Coolier - 新生・東方創想話

ツキのつくもの

2008/03/29 10:33:12
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 レミリアに休暇をいい渡された翌日。咲夜はメイド衣装を着ず、Yシャツだけ羽織り自室の窓辺に座っていた。
 いつもは結わう三つ網も今日はしていない。
 閉められた窓に映った顔は酷く凄惨で、まるで魂が抜けてしまったかのように以前の若々しさはを失っていた。虚ろに景色を眺める瞳に輝きは無く、その周りは流しつくした涙で赤く腫れて、白く瑞々しかった肌も、今となっては単に生気の無いくすんだものになっていた。
 咲夜はガラスに映る自分の顔すら見えていない様子で、ただただ館の目の前にある湖のさざ波見つめていた。視界の横からカラスが飛んできてもそれに視線を奪われることなく、本当にただ眺めるばかりだった。今彼女がしている事といえば、起きている事、息をしている事、外を眺めている事。
 そして右手に鮮やかな装飾が施されたフィレナイフを持ち、それを左の手のひらへポン、ポンと一定のリズムで打ちつけている事だけである。
 やがて何度かナイフを打ちつけていると、それは右手からするりと抜け落ち、床に金属音を響かせて転がる。その音で我に返った咲夜は、すぐさまナイフを拾うべく床にへたり込んだ。
 再びナイフを手にした彼女は、不意にこれを受け取った当時の事を思い出す。それはレミリアに仕えてまだ日が浅い頃の事である。



 レミリアの自室に呼ばれた新米メイドの前に、十六夜の月を見上げながらワイングラスを持ち、紅い液体を揺らす主の姿があった。しかし呼び出してからしばらく経つが、一向に何も語らずただ月を見ているだけであった。痺れを切らしたメイドは自分から用件について伺った。

 「ご用件は一体何でしょう?」

 この頃はまだ吸血鬼の思考が理解できず、いちいちその言動に疑問符を打っていた。今もまさにその状況である。レミリアはそんな新米メイドをあざ笑うかのように口元を歪めて吸血鬼の象徴を見せつけてから、ようやく話掛けた。

 「お前はあの月を見てどう思う?」

 質問を質問で返されたあげく、どんな意図の問いかけかも分からない。またもや『?』が頭をよぎる。しかしあまり考え過ぎて待たせるのも失礼と考え、とりあえず見たまま、感じたままを答えてみた。

 「少し欠けているけど、きれいな月だと思います」
 「そうか、人間にはそう見えるのだな……」
 
 それが主の求めたものかは分からない。しかし主はそれを聞いて嘲笑することはなく、逆に少しうれしそうに微笑む。そしてワイグラスを傾け、中の紅い液体と一緒にかみ締めていたその答えを飲み込んだ。その後に少し息をつき、今度はメイドへ向けてゆっくりと語り始めた。その声は本当に静かな声色だったが、見た目の年齢には似つかわしくないほどの落ち着きと魂に直接響くような力強さを以ってメイドの耳に届いた。

 「私たち闇に生まれた者にとって満月とは力の象徴だ。その言葉通り、満月が昇る夜こそ最大限に力を振るうことが出来る。そして吸血鬼とは闇に生まれた者たちの中でも、最も強い力を持っている一族だ。それは例え新月の晩でも変わらない。何時、如何なる夜でも私たちは人間どもに阿鼻叫喚の地獄を与え、数多の妖魔どもを完膚なきまでに踏みにじり心からの服従を強いることができる。夜を恐れる人間からは恐怖の象徴として、妖魔どもからは絶対的な力の象徴として畏れられる存在なのだ。闇夜に恐怖を振りまき、絶対的な力を見せつける、つまり私たちは、満月から特別な寵愛と力を授かって生まれし者たちなのだ」

 メイドはその言葉に黙ってうなずく。しかしまだ話の意図が汲み取れていない。

 「それでは今宵の十六夜に力を授かるのは果たして何者か? 私はこう考える。十六夜は満月に匹敵するほどの力を持ちながら、決して満月の前には出ず、その後に控えてつき従うものだ。満月を私に置き換えると、十六夜は私に匹敵するほどの力を持ちながら、決して私の前には出ず、その後に控えてつき従うものだ。私のいいたい事はわかったか?」
 「つまりお嬢様は、私にあなたの十六夜になれ、といっているのですね?」
 「やはり私が見込んだだけのことはある。どんな妖魔にも引けを取らなかったこの私が、時の魔法を操る、たかが人間のお前ごときに、消滅寸前まで追い込まれた。辛くも私は勝ったが、あの屈辱感を味わわせるのは後にも先にもお前だけだろう。私を殺せる力だからこそ、私の背後を守るに値する。お前と共に在るならばこの夜は全て私たちのものになる」

 そしてメイドの前へと近づき、その目を見据えさらに言葉を投げかける。

 「私の言葉に応えてみせよ! お前の体を私の盾にせよ! お前の力を私の剣にせよ! お前の命を私に力にせよ! 私にはお前が必要だ。お前の人生全てを懸けて私について来い。お前には何者にも折れない強き心と、あらゆる敵を組み伏せる永遠の勝利を与えてやる」

 メイドは主の言葉に圧倒されていた。何の迷いも恐れも無く、自分の信念だけを信じ、刃を向けた自分すら自らの力にしようとする懐の深さ。何よりまっすぐと目を見据え、自分を必要といってくれたその想いに心を激しく打たれていた。今の言葉で、メイドの心で僅かにくすぶっていた悪魔に仕えることへの負い目は完全に消え去った。もはや自分の心に何の揺らぎは無かった。それを感じる事が出来たメイドは、意図せず流れた涙とともに何度も『はいっ!』と答えていた。

 「よし。それじゃ契約の印の代わりに、私から3つの贈り物を渡すわ」

 まるで魔法が解かれたように、その声は見た目相応の幼い少女のものになっていた。先程強く感じられていた圧倒感はすっかりなりを潜めていた。メイドは先程とのギャップに違和感を感じながら、視界を塞ぐ涙を一生懸命拭う。
 やがて主は戸棚からごそごそと何かを取り出してきた。そしてそれを1つづつ渡す。

 「まずは、貴女の時間を全てもらう代わりにこの懐中時計を。貴女は時間を操るからピッタリね。それからこのナイフ。祭祀用で実用性はないけど、純銀製で私を滅ぼす力を秘めているわ。貴女の命を預かるんだから、私も命を預けなきゃ」

 そういって、時計とナイフが手渡された。いずれも特別に精巧な調度が施されたものと思われ、その見た目以上にある主の想いの重さを感じとっていた。

 「そして最後の贈り物は名前。さっきいった通り、貴女は満月である私につき従う者。そして欠けた月でありながらどんな花よりも儚く美しく咲いて、夜も人も妖魔も魅了する者。それらの想いを込めて『十六夜咲夜』の名を与えるわ。分かった、咲夜?」

 この時メイドは名前の意味などどうでもいいと思っていた。ただ、主に認められて名前をもらえただけで嬉しかった。人間であり敵だった者に、それも懐柔させたばかりの自分に、私だけを示す名を与える。それほど存在を認められ信頼されていることが分かったからだ。
 今はただその名前を呼ばれるだけで心が満たされていた。

 「咲夜、分かったの? 返事は?」

 主が返事を催促する。しかし咲夜はそれを返す事ができなかった。溢れ過ぎた感謝の気持ちがのどを詰まらせていたのだ。
 それでも懸命に主に答えようと、何度も何度も首を縦に振って見せる。するとその度に、頬を温かいものがいくつも伝って、床へとこぼれていった。



 あの時の誓いを思い出し、枯れたはずものがまた溢れ出る。しかしそれは感謝のでも歓喜のでもない。誓いを果たせず主に見放されたという想いが流す絶望の涙、無念の涙であった。もう剣にも盾にもなれない、そう考えた咲夜はナイフの刃を手首に押し当てた。

 『あとは私の命でお嬢様のお力になるしか……』

 残された手段で最後の奉仕をしようと決意する。
 しかし右手が震える。
 また決意し直す。
 やはり右手が震える。
 主のためとしても、いざその時になると力が込めれない。最後の最後で心を裏切る自分の体。自分の弱さと情けなさに、もはや泣くことすら出来なくなっていた。
 そこへ食事を持った美鈴が、ドアをノックもせず入ってくる。

 「咲夜さーん、ご飯持って……って、何やってるんですか!?」

 思いがけず目に入った光景を前に、思わず出来立ての食事を投げ捨て駆け寄った。咲夜の元につくと咄嗟にナイフの刃を掴んで手から引き離し、咲夜の体を抱きとめる。咲夜は美鈴に抱きとめられたまま、胸の中で弱い嗚咽を繰り返していた。
 そんな咲夜の状態を目の当たりにし、自分が何の支えにもなれないことを美鈴は激しく悔しがる。
 それでも今は自分が出来ることをするだけと、咲夜の背中に手を当て僅かな気を流し込む。やがて咲夜の体はほんのり火照りだす。そしてすぐに苦しみの無い夢の世界へと意識を飛ばし、小さな寝息を立て始めた。
 美鈴はナイフで切った手の血がつかないように、そっと咲夜をベッドへ運ぶ。いつも頭ごなしに叱っては、鮮やかなナイフ投げで自分を半殺しにしてきた相手が、思いのほか軽かったことに美鈴は少し驚く。

 「こんな軽い体で、あんなにいっぱい背負い込むから疲れちゃうんですよ。今度からは分担しましょうね」

 気高いメイド長が安らかな寝顔を見せる今だからこそ口にできる言葉。起きていたら絶対にナイフをめった差しにして断るに決まってる。そんな事を考えながら静かに布団を被せ、散らばせた食器類を片付ける。最後に部屋を出るとき、予想外に大きな音を立ててドアを閉めてしまったが、メイド長が起きないことを願って部屋を後にした。

 『それにしてもお嬢様、こんなときにお出掛けされるなんて……』

 どうにも白状に思える館の主に対し、無礼にも怒りを覚える門番風情であった。


 
 その日の夜、迷いの竹林から程近い森にまたもや1羽のカラスが舞い降りる。例によって笛を1回鳴らすと、近くから違う笛の音が2回聞こえてきた。カラスはその笛の音のほうへ飛んでいき、再び謎の人影と落ち合った。

 「咲夜の様子はいかがかしら?」
 「それはもう酷い有様で。見てるこっちが辛くなりますよ」
 「そう、ウフフ」

 カラスがうんざりとした感じで紅魔館を外から見た様子を伝えると、人影はそれがよほどおかしかったらしく、笑い声を堪えることなくをあげていた。しかし実際目の当たりにしたカラスには、それに同調できる神経は持ち合わせていなかった。

 「これで明日咲夜が解雇されれば第1段階は成功ね」
 「あのー、ちょっといいですか?」
 「何?」

 着々と予定通りに進行する思惑に気分が高揚していた人影へ、カラスが水を差すように自らの用件を切り出す。

 「先日聞いたお約束なんですが、そろそろ果たしていただけますか?」
 「分かってるわ。明日決着がついたら果たすわよ」
 「いやー、自腹でやってたんですけど部数を増やしたら資金難になりまして。出来れば今すぐにでも」
 「報酬が成功払いなのは当然でしょ。計画通りに仕事をこなしてこそ、やっともらえる権利が得られるのよ」
 「あややや、でも私の仕事はもう終わって……」
 「下請けはスポンサーの予定に合わせるが筋じゃなくて。私の計画はまだ第1段階を終えていないわよ。貴女の仕事はまだ実を結んでいない。だから約束を果たすのも明日以降ね」
 「でも私だって、そっちの計画通り動いたじゃないですか。発行期間も短くしたし。お陰で連日徹夜で体力も限界なんですよ。予定に余裕が全然無かったですし……」
 「私の座右の銘は『時は金なり』。永遠の時間を生きているけど、物事にはいつも迅速に対応してきたわ。だってそうする事で人を出し抜いて有利な位置に立てるし、私の思惑通りに動かす事が出来るもの。貴女もジャーナリストなら、情報は鮮度が命という言葉は知っているでしょう? 幻想郷最速の異名を取るなら、私の考えにも共感できるとはずよ」
 「しかしいくら私でも、1人で動くには限度が……」
 「あら、自分で出来ると判断して乗ってきたんじゃない。こちらに責任はないわ」
 「いや、私はそっちが資金も労働力も提供するっていうから引き受けたんですよ?」
 「私はそれらを事前に提供するといった覚えはないわ。貴女はそれを証明するものでも持っているの?」
 「あややや、それは口頭でしたけど……」
 「それなら、分はスポンサーの私にある。貴女はだまって従えば良いのよ」
 「あと、正直こういう記事の作りかたはポリシーじゃないというか……。確かに以前よりは社会派な内容になりましたけど、何だか楽しい話題じゃないんで」
 「今更何をいっているの。貴女がネタに困っているというから協力してあげてるんじゃない。第一、以前は盗撮写真ばかりのゴシップ新聞で、読む価値なんてなかったわ」

 カラスは、何かしらの難癖をつけて自分の主張をバッサリ切り捨てる人影に苛立ちと怒りを募らせる。それと同時に甘い話にホイホイ乗った自分の不明さにも腹を立てていた。
 何とか繋ぎ止めていた堪忍袋の緒だが、それまで自分が丹精込めて作ってきたものを頭ごなしにバカにされ、ついにそれを引きちぎることになる。

 「さすがにそれは、言い過ぎじゃないですか!?」
 「私は、私が思っていた事をいっただけ。皆がそう思っているとは限らないわ。あんな紙切れでも、1人くらいは楽しみにしている奇特な暇人が居るんじゃない?」
 「……!!」
 「何、その顔は? 不満があるなら降りていいのよ。第1段階さえ越えればあとは1人で出来るもの。あ、勿論報酬は払えないけど。新聞大会の優勝も無くなっちゃうわね」
 「えぇ、もおおおおお結構です!! もう報酬も優勝もいりません。貴女と仕事するくらいなら、今まで通り自分のペースでゴシップ紙を作りますよ!!」

 ついに激高したカラスは、人影へ決別の言葉を叩きつける。そしてその勢いにまかせて読んだ巨大な突風に乗り、山のほうへと去っていった。謎の人影はカラスの怒りにも突風にも怯むことなくそれを見送っていた。ただ薄っすらと気味の悪い笑いを浮かべて。
 ほとんど雲のない夜空に浮かぶは小望月。明日は満月が昇ることになる。しかし今日のの月光でも三日月より十分明るく、人影の素顔を煌々と照らし出していた。




  ※  ※  ※




 いよいよ咲夜にとって運命の瞬間が訪れようとしていた。今日はレミリアと永琳が交わした約束の日。いつにない緊張感に包まれた紅魔館は沈んだばかりの夕日に照らされ、その紅さをひと際増していた。
 館内の者たちに緊張が生まれていたのは、今宵が満月だからではない。既に先日行われたレミリアと永琳の会合の内容と、今日の永琳来訪の目的を聞きつけていたからである。さすがは噂好きな妖精たちであるが、その発信源がうっかり小悪魔に口を滑らせたパチュリーだったのは、皆にとってどうでも良い話となっていた。
 やがて約束通り完全に日没となった頃、紅魔館へと単身、余裕の物腰で永琳が姿を現した。それを確認した美鈴は正門から正面玄関へと案内する。主からの申しつけがなければ、咲夜の排斥を促す張本人に、これでもかと弾幕を浴びせていたところである。
 しかしその気持ちを抑えつつ、玄関で館の妖精メイドへと案内役を引き継ぐ。永琳は顔に分かりやすい殺気をみなぎらせた門番に向かって、にこやかに礼を述べてから中に入っていった。
 玄関から先日の来賓室へと通されると、中では咲夜が1人で出迎えた。身なりだけではなく姿勢や立ち振る舞いまで折り目正しく、そこに昨日までの憔悴しきった面影はない。その表情も何か吹っ切れたように晴々としたものであった。
 先日見せた狼狽の色が消えたことに永琳は少し警戒し、その思惑を探るべく動向を伺う。しかし紅茶の淹れかた、脇で静かに控えるその素振りに不審な点は無い。ならば、と咲夜に話しかける事にした。

 「相変わらず結構なお手前ですこと」
 「恐縮です」
 「残念ね。今日でこれを味わう事が出来無くなるなんて」
 「……」
 「ここを辞めたら、私のところにいらっしゃい。いくらか面倒は見るわよ」
 「私は現在、紅魔館のメイドですので、再就職は考えておりません」
 「あら、そういえばまだそうだったわね。忘れていたわ」
 「……」

 落ち着きを払った対応は、いつもの瀟洒なメイドであった。予想とは違っていたが、だからこそイレギュラーはないと結論づけた永琳は、紅茶の香りを楽しみながらレミリアの登場を待った。



 永琳は咲夜に対して、2杯目の紅茶とレミリアを催促する。
 「自分から時間を伝えておいて、自分が遅れるなんて。随分わがままなご主人様ね」
 「今しばらくでいらっしゃいますので、しばしおくつろぎ下さい」
 「そのわりには紅茶しか出してくれないじゃない」
 「ご希望でしたら、僭越ながら私が手品を披露いたします」
 「結構よ。紅茶だけでいいわ」

 とはいいながらも、紅茶には手をつけず腕を組んで既に昇り始めた満月を眺める。
 その姿を見ても、永琳の心に何が浮かんでいるのか咲夜には読めなかった。袂を別った故郷の事か、はたまた待ち人のことか、若しくは全く関係ない何かか。それを知っているのは永琳だけである。唯一咲夜に分かったのは、微かに右手の人差し指がトントンと上下していた事だけだった。
 桜の花があしらわれたティーカップの中に満月を浮かべながら、手つかずの紅茶がその熱を冷まし続けている。結局レミリアが現れたのは永琳が3杯目の紅茶を頼もうか迷っていた頃であった。



 まったく悪びれる様子もなく堂々と入ってくるレミリアに、さすがの永琳も強めの毒で待ちかねた想いの丈をぶつける。

 「あら、てっきり従者を見捨てて逃げたものだと思ってたのに」
 「年頃のレディは準備に少々時間がかかるものなの」
 「一般世間で五百歳以上は亡骸と呼ばれているわ」
 「それなら貴女も亡骸ね。良かったじゃない、死人扱いされて」

 永琳の毒を軽くいなしながら、久々に味わう咲夜の紅茶を心待ちにする。咲夜は紅茶を手際よく淹れて、カップとともに主の前に差し出した。レミリアは早速その淹れたてを口元へ運ぼうとしたが、途中で何かに気づき手を止める。

 「ありがとう咲夜。あら? このカップ……」
 「はい、時期が丁度いいので桜をあしらったものを出してみました」
 「カップ1杯でお月見もお花見もできるなんて、なかなか粋よ、咲夜」
 「恐縮です」

 レミリアはカップの柄を目で、紅茶の香りを鼻で、紅茶の上に浮かんだ満月の味を舌で、3つの風趣を贅沢にもいっぺんに味わう。咲夜は褒めの言葉に対し深々とした礼で返していた。
 2人の会話を聞いていた永琳は、その時初めてカップの柄に注目する。レミリアに風情について先に語られたことも癪だが、2人の間に殺伐とした空気が無いのも気に入らない。先日レミリアを黙らせた爽快感がなかなか得られず、苛立ちが少しづつ募り始める。早速この気分を晴らそうと本題へと話をスライドさせた。

 「レミリア! 今日私は、お花見も、お月見も、お茶会もしに来た訳じゃないの。今日は……」
 「将棋を打ちにきたのね!!」

 そういって永琳の言葉を遮り、小脇に抱えていた将棋盤と駒をテーブルに置いた。虚をついて現れた想定外のアイテムには、さすがに永琳だけではなく咲夜も一瞬言葉を失ってしまった。

 「お嬢様、これはいつの間に…?」
 「昨日買ってきたの。ほら、前から欲しがっていたでしょ」
 「あ、あれ本気だったんですね」

 銀髪2人の驚きをよそに、レミリアは嬉々として駒を並べ始めていた。



 結局、レミリアの興味につき合わされる羽目になった永琳。将棋の駒を持つのが何年前だったかすら覚えてないが、昔の記憶を辿って居飛車で戦法を取り、矢倉を完成させつつある。一方のレミリアは、左に『よく分かる! チビっ子将棋入門』を、右には十六夜咲夜のダブルブレインを配し、いまだ駒の動かしかたを確認している。

 「咲夜、銀は横にも行けたわよね?」
 「いえ、行けません。斜め四方と前だけです」
 「桂馬は確か、こっ……ち」
 「いえ、2マス前方の両隣どちらかです」
 「えー、だって本には……あれ? あ、勘違いしてた」

 永琳は怒りを通り越し、あきれることすら出来ないこの茶番劇に既に飽きていた。
 とはいえ、たったのひと言を聞くのに茶を2杯も飲み、挙句遅刻され、さらに将棋にまでつき合わされるとは思ってもいなかった。
 もてなしの心とは何かと、そんな事を永琳はふと考え、懐石料理の原型を思い出す。その昔、貧しい庶民が客に出したのは暖めた石のみ。食べ物は無くともそれで客の腹を温めてあげたいとする精一杯の気持ちを出したという。そう、その心遣いこそもてなしの心。
 それがこの館はどうだ? 待たせるは、裕福なくせに茶しか出さないは、本題をほったらかしてゲームに興じるは。全く自分をもてなす気持ちがないのが良く伝わる。確かにそっちから見れば招かれざる客だろう。なんなら追い返したいはずである。しかし自分だって長居したいわけじゃない。むしろ早々に返事をもらい祝い酒を煽りたい気分だ。とても将棋が終わるまで待ってはいられない。将棋と一緒に話を進めよう。
 ここまでを1秒程で考えて、レミリアに話を切り出した。

 「レミリア、こんな時間稼ぎは無駄よ」
 「だって昨日始めたばかりなのよ」
 「将棋じゃなくて、あの返事」
 「あー、何だっけ?」
 「お嬢様、角を置く位置がズレています」
 「まさか悪魔が約束を破るつもり?」
 「そんなわけないでしょ。貴女とは契約してないけど」
 「口約束も契約の一種でしょ」
 「お嬢様、そこは二歩になります」
 「知っていたわよ! 今こっちに置き直そうとしたでしょ」
 「口約束すら守れないんじゃ、人間どころか蟲以下ね」
 「咲夜、ここまできたら裏返せるんでしょ?」
 「はい、これは歩ですのでト金に成ります」

 駒は進んでも話は一向に進まない。永琳は少し強引に話を展開した。

 「もう夜も更けてきたし、これは私の要求を飲んだということで帰らせてもらうわ」
 「待ちなさい!!」

 その言葉に永琳は内心ほくそ笑む。レミリアがまんまと引き留めに入り、自分の予想通りの展開になったからだ。しかしそれは外に出さず、少しいらついた様子で席を立ったまま動向を伺う事にした。

 「あら、だってお嬢ちゃんは将棋に夢中で私の話を聞いてくれないじゃない」
 「ちゃんと聞いているわ。それに今日はまだ時間はある」
 「何いってんの、もう月はあんな高いじゃない。今日は終わったも同然。貴女は今日返事するといってしなかった。約束は反故にされた。ペナルティとして私の要求は認めさせる。この流れは至って常識的じゃない」
 「常識で言うなら子の刻(午前零時)までが今日よ」
 「まさか時間が経つことで答えが変わるのかしら?」
 「フン、箱の中身は空けてみなければ分からない」
 「分かるわ。どんなに振っても私の知っている答えしか入っていない」

 将棋盤を挟み徐々にお互いその本性を現し始めていた。そんな2人を咲夜は眉ひとつ動かさず静かに見守る。
 しかしその心の奥ではドロドロとした不安が大きな渦を巻いており、胸のポケットの収めている書をすぐにでも出したい衝動にかられていた。その書は昨日の夜にしたためた辞職願であった。
 やはりレミリアの口から解雇通告を聞くのは耐えがたい。それを聞いたら主のほうからこの関係を絶ち、自分を見放してしまったように思えるからである。そんな思いをするくらいなら自らが身を引き、主へも責任を背負わせまいと考えたのだ。
 これが最後ならいっそ思いの丈を書面にぶつけようかと思ったが、いざ筆を取ると何から書いていいか変わらない。何枚も何枚も書き直しが、結局は感謝のひと言と自分が居なくなった後の体の心配を書いただけでまとまってしまった。
 いざその時がきたら、この辞職願と以前贈られた3つの物を一緒に返す。剣にも盾にも力にもなれなかった自分に、最早これを持つ資格は無いと感じ、そう決めた。そんな内に秘めた想いをいつ伝えるか、今はその時を静かに見計らっていた。



 月に愛された夜の王と月に背いた月の民。2人は依然として将棋盤を挟み、どちらも余裕の表情でにらみ合っていた。
 その長い沈黙を破ったのは、レミリアの歩が鳴らした乾いた木の音である。気持ち良いほどの音量と反響に、レミリアは爽快な気分を味わっていた。

 「月の民よ、お前の知らない言葉を教えてやる」

 永琳は学に関して少なからず自負するところがあった。そんな自分が知らない言葉といわれ、彼女の中に僅かな好奇心と知識欲が芽生える。

 「面白い。是非聞かせて欲しいわ、その言葉」
 「それは……」

 そういってレミリアは、今差したばかりの歩をゆっくり裏返し、高くから振り下ろして再び盤面に打ちつけながら言い放つ。

 「『ト金は金なり』!!」

 レミリアの言葉と同時に、先程より大きく高い音が部屋中に響き渡った。
 永琳は唖然として、今の言葉を脳内で繰り返していた。しばらく声も出さずに固まっていたが、やがて大きな笑い声を上げて身をよじらせた。レミリアはそれを憮然として見つめている。やがて落ち着きを取り戻すと、目尻に溜まった涙を拭いながらレミリアに語りかける。

 「確かに私の知らない言葉ね。それにしてもこんなに笑ったの何年ぶりかしら。貴女に感謝をしないと」

 そういって再び席に着き、椅子にもたれかかり話し続けた。

 「そうだ、お礼の代わりに、良いことを教えてあげるわ。貴女が今言った言葉、正確には『時は金なり』よ。私の座右の銘なの」

 それを伝えると、再びこみ上げた笑いを我慢できず吹き出していた。そんな状況にタイミングよく、外でカラスの『アホー、アホー』と鳴く声が聞こえてきた。

 「まあ、カラスにまでバカにされちゃって。夜の王も形無しね」

 再び涙を拭いレミリアと対峙する永琳。しかしその顔から笑みは消え、真剣のひと言しか当てはまらない、ただならぬ気迫をたぎらせていた。

 「十分楽しませてもらったわ。でももう茶番は終わり。そろそろ答えをもらって帰ることにする。これ以上引き伸ばすなら強制的に承認させるわよ」

 今の永琳には、最早答え以外は受けつけない凄みがあった。それはレミリアだけでなく咲夜も感じ取っている。レミリアはしばらく睨みつづけていたが、やがて観念したように本題へと踏み入った。

 「そうね。それじゃあお望みの答えを聞かせてあげるわ」

 咲夜は主の空気を読み取り、今がこの時とばかりにポケットへ手を忍ばせる。あとは主より先に書と授かった物を差し出すだけである。何も難しい動作ではない。チルノの弾幕を避けるより簡単なことだった。こうしている間にも主は徐々に言葉を口から紡ぎ出している。

 「答えは……」

 咲夜はあと少し腕を動かすだけでポケットの中身を取り出せるところまできていた。
 しかし、ここにきてまた腕に力が入らなくなった。昨日と同じ、寸前のところで何かが踏みとどまらせていた。それの正体を咲夜は本当は知っていた。それは、完全に振り切ったはずの主への信頼と未練であった。
 やはりまだ主の傍で紅茶を淹れていたい。私を必要としてくれる主の下で一生を終えたい。そんな主への依存がまだ心の底に僅かにこびりついていたのだ。所詮今まで固めてきた決心は上辺だけのキレイごとだったことに今更ながら気づく。今再び咲夜の心は揺れる。しかしやはりあの言葉だけは聞きたくない。迷惑はかけられない。主を思うあまり、咲夜の心は再び上辺の決意へと傾いていった。
 そしてついに、腕は動かなかったがほんの少しの声なら絞りだせる気がして全ての力をのどに集中させる。

 「お嬢……」

 出た。やはり声は出た。この調子で言い切ってしまえ!
 しかしその声はレミリアの手による制止で遮られことになった。
 いつもいつも、自分の気持ちを裏切り言葉までも制す主に、咲夜は今初めて小さな怒りを覚えていた。そんな咲夜の怒りの炎を知らずに、レミリアはその答えの全てを吐き出す。
 そしてまたも咲夜の気持ちを裏切ってしまった。

 「答えは……ノーだっ!!」

 ひと際大きな声でしっかりはっきり言い放たれた否定の言葉。
 お前の思い通りにはさせないと、強い口調で言い放たれた拒絶の言葉。
 声だけではない、目にも力を込められた反対の言葉。
 レミリアは声に込めた気迫をまだその体に宿したまま、毅然とした態度で永琳を見据えていた。
 咲夜はまた主に裏切られたことよりも、今の声が誓いを立てたあの時と同じ雰囲気だったことに不思議な懐かしさと安心感を覚えていた。
 そして今そこに映っているのが、最後まで自分の腕に抵抗していた小さな思いの具現化したものである事に、あの時同様、意図せず目頭を熱くさせていた。
 今日で最後かもしれない、それでもその最後の時まで主が自慢としていた瀟洒な従者であろう。そう決めて取り乱さないようにしていたが、最後の最後で叶った願いを前にしてその決意はもろくも崩れ去る。緊張の糸は力が抜けないように張っていたが、それが切れたことで力まで落ちてしまい、咲夜はその目に歓喜と安堵を流しながら、その場に崩れ落ちてしまった。
 永琳はとうとう最後の最後で箱の中身を掏り返られてしまったが、無表情で声も出さずに静かに座っていた。しかしその目の奥には、計画がつまづいたことに対する、レミリアへの逆恨みの炎が僅かに揺らめく。
 大きくひとつ息を吐き、ふとテーブル上の将棋盤に視線を落す。そしてまだ自分の思惑は潰えてないことを、心の中で自らに言い聞かせた。そう、これはまだ想定内。まだ終わってなどいない。その自己暗示で気を持ち直し、盤上に頭から上空へ一直線に抜けるような音を響かせ、新しい一手を指す。

 「そう、残念ね。でも私も悪かったと思うわ」

 不意にしおらしくなった永琳にレミリアは何も返さない。ただ頬杖をつきながら相手陣内で桂馬を奪うだけだった。永琳は既に攻め手から外していたそれを無視し、さらに攻撃の手を進める。

 「これまで一生懸命尽くしてくれた咲夜を、一方的に、しかも早急な判断で解雇しろだなんて」

 レミリアは桂馬に続き香車を取る。それも捨て駒だったことで意を介さずに、永琳は王将への侵略と甘言での懐柔を仕掛けることにした。

 「それは困るわよね。貴女ほどの有能者の後釜なんてそうそういないもの」
 「……」
 「でも例えばよ?」
 「……」
 「咲夜の代わりを、永遠亭が全面的にバックアップするとしたら?」
 「……」
 「質の分は量でカバー、お釣りがくる程にね」
 「……」
 「更に数だけで見れば幻想郷一の勢力に躍り出られる」
 「……」
 「そして月の頭脳と謳われた私が貴女をサポート。咲夜は有限だけど、私は蓬莱人だから永遠に傍に居続けることができるわ」
 「……」
 「おまけに私や姫が持っている月の技術力まで貴女のものなるの。ううん、それだけじゃない。私たちは月にコネクションを持っている。月の勢力も貴女のものになるのよ」
 「……」
 「ちなみに姫の扱いは気にしなくていいわ。ひきこもりだし、なにより指導力がないから完全にお飾り。権力は実質的に貴女が握り続けるの」
 「……」

 次第にエスカレートする永琳の饒舌。甘い言葉の数々を矢継ぎ早にまくし立て、一度は拒絶したレミリアの心をじっとり溶かすように絡めてきた。既に永琳は交渉と盤上の両面でレミリアを追い込み始めていた。しかしレミリアは寡黙に素人然とした打ち筋で駒を指すのみであった。

 「どう、この案なら咲夜を残すよりメリットが多いと思うんだけど?」

 そういって、まず咲夜排斥に王手を掛ける。盤上も次の手で竜を以って王手を差すだけとなっていた。一刻も早くレミリアの反応が欲しくなる。何といっても相手はたかだか五百歳程度の小娘。あれだけ目の前に飴を並べれば食いつかない訳が無い。その心をトロトロに溶かし、自分に従順につき従う姿を想像して、永琳は背中に興奮の鳥肌を立てていた。 そんな永琳をじらし続けたレミリアだったが、ついにその口を開いた。

 「あぁ、とても良い計画ね」
 「そうでしょう? なら答えは決まりね」

 手応えを感じ取った永琳は、自らの華麗な逆転劇と、この愛らしい吸血鬼が今は自分の手中に落ちたことに身が震える思いだった。そして再び無念の表情を浮かべた咲夜を一瞥し、口の端を緩ませる。
 そうやって永琳が理詰めによる勝利をかみ締めている時、レミリアは矢倉の一角にト金を進めていた。
 永琳は本題にケリがついたことで余裕が出来、レミリアの戯れにもう少しつき合うことにする。あと一手でこちらも勝負はつくが、先にそのト金を潰して、わざと手を遅らせた。それを見てレミリアは二言目を発する。

 「ト金は金なり」
 「だから、『時は金なり』でしょ」

 今の永琳にはその物覚えの悪さすら愛らしく見えていた。しかしそれは次のレミリアの声でかき消される事になる。
 その声は先程返答した時と同様、強烈な気迫を込めたものだった。

 「何が人間と妖怪の橋渡しだ、何が調和だ。下らん、笑わせるな! 妖怪は人間に畏れられてこそ存在できるもの。畏れないなら畏れるまで私は恐怖を振りまき続ける。そして子々孫々まで語り継がせ、2度と楯突く気が起きないほどひれ伏させるのみ。人間に媚びるなど言語道断だ!!」

 あっけに取られる永琳を他所に、レミリアはさらにその凄みを増し続けた。

 「それに月の技術力? 幻想郷一の勢力? ふん、私は全ての妖魔の頂点に在る、月に愛されし夜の王だ。今更月の民に力を借りずとも、既に月の魔力を得て幻想郷を統べるだけの力を持っている。お前たちなど不要だ! ましてや月に背いた者に、十六夜の名どころか紅魔の末席すらくれてやるつもりはない。身の程をわきまえよ!!」

 これまで聞かされてきた永琳の主張、提案を全て切って捨て、毅然とした口調で不屈の意思を顕然と示すレミリア。
 途端に変貌した態度に永琳は、ほんの少しだけ狼狽の色を見せた。
 レミリアは永琳から盤面に目を下ろし、先程奪った香車を盤面に打つ。それは主を守るように玉の前に降り立ち敵陣にその矛先を向けた。それを見た永琳は持ち駒の存在を忘れていた事に、今更ながら気づく。しかしまだ優位は変わらない事を自らの心に語りかけ、改めて局面を見直すことにした。だがレミリアはその隙を与えなかった。

 「貴様のいう『時は金なり』、時を逃した者の末路と、私のいう『ト金は金なり』、ト金がもたらした財宝をこれから見せてやる」

 そういって指をひとつ、パチンと鳴らす。永琳と咲夜は一瞬その指に気を取られる。しかしその直後、今度は部屋のドアが開く音に気づきそちらを向く事になった。
 部屋のドアを開けた張本人はパチュリーであった。銀髪の2人は依然としてドアのほうを見つめるだけだったが、彼女の後に入ってきた者を見るや、2人とも驚愕から敵意へと目の色を変える。
 その注目を浴びた者とは射命丸文だった。



 入室したパチュリーは咲夜の元へ赴き、彼女を支えるように抱き起こす。一方で文はレミリアの傍らへと歩を進めていた。

 「約束のものを持ってきました」

 そういってひとつの封筒を手渡す。その手渡された封筒を開けたレミリアは、中に入っていたものを少しだけ引っ張り出して確認した。

 「確かに」

 永琳の顔は余裕ではなく険しさを帯び始めている。2人のやり取りを見て文が相手の手駒になったことを悟り、計画の磐石さにひびが入る事を懸念したからである。だが目的の成就まであと一歩、文が居ようが居まいが成すことは出来ると思い直す。しかし皮肉のひとつでも浴びせなけば気が済まない気分だった。

 「寝返りまで幻想郷最速だったとはね」
 「ほざけ!」

 気晴らしの皮肉はレミリアに掠め取られ、反対に動揺を与えられる。

 「話は文から全て聞いた。おまえの目的、それは紅魔館の乗っ取りだな?」

 ついにレミリアは永琳の牙城に切り込む一手を打ち込み反撃に出る。
 それに対し首謀者である永琳は表情を少しも崩さない。むしろ咲夜のほうが明かされた真相に、この部屋で一番驚いていた。
 押し黙ってじっと見据える永琳の気を逸らすように、レミリアは将棋盤を軽く指で叩く。

 「さぁ、続きをしようか」

 レミリアに促されて盤に目を向けた永琳は、やや考えてから攻めの一手を指す。レミリアはその攻めを迎撃してから話し始めた。

 「紅魔館を落とすには、当然私を攻略しなければならない。しかしその前に咲夜を排除する必要があった。なぜなら咲夜はこの館の運営全てを取り仕切っているからな。おまけに、私の傍づきとして他の誰よりも早く私への危険を察知する可能性が高い。正攻法で行っては能力的に考えても苦戦は必至、その後の私まで余力を残せるか不安がある。そう読んだお前は知略戦を仕掛けることにした」

 レミリアの口から語られ始めた永琳の計画。それを一同はひと言も発せずに聞き入る。今部屋の中にはレミリアの声と、駒が盤面を打つ音だけしか響いていない。

 「まず手懐けた子供を仕掛けきっかけを作る。それからマスコミの力でスキャンダルに仕立て上げ民衆の印象操作を行い、自らは新薬の無料配布と人権保護団体の設立で知名度と信頼を集める。人間どもを駒にするためにな。あとは咲夜を批難の対象へと祭り上げ民衆を扇動するだけ。まったく、お前の周到さと狡猾さには恐れ入る。咲夜が人間へ手を出せないのいいことに、その人間どもをけしかけるなんて。さらにその余波が紅魔館全体にも届くようにし、咲夜の忠誠心まで逆手に取るとは。確かに効果は見ての通りさ。仕上げは鞭と飴で私をかどわかし、引導を渡させる。自分は最後まで直接手を汚すことは一切ない」

 盤上では永琳の攻め手がことごとく潰されていた。序盤に素人筋と侮ったひと駒ひと駒が、ここにきて活きてきたからだ。
 あの時ト金に手を出したばかりに、香車を見捨ててしまったばかりに、寸前まで見えていた勝利が今では霞んで見える。過去に打ってしまった下手への苛立ちと後悔は、右手の人差し指を組んだ腕にトントンと叩きつけて解消するしかなかった。
 そんな侵略者へあてつけるようにレミリアはさらに言葉を重ねる。

 「それにしても、いくら信条だからって急ぎ過ぎたんじゃないか? あれだけ短期間に事を進めれば、尋常じゃないことくらい私にも分かる。粗が多すぎてお前の計画が丸見えだったよ。まあ、確信出来たのは文のお陰だが。お前は紅魔館を行楽施設化で人心を掌握し続けるより先に、協力者の信頼を得るべきだったな。相手は駒じゃない。素直に切り捨てられはせんさ」

 紅魔館乗っ取り計画、それが観光施設として人間に提供させるものだったことに、咲夜ならずパチュリーまでも驚きを隠せなかった。パチュリーはそこまでは文から聞いていなかったのだろう。警戒の眼差しを、悔しさを口元浮かべている永琳へと向けた。
 その間にレミリアは話を進めていた。しかし今度は少しだけ困惑した顔を浮かべてである。
 「さて、ここまでは読めたが、私でも引っかかっていた事がある。お前の計画を知って尚だ。しかしそれも先程解くことができたよ」

 レミリアはパチュリーに目配せをする。それを受けたパチュリーは小さく折りたたまれた油紙を懐から取り出し、レミリアへと渡した。レミリアはそれを永琳に突きつけると尋問を始める。

 「これに見覚えはあるな?」
 「貴女、それを何処で!?」
 「買出しに出たついでにな。なあに、私は滅多に里へ下りないから、ストールで羽さえ隠せば私の本当の顔を知る者はほとんどいない。まさか渦中の紅魔の主が、真昼間から堂々と井戸端会議に加わるなんて誰も思うまいよ。さて、永遠亭の新薬が人気というネタで分けてもらったこの子供用の栄養補助剤、お前、この中に何を混ぜた?」

 永琳は咄嗟に薬から視線を外す。

 「いえる訳がないよな。なにせ毒なんだから」
 「服用した場合の症状は軽度の腹痛と下痢、吐き気。致死量ではないけど回復には3日間ほど必要。成分は……」
 「ありがとう、パチェ。もういいわ」

 急いでメモを取る文の前に腕を横切らせ、レミリアは友人の補足を途中で制する。パチュリーは少し残念そうに引き下がって行った。
 レミリアはパチュリーが控えたの見計らい、自分の頭に散らばっていた点を確認するように、それらを挙げ始めた。

 「毒を盛られた子供は診療を受けに来る。いやお前が来させたんだ。話では相当念入りな診察だとか?」
 「そ、それは薬の経過を……」
 「無料で配った毒入り子供用栄養補助剤、児童保護を掲げる人権団体、咲夜に差し向けた子供の罠……フフン、お前は余程子供が好きなんだな」

 レミリアの感想により咲夜の頭の中でも点と点が繋がった。あの里で出会った子供の姿が浮かぶ。あの時その子を照らした夕日はキレイな赤だったはずが、今記憶に映っているのはひどくどす黒い汚れた赤だった。考えたくない想像にその笑顔は染められてしまっていたのだ。
 恐らくその子だけではないだろう。これまでも、更にこれからも、無垢な心を己の欲望で汚し続けるつもりだったことに嫌悪と憤怒の念を抱く。やがて思い出していた少女の顔が紅魔の主、次にその妹へと変わる。考えたくない予感が不安となり咲夜の全身を駆け巡り、全身を振るわせる。
 そんな従者の心中を代弁するかのように、レミリアは自らの予想を口にした。

 「お前の本当の目的とは、私もしくはフラン、あるいは両方だったんじゃないか?」

 それに対して永琳は沈黙したままだった。彼女の持論ならこれは肯定を意味するだろう。その反応を見て紅魔側の面々は、ある者は不敵に微笑み、ある者は冷ややかに敵視し、ある者は燃えるような怒りに身を震わせる。その他は必死にメモを取りながら、対峙する2人に向けてこっそりカメラのシャッターを切っていた。
 もはや計画の全てを暴かれ裸も同然となった永琳に反撃の余地は無くなっていた。盤面でも王を守る駒のほとんどを奪われ、逃げ場も失っていた。最早大詰めとなったこの一局に、レミリアは最後の一手を指すべく、手駒から銀を手に取る。そして横目で咲夜を見ながら駒を差し出す。

 「咲夜、王手は貴女に差させてあげる。今こそ私の剣となってとどめを差しなさい」

 咲夜は主の命じるまま銀を受け取ると、一連の件を企てた張本人を見下ろす。相手は少しうなだれて目を閉じており、まるで観念して介錯を待つような面持ちである。しかしその姿に、咲夜は毛ほども情けを掛けるつもりはなかった。
 あの日里で会った少女が浮かべた笑顔の奥の穢れ、そして人々の良心につけ込む卑劣な手口、さらにこれまで自分の心を苛み、仲間たちにも及ぶ謂れなき冤罪と抵抗不可能な見えない暴力、何より崇高なる主へ向けた汚らわしく邪な視線。
 咲夜はこれまで溜めに溜め込んでいた負の感情を全て駒に乗せた。
 私はその辺の半人前庭師とは違う。例えそれがナイフでなくとも、主から賜った武器を持った以上、私に切れぬものなど一切無い!!
 今、一連の負の連鎖を断ち切るべく、力強く王将の前に銀を打ちつける。それは今まで響いてきたどの駒の音より大きく鋭い音を部屋中に響かせた。そして相手の敗北を、冷ややかに抑揚の無い声で宣告する。

 「……王手。貴女の負けよ」

 その言葉を聞いてから永琳はようやく瞼を開き首を上げる。しかし開いた目を見て咲夜は愕然とする。なぜならいささかも落胆の表情は浮かべておらず、むしろまだ反撃の余地すら残しているように見えたからだ。そして無念にも的中してしまう。
 永琳は悪びれる様子なく、また流暢に話し始めた。

 「そうね、貴女たちの勝ちよ、将棋は。でも貴女の推理した私の計画はどうかしら? 確かもっともらしく聞こえるけど、所詮は貴女の推測の域を出ない。カラスの証言だってどこまで信用できるか疑問よ。だってゴシップ新聞のパパラッチ記者ですもの。裏づける証拠が無い以上、貴女は私を糾弾することは永久に無理ね。とりあえず今日はもう夜が更けてきたから引き下がってあげるわ。紅茶、ごちそうさま」

 そういって咲夜ににこやかに笑いかけて席を立とうとする。この期に及んで尚しぶとい諸悪の根源に咲夜は唇をかみ締めていた。
 そこへ、盤上に封筒が投げ込まれる。咲夜と永琳は同時に封筒が飛んできた先を見つめた。そこには紙を1枚だけ手にして笑みを浮かべるレミリアの姿があった。

 「そういえば、お前の口から『まいった』を聞いていないな。それが本当の王手だ」

 永琳はあきれるような表情で封筒を手に取り、中に入っていた厚手で手のひら大の紙を2枚取り出した。その瞬間の永琳の表情に、咲夜は唇をかみ締める力が抜けてしまった。なぜならそれは、今まで1度も見たことも想像したことも無い程狼狽した顔だったからだ。
 口を大きく開け、両目は大きく剥かれ、眼球は小刻みに震える。肌からは血の気が引くのがはっきり分かり、こめかみには青い筋が浮き立つのが見えた。
 いつもの永琳なら、笑うか表情を出さないかで、腹に据えたいちもつが読み辛いと思っていた。それが今は心の揺らぎをはっきりと見て取ることが出来る。紙の内容までは見えなかったが、彼女にとって余程のアキレス腱だったことは察するに難しくなかった。
 従者の心の晴れをレミリアは感じ取る。それに加え、予想以上の反応を見せた永琳がおかしくて仕方が無く、思わず高笑いを上げてしまう。

 「まったく、児童保護が聞いて呆れるわ」
 「レミリア……貴様……!!」
 「どうした? 地が出ているぞ、ロリコン薬師」

 完全に仮面を脱いだ永琳の本性に、いつもの物腰の柔らかさも知性の欠片もない。手にしたものを封筒ごと握り潰しながら肩を振るわせている。ひとしきり笑ったレミリアは、すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけながら語りかける。

 「うちの者が散々世話になったんだ。同じものでお返しをさせてもらおう。文、あれを今度の『文々。新聞』で使ってくれないかしら?」

 それを聞いた永琳は封筒持った腕を振り上げた。

 「倍以上のお返しをありがとう……。まったく、お釣りを投げ返したいくらいよ!!」

 ついに言葉だけでは足りなくなった怒りを込めて、永琳は手にしたものをレミリアに向けて力の限り投げつけた。だがレミリアは目を瞑って、冷めてしまった紅茶の残り香とうまみをかき集めるのに集中している。投げられたものを避ける素振りを微塵も感じさせない。このままではその額へ無様に永琳の怒りをぶつけらてしまうのは間違いなかった。
 いよいよレミリアに当たるか、というところで、投げられた封筒と紙は不意にその姿を消す。文とパチュリー、そして永琳は、それが急に消えてしまったように見えた。しかしそれがレミリアの横の窓枠にて、ナイフで磔にされているのを発見する。
 そのナイフはいわずもがな、咲夜愛用のものだった。
 咲夜は永琳に視線を定めて右手でナイフを構えたまま、左手に後方へ向けた投擲の余韻だけを残していた。
 この時永琳は自分の想像が正しかった事を確信する。やはりレミリア攻略にとっての一番の障害が、この恐ろしいほど冷たい目で見据えるメイド長だったことを。先程までの熱く燃えた怒りは、背中に流れるたったひと筋の冷汗で完全にかき消されていた。
 冷静さを取り戻した永琳は足早に部屋のドアへと向かう。今度は何者も止めることはなかった。そして退室際にレミリアに向き直る。
 「レミリア、完全に負けたわ。『まいった』よ。もう貴女に手出しはしないわ」
 「口約束は信用ならないが、覚えておくわ」
 レミリアは相変わらず冷めた紅茶を味わいながら、永琳の誓いを話半分で受け取る。永琳が静かにドアを閉め、2人の戦いはひとまずの決着を迎えた。



 
 ※  ※  ※




 「咲夜さーん、大丈夫ですか!?」

 美鈴が勢いよくドアを開けて、来賓室に飛び込んでくる。室内に居た4名のうち3名は、その慌てぶりを気にせず淹れたての熱い紅茶を味わっている。咲夜だけはこの不躾な部下に品性を教え込まねばと、近づいてナイフをちらつかせる。

 「ノックもせずに入るとは非常識よ。しかも主の前でそれをするなんて。明日からまた教育のし直しだから覚悟しなさい」
 「あ、という事は……あーん、良かったー!!」

 怒られているにも関わらず喜んで抱きついてくる美鈴を華麗にかわし、それと同時にナイフを1本眉間に突き立てるメイド長。しかし今の美鈴にとってこのナイフの痛みは、いつもの咲夜が帰ってきたことを実感するに十分なものだった。いつも口うるさくてたまに優しくて、頼りになって憧れである上司が帰ってきたことをである。
 その2人のやりとりを優しい眼差しで眺めていたレミリアは、窓を開けて月光を浴びる。山から吹いてきた夜風がレミリアの髪をそっとなでる。少し乱れるやわらかな淡い藍色のウェーブヘアーは、揺れるたびに月光を、室内にいる面々の瞳へと送り込んだ。誰もがその輝きに心を奪われ、しばし言葉を失ってしまう。レミリアは途端に静かになった室内が気になり振り返る。

 「どうしたの、急に黙り込んで?」
 「恐らく天使が部屋を通り抜けたんでしょう」
 「何っ!? 悪魔の館を素通りなんてふてぶてしいやつね!」
 「あまりの恐怖に、もう逃げていきましたよ」
 「咲夜、今度見つけたら捕まえておきなさい!!」

 部下の戯れ言を主は真に受ける。それを見ていたパチュリーはこんな光景が再び見れることに喜ぶと共に、いまだに夢ではないかと疑っていた。この度の相手は幻想郷でも油断のなら無いキレ者のひとり。知識でいえば自分も負けないが、策士としてはまともにやって勝てる気がしない。そんな相手を退けたことにいまだ実感が沸いていなかった。

 「本当に終わったのかしら?」
 「フフッ、どうかしら。本当はもうひとつ目的が見えていたの。想像だけど」

 レミリアの口調は軽いが、衝撃的な発言に一同は固まる。また訪れるかもしれない侵略と、さらにレミリアが見えていたという目的に、誰もが言葉を発せず次のひと言を待つ。そんな周りの期待と不安を楽しむようにカップを傾けるレミリア。そして月を見上げながら、自らの考えを述べ始める。

 「おそらくあいつの本当の目的は輝夜のためじゃないかしら。結局そこまでは線を結べなかったけど、あいつのこれまでの行動を考えればそんな気がするの。咲夜、貴女も従者としてあいつの気持ちが分かるはずよ」

 そういわれて咲夜は、ふと自分を永琳と置き換えてみる。今の自分は全てにおいて主を第1に考えるようになっている。今まで無意識だったので気にしたことはなかった。勿論自らが望んで仕え始めたという経緯はあるが、それが無意識になる程、頭の隅々までその想いが染み込んでいた事に改めて気づかされる。その咲夜の様子を見てレミリアは続ける。

 「咲夜、貴女でさえ従者癖がついているのに、それ以上の従者暦を持つあいつなら、もう無意識という意識すらないかもね。何をやっても輝夜のためになっちゃうはず。ひょっとしたらあのロリコン趣味もそうなのかも。あくまで勘だけど」

 レミリアの推測を受け、やはり永琳再来の可能性は捨てきれないパチュリー。次回の戦況を分析するが、今回以上の分の悪さを覚えるばかりであった。

 「紅魔館、レミィと妹様の何を狙っているのか分かればいいんだけど、今のままじゃ対策が立てられないわ。ましてや向こうは粗を完全に埋めてくるでしょうね」
 「まぁ、また来たらその時はその時! 私は妖魔の頂点に立つものとして、貴女たちはそれにつき従うものとして迎え討つだけよ」

 一同は主の頼もしくも具体性の無い作戦に肩をすくめる。しかし紅魔館は改めてその結束を固めていた。ただし1人の部外者を除いて。

 「私は天狗チームですけど、ここにいていいんですか?」
 「えぇ、いいわよ。ただし、機密を漏らしたらどうなるか知らないけど」

 レミリアは文を軽く脅すため、顔を近づけた。しかし急に、何かを思い出したように文に怒り始める。

 「そういえば文、あんた来るのが遅い!! 時間稼ぐの大変だったのよ!!」
 「あややや、これでも急いだんですよ?」
 「危うく私のシナリオがパーになるところだったんだから!!」
 「それが永遠亭に忍び込むのでひと苦労、それから証拠写真を探すのでふた苦労しまして……」
 「もう契約するのやめようかと思ったわ」
 「あややや、そんなご無体な」

 咲夜は2人が自分の知らないところで示し合わせたのは気づいたが、『契約』という言葉が何を意味するのかは分からずにいた。

 「お嬢様、契約とは?」
 「ああ、これよ」

 そういってレミリアは、先程1枚だけ封筒から抜き取っていた紙を見せる。咲夜はその内容を確認すると、それは『文々。新聞』のスポンサー契約書であった。

 「とりあえず3カ月、資金提供することにしたわ」
 「当方としてはこれからも末永く良いおつき合いを…」
 「それはあんたの働き次第よ」
 「あややや」

 そんな主の独断に咲夜は特に驚きはしなかった。かといって反対するつもりも無い。全ては主の心を信じてつき従うのみであった。ただでさえ今回の件で並々ならぬ恩義を感じている。尚更進言する気持ちなど浮かんでは来ず、黙って主に契約書を返す。
 それを受け取ったレミリアだったが、いまだに何かを要求するように手のひらを差し出していた。その姿にはさすがに咲夜も疑問符が浮かぶ。狐につままれた顔で手のひらを見つめていると、主は要望を口にした。

 「咲夜、その胸にしまっているものを出しなさい」

 咲夜ははっとする。確かに先程出そうとしたが、それが何かは見せていない。それでも主は何が入っているかお見通しのように、怒るでも笑うでもなく手を伸ばして見つめ続けている。やや早まってしまったことに気恥ずかしさと申し訳なさを感じ、それを出すのを少し躊躇した。しかしそのガラス球より透き通った紅い瞳を前にすると、隠し事など出来ないように思えてしまい、結局差し出すことにする。
 その手に退職届が渡されると、レミリアは中を開いて見る事もせず咲夜に語りかける。

 「咲夜、その名前を授けた時の事を覚えている?」
 「はい、それは昨日の事のように」
 「なら、私のいったことも覚えているわね?」
 「はい、一言一句全て正確に」
 「悪魔は交わした契約を決して忘れないし破らない。その代わりその代償は必ずもらう。何があってもどれだけ時間が掛かってもね」
 「はい、心得ております」
 「なのに私はまだ咲夜からその代償を全部受け取っていない」
 「はい、おしゃる通りです」
 「私は要求したわ。お前の体を私の盾にせよ! お前の力を私の剣にせよ! お前の命を私の力にせよ! と。でも私はさっき剣を受け取っただけ。あ、でもあれはナイフだからノーカウントよね。やっぱりひとつももらっていない」
 「はい、申し訳御座いません」
 「だから勝手に契約を破棄して居なくならないでちょうだい。良いわね、またこんな事したら、一生口を利いてあげないんだから」
 「はい、その言葉を心に強く留め、何時如何なる時も従います」
 「絶対よ、絶対だからね!」
 「はい、メイドに二言は御座いません」

 今ここで改めて主に忠誠を誓う。主はあの時となんら変わらない姿で在り続けていた。しかし咲夜はあの時「はい」のひと言しか出せなったのに対し、今はしっかりとした口調で誓いを立てることが出来るようになっていた。はたから見れば傍づきの従者として、その誓いを十分に果たしてきたようにしか見えなかった。
 咲夜との契約を再確認したレミリアは手にしていた書を破り捨てた。

 「よし、じゃあこれは要らないわね」
 「あっ、レミリアさん! 私の契約書まで……!!」
 「あっ、ごめんごめん。また新しいの持ってきて」
 「あややや……」

 咲夜は再び吹き込んだ涼しい夜風を浴びながら満月を見上げる。そしてその大きさ、その輝きの強さ、その美しさを改めて感じていた。




 ※  ※  ※




 満月の夜から数日後、盛りを過ぎた博霊神社の桜を眺めながら、縁側でお茶をすする者が3名いた。
 1人は紅白の巫女装束、1人は白黒の服に大きな三角帽子を身に纏っている。そしてもう1人、紫色のドレスを上品に着こなし、無造作に髪を纏め上げ、垂れるいくつかの金髪と白く透き通ったうなじから色香を漂わせる者。彼女は中空に開いた裂け目から半身だけ乗り出していた。
 紅白と白黒は舞い散る薄桃色の花吹雪の荘厳さを味わいながら、一方はそのお茶の熱さ、一方はほどよい甘さの饅頭に酔いしれている。

 「やっぱりお茶は熱いほどうまいわねー」
 「やっぱり饅頭はつぶ餡だぜー」

 この2人は花より団子状態だが、もう1人は花より新聞。溜めておいた『文々。新聞』数号分を取り出し、冬の間に起こっていた幻想郷の出来事に目を通していた。

 「あー、こんな面白そうなことあったんなら、二度寝しなきゃよかった」
 「紫が1回で起きたなんて話、聞いたことないわよ」
 「それにしても今年は起きるの遅かったな。どうしたんだ?」
 「春眠暁を覚えず、ってやつよ」
 「だったら毎年のことじゃない。理由になってないわよ」
 「それが今年の布団の魔力、いつにない程強力でね。起きようと思えば思うほど私の力を奪っていくの。そしてどんどんモラトリアムの楽園へと引き込んでいくのよ。わたしの境界の能力もまったく歯が立たず、あのまま藍に布団を剥がされなかったら1年間寝過ごすところだったわ」

 紫と呼ばれる者は、自らの味わった恐怖体験を熱く語り聞かせた。しかし2人にはその恐ろしさは片鱗すら伝わっていなかった。そんな2人のつれない反応に呆れながら、紫は再び新聞の最新号へ目を移す。そのトップ記事では、ある者のスキャンダルが大々的に報じられていた。

 “えーりん? いいえ、ローリんです
  カリスマ薬師に児童虐待疑惑発覚!!
  良心を食らうおぞましき計画が判明”

 見出しから続いた記事には、先日紅魔館で起こった一部始終と、名声を得てきた薬師の真の目的が洗いざらい記されていた。ただし写真は、テーブルを挟み対峙している紅魔と薬師の姿写っているもの1枚であった。

 「しかし、あの吸血鬼のお嬢ちゃん、将棋が出来るほど頭良かったんだ」
 「私が教えたのよ、丸1日かけてね。急に神社にきて、急に将棋教えてー! ってすごい剣幕で迫るんだもん。しまいにゃ断ったら祟るなんて脅すし。これ以上祟り神が増えたらお賽銭がさらに減っちゃうからつき合ったわよ。それにしてもあそこの連中は、ものの頼みかたを知らないやつばかりね」
 「ものの頼まれかたも知らないぜ。借りてくっていってんのに盗むなっていうし」
 「まったく、くせ者ばかりで嫌になるわね」
 「「お前がいうな!!」」

 紅白と白黒にぴしゃりとされる紫だが、慶事と弔事に同時に否定されて私はどうすればいいの? と意味不明なことで落ち込んだ。しかしすぐに立ち直り、今度は事の発端となった数号前の記事から再び読み直す。そして肝心な事が書かれていないのに気づく。

 「それにしても……」
 「どうしたの?」

 直感でその言葉が気になった紅白は、その後に続く言葉を紫に問う。それを受けて紫は、自分が一番疑問に感じていたことを2人に聞く事にした。

 「それにしてもあのメイド、本当にロリコンだったのかしら?」

 それを聞いた紅白と白黒は思わず顔を見合わせ、同時に呆れたようにため息をつく。そして紫に向き直ると、毅然としてその答えを言い放った!

 「当たり前じゃない!!」
 「今更だぜ!!」

 一片たりとも迷い無く、さも世界の常識といわんばかりに自信満々で応える2人。その気迫に紫は、やっぱりかと納得せざるをえなかった。今、紫の心は上空の見える空より青くすっきりと晴れ渡っていた。
 そんな3人の前を一陣の花吹雪が吹き荒れる。ふわりと舞ったものががそれぞれの服や足元へとひらひらと落ちてきた。しかしその中にひとつだけ、鋭く速く突き刺さるものがあった。それは他のものとは異質で、陽光を照り返す滑らかな表面と、細く薄い刃、そして紅白と白黒に向けた怒気を持っていた。
 縁側の3人はそれが降ってきた方向へ視線を向ける。するとそこには、大きな日傘を差した白い肌に紅い瞳の少女と、その後でナイフ片手にうやうやしく控えるメイドの姿があった。そしてもう片方には酒瓶と杯一式を携えていた。それを見た白黒は2人に力強く提案する。
 
 「霊夢、紫。今日の宴はお花見とお月見だ!」

 それに応えるように紫も空間の裂け目から一升瓶と重箱を取り出す。既に飲むつもりで用意していたかのようである。
 それを見て霊夢は一句を口から取り出す。

 「望月の 運びし杯 ツキはつく、かしら」

 その日の宴は夜桜がその妖しさと艶やかさを魅せるまで続いた。
 
 
 
ツキのつかぬものからの続きです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
永琳には酷い役割させましたが、個人的には「あらあら、まあまあ」な印象です。
なので、今度はそんなSSが書ければ……。

表現の貧困さ、構成力など地力が低い部分はありましたが、
率直な感想を聞かせていただければと思います。
よろしくお願いします。
拓ドング権
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コメント



0.200簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
これは良いカリスマお嬢様と瀟洒な咲夜さん
久方ぶりにカリスマ供給過多になりました。御馳走様です
3.50名前が無い程度の能力削除
他にも気になる点は在りますが、特に壁に落書きの件は違和感を覚えました。
今作では人間と妖怪の共存がかなり進んでいるようでしたが、
妖怪の尊厳を馬鹿にするような行動をして、果たして無事にすむのだろうかと。
内容をもっと煮詰めれば化けれる作品だと思いました。
7.70名前が無い程度の能力削除
久しぶりのカリスマフルなお嬢様でした。
8.90名前が無い程度の能力削除
えーりんやべええええええええええええwwwwwww
幼女に一体どんな事を・・・・
9.70名前が無い程度の能力削除
なんか最後のやり取りで今までの瀟洒なメイド長が
すべて台無しになった気が・・・結局どっちもロリコンですかw
殺伐とした幻想郷。だが、それがいい。
紅魔館と永遠亭は対立関係の緊張感があってこそだと思います。
今回永琳は悪役に徹した訳ですが、これはこれでありだと。
あとお嬢様が公式に近いイメージでかなりはまりました。
惜しむらくは、もうちょっと永琳以外の永遠亭側の動きがあれば
なお良かったと思います。
10.無評価拓ドング権削除
貴重なコメントをいただき、どうもありがとうございます!
処女作にこれだけ反響をいただけて大変うれしいです。
とはいえ、作品自体は他の方々には遠く及ばない内容で、ご指摘
いただいた点を含め、描写不足で伝えきれなかった部分が多数あ
りましたね。
各々へのレスは控えさせていただきますが、これらの意見を次回
への教訓にしたいと思います。
12.無評価名前が無い程度の能力削除
>そしてその勢いにまかせて読んだ巨大な突風に乗り
呼んだ、ではないのでしょうか。
違ったのでしたらすみません。