構え始める。
「お願いだからやめてっ! もう私たちのせいで誰かが死ぬのなんてやだよ。そしてそのせいで化け物って呼ばれるのも」
 必死に姉さんを止める。少しずつ姉さんの力が弱くなり、最後には力がなくなったようにうなだれた。私は姉さんからそっと離れた。
「行きましょう、さくや」
 姉さんのその声は暗かった。
「う、うん」
 私は小さな声でうなずいた。本当に小さな声だった。
 何の希望も見出せない。このまま母さんになんと言ったらいいのだろう。嘘をついて「もうすぐお医者様が来るよ」といわなければならないのだろうか。そのとき、私は嘘を隠し通せるか不安だった。
 私たちは街を後にした。帰り道がとても、とても長く感じられた。
 
 
 
 
 
 私たちは家に帰ってきた。だが家の前まできてなかなかドアを開けることができなかった。
 母さんに何も出来なかったことを悟られないように、無理に笑みを浮かべ、ドアを開けた。
 母さんは上半身をベットから起こしていた。私たちは急いで母さんのもとへ駆け寄る。私は母さんの手を握り、顔を見た。血の気が引き、真っ白な顔だった。
 姉さんが母さんのもう片方の手を握った。
「大丈夫だよ、母さん。もうすぐお医者様が来るから」
 笑顔で答える母さんだが、力のない笑みだった。そして姉さんも笑みで返すが悲しい笑みだった。
 私は母さんの手をぎゅっと握った。そしてその手に額をつける。涙が溢れそうなのを見せるわけにはいかなかった。
 その後、母さんは眠った。私たちはずっと母さんの手を握っていた。
 母さんの顔色は悪くなるばかり。死人のような土気色になってきていた。
「姉さん。どうしよう。どうしよう」
 姉さんの顔を不安な瞳で見る。姉さんは無言だった。どこか苛立っているようにも見えた。
 何も出来ないまま、ただ母さんの手を握り続けていた。
 
 
 
 数時間が経った。辺りは橙色の夕焼けに染まり、私たちの頬を赤く照らしていた。
 いつのまに寝てしまっていたのだろうか。私は夢を見た。私と姉さんと母さん、三人で家の近くの大きな木の下でお弁当を食べている。太陽が眩しいくらいに輝き、辺りの緑をいっそう力強く見せた。蝶が私の鼻の上に留まった。それをみて母さんが微笑んでいる。姉さんも微笑んでいる。私も二人に笑みを返す。そして蝶は飛んでゆく……
 ぼんやりとする頭が現実を思い出す。はっとなり顔を上げる。母さんが微笑んでいた。今にも死んでしまいそうなくらいに弱々しい笑みだった。
「さくや。辛い目に遭わせてしまってごめんなさい」
 突然母さんがそう言った。
「私はもうだめみたい」
 その声は力がなく零れ落ちる。
「そんなことないよ!」「もうすぐ助かるから頑張って母さん!」
 私と姉さんは口々に励ましの言葉を送る。助かるあてがないのに助かると嘘をつくのはとても辛い。そんな私たちの心を読んだかのように母さんが言った。
「無理しなくていいのよ。わかってるわ。お医者様が来ないこと。そして街で何があったかも」
 わかってたんだ、母さん。
 私たちはうなだれた。やるせない気持ちが胸を締め付ける。
「辛かったでしょう。ごめんね」
 その言葉は今にも消えてしまいそうに弱かった。だが、私の心を強く揺さぶった。
 ふと、母さんが天井を見上げつぶやいた。
「もう一つ、あなたたちに謝らなければいけないことがあるの」
 母さんの悲しい視線に、胸がざわついた。
「あなたたちの体に流れる血は、純粋な人のものではないの。妖怪の血が混じっているの」
「え?」
 突然のことに意味を理解できなかった。
「そういう血の一族なの。その血のおかげで時を操るという人としては異端すぎる能力を手に入れた……だけど、代償にその血は人に潜在的な恐怖をあたえる」
 母さんの言葉の意味を理解し始めたとき、街の広場で私にぶつかった男の人の表情が浮かんだ。そして私たちを見ていた人々の視線を思い出す。
「また、妖怪の血の能力を使いすぎると、眼が紅くなるという現象が起きる」
 インスクライブレッドソウルを使ったときは確かに眼が紅くなるけど、まさか妖怪の血のせいだったなんて。私は自分の体に恐怖と嫌悪感を感じた。
 私は視線を姉さんに向ける。姉さんはこのことを薄々気づいていたのだろうか。驚きはせず、うつむいたままだった。
 母さんは続けた。
「人に恐怖をあたえるため街では暮らせず、妖怪が多くでて人が寄り付かないこの地で暮らしていたの」
 私と姉さんは母さんの独白を黙って聞いていた。
「さくやが生まれる前、私はあなたたちのお父さんと二人でここに暮らしていた。お父さんは普通の人間で私のこんな血のことを知っても愛してくれた。けれど、お父さんは出て行ってしまった。日々襲い来る妖怪たち。そして私のあたえる潜在恐怖。そしてその私との二人だけの生活。お父さんは耐え切れなかったのでしょう」
 母さんが懐かしむように視線を遠くへ向ける。だが表情は悲しそうだった。
 私の頭に幼いころの記憶が蘇った。お父さんの輪郭がぼんやりと浮かぶが、どんな顔だったかははっきりと思い出せない。
「妖怪たちから身を守るために色々なことを教えてきたけど、本当はそんな妖怪や戦いとは無縁のところで静かに暮らさせてあげたかった」
 そう言った後、母さんは黙った。私たちも何を言えばいいかわからず、沈黙が部屋を満たしていた。
 少しの間を経て――私にはとても長く感じたけれど――母さんが沈黙を破った。
「こんな辛い運命を背負わせてしまったこと、謝らせて」
 そういって私と姉さんの手を握った。うつむいたままの姉さんが顔をあげた。
「謝らないで、母さん。私はそんな運命のもとに生まれたとしても幸せだよ。さくやがいて、母さんがいるから」
 姉さんの目には涙が浮かんでいた。
「だからどこにもいかないで、母さん」
 姉さんが涙声でうったえる。母さんはそれを優しく受け止める。
「どこにもいかないわ。ずっと、一緒よ」
 そう言って私と姉さんを引き寄せ、抱きしめた。
 私は耐えられなかった。涙が溢れるのを。母さんに抱きつき泣いた。声を上げて泣いた。優しく私を撫でる母さんの、その手の冷たさを感じ、いっそう涙がこぼれる。
 姉さんも泣いていた。さっきまでベットの隣に立っていたが、私と同じように母さんに抱きつき泣いた。母さん、母さんと、涙声でつぶやくその声は、強い姉さんをとても幼く見せた。
 溢れ出す涙よ、胸を刺す痛みをすべて洗い流して。
 
 
 
 
 
 母さんの亡骸は、家の近くの大きな木の下に埋めた。
 穴を掘り、土を被せていく作業はとても悲しくて辛かった。そして母さんの顔に土を被せることは、とてもためらった。思い出が蘇って、何度も何度もためらった。私は母さんの顔に土を被せることは出来ず、姉さんがやってくれた。私は木の反対側で膝を抱え泣いていた。辺りはもう暗くなり、月明かりだけが私たちを照らしていた。
「終わったよ」
 私の肩をぽん、と叩き、姉さんは私の隣に座った。そしてぽつりとつぶやいた。
「母さんはなんで死ななきゃならなかったのかな?」
 その問いに答えることは出来なかった。
「悲しくて、辛くて、心をからっぽにしてないと、壊れてしまいそう」
 姉さんの独白は続いた。
「この悲しみ、どうすればいいの? どうすれば消えるの?」
 …………
「どうすれば……」
 ゆっくりと姉さんが立ち上がった。その横顔を見上げる。
 月明かりのせいだろうか? 姉さんの眼がいつもと違って見えた。
「ごめん、母さん。この胸の痛み、耐えられないよ。そして心の奥底から噴き出し暴れるこの思いも。母さんは悲しむとおもうけど、ごめん」
 姉さんはそのままどこかへ行ってしまった。
 姉さんの言葉がからっぽの私の心を通り抜けていく。私は動きたくなかった。母さんの側に居たかった。木の下で長い間、膝を抱えうずくまっていた。
 どこからか不気味な声が響き、夜空にこだました。



 長い間座っていて痺れるお尻をさすって、私は立ち上がった。
 涙はもう枯れ果てた。
 膝を抱えずっと色々なことを考えていた。そして死がどんなものか、少しわかった気がする。死を受け止めることはまだ辛いけど、それでも受け止めなきゃ。
「家に、戻ろう」
 そうつぶやいて、墓を後にした。少し歩いて、振り返った。墓を見つめる。私は心の中の何かを振り切りまた歩きだした。
 人気のない静かな家が見えてくる。静かに玄関のドアに手をかける。
「姉さん……」
 返事はなかった。真っ暗な家の中を歩く。
「姉さんどこ? いないの?」
 私と姉さんの部屋のドアを開ける。誰も居ない。
 私は部屋の中央にあるランプに火をともす。ゆらゆらと揺れる炎が私の頬を赤く照らした。その儚く揺れる炎が私の心を映しているようだ。少しの間、炎を見つめていた。
 ランプから目を離し、姉さんの机に目を向けた。いつも置いてあるナイフがなかった。ナイフを持ってどこかに行ったのだろうか? どこへ?
 嫌な予感が私の頭を横切った。まさか街へ? さっき言っていた姉さんの言葉が断片的に蘇る。
 徐々に不安になってゆく気持ちを抑えられず、私は自分のナイフを持って部屋を飛び出した。そんなはずはないと、思ってはいても不吉なイメージが湧き上がってくる。
 私は闇の中を駆け、村へと向かった。
 
 
 
 街の入り口。私はその手前で立ち止まり、呆然となった。
 守衛たちが倒れていた。その中心に姉さんがいた。
「ば、化け物っ!」
 最後に生き残った守衛が逃げてゆく。姉さんはゆくっりと振りかぶり、ナイフを投げようとしていた。
「やめて! 姉さん!」
 私の声に反応し、ナイフを投げる動作が止まる。姉さんがゆっくりとこちらを向いた。
「さくや……」
 赤い眼が私を見つめる。一瞬、私は恐怖におののいた。周囲のたいまつが姉さんの顔に影を落とし、表情をわからなくさせていた。
 いつもの姉さんと何かが違った。何か、わからないけど不気味なものを感じた。
「どうしたの姉さん。なんで、こんな……」
 何を、どう言えばいいかわからない。
「ごめん、さくや。私はどうしても、どうしても耐えられないの」
 拳を震わせて言った。
「辛いのはわかるよ。誰よりもわかるよ! でも、でもこんなことしちゃだめだよ。おねがい、やめて」
 私は姉さんのもとへと歩み寄る。
「さくや。私はあなたみたいに優しくも、強くもないの」
 私は立ち止まった。姉さんが続ける。
「こうしないと心が耐えられないの。こんな弱く、醜い私を許して」
 姉さんが私に背を向ける。
 姉さんがこんなにも追い詰められているなんて。姉さんの心の中で、母さんとの思い出がとても多くを占めていたことを知る。辛い……よね。とても。気持ちはわかるよ。
 でも、こんなことは止めなきゃ。今の姉さんは母さんの死を受け止められていない。私たちが死を受け止めなきゃ、母さんの魂は天国に昇れないよ。死を受け止めることで壊れてしまいそうな姉さんの心。その痛みを私にもわけて。そして、一緒に苦しんで悲しんで、そして乗り越えていこう。
「姉さん。私は姉さんを止める」
 そう声を出して宣言する。姉さんがもう一度振り返る。
「どうしても、私を行かせてくれないの?」
「うん」
「どうしても?」
「うん」
 私の意志は揺るがない。
「私はさくやを倒してでも行くよ。それでも?」
「……うん」
 姉さんが「そっか」とつぶやいた。
「じゃあ闘うしかないね」
 姉さんはナイフを構える。姉さんと闘うことになるなんて。
 姉さんの瞳はすでに元に戻っていて、姉さんは正気だ。だからこそ私と戦ってまで復讐をする、そう判断した姉さんが悲しい。そこまで、そこまで憎いの? そこまで辛いの?
 でも、それでも絶対に姉さんを止めなきゃ。もし、ここで闘いから逃げ、姉さんを復讐におもむかせたら姉さんも、私もきっと後悔する。
 私はナイフを取り出す。指と指の間にナイフを挟んで持つ。右手に三本のナイフ。それを体の側面に移動させる。左手は軽く開き、顔の前方に持ってきて重心を落とし構えをとる。姉さんと同じ構えだ。
 二人の間に緊張が張り詰めてゆく。その緊張の糸が切れる前に言っておくことがあった。
「姉さん。私が勝ったら復讐はやめて。これだけは約束して」
「わかった。約束するよ」
 姉さんがうなずく。そして言った。
「じゃあ、行くよ」
 闘いは始まった。
 私は間合いを取ろうと後ろへ飛ぶ。その瞬間姉さんはいきなり時を止めてきた。動けない私に向かってナイフを投げる。ナイフは少しの距離を飛び空中に止まった。
 そして姉さんが時を戻す。空中で止まっていたナイフは、本来飛んでゆくべき軌道を目指してふたたび動く。ナイフが私に向かって迫ってくる。今の私は後ろへ飛んでしまったため、空中にいる。避けられない!
 私は時を止める。ナイフは再び私に刺さる直前で停止する。私はナイフの軌道から体をずらし、時を戻す。
 ナイフは私のそばを飛んでゆき、背後の木に刺さった。殺す気はないので、急所を外して狙ってきてはいるが、それでも恐怖を感じる。
 時を止めたことにより一瞬めまいが起きる。それにより姉さんを見失う。どこ!?
「はっ!」
 側面から空気を切る音とともに掛け声が聞こえた。とっさに横に飛ぶ。いつのまにか間合いをつめていた姉さんが私に蹴りを放ったのだ。
 姉さんはそのまま接近戦に持ち込んできた。鋭い突きや蹴りが私を襲う。それを紙一重でかわし、受け流す。反撃の糸口を探すが、猛烈な攻撃に防戦一方。
 一か八かでカウンター狙いの突きを出す。しかし、かわされ、逆に空いた脇腹へ蹴りが襲ってくる。
 足を上げ、それを受け止める。
「っつ!」
 だが、ダメージが防御の上から突き破ってきて、痛みに顔をしかめる。
 姉さんがチャンスとばかりにさらに接近。密着状態になる。
 そして私の体は浮いた。姉さんが私を投げたのだ。そのまま私は地面に背中から激突。一瞬息が出来なくなる。
 姉さんが追い討ちの拳を私に向かって振り下ろすのが見えた。だめだ、接近戦じゃ全然かなわない。
 私は拳をもらうのを覚悟で集中、時を止め、逃げる。拳は当たる直前で止まった。私は時を止められるその時間一杯かけて逃げて間合いをとる。
 私は周囲にある木の後ろに隠れ、時を戻した。姉さんは私を探している。姉さんは下を向いたまま時を止められたので、逃げる私を見ることが出来ず、見失ったようだ。
 私は一呼吸を置いてもう一度精神を集中。時を止める。
 木から勢いよく飛び出し、三本のナイフを投げる。こちらも殺す気などはまったくないので、急所以外の場所を狙う。そしてそのまま走り、違う木へと隠れる。
 時を戻す。ナイフは姉さんへと殺到する。だが姉さんは時を止めて逃げなかった。
 飛んでくるナイフをかわし、打ち落とす。投げた三本のナイフは一つも当たらなかった。
「本気を出した姉さんってこんなに強かったんだ」
 素直な感想が口からこぼれる。だが、時を止めずナイフをかわす今の姉さんを見て、私の脳内が危険信号を送る。
 私は姉さんのように時を止めずにナイフを避けることが出来ない。そのため、避けるには必ず時を止めなければいけない。もしこんな状況――姉さんがナイフを投げ、私が時を止めて逃げ、また姉さんが間髪入れず時を止めてナイフを投げる――になったらまずい。私は逃げるため時を連続して止めることになるからだ。
 時を連続して止めると、反動が精神にくる。精神の消耗はそのまま肉体へと繋がり、めまい、呼吸困難などの症状を起こす。そしてなにより、精神の乱れにより時を止められなくなってしまう。こうなると負けはほぼ確定だ。時を止めずにナイフを避けられる姉さんに、時を連続使用させるような状況を作り出すのは難しい。
 思考を戻し、私は木の後ろで一呼吸する。そして精神を集中させ、時を止める。そしてまた姉さんにナイフを投げ逃げる。姉さんがかわす。これを何度か繰り返した。
 この状況だと、私は姉さんから離れ、接近させないよう牽制し逃げ続けるしかない。
 逃げるしかない。でもそれじゃいつまでたっても姉さんを止められない。この勝負に引き分けはない。勝つしかないんだ。
 私は覚悟を決めた。
 そして数少ない残りのナイフをすべて、一斉に投げた。
「無駄よ」
 姉さんはそれをことごとくかわし、打ち落とす。一つも姉さんに当たることはなかった。
 攻守が入れ替わる。もう私のナイフがなくなったとみた姉さんは反撃に出た。時を止め的確に私を狙ってくる。
 私はひたすら逃げる。木から木へと時を止め逃げる。木へと逃げ一瞬気が緩むと次のナイフが迫ってきている。一瞬でも気を緩めるとやられる!
 逃げ回っていると、姉さんがナイフを投げるのをやめた。そして……
「鬼ごっこは終わりにしよう」
 そう言った。確かにこれでは勝負がつかない。私はもう一度覚悟を決める。さっきの覚悟を確認するように。
「……そうだね」
 私は隠れていた木から出て、姉さんに近づいていく。
 ある程度近づき私は立ち止まった。
「さくや、これで最後よ」
 姉さんが時を止めた。そして恐らく持っているだろう全てのナイフを投げた。
 これは……姉さんの得意なあの技だ!
 姉さんの力で呪力を帯びたナイフは姉さんの周囲をでたらめな方向へ飛んでいく。だが、私にはわかっていた。そのナイフが全て私に襲い掛かることを。
 突然背筋をもの凄い悪寒が走った。
 でたらめに飛んでいったナイフは、姉さんの呪力に誘導され、今私の周囲を取り囲むように留まっていた。動きだすときを今か今かと待っているナイフたち。逃げられない全方向からの攻撃。ナイフという形の殺意が私を取り囲む。
 これが姉さんの得意技。名は『殺人ドール』
 姉さんが時を戻せば、ナイフが私の周囲全方向から至近距離で襲ってくる。
 逃げられない。時を止めて逃げればなんとかなるかもしれないが、全部はかわせない。何本かは確実に食らう。恐怖で膝が震える。時が止まっていて実際には震えていないのだが、そう錯覚する。
 だが、端目に一方向だけナイフがない場所が見えた。私は姉さんの考えが読めた。そういうことか。こんな状況でも優しいな、姉さんは。
 私は恐怖を追いやるために、精神を集中した。
 そして……時が動き出した。
 ナイフが全方向から、一斉に私に向かって飛んでくる!
 だけど、私は時を止めて逃げなかった。ただ力を抜いてそのまま立っていた。
「さくや!」
 姉さんが叫び、ナイフたちが私に刺さる寸前、時を止めた。そして自ら放ったナイフを落とし、私を抱えて飛んだ。そして時を戻した。ナイフは私が立っていたところを中心に交差し、あるものは木へ刺さり、あるものは地面へとささり、あるものは空へと飛んでいった。
 姉さんが私を下ろした。そしてそのまま崩れ、両膝と両手を地面につける。肩で荒い息をしている。時を連続で止めたための反動だ。私は姉さんに呼びかける。
「姉さんは殺人ドールのある一方向だけナイフを投げなかった。姉さんの考えでは、私が時を止め、そこから脱出すると考えたのでしょう。そしてそこを待ち構え、私を倒すつもりだった」
 荒い息を吐きながら姉さんが答える。
「ええ、そうよ。世界でたった一人の妹を殺してまで勝つ気なんてないもの。だけど、なんで逃げなかったの?」
 私は答える。
「逃げなければ必ず姉さんが助けにくると思ったの。時を連続で止めてでも」
「もし私が助けなければ死んでいたのよ!」
「絶対助けてくれると信じてたから」
 そして私は申し訳ない顔で続ける。
「だますようなことをしてごめんなさい。それが狙いだったの。助けるには時を連続して止めなければならない。そして姉さんが時を連続で止めれば、私が勝つことが出来る」
「勝つって、さくやはナイフをもう一本も持ってないでしょ。私も投げつくしたから勝負は体術戦。このめまいが治ればまだ勝負はわからないわ」
 私は苦しげな表情で首を振った。
「ううん。私の勝ちだよ。ナイフならあるよ。ここに」
 私は背中に手を回す。そして脇腹近くに浅く刺さったナイフをゆっくりと抜く。血が飛び出て、痛みがじんわりと広がる。
「そ、それっていつ刺さったもの!? 逃げているときは刺さってなかったはず」
「姉さんが殺人ドールから私を助けてくれたとき、一本だけ自分からわざと食らったんだ」
 私は少し苦しげに言った。
「今、精神が乱れている姉さんは時を止められない。私が時を止めてこのナイフを投げれば……私の勝ちだよ、姉さん」
 姉さんがうなだれた。
「そこまでするなんて。ばかだよ、さくやは」
 その声は少し擦れていた。そして言った。
「さくやの勝ちだよ」
 私は深い溜め息をついた。よかった。本当によかった。
 そう思うと気が抜け、私はふらっ、と倒れる。
「さくや!」
 姉さんが私を抱きとめた。急いで私の傷口をみる。
「はぁ、よかった。急所も外れているし、傷も浅い。帰って治療出来る」
 どうやら戦闘での極度の集中、疲労で倒れてしまったようだ。傷からは思ったほど血は出ていなかった。
 姉さんが「帰ろう」とつぶやき私を抱えて立ち上がった。
「さくや、ごめんなさい。こんなことをさせてしまって。私は馬鹿だった。悲しみを受け入れられず、復讐することで悲しみを紛らわせ、逃げていた。私は大切な、さくやまで失うかもしれないと思ったあのとき、瞬間的に全てが霧散し、そのことに気づいた」
 そう言う姉さんの横顔を見る。よかった。いつもの姉さんに戻ってる。
「もう私は逃げないよ」
 姉さんがいつもの笑顔で言った。今までお互い闘っていたのが嘘のようだ。とても安心する優しい笑みだった。
「こんなことで許してくれとは言わないけど、帰ったらさくやのしてほしいこと何でもする。さくや欲しいもの何でもあげるよ」
「ホント! じゃあ、あの時計。あの懐中時計をちょうだい!」
 姉さんがうーん、と唸る。
「仕方ない。さくやにあげるよ。私の代わりに大事にしてね」
 私は、うん、と大きくうなずく。
「じゃあ行こっか」
 姉さんが家に向かって歩き出した。
 だが、そのとき街の方から大きな声がした。
「いたぞ! あいつだ! あいつが皆をやったんだ」
 街の奥から、術者や護衛の者たちが出てくる。
 彼らは姉さんが倒した守衛たちを見て、怒りをあらわにしていた。
 一人の男が倒れた守衛に近づいた。彼はその大きな手で守衛の開ききった目をそっと閉じた。そしてこちらに振り向き、睨んだ。
「こいつは、俺の親友だった。こいつに何の罪があった! それを、それを……許せねぇ!」
 男がこちらに向かって走ってくる。その形相は普通じゃない。
 姉さんが私をそっと下ろした。
「さくや、行って。これは私の責任」
 姉さんは私に背を向け言う。
 村の護衛たちはその男に続けとばかりに来る。
「こいつらは化け物だ! 容赦するな!」
「長は次来たら妖怪とみなして攻撃すると言っていた。こいつらは妖怪だと思え!」
「殺せ、殺せ!」
 彼らは負の言葉を叫び、私たちに襲いかかる。前方には剣を掲げて来る集団が見え、目の端には呪文を唱える術者たちも見える。
 まずい。これだけの人数に一度に襲われたらいくら姉さんといえども勝つことはできない。それに姉さんは今、時を連続で止めたことにより疲労している。
 姉さんを置いてなんて行けない!
 私は姉さんの横に並び、構えをとる。そんな私を姉さんが驚いた顔で見る。
「何しているの! 早く逃げて!」
「姉さんを置いてなんて行けないよ。私も闘う!」
「危険よ! さくやだけでも逃げて!}
 私は左右に首を振った。そして真っ直ぐ姉さんの目を見る。
 姉さんは複雑な表情をし、そして私の意思に負けたのか、はぁ、と溜め息をついた。
「あいつらを足止めしたら、逃げるわよ。間違っても殺しちゃだめ。もう、誰かが死んで、悲しんで、復讐するなんてことはたくさんだわ」
 私はうん、とうなずく。そして前を見据える。
 一番初めに突撃してきた男が姉さんに襲い掛かる。姉さんはそれをかわす。だが男の後にいた集団が追いつき、その一人が姉さんに切りかかる。
「くっ!」 
 無理な体勢だがそれでも無理矢理体をひねり、なんとかかわす姉さん。
 そして私にも彼らが襲い掛かってくる。複数の剣が一度に襲う。時を止め、逃げる。
 瞬時に消えた私に、彼らは驚いた顔をする。だが私をみつけるとその表情は一変し、再び襲ってくる。
 時を止め、一呼吸する間もなく再び時を止め逃げる。時を止めて逃げれば一瞬彼らは私を見失うので、時を連続して止めずに済んでいるが、それでも時を何度も止めている。このままではもたない。
 攻撃しようにも私はナイフを一本しか持っていない。姉さんは一つも持っていない。
 状況は最悪だった。さらに追い討ちをかけるように術者たちが呪文を放った。
「姉さん! きゃあっ!」
 術者から放たれた光が姉さんに当たる。そして私にも。体の内部がはじけるような痛みが走る。私も姉さんも攻撃系の術を見たことがない。油断した。術ってこんなに速く飛んでくるの!?
 痛みに私は片膝をついてしまう。チャンスとみた彼らが私に向かって斬りかかる。
 痛みで集中できない。時が止められない! き、斬られるっ!!
 反射的に目を閉じる。だが、痛みはこなかった。恐る恐る目を開けると、私をかばうように姉さんが立っていた。剣が姉さんの背中から飛び出していた。私は叫んだ。
「姉さんっ!」
 姉さんが振り返り「無事?」と弱々しく微笑む。そしてゆっくりと崩れていく。その笑みに私の中で何かが吹き荒れ、広がった。だが、それは焼けるような痛みとともに消え去る。
「さ、さくやっ!」
 今度は姉さんが叫んだ。
 私の体を剣が斬っていった。鮮血が勢いよく飛び散る。痛みが突き抜け、視界を赤く染める。そして真っ白になった。体から力が抜け、倒れる。受身もとれないまま、地面にぶつかる。
 倒れた私に、すぐ横に倒れていた姉さんが手を伸ばす。私も痛みが荒れ狂う中を必死に手を伸ばし、姉さんの手を掴む。
「ね、姉さん。わ、私のせいで」
「い、いいのよ」
 震える声で言った。私は姉さんの手を握り締める。
「し、死な、ないで、さくや」
 姉さんの口から血がこぼれる。私は姉さんの手にもう片方の手を添え、両手で握りしめる。
「ね、姉さんも死なないで。死んじゃ、やだよ」
 私の声は今にも泣き出しそうな声だった。姉さんがもう片方の手を私に伸ばしてきた。
「さ、さくや、こ、これを」
 それは懐中時計だった。私は震える手でそれを受け取る。銀色に輝いていた懐中時計は血で真っ赤になっていた。受け取った私をみて微笑む姉さん。姉さんの瞳から光が抜けてゆく。
「だ、大事に、し、して、ね」
「しっかり、して、姉さん」
 私は姉さんに呼びかける。だが、姉さんの瞳はもう私を見ていなかった。
「か、母さ、ん? な、んで、いる、の?」
 切れ切れな声でつぶやいている。私は精一杯の声で呼びかける。
「だめ、姉さん! し、しっかり、して!」
 だが、私の声は届かない。私の視界は徐々に暗くなってゆく。闇のなかで姉さんのつぶやきだけが聞こえる。
「か、母さ、ん。行か、な、いで」
 やだ、死なないで姉さん!
「わ、たし、を、連れ、て、いっ、て」
 やめて! 行かないで姉さん!
「か、母さ、ん。ほ、ん、とう?」
 いやだ! 誰か姉さんを止めて!
「ず、っと、いっ、しょ、に、い、て」
 置いてかないで! 姉さん!
「あ、た、た、か、い……」
 置いて、いかないで……










「!!」
 私は勢いよくベットから起き上がった。
 ここはどこ!? 
 辺りを見回す。いつもの見慣れた風景だった。ここは私と姉さんの部屋だ。
 自分の部屋にいることを知り、落ち着いてくると、急速に思い出してきた。そして考える。なんでわたしは部屋にいるの? 姉さんは?
 突然どこからか声が聞こえた。
「やっとお目覚め? 寝ているのを見ているっていうのはつまらないものね。藍の気持ちがわかったわ」
 声のした方向を振り返る。そこには女性がいた。優雅な服に身を包み、畳んだ日傘を持っている。綺麗な金の髪、上品な顔立ち。どこかのお嬢様みたいだ。
 だが、私は異常な恐怖をその女性から感じていた。今まで体験したことのない恐怖。自然と体が震える。私は直感的に悟った。
 姿は人間のそれだが、妖怪だ。それも今まで会ったことがないような大妖怪。
 震える私を見て、女性が微笑んだ。
「そんなに怖がらなくても、何もしないわよ」
 そう言って私に近づいてくる。
 妖怪の言葉に過去が蘇る。市場で私にぶつかった男性に対し、私は同じことを言った。「そんなに怖がらなくても何もしないのに」と。普通の人間が、私たちに感じていたものがどんなものだったかを知った。近づいてくる妖怪に、恐怖のあまりに体が勝手に動いた。ナイフを手に取り投げる。
「こ、来ないでっ!」
 ナイフが妖怪の顔面に突き刺さると思った瞬間、妖怪の眼前の空間に裂け目ができ、ナイフはそこに吸い込まれていった。
「いきなり酷い事するのね。助けてあげたというのに」
 私は震える声で問う。
「助けたって、どういうこと?」
 私は混乱していた。
「私は貴方たちに興味を惹かれて、前々から見ていたのよ。それで、あの街で死にそうになっていたから護衛たちを追っ払って助けてあげたわけ。そしてここに運んできたの」
「じゃ、じゃあ、姉さんは? 姉さんはどうしたの?」
 妖怪が目を伏せた。
「彼女は死んだわ。助けたときにはもう手遅れだった。あなたはまだ助かったから治療したわ」
 姉さんが死んだ? 妖怪のその言葉を私は信じられなかった。私の心を読んだかのように妖怪が続けた。
「遺体なら、ここにあるわ」
 妖怪の前の空間に、大きな裂け目が出現する。その中から人が、姉さんがゆっくりと出てきた。思わず私は駆け寄る。そして、妖怪が言ったことが正しいということを知った。
 姉さんは死んでいた。姉さんの白くなった顔。その表情は安らかだった。その顔に手を当てる。とても冷たかった。
 私は声が出ない。この現実を認めたくなかった。
 ただ姉さんの顔を見つめている私を、妖怪が見て言った。
「また来るわ」
 恐怖が消えてゆく。妖怪が去ったところを見てはいないが、おそらく去ったのだろう。
 私の心は姉さんの死を否定していた。ただその安らかな顔を見つめ続けていた。
 
 
 
 
 
 小雨が降り、辺りは薄暗かった。私は姉さんを抱え、墓の前に立っていた。
 母さんを埋めた場所の隣を掘る。姉さんを埋めるために。
 母さんのときと違ってその作業は辛くはなかった。心が空っぽで何も感じなかった。
 ある程度土を掘り、その中にそっと姉さんを横たえる。そしてその体に土を被せていく。
 体が土で埋まる。顔に土を被せようとしたとき、手が震えた。
 あのときは、母さんの顔に土を被せるときは姉さんがやってくれた。今回は私しかいない。私しか。誰もいない。母さんも、姉さんもいない。私一人しかいない。
 ふと涙がこぼれた。一度溢れた涙は、止まることなく溢れ続けた。私はその場に両膝をつき、顔を両手で覆って泣いた。
 姉さんがいない。いないんだ。私しか、私しか姉さんを埋める人がいない。
 泣きながらも再びスコップを手に取り、姉さんの顔に土をかけようとする。スコップを握る手に涙がこぼれ落ちる。
 もう姉さんはいないんだ。
 その安らかな顔に、震える手で土を被せた。だが。
「姉さん!」
 私は叫び、被せた土を急いで手で掻き分けてゆく。服が汚れるのも構わず土を掻き分け掘り返す。そして姉さんの顔が出てきた。土で汚れた姉さんの顔を見つめる。
「姉さん! 姉さん! 姉さん!!」
 そう叫び続けた。
 私は泣いていた。啼いていた。ずっと啼き続けていた。





 重い足を引きずり家へと帰った。私と姉さんの部屋、いや、私の部屋に入る。私はナイフと姉さんの形見の懐中時計を取り、支度を済ませ、家を出た。
 家の周囲に貼ってある退魔符を剥がしていった。そして私は家に火をつけた。
 もうここにはいられない。村の守衛たちを殺してしまったのだ。もうすぐ私を殺しに彼らがここに向かって来るだろう。彼らに見える私は、人にあだなす妖怪、化け物そのものだろう。
 徐々に勢いをましてゆく炎が、家を覆ってゆく。家族三人で暮らした家。それが燃えてゆく。思い出までも燃えてゆくようだった。
 炎を見ながらつぶやく。
「悲しくて辛くて、心が壊れるよ。私は姉さんのように復讐することで心の平静を保つなんてことは出来ない。これからどうすればいいかわからない。これからずっと一人ぼっちでいるなんて耐えられない。だから……二人の側に行くよ」
 私はナイフをそっと首元にあてた。
 背後から声が聞こえた。
「悲しいの?」
 その声にナイフを持つ手が止まった。私は振り返らなかった。
「辛いの?」
 私は答えない。。
「あーあ。人間って大変よね。すぐ死んで。それで悲しんで泣いて」
 頭の中で何かが切れた。私は勢いよく振り返る。そして怒りのこもった目で睨みつけた。
 妖怪は日傘を差して立っていた。哀れむような蔑むような目で私を見ていた。私はそれを見て、反射的に叫んだ。
「あなたに何がわかるの!」
「あら、わからないわよ」
 妖怪が私の怒りを受け流す。そして妖怪の次の言葉が私の怒りを爆発させた。
「死んだ貴方のお姉さんもお母さんも、命を賭けて貴方を守ったのに、また死なれちゃ無駄死にだったかしらね」
 怒りが体を動かす。私は一瞬でナイフを抜き、投げた。
 だがナイフは裂け目に飲み込まれてゆく。
 私は時を止めた。いくら未知の大妖怪といえども時を止めれば動けないはず。
 止まった時の中、妖怪は動いていなかった。私は妖怪に向かって叫びながらナイフを投げた。
「あなたに、妖怪に何がわかるのよ!」
 音さえも止まるこの空間で声はでない。そして止まっている妖怪には聞こえない。だがそれでも叫んだ。ありえない返事が返ってくる。
「だからわからないっていってるでしょ」
 声は私の上から聞こえた。私は上を見上げ、そしてその光景に目を疑った。
 私の上に巨大な裂け目が出来ていた。それが徐々に広がってゆく。眼が開くように、一本の線だった裂け目が広がり、眼の様な形になる。そしてその中心から何か、不気味なものが蠢き、声を発していた。
「私の実体は別の狭間にいるから攻撃しても無駄よ。後、時を止めても無駄。私は時の法則から外れたあなたの世界に隙間を開け、行くことが出来るから。こんな感じに」
 何かがしゃべる。怒りなどはすべて吹き飛び、恐怖が体を支配する。私は立っていることができず、その場にしりもちをついた。怖かった。体中の力が抜け、がくがくと震える。集中も乱れ、止まっていた時も戻ってしまう。
 元の世界に戻り、女性の姿の妖怪が喋る。あれと同じ声で。
「さっきの勢いはどうしたの? こないなら今度はこっちから行くわよ」
 妖怪の前に複数の裂け目ができる。裂け目が広がり、何かが飛び出してきた。あれは……私のナイフ!
 しりもちをついて動けない私にナイフが刺さる。
「ぎゃぁあああ!!」
 数箇所から一斉にくる激痛。神経を暴れ回り、焼き、壊す。私の思考は、痛い、しか示さなかった。しかし、その一瞬の永遠の痛みが急に消えた。
 恐る恐るナイフが刺さったと思われる場所を見る。私の腕や足や体、刺さっているべき場所に裂け目ができている。裂け目の部分の肉体が無くなっていた。
「あ、あぁあっ!」
 パニックに陥る。思考が混乱していく。妖怪がそんな私を見て近づいてくる。
「ナイフが刺さった貴方の体の一部をその裂け目を通して違う次元に持っていったわ。そこは逆行の狭間。そこではすべての時が逆に進んでいく。時間をさかのぼった肉体は元に戻っているでしょう」
 妖怪が一部がなくなった私の腕に手をかざした。開いた裂け目が閉じていき、それと同時に肉が戻っていく。裂け目が完全に閉じたとき、私の腕は元通りになっていた。
 私はさらなる恐怖に陥る。元に戻ったその腕に、まるで別の違うもののような気持ち悪さを感じてしまう。私の震える口が、かちかちと音を立てる。
 妖怪が無慈悲に見つめる。そして私の頭へと手をかざした。
「あっ」
 思わず声が出た。私の頭の一部が無くなった。
「無くなった貴方の肉体は今、逆行の狭間と繋がっている。だから死にはしないわ。でも、その繋がりを私が切ったら、貴方は死ぬわ。死にたかったんでしょ?」
 妖怪が見下ろしている。
「死にたければ殺してあげるわ。でも、それで本当にいいの?」
 妖怪のその表情が少し変わった。
「私の知っている人間というものは、くじけない生き物だわ。どんなに悲しくとも、どんなに辛くとも、どんなに絶望であろうとも、必ず立ち上がる。そして闘い続ける。そうやって私たち妖怪と戦い続けてきた。私は脆弱な人間のそんな強さを尊敬するわ」
 妖怪が一呼吸置き、続ける。
「あなたは『人間』でしょ? なら、立ち上がって戦いなさい。そして」
 私は震えながらも妖怪を見つめた。妖怪と私の瞳が交差する。
「そして、貴方が生きている意味を考えなさい」
 妖怪が意思の強い瞳で見つめてくる。
 私は妖怪の妖怪らしからぬ言動に驚いていた。だがその言葉は強く、確実に私を貫いた。
 妖怪の言葉が私の心に響く。戦う? 生きる意味?
 母さんと姉さんのことが頭に浮かんだ。
 何故私だけが生きていて、二人が死んだのだろう? わからない。でも、二人は私を守ってくれたのだ。私のために。それだけは確かだ。
 過去の色々な出来事がフラッシュバックする。そして母さんが私をかばうところ、姉さんが私を守るところが蘇る。
 母さんも姉さんも私が好きで、私に生きて欲しかったんだ。
 そう思った。なのに私は……寂しさと悲しみに負けて生きることを放棄しようとしていた。
 私の命は、二人が守ってくれた大切な命なんだ。私は二人ためにも生きなければいけないんだ。生きる苦しみから逃げてはいけない。
 私の中で何かが変わっていく。私は立ち上がった。
 心は決まった。決意が強く私を進ませる。
 私は戦う。どんなに辛くとも。悲しみで心が張り裂けそうでも。逃げずに戦う!
「私は生きる! あなたに私の命と魂は殺させない!」
 ナイフを取り出し、妖怪に向かって投げた。今まで何万回と投げてきた中で、一番手ごたえのある一投だった。ナイフは赤い閃光をほとばしらせながら飛んでゆく。そして妖怪の肩に刺さる。今まで余裕の顔だった妖怪が、苦しげな表情をした。
「くっ! 狭間を貫いてくるなんて」
 妖怪が肩を押さえる。私は今まで放ったことがないそのナイフを見て自分の力に驚いていた。
 妖怪は何故か笑った。
「これが貴方の答えね」
 その言葉の意味を私は理解できなかった。
 妖怪は戦闘態勢に戻った私を見て、突然背を向けた。そして裂け目を作り入っていく。その突然の行動に私は驚く。妖怪は裂け目に半歩入り、振り返った。
「貴方、どこも行くあてがないんでしょ? 私がいいところを紹介してあげるわ」
 私はまたも言っている意味を理解出来なかった。
 いったいこの妖怪は何がしたいのだろうか? 最初は私を助け、そして殺しかけ、この意味不明の言動の数々。私の頭は混乱していた。そんな私を見て妖怪が急かすように言った。
「ついてきなさい。ま、嫌なら頭の裂け目はずっとそのままにするわ」
「……私に拒否権はないのね」
 妖怪が笑顔でうなずく。私は渋い顔をした。
 妖怪はそのまま裂け目へと入っていき、そして見えなくなった。私は裂け目へと近づく。そして思う。
 なんだかあの妖怪は悪ではなさそうだ。人を食う妖怪たちしか見ていない私は、そう思う自分の思考に驚いた。
 私は裂け目へと一歩足を踏み入れる。そしてつぶやいた。
「私は生きる」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 博霊神社の上空。幻想郷がすべて見渡せるような高い空に紫と藍はいた。紫は両端にリボンがついた割れ目に座って日傘をさしている。藍は腕を組んで紫の隣に立っている。
 藍が紫に話しかける。
「紫様。何故あの少女を幻想郷に連れてきたんですか?」
 紫ははるか下に小さく見える博霊神社に目を向ける。
「次の代の博霊の少女いるでしょ。あの子とあの時を止める少女、友達になれるかなと思って」
 藍が不思議そうな目で紫を見た。紫は構わず続ける。
「博霊の少女はとても大きな力を持っているわ。故に人にどこか恐れを抱かせる」
 紫は遠くを見つめている。
「人間は同等の立場の者同士でなければお互いを真にわかりあえない。強い者は弱いものを見下してしまう。弱いものは強いものに恐れや嫉妬を抱く。たとえどんなに親しくとも。本人は意識せずとも潜在的に。だから同じく大きな力を持つ時を止めるあの子には博霊の少女の友達になってほしいのよ」
「でも、何故そんなことを?」
 藍が納得出来ない顔で問う。
「人間は親や友達とかがいないと駄目なのよ。私たちと違って、一人では生きていけない生き物なの。孤独は人間の心を蝕んでゆく。大きな力を持った博霊の少女が、その力ゆえ孤独で心が捻じ曲がり、道を踏み外したりしたら大変でしょ?」
 藍がなるほど、とうなずく。
「確かにあの力は我々妖怪にとっては脅威ですからね。もし、万が一その矛先が私たちに向いたら恐ろしいですね」
 紫がふふっ、と笑う。
「単純にあの子と友達になって二人が幸せになって欲しいっていうのもあるんだけどね」
 藍が驚きの顔で紫を見る。
「ええ! そんなこと思ってらしたんですか!?」
 そして組んでいた腕を左右に広げ、天を仰ぐように上を向く。
「ああ、もう! 紫様がこんなにも優しく思っているのに、時を止める少女、絶対紫様のこと憎んでいますよ! こんなに優しいのにいつも憎まれ役で、私は悲しいです」
「悪役は一人でいいからね」
 紫が優しく笑った。藍も仕方ない人だ、と笑う。
 そのとき藍があっ、と言った。遠くを指差す。
「紫様、あそこにいるの、時を止める少女じゃないですか?」
 紫が目を凝らして見る。そして驚きの声を上げた。
「ああ! 本当だ。出口が神社の近くに来るよう狭間を調整しといたのに」
「博霊の婆さんがまた変な結界でも張ったのでしょう。そのせいで紫様の妖力が乱れたのでは?」
「ええ、恐らくそうだわ。まったく、博霊神社の近くはいつも調子が狂って仕方ないわ」
 紫がはぁ、と溜め息を吐いた。藍がもう一度遠くを指差し言う。
「少女がいる場所、あの吸血鬼姉妹がいる館の近くですよ。大丈夫でしょうか?」
「うーん。不味いわね。でも、まぁ、なんとかなるでしょう」
 紫がちょっと引きつった笑みを浮かべる。それを追従する藍。
「なんとかなるその根拠は?」
「勘、かな?」
 可愛らしく首を傾げる紫の仕草を見て、藍がはぁ、と重い溜め息ついた。
 紫は相変わらず微笑んでいた。そしてさくやにやられた肩をさすりながらつぶやいた。
「あの子の最後に見せた力強い姿。あの子ならどこでだって大丈夫よ。きっと戦い、生き抜ける」
 そして最後に遠くの彼女に向かって言った。
「また会いましょう」
 その声は届かなくとも、彼女は生き抜いて、またどこかで会えると紫は信じていた。
 藍がそろそろ行きましょうか、と紫に言った。
「そうね。帰りましょう」
 紫が飛び立つ。藍も後を追うように飛んでゆく。
 少し飛んだ後、紫が振り返った。遥か彼方のさくやをしばし見つめ、また飛んでいった。
 雲ひとつない晴天の中を二人は飛んでいった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 長文お疲れ様でした。つたない文章ですが、読んでくれた人、ありがとう。飛ばして読んだ方も、あとがきだけを読んでる方もありがとう。
 咲夜さんの過去を書いた話なのですが、やたらに長くなってしましました。一応次のさくやが紅魔館で暮らしはじめる続編も構想だけはあります。こんな感じ。
 
『紅魔館に来たさくや。そこでレミリアを始め、パチュリーや美鈴など多くの妖怪の中で暮らすことになる。そのことに戸惑うさくや。だが徐々に慣れていく。だが人間であるさくやはそのことに苦悩する。
 またさくやはレミリアの側に仕えることで彼女のことを色々と知っていく。そしてレミリアの吸血鬼としての残酷さや冷酷さを学んでいき、甘ったれだった少女は大人へとなってゆく。
 知るのはレミリアの表の顔だけではない。裏の、他人には見せないレミリアの意外な優しさをも知っていく。
 徐々にレミリアに惹かれていくさくや。だが愛する人を失った悲しみが蘇り、レミリアを愛することに恐怖する。そして葛藤。レミリアの優しい言葉が彼女を苦悩させていく。さくやはそれを乗り越えていけるのか?』

 最後はハッピーエンドにしたいです。咲夜さんには幸せになってほしい。
 よかったら感想等をお知らせください。紅魔館編を書く気力が湧きます。それに純粋に嬉しいです。
 今回は読んでいただき本当にありがとうございました。
 
桜慈
[email protected]
http://www.geocities.jp/y_jjss/
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コメント



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11.70紅狂削除
圧巻の一言・・・
インスクライブレッドソウルの設定とか思わず膝をうちました。


14.80izu削除
…沁みました。
咲夜さんは幸せになって欲しいです。是非紅魔館編をー!
18.60沙門削除
 話に説得力があると思いました。人々から疎まれる理由や幻想郷へ来た訳など。紅い悪魔との出会い編、楽しみにしています。
19.40名前が無い程度の能力削除
ここは何処? 妖怪がいて鬼がいて術なんて使う人間がいて幻想郷ではない所。
……町を見るに、西洋のどこか? 数百年前なら妖怪とかもいるかも。でもそれだと「さくや」という名は不自然だし。ゆかりんって時間旅行なんて出来たっけ?
とまあ舞台そのものが疑問だけど面白かった。次回も期待。