目が醒めると、そこは暗闇の中だった。
何事かと一瞬当惑したものの、その答えはすぐ知れる。
目が慣れたとき、周囲を見渡すとそこに広がるのは白骨の山だった。
詳細はわからぬ。しかし自明のうちに、危険な場所に連れて来られたと理解した。
「けど、こういうときも天狗はうろたえない。まずは、目を瞑って冷静になるべし」
だが、焦りはしない。
むしろ、よりによって烏天狗を連れ込むとは、度胸のある輩がいたものだと思う。
はたては不敵に笑って、瞼を閉じて状況を見つめ直した。
「たしか、私は人里付近で新聞のネタを探していた」
はたての頭の中では、既に犯人の予想が立っている。
むしろ断然、探していたネタこそが、この異常の元凶に違いなかった。
「あれは、そう……」
というのも、とある怪談じみた事件を追いかけている最中だったのだ。
それは人里で子供らから聞いたもので、『雑木林の人喰い樹』という怪談。そのまま人里近くの雑木林が舞台である。人喰い樹の正体は"この樹"とは決まっていない。運が悪いと出くわす存在で、唯一、人喰い樹の影がいつでも真黒なのが目印だ。もし、その影の上を通れば、哀れ犠牲者は人喰い樹の餌食になってしまうのだ。
まぁ、普通に見ると、よくある怪談である。はたても、初めはさして興味も引かれなかった。だが、それが単なる怪談ではなかったと、知らされたのがつい昨日のことだ。
「子供が消える事件が発生。そして、一緒に遊んでいたらしい子供達が口々に"友達が樹に食べられた"と言って大人に泣きついた。そのとき偶々通りがかっていた私は、取材こと立ち聞きを敢行」
一人の女の子が樹に喰われる瞬間を、子供達は目撃してしまった。
曰く、穴に落ちたように、ストンと消えてしまったそうだ。おもわず、穴に落ちたのだと思って助けようと近づいたが、いざ覗いてみるとそこに穴など無い。土を払ってみても、子供一人が収まるような空間は無かった。
後になって大人達が、それらしい樹の根元を掘り返し、調べてみてもまるで痕跡は無い。
「本当に樹に喰われたのか。どこかの別の妖怪に攫われたのではないか。そんな考えが大人達に広がる中、新たな証言者が現れた。大人に信じてもらえず子供達が不安がる中、実にタイミング良く。ああいう、どんなときも子供達の味方として駆け付けちゃう感じの大人には憧れるね」
新たな証言者は、歴史を食べる半獣こと、上白沢慧音だった。彼女が能力で雑木林の歴史を覗き見たところ『その女の子が樹に喰われたのは間違いない』そうだった。問題はそれが"どの樹"であるかだが、それが皮肉なまでに怪談の通りで、"この樹がそうだ"とは特定できないらしい。理屈はわからないが、そういう妖怪らしい。
だが、樹の妖怪がいるのは間違いないらしい、と皆の考えは一致した。
そのまま妖怪退治、といければ良かったろうに。しかし、既にとっぷりと日は暮れて、妖怪と戦うには都合が悪かった。誰かに事件の解決を頼んでも、すぐには来てくれそうもない。だから、明日また太陽が昇ってから博麗の巫女に解決を依頼しに行こうと一人から提案があると、話はその方向に流れた。その日の大人達の話し合いは、それで解散となってしまった。
そのときの慧音のもどかしげな表情が、とても印象に残ったものだ。
「しかしその陰で、敏腕新聞記者である姫海棠はたてが独り立ち上がる」
明日と言わずその日のうちに真実を解き明かして事件を解決してしまおう、とはたては思い立った。ちなみに、まだ消えた子供が死んだとは限らず、それならむしろ一分一秒を争う状況だったから、これは良いアイデアだと思った。
なお断っておくと、子供達の味方の慧音先生かっこいい、真似したい、などと思ったわけではない。いや、ちょっとは思ったかもしれないが、それほどでもない。
そうして、はたては細かい事はさておき夜中に一人きりで、雑木林の樹の根元を片っ端から踏みまくったのだ。時期外れのジメジメした熱帯夜に、汗だくになりつつ。
その成果がコレである。
断じて、それがこのざまである、などではない。
喰われた瞬間こそ気を失ったようだが、今のはたては余裕しゃくしゃくだ。目を開けて、調査だってする。足元の骨を拾い上げて、考察だってできた。
「ふんふん、見たところ赤子の骨ばっかりね。いままで喰われていたのは捨て子とか、そういうのが中心だったのかしら」
あと、肉が残っているミイラ風の死体もあるにはあるが、総合して白骨が多い。
千では足りない死体の中には、古い骨もだいぶ混ざっている。この人喰いの樹は、相当に年をくった妖怪なのだろう。だが、ここの乾燥した空気といい、肉のついた死体がいくらか残っていることといい、消化能力はひどく弱い。おそらくは己の空間、結界に閉じ込めておくことが能力の中心なのだ。結界の中で自然に死んだ獲物を、風化させるように、ゆっくり消化するのだろう。
「骨も丸ごとばっかりだし……。当座の危険は無さそうね」
このぶんなら、中を調べて回る程度の時間は、十分に確保できそうだ。
「まずは、消えた子供が生きてるか確認しよっと」
そう判断して、はたては意気揚々と白骨の山から下り、周囲の探索を開始した。
「何か居るっぽい……?」
だが、捜索を開始してからはたては妙な気配に気付く。視線ではない。しかしねっとりと絡みつくような、獣が獲物を狙うような雰囲気を肌で感じていた。
それがこの樹の妖怪の気配なのか、そうでないのかはわからなかった。
「ま、いいや」
だが、漠然とした不安から周囲を警戒し、同時にやる気を漲らせていたのも最初だけである。この黒いドーム状の結界は、天井は飛べるほど高いが、横幅は数町だけと存外に狭かった。緊張しつつ歩いていただけで、目的は早々に達成してしまった。
「あ……。おーい、助けに来たわよー」
結界の一角で、小さくなって震えていた子供に声をかける。
話に聞いていた特徴と一致する。齢七つごろの、おさげの女の子だった。
近くで様子も観察するが、可愛らしい顔を泣き腫らしているだけで、ひとまずは無事らしい。なんだかんだ言って、彼女を助けることを目的にしていたはたてはホッとする。機嫌をとるように、ポケットからチョコレートをとり出してみせる。
「食べる?」
「お姉ちゃん、だれ……?」
だが、受け取ってはもらえず。つい苦笑い。
まぁ、この状況で目の前に妖怪が現れたら、警戒して当然だろう。仕方ない。
「お姉ちゃんが、わたしをここに?」
「違う違う」
笑顔は絶やさない。しかし、助けに来たのにまず疑われたのは、少しだけ凹んだ。
「私はただの天狗の新聞記者よ」
「ほんと!?」
「え、え?」
そして、新聞記者と聞いた途端に、女の子が『文ちゃんと一緒?』と尋ねつつ目を輝かせたのには敗北感。妖怪でも、文は信頼できるらしい。これは、かなり悔しかった。
だが、ここは友人の日頃の努力に感心しておくべきだったのだろう。ちょっと人間に信じて貰えなかっただけで、すぐに妖怪だから云々と言い訳を考えた自分の度量の狭さが何より問題だ。いや、そもそも思いつき半分で、半獣の教師の真似ごとをしようと思ったのが幼稚すぎたか。
「うん。文の友達で、はたてって言うのー」
「そーなんだ!」
微妙に鬱が入ってくる。いくら時間をかけても彼女らに敵う気がしなくなってくる。状況と無関係だろうに、何度も笑顔が歪みそうになり、慌てて繕った。
アブナイ。これ以上はいけない。
「文とは何百年も昔からの友達でさ」
はたてには、子供相手に一対一で信頼を築くのはハードルが高かったようだ。かといって、笑顔を無くしても本末転倒。はたては考えることをやめて、この場は必死の作り笑顔で、文の威を借りて乗り切ることを決めた。
「会うたびに口喧嘩になるのに、なんでか一緒に居ることが多いんだよね。遊ぶときもいつも最初に誘っちゃう感じで」
「ふーん……。ねぇ、お姉ちゃん。ここってどこ?」
「たぶん、いじわるな妖怪のお腹の中かな。恐かったでしょ? 慧音先生とかも待ってるし、一緒にお家に帰ろう?」
そうして、はたてが手を差し出せば、女の子はしっかりと握り返してくれた。
文のおかげにせよ、かろうじて信頼が得られた。一歩前進だ。
ちなみに脱出方法はまだ少しも考えていない。だが、最悪の場合でも博麗の巫女を待てば良いことだった。はたてが来たことで、一人で恐怖と闘っていた女の子がひとまず安心し、事実上の身柄の保護もできた。それを何より喜ぶべきだと思った。
「あのね、私のほかにも子供がいるみたいなの……」
そう、思っていたのだが……。
「え?」
「あっち。ほら、声が……」
女の子の指差す方を向けば、遠くから声が聞こえてくる。
―――ァァ……ァァ……
思わず耳を澄ましてしまう。そういう声だった。
だが、それはこの場に於いては、おそらく最も不吉なものだ。
「赤ちゃん……?」
赤子の泣き声だ。最初に見た、赤子の骨が脳裏をよぎる。
―――ァァァァ……ァァァァ……
泣き声は、一つ、二つ、どんどん増えていく。
けど、数えられたのも始めのうちばかり。すぐに数など分からなくなる。
まだ声は遠い。だが、これから何が起きるのか、はたてには予想がついた。
―――ァァァァァァ ァァァァァァ
近づいてくる。闇の向こうから、うねりのような赤子の声が。
「ごめん、ちょっと大人しくしてて」
はたては迷わず、女の子の胸元に一枚の写真を押し込んだ。
続けて、携帯していた香木を組み、即席の護摩を焚く。こんな不作法で、鉤召できるのは知り合いの大天狗の分霊ぐらいだが、この場では来てくれるだけでもありがたい。パワハラの如く買わされた大天狗のサイン入りブロマイドを、今までは冗談で魔除けとして使っていたのを、このたび本物の魔除けに格上げするのだ。
僅か数十秒の儀式で、ほんのりと女の子を包み込んだ赤い火は、鉤召の成功、わずかにせよ加護を得られた証しだった。大天狗の強面は、悪鬼に睨みを利かせる守護と化した。
「あれ……?」
しかし分霊の力が想定より弱く、大天狗との会話はできそうにない。
おそらく妖怪の結界のせいだろう。
けれど、本当に困ったときに力を貸してくれた上司には、感謝しておく。
「ま、これでも乗り切れるわよね。大天狗様ありがとうございます」
ここは欲張るまい。大天狗への連絡は成功した。女の子を守る準備も一応は整った。
「私も覚悟良し」
はたては顔を軽く両手で叩いて、気を引き締めた。これから来たるべき相手を迎え撃つ。
この妖怪の結界は、きっと死者の霊も抜け出せない造りなのだろう。
それで、ここで死んだ者達がいったいどうなったのか。
蠱毒のような環境で何十年も時間を経れば、いつしか濃密な死者の念は澱のように溜まる。そういった純粋な怨念からは、おぞましい怪物が生まれるものだ。ただでさえ、いつまでも現世に留まった人間の霊はほぼ例外なく悪霊と化す。ましてや妖怪の腹の中で、もがき続けたならば。
―――ァァァァァア! ンギァァァァァア!
女の子が無事だったのが奇跡。それとも、はたてが"アレら"を刺激してしまったのが悪いのか。実際がどちらなのか知る術はない。
だが、はたてはその姿を見るなり、率直に言ってしまった。
「うわっ、きもちわる」
女の子の目は塞ぐ。幼い子供には、とても見せられない。
天狗が言うのもなんだがそれは、一から十まで、人間に害を為すだけの存在だった。
「もう完璧バケモノじゃん。えんがちょえんがちょ」
この暗闇の中、ハイハイを覚えるより前に死んだのだろう。霊と化してから、長い時間のうちに手足は消え失せ、代わりに得たのが無数の脚。胴から直接に伸びたそれらに指はなく、小さな爪がついているばかりなのは、カギムシのそれのようだ。
そんな脚を規則正しく回転させ、赤子の肉感を持つがゆえに"ペタリペタリ"と音を立てる。そんな、大人の熊ほどもある赤子が這い寄って来るのだ。
直接見ずとも、悪霊の気配に女の子は怯えてしまっていた。
異常に大きい、顔面の大半を占める歯のない口も、不気味な泣き声を響かせている。口腔は真っ暗な底無し沼のようで、絶望の匂いを漂わせる。あぁ、あの口で人間の精神的なものを喰らってきたのだろう。言わずもがな、同胞の霊さえも。
結界内の死体に欠損が少ないからと、安心したのは早とちりだったと分かる。
「人間になる前に死ぬとああなるのかな」
はたてに目隠しをされた女の子がしきりに『なにがあったの?』と聞いてくるが、『大丈夫』とだけ何度も答える。しかし、それではまったく思いが通じないらしい。
焦れる。正体が分からないよりは、いっそ見せてしまった方がいいかもしれないとさえ思う。
―――ンギァァァァァア!
この奇妙な泣き声のせいだ。せっかく安心させてあげたのに、また女の子が怯えてしまうのは。
「あー、もう、なんでこうなるかなぁ……」
もう、どれだけ大丈夫と言っても安心してくれないから、仕方なく、はたては本格的に覚悟を決める。女の子には予告と、『恐いと思うけど、大丈夫だから』とだけ言って、そっと目隠しを外した。可哀想に、わずか数間の距離に、おぞましい悪霊の姿を見てしまっただろう。はたては内心、女の子がパニックを起こして当然と諦めていた。
「っ……!」
だのに、生まれて初めてだろう恐怖と悲鳴を、女の子は噛み殺してみせた。
そして、はたての方を心細げに見た。
その瞬間のはたての気持ちは、理屈としてはよくわからぬ。しかし、はたては兎に角、その勇気に報いなくてはいけなかった。
「安心しなさい! 私が守ってあげるから!」
だから正面に居た一匹を、山も砕けよとばかりに、全身全霊で蹴り飛ばして見せた。派手な音と共に、巨大な悪霊が水平に飛び、仲間も巻き込んで遠くで結界の壁にぶつかると気分はスッとした。
さすがの悪霊も、これには唖然としたのだろう。一瞬だけ、全体の動きが鈍くなる。
まぁ、結局はこれが合図になって、にわかに他の悪霊も襲いかかってきたのだが……。
「へへっ、やらせないわよ」
好都合なことに、この悪霊達は自由に空を飛べる系統ではなかった。女の子を両腕で抱えると、はたてはさっさと空中に避難してしまう。天井についても、数匹が未練がましく魚が跳ねるように飛びかかってくるのだが、それとて蹴落としてしまう。ただ、さっきといい、どこぞの鬼のように悪霊も軽く踏みつぶせれば良かったのに、悪霊相手に止めまでは力が及ばないのは、非常に歯痒い。
「(さて、これからどうしよっかな……)」
敵は倒せないうえに、数が多い。パッと見たところ同型が十匹ほどいて、素のはたてでも正面から戦えば不利は否めない。子供という泣きどころがあればなおさらだ。
だが同時に、こちらが制空権をとっていることは、それを補うほどに有利に働いた。
双方の有利不利が相殺されて、はたては両腕が塞がれても、悪霊達とは互角でいられた。
「(でもなぁ……)」
そう思う一方、手詰まりの空気も既に感じていた。
女の子の保護の次に肝心な、自力脱出の手段がまだ一つも頭に浮かばないのだ。
朝になれば博麗の巫女は来るだろう。そうすれば、結界の専門家のことだから即座の解決も期待できる。だが、万が一にも来なかったら。天狗のはたてはさておき、人間の女の子がどれだけこの状況に耐えられるか予想がつかない。
持久戦はなるべく避けたい。大天狗との繋がりの維持を含め、女の子を悪霊から守る作業に専念させられている現状はあまり好ましくなかった。そろそろ欲目を出して、動かないといけないのだが……。
「(あんまり雑に扱うと、この子が壊れちゃいそうだし……)」
他の烏天狗ならさておき、はたてには難しかった。
個人的に、はたては並列作業がかなりの苦手だった。腕の中の"か弱い生き物"への配慮を第一とすると、他の集中力を必要とすることには、容易に手を出せない。
はたては度々跳んでくる悪霊を黙って迎撃し続ける。何の方策も持たない妖怪に必死で抱きついて命を繋いでいる女の子に言い訳はできず、助けに来たと言いつつ大して何もできないことに、ばつの悪さを感じながら。
◆◆◆
どこで何が起きていようと自由奔放な巫女は、気楽な朝を迎えていた。
いつものように布団を畳んだら、いつものように朝食。いつものように境内を掃除。それからお茶を飲んで、昼前からのんびりしようと思っていた。
だのに、着替えも済まぬうちに来客があったものだから、ため息が出てしまう。
「霊夢殿はおられるか!」
霊夢は規則正しい生活を送っているから、丁度起き出すタイミングを見計らっていたのだろう。上白沢慧音が、庭で霊夢を呼んでいた。
「こんな朝っぱらから何?」
「妖怪退治をお願いしたい。食事はこちらで用意するゆえ、急ぎ人里まで来ていただけないだろうか」
面倒臭いとは思った。
「ん、わかったわ」
しかし霊夢はなんとなく、話も聞かずに頼みを承諾していた。
道中にやっと話を聞けば、急ぎの用件であるが早朝に叩き起こして妖怪退治の調子が狂っても困るとして、日が昇るのを待っていたらしい。なんとも健気なことだ。
用件の内容は、子供が妖怪に攫われ、神隠しのように消えたというものだった。
「神隠しなら、胡散臭くて怪しいのが一匹いたわね」
「いや、犯人の正体はほとんど掴めているんだ。雑木林に住んでいる、樹の妖怪だ」
「雑木林に、樹の妖怪? そんなの聞いたことがないけど」
初めて聞く妖怪に話に、霊夢は半信半疑で耳を傾ける。
「あぁ、ずっと表には出て来なかった妖怪だ。それらしい存在は人里の記録にも残っていたが、つい昨日まではそれが妖怪と誰も気付いていなかった変わり種でな」
古いものでは、霊夢が生まれる以前に記された書物の中にもヒントが隠されていたらしい。それは人里にとって重要な、掟の文書。
「人里では、春の雪解けまでは雑木林に入ることが明確に禁じられている。それは里にとって大切な木の管理が目的のようだが、他にも暗黙の了解があったことがわかった」
「っていうと?」
「その時期の雑木林は、どうも近隣の村々の間で、子捨てや間引きの場所として使われていたらしい。らしいというのは、誰もその雑木林で子捨ての現場を目撃した人間がおらず、自分がやったという人間もまた、噂以外の記録が存在しなかったからだ。だが、私が能力で調べたところ、飢饉の年などでは、多いときには雑木林で五十人近くが殺された年さえあった」
いくらなんでも、普通ならそんな規模の人死が誰の目にも触れぬわけがない。常識からしても、あまり死体を放置しては疫病の元になり、里人も見過ごすわけにはいかなくなる、と慧音は言った。
「そもそも、捨て子を見て見ぬふりが、どうかと思うけど……」
「仕方ないんだ。誰もが自分で精一杯で、他人を見る余裕が無いのが人間だ」
一方で、霊夢の問題意識は話の本筋からはズレていた。
そこで慧音はそのまま一人で話を続ける。
では、なぜ暗黙のうちにせよ、捨て子等が長らく許されてきたのか。その答えとして、慧音がさらに詳しく調べたところ、捨て子は生死を問わずに、すべて一匹の妖怪に食糧として処理されていたことが判明した。その妖怪こそが、霊夢が退治を依頼された今回の事件の犯人にあたる。
ずっと雑木林から出ることなく、自主的に人間を襲うこともなく暮らしていたのだ。
「ふん、そこまでわかってるなら話が早いわね」
慧音の話がおおかた済んだところ、人里の屋根が見えた。
腹ごしらえを済ませたら、雑木林に行って、さっさと片付けてしまおうと霊夢は心に決める。
単に捨て子ばかり食っていた貧相な妖怪相手なら、手こずるなんてあり得ない。
人里で出される食事は何だろうかと、気楽なままに霊夢は歩みを進める。気負いも使命感も、まるでその胸中には無かった。
実際、雑木林に近づくだけで、すぐに霊夢には妖怪の気配が感じ取れた。
長らく潜んでいたわりにはあっけない。だが、それが博麗の巫女の勘だから、といえば見つかっても仕方がない。普通の人間や妖怪を誤魔化すぶんには問題無かったのだろう。
「こっちよ」
霊夢は、攫われた子供を取り返したい、という理由でついてきた慧音も案内する。
「そんなに簡単に分かるものなのか?」
「えぇ、ごはんの時に聞いたけど、どの樹が妖怪なのかはわからないのよね」
「その通りだ」
「その認識は間違ってないわ。この雑木林全体が一匹の妖怪だから」
そして歩きがてら、自分達がどんな場所に居るのかも伝えておく。
ひどく驚いた様子の慧音だったが、かてて加えて言う。
「わからないのがたぶん普通よ。気配が薄すぎて、私もほとんど勘だもの。今向かっているのは、その中ではわりと濃いところ」
そこに妖怪の核のような物がある、と踏んでいた。
これだけ気配を隠すのが上手いとなると、それ自体も上手く隠していると考えるのが普通だろう。しかし、いざそこへ来てみると、それらしい輩がすぐに見つかる。
「いらっしゃい。来てくれたんだね」
それどころか、手をフリフリ、声をかけてきた。
待っていましたと言わんばかりの様子には、霊夢も少しだけ警戒する。
「あんたが例の妖怪?」
「うん。サービスで人の形になってみたんだけど、どうかな?」
「おかげで退治しやすそうだわ」
「そうなんだ、良かった」
意味のわからぬ会話をしかけてくるあたり、本物の妖怪らしい。
だが、異変のときと似た雰囲気に、不審がる慧音はさておき霊夢は少しだけ肩の力が抜けた。
「それじゃ、スペルカードで戦う?」
「えっと、実はそれだと問題があって……。戦う前に力を試させてもらっていい?」
「なによ、まどろっこしいわね」
「うっかりでも、私のお腹さえ喰い荒すようになった悪霊が脱獄したら大変。こっちは悪霊達が人里を襲わないように、見張りをしてるんだから」
そう言って妖怪の足元に、大きな影ができる。
そういえば慧音が言っていた、妖怪は真黒な影に人間を飲み込むのだと。
だが、今回はその中から奇妙な物体が這い出てくる。
「じゃあ課題その一、こいつを跡形もなく滅してくれる?」
一目見て、悪趣味な使い魔だと思った。
その物体は元は人間の赤子だったようだが、しかし原形をほとんど留めていない。
人間の気を引く、泣き声だけが真っ当に赤子らしい。
マイペースさが売りの霊夢であっても、嫌悪の情を顔に出さずにはいられなかった。
「それ、あんたが作ったの?」
「豚が体内でインフルエンザを変異させたら豚の責任?」
「よくわかんないけど、普通そういう豚は殺されるんじゃないかしら」
「あー……」
それを妖怪が意図して作り上げたわけではない、というのが救いだろうか。
しかし、凶悪な見た目をしているのに変わりは無い。
そんな使い魔の後ろ半分の、影でまだ繋ぎとめられていたのが。
「だけど、抗体さんの仕事は豚を殺すことじゃないし。今はとにかく免疫をお願いね」
ついに放たれた。
使い魔は、霊夢が想像していたよりも動きが早い。先に反応したのは、霊夢より力ずくの準備ができていた慧音だった。霊夢の前に割って入り、先制攻撃を仕掛ける。
謂われのありそうなクナイで、使い魔の顔面をハリネズミにしてしまった。
「止めは頼む」
「はいはい。陰陽玉で潰してフィニッシュ、と……」
怯んだところで、霊夢が召喚した陰陽玉で潰して息の根を止めた。
僅か数秒での、決着。滅された使い魔は、砂山が崩れるように形を無くした。
「すごいすごい!じゃあ、その調子で次……あ、ヤバ」
これでそちらの要求は果たしただろう、と霊夢が言おうとしたときだった。
妖怪が空を仰いだ次の瞬間、顔を青褪めさせて影の中に逃げ込む。
「え、ちょっと……」
「人質の安全確保のためとはいえ、アレはマズかったか……。お姉さん達には悪いけど、ちょっと逃げるね」
妖怪の頭の先までが影に埋もれた、直後、空から何かが降ってきた。
それは雑木林に小さなクレーターを作るほどに、勢い良く着地、いや、例の妖怪に飛び蹴りを喰らわせんとしたらしい。だが、身体への衝撃も考えると、そんな無茶をする輩は霊夢の知る限り一人だった。
「あ、文?」
「ちっ、逃がした……」
射命丸文の舌打ちが、霊夢のところまで聞こえてくる。
今は、新聞記者モードではなく、妖怪の山の天狗モードのようだ。何があったのか知らないが、目がひどく真面目なうえに、機嫌も悪そうだ。
「また変なタイミングで邪魔してくれたわね」
「いやいや、わかってて邪魔したのよ。実は、あの妖怪には天狗が落とし前をつけさせるべしと、大天狗様の命令があったの。そうすると、勝手にスペカルールで決着なんて困るでしょ?」
「なに、いきなりルール破る宣言?」
「私もきちんとスペカは使うわよ。そこまで本気だったら山が丸ごと動くから。まぁ、ちょっとだけ余計に痛い目に遭わせるよう、大天狗様から仰せつかっているわけ」
いろいろと、事情がありそうだ。天狗が嘘を吐く筈もなく、すると今の言葉が本気の本気ということになる。あの妖怪は、いったい何をしでかしたのか。
だが、一人であれこれ考えるのは控えておく。そんなことより、文が霊夢達よりも何かを知っている雰囲気を醸していた。そして妖怪退治とは、行く先々で妖怪をぶん殴って情報を聞き出すもの。
「で、霊夢。あの獲物をこっちに譲ってくれないかしら?」
「そうは言われても、こっちも仕事でやってるのよ。いつも通り、負けた方が洗いざらい知ってることを教えて、大人しくするってことでいいわね?」
「えぇ、言っておくけど今度は手加減しないから、せいぜい本気で掛って来なさい!」
これでようやく三人目である。
霊夢としては当然、躓いているわけにはいかなかった。
◆◆◆
はたて達の状況が動き出したのは、些細な思いつきからだった。
はたてには、悪霊に決定的なダメージを与えるだけの力がなかった。
物理的なパワーが十分でも、謂れのある武器などが持つ"攻撃力"にはあまり結びつかないのだ。弾幕ごっこではあまり意識されないが、本当の殺し合いでは重要になる。それが、装備が貧弱なために、はたてが戦ううえで最も大きな弱点になっていた。
ところが、はたてが思いついた打開策というのが。
「ナイストス! アァァァタァァァァック!!」
飛びかかってきた悪霊を弾丸の如く蹴り飛ばし、他の悪霊にぶつける。
悪霊自身を、武器にすることだった。昔、博麗の巫女が似たことをやっていたらしいが、はたても試してみると効果てきめんだった。悪霊と悪霊、相性が非常に良いらしい。
両手が塞がっていても、手頃な位置に飛びあがって来てくれるのがまた便利だ。おまけに、二匹の悪霊をぶつけ合わせると同時に片付けられる。
「一石二鳥とはこのことね!」
「お姉ちゃんすごい!」
「これが天狗の知恵だし! 私ってばマジ賢いわ!」
この悪霊達は、単なる物理攻撃が時間稼ぎにしかならない性質と、素早いうえに大柄な体格とが、戦いの際には申し分ない利点となる。しかし、赤子同然の頭脳に、他にどんな能力があるかといえば、天狗にしてみれば大したものではない。
鉄壁の防御が崩れれば、はたてにとってこの悪霊達は雑魚でしかなかった。
「ぴったり偶数っていうのも都合がいいわね! さぁ、これでラスト!」
結界内の全ての悪霊を駆逐してしまえば、ゆっくりと脱出方法も探れよう。
見渡す限り、もう女の子に害を与えそうな悪霊は一匹も残っていなかった。
それを確認すると、地面に降り立ったはたては、女の子を降ろし、軽く腕を伸ばした。
「ふー……」
「お姉ちゃん、喉渇いた……」
「あー、はいはい。水筒持ってきたから、あと、お腹が空いたらお菓子もあるわよ」
「食べる―!」
すっかり安心しきった女の子には、河童印のステンレス水筒とお菓子を渡す。
しかし、武器を持たずに水筒やらお菓子を持ってきたのは、今思えば苦笑いものだ。冗談を言えば、子供にお菓子を食べさせたあとは歯磨きだと思うのに、肝心の歯ブラシも家に置いて来てしまった。いろいろと、準備不足が否めない。
「まぁ、こうなったら、結界破りはいろいろあてがあるから良いけど」
はたては女の子が食事している間に、カメラを取り出して念写を試みる。
これは何が写るか不確定要素の高い能力だが、それも工夫次第だ。
絞り込むキーワードを増やすなり、固有の検索用語を設ければ、望んだ通りの写真を念写することも出来る。そして、はたては使い勝手の良い写真と、固有の検索用語をいくつかリストにしてまとめていた。
「っと、来た来た。博麗の巫女謹製、結界破りの御札が」
世の中、何がいつ必要になるか分からない。とはいえ、大量の道具を持ち歩くとかさばるもの。だから、はたては御札に限っては、少量の感光紙とリストとカメラを持ち歩くことで、必要なときに必要なものを作成し、賄うと決めていた。
集中力が必要で、戦闘中に役立つ能力でもないが、速さを求めなければ使い勝手は良い。
「ちゃんと効くかな……」
もちろん問題もある。例えば、他人の御札を念写しても、はたての実力以上の効果が出にくいこと。
おまけに相性も存在して、多くが自分で作ったもの以下になる。
よって、必要に駆られなければ、はたてが自分で作った以外の御札を念写することは無い。今回も、あくまで手段の一つとして試したつもりだった。他にも自分の御札を念写しておいて……。
「って、できた!?」
「え、なに?」
「外に出られるよ!」
だが、これは嬉しい誤算だった。この結界は、さして頑丈なものではなかったらしい。対結界の御札一枚だけ、それも複製品で、ちょうど子供一人が立って通れる程度の穴が出来上がっていた。
精密な代わりに壊れやすいのか。それとも、頑強さと引き換えに修復作用が強いのか。いや、どちらにせよ穴が開いたのに変わりは無い。
振り向いて見れば、女の子の表情は希望に輝いていた。
「ホントに帰れるの!?」
「あ、いや、何があるか分かんないし、手を繋いで行こうね?」
「うん!」
結界を通り抜ける手段が見つかり、また一歩前進。
はたては女の子の手を握って、いましがた出来たばかりの結界の穴をくぐり抜けた。
出た先がまた似たような空間だったなら、落胆しただろう。
しかし、劇的に状況が悪化するのも、またどうだろう。
「え……?」
まるで虫食いのように、穴だらけになった結界。
黒いドーム状の、形そのものは先ほどまでの場所と似ている。骨の山も存在する。だが、決定的に異なっていた。
その異質さは、不自然さとも言う。死体の山はあるのに、あの悪霊達がまるで見当たらないのだ。だが、それも穴だらけの壁と合わせると、すぐ一つの考えに結びつく。これは、イナゴが喰い荒した後の畑なのだと。
少なくとも、はたてにはそう感じられた。あの悪霊達を消し去った、より強力な何者かが潜んでいる。そう考えれば状況にも納得がいき、だが同時に、危険度でいえば前より悪化したと判断せざるをえないのだ。
「お姉ちゃん、ここって……」
「うん、失敗! けど、今度は穴がいろいろあるから、次行ってみよっか!」
しかし、女の子にそれを言っても無意味だと思った。
だから、はたては努めて明るく振舞い、女の子の手を引いた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「うっ……」
ところが、そんな天狗に対する反応は、女の子がよく落ち着いている証拠だった。
不安を隠そうとしているはたてにとっては痛い。生来嘘を吐くのが苦手で、簡単に表情を崩してしまい、後悔は先に立たなかった。
「あー、うん。ちょっと大丈夫じゃないかも……」
「えぇっ!?」
「さっきから喉が渇いちゃって……。もう限界……」
「は、はい! 水筒!」
「お、ちゃんと残しておいてくれたんだ? 偉い偉い。うん、これでもう大丈夫」
おかげで下手糞な、わざとらしい嘘を吐く羽目になった。
実際は、何が来ようと、はたてに負ける気などさらさら無い。だが、不安はそれとは別問題なのだ。女の子にしても、さっきまでの安心しきった様子から、表情に陰りが生まれてしまった。
「よし、それじゃあ先に進もうか。いざ勇往邁進!」
「ゆーおーまいしん?」
「勇往邁進!」
「ゆうおうまいしん!」
そこで今度は、はたては女の子と一緒になって、不安を打ち消すように声を出す。
完全に妖怪の結界から女の子を救い出すまでは、不安に足を取られるわけにはいかない。何が来ようと怖れるに足らず。己の力を信じようと、何度も自分に言い聞かせた。
はたてが頼れる大人になることが何より大切だと、まるで、わかっていたかのように。
◆◆◆
「え、ちょ、ちょっと待ってください。霊夢さん、これって……」
「あんたの負けよ。ほら、諦めて喋ること喋りなさい」
本当に、本気の本気だったのだろう。
弾幕ごっことはいえ、真剣勝負に負けて露骨に焦る文がそこにはいた。
一緒に居た慧音に協力を仰ぐまでもなく、霊夢は文を圧倒した。まぁ、人間の常識からすれば甚だおかしいが、これも博麗の巫女だから仕方がない。そして、どんな事情を背負っていたにせよ、約束は約束だった。
「いや、ホントに困るんです。後生ですから、私、このまま帰ったら大天狗様に……」
妖怪の山の天狗モードから、いつもの新聞記者モードに切り替わった文も、負け自体は認めていた。だが、新聞記者モードを通り過ぎて卑屈なまでに食い下がってくる。
「別に帰れとは言ってないわよ。そんなに来たければついて来たっていいし」
「え、いいんですか?」
「けど、知ってることは洗いざらい吐いてもらうわよ?」
そのあんまりな調子には、霊夢にも少しだけ文を憐れむ気持ちが湧いた。
それでプライドの高い天狗が、ホッと安堵の息を漏らすのもまた哀愁を誘うが。
「それでしたら、仕方ありませんね。いえ、喜んでお話しましょう」
これで文の気持ちが持ち直したのなら、細かい事はさておきだった。
そうして文が語り始めたのは、つい昨晩、妖怪の山で起きたという騒ぎの話だった。
烏天狗の、姫海棠はたての上司にあたる大天狗が突如、はたてに助けを求められたと言って妖怪の山を飛び出そうとしたのだ。もちろん大天狗とて組織の一員である。いきなり会議中に役目をほっぽり出して行こうとしたものだから、白狼天狗に取り押さえられ、事情聴取まで行われる羽目になった。だが、そこで判明したのが、はたてが一匹の妖怪に捕えられて身動きが取れなくなっている事実だった、と。
仲間意識の強い天狗のことで、さぞかし騒いだことだろう。
「幸いなことに、実際はたてはそれほど切羽詰ってはいないようでした。まぁ、心配性の大天狗様は気が気じゃないみたいですが」
万が一があってはいけないとして、殺気立つ天狗もいるそうだが。
「冷静に考えて、あまり事を荒立ててはいけません。はたての所在は、助けを求められた大天狗様が知っていましたし、私が代表して救出に来たわけです。山も、人里との兼ね合いがありますから」
文が、一か所だけ赤い点で目印がされた地図を広げて見せる。
その赤点が動くのが、なんとも天狗の地図らしい。
「そうそう、その助けを求められた内容ですが、慧音さんにとっては朗報ですよ」
「む、私の事情も知っているのか」
「はい。敵の情報を集めるのは戦の基本ですから。人里で起きた事件についても一通りは、夜中のうちに調査がされました」
傍らで、部外者のごとく話に耳を傾けていた慧音が、自分に関係のある話に反応を示す。文はニコニコしながら、そちらを見ていた。
「はたては、『人間の子供に守護結界を張るのを手伝ってほしい』という理由で大天狗様に助けを求めたようです。この地図の赤点は大天狗様との繋がりが確保され、守護が続いている証拠ですから、例の子供は無事と思っていただいて結構ですよ」
里に馴染みの薄い天狗が子供を守っている、というのに不思議そうな顔をする慧音だったが。
「なにより、はたては私の友人ですし」
「なるほど」
妙な説得力のある言葉で、一瞬のうちに納得させられた様子だった。
ちなみに文が普段から人里で何をしているのかと、霊夢が尋ねてみると。
「保護者に叱られても懲りずに子供らと一緒に遊んで、お菓子を配ったりしてるな。いたずらの悪巧みも一緒にしていて、大人の評判はさておき『文ちゃん』『文ねーちゃん』と子供達には大人気だ」
「へー」
「永遠邸ができる以前は、病気の子供がいる家におしかけて、薬をやるから三カ月ぶん新聞を買えと迫ったこともあったな。天狗の薬なんて、新聞何百年ぶんの金を積んでも普通は手に入らないんだが……」
つい文の方を見てしまうが、別に照れた様子もない。流石の、里に最も近い天狗だった。しかし、慧音が続けて曰く、成長した人間には途端にドライになるそうで、徹底ぶりも窺えた。
「子供達といえば、そうそう」
「なんだ?」
そんな人里の子供の事に関して、妖怪として一家言ありそうな文が慧音に尋ねる。
「子供達の間で広まっている"雑木林の人喰い樹"っていう怪談が聞かれるようになったのは、かなり最近のようですが、天狗総出で調べても出所が正体不明なんです。慧音さんは何か存じませんか?」
「いや、私もそういう怪談があるとしか……。さすがに人里の歴史を見て分かることでもないし」
だが、その疑問はほんの些細な事のように、霊夢には思えた。
おおかた例の妖怪自身が己の名を売るために広めた、といったところだろう。
「うーん、そうでしょうか……。いえ、実は秋の神様によると――」
「文、ストップ」
そして霊夢は、なんとなしに話を中断させる。
話をいきなり止められた文はもちろん、慧音も怪訝そうな顔だ。だが、ここでは二人の注意を引くことがまず大事と、霊夢は確信していた。根拠の無い、勘ではあるが。
「どうかしたか?」
「……飛べ!」
迷わず霊夢の言葉に従うだけの、信頼を二人に置かれていたのが良かった。
おかげで三人ともが、それから襲ってくる最初の脅威から逃れることができたのだから。空に向かって一直線に飛んだ霊夢の足が、林冠から抜けた瞬間、感じる熱。
思わずそちらを見れば、樹冠を抉りつつ、遅れて飛び出した文を掠める極太の光線が伸びていた。光線の元をたどると、樹頂に人型が立っている。
「あんた……」
「そっちから林を出てくれて助かるわ。おかげで草木を巻き添えにしないで済みそう」
先ほどの文といい、普段は紳士的な妖怪が不意打ちをしかけるのは、相当に機嫌が悪い証拠だ。そして妖怪の機嫌が悪いときとは、多くの場合で、その妖怪にとって大切な者が傷つけられたときのことを言う。
「風見幽香か!?」
「ごきげんよう。人里の半獣さん」
慧音の声に応える、日傘を差している、あの妖怪もまたその一人らしい。
「なにをしに来た?」
「やっぱり、あの子を一人で放っておくなんて出来なくて。二匹くらい処分して、負担を減らしてあげないと……」
風見幽香にとって大切な者とは、この世の全ての花である。ゆえに縄張りもこの世の全てと自称して、なにかにつけて人間や他の妖怪との衝突が絶えない。
唯一、人里付近では大人しいと思っていたのだが……。
「珍しく、積極的なのね」
「なるほど、秋の神様の言った通りですか……」
「なにが?」
文はやっぱりという風にこめかみを押さえている。
そして語って曰く。
「例の妖怪は、人里の雑木林の林床に住みついている"菌根"の妖怪だそうでして」
「キンコン?」
「植物と一体化することで土中の栄養を送り届けて、保水能力で乾燥から、病原菌を土から追い出す能力で疫病から、植物を守る役目を果たしている、俗に言えばキノコの仲間です。どこにでも居るんですが、逆にそれが居ないと、普通の植物はまともに生きられないのです。ましてや、あの妖怪は林全体の植物を支えるまでに成長した、屋台骨のようなもので……」
それはもう、花を愛する幽香が気を尖らせるには十分な理由になる。
文はそう言って、溜息を吐いた。
「それだけじゃないわ。あの子は人間にやさしくしすぎるのよ」
そして幽香が付け足す。
「霊の性質は水。近隣の村々の妬み嫉みの籠った捨て子の霊まで、あの子は飲みこんで人里を守っているの。死者とはいえ人間同士のいざこざ。放っておけばいいのに」
「それで、今回の妙な騒ぎを起こしたことが許されるわけじゃないけど?」
「むしろ、今回のことは幸いと思いなさい。押え込む限度を超えた人間の悪霊に食い殺されそうになってるあの子が、それでも私みたいな妖怪ではなく、遠回しでも人間に助けを求めているんだから」
だから、妖怪や半獣はお呼びではない。
そう言って、幽香が文と慧音の方に日傘を向けた。二人にとっては、刀を突きつけられたのと同じ。どちらも延長線上から逃れるように、素早く飛び退いた。
しかし、そんな状況なのに、霊夢はやれやれと一つ嘆息する。
あんまり幽香の目が優しげで、無意識に微笑んでいたのは霊夢らしくもない。巫女は黙って妖怪に御札をばら撒くものと、他の二人より数瞬遅れて身構えて、もう笑うことが無いように気を引き締めた。
◆◆◆
闇の向こうから誰かが現れたとき、お母さんが迎えに来てくれたと思った。
生きていた頃のことはよく覚えていない。いや、生きるということも、今ではよく分からない。だが、それでもはっきりと記憶にあるのが、お母さんの優しい温もり。
遠い昔に、きっと迎えに来ると約束したお母さんが、来てくれたのだ。
胸の中が温かくなって、飛び出したくてたまらなくなる。
無意識のうちに思い出される、お母さんの匂い。
胸に飛び込んだら、優しく受け止めてくれるだろうか。
ぎこちなくても笑ったら、笑い返してくれるだろうか。
好きだった蝶々の話を、また聞かせてくれるだろうか。
病気もせず元気でいたから、偉かったねと頭を撫でてくれるだろうか。
いくつも願いはあったけど、同時に不安もあった。
胸に飛び込んで、怒られないだろうか。
本当にお母さんは私に笑いかけてくれるだろうか。
ずっと昔にした話なんて、忘れていないだろうか。
病気で迷惑をかけないのは当たり前だと、冷たくされないだろうか。
けれど、何よりも不安だったのが……。
あの、お母さんの隣にいる子はいったい誰だろうか。
仲良く手を繋いで、お母さんはその子に笑いかけている。
しかし、その子はあまり笑っていない。
あれだけお母さんに優しくしてもらっているのに、何が不満なんだろうか。
私だったら、もっとお母さんに笑い返して、もっと笑いかけてもらう。
たくさん甘えて、たくさん優しくしてもらうんだ。
せっかく笑いかけてるのに、笑い返してあげないなんて、お母さんがかわいそうだ。
そんなにそこが嫌なら、私に代わってほしい。
そこは私がいるべき場所なんだ。
お母さんに優しく笑いかけてもらえるのは、私のはずなんだ。
お母さんはあんな子より、私のことを好きなはずなんだ。
お母さんはあんな子、嫌い、嫌い、嫌い嫌い嫌いキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライキライ……。
あんな子、消えてしまえ。
◆◆◆
ずっと、まるで隠す様子が感じられない、あからさまな殺気が肌を鋭く刺していた。
それでも直接の殺気が向かう先は自身でなく、女の子の方であるから、逆に神経を逆撫でされる心地である。
おまけに殺気の主は、なかなか攻撃を仕掛けて来なかった。ひたすら殺気ばかりで、女の子の不安を煽り続けるのだ。かといって、女の子を一人にして、こちらから仕掛けるわけにもいかない。
はたては、焦れていた。
「疲れたなら、おんぶするよ?」
「うぅん、大丈夫……」
あるときからついて回るようになった、この殺気から逃れようと、はたて達は既にいくつかの策を弄していた。
単純に女の子をおぶって、その身体が壊れない程度に気遣った、天狗の全速力の飛行で逃走を試みたり。道中で偶然見つけた、赤子のような悪霊をそちらに蹴り飛ばして牽制したり。結界破りの際に念写しておいた御札も、防護壁など、何枚かは試してみた。
だが、そのことごとくが無駄に終わった。
暖簾に腕押しの如く、手ごたえは無かった。殺気はいつまでも同じ調子で、女の子の心を削り続けている。
「そうだ、お菓子食べる? きちんと栄養取らないと、いろいろ大変だよ?」
「いらない……」
もはや女の子の精神は限界だ。
そうして、危険が伴おうと、こちらから仕掛けてこの殺気を元から断たなくては、とはたてが思い始めたときのことだった。
目でも耳でもなく、何かの動きを感じたのは、速さが売りの天狗の感覚だった。
「ハッ!」
はたての脇を高速ですり抜けようとした者を、とっさに受け止める。
そのまま行かせては女の子が、大天狗の守護があっても、危険だったろう。
いざ捕まえてから、はたてもそれが何だったのかを知った。
「え、子供……?」
はたての腕の中で暴れるのは、あの悪霊達とは比べ物にならないほどに人間らしい、幼い少女だった。それが人間でないのは翅の生えた見た目と、腕力から分かったが、思わず度肝を抜かれる。
「はーなーしーてー!」
しかして、その殺気は本物だ。
この小さな身体のどこから湧き出ているのかと言いたくなる、鋭い殺気が肌をピリピリとさせる。悪霊の類とはいえ、何がここまで少女を駆り立てるのか、はたてにはまるで想像がつかない。
そして、こんなものを間近で浴びせられたら、女の子は平静ではいられないだろう。
その予想は当たって、顔を白くしている女の子だが、意外な事に表情だけは強気だ。
相手が自分と同じ体格で、年頃も似通った容姿だから、かもしれない。
「絶対に離さないわよ! あんた、さっきあの子に何しようとした!?」
はたての方も、相手が言葉を話せるとわかって、自然と問いかける気持ちが湧いていた。
人間未満な見た目をしていた、さっきまでの悪霊達とは向き合う心が違っていた。
「むー! やーだー!」
なにより、人間と同じように押さえつければ、動きを封じることができる。
いかに妖力が強くても、天狗のはたてにさえ劣らぬの怪力でも、人の姿をしている相手を手玉に取るのはさほど難しくなかった。
「はなしてよぅ……」
抜け出せないと悟って、おとなしくなったのも声の調子でわかった。
やはり、赤子の悪霊達とは力こそ比べ物にならないが、人間らしさが生まれたぶん、つけ入る隙が増えていた。無駄な不安や恐怖で自ら墓穴を掘らなければ、はたてがこの少女に負けることもおそらく無い。
これといった決め手も無いのが、唯一の問題と思っていたが……。
「ねぇ、放してあげようよ?」
「え……?」
まさかの言葉に、我が耳を疑うことになる。
よもやと思って、声の主を確かめてみるが、そちらを見ると、もう一度。
「苦しそうだよ? その子が、かわいそうだよ……」
女の子が、言っていた。
なにかに操られているのではと疑念を抱いてしまうが、違う。強い目で、しかし不安も顔から消えたわけではなく、ただ、純粋な気持ちが口から漏れたように、言っていた。
幼い子供の気迫に、思わず呑まれてしまったのは天狗らしくもない。
「でも……」
「おねがい!」
この殺気の吹き荒れる中、何がそれほどまで彼女をつき動かすのか。
そう言われてみると、はたてに締めあげられている少女は、たしかに苦しそうにも見えた。だが、間違っても逃がさぬよう、天狗が全力で締め付けているのだから当然だった。
この状態から逃がしてしまえば、こちらが体勢を立て直す前に、女の子に危険が及んでしまう。
「………」
しかし、今の少女の悪霊はすっかり落ち着いて、暴れる様子もなかった。
それに、こちらから逃すタイミングを決めた方が、この膠着した状況から、仕切り直すうえでも都合が良いかもしれない。そんな考えが、はたての胸にも湧き出してくる。
その後のはたての行動は、何かよくわからない者に操られていた、と考えてもおかしくなかった。その何者かとは、おそらく人間の女の子なのだろうが……。
「何があっても良いように、気を付けるんだからね?」
「うん!」
女の子は、少女を羽交い絞めにしているはたての背中の方に避難した。
これで、少女は解放されても、一直線に女の子を襲いには行けない。
はたてはゆっくりと、腕の力をゆるめていく。少女の身体がはたてから離れて、座り込んだままの少女がその場に残る。
少女はほどなく立ち上がるが、その動きはとてもゆっくりで……。
「……消えちゃえ」
直後の、超高速との緩急は恐ろしいものだった。
限定的とはいえ、それははたての、天狗の反応速度を振り切った。
「あ」
骨の礫だった。
とてもシンプルで、わかりやすい技。
しかし、それは直接攻撃にばかり気を張っていたはたてに相殺する暇を与えず。高速でフックするように、背後を攻撃した。はたてが一瞬遅れて振り返れば、そこには地面に倒れ込んでボールのように跳ねる、小さな身体が……。
「あああああああああああああああああ!!」
何も考えずに、女の子の元へ走り出そうとするはたてだったが、すぐには動けない。
「お母さん。あんな子のことは、もういいでしょ?」
「え……?」
「私がいるのに、あっちばっかり見ないで。もっと、今までみたいに優しくしてよ」
今度は、はたての方が捕まっていた。
そのうえ体勢が悪く、なかなか振り払うことができない。
「どうして? 私だけでいいでしょ? 私がいたら、あんな子いらないでしょ?」
気が焦るうえに、少女が何を言っているのかもまるでわからない。
だから、はたては苛立ちまぎれに思いっきり怒鳴りつけてやった。
「うるさい! この世にいらない子なんて居ないわ!!」
瞬間、拘束が弛んだのは気合いに少女が圧されたから、か。
なんにせよ、はたては少女を突き飛ばして、女の子の元へ駆けつけていた。
すでに一人で身を起き上がらせていたのは、良かった。飛び道具で大天狗の守護を貫けるほど、少女の悪霊の魔力は強くなかったらしい。子供は足腰が弱いから、派手に飛ばされてしまったようだが、よく見れば擦り傷すらできた様子は無い。
「大丈夫?」
「うん、ちょっとびっくりしただけ……」
安心したところで、次にはたての胸に湧き上がってくるのは怒りだった。
少女の方を見ると、一人でブツブツと何か呟いている。
「お父さんが言ったのはウソだから……いらない子なんてウソだから……お母さんは、ちゃんと迎えに来てくれたから……だから……」
意味はわからぬが、この隙に、あらかじめ念写しておいた御札を叩きつけてやろう。
そう思って歩み寄るはたてだったが、またそれを制止する声が上がる。
「待って」
「なに、今せっかくのチャンスで……」
「私、気になるの」
女の子は、はたてに構わず少女に問いかけた。
「ねぇ! そんなにお姉ちゃんが欲しいの?」
なにか気持ちが通じると思って、失敗した直後のことだ。
はたてには何もわからず、ただ二人の様子を眺めていた。
そして、女の子の問いには返事があった。
「あんたなんか……。お母さんのことなんか、べつにいらないんでしょ? だったら私にちょうだいよ!」
「うん! わかった!」
「え、ちょ」
はたての頭越しに話が進む。
女の子の言うお姉ちゃんと、少女の言うお母さんは同一の物らしい。
だが、それは同時にはたてのことで、物扱いされるとは何の冗談だろうか。
「……どうして?」
「ねぇ、あなたはいくつ?」
「え?」
「私は七才」
「い、五つ……」
「やっぱり、私の方が二つもお姉さんだ」
どちらも子供、とは言わない。
はたても大天狗から子供扱いされることが未だに絶えない。それが今まで散々に大人ぶっていたのだから。
なんとなく、二人の関係が見えてきた。
「お姉さんは、そんなにお母さんに甘えなくても平気なんだから」
「いいの……?」
「いいよ」
そうして、子供同士の話し合いの末に、贈呈品のように少女に差し出されたはたて。
はたてはお母さんでも何でもないのだが、子供らに細かい事はどうでも良いらしい。
少女が抱きついて来るから、思わず抱きしめ返して。そして気付く。
あれだけ肌が痛くなるほど放たれていた、少女の敵意が消え失せた。
「お母さん、頭撫でて……?」
「あー、はいはい。まったく、甘えんぼなんだから……」
そんな緩んだ空気の中、ついつい調子に乗ってサービスまでしてしまう。だが、はたての手が少女の頭を優しく撫でたとき、ようやくその場に完全な平穏が訪れたのだ。
「お母さん……」
少女の頬に、一筋の光。こうして誰もが安らかな気持ちの中、戦いは終わった。
◆◆◆
霊夢はたった一人で、雑木林を歩いていた。
離れた場所に、仲間がいるわけでもない。
風見幽香の襲撃があり、スペルカードでの勝負を行ったところ、同行者であった文と慧音は蹴散らされ、撤退を命じられてしまったのだ。
残るは己一人。しかし、それで不都合があるかというと、特に無い気がしていた。
「いらっしゃい」
「また会ったわね」
「今度は、天狗はいない?」
「えぇ、幽香がいろいろと頑張って、追い払ってくれたわ」
「幽香が……。そうなんだ」
ここに至るまでに既に、幽香からも含めて、十分な情報が集まっていた。
目の前の妖怪は、戦闘能力はほぼ皆無の雑魚であること。
彼女が今回の騒ぎを起こした理由は、体内の掃除を人間に手伝ってもらうため。体内に溜まった悪霊の、とりわけ厄介な輩を始末するのが一番の目的だったということ。
「素直に言えば手伝ってあげたのに。暇だったら、だけど」
「そんなこと言っても、変な噂のせいで信じて貰えそうになかったんだもの」
「噂?」
「私が自分から人間を襲って食べてる、って怪談。まぁ、人間にしてみれば事実も同じなんだろうけど」
そもそも、人間相手に名を上げることに関心は無い。怪談などは言うまでもない。
ずっと隠れ潜んでいた妖怪らしい主義主張だった。
「今は、信じてるわよ?」
「みたいね。幽香にはお礼を言わないと。じゃあ、悪霊退治、お願いできる?」
「もちろんよ」
あっさり悪霊を退治して、家に帰ってお茶を飲む。そんなところまで霊夢には想像ができた。
何も不安などなく、霊夢は御札を構えて、その悪霊を待つ。
「不意打ちには気をつけてね」
そんな警告に続いて、妖怪の影の中から何かがせり上がって来た。
見たところ、強そうなのが二匹と、人間らしいのが一人で……。
「あ、出られたー!」
「あれ、なんかあっさり外に出ちゃった感じ? ラスボスを倒したらダンジョンごと消滅って、いまどき珍しい様式美ね」
「お母さん、ここどこ……?」
それらが纏っているのは、とことん緩んだ空気。
違った意味での、不意打ちだった。
妖怪の方に、これはどういう意味かと視線を投げかけるが、あちらも視線を逸らす。
どうやら、相手方も状況がよく掴めていないらしい。
しかし、一匹だけ見覚えのある輩が居たもので、霊夢はそれに問いかける。
「あんた、はたてよね?」
「え? あ、博麗神社の巫女よね。あんたは」
文が必死で助け出そうとしていた烏天狗は、膝の上に少女のような何かをのせて、頭を撫でつつ笑っていた。その背中には人間の女の子がもたれかかっており、周囲の空気の緩みっぷりときたら、切羽詰まっていないどころの話ではない。
「なにやってるわけ?」
「えっと、ラスボスと仲直りして、めでたしめでたし」
「おかしいわね。めでたしめでたしは、妖怪退治が完全に終わってから、宴会の場でやることでしょ?」
そう言うと、はたては何か事情を飲み込んだ風に、少女達に説明を始める。
「お母さん、あの人だれ……?」
「あの人はね、私達がお外に出られたことをお祝いしに来てくれたのよ」
「え、そうなの? あれって博麗神社の巫女さんで――」
「おいわい?」
「そう、お祝い。おめでたい色してるでしょ? 紅白よ紅白」
「こうはく!」
子供達相手に、好き勝手な事を教えまくる天狗。
妖怪はあまり嘘を吐かないというから、これがあの天狗の本音なのだろうか。
逆に、おめでたいのはお前の頭だと言ってしまいたいが、霊夢は堪える。
「で、最近のお祝いにはルールがあるの。やくそくね」
「やくそく?」
「とりあえず、私がお手本を見せるから。それから真似してやってみるのよ」
そうして、立ち上がると霊夢の方を見て、キリッとした顔を見せるはたて。
よくわからぬが、霊夢にとっては非常にウザかった。
「あんたが5人目で、後ろのちびっ子が6人目、と……」
「お、良い感じね」
「つまり次の宴会は、ほぼ全部あんた持ちってことね」
「えー、なんでよ」
「ちびっ子に集る気?」
基本的に緩みきった顔をしていたはたてが、少しだけ表情を強張らせるのが小気味良い。
お互いにスペルカードを提示して、勝負が始まる。
「お姉ちゃんがんばれー!」
人間の女の子が妖怪の側を応援しているのが、どう考えてもおかしいのだが、そこは気にしない。
すでに霊夢は心に決めていたのだ。
このお騒がせ者なうえに幸せ者な天狗には、宴会で最上級の酒を持って来させようと。霊夢には、はたてが仲間の天狗やその他酒豪の妖怪に高い酒を湯水のように飲まれて、天狗なのに顔を青くする様まで、すっかり見えていたのだ。
◆◆◆
時が経つのは早い。
たった一人の子供が、たった一晩行方不明になった事件から、一週間が過ぎた。人里の住民にとって、あの事件はすでに過去のものとなり、もう記憶からも失われようとしている。
それが人間らしい生き方というなら、妖怪が口出しすることはない。
ただ黙って、妖怪も好き勝手に生きれば良いのだ。実際、この人里が何も変わっていないかというと、そうでもない。宴会の場であれこれと話を聞かされた、事件と無関係だった者が、後になって大きな力を発揮することだってある。
今回は、代表的なのが八雲紫だった。
宴会の途中、博麗霊夢が酒に酔った勢いで『人里の子とかはたては皆から大事にされているのに、私はあんまり大事にされてないみたいで寂しい』などと口走ったときに、真っ先に喰いついたのが彼女だった。『霊夢のことは誰よりも好き』『本当に困ったときには、阿鼻地獄の中だろうと助けに行く』『いつでも、何でもお願いして良い』などと、恥ずかしい演説を大勢の前で披露していた。だが、彼女も酒に酔っていたのだろう。式神が後になって、酒の場の無礼ということで許して欲しいと、頭を下げに来た。
だが、それで許さなかったのが一人だけいた。
口説かれた当人の、霊夢である。
霊夢は紫の『何でもお願いして良い』という言葉を盾にして、あることを頼んだ。
「雑穀屋、米を十倍の雑穀と交換します、ねぇ……」
人里に立ち並ぶ、人間の店舗の数々。
だが、そのうちのいくつかに紫は手を伸ばしている。妖怪があまり安く物資を提供しては、農家などの人間の反感を買うだけだが、供給元の無いものや供給の少ない人気の無いものは、比較的そういう問題が少なくて済むのだ。
例えば、米の代わりに不味い雑穀を大量に手に入れて喜ぶのは、本当に喰うに困っている人間ぐらい、ということだろう。
「本当に、それで良いのかしらね……」
ずるい人間は、他人の厚意に気付かないふりをして己の利を貪るものだ。
こんなことをして、これから何も無いわけがない。あの妖怪のように、困ったことは必ず起きるだろう。
けれど、これが霊夢の頼みだから。
何もかも、言うだけ無駄にも思えた。最後に言うに困れば、霊夢だから仕方ない、などと言い訳する八雲紫の姿さえ、ありありと想像できるのだ。
いや、たしかに現実に、博麗霊夢の直感的な采配が功を奏することは多い。
だが、あまり霊夢に振り回されているようでは、彼女が居なくなったとき、例えば紫に限れば、また元のような妖怪の賢者に戻れるのかという不安が残る。余計なお世話かもしれないが、幻想郷の住人の一人として、一人の大人としては不安に思ってしまうのだ。
「……けど、今回だけは良いとしましょう。あの子も私も、結局は助けられちゃったわけだし」
ただ、何はさておきで。汚い服を着た親子連れが雑穀屋に入って行くのを見ると、そうも言えなくなる。
これでもいいかなどと思ってしまう心を、強く拒絶できない。何に毒されたか。妖怪としては『人間なんて』と思うのに、気付けば笑っているから……。
なんとも苦々しいことだった。
「あっ、幽香さん。今日は人里でお買い物ですか?」
思うところは尽きない。しかし、ふいに物想いに耽るのは中断された。
呼ばれては、無視もできなかった。
声をかけてきた、相手の方に向き直る。
「あら、ごきげんよう。新聞記者さん」
「どうも。先日はお世話になりました」
「こちらこそ」
軽い挨拶を交すと、相手はこちらに話があるようで、仕方なしに付き合うことになる。
しかし、立ち話もなんだから、カフェに入ってゆっくり話してはどうか、と誘ってみた。もちろん、お代はこちら持ちで。文は、何事かと尋ねてくるが、『いきなり皮肉をぶつけられたのはびっくり。そんなに後を引いてるなら、この程度はさせてほしい』と回答しておいた。それで一応は、文も納得したらしい。終始、意外そうな顔をしていたのが、甚だ心外であるが。
カフェで二人掛けのテーブルについてから、話は始まった。
ちなみに、その出だしまでは、ほぼ予想通りだった。
「例の妖怪の、その後の様子はどうですか?」
「すっかり元気になったわ。これからあの林では花つきが良くなりそうね」
聞かれたことに加えて、こっちの話したい事をつけたす。
人里の雑木林には、樹木のそれならサクラなどが。草花であればリンドウなどがある。元が菌類な妖怪でもその二つの花は好きなようで、幽香へのお礼の意味も込めて、張り切った様子だった。
来年の、花の出来は期待して良いだろう。
「なるほど、綺麗な桜の根元には死体があるといいますが……」
「死体は全部掃除したでしょ。きちんと貴女達が持って帰ったじゃない、ねぇ?」
しかし、そこからの文の話運びは、少しだけ強引だった。
だが、それでわかった。どうやら、天狗は例の怪談に関して、疑念を残しているらしいと。もちろん、それは本来ならば、疑われるべきでもない者への不当な非難にあたる。しかし、好奇心だけが先走って、事実を追いかける暇が無いときは、そういうことが往々にしてあるものだ。ひとまずの疑念を、推測とも言えない妄想で払拭するようなことが。
ちなみに、そういう好奇心を言えば、幽香にも気になることはあった。
あの、妖怪騒ぎごとの恒例行事である宴会の後、文とはたてなど天狗が連れ去った、少女の悪霊の行く末はどうなったのか。
「あぁ、あの子は大天狗様が引き取りました。はたてが世話を焼いているのはもちろんですが、妖怪の山の天狗全員で育てることが公式で決まりまして」
「へぇ、あの排他的な妖怪の山で?」
だが、そちらは想像以上に面白いことになっていた。
「排他的なのと、道理を弁えないのは別物です。一部とはいえ不動明王が入っている大天狗様や、その上に立つ天魔様のことですから。外界の人間を攫っているのだって、いつか外の人間が天狗のことを思い出したときに力になれるよう、相手のことを把握するためであって、いわば調査捕鯨――」
不動尊は、外道に堕ちた人間を正しき道に連れ戻すために、力ずくも辞さない荒っぽい明王だ。無間地獄の底まで追いかけて、人間の霊を引きずり戻すのであれば天狗の身体を借りるのも納得である。人間を導くのが好きな天狗との相性も、もともと良かったのだろう。
だが、あの悪霊も、よりによって父親代わりが不動尊とは。あれと比べれば、雷親父も可愛いらしい。
「いい気味ね」
「えぇ、まったくです」
逆に、優しさも普通の父親の比ではない筈だ。見た目は恐くとも、不動尊は子供の守り神である。
あの悪霊が、どれだけ気が狂っていたとしても、更生はもう確定事項。
時期尚早ではなく、そう結論付けて良さそうだった。
「じゃあ、私のこれからの予定だけど……」
「あ、何か大事なご用事でも?」
「里の近くに、お寺があるんですってね。そこに、会いたい妖怪がいるの」
「そうですか」
「怪談の件に関係があるのだけど、ついてくる?」
「っ! はい、ぜひとも」
もう十分に楽しい話を聞けたので、丁度運ばれて来た果物ジュースを片付けると、店は出てしまう。
相手は何も言わないので、特に気兼ねは無かった。
「あ……」
「ごきげんよう。封獣ぬえさん、だったわね?」
「う、うん……」
寺に辿り着くと、まずは門前に寝そべっていた、門番なのかどうかもわからない妖怪に丁寧に挨拶する。そして、次に起きてもらった。
「ちょっと、お話良いかしら?」
その際に、ちょっとだけ荒っぽくなるのはご愛嬌。
胸襟を掴んでの吊り上げも許容範囲である。
「え、なんで!? 私が何かした!?」
「ちょっと前のことよ。あなた、妙な怪談を言いふらしていたでしょう? 花から教えてもらったの」
「怪談って……。ひょっとして、あんたともう一匹、妖怪の話を立ち聞きして私が作った、あの怪談のこと?」
「やっぱり。今日は、そのことでお礼をしに来たの」
そしてようやく本題に入る。
このいたずら者のおかげで、あの妖怪は騒ぎを起こす以外に、博麗の巫女に助けを求めることができなくなったのだ。それで結果としてはむしろ良い方向に進んだのだが、そういってなぁなぁで済ませても、けじめがつかないと幽香は思った。
「あの、天狗の私としては、あの怪談は全体の流れからすれば、むしろファインプレイだった気もするので……」
「わかってる。ちょっとおどかしてみただけよ」
もちろん、文が言う様なこともあるから、幽香とて本気ではない。慌てふためくぬえに、少しだけ胸をスッとさせると地面に降ろしてやる。ホッとした様子のぬえだが、小さないたずらが誰の逆鱗に触れるとも限らない、世の中の恐ろしさを感じたことだろう。
「で、本気でおどかすのはこれから」
「ちょっ!? 私はそんな……!」
そして風見幽香の恐ろしさを、これから教えるのだ。
逃げようとするぬえを捕まえて、幽香の胸の中という特等席に案内する。
「これが、貴女が逆鱗に触れかけた妖怪の全力よ。目に焼き付けて、教訓にしなさい」
おもむろに日傘を天に向けて、三つ、二つ、一つ、とカウントする。
加えて、腕の中で怯えているぬえには、最後なのでおまけの金言も授けておく。
「優しい大人に守られているからって、いたずらはほどほどにね」
ゼロで、命蓮寺の境内は純白の光に包まれた。
<完>
今回もとても面白かったです。
それにしても、母親属性のはたて、だと・・・
最高じゃないすかぁーーーーーー!
けれども、それからの話がよくわかりません。すみません。自分の読解力を棚に上げてしまって...。主語がほしい!誰が誰と話して、行動しているのかさっぱりです。具体的に言えば、はたてが地中からでてきたときにいたのは霊夢と雑木林さんですよね?ゆうかりんは霊夢にぶちのめされて気絶しちゃったんでしょうか..?雑穀屋にいったのはゆかりんでいいのかな。。。?
また、なんのためにそれをしているのかもよくわからなくて、はたてが地中からでてきたときに霊夢と一戦交えたのはあいさつをすると言う設定なのでしょうか?あとぬえちゃんはなんでいたずらばれちゃったの...
後、幻想郷の人間たちの生活レベルはカフェや住民が一週間で誘拐事件を忘れるぐらいですから、大正~現代の時代ですよね?江戸や室町時代の生活レベルの設定で書かれるssもあるので、そこらへんをどこかで描写してもらえるとうれしかったです。
てっきり「異変起こる!⇒どうやらこの異変には訳が...⇒はたてとれいむが解決!⇒お酒でも飲んでいやーよかったよかったw」という起承転結なのかとかまえていたら、どうやらそれはこの小説の7割まででしかなく、それからゆかりんがれいむに告白するし、誰かが雑穀屋にいったみたいだし、ぬえちゃんがおこられるし、で幽霊Aさんがこの話をどういうENDにもっていきたかったのかよくわからず、頭をあっちこっちに振られて混乱した気分になりました。主人公は一体だれだったのかも最後まで読んでしまうとよくわからなくなってしまいました。
あとがきを読むと、設定もしっかり考えていられますし、抵抗なく読みすすめられる文章です。だからこそ、おしいなぁと。前作をよんだ時にはまったく今回のような混乱は感じなかったのですが.. 乙です!