なぁ、知ってるか?
何を?
阿礼乙女様の本によるとだな、湖の紅い館には別嬪の侍女がいるらしいぞ。
何を言ってるんだお前。
あんな物騒な屋敷に人間なんかいるものか。
よく里にも来るらしいし、町外れのガラクタ屋にも来てるって話だぞ。
里はともかく、ガラクタ屋に行く奴にまともなのがいたか?
胡散臭い感じしかしないだろ。
お前、女好きもいい加減にしないと死ぬぞ?
美人なのは確実なんだし、いいじゃんか。
人間をないがしろにすると、慧音さんに叱られるぜ?
あのなぁ……。
吸血鬼と魔女だぞ?
魔女はどうか知らんが、吸血鬼は人を食うんだぜ?
生贄ならともかく、長い時間あそこに居て食われず生き残ってるなんて――
人間なわけないじゃないか。
紅い館の夜は早い。
主が夜型であるため、活気が出るのは太陽が西に潜る頃からになる。
妖怪悪魔が跋扈する闇の時間。
夜の王は、黄昏に目を覚ます。
「さくやー、ふくー」
「只今、お持ちいたしますわ」
寝ぼけていたりもする。
紅魔館の仕事のほとんどを受け持つ咲夜は、ここから仕事が始まると言っても過言ではない。
寝ていた主姉妹が起き出し、昼に強い妖精は眠りにつき、外敵も増え始まる。
外敵に関しては、ほとんど美鈴が追い払うので問題は無い。
咲夜は概ね、主であるレミリアについて行動することになる。
フランドールは、大抵のことは一人でこなせるから手間がかからないことが救いである。
「咲夜、今日は出かけてくるわ」
「お供しましょうか?」
「いいわ、夜なら負けることもないし、朝までには戻る」
「かしこまりました。ところで、今日はクリスマスでは?」
「……そういえば、そうだったわね」
廊下には、誰もいない。
外の世界では聖夜と言われる日であっても、悪魔の館でそれを祝う事は決してない。
何より、神の子どころか神そのものが幻想郷には溢れるほど居る。
しかし、何よりも宴会が好きな幻想郷の住民だ。
今日もどこかの神社で酒盛りが行われているだろう。
そして、翌朝では何人かの人間が妖怪の餌になる。
ここは幻想郷。
油断をすれば、食われるのが道理。
天敵なんぞ、そこら中にいるのだ。
「お嬢様は、実はお呼ばれとかですか?」
「暇だから夜襲でもと思っただけよ」
「そうですか」
ただの気まぐれらしい。
「咲夜こそ」
「?」
「里の半獣なんかに呼ばれてないの? 変な気を回しそうなのに」
「あ、一応招待状は届いていましたが、お断りしましたわ」
「何で?」
「何でと言われましても……」
咲夜は、レミリアが何故分からないのかと首を傾げた。
コミュニティを持たない吸血鬼だからか、館の主という立場ゆえか。
「わざわざ、場の空気を悪くしに行くほど私は間抜けじゃありませんわ」
その後、簡単な食事を済ませたレミリアは何も言わず出かけていった。
咲夜は、一応主の身を案じてみた。
しかし、今は月齢も半ばをすぎた三日月の鏡写し。
あまり派手なことはすまいと、主の心配をやめた。
夜の吸血鬼ほど、手がつけられない種はほとんどいない。
また、ヴァンパイアハンターという稀少な職も幻想郷にはいない。
弾幕ごっこ以外においては、まさに不死の王と呼ばれるに相応しい紅い月。
心配をするだけ、無駄というものだ。
「さて、今のうちに仕事を片しちゃいましょう」
咲夜はそういって、モップとバケツを担いだ。
掃除といえば、これである。
ちなみに、紅魔館は大掃除が必要なほど汚れていない。
普段から清掃を欠かさないために、普段通りの掃除で十分なのだ。
そんなわけで、咲夜は日頃掃除をしない場所に向かう。
地下室である。
「フランドール様。咲夜です」
「どーぞー」
フランドールの部屋、つまり地下室には暖房器具がない。
換気口も、窓もないこの部屋はパチュリーによって封印されている状態にある。
そのせいか、季節に関係なく快適に保たれている。
何しろ、五行七曜に通じるパチュリー特製の結界である。
咲夜にすれば、仕組みは全く分からない。
換気しなくていいから楽だ、程度のことだろう。
この部屋の主はというと、スペルカードを持って仰向けに寝転んでいた。
「お行儀が悪いですよ、フランドール様」
「んー、誰が来るでもなし。いいじゃない」
「突然、魔理沙なんか来たらどうするのですか?」
「聖人の日に、なんで悪魔の館になんか来るのさ?」
「それもそうですわね」
会話を切り上げて、咲夜は掃除を始めた。
床のモップがけとシーツの交換、あとは特に汚れてもいなかった。
広大なスペースの地下室も、使っているのはほんの少ない場所だけ。
「そういえば、咲夜は遊びに行かないの?」
「……やっぱり姉妹かしら」
「何か言った?」
「いいえ?」
「……ほんとに?」
「ええ、何も」
変に勘がいい。
破壊する能力ゆえか、はたまた幼い吸血鬼ゆえか。
スカーレット姉妹は、感情の揺れに敏感である。
単純に、種としてそういう特性があるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、掃除はすぐに終わってしまった。
「では、後ほど紅茶を淹れてまいります」
「はーい。なるべく早くねー」
咲夜は再び静寂へ、フランドールはそのままベッドに。
聖夜であっても、紅魔館は概ねいつもどおりだった。
「……解せないわね」
「何がですか?」
古くさい黴の匂いと、珈琲の香り漂う大図書館。
机にいるのは、紫色の魔女。
側にいるのは、紅い小悪魔。
「咲夜はなんで、人間でいられるのかしら?」
パチュリーは考える。
咲夜が紅魔館に住むようになって、もう相当年月が経つ。
普通の人間であれば、もう逃げ出しているか。
もしくは、妹様のお八つになるかのどちらかだ。
そして何より、紅一色の館は人間にとっては結構な不安を呼ぶものだ。
火の朱とは違う、血の紅色。
人を流れる命の色。
「まぁ……物好きなんじゃないですか?」
「もともとの動機が、食べる心配がないようにっていうことよ」
「人間らしい理由ですね」
「今はどうかしらね」
咲夜は、レミリアに忠誠を誓っていて、それは偽りのものではない。
畏れもなく、恨みもなく、ただ敬う。
しかし、決して盲信しているわけではない。
彼女は幼いが、館を率いるだけの器量はある。
咲夜はそれに従い、時に諌めもする。
全て、人間として。
「確かに時を止めるとか、人間技じゃないですけどね」
「幻想郷の人間なら、何かしらの力は持ってるわ。そういう場所だもの」
「目の色とか変わりますけど」
「ああ……アレはね」
パチュリーは、マグカップを傾ける。
机の上には、何かを書き損じた羊皮紙と和紙がある。
羊皮紙は元からパチュリーの物で、和紙は里から買ってきた物だ。
それに、珈琲を数滴垂らす。
じわりと、琥珀色の染みが出来る。
如何なる手を以っても漂白できない、浸透の結果。
「こういうことよ」
「……どういうことなのでしょうか?」
小悪魔は、不思議な顔をして。
パチュリーは、表情を変えなかった。
「どっちにしろ、強すぎることは不幸なことね」
「お嬢様がですか?」
「レミィは、我侭なだけよ」
数日後、幻想郷は白に染められた。
クリスマスから降り出した雪は、瞬く間に積もっていく。
そして、昼前には雪雲は東の空へ去っていった。
太陽の光を雪が反射して、幻想郷が白く輝いているように見える。
山の上から地底の口までが雪の中、湖や滝は凍り付いていた。
生き物の気配もなく、幻想郷は静寂に包まれる。
「冷えるなぁ」
鼻っ柱を真っ赤にして、門番隊は中庭の雪かきをする。
美鈴直属の、紅魔館実戦部隊。
その能力の高さはほとんど活かされることもなく、雪かきに発揮されている。
当然、美鈴も門外周辺の雪かきをしていたりする。
当主のレミリアは、昼だからおねむである。
夜明けの雪が降る直前に帰ってきたのだ。
そのままご就寝。
何処にいっていたかは、わからない。
「昼食ですよー」
内勤のメイドたちである。
昼の妖精メイドは基本的に活気的に行動する。
冬ではあるが、花のように動く。
そして、門番隊が群がる様子はというと。
「うめー! サンドイッチうめー!」
「それ私のだから!」
「うるさい! 取られるほうが悪いんだ!」
ぎゃいのぎゃいの。
餌に群がる鳩である。
ちなみに、肉体的な労働は体が資本の妖怪が担っている。
そのため、腹が空くのだ。
食事の場は戦争である。
「……あんたたち」
門番隊は、動きを止めた。
自発的というよりも、強制的に、野生の頃の本能が危険だと告げている。
大勢の門番隊のうち、二人が頭を掴まれた。
滝のように汗をかく門番隊と、慣れた様子のメイドたち。
「いつも、ちゃんと、いただきますをしなさいと言っているでしょう?」
頭を掴まれた門番隊から軋むような音が出るのと、門番隊が一斉に逃げ出すのには寸分のズレも無かった。
「こらぁー! 逃げるなー!」
手に掴んでいた部下を投げる美鈴。
彼女らは丁度先頭に当たり、先頭の数人が転倒。
それに足を取られた後続が折り重なり、大事故になった。
花壇を避けるあたりは、流石である。
「あまりおイタが過ぎると、内勤にするよ!」
全員気絶してしまっているが、内勤とはフランドールの相手である。
相手をしても無事で済むのは美鈴だけ。
よって、基本的には美鈴しか内勤にはならない。
事実上の死刑宣告である。
気絶して、聞こえていないことが救いだ。
きっと。
「あ、美鈴さん」
「何?」
「お客様ですよ?」
「今日は予定無かったけど……」
美鈴が門を振り返ると、確かに人影があった。
ほとんどの人間は近寄らず、紅白たちは不法侵入。
来るとすれば、腕試しの自称武術家だけ。
美鈴は、今回もそんなのが来たのだろうと思っていた。
「はいはい~……っと。あれ?」
「はじめまして、かな? 上白沢慧音という者です」
「えーっと……ああ、寺子屋の?」
「そうです。今日はレミリア嬢にお呼ばれしたのですが、聞いてませんか?」
「……お嬢様は、ほとんど門を通らないからなぁ」
美鈴は、頭をかいた。
門番とはいっても、空を飛ぶことが日常の幻想郷では如何ほどの意味があるのか。
美鈴もそれはわからない。
形式的なものなのかもしれない。
だから、美鈴はちゃんと門を通す客が来ると応対力が上がる。
「じゃ、取り次ぎますか?」
「いや、えーっと……十六夜咲夜、でよかったかな? ここの人間は」
「メイド長です」
「ちょっと用事があってな」
「なるほど、ここでは何なので応接間までご案内します」
「ご丁寧にどうも」
「いえいえ」
いつの間にか、メイドたちの姿は無かった。
中に戻っていったのだろう。
折り重なっていた門番隊も、気絶から覚めたようだった。
美鈴は、慧音を先導して館へ誘う。
人とは相容れぬ、悪魔の館へと。
「咲夜さんが人間じゃなくなるとしたら、何になるんでしょうね?」
疑問は、小悪魔からわいて出た。
人間ではなく、他の何者でもない。
全く新しい種か、それとも変異の最中か。
「まぁ、こんな館にすんでれば悪魔にでもなるんでしょうね」
「こんな郷にいれば、神にでもなれるかもしれませんね」
「……ここは、神があふれているから。人が神になったところでせいぜいが低級神よ」
「時を操れてもですか?」
「操れるからこそね」
それでは救いがない、とパチュリーは思う。
人であるから救われるとは、限らないけれど。
(あんなに珍しい人間は、そう多くない。)
外から来たからか、吸血鬼の影響からか。
血に交わりて、紅くなる。
魔に紛れて、妖になる。
混血でもない、魔に魅せられた人間。
銀色の、ヒト。
「考えても、詮無いこと」
「気にならないのですか?」
「……小悪魔、たまには聞くばかりじゃなくて自分で考えなさい」
「わからないから、聞いてるんですよ」
「司書をするあなたが、わからないことなんかあるのかしら?」
「どうでしょう?」
「それこそ、私に聞かれても答えられない事よ」
「お待たせしましたわ」
「いいや、待たせたのはおそらくこちらだ」
「?」
「なんだ、聞いていないのか?」
「何のことやら……」
「まぁいいか、行くぞ」
「ちょ、ちょっと何処に?」
慧音は、咲夜の手をとって歩き出す。
勝手を知らぬ館の中を、妖精メイドを掻き分けて歩く。
普段らしからぬ行動である。
こんなに強引に動く時は、何かが起きている時に違いない。
「今日は大晦日よ?! パーティーと明日の準備を」
「言い忘れていたが、レミリアからは許可を得ている」
「え?!」
「というか、おっと。余計なことだった」
怪訝に思う咲夜をよそに、二人は雪が除けられた外に出た。
美鈴が、なにやらメイドから話を聞いている。
横切る二人を見て何を察したのか、美鈴は手を上げて二人を送り出した。
「ちょ、ちょっと美鈴!」
「言っただろう、許可は出ていると」
「せめて、何処に行くかくらい教えなさいよ!」
「ウチだ。今日は誰も来ないぞ」
「?!」
赤面する咲夜。
決してそういう意味で慧音は発言していない。
だから、当人は気づかない。
「む。ぬかるんでいるな。飛んでいこう」
太陽の熱で雪は融け、徒歩で行くには少々厳しいものがある。
真冬にしては、珍しいくらいの陽気。
新たな年を前にして、幻想郷は春のような気流に包まれた。
「で、特にやることはないわけだが」
「帰っていい?」
二人は、直接慧音の家には向かわなかった。
里で食材や酒なんかを買い込んだのである。
普段、長いこと里にいない咲夜には居心地が悪かった。
和装が多い里では、メイド服は嫌でも人目を引く。
単なる興味でもあっても、当人には奇異に映る。
途中で逃げ出そうとするも、ことごとく慧音に捕らえられてしまった。
かつてない積極性である。
「いいじゃないか、大晦日くらい遊ぼうということで」
「……仕事しないといけないんだけれど、年明け早々喰うに困るとかいやよ」
「だから、レミリアは気にするなと言うに」
囲炉裏を挟んで、二人は向かい合う。
すでに日は暮れて、囲炉裏には空になった鍋が吊るされている。
夕飯は蕎麦でした。
二人の手元には、お猪口に入った酒が二つ。
夜も更けて、外はすでに闇の中。
里から離れた慧音の家は、孤島か山の別荘もさながら。
「で、私を誘拐した本当の理由は何?」
「ん? ああ、咲夜がこの前の宴会に来なかったからな。その代わりだ」
「……何で?」
「言葉通りだが」
「だって、里とか神社で宴会やってるでしょう? 私にかまうよりも、そっちにいけばいいじゃない」
「そういうわけには行かないだろ。まぁ飲め」
「何本開けてるのよ……」
「まだ序の口だろう」
酒盛りは続く。
今日は、大晦日。
常に酒を好む幻想郷は、例外なく今日も酒に溺れる。
この家も、例外ではなかった。
ちなみに、すでに四本ほど空になっている。
慧音は、もう紅潮を通り越して茹蛸状態である。
酒のほとんどは、慧音によって飲み干された。
咲夜も下戸というわけではないが、さほど飲んではいない。
「っうー……お前は遠慮しすぎなのよぉ……」
「できあがっている……」
「聖夜の宴にだって来ないしさぁー」
「口調がおかしいわよ……」
慧音は、ガードが解けると女言葉になる。
もう、泥酔に陥っているのだろう。
囲炉裏を周回し、慧音は咲夜の横に回った。
そして、ベタベタと絡み始める。
「ちょ、やめ」
「お前だって人間なんだからぁー、気兼ねなく来ればいいのにぃ」
「触るな! 変なところを触るな!」
「今なら無料で生徒に」
「いらないわ!」
「そう、お前は気を遣いすぎる」
「混ざってる混ざってる」
「私よりも人間なんだから、遠慮するんじゃないんだよぉ。異変の時とか初対面にナイフなんだからぁ」
「……」
「別に、誰にも彼にも投げてるわけじゃないわよ」
「里にだって顔を出せっていうんだ、寂しいじゃないか。ほら飲め飲め」
「やーめーてー」
酔っ払いの力は、手加減を知らない。
咲夜は慧音を振り払うことができず、くんずほぐれつになる。
誤解されそうな物音が、暫く続いた。
郊外であるからして、助けなんざ入らない。
幻想郷の至る所で、宴会が行われている。
闖入者がいるとしたら、それも酔っ払いだ。
逃げ場はない。
紅魔館に逃げ帰っても、許可を持っている慧音が追ってきかねない。
果ては、また酒盛りである。
ややあって、慧音は力尽きる。
酒分が回り、気分が悪くなったらしい。
今は水を飲みながら、横になっている。
「……うぇー」
「……酔っ払いが動き回るからこうなるのよ。少しは酒抜けた?」
「一応、多分、きっと大丈夫。うふふ」
「駄目ね。捨てておくべきかしら」
「見捨てないでー」
「うちの知識人の真似をするんじゃない」
「私も、こんなセリフを奴が吐くとは思えないがね」
咲夜は、慧音を介抱している。
さすがに、青ざめている者を置いていけるほど薄情ではなかったようだ。
「お茶よ」
「なんだ、気が利くじゃないか」
「サービス」
「どうせなら、家の住み込みで雇うか」
「嫌よ。こんな家なら、一時間もあれば新築以上に綺麗になるわ。そしたら退屈じゃない」
「なら、その後に寺子屋の手伝いでもすればいい」
「駄目ね、スリルが足りない。その程度じゃ満ち足りることはないわ」
「そうか、まぁ争いごとは少ないな。あの館に比べたら」
「そして、私は嫌われてるしね。わざわざ空気悪くすることもないでしょう」
「そこなんだな」
慧音は、むくりと起き上がる。
酔っ払いのノリではなく、真面目ないつもの慧音。
外れた羽目は、正された。
「お前が嫌われてるとか言うが、そんなのは館に住んでようが住んでまいが同じだ」
「だって、現に嫌われてるじゃない」
「そんなのは私だって同じだ。館に住んでいないが、快く思ってない者の方が多いぞ」
「嘘」
「本当だ、妬み恨みなんかしょっちゅうだぞ。こうあれば好かれる、何て話は嘘っぱちだ」
「でも、寺子屋開けるくらいには信頼されてるでしょう?」
「まぁ、それなりにはな。しかし、それだって何年かかったかわからん」
「今からそれをやったら、私はお婆さんよ?」
「それだっていいさ。別に馴れ合えとは言わない。少しだけ繋がりを持っているだけで、随分違う」
慧音は、玄関から酔い覚ましのために外に出た。
外は、雪が降っている。
家から見える里には、集会所にだけ煌々と灯りがある。
他の家は、ちらほらと橙色の光。
「見ろ、逢魔が時が近いのに起きてる人間だっている。妖怪と同じく、人間だって色々だ」
「……」
「館に居ようが、吸血鬼に仕えようが、お前はお前だろう」
「……」
「が、その前にまずは私だ」
「……?」
「生徒は多いが、友人は少ないんだ。気兼ねなく話しができると、私は嬉しい」
「正直言うと、少しだけ寂しかったんだ」
「だから友達になろう、十六夜咲夜」
慧音が振り返ると、家の中には誰も居なかった。
家に吹き込んだ雪の先には、ナイフに刺されたメモが二つ。
慧音は家に戻り、ナイフとメモを手に取る。
「一つは……紅魔館新年パーティー? 招待状か?」
もう片方は、焦ったような殴り書き。
読めないほどではないけど、感情のままに書いたような荒々しさがある。
慧音は、それを読んで苦笑を浮かべた。
「やっぱり、口説くのは苦手だなぁ。恥ずかしかったのに」
招待状を卓の上へ、メモを囲炉裏に放り投げる。
炭火が燃え移り、瞬く間にメモは灰になった。
と、外から重々しく荘厳な音が響く。
「除夜の鐘、か」
打たれる数は百と八。
煩悩だったか、四苦八苦の祓いだったか。
由来は様々で、本来は毎日二度撞くものだったらしい。
どれが本当で、どれが嘘かは慧音も知らない。
そんなことを考えていると、どたどたと近付く足音が沢山。
「せんせーこんなとこで何やってるんですかい! 早く飲みましょうぜ!」
「あー、私はもうできあがってるのだが」
「じゃあ餅だ! 今餅つきもやってるんだ!」
「お前ら、よく食うな。もうしこたま食ってるだろうに」
「なーに! これからっすよ!」
慧音は手を引かれ、家を後にした。
新年早々説教をしてやらねば、と思う慧音に構わず里の者は走り始めた。
引かれる慧音も、同様に駆け足になる。
「ちょ、お前ら、やめ」
「あはははは!」
人に手を引かれ、半獣は新たな夜道を駆ける。
人の里へと駆けていく。
灰になったメモには、こう記されていた。
『返事は保留で。一度で落とされるほど安い女のつもりはありませんわ』
様々な想いを乗せて、幻想郷の年が明ける。
人と妖の、新たな年が来る。
願わくば、彼女たちに幸とささやかな騒動があらんことを。
何を?
阿礼乙女様の本によるとだな、湖の紅い館には別嬪の侍女がいるらしいぞ。
何を言ってるんだお前。
あんな物騒な屋敷に人間なんかいるものか。
よく里にも来るらしいし、町外れのガラクタ屋にも来てるって話だぞ。
里はともかく、ガラクタ屋に行く奴にまともなのがいたか?
胡散臭い感じしかしないだろ。
お前、女好きもいい加減にしないと死ぬぞ?
美人なのは確実なんだし、いいじゃんか。
人間をないがしろにすると、慧音さんに叱られるぜ?
あのなぁ……。
吸血鬼と魔女だぞ?
魔女はどうか知らんが、吸血鬼は人を食うんだぜ?
生贄ならともかく、長い時間あそこに居て食われず生き残ってるなんて――
人間なわけないじゃないか。
紅い館の夜は早い。
主が夜型であるため、活気が出るのは太陽が西に潜る頃からになる。
妖怪悪魔が跋扈する闇の時間。
夜の王は、黄昏に目を覚ます。
「さくやー、ふくー」
「只今、お持ちいたしますわ」
寝ぼけていたりもする。
紅魔館の仕事のほとんどを受け持つ咲夜は、ここから仕事が始まると言っても過言ではない。
寝ていた主姉妹が起き出し、昼に強い妖精は眠りにつき、外敵も増え始まる。
外敵に関しては、ほとんど美鈴が追い払うので問題は無い。
咲夜は概ね、主であるレミリアについて行動することになる。
フランドールは、大抵のことは一人でこなせるから手間がかからないことが救いである。
「咲夜、今日は出かけてくるわ」
「お供しましょうか?」
「いいわ、夜なら負けることもないし、朝までには戻る」
「かしこまりました。ところで、今日はクリスマスでは?」
「……そういえば、そうだったわね」
廊下には、誰もいない。
外の世界では聖夜と言われる日であっても、悪魔の館でそれを祝う事は決してない。
何より、神の子どころか神そのものが幻想郷には溢れるほど居る。
しかし、何よりも宴会が好きな幻想郷の住民だ。
今日もどこかの神社で酒盛りが行われているだろう。
そして、翌朝では何人かの人間が妖怪の餌になる。
ここは幻想郷。
油断をすれば、食われるのが道理。
天敵なんぞ、そこら中にいるのだ。
「お嬢様は、実はお呼ばれとかですか?」
「暇だから夜襲でもと思っただけよ」
「そうですか」
ただの気まぐれらしい。
「咲夜こそ」
「?」
「里の半獣なんかに呼ばれてないの? 変な気を回しそうなのに」
「あ、一応招待状は届いていましたが、お断りしましたわ」
「何で?」
「何でと言われましても……」
咲夜は、レミリアが何故分からないのかと首を傾げた。
コミュニティを持たない吸血鬼だからか、館の主という立場ゆえか。
「わざわざ、場の空気を悪くしに行くほど私は間抜けじゃありませんわ」
その後、簡単な食事を済ませたレミリアは何も言わず出かけていった。
咲夜は、一応主の身を案じてみた。
しかし、今は月齢も半ばをすぎた三日月の鏡写し。
あまり派手なことはすまいと、主の心配をやめた。
夜の吸血鬼ほど、手がつけられない種はほとんどいない。
また、ヴァンパイアハンターという稀少な職も幻想郷にはいない。
弾幕ごっこ以外においては、まさに不死の王と呼ばれるに相応しい紅い月。
心配をするだけ、無駄というものだ。
「さて、今のうちに仕事を片しちゃいましょう」
咲夜はそういって、モップとバケツを担いだ。
掃除といえば、これである。
ちなみに、紅魔館は大掃除が必要なほど汚れていない。
普段から清掃を欠かさないために、普段通りの掃除で十分なのだ。
そんなわけで、咲夜は日頃掃除をしない場所に向かう。
地下室である。
「フランドール様。咲夜です」
「どーぞー」
フランドールの部屋、つまり地下室には暖房器具がない。
換気口も、窓もないこの部屋はパチュリーによって封印されている状態にある。
そのせいか、季節に関係なく快適に保たれている。
何しろ、五行七曜に通じるパチュリー特製の結界である。
咲夜にすれば、仕組みは全く分からない。
換気しなくていいから楽だ、程度のことだろう。
この部屋の主はというと、スペルカードを持って仰向けに寝転んでいた。
「お行儀が悪いですよ、フランドール様」
「んー、誰が来るでもなし。いいじゃない」
「突然、魔理沙なんか来たらどうするのですか?」
「聖人の日に、なんで悪魔の館になんか来るのさ?」
「それもそうですわね」
会話を切り上げて、咲夜は掃除を始めた。
床のモップがけとシーツの交換、あとは特に汚れてもいなかった。
広大なスペースの地下室も、使っているのはほんの少ない場所だけ。
「そういえば、咲夜は遊びに行かないの?」
「……やっぱり姉妹かしら」
「何か言った?」
「いいえ?」
「……ほんとに?」
「ええ、何も」
変に勘がいい。
破壊する能力ゆえか、はたまた幼い吸血鬼ゆえか。
スカーレット姉妹は、感情の揺れに敏感である。
単純に、種としてそういう特性があるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、掃除はすぐに終わってしまった。
「では、後ほど紅茶を淹れてまいります」
「はーい。なるべく早くねー」
咲夜は再び静寂へ、フランドールはそのままベッドに。
聖夜であっても、紅魔館は概ねいつもどおりだった。
「……解せないわね」
「何がですか?」
古くさい黴の匂いと、珈琲の香り漂う大図書館。
机にいるのは、紫色の魔女。
側にいるのは、紅い小悪魔。
「咲夜はなんで、人間でいられるのかしら?」
パチュリーは考える。
咲夜が紅魔館に住むようになって、もう相当年月が経つ。
普通の人間であれば、もう逃げ出しているか。
もしくは、妹様のお八つになるかのどちらかだ。
そして何より、紅一色の館は人間にとっては結構な不安を呼ぶものだ。
火の朱とは違う、血の紅色。
人を流れる命の色。
「まぁ……物好きなんじゃないですか?」
「もともとの動機が、食べる心配がないようにっていうことよ」
「人間らしい理由ですね」
「今はどうかしらね」
咲夜は、レミリアに忠誠を誓っていて、それは偽りのものではない。
畏れもなく、恨みもなく、ただ敬う。
しかし、決して盲信しているわけではない。
彼女は幼いが、館を率いるだけの器量はある。
咲夜はそれに従い、時に諌めもする。
全て、人間として。
「確かに時を止めるとか、人間技じゃないですけどね」
「幻想郷の人間なら、何かしらの力は持ってるわ。そういう場所だもの」
「目の色とか変わりますけど」
「ああ……アレはね」
パチュリーは、マグカップを傾ける。
机の上には、何かを書き損じた羊皮紙と和紙がある。
羊皮紙は元からパチュリーの物で、和紙は里から買ってきた物だ。
それに、珈琲を数滴垂らす。
じわりと、琥珀色の染みが出来る。
如何なる手を以っても漂白できない、浸透の結果。
「こういうことよ」
「……どういうことなのでしょうか?」
小悪魔は、不思議な顔をして。
パチュリーは、表情を変えなかった。
「どっちにしろ、強すぎることは不幸なことね」
「お嬢様がですか?」
「レミィは、我侭なだけよ」
数日後、幻想郷は白に染められた。
クリスマスから降り出した雪は、瞬く間に積もっていく。
そして、昼前には雪雲は東の空へ去っていった。
太陽の光を雪が反射して、幻想郷が白く輝いているように見える。
山の上から地底の口までが雪の中、湖や滝は凍り付いていた。
生き物の気配もなく、幻想郷は静寂に包まれる。
「冷えるなぁ」
鼻っ柱を真っ赤にして、門番隊は中庭の雪かきをする。
美鈴直属の、紅魔館実戦部隊。
その能力の高さはほとんど活かされることもなく、雪かきに発揮されている。
当然、美鈴も門外周辺の雪かきをしていたりする。
当主のレミリアは、昼だからおねむである。
夜明けの雪が降る直前に帰ってきたのだ。
そのままご就寝。
何処にいっていたかは、わからない。
「昼食ですよー」
内勤のメイドたちである。
昼の妖精メイドは基本的に活気的に行動する。
冬ではあるが、花のように動く。
そして、門番隊が群がる様子はというと。
「うめー! サンドイッチうめー!」
「それ私のだから!」
「うるさい! 取られるほうが悪いんだ!」
ぎゃいのぎゃいの。
餌に群がる鳩である。
ちなみに、肉体的な労働は体が資本の妖怪が担っている。
そのため、腹が空くのだ。
食事の場は戦争である。
「……あんたたち」
門番隊は、動きを止めた。
自発的というよりも、強制的に、野生の頃の本能が危険だと告げている。
大勢の門番隊のうち、二人が頭を掴まれた。
滝のように汗をかく門番隊と、慣れた様子のメイドたち。
「いつも、ちゃんと、いただきますをしなさいと言っているでしょう?」
頭を掴まれた門番隊から軋むような音が出るのと、門番隊が一斉に逃げ出すのには寸分のズレも無かった。
「こらぁー! 逃げるなー!」
手に掴んでいた部下を投げる美鈴。
彼女らは丁度先頭に当たり、先頭の数人が転倒。
それに足を取られた後続が折り重なり、大事故になった。
花壇を避けるあたりは、流石である。
「あまりおイタが過ぎると、内勤にするよ!」
全員気絶してしまっているが、内勤とはフランドールの相手である。
相手をしても無事で済むのは美鈴だけ。
よって、基本的には美鈴しか内勤にはならない。
事実上の死刑宣告である。
気絶して、聞こえていないことが救いだ。
きっと。
「あ、美鈴さん」
「何?」
「お客様ですよ?」
「今日は予定無かったけど……」
美鈴が門を振り返ると、確かに人影があった。
ほとんどの人間は近寄らず、紅白たちは不法侵入。
来るとすれば、腕試しの自称武術家だけ。
美鈴は、今回もそんなのが来たのだろうと思っていた。
「はいはい~……っと。あれ?」
「はじめまして、かな? 上白沢慧音という者です」
「えーっと……ああ、寺子屋の?」
「そうです。今日はレミリア嬢にお呼ばれしたのですが、聞いてませんか?」
「……お嬢様は、ほとんど門を通らないからなぁ」
美鈴は、頭をかいた。
門番とはいっても、空を飛ぶことが日常の幻想郷では如何ほどの意味があるのか。
美鈴もそれはわからない。
形式的なものなのかもしれない。
だから、美鈴はちゃんと門を通す客が来ると応対力が上がる。
「じゃ、取り次ぎますか?」
「いや、えーっと……十六夜咲夜、でよかったかな? ここの人間は」
「メイド長です」
「ちょっと用事があってな」
「なるほど、ここでは何なので応接間までご案内します」
「ご丁寧にどうも」
「いえいえ」
いつの間にか、メイドたちの姿は無かった。
中に戻っていったのだろう。
折り重なっていた門番隊も、気絶から覚めたようだった。
美鈴は、慧音を先導して館へ誘う。
人とは相容れぬ、悪魔の館へと。
「咲夜さんが人間じゃなくなるとしたら、何になるんでしょうね?」
疑問は、小悪魔からわいて出た。
人間ではなく、他の何者でもない。
全く新しい種か、それとも変異の最中か。
「まぁ、こんな館にすんでれば悪魔にでもなるんでしょうね」
「こんな郷にいれば、神にでもなれるかもしれませんね」
「……ここは、神があふれているから。人が神になったところでせいぜいが低級神よ」
「時を操れてもですか?」
「操れるからこそね」
それでは救いがない、とパチュリーは思う。
人であるから救われるとは、限らないけれど。
(あんなに珍しい人間は、そう多くない。)
外から来たからか、吸血鬼の影響からか。
血に交わりて、紅くなる。
魔に紛れて、妖になる。
混血でもない、魔に魅せられた人間。
銀色の、ヒト。
「考えても、詮無いこと」
「気にならないのですか?」
「……小悪魔、たまには聞くばかりじゃなくて自分で考えなさい」
「わからないから、聞いてるんですよ」
「司書をするあなたが、わからないことなんかあるのかしら?」
「どうでしょう?」
「それこそ、私に聞かれても答えられない事よ」
「お待たせしましたわ」
「いいや、待たせたのはおそらくこちらだ」
「?」
「なんだ、聞いていないのか?」
「何のことやら……」
「まぁいいか、行くぞ」
「ちょ、ちょっと何処に?」
慧音は、咲夜の手をとって歩き出す。
勝手を知らぬ館の中を、妖精メイドを掻き分けて歩く。
普段らしからぬ行動である。
こんなに強引に動く時は、何かが起きている時に違いない。
「今日は大晦日よ?! パーティーと明日の準備を」
「言い忘れていたが、レミリアからは許可を得ている」
「え?!」
「というか、おっと。余計なことだった」
怪訝に思う咲夜をよそに、二人は雪が除けられた外に出た。
美鈴が、なにやらメイドから話を聞いている。
横切る二人を見て何を察したのか、美鈴は手を上げて二人を送り出した。
「ちょ、ちょっと美鈴!」
「言っただろう、許可は出ていると」
「せめて、何処に行くかくらい教えなさいよ!」
「ウチだ。今日は誰も来ないぞ」
「?!」
赤面する咲夜。
決してそういう意味で慧音は発言していない。
だから、当人は気づかない。
「む。ぬかるんでいるな。飛んでいこう」
太陽の熱で雪は融け、徒歩で行くには少々厳しいものがある。
真冬にしては、珍しいくらいの陽気。
新たな年を前にして、幻想郷は春のような気流に包まれた。
「で、特にやることはないわけだが」
「帰っていい?」
二人は、直接慧音の家には向かわなかった。
里で食材や酒なんかを買い込んだのである。
普段、長いこと里にいない咲夜には居心地が悪かった。
和装が多い里では、メイド服は嫌でも人目を引く。
単なる興味でもあっても、当人には奇異に映る。
途中で逃げ出そうとするも、ことごとく慧音に捕らえられてしまった。
かつてない積極性である。
「いいじゃないか、大晦日くらい遊ぼうということで」
「……仕事しないといけないんだけれど、年明け早々喰うに困るとかいやよ」
「だから、レミリアは気にするなと言うに」
囲炉裏を挟んで、二人は向かい合う。
すでに日は暮れて、囲炉裏には空になった鍋が吊るされている。
夕飯は蕎麦でした。
二人の手元には、お猪口に入った酒が二つ。
夜も更けて、外はすでに闇の中。
里から離れた慧音の家は、孤島か山の別荘もさながら。
「で、私を誘拐した本当の理由は何?」
「ん? ああ、咲夜がこの前の宴会に来なかったからな。その代わりだ」
「……何で?」
「言葉通りだが」
「だって、里とか神社で宴会やってるでしょう? 私にかまうよりも、そっちにいけばいいじゃない」
「そういうわけには行かないだろ。まぁ飲め」
「何本開けてるのよ……」
「まだ序の口だろう」
酒盛りは続く。
今日は、大晦日。
常に酒を好む幻想郷は、例外なく今日も酒に溺れる。
この家も、例外ではなかった。
ちなみに、すでに四本ほど空になっている。
慧音は、もう紅潮を通り越して茹蛸状態である。
酒のほとんどは、慧音によって飲み干された。
咲夜も下戸というわけではないが、さほど飲んではいない。
「っうー……お前は遠慮しすぎなのよぉ……」
「できあがっている……」
「聖夜の宴にだって来ないしさぁー」
「口調がおかしいわよ……」
慧音は、ガードが解けると女言葉になる。
もう、泥酔に陥っているのだろう。
囲炉裏を周回し、慧音は咲夜の横に回った。
そして、ベタベタと絡み始める。
「ちょ、やめ」
「お前だって人間なんだからぁー、気兼ねなく来ればいいのにぃ」
「触るな! 変なところを触るな!」
「今なら無料で生徒に」
「いらないわ!」
「そう、お前は気を遣いすぎる」
「混ざってる混ざってる」
「私よりも人間なんだから、遠慮するんじゃないんだよぉ。異変の時とか初対面にナイフなんだからぁ」
「……」
「別に、誰にも彼にも投げてるわけじゃないわよ」
「里にだって顔を出せっていうんだ、寂しいじゃないか。ほら飲め飲め」
「やーめーてー」
酔っ払いの力は、手加減を知らない。
咲夜は慧音を振り払うことができず、くんずほぐれつになる。
誤解されそうな物音が、暫く続いた。
郊外であるからして、助けなんざ入らない。
幻想郷の至る所で、宴会が行われている。
闖入者がいるとしたら、それも酔っ払いだ。
逃げ場はない。
紅魔館に逃げ帰っても、許可を持っている慧音が追ってきかねない。
果ては、また酒盛りである。
ややあって、慧音は力尽きる。
酒分が回り、気分が悪くなったらしい。
今は水を飲みながら、横になっている。
「……うぇー」
「……酔っ払いが動き回るからこうなるのよ。少しは酒抜けた?」
「一応、多分、きっと大丈夫。うふふ」
「駄目ね。捨てておくべきかしら」
「見捨てないでー」
「うちの知識人の真似をするんじゃない」
「私も、こんなセリフを奴が吐くとは思えないがね」
咲夜は、慧音を介抱している。
さすがに、青ざめている者を置いていけるほど薄情ではなかったようだ。
「お茶よ」
「なんだ、気が利くじゃないか」
「サービス」
「どうせなら、家の住み込みで雇うか」
「嫌よ。こんな家なら、一時間もあれば新築以上に綺麗になるわ。そしたら退屈じゃない」
「なら、その後に寺子屋の手伝いでもすればいい」
「駄目ね、スリルが足りない。その程度じゃ満ち足りることはないわ」
「そうか、まぁ争いごとは少ないな。あの館に比べたら」
「そして、私は嫌われてるしね。わざわざ空気悪くすることもないでしょう」
「そこなんだな」
慧音は、むくりと起き上がる。
酔っ払いのノリではなく、真面目ないつもの慧音。
外れた羽目は、正された。
「お前が嫌われてるとか言うが、そんなのは館に住んでようが住んでまいが同じだ」
「だって、現に嫌われてるじゃない」
「そんなのは私だって同じだ。館に住んでいないが、快く思ってない者の方が多いぞ」
「嘘」
「本当だ、妬み恨みなんかしょっちゅうだぞ。こうあれば好かれる、何て話は嘘っぱちだ」
「でも、寺子屋開けるくらいには信頼されてるでしょう?」
「まぁ、それなりにはな。しかし、それだって何年かかったかわからん」
「今からそれをやったら、私はお婆さんよ?」
「それだっていいさ。別に馴れ合えとは言わない。少しだけ繋がりを持っているだけで、随分違う」
慧音は、玄関から酔い覚ましのために外に出た。
外は、雪が降っている。
家から見える里には、集会所にだけ煌々と灯りがある。
他の家は、ちらほらと橙色の光。
「見ろ、逢魔が時が近いのに起きてる人間だっている。妖怪と同じく、人間だって色々だ」
「……」
「館に居ようが、吸血鬼に仕えようが、お前はお前だろう」
「……」
「が、その前にまずは私だ」
「……?」
「生徒は多いが、友人は少ないんだ。気兼ねなく話しができると、私は嬉しい」
「正直言うと、少しだけ寂しかったんだ」
「だから友達になろう、十六夜咲夜」
慧音が振り返ると、家の中には誰も居なかった。
家に吹き込んだ雪の先には、ナイフに刺されたメモが二つ。
慧音は家に戻り、ナイフとメモを手に取る。
「一つは……紅魔館新年パーティー? 招待状か?」
もう片方は、焦ったような殴り書き。
読めないほどではないけど、感情のままに書いたような荒々しさがある。
慧音は、それを読んで苦笑を浮かべた。
「やっぱり、口説くのは苦手だなぁ。恥ずかしかったのに」
招待状を卓の上へ、メモを囲炉裏に放り投げる。
炭火が燃え移り、瞬く間にメモは灰になった。
と、外から重々しく荘厳な音が響く。
「除夜の鐘、か」
打たれる数は百と八。
煩悩だったか、四苦八苦の祓いだったか。
由来は様々で、本来は毎日二度撞くものだったらしい。
どれが本当で、どれが嘘かは慧音も知らない。
そんなことを考えていると、どたどたと近付く足音が沢山。
「せんせーこんなとこで何やってるんですかい! 早く飲みましょうぜ!」
「あー、私はもうできあがってるのだが」
「じゃあ餅だ! 今餅つきもやってるんだ!」
「お前ら、よく食うな。もうしこたま食ってるだろうに」
「なーに! これからっすよ!」
慧音は手を引かれ、家を後にした。
新年早々説教をしてやらねば、と思う慧音に構わず里の者は走り始めた。
引かれる慧音も、同様に駆け足になる。
「ちょ、お前ら、やめ」
「あはははは!」
人に手を引かれ、半獣は新たな夜道を駆ける。
人の里へと駆けていく。
灰になったメモには、こう記されていた。
『返事は保留で。一度で落とされるほど安い女のつもりはありませんわ』
様々な想いを乗せて、幻想郷の年が明ける。
人と妖の、新たな年が来る。
願わくば、彼女たちに幸とささやかな騒動があらんことを。
ガードがゆるんで女言葉とかさびしんぼとか友達とか、なに…やばい…
いや、ほんとにかわいい。慧音だけでなくみんなもだけど、それでも殊更慧音がかわいい。次点咲夜さん。