Coolier - 新生・東方創想話

東方(ひがしかた)鏡魔行・中

2006/07/05 18:22:06
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 大人は鏡の中の世界を否定する。
 メルヘンやファンタジーでもあるまいし、そんなものが存在するわけは無いと。
 しかし現実というものは、時としてファンタジーよりも幻想的に出来ている。
 鏡の中の世界は、実在する。
 ……大人は嘘つきなのではない。ただ、間違いをするだけなのだ。


 ―――鏡の中は大空に似ていた。
 そこには大気があり、呼吸が出来た。そこには光があり、周りを見る事が出来た。
 そして、そこには流れがあった。
 自らの内に入り込んだものを分け隔てなく運ぼうとする、強い力の流れだ。
 その流れに美鈴たちは逆らわなかった。流れの先に、出口が見えていたからだ。

 辺りに満ちているのは銀色の光。
 その光の中に、一点だけ他と違う色の光がある。
 夜のように暗い色の、どこか見覚えのある光だ。
 流れはそこへと続いていた。
 ―――流れが速かったのか、距離が短かったのか。
 美鈴たちが鏡の中に入ってから、抜け出るまでは数十秒と掛からなかった。
 当然あるべきはずの襲撃は、無かった。
 
 ―――目的の光に近づけば近づくほど流れの力は弱まっていき、
 最終的には無視して動けるほどに弱くなった。
 美鈴は己の周囲の大気を操って、
 ジョセフと離れないように、襲撃に対抗できるように、一点に停止する。
 『それ』を観察するために。
 ―――今、美鈴たちの真上には、マンホールと同程度の直径の、暗色に輝く鏡がある。
 その鏡面からは風が吹き込み、鏡面に物を投げ入れればその内側へ受け入れる、
 どこかに続いているとしか考えられない鏡だ。
 その向こうに何があるのかは、鏡面を染める暗色のせいで見て取る事が出来ない。
 一歩進んだ先には弾の嵐が吹き荒れているかもしれないし、
 猛毒の大気が待ち受けているかもしれないし、はたまた何も無いかもしれない。
 それを調べる必要が、あった。

 ―――出来るのならば、危険の度合いを探ろうとするのは当たり前だ。
 特に、大したリスクも無く実行できる手段があるのなら。
 こういう場合にこそ、ジョセフのハーミットパープルはその真価を発揮する―――。

「……これといって問題は無いようじゃ。敵も罠も見当たらん。
 伝わってくる感触からして、どうもごく普通の部屋みたいじゃよ」
 鏡面に挿し込んだハーミットパープルを己の内に戻しながら、ジョセフが言った。
 美鈴は軽く頷いて、
「では」
 勢い良く鏡面へその頭を突っ込んだ。
 ……探索結果が正しくても正しくなくても、そもそも調べても調べなくても。
 結局のところ、進むしか手は無いのだ。

 ジョセフの言ったとおり、そこは部屋だった。
 鏡面の出口はその部屋の床にあり、
 そこから頭だけを出している形の美鈴には、視界内の何もかもが大きく見えた。
 ――だから美鈴は『それ』に気付かない――
 今のところ敵の気配は無かったが、しかしぐずぐずしてもいられない。
 美鈴は床に手をついて、鏡の中からするりと抜け出す。
 そして鏡面に手を突っ込み、ジョセフに手で合図をして自身の手に掴まらせ―――
 一気にジョセフを中から引き上げる。
「わざわざすまんね」
「いえいえ。お気になさらず」
 言いつつジョセフを床に降ろし、美鈴は辺りに眼を向ける。
 二人が『それ』に気付いたのは、ほとんど同時だった。
「……あ!」「……なるほどのう」
 いま二人が居るこの部屋は、先ほどまで二人が居た部屋と何もかもが同じだった。

 全ての物が鏡に映したかのように反転していること以外は。

「あの写真はこの部屋を写したものだったようじゃな。
 ―――わざわざこんなものを作り出すとは。いやはや、こいつはたまげたわい」
 全く驚いていないかのような顔でジョセフが言った。
「そうですね。……まったく、どんな手品を使ったのやら」
 同じく、落ち着いた声で美鈴が言う。
 ―――驚く理由は無かった。
 二人は今までの生の中で様々なものを見てきている。
 美鈴は妖怪と人と、幻想の中にしか存在しないようなものを。
 ジョセフは人と力と、物語(ウートレ)の中にしか存在しないようなものを。
 それらに比べれば―――この程度の事!
 ……たとえ多少は驚いていたとしても、それを表に出す理由は、無い。
「じゃ、とりあえずはここを出ましょう」
 美鈴の言葉にジョセフは頷き、
「うむ。……窓から行くかね? 扉から行くかね?」
 美鈴は窓にちらりと眼をやって、そしてジョセフを見て言った。
「扉からで。相手の裏をかくにはまだまだ時期尚早でしょう」


 扉の向こうは山の中だった。
 そこに吹く風は冷たく、射す光はやけに明るい月光だ。
 遠景には高く険しい山脈がそびえ、足元にはごつごつとした岩の地面がある。
 そして背後には、室内へと続く扉が存在した。
「これは……まさか?」「……」
 ジョセフはその光景に思い当たって呟き、美鈴は無言で辺りを警戒した。
 そうして、二人はこの光景を見て考える。
 ―――ジョセフの部屋は山の中にあるわけではない。ごく普通に屋敷の中にある。
 その屋敷があるのも、街の中だ。
 つまりこれは、この状況を作り出したものが―――
「……やはり、来たか」
 重く、太い声だった。
 己らの右側から聞こえて来たその声の主を確かめるため、二人は揃って声のほうを向く。

「ならば相応しく応えるしかあるまい。
 ……ようこそ、来訪者よ。
 この場こそは自分の領域、貴方たちと戦うために用意した闘技場だ―――」

 声の主は、実に奇妙な見た目の男だった。
 その頭には、虫の触角めいた飾りが付いた、頭部を締め付ける形の金属の輪。
 その額には、カメラのシャッターに似た開閉器官。
 その両耳にはシングルCDほどの直径を持つ大きなピアス、
 そしてその体を覆うのは、革で出来たチョッキと、膝までの長さも無い腰布だ。
 男の露わな肉体は、まるで大理石で出来た柱のように太く、大きく、迫力があった。
 ―――ジョセフはその男の事を知っていた。
「お前は―――」

 六十年前。
 歴史の表舞台を生きる人々のあずかり知らぬ所で、ひとつの戦いがあった。
 それは一人の男の野望と、
 男に対する戦士たちの魂が激しくぶつかり合った戦いだった。

 その戦闘の潮流の中を、ジョセフ・ジョースターは生きた。
 かけがえのない友を得て、そして失い、
 一万と数千年もの時の隔たりを越えて強敵(とも)とめぐり合い―――
 戦いの果てに生まれ出でた完全生物を、地球の力を借りて宇宙に追放した。

 それは今なお鮮やかな記憶、まごうことなきジョセフの青春。
 自身が求める物のために戦った男たちの、誇り高き生き様の詩(うた)だ。

 その詩を、いま目の前に居る男の事を、ジョセフは良く知っている。
 そいつはジョセフが知る誰よりも純粋な闘技者。
 ジョセフの成長を見取り、微笑みと共に地球(ほし)を巡る風となった男。
 彼の名は―――

「ワムウ!」
 ジョセフの叫びに、そいつはゆっくりと答えた。
「……そうだ。自分は彼の姿を映している。
 ミラー・エバネセントという存在は、姿を誘拐する誘拐犯とも言える」
 風となったワムウがこんな場所に居るはずもない。
 ミラー・エバネセントがその姿を借りているだけというのは、考えれば当たり前のことだ。
「あなたが誘拐したのは何人です?」
 ワムウという存在を知らぬがゆえに、寸毫たりとも惑わず美鈴は言った。
 それは相手が素直に答えるとはとても思えない内容の質問であったが、
「フランドール・スカーレット、そして東方仗助。その二人だけだ」
 返ってきたのは真率な言葉だった。
「……それは本当かの~、『ミドラー』さん」
「ミラーだ。―――あなたたちのように、自ら乗りこんで来たものはカウントしていないが」
「ふうむ。……あんたは、いったい何が望みなのかね? 『メアリー・スー』さん」
(……)
 わざと名前を間違えているな、と美鈴は感じ取った。

 孫子曰く、『兵は詭道なり(たたかいとはあざむくこと)』。
 敵を怒らせて心を動揺させれば、振るう力には隙が生じるものだ。

 ―――答えるミラーの顔には、微かな怒気があった。
「ミラー・エバネセントだジョセフ・ジョースター。
 ……自分の今の望みは、あなたに名前を覚えられる事だ」
「これは失礼、ワシも歳なもんでの~。
 ―――人に名前を覚えられたいのなら、まず素顔を出すべきだとワシは思うんじゃが」
 ミラーは一瞬ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしたが、すぐに真顔に戻り、
「もっともだ。実にもっともだが、それはあなたたちが自分を倒してからに―――」
 自身へと静かに這い寄って来ていたハーミットパープルを踏みつけ、
「―――してもらおうか?」
 足の力だけで易々と千切りながらそう言った。
(ぬうッ…! ―――予定変更じゃっ!)
 己の策(ふいうち)が実行不可能と理解したジョセフは、
 ハーミットパープルを掴まれないように大急ぎで戻し、内心の動揺を出さずに言う。
「……あんた、スタンドが見えておるようじゃな」
 ミラーは誇りも嘲りもせず、呼吸するかのように自然な調子で答えた。
「別に珍しい事でもないさ。
 ―――たとえば境界を操る存在には、幽かな波紋を捉えることなど朝飯前だろう。
 そこにいる紅美鈴にも見えているのではないか?
 スタンドが巻き起こす微細な大気の動きを感じ取ることによって、間接的に」
「……」
 美鈴は沈黙をもって答える。正解であると。
「映し出すということは、対象が見えなければ出来ないこと。
 鏡である自分に、それが見えない道理は無い」
 そう言うミラーの瞳が、ほんの一瞬だけ太陽のように煌き―――

 ミラーの背後に、『それ』が出現した。

「映せないはずも、無い」
 ……『それ』は複雑な形をした建造物だった。
 建造物のメインとなるのは、ピラミッドと同じ形の、しかし段差の無い滑らかな石の山。
 そしてその石山を覆うように、ジャングルジムに酷似した形状の石柱群が建てられている。
 建造物には、どこか神殿を思わせる意匠が施されていた。
 いや、『それ』は事実神殿だった。
「これは……!」
 ジョセフが眼を見開いて驚愕を表す。
「『ピッツベルリナ山神殿遺跡』。
 あなたたちと戦うならここしかないと思った。……先に行っているぞ」
 ミラーは美鈴たちに背を向けて、建造物のほうへと歩き出した。
 ―――さてはて、どうしたものか?
「放置して先に進む―――のは無理じゃろうなあ」
 ジョセフの言葉に美鈴は頷き、
「向こうには見えないところに人質が二人。誘いを袖にする事は死を意味しますね」
「……やるしかないの~。……任せてもかまわんかね?」
 騙し合いならとにもかく、今のジョセフに殴り合いは辛すぎる。
 美鈴はそれが判らないほど愚かでも、それを許すほど無様でもなかった。
「元からそのつもりです」
 爽やかな微笑を浮かべて美鈴は言う。
「でも、その前に―――ちょっと動かないで」
 何をするのか、とジョセフが言葉にするよりも早く、美鈴は己の力を発動させた。

 ―――紅美鈴は気を使う程度の能力を持つ。
 この気とは大気・空気の気、生命の生存可能領域に満ちる気体のことだ。
 気が無ければほとんどの生物は生きられず、世界は鉱物の楽園となるだろう。

 気を使うということは、世界を手中に収めるのと同じことだ。

 紅美鈴は気を使うことで、さまざまな現象を引き起こすことが出来る。
 空も飛べれば気の弾も撃ち出せる、音波に干渉することも泡沫を操作することも出来る。
 そして―――
「……よし。ジョセフさん、ちょっと自分の手を見てください。いえ私の手ではなく」
 大気の状態を操作して屈折率を上げ、対象の姿を見えなくすることも、出来る。
「―――老眼が急速に進行したようじゃ。なーんも見えん」
 ジョセフは言われた通りに自分の手を見て、それが見えない事を認識した。
 地面や美鈴や建造物は見える。だが自分の手が、体だけが見えない。
「私にも見えませんからご心配なく。
 ―――大気を操作して誰も目視できないようにしました。
 あまり意味は無いと思いますが、念のために」
 美鈴がそれを実行したのは、ジョセフのリスクを少しでも下げるためだ。
 近くに居なければ敵の攻撃からかばうことは出来ない。しかし離れなければ戦えない。
 ならば、そもそも攻撃させないようにするしかない―――
 攻撃対象が見えなければ、攻撃はまず当たらない。
 戦う相手が攻撃対象だけならともかく、
 他にも戦うべき相手――紅美鈴――が居る状況ではまさに命取りだ。
 が。
「確かにあまり意味は無いじゃろうな。
 向こうがその気になれば、いつでも一飲みに出来るじゃろうからの~」
 仗助へしたように。
「それもありますが、……どうも向こうは―――」


 ちりん、と鈴の音が辺りに響いた。
「お待たせしました」
 石柱と石柱の間に掛けられた石の梁。その上に立つミラーへと、美鈴は声をかける。
 美鈴が立っているのはミラーの正面、ミラーが立つ石の梁と同じ高さの大気の上だ。
 気を使う事によって、美鈴はそこに立っている。
「……では、始めようか」
 眼を閉じて腕を組み、石のように動かずにいたミラー・ワムウが、眼を開いて言った。
 途端、ミラーの戦意が周囲の空間に満ちていく。
 場の空気は変質し、その変化によって戦いの始まりを告げ―――
「その前に一つ聞きたいんですが」
「何を?」
「あなたが背水の陣地に追い込まれた場合、人質を使う予定があるかどうか」
 ミラーは数秒の間を置いて、そして答えた。
「……自分の目的はあなたたちを『理解』することだ。
 過程が無ければ結果は無く、過程が歪めば結果も歪む。だから、方法は選ぶ」
「選んだ結果が『これ』ですか?」
「選んだ過程が『これ』なのさ」
 なるほど、と自身にのみ聞こえる程度の音量で美鈴は呟いて、
「―――では、行きます」
 そしてはっきりと宣言し、ミラーを目掛けて突撃した。

 それはカーブもフェイントも無い、どこまでもストレートな疾走であった。
 ミラーという一点に向かって落ちるかのように真っ直ぐ。
 地上の獲物を狙って空より襲い掛かる猛禽のように速く。
 美鈴は飛鳥のように手を広げ、空を駆ける。

(……早いな)
 美鈴が狙っているのは接近戦だとミラーは考える。
 遠距離戦を狙っているなら近づかずに弾幕を展開するだろうし、
 接近戦を狙っていなければ速度を出す必要も無いだろう。
 ミラーと美鈴の間の距離は現在四メートル。接触時刻まで―――あと少し。
 曲がるのにも止まるのにも距離と時間が必要であり、もはやぶつかる以外に先は無い。
 そしてその時こそ、美鈴の命運が尽きる時だ。

 ―――いまミラーがその姿を投射している存在は、
 人間が歴史を持つよりも遥か前に地球に出現した、ある生き物の種族のひとりだ。
 その生き物は太陽の光を浴びると死んでしまい、
 しかし、他者からエネルギーを吸い取る事によって長い年月を生きる事が出来た。
 ……その性質は吸血鬼と良く似ているが、だがあくまでも吸血鬼とは別物だ。
 吸血鬼が口から血というエネルギーを喰らうのに対し、
 その生き物は全身で対象というエネルギーを喰らう。
 細胞のひとつひとつから消化液を出す事により、相手の細胞を喰っていくのだ。

 ―――その生き物に触れる事は死を意味する。

 その生き物に喰われずに済むのは、相応しい能力を持つ存在だけである。
 たとえば消化できないほど頑丈な/影響を与えられないほど波長のずれているもの。
 たとえば太陽の力波(バイブレーション)を纏う人間。
 たとえば完全生物。
 たとえば亡霊。

 さて、紅美鈴は消化のできない相手だろうか?
(NO……!)
 今までの行動から判断するかぎり、けして喰えない相手ではないとミラーは考える。
 だが、もしも美鈴に隠し球があって、喰らえなかった場合は―――
(その時はその時……)
 ごく普通に攻撃するだけだ。石柱を叩き折るほどのパワーを持つ、その肉体で。

 ミラーと美鈴の間の距離は現在三メートル。接触時刻まで―――あと僅か。
 迫り来る美鈴を視認しながらも、ミラーは回避動作を取ろうとはしない。
 己に触れさせなければ喰らうことができないからだ。
 だから、
「……そう来るか!」
 『それ』を正面から受ける事になった。

 ミラーまであと三メートル、というところで美鈴は蹴りを放った。
 それは鋭くもしなやかな、槍のごとき前蹴りであったが、しかしそれはミラーに当たらない。
 届かなければ当たらないのは当然だ。
 ……美鈴の足の長さは三メートルに遥か及ばない。
 ゆえに三メートルの距離で放たれた蹴りはミラーに届く訳が無く、ただ大気を蹴るのみ。
 だが、それは無意味な行為ではなかった。
 美鈴が蹴りの目標としたのは、ミラーではなく大気だったからだ。

 蹴られたものはどうなるか?
 蹴りの威力が対象物の現在居る地点に留まろうとする力を上回れば、
 対象物は蹴りの威力に相応しい勢いで蹴られた方向へと動く。……基本的には。
 対象物が脆ければ、掛かる力に耐えられず、動く前に壊れるだろう。
 軽ければ動くための力が上手く伝わらず、小さければ動くための力がその身に溜まらない。
 大気は眼に見えないほど小さく、肌に触れても感じない物だ。
 美鈴の蹴りは、ただ大気をかき回すだけのものに過ぎなかった。
 ……美鈴が能力を持っていなかったのなら。

 紅美鈴の能力は、気を使う程度の能力だ。
 その力を発動させながら大気を蹴れば―――

 ありふれた大気は刃に変わる(チェンジエアブレード)。

 ―――それは疾風の速度で迫り来る虹色の散弾。
 その数は秋風に踊る落葉よりも多く、その密度は夜空に咲く飛花(はなび)よりも密だった。
 それに当たればどうなるか。わざわざ言うまでもないだろう。
(……鋭い風だ。速い風だ。飛んでも伏せてもいくらかは当たる―――)
 今からミラーが風(さんだん)の範囲外に逃れる事は不可能だ。移動時間が足りなすぎる。
 撃ち落すことも出来ない。ただ一発を無効化する間に三発の弾を食らうだろう。
 だからミラーは、
「……こうするしかないな」
 実行する。

 まずは上体と下体を繋げている部分、仙骨と腰椎を捻って外し、上体を右へスライドさせる。
 その体はバグったゲームキャラのように、
 上半身が下半身の右上に浮き――この場合は筋肉で繋がっているが――変形完了。
 関節を外してパンチのリーチを伸ばす。
 などというレベルではない、とてつもない身体操作だった。
 だが、その程度の身体操作では迫る散弾を回避することは出来ない。
 ―――だから、もっと変形させる。
 腕の筋肉を操作して肘関節に干渉、橈骨と尺骨を外し上腕骨方面へとスライドさせ、
 次に指骨と手根骨を解体して寄せ集め、手を折り畳み、両腕を海藻のごとく変形させる。
 その操作と平行して、
 足の筋肉を操作して膝関節に干渉、腓骨と脛骨をスライドさせ、
 しかし腕とは違って短くではなく細くなるように両足を折り畳む。
 顔にも胸にも同じような操作を施し、ミラーは全身の変形を完了させた。
 それは虹色の風がミラーにたどり着くのと、同時。

 ―――ミラーが投射しているワムウという存在は、
 4センチ×20センチの隙間に潜り込めるレベルの肉体操作が可能な種族の出だ。
 その肉体操作の精確さは、スピードは、戦いにおいて強力な武器となる。

 ミラーを倒すために吹いた虹色の風は、ミラーに触れる事なくその傍を通り過ぎていった。

「―――な」
 それとそれをなしえた姿を目撃した美鈴は、驚きのあまり動きを止める。
 いや、驚いたのは事実であるが、動きを止めた理由はそれではない。
 美鈴の動きを止めたのは蹴りだ。
 ……現在美鈴が居るのは空中、先ほど蹴りを放った地点だ。
 大気を撃ち出すための蹴りは、自身を急停止させるための行為でもあった。
 『直接』今のミラーに触れればロクな事にならないと、ジョセフから教えられていたからだ。

 美鈴が停止していたのはほんの僅か。
 ミラーがその隙を攻撃出来ないほどの、ほんの僅かな時間だ。
 その時間で美鈴は次の行動のために体勢を立て直し、ミラーは次の行動の準備をした。
「信念(スタイル)は写し出せなくとも、流法(モード)だけなら写し出せる……」
 ―――攻撃という行動をするための準備を。

 ミラーは筋肉を使って骨を動かし、自身の体を初期状態へと戻す。
 そうしてから胸に力を込め、体内より六本の管を露出させた。
 その管は肺と直結した、大気を効率よく取り込み/吐き出すための異種器官。
 それを使ってミラーは―――猛烈な勢いで大気を吸い始める。
「……『風』を使うのは紅美鈴、あなただけではない……!」
 大気が、悲鳴を上げた。

 体勢を整え終わった美鈴は、風がミラーへと集まっているのを肌で感じ、
(―――マズいッ!)
 直感か理論か忠告か、その全てかそれ以外か―――によって、移動を選択・実行した。
 蹴り飛ばした分だけ量は減ったが、それでも充分な量がある身近の大気を操り、
 遺跡の柱の影を伝いながら、美鈴はミラーの横面へと回り込むように動く。
 
 ―――ミラーはそれを眼で追おうとしない。
 眼よりも優れた感覚器官が、その体には存在するからだ。
「眼に見えない物は、他のもので見ればいい」
 ミラーの額の器官がハト時計の扉のように開き、その奥から一本のツノが現れ出でた。
 それは竜巻のように螺旋を描きながらも、しかし芯はどこまでも真っ直ぐなツノだ。
 ―――それはツノを持つ動物のように、直接的な武器として発達したものではない。
 それは世界を理解するために発達した触覚器官。
 眼よりも良く光を捉え、鼻よりも良く匂いを感じ、肌よりも良く風を知る触角だ。
「……『見える』ぞ、風が……あなたが―――」
 柱の影を伝わり動くために眼では断続的にしか見えない美鈴の姿を、ミラーはツノで見る。
 ツノによって風の動きを読み、空気の囁きを聞き、呼吸のうねりを捉え、
 レーダーのごとく正確に、美鈴の位置を理解する。
 ―――敵が見えている。準備が整っている。ならば躊躇う理由は無し。
「最初に見せるは、風の最終流法(ファイナルモード)―――」
 言うミラーの体が、内側から弾けた。
 肩が、首が、胸が、背中が、顔が、上半身のありとあらゆる部位が、
 衝撃を受けた石膏像のように破片(にく)を撒き散らし、しかし形は崩れずに壊れていった。
 ミラーの体内で起こっている現象が、ミラーを傷つけているのだ。

 ―――吸引が始まってから現在に至るまで、
 胸の管は一瞬たりとも途切れずに大気を取り込み続けている。
 管は亜空に繋がっている訳ではないから当然、いつか大気を取り込みきれなくなって―――
 壊れ・果てる。
 ……しかし、そうなることは実際には有り得ない。
 取り込まれた大気は肺の中で超圧縮され、
 そして、入ってきた時の管とは別の管を通って頭部へと向かい、
 ――大気の圧縮と高速移動に伴う摩擦が、熱が、肉体を内側から破壊しながら――
 ツノに在る剃刀の厚みよりも狭い隙間から、超絶的な圧力を掛けられて吹き出されるからだ。

 『水鉄砲は穴が小さいほうが勢いよく遠くまで飛ぶ』。
 とはいえ、どれほど穴を小さくしても所詮は水。
 物に当たれば、水はあっさりとしぶきになって霧散してしまう。
 それを避けるためにはもう一工程が必要不可欠。水に絶大な圧力を掛ける必要がある。
 深海の圧力を掛け、小さな小さな穴から撃ち出せば―――水は、鉄をも切り裂く刃と化す。
 それは、大気にも通用する法則だ。

 眼に見えるほど圧縮された大気の刃が、ツノから吹き上がり、獲物を求めて荒れ狂う。
 それはワムウという存在の持つ能力を最大限に生かした技。
 ワムウの努力によって編み出され、ワムウの勝利によって磨かれてきた必殺の技だ。
 その名を―――

「『渾楔颯(こんけつさつ)』……!」

 ―――烈風が空を奔り、
 行く手を阻む石柱を人皮のように易々と切り裂いて、紅美鈴に襲い掛かる。
 ……もちろん、石柱のように斬られてやるほど美鈴は甘くない。
「―――せえ、のッ!」
 美鈴は風の刃が自身に触れる直前、手近の大気を壁のように蹴りつけ、
 すんでのところで風の刃を回避する。
 そしてそのままミラーに接近しようと
 して、追尾してきた風の刃に邪魔をされ、進行方向を変える。


 ……今のは実に危ういところだった。
 あと一拍でも美鈴の反応が遅れていたら、美鈴の首と体は泣き別れになっていただろう。
(ヒヤヒヤさせてくれるわい……!)
 ジョセフは、目的の場所へと静かに移動しながら、ミラーと美鈴の戦いを見る。
 そうして情報を得なければ、この戦いに勝つ事は不可能だ。
(……やつはワムウの力を完璧に自らの物としている。
 いま吹き荒れている風の威力は、あのとき味わったものと全く同じじゃ……)
 昔は。
 昔は、それに対抗するための体力が、ジョセフに存在した。
 だが、今は無い。
 人は老いる。人の全盛期は短く、寿命も同じように短い。妖怪とは違う。
(選択を後悔しているわけじゃあないが……愚痴のひとつも吐きたい気分じゃ)
 今、ジョセフは『呼吸』で必死に昔の体力を呼び戻そうとしているが―――
 やはり、鍛えていなかった時間が長すぎた。
「……」
 相手の一撃が肌を掠めただけで、ジョセフは即死するだろう。
 それは予測でも憶測でもない。事実だ。
 ―――ワムウは、強い。
「……くッ」
 ワムウの力を持つ敵に近寄らなくてはいけない、そう考えるだけで体は自然に震えだす。
(ケツの穴にツララを突っ込まれた気分じゃ……)
 ワムウの力が―――そこにある死が、恐ろしい。

 たとえ相手が大きい奴でも、やれば負けると判っていても、
 勇気を持って戦わなくてはならないときがある。
 ―――と、とある紳士は言った。
 ジョセフ・ジョースターは紳士とは程遠い人間だ。
 けれど―――
「……上手く気を取られているようじゃな。よし、次はあそこじゃ」
 その勇気は、その闘志は、偽物ではない。
 ……ジョセフはハーミットパープルをロープ代わりにして、石柱を伝い登っていく。
 その姿は、誰の目にも捉えられる事はない。
 美鈴の大気操作は未だ有効だ。―――大気は渦巻く風となってジョセフに纏わり付いている。
 その、自身にも見えないジョセフの体は、少しも震えてはいなかった。


 ―――接近すれば捕食される危険があり、
 かといって遠距離に居れば常に『渾楔颯』を警戒していなければならない。
 どちらかのリスクを肯定しなければならないのなら、美鈴は遠距離のリスクを肯定する。
 一人で戦っているのならば。
 ……打ち合わせ通り、ジョセフは密やかに移動を開始した。
 ならば、移動を気付かれないように、気付かれても手出し出来ないように、
 接近戦を仕掛けるしかない。
 ―――己の能力を最大限に生かして。

 爆発的勢いで迫るミラーの、太いとしか言い様の無い回し蹴りを、
 美鈴は真下へ落下することによってかろうじてかわした。
 蹴りの起こす風で美鈴の帽子が吹き飛び、地上のどこかへと落下していく―――
 このまま行けば美鈴は帽子と同じ末路を辿るだろうが、
 しかしそうする理由は美鈴には無い。
 まだ、戦える。
 美鈴は大気を操作し落下運動を停止。直後、空中を三歩分だけ前へ進み、
 ワルツを踊るようにくるりと後ろへ半回転。
 そして己が頭上の梁に立つミラーを目指し、大気を蹴りつけて急上昇する。
 その手にあるのは青白い球。
 美鈴が自身の能力を使って作った、カボチャよりも大きく硬い大気の球だ。

 ―――直接触れるのが危険なら、直接触れなければいい。
 それだけのこと。

 美鈴は両手で大気の球を持ち、己の頭上に振り上げたまま上昇し―――
 ミラーの後頭部がちょうどいい位置に来たところで思い切り振り下ろす。
「っぐ!」
 ミラーの呻き声が耳に届くがそれは無視、
 美鈴は大気の球を斜め上方へと放り投げるようにして振り上げ、
 ミラーの背中へ二撃目を叩き込みつつ大気の球を手放す。
 大気の球は斜め上方へとすっ飛んで行き―――美鈴はそれよりも速く、上へ。
 ミラーが立つ石梁よりもひとつ上の石梁まで上昇し、そこで転回。
 今度は前方へと移動し始め、
 ――今までの前方が上に、下が前方になるよう姿勢をコントロールしながら――
 先ほど放り投げた大気の球の行く先へと先回りして、
 地に降下する華のような、ふわりとした踵落としを大気の球に当てる。
 球は弾けて消える事なく、
 蹴られた方向へと高速移動を―――つまり、ミラーを目指して動きだす。

 それが直撃すれば、ミラーはバランスを崩して下へ落ちるだろう。帽子のように。
 ……今居る地点の真下の地表には、針山のようになった水晶群が存在しており、
 落下のダメージは常よりも強烈だ。
 まさかその程度でミラー・ワムウが戦闘不能にはなるまいが、しかし有利にはなる。
 大技を出すための時間を、稼ぐ事が出来る。

 ―――そんな期待を載せて放たれた大気の球は、
 ミラーに当たることなく地表にぶつかり、弾けた。
 ……先刻のように体を変形させて避けたのではない。風を使用して球を動かしたのでもない。
 ただ、ミラーはそこに居なかった。
 ミラーの姿は忽然と消えていた。
(……大気の屈折……じゃない。なら―――)
 自身の能力で相手の失踪手段を探りつつ、美鈴は直前までミラーが居た場所へ降り立った。
 ―――ミラーの誘いに乗ることで、ミラーを誘うために。
「……」
 静かに呼吸し、体の内側に力を溜めながら、美鈴は辺りを探る。
 辺りにミラーの姿は無い。辺りにミラーの音は無い。
 辺りにミラーの匂いは無い。辺りにミラーの気配は―――
 美鈴は右を向く。
 そこにあるのはただの石柱、ヒビは有っても折れてはいない、角ばった柱だ。
 柱の陰には何も隠れていない。それは確かな事実だった。
 だから美鈴は柱に背を向け、
(1、2、……)
 数呼吸分待ち――その間に大気を集め、青白く光る大球を生成して――
 柱へ振り向きざま、その球を投げつける。
 球の行く手にあるのはもちろん柱。そして、柱と球の間にあるのは―――
「見透かされている、な……!」
 柱のヒビから出てきたミラー・エバネセントだ。
 ……ミラーは肉体を操作することにより、柱のヒビの中に自身を滑り込ませていた。
 柱のヒビは雷のような形をした、深さと長さはともかく幅が圧倒的に狭いもので、
 人ほどの大きさの物が入れる場所ではなかったが―――
 先ほど散弾を避けたように。
 狭い狭いヒビの中に入り込む事は、ワムウという存在にとっては可能な事だった。

(―――さて、どうする……!?)
 迫り来るそれを見てミラーは考える。
 青白く輝くその球は、先ほどの虹色の散弾よりも速度は遅かったが、
 その代わり比べ物にならないほど大きかった。
 ただ肉体操作しただけでは、それをかわす事は出来ないだろう。
 それは鋼鉄球(アイアンボール)ではなく大気球(エアボール)だが、
 しかしその威力はけして馬鹿にしていいものではない。
 ……風を操る時間は無い。
 大気の球がミラーに触れるまでの時間で取れる手段はたったの三つ。
 ひとつ、左右に移動して石梁から飛び降り、回避と同時に戦場を移動する。
 ふたつ、肉体を操作しつつ石梁にへばりつき、梁の裏側に回りこむことで回避する。
 みっつ、その場で耐える。
「……考えるまでも、ない!」
 ミラーは両腕を自分の後ろに回し―――
 そして前に踏み込み、自ら大気の球へと突っ込んだ。
「……ぐうッ!」
 爆発に似た音を立てて球が弾け、ミラーに衝撃というダメージを与える。
 ミラー本来の体ならば、耐えることなど出来ずに後方へ吹き飛ばされただろうが―――
 今のミラーの体は、ワムウという偉大な戦士の体なのだ。
(耐えられなければ―――それは彼への侮辱となる!)
 ……大気の球は弾けて消え去り、嵐が過ぎ去った後のような空隙が周囲に満ちる。
 美鈴はミラーのすぐ目の前に居た。
 ミラーは後ろに回していた両腕を、無傷の両腕を前に出して、
「闘技―――」
 左腕を肘の関節ごと右に回転させ、右腕も同じように、肘の関節ごと左に回転させた。
 ワムウという存在の全力で回転させられた腕は、
 あっという間に一回二回三回転、五、七、十一、―――。
 高速回転を続ける二つの腕は互いに干渉しあい、
 その腕の間に真空空間を作り出し―――
「神砂嵐(かみずなあらし)……!」
 ガッチリと噛み合った『歯車』的に力強く。
 砂漠に吹き荒れる『砂嵐』のように終わることを知らず。
 『小宇宙(コスモ)』のように圧倒的ポテンシャルを持って。

 ミラーの目の前にある何もかもを破壊する嵐が吹いた。

 それはまさしく嵐の一撃。
 一度始まったのならばただただ終わるその瞬間を待つしかなく、
 巻き込まれたのならば逃れる術は無く―――
 まったくもって容赦無く、範囲にある全てのものを平等に傷つける一撃だった。
 ―――ジョセフから聞いていた通りの。

「目の前にだけは立っちゃいかん」
 そうジョセフは言った。
「ワムウという男は―――前後左右遠近上下、どこから戦っても危険な男じゃった。
 力は強く、発想は大きく、そしてなにより―――」
 ジョセフは遠くを見ているような瞳になって、
「最後の最後まで諦めない、戦士の心を持っていた……」
 そんな瞳でいたのはほんの僅か。ジョセフは美鈴に視線を合わせ、言う。
「……鍵を握るのは腕じゃ。奴の腕は―――」

(確かに、ああ、これは確かに―――!)
 相手の拳が巨大に見えるほどの回転圧力を前にして、美鈴は心の底から同意した。
 もしもこの一撃を―――『神砂嵐』をまともに喰らったのならば、
 体の内と外をズタズタにされ、戦闘の続行は不可能になるだろう。
「……そうなってたまるもんか!」
 だから美鈴は、それに対するための技を放つ。
 ヒビに潜んだミラーへ向けて大気の球を放った直後から溜めていた『力』で、
 己を取り巻く大気に干渉し―――
「目には目を―――嵐には竜巻を!」
 神砂嵐の影響で身体に傷を受けつつも、己を中心として極彩色の竜巻を作り上げる。
 風に紛れ、鈴の音が響いた。

 ―――渦を巻き、その範囲内にあるさまざまな物を上方へと吹き上げる風を見て、
 昔の人々はそれの事を竜巻と呼んだ。
 竜のようにとぐろを巻いて、竜のように上を目指し、
 竜のように人を傷つける風(もの)と。

 美鈴の巻き起こしたそれは、まさに竜巻だった。
 空を乱れ舞う竜のごとく、周りを傷つけながら極彩色の風が吹き荒れる。
 先に吹いていた『神砂嵐』の破壊の風と、その竜巻(かぜ)は激しくぶつかり合い―――
 その力を競い合う。

「うぐぐぐ……!」「……うあああ……!」
 二つの力流はミラーと美鈴を等しく傷つけながら、
(……まずい、足場が!)(もう一押しで体勢が―――)
 足場の石梁をきつく絞った雑巾のように捻じれさせ、
「!?」(―――!)
 しかし破局に至ることなくその力を相殺し、消えた。

 ミラーの腕は風によって傷つき、その動きを止め。
 美鈴の体は風によって傷つき、その動きを止め。
 美鈴は上方に、ミラーは後方にと吹き飛ばされ―――

「ぬぐッ!」
 背中から石柱に叩きつけられたミラーは、
 吹き飛ばされた衝撃のせいで受け身も身体操作もすることが出来ず、
 その体は石柱にめり込み。激突のダメージをまともに受けた。
(ッ、―――)
 戦いとはこういうもの、と衝撃に歪んだミラーの意識が独り言を言う。
 痛み、怯え、迷い。そういったものがミラーの中で渦巻いていた。
「『彼』の心も、そうだったのか…?」
 ……今は考える時ではない。動くべき時だ。
 腕に受けた傷はそれなりに深いが、そんなものはすぐに治る。
 それが、ワムウという生命の特性だ―――。

 ミラーは石柱から体を引き抜きつつ、
(……紅美鈴はどこだ)
 ツノに感覚を集中し、美鈴の現在位置を探る。
 ―――美鈴を捉えるよりも先に、ミラーはそれを見つけた。
(上……いや、全方位かッ!)
 気づいた時には既に遅かった。
 獲物を仕留めるため作動した罠のように、
『茨』が前後左右上下斜めからミラーへと一斉に襲い掛かった。
 それには容赦も迷いも、付けこむ隙も無く。
 ミラーは、茨によって石柱に括りつけられた。
「……良くやってくれたのう、美鈴さん。
 あとはワシの仕事じゃ……!」
 ―――ミラーが石柱に括りつけられた直後。
 ミラーの頭上の石梁から、茨をロープとして使い、彼がミラーの目の前に降りてきた。

 彼―――ジョセフ・ジョースターが。

 ……いまミラーを縛り付けているのと同じ茨は、
 ハーミットパープルという茨は、先ほどミラーにあっさりと千切られた。
 ……ジョセフは見た目通りの齢をした普通の人間であり、
 ミラー・ワムウと力比べを出来るようなパワーは無い。
 つまり、現在の状況は圧倒的にミラーが有利だ。

 だが、ミラーはこの状況を恐れる。
 己のピンチであると認識する。
 ジョセフには、ハーミットパープルではない力が―――ミラーを倒す力があるからだ。
「Coooooooo―――ッ!」
 ジョセフの呼吸に合わせ、その腕から電流のようなものが迸った。
 激しくも規則性のある音を立てながらそれは茨を伝い、ミラーを目指して疾走する。
 それはジョセフの体内で練られ、そして解き放たれた、太陽光の波動を持つエネルギー。
 ―――その名を、『波紋』という。
「波紋と共に風となれッ! 偽物の(フェイク)ワムウ!」
 ……波紋は対生物効果を持つ力である。
 とはいえ、普通の人間ならば痺れて気を失う程度だが―――
 今のミラーにとっては違う。
 現在ミラーが投射しているワムウの体は、太陽の光に弱い。
 普通の生命とは違ってそこからエネルギーを受け取ることが出来ず、
 逆にダメージを食らって死に至る。
 つまり太陽光と同じ性質を持つ波紋の力は、ミラー・ワムウにとっての致命の毒だ。
 ……強点だけではなく弱点をも模すのは当然のこと。
 弱点はその存在というシステムに欠かせないパーツであり、
 弱点を除けばそもそもその存在は成り立たない。

 日光を浴びても滅ばない吸血鬼は、吸血鬼と呼ぶべきだろうか?
 心を持たない人間は、人間と呼ぶべきだろうか?

 ―――重力に引かれて下へ落ちる水が、ただ一時も止まることが無いように。
 茨を疾走する波紋は動きを止めず、あっという間にミラーへとたどり着いた。
「……ッ!」
 が。
 ミラーの体に波紋は浸透することなく。
 己に巻きつく茨(ハーミットパープル)をミラーは引き千切り、その束縛から逃れえた。
 そして間髪入れずに反撃を―――せず、
 ただ悲しげな瞳でジョセフを見つめ、ミラーは言う。
「……老いたな、ジョセフ・ジョースター」

 魔法の使い手が特殊な言葉によってその力を発揮するように、
 波紋の使い手は特殊な呼吸によってその力を発揮する。
 ジョセフは波紋を作り出す呼吸を生まれた時からしていたほどの異才であるが、
 しかしある時からその呼吸を止め、常人がするのと同じ呼吸をするようになった。
 ……その理由は本人にしか解らない。
 そも、ここで重要なのはそうした理由ではなくそうした結果だ。

 ……当たり前のことではあるが、
 その行為をしなければしないほど、その行為をこなす能力は衰えていく。
 ゲーム、スポーツ、勉強、創作。
 衰える速度に差はあれどジャンルは問わず、誰であろうとも等しく。
 どれほどの才能があろうとも、磨こうとしなければ才能は錆び付くのみ―――。

「六十年、いいや十年前のあなたならば、これで勝負は決まっていただろうが。
 もはや―――あなたの波紋は、ワムウには通じないほどに衰えてしまった」
「……そのようじゃな」
 茨(ハーミットパープル)を体内へと戻しながら、ジョセフが言う。
「あなたの負けだ。そこをどけ」
 ミラーは勝者の余裕と共に言い、ジョセフも勝者の余裕と共に答えた。
「断る。ワシがどくのは道にウンコが落ちている時だけじゃ」
 ミラーの頭上に仕掛けられた罠が作動したのは、ちょうどその時だった。

 泡立つ黒色の液体が、滝のような量と勢いで頭上からミラーに襲い掛かった。
 その液体はミラーの体に触れるとすぐに硬化し、その動きを封じてくる。
「こ……!」
 これは、とミラーは言うつもりだったが、
 口に液体が入り込んだために『こ』しか発声は出来なかった。
 ジョセフが会心の笑みを浮かべ、言う。
「スピードワゴン財団特製、非致死性粘着地雷じゃよ」
 ……ミラーの頭上の石梁、その下面部には、
 平べったい形をした、手のひらサイズの金属缶が貼り付けられていた。
 いや、それが貼り付けられているのはミラーの上部の石梁だけではない。
 全ての石梁に、とまではいかないが―――大抵の石梁にそれが貼り付けられていた。
(……ふ~。山を当てられて良かったわい)
 ジョセフが石梁の間を動き回っていたのは、
 美鈴が戦っている隙にそれ―――地雷を貼り付けるためであった。
「波紋ばかりに頼っている理由は無いからの~」
 そして、ようやくミラーは理解した。
(迂闊……!)
 地雷の作動スイッチを押したのが、自分自身であることを。
(引き千切りさえしなければ―――)
 束縛から逃れるためにミラーが引き千切った茨(ハーミットパープル)は、
 ある地点で地雷の点火ピンの中を潜り抜けていたのだ。
 茨を引き千切れば、茨に掛けられたその力で点火ピンが抜き取られるように。
 ……もしもミラーがワムウの特性を生かし、
 肉体操作で変形して茨から逃れたのならば地雷は作動しなかっただろう。
 だが、ジョセフは二分の一の可能性に賭けたわけではない。
 ジョセフにはミラーが茨を引き千切る事が読めていたのだ。

 ―――先ほど、会話中にハーミットパープルで不意打ちしようとした時の事だ。
 ミラー・ワムウはスタンドである茨を引き千切った。
 ジョセフはそれをハッキリと見た。
 敵の攻撃を引き千切れるのなら、それによって数秒先まで有利になれるのなら―――
 それを実行しないはずがない。
 それ以上の手を閃めく事が出来る、戦闘の天才でもない限りは。
「……あんたには、ワムウほどの戦いの才能が無かったようじゃな」

(……まだだ! まだ反撃のチャンスは―――)
 ミラーは束縛から逃れるために、
 自身の体にまとわりつく地雷の粘着成分を全身の肌から取り込もうとする―――
 それは成功した。
 乾いた大地に水が染み込むような勢いで、粘着成分は体の内側に取り込まれていく。
 その感触からして、数秒もあれば自由に動けるようになるだろう。
 と、ミラーは判断した。
 そうすれば、じきに駆けつけてくるだろう美鈴に対して反撃体勢を
「ところでその地雷の中身にはとある性質があってのう。
 波紋エネルギーを良く伝達するんじゃよ」
(……!)
 今のジョセフの波紋は、ミラー・ワムウの表皮を貫くに至らないものだ。
 しかし、仮に内側へと流れ込んだとしたら―――

 未だ癒えていない腕の傷には、粘着成分が触れていた。
 少しだけ開いた口の中には、粘着成分が充満していた。

 だからジョセフは右の拳を高々と振り上げ、
「波紋疾走(オーバードライブ)!」
 ミラーに波紋を叩き込む。

 ブ厚い鉄の扉に流れ弾丸(だま)が当たったような金属質の音が、辺りに響いた。

「―――やりました?」
 軽やかな鈴の音と共に、美鈴がジョセフの立つ石梁へと降り立った。
 その頭に帽子は無い。拾うための僅かな時間をも惜しみ、大急ぎで戻ってきたのだ。
「……手ごたえはあったんじゃが」
 やや歪ながらも人の形に固まった粘着成分を見ながら、ジョセフは答える。
 ―――粘着成分はとことん透明度の無い黒色で、
 月光の下では――いいや、陽光の下でも――色の向こうに何があるのかは判らない。
 仕留めたのならば、その中にはそれなりの痕跡があるだろうが―――
「開けて確かめましょうか」
「そうじゃな」
 見えないならば見えるようにすればいい。当たり前の事だ。
 美鈴は己の手に大気を纏わせ、風の刃と肉の柄を持つメスへと変えた。
 そして、そのメスによって粘着成分の檻を切り裂く―――
「開く必要は無い」
 寸前、聞き覚えの無い少女の声がジョセフたちの耳にと届いた。
「……そうみたい、ですね」「ふうむ」
 声が聞こえてきたのはジョセフたちの左側から、ジョセフたちと同じ高さからだった。
 そこはこの建造物のメインとなる石の山が無い空間。
 立つべき足場も何も無く、ただ背景に真ん丸い月だけがある空中だ。
 ―――そこに、その少女は浮かんでいた。
「まさか、この身に波紋を食らうことになるとは思わなかった。
 ……世界は判らないものだな」
 その身を覆うのは、夜闇の中でさえ鮮やかに自己を主張する青色のローブ。
 ローブに掛かるのは、鏡のように煌めいている、やや赤味がかった白色の髪。
 そしてそれらの輝きを程よく中和する、落ち着いた緑色の瞳。
 それはそんな外見(いろ)の少女だった。
 ―――ジョセフも、美鈴も、その少女に見覚えは無い。
「それが、『あんた』の素顔かね」
 既にそうであると確信しているかのような顔で言うジョセフに、
 少女は硬く、そして表情の無い顔で答えた。
「そうだ。
 これが自分の―――ミラー・エバネセントという生命の、本当の顔だ」

 美鈴は今のミラーを見て考える。
(会話する気はあるようだけど、闘気は消えていない―――)
 だから動かない。
 戦いで消耗した力を回復するための時間と、戦う相手の情報が少しでも欲しかった。

 ジョセフは今のミラーを見て考える。
(こいつの姿は真実の姿じゃろうか? 何を宗として動き、何を望むのじゃろうか―――)
 だから言う。
 勝利するために。己の息子を、守るために。

「ミラーさん。あんたは結局何がしたい?」
「先ほど紅美鈴に言ったとおりだ。自分は、あなた達を『理解』したい。
 誰よりも深く(ディープに)。
 ―――その輝きが上っ面だけなのか、芯の芯まで輝いているのか。
 それを確かめるためには、
 作り物の顔を脱ぎ捨てなければいけないほどの窮地に追い込むのが一番だ。
 ……たとえば戦いのような」
「ほう。で、理解は出来たかね?」
 ミラーはジョセフを真っ直ぐに見て、言う。
「ジョセフ・ジョースター。どれほど老いても、あなたはやはりヒーローだった」
 そしてミラーは美鈴を見て、
「紅美鈴。あなたの動作から伝わってきた懸命さは、使命を果たそうとする熱意は、
 つくづく尊敬に値する。あなたに門を任せられたら、それはとても幸せな事だろう」
 ミラーはそこで目を伏せ、沈んだ声で言った。
「……誰かを理解すればするほど、自分の姿がはっきり見えてくる。
 自分は、借り物の力を揮うだけの存在(もの)にすぎない。
 憧れた輝きを映せず、力だけを問答無用で映すこの身は―――」
「次にあんたは『憧れに対する侮辱そのものだ』という」
「憧れに対する侮辱そのものだ。―――、本当に、あなたという人は……!」
 言おうとした言葉を言い当てられたミラーは、悔しさと嬉しさが入り混じった顔をした。
 明るくも挑発的な笑顔で、ジョセフが言う。
「……さあて、そろそろ戦いの続きをするかね?
 今度は体を動かさない―――頭を動かす勝負なんてどうじゃ?」
 ミラーがそれにどう答えるかは予想がついていた。
「……騙し合いであなたに勝つ自信は無いよ。
 ―――だから、今はさようならだ」
 予想通り。
 ミラーはその背後へ現れた、直径二メートルほどの大きさの丸鏡の中へと潜り込み、
 全身が潜ったところで鏡ごと消えた。
 ―――もはやミラーがここに戻ってくる事は無いだろう。
 この場での戦いは終わったのだ。

 ミラーが消えてから十秒ほどが経ち、ジョセフは体から力を抜こうと―――
「忘れていた」
 消えたのと同じ地点に現れた鏡から、ミラーが半身を出し、美鈴に物を投げ渡す。
「……あ」
 それは美鈴の帽子だった。
「言っておくが、偽物ではないぞ」
「……ええ、判ります。わざわざすみませんね」
「礼には及ばない。ここで返すのは帽子だけ、あの二人はまだ返さない―――」
 そう言って、ミラーは再び鏡の中へと潜り込み、鏡ごと姿を消した。
 今度こそ、戻ってくる事は無いだろう。

「……やれやれ、とりあえずは切り抜けられたかのう」
 全身から力を抜いてジョセフが言う。
 美鈴は帽子をかぶりながら、それに答えた。
「ええ。こちらは無事で、相手の能力と望みが判ってきた。言う事は無いです」
 ジョセフは美鈴を見て軽く頷き、
「じゃな。―――しかし美鈴さん。あんた、実にナイスな戦いっぷりじゃったよ」
 表情(かお)と声に確かな敬意を込めて、そう言った。
「ジョセフさんこそ見事でした。
 遷人でもなんでもない普通の年老いた人間が、あそこまでやれるとは思いませんでしたよ」
 そして美鈴の言葉にも、本物の驚きと本物の敬意があった。

 ―――此度の勝利は、協力によって得た勝利である。
 美鈴が居なければ、ジョセフがマークされずに動く事は不可能だっただろう。
 ジョセフが居なければ、美鈴は未だにミラーと戦っていた事だろう。
 ……条件が違えば結果も違う。
 お互い、一人でもミラーに勝つ事は出来た(可能性はゼロではない)だろうが―――
 しかしこの勝利は、協力によって得たものだ。
 ならば、それを引き寄せた能力を、お互いを、認める事に異議は無い。

「ところで、一つ相談したい事があるんじゃが」
「なんでしょう?」
「ここから先へは、どこから進めばいいんじゃろうか?」
 辺りに判りやすい出口は無い。ミラーが消えた鏡は、ミラーごと消えている。
「……えーっと」
 見つからないなら探すしかない。飛んだり飛んだり飛んだりして。

 ……空の月という鏡(でぐち)を見つけるまで、
 美鈴は相当な距離を飛び回るはめになった。



 ―――さらわれた身、
 と一口に言っても、その扱いは何のためにさらわれたのかによって大いに異なる。
 ただ閉じ込められ、何もされずに放って置かれることもあるだろう。
 機嫌を取るため、菓子や玩具や遊び相手のフルコースを与えられる事もあるだろう。
 さらわれた者の身内への嫌がらせとして痛めつけられる事もあれば、
 さらわれた直後に始末される事も、はたまた即座に解放されることもあるだろう。
 しかしどのような扱いをしていても、さらわれたものが望むのは一つだ。
 日常への帰還。
 だから、さらわれたものは―――


 歩く。
 歩く、歩く、歩く、歩く、歩く、歩く…………

 どれほどの時間と距離をそうしていたのか。
 それを正確に知っているのは、体に溜まった疲労だけだった。
 足を止め、彼は呟く。
「やべーな」
 その呟きを聞くものは無い。
 彼が現在立っているのは、空に太陽の輝く、良く見知った町角であったが―――
 しかしそこには道を行く人も車も、犬も猫も虫も鳥も。
 ただのひとつも存在してはいなかった。
 地面や建物、電信柱や大気や看板などは存在していても、生命だけは存在していない。
 呟く彼―――東方仗助を除いては。
「……いやホント、こいつはやべーぜ……!」
 それは実に回りくどく、実に有効な『攻撃』だった。

 ―――ミラー・エバネセントは仗助を鏡の中へと引きずり込むと、
 仗助の住む町、杜王町を映した鏡の領域へ仗助を放り出し、そして消えた。
 一言も語る事なく。一撃を食らわす事もなく。
 ただ放置した。

(もしもこのまま出口を見つけられなかったら……)
 と仗助は想像し、背中に冷たい痺れを走らせた。
 特異な力を持っているとはいえ、仗助はあくまでも人間だ。
 喉が渇けば腹も空く。眠くもなれば人恋しくもなる。
 そして、傷つきもすれば死にもする。
 このまま放置されたのなら、遠からず身動きが取れなくなるだろう。
 ……倒すべき相手は見えず、向かうべき場所は判らず。
 このまま、己の住む町と良く似た異郷で朽ち果てるのだろうか。
「……冗談じゃねー。何でもいいから早く起こってくれ……!
 怪しげな扉に出くわすとか、怪しげな誰かが出てくるとか、そういうのをよ~!」

 ―――分かった、その願いを叶えてやろう―――

 などという声が聞こえてきたわけではなかったが。
 自身の願いが叶った事を、仗助は知った。
「……お?」
 いつの間にか。
 仗助の前方、七メートルほど離れた場所に、一人の女が立っていた。
 その身を包むのはメイド服。その手に持つのは煌くナイフ。
 その顔に見覚えなどはありすぎる。―――十六夜咲夜が、そこに立っていた。
 睨むような眼差しで、仗助はその咲夜に言う。
「咲夜さん、じゃあねーな。
 見た目はそっくりだけど……落ち着いて見るとよー、雰囲気が全然違うんだよな~ッ」
 その咲夜―――咲夜を映したミラー・エバネセントは、落ち着いた声音で言った。
「自分でも、そうじゃないかと思っていたよ。
 ―――後学のために聞いておきたい。今の自分と十六夜咲夜はどんな風に違う?」
「……なんつーか、輝きが違うんでスよ。
 咲夜さんが自力で輝くタイプだとするなら―――あんたは光を反射してるだけ、みたいな。
 咲夜さんにある自信が、あんたには無い。……まあそんなところッス」
 その発言を受けたミラーは心底から納得したという表情になり、
「なるほど。確かに思い当たる。
 ……では東方仗助、あなたを打ち倒して自信を手に入れることにしよう―――」
 仗助目掛けてその手のナイフを投げつけた。


 敵地へ乗り込むという事は、集中攻撃を受けに行くのと同義である。
 敵の数は半端ではなく多い。そこが敵地だからだ。
 味方は少数か自分ひとりのみ。そこが敵地だからだ。
 だから自然、集中攻撃を受けることになる。
 百の敵がひとり二度ずつ攻撃すれば、放たれる攻撃は二百。
 その二百÷味方の数というX=味方ひとりが引き受けなくてはいけない攻撃の数だ。

 それゆえに、敵地で起こる戦いはとことん厳しい。
 敵が(交代しながら)少数に攻撃を集中させればいいのに対し、
 味方は多数を一度に相手しなくてはいけない。
 補給は受けられず休む暇は与えられず、ひたすらに敵と戦わなければいけない。
 迫る攻撃を――幸運・能力・機転・直感――あらゆる手段で無力化しながら。

 よく考えなくても、それはかなり無理がある。

 だから、敵地に乗り込むなんて誰だってやりたくはない事だ。
 生きて帰れる可能性はほとんど無く、
 生きて帰るためには、苦労と苦痛と苦肉の果てにある物を掴まなくてはいけないのだから。
 だが、それでも覚悟を決めて乗り込むしかない場合がある。
 たとえば、敵地(そこ)に取り戻したいものがある場合などだ―――


 歩く。
 歩く、歩く、歩く、歩く、歩く…………

 さて、どれほどの時間と距離をそうしていたのか。
 それを正確に知っているのは、体に溜まった疲労だけだった。
 ……歩みを止めず、彼女は考える。
(さっきので何戦目だっけ?)
 五戦目あたりまでは数えていたが、そこから先は数えるのを止めてしまっていた。
 ―――いま彼女が歩いているのは、良く見知った屋敷の廊下。
 彼女―――十六夜咲夜が働く場所、紅魔館を映した鏡の領域で、咲夜は戦っていた。

 咲夜はミラー・エバネセントと共に鏡へ潜り、鏡の中という敵地に乗り込んだ。
 敵地にあるものといえば一つしかない。
 戦いだ。
 ―――咲夜はひたすら戦った。
 他者の時間を逆回しする力を持つ、翼のような髪型の男(を映したミラー)と、
 星と光の力を主体に使う、黒白の魔法使い(を映したミラー)と、
 有名無名大小相異、実にさまざまなものたち(を映したミラー)と―――
 戦いにどれほどの時間が費やされたのかは判らない。
 一日か、一時間か、一年か。それとも一秒か。
 咲夜は数十分ほどだと感じているが―――しかし客観的には一日かもしれない。
 どれほど実界に似ていても、ここは敵の作り出した異界だ。

 ここでの一日は外での百年かもしれない。―――ああ海の底の竜の宮。
 ここでの一年は外での一日かもしれない。―――おお精神と時の部屋。

 そもそも、己の意思で時間を止められる咲夜に、
 客観的時間経過と主観的時間経過のズレが起こるのは当たり前のことだ。
 ―――何にせよ、咲夜のするべきことは変わらない。
 ミラー・エバネセントをブチのめし、フランドールを取り戻す。
 それだけだ。
「……倒しても倒しても出てくるってのは、中々に反則だわね」
 咲夜の前方、月の光が差し込む窓の傍に、一人の男が立っていた。
「2の16乗発撃ち込まなければ倒せないというのも、相当に反則だろう」
 ヘルメットにも似たオカッパ頭の、細身の体の男だった。
 男の細っこい体を包んでいるのは、
 両手で掴めるほど大きなジッパーがあちこちに付いた、おたまじゃくし模様のスーツだ。
 それはどう見てもカタギの人間が着る服ではなかった。
 このような服を着るのは、モデルか傾奇者か、『ギャング』くらいなものだろう―――

 だが、いま咲夜の前に立つ男はモデルでも傾奇者でもギャングでもない。
 その男は、その男の姿を映したミラー・エバネセントだ。

「……反則が何度も続けば、人はそれに慣れて反則は新たなルールとなる。
 社会の法に反するものが、ヤクザやギャングと呼ばれてシステムへ組み込まれるように」
「世界の時間を止める存在のように―――?」
「他者の能力を映し出す鏡のように、よ」
 ―――咲夜はナイフを取り出す。
 何度もこうしてまみえていれば、もはやミラーに聞くべき事は無く。
 戦いの始まるタイミングも読めてくるというものだ。
(見た感じ、接近戦は危険かな……)
 ミラーの手に武器らしきものはない。
 ナイフも銃も斧も、武器と言えるものは何も握られてはいなかった。
 必要無いのだ。そんなものは。
 ……その肉体に石柱を砕くほどのパワーは無いだろう。
 だが、その内側には―――
「では新たなルールを提示しよう。『こちらだけが壁の中を動ける』」
 ミラーに最も近い窓が、窓に隣接する壁ごと『開いた』。


 気付いたときにはナイフに取り囲まれていた。
 仗助のすぐ右横にあるブロック塀の方面を除き、
 前、左前、左、左後ろ、後ろ、と。その切っ先を仗助に向けて十数のナイフが浮いていた。
 そのナイフたちは、刹那の後には仗助を目指して流星の速度で飛ぶだろう。
 ―――ナイフの総数は十と少し。体までの距離は一メートルと少し。
 仗助のスタンド、クレイジーダイヤモンドならば、ナイフを叩き落す事は可能だ。
 しかし一つ一つ叩き落していたのでは、全て叩き落すまでに最低一本はナイフを喰らう。
(一発でも当たれば終わりだッ……!)
 当たり所が悪ければそれで即死。
 たとえ即死はしなくても、それより後の行動が極めて不利になることは間違いない。
 無傷で切り抜けたいところだった。
 ……だが、今からではそれは無理な事だ。
 場当たりの行動で押さえ込めるほど十六夜咲夜の力は甘くない。
 その攻撃を無傷で切り抜けようとするなら、それなりの準備が必要だった。
 用心して雑誌を服の中に入れておくとか、そういったことだ。
 ―――鏡の杜王町に雑誌は落ちていなかったが、しかし雑誌よりもいいものがあった。
 ブロック塀というものが。
「ドラララッ!」
 仗助はクレイジーダイヤモンドで、すぐ隣にあるブロック塀を連打する。
 塀は拳に砕かれ破片となり、塀には人が通れる大きさの穴が開いた。
 ……既にナイフは動き出していた。出来た穴を通り、ナイフから身を隠す時間は無い。
 だけど、直すだけの時間はある。

 ナイフが動くよりも速く、ブロック塀の破片が動いた。
 破片は直前に殴られた方向とは逆に、すなわち仗助の方向へと動き―――
 空中で、同じように動いた破片と共に、ひとつの形を取っていく。
 その現象はクレイジーダイヤモンドの固有能力。
 『物を直す力』によるものだ。

 ―――自身の骨のひとつが折れ、そしてそれが直ったとしよう。
 折れた部分が元通り、折れる前と同じようにくっつけば言う事は無い。
 が、筋肉の影響や治療の質の関係で、しばしば歪んでくっつく事がある。
 それは自分の目から見れば明らかに間違った直り方だ。
 ―――直ったというのにもはや一生動かせないなんて、そんな馬鹿なこと!
 それでも、直った事には変わりが無いのだ。元とは変わり果てていても。
 仗助がしたのはまさにそれだった。
「破片を盾として直す……!」
 それはブロック塀で出来たぶ厚いカーテンだった。
 半円の形に直したそれを、仗助はクレイジーダイヤモンドの手で持ち、
 ナイフが来やる方向へと向け接触鈍音。
 ―――いくつものナイフが塀へ突き刺さり、しかし貫けずに止まった。
(げっ!)
 仗助はそれに驚き、しかしすぐに納得する。
(……そうだ。そうだった―――)
 出会った時以来、やりあう事も無かったから忘れていた。いや、忘れていたかった。
 十六夜咲夜が、敵に回すと何よりも恐ろしい相手であることを。
「……グレートだぜ」
 相手は咲夜を映しただけの偽者とはいえ、その能力の危険性は本物と変わらない。

 時間を止める事が出来るというのは、本当に反則だ。

 塀に刺さったナイフを、クレイジーダイヤモンドを使って四本ほど抜き取り、
 両手に二本ずつ持つ。
 そうして、仗助は周囲を警戒のために見渡しながら考える。
(……接近さえ出来れば勝機はあるんだけどよぉ~)
 相手―――ミラー・咲夜は、とりあえず見える範囲には居ない。
 けれど、まったくもって安心は出来なかった。
 向こうがその気になれば、ほんの『一瞬』で仗助に隣接することが可能だ。
 ―――時間を止めて動いたのなら、
 一メートルだろうが一由旬だろうが移動時間は同じゼロ秒。
 止まった時間の中でどれほどの時間が経過しても、それを認識できない者には関係ない。
(向こうから近づいて来てくれる、わきゃねーよな……)
 仗助の、クレイジーダイヤモンドの拳が届く限度は一メートル弱というところ。
 物を投げたり能力を応用したりすれば遠距離の相手も攻撃できるが、
 しかしそれに一撃必倒の威力は無い。
 やはり最後に頼りになるのは、接近しての一撃だ。
「……」
 静かに息を吸いながら、仗助は拳を握り締める。
 ―――咲夜のナイフが飛ぶ距離は、さて、拳が届く距離の何十倍だろうか。
 射程の長さに加えて手数も多いのだから堪らない。
 風雨のごとく飛来するナイフのうち、一本でも直撃すればそれで戦闘不能だ。
 直撃したナイフがナマクラでもない限りは。
(今まで『打ち直した』ナイフは50ちょい―――)
 以前、咲夜と戦った時に使った手段が再び使えるかは微妙だった。
 向こうはこちらの能力を知っている。
「……相当覚悟を決めなきゃいけねーな」
 そうだ、未来を望むのならば―――
 迷う暇は無い。躊躇う理由は、無い。

 それは、誰であろうとも同じこと。

 塀の盾をクレイジーダイヤモンドで持ちながら、仗助が移動を開始したその時だ。
「―――なにいッ!?」
 瞬間、そう、まさしく瞬間的に。
 良く見慣れた杜王町の道から―――これもまた見慣れた、紅魔館の廊下にと。

 ―――仗助の左方、手の届く距離に廊下の壁。右方、手の届かない距離に廊下の壁。
 前方と後方に伸びゆく足元の絨毯。飛ばなければ届かない上方に天井。
 そして、仗助の手にはナイフ、クレイジーダイヤモンドの手には塀の盾がある―――

 辺りの景色が変わった。
(ヤバい、予定が狂った……ってちょっと待った! まさか次に出てくるのは―――)
 紅魔の姉妹なのか、と考え、仗助は冷や汗を流す。
 幸いな事にその予想は外れた。
「……!」
 左側から風が吹いた。
 それはとても弱く、静かなものだった―――とはいえ、室内で風が吹くはずがない。
 風が吹くには理由が必要だ。
(よく判んねえが……とりあえずッ!)
 人が動くために、思いという理由が必要なように。

 仗助は塀の盾を風が吹いてくるほうへと掲げ、己の身をガードする。
 よほど強力な攻撃でもない限り、塀は判断のための時間を稼いでくれるだろう―――
 塀に衝撃。
「……あ!?」

 ―――異様だった。それは、異様としか言い表せない事だった。
 塀にいつのまにかジッパーが出来ていた。
 それは信じられないほど大きく、
 ――服やバッグに付いているジッパーなんて、それに比べれば可愛らしいものだ――
 ありえないほど奇妙なジッパーだった。

 ……どれほど大きくとも、どれほど奇妙でも、ジッパーの役目はただ一つ。
 人の手に従い、物の接合・分断をスムーズに行う事だ。

 塀に出現したジッパーは、開くことによって塀を二つに分けた。
 それによって―――
(げっ…!)
 塀を持っていたクレイジーダイヤモンドに隙が生まれ、
「掲げるのではなく投げつけるべきだったな、東方仗助……!」
 塀の間を相手(そいつ)が通れるようになった。

 そいつはプロのスポーツ選手のように、しなやかで躍動感のある体をしていた。
 平時は新鮮なゴムのように柔軟性があって、急時にそれは鋼鉄へ変わる。そんな印象。
 そいつはプロのスポーツ選手のように、防具で体を覆っていた。
 硬いプラスチックと柔らかな布を組み合わせたような、そんな風に見える防具だ。
 ――硬と柔を併せ持つその有り様は、まるで『ジッパー』のよう――
 そいつは人と同じ大きさの、人と同じ形をした、人ではないものだった。
 一発で判る。
 人間にも妖怪にもないその独特なフォルムは、スタンドでしか有り得ない。

「スティッキィ・フィンガーズ!」
 そのスタンドが放ったのは、左腕でのごく単純な一撃。
 身に生じた隙のため、クレイジーダイヤモンドはその拳を左腕に受けた。
(痛っつう…!)
 鈍い痛みが仗助の腕に迅る。しかし問題は無い。腕が砕けるほどの威力は無かった。
 右腕は自由だった。ならば、
「ッ…ドラアーッ!」
 動作の続行は可能だ。
 仗助はクレイジーダイヤモンドの右拳で敵スタンドの左腕を殴りつける。
 クレイジーダイヤモンドが打撃動作を開始したのは敵に殴られるよりも前であり、
 敵の拳は未だクレイジーダイヤモンドの左腕に触れていた。
 左腕という金床に。
 そのため、打撃の威力は通常よりも効率良く伝わり―――
 一撃で敵の腕を粉砕した。
「―――さ、すがに、硬いな……!」
 そう呻いたのは、今殴った相手(スタンド)ではない。
 おたまじゃくし模様のスーツを着た、オカッパ頭のやさ男だ―――



「……やっぱ、硬いのって有利よねえ」
 と十六夜咲夜は困り顔でつぶやいた。
 咲夜が立つのは紅魔館の廊下―――に存在する階段の半ば。
 そこから見える範囲にミラーの姿は無い。
 しかし、どこに居るかは見当がつく。どこかの壁の中だ。
 ―――今回ミラーが映した存在は、触れた物を問答無用で切り開く能力を持っていた。
 それは壁に触れれば壁を開いて穴を作り、
 ナイフに触れればナイフを開いて二つに分割した。
 そこに見えない『ジッパー』でも有るかのように、ごくあっさりと。
 空間を直接切り開くことは出来ないようだったが、制限と言えるのはそれくらいだ。
 壁でも床でもナイフでも人体でも。
 それは一片の傷をも付けることなく、物を切り開く事が出来た。
 ―――切り開く事が出来るのなら、閉じ合わせる事が出来てもおかしくはない。
 それこそジッパーのように、開閉を高速・正確に実行するその力は、
 切り開いた物の中へミラーの身を隠す事を可能とした。
 たとえば壁を切り開いてその中に入り、開いた部分を閉じ合わせれば―――
 壁の中を見通す力でもない限りミラーの居場所は掴めなくなり、
 壁という盾がミラーの体を守ってもくれる。
「……ハンマーでも持ってくれば良かった」
 咲夜のナイフに壁を貫通するほどの威力は無い。
 いや、正確に言えば壁を貫通する事は出来るのだが―――
 しかしその技は『力』を多大に消耗する。
 ……ここで言う『力』とは体を動かすために必要な力、体力の事ではない。
 時を止めたり空間をいじくったりする際に必要な、精神の力の事だ。
 体力がそうであるように、精神の力もまた有限の力である。
 休まずに走り続けていればいつかは疲れて足を止めるように、
 時を止め続けていれば『力』を使い果たし、時を止められなくなる瞬間が来る。
 ―――それが恐ろしいから、咲夜は貫通攻撃をしない。
(向こうは負けても負けても立ち上がって挑んでくる。
 体力勝負じゃ確実にこっちの負け。……上手くペース配分しないと)
 とはいっても負けてしまっては意味が無い。
 力(ボム)を温存した結果の敗北なんて、どう考えてもマヌケすぎる―――。
「まあ、温存するようなボムは無いのですけど」
 咲夜は動かず、チャンスを待つ。
 狙うのは、ミラーが攻撃を仕掛けてくるその瞬間だ。

 ―――ミラーがどこから来るかは判らないが、どのように仕掛けてくるかは判っている。
 咲夜にほど近い壁の中から、短射程・大威力の攻撃を出してくるのだ。
 それの他に取るべき手は無く、それ以上に有効な手も無いゆえに。

 ミラーの出してくる攻撃そのものは、生憎と咲夜の眼には見えなかった。
 が、それと感じる事は出来た。
 攻撃を実行している瞬間は、壁に開いた穴は、確かに見えた。
 ならばやるべきはシンプルな事。
 穴が開いた瞬間、時を止めて穴へとナイフを撃ち込む。それだけだ。
 それだけの事が本当に難しい。

 ……現在までに、撃ち込む機会は二度存在した。
 だが現在こうしている事からも判るように、その結果は二度とも失敗。
 一度目は自身(ミラー)の体を切り開く事によって回避され、
 二度目はその身にナイフを喰らいながらも反撃してきた。
(どうなるにせよ、四度目は無い)
 ―――攻撃を喰らった脇腹に、どうにも不安で不快な感触があった。
 半ば以上まで切り進んでおきながら、寸前で切るのを止めた爪のような。
 あるいは半端に繕った結果、手で押さえていないとバラバラになってしまう服のような。
 モノが取れそうで取れない感覚。
 ……もう一度同じ場所に攻撃を受ければ、その感覚はきっと消えてなくなる。
 上半身と下半身が完全に分かたれてしまうからだ。
「……」
 ミラーはそれを狙っている。咲夜はそれを拒んでいる。
 だから、全ては次で決まる。
 咲夜は意識を集中し、ごく僅かな予兆をも逃さぬように―――

        景色が変わった。
 そして辺りの 時間が止まった。

 肌に触れる風が音が光が一瞬の内に止み、月世界の如き静寂が辺りを占領する。
 その場で動いているのは、動けるものは、ただ十六夜咲夜のみ。
(―――)
 それは実に見慣れた光景だった。
 時間が止まった世界も、空と大地の広々とした、森のような雰囲気を持つ町も。

 辺りの景色は瞬間的に変わっていた。
 良く見慣れた紅魔の館から―――同じく見慣れた杜王の町へと。

 咲夜の目の前にはコンクリートで出来た家。
 左右と後方には草木の散見される道路が伸びており、足元には草の絨毯がある。

 ―――景色を変えたのは咲夜ではない。時間を止めたのは咲夜ではない。
 止めたのは、変えたのは『十六夜咲夜』。
「入れ替わり奇術(マジック)成功。種と仕掛けは秘密にしておくよ」
 道路に立つ街灯の上にと現れた、ミラーが映した十六夜咲夜だ。


 二つの体を一つの意識でコントロールするというのは、決して不可能なことではない。
 ―――たとえばスタンド使い。
 自身の体とスタンドという体を、彼らは息をするかのごとくさりげに同時操作する。
 それをなさしめているのは、意識を強力にサポートする本能の活動だ。
 ―――たとえばゲーマー。
 ある種のゲーマーは、二人でしか出来ないはずのことを一人でやり遂げてみせる。
 二機の飛鉄塊を同時に操り、未来を見るというような事を。
 それをなさしめているのは、猛烈な訓練によって構築された動作の理論だ。

 理論も本能も。鏡に映し出すことは出来ないものだ。
 だが、映し出す必要など無い。
 命が生まれつき持つ魂さえあれば―――いくらでも作り出すことが出来る。

 自らの内にスタンドを戻し。
「魂まで砕けるかと思ったよ。……さすがに茨とは違うな」
 と、自身の折れた左腕
 ――スタンドへのダメージは、基本的にスタンドの使い手へとフィードバックする――
 を押さえながら言ったそいつが何者であるかを、仗助は直感的に見極めた。
 他人の皮をかぶったミラー・エバネセントだ。
「それ以上砕かれないうちに降参したほうがいいっスよ。そうすりゃ全て丸く収まる」
 『そいつ』はどのような能力を持っているのか、と考えながら仗助は言う。
 どうやら物にジッパーを付けられるらしいとは判った。それ以上は判らない。
 射程距離はどの程度か、発動条件は何か、対象物は限定されているのか―――
「あなたは優しいな、東方仗助。
 だけどそういう言葉はもっと有利な立場になってから言うものだ」
 顔を苦痛に歪ませながらも、しかし不敵な笑みを浮かべてミラーが言う。
 その笑みを消さない限り、言葉はいつまで経っても無力なままだろう。
「……どうやら、自信ってやつを砕かれないと解らないみたいっスねえ~」
 やるのならば接近戦。
 相手に近づけば近づくほど、砕くのは容易になる―――
「ふ。そう簡単に砕けるものかな?」
 ミラーが言い、仗助が前へと足を踏み出したちょうどその時だ。

 仗助の左腕が地面に転がった。

「―――片腕だけで」
 音も痛みも無かった。
 左腕、先ほどクレイジーダイヤモンドが敵の拳を受けた場所に出来た『ジッパー』が、
 ひとりでに開いて仗助の左腕を体から切り離したのだ。
「おおおお―――ッ!?」
『スタンドへのダメージは、基本的にスタンドの使い手へとフィードバックする』。
 それはフィードバックに過ぎなかった。
 ―――クレイジーダイヤモンドの左腕が、地面に落ちた。
 異様であり、酷い事態である。
 それによって仗助が動揺したのも無理はない。
「……片腕なのは同じだが、こちらは砕くのではなくバラバラにするからな」
 敵の動揺につけ込まない理由は無い。
 ミラーは言いながら仗助のほうへと踏み込み、
「―――ギャング的に厳しいぞ」
 スタンドの拳を揮った。

 迫る拳は右拳のみ。砕けた左による攻撃は無かった。
 しかしその速度はとても侮れるものではなく、それに加えて―――
(……触れるのはやばい! こいつの拳、絶対にやばいぜッ!)
 拳が直撃すれば、きっとそこはジッパーで分割されてしまう。
 腕に喰らっても足に喰らっても体に喰らっても。それは間違いなく致命的だ。
「―――冗談じゃねえ!」
 仗助はクレイジーダイヤモンドで床を蹴りつけ、勢い良くバックステップ。
 まずは距離を取り、残った右手のナイフを活用して中距離から攻めると決めた。
 ここで接近戦に突入するのは、あまりにもリスクが高すぎる―――
 
 敵スタンドの拳が空を切る、と同時にミラーは『それ』を拾った。
 ―――拾う暇が無かったために床に放置された、仗助の左腕を。
(……!)
 ミラーはそれを潰すのか壊すのか、投げつけるのか持ち去るのか―――
 仗助は一瞬のうちにそれぞれのケースを想像し、とても嫌な気分になった。
 自分の体を好き勝手にいじくり回されるというのは、実に不愉快な事だ。
 ―――だがその不愉快は、すぐに驚愕へと変わった。
「なに!」
 ミラーはスタンドで自身の折れた左腕を殴り、ジッパーによって分割。
 そうして腕を取った自身の体に―――仗助の左腕をくっつけた。
 腕と体のジッパーを閉じ合わせる事によって。
「……よし」
 ミラーの動作はそこで終わらない。
 我が物とした仗助の左腕を動かし、そこに握っていた二本のナイフを右手に持ち替える。
 そして、同じく放置されたクレイジーダイヤモンドの左腕を左手で掴み、
 ―――己のスタンドの左腕と取り替えた。
「……さて、ここで質問だ東方仗助。あなたはこの危機をどう乗り越える?」



 ―――ミラーは今、二つの体を一つの意識で動かしている。
 仗助に対する体と、咲夜に対する体を、違う場所・同じ時間で。
 もちろんそれは極めてミラーに不利な行為だ。
 やはり一つの意識で二つの体を同時に動かすのは無理があり、動きは常より常に鈍る。
 ――本能を生み出すのは難しい。理論を作り出すのは、本当に難しい――
 相手取るのが雑魚ならともかく、咲夜も仗助も主役級だ。
 その能力も、その精神も。侮ることなど出来るはずもない。

 だからこそ普通に戦うのは意味が無かった。
 ミラーは負けるために戦っているわけでは、ない。

 普通に戦う事は簡単だ。しかしそれでは勝ち目が少なすぎた。
 一つの能力を使いこなすための経験が、圧倒的に足りていない。
 所詮は鏡像、人の能力を借りているだけなのだ。
 ……普通にやっても勝ち目が少ないのなら、採る手は奇策しかなかった。
 『一つの意識で二つの体を動かし、同時に二人と戦う』。
 それは、ハッキリ言って欠点だらけの策だ。
 体の動きは鈍り、頭の動きは追いつかず、『力』の消費は倍では済まない。
 しかし一つだけ利点があった。
 相手の意表を突けるという、欠点を帳消しにできるほどの利点が。



「ああやっぱり。いつぞやの偽者か」
 十六夜咲夜は驚かない。
 敵が姿を変えたとて――たとえそれが己を真似たものであろうと――
 やるべき事は変わらないのだ。お互いに。
「そう、『偽物』だよ―――」
 街灯の上に現れたミラー・咲夜は、灯下の咲夜を目掛けて躍りかかった。
 その手に握られているのは一本のナイフ。
「本物を上回る事は無いが、しかし下回る事も無い偽物だ!」
 ミラーはそれで咲夜を切り刻むため、腕を振るう。
 ナイフが通る空間をいじくり、ただ一度で複数の軌跡を描くようにして―――
 それを咲夜が黙って受けるはずもない。
「では確かめてみましょうか」
 空中のミラーを目指して跳躍し、ミラーと同じようにナイフを振るう。

 一度、二度、三度、四度―――激突と再撃を繰り返し。
 二つのナイフは空間を縦横無尽に駆け巡り、瞬間しか残らない戦いの絵画を描いた。
 それは本来光と音を伴う絵であったが、しかし此度のそれに光も音もありはしない。
 ―――この場の時は止まっているのだから。
 時が止まれば光も音も動けず、つまり絵に伴えるわけもなかった。

 今そこで動いているのは、二人の十六夜咲夜だけ。

 ……時が止まっていても『時間』は経ち、止まっていたものが動き出す瞬間は来る。
 永遠に続く動も、永遠に続く静も、この世にはありはしない。
 いつかは終わり、いつかは始まる。
 時間が存在する限りは。

 ―――音が、光が、風が動き出し、
「ッ!」「……!」
 咲夜とミラーはナイフを交し合いながら地面に着地した。
 二人の間の現在距離は、手+ナイフの長さ×2に激突による衝撃の修正を加えたもの。
 それは戦いを続けるには丁度良い距離であったが―――
 戦い以外にはまったくもって不適合な距離であった。
 だから二人はナイフを振るう腕を止め、
 同じ磁極のものが反発し合うかのように、完全に同じタイミングで後ろへと跳びすさる。
「……下回らないってのはちょっと誇大広告じゃない?」
 真面目な、しかしどこか面白がっているような表情で咲夜が言う。
 メイド服のあちこちには逸らしきれなかったナイフの痕が刻まれ、
 その肌には微量の汗と血が伝わり流れていた。
「かもしれない。あなたの脇腹はそんなにも開いているのに、打ち合う力は自分と互角だ。
 ……無理をしてはいないか?」
 ミラーも同じように、服には切れ込みが入り、肌には汗と血が付いている。
 ただ、ミラーのほうが切れ込みも汗血もやや多かった。
 それは偶然で済ませられるレベルの差だが―――しかし偶然ではない。
「無理をしているのはあなたの方だと思うけど?」
 魔法の森で戦った時よりも反応速度が落ちているぞ。そう、遠回しに咲夜は言った。
 見抜かれているな、とミラーは思い、自身でも気付かないほどの笑みを浮かべ、
「……無理をしなければ成長は出来ない」
 その姿を変えるために意識を集中・

「―――交差鏡像失踪(クロス・オーバー・ドライブ)―――」

 ・実行。
「無理をしなければ、あなた達に勝つことは出来ない」
 ―――ミラーは咲夜の姿から、先ほどと同じ奇妙なスーツの男へと姿を変えた。
 その姿は先ほど見た時と何も変わってはいない。……ただ一点を除いては。
(あれは―――)
 男のスーツの左腕部分が、どうにも見覚えのある学生服に変わっていた。
 ―――何故?
「その腕、どうしたの?」
 答えを知るには聞いてみるのが一番手っ取り早かった。
 誇ることも躊躇うこともなく、ミラーはあっさりと答えた。
「東方仗助から奪った」
「ふうん」
 そのミラーの態度と同じくらい、咲夜の反応はあっさりしていた。
 答える側だったミラーが、問う側となってしまうほどに。
「……もう少し心配したり、追究したりしてもいいんじゃないのか?」
 咲夜の顔に怒りの、動揺の色は無く、ただ納得の色だけがあった。
 ―――ハッタリだと思っているのか、それとも単に冷たいだけなのか?
「もしかしたら、彼は今ごろ閻魔の裁きを受けているのかもしれないのだぞ?」
 ミラーの言葉に咲夜は肩をすくめ、
「腕の一本程度でくたばるような奴なら、とっくの昔に死んでいるわよ」
 断言する。
「……もっともだ」
 ミラーは心の底から同意した。
 そして、
「では、そんな彼(タフガイ)の力を揮ってみるとしよう」
 ミラーは咲夜を目指して――まったく身を隠さず、正面から堂々と――歩き出す。
 言うまでもなく、ミラーの狙いは接近戦。
 それは現在の咲夜にとって最高に不利な事だ―――
 咲夜はそれを阻むためのナイフ投げの準備をしながら、
(……あと十秒、というところか)
 自分の『力』が回復しきる瞬間を推し量る。

 ―――止まった時の中で動くのは、水の中で動くのと似ている。
 行動できる時間は力の量に制限され、力が尽きたらそれで終わりな点や、
 派手に動けば動くほど力を余計に消費し、動かないでいれば力を温存できる点が。

 咲夜の『力』は底を突いていた。
 ほんの一瞬でさえ時を止める事が出来ないほど、使いきってしまった。
 ―――ミラー・咲夜と時の止まった世界でやり合った際に。
(時を止められたら、それに付き合わないわけにはいかないものね)
 『力』を温存しようと動かないでいたら、『力』よりも大事な命を失っていただろう。
 それを避けるためには『力』を使って動くしかなかった。
(やれやれ―――)
 ……咲夜が消耗しているように、ミラー・咲夜も『力』を消耗しているだろう。
 していないのならば、交代などせずにそのまま押し切るに決まっている。
(いくら力を消費しても問題ない。回復までの時間は交代して乗り切る。……中々の手だわ)
 ―――『力』の回復手段はただひとつ。
 『力』を使わず、待つ。
 それはとてもシンプルで、戦いにおいてはとことん難易度の高い行為だ。
 敵はこちらが回復するまで攻撃を待ってはくれない。
「行くぞ! 『スティッキィ・フィンガーズ』+『クレイジーダイヤモンド』……!」

 『力』を使い切り、時を止められない十六夜咲夜は、
 眼では見えない攻撃にどう対処する―――?

「……とりあえず、左腕には当てないようにしておきましょう」
 言って、咲夜はミラーにナイフを投げつけた。







 1 敵の領域内で、
 2 戦いによって体力と片腕を失い、
 3 敵と相対している、
 そんな状況をどう切り抜けるのか―――と、ミラーは問うた。
「降参は認めないぞ。それではあまりに不完全燃焼だ」
 難問だった。
 それは選択問題ではないため運にも勘にも任せる事は出来ず、
 試験問題ではないためにひとつ間違えれば取り返しはつかない。
 仗助に時間は無く、助けは無く、余裕も無かった。
「……へっ。なら、取るべき手は一つしかねえな」
「それは片手でも出来る手か?」
 ミラーが、その左腕を見せ付けるように動かしながら言う。
 ……その動作は仗助の神経を逆撫でしたが、行動を変えさせるほどの力は無かった。
「出来る手だぜ―――」
 仗助は右手に持つ二本のナイフの一本をクレイジーダイヤモンドに渡し、
「ドラッ!」
 間髪入れずにミラーへと投げつけた。

 クレイジーダイヤモンドのパワーは、流血を刃として撃ち出す事も可能なほどだ。
 そのパワーで投げつけられたナイフは、
 妖怪的な身体能力や時を止める能力でも持っていないかぎり、避ける事は不可能だった。
「―――」
 ミラーは慌てない。策も盾も無かったが、しかし慌てない。理由が無い。
 避ける事は出来なくとも、止める事は出来るのだ。
 仗助の力を得ている今なら。

 ―――ミラーはナイフを己に当たる寸前まで引きつけ、
 そしてスタンドの両手で挟み込むようにして、ナイフを掴み止めた。
「……ッ」
 上がった声は成功に体の力を抜いたミラーのもの。仗助のものではない。
 何故なら既に、仗助はミラーに背を向けて走り出している―――
「……なるほど、確かに片手でも出来る手だ」
 楽しげな、懐かしげな表情でミラーが言う。
 そして、掴み止めたナイフを空中に軽く放り投げ、己の力を使用した。

 ナイフはくるくると回りながら上昇し、すぐに下降へと転じた。後は落ちるのみ。
 というところで手がナイフを掴んだ。
「―――しかしさすがに親子だな。走る背中が良く似ている」
 力の使用によってこの場に失踪(ジャンプ)した、ミラー・咲夜の手が。
 ……姿形は変わっても、その表情に変化は無く。
 ミラーは掴んだナイフを懐に仕舞いこみ、口にはせずに呟いた。
(何のために走るのかも、たまらないほど似ているのだろう)
 ―――策があって逃げているのかは知らない。
 けれど間違いなく、仗助は勝つために逃げている。
 ならば、いま策が無くとも必ずやそれを見つけ出し、実行するだろう。
 でなければ―――
「……そう、とっくの昔に死んでいた」
 今回はどんな策を、生き方を見せてくれるのか。
 それを楽しみにしながら、ミラーは勝つために歩き出す。
 目指す先は仗助の背中。仗助が向かおうとしている場所だ。
「追う側と追われる側。今回勝つのはどちらかな?」
 その答えを出すには、まだ時間が必要だった。




 針は動く。
 誰ひとり見るものが無くとも、動く意味が無くなろうとも。
 時計の針は動く。
 そうする以外にするべきことを知らないからだ。
 それは時間という奴も同じで、だから時間は経過する―――。

 重く微かな音を立てて、時計の針がゆっくりと動いていた。
 それは槍のように長く大きい、いやむしろ槍としか思えない長針と、
 長針より短いが大きさでは上回る、剣に見える短針だ。
 そんな針を持つ時計が大きいのは当たり前といえば当たり前だった。
 ―――家ほどもあるその大時計は、
 普通の家や人には言うまでもなく不似合いだが、紅魔館には実に良く似合っていた。
「洋館と時計台というのは本当に良く似合う、というか引き立て合うものだな。
 モッツァレッラチーズとトマトの組み合わせのように。輝くナイフとあなたのように」
 似合っているのはメイドもそう。
 紅魔館の屋上にある大時計の前でそう言ったのは、咲夜の姿をしたミラーだ。
 その言葉が・瞳が向けられているのは―――
「どちらかが踏み台になるわけじゃなく、お互いを引き立て合うというのは良いことです。
 ……人と鏡は引立て合う関係にあるものだと思う?」
 大時計を背にして立つ、先刻よりも傷の増えた十六夜咲夜であった。

 戦場の交換、鏡像の交換、ナイフの交換。
 そういったことをしながら、ミラーは咲夜と戦った。
 近距離で中距離で遠距離で、ナイフで打撃でスタンドで鏡像の物体で。
 ひたすらに熱烈に戦った。だから、ミラーは確信を持って答える。
「No。鏡は人を引き立てるためにある。
 ……あなたを映していたからこそ、自分はあなたと戦えたのだ」

 ―――ここに至るまでの戦いはミラーに有利に進んだ。
 咲夜のナイフには弾数制限があり、ミラーのナイフには――鏡像ゆえに――なかった事。
 咲夜が時止めを使えない時間、『彼』と交代して戦えた事。
 そして、幸運の女神がほんの少しだけミラーに味方した事。
 それらの理由により、ミラーは咲夜を追い詰める事が出来た―――

「お褒めに預かり光栄ですわ。―――さて、そろそろ終わりにしましょうか?」
 醒めた顔で咲夜が言う。
 ……余裕のある顔だった。敗者には出来ない顔だった。
 残りのナイフは僅かだろうに。体力は消耗したまま戻りきっていないだろうに。
 何故、そのような顔が出来るのか?
「そうだな、終わりにしよう。あなたに逆転されないうちに―――」
 逆転の策があるからに決まっている。
(時間の圧縮か、とんでもない必殺技か、地形を利用した攻撃か……)
 どれであってもおかしくはない。どれでなくともおかしくはない。
(自分はそれを越えられるか―――?)
 跳躍(こ)えなくてはいけない。
 ミラーは足を前に踏み出しながら、思い、そして言った。

「行くぞ十六夜咲夜。あなたの全てを見せてくれ」
「嫌よ」

 咲夜が言って投げつけたのは、これまでと同じ見た目のナイフだ。
 その数は八。咲夜にとってはごく平凡な量。しかしその軌道は―――
「なんとも『大げさ』……!」
 一本一本がそれぞれ異なる方向に幾度も進行方向を変えるという異常なものだった。

 ―――だがそれらのナイフは、己が方向転換しているなどとは思ってもいないだろう。
 そう、ナイフは方向転換などしていない。しているように他者には見えるだけだ。
 放たれた八つのナイフは全て真っ直ぐに飛んでいる。
 咲夜の力によって操作された空間の中を、真っ直ぐに。

 その空間には無数の見えない『トンネル』があった。
 ナイフがそれに入り込むと―――特に何事も無く出口から出る。
 入り口とは微妙に(あるいは大幅に)向いている方向の異なった出口から。
 つまりナイフは入出の差異だけ曲がって飛ぶ。飛んで、新たな入り口に突入し―――
 その入る→出る→入る→……というプロセスが、
 他者から見れば何度も曲がっているように見えるのだった。

 高速に、幻惑的な軌道で迫り来るナイフたちは、標的にとって実に厄介な物だった。
 速くて小さいというだけでも手こずるのに、唐突に方向転換までするのだ。何度も。
 攻撃は当てにくく、回避は難しく、初見の精神的衝撃(インパクト)は大きい。
 運が物言う割合は多く、攻撃の範囲は広い。
(一本は当たる)
 上から下から前から横から来やるナイフを見て、
 何をどうしても――ナイフを叩き落そうとしても、回避しようとしても――
 間違いなく一本は当たるだろうとミラーは思った。
 当たればその分だけ不利になり、ともすればそれだけで戦いは終わる。
 人間の体は、妖怪とは違ってちょっとした事で容易く再起不能になる。
 だから。
「だからこそ、人間はこういった力を持っている―――」
 ミラーは咲夜の力で時を止めた。

 いくら複雑な軌道であろうとも、どれほどの高速であろうとも。
 時を止めてしまえば何もかもは意味を成さない。
 
「……だが、これほど圧倒的な力を、個人が持っていいものだろうか、なっ!」
 ナイフの群れを無傷で潜り抜けて咲夜に接近したミラーが、ナイフを振るいながら言う。
「さあねえ。ま、有るものはしょうがないでしょ。捨てるわけにもいかないしね」
 ナイフにナイフで答える咲夜の顔には、焦りも迷いも無かった。
「思い悩む時期はとっくに過ぎたというわけか?」
 かち合った刃を押し切るために力を込めながらミラーが言う。
「悩む暇が無いのよ。やんなきゃいけない事が毎日沢山ありましてね。
 ―――だからそろそろ倒れなさいな」
 言いながら絶妙に力を抜くことで咲夜はミラーの体勢を崩し、足を引っ掛け転ばせた。

 ナイフが動く。時計が動く。心臓が動く。
 光が、音が、腕が、足が、瞳が、心が、空間が、
 ミラーと咲夜が動く。

 ―――いま、この場の時間は止まっていない。止まる理由が無いからだ。
 咲夜もミラーも止めてはいない。止める理由が無いからだ。
『力』を温存するため、咲夜は時間を止めなかった。
 ミラーは咲夜を映し出し、同じように・同じ時間、止まった時の中を動ける。
 ならば時を止めても止めなくても同じこと。いや、止めないほうがベターだろう。
『力』を温存しておけば、いざという時に困らない。

 咲夜のその選択のため、ミラーは時間を止めなかった。
 時を止めて咲夜を無理やりに付き合わせ、消耗したところで鏡像交換して攻める。
 という、先ほどと同じ戦法も選択できたが―――ミラーは選択しなかった。
 それでは勝てない。
 そう、ミラーは理解した。
 交代戦法で勝てるのなら、先ほどの時点で既に決着が着いている―――

 尻餅をついたミラーに、咲夜はのしかかるようにしてナイフを振るう。
「……ッ!」
 が、ミラーの蹴りを胸に受けて押し戻され、攻撃は不発に終わった。
 ミラーがその隙を見逃すはずもない。
 すかさずミラーは跳ねるように立ち上がり接近、咲夜にナイフを―――
「……」
 突きつけた。
 突きつけることしか、出来なかった。
 ……同じタイミングで、咲夜のナイフが突きつけられていたからだ。
 一秒、二秒、三秒、と。二人の動きは止まったまま、時間だけが過ぎていき。
 十秒目に、ミラーが口を開いた。
「―――やらないのか?」
「相討ちになるでしょうが」
 然り。
 進めば、相手を倒すことは出来るだろう。
 しかし相手は、最後の力を振り絞って己の敵を倒すだろう。
 かといって退けば、相手はその隙を見逃さないだろう。
 ……勝つことは出来ず、引き分けか敗北しか先はない。
 だから、二人は止まっている。
(―――勝たなければ意味が無い―――)心は振り子のように揺れ動きながら。
 ミラーは勝ちたかった。
 引き分けでは駄目なのだ。敗北では駄目なのだ。それでは『勝利』を掴めない。
「……困ったな」
 だが、勝つためにはどうしたらいいのか。
 先ほど勢いに身を任せていれば、あるいはどうにかなったかもしれないが―――
 現実は止まってしまった。

 ……物事が動き出すためにはそれなりの力が要る。
 二人が再び動き出すためにはそれなりのきっかけが要る。
 相手の隙や、予想外の出来事といったものが、要る。
「どうする? このまま根比べといくか? 延々、永遠に―――」
 それも悪くはない、と思いながらミラーは言う。
 切れる頃には状況も変わっているだろう。いや、変わらなければ切れはしない。
「永遠は長すぎる。針が一周する程度で充分だわ」
 咲夜が言うのと同時、頭上で奇妙な音がした。

 ミラーと咲夜が止まっていても、心臓は動いている。
 光は、音は、風は、心は、動いている。
 それは時間が動いているからだ。だから時計は動いている。
 動いているからこそ―――、壊れる。

(……なんだこの音は!?)
 硬く、重く、短い音が、何度もミラーの頭上で鳴っていた。
 音と音の間隔は無きに等しく、ともすれば一つの長い音と思うかもしれない。
 鉄で出来た独楽を高速回転させ、同じ鉄の独楽とぶつければそんな音が出るだろうか。
 それは聴いていて気持ちのいい音ではなかった。
 音を出しているのはなにか、と確かめたくなる音だった―――。

 致命の刃を突きつけあっているため、ミラーが上を見る事は出来ない。
 見れば隙を見せてしまう。
 だからミラーは咲夜を見据え、音が鳴り響く理由を問いただす。
「いったい何をした、十六夜咲夜……!」
 己が理由を知らなければ、知っているのは咲夜しかいない。
「なあに、ただの手品よ。『大げさ』な壁抜けマジックに―――」
 頭上の音が一旦止み、そしてすぐにそれまでとは異なる音が鳴りはじめた。
「時計止めを組み合わせただけの」
 それは、誰もが聴いただけで何を意味するのかを理解できる音―――
 崩壊の音だ。

 動いているところを邪魔されれば、それなりのリアクションを取らざるを得ない。
 流れる事を邪魔されれば、水は勢いを失い淀む。
 走る事を邪魔されれば、人は勢いを消せずに転ぶ。
 回る事を邪魔されれば、時計は勢いを溜めすぎて崩壊する。
 ―――咲夜がしたのはまさにそれ。
 ナイフで歯車の回転を阻害することにより、大時計を崩壊に導いた。
 何のために?
 もちろん、目の前の敵に勝利するためだ―――

 音を聴き、大時計が壊れた事をミラーは悟った。
 それを誰が壊したのかも。
「―――何時の間に!?」
 ただ、いつどうやったのかは解らなかった。
「それが判ったら、『大げさ』にやった意味がないでしょうが」
 大時計を壊したのは一本のナイフ。
 咲夜がそのナイフを投げた瞬間を、ミラーは目撃していた。
 ただ、気付かなかっただけで。
「……そうか、先ほどの『大げさ』なナイフ投げはこちらの意識を逸らすための!」
 自分に当たらなかった弾(ナイフ)がどこに向かうのかなんて、
 戦闘中にいちいち気にはしない。それの意図を理解しないかぎり。されないかぎり。

 ―――空中で何度も曲折する八本のナイフ。
 そのうちの一本が密やかに大時計を目指していたことを、誰が見抜けただろう。
 一本だけで飛んでいるならともかく。
 八本全てが目指していたならともかく。
 八本のうちの一本だけが、皆とは違う役目を帯びていたなどと―――

「……」
 理解したミラーに、咲夜は何も言わず、ただ薄く笑った。
 自分のした事が半ばバクチだったなどとは言わない。言う理由が無い。
 勝つためには心理的に優位に立つ必要がある。

 ―――旅路の果て、時計台にたどり着いた一本のナイフは、
 咲夜が込めた『力』によって壁という『空間』を通り抜け、時計の機関部に侵入。
 そして、最も小さな歯車――であり、最も重要な歯車――の間にはまり込み停止した。
 ナイフに動きを邪魔された歯車は、力を溜め込み―――かくして、崩壊は始まった。
 歯車が欠け、シャフトがへし折れ、テンポが失われ、
「……針が飛ぶ」
 咲夜が言うよりも僅かに速く。文字盤から長短の針が離れ、二人を目掛けて落下した。
「―――このままだと共に巻き込まれてしまうな」
「そうね」
 ミラーと咲夜は、時計台の下で致命の刃を突きつけあっている。
 退けば倒され、進めば相討ちという状態だ。つまり、動けない。
 しかし動かないでいれば、二人ともが針の餌食となるだろう。
「……」
 十六夜咲夜はそれを解っている。
「……」
 ミラー・エバネセントはそれを解っている。

 だから、時間を止めた。

「……どうする?」
 時の止まった世界でミラーが言った。
 針は頭上、二人に触れる寸前で静止している。
「あなたはどうするの?」
 針の存在など無いかのように、平然とした顔で咲夜が言った。
 ……二人に、考える時間は残されていない。
 時は永遠に止めておけるものではない。
 ただ止めているだけで、見る見るうちに『力』を消費する。

 ―――時の流れようとする力は、個人では太刀打ち出来ないほど膨大で強力だ―――。

 どれほどあがいても、交替して止めていても、時間を止めておけなくなる時は来る。
 頭上の針をその身に受ける時は来る。
 死ぬ時は来る。
 敗北は来る。

「―――」
「―――」
 その瞬間まで、二人は動かないでいた。
 そして、一人が動き、もう一人が動き、時が、針が動いて―――
 戦いは終わった。



 ―――たとえ槍ほどに長くとも、剣ほどに大きくとも、針は針としか呼ばれない。
 針として認識されている限りは。時計のパーツであるうちは。

 時計から離れ、地面に突き刺さった二つの針は、槍と剣にしか見えなかった。
 その槍の方にもたれかかりながら、
「なあ、十六夜咲夜」
 借り物の姿ではない、本当の姿で――青いローブを着た少女の――ミラーが言った。
「もしも自分が退かないでいたら、勝負はどうなっていただろうか?」
 視線が言葉が向けられているのはミラーの正面、瀟洒に立つ十六夜咲夜だ。

 ―――その体に細かな傷はあれど、致命の傷はひとつも無い。
 でなければ、勝者となることは出来なかった。

 咲夜はほんの少しだけ考え込むそぶりを見せ、
「相討ちになっていたでしょうね」
 しかしなんでもない事のように言った。
 その言葉には謙遜もハッタリも無かった。真実だけがあった。
「だろうな。だが実際にはそうならなかった。……答えと実際の差は、精神力の差だな。
 自分は土壇場で逃げられると考えた。あなたは考えなかった」
 ミラーは、咲夜への敬意を込めて言う。
「あなたは勝ちたいと考えていた。……自分よりも、強く」
 瞬間、辺りに光が満ちた。
「だから自分は―――十六夜咲夜(あなた)に勝ちたいと思う」

 ―――咲夜の視界が白く染まる。
 しかし痛みは、熱は無い。その光は咲夜を傷つけない。
 それは直接攻撃のためではなく、目を眩ますために放たれた光だからだ。
 ……光が辺りを占めていたのはごく僅かな時間。
 長引くことはなく、光の侵食に合わせた攻撃もなく、あっさりと光は消える。
 その時には、既にミラーの姿は消えていた。
「……ふん」
 それを、咲夜は両目で確かめる。
 ミラーが放った光は、
 目や物には何の影響も与えない、ただ空間を染めるだけの柔らかな光だった。
 ―――どこからか、ミラーの声がした。
「今はさようなら、十六夜咲夜。……次に会う時が最後だ」
「そうなるといいわねえ」
 穏やか(に見える)表情で咲夜は言う。ミラーは答えなかった。
 
 ミラーが消えてから数十秒が経ち、もう戻ってはこないだろうと確信したところで、
 咲夜は大きく息を吸い、吐きだした。
 そうして体の力を抜き、次に何をするかを考える。
 休息か探索か。
 どちらもするべきには違いない事であるが―――
「……とりあえず、ナイフを回収しておこう」
 弾が無ければ戦は出来ぬ。
 戦いによってあちこちにばら撒かれたナイフを、咲夜は一本一本拾い集め始めた。



 ―――血が、地面を赤く染めようとしている。
 血があふれ出ているのはその肉体、全身に刻まれた傷からだ。
「……さすが、だな……」
 傷が刻まれたのは二つの領域、傷を刻んだのは二つの手段。
「……ッ……へへっ」
 体の外にはナイフによる傷が無数に刻まれており、
 体の内には打撃による傷が的確に穿たれていた。

 それは間違いなく重傷だった。
 何故いまだに立っていられるのかが不思議なほどだ。
 ……何故、立っていられるのか?
「東方、仗助」
 ミラー・エバネセントは、彼の名を呟いた―――



 あっさりと、とまでは言わないが、しかし存外簡単に。
 ミラーは仗助を見失った。
「……さすがにホームグラウンド、というところか」
 しかめっ面でミラーが言う。今の姿はおたまじゃくし模様のスーツの男。
 そして現在立っているのは、ミラーが映した杜王町の商店街だ。
 
 その状況はミラーの執拗な追撃と戦場変更の結果。
 疲労と負傷を望まず得ながら、水分と休息を望みながら、仗助は逃げ続けた。
 そうして得たチャンス――杜王町への戦場変化――を逃さず、
 生まれ育った町の知識と地形、そして自身の力を活用し、仗助はミラーを振り切った。
 ―――ミラーは仗助を仕留められなかった。

「……だが、勝負はまだこれからだぞ」
 辺りを眺めながら、ミラーが言う。建ち並ぶ店に、通りに、人の姿は無い。
 町を行く人々まで映すだけの力が、ミラーには無いからだ。
 つまり現在この近辺に居るのはミラーと仗助のみ。音を放つのは、仗助のみ。
(―――九時の方向、距離は……中程度か)
 地面に耳を当て、ミラーは地を伝わり来る音を感じた。
 それは足音よりも一音が強く、テンポが速く、攻撃的な印象の音であった。
 物に八つ当たりしてストレス解消、などこの状況でするはずもない。おそらくは―――
「仕掛け(トラップ)を製作しているな」
 どのような仕掛けかは判らないが、それが侮っていいものではない事は解る。
 仕掛けにミラーは負けてきたのだから。
(……さて、どうアプローチする?)
 のこのこと近づくのは迂闊に過ぎる。
 かといって壁を通って行くのも、相手が警戒している場合は迂闊な行為だ。
「……迷う時間はない。決め手となる情報は足りない。ならば―――」
 まず動いて情報を得る。と、ミラーは選択した。

 ミラーは最も手近な建物――それは小さな本屋だった――に近づき、
 体の力、スタンドを利用して屋根の上に登った。
 そして隣接する建物の屋根に跳び移り、そのまた隣の跳び移り―――
 音が聞こえたほうへと、移動していく。

 そしてミラーは仗助を発見した。
「―――む」
 仗助は、十台止まれるか止まれないか、という程度の大きさの駐車場に居た。
 屋根も建物も車も何も無い、
 そこに隣接する建物の屋根の上に立つミラーには何もかもが丸見えな駐車場だ。
 それは屋内と違って物が無く、隙だらけで、近接戦闘には不向きな場所であった。
 しかし―――
「……いい場所に居るな」
 この場合は屋内に居るよりも有利だった。
 
 屋内にあるいくつもの壁は、確かに身を隠してはくれる。
 しかしそれはミラーにとっても同じことだ。
 全方位から、視線を遮る壁の向こうから奇襲するミラー。
 屋内の物体を使い、罠を製作して応戦する仗助。
 物の中に隠れられるぶん、ミラーのほうがやや有利だ。

 しかし見晴らしのいい場所ならば、
 隠れられる物が地面くらいしかない場所ならば。ミラーの有利は消える。
 物を一つ二つしか利用できない、シンプルな戦いになる。
(……短期決戦にも、なる)
 仗助はあえて身を曝し、ミラーの攻撃を誘っていた。
 長期戦は不利になるだけだと、負傷流血している仗助は理解していた。
 ミラーがその誘いに乗らない理由はない。そろそろ決着を着けなくては。

 ―――さて、どう攻めたものか?

 仗助は駐車場の隅、ミラーは駐車場に隣接する建物の屋根に居る。
 仗助までの直線距離は二十メートル前後。高低差は三メートルほど。
 今のところ、屋根上のミラーに仗助は気付いていないようだったが、
 これ以上近づけば間違いなく気付くだろう。もしくは時間が経てば。
(気付かれれば。どちらが先手になる事も無く、正面からのぶつかり合いになるだろう)
 正面からやりあえば。
(勝てるか……?)
 仗助から奪った左腕を見て、ミラーは考える。
 自信は無かった。
(……自分には『彼』のような精神力は無い)
 精神力だけではない。鏡像・戦場を変更するだけの『力』も無かった。
 今のミラーに有るのは―――
「……スティッキィ・フィンガーズ……」
 ミラーはスタンドを使い、己の立つ建物のベランダにあった物干し竿を手に取る。
 そして、竿を半ばで――スタンドの腕力によって――捻じ切り、二つに分けた。
 一つはそのままミラーが持ち、
 もう一つは、捻じ切った部分とは逆方の先端をスタンドの指で押し潰し、尖らせた。

 それで準備が整った。

 恐れはあれど躊躇いは無し。猶予は不要。情けは無用。
「行くぞ……!」
 ミラーは先を尖らせた方の竿を、スタンドの左腕で思い切り仗助に投げつける。
 ―――豪速豪快。
 仗助を仕留めるために飛翔するそれは、既に竿ではなく槍の一種。
 直撃すれば、容易く骨肉を砕いて仗助に重傷を負わせるだろう。
 ……直撃すれば。
「―――うッ!?」
 仗助は己へ迫るものに気付いた。
 丁度よいタイミングでたまたま来やる方向に視線を向けたことにより、危機に気付いた。
 それは純然たる幸運によるもの。
 ―――だけど幸運の力によるのはそこまで。そこから先は、実力だ。
「ッラアッ!」
 クレイジーダイヤモンドの拳が竿槍の腹を叩く。
 咄嗟に放った一撃のため、竿槍を砕く事は出来なかったが、しかし問題は無かった。
 竿槍は衝撃によってその軌道を変更し、
 竿槍は仗助の右肩をかすめ、後方にある建物の壁に突き刺さる。
 仗助にダメージは無い。
「……、外れたか」
 自らの位置は露見し、ろくにダメージも与えられなかった。
 結果だけを見ればそうなるが、ミラーは致命的な失敗をしたとは思っていない。
 当たれば良し。当たらなくともそれはそれで良し。
 そういう気持ちで投げ、そういう風に動ける策をミラーは採った。
「いや、用意が無駄にならなかった、と考えよう」
 ミラーは手元に残した竿の片割れを、両手で固く握り締め―――

 ミラーが竿をわざわざ二つに分けたのは、攻撃の回数を増やすためではない。
 移動の回数を減らすために、そうしたのだ。
 屋根の上から仗助の近くまで移動するには時間が掛かる。手間が掛かる。
 空を飛べないこの体では、歩いていくしかないゆえに。
 だがその時間と手間が、回数が、ミラーに敗北要素を加算する。
 ミラーがそれを避けようとするのは当然、対策を実行するのも当然のこと―――。

 歩いていくのが駄目なら飛べばいい。
 自力で飛べないのなら他力を使って飛べばいい。
 飛ぶための翼が傷ついているなら、治してやればいい。
「……あなたの力で」
 ミラーは、スタンドで、クレイジーダイヤモンドから奪った左腕で、手中の竿を殴った。
 そうする事で竿を直した。
 ……壊れた物が直ろうとするとき、そこには強い力が作用する。
 時間、生命、接着剤、意思―――場合によってそれは様々だが、みな強い力だ。
 人を引き摺れるほどに。
 ―――巨獣じみた重く大きな力で、竿の片割れが動き出す。
 目指す先は言うまでも無くその半身。それを止めようとしても、止める事は出来ない。
 だから。
 竿を掴み、放そうとしないミラーは、竿に引き摺られるようにして―――
「……勝つッ!」
 空を飛んだ。

 向きを変える事も速度を調節する事も出来ないその動きは、飛行よりも落下に近い。
 獣の走りよりも速く、力強く、竿は己の半身を目指して落下(ひしょう)する。
 だから竿に掴まるミラーは仗助へと動いている形になる。
 ―――それを、仗助が黙って見ているはずもなかった。
 向きを変える事も速度を調節する事も出来ないものは、いい的だ。
「……むッ!」
 点のように小さな物体が仗助から放たれ、ミラーに急速接近する。
 それは駐車場の地面を砕いて作成したコンクリートの弾だ。
 直径一センチに満たないそれを、仗助はクレイジーダイヤモンドの指で弾き飛ばした。
 指弾というやつだった。
 なりは小さくとも、クレイジーダイヤモンドのパワーで撃ち出されたものだ。
 その威力は無視できるものではなかった。
(先ほどの音は、これを作成するための音か―――?)
 と、考えながらミラーはスタンドで身を守る。
 拳で弾き逸らし、とすぐに次の弾が来たので再度打撃。再度、再度。
 仗助が用意した弾が一発や二発であるはずもない。
 自身の手のひらに乗せられるだけ乗せた弾。
 それを途切れることなく迅速に正確に、クレイジーダイヤモンドで撃ち出してくる。
 時にフェイントを入れ、カーブを仕込み、決め手として同時に二つの弾を。
「……ぐっ!」喰らった。
 防げる/避けられる弾でも、当たる時は当たるものだ。
 ―――同時に放たれた二つの弾。
 一つは防いだが、一つはスタンドのガードを抜けてミラーの体に触れた。
 弾は肉にめり込みミラーに苦痛を与えるが、しかし重傷には至らない。
 その弾に、ミラーを戦闘不能にするほどの威力は無い。
「ぐう…っ!」
 が、今回は場所が悪かった。……当たったのは右手の甲だった。
 ―――物に掴まることで空中に居るものが、手指にダメージを受ければどうなるか?
 答えは簡単。
 手が滑り、地に落ちる。

(駄目だな)
 片手で自重を支えきるのは不可能。そうミラーは判断した。
 体勢を整えようとすれば隙が出来、追撃をその身に受けてしまうだろう。
 だからミラーは竿から手を離し、着地することにした。
 地面までの現在距離は二メートルと少し。
 しっかりと受け身を取れば無傷で済む高さだ―――。
「ッと!」
 着地。ミラーは転がって衝撃を逃し、その勢いで立ち上がる。
 竿はそれにかまわず、飛んでいく。
 ―――ミラーが落ちたのは駐車場の真ん中。仗助までの距離は七メートルほどの地点。
 一気に決着をつけるのは無理な位置だった。

 仗助は全身に刃と拳による傷を負いながら、傷から血を流しながら、ミラーを見る。
 ミラーは手に、体に傷を負いながら、仗助を見る。
「……なあ東方仗助。あなたはこの辺りに罠を仕掛けているか?
 それによっては近づくのを止めようと思うのだが」
 冗談っ気の無い、真剣な顔でミラーが言う。
 仗助は、ミラーと同じタイプの真剣な顔で答えた。
「いいや。安心して動きなよ」
 その言葉の真偽を確かめる暇もなく。
「―――でなきゃ穴だらけになるぜッ!」
 指弾がミラーに向けて放たれた。

 弾の速度は・数は、先ほどまでと変わらない。
 だから、それが成功するにせよ失敗するにせよ、防御行動を取ることは出来た。
 しかしミラーは―――
(怖いな。……痛みは、怖い……!)

「……!?」
 仗助はその予想外な光景を見て、動揺した。
 ―――そう、それはまったくもって予想外のことだった。
 ミラーは迫る弾をかわそうとすらせず、その体で受け止めた。
 当たってはマズい部分、頭部や体の中心線は腕と体の端を使ってガードしていたが、
 スタンドで防御するでもなく、回避するでもなく、負傷しながら受け止めたのだ。
「……ッ」
 弾がめり込んだミラーの足から、血が流れ出す。

 ……それよりも上等な防御行動を取れるのなら、普通はそうする。
 傷つかずに済ませられるやり方があれば、普通はそっちを選ぶ。
 なのにわざわざ傷つくやり方を選んだという事は。
(策があるってことだッ!)
 だから、仗助が動揺したのはほんの一瞬だ。
 すぐに攻撃を再開、つまりミラーに指弾を撃つ。
 策を警戒して攻撃を中断するより、少しでもダメージを与えたほうがいいと判断した。
 ―――唸りを上げて迫る弾。
 直前に味わったばかりの痛みがプレイバックし、ミラーの意思を打撃した。
 今からでも回避したい。そんな考えが心中に湧き上がってくる。
「……グレイズじゃあ意味が無い―――!」
 だがミラーは負けない。
 腕で体でガードを固めたまま、ミラーは仗助に、いや、弾に向かって前進する。
 仗助が狙ったのはミラーの足、膝のあたりだ。
 足が傷つけばバランスを崩す、バランスを崩せば攻撃のチャンスが来る。
 しかしその狙いはミラーの前進によって変更を余儀なくされ、
 当たった場所は太ももとなった。
「……ッ」ミラーが呻く。
 ―――痛い事には変わりがない。しかし、バランスを崩すダメージではなくなった。
 だから転ばず、前に進める。
 仗助までの距離は現在六メートル。……『攻撃』を実行するには、悪い位置だ。
「くそっ……!」「……」
 ミラーの接近を止める事が出来ないなら、自ら距離を取るしかない。
 仗助は指弾を放ちながら、ミラーの右側へ回り込むように動き―――

 ミラーにとってちょうど良い位置に来た。

 ―――どうやら、ようやくミラーに運が巡ってきたらしい。
(賭けるか)
 そうしよう、とミラーは即座に決め、
 体にめり込んだ弾をスタンドと己の手で抜き取る。とりあえず五つほど。
 その様を見た仗助は、ミラーが何をするつもりなのかを一瞥で理解した。
「……マジか? 『外れ』ればあんたが怪我するぜ……!」
「『外れ』なければいいのさ」
 ―――弾を指で弾き飛ばすつもりなどミラーには無かった。
 それでは体で止められる程度の威力しか出せないからだ。
 だから、『弾き飛ばす』のではなく―――
「さて。運試しといこう」

『直し飛ばす』。

 ミラーは体から取り出した五つの弾を、
 胸の前で、手からこぼすようにして放し―――スタンドの左腕で殴った。
 それは邪魔する隙のない、ごくシンプルな一動作。
 その動作に込められた『力』によって、弾は飛んだ。
 元の地面に直ろうとして、地面から別れた弾たちは飛んだ。
 一つは右に、一つは左に、
 二つは前に、そして一つはミラーの後ろに。
 最短距離で、己の在るべき場所へと。行く手を阻むものがあれば迷わず突き抜けて。
 力強く弾は飛んだ。

 結果、仗助とミラーはダメージを受けた。

「ぐうっ……!」「……ッッ!」
 弾が、その行く手を阻むもの――二人の体――を突き抜ける。
 弾を避ける事は出来なかった。
 肉体の動きより、弾の動きのほうが速かった。
 弾を防ぐ事は出来なかった。
 通常の打撃ではどうにもできず、直る中途のものをさらに直しても意味は無かった。
 二人は弾によって傷つかずにはいられなかった。

 ―――けれど耐えることは出来た。
 出来たから、

「……どうやら、運は自分にあるようだ」
 ミラーは己の体にめり込んだ弾を再び取り出し、
「……っ、一個分はねえ!」
 仗助は弾を放り捨てミラーへと走り出す。

 ―――先ほどまでとはすっかり立場が逆になった。
 仗助はミラーに接近するため動き、ミラーは仗助にダメージを与えるため弾を使う。
 なんともはや!
 ……ここでミラーが妙な気を起こせば、再度の逆転が起こるだろうが―――
 しかしミラーがそれを望む理由はなかった。
 ミラーは弾を握ってにやりと笑い、
「東方仗助。どちらが先に倒れるか、賭けてみるか?」
 仗助は真剣な表情で、
「バクチはこりごりだぜ……ッ!」
 吼えながら跳躍。目指す先はミラーの立つ場所。
 それを避ける余裕は、それから逃げる時間は、ミラーには無い。

 ―――戻る先が地面である以上、直ろうとして飛翔する弾は畢竟低い軌道で飛ぶ。
 つまり高く跳べば、弾の進路を邪魔する心配は無くなり、
 正面からのシンプルな殴り合いに状況を持ち込める。
 が。
「―――その行動こそバクチじゃないのか東方仗助!」
 シンプルな殴り合いになるという事は、片腕の仗助が不利であるということであり。
 だからミラーは弾を捨てて仗助を迎え撃つのであり、
 結局のところ不利をひっくり返すほどの運を片腕では掴まえられなかったのであり、
 ミラーは左腕を折られながらも仗助の胴をジッパーで分割したのであり―――
「……運の付いているほうが勝つのが、バクチというものだ」
 ミラーは地面に立ち続け、仗助は地面に転がったのである。

「……」
 胸から落ちた仗助は、顔を地面に伏せたまま無言でいた。
 地面に激突した衝撃で気絶でもしたのか、気絶したふりでもしているのか―――。
 仗助の胴から下は、仗助の伏せる位置から数十センチのところに転がっていた。

 腕は左を奪われ使われて、攻撃力は半減している。
 足は胴体を切り離された事によって封じられ、移動は不可能。
 もはや仗助に勝ち目は無い。
 と、普通なら判断するところだったが、ミラーはそうは思わなかった。
(まだだ、まだ決着はついていない―――)
 完全なる決着がつくまで、最後の最後まで、
 美鈴もジョセフも咲夜も仗助も、けして諦めない相手だと理解していた。

 だから、ミラーはまず仗助から離れた。
 仗助が足を使えない以上、
 そしてクレイジーダイヤモンドの射程に一メートルという限度がある以上、
 距離を取れば危険性は格段に下がる。
 離れて止めを刺すのがベストの選択だった。
 飛びすさり、仗助から二メートル半の距離を取ったミラーは、止めを刺すために、
「―――東方仗助。あなたはどんな風に止めを刺されたい?」
 仗助に揺さぶりをかけた。
 気絶していればそれでよし、していないのならば―――
「……」
 仗助は答えない。
 元より答えを期待していたわけではない。ただ、精神を揺さぶれればそれでいい。
 ……五メートルや十メートル、二十メートルではなく、
 あえて二メートル半という半端な距離にミラーが立つのは、
 仗助に賭けを選択させるためだ。

 ミラーがある程度以上――どうあがいても届かない距離――に離れれば、
 仗助は知恵を振り絞って新たな手を編み出す。かもしれない。
 だが二メートル半という策次第ではどうとでも詰められる距離ならば。
 仗助は、追い詰められている仗助は、分の悪い賭けに出る。かもしれない。
 ―――かもしれないかもしれない。
 未来も心も映す事が出来ないミラーには判らない。
 このやり方は間違っているのかもしれない。合っているのかもしれない。
 どこまでいっても、かもしれない。
(だからせめて、自分が『納得』できるやり方で―――)
 悔いを残さないようにしたいのだ。

 勝つにせよ、負けるにせよ。

「……自分も、ここまでの疲労で手段を制限されているからな」
 言いながら、ミラーは半歩だけ仗助に近づいた。
 その直後、仗助の上体がわずかに浮き上がったのを目撃したが、ミラーは動かず、
「やはり最後は直接打撃になるか」
 言った―――と同時に仗助が動いた。
 足と腕の欠けたその体を動かしたのは、もちろん足でも腕でもない。
 スタンドでもない。
 ……仗助の体は重力から切り離されたかのように地面から数センチばかり浮き上がり、
 先ほどミラーが直した弾と同じ速度でミラーの立つ方向へと飛んだ。
 正確にはその瞬間までミラーの立っていた方向へと飛んだ。
「!」
 ミラーを見るため首を巡らした仗助は、それを見た。
「……少し決断が速すぎたな、東方仗助!」

 ミラーは仗助と同じように
 ――速度も浮遊高度も同じ、ただ方向だけが違う――
 飛んでいた。
 その体内にめり込んだ弾をめり込んだままで直すことにより、
 弾の収まるべき場所―――地面に向かってその身を飛ばしたのだ。

 クレイジーダイヤモンドの力によって直されたものは、直る途中のものは、
(先ほどミラーが弾を直した時のように)体を突き抜けるほどのパワーを持つ。
 それくらいの力が無くては、一度壊れた物が直ることなんて出来るはずもない。

 ―――だから、人の体を動かすなんて造作も無い事だ。

 直る中途の物が人の体を突き抜けるのは、体が物の行く手を阻むからだ。
 直ろうとするエネルギーと己の形を維持しようとするエネルギーがぶつかり合い、
 後者が前者に敗北するからだ。
 ……負けるのが許容できないなら勝負をしなければいい。
 物の行く手を阻まず、そっと物へと掴まれば―――物(ちから)は体を運んでくれる。
 物に掴まるのが手でも、肉体の内側でも、それは同じだ。

 仗助は物に体の内側で掴まり、ミラーの立つ方向へと飛んだ。
 傷口にあらかじめ埋め込んでおいた弾のひとつを直すことにより、己の望む方向へ。
 その弾がどこの地面から別れた弾なのか、作成者である仗助は良く知っている―――。
 ミラーはもちろん、その弾がどこの地面から別れた弾なのかを知らない。
 だが推測する事は出来た。
 弾を直した際に飛ぶ方向は、その弾が元々あった地面の方向しかありえない。
 現在地面に空いた穴は、
 ミラーの前方、すなわち仗助の後方には、もはや一つも存在していなかった。
 ……ならば後は賭けるのみ。
 今のミラーには運が付いている。賭けに勝利するのは―――当然。

 体がクレイジーダイヤモンドの射程外に飛び出した。
 それを認識したミラーは体内の弾を抜き取り、
(これで―――)
 自身の移動を中断しながら仗助に向かって言い放つ。
「―――ようやく自分の勝ちだ!」
 もはや仗助に勝ち目はない。
 仗助がここで――ミラーと同じように――移動を止めても後の祭り。
 仗助が次に行動するまでに、ミラーはいくらでも仗助に止めを刺す事が出来る―――

 それは事実だった。
 この場で次に行動できるのは仗助ではなくミラー。
 ミラーが次に行動するまでの時間を1とするなら、仗助は2だ。
 たがが1。されど1。
 その1の違いは何(1)を持ってしても埋めることは出来ぬ。
 そして。ミラーの攻撃を仗助が耐えることはもはや不可能だった。

(『次』に喰らったら意識ごとバラバラにされるだろう―――けどよ)
 ……そう、仗助の行動が終わったあと、次に行動するのはミラーだ。
 しかし。
「勝利宣言すんのはよ~、ちょっと早すぎだぜ…ッ!」
 仗助の行動は、まだ終わってなどいない。
 仗助はクレイジーダイヤモンドを出現させ、ミラーに打撃を
「いいや遅すぎる、もう自分には届かない―――!」

 ミラーと仗助のその瞬間の距離は一メートルと少し。
 クレイジーダイヤモンドの拳がギリギリのところでミラーに触れられない。
 そんな絶妙な距離だった。
 逆に言えば、何かを持てばミラーに届く。
 そんな、微妙な距離であった。

 届かないはずのものが、届く。
「……あ」
 ミラーは己の体に突き刺さったものを見て、その理不尽に納得した。
 それは咲夜のナイフだった。
 先ほど得たその時からこの瞬間まで仗助が使わずにおいた、一本のナイフ。
 それがクレイジーダイヤモンドの手に握られ、ミラーの肩に突き立てられていた。
「なるほど、―――」
 肩に喰らった程度で戦闘不能にはならない。
 だからミラーは皿に乗せられた食肉のごとく、ナイフによって引き寄せられ、
 いまだ移動中の仗助に胸元を掴まれ―――
「『納得』した」
 ミラーが纏った『ブローノ・ブチャラティ』の鏡像は、拳によって打ち砕かれた。


 地面に血が流れ落ちる。
 その血は東方仗助の血。その地は、仗助が立つ位置だ。
「……」
 仗助は流れ出る血を拭おうともせずに立ち、ミラーを硬い瞳で見ていた。
 ミラーが打ち砕かれた事によって『分割』は解除され、仗助の体は元に戻っている。
 しかしその身に受けた怪我まで治ったわけではない。
「―――立っているだけでも辛いのに、何故立つのか」
 何の鏡像も纏っていない、本来の少女の姿で、ミラーが言った。
 その身に傷は無い。無いように、見えた。
「その理由は簡単だ。……あなたたちが恐れるのは、痛みではない」

 ―――直る力を利用して、己の体を内側から動かすというのは辛い行為だ。
 痛い。
 それは、とにかく痛い。
 異物を体の中で動かさせながら、しかし体外には出さずに保持するというのは、
 傷口を思い切り掻き毟られ続けるのとほとんど変わらない。
 その痛みは鈍く、かつ継続的だ。
 ……瞬間的な痛みなら瞬間だけ耐えれば済む。鋭い痛みは意識を瞬時に刈り取る。
 鈍い痛みは意識を消してはくれず、継続的な痛みは長い時間を耐えなければならない。
 それは、拷問に使われる種類の痛みであった。

 その痛みをミラーが/仗助が許容したのは、痛みの先に欲しいものがあったからだ。
 ―――勝利というものが。
「……能書きはどうでもいい」
 仗助が言った。
 そして一歩、ミラーへと踏み込み、
「来ないってんなら、こっちから行くぜ……!」
 ひとたび動けば止まる事なく、負傷を感じさせない足取りで迫り寄る―――
「いや、わざわざ来てもらってもその労力は無駄になる。
 ここでやる気は、無い」
 その言葉の途中でミラーの背後に鏡が現れ、
 言葉が終わる頃には、既にミラーは鏡の中へと移っていた。
「たとえ時間を止めたとしても、運命というやつは止まらない。
 全てのものは運命の列車に乗って向かうべき場所に行く。
 ……相応しい終点で―――アリーヴェデルチ(また逢おう)、東方仗助」
 そして鏡が消え、声の残響も消え失せて。
 この場に残ったのは仗助だけになった。


 向かうべき場所が無くなれば、いちいち動く理由は無い。
 仗助は足を止め、
「……終点って……どこだよ……」
 自らにしか聞こえない程度の小さな声で言いながら、地面に倒れた。
 体を動かしていた精神の糸が、ミラーの退却によって断たれたのだ。

 ―――地面と激突した衝撃は、仗助の傷に響き、悪化せしめたが。
 いまさら傷がどうなろうと、結果に違いは無かった。
(……やべ……立てねー……)
 仗助の意識は、速やかに薄れていく。
 ―――ナイフによる傷、打撃による傷、弾による傷。それに伴う痛みと失血。
 仗助の足を萎えさせ、意識を削り取っていくのはそれらだった。
 それらが無くなれば、再び立ち上がることは可能である。

 ―――仗助のスタンド、クレイジーダイヤモンドは物を直す力を持つ。
 爆破された人体を瞬時に治すことも可能なその力は、
 今の仗助の傷程度、一撃で治すことが出来る―――

 対象が仗助以外ならば。
 ……時を止める者が時を永遠に止め続けていられないように、
 境界を操る妖怪が万能無敵の超越者ではないように。
 クレイジーダイヤモンドは仗助の傷を治せない。
 治せるものなら、ミラーに腕を奪われた時点で治している。
 世の中、都合のいい事だらけではないのだ。

 それゆえに。
(―――)
 立ち上がることは出来ず。運命の力に逆らう事は叶わず。

 仗助の意識は途切れた。





 東方仗助 
 スタンド名 クレイジーダイヤモンド
 ―――再起不能(リタイア)?


                       To Be Continued……






オリキャラというものはやりたいシーンを実現させるための舞台装置であります。

十六夜咲夜は二人と居ない。
悔いなく死んだワムウに、もはや戦いは似合わない。
なら、こういう能力のオリキャラ/道具を使ってやるしかない。

とはいえ、ただの舞台装置で終わるのも味気ないですよね。
せっかく生み出したオリキャラ、花(ものがたり)の一つも持たせてあげたい。

ここで持たせる数を間違えるとオリキャラというより俺キャラになります。
踏み台説教ハーレム以下略。
おお恐ろしい。

みんなオリキャラの活躍なんて見たくないのですよ原作キャラの活躍が見たいのですよ。
マジでマジで。
それを忘れたら終わりですよ。マジで。


さて、自分は、忘れてはいないのだろうか―――
家谷
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コメント



0.1190簡易評価
10.-30名前が無い程度の能力削除
なんつーか・・・。幻想郷の法則が・・・。
東方の設定が・・・。泣ける。クロスは面白いし、文も面白いんだけど・・・。
設定に無茶があったのでは・・・?
21.-10名前が無い程度の能力削除
 この小説を紅魔から見続けて今一番思ったことがあるが、この辺で言わせて貰うぜ……。
 なんだか俺には主人公である筈(?)の仗助が紅魔から見てヘタレかつかませ犬に見えるのだが………?

 あのなんでも爆破することが出来、時間を巻き戻すことが出来る程度の能力をもつ者(勿論、吉良のことです。フランドールや咲夜、オエコモバやリンゴォのことじゃないよ)などにも互角に戦った第4部主人公の仗助が、ちゃんと戦って勝った相手が同じジョジョのキャラであるシーザーしか居ないようにも見える……。

 そして、その主人公(?)の代わりに咲夜が一度も負けずに敵達をバッタバタと倒していて、まるで仗助じゃなくて咲夜が主人公に見える時が何度もある。

 その仗助が再起不能(リタイア)?になったとはいえ、期待しながら下編を読み始めて構いませんねッ!
24.10名前が無い程度の能力削除
ミラーとかいう奴と無茶な設定と白ける小ネタさえ無ければ良作だったのに惜しい。
前々作は短編ながらもクロスらしさがあって終わり方も綺麗だった。
前作は多少のやりすぎ感と妙な小ネタが好みではなかったが確かに東方とジョジョのクロスで面白かった。
だが今作はただ冗長に感じるだけで面白いとは思えなかったです。
下で化けることを期待して読みたいと思います。