Coolier - 新生・東方創想話

火車小町

2009/05/06 12:12:21
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火車小町

※一部グロテスクな表現あり











 幻想郷の人里より西の山中に古い埋葬地がある。
 古いといっても百年や二百年も前のものではなく、ついこの間に葬られる者がいた程であった。
 しかし流行病といった問題から土葬が廃れ、火葬が主となると遺骸が小さくなり人一人を埋める場所を確保する必要もなくなった。
 さらにその場所は昼でも薄暗い程木々が繁茂した場所であり、里から離れているので人の往来に危険が伴う。
 歩けば人ならぬ者に逢いかねないのだから、埋葬するにも墓参りするにも容易ではない場所だった。
 そんな理由からその埋葬地を望む人間は、先に逝った縁者と共に静かに眠りたいという孤独な者だけであった。
 彼らが亡くなった時は棺桶を担いで鈴を鳴らし、詰め寄った人間達によるしめやかな行列が見られる。
 その様子は人の儚さを知らしめるようであり、彼の者は生前どんな想いであの地に弔われるのを決意したのか―――そんな事を考えさせられる光景だった。
 人間も妖怪も道行く行列を見た時は、亡骸が物寂しい山林へ運ばれるのをただ黙って見送るという。










 静かな山林に似つかわしくない、ごろごろというやけに騒々しい音が響き渡っている。
 景色の変化が感じられず、ただただ木々が雑然と立ち並ぶ場所に一本の道が伸びていた。
 山道にしてはお粗末であり、獣道とするには少々広すぎる道である。
 見通しが悪いようには感じられないが、昼間であっても薄闇と木漏れ日の境が曖昧で足元が不安になるという。
 いずれにしても往来は無いに等しいので、何処か陰陰滅滅としていて人を遠ざけるかのようだった。

 そんな道を行く影が一つ。

 何やら派手な音の出所もその影だとわかる。
 時刻は誰そ彼時を過ぎており、道行く者の人相は判然としない。
 故にこの影が何者であるかは近寄って見ないとわからないだろう。
 しかし、里の者が見ればこの影を人間とは思わず、ましてや近寄ろうなどとは考えない。
 魔に逢う時間帯に山中を徘徊する事がどれほど危険か心得ているためである。
 迂闊に近寄って、さながら行燈の炎に誘われる蛾虫の如く命を落とす事もない。
 逢魔刻の中では区別がつかないと言われるほど、人間に酷似した妖怪は多いのである。
 そういった妖怪ほど知性が高く狡猾であり、出歩く人間を惑わせて襲い掛かるのだ。

 影は確かに人間のものではなかった。
 姿形だけを見れば人間と大差ないが、やはり里の人間とは異なる風体である。
 白い布で覆い隠された猫車をごろごろと押して歩く娘だった。
 三つ編みにした赤い髪から飛び出た黒い猫の耳を持ち、身に纏う黒装束は言い知れない不吉さを孕む。
 何処を見ても異様に感じられる異形の姿であった。

 この異形、名を火焔猫燐という。

 もっともその名で呼ぶ者は数少ないだろう。
 彼女自身が長い名前で呼ばれることを嫌い、自らお燐と名乗っているからである。
 また、彼女の名を知らぬ者は侮蔑や畏れの意味を込めて火車と呼ぶ。
 火車はお燐の二つ名でも何でもなく、彼女自身の出自を現している。
 それは、罪人の亡骸を奪うと言われる妖怪の事である。その者が死ぬと暗雲と大風雨と共に地獄から現れ、葬式や墓場から亡骸を奪い五体を引き裂いて山中に捨て去る―――これらは人間が脚色したであろう部分も含まれているが、彼女が亡骸を攫うという点では概ね正しい。
 だから人間からは遺骸を奪う者として畏れられ、妖怪からは死体漁りとして疎まれるのである。
 下賎な妖怪―――他の妖怪はそう批評するが、彼女にとってはどうでもいいことであった。

 確かに地底に封じられた妖怪の一人であり、地上の者達から嫌われている事は自覚していた。
 しかし、火車となったのは死体や怨霊を喰らう事でしか生きる術を知らなかったからであり、自分はなるべくして火車になったと考えている。
 ならばそれを悔やむ気も悲観する気もない。
 貶されようと侮られようと火車としての仕事―――死体運びを楽しむだけである。
 幸いにして先のとある地底騒動より、地上との行き来は比較的簡単になった。
 獣や妖怪の屍骸なら旧都でも手に入るが、人間の死体だけは地上でなければ手に入れられない。
 地底に封じられ滅多に地上に出れない中で、それだけが非常にもどかしく感じられた。
 元来人間の死体を運び、人間の亡骸を食う妖怪本来の性なのかも知れない。
 だからこっそりと、本当に誰の目にも触れず洞窟から抜け出て死体を探しに行ったものである。
 それで見つけられるのは既に骨となったものか、良くて獣か妖怪が喰ったであろう残骸であり満足な死体は中々見つからない。
 自分で仕留めるとなると他の妖怪の目をつけられる危険性があり、そうなれば彼女だけでなく地底の住人にも累が及んでしまう。
 今となっては、大っぴらに葬式の場から死体を持ち去りでもしない限り、ある程度は許されるだろうと考えている。
 こうして埋葬地へと続く山林の道を歩いているのは、そんな理由からだった。

 山は夕闇から暗闇へと移り変わろうとしている。
 ぼんやりとした像は浮かび上がるが、真っ当な人間なら明かりなしでは歩くのは困難だろう。
 しかし、夜目のきくお燐ならば道を歩くのも、目的のものを探すのも造作のない事だった。

 やがて―――立ち並ぶ木々の中でやけに開けた場所に辿り着いた。
 そこは一箇所だけ土が盛られた塚があり、その周囲には穴とは呼べない浅い窪みがいくつかあった。
 盛られた土の上には天然石でない、加工されたものが鎮座している。

 ―――見つけた。

 思わず顔が綻ぶ。
 幾度となく経験してきた事だが、やはりこの瞬間になると心が躍るものだった。
 自然と足が速まり、ごろごろと押す猫車が石や窪みで弾み大きく跳ねた。

 一直線に盛られた土の前へ来ると、まず上に置かれた石を取り払った。
 続いて塚の前に手をつけると、無造作に顔を土に埋める。
 当然顔は汚れ、泥臭い匂い、湿った土の香りが鼻を突くが気にも留めなかった。
 むしろこの、苔や黴といった生物が内包された土の臭いが好きであった。数多の生命がいれば、当然そこには死に逝く者もいる。
 その臭いを肺一杯吸い込むと顔を上げて鼻先を拭い、今度は両手を塚に差し込んで土を掻き分ける。
 長く伸びた爪の間に土が詰まるが構わず続け、やがてがりがりと本当に大地を引き裂かんばかりに掘り進めて行く。
 土が湿気を吸っていることも手伝って見る見る塚が窪みとなっていった。

 お燐は愉快そうな様子でその行為に没頭していた。
 目を大きく見開き口を噛み締め、笑みを堪えるかのような表情である。
 これが妖怪としての本分、火車としての仕事なのだと楽しんでいるのだった。

 やがて、爪先が土とも小石とも違うものに触れ、次の瞬間には鋭い痛みが指先を貫いた。
 勢いよく土を掻き出していた所為だろう。それを思いっきり引っ掻き破片が爪の間に刺さったのだ。
 お燐は手を土から上げると、指先に刺さった木片らしきものを一本、二本と遠慮なく引き抜いた。
 激痛を伴うはずだが、むしろその顔には回心の笑みを浮かべている。

 それまでの乱雑な作業とは打って変わって今度は丁寧に土を除けていく。
 一杯、また一杯と両手で掬い上げいくと、土中からそれが姿を現した。
 木の断面がいくつも並べられて円形になっており、明らかに人の手で作られたものだとわかる。
 その表面には今し方、彼女がつけたと思われる傷があり少しめくれていた。
 
 棺桶だった。
 
 喜びの余り息が漏れた。
 土臭い棺桶に顔を近づければ、僅かな隙間を縫って濃厚な腐肉の臭いが漂ってくる。
 暗い土の下の閉じられた棺桶の中でいい具合に腐敗していたのだろう。
 埋められた頃合はわからないが、お燐は蓋の下の死体の血塗の相を想像した。

 骨砕け筋壊れて北都の在り、色相変異して思量し難し。
 腐皮悉く解く青黛の顔、膿血忽ち流る爛壊の腸―――。

 人が死ねば体は膨れ上がり、肌は毒々しく変色して破れ、臓物は腐り流れ出る。
 やがて人体とは言い難いほど肉は腐り落ち、蠅がたかり蛆が肉塊を食い荒らす。
 人間達はそれが醜いと目を逸らし、汚らわしいもののように扱うと聞くが、それがお燐には理解できなかった。
 腐乱した屍骸は自分達にとって醜いものでも何でもなく、立派な馳走だった。
 捕らえた獲物であっても、腐らせておいた方が肉に酸味がきいて旨くなるのだ。
 肉は咥えれば柔らかく千切れ、口に広がる腐汁は何とも言えないもので思い浮かべるだけで喉が鳴る。

 早く喰いたい。
 元より独り占めする気はなかったが、獣の欲求が思考を妨げていた。

 指先の土を丁寧に舐めとると、蓋の端に手をかけた。
 肉の腐敗は速いが木は中々腐らないので、死体を取り出すには抉じ開けるしかないようだ。
 この場で開けてしまえば腐っている死体を運搬するのは苦労するだろう。
 しかし、腐肉の臭いに酔いしれたお燐にとってそんな後の事は些細な問題だった。
 ぎしりと蓋が軋む音を立てる。その時だった。


 「墓荒しとは感心しないねぇ」


 張りがあり、やけによく通る女の声だった。
 唐突にそんな声がかけられ思わず手が止まる。
 一瞬驚きの余り目を見開き体が強張らせるが、すぐに棺桶から手を離し半身を返す。
 声の方向―――背後を振り返ると屈んだまま身構えた。

 「それとも墓磨きかい?」

 声はこちらの様子など意に介さないようだった。
 明瞭な気配は感じられないが、その姿をお燐は闇の中で捉えていた。

 「里の豆腐屋の主人が墓磨きに逢ったって話を聞いたよ」

 ゆっくりとその者は墓地の入り口より歩み寄り、お燐から少し離れた窪みの前でぴたりと止まった。

 「何やら夢中で墓を磨いていて、声をかけたら消えちまったって話だ。まったく奴等は何で墓なんか磨くのかねぇ」
 「そりゃあ墓を磨かないなら墓磨きなんて名前はつかないよ」

 お燐はそれの一挙一動に目を離さず口を開く。

 「墓を磨きたい奴が墓磨きをやってるんだから、それを尋ねたら無粋ってもんさ」
 「あはは、そりゃそうか。ところでお前さん、そんな風にしゃがんでて足が疲れないかい? 座るんだったら足伸ばした方が楽だよ」
 「んー、確かに人の姿だとこの格好は足が疲れてくるね。お言葉に甘えたいところだけど、やっぱりそっちが立ってるなら座る気はしないや」

 そう言うと立ち上がり、服についた土を払い落とした。
 ついでに服の中に隠した髑髏の具合を確かめる。
 知らぬ者が見れば猫か何かの動物の骨にしか見えないだろうが、彼女にとっては地獄の怨霊を使役する道具であり、獲物を死体にするための猟具でもあった。
 常に持ち歩いているのためか地獄や妖怪の瘴気にあてられ、唯の骨とは呼べない代物になっている。

 そうして、改めて自分が対峙する者に目を向けた。
 背の高い女だった。鬼でも呑んだかのような不敵な面構えであり、おおよそ真っ当な者ではない事がわかる。
 手には巨大な大鎌を掲げている。その鎌こそが、概ねこの女の素姓性質をそのまま映し出していた。

 「お姉さん、死神だね」
 「おっと、先に言わないでおくれよ。そういうのは自分から名乗るものだろう?」

 お燐の問いに、その者は笑って肯定した。
 彼女もまたつられて笑ったが、頭の中では様々な思いをめぐらせている。

 死神は、一度現れた時は必ず人が死ぬといわれるほどの死の象徴であった。
 生きる者の寿命や死ぬ時期を定める―――さながら死を司る泰山府君のような存在と考えられている。
 しかし、これらも人間が勝手に想像したものであって、本来は閻魔大王の直属の者達を示す。
 お燐の知る限りで閻魔大王に直接仕える者は死神を除いて、地獄の獄卒達の頭目である鬼神長だけだ。
 噂には聞いていたが、こうして死神と対峙するのは初めての経験だった。

 「で、そんな死神のお姉さんがあたいに何の用だい? もしかしたらお迎えって奴かな」

 軽い調子でお燐は尋ねた。
 出来るだけ親しげに、表面上は害意がないようで得体の知れなさを匂わせるためのものである。
 彼女の場合、会話が出来る相手というのは有難い事この上ない。
 妖怪としての力のない頃は口先三寸で地獄を生き延びた経験があり、言葉を弄するのは自分にとって処世術同然だった。
 相手を焚きつける為とか、何か目論見でもない限り戦闘は―――特に死神といった相手には―――避けたいと考えている。
 いくら決闘と呼ばれるルールが存在するとはいえ、こちらが誤って死神の領分を侵せばどんな目に遭うかわからない。

 「ほう、身に覚えがあるのかい?」

 死神は口の端を吊り上げ、にやりと挑むように笑った。
 お燐はあえてそれを見ようとせず、わざとらしく手を組んで考える振りをする。

 「うーん。あるような気もするし、ないような気もするねぇ。人間や妖怪は知らず知らず、死神から狙われるような事をやってるってのはわかったけど」
 「その通り。まあ、お迎えをする死神なんて三戸の虫みたいなものだ。どんなに潔癖でも長く生きていれば小さな罪がかさむから、その罪を自覚のない当人の前にさらして揺さぶりをかける。他の連中も自分の知らない罪に気がつけば、閻魔様の裁きも三戸の仕事も楽になるんだがね。もっとも―――」

 死神は担いでいた鎌を大きく振り上げると、ぴたりとお燐に向けた。
 細い腕からは考えられない大力だが、妖怪である自分達にとっては難しい事ではないだろう。

 「お前さんの場合は、少し話は違ってくるが」

 むしろ、死神の眼力に気圧された。
 半歩、後ろに下がる。

 「そんなもの人に向けちゃ危ないって。冗談きついよ、お姉さん。」
 「冗談だったらいいねぇ。それより、墓荒しは程々にしたらどうだい。少しでも自覚できる仕事なら、これ以上業は深めたくないだろ、火車?」
 「……そりゃあね、あたいがこの場で死体になるのはご免だよ。だけどさ、あたいがやってるのはそんなに悪い事かい?」

 お燐は死神からもう半歩、今度は横に動いて塚があった場所を見せる。
 掻き分けられた土が飛び散り、棺桶が露出して墓としての体裁は失われていた。

 「だって死体だよ。とっくに魂が抜けきってるんだから怨霊すら生み出せない。ここで腐らせるだけならあたいが持ち去って、何の不都合があるというのさ」
 「死体だからそれを掘り出してもいいのかい? 死体だからそれを持ち去ってもいいのかい? 死体だからそれを喰っちまってもいいのかい? それは勝手というものだろう」
 「わからないねぇ。あたいがやってる事は生きるために死んだ者を喰らう事じゃない。生きるために喰えるモノを喰ってる話なのにさ」
 「ああ、お前さんの言いたい事はわかったよ」

 死神は再び鎌を担いだ。
 顔には依然として笑みを浮かべているが、その眼光は鋭い。

 「死体と死者は違うものだって言いたいんだね。そりゃその通りさ。死体なんてものは、ただのモノだよ。死者が去って残るのはいずれ朽ち果てる洞だけだ。霊魂は余程妄執でもない限り彼岸まで一直線。大抵の人間はこっちに死体しか残せやしない。だから、それを奪おうとするのは酷な話だろう」
 「奪うってのは縁者からかい? こんな場所に眠る人間は無縁仏同然だよ。弔う者なんか誰もいないさ。それに死体をいくら手厚く供養したところで、逝き先決めるのは閻魔様の仕事じゃないか。お姉さんの言う通り死体がモノだとしたら―――それに執着するのは、無駄な話だよ」
 「そうじゃない。あたいが酷だと言ったのは死者に対してだ。死者の尊厳にだよ」

 尊厳と聞いて、お燐は本心から呆れてしまった。

 「哀しいね哀しいねぇ、お姉さん。そんなんじゃ泣く子も黙る死神の名が泣くよ。死者が死体に固執していない以上、死体に何をしたところで死者の尊厳が傷つけられるわけがない。霊魂が死体から離れた時点で死体はモノとなる。つまり、その時点で死者と死体は区分されていいはずさ」

 やけに芝居がかった口調でそう言う。
 勿論これは大袈裟な物言いと減らず口で相手を丸め込む、彼女なりのやり方である。

 「―――我死なば焼くな埋むな野に捨てよ、飢えたる狗の腹を肥やさん」

 しかし唐突に、死神が朗朗とした調子で歌ったのでお燐は思わず面食らった。
 彼女自身は詩歌などまったく知らないが、この死神もそういった類に縁があるとは思えないからだ。

 「この歌を知ってるかい?」
 「知らないけど―――あたい好みの内容だね。飢えた獣の腹を満たそうなんてさ」

 そんな事を嘯く。
 実際、歌の善し悪しなどわからないので、思うままに答えただけである。

 「そう、この歌は絶世の美人なんて呼ばれた奴が詠った歌だ。そいつはね、あろう事か自分が死んだら道端に捨てて、腐って獣に貪られるを望んだという」
 「大した人間じゃないか。死んで獣に喰われようとするのは立派な心がけだよ。それなら、尚更あたいが咎められる道理はないねぇ。あたいだけじゃなく他の連中も死体がないなら飢えるんだ。生きるために―――存在し続けるために死体が欲しい。死体は生きる者にとっては必要な糧になんだよ」

 その言葉を死神は笑い飛ばした。
 先程の聞き入ってしまうような歌を詠んだ者と同じとは思えない、豪快な笑い方である。

 「それは大きな勘違いってものだ、火車。この歌を詠んだ奴は単に自分が腐敗していく様子を周りに見せ付ける、露悪趣味だっただけだ。獣の腹を満足させてやろうなんて気持ちはこれっぽっちもなかっただろうねぇ」

 お燐は死神の言葉の理解できず、怪訝そうな顔をする。
 喰わせるためでも、ましてや運ばせるためでもなく自分の死体が腐ってゆく様子を見せる。
 それに何の意味があるというのか。

 「その人間は、どんな考えで腐ってゆく自分の死体をさらそうとしたんだい?」

 口先に自信があるはずの自分が、何時の間にか本心からの疑問を口にしていた。
 それはこの死神が、彼女を火車と知っていても侮る事も蔑む事もせず、ただ凛然と立ちはだかっているからであろうか。
 その様子は何処か自分をペットとして育て、学を教え込んだ彼女の主人に重なるものがあったのかも知れない。

 「恥をかくためさ」

 死神はきっぱりと言い切った。

 「恥をかく―――?」

 声に出した所で意味は判然としなかった。

 「お前さん、どうして人間が死体を焼くなり埋めるなりして埋葬するか―――考えた事ないだろう?」

 死体を埋葬する意味。
 突然問いかけられ思い返してみるが、確かに人間が埋葬するという行為について考えた事はない。
 物事に対する捉え方などそれぞれであり、自分がどう考えていようと他者に口を挟まれる筋合いはないと思っていたが―――それ故、人間が死体をどう思っているなどと考えていないからだろう。

 「確かに考えた事ないね。焼けば焼くなりの手間が掛かるし、埋めるには埋めるための棺桶や場所を用意しなきゃならない。どうして、そんな面倒な事をするんだろうね?」
 「恥をかかないようにするためさ」
 「また、恥かい」
 「人間にとってはね、自分の死体が腐乱してゆく様子を見られるのは恥ずべき事なんだ。だから火に焼かれて骨にする。土に埋められ人目を避ける」

 お燐はそれを聞いて思わず呆気にとられた。
 そんな理由で、人間は埋葬という手間をかけるのか。
 人間は死んだ後の自分の恥までも考え、最後までそれを人目にさらさないようにするのかと―――死神から目を逸らし、足元に顔をのぞかせた棺桶を見ながらそう思った。
 そして仮に、自分が地霊殿の妖怪達の前で朽ち果てる様を思い描いてみたが、上手く出来なかった。

 「お前さんがやっている事は安らかに土の下へ封じられるはずの人の恥を暴きたて、それを別の場所へ持ち去る行為だ」

 死神は棺桶に目を向けているお燐に静かに告げた。

 「それで死者の魂が悔いなく三途の川を渡れるはずがない。此岸に唯一残された亡骸が恥をさらされた事で妄執や悔恨が積もり、そして怨霊が生まれる」

 それが死神の真意なのだろうと、お燐は思った。
 お燐は火車であったから死体を運ぶ事を当然としてきた。
 しかし、自分は火車となって改めてその仕事について考えようとせず、ただ楽しむだけだった。
 死神は死体を単なる必要とされなくなったモノと捉え、死体と死者の繋がりを知ろうとしないまま怨霊を生み出してきた自分を放置できなかったのだろう。

 「あたいは、死者に恥をかかせてきたのかい?」
 「お前さんはそれを悔いる気はあるか?」
 「それは―――ないね。あたいは火車だから死体は運ぶものさ。いくら死者に恥をかかせようと、あたいはあたいの仕事をするだけだよ。死体を運ばない火車は、火車と呼ばれないからね」

 本心であった。
 自分の仕事の上で恥をかかされ、怨霊が生まれたとしてもそれを止める気はさらさらない。
 それを止めてしまった時点で火車となった自分の恥だからである。

 「それでいい。お前さん決めるのは、結局お前さん自身だ。あたいの話を全て鵜呑みにする必要はない。あたいが確認したいのは、お前さんがその棺桶を開けるかどうかという事だけさ」

 そう言うと死神はお燐の足元の棺桶に目をやった。
 土に埋もれた棺桶の中には、自分が待ち望んだ人間の腐肉が入っている。
 腐敗が進んで棺桶が崩れると骨は土に紛れ、それも時間とともに塵芥となるだろう

 「いいのかい? 死体を持ち去ることがあたいの仕事なんだ。目の前の死体をみすみす見逃せない」
 「言っただろう、それを決めるのはお前さん自身だ。持ってきたいと言うなら止めやしないよ」

 お燐は膝を曲げて棺桶に手をつくと、しげしげとその表面を眺めた。
 相変わらず蓋から濃厚な腐臭が流れ出て鼻をくすぐる。途端に胃が動き出し自然と唾液を嚥下した。
 先程と同様に蓋に手をかけると、みしりと音がした。もう棺桶が脆くなっているのだろう。
 あと少し力を加えれば釘が弾け蓋が開き、中の死体を目にする事となる。

 「そういえばさぁ、お姉さん」

 お燐は背後にたたずむであろう死神に声をかけた。

 「ん? 何だい?」

 死神はそれを予想していなかったらしく、一瞬虚をつかれたような声を出す。

 「さっきの歌の人間は―――自分から恥をかいてどうしようと思っていたのかな」

 ああ、あの歌ね―――少し言い淀んだ様子だった。

 「その女は、その恥の様子を知らしめたかっただけだ。どんな美女だろうと醜女だろうと、裕福だろうと貧困だろうと、聖人だろうと罪人だろうと、結局皆悉く同じ様に恥ずべき有様となってゆく―――そんな事を言いたかったんだろうね」
 「死ねばどれも大差ないってかい?」
 「それなら閻魔様も何も必要ないだろう。生きているうちに積み上げたものの大半は意味を成さないが、その中には死んで通用するものはあるのさ」
 「なるほどねぇ、それが業って奴かい」

 お燐は楽しげに一人うなずくと、周囲の土を手繰り寄せて棺桶を覆ってゆく。

 「結局死体を見逃すのかい? お前さんは」
 「あたいは火車だよ。だから、死体を見られたぐらいで恥をかいたと思うような人間はいらないね。やっぱり、恥の一つや二つ何ともないような罪深い奴じゃないとねぇ」
 「そんなものは、それこそ閻魔様に任しとけばいいじゃないか。なぁに、あの方なら罪人が十も二十も増えようと難なくこなしてくれる」
 「閻魔様にみすみすとられるつもりはないよ。あたいは死体運びが楽しくてやってるんだ。だけど、素人みたいにあれもこれも手を出すのは止めた。これからは、あたいが運びたいと思う死体を選ぶのさ」

 そう言いながら棺桶の蓋が隠れるほどに土をかぶせる。
 しかし、元通り塚を作るには足りないようであった。掘る際に土を遠くまで飛ばしたからだ。
 周りの土を掘ってそれを足すかと思っていると、死神が傍らに立って鎌で大地を削り始めた。

 「やれやれ、これで漸く墓参りが出来るね」
 「墓参りって―――お姉さんここに墓参りに来たのかい?」
 「ああ、お前さんの言った通りこの墓地は弔う人間がほとんど来ない場所さ。多分この墓が、この場所で最後に葬られる人間のものになる。あたいはね、葬儀の行列を見た後にその霊を彼岸まで送ったんだ。それから、どうせ人が来ないなら暇な時にでも様子を見に行ってやろうと思ったんだが―――」
 「そしたらあたいと出会ったと。何だい、てっきり死神に目をつけられてるのかと思ったよ」

 お燐の拗ねたような調子に、死神は思わず微笑んだようだった。
 鎌で削りだした土を集め、二人がかりで塚を作ってゆくが、それは先にあったものより一回りほど大きなものになりそうだった。
 形を整え、最後に墓石を塚の上に載せて弔う。
 そこでお燐は隣の死神の見よう見まねで、何の気なしに―――初めて手を合わせ拝んでみた。

 「ま、拝んだところで清浄さも敬虔さも中々湧かないだろうが―――どうだい、火車。少しは死体について考えてみる気になったかい?」
 「そうだねぇ。お姉さんの御高教を享受して、じっくりと地底で考えてみるよ」

 そりゃあ、よかった―――と、死神は笑い、お燐も今度は素直に笑う事が出来た。
 気がつけば月が空に昇り、その月光に照らされて墓地はほのかに明るくなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
初めまして、布留部というモノです。
書いていて迷走し、満足なものにはならなかったけど投稿。
独自の考え、論理が書ける作者の方が羨ましい……。
布留部
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コメント



0.760簡易評価
5.70名前が無い程度の能力削除
まぁ、よろしいと思いますよ。
むしろ気になるのは内容より作者の名前の方。
作中の小町の言を借りるまでも無く作者が決める事です。
その意味を理解しているならとやかく言う事は無いですが。
7.無評価布留部削除
確かにこの名前は卑しい、犯罪といった印象を受ける方も多いかもしれませんね。
私個人としては偏見だと考えていましたが、こういった場では配慮が足りない行為でした。
申し訳ありません。改名しました。
9.90名前が無い程度の能力削除
歌、意識してやったものなら自演乙と言ってみる。
火車であり獣でもあるのが妖怪・火焔猫燐なんだなぁと考えましたね・・・