丘の上の古風な洋館に彼女は生まれた。
その広い広いお屋敷にはたくさんたくさん本があった。
物心付いた時には、彼女は既に本を読んでいた。
彼女は本を読むのに言葉の勉強を必要としなかった。
文字が解らなくても、彼女は文面を眺めるだけでその内容を理解することが出来たのだから。
彼女の両親は彼女が本を『読んで』いることには気付かなかっただろう。
食事をし、睡眠を摂り、日々の生活に最低限必要な時間の外は、彼女は本を読むことしかしなかった。
あるとき彼女は両親から文字を学び、言葉を学んだ。けれど、彼女の生活は依然変わることはなかった。
だが、両親はそんな彼女を咎めることはしなかった。
『魔法使い』『魔女』そう呼ばれてきた両親にとって自分達の娘が時間さえ忘れて知識を吸収するのはむしろ喜ぶべきことだったのだ。
両親は自分達と娘のために本を収集しながら、娘に一つだけ言い続けた。
『本だけでは学べないことがある。決して、それを忘れてはいけないよ。』
ある朝、彼女は目覚めてふと違和感を感じた。母親がパンを焼く臭いも、父親が手ずから入れるコーヒーの香りもしなかった。
しかし、そんなことは彼女にとって大した問題ではなかった。彼女はまた直ぐに屋敷の図書室に向かい日課を繰り返すのだった。
夕方になり、彼女のお腹がクルルと小さな音を立てた。
彼女は黙って本を閉じると台所に向かった。
暗い台所のテーブルの上には何も無く、かまどには火も入っていなかった。
彼女は地下の食料庫からジャガイモを3つ取り出すと、まな板に載せた。
彼女が初めて行った『本を読む』以外の行為。当然、包丁の扱いなど彼女は知らない。
指に鋭い痛みが走る。怪我をした場合の治癒方法は彼女が読んだ本に書いてあった。
彼女は瞳を閉じると、指先に意識を集中した。すると、熱を持った何かが大気中から指先に集まり。瞳を開くと、傷は綺麗に無くなっていた。
天才、と言うのだろう。当たり前のように治癒魔法を使うわずか10歳の少女。
けれど、いくら天才と言えども全く知らないことをすることは出来ない。
本に書かれたとおりに精霊の力を借りてかまどに火を点し、そこに鍋を置き、その中に適当に切ったジャガイモを放り込む。
その結果できたのは、ただの炭の固まりだった。
誰も居ない台所で、たった一人で、元はジャガイモだった炭をかじりながら、彼女はもう帰ってこないであろう両親の為に少しだけ泣いた。
そして、炭を全てかじり終え、涙を拭った彼女は小さい声でポツリと呟いた。
「まずは、料理の本を探し出さないといけないわね・・・・・・」
◆
「さて、と。やっかいな結界もどうにか突破できたし・・・。これからどうしようかしら?」
レミリアは日傘を片手に雲ひとつ無い夜空を、そしてその真ん中にある大きな月を見上げた。
血を吸いに人里に下りて、食事を済ませたら紅魔館に戻ってフランドールと他愛ない話をする。
「こんな単調な生活つまらないわ。幻想郷は平和だけれど、退屈なのが欠点ね。」
一度結界を抜けてしまえば、レミリアを束縛する物は何も無い。
けれど、置いてきたフランドールが退屈しのぎに紅魔館を粉々にしてしまう恐れも十分にあった。
「まあ、バカンスは一週間ってところかしら。流石にあの娘を連れて来る訳にもいかないしね。」
フランドールに外の世界は刺激が強すぎる。
煙を吐き出しながら地を這う鉄の列車、どういう仕組みか解らないけれど海に浮かんでいる鉄の船。
「あの娘はまず『壊すこと』から始めるものね。全く、誰に似たのかしら。」
気分が良い時は独り言が多く出るのは人間も妖怪も変わりはない。
しばらく物思いに耽りながら夜空を気持ちよく遊泳していたレミリアだったが、ふと思い立ったようにその瞳を開いた。
「バカンスとは言ってもこの辺りはもう見飽きちゃったわ。もっと遠くへ行きたいわね。」
極東の島国はレミリアにとって狭すぎた。彼女が本気で飛べば、ものの数時間でこの島国を縦断することが出来る。
レミリアは西の方角を向くと、愉しげに目を細めた。
「そういえば、ルーマニアから此処に来た時は西回りだったかしら。あっちには行ったことが無かったわね・・・。」
言うが早いか、レミリアは全速力で西に向かって羽ばたいた。
羽ばたきながらポケットから100年ほど前に手に入れた世界地図を開く。
「ふ~ん・・・。こっちにあるのは『あめりか』って所なのね。何か面白いものでもあればいいんだけれど。」
しばらくすると見渡す限り海になり、特に見るものも無くなったレミリアはそっとまぶたを閉じた。
光の無い暗闇の中に髪の毛のように細い糸が一本浮かび上がる。
『運命を操る程度の能力』を持つ彼女にしか知覚できないその糸はレミリアの持つ『運命』のイメージだ。
『運命を操る』ということは、当然『運命を知る』こともできるということだ。
そして、レミリアは運命を操ることと運命を知ることの危険度も理解していた。
悠久の時を生きる吸血鬼にとって娯楽は予測できない未来しかない。レミリアにとって『全て』を知ることは苦痛以外の何物でもないのだ。
(あんまり能力を開放しすぎると楽しみがなくなっちゃうわね。少しだけ、ほんの少しだけでいいのよ・・・。)
レミリアが慎重に能力を開放していく度に、その糸は少しずつ太くなっていく。
そして、その糸が細いロープほどの太さになったところでレミリアは能力の解放を止めた。
(さてさて、私が今回出会えるのはどんな出来事かしら?)
レミリアは意識の中でそのロープにそっと触れる。すると、彼女の脳裏におぼろげな情景が流れ込んできた。
とても強い魔力。一人の少女。見渡す限りの魔道書、魔道書、魔道書。目も眩む様な閃光。
(ふぅん、今回はなかなか面白そうな事が起こりそうね。・・・・・・あら?)
ふと気付くと、そのロープにレミリア自身の運命の糸が絡み付いていた。
レミリアが知る限り、こんな状況は一度きりしかなかった。フランドールと出会った時である。
パッと目を開くと、レミリアはその幼い顔に満面の笑みを浮かべた。
「ふふふ・・・。300年ぶりかしら?こんなに明日が楽しみになったのは。」
グンとレミリアの飛ぶスピードがさらに上がる。彼女の気持ちの昂ぶりに同調して、飛ぶ軌道もデタラメになってくる。
「あははははっ!!流れる水なんかで今の私を止めることなど出来はしないわ。さあ、早く明日になりなさい!!」
心底嬉しそうに笑いながら、永遠に紅い幼き月はさらに西へと飛び続けるのだった。
◆
強い魔力の波動を察知して彼女はハッと顔を上げた。
「・・・・・・ま、距離も遠いし。放って置いても問題ないでしょ。」
けれど、一拍おくと彼女はまた何事も無かった様に本に目を落とした。
十年以上も繰り返されている行為だったが、時間というものを気にしない彼女に『飽き』など来ようはずもなかった。
彼女はその生を時間ではなく、読み終えた本の量で測っていた。
遠い昔に居なくなった彼女の両親が、その半生をかけて収集した魔道書の半分を彼女は既に読みきっていた。
魔道書以外の本も大量にあったが、いくつかの例外を除いて彼女の興味を引く物は殆ど無かった。
「ふーん、秘孔の位置が左右反対なのね・・・。けどラオウ相手じゃ役に、コホッ!ケホッ!!」
突然彼女は咳き込んだ。と、一瞬の間を置いて本の紙面にいくつかの紅い染みが広がる。
フゥとため息を吐いて本を閉じると、彼女は苦笑いを浮かべて呟いた。
「どれだけ本を読んで、どれだけ色んな魔法が使えても、こればっかりは治せないものね・・・。」
彼女の余命がどれほどなのかは誰にも解らない。が、彼女にとってそれは大きな問題ではなかった。
彼女が気にしていることは唯一つだけしかなかったのだから。
「さてと・・・。私、残りの本を全部読みきることが出来るかしら?」
本と共に生まれ、本と共に生き、本と共に死ぬ。
誰かが決めた訳ではない。気付いた時にはそうなっていたのだ。
それが彼女。知識と日陰の少女、パチュリー・ノーリッジの全てだった。
けれど、常人の何十年分もの膨大な知識を持ちながらもパチュリーは知らない。
ほんの数日後に、パチュリーの生き方を大きく変える出会いが彼女を待っていることを。
◆
日が昇り、夜が明ける。
レミリアは持ってきていた日傘を差すと、何ヘクタールもあるような広大な小麦畑に降り立った。
「さて、この辺りだと思ったんだけれど・・・。」
上空から見た感じだと、10分ほど歩けばちょっとした農村に出るはずだった。
当然、空から目標を探した方が効率が良いのはレミリア自身わかっている。けれど、これは『バカンス』なのだ。
「効率よりも、娯楽を重視しないと意味が無いわよね。」
軽く鼻歌を歌いながら歩くレミリア。
全身をフリルの付いた紅いドレスで包んだ少女の姿は、田舎の農村においてはあまりに不自然だった。
レミリアがしばらく歩いていると、道の向こう側に一人の老婆が歩いてくるのが見えた。
もともと広い道ではないから、自然レミリアと老婆はすれ違う形になる。
「少しお尋ねしたいことがあるんだけれど、いいかしら?」
ちょうど良いといった感じで、レミリアは老婆に声を掛けた。
老婆は場に似つかわしくない服装のレミリアをしばらく怪訝そうに見ていたが、無愛想に口を開いた。
「何じゃね?」
「この辺りに『魔女』って呼ばれてるような人は居ないかしら?」
「ま、魔女じゃと・・・・・・?」
『魔女』という単語を聞いた途端、老婆の態度が急変した。
先程までのように警戒心を抱いた態度ではなく、何か不都合なことを的確に指摘されたような明らかな狼狽だった。
「そう、御存じないかしら?」
「い、いや!ワシはそんなのは知らんぞっ!?大体、アンタは・・・・・・」
老婆が大声で怒鳴るのをさえぎる様に、レミリアは老婆の瞳を覗き込んだ。
レミリアの瞳がスゥッと細くなり、薄っすらとほのかに紅い光を放ち始める。
『魅惑の邪眼』。レミリア固有の能力とはまた別の、吸血鬼としての基礎的能力である。
「本当に、御存じないのかしら・・・?」
レミリアがゆっくりはっきりと言うと、老婆は焦点の合わない目で口を開いた。
「あ、ああ・・・・・・。村の北にある丘に古い洋館がある・・・。そこに『魔法使い』と『魔女』の一組の夫婦がおったんじゃ・・・。」
「『居た』ってどういうこと?」
「もう、死んどるんじゃ・・・。ワシらが、10年前に、殺したんじゃ・・・・・・。もうあの館には誰もおらん・・・。」
「本当にもう誰も居ないの?その夫婦に子供は居たりしなかったのかしら?」
「おったかも知れん・・・。じゃがこの10年、あの館から出て来た者は誰もおらん・・・・・・。」
しばらくの沈黙の後、レミリアは左手を北の方角に向かってかざしてみた。
少し精神を集中すると、微力ながらも魔力の波動を感じることが出来た。レミリアは老婆に軽く頭を下げた。
「ありがとう。貴女たちにはわからないだろうけど、その洋館には確かに私の求めてる子がいるわ。」
レミリアが立ち去った後も、老婆はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
「ワシらが悪かったんじゃ・・・・・・。歳を取らん彼奴らが怖かったんじゃ・・・。そして、あの年の不作を彼奴らの呪いとでっちあげて・・・。全てはワシらの心の弱さが・・・。」
老婆がうわ言の様に呟く言葉を、レミリアはその超聴覚で聞きながらも表情を変えなかった。
(人間は群れると救えないわね。300年前と同じ事をここでも繰り返しているなんて・・・・・・。)
レミリアはただ呆れた様にため息を一つ吐くと、後は無言で村へ、そして話の古い洋館へと足を進めるのだった。
日が暮れて、レミリアの時間がやってくる。
「ふふふ・・・。まあ、何が起こるかわからないものね。」
目の前の洋館は単純な大きさだけなら紅魔館を上回っていたけれど、壁面には植物の蔦が絡みつき廃墟のようになってしまっていた。
幽霊屋敷、と言おうとしてレミリアは苦笑した。それを言えば、自分やフランドールが住んでいる紅魔館の方が正真正銘の幽霊屋敷だ。
「さて、鬼はここに居るから出てくるのは蛇かしら?」
愉しげに呟きながらドアをノックしようとした時、背後の人の気配にレミリアは振り返った。
耳を澄ませると10人ほどの男達の声が聞こえる。距離にして100メートルほど向こうだろうか。
「今日、妖しげな娘を見たって婆さんが言ってたんだ。」
「ああ。オレも昼間木陰で休んでる妖しげな子供を見たんだ。ありゃあ、ヒトじゃないぞ。」
「あの洋館に行ったらしい。あそこを残しといたのがいけなかったんだ。」
「そうだ、そうだ。今からでも遅くない、さっさと焼いちまえ!」
レミリアは鬱陶しげに深いため息を吐いた。
それは人目を気にしなかった自分の迂闊さに対するものか、それとも予想を上回る人の愚かさに対するものか。
「無駄な殺生はめんどくさいから嫌いなんだけれど・・・。全く、目障りだから仕方が無い。」
レミリアが静かにまぶたを開いた時、最早そこに幼き月は無く・・・・・・。
一匹の紅い悪魔が居るだけだった。
◆
幾発もの銃声。何人もの阿鼻叫喚。そして、それからしばらくしてから響いたノックの音でパチュリーは目を覚ました。
寝室兼書斎の部屋の扉を押し開け、玄関でしばらく立ち止まりドアを見つめる。
(居る・・・わね。何やら凄いのが・・・・・・。)
パチュリーがそんな事をふと考えていると、目の前のドアがガチャリと音を立てて開いた。
蒼い月の光に照らされそこに立っていたのは、赤いドレスをさらに紅く染めた一匹の『魔』だった。
「こんばんわ。遊びに来たよ。」
「こんばんわ。とりあえずお風呂に入ってもらうわ。」
「あら、ドアは開けてくれないのにお風呂は貸してくれるの?随分と曲がった気遣いね。」
「本が汚れるから。それだけよ。」
パチュリーがサッと手を振ると、屋敷の中のランプに全て明かりが灯った。
「へぇ・・・。凄いじゃない、精霊魔法っていうのかしら?」
レミリアの感嘆を黙って流すと、パチュリーは廊下の奥と、自分のすぐ横の扉を続けて指差した。
「あっちがお風呂。ここが書斎。着替えはお風呂にあるから勝手に使って頂戴。私はこの部屋に居るから。」
「はいはい。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうことにするわ。」
至って事務的なパチュリーの話し方に苦笑しながら、レミリアは廊下の奥へと歩き出した。
(・・・・・・考えてみれば、他人と喋ったのは今のが初めてだったのね。)
レミリアの背中を黙って見つめながら、パチュリーはそんな事を考えていた。
「それで、不死者の王が何の御用かしら?食事にでも来たの?」
本から顔を上げることもせずにパチュリーが尋ねる。
「ふふふ・・・。残念だけど外れよ。私は私を畏れる者の血しか吸わないの。それに、私は小食だから。」
「その割には随分と服を汚していたみたいだけれど・・・。」
「私は不器用なの。血の一滴も残さずに人間を消し飛ばすなんて真似できないわ。」
「あら、意外ね。不死者の王は不器用・・・、と。強大な力を持つと精密な作業が出来なくなるのかしら?」
「そんな知識は残さなくていいわ。ゴミ箱に入れてそのまま空にしちゃいなさい。」
さらさらとメモを取り始めるパチュリーに、困ったようにレミリアが突っ込む。
それからしばらくの沈黙の後、レミリアが口を開いた。
「そう言えば、私がここに来た用事について話してたんじゃなかったかしら?」
「・・・・・・そうだったわ。食事にでも来たの?」
「だから、違うって。最初に言ったでしょ?私は『遊び』に来たのよ。」
「それは非常に残念ね。ここには娯楽になるようなものは本とか本とか本しか無いもの。」
「つまりは本しかないって事ね。まあ、それでも私は構わないわ。だって、私は貴女と遊びに来たんだもの。」
クスリと微笑みながら言うと同時に、レミリアの瞳がカッと紅い光を放った。
◆
ガオンッと轟音と共に洋館の壁に幾つもの大きな穴が開いていく。
「まったくいきなりね。本に被害が出なかったのがせめてもの良心かしら?」
不機嫌そうな表情で文句を言うパチュリーを追いかけるようにレミリアは外に飛び出した。
レミリアは感激していた。いきなりの攻撃にも怯んだ様子が全く無い、さらに軽口のような文句まで言う余裕がある。
「一つだけ気になるんだけど・・・。貴女、私が怖くないの?」
「・・・・・・全然。だって、私は『吸血鬼』がどんなものか知っているもの。」
「ちなみに、十字架もニンニクも私には効かないわよ?」
「それは新たな発見だわ。だけど、信頼性の高い情報を私は一つ持ってるから良いのよ。」
パチュリーが何も無い空間に手を伸ばすと、そこに一冊の分厚い本が現れた。
その直後、書斎にあった何万冊もの本の半分がパチュリーを取り囲むように勢い良く飛び出してきた。
そして次の瞬間、それらの本はパチュリーの手にある本に全て吸い込まれるようにして同化した。
「なるほど。それが貴女の能力ってわけね。」
一度読み理解した魔道書を一ページの紙に圧縮し、手に持った自身の分身たる一冊の本に収納する。
そして、収納された魔道書に記された魔法を詠唱を省略して、その名を呼ぶだけで放つことが出来る。それがパチュリーの能力だった。
「そう。そして何冊もの本に共通して書かれていた貴女たちの弱点。」
パチュリーの周囲を幾つもの火球が取り囲んでいく。
「『アンデッドは火に弱い』。行くわ、アグニシャイン上級!!」
パチュリーが叫んだ瞬間、巨大な炎の渦が巻き起こりレミリアを飲み込まんと襲い掛かった。
しかし、それを目の前にしてもレミリアは全く怯むこと無く逆にその中に飛び込んだ。
「確かに火はあんまり好きじゃないわ。けれど、普段もっと凄い火遊びをする娘と遊んでいるからね。」
幻想郷でふて腐れているであろうフランを思い浮かべながら、レミリアはその爪をスラッと伸ばした。
そしてレミリアは凄まじい勢いで回転を始めると、それによって真空を帯びた爪と翼でで全ての火球を一瞬にして切り裂いた。
そのまま一つの真紅の竜巻と化して、レミリアは驚いた表情を浮かべているパチュリーに一気に突っ込んだ。
「早くて悪いけれど、終わりね!ドラキュラクレイドル!!」
「残念ながら、まだまだ終わらないわ。」
当たれば肉も骨も根こそぎ抉り取られそうな攻撃を目の前にしながら、パチュリーは微動だにせずに呟く。
そしてその言葉どおり、真紅の竜巻が削り取ったのはパチュリーのスカートの端切れだけだった。
「私は飛んでいるんじゃなくて、あくまで浮いているの。言うなれば羽毛のようなものね。」
「つまり、勢い良く突っ込んでもフワフワとかわされるだけって事ね。」
「そう。それに、さっきの攻撃だって完全に避けられた訳じゃないもの。」
パチュリーの言葉にハッとレミリアが背中を振り返る。いつの間にか、レミリアの右翼の半分が完全に焼き切れていた。
しかし、レミリアは迷う事無く右翼を自分の爪で切り落とす。そして一瞬の後には、翼は何事も無かったかのように完全に再生していた。
「良い・・・。素晴らしいわ、貴女。こんなにワクワクしたのは何百年振り、いえ、初めてかもしれないわ。」
レミリアの顔に浮かんだ狂気の笑みは、外見の年齢相応の純粋な喜びに満ちた物だった。
常人ならば畏れと怖れで動けなくなるほどの純粋な狂気を受けながら、パチュリーは冷静に空を見上げていた。
「そう言えば・・・。今日は満月だったわね。こういう時は、塵一つ残さずに消さないと駄目なのかしら。」
「出来るのならね?さて、本気で行くわよ。紅き伝説を見せてあげる、スカーレットディステニー!!」
何処に隠し持っていたのか、大量の紅いナイフが高速でパチュリーに襲い掛かる。
そして、その背後からは先程洋館の壁に穴を開けた巨大な魔力弾の嵐。
さらには、魔力弾の大きさを目晦ましに最初のナイフよりもさらに速いナイフの第二陣。
吸血鬼としての腕力と、魔力を組み合わせて放たれる複合の一撃こそが本気というレミリアの言葉が嘘ではないことを証明していた。
「避けられない・・・わね。単純な力勝負は好きじゃないんだけど・・・。」
視界のほぼ全てを覆うナイフと魔力弾を目の前にしながら、パチュリーはその場を動こうとしなかった。
そして、ナイフの第一陣がパチュリーを貫こうとする寸前。キィンッと甲高い音と共にナイフは見えない壁に弾かれて下へと落ちていった。
レミリアには見えていた。とてつもなく巨大で、しかも濃密に圧縮された魔力がパチュリーを包み込んで盾の役割を果たしているのを。
(来るのね、巨大なとてつもない一撃が!!発動する前にあの盾を突破しないと、私は・・・・・・)
初めて感じる死の手触り。レミリアの幼い顔に何とも言えない扇情的な笑みが浮かぶ。
全力で抵抗してもなお抗うことの出来ない死。それこそが、長年レミリアの求め続けていた物だった。
「――――――――ッッ!!??」
レミリアの脳裏を良く解らない違和感がよぎって、ナイフと魔力弾を撃つ手が一瞬止まる。
死は確実にレミリアに這い拠って来ていた筈だった。
手加減を一切していない弾幕を展開してもそれらは全て弾かれ、パチュリーの魔力の充填も完了寸前だった。
完全に負ける戦い。けれど、いつの間にか死はレミリアではなく彼女の目の前のパチュリーに迫っていた。
無意識下でふと感じた違和感。レミリアの持つ能力故にその信憑性はかなり高かった。
(・・・・・・やっぱり。最強クラスの吸血鬼に勝てる力があっても、こればっかりはどうにもならないのね。)
パチュリーの脳裏に、さっきレミリアと最初に顔を合わせた時の情景がよみがえる。
あの時、レミリアは全身が血に塗れていた。もっと言えば、彼女が纏っていたのは死そのものだった。
死を恐れる誰もがレミリアに畏怖を抱くだろう。だからこそ彼女は言うのだ『自分は自分を畏れる者の血しか吸わない』と。
けれどパチュリーは違った。いつの日からか彼女は死を内包して、つまり死と共に生きてきたのだ。
無論、誰もが死と背中合わせに生きている。けれど、パチュリーは病という解り易い形でそれを知り。それを受け入れていたのだ。
死を恐れず、死を受け入れ、死と共に生きてきたパチュリーがレミリアを畏れる道理が無い。
(けど、初めてだけどこういうのも結構愉しいもの・・・・・・ね・・・・・・)
その思考を最後に、パチュリーの中で決定的な何かがプツリと切れた。
「――――ケホッ!ゴホッゴボッ!!」
パチュリーは激しい咳と共に大量の血を吐き出した。
そして何波目になるか解らない魔力弾を最後に弾くと、パチュリーを覆っていた魔力壁も一気に消失する。
身体をナイフに貫かれ、焼けるような熱い感覚を最後にパチュリーの意識は暗転した。
◆
「ん・・・・・・。あら・・・私、まだ生きてるの?」
館の寝室のベッドでパチュリーは目を覚ました。
意識が戻ってくるのと同時に、右肩と左足に鋭い痛みが走り始める。
「痛ッ、早く治さないと・・・。」
「駄目よ。死にたくないなら止めなさい。」
治癒魔法を使おうとパチュリーが精神を集中させ始めた所で、ピシャッと静止の声が飛んだ。
横を見ると、レミリアが不機嫌そうな顔でドアの前に立っていた。
ベッドの横の机に持っていた紅茶セットを置くと、レミリアは静かにお茶の準備をし始めた。
「何で?」
「勝手に館の中を見せてもらったけど、アレじゃあ倒れても当然だわ。・・・熱ッ!」
パチュリーの問いに答える事無く、紅茶をフーッと吹きながらレミリアは続けた。
「もともと健康な身体でもないのに、日常生活全般に魔法を使ってるんだもの。魔法って言うのは、身体にそれなりに負荷をかけるのよ?」
「・・・そんなの知ってる。」
「知っててやってたの・・・?ひょっとして貴女、死にたがりって奴かしら?」
「そんなつもりじゃないし、それを貴女に言われたくないわ。私があそこで咳き込まなかったら、貴女は死んでたのに。」
「あら、私は自分の生を実感するために死の感触を求めてたの。ジサツ志願者と一緒にしないで欲しいわね。」
心外だといった感じで言うと、レミリアはいい具合に冷めた紅茶をクイッと飲み干した。
「けど、愉しかったでしょ?」
「・・・何のこと?」
「さっきのアレ。私は『弾幕ごっこ』って呼んでるけどね。まあ、今回はごっこじゃ済まなかったけど。」
「そうね・・・。嫌いじゃないわ。」
パチュリーが少し微笑んで答えると、レミリアは嬉しげに笑った。そこには先程の狂気など欠片も無く、無邪気な喜びがあるだけだった。
「ねえ。貴女、私の館に来ない?貴女とだったら、あの静かな幻想郷でも退屈しなさそうだわ。」
「幻想郷・・・?聞いた事無い地名だわ。」
「ここからず~っと東に、いや西に行った方が早いわね。とにかく、ずっと西にある平和な所よ。」
「平和で静かな所・・・か。ここよりも落ち着いて本が読めそうね。」
そう言いながら、パチュリーの脳裏に浮かんだのは本ではなく遠い昔居なくなった二人の親の顔だった。
「けど、残念ね。もうそこまで行く元気が無いわ。」
寂しそうな微笑を浮かべて、パチュリーが答える。
すると、それとは対照的な笑顔を浮かべてレミリアは自分の左手首を右手の爪でスッと切り裂いた。
「えっ!?な、何してるの?」
パチュリーが驚いて言う間に、ティーカップはレミリアの血で満たされた。
そして、それを手に取るとレミリアは何の躊躇いも無くそれをパチュリーに差し出した。
「私の血を飲みなさい。そうしたら、病気なんか直ぐに治るわよ。」
「え、でも・・・。」
「ああ、大丈夫よ。吸血鬼になんかなったりしないから。まあ、慢性的に貧血みたいな感覚になっちゃうと思うけど。」
「そうじゃなくて。何で、私なんかにここまでしてくれるの?」
「そうね・・・。ん~、私が貴女を好きになっちゃったから。」
「す、好きって・・・どういう事?」
不意打ちを受けたように慌てるパチュリーにレミリアが笑って答える。
「ふふふ・・・。貴女もそんな顔するのね。別に変な意味じゃないわ、『友達』としてって事。」
「『友達』・・・ね。単語の意味は知ってるけど、何をすればいいのか解らないわ。」
「何もしなくていいんじゃないかしら?私の側に居てくれればそれでいいのよ。」
屈託無く笑うレミリアを見て、パチュリーは自分の中の何かが満たされていくような気がした。
ずっと昔に失って、そのまま忘れてしまった何か。
「あは・・・、あはははははっ!!そう。何もしなくていいのね?『友達』っていうのは。」
「ええ。私も『友達』なんて持ったこと無いから解らないけど、きっとそんな物よ。」
パチュリーは生まれて初めて込み上げて来た感情に任せて笑ってみた。
そして、まだ中身のあるティーポットを手に取るとさっきとは別のティーカップに温くなった紅茶を注いだ。
レミリアの血の注がれたカップを手に持ち、紅茶を注いだカップをレミリアに差し出す。
「『友達』って乾杯くらい・・・するわよね?」
パチュリーが恥ずかしげに言うと、レミリアはプッと噴き出した。
「そういえば、私たちってまだ名前も言ってないのよね。順序が完全に逆だと思わない?」
「・・・・・・そういえばそうね。じゃあ先ずは私から。パチュリー・ノーレッジよ。」
「私はレミリア・スカーレット。これからよろしくね、パチェ。」
――――――チンッ!
パチュリーの口の中に鉄の味が広がっていく。
そして、それが体中に広がっていくのと同時に身体の中の悪い物が溶かされていくのが解った。
◆
「ちょ、ちょっとパチェ・・・。『コレ』はもっとどうにかならなかったの?」
フラフラと空を飛ぶレミリアが疲れたように言った。
レミリアの右手にはいつもの日傘、そして左手にはパチュリーの書斎にあった本のおよそ半分を吊り下げた太い鎖が握られていた。
「それは仕方ないわ、レミィ。私は読み終えた本しか収納できないんだもの。」
悪びれた風も無く笑って答えるパチュリー。
文句を言おうとしたレミリアもその笑顔を見て、何も言えなくなってしまう。
「これでも、悪いとは思ってるのよ。だから少しは手伝わせてもらうわ。」
「当たり前よ。もともと、パチェの物なんだから。」
頬を膨らませたレミリアを見て微笑みながら、パチュリーはスッと指を振った。
すると、途端にレミリアの左手に掛かる負荷が半分以下になる。
「風の精霊魔法なんだけど、流石にそれを持ち上げるのは無理だから。それでも、多少は軽くなったと思うけれど?」
「へえ・・・。そっか、パチェはあの時は病気だったから本気じゃなかったのよね。」
レミリアはパチュリーの実力に改めて驚くのと同時に、紅魔館に帰った後のことを想像してほくそ笑んだ。
(パチェ程の力があればあの娘の相手も私以上に出来るわね・・・。いやぁ、これからは楽が出来そうだわ。)
そんなレミリアの表情を目ざとく見ていたパチュリーがクスッと笑って本を閉じる。
「レミィ・・・何を企んでるの?」
「えっ?い、いえ。何にも企んだりしてないわよ。」
あからさまにうろたえるレミリアをジーッと見るパチュリーの笑みがどんどん邪悪な物に変わっていく。
「レミィ、教えてくれないと突風が吹いて日傘を吹き飛ばしてしまうかもしれないわよ?」
「ち、ちょっと!パチェ!!それは、冗談になってないわよ。」
「あらあら、死の感触が好きなんじゃなかったのかしら?」
「ち、違うわ!パチェ、貴女絶対に勘違いしてるでしょ!?それにしばらくあんなのは結構よ。折角、貴女に出逢えたっていうのに。」
予期しないレミリアの言葉に、パチュリーの顔がボッと赤くなる。
ふとパチュリーが照れ隠しに空を見上げると、そこには綺麗な青い空が何処までも広がっていた。
(『本だけでは学べないことがある』。だっけ・・・父様、母様?)
遠い昔に両親が言った言葉をふと思い出して、パチュリーは目を細めた。その言葉がやっと理解できたような気がした。
「ねえ、レミィ。太陽の日差しがポカポカしてとっても気持ちいいわ。一緒に日向ぼっこなんかどうかしら?」
「それは・・・私に『死ね』って言ってると取っていいのかしら?」
「あら、とんでもない誤解だわ。ふふふ・・・。」
「結構、目が本気だったと思うんだけど。ふふふ・・・。」
『あはははははははははっ!!!!』
誰も居ない海の上で響く二人の笑い声は、青空にも負けない程に澄み切っていた。
その広い広いお屋敷にはたくさんたくさん本があった。
物心付いた時には、彼女は既に本を読んでいた。
彼女は本を読むのに言葉の勉強を必要としなかった。
文字が解らなくても、彼女は文面を眺めるだけでその内容を理解することが出来たのだから。
彼女の両親は彼女が本を『読んで』いることには気付かなかっただろう。
食事をし、睡眠を摂り、日々の生活に最低限必要な時間の外は、彼女は本を読むことしかしなかった。
あるとき彼女は両親から文字を学び、言葉を学んだ。けれど、彼女の生活は依然変わることはなかった。
だが、両親はそんな彼女を咎めることはしなかった。
『魔法使い』『魔女』そう呼ばれてきた両親にとって自分達の娘が時間さえ忘れて知識を吸収するのはむしろ喜ぶべきことだったのだ。
両親は自分達と娘のために本を収集しながら、娘に一つだけ言い続けた。
『本だけでは学べないことがある。決して、それを忘れてはいけないよ。』
ある朝、彼女は目覚めてふと違和感を感じた。母親がパンを焼く臭いも、父親が手ずから入れるコーヒーの香りもしなかった。
しかし、そんなことは彼女にとって大した問題ではなかった。彼女はまた直ぐに屋敷の図書室に向かい日課を繰り返すのだった。
夕方になり、彼女のお腹がクルルと小さな音を立てた。
彼女は黙って本を閉じると台所に向かった。
暗い台所のテーブルの上には何も無く、かまどには火も入っていなかった。
彼女は地下の食料庫からジャガイモを3つ取り出すと、まな板に載せた。
彼女が初めて行った『本を読む』以外の行為。当然、包丁の扱いなど彼女は知らない。
指に鋭い痛みが走る。怪我をした場合の治癒方法は彼女が読んだ本に書いてあった。
彼女は瞳を閉じると、指先に意識を集中した。すると、熱を持った何かが大気中から指先に集まり。瞳を開くと、傷は綺麗に無くなっていた。
天才、と言うのだろう。当たり前のように治癒魔法を使うわずか10歳の少女。
けれど、いくら天才と言えども全く知らないことをすることは出来ない。
本に書かれたとおりに精霊の力を借りてかまどに火を点し、そこに鍋を置き、その中に適当に切ったジャガイモを放り込む。
その結果できたのは、ただの炭の固まりだった。
誰も居ない台所で、たった一人で、元はジャガイモだった炭をかじりながら、彼女はもう帰ってこないであろう両親の為に少しだけ泣いた。
そして、炭を全てかじり終え、涙を拭った彼女は小さい声でポツリと呟いた。
「まずは、料理の本を探し出さないといけないわね・・・・・・」
◆
「さて、と。やっかいな結界もどうにか突破できたし・・・。これからどうしようかしら?」
レミリアは日傘を片手に雲ひとつ無い夜空を、そしてその真ん中にある大きな月を見上げた。
血を吸いに人里に下りて、食事を済ませたら紅魔館に戻ってフランドールと他愛ない話をする。
「こんな単調な生活つまらないわ。幻想郷は平和だけれど、退屈なのが欠点ね。」
一度結界を抜けてしまえば、レミリアを束縛する物は何も無い。
けれど、置いてきたフランドールが退屈しのぎに紅魔館を粉々にしてしまう恐れも十分にあった。
「まあ、バカンスは一週間ってところかしら。流石にあの娘を連れて来る訳にもいかないしね。」
フランドールに外の世界は刺激が強すぎる。
煙を吐き出しながら地を這う鉄の列車、どういう仕組みか解らないけれど海に浮かんでいる鉄の船。
「あの娘はまず『壊すこと』から始めるものね。全く、誰に似たのかしら。」
気分が良い時は独り言が多く出るのは人間も妖怪も変わりはない。
しばらく物思いに耽りながら夜空を気持ちよく遊泳していたレミリアだったが、ふと思い立ったようにその瞳を開いた。
「バカンスとは言ってもこの辺りはもう見飽きちゃったわ。もっと遠くへ行きたいわね。」
極東の島国はレミリアにとって狭すぎた。彼女が本気で飛べば、ものの数時間でこの島国を縦断することが出来る。
レミリアは西の方角を向くと、愉しげに目を細めた。
「そういえば、ルーマニアから此処に来た時は西回りだったかしら。あっちには行ったことが無かったわね・・・。」
言うが早いか、レミリアは全速力で西に向かって羽ばたいた。
羽ばたきながらポケットから100年ほど前に手に入れた世界地図を開く。
「ふ~ん・・・。こっちにあるのは『あめりか』って所なのね。何か面白いものでもあればいいんだけれど。」
しばらくすると見渡す限り海になり、特に見るものも無くなったレミリアはそっとまぶたを閉じた。
光の無い暗闇の中に髪の毛のように細い糸が一本浮かび上がる。
『運命を操る程度の能力』を持つ彼女にしか知覚できないその糸はレミリアの持つ『運命』のイメージだ。
『運命を操る』ということは、当然『運命を知る』こともできるということだ。
そして、レミリアは運命を操ることと運命を知ることの危険度も理解していた。
悠久の時を生きる吸血鬼にとって娯楽は予測できない未来しかない。レミリアにとって『全て』を知ることは苦痛以外の何物でもないのだ。
(あんまり能力を開放しすぎると楽しみがなくなっちゃうわね。少しだけ、ほんの少しだけでいいのよ・・・。)
レミリアが慎重に能力を開放していく度に、その糸は少しずつ太くなっていく。
そして、その糸が細いロープほどの太さになったところでレミリアは能力の解放を止めた。
(さてさて、私が今回出会えるのはどんな出来事かしら?)
レミリアは意識の中でそのロープにそっと触れる。すると、彼女の脳裏におぼろげな情景が流れ込んできた。
とても強い魔力。一人の少女。見渡す限りの魔道書、魔道書、魔道書。目も眩む様な閃光。
(ふぅん、今回はなかなか面白そうな事が起こりそうね。・・・・・・あら?)
ふと気付くと、そのロープにレミリア自身の運命の糸が絡み付いていた。
レミリアが知る限り、こんな状況は一度きりしかなかった。フランドールと出会った時である。
パッと目を開くと、レミリアはその幼い顔に満面の笑みを浮かべた。
「ふふふ・・・。300年ぶりかしら?こんなに明日が楽しみになったのは。」
グンとレミリアの飛ぶスピードがさらに上がる。彼女の気持ちの昂ぶりに同調して、飛ぶ軌道もデタラメになってくる。
「あははははっ!!流れる水なんかで今の私を止めることなど出来はしないわ。さあ、早く明日になりなさい!!」
心底嬉しそうに笑いながら、永遠に紅い幼き月はさらに西へと飛び続けるのだった。
◆
強い魔力の波動を察知して彼女はハッと顔を上げた。
「・・・・・・ま、距離も遠いし。放って置いても問題ないでしょ。」
けれど、一拍おくと彼女はまた何事も無かった様に本に目を落とした。
十年以上も繰り返されている行為だったが、時間というものを気にしない彼女に『飽き』など来ようはずもなかった。
彼女はその生を時間ではなく、読み終えた本の量で測っていた。
遠い昔に居なくなった彼女の両親が、その半生をかけて収集した魔道書の半分を彼女は既に読みきっていた。
魔道書以外の本も大量にあったが、いくつかの例外を除いて彼女の興味を引く物は殆ど無かった。
「ふーん、秘孔の位置が左右反対なのね・・・。けどラオウ相手じゃ役に、コホッ!ケホッ!!」
突然彼女は咳き込んだ。と、一瞬の間を置いて本の紙面にいくつかの紅い染みが広がる。
フゥとため息を吐いて本を閉じると、彼女は苦笑いを浮かべて呟いた。
「どれだけ本を読んで、どれだけ色んな魔法が使えても、こればっかりは治せないものね・・・。」
彼女の余命がどれほどなのかは誰にも解らない。が、彼女にとってそれは大きな問題ではなかった。
彼女が気にしていることは唯一つだけしかなかったのだから。
「さてと・・・。私、残りの本を全部読みきることが出来るかしら?」
本と共に生まれ、本と共に生き、本と共に死ぬ。
誰かが決めた訳ではない。気付いた時にはそうなっていたのだ。
それが彼女。知識と日陰の少女、パチュリー・ノーリッジの全てだった。
けれど、常人の何十年分もの膨大な知識を持ちながらもパチュリーは知らない。
ほんの数日後に、パチュリーの生き方を大きく変える出会いが彼女を待っていることを。
◆
日が昇り、夜が明ける。
レミリアは持ってきていた日傘を差すと、何ヘクタールもあるような広大な小麦畑に降り立った。
「さて、この辺りだと思ったんだけれど・・・。」
上空から見た感じだと、10分ほど歩けばちょっとした農村に出るはずだった。
当然、空から目標を探した方が効率が良いのはレミリア自身わかっている。けれど、これは『バカンス』なのだ。
「効率よりも、娯楽を重視しないと意味が無いわよね。」
軽く鼻歌を歌いながら歩くレミリア。
全身をフリルの付いた紅いドレスで包んだ少女の姿は、田舎の農村においてはあまりに不自然だった。
レミリアがしばらく歩いていると、道の向こう側に一人の老婆が歩いてくるのが見えた。
もともと広い道ではないから、自然レミリアと老婆はすれ違う形になる。
「少しお尋ねしたいことがあるんだけれど、いいかしら?」
ちょうど良いといった感じで、レミリアは老婆に声を掛けた。
老婆は場に似つかわしくない服装のレミリアをしばらく怪訝そうに見ていたが、無愛想に口を開いた。
「何じゃね?」
「この辺りに『魔女』って呼ばれてるような人は居ないかしら?」
「ま、魔女じゃと・・・・・・?」
『魔女』という単語を聞いた途端、老婆の態度が急変した。
先程までのように警戒心を抱いた態度ではなく、何か不都合なことを的確に指摘されたような明らかな狼狽だった。
「そう、御存じないかしら?」
「い、いや!ワシはそんなのは知らんぞっ!?大体、アンタは・・・・・・」
老婆が大声で怒鳴るのをさえぎる様に、レミリアは老婆の瞳を覗き込んだ。
レミリアの瞳がスゥッと細くなり、薄っすらとほのかに紅い光を放ち始める。
『魅惑の邪眼』。レミリア固有の能力とはまた別の、吸血鬼としての基礎的能力である。
「本当に、御存じないのかしら・・・?」
レミリアがゆっくりはっきりと言うと、老婆は焦点の合わない目で口を開いた。
「あ、ああ・・・・・・。村の北にある丘に古い洋館がある・・・。そこに『魔法使い』と『魔女』の一組の夫婦がおったんじゃ・・・。」
「『居た』ってどういうこと?」
「もう、死んどるんじゃ・・・。ワシらが、10年前に、殺したんじゃ・・・・・・。もうあの館には誰もおらん・・・。」
「本当にもう誰も居ないの?その夫婦に子供は居たりしなかったのかしら?」
「おったかも知れん・・・。じゃがこの10年、あの館から出て来た者は誰もおらん・・・・・・。」
しばらくの沈黙の後、レミリアは左手を北の方角に向かってかざしてみた。
少し精神を集中すると、微力ながらも魔力の波動を感じることが出来た。レミリアは老婆に軽く頭を下げた。
「ありがとう。貴女たちにはわからないだろうけど、その洋館には確かに私の求めてる子がいるわ。」
レミリアが立ち去った後も、老婆はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
「ワシらが悪かったんじゃ・・・・・・。歳を取らん彼奴らが怖かったんじゃ・・・。そして、あの年の不作を彼奴らの呪いとでっちあげて・・・。全てはワシらの心の弱さが・・・。」
老婆がうわ言の様に呟く言葉を、レミリアはその超聴覚で聞きながらも表情を変えなかった。
(人間は群れると救えないわね。300年前と同じ事をここでも繰り返しているなんて・・・・・・。)
レミリアはただ呆れた様にため息を一つ吐くと、後は無言で村へ、そして話の古い洋館へと足を進めるのだった。
日が暮れて、レミリアの時間がやってくる。
「ふふふ・・・。まあ、何が起こるかわからないものね。」
目の前の洋館は単純な大きさだけなら紅魔館を上回っていたけれど、壁面には植物の蔦が絡みつき廃墟のようになってしまっていた。
幽霊屋敷、と言おうとしてレミリアは苦笑した。それを言えば、自分やフランドールが住んでいる紅魔館の方が正真正銘の幽霊屋敷だ。
「さて、鬼はここに居るから出てくるのは蛇かしら?」
愉しげに呟きながらドアをノックしようとした時、背後の人の気配にレミリアは振り返った。
耳を澄ませると10人ほどの男達の声が聞こえる。距離にして100メートルほど向こうだろうか。
「今日、妖しげな娘を見たって婆さんが言ってたんだ。」
「ああ。オレも昼間木陰で休んでる妖しげな子供を見たんだ。ありゃあ、ヒトじゃないぞ。」
「あの洋館に行ったらしい。あそこを残しといたのがいけなかったんだ。」
「そうだ、そうだ。今からでも遅くない、さっさと焼いちまえ!」
レミリアは鬱陶しげに深いため息を吐いた。
それは人目を気にしなかった自分の迂闊さに対するものか、それとも予想を上回る人の愚かさに対するものか。
「無駄な殺生はめんどくさいから嫌いなんだけれど・・・。全く、目障りだから仕方が無い。」
レミリアが静かにまぶたを開いた時、最早そこに幼き月は無く・・・・・・。
一匹の紅い悪魔が居るだけだった。
◆
幾発もの銃声。何人もの阿鼻叫喚。そして、それからしばらくしてから響いたノックの音でパチュリーは目を覚ました。
寝室兼書斎の部屋の扉を押し開け、玄関でしばらく立ち止まりドアを見つめる。
(居る・・・わね。何やら凄いのが・・・・・・。)
パチュリーがそんな事をふと考えていると、目の前のドアがガチャリと音を立てて開いた。
蒼い月の光に照らされそこに立っていたのは、赤いドレスをさらに紅く染めた一匹の『魔』だった。
「こんばんわ。遊びに来たよ。」
「こんばんわ。とりあえずお風呂に入ってもらうわ。」
「あら、ドアは開けてくれないのにお風呂は貸してくれるの?随分と曲がった気遣いね。」
「本が汚れるから。それだけよ。」
パチュリーがサッと手を振ると、屋敷の中のランプに全て明かりが灯った。
「へぇ・・・。凄いじゃない、精霊魔法っていうのかしら?」
レミリアの感嘆を黙って流すと、パチュリーは廊下の奥と、自分のすぐ横の扉を続けて指差した。
「あっちがお風呂。ここが書斎。着替えはお風呂にあるから勝手に使って頂戴。私はこの部屋に居るから。」
「はいはい。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうことにするわ。」
至って事務的なパチュリーの話し方に苦笑しながら、レミリアは廊下の奥へと歩き出した。
(・・・・・・考えてみれば、他人と喋ったのは今のが初めてだったのね。)
レミリアの背中を黙って見つめながら、パチュリーはそんな事を考えていた。
「それで、不死者の王が何の御用かしら?食事にでも来たの?」
本から顔を上げることもせずにパチュリーが尋ねる。
「ふふふ・・・。残念だけど外れよ。私は私を畏れる者の血しか吸わないの。それに、私は小食だから。」
「その割には随分と服を汚していたみたいだけれど・・・。」
「私は不器用なの。血の一滴も残さずに人間を消し飛ばすなんて真似できないわ。」
「あら、意外ね。不死者の王は不器用・・・、と。強大な力を持つと精密な作業が出来なくなるのかしら?」
「そんな知識は残さなくていいわ。ゴミ箱に入れてそのまま空にしちゃいなさい。」
さらさらとメモを取り始めるパチュリーに、困ったようにレミリアが突っ込む。
それからしばらくの沈黙の後、レミリアが口を開いた。
「そう言えば、私がここに来た用事について話してたんじゃなかったかしら?」
「・・・・・・そうだったわ。食事にでも来たの?」
「だから、違うって。最初に言ったでしょ?私は『遊び』に来たのよ。」
「それは非常に残念ね。ここには娯楽になるようなものは本とか本とか本しか無いもの。」
「つまりは本しかないって事ね。まあ、それでも私は構わないわ。だって、私は貴女と遊びに来たんだもの。」
クスリと微笑みながら言うと同時に、レミリアの瞳がカッと紅い光を放った。
◆
ガオンッと轟音と共に洋館の壁に幾つもの大きな穴が開いていく。
「まったくいきなりね。本に被害が出なかったのがせめてもの良心かしら?」
不機嫌そうな表情で文句を言うパチュリーを追いかけるようにレミリアは外に飛び出した。
レミリアは感激していた。いきなりの攻撃にも怯んだ様子が全く無い、さらに軽口のような文句まで言う余裕がある。
「一つだけ気になるんだけど・・・。貴女、私が怖くないの?」
「・・・・・・全然。だって、私は『吸血鬼』がどんなものか知っているもの。」
「ちなみに、十字架もニンニクも私には効かないわよ?」
「それは新たな発見だわ。だけど、信頼性の高い情報を私は一つ持ってるから良いのよ。」
パチュリーが何も無い空間に手を伸ばすと、そこに一冊の分厚い本が現れた。
その直後、書斎にあった何万冊もの本の半分がパチュリーを取り囲むように勢い良く飛び出してきた。
そして次の瞬間、それらの本はパチュリーの手にある本に全て吸い込まれるようにして同化した。
「なるほど。それが貴女の能力ってわけね。」
一度読み理解した魔道書を一ページの紙に圧縮し、手に持った自身の分身たる一冊の本に収納する。
そして、収納された魔道書に記された魔法を詠唱を省略して、その名を呼ぶだけで放つことが出来る。それがパチュリーの能力だった。
「そう。そして何冊もの本に共通して書かれていた貴女たちの弱点。」
パチュリーの周囲を幾つもの火球が取り囲んでいく。
「『アンデッドは火に弱い』。行くわ、アグニシャイン上級!!」
パチュリーが叫んだ瞬間、巨大な炎の渦が巻き起こりレミリアを飲み込まんと襲い掛かった。
しかし、それを目の前にしてもレミリアは全く怯むこと無く逆にその中に飛び込んだ。
「確かに火はあんまり好きじゃないわ。けれど、普段もっと凄い火遊びをする娘と遊んでいるからね。」
幻想郷でふて腐れているであろうフランを思い浮かべながら、レミリアはその爪をスラッと伸ばした。
そしてレミリアは凄まじい勢いで回転を始めると、それによって真空を帯びた爪と翼でで全ての火球を一瞬にして切り裂いた。
そのまま一つの真紅の竜巻と化して、レミリアは驚いた表情を浮かべているパチュリーに一気に突っ込んだ。
「早くて悪いけれど、終わりね!ドラキュラクレイドル!!」
「残念ながら、まだまだ終わらないわ。」
当たれば肉も骨も根こそぎ抉り取られそうな攻撃を目の前にしながら、パチュリーは微動だにせずに呟く。
そしてその言葉どおり、真紅の竜巻が削り取ったのはパチュリーのスカートの端切れだけだった。
「私は飛んでいるんじゃなくて、あくまで浮いているの。言うなれば羽毛のようなものね。」
「つまり、勢い良く突っ込んでもフワフワとかわされるだけって事ね。」
「そう。それに、さっきの攻撃だって完全に避けられた訳じゃないもの。」
パチュリーの言葉にハッとレミリアが背中を振り返る。いつの間にか、レミリアの右翼の半分が完全に焼き切れていた。
しかし、レミリアは迷う事無く右翼を自分の爪で切り落とす。そして一瞬の後には、翼は何事も無かったかのように完全に再生していた。
「良い・・・。素晴らしいわ、貴女。こんなにワクワクしたのは何百年振り、いえ、初めてかもしれないわ。」
レミリアの顔に浮かんだ狂気の笑みは、外見の年齢相応の純粋な喜びに満ちた物だった。
常人ならば畏れと怖れで動けなくなるほどの純粋な狂気を受けながら、パチュリーは冷静に空を見上げていた。
「そう言えば・・・。今日は満月だったわね。こういう時は、塵一つ残さずに消さないと駄目なのかしら。」
「出来るのならね?さて、本気で行くわよ。紅き伝説を見せてあげる、スカーレットディステニー!!」
何処に隠し持っていたのか、大量の紅いナイフが高速でパチュリーに襲い掛かる。
そして、その背後からは先程洋館の壁に穴を開けた巨大な魔力弾の嵐。
さらには、魔力弾の大きさを目晦ましに最初のナイフよりもさらに速いナイフの第二陣。
吸血鬼としての腕力と、魔力を組み合わせて放たれる複合の一撃こそが本気というレミリアの言葉が嘘ではないことを証明していた。
「避けられない・・・わね。単純な力勝負は好きじゃないんだけど・・・。」
視界のほぼ全てを覆うナイフと魔力弾を目の前にしながら、パチュリーはその場を動こうとしなかった。
そして、ナイフの第一陣がパチュリーを貫こうとする寸前。キィンッと甲高い音と共にナイフは見えない壁に弾かれて下へと落ちていった。
レミリアには見えていた。とてつもなく巨大で、しかも濃密に圧縮された魔力がパチュリーを包み込んで盾の役割を果たしているのを。
(来るのね、巨大なとてつもない一撃が!!発動する前にあの盾を突破しないと、私は・・・・・・)
初めて感じる死の手触り。レミリアの幼い顔に何とも言えない扇情的な笑みが浮かぶ。
全力で抵抗してもなお抗うことの出来ない死。それこそが、長年レミリアの求め続けていた物だった。
「――――――――ッッ!!??」
レミリアの脳裏を良く解らない違和感がよぎって、ナイフと魔力弾を撃つ手が一瞬止まる。
死は確実にレミリアに這い拠って来ていた筈だった。
手加減を一切していない弾幕を展開してもそれらは全て弾かれ、パチュリーの魔力の充填も完了寸前だった。
完全に負ける戦い。けれど、いつの間にか死はレミリアではなく彼女の目の前のパチュリーに迫っていた。
無意識下でふと感じた違和感。レミリアの持つ能力故にその信憑性はかなり高かった。
(・・・・・・やっぱり。最強クラスの吸血鬼に勝てる力があっても、こればっかりはどうにもならないのね。)
パチュリーの脳裏に、さっきレミリアと最初に顔を合わせた時の情景がよみがえる。
あの時、レミリアは全身が血に塗れていた。もっと言えば、彼女が纏っていたのは死そのものだった。
死を恐れる誰もがレミリアに畏怖を抱くだろう。だからこそ彼女は言うのだ『自分は自分を畏れる者の血しか吸わない』と。
けれどパチュリーは違った。いつの日からか彼女は死を内包して、つまり死と共に生きてきたのだ。
無論、誰もが死と背中合わせに生きている。けれど、パチュリーは病という解り易い形でそれを知り。それを受け入れていたのだ。
死を恐れず、死を受け入れ、死と共に生きてきたパチュリーがレミリアを畏れる道理が無い。
(けど、初めてだけどこういうのも結構愉しいもの・・・・・・ね・・・・・・)
その思考を最後に、パチュリーの中で決定的な何かがプツリと切れた。
「――――ケホッ!ゴホッゴボッ!!」
パチュリーは激しい咳と共に大量の血を吐き出した。
そして何波目になるか解らない魔力弾を最後に弾くと、パチュリーを覆っていた魔力壁も一気に消失する。
身体をナイフに貫かれ、焼けるような熱い感覚を最後にパチュリーの意識は暗転した。
◆
「ん・・・・・・。あら・・・私、まだ生きてるの?」
館の寝室のベッドでパチュリーは目を覚ました。
意識が戻ってくるのと同時に、右肩と左足に鋭い痛みが走り始める。
「痛ッ、早く治さないと・・・。」
「駄目よ。死にたくないなら止めなさい。」
治癒魔法を使おうとパチュリーが精神を集中させ始めた所で、ピシャッと静止の声が飛んだ。
横を見ると、レミリアが不機嫌そうな顔でドアの前に立っていた。
ベッドの横の机に持っていた紅茶セットを置くと、レミリアは静かにお茶の準備をし始めた。
「何で?」
「勝手に館の中を見せてもらったけど、アレじゃあ倒れても当然だわ。・・・熱ッ!」
パチュリーの問いに答える事無く、紅茶をフーッと吹きながらレミリアは続けた。
「もともと健康な身体でもないのに、日常生活全般に魔法を使ってるんだもの。魔法って言うのは、身体にそれなりに負荷をかけるのよ?」
「・・・そんなの知ってる。」
「知っててやってたの・・・?ひょっとして貴女、死にたがりって奴かしら?」
「そんなつもりじゃないし、それを貴女に言われたくないわ。私があそこで咳き込まなかったら、貴女は死んでたのに。」
「あら、私は自分の生を実感するために死の感触を求めてたの。ジサツ志願者と一緒にしないで欲しいわね。」
心外だといった感じで言うと、レミリアはいい具合に冷めた紅茶をクイッと飲み干した。
「けど、愉しかったでしょ?」
「・・・何のこと?」
「さっきのアレ。私は『弾幕ごっこ』って呼んでるけどね。まあ、今回はごっこじゃ済まなかったけど。」
「そうね・・・。嫌いじゃないわ。」
パチュリーが少し微笑んで答えると、レミリアは嬉しげに笑った。そこには先程の狂気など欠片も無く、無邪気な喜びがあるだけだった。
「ねえ。貴女、私の館に来ない?貴女とだったら、あの静かな幻想郷でも退屈しなさそうだわ。」
「幻想郷・・・?聞いた事無い地名だわ。」
「ここからず~っと東に、いや西に行った方が早いわね。とにかく、ずっと西にある平和な所よ。」
「平和で静かな所・・・か。ここよりも落ち着いて本が読めそうね。」
そう言いながら、パチュリーの脳裏に浮かんだのは本ではなく遠い昔居なくなった二人の親の顔だった。
「けど、残念ね。もうそこまで行く元気が無いわ。」
寂しそうな微笑を浮かべて、パチュリーが答える。
すると、それとは対照的な笑顔を浮かべてレミリアは自分の左手首を右手の爪でスッと切り裂いた。
「えっ!?な、何してるの?」
パチュリーが驚いて言う間に、ティーカップはレミリアの血で満たされた。
そして、それを手に取るとレミリアは何の躊躇いも無くそれをパチュリーに差し出した。
「私の血を飲みなさい。そうしたら、病気なんか直ぐに治るわよ。」
「え、でも・・・。」
「ああ、大丈夫よ。吸血鬼になんかなったりしないから。まあ、慢性的に貧血みたいな感覚になっちゃうと思うけど。」
「そうじゃなくて。何で、私なんかにここまでしてくれるの?」
「そうね・・・。ん~、私が貴女を好きになっちゃったから。」
「す、好きって・・・どういう事?」
不意打ちを受けたように慌てるパチュリーにレミリアが笑って答える。
「ふふふ・・・。貴女もそんな顔するのね。別に変な意味じゃないわ、『友達』としてって事。」
「『友達』・・・ね。単語の意味は知ってるけど、何をすればいいのか解らないわ。」
「何もしなくていいんじゃないかしら?私の側に居てくれればそれでいいのよ。」
屈託無く笑うレミリアを見て、パチュリーは自分の中の何かが満たされていくような気がした。
ずっと昔に失って、そのまま忘れてしまった何か。
「あは・・・、あはははははっ!!そう。何もしなくていいのね?『友達』っていうのは。」
「ええ。私も『友達』なんて持ったこと無いから解らないけど、きっとそんな物よ。」
パチュリーは生まれて初めて込み上げて来た感情に任せて笑ってみた。
そして、まだ中身のあるティーポットを手に取るとさっきとは別のティーカップに温くなった紅茶を注いだ。
レミリアの血の注がれたカップを手に持ち、紅茶を注いだカップをレミリアに差し出す。
「『友達』って乾杯くらい・・・するわよね?」
パチュリーが恥ずかしげに言うと、レミリアはプッと噴き出した。
「そういえば、私たちってまだ名前も言ってないのよね。順序が完全に逆だと思わない?」
「・・・・・・そういえばそうね。じゃあ先ずは私から。パチュリー・ノーレッジよ。」
「私はレミリア・スカーレット。これからよろしくね、パチェ。」
――――――チンッ!
パチュリーの口の中に鉄の味が広がっていく。
そして、それが体中に広がっていくのと同時に身体の中の悪い物が溶かされていくのが解った。
◆
「ちょ、ちょっとパチェ・・・。『コレ』はもっとどうにかならなかったの?」
フラフラと空を飛ぶレミリアが疲れたように言った。
レミリアの右手にはいつもの日傘、そして左手にはパチュリーの書斎にあった本のおよそ半分を吊り下げた太い鎖が握られていた。
「それは仕方ないわ、レミィ。私は読み終えた本しか収納できないんだもの。」
悪びれた風も無く笑って答えるパチュリー。
文句を言おうとしたレミリアもその笑顔を見て、何も言えなくなってしまう。
「これでも、悪いとは思ってるのよ。だから少しは手伝わせてもらうわ。」
「当たり前よ。もともと、パチェの物なんだから。」
頬を膨らませたレミリアを見て微笑みながら、パチュリーはスッと指を振った。
すると、途端にレミリアの左手に掛かる負荷が半分以下になる。
「風の精霊魔法なんだけど、流石にそれを持ち上げるのは無理だから。それでも、多少は軽くなったと思うけれど?」
「へえ・・・。そっか、パチェはあの時は病気だったから本気じゃなかったのよね。」
レミリアはパチュリーの実力に改めて驚くのと同時に、紅魔館に帰った後のことを想像してほくそ笑んだ。
(パチェ程の力があればあの娘の相手も私以上に出来るわね・・・。いやぁ、これからは楽が出来そうだわ。)
そんなレミリアの表情を目ざとく見ていたパチュリーがクスッと笑って本を閉じる。
「レミィ・・・何を企んでるの?」
「えっ?い、いえ。何にも企んだりしてないわよ。」
あからさまにうろたえるレミリアをジーッと見るパチュリーの笑みがどんどん邪悪な物に変わっていく。
「レミィ、教えてくれないと突風が吹いて日傘を吹き飛ばしてしまうかもしれないわよ?」
「ち、ちょっと!パチェ!!それは、冗談になってないわよ。」
「あらあら、死の感触が好きなんじゃなかったのかしら?」
「ち、違うわ!パチェ、貴女絶対に勘違いしてるでしょ!?それにしばらくあんなのは結構よ。折角、貴女に出逢えたっていうのに。」
予期しないレミリアの言葉に、パチュリーの顔がボッと赤くなる。
ふとパチュリーが照れ隠しに空を見上げると、そこには綺麗な青い空が何処までも広がっていた。
(『本だけでは学べないことがある』。だっけ・・・父様、母様?)
遠い昔に両親が言った言葉をふと思い出して、パチュリーは目を細めた。その言葉がやっと理解できたような気がした。
「ねえ、レミィ。太陽の日差しがポカポカしてとっても気持ちいいわ。一緒に日向ぼっこなんかどうかしら?」
「それは・・・私に『死ね』って言ってると取っていいのかしら?」
「あら、とんでもない誤解だわ。ふふふ・・・。」
「結構、目が本気だったと思うんだけど。ふふふ・・・。」
『あはははははははははっ!!!!』
誰も居ない海の上で響く二人の笑い声は、青空にも負けない程に澄み切っていた。
二人の過去を考察する内容は面白かった