Coolier - 新生・東方創想話

血に潜む紅い怨念

2015/06/27 21:34:15
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何も思考しないまま、既に何時間も経っていたようだった。
周囲の地面が湿り気を帯びて冷え始め、地上では日が暮れたのだと気付かせる。
地底の時の流れは速い。
昼や夜という概念が希薄になるだけでなく、あたり一帯に充満している妖気のおかげで疲労を感じることも少ない。
そのうえ、禁止区域として設定されているここにわざわざやってくる物好きはそう多くない。
普通、自分が思っているほどには他人は自分のことを見ていないものだ。陽気な妖怪の多くなった旧地獄ならなおさらのこと、自分だけの居場所など簡単に作れる。

座ったままの姿勢でおもむろに部屋を見回すと、本棚が壊れてしまっているのが目に入る。
何かの拍子に底板が抜けてしまったようで、端が削れてしまった木の板が散らばった本の下に転がっていた。
薄暗い部屋の中、散らばった本は殺風景な空気に溶け込んでいるが、私としては乱雑な状態はそこまで好きではない。
ただ感覚として嫌なだけであって理由など思いつかないが、おおかた、自分の生活が荒んでいるように見えるのが嫌、といったところだろう。
日々の生活の中で気が滅入る要因は少ない方が良い。
気づいていながら放っておくとしたなら、それは自傷行為だ。
それにしても、考えるだけで行動に移る気が起きないのだから、まだ頭が働いていないに違いない。
眠いわけでもないので、無理矢理に体を起こす。

本棚は修理しようと思えばできないことはない程度の損傷だったので、あとで適当に繕っておけばいいだろう。
年季の入った本は少ないけれど、大切にしておきたい技術書はいくらかある…。
とりあえずいくつかの本を件の本棚の脇に立てて順番に並べ直していく。

自分はかつて、純粋な河童の血を持つ輩に勝つため熱心に学んだおかげで、今も河童の専売特許たる数学や物理学などにも執心である。
しかし、泥のような日常から離れ、その無機的で非日常的な空気を何とかして取り込みたいという子供じみた(それでいてある種切実な)思いを今も持ち続けていることは言うまでもない。
ゆえに人間が書く、まるで自分の精神世界が充実していることをひけらかすような小説など死んでも読みたくないし、ここに置いてある本はみな科学寄りのものばかりだ。

外の世界の本もいくらかは持ってはいるが、どうも持っていない巻が多いものばかりで困る。並べ直す際に手が止まってしまう。

思えば、子供のころから人(妖怪も含むが)と関わる方法を知らずにここまで来てしまった。
忌み子として生まれてしまった私を受け入れてくれる者は誰もいなかったし、当然河童の社会からも人間の社会からも疎外されていた。
疎外されるということは恐ろしいもので、自分が何かをつかもうと手をのばしたとしても、何も感触がないまま対象だけが遠ざかって行ってしまうのだ。
向けられるのは冷たい視線か、戸惑う表情。
自分の存在意義を自ら否定するかのように、打ち捨てられたような虚しさと恥ずかしさと諦めだけが黒い塊となって増幅していく。
そういう中で自己を守るためには、周囲との関わりを絶つほかない。だが関わりを絶とうと思うこと自体は存外誰にでもできるものだ。
普通は、ある程度の善意を持って、向こうから干渉してくる人がいくらか存在しているので、その誘惑に勝つことができず中途半端になるというだけの話である。
本当に怖いのは、自分に好意をもって接してくれる人さえも拒否してしまえる力を持ってしまうことなのだ。

肌寒くなってきたような気がするのは気のせいだろうか。
昔のことはなるべく深く考えこまないようにしていたつもりだったが、一度考え始めてしまうと、現在の自分を正当化するためにとめどなく記憶をたどりたくなってしまう。
散らかった本はおおかた片付いたはずなのに、何かひっかかるものが残る。

生まれ持った妖力のおかげで他を制限する能力を手にした私は、しばらくは周囲の人間や河童――集団から積極的に排除しようとする心がない分、河童の方がまだ良心的と言える――を避け続けていた。
好意から私に近づく者がいても、いつか必ず自分を裏切ると思っていた。
自分のことを裏切る場面を勝手に想像したり、自分が置いて行かれる感情を妄想したりしていたから、他人に心を許したことはなかったように思う。
母親はそれでも大切に自分を扱ってくれていたようだが、今改めて考えてみても、もはやその母親の顔すら思い出せない。
その母親も人間社会から冷酷な仕打ちを受けていたこともあって、私の人間に対する絶対的な不信感や恨み、怒りの感情はこのころからあったと記憶している。
母親が死んでから地底に来るまでの間に何をしていたのかはなぜか思い出せないが、もしかすると人を殺したこともあったかもしれない。
どうしようもない破壊衝動を抑える方法は、誰かに教授してほしかったと今でも思う。

片付け終わったはずの本がまた倒れてしまっている。どうにも調子が悪い。なんだってこんなことを思い出していたのか分からなくなる。

人を殺すという行為は、その対象の人生に最も強く干渉する手段と言える。
自殺を促すよりもずっと能動的であり、その結果はずっと重い。
そうだ、思い出してきた。
かつて人間の血の紅さに驚いたことがあった。
あれは村の子供を襲った時のことだっただろうか。
首筋を掴み、刃物を突き立て、瞳を見据え死んでいく姿を見送る。
流れ出る血は私の手を汚していく…。
凄惨ではあるが大いに高揚する光景を思い出し、生唾を飲み込む。
味気ないことに襲うべき人間は地底にはいないから、もし殺しがしたければ地上に出なければならない。

あれは、誰に聞いた言葉だろうか。
「人殺しは紅に染まった手をしているものよ」

ふと眼を落すとぎょっとした。
あまりにも、手が紅い。
毒々しく鮮やかな紅に染まった手のひらが小刻みに震えている。
とてつもない後悔のような念が頭の中を駆け巡る。

頭が重くなる。
足が体を支えられなくなっている。
崩れ落ちるような感覚さえもないまま、目の前の視界だけが崩れ、暗くなる。


跳ね上がるようにして目を覚ます。酷い夢を見ていたようだ。背中は壁に預けたまま、深呼吸をする。
冷や汗が収まらない。
鮮明に思い出せてしまう紅い手。
しかし、この程度の考え事などいつもしていたのではなかったか。
何度も何度も振り返ってきた道ではなかっただろうか。今日はどこかがおかしい。
どこからが夢だったのだろう。
素早く周囲を見回すと、首筋を氷で貫かれたかのような悪寒が走る。

本棚は壊れたままで、件の書物も多く散らばっていたが、それ以上に驚いたのは、枕元に置いておいた宝物の錠前にひびが入っていたことだ。
不吉な予感というのは当たるから怖い。
薄ら寒い部屋の空気。
靄に包まれたように暗い。
得体のしれない恐怖感。


必死で考え、導き出した結論は自分にとって最悪のものであったが、自分がどういう状況に置かれているのかは把握できた。


地底に巣食う無数の怨霊の妖気はいよいよ部屋を満たし、自我を奪う。
言いようのない不快感に侵されながらも、自分の中に心残りという感情が一切無いことに気づく。
まだ現実味がない。何を考えれば良い?

いつの間に、目を閉じていたのだろうか?視界は既に閉ざされていた。



地底の中でも怨霊の多い外縁地区は、地霊殿も管轄できないため立入禁止に近い状態になっていることが多い。かつては地獄のあった場所、性質の悪い怨霊が跋扈していても不思議ではない。
怨霊は人間に取り付くと精神を蝕み狂わせるが、精神の存在である妖怪が怨霊に取り付かれた場合は、死んだも同然な状態になる。存在の主体が怨霊に取って代わられる以上、別の妖怪になるようなものだ。人と関わらず内向的なうえ、強大な恨みや怒りの感情を秘めていたみとりは怨霊の格好の餌食であった。
半妖である彼女は負の感情を無限に増幅されるだけでなく、身体の自由も利かなくなってしまうだろう。それほど怨霊は危険な存在なのだ。

もはや後戻りのできない一方通行――
初投稿です。初めてストーリーを書いてみましたが、どうにもプロットが固まらず、かなりの時間がかかりました。改めて見ると、何が書きたかったのか分からないことばかりですね。研鑽を積んでいこうと思います。
あと、みとりの生死は確定させていません。どちらの話でも後日譚を書くのは嫌だったので、変な終わり方になっていますが。次はもう少しまとまりのある文章を書けるようになりたいですね。
枳瓜
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コメント



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1.80ばかのひ削除
淡々と語られる文章が作品の文章と相まって非常に心地よいものだなと感じました
贅沢な気もしますがもう少し先が、もしくは装飾したものが読みたいなと思ってしまいました
7.80名前が無い程度の能力削除
確かにこのお話、結末無くとも良いかも知れません。
ですが此処が冒頭だとすると憎悪燻らせる一匹の河童の抑圧された半妖生が如何なモノだったかには興味そそられます。