カチャカチャと騒がしくも心地良い食事の音が響く永遠亭の大広間。
上座の方では、輝夜、永琳、鈴仙、てゐの4人が談笑しながら食事を楽しんでいる。
「モグモグ……偶にはカレーも良いわね」
「いつもは和食が多いですからね。食が進みます」
輝夜の言葉に、永琳が応える。そしてぽわっとした笑みで付け合わせの福神漬をポリっと噛み砕いた。
「はふぅ……辛い……」
そして、その隣ではそう言いつつ水を飲む鈴仙がいる。余程辛いのか、その顔にはびっしりと汗が浮かんでいる。
「だから、子供用の甘口にしとけばって言ったのにぃ。鈴仙ってば、見栄張るんだから」
そんな彼女を見つつ、からかうように言うてゐ。
「むぅ……だって、この年になって甘口ってなんだか格好悪いし……」
そう言って、更に水を飲む。チョコンと舌を出しながら息をする鈴仙。なんだか妙に可愛らしい。
「でも、カレーはやっぱり辛い方が美味しいわよね。林檎と蜂蜜が入ったのも嫌いではないけれど」
額に少々汗を浮かべつつ、輝夜がにこやかに言う。
その汗をハンカチで拭う永琳。こちらは同じ辛さのものを食べているにもかかわらず、汗一つ掻かずに涼しい顔をしている。
「ちょっと、お水お代わりしてきます~」
そう言って、鈴仙が席を立つ。
「うどんげ。飲むのなら温めの水にして置きなさいな。冷たいものだと余計辛さが引き立つわよ」
「ひゃ~い」
先ほどのように舌を出してフーフーと息を吐きつつ、厨房に消えていく鈴仙。
ちなみに、四人とも辛口を食べているのだが、へばっているのは鈴仙だけだったりする。
「辛いのは健康にも良いしね~」
というのは、てゐの弁だ。
心なしかいつもよりも萎れているような気がする耳を揺らしつつ、鈴仙が戻ってくる。
片手のハンカチで汗だらけの顔を拭うと、カレーを再び口に含む。
「ん~っ、辛いけど美味しい……。美味しいけど辛い……」
ハフハフと言いつつ食べる鈴仙を微笑ましそうに見ている永琳。いつの間にか淹れたお茶を飲みつつ、ほぅっと息を吐いて幸せそうな様子だ。
「こうやって夕食後にゆったりとしていると、一日の疲れが癒されていくのを感じるわねぇ」
そう言って、また一口お茶を飲む。そして、あら、茶柱と呟きながら微笑んだ。
「そうですねぇ。ここの所なんだかとても忙しいですし、しっかり疲れをとって明日に備えないと……」
そんな永琳に、鈴仙が応える。疲れたような顔ではあるが、まだまだ気力が尽きたという訳ではなさそうだ。
「そう言えば、端から見てても忙しそうよね。何かあったのかしら?」
輝夜が同じようにお茶を飲みつつ、訊ねてくる。茶柱が立った永琳を見てちょっと羨ましそうな様子。
「里の方で、どうやら風邪――インフルエンザが流行っているらしいんです。人間ばかりでなく、妖怪などにも効くようで、患者が沢山……」
頬に手を当てながら、困ったように話す永琳。そしてお茶を飲み、ふぅっと先ほどとは違う息を吐く。
「成程ね……。道理で一日中診療所の方が賑やかだと思ったわ。大変ねぇ……」
納得したような輝夜。そして次に、鈴仙達の方を見て話し出す。
「と言うことは、そっちのイナバ二人も永琳の手伝いで忙しい訳ね。ご苦労様」
「いえ、師匠の手伝いが出来るのは嬉しいですし、これも勉強ですから」
照れくさそうに言う鈴仙。なんだか誇らしげな様子だ。手伝いをする事で更に自分の知識と技術が増し、それによってもっと永琳の役に立てるのが本当に嬉しいのだろう。
「私は薬草取ってきたり、患者の案内するだけだから鈴仙よりかは楽だけどね~。それにしても毎日減りもせずにわざわざ永遠亭までご苦労様な事だよね」
そう言えば、永遠亭の入り口辺りでここの所良く妹紅を見かけていたなと思い出す輝夜。
まあ、なにやら忙しそうな様子だったので、ちょっかいなどかけずに見ているだけだったのだが。
彼女も、竹林の案内業で忙しく働いているのだろう。
普段永遠亭には、一般の患者と言うのはあまり来ない。立地的に簡単に来れるような場所にないというのもあるし、普通の症状ならば里の医者で事足りるからだ。
永遠亭の患者と言うのは、里の医者では手に負えないような者、妖怪、そして知り合いなどがほとんどである。
今回のように、ひっきりなしに患者が来るというのはとても稀なことだった。
まあそれほど、里の医者だけでは手が回らないくらい多くの患者が発生してしまっているということなのだが。それに加え、普通の医者には掛れない妖怪にも症状が出てしまっているというのも大きい。
「でも、その割りにはウチのイナバ達は風邪も引かずに元気よね?」
コクンと首を傾げる輝夜。それほど風邪が流行っているのなら永遠亭からも何人か病人が出ても良さそうなものなのだが。
「永遠亭の子達には、早めに作って置いたワクチンを投与してありますから。だから大丈夫なんですよ」
ニッコリ笑って答える永琳。そつがないというか、やることに隙がない。まあ、このような状況を見越していた永琳の優秀さの表れでもあるが。
「注射嫌いの子達が多くて困りましたけどね……」
鈴仙がため息をついている。何やら結構な苦労があったようだ。
「ああ、成程……。あの時の騒ぎはそう言うことだったのね」
遡ること数週間前。
幼いイナバ達の泣き声がひっきりなしに聞こえるので、何事かと思って見に行ったら、予防接種ですと言われて追い返されたのを思い出す。
幼いイナバ達に懐かれている輝夜としては、あの時は事情がよく分からないながらも、泣きやませるのにあの手この手で苦労したものだった。
「私は注射された覚えないけれど、良いのかしら?」
「姫や私などの蓬莱人はその手の病気には恒常的に耐性がありますからね。ですから必要がないんです」
永琳の答えに、そう言うものかと納得する。もっとも、蓬莱人と言ってもどんな状況にも平気と言う訳でもなく、酒にも酔えば筋肉痛にもなったりするのだが。
「それにしても、風邪が大流行ねぇ……。今までも何回かは風邪が流行ったことがあったけれど、今回のものはそれよりも酷いのでしょう? 外の世界で何かあったのかしらね?」
「さて……。推測することしかできないですが、外の世界で今回の型のインフルエンザの特効薬でも開発されたのかもしれませんね」
「いくら忘れられたものが幻想入りすると言っても、病気の類まで入ってこられたんじゃ堪らないわねぇ……」
ズズッとお茶を飲む。そして、どんな状況でもお茶の美味しさは変わらないななどと思った。
「妖怪も罹るって事はかなり強力なものよね? 永琳の薬を疑う訳じゃないけれど、ワクチンを投与しただけで大丈夫なの? 体力のない小さいイナバ達がもし罹ったりしたら心配だわ」
念のため訊いてみる。すると永琳は少し考えるような様子を見せ……
「イナバ達には診療所の近くには寄らないよう言いつけていますし、少しでも具合がおかしかったら知らせるように言っていますので、大丈夫だとは思うんですが……」
そして、鈴仙とてゐの二人を見る。
「この子達がちょっと心配ですね。何しろ常に患者に接していますし、ワクチンの効果を越えてしまったらと思うと……」
「成程ね。出来ればこっちのイナバ達も遠ざけて置きたいと言う訳ね」
「そんな……。私は師匠の薬を信じていますし、マスクだってして居るんですから……。大丈夫ですよ」
鈴仙が、身を乗り出すようにして永琳に言う。
「それだけじゃなくてね、貴方達、今日診療終えるときにもうフラフラだったでしょう? 此処連日忙しい最中、前日の疲れもよくとれて無い状態で頑張っているわよね。何より、そんな疲れた状態では病気に対する抵抗力も落ちるわ。だからしっかり休んで欲しいというのもあるの」
「うっ……。確かにそうかもしれないですけど、私達が居なくなったら師匠一人で切り盛りしないといけなくなるじゃないですか。流石にそれは出来ませんよ」
困った様子の鈴仙。食べ終わったカレーのスプーンをカチャカチャと弄りながら、そう言い返す。
「そうねぇ……。永琳の言うことにも、イナバの言うことにもそれぞれ一理あるわね」
先ほどからなにやら考え込んでいた様子の輝夜が、周りの皆の顔を見ながら言葉を発した。
そしてピンと指を立て、
「だから良いこと考えたわ。私が永琳の手伝いをするから、イナバ達は休みなさい」
その言葉に、三人が『えっ?』と言う顔で輝夜を見る。
ニコニコと笑みを浮かべている輝夜。
「これならば問題ないでしょう? 永琳を一人にすることもないし。……何よ、その顔は」
「え、いや、あの……姫様が師匠の手伝い……ですか?」
鈴仙が、驚いたような呆気にとられたような微妙な声を出す。賛成したらいいのか反対したらいいのか混乱しているような様子だ。
「姫様って、お師匠様の手伝いって出来るの……?」
「大丈夫よ。貴方達は知らないでしょうけど、昔は私だって永琳の手伝いをしていたことがあったのよ。だから、多少なりとも勝手は分かっているわ。まあ、診療所の手伝いって言うのは初めてだけど……」
てゐの言葉に、そんな風に答える輝夜。胸をポンポンと叩きながら得意げな様子だ。
「懐かしいですね。うどんげが来る前には姫にも調合を手伝ってもらったことがありましたっけ」
遠い目をする永琳。そこにはどんな歴史が映っているのだろうか。
そんな事を鈴仙は少し考える。
「そそ。だから数日貴方達の代わりを勤めるくらいなら平気よ。心配しないでもゆっくり休んでもらって大丈夫」
等と言う輝夜に押し切られるように、肯かされてしまう鈴仙とてゐ。
当の輝夜は、腕をクルクルと回しながら張り切った声を上げている。
「最近ちょっと退屈していたところだったのよね。永琳の役にも立つし暇潰しにもなる。一石二鳥よね」
そんな事を言う輝夜に、ああ、姫様らしいと苦笑する他の面々だった。
夕餉も終わり皆々が思い思いにくつろぐ時間。いつも鈴仙はこの時間を勉強に充てている。
今日は何の続きからだっけ、と考えながら席を立つと、
「あ、イナバ。ちょっと貴方の部屋にお邪魔しても良いかしら?」
後ろから輝夜に声をかけられた。何やら楽しそうな声色が含まれている。
「え? ええ、大丈夫ですけど……。どうかしたんですか?」
少し驚きながら聞き返す。輝夜がわざわざ鈴仙の部屋まで来る事は珍しい。
「貴方いつも診療所で手伝いをするときには特別な制服を着ていたでしょう。それを明日から貸してもらおうと思って」
特別な制服……? そう言われて、ああナース服のことかと思い当たる。
「ええ、良いですけど、でも別にあれを着なければいけないと言う訳ではないですよ」
鈴仙自身、雰囲気で着ているだけだったりする。まあ、デザイン的に気に入っているという面もあるが。
「良いのよ。まずは形からと言うか、実は密かにあれ着てみたいと思っていたのよね」
テヘヘと悪戯っぽく笑う輝夜。
ちなみにナース服は、香霖堂で売っていたのを換えも含めて何着か買ってきたものである。店主も流石に自分のものにする気はなかったようで、店に行った時に医療従事者が着るものだと白衣などと一緒に薦められて買ってきた。
着ると何となく気分も引き締まるので、愛用している鈴仙である。
「分かりました。では、洗濯したばかりなのがありますので、お渡ししますね。サイズとか合うと良いけど……」
そして広間を出て、広大な永遠亭を歩くこと数分。自室に輝夜と連れ立って入る。
部屋の中には永琳自身が書いた医学書や、紅魔館から借りてきた医学関係の本であちこち山が出来ている。
いかにも勉強家の部屋と言った感じだ。
「色々散らかっていて申し訳ありませんけど……」
「別に気にしないわよ。汚れているわけじゃないし」
輝夜が手を振りつつ言う。あまり来た事がない部屋の所為か、色々ともの珍しいようでキョロキョロと部屋を見回している。
「師匠の部屋は綺麗なんですけどね」
「永琳の場合は、全部頭の中に入れちゃうから本とかも部屋に溜まらないのよね」
「ハァ……私ってばまだまだだなぁ……」
一層耳を萎れさせながらため息をつく鈴仙。いつかは、永琳を超えるとは言わないもののせめて追いつきたいとは考えているのだが、このままではいつになることやら……と思う。
「気にしない気にしない。あれは私達とは頭の作りが根本的に違うんだから考えないのが一番よ」
「そう言うものですかねぇ」
そう言って難しい顔をしつつ、
「――と、それよりナース服ですね。少しお待ちくださいね、今持ってきますから」
気が付いたように箪笥の方へと向かう。
「ええと、表着にスカートにナースキャップと……。色は白とピンクがありますけど、どちらが良いですか?」
「そうねぇ……。白が良いかしら」
「はい、了解です」
そんなやりとりの後、鈴仙が服を重ねて持ってくる。パリッとして皺一つない畳まれたナース服はとても清潔そうな感じだ。
「一応此処で試しに着てみても良いかしら?」
「構いませんよ。多分姫様と私とではそんなに体型が変わらないので、着られるとは思うんですが……」
「うふふっ、楽しみだわ~」
ワクワクとした表情で服を受け取る輝夜。
そしてシュルシュルと衣を脱ぎ出す。
「あ、お手伝いします」
脱いだ衣を鈴仙に渡しつつ、ナース服を着ていく輝夜。素肌に長い髪が纏わりつくように絡み付いてなんだか艶めかしい。
「此処がこうで……これはこっち側から締めるのかしら?」
多少手間取りつつも、無事ナース服を身につけることに成功する。
そして最後に、鈴仙にキャップを被せてもらって出来上がり。
「さて、どうかしら。似合うかしら?」
具合を確かめつつ、ゆっくりとその場で一回転。黒曜石のような黒髪がフワリと宙に舞う。
「はい、お綺麗です。あ、でも、診療所に入るときは髪を纏めて置いた方が良いかもしれませんね。私も普段はそうしていますし」
「そうねぇ……。色々と動き回るのに邪魔だし、そうしようかしら」
そう言って、脱いだ着物の懐を探る輝夜。
そして取り出したのは、細かく編み込まれた一本の紐。紫色の上等な糸が使われていて品が感じられる。
「簡単に一本に纏めるだけで良いから、お願いするわね」
それを鈴仙に手渡すと、髪を掻き上げて後ろを向く。 露わになったうなじにちょっとドキドキしながらも、輝夜の髪をポニーテールの形に纏めていく鈴仙。
「ん、良い感じね」
そんなこんなで、ナース輝夜の出来上がりである。黒髪と純白の服のコントラストが大変映える。
「服の方も、ちょっと胸の辺りに余裕があるけど、概ね大丈夫ね」
そんな言葉に、内心勝ったとガッツポーズを取る鈴仙。
何が勝っているかというのは、言わずもがなである。
普段、明らかに負けている永琳を見続けているだけに乙女心は色々と複雑だったのだ。
まあ、全体的なプロポーションと言う面では輝夜だって決して誰に劣るというものでもないのだが。
そして、また鈴仙に手伝ってもらいながら元の衣に着替えた輝夜は、ナース服を小脇に抱えて微笑む。
「それじゃ、この服は借りて行くわね。何処かの黒白みたいに死ぬ迄って言う訳じゃないから安心して良いわよ」
それだと永遠にって事になっちゃうしね。等と悪戯っぽくクスクスと笑う輝夜。
「あはは……」
笑いどころなのか分からなくて、何とも言えない顔の鈴仙。
そして機嫌良く部屋を出ていく輝夜を見送りながら、鈴仙は大きく息を吐くのだった。
未だにきちんと師匠の手伝いを出来るか心配だけど、姫様やる気みたいだし、いざとなったら私がまた手伝いに戻ればいいか。等と考え、文机の前に座る鈴仙。
兎にも角にも思わぬ休日が出来てしまった。
明日は、此処の所の忙しさの所為で溜まってしまっている師匠からの課題を片づけるかなぁ。
そんな事を思いつつ、筆を取る鈴仙だった。
――次の日。
いつもより心持ち早めに朝餉を済ませて、鈴仙から借りたナース服に着替え診療所に向かう輝夜。
途中、小さなイナバ達が物珍しげに見ているのに気付いて、どうかしらなどと声をかけてみる。
「姫様がいつもと違う~~」
「でも、綺麗~。鈴仙様みたい」
「姫様もお注射するの……?」
目をキラキラさせるイナバから怯えるイナバまで様々だが、概ね好評なようだった。
そんな様子に気分を良くして、笑顔で応える輝夜。
「今日からしばらく、私が永琳のお手伝いなのよ。貴方達も怪我とか具合が悪くなったら遠慮なく来なさいね」
ハーイと声を揃えて手を挙げるイナバ達の頭をサラサラと撫でて別れる。
そして少し歩いて診療所前。
クルクルと肩を回しながらヨシッと気合いを入れると、扉に手をかけ中へと入る。
「おはよう永琳」
「おはよう輝夜。あら、その格好は……」
二人きりとあってか砕けた挨拶を返す永琳が振り向いて、輝夜の格好に気付き驚いたような顔をする。
そんな永琳はいつも通りの白衣姿だ。
「気合いの入りようはバッチリよ」
「鈴仙に借りてきたのね。なかなか似合っているじゃない」
ニコリと柔らかく微笑む永琳。そして椅子をクルリと回して輝夜へと向き合う。
「白衣の永琳も改めて見ると似合っていて良いと思うわよ」
そう言って微笑み返す輝夜。着慣れている所為か随分と白衣がマッチしている。
「本当は輝夜にも白衣を着てもらおうと思って居たんだけど、その服を着ているなら不要だったわね」
「白衣もちょっと惹かれるものがあるけどね。今回はこの服と言うことで」
スカートの裾を片手でチョンと摘んでみせる。クスリと笑った顔はとても楽しそうで、これからの仕事への期待も含まれているようにも思えた。
「ふふっ、それじゃ患者が来る前にやり方とかの説明を済ませてしまいましょうか」
笑みを深め椅子から立ち上がると、薬棚の方へと向かう永琳。
部屋の壁際には大きめな木製の棚がいくつか置かれており、そこには様々な形の薬品入りの瓶が並べられている。さらに、隣の小さな引き出しの沢山付いた箪笥にはそれぞれ調合済みの薬が細かに仕分けられて入っていた。
「基本的に、大体の薬は此処にあるわ。劇薬とか扱いの難しい薬は別の所にしまってあるけど、そう言うのは滅多に使わないし、もし使うときは私自ら取りに行くからあまり関係ないわね」
「ふむふむ」
「薬を持ってきてもらうときは、それぞれ貼ってある紙に従って『は―5番』と言うように指定するから、間違えないように持ってきてちょうだい。一応私も使う前に確認はするけどね」
永琳が、薬棚を指さしながら丁寧に説明する。輝夜も頷きながら一つずつ確認していく。
「成程、案外分かりやすいわね。これなら大丈夫そうだわ」
「ふふ……お願いね」
「任せて置きなさいって」
胸を張る輝夜。昔、教育係していた頃から物覚えや頭の回転は優秀だった。この分なら大丈夫そうだと、永琳は微笑み更に言葉を続ける。
「注射なども私がやるから心配しないで良いわ。輝夜にお願いしたいのは、患者の案内や治療代の会計等、後は私の補助ね」
普段は鈴仙が注射を担当したりもするのだが、流石に素人に近い輝夜にそれを任せるのは危ない。
「了解~。しかし、分かっていたけど結構忙しくなりそうね。気合いを入れないと」
「そうね。でも、全盛期に比べれば大分落ち着いてきているし、不慣れな輝夜でも捌ききれないような事態になることは無いと思うわ。頑張りましょう」
二人ニコリと微笑み合って、パンと手を合わせる。
こうして、いつもと少し違う八意診療所の一日が始まるのだった。
「はい、次の方どうぞ~」
診療開始頃には割とまばらだった患者の数も、昼に近づくに連れて段々と多くなってきた。
輝夜も、受付や永琳のサポートに大忙しである。
「姫、『い―8番』の薬を三つお願いします」
「は~い、了解」
薬棚から言われた薬を取り出して永琳に差し出す。
それを、手に取って間違いがないか確かめると、小さく頷き患者へと向き直る。
「解熱剤をお出ししておきますね。食後、30分以内を目安に服用して下さい。後、一度飲んだら最低4時間は間を置く事を忘れないで下さいね」
スラスラとカルテを書きながら、薬を処方する永琳。
このカルテの整理も輝夜の仕事である。
「はぁ~、忙しいわぁ……。鈴仙とてゐはこれをずっと続けていたのよね。そりゃフラフラになるはずだわ」
ため息をつきつつも、手は止めないで呟くように声を出す。腰も痛いし眼も霞んできた。全く、休む暇もありゃしない。しかも、これでも以前よりはましだと言う。
鈴仙とてゐはつくづく頑張っていたんだなぁと思う。ちょっと見直した。
そんな最中、次の患者を呼んだ時それが知っている名前なのに気付く。
「あら、貴方は……」
「おおう、おまえ輝夜か? なんでそんな格好して居るんだ」
「魔理沙じゃない。貴方が診療所に来るなんて珍しいわね」
部屋の中なので帽子は脱いでいるが、相変わらずの黒白な少女――魔理沙に声をかける。
「う~む、私も出来れば医者の世話なんかになりたくなかったんだけどな、どうもそう言う訳にはいかない状態のようなんだ」
いつもより、大分元気のない声で答える。よく見れば顔色も悪く、普段の快活な少女の面影が無くなっている。
「今流行の風邪かしら?」
「どうもそうらしい……。今までは自家製の健康キノコ汁で凌いでいたんだがなぁ。とうとう捕まってしまったらしい」
まいったぜ、と大きくため息をつく。ポリポリと頬を掻きながらバツが悪そうに視線を逸らしている魔理沙。
体を冷やさないように厚着してきたのだろう、いつもよりモコモコしている服に加え、首にはマフラーを巻いていた。
「まあ、ともかく中に入りなさい。永琳が診てくれるわ」
魔理沙を案内して、診療室の中に入る。待合室もそうだが、部屋の中は暖が取ってあるのでほんのりと暖かい。
「あら、次の患者は貴方なのね、魔理沙」
永琳も少し驚いたようで、カルテを書く手が止まる。
魔理沙はマフラーを外すと、額に少し掻いた汗を袖で拭いながら永琳に近づく。
「お願いするぜ……」
「取り敢えず其処に座りなさいな。それから服のボタンを外して前をはだけさせて」
聴診器を手に取ると、それを魔理沙の胸に近づけさせながら言う永琳。
魔理沙は厚着した服に少し手間取りつつもインナー姿になると、その前を捲りあげる。
そして、そこに聴診器が当てられる。
「ひゃうっ、つめたっ」
ビクッと肩を震わせて身をよじる魔理沙。
「はい、動かないの。――次は背中よ、後ろを向いて」
永琳は構わずに数か所で心音や肺の音を聞くと、今度は魔理沙の服の後ろをたくし上げて、更に聴診器を当てる。
「はい、良いわよ。肺の方は大丈夫なようね。次は喉を診るから大きく口を開けてちょうだい」
「それにしても、魔理沙って結構肌が白いのね~。きめも細かいしちょっと意外だわ」
魔理沙が服を直すのを手伝いつつ、背中やらお腹をペタペタと触る輝夜。目を輝かせて、興味しんしんといった風だ。
「うわっ、なんだよいきなり!」
慌てて魔理沙がバッと服を下ろす。
「ちょっと触診していただけよ。深い意味はないわ」
ニンマリとした笑みを浮かべながら言う輝夜。なんか、手がワキワキと動いている。
「それにしては手つきがいやらしいぜ……」
胸の前で手を組み合わせつつ、ズズッと魔理沙が後ろに下がる。顔が赤いのは、きっと熱の所為だけではないだろう。
「ハイハイ、遊んでいないの。まだまだ患者は残って居るんだから」
舌圧子をフリフリと動かしながら、ため息をついて永琳が注意する。そして、魔理沙の顎に手を添えて上を向けると、大きく口を開けさせた。
「結構腫れているわね……。薬を塗っておきましょうか」
覗いた永琳はそう言って、傍らの薬に手を伸ばす。
「ああ、それってあの甘苦いのね。不思議な味よね、あれ」
等と、傍らで肯きながら言う輝夜。
それを聞いた魔理沙はなんだか複雑な表情をしながら目を逸らす。
「あー、苦いのは出来れば遠慮したいんだが……」
「小さい子供じゃないんだから、我が儘言わないの。はい、さっきと同じように大きく口を開けて」
長めの綿棒に薬を付けて、アーンと口を開いた魔理沙の喉にちょちょいと塗りつける。
「う~、変な味だぜ……」
「薬なんてそんな物よ。子供用に甘いものも作れない訳ではないけどね」
微妙な顔をしている魔理沙に、笑いながら言う永琳。
そんな魔理沙の額に、後ろから輝夜がピタリ手を当てた。
「結構熱もあるみたいね。此処まで来るのも結構きつかったんじゃない?」
そう言いつつ、魔理沙の前髪をかき上げるようにして額に手を当て直す。
輝夜の手が冷たく感じられて気持ちが良いのか、魔理沙は目を閉じてボーっとしている。
「本当ね。どうしようかしら。薬を出すのは構わないんだけど……」
同じように熱を確かめた永琳が、もう一方の手を額に当てつつ、考えるように言う。
「貴方一人暮らしで看病してくれる人も居ないでしょう? なんなら、少し入院していくという手もあるけど、どうする?」
一応永遠亭にも入院施設はある。と言っても、診療所の近場の部屋を軽く改装した程度のものだが。
まあ、普通は風邪程度では使わないのだが、顔見知りと言うこともあり特別待遇だ。
「あ~、そうだな……」
腕を組む魔理沙。頭の中で色々と考えを巡らせているようだ。
そして、一分ほど悩んだ後、顔を上げる。
「お言葉に甘えるとするか。正直、家に帰っても食事を作るのとか面倒くさいしな」
額を押さえつつ、肯く魔理沙。流石に今の状態では家事をするのも辛いようだ。
「そう、それなら用意させるわね。姫、魔理沙を部屋の方へ案内してあげて下さいな」
「はーい。さ、こっちよ、いらっしゃい」
魔理沙の手を取って立ち上がらせる輝夜。
そしてそのまま、待合室とは違う方の扉から部屋を出て、永遠亭の奥の方へと連れていく。
「ふぅ……悪いが世話になるぜ」
「貴方も今は病人だからね。変な遠慮はしないで良いわよ。ゆっくり休んで、早く治してしまいなさい」
やはり少し辛いのか呼吸の速い魔理沙に、微笑みながら言う輝夜。着ている服の所為か、それとも風邪により精神的に弱っている所為か、いつもよりも優しげに見える。
そして輝夜の揺れるポニーテールをボーっと眺めながら歩くこと数分。とある部屋の前に着く。
「此処が貴方の部屋。ここら辺は静かな場所だから養生できると思うわよ」
障子を開けて部屋の中を示す。広大な永遠亭らしく、個室にも関わらず二十畳ほどの広さがあった。
「なんだか、広すぎて落ち着かなそうだぜ……」
部屋をキョロキョロと見回しながら、モゾモゾと体を動かす魔理沙。彼女の家の大きさからすれば無理もないだろう。
「貴方の部屋は聞く所によると色々散らかっているようだしねぇ。まあ、偶にはこう言う所で健全に過ごすのも良いんじゃないかしら」
クスクスと笑いながら、魔理沙の肩をポンと叩く輝夜。された方はブスッとして顔を逸らす。
輝夜は部屋の隅にあった布団を真ん中まで持ってくると、それを広げ綺麗に皺を伸ばす。シーツなども真っ白でとても清潔そうだった。
「寒いようなら追加の布団を持ってこさせるから後で言ってね。一応火鉢も置くし、昼間の間は大丈夫だと思うけど……」
輝夜が腰に手を当てながら言う。
魔理沙は布団の側まで来ると、帽子を枕元に置き、更にそこに腰を下ろして大きく息をついた。
「う~、体の節々が痛む……。これが結構きついんだよなぁ」
腕や太ももをさすりながら、体を伸ばす魔理沙。そしてポフンと布団の上に体を横たえた。
気持ち良さそうに目を閉じる魔理沙。そこに輝夜が声をかける。
「そのまま寝ちゃ駄目よ。私はそろそろ戻らなくちゃだけど、すぐに誰かに寝間着を運ばせるから、それに着替えて布団に入りなさい」
輝夜の言葉に、ヘーイと気だるげに返事をして手を上げる魔理沙。
その姿を見ながら、やれやれと息をついて輝夜は部屋を出る。
さて、永琳の手伝いに戻らないと。やることはまだまだ残っているのだ。大変だが、やっと仕事にも慣れてきたところだ。
ナース姿をしていてもその身は姫様、ゆったりと優雅に歩きながら診療室を目指す。
そして、扉の前でむんっと軽く気合を入れると、不敵な笑みを浮かべながら中へと入って行くのだった。
それから時は過ぎて、診療終了時刻。
最後の患者を見送ると、輝夜はクタッと机の上に突っ伏した。
「疲れた~……」
大きくため息をつき、元気のない声を出す。やっと終わったという感じだ。まあ実際結構な人数だったのだが。
「御苦労さま、輝夜」
永琳が両手にカップを持ってやってくる。そして、その片方を差し出した。中からは、湯気がホワリと立ち上っている。
「ん、ありがと」
輝夜は両手でそれを受け取ると、ゆっくりと口に近付けて一口飲んだ。中身は永琳特製の薬草茶のようだ。ほんのりとした苦みが、疲れた体と頭に沁み渡っていく。
ほうっと息を吐きだした輝夜を微笑ましげに見ながら、隣に腰を下ろす永琳。そして同じようにお茶に口をつける。
「こう言うのは初めてだったから大変だったと思うけど、よく頑張ったわね。おかげで助かったわ」
そう言うと、永琳は輝夜の黒髪をサラサラと優しげに撫でた。
ふにゃっと頬を緩ませる輝夜。少しの間されるがままにしていたが、やがて身体を起こして永琳に笑いかける。
「まあ、普段出来ない経験が出来たっていうのはよかったわね。永琳の仕事の事も今までよりも理解できたし。だからそっちこそお疲れ様、よ」
「ふふ……普段はもう少し暇なのだけれどね。患者が来たら呼ばれて診に行くって感じだし」
「それだけ今が特殊ってことよね。こう言うのも異変って言うのかしら?」
顎に指を当てて首をかしげる輝夜。
「さぁ……どうかしらね。まあ、異変だとしても、巫女はともかく魔法使いの方は捕まってしまっているけれども」
クスクスと笑いながら、お茶をまた一口。
それを聞いて、輝夜が思い出したような顔をする。
「そう言えば、魔理沙はどうしているのかしら? あれから見に行ってないけど」
「そうねぇ、部屋は暖かくしておくように言っておいたし、乾燥もさせてないから環境的には問題ないはずだけれど。さて、おとなしく寝ているかしらね?」
「じっとしているの苦手そうだもんね。まあ、流石にあちこち動き回るような元気はないだろうけど」
コロコロと鈴を鳴らすように笑う輝夜。なんだか妙に楽しそうだ。
そして、再び口を開く。
「そうね。様子を見に行ってみようかしら。そろそろ夕餉の時間でもあるしね」
そう言って席を立つ輝夜。永琳も追うように立ち上がる。
「それじゃ、ササッと片付けしてしまいましょうか。魔理沙も退屈しているでしょうし」
飲み終わったカップを手に持つと、永琳は輝夜を促して診療室の方へと向かう。
そしてしばらく、部屋の中からは二人の歓談する声が聞こえるのだった。
魔理沙の居る部屋の前に立ち、コンコンと障子の縁を叩く。
中から、ほーいと言う魔理沙の声が返ってきた。
輝夜は手に持ったお盆を落とさないように慎重に障子を開くと、ゆっくり中へと足を踏み入れる。
「こんばんは。調子はどうかしら?」
「まあまあだぜ~。部屋も暖かいしな。ただ、暇な事この上ないが」
魔理沙はどうやら大人しく布団に入っているようだ。
そんな様子を見て輝夜は口元を緩ませると、すっぽりと掛け布団をかぶっている魔理沙の枕元に近づき腰を下ろす。
「御夕飯を持ってきたわよ。お腹が空いているかは分からないけど、治すためには栄養を摂らないとね」
そう言いながら、お盆に乗った土鍋の蓋を取る。ふわりと湯気と共に美味しそうな匂いが魔理沙の鼻をくすぐった。
「お、ちょうど良い。ちょっと小腹が空いてたんだ。ありがたく頂くぜ」
「そう。それならよかったわ。ちなみに私の手作りのおじやよ。自ら作ることなんてめったにないんだからありがたく食べなさい」
そう言って微笑みながら、竹で出来た匙を手に取る輝夜。
魔理沙が身体を起こす。着ているのは袖口と裾に淡い色の椿をあしらった白い浴衣。見れば少し寝汗も掻いているようだ。
「ふむ。輝夜の料理か……。見た目は悪くないな」
「あら失礼ね。永琳やイナバ達には結構評判いいのよ。こう見えても家事はそこそこ出来るんだから」
「ん、そうか。そこまで言うなら何か楽しみだな。冷めないうちに貰うとするか」
「それが良いわ。はい、それじゃあ~ん」
輝夜が手に持った匙でおじやをすくい、魔理沙の口元に近付ける。
「お、おい、何のつもりだよ」
「看護の一環よ。こう言うの定番でしょう?」
ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべている輝夜。更に、フーフーと息を吹きかけて冷ましたり。
「流石に自分で食べられるぜ……」
「良いから甘えておきなさい。それに、私もこう言うの一回やってみたかったのよ」
クスッと悪戯っぽい笑みを浮かべて匙を動かす。
対する魔理沙は、視線をあちこちに逸らしながらモジモジと手を動かしている。
「あー、でもだなぁ……」
「病人なんだから、大人しく看護を受けなさいって。恥ずかしい事なんて何もないわ」
引き続き、おじやの乗った匙を魔理沙の鼻の近くでフリフリと動かす輝夜。
美味しそうな匂いが、魔理沙の胃を刺激する。
「ほらほら、早く食べないと冷めちゃうわよ」
「う……この際しょうがないか……」
諦めたように呟く魔理沙。そして、差し出されたおじやをパクッと一口。
「どう?」
「まあ……美味いな」
「それはよかったわ」
嬉しそうにニッコリと笑う輝夜。機嫌良さそうに更におじやをすくって魔理沙の口元へ。
それを黙って食べる魔理沙。
「なかなか良いわね、こういうのも。なんだか母性本能みたいなものが沸々とわいてくるわ」
「私は恥ずかしいだけだけどな」
熱の所為か恥ずかしさか分からないが、魔理沙の頬がちょっと赤い。
「良いじゃないの。貴方の場合もう独り立ちしているけれど、でもまだまだ甘えたっていい年頃よ。あの巫女にも言えるけど、時には力を抜いて誰かに寄り掛かってみなさいな。特に、こんな病気の時くらいはね」
また少しおじやをすくって魔理沙の口に運ぶ。
そして、モグモグと口を動かす魔理沙の頭をポンポンと優しく叩きながらそんな事を言う。
「むぅ……そんなもんかね」
「そうよ。永琳が入院を勧めたのはそういうこともあるんだと思うわ。意外とお節介焼きなのよ」
フフッと何やら楽しそうに笑みを浮かべる輝夜。自身も色々と思い当たることがあるのだろう。
「ま、こう見えても貴方の数十倍は長く生きているからね、私から見れば貴方なんてまだまだ子供よ。遠慮なく甘えなさいな」
ポンっと胸を叩いて自慢げに言う輝夜。
「そりゃお前らからすればそうだろうけどな。それでも、こっちにはこっちなりの矜持ってものがあるんだよ。そう簡単には弱みは見せられないぜ」
「まあ、そう言うのも貴方らしいけどね。私が言いたいのは、無理はするなってこと。どうせ今回の風邪だって研究とかに没頭して抵抗力が落ちたから罹ったんでしょ。さっきも言ったけど、これを良い機会だと思ってゆっくりのんびりと休養しなさいな。そう言うのは別に恥ずかしい事でも何でもないんだから」
そう言われて少し考え込む魔理沙。そして大きく息を吐いて、肩の力を抜く。
「ふむ、それもそうか。こういうときは大人しくして早く治した方が得だしな。言う通り思いっきりだらけさせてもらうぜ」
そう言って、ニヤリとした笑みを見せる魔理沙。
輝夜もそれを見て、柔らかに微笑む。
「さて、これで最後の一口ね。食欲の方はなくなってはいないようだからひとまず安心ね。そこまで重い症状じゃなくてよかったわ」
匙を空になった土鍋の中に置くと、お盆に一緒に乗せられていた薬らしきものを手に取り魔理沙に渡す。
「後はそれを飲んで大人しく寝ているだけね。永琳の作ったものだから効果は保証するわよ」
「こういう薬の世話になるのは久しぶりだな。魔法薬とかなら自分でも作ったりしているんだが」
薄い紙に包まれた粉薬を口に入れる魔理沙。輝夜が水の入ったコップを手渡す。
「んぐ……思ったより苦くないな」
「重い症状用のものはもっと苦いわよ。これはある程度飲み易さも考慮されたものだからね」
「はるか昔に里の医者で貰った薬は、なんかやたら苦くて子供心にトラウマだったんだがなぁ」
それを聞いて輝夜がクスクスと笑う。
「永琳の薬だからね。小さなイナバ達でも飲めるように色々工夫されているのよ」
この薬の場合、体に具わっている自然治癒力を高めるような効果がある。軽めの症状のものならこの位で十分。薬にあまり頼り過ぎないように、と言うのが永琳の考えだ。
「さてと、これで後はゆっくり休むだけ……っとそうね、あと一つする事があったわ」
輝夜はそう言うと、お盆を持って部屋の外へと出ていく。そして次に戻って来た時、その手には小さな桶があった。
再び枕元に腰を下ろし、桶の中に手を入れながら輝夜が言う。
「それじゃ、寝間着を脱いでね」
「……は? い、いきなり何を言い出すんだ」
「寝汗とか掻いているでしょう? だから体を拭くのよ。そのまま放っておいたら気持ち悪いでしょうし、体も冷えて良くないわ」
ニコニコと笑いながら、お湯に浸した手拭いを絞る輝夜。
「い、いや、それは流石にだな……」
「ゆっくり休むと決めたんでしょう。この際だから、とことんまで身を任せてみなさいな」
じりじりと近づいてくる。純粋な看護行為とは違った意図が含まれているように感じられるのは魔理沙の気のせいだろうか。
「ちょ、ちょっと待て! なんかお前楽しんでいるだろ」
「楽しいわよ? こう見えても結構世話好きなのよ、私も。普段だと永遠亭の主だからって誰もこう言う事させてくれないんだもの。良い機会だから思いっきりお世話させてもらうわ」
布団の上で身を逸らす魔理沙と、それに迫る輝夜。それは一進一退の攻防の末、やがて顔を真っ赤にしながら上半身をはだけさせた魔理沙が輝夜に背中を拭いてもらうという光景になる。
「なかなか気持ちが良いものでしょう、こう言うのも」
「人が風邪ひいているのを良い事に……やれやれだぜ」
火鉢の上の薬缶がシュンシュンと蒸気を吹き上げる音が部屋に漂う中、ゆったりと時間は流れていく。
優しげな手つきの輝夜にされるがまま、暖かな室温の中でスッと体の熱が奪われる感じが心地良い。
やがて、魔理沙がウトウトと頭を揺らし始める。
それを見た輝夜は、微笑ましげな顔でそっと口元を緩めると、寝間着をしっかりと着せ直し、その背に手を添える。
「さ、終わったわよ。このまま横になりなさいな。薬の所為で少し身体がポカポカしてくると思うけど、布団を蹴飛ばしたりしないようにね」
「あ、ああ……悪い。気を付ける……」
掛け布団を胸元までかけてあげると、上からポンポンと軽く叩く。
「それじゃ、おやすみなさい」
輝夜は小声でそう言うと、穏やかな寝息を立て始めた魔理沙を見ながらそっと部屋を出た。
「んーっ……」
グッと伸びをする。そのまま空を見上げると、煌々とした月が永遠亭を照らしていた。
暫し、その月に見惚れるように佇む輝夜。
今日は自分でも良く働いたと思う。心が浮き立つような充実感があった。
「さて、仕事はこれで終わりかしらね」
心地良い疲れを感じながら呟く。
今夜はよく眠れそうだと思った。
ナース服からいつもの恰好に着替え、自室に向かう途中。中庭に面した廊下に永琳の姿を見つけた。
腰を下ろし、その傍らにはお盆に乗った杯と徳利。輝夜の姿を見つけると、そっと柔らかな笑みを浮かべる。
「何をしているのかしら? こんな所で」
「星をね、見ながら飲んでいたのよ。寝る前の一杯というところかしら」
「あら、月ではないのね」
「偶にはね。星を見るのも良いものよ」
そう言うと、ゆっくりと杯を傾ける。
コクンと永琳の喉が動くのを見てから、輝夜も隣に腰を下ろした。
「今日は月も明るいけれど、星も良く輝いているわ」
輝夜にもう一つの杯を手渡し、再び空を見上げる永琳。
酒を注ぎ、スッとあおると、輝夜も同じように見上げてみた。
澄んだ空気の中、大小様々な光が煌めく頭上。月に負けぬようにと懸命に自らを輝かせている星達がひどく健気に見える。
本当は月よりもずっと強い光を放っているはずなのに――
喉の熱さに思わず吐いた息が、ため息のようになった。
「成程、これはこれで風情があるわね」
輝夜の言葉に、何も言わずニコリと微笑む永琳。
わざわざこんな場所で飲んでいたのは、きっと輝夜への礼と激励の意味を兼ねてなのだろう。
今日はありがとう。明日も一緒に頑張ろう。
いつもよりも少し酒が上等なものなのも、多分そんな理由。
フフ……と笑みを浮かべて、永琳の側に寄る。
少し、温もりが増した気がした。
寄り添う二人。
心と身体、そのどちらにも温かさを感じる。
そんな夜だった。
上座の方では、輝夜、永琳、鈴仙、てゐの4人が談笑しながら食事を楽しんでいる。
「モグモグ……偶にはカレーも良いわね」
「いつもは和食が多いですからね。食が進みます」
輝夜の言葉に、永琳が応える。そしてぽわっとした笑みで付け合わせの福神漬をポリっと噛み砕いた。
「はふぅ……辛い……」
そして、その隣ではそう言いつつ水を飲む鈴仙がいる。余程辛いのか、その顔にはびっしりと汗が浮かんでいる。
「だから、子供用の甘口にしとけばって言ったのにぃ。鈴仙ってば、見栄張るんだから」
そんな彼女を見つつ、からかうように言うてゐ。
「むぅ……だって、この年になって甘口ってなんだか格好悪いし……」
そう言って、更に水を飲む。チョコンと舌を出しながら息をする鈴仙。なんだか妙に可愛らしい。
「でも、カレーはやっぱり辛い方が美味しいわよね。林檎と蜂蜜が入ったのも嫌いではないけれど」
額に少々汗を浮かべつつ、輝夜がにこやかに言う。
その汗をハンカチで拭う永琳。こちらは同じ辛さのものを食べているにもかかわらず、汗一つ掻かずに涼しい顔をしている。
「ちょっと、お水お代わりしてきます~」
そう言って、鈴仙が席を立つ。
「うどんげ。飲むのなら温めの水にして置きなさいな。冷たいものだと余計辛さが引き立つわよ」
「ひゃ~い」
先ほどのように舌を出してフーフーと息を吐きつつ、厨房に消えていく鈴仙。
ちなみに、四人とも辛口を食べているのだが、へばっているのは鈴仙だけだったりする。
「辛いのは健康にも良いしね~」
というのは、てゐの弁だ。
心なしかいつもよりも萎れているような気がする耳を揺らしつつ、鈴仙が戻ってくる。
片手のハンカチで汗だらけの顔を拭うと、カレーを再び口に含む。
「ん~っ、辛いけど美味しい……。美味しいけど辛い……」
ハフハフと言いつつ食べる鈴仙を微笑ましそうに見ている永琳。いつの間にか淹れたお茶を飲みつつ、ほぅっと息を吐いて幸せそうな様子だ。
「こうやって夕食後にゆったりとしていると、一日の疲れが癒されていくのを感じるわねぇ」
そう言って、また一口お茶を飲む。そして、あら、茶柱と呟きながら微笑んだ。
「そうですねぇ。ここの所なんだかとても忙しいですし、しっかり疲れをとって明日に備えないと……」
そんな永琳に、鈴仙が応える。疲れたような顔ではあるが、まだまだ気力が尽きたという訳ではなさそうだ。
「そう言えば、端から見てても忙しそうよね。何かあったのかしら?」
輝夜が同じようにお茶を飲みつつ、訊ねてくる。茶柱が立った永琳を見てちょっと羨ましそうな様子。
「里の方で、どうやら風邪――インフルエンザが流行っているらしいんです。人間ばかりでなく、妖怪などにも効くようで、患者が沢山……」
頬に手を当てながら、困ったように話す永琳。そしてお茶を飲み、ふぅっと先ほどとは違う息を吐く。
「成程ね……。道理で一日中診療所の方が賑やかだと思ったわ。大変ねぇ……」
納得したような輝夜。そして次に、鈴仙達の方を見て話し出す。
「と言うことは、そっちのイナバ二人も永琳の手伝いで忙しい訳ね。ご苦労様」
「いえ、師匠の手伝いが出来るのは嬉しいですし、これも勉強ですから」
照れくさそうに言う鈴仙。なんだか誇らしげな様子だ。手伝いをする事で更に自分の知識と技術が増し、それによってもっと永琳の役に立てるのが本当に嬉しいのだろう。
「私は薬草取ってきたり、患者の案内するだけだから鈴仙よりかは楽だけどね~。それにしても毎日減りもせずにわざわざ永遠亭までご苦労様な事だよね」
そう言えば、永遠亭の入り口辺りでここの所良く妹紅を見かけていたなと思い出す輝夜。
まあ、なにやら忙しそうな様子だったので、ちょっかいなどかけずに見ているだけだったのだが。
彼女も、竹林の案内業で忙しく働いているのだろう。
普段永遠亭には、一般の患者と言うのはあまり来ない。立地的に簡単に来れるような場所にないというのもあるし、普通の症状ならば里の医者で事足りるからだ。
永遠亭の患者と言うのは、里の医者では手に負えないような者、妖怪、そして知り合いなどがほとんどである。
今回のように、ひっきりなしに患者が来るというのはとても稀なことだった。
まあそれほど、里の医者だけでは手が回らないくらい多くの患者が発生してしまっているということなのだが。それに加え、普通の医者には掛れない妖怪にも症状が出てしまっているというのも大きい。
「でも、その割りにはウチのイナバ達は風邪も引かずに元気よね?」
コクンと首を傾げる輝夜。それほど風邪が流行っているのなら永遠亭からも何人か病人が出ても良さそうなものなのだが。
「永遠亭の子達には、早めに作って置いたワクチンを投与してありますから。だから大丈夫なんですよ」
ニッコリ笑って答える永琳。そつがないというか、やることに隙がない。まあ、このような状況を見越していた永琳の優秀さの表れでもあるが。
「注射嫌いの子達が多くて困りましたけどね……」
鈴仙がため息をついている。何やら結構な苦労があったようだ。
「ああ、成程……。あの時の騒ぎはそう言うことだったのね」
遡ること数週間前。
幼いイナバ達の泣き声がひっきりなしに聞こえるので、何事かと思って見に行ったら、予防接種ですと言われて追い返されたのを思い出す。
幼いイナバ達に懐かれている輝夜としては、あの時は事情がよく分からないながらも、泣きやませるのにあの手この手で苦労したものだった。
「私は注射された覚えないけれど、良いのかしら?」
「姫や私などの蓬莱人はその手の病気には恒常的に耐性がありますからね。ですから必要がないんです」
永琳の答えに、そう言うものかと納得する。もっとも、蓬莱人と言ってもどんな状況にも平気と言う訳でもなく、酒にも酔えば筋肉痛にもなったりするのだが。
「それにしても、風邪が大流行ねぇ……。今までも何回かは風邪が流行ったことがあったけれど、今回のものはそれよりも酷いのでしょう? 外の世界で何かあったのかしらね?」
「さて……。推測することしかできないですが、外の世界で今回の型のインフルエンザの特効薬でも開発されたのかもしれませんね」
「いくら忘れられたものが幻想入りすると言っても、病気の類まで入ってこられたんじゃ堪らないわねぇ……」
ズズッとお茶を飲む。そして、どんな状況でもお茶の美味しさは変わらないななどと思った。
「妖怪も罹るって事はかなり強力なものよね? 永琳の薬を疑う訳じゃないけれど、ワクチンを投与しただけで大丈夫なの? 体力のない小さいイナバ達がもし罹ったりしたら心配だわ」
念のため訊いてみる。すると永琳は少し考えるような様子を見せ……
「イナバ達には診療所の近くには寄らないよう言いつけていますし、少しでも具合がおかしかったら知らせるように言っていますので、大丈夫だとは思うんですが……」
そして、鈴仙とてゐの二人を見る。
「この子達がちょっと心配ですね。何しろ常に患者に接していますし、ワクチンの効果を越えてしまったらと思うと……」
「成程ね。出来ればこっちのイナバ達も遠ざけて置きたいと言う訳ね」
「そんな……。私は師匠の薬を信じていますし、マスクだってして居るんですから……。大丈夫ですよ」
鈴仙が、身を乗り出すようにして永琳に言う。
「それだけじゃなくてね、貴方達、今日診療終えるときにもうフラフラだったでしょう? 此処連日忙しい最中、前日の疲れもよくとれて無い状態で頑張っているわよね。何より、そんな疲れた状態では病気に対する抵抗力も落ちるわ。だからしっかり休んで欲しいというのもあるの」
「うっ……。確かにそうかもしれないですけど、私達が居なくなったら師匠一人で切り盛りしないといけなくなるじゃないですか。流石にそれは出来ませんよ」
困った様子の鈴仙。食べ終わったカレーのスプーンをカチャカチャと弄りながら、そう言い返す。
「そうねぇ……。永琳の言うことにも、イナバの言うことにもそれぞれ一理あるわね」
先ほどからなにやら考え込んでいた様子の輝夜が、周りの皆の顔を見ながら言葉を発した。
そしてピンと指を立て、
「だから良いこと考えたわ。私が永琳の手伝いをするから、イナバ達は休みなさい」
その言葉に、三人が『えっ?』と言う顔で輝夜を見る。
ニコニコと笑みを浮かべている輝夜。
「これならば問題ないでしょう? 永琳を一人にすることもないし。……何よ、その顔は」
「え、いや、あの……姫様が師匠の手伝い……ですか?」
鈴仙が、驚いたような呆気にとられたような微妙な声を出す。賛成したらいいのか反対したらいいのか混乱しているような様子だ。
「姫様って、お師匠様の手伝いって出来るの……?」
「大丈夫よ。貴方達は知らないでしょうけど、昔は私だって永琳の手伝いをしていたことがあったのよ。だから、多少なりとも勝手は分かっているわ。まあ、診療所の手伝いって言うのは初めてだけど……」
てゐの言葉に、そんな風に答える輝夜。胸をポンポンと叩きながら得意げな様子だ。
「懐かしいですね。うどんげが来る前には姫にも調合を手伝ってもらったことがありましたっけ」
遠い目をする永琳。そこにはどんな歴史が映っているのだろうか。
そんな事を鈴仙は少し考える。
「そそ。だから数日貴方達の代わりを勤めるくらいなら平気よ。心配しないでもゆっくり休んでもらって大丈夫」
等と言う輝夜に押し切られるように、肯かされてしまう鈴仙とてゐ。
当の輝夜は、腕をクルクルと回しながら張り切った声を上げている。
「最近ちょっと退屈していたところだったのよね。永琳の役にも立つし暇潰しにもなる。一石二鳥よね」
そんな事を言う輝夜に、ああ、姫様らしいと苦笑する他の面々だった。
夕餉も終わり皆々が思い思いにくつろぐ時間。いつも鈴仙はこの時間を勉強に充てている。
今日は何の続きからだっけ、と考えながら席を立つと、
「あ、イナバ。ちょっと貴方の部屋にお邪魔しても良いかしら?」
後ろから輝夜に声をかけられた。何やら楽しそうな声色が含まれている。
「え? ええ、大丈夫ですけど……。どうかしたんですか?」
少し驚きながら聞き返す。輝夜がわざわざ鈴仙の部屋まで来る事は珍しい。
「貴方いつも診療所で手伝いをするときには特別な制服を着ていたでしょう。それを明日から貸してもらおうと思って」
特別な制服……? そう言われて、ああナース服のことかと思い当たる。
「ええ、良いですけど、でも別にあれを着なければいけないと言う訳ではないですよ」
鈴仙自身、雰囲気で着ているだけだったりする。まあ、デザイン的に気に入っているという面もあるが。
「良いのよ。まずは形からと言うか、実は密かにあれ着てみたいと思っていたのよね」
テヘヘと悪戯っぽく笑う輝夜。
ちなみにナース服は、香霖堂で売っていたのを換えも含めて何着か買ってきたものである。店主も流石に自分のものにする気はなかったようで、店に行った時に医療従事者が着るものだと白衣などと一緒に薦められて買ってきた。
着ると何となく気分も引き締まるので、愛用している鈴仙である。
「分かりました。では、洗濯したばかりなのがありますので、お渡ししますね。サイズとか合うと良いけど……」
そして広間を出て、広大な永遠亭を歩くこと数分。自室に輝夜と連れ立って入る。
部屋の中には永琳自身が書いた医学書や、紅魔館から借りてきた医学関係の本であちこち山が出来ている。
いかにも勉強家の部屋と言った感じだ。
「色々散らかっていて申し訳ありませんけど……」
「別に気にしないわよ。汚れているわけじゃないし」
輝夜が手を振りつつ言う。あまり来た事がない部屋の所為か、色々ともの珍しいようでキョロキョロと部屋を見回している。
「師匠の部屋は綺麗なんですけどね」
「永琳の場合は、全部頭の中に入れちゃうから本とかも部屋に溜まらないのよね」
「ハァ……私ってばまだまだだなぁ……」
一層耳を萎れさせながらため息をつく鈴仙。いつかは、永琳を超えるとは言わないもののせめて追いつきたいとは考えているのだが、このままではいつになることやら……と思う。
「気にしない気にしない。あれは私達とは頭の作りが根本的に違うんだから考えないのが一番よ」
「そう言うものですかねぇ」
そう言って難しい顔をしつつ、
「――と、それよりナース服ですね。少しお待ちくださいね、今持ってきますから」
気が付いたように箪笥の方へと向かう。
「ええと、表着にスカートにナースキャップと……。色は白とピンクがありますけど、どちらが良いですか?」
「そうねぇ……。白が良いかしら」
「はい、了解です」
そんなやりとりの後、鈴仙が服を重ねて持ってくる。パリッとして皺一つない畳まれたナース服はとても清潔そうな感じだ。
「一応此処で試しに着てみても良いかしら?」
「構いませんよ。多分姫様と私とではそんなに体型が変わらないので、着られるとは思うんですが……」
「うふふっ、楽しみだわ~」
ワクワクとした表情で服を受け取る輝夜。
そしてシュルシュルと衣を脱ぎ出す。
「あ、お手伝いします」
脱いだ衣を鈴仙に渡しつつ、ナース服を着ていく輝夜。素肌に長い髪が纏わりつくように絡み付いてなんだか艶めかしい。
「此処がこうで……これはこっち側から締めるのかしら?」
多少手間取りつつも、無事ナース服を身につけることに成功する。
そして最後に、鈴仙にキャップを被せてもらって出来上がり。
「さて、どうかしら。似合うかしら?」
具合を確かめつつ、ゆっくりとその場で一回転。黒曜石のような黒髪がフワリと宙に舞う。
「はい、お綺麗です。あ、でも、診療所に入るときは髪を纏めて置いた方が良いかもしれませんね。私も普段はそうしていますし」
「そうねぇ……。色々と動き回るのに邪魔だし、そうしようかしら」
そう言って、脱いだ着物の懐を探る輝夜。
そして取り出したのは、細かく編み込まれた一本の紐。紫色の上等な糸が使われていて品が感じられる。
「簡単に一本に纏めるだけで良いから、お願いするわね」
それを鈴仙に手渡すと、髪を掻き上げて後ろを向く。 露わになったうなじにちょっとドキドキしながらも、輝夜の髪をポニーテールの形に纏めていく鈴仙。
「ん、良い感じね」
そんなこんなで、ナース輝夜の出来上がりである。黒髪と純白の服のコントラストが大変映える。
「服の方も、ちょっと胸の辺りに余裕があるけど、概ね大丈夫ね」
そんな言葉に、内心勝ったとガッツポーズを取る鈴仙。
何が勝っているかというのは、言わずもがなである。
普段、明らかに負けている永琳を見続けているだけに乙女心は色々と複雑だったのだ。
まあ、全体的なプロポーションと言う面では輝夜だって決して誰に劣るというものでもないのだが。
そして、また鈴仙に手伝ってもらいながら元の衣に着替えた輝夜は、ナース服を小脇に抱えて微笑む。
「それじゃ、この服は借りて行くわね。何処かの黒白みたいに死ぬ迄って言う訳じゃないから安心して良いわよ」
それだと永遠にって事になっちゃうしね。等と悪戯っぽくクスクスと笑う輝夜。
「あはは……」
笑いどころなのか分からなくて、何とも言えない顔の鈴仙。
そして機嫌良く部屋を出ていく輝夜を見送りながら、鈴仙は大きく息を吐くのだった。
未だにきちんと師匠の手伝いを出来るか心配だけど、姫様やる気みたいだし、いざとなったら私がまた手伝いに戻ればいいか。等と考え、文机の前に座る鈴仙。
兎にも角にも思わぬ休日が出来てしまった。
明日は、此処の所の忙しさの所為で溜まってしまっている師匠からの課題を片づけるかなぁ。
そんな事を思いつつ、筆を取る鈴仙だった。
――次の日。
いつもより心持ち早めに朝餉を済ませて、鈴仙から借りたナース服に着替え診療所に向かう輝夜。
途中、小さなイナバ達が物珍しげに見ているのに気付いて、どうかしらなどと声をかけてみる。
「姫様がいつもと違う~~」
「でも、綺麗~。鈴仙様みたい」
「姫様もお注射するの……?」
目をキラキラさせるイナバから怯えるイナバまで様々だが、概ね好評なようだった。
そんな様子に気分を良くして、笑顔で応える輝夜。
「今日からしばらく、私が永琳のお手伝いなのよ。貴方達も怪我とか具合が悪くなったら遠慮なく来なさいね」
ハーイと声を揃えて手を挙げるイナバ達の頭をサラサラと撫でて別れる。
そして少し歩いて診療所前。
クルクルと肩を回しながらヨシッと気合いを入れると、扉に手をかけ中へと入る。
「おはよう永琳」
「おはよう輝夜。あら、その格好は……」
二人きりとあってか砕けた挨拶を返す永琳が振り向いて、輝夜の格好に気付き驚いたような顔をする。
そんな永琳はいつも通りの白衣姿だ。
「気合いの入りようはバッチリよ」
「鈴仙に借りてきたのね。なかなか似合っているじゃない」
ニコリと柔らかく微笑む永琳。そして椅子をクルリと回して輝夜へと向き合う。
「白衣の永琳も改めて見ると似合っていて良いと思うわよ」
そう言って微笑み返す輝夜。着慣れている所為か随分と白衣がマッチしている。
「本当は輝夜にも白衣を着てもらおうと思って居たんだけど、その服を着ているなら不要だったわね」
「白衣もちょっと惹かれるものがあるけどね。今回はこの服と言うことで」
スカートの裾を片手でチョンと摘んでみせる。クスリと笑った顔はとても楽しそうで、これからの仕事への期待も含まれているようにも思えた。
「ふふっ、それじゃ患者が来る前にやり方とかの説明を済ませてしまいましょうか」
笑みを深め椅子から立ち上がると、薬棚の方へと向かう永琳。
部屋の壁際には大きめな木製の棚がいくつか置かれており、そこには様々な形の薬品入りの瓶が並べられている。さらに、隣の小さな引き出しの沢山付いた箪笥にはそれぞれ調合済みの薬が細かに仕分けられて入っていた。
「基本的に、大体の薬は此処にあるわ。劇薬とか扱いの難しい薬は別の所にしまってあるけど、そう言うのは滅多に使わないし、もし使うときは私自ら取りに行くからあまり関係ないわね」
「ふむふむ」
「薬を持ってきてもらうときは、それぞれ貼ってある紙に従って『は―5番』と言うように指定するから、間違えないように持ってきてちょうだい。一応私も使う前に確認はするけどね」
永琳が、薬棚を指さしながら丁寧に説明する。輝夜も頷きながら一つずつ確認していく。
「成程、案外分かりやすいわね。これなら大丈夫そうだわ」
「ふふ……お願いね」
「任せて置きなさいって」
胸を張る輝夜。昔、教育係していた頃から物覚えや頭の回転は優秀だった。この分なら大丈夫そうだと、永琳は微笑み更に言葉を続ける。
「注射なども私がやるから心配しないで良いわ。輝夜にお願いしたいのは、患者の案内や治療代の会計等、後は私の補助ね」
普段は鈴仙が注射を担当したりもするのだが、流石に素人に近い輝夜にそれを任せるのは危ない。
「了解~。しかし、分かっていたけど結構忙しくなりそうね。気合いを入れないと」
「そうね。でも、全盛期に比べれば大分落ち着いてきているし、不慣れな輝夜でも捌ききれないような事態になることは無いと思うわ。頑張りましょう」
二人ニコリと微笑み合って、パンと手を合わせる。
こうして、いつもと少し違う八意診療所の一日が始まるのだった。
「はい、次の方どうぞ~」
診療開始頃には割とまばらだった患者の数も、昼に近づくに連れて段々と多くなってきた。
輝夜も、受付や永琳のサポートに大忙しである。
「姫、『い―8番』の薬を三つお願いします」
「は~い、了解」
薬棚から言われた薬を取り出して永琳に差し出す。
それを、手に取って間違いがないか確かめると、小さく頷き患者へと向き直る。
「解熱剤をお出ししておきますね。食後、30分以内を目安に服用して下さい。後、一度飲んだら最低4時間は間を置く事を忘れないで下さいね」
スラスラとカルテを書きながら、薬を処方する永琳。
このカルテの整理も輝夜の仕事である。
「はぁ~、忙しいわぁ……。鈴仙とてゐはこれをずっと続けていたのよね。そりゃフラフラになるはずだわ」
ため息をつきつつも、手は止めないで呟くように声を出す。腰も痛いし眼も霞んできた。全く、休む暇もありゃしない。しかも、これでも以前よりはましだと言う。
鈴仙とてゐはつくづく頑張っていたんだなぁと思う。ちょっと見直した。
そんな最中、次の患者を呼んだ時それが知っている名前なのに気付く。
「あら、貴方は……」
「おおう、おまえ輝夜か? なんでそんな格好して居るんだ」
「魔理沙じゃない。貴方が診療所に来るなんて珍しいわね」
部屋の中なので帽子は脱いでいるが、相変わらずの黒白な少女――魔理沙に声をかける。
「う~む、私も出来れば医者の世話なんかになりたくなかったんだけどな、どうもそう言う訳にはいかない状態のようなんだ」
いつもより、大分元気のない声で答える。よく見れば顔色も悪く、普段の快活な少女の面影が無くなっている。
「今流行の風邪かしら?」
「どうもそうらしい……。今までは自家製の健康キノコ汁で凌いでいたんだがなぁ。とうとう捕まってしまったらしい」
まいったぜ、と大きくため息をつく。ポリポリと頬を掻きながらバツが悪そうに視線を逸らしている魔理沙。
体を冷やさないように厚着してきたのだろう、いつもよりモコモコしている服に加え、首にはマフラーを巻いていた。
「まあ、ともかく中に入りなさい。永琳が診てくれるわ」
魔理沙を案内して、診療室の中に入る。待合室もそうだが、部屋の中は暖が取ってあるのでほんのりと暖かい。
「あら、次の患者は貴方なのね、魔理沙」
永琳も少し驚いたようで、カルテを書く手が止まる。
魔理沙はマフラーを外すと、額に少し掻いた汗を袖で拭いながら永琳に近づく。
「お願いするぜ……」
「取り敢えず其処に座りなさいな。それから服のボタンを外して前をはだけさせて」
聴診器を手に取ると、それを魔理沙の胸に近づけさせながら言う永琳。
魔理沙は厚着した服に少し手間取りつつもインナー姿になると、その前を捲りあげる。
そして、そこに聴診器が当てられる。
「ひゃうっ、つめたっ」
ビクッと肩を震わせて身をよじる魔理沙。
「はい、動かないの。――次は背中よ、後ろを向いて」
永琳は構わずに数か所で心音や肺の音を聞くと、今度は魔理沙の服の後ろをたくし上げて、更に聴診器を当てる。
「はい、良いわよ。肺の方は大丈夫なようね。次は喉を診るから大きく口を開けてちょうだい」
「それにしても、魔理沙って結構肌が白いのね~。きめも細かいしちょっと意外だわ」
魔理沙が服を直すのを手伝いつつ、背中やらお腹をペタペタと触る輝夜。目を輝かせて、興味しんしんといった風だ。
「うわっ、なんだよいきなり!」
慌てて魔理沙がバッと服を下ろす。
「ちょっと触診していただけよ。深い意味はないわ」
ニンマリとした笑みを浮かべながら言う輝夜。なんか、手がワキワキと動いている。
「それにしては手つきがいやらしいぜ……」
胸の前で手を組み合わせつつ、ズズッと魔理沙が後ろに下がる。顔が赤いのは、きっと熱の所為だけではないだろう。
「ハイハイ、遊んでいないの。まだまだ患者は残って居るんだから」
舌圧子をフリフリと動かしながら、ため息をついて永琳が注意する。そして、魔理沙の顎に手を添えて上を向けると、大きく口を開けさせた。
「結構腫れているわね……。薬を塗っておきましょうか」
覗いた永琳はそう言って、傍らの薬に手を伸ばす。
「ああ、それってあの甘苦いのね。不思議な味よね、あれ」
等と、傍らで肯きながら言う輝夜。
それを聞いた魔理沙はなんだか複雑な表情をしながら目を逸らす。
「あー、苦いのは出来れば遠慮したいんだが……」
「小さい子供じゃないんだから、我が儘言わないの。はい、さっきと同じように大きく口を開けて」
長めの綿棒に薬を付けて、アーンと口を開いた魔理沙の喉にちょちょいと塗りつける。
「う~、変な味だぜ……」
「薬なんてそんな物よ。子供用に甘いものも作れない訳ではないけどね」
微妙な顔をしている魔理沙に、笑いながら言う永琳。
そんな魔理沙の額に、後ろから輝夜がピタリ手を当てた。
「結構熱もあるみたいね。此処まで来るのも結構きつかったんじゃない?」
そう言いつつ、魔理沙の前髪をかき上げるようにして額に手を当て直す。
輝夜の手が冷たく感じられて気持ちが良いのか、魔理沙は目を閉じてボーっとしている。
「本当ね。どうしようかしら。薬を出すのは構わないんだけど……」
同じように熱を確かめた永琳が、もう一方の手を額に当てつつ、考えるように言う。
「貴方一人暮らしで看病してくれる人も居ないでしょう? なんなら、少し入院していくという手もあるけど、どうする?」
一応永遠亭にも入院施設はある。と言っても、診療所の近場の部屋を軽く改装した程度のものだが。
まあ、普通は風邪程度では使わないのだが、顔見知りと言うこともあり特別待遇だ。
「あ~、そうだな……」
腕を組む魔理沙。頭の中で色々と考えを巡らせているようだ。
そして、一分ほど悩んだ後、顔を上げる。
「お言葉に甘えるとするか。正直、家に帰っても食事を作るのとか面倒くさいしな」
額を押さえつつ、肯く魔理沙。流石に今の状態では家事をするのも辛いようだ。
「そう、それなら用意させるわね。姫、魔理沙を部屋の方へ案内してあげて下さいな」
「はーい。さ、こっちよ、いらっしゃい」
魔理沙の手を取って立ち上がらせる輝夜。
そしてそのまま、待合室とは違う方の扉から部屋を出て、永遠亭の奥の方へと連れていく。
「ふぅ……悪いが世話になるぜ」
「貴方も今は病人だからね。変な遠慮はしないで良いわよ。ゆっくり休んで、早く治してしまいなさい」
やはり少し辛いのか呼吸の速い魔理沙に、微笑みながら言う輝夜。着ている服の所為か、それとも風邪により精神的に弱っている所為か、いつもよりも優しげに見える。
そして輝夜の揺れるポニーテールをボーっと眺めながら歩くこと数分。とある部屋の前に着く。
「此処が貴方の部屋。ここら辺は静かな場所だから養生できると思うわよ」
障子を開けて部屋の中を示す。広大な永遠亭らしく、個室にも関わらず二十畳ほどの広さがあった。
「なんだか、広すぎて落ち着かなそうだぜ……」
部屋をキョロキョロと見回しながら、モゾモゾと体を動かす魔理沙。彼女の家の大きさからすれば無理もないだろう。
「貴方の部屋は聞く所によると色々散らかっているようだしねぇ。まあ、偶にはこう言う所で健全に過ごすのも良いんじゃないかしら」
クスクスと笑いながら、魔理沙の肩をポンと叩く輝夜。された方はブスッとして顔を逸らす。
輝夜は部屋の隅にあった布団を真ん中まで持ってくると、それを広げ綺麗に皺を伸ばす。シーツなども真っ白でとても清潔そうだった。
「寒いようなら追加の布団を持ってこさせるから後で言ってね。一応火鉢も置くし、昼間の間は大丈夫だと思うけど……」
輝夜が腰に手を当てながら言う。
魔理沙は布団の側まで来ると、帽子を枕元に置き、更にそこに腰を下ろして大きく息をついた。
「う~、体の節々が痛む……。これが結構きついんだよなぁ」
腕や太ももをさすりながら、体を伸ばす魔理沙。そしてポフンと布団の上に体を横たえた。
気持ち良さそうに目を閉じる魔理沙。そこに輝夜が声をかける。
「そのまま寝ちゃ駄目よ。私はそろそろ戻らなくちゃだけど、すぐに誰かに寝間着を運ばせるから、それに着替えて布団に入りなさい」
輝夜の言葉に、ヘーイと気だるげに返事をして手を上げる魔理沙。
その姿を見ながら、やれやれと息をついて輝夜は部屋を出る。
さて、永琳の手伝いに戻らないと。やることはまだまだ残っているのだ。大変だが、やっと仕事にも慣れてきたところだ。
ナース姿をしていてもその身は姫様、ゆったりと優雅に歩きながら診療室を目指す。
そして、扉の前でむんっと軽く気合を入れると、不敵な笑みを浮かべながら中へと入って行くのだった。
それから時は過ぎて、診療終了時刻。
最後の患者を見送ると、輝夜はクタッと机の上に突っ伏した。
「疲れた~……」
大きくため息をつき、元気のない声を出す。やっと終わったという感じだ。まあ実際結構な人数だったのだが。
「御苦労さま、輝夜」
永琳が両手にカップを持ってやってくる。そして、その片方を差し出した。中からは、湯気がホワリと立ち上っている。
「ん、ありがと」
輝夜は両手でそれを受け取ると、ゆっくりと口に近付けて一口飲んだ。中身は永琳特製の薬草茶のようだ。ほんのりとした苦みが、疲れた体と頭に沁み渡っていく。
ほうっと息を吐きだした輝夜を微笑ましげに見ながら、隣に腰を下ろす永琳。そして同じようにお茶に口をつける。
「こう言うのは初めてだったから大変だったと思うけど、よく頑張ったわね。おかげで助かったわ」
そう言うと、永琳は輝夜の黒髪をサラサラと優しげに撫でた。
ふにゃっと頬を緩ませる輝夜。少しの間されるがままにしていたが、やがて身体を起こして永琳に笑いかける。
「まあ、普段出来ない経験が出来たっていうのはよかったわね。永琳の仕事の事も今までよりも理解できたし。だからそっちこそお疲れ様、よ」
「ふふ……普段はもう少し暇なのだけれどね。患者が来たら呼ばれて診に行くって感じだし」
「それだけ今が特殊ってことよね。こう言うのも異変って言うのかしら?」
顎に指を当てて首をかしげる輝夜。
「さぁ……どうかしらね。まあ、異変だとしても、巫女はともかく魔法使いの方は捕まってしまっているけれども」
クスクスと笑いながら、お茶をまた一口。
それを聞いて、輝夜が思い出したような顔をする。
「そう言えば、魔理沙はどうしているのかしら? あれから見に行ってないけど」
「そうねぇ、部屋は暖かくしておくように言っておいたし、乾燥もさせてないから環境的には問題ないはずだけれど。さて、おとなしく寝ているかしらね?」
「じっとしているの苦手そうだもんね。まあ、流石にあちこち動き回るような元気はないだろうけど」
コロコロと鈴を鳴らすように笑う輝夜。なんだか妙に楽しそうだ。
そして、再び口を開く。
「そうね。様子を見に行ってみようかしら。そろそろ夕餉の時間でもあるしね」
そう言って席を立つ輝夜。永琳も追うように立ち上がる。
「それじゃ、ササッと片付けしてしまいましょうか。魔理沙も退屈しているでしょうし」
飲み終わったカップを手に持つと、永琳は輝夜を促して診療室の方へと向かう。
そしてしばらく、部屋の中からは二人の歓談する声が聞こえるのだった。
魔理沙の居る部屋の前に立ち、コンコンと障子の縁を叩く。
中から、ほーいと言う魔理沙の声が返ってきた。
輝夜は手に持ったお盆を落とさないように慎重に障子を開くと、ゆっくり中へと足を踏み入れる。
「こんばんは。調子はどうかしら?」
「まあまあだぜ~。部屋も暖かいしな。ただ、暇な事この上ないが」
魔理沙はどうやら大人しく布団に入っているようだ。
そんな様子を見て輝夜は口元を緩ませると、すっぽりと掛け布団をかぶっている魔理沙の枕元に近づき腰を下ろす。
「御夕飯を持ってきたわよ。お腹が空いているかは分からないけど、治すためには栄養を摂らないとね」
そう言いながら、お盆に乗った土鍋の蓋を取る。ふわりと湯気と共に美味しそうな匂いが魔理沙の鼻をくすぐった。
「お、ちょうど良い。ちょっと小腹が空いてたんだ。ありがたく頂くぜ」
「そう。それならよかったわ。ちなみに私の手作りのおじやよ。自ら作ることなんてめったにないんだからありがたく食べなさい」
そう言って微笑みながら、竹で出来た匙を手に取る輝夜。
魔理沙が身体を起こす。着ているのは袖口と裾に淡い色の椿をあしらった白い浴衣。見れば少し寝汗も掻いているようだ。
「ふむ。輝夜の料理か……。見た目は悪くないな」
「あら失礼ね。永琳やイナバ達には結構評判いいのよ。こう見えても家事はそこそこ出来るんだから」
「ん、そうか。そこまで言うなら何か楽しみだな。冷めないうちに貰うとするか」
「それが良いわ。はい、それじゃあ~ん」
輝夜が手に持った匙でおじやをすくい、魔理沙の口元に近付ける。
「お、おい、何のつもりだよ」
「看護の一環よ。こう言うの定番でしょう?」
ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべている輝夜。更に、フーフーと息を吹きかけて冷ましたり。
「流石に自分で食べられるぜ……」
「良いから甘えておきなさい。それに、私もこう言うの一回やってみたかったのよ」
クスッと悪戯っぽい笑みを浮かべて匙を動かす。
対する魔理沙は、視線をあちこちに逸らしながらモジモジと手を動かしている。
「あー、でもだなぁ……」
「病人なんだから、大人しく看護を受けなさいって。恥ずかしい事なんて何もないわ」
引き続き、おじやの乗った匙を魔理沙の鼻の近くでフリフリと動かす輝夜。
美味しそうな匂いが、魔理沙の胃を刺激する。
「ほらほら、早く食べないと冷めちゃうわよ」
「う……この際しょうがないか……」
諦めたように呟く魔理沙。そして、差し出されたおじやをパクッと一口。
「どう?」
「まあ……美味いな」
「それはよかったわ」
嬉しそうにニッコリと笑う輝夜。機嫌良さそうに更におじやをすくって魔理沙の口元へ。
それを黙って食べる魔理沙。
「なかなか良いわね、こういうのも。なんだか母性本能みたいなものが沸々とわいてくるわ」
「私は恥ずかしいだけだけどな」
熱の所為か恥ずかしさか分からないが、魔理沙の頬がちょっと赤い。
「良いじゃないの。貴方の場合もう独り立ちしているけれど、でもまだまだ甘えたっていい年頃よ。あの巫女にも言えるけど、時には力を抜いて誰かに寄り掛かってみなさいな。特に、こんな病気の時くらいはね」
また少しおじやをすくって魔理沙の口に運ぶ。
そして、モグモグと口を動かす魔理沙の頭をポンポンと優しく叩きながらそんな事を言う。
「むぅ……そんなもんかね」
「そうよ。永琳が入院を勧めたのはそういうこともあるんだと思うわ。意外とお節介焼きなのよ」
フフッと何やら楽しそうに笑みを浮かべる輝夜。自身も色々と思い当たることがあるのだろう。
「ま、こう見えても貴方の数十倍は長く生きているからね、私から見れば貴方なんてまだまだ子供よ。遠慮なく甘えなさいな」
ポンっと胸を叩いて自慢げに言う輝夜。
「そりゃお前らからすればそうだろうけどな。それでも、こっちにはこっちなりの矜持ってものがあるんだよ。そう簡単には弱みは見せられないぜ」
「まあ、そう言うのも貴方らしいけどね。私が言いたいのは、無理はするなってこと。どうせ今回の風邪だって研究とかに没頭して抵抗力が落ちたから罹ったんでしょ。さっきも言ったけど、これを良い機会だと思ってゆっくりのんびりと休養しなさいな。そう言うのは別に恥ずかしい事でも何でもないんだから」
そう言われて少し考え込む魔理沙。そして大きく息を吐いて、肩の力を抜く。
「ふむ、それもそうか。こういうときは大人しくして早く治した方が得だしな。言う通り思いっきりだらけさせてもらうぜ」
そう言って、ニヤリとした笑みを見せる魔理沙。
輝夜もそれを見て、柔らかに微笑む。
「さて、これで最後の一口ね。食欲の方はなくなってはいないようだからひとまず安心ね。そこまで重い症状じゃなくてよかったわ」
匙を空になった土鍋の中に置くと、お盆に一緒に乗せられていた薬らしきものを手に取り魔理沙に渡す。
「後はそれを飲んで大人しく寝ているだけね。永琳の作ったものだから効果は保証するわよ」
「こういう薬の世話になるのは久しぶりだな。魔法薬とかなら自分でも作ったりしているんだが」
薄い紙に包まれた粉薬を口に入れる魔理沙。輝夜が水の入ったコップを手渡す。
「んぐ……思ったより苦くないな」
「重い症状用のものはもっと苦いわよ。これはある程度飲み易さも考慮されたものだからね」
「はるか昔に里の医者で貰った薬は、なんかやたら苦くて子供心にトラウマだったんだがなぁ」
それを聞いて輝夜がクスクスと笑う。
「永琳の薬だからね。小さなイナバ達でも飲めるように色々工夫されているのよ」
この薬の場合、体に具わっている自然治癒力を高めるような効果がある。軽めの症状のものならこの位で十分。薬にあまり頼り過ぎないように、と言うのが永琳の考えだ。
「さてと、これで後はゆっくり休むだけ……っとそうね、あと一つする事があったわ」
輝夜はそう言うと、お盆を持って部屋の外へと出ていく。そして次に戻って来た時、その手には小さな桶があった。
再び枕元に腰を下ろし、桶の中に手を入れながら輝夜が言う。
「それじゃ、寝間着を脱いでね」
「……は? い、いきなり何を言い出すんだ」
「寝汗とか掻いているでしょう? だから体を拭くのよ。そのまま放っておいたら気持ち悪いでしょうし、体も冷えて良くないわ」
ニコニコと笑いながら、お湯に浸した手拭いを絞る輝夜。
「い、いや、それは流石にだな……」
「ゆっくり休むと決めたんでしょう。この際だから、とことんまで身を任せてみなさいな」
じりじりと近づいてくる。純粋な看護行為とは違った意図が含まれているように感じられるのは魔理沙の気のせいだろうか。
「ちょ、ちょっと待て! なんかお前楽しんでいるだろ」
「楽しいわよ? こう見えても結構世話好きなのよ、私も。普段だと永遠亭の主だからって誰もこう言う事させてくれないんだもの。良い機会だから思いっきりお世話させてもらうわ」
布団の上で身を逸らす魔理沙と、それに迫る輝夜。それは一進一退の攻防の末、やがて顔を真っ赤にしながら上半身をはだけさせた魔理沙が輝夜に背中を拭いてもらうという光景になる。
「なかなか気持ちが良いものでしょう、こう言うのも」
「人が風邪ひいているのを良い事に……やれやれだぜ」
火鉢の上の薬缶がシュンシュンと蒸気を吹き上げる音が部屋に漂う中、ゆったりと時間は流れていく。
優しげな手つきの輝夜にされるがまま、暖かな室温の中でスッと体の熱が奪われる感じが心地良い。
やがて、魔理沙がウトウトと頭を揺らし始める。
それを見た輝夜は、微笑ましげな顔でそっと口元を緩めると、寝間着をしっかりと着せ直し、その背に手を添える。
「さ、終わったわよ。このまま横になりなさいな。薬の所為で少し身体がポカポカしてくると思うけど、布団を蹴飛ばしたりしないようにね」
「あ、ああ……悪い。気を付ける……」
掛け布団を胸元までかけてあげると、上からポンポンと軽く叩く。
「それじゃ、おやすみなさい」
輝夜は小声でそう言うと、穏やかな寝息を立て始めた魔理沙を見ながらそっと部屋を出た。
「んーっ……」
グッと伸びをする。そのまま空を見上げると、煌々とした月が永遠亭を照らしていた。
暫し、その月に見惚れるように佇む輝夜。
今日は自分でも良く働いたと思う。心が浮き立つような充実感があった。
「さて、仕事はこれで終わりかしらね」
心地良い疲れを感じながら呟く。
今夜はよく眠れそうだと思った。
ナース服からいつもの恰好に着替え、自室に向かう途中。中庭に面した廊下に永琳の姿を見つけた。
腰を下ろし、その傍らにはお盆に乗った杯と徳利。輝夜の姿を見つけると、そっと柔らかな笑みを浮かべる。
「何をしているのかしら? こんな所で」
「星をね、見ながら飲んでいたのよ。寝る前の一杯というところかしら」
「あら、月ではないのね」
「偶にはね。星を見るのも良いものよ」
そう言うと、ゆっくりと杯を傾ける。
コクンと永琳の喉が動くのを見てから、輝夜も隣に腰を下ろした。
「今日は月も明るいけれど、星も良く輝いているわ」
輝夜にもう一つの杯を手渡し、再び空を見上げる永琳。
酒を注ぎ、スッとあおると、輝夜も同じように見上げてみた。
澄んだ空気の中、大小様々な光が煌めく頭上。月に負けぬようにと懸命に自らを輝かせている星達がひどく健気に見える。
本当は月よりもずっと強い光を放っているはずなのに――
喉の熱さに思わず吐いた息が、ため息のようになった。
「成程、これはこれで風情があるわね」
輝夜の言葉に、何も言わずニコリと微笑む永琳。
わざわざこんな場所で飲んでいたのは、きっと輝夜への礼と激励の意味を兼ねてなのだろう。
今日はありがとう。明日も一緒に頑張ろう。
いつもよりも少し酒が上等なものなのも、多分そんな理由。
フフ……と笑みを浮かべて、永琳の側に寄る。
少し、温もりが増した気がした。
寄り添う二人。
心と身体、そのどちらにも温かさを感じる。
そんな夜だった。
あ、いや、なんかほんわかさせていただきました。
輝夜がおかあさんってのもいいもんですね。
いや、妹紅がおとうさんだとかいうわけではありませんが
でもまぁこれだけは言わせてもらいますと
あとがき自重しろwww
それにしても姫様のナース姿ですか……永遠亭に入院しに行って来ます
ちょっと永遠亭にいってくr
姫様、家臣にしてください
これはもうポニテの姫様に看病して貰うしかない!
ポニテでナース姿の姫様を誰か描いてくれませんか?マジでお願いします!!!!
他のキャラとはまた違った、まさに輝夜らしいカリスマだと思います。
とても良かったです。
そしてまったくの同意である。
できれば・・・もこたんを看護する輝夜が見たかったw
描いたら何処に送ればいいの?
去年インフルで倒れたとき、紅魔館で看病される夢を見たなぁ、そういや。
あとがき自重www
こう、普段髪を下ろしてる人が急に束ねてみたりするとドキドキしますねこりゃ。
そんなものを内包しつつも、鈴仙達と食べるカレーや
幼いイナバ達との楽しげな会話にある穏やかな日常
落ち着ける話でした
最後の二人の場面がとても綺麗で好みです
姫様ばかりに注目がいってるけど、ナースな
ぽにんげもすごくいいと思うんだ