物々交換で手に入れた扇風機というアイテムが、虫の羽音のような音を立てて動いている。
手に入れた当初はスイッチを押しても何の反応もなかったのだが、数少ないお客の一人から、電気、とかいう物を使えるようにしてもらったところ、すぐに使えるようになった。よくわからないが、恐らくこれを動かす為に必要な精霊か何かなんだろう。僕はそういう方面には強くないので「動くものは動く」という事で納得しておいた。理解出来ないものは気にしないようにするのが僕の信条だ。
ともあれ、最近はとても暑くて本を読むどころではなかったので、こいつの存在は非常にありがたい。ミニ八卦炉がある魔理沙はともかく、夏が来る度に暑い暑いと文句を垂れる博麗の巫女辺りが見たら即欲しがりそうなアイテムだと思う。というか彼女なら「あら、珍しく実用的な物があるわね。それじゃこれも貰っていこうかしら」とか言いながらしれっと持って行ってしまいそうだ。
霊夢の姿が見え次第、これはどこかに隠す事にしようか――そんな事を思いながら、開け放しにした戸に目を向けると、ちょうど白黒の人影がこちらに向かって歩いてくる姿が目に入った。
……ふむ、とりあえず扇風機は仕舞っておこう。持って行かれる事はないにしても、興味本位で弄ってみたら壊れた、すまん。なんて事になったら目も当てられない。
なにしろ、まだ夏は始まったばかりなのだ。こいつには少なくとも一夏分くらいは働いてもらわなければ。
スイッチを切って扇風機を抱え上げた途端、むっとした熱風が外から流れ込んできた。ああ暑い。涼しいのもまた一興だが、やはり夏はこうでなくては。
東方香霖堂 ~ Nostalgic Summer
僕はそれなりに長いこと、彼女と接してきたつもりだが、未だに霧雨魔理沙という人間がよくわからない。いや、読めない、というのが正しいか。
誰かをからかったりするのが好きな意地の悪いやつだが、根は研究熱心な努力家。霧雨魔理沙はそういう人間だ。その本質は昔から全く変わっていない。が、なんというか、突然がらくた集めを始めたり、どうでもいい事に魔法を使う、という事に異常な情熱を燃やしていたりといった、僕からすれば何がしたいのか全くわからない突発的な行動の真意が読めないのだ。
気ままなやつ、とでも言ってしまえばそれでいいのだろうが、その行動によってお気に入りのカップやら店の商品やらを壊されたりする僕としては、事前に彼女の行動を予測して行動できるようにならないと店の商品を守る事ができない。これは店の売り上げ云々の問題ではなく、僕のコレクションを守るという意味合いが強いのだが。
まぁ、とにかく彼女の行動は全くもって読めない。僕は超能力者の類ではないので、彼女のやりたい事や言いたい事を汲んでやる事などできないのだ。
「香霖。今日は神社で宴会だぜ」
だから、店に入ってくるなり、唐突に彼女が放ったその一言の真意など、僕には欠片ほども理解する事ができなかった。
神社で宴会だからなんだと言うのか。宴会なんてそんなに珍しい事でもない。特に彼女たちにとっては日常茶飯事と言っても過言ではないはずだ。
宴会だから店に来た。それが意味する事を考える。
「……酒でも買って行くのかい?」
「あ? どこをどう考えたらそんな言葉が出てくるんだ? 香霖の言い方だと、まるでここが道具屋か何かみたいだぜ」
宴会に持って行く物が足りなかったのかと思ったのだが、違うようだ。……それ以前の問題だが。
「ここは元々道具屋だよ。で、客じゃないならまた暇潰しかい?」
勝手にあがりこんでお茶を入れ始めた魔理沙を見て、いつもの事とわかっていながらもため息が出てしまう。
僕自身があまり商売っ気を出していないせいもあり、僕の店には客と呼べる者がほとんど来ない。
ちょくちょくと顔を出しにくる「常連」は魔理沙を含めて約二名ほどいるが、彼女たちはこの店で物を買う、なんて行為はほとんどしない。買うどころか大体が勝手に持って行くか、勝手に壊していくかだ。恐らく彼女たちはこの店の事を自分の家の倉庫程度にしか思っていないのだろう。
「客じゃないが暇潰しでもないぜ。用件は最初に言ったが」
「神社で宴会なんて別に珍しくもないだろう。だから僕にどうしろって言うんだ」
ず、と音を立ててお茶を飲む魔理沙の顔は妙ににやにやしていて、まるで難解な謎掛けをして相手を困らせている、意地悪な魔法使いのように見えた。これは例えでも何でもなく、ただ見たままを言ったまでだが。
「ま、私の用件は済んだし、今日はこれでお暇するぜ」
ますます訳がわからない。単に休憩でもしに来たのだろうか?
「お茶を飲みに来ただけで帰るのは珍しいね。急ぎの用事でもあるのかい?」
「言ったはずだぜ。今日は神社で宴会だ」
謎掛けのヒントにでもなるかと期待して聞いてみたが、返ってきたのは意地の悪い微笑みと更に意地の悪い返答だけだった。
箒で飛び去っていった魔理沙の背中を見送って、さてあの問いかけは何だったのかと考える。
しばらく思案を巡らせてみたが、さっぱりわからないので気にしない事にした。どうせ二、三日もすれば答え合わせと称してやってくるだろう。理解出来ないものは気にしないようにすればいい。答えが自分からやってくるようなものに関しては特に。
彼女の来訪で僕に理解できた事と言えば、霧雨魔理沙は昔も今も全く変わっていないという事だけだ。
***
魔理沙を見送ってから一刻ほど経った頃、僕は扇風機の重大な欠陥に気が付いた。
扇風機から送られてくる風自体は心地良い。しかし、その風を受けられる位置にいると、本の頁が勝手にめくれてしまうのだ。これは由々しき事態である。
ちょっとした短時間の読書なら気にもならないが、僕のように一日の大半を読書で過ごしているような者にとっては、この欠陥は煩わしくて仕方がない。扇風機がこちらを向く度にぱらりと頁がめくれ、それを戻して読み進めている内に、また扇風機がこちらを向いて頁がぱらり。頁がめくれないようにと背中で風を受けてみたりもしたが、あまり効果は望めなかった。かといって必要以上に扇風機から離れると風が弱くなってしまう。それでは本末転倒だ。
外の世界の人間は、古い文化やしきたりを捨て、代わりに様々な技術などを手に入れたそうだが、その際に使い手の事を考えて物を作るような、細やかな精神まで捨ててきてしまったのだろうか。物に人間が合わせるような世界はそれこそ本末転倒だと思うのだが……。
「誰かいるかしら?」
外の世界に思いを馳せている内に、また誰かが来たらしい。
まぁ、僕にとっては見たこともない外の世界の事よりも、目先の客の方が優先順位は上だ。
さっさと思案を打ち切って、この店にとって何よりも尊ぶべき「まっとうな客」に声をかけた。
「やあ、いらっしゃいませ。……一人とは珍しいね」
彼女が一人でこの店に来るのは本当に珍しい。いつもなら兎耳の少女か薬士の女性が傍にいるはずなのだが。
「永琳たちは屋敷で宴会の準備中なのよ。私は暇だったからその手伝い」
「ほう。君のところでも宴会なのかい?」
魔理沙に続いてここでも宴会。はて、今日は何か特別な日だっただろうかと思案し始めたところに、彼女――蓬莱山輝夜の口からその答えが出てきた。
「あら、気付いてなかったの? 今日って七夕なんだけど」
……ああ。成る程。確かに今日は七夕だ。
という事は、魔理沙が宴会宴会と言っていたのはそれだろう。神社で七夕を祝った宴会をやる、つまりそう言う事か。
「……結局魔理沙が何を言いたかったのかわからないな」
短冊でも用意しろとでも言いたかったんだろうか。
「あの白黒がどうかした?」
「いや、こっちの話さ。さて、今日はどういった御用ですか?」
気を取り直して、店の主として彼女に向き直る。
いくら商売っ気がないとは言え、物を売る気がない訳じゃない。それに、目の前の客を放置するのは商い以前の問題だ。
「それなんだけど、蝋燭がちょっと切れちゃって。このお酒と交換して欲しいのよ」
差し出された一升瓶には大きな字で「紫」と書かれていた。何だかどこかの妖怪を彷彿とさせる名前だ。
「ふむ、蝋燭は確かここの棚に……あった。五箱程度でいいですか?」
「十分よ。それじゃ交換成立ね」
一升瓶を受け取って、蝋燭の箱を渡す。金銭のやり取りこそないが、これも立派な商売と言える。
これを更に米などと交換するもよし、自分でそのまま飲んでもよし。幻想郷の商売は大抵そんなものだ。
「あ、そうそう。店主さん、買い物とは別に、少しお願いがあるんだけど……」
片手で蝋燭を抱え、空いた方の手で「ごめん」のポーズを取る。
「ん? 僕にできる事なら別に構いませんが」
「ちょっと知り合いに伝言を頼みたいのよ。ここに来なかったら別に伝えなくてもいいから」
にやにやと笑いながら話す輝夜を見て、ああ彼女はきっと魔理沙と気が合うんだろうな、などと思う。彼女からはなんというか、魔理沙と同じ悪戯好きの雰囲気が感じられる。それがいい事なのかどうかはわからないが。
それじゃ後はお願いね、と言い残して去っていった彼女を見送って、僕は再び扇風機のスイッチを入れる。試行錯誤の結果、背中から風を受けつつ、両手で左右の装丁ごと頁を掴むようにしておけば、頁がめくれないようになった。少しばかり読み辛いが、背に腹は代えられない。
やれやれこれでようやく落ち着いて本が読めると思ったところではたと気付く。ああ僕は一体何をやっているのか。
僕は今扇風機に合わせて行動しているじゃないか。それでは本末転倒だと言うのに。
***
扇風機はとても便利だが、本を読むのには向いていないらしい。結局「効果的な風の受け方」なんてものを研究するよりは、水でも撒いていた方が早くていい、という結論に達した。やはり最後に役に立つのは自分自身という事か。まぁ、扇風機は今後読書以外の時間で使う事にしよう。
手桶に汲んだ水を柄杓ですくい、縁側から戸口の周りまでこれでもかと撒いていく。打ち水程度で何が変わるんだ、そんな真似をするくらいなら家の中で涼んでるぜ。魔理沙の声が聞こえてきそうだが、生憎僕はもうミニ八卦炉を持ってはいない。持てる者と持たざる者は行動理念からして違うのだ。まぁ、僕も扇風機というアイテムを持つ者なのだが。
店先まで水を撒き終わった頃、遠くから何かを担いだ少女が歩いてくるのが見えた。僕の目が正常に働いているなら、彼女が担いでいる物は大き目の竹に見える。
「お、居た居た。店主さん、どう? 儲かってる?」
腹に力を込めて、やっと声が届くかという距離まで歩いてきたところで、銀髪の少女――藤原妹紅が口を開いた。元気な事だ。肩に竹を乗せて軽々と運んでいる辺りが特に。
君が何か買って行ってくれれば儲かるよ。こちらの声が届くところまで彼女が近付いてくるのを待って、そう返しておく。
「うーん、買いはしないけど交換なら。ほら、この竹と野菜でお酒が欲しいんだけど」
そう言って彼女は竹にぶら下げていた籠を僕に示す。中を覗き込むと、茄子に胡瓜、南瓜に人参などの瑞々しい夏野菜たちが入っていた。
「それは別に構わないんだが……その竹は何なんだい?」
竹細工でも作れという事だろうか。生憎僕はそこまで器用ではないのだが。
「ん? ああほら、今日って七夕じゃない? だから飾付け用にどうかなって思って」
からからと笑いながらそんな事を言う。
確かに商店にはそういう飾りがままあるもんだが、七夕も半分過ぎた今になってそれを持ってきても遅いと思う。その気遣い自体は有難いのだが。
「まぁ、貰える物は貰っておくよ。酒は右側の棚に置いてあるから適当に選んで持っていくといい」
「ありがと。じゃあ竹はこの辺に置いておくわ」
店の壁にそれを立てかけて、ご機嫌で中に入っていく。
鼻歌混じりに酒を漁る物音を聞きつつ、僕はさりげなく彼女に「その話題」を振る事にした。
「そういえば、さっき輝夜さんから伝言を預かったんだが」
鼻歌が止まった。そのせいか、ごとん、と瓶を置く音が妙によく聞こえる。
おかしいな、辺りは蝉の大合唱で賑わっているはずなんだが。
「今日は宴会、天の帝も情けをくれる大宴会。貴方も天の川を渡ってみてはどうかしら? だそうだよ」
返事はない。返ってくるのはごとんごとんという酒を漁る鈍い音だけだ。
まぁ、ここまでは想定の範囲内だ。僕も霊夢たちから聞いただけだが、彼女と輝夜の確執は知っているつもりだ。それを知った上で輝夜の頼みを聞いてしまった以上、僕には商品の無事を祈る事しかできない。ああ、客商売とはかくも辛いものなのか。
「……あー、とりあえず僕には何の事だかさっぱりわからないんだが……」
幻想郷に住む少女たちは、大抵言葉遊びを趣味としている。僕としてはそのせいで彼女たちが何を言っているのか理解できない時がままあるのだが、今がまさにその時という訳だ。
もっとも、今日は朝から「その時」だったが。
「ふん。ようするに今日くらいは怒りを納めて仲良く宴会しましょうって事でしょ。月の人間ってのはどうしてこう大仰な真似しかできないのかしら」
店から出てきた妹紅の顔は、恐らくこれ以上はないだろうというほどに不機嫌色に染まりきっていた。大事な商品を壊されなくてよかった、と、ほっとすると同時に、あんなに楽しそうだった彼女の表情を一瞬にして暗くしてしまった事を申し訳なく思う。
「ま、せっかくの七夕なんだし、それもまた一興よね。あっちからのお誘いなんだし、たまには乗ってやろうじゃないの」
ぶっきらぼうに「これ、貰っていくから」と酒瓶を僕に示し、彼女はそのまま来た道を引き返していった。次に彼女が来た折には、何かおまけでもしてやろうと思う。せめてものお詫びというやつだ。
すっかり乾いてしまった地面にもう一度水を撒いてから、僕は妹紅が歩いていった道を振り返る。
しかし、輝夜の伝言を聞く限り、あれはどうも自分たちを織姫と彦星に例えていたように思える。
一年に一度、天の川を渡って巡り合う二人。その目的は終わりのない大決闘。
とんだ七夕伝説だ。
「あの二人、相性は悪くないと思うんだが……」
もう見えなくなってしまった少女たちを思い浮かべて、ぼそりと呟く。
妹紅が持っていった酒には、とても大きな文字で「紫」と書かれていた。
***
香霖。今日は神社で宴会だぜ。
結局魔理沙は何が言いたかったんだろうか。輝夜の伝言のように彼女の言葉にも何かしらの意味はあるんだろうが、半日かけてわかった事と言えば、今日が七夕であるという事と、やはり魔理沙は意地が悪いという事だけだった。
恐らくヒントは七夕と宴会辺りだろう。七夕と言えば、織姫と彦星が結婚した結果、お互いに夢中になりすぎて自分の仕事を忘れてしまい、それを見て激昂した天の帝が二人を引き裂いてしまう、という話だ。それから二人は一年に一度、天の帝の許しが出る七月七日にだけ会う事を許される悲劇の夫婦となってしまう訳だが、一体それが宴会とどう繋がるのか、さっぱりわからない。星見酒でもしたいんだろうか?
理解できないものは気にしない。それが僕の信条だったはずだが、この謎掛けだけは妙に気になる。恐らく魔理沙のにやにや笑いのせいだろう。あの顔は間違いなく「絶対香霖にはわかりっこないぜ」という顔だ。まぁ、実際わかっていないのだが。
「……好奇心を持つのは別に悪い事じゃないさ」
そんな言い訳にもならない独り言を呟きながら、博麗神社へと続く石段を上っていく。わからなければ本人に聞けばいい。実質の白旗宣言である。
「お? 来た来た。ほれ霊夢、私の言った通りだっただろう?」
「むー、勘が鈍ったのかしら」
「毎日お茶ばっかり飲んでるからだぜ」
鳥居をくぐり、ようやく境内に入った頃、我が店の常連二人の声が聞こえてきた。
女三人集まればなんとやらと言うが、こと彼女たちに限っては二人でも十二分に騒がしい。
「やあ、お相伴に預かりに来たよ」
「あら、霖之助さんはただ酒飲みに来ただけなの?」
「一応土産も持ってきたつもりなんだけどね」
担いできた竹と野菜を下ろして言う。これでも今日の売り上げだ。少なくとも僕にとっては。
「土産も何も、香霖が竹を持ってくるのは計算済みだぜ。まぁおまけまで付いてくるとは思わなかったが」
「何が計算済みよ。霖之助さんが来る来ないで賭けてた癖に、竹もへったくれもないじゃない」
「結果が全てだぜ」
にやにや笑いを浮かべながら、魔理沙は霊夢の追及をのらりくらりとかわし続ける。
はて、計算済みとはどういう事だろうか。
「……何でわかったんだ?」
「昼間言っただろ? 今日は神社で宴会だって」
「それで計算済みって事は、あれは竹を持って来いって意味だったのかい?」
ふむ。七夕で宴会だから竹を持って来い、という事か。確かに筋は通っている。
短冊を持っていくべきかと考えていたが、僕の推理もあながち間違ってはいなかったようだ。
「大間違いだぜ。やっぱり香霖は鈍いな」
一瞬で否定された。
更ににやにやと笑い続ける彼女を見て、ああやっぱりこいつは意地が悪いと再々確認する。
言葉一つでここまで馬鹿にされると、さすがにちょっと悔しい。
「ちょっと魔理沙、やっぱり霖之助さん理解してないじゃない。それなら私の勝ちよ」
「もう一度言うが結果が全てだぜ」
何がなんだかさっぱりわからない。
「……話が見えないな。結局何だったのか一から説明してくれないか?」
一体彼女たちは僕の何を賭けていたのか。とりあえず、勝手に賭けの対象にされるのはあまり気分のいい物ではないんだが。
「あー? まだわからないのか? ようするに香霖が昼間の謎掛けをちゃんと理解してここに来れば私の勝ち、そもそもここまで来なければ霊夢の勝ち。つまりこの場合は理解はしてないがここに来たという事で賭け自体チャラだ。ちなみに謎掛けの答えは七夕で合ってるぜ」
「さっきと言ってる事が違うじゃない」
「重ねて言うが結果が全てだぜ」
七夕で正解だが不正解。
竹でなければやっぱり短冊なんだろうか?
「……いや、ここは捻りを加えて筆とかか?」
とりあえず、霊夢にそう聞いてみたが、彼女から返ってきたのは盛大なため息だけだった。やはり違うのか。では墨なんかはどうだろう?
「はぁ。いい加減普通に教えてあげなさいよ……」
目下大混乱中の僕を見かねたのか、魔理沙の代わりに霊夢が口を開く。
「いい、霖之助さん? まず私や魔理沙が織姫。次に宴会が彦星。そして天の帝が霖之助さん。それで今日は天の帝が一年に一回、二人を会わせてくれる日なんだけど、二人が会ってる間、天の帝は二人の間に入ってこない。つまり私達が宴会やってても、霖之助さんは家で本読んでたりする訳。ここまではわかる?」
「……僕は君たちから見てそんなに悪いイメージなのかい?」
そうだとしたら少しショックだ。論点がそこでない事はわかっているが。
「あくまで例えの話よ。で、いつまでもそのままじゃ納得いかない白黒織姫が遠回しに、天の帝に一緒にどう? って話を振ったの。それが謎掛け。魔理沙は意地が悪いから、随分遠回しに話を振ったみたいだけど」
「香霖が自発的に来なきゃ意味が無いぜ。実際来たんだからいいじゃないか」
悪びれもせずにしれっとそんな言葉を口にする。魔理沙らしいと言えば魔理沙らしいが……いくらなんでもこれは遠回しすぎだろう。本当に超能力者でもない限り、そんな推理はまず不可能だ。
魔理沙が僕を心配して誘ってくれた、と解釈すれば悪い気はしないのだが、彼女の事だ、どうせ僕が神社に行かなかった時は「何で来なかったんだ」と文句を言うんだろう。魔理沙なんかよりも、わざわざここまでやって来た僕自身を褒めてやりたい。
「まぁ、これからは僕も宴会に出るようにするよ。たまに、でいいならだけど」
あまり羽目を外すのは好きじゃないが、今日は七夕。それに織姫たちのお誘いだ。今日くらいは別に構わないだろう。
「十分よ。それじゃ、私は素麺でも茹でてこようかしら。二人は適当に準備でもしてて頂戴」
「よし、なら私は短冊を作る。香霖はその竹を近くに立てておいてくれ」
意気揚々と神社の中に入っていく二人を見送って、僕は境内で竹を立てられる場所を探す事にする。
それにしても、織姫が彼女たちで彦星が宴会とはよく言ったものだ。出会えなければ寂しがり、かといって毎日一緒だと疲れてくる。まるで本物の恋人同士のようじゃないか。これは面白い。そうなると、僕が天の帝というのにも、ちゃんとした理由があるのだろうか?
道具屋の店主、宴会に出ない、帝……。
ああ、そうか。
成る程、ようやく理解できた。
ようするに、魔理沙は天の帝にこう言いたかったのだ。
商いだけじゃなく外交にも手を出せ、と。
***
日没前と比べれば大分涼しくなったが、それでもまだまだ外は暑い。
背後から聞こえてくる素麺争奪戦の模様を尻目に、僕は軽い夏ばてを起こして休んでいた。何とも情けない事だ。
「あ! ちょっと魔理沙、あんたまた私の素麺持っていったわね! そこは色付きの奴が固まってるとこなのに何すんのよ」
「別に紅いのも白いのも毎日身に付けてるだろ? あんまり堅い事ばっかり言ってると髪の毛まで紅白になるぜ?」
さすがにそれはないだろう。
後ろの方で愉快な会話が繰り広げられているとは言え、ただ座っているだけというのも退屈だ。何か暇を潰せる物はないものかと辺りを見回していると、魔理沙が作っていた短冊が目に入った。作っている途中で飽きたのか、最初はちゃんと四角く切られていたはずの紙が段々と妙な形に変わっていく様が見ていて少し面白い。
ふむ、どうせ彼女たちの食事が終われば書く物だし、僕だけ一足先に書いてしまおうか。元々短冊なんて吊るしてしまえば皆一緒なのだ。文句を言われるほどの事でもないだろう。
筆と短冊を手に取って、さて何を願うべきかと考えを巡らせる。
商売繁盛……土台無理な話だ。健康長寿……願うまでもない。知人の安全……は心配無用か。
一通り考えてみたが、どれもしっくり来なかったのでとりあえず「現状維持」とだけ書いておいた。我ながら考える事が小さいと思うが仕方ない。とにかくこれを吊るせば七夕に参加したという事にはなる。ようは風情を楽しめればそれでいいのだ。
竹まで歩いていこうと立ち上がった瞬間、軽い立ち眩みに襲われた。まずい。情けないにも程がある。これではただの萌やしっ子だ。
まぁ、なまじ最近は扇風機に頼った生活をしていたので、暑さに対する抵抗力のようなものが薄れていたんだろう。やはりああいった物に頼りすぎるのは良くない。今度からは暑くても打ち水や団扇程度で我慢する事にしよう。何だかんだ言っても、夏は暑い暑いと言いながら過ごすのが一番良いのだ。
ああ暑い暑い。涼しいのもまた一興だが、やはり幻想郷の夏はこうでなくては。
(終)
手に入れた当初はスイッチを押しても何の反応もなかったのだが、数少ないお客の一人から、電気、とかいう物を使えるようにしてもらったところ、すぐに使えるようになった。よくわからないが、恐らくこれを動かす為に必要な精霊か何かなんだろう。僕はそういう方面には強くないので「動くものは動く」という事で納得しておいた。理解出来ないものは気にしないようにするのが僕の信条だ。
ともあれ、最近はとても暑くて本を読むどころではなかったので、こいつの存在は非常にありがたい。ミニ八卦炉がある魔理沙はともかく、夏が来る度に暑い暑いと文句を垂れる博麗の巫女辺りが見たら即欲しがりそうなアイテムだと思う。というか彼女なら「あら、珍しく実用的な物があるわね。それじゃこれも貰っていこうかしら」とか言いながらしれっと持って行ってしまいそうだ。
霊夢の姿が見え次第、これはどこかに隠す事にしようか――そんな事を思いながら、開け放しにした戸に目を向けると、ちょうど白黒の人影がこちらに向かって歩いてくる姿が目に入った。
……ふむ、とりあえず扇風機は仕舞っておこう。持って行かれる事はないにしても、興味本位で弄ってみたら壊れた、すまん。なんて事になったら目も当てられない。
なにしろ、まだ夏は始まったばかりなのだ。こいつには少なくとも一夏分くらいは働いてもらわなければ。
スイッチを切って扇風機を抱え上げた途端、むっとした熱風が外から流れ込んできた。ああ暑い。涼しいのもまた一興だが、やはり夏はこうでなくては。
東方香霖堂 ~ Nostalgic Summer
僕はそれなりに長いこと、彼女と接してきたつもりだが、未だに霧雨魔理沙という人間がよくわからない。いや、読めない、というのが正しいか。
誰かをからかったりするのが好きな意地の悪いやつだが、根は研究熱心な努力家。霧雨魔理沙はそういう人間だ。その本質は昔から全く変わっていない。が、なんというか、突然がらくた集めを始めたり、どうでもいい事に魔法を使う、という事に異常な情熱を燃やしていたりといった、僕からすれば何がしたいのか全くわからない突発的な行動の真意が読めないのだ。
気ままなやつ、とでも言ってしまえばそれでいいのだろうが、その行動によってお気に入りのカップやら店の商品やらを壊されたりする僕としては、事前に彼女の行動を予測して行動できるようにならないと店の商品を守る事ができない。これは店の売り上げ云々の問題ではなく、僕のコレクションを守るという意味合いが強いのだが。
まぁ、とにかく彼女の行動は全くもって読めない。僕は超能力者の類ではないので、彼女のやりたい事や言いたい事を汲んでやる事などできないのだ。
「香霖。今日は神社で宴会だぜ」
だから、店に入ってくるなり、唐突に彼女が放ったその一言の真意など、僕には欠片ほども理解する事ができなかった。
神社で宴会だからなんだと言うのか。宴会なんてそんなに珍しい事でもない。特に彼女たちにとっては日常茶飯事と言っても過言ではないはずだ。
宴会だから店に来た。それが意味する事を考える。
「……酒でも買って行くのかい?」
「あ? どこをどう考えたらそんな言葉が出てくるんだ? 香霖の言い方だと、まるでここが道具屋か何かみたいだぜ」
宴会に持って行く物が足りなかったのかと思ったのだが、違うようだ。……それ以前の問題だが。
「ここは元々道具屋だよ。で、客じゃないならまた暇潰しかい?」
勝手にあがりこんでお茶を入れ始めた魔理沙を見て、いつもの事とわかっていながらもため息が出てしまう。
僕自身があまり商売っ気を出していないせいもあり、僕の店には客と呼べる者がほとんど来ない。
ちょくちょくと顔を出しにくる「常連」は魔理沙を含めて約二名ほどいるが、彼女たちはこの店で物を買う、なんて行為はほとんどしない。買うどころか大体が勝手に持って行くか、勝手に壊していくかだ。恐らく彼女たちはこの店の事を自分の家の倉庫程度にしか思っていないのだろう。
「客じゃないが暇潰しでもないぜ。用件は最初に言ったが」
「神社で宴会なんて別に珍しくもないだろう。だから僕にどうしろって言うんだ」
ず、と音を立ててお茶を飲む魔理沙の顔は妙ににやにやしていて、まるで難解な謎掛けをして相手を困らせている、意地悪な魔法使いのように見えた。これは例えでも何でもなく、ただ見たままを言ったまでだが。
「ま、私の用件は済んだし、今日はこれでお暇するぜ」
ますます訳がわからない。単に休憩でもしに来たのだろうか?
「お茶を飲みに来ただけで帰るのは珍しいね。急ぎの用事でもあるのかい?」
「言ったはずだぜ。今日は神社で宴会だ」
謎掛けのヒントにでもなるかと期待して聞いてみたが、返ってきたのは意地の悪い微笑みと更に意地の悪い返答だけだった。
箒で飛び去っていった魔理沙の背中を見送って、さてあの問いかけは何だったのかと考える。
しばらく思案を巡らせてみたが、さっぱりわからないので気にしない事にした。どうせ二、三日もすれば答え合わせと称してやってくるだろう。理解出来ないものは気にしないようにすればいい。答えが自分からやってくるようなものに関しては特に。
彼女の来訪で僕に理解できた事と言えば、霧雨魔理沙は昔も今も全く変わっていないという事だけだ。
***
魔理沙を見送ってから一刻ほど経った頃、僕は扇風機の重大な欠陥に気が付いた。
扇風機から送られてくる風自体は心地良い。しかし、その風を受けられる位置にいると、本の頁が勝手にめくれてしまうのだ。これは由々しき事態である。
ちょっとした短時間の読書なら気にもならないが、僕のように一日の大半を読書で過ごしているような者にとっては、この欠陥は煩わしくて仕方がない。扇風機がこちらを向く度にぱらりと頁がめくれ、それを戻して読み進めている内に、また扇風機がこちらを向いて頁がぱらり。頁がめくれないようにと背中で風を受けてみたりもしたが、あまり効果は望めなかった。かといって必要以上に扇風機から離れると風が弱くなってしまう。それでは本末転倒だ。
外の世界の人間は、古い文化やしきたりを捨て、代わりに様々な技術などを手に入れたそうだが、その際に使い手の事を考えて物を作るような、細やかな精神まで捨ててきてしまったのだろうか。物に人間が合わせるような世界はそれこそ本末転倒だと思うのだが……。
「誰かいるかしら?」
外の世界に思いを馳せている内に、また誰かが来たらしい。
まぁ、僕にとっては見たこともない外の世界の事よりも、目先の客の方が優先順位は上だ。
さっさと思案を打ち切って、この店にとって何よりも尊ぶべき「まっとうな客」に声をかけた。
「やあ、いらっしゃいませ。……一人とは珍しいね」
彼女が一人でこの店に来るのは本当に珍しい。いつもなら兎耳の少女か薬士の女性が傍にいるはずなのだが。
「永琳たちは屋敷で宴会の準備中なのよ。私は暇だったからその手伝い」
「ほう。君のところでも宴会なのかい?」
魔理沙に続いてここでも宴会。はて、今日は何か特別な日だっただろうかと思案し始めたところに、彼女――蓬莱山輝夜の口からその答えが出てきた。
「あら、気付いてなかったの? 今日って七夕なんだけど」
……ああ。成る程。確かに今日は七夕だ。
という事は、魔理沙が宴会宴会と言っていたのはそれだろう。神社で七夕を祝った宴会をやる、つまりそう言う事か。
「……結局魔理沙が何を言いたかったのかわからないな」
短冊でも用意しろとでも言いたかったんだろうか。
「あの白黒がどうかした?」
「いや、こっちの話さ。さて、今日はどういった御用ですか?」
気を取り直して、店の主として彼女に向き直る。
いくら商売っ気がないとは言え、物を売る気がない訳じゃない。それに、目の前の客を放置するのは商い以前の問題だ。
「それなんだけど、蝋燭がちょっと切れちゃって。このお酒と交換して欲しいのよ」
差し出された一升瓶には大きな字で「紫」と書かれていた。何だかどこかの妖怪を彷彿とさせる名前だ。
「ふむ、蝋燭は確かここの棚に……あった。五箱程度でいいですか?」
「十分よ。それじゃ交換成立ね」
一升瓶を受け取って、蝋燭の箱を渡す。金銭のやり取りこそないが、これも立派な商売と言える。
これを更に米などと交換するもよし、自分でそのまま飲んでもよし。幻想郷の商売は大抵そんなものだ。
「あ、そうそう。店主さん、買い物とは別に、少しお願いがあるんだけど……」
片手で蝋燭を抱え、空いた方の手で「ごめん」のポーズを取る。
「ん? 僕にできる事なら別に構いませんが」
「ちょっと知り合いに伝言を頼みたいのよ。ここに来なかったら別に伝えなくてもいいから」
にやにやと笑いながら話す輝夜を見て、ああ彼女はきっと魔理沙と気が合うんだろうな、などと思う。彼女からはなんというか、魔理沙と同じ悪戯好きの雰囲気が感じられる。それがいい事なのかどうかはわからないが。
それじゃ後はお願いね、と言い残して去っていった彼女を見送って、僕は再び扇風機のスイッチを入れる。試行錯誤の結果、背中から風を受けつつ、両手で左右の装丁ごと頁を掴むようにしておけば、頁がめくれないようになった。少しばかり読み辛いが、背に腹は代えられない。
やれやれこれでようやく落ち着いて本が読めると思ったところではたと気付く。ああ僕は一体何をやっているのか。
僕は今扇風機に合わせて行動しているじゃないか。それでは本末転倒だと言うのに。
***
扇風機はとても便利だが、本を読むのには向いていないらしい。結局「効果的な風の受け方」なんてものを研究するよりは、水でも撒いていた方が早くていい、という結論に達した。やはり最後に役に立つのは自分自身という事か。まぁ、扇風機は今後読書以外の時間で使う事にしよう。
手桶に汲んだ水を柄杓ですくい、縁側から戸口の周りまでこれでもかと撒いていく。打ち水程度で何が変わるんだ、そんな真似をするくらいなら家の中で涼んでるぜ。魔理沙の声が聞こえてきそうだが、生憎僕はもうミニ八卦炉を持ってはいない。持てる者と持たざる者は行動理念からして違うのだ。まぁ、僕も扇風機というアイテムを持つ者なのだが。
店先まで水を撒き終わった頃、遠くから何かを担いだ少女が歩いてくるのが見えた。僕の目が正常に働いているなら、彼女が担いでいる物は大き目の竹に見える。
「お、居た居た。店主さん、どう? 儲かってる?」
腹に力を込めて、やっと声が届くかという距離まで歩いてきたところで、銀髪の少女――藤原妹紅が口を開いた。元気な事だ。肩に竹を乗せて軽々と運んでいる辺りが特に。
君が何か買って行ってくれれば儲かるよ。こちらの声が届くところまで彼女が近付いてくるのを待って、そう返しておく。
「うーん、買いはしないけど交換なら。ほら、この竹と野菜でお酒が欲しいんだけど」
そう言って彼女は竹にぶら下げていた籠を僕に示す。中を覗き込むと、茄子に胡瓜、南瓜に人参などの瑞々しい夏野菜たちが入っていた。
「それは別に構わないんだが……その竹は何なんだい?」
竹細工でも作れという事だろうか。生憎僕はそこまで器用ではないのだが。
「ん? ああほら、今日って七夕じゃない? だから飾付け用にどうかなって思って」
からからと笑いながらそんな事を言う。
確かに商店にはそういう飾りがままあるもんだが、七夕も半分過ぎた今になってそれを持ってきても遅いと思う。その気遣い自体は有難いのだが。
「まぁ、貰える物は貰っておくよ。酒は右側の棚に置いてあるから適当に選んで持っていくといい」
「ありがと。じゃあ竹はこの辺に置いておくわ」
店の壁にそれを立てかけて、ご機嫌で中に入っていく。
鼻歌混じりに酒を漁る物音を聞きつつ、僕はさりげなく彼女に「その話題」を振る事にした。
「そういえば、さっき輝夜さんから伝言を預かったんだが」
鼻歌が止まった。そのせいか、ごとん、と瓶を置く音が妙によく聞こえる。
おかしいな、辺りは蝉の大合唱で賑わっているはずなんだが。
「今日は宴会、天の帝も情けをくれる大宴会。貴方も天の川を渡ってみてはどうかしら? だそうだよ」
返事はない。返ってくるのはごとんごとんという酒を漁る鈍い音だけだ。
まぁ、ここまでは想定の範囲内だ。僕も霊夢たちから聞いただけだが、彼女と輝夜の確執は知っているつもりだ。それを知った上で輝夜の頼みを聞いてしまった以上、僕には商品の無事を祈る事しかできない。ああ、客商売とはかくも辛いものなのか。
「……あー、とりあえず僕には何の事だかさっぱりわからないんだが……」
幻想郷に住む少女たちは、大抵言葉遊びを趣味としている。僕としてはそのせいで彼女たちが何を言っているのか理解できない時がままあるのだが、今がまさにその時という訳だ。
もっとも、今日は朝から「その時」だったが。
「ふん。ようするに今日くらいは怒りを納めて仲良く宴会しましょうって事でしょ。月の人間ってのはどうしてこう大仰な真似しかできないのかしら」
店から出てきた妹紅の顔は、恐らくこれ以上はないだろうというほどに不機嫌色に染まりきっていた。大事な商品を壊されなくてよかった、と、ほっとすると同時に、あんなに楽しそうだった彼女の表情を一瞬にして暗くしてしまった事を申し訳なく思う。
「ま、せっかくの七夕なんだし、それもまた一興よね。あっちからのお誘いなんだし、たまには乗ってやろうじゃないの」
ぶっきらぼうに「これ、貰っていくから」と酒瓶を僕に示し、彼女はそのまま来た道を引き返していった。次に彼女が来た折には、何かおまけでもしてやろうと思う。せめてものお詫びというやつだ。
すっかり乾いてしまった地面にもう一度水を撒いてから、僕は妹紅が歩いていった道を振り返る。
しかし、輝夜の伝言を聞く限り、あれはどうも自分たちを織姫と彦星に例えていたように思える。
一年に一度、天の川を渡って巡り合う二人。その目的は終わりのない大決闘。
とんだ七夕伝説だ。
「あの二人、相性は悪くないと思うんだが……」
もう見えなくなってしまった少女たちを思い浮かべて、ぼそりと呟く。
妹紅が持っていった酒には、とても大きな文字で「紫」と書かれていた。
***
香霖。今日は神社で宴会だぜ。
結局魔理沙は何が言いたかったんだろうか。輝夜の伝言のように彼女の言葉にも何かしらの意味はあるんだろうが、半日かけてわかった事と言えば、今日が七夕であるという事と、やはり魔理沙は意地が悪いという事だけだった。
恐らくヒントは七夕と宴会辺りだろう。七夕と言えば、織姫と彦星が結婚した結果、お互いに夢中になりすぎて自分の仕事を忘れてしまい、それを見て激昂した天の帝が二人を引き裂いてしまう、という話だ。それから二人は一年に一度、天の帝の許しが出る七月七日にだけ会う事を許される悲劇の夫婦となってしまう訳だが、一体それが宴会とどう繋がるのか、さっぱりわからない。星見酒でもしたいんだろうか?
理解できないものは気にしない。それが僕の信条だったはずだが、この謎掛けだけは妙に気になる。恐らく魔理沙のにやにや笑いのせいだろう。あの顔は間違いなく「絶対香霖にはわかりっこないぜ」という顔だ。まぁ、実際わかっていないのだが。
「……好奇心を持つのは別に悪い事じゃないさ」
そんな言い訳にもならない独り言を呟きながら、博麗神社へと続く石段を上っていく。わからなければ本人に聞けばいい。実質の白旗宣言である。
「お? 来た来た。ほれ霊夢、私の言った通りだっただろう?」
「むー、勘が鈍ったのかしら」
「毎日お茶ばっかり飲んでるからだぜ」
鳥居をくぐり、ようやく境内に入った頃、我が店の常連二人の声が聞こえてきた。
女三人集まればなんとやらと言うが、こと彼女たちに限っては二人でも十二分に騒がしい。
「やあ、お相伴に預かりに来たよ」
「あら、霖之助さんはただ酒飲みに来ただけなの?」
「一応土産も持ってきたつもりなんだけどね」
担いできた竹と野菜を下ろして言う。これでも今日の売り上げだ。少なくとも僕にとっては。
「土産も何も、香霖が竹を持ってくるのは計算済みだぜ。まぁおまけまで付いてくるとは思わなかったが」
「何が計算済みよ。霖之助さんが来る来ないで賭けてた癖に、竹もへったくれもないじゃない」
「結果が全てだぜ」
にやにや笑いを浮かべながら、魔理沙は霊夢の追及をのらりくらりとかわし続ける。
はて、計算済みとはどういう事だろうか。
「……何でわかったんだ?」
「昼間言っただろ? 今日は神社で宴会だって」
「それで計算済みって事は、あれは竹を持って来いって意味だったのかい?」
ふむ。七夕で宴会だから竹を持って来い、という事か。確かに筋は通っている。
短冊を持っていくべきかと考えていたが、僕の推理もあながち間違ってはいなかったようだ。
「大間違いだぜ。やっぱり香霖は鈍いな」
一瞬で否定された。
更ににやにやと笑い続ける彼女を見て、ああやっぱりこいつは意地が悪いと再々確認する。
言葉一つでここまで馬鹿にされると、さすがにちょっと悔しい。
「ちょっと魔理沙、やっぱり霖之助さん理解してないじゃない。それなら私の勝ちよ」
「もう一度言うが結果が全てだぜ」
何がなんだかさっぱりわからない。
「……話が見えないな。結局何だったのか一から説明してくれないか?」
一体彼女たちは僕の何を賭けていたのか。とりあえず、勝手に賭けの対象にされるのはあまり気分のいい物ではないんだが。
「あー? まだわからないのか? ようするに香霖が昼間の謎掛けをちゃんと理解してここに来れば私の勝ち、そもそもここまで来なければ霊夢の勝ち。つまりこの場合は理解はしてないがここに来たという事で賭け自体チャラだ。ちなみに謎掛けの答えは七夕で合ってるぜ」
「さっきと言ってる事が違うじゃない」
「重ねて言うが結果が全てだぜ」
七夕で正解だが不正解。
竹でなければやっぱり短冊なんだろうか?
「……いや、ここは捻りを加えて筆とかか?」
とりあえず、霊夢にそう聞いてみたが、彼女から返ってきたのは盛大なため息だけだった。やはり違うのか。では墨なんかはどうだろう?
「はぁ。いい加減普通に教えてあげなさいよ……」
目下大混乱中の僕を見かねたのか、魔理沙の代わりに霊夢が口を開く。
「いい、霖之助さん? まず私や魔理沙が織姫。次に宴会が彦星。そして天の帝が霖之助さん。それで今日は天の帝が一年に一回、二人を会わせてくれる日なんだけど、二人が会ってる間、天の帝は二人の間に入ってこない。つまり私達が宴会やってても、霖之助さんは家で本読んでたりする訳。ここまではわかる?」
「……僕は君たちから見てそんなに悪いイメージなのかい?」
そうだとしたら少しショックだ。論点がそこでない事はわかっているが。
「あくまで例えの話よ。で、いつまでもそのままじゃ納得いかない白黒織姫が遠回しに、天の帝に一緒にどう? って話を振ったの。それが謎掛け。魔理沙は意地が悪いから、随分遠回しに話を振ったみたいだけど」
「香霖が自発的に来なきゃ意味が無いぜ。実際来たんだからいいじゃないか」
悪びれもせずにしれっとそんな言葉を口にする。魔理沙らしいと言えば魔理沙らしいが……いくらなんでもこれは遠回しすぎだろう。本当に超能力者でもない限り、そんな推理はまず不可能だ。
魔理沙が僕を心配して誘ってくれた、と解釈すれば悪い気はしないのだが、彼女の事だ、どうせ僕が神社に行かなかった時は「何で来なかったんだ」と文句を言うんだろう。魔理沙なんかよりも、わざわざここまでやって来た僕自身を褒めてやりたい。
「まぁ、これからは僕も宴会に出るようにするよ。たまに、でいいならだけど」
あまり羽目を外すのは好きじゃないが、今日は七夕。それに織姫たちのお誘いだ。今日くらいは別に構わないだろう。
「十分よ。それじゃ、私は素麺でも茹でてこようかしら。二人は適当に準備でもしてて頂戴」
「よし、なら私は短冊を作る。香霖はその竹を近くに立てておいてくれ」
意気揚々と神社の中に入っていく二人を見送って、僕は境内で竹を立てられる場所を探す事にする。
それにしても、織姫が彼女たちで彦星が宴会とはよく言ったものだ。出会えなければ寂しがり、かといって毎日一緒だと疲れてくる。まるで本物の恋人同士のようじゃないか。これは面白い。そうなると、僕が天の帝というのにも、ちゃんとした理由があるのだろうか?
道具屋の店主、宴会に出ない、帝……。
ああ、そうか。
成る程、ようやく理解できた。
ようするに、魔理沙は天の帝にこう言いたかったのだ。
商いだけじゃなく外交にも手を出せ、と。
***
日没前と比べれば大分涼しくなったが、それでもまだまだ外は暑い。
背後から聞こえてくる素麺争奪戦の模様を尻目に、僕は軽い夏ばてを起こして休んでいた。何とも情けない事だ。
「あ! ちょっと魔理沙、あんたまた私の素麺持っていったわね! そこは色付きの奴が固まってるとこなのに何すんのよ」
「別に紅いのも白いのも毎日身に付けてるだろ? あんまり堅い事ばっかり言ってると髪の毛まで紅白になるぜ?」
さすがにそれはないだろう。
後ろの方で愉快な会話が繰り広げられているとは言え、ただ座っているだけというのも退屈だ。何か暇を潰せる物はないものかと辺りを見回していると、魔理沙が作っていた短冊が目に入った。作っている途中で飽きたのか、最初はちゃんと四角く切られていたはずの紙が段々と妙な形に変わっていく様が見ていて少し面白い。
ふむ、どうせ彼女たちの食事が終われば書く物だし、僕だけ一足先に書いてしまおうか。元々短冊なんて吊るしてしまえば皆一緒なのだ。文句を言われるほどの事でもないだろう。
筆と短冊を手に取って、さて何を願うべきかと考えを巡らせる。
商売繁盛……土台無理な話だ。健康長寿……願うまでもない。知人の安全……は心配無用か。
一通り考えてみたが、どれもしっくり来なかったのでとりあえず「現状維持」とだけ書いておいた。我ながら考える事が小さいと思うが仕方ない。とにかくこれを吊るせば七夕に参加したという事にはなる。ようは風情を楽しめればそれでいいのだ。
竹まで歩いていこうと立ち上がった瞬間、軽い立ち眩みに襲われた。まずい。情けないにも程がある。これではただの萌やしっ子だ。
まぁ、なまじ最近は扇風機に頼った生活をしていたので、暑さに対する抵抗力のようなものが薄れていたんだろう。やはりああいった物に頼りすぎるのは良くない。今度からは暑くても打ち水や団扇程度で我慢する事にしよう。何だかんだ言っても、夏は暑い暑いと言いながら過ごすのが一番良いのだ。
ああ暑い暑い。涼しいのもまた一興だが、やはり幻想郷の夏はこうでなくては。
(終)
ちと圧倒されました。
ただあとがきの自分語りが少々鼻につくのが……
そのあたりがちょっと残念でした。
もしかして……いえ、名乗ってない以上、聞くのは野暮というものですね。
折しも真っ当な香霖を見たいと思っていたところだったので、なお楽しめました
ところでラストから4行目の「萌やしっ子」は誤字でしょうか?
それと、自らの犯した罪を懺悔しつつ、これをもって人助け。
【萌やし】
植物。いためてソースを掛けただけで旨い。
へなちょこ野郎の事を指す事もある。しかし心理的にこの漢字を男に向けたくない。
用例・パチェ萌え (俺辞典)
この起伏の無さ、ゆるりするりと読みやすさに任せて目を運べばいつの間にか物語の幕が閉まっている。
上手いです。
こういう霖之助が読みたかった。
最後の締めくくりがいかにも香霖堂。
幻想の夏、堪能させていただきました。
こういう、古き良き日本の風習が垣間見える幻想郷が大好きです。
そんな中でどこまでもマイペースにのんびり生きる住人達も。
電気まで使えるようにしてくれたのは一体誰なのかが少し気になったり。
精霊つながりで彼女……いえ、普通に考えて使い方を知ってる彼女ですかやっぱり。
霖之助というと、自分的にはこういう感じのほうがしっくりくるものを
感じますね。この七夕を皮切りに夏の風物詩を感じさせる作品が
これから沢山出てきそうですね・・・見事な幻想郷の夏的日常ご馳走様でした。
余談:何故か夏って私個人は、儚いイメージが一番強い季節なんですよね。
・・・関係ない事を失礼しました。
キャラクターのらしさ(特にここが秀逸極まります)文章から伝わる夏の暑さや気だるさ、幻想郷の外と内の世界に対する考察、言葉遊び。
どれをとっても間違いなく一級品……というか特級品。
それにしてもおかしいな……東方SS書く上で最も難しい事なのに、これを半日で仕上られるって一体作者様はどういう頭をされてる(最大級の褒め言葉です)んだらう……は!! ま、まさか!? いや、そんな、ねぇ……?(汗)
魔理沙や霊夢も素晴らしかったですし、落ち着いた雰囲気の霖之助がとっても素敵でした。一番気にいったのは扇風機に対する霖之助のスタンス。
僕は今扇風機に合わせて行動しているじゃないか。それでは本末転倒だと言うのに。
何気ない一行ですが、私はこの言葉が素晴らしいと思います。こんな言葉、そうは書けない。驚きです。凄いなぁ……。ああ、読めてよかった。
まるで幻想郷を見て(視て)いるかのような作者さんです。完全に圧倒されました。色々な意味をこめて、私からの初の90点をつけさせて頂きます。ちなみに100より貴重です(笑)
……余談ですけど私は今年、7月7日が七夕だという事をすっかり忘れておりました(汗)彼女達のように、余裕のある生き方をしたいものです。
アレな香霖を書いた後に読んだので、とても不思議な気分に。
こういうのも、いい。
中々風雅で、いい。
まあ、書いた物に後悔はしてないけど(ぉ
俺も素麺取られたいです。
一人称も難しいのに、しかとキャラの気持ちになって読めます。
本当に結構なものを読ませていただきました。
妹紅、慧音も誘っていけよ~。
まんま雑誌とかに載ってても受け入れちゃいそうな出来ですよ。
こうやって見るとまともな霖之助っていうのは結構難しいキャラだと感じました。
まぁ幻想郷の住人はみんな難解だと思うのですが…
素晴らしい物語をありがとうございます。
変態香霖しか見たことがないので、嬉しい作品でした。
この空気、まさに東方だと思いました。
本当に良い香霖堂でした。
飾りの無い素のままの幻想郷を覗けた気がしました。
"創作"というより、ある意味"観測"に近いような。
お近くに幻想郷が?
……いやいや、まさか。
香霖SSが少ないな、と思っていた自分のもとに現れたこのSS。
何ともいえない香霖堂独特の雰囲気を感じることができました。
ぜひ、ほかの季節の香霖堂もー
こういう話なら何度でも読みたくなります
二次創作というものを否定するわけじゃないけど
やっぱり原作の世界が一番だ と原作厨な自分
本当にZUNさんが書いたのではと思うほど惹かれました
これぞ東方 最近東方が何なのか分からなくなってきた自分の顔に
ビンタをかました作品でした
しかし、幻想郷とは何なのでしょう?と考えてしまったのですが···
きっとこの物語のような···いや、「ような」ではなくこの「物語」なのでしょうね。
素晴らしい物語を見せていただきました。