尋ねられたその問いに、私はついに答える事が出来なかった。
『貴方に、特別に好きな誰かなんているんですか?』
さとりという嫌われ者の妖怪に、なんて残酷な問いを投げかけるのだろう。
私は凍った様に動かなくなった唇の冷たさを感じながら、ただ一時、呆然と固まるしなかった。
「バレンタイン、ですか?」
「そうですそうです」
頭上にペットの空を乗せた客人。
鴉天狗の射命丸文と名乗ったその記者は、ペン先を此方に向けて楽しげに笑って見せた。
「何かいいネタありませんか? さとりさん」
「……はあ」
地霊殿に、恐れず取材に来た最初で最後の記者かもしれない彼女、文さんは、心を読む忌み嫌われた妖怪の前で「どんな話が聞けるだろう?」と期待に胸を膨らませ、人懐っこく笑っていた。
「ニー……」
膝の上の燐が、見知らぬ彼女に少し不機嫌そうに鳴くが、とりあえず、この射命丸文という天狗は、地上の懐かしき風を纏ったまま、私と対峙していた。
「……あえてもう一度聞きますが、すでにホワイトデーすら終わっている時期に、バレンタインの取材、ですか?」
「ええ!」
自信たっぷりに、まるで間違えた事はしていないとばかりの態度。
私の予想では、地底の事や私自身の能力について訊かれるとばかり思っていたので、意外すぎるその問いには拍子抜け且つ力が抜けた。
「……はあ、この祭の後という静けさが一番この手の取材に適している、ですか。どうにも納得しかねますね。素人考えですが、やはりそういう話題は祭の最中の方が新鮮な情報を掴めると思うのですが……」
「む? ええ、それはその通りなんですけどね。……成程、やはり心を読めるというのは侮れませんね。今のは本当に一瞬だけ考えただけなのに、見事です」
感心して頷く文さんは、嘴で額を突く空を適当にいなしてから、フッと何処か大人びた表情を唐突に浮かべ、出された紅茶の茶色い液体を見つめる。
その瞳は、失礼ながら少し死んだ魚みたいな目だと思った。
「……まあ、経験者の私が言いますが、バレンタイン直後とホワイトデー直後に取材したら、惚気とラブラブイチャイチャ光線のオンパレード手加減無しの一斉放火で、普通に死にかけました」
「……は?」
「この時期、カップルに近づいちゃあいけません。無防備なロンリーは心に致命傷を受けたまま寂しく不貞寝するしかないんです……!」
悲痛に満ち満ちたその声に、そんな大げさな……、と呆れてしまう。
地上から地底に伝わったばかりのそのイベントは、確か銃器を持ち出して打ち合う物騒なモノではなかった筈だ。
だが、どうやら文さんは心からそう思っているらしく、暫く嫌そうに首を左右に振ってからげんなりと落ち込んだ。
「…………」
何だか復活に時間がかかりそうだったので、燐の頭を指先で滑らせながら暫し待つ。
「……ふふ、ふふふふっ、もう、もう二度と、バレンタイン後の惨劇は繰り返さない!」
「……大げさじゃないですか?」
「ふっ、あれは体験しなきゃ分かりませんよ。ええ」
実感が篭りまくって、ついでに経験しない方が幸せだとその瞳は親切心と哀切心で溢れていた。
変な天狗を招いてしまったなと、心から思った。
「……はあ」
どう反応すべきかさっぱり答えが見つからないので、私は何度目かの気の抜けた相槌で場をしのぎながら溜息。
疲れ始めた私をよそに、燐は大げさに動く文さんに興味を持ったらしく、耳を立てて注目している。空は楽しげに、いまだ文さんの頭の上でパサパサしていた。
私以外はちょっと楽しそうだった。
―――と。
風が冷たい。
いえ、風が操れる私が言うのも何ですが、物理的なのではなくて心理的な風が、
「文、受け取って!」
「自信作だ、味わって食べろ!」
「あ、文様、頑張って作らせて頂きました! ぜ、是非食べて下さい!」
愛しの我が家に帰ってきた途端、氷と鎖とネットで捉えられて畳の上に転がされて言われた台詞だった。
わー……これ、なんて苛め?
愛情なんて一つまみも感じられねぇ……
「あたいね、大ちゃんやレティと一緒にね、チョコアイスっていうの作ったのよ!」
「特別な酒をたっぷり使ったんだ、きっとおいしいぞ!」
「文様が前においしいって言ってくれたチョコ、今度はもっとおいしく出来ましたよ!」
ずいっと、チルノさん、萃香さん、椛が顔を寄せてくる。どの顔も僅かに赤らんで、瞳が潤んでいた。
「え……?」
瞬間、悪寒が背筋を駆け上った。
「これあげるから、文、あたい文の子供が欲しい!」
「これやるから、私を押し倒せ文!」
「あの、あの、お渡ししてから襲っていいですかッ?!」
わー、文ちゃんピンチだぁ。
「って、ちょっと、文はあたいの嫁なのよー!」
「お前こそなんだよその不当な要求は! 文は私の嫁だぁ!」
「そこぉ! 文様を勝手に私物化するなぁ! 文様は小さい頃に私を文様のものにしてくれるって言ってくれたんだ! だから私のお嫁さんだぁ!」
うふふ、もう何処から突っ込めばいいんですか私?
氷と鎖とネットでがんじがらめで逃げられないし、口を開けばその途端チョコを無理矢理詰め込まれそうな予感が危険だし、何より……
「文はあたいが好きだよね!?」
「違う、文は私を好きになるんだ、私はまだ成長する!」
「わ、私だって文様好みのダイナマイトを手に入れて見せます!」
何故に私を抱き潰しながらそういう会話してますかねぇ、貴方達。
仕事から帰ってきたらきたらで、このきっつい愛情という名の嫌がらせ。
…………。
すいません、疑っちゃいますが、私本当に愛されてますか?
ぐったりした私に纏わりつく三つの体温を、私は振り払う気にもなれなくて、成されるがままに暫し身を任せるのだった。
暫くしたら、普通に意識を失って気絶できたので、来年はとにかく逃げようと決意した。
「……あ」
流れ込んで来た。彼女の心。
その、文さんが『可愛らしい少女達にもみくちゃにされている』という強い思考が、声だけでなく、くっきりとした像として、私の頭の中に勝手に映し出された。
「……まあ」
少し赤面。
彼女が愛されているという事実が、客観的にとてもよく分かり、慌てて心を読んだ事を悟らせない様に紅茶を飲んで気を落ち着かせる。
ドキドキとする鼓動と共に、勝手に読んでしまったという罪悪感。さとりだからこの現象は致し方ないといえばそうなのだが、どうにも馴れない。
文さんだって、大事? な思い出を私が勝手に見てしまった事を知ったら、いい顔はしないだろうから。
そう、さとり妖怪の嫌悪とされるその気味悪さを、身を持って体験したと認識してしまうから……
「さとりさん?」
「えッ」
「どうかしましたか、顔色が悪いみたいですが」
「いえ、何でもないです。それより、取材はいいんですか?」
上手くも無い誤魔化しをして、私はドキリとして震えた指先を隠す様に握る。
それに気づいたのは燐だけで、そして彼女は何も言わずに「さとり様、どうしたのかな?」と心配そうに見上げるだけだった。
「っと、いけない。そういえば全然取材が進んでいませんね。これは失敬」
文さんは頬をペン先で掻いてから愛嬌たっぷりにウインク。
「それでは、さとりさんはバレンタインとホワイトデーをどんなに甘く繰り広げたのかを改めてお聞かせ下さいな♪」
先程の、少女達にもみくちゃにされてた情けない顔はどこにもない、好奇心を溢れさせた記者の顔。
私はその切り替えの早さに唖然として、ちょっと虚をつかれた。
「……は、はあ」
元気な天狗だと、そう思った。
「さあさあ、聞かせて下さいさとりさん!」
「…………」
一体何を期待をしているのか、文さんはぐっと拳を握り締めてどんな打撃にも耐え切って見せるとばかりの熱い炎が渦巻いている。
むしろ、そこまで期待されてしまうと逆に申し訳なくなるというものだ。私は貴方の今まで取材した誰よりも、つまらないバレンタインを過ごした者なのだから。
だから、私は彼女が期待する様な甘い経験はしていないと、むしろきっぱりと伝える。
「あの日は、妹の部屋のテーブルの上に手作りのチョコを置きましたよ」
「ほう?」
「妹が家にいるのは滅多にないので、直接は渡していません」
「ふむ」
ジッと話の続きを聞く体勢の文さん。
実は終わっていたりする話。仕方なく、私は蛇足のつもりでその後の事を話す。
「後は、人型になれる燐と空にチョコを渡して、それでお終いです。絶対に元の姿でチョコを食べてはいけませんと注意したぐらいでその他に特別な事は何もありません」
しゃべりながらその時の事を思い出すと、今更ながらやはり悔やまれると、密かに溜息を押し殺す。
いくら人型になれるといっても、やはり動物にチョコは毒。
しかし、どうしても欲しいと朝から晩までねだられ、ニャーニャーと足元に一生懸命綺麗な毛並みが崩れるほどに求められ、自室のドアにコツコツと嘴で必死に叩き続けひたむきさにほだされ、結局あげてしまった。
飼い主としては最低の部類だろうと、チョコをあげたあの瞬間は落ち込んだものだ。
「…………って、え? 続きは?」
「だから終わりです」
「えぇ?! 本当にそれだけ?!」
「そうです。 嘘でしょう?! まさか、そんな事があるわけない! きっとさとりさんは私にまだ隠している事実がある筈だ! と疑われても、本当にありません」
「そ、そんな……!?」
まさかの予想外、とばかりのその驚愕な顔に、本当にどんな期待をしていたのかと、受信する声に耳を傾けてすぐに後悔した。
何で私ハーレム作ってるんですか?
この天狗の頭は少し桃色すぎると、閻魔様みたいに説教をしたくなった。
「そ、そんな、それじゃあ、ホワイトデーは?!」
「…………こいしにマシュマロを貰いました。燐からは手料理、空からは温泉卵。こいしもその日はずっと家にいて、夕食を皆で一緒に食べました。他のペット達もその日の夕食は少し豪勢にして、少しだけ夜更かしを許してカードゲームをしたりして過ごしましたよ」
とても楽しい一日だったと、思い出すだけで胸が温かくなる。
燐と空も私の顔を見て、「楽しかった」「さとり様と一杯遊べた」と嬉しそうに答えてくれる。
「……わあ、それはほのぼのですねぇ、想像しただけで心が洗われて光り輝きそうなぐらい微笑ましいですよ。―――が、しかし、私が求めているのはそんなアットホームな幸せ家族の団欒では無いのですよっ!」
何が気に入らないのか、微笑みあう私達に怖い顔をすると、ていっと頭の上に乗ったままの空を掴み、むぎゅっと私に押し付ける。
驚いて何をするんだと軽く睨めば、彼女は酷く難しい顔をして私の顔をじいっと見つめていて、おかしな感じに見詰め合う形になった。
「何故?」とか「まさか」とか「……これは問題です」と断片的に浮かび上がる心の声はあまりにバラバラで、どうにも要領を得ない。ついでに関係ないが押し付けられた空が「さとり様と接触?! うわどうしよう勿体無くて今日はお風呂に入れない!」とか「お、お空、この野郎さとり様の何て所に顔をうずめてるんだ馬鹿! 羨ましい!」とか言う声が邪魔する。
「さとりさん、ぶしつけですが……」
「何でしょう?」
間近の声がうるさいというか騒がしすぎて、彼女の声は遠い。だがその瞳の不思議な揺らぎに、私は少し違和感を覚えた。続けて彼女の声が届く。
「さとりさんって、実は変態ですか?!」
『さとりさん。まさか変態?!』
―――殴った。
発する声の両方が不愉快過ぎて手が出た。
不思議なくらい静かな心のまま、回転まで加えて文さんの形の良い顎に小さな拳をめり込ませた。
「さとり様ッ?!」
「うにゅっ?! ど、どうしたの?!」
「いえ、いいのですよ二人とも。これは仕方ない事なのです。……あと、いきなり人型にならないで、重いですから。潰れてますから」
それで、どういう意味だと二人を押しのけてから、顎をおさえて蹲る天狗を見据える。
流石にこうも面と向かって変態とか言われた事は無い。それも同時に。
「変態って失礼ですね?」
「だ、だって、さとりさんってば魅力的な人妖に囲まれていながら淡白すぎるんですよ! もしかしたら自分大好きナルシストさんだと思うでしょう?!」
どうやらこの天狗にとっての変態は、自分で自分を愛するやからの事らしい。自分が嫌いではないが好きにもなれない、というのがこの天狗の深層心理に刻まれているのが見えて、何かトラウマでもあるのだろうかと無意識に見かけて、慌てて目を逸らす。
危ない。……いくらなんでも、それはするべきではない。
「ほらほら、お空さんだってお燐さんだってすっごく可愛いでしょう?! 愛でたくなるでしょう?! うっかり愛し合ったりしませんか?!」
「失礼ですね。ブラッシングは勿論、声をかける事もかかしません」
「だからそんなペットな扱いじゃなくてですねぇ?!」
天狗の言いたい事は分かる。
心の声がガンガンとうるさく訴えてくるから嫌でも理解する。
だけど、私はそれに答えることは無くそ知らぬ顔で誤魔化す。
愛し合うだなんて、全く、さとり妖怪に向って何を言っているのかと、地上ではすでにさとり妖怪についての伝承は消えているのかと、軽く不安にすらなる。
「文さん。わたしはさとりですよ」
「……存じていますよ」
むっすりと、不満顔で私の顔を見据える文さん。
燐も空も、口出す事無く私の後方に下がって大人しくしている。その心が何故か寂しげに震えているのが気にかかるが、今は目の前の文さんに集中するべきだ。
「貴方が期待するお答えは出来ませんよ。私はさとり。それだけで充分な回答でしょう」
「それこそふざけないで下さいさとりさん。さとりさとりって、そりゃあ、私も聞きかじった程度ですが、貴方がどういう境遇で今、ここの管理人をしているのかは知っています」
「なら、もう理解しているはずです」
文さんから感じる、「馬鹿でしょう貴方?」やら「いい加減にして欲しい」や「本気で言ってるのか?」という強い思考が、流れ込んでくる。
本当に、彼女は何が納得できないのか、心を読まない努力をする私にはあまりに分かりづらい。暫く無言で睨み合うと、文さんはとうとう大きな溜息をついて目を逸らした。
「………これ以上は、何を言ってもしょうがない様ですね」
「ええ、その通りですよ」
最初の和やかさが打って変わり、居心地悪く悪化しているこの現状。
……ほら、だからさとりに関わらない方がいいんですよ。
文さんにそう伝える様に微笑むと、文さんは心静かにただこちらを見返すだけだった。
「……分かりました。さとりさん」
「はい?」
「地上に行って下さい」
「――はい?」
スッと立ち上がり、文さんは紅茶を一息に飲み干す。
そのまま、カップをこちらに押し付け、その躊躇ない動きに慌てて、落としそうなカップを受け取ると、その隙に彼女はその顔を、私の耳朶に触れそうなぐらいに寄せて、
「今の幻想郷を、あまり甘く見ないで下さい」
「……え?」
一言。
そのまま先程の邂逅が嘘だったかのように離れると、振り向き様に燐と空の間を堂々とすり抜けていった。あの二人が、文さんの動きについていけず、いつの間に?! と驚愕の表情で目を見張っていた。
そう、腹が立つぐらいに、不敵な文さんの表情を。
「ねえ、さとりさん」
にこりと、その表情のまま、彼女は歯を見せ笑う。
「貴方に、特別に好きな誰かなんているんですか?」
いないんでしょう?
「―――な」
「それじゃあ、失礼しました」
文さんはそう言って「だから、地上に行け」と命令口調で、第三の目を痛いぐらいに刺激した。
その時の私は、その背中を、ただ呆然と見つめるしか出来なかった。
不快だった。
イライラと爪を噛んだ。
……悔しかった。
表面上は何でもないように装っているが、こんなに苦しいのは久しぶりだった。
地霊殿に篭るようになって、事あるごとにすれ違うようになったこいし以外に感じる、どうしようもない、どうしようも出来ない、苦々しい負の感情。
「……なんで、私は、どうして」
ぶつぶつと、あの不愉快な笑顔が焼きついて消えない。
射命丸文の最後の笑顔。あんな台詞を投げつけて、「地上に行け」と。
「………ッ」
頬がぴくりと心の痛みに反応した。あの後も、天狗は、「バレンタインの事を聞くのが手っ取り早い」だの「何なら遊びに来てもいいんですよ?」だの、極め付けに嫌味たっぷりにそう言った。
一番最悪なのは「今日は許しますけど、明日には絶対に行って下さいね」という強制。
イライラする。
自身の愛想の無い顔が更に愛想無く、可愛げのない無表情から仏頂面に変わっていく。
私だと知られたくなくて、赤いフード付きのコートを着て歩く。
燐がわざわざ探してくれた。空がどうせならと、不器用ながら着せてくれた。
付いて来ないでと厳しく言ったから大丈夫だと思うが、しかし、地上の入り口までは無理矢理に付き添われた。
「……眩しい」
久しぶりの太陽は、あまりに忘れていたからこそ強く、眩しく、だからこそ疎ましくて暖かかった。
……私は、こんな所で何をしているのだろう。
ふと、今更そんな事を考えた。
「いえ、私は本当に何してるんでしょうか」
暫くして落ち着きを取り戻すと、何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
我に返ったとも言う。
昨夜の天狗の言動からいままで、私の頭には血が昇りっぱなしだったのだが、この人一人がようやく通れる小道と、それを挟む森林の豊かな光景と涼しげな音が、私の血を少しずつ穏やかに巡らせてくれていた。
「………本当に、私は、何を」
抗い、づらかったのは認める。あの鴉天狗は、実は相当の実力者なのではないだろうか?
元々がか弱く、ただの人間にすら殺されかねないさとりにとっては、強力な妖怪というのは畏怖の対象だ。しかも自分の能力を全く恐れずに、命令してくるなんて……
「……恐怖で、私はこんな事をしている、とか」
硬い地面を歩きながら、うっすら汗ばんだ額にハンカチを当ててぶつぶつと呟く。
分からない。
分からないから、進んでいる。
自分で自分の心が、他者のそれより分からないなんて……
「なんて、道化……」
苛立たしくて、奥歯を噛む。
大体、私は人見知りなのだ。
それを、いきなり年月だけが経った見知らぬ地上を歩き、そこで見知らぬ人間、または妖怪に襲われたらどうするつもりなのだろうと、今更自分の浅はかさを認識してしまう。
「……あぁ、もう!」
考えれば考えるほど、私は馬鹿な事をしている。
何で一度会っただけの鴉天狗の命令を、昨日の今日で本当に実行して、尚且つ太陽の眩しさに苛立たなくてはいけないのか。
「……次にあったら、今度はもっと体重をこめて、殴ってやります」
硬く決意して、とにかく殴る為に私は足を無理矢理に動かす。
幻想郷の空は、久しぶりの空は本当に青くて瑞々しくて、本当なら飛んでいきたいという欲求が湧き上がるが、残念ながらそれは目立つ。地上に生きる者はすべからく、私がここにいると知りたくもないだろうし、知らせたくも無い。
とにかく、さっさと射命丸文を見つけて殴って帰ろう。
「――――あれえ?」
そんな時だった、もくもくと足を進めていた目の前の石粒だらけの道に、ふわりと黒い影が出来たのは。
そして次に響いた声。間違いなく、私は誰かに見つかった……!
「ッ」
ギクリとして、身を強張らせた。
「ねえ、こんな所で何してるの?」
見知らぬ声だった。
慌てて身なりを確認すると、私はフードを目深に被っているし、第三の目はコートに隠れている。ぱっとみ、私がさとり妖怪だなんて分からないだろうし、むしろ妖怪にすら見えない筈だ。降りてきた誰かは、「こんな辺鄙な所を歩いているなんて迷子かな?」と此方を心配しているのが窺えるのだが、安心は出来ない。
ごくりと、緊張で唾を飲んだ。
「ねえ、もしかして迷子なの? それなら里まで案内しようか?」
「――――え?」
それは、思いがけない言葉。
思わず顔をあげてしまう。
「ここから里まで遠いよ?」
そこには、無邪気に笑う子供の妖怪。
闇色のマントを靡かせて、此方を案ずる心を隠す事無く手を差し伸べている。実際、目の前の妖怪が此方を案ずる心は本物だった。
てっきり、下級妖怪が縄張りを荒らされたと息巻いて、こちらに攻撃してくるのではと考えていた私には、驚きのあまり声が出ない。
「? どうしたの」
「――ッ、……い、いえ。……あの、貴方は?」
「私? 私はリグル・ナイトバグ。蛍の妖怪なんだけど、君は?」
「…………」
どうしよう、いい子みたいだ。
本当なら、人間にしか見えない私はその場で襲われ、食べられていても不思議ではないのに。八雲紫が人間は無闇に襲わない様にと取り決めた事は聞いていたが、まさかこうまで忠実に、しかも友好的に接してくる妖怪がいるなんて、想像すらできなかった。
「……」
「あのさ、私これでも人間一人ぐらい運べるから、飛んで連れて行ってあげようか? あ、勿論途中で落とすとか意地悪しないから、安心していいよ」
「……ぇ、と」
「あ、もしかして妖怪は怖い? えと、それなら里から慧音を呼んで来ようか? ……ぁ、でもここら辺最近知能の低いノラ妖怪がでるし……うーん」
私の混乱は、どんどん膨らみ爆発しそうなぐらいに成長していた。
確かに、今の地上が昔と違い平和だというのは話で聞いていた。だが、まさか妖怪がわざわざ見た目人間の私に手を差し伸べてくれる程だなどと、どうして、
「わ、私を、食べないんですか?」
恐れでも好奇心でもなく、純粋な疑問のまま、私は聞いてしまっていた。
しまったと思った時には、リグルという妖怪はきょとんとして、それから何故か納得した様に「成程」と頷いた。
「そっか、それを怖がってたんだね。大丈夫。私は蛍の妖怪だって言ったでしょう? 私は綺麗な水さえあれば生きられるんだ。まあ、蛍は肉食でもあるし、食べようと思えば食べられるけど、私は水の方が好きだよ」
だから、少しだけ信用してくれると嬉しいなぁ、なんて、コートに隠された第三の目を苦笑気味に刺激する。
な、なに、これ?
カルチャーショックというか、予想もしていなかったこの扱いに、ガンガンと頭痛がしてきた。
「何で……」
「いや、ごめん。そんなに怖がらないでくれると、嬉しいんだけど……」
おろおろして、困ったなぁと人の良い顔でどうしようとキョロキョロする姿が、ジリジリと私に、焦りを生ませる。
駄目だ。
ここで、私がさとりと知られたら、絶対に駄目だと、過去の経験が金きり音な警鐘を鳴らす。
親切にしてくれる人が、妖怪が、突然敵に回るその痛み。さとりだと知られれば、その痛みをまた味わう事になる。
何が何でも、隠し切らなくてはいけない。
じわりと、嫌な汗が背中を濡らした。
「あ、もしかして誰か探して此処にいるとか? それともあの、それなら私蟲を使って探してあげられるよ?」
「……」
とにかく、まずはこの子から離れるべきだ。正体が分かり、嫌悪され、それが憎悪に変わり、攻撃されれば、元々がひ弱なさとりは此処で朽ち果てかねない。
カラカラと干上がってきた喉を無視して、必死に考える。
本来、地霊殿でペット達を相手に優雅にしているだけとは違い、今の私は完全な余所者だ。しかも、私は小心者で打たれ弱い。殺されるかもしれない恐怖と不安は、耐え切れない焦燥感を生んで、足が震える。呼吸すら苦しい。
どうする……?
「……私は」
とにかく、現状を打破しようと、小さすぎない様に意識して、声を発する。
「実は、射命丸文さんを、探しているんです」
「え?」
きょとんと、どうやら知り合いだったらしく、蛍の妖怪は目を丸くした。
リグル、さんは、暫し私をしげしげと見つめた後、ポンッと何の気なしに肩を掴んできた。小さくビクリと反応したが、リグルさんは何処か真剣な顔で此方を見つめている。
「あの、君は文さんに用があるの?」
「え、ええ。遊びに来ればと、誘われて……バレンタインの」
取材の時に、とまで言おうとした所で、情けない事に声が途切れてしまう。
やっぱり、燐と空に一緒についていて貰えればよかったと今更後悔する。そうすればどれだけ心強かっただろう?
でも、見知らぬ土地で、見知らぬ誰かとの会話に恐怖する姿なんて、彼女達に知られるわけにはいかない。
これは、小さな意地だった。
震える指先で自身の身体を抱くと、肩に置かれたリグルさんの手がそっとどかされた。
「……そっか」
そのまま、そっと抱擁された。
……って、え?
「……文さん。また、別な子に手を出したんだぁ」
はい?
リグルさんの心が、ゆっくりと怒りに染まっていく。
むっつりとした顔で、「チルノの恋人なのに、文さんってば萃香さんや椛さん、そしてこんなか弱そうな女の子にまで……!」なんて、怒っている。ただその怒りはもっぱら文さんにだけ向けられて、私はむしろ被害者みたいな、『かどわかされた気の毒な女の子』扱いで、ぽかんと目を丸くしてしまう。
「うん、分かった。それじゃあ文さんを探しに行こう!」
「え、あの」
「ゴメン。問答無用で行くから、暴れないでね」
本当に問答無用だった。ぎゅうっとそのまま抱きしめられて、ぐいっと引き寄せられる。
「―――――――ッ」
そのまま上空にまっすぐに飛んでいくと、リグルさんは目を鋭くして当たりを観察している。どうやら、文さんは幻想郷中を飛びまわり、その速さから見つけたらすぐに回り込まなくては捕まえるのが大変だそうだ。
だけど、ちょっと待って。
急に抱き寄せられて、頭が軽いパニックに襲われている。地面が足から離れ、他人の力で宙に浮いている今の状態は、とてもじゃないが冷静ではいられない。
「ま、待って、いえ、バレンタインがッ」
「はい?」
何を言っているんだ私は?
空を飛びつつ叫ぶ台詞がバレンタインって……
頭の中で、文さんの「バレンタインについて聞いてみれば」なんて言葉が蘇り、私はつい、それを口走ってしまった。
私の馬鹿! と、何度罵倒してもし足りなかった。
「はい? え? バレンタイン?」
きょとんとしたリグルさんは、そのまま私の顔を見返す。文さんの怒りが一時的に消えたリグルさんの心が、ふとバレンタインという単語で、一瞬だけ思い出を蘇えらせ、そして私にはその一瞬で全てが事足りていて―――――
「幽香は、チョコレートとか欲しかった?」
まだ春でもない今の季節に、夏の花を咲かす小さなお花畑。その甘い香りが心地良い空間を二人締めしながら、私は彼女の柔らかな太腿を枕に、愛しい顔を見上げていた。
そんな私に、見上げて見惚れていた彼女、幽香はクスリと微笑むと、くるくると日傘を回して遊ばせる。
「どうしてそう思うの?」
「……ん、……何となく?」
「あら、私の王様は嘘が下手ね」
小馬鹿にする口調とは裏腹に、酷く優しい眼差し。
その細められた美しい瞳には、いつも落ち着かなくて胸がくすぐったくなる。少しだけもぞもぞと頭を動かして、私はそれを誤魔化した。
「……ちぇ、分かってて聞いてるよね、幽香は」
「勿論よ。だからね、無理をする事はないのよリグル」
いじける私の頬を、すべすべの指先がそっと掠めて、そのまま髪を撫で付ける。
「貴方はまだまだ未熟な存在。小さく弱く、どうしようもないぐらいに頼りない。ただの雑魚。蟲の中の蟲にして王様なだけの、虫けらでしかないわ」
「…………」
髪をかきあげ、露になった額に、柔らかな唇を触れさせる。
花の香りが鼻腔をくすぐり、幽香の匂いだと目を細めた。
「そう。そんな貴方が、チョコを作れるとは思わない。大丈夫よリグル。もし作れたとしても、それは残飯の様な味にしかなりようがないのだから、無理をする必要は無いわ」
「…………………」
もし作っても、まずいだろうから捨てるわ。とその後もハッキリと言う幽香。
彼女は相変わらず、私の心をグサグサと遠慮なく、辛辣に突き刺しながら微笑む。
「……ねえ幽香。一応聞くけど、君は私を慰めてるんだよね?」
「当たり前でしょう。馬鹿な事を聞くのね?」
クスリと魅力的に微笑む彼女に、そりゃあ傍目には傷口に劇薬を塗り篭められている様にしか感じないから、とは利口にも言わず、私は口を噤んだ。
それをいじけていると勘違いしたのか、幽香はよしよしと髪をくしゃくしゃに撫でてから、きゅっと、私の頬を抓む。そのまま遠慮する事無く、むにゅーっと伸ばした。
……痛かった。
「大体ねリグル。綺麗な水が好きだという貴方に、チョコレートは濃すぎるわ。もう少し成長して、何でも食べられる様になるまで我慢なさい」
「……そりゃあ、そうなんだけど」
分かっている。だけど、それでもやるせないのだ。
こんな素敵な日に、渡したい相手が決まっている筈のチョコを渡せないジレンマ。
切なくて空しくて、思わず空を切る様に両手を伸ばすと、彼女は笑いながら、そっとその指先に口付けてくれた。
「リグル。貴方は我侭ね」
「……だって、幽香の事だから、諦めきれないんだよ」
「そう、それなら、私が諦めてあげるわ」
優しい声音。だけど落ち着かなくて私は起き上がり、窺うように彼女を見上げる。
幽香はやっぱり綺麗で、空にある太陽よりよほど眩しく、私はクラクラと彼女で熱射病になりそうだった。いや、すでになっているのかもしれない。
「ねえ、リグル」
「…うん」
「貴方は、私にだけ貪欲で、馬鹿よね」
こつんと、額と額をくっつけて。
「でもね。だからこそ、光栄にも貴方は私の王様で、私のチョコになれるのよ」
意地悪なのに優しい、不思議な声色だった。
本当、叶わない。
「幽香…」
一瞬で、落ち込んでいた気持ちが晴れあがっていくのを感じる。嬉しくて頬が緩んでしまう。
彼女は私が傍にいれば、チョコを貰ったも同然だと、そう言ってくれた。本当にそれは光栄すぎる事で、顔がふやけてしまいそう。
「えへへ、それなら、嬉しいなぁ」
片手を、幽香の頬にそっと触れさせた。
我慢できずに触れた愛しい人の感触は、暖かくて柔らかくて、幸福で身体が埋め尽くされる。
私は彼女のチョコになれた事が、本当に嬉しかった。
「ねえ幽香。私は、君の王様で、チョコでいたい」
「そう。なら私は貴方のお姫様でいてあげるわ」
変わらぬ関係を誓ってくれた。
耐え切れなくて、頬に触れさせた手をゆっくりと引き寄せ、呼吸が止まりそうになる位にゆっくりと、私は今日、最初の口付けを彼女に捧げた。
「……ん」
幸せだと、怖いぐらいに思う。
こんな日にチョコもあげられない、愚かな王を許してくれる、優しいお姫様。
そんな愛しい姫君に、伝えられるだけの愛を篭めたい。
「幽香、君の事が大好きだよ」
「知っているわ」
幽香は、やっぱり意地悪そうに、だけど綺麗に彼女らしく微笑んで、柔らかく抱きしめてくれた。
「ほら、目を閉じなさい、私の王様」
本日二度目の口付けは、
最初よりずっと深くて、甘かった。
「――――きゃあっ?!」
「えっ?! ど、どうしたの急に」
見えた。
とっても見てはいけないモノを見てしまった。
「み、見ていません」
「何を?」
「ふ、不可抗力なんです」
首を振って、先程の映像を掻き消そうと努力する。
なんてこと、これは脳の血管が切れそうなぐらいに恥ずかしかった。顔には血が昇り、口付けた二人の映像が頭から離れない。
「ぅぅ、うぅぅ!」
必死に自身の身体を抱いて、熱しそうな身体を押し込める。嫌だ、見てしまった。さとりと知られたら、見てしまった光景がばれでもしたら……!
私なら、二人だけの思い出に土足で踏み込んだ無粋者を許すとは思えない。
もしかしたら、悪ければ私は殺されてしまうかもしれない……!
その突飛な発想は、もっぱら被害妄想だと心の隅が小さく訴えても、顔面に昇る血の熱さに、そんなものは消えてしまう。
「ちょッ?! 落ち着いてお願いだからぁ」
「は、離して下さい」
暴れる。
だって、もう逃げるしか出来ない。あんな光景を見て冷静な判断が出来るほど、私は悟りきっていない。
そんな私を、リグルさんは焦燥感と共に必死に掴み、守ろうとするが、その手が際どい所に触れたりして「うわぁ?! ゴメン幽香! でも不可抗力だから!」とか焦り、離し、私が落ちかけてガシッと抱きつき、「うわぁん。本当にごめんなさい幽香ぁ! 浮気じゃないんです、私は幽香だけなんです!」とマジ泣き一歩前の顔で頑張って飛んでいた。
「―――――っ」
勿論心の中での叫びだが、聞こえる私はもうごめんなさいしか言えず、離してとばかりに暴れるしか出来ない。
自分で飛べる事すら忘れて墜落しかねなかったが、それでも構わなかった。
今の私は、恥ずかしさに消えてしまいたかった。
「おち、落ち着いてよぉ」
「――――――!」
もう、私を地面に叩きつけて欲しい。そう願い暴れる私達は、当たり前だが目立つ。
「あら」
そして、その一方が顔見知りなら、どうしたのかと声をかけるのも当たり前で、だから。
「貴方達、こんな場所で何を騒いでいるのよ」
増えてしまった。
「あ、咲夜さん」
「リグル? それと、だれ、この暗そうな子」
「いや、私も知らないんだけど、文さんに用があるみたいで」
がっしりと、その咲夜という人間? は私を難無く拘束し、そのまま捕らえてしまった。
「あの天狗に用事? ……あの天狗、また幼女に手を出したのかしら?」
って誰が幼女ですか誰が?
今、この人言ってはいけないことを言った。棒っ切れの様な細く肉のつかない身体を密かに疎んでいる私に、幼女とか酷い事を平然と本音で言った。
わ、私そんなに幼くないです。今はちょっと身体が強張って小さくなっているだけです!
リグルさんよりちゃんと背も高いです!
思考が怒りと収まらない混乱により、全然別の方向に行っている間に、リグルさんと咲夜さんは状況説明。
「という訳で、一人寂しげに歩いているのを見つけて声をかけたんだけど、その後バレンタインがーって、呟いた途端暴れだして」
「バレンタイン?」
「うん、何か嫌な事でも合ったのかなぁ」
「……ふぅん」
――――あっ。
此方を見つめる咲夜さんの瞳が、一瞬だけ赤く染まる。そう、彼女はその単語に、思い出を一瞬だけでも蘇えらせてしまい、咲夜という人の、心が―――――
そう、ただ渡すだけでいいのよ。
「簡単じゃないの」
コツコツと、靴音を鳴らしながら、私は歩く。
お嬢様にも、妹様にも、パチュリー様にも、小悪魔にも、その他妖精メイドにも、バレンタインチョコを渡せた。
そう、私はメイド。瀟洒なメイド。
だから、門番前で昼寝しているだろう美鈴にナイフを突き立てて、そのまま、チョコをを「えい」って渡すだけでいいのよ。
緊張なんてしていないわ、心臓がお嬢様に渡す直前以上にうるさくなっているけれど、大丈夫。私にはお嬢様がついている。
こほん、と咳払いをして。
「……め、め、美鈴、あげ、あげるわ」
練習してみた。
その声は滑稽なぐらいに震えて、慌てて首を振り深呼吸。落ち着け、落ち着かなくては。
そうよ、もっと強きに、美鈴が断れないぐらいに、むしろ私の瀟洒っぷりに見惚れるぐらいに完璧に渡してしまえば言いのよ。
例えば、
「ふん。美鈴、これをあげるわ。あ、勿論義理だけどね。だけどあんまり昼寝している様だとあげられるものも無くなるわよ」
そうそう、こんな感じ。
いや、でもこれではあまりに可愛げというモノがなくないか?
……うーん。何より、そんな台詞を堂々と言われては、人の良い美鈴は苦笑しながら、困った顔できっと、
「……あ、あはは、ありがとうございます。えーと、その、すいません」
なんて、
謝られて気まずい思いをして、告白するどころじゃないし、何よりまず『義理』とか言ったら照れ隠しにしても言い過ぎだし露骨に嘘だし。勿論本命で…………………って。
「え?」
考え込んで自然俯いていた顔を上げると、そこには、大好きな人。
ついでに場所は、門番前だった。
「………………え?」
時を止めた覚えは無い。
どうやら、瀟洒を目指す私は思考しながらもしっかりと足を動かし、目的地まで辿り着いていたらしい。
「め、いりん」
「いやぁ、……ははは」
覆水盆に返らず。
美鈴を前に堂々と失敗をしてしまった私は、それを取り繕う事もできずに、その場に固まってしまう。
というか、
しょんぼりしてる。しょんぼりしてる!
いじいじと、私の手の中の気合入れてラッピングしたチョコを見つめて、うっかりお昼寝しちゃったから貰えないんだろうなぁって顔で寂しそうな目してる!
「―――――――」
ど、どうしよう。た、助けてお嬢様!
くるっと反射的に泣きそうな顔を押し殺して振り返ると、紅魔館の数少ない窓の奥にお嬢様の姿が力強く存在していた。
見守ってくれていたらしい私のお嬢様は、そのまま優しく微笑むと、アイコンタクトで。
『咲夜、失敗は成功の母よ。この失敗を生かしきり、美鈴に見事チョコを渡してみせなさい』
『お、お嬢様。でも、この失敗は致命的です……! 私は、私は、美鈴に素直にチョコを渡す事すらできない愚か者です』
『しっかりしなさい咲夜! そんな事で瀟洒を名乗れると思っているの?! 気をしっかりと持ち、今貴方にできる全てを篭めて、美鈴へとチョコを渡すのよ!』
『ッ、は、はい! お嬢様!』
アイコンタクト終了。時間にして一秒も無い。
私はクルリと美鈴に向き直ると、いまだ私のチョコから目を離せない美鈴の姿にキュンとしつつ、震える唇を開く。
「め、美鈴」
「ぁ、はい」
「これ、こ、ここ、これはあげるわ!」
ぐいっと押し付ける。
これが、今の私の精一杯。
最初でしくじってしまったが、だが、お嬢様が見守っている。このまま落ち着いて、じっくりと逆転を狙おうと、私は真っ赤な顔で美鈴を見上げた。
だが、
「ごめんなさい……」
美鈴は、寂しそうな瞳のまま、表情だけは笑って、受け取れないとそっと拒絶の手を出した。
「―――え?」
ツキン、と胸が、ナイフで刺されたかの様な痛みを走らせたが、勿論美鈴が気づくわけが無い。
彼女はただただ、残念そうに俯いて、笑っている。
「……私、お昼寝しちゃいました」
「……ッ」
「それに、その……」
捨てられた子犬みたいに寂しそうな顔で、それでも笑う。
「紅魔館で、私だけが咲夜さんから、チョコ、貰ってないみたいだから、その、渡したくないなら、無理しなくていいんですよ?」
「ッ、な」
「最近、些細な事で小言を言い過ぎましたしね」
な、何で?!
どうしてそう思うの?!
違う!
ぐちゃぐちゃと頭の中で嫌な感情が混ぜ合い、思わず握っていたチョコが握力で歪む。
それは、とんでもない誤解。
私はただ、美鈴へチョコを渡すのが恥ずかしくて、本当は朝一で渡したかったのに、でも出来なくて、どんどん時間だけが過ぎていって、そうしたら、美鈴にだけ渡せなかったという図式になっていたに過ぎない。
なのに、
小言なんて、言ってくれる方が嬉しいのに、そんな事で嫌いになると、思っているの?
「い、らないの? チョコ」
「はい、貰えない、です」
美鈴はへらりと下手くそに笑って見せて、そろそろ仕事に戻らないと駄目ですよぉなんて、ふざけた台詞をのうのうとほざく。
「――――」
怒りと、失望に、焦げ付きそうだ。
ううん、分かっている。
これは私が巻いた種だと、私が原因の、私が失敗して起こした事態だと、理解している。
だけど、それでも、
「……馬鹿ぁ」
酷いじゃない……!
分かっているわよ。私が悪いって、でも、私だって、凄く頑張ったんだから……!
せめて、受け取ってくれてもいいじゃないのよ……!
泣きそうになって、悔しくて、この場でビリビリと包装を破いた。
「え? 咲夜さん?」
一番気合を篭めて作った、美鈴の好きな生チョコ。それをおもむろに取り出すと、その場で口に含んであまり噛まずに飲み込んだ。
「え、ええ?」
「―――うるさいッ!」
叫んで、チョコを、美鈴のためのチョコを、飲み干した。
苦しいぐらいに、美味しくできていた。
美鈴の顔はぽかんと、仏頂面でチョコをまずそうに食べる私を見つめて固まっている。
そんな美鈴の前で、飢えた餓鬼みたいにバクバクとチョコを食べ終えると、そのまま私はふんっと鼻で笑った。
「美味しいじゃないのよ。流石は私ね」
出てきた台詞は、馬鹿みたいに誰に向けたか分からない、皮肉めいた失笑。
「………は?」
「こんな美味しいものを受け取らないなんて、貴方は馬鹿ね」
「………え?」
美味しかった。
悔しいぐらいに、上手くできていた。
呆然としている美鈴にふんっと背中を見せて、手の中の空箱を無理矢理に持たせる。
「せめてこれぐらいはあげるわ」
「ええ?!」
「それじゃ」
スタスタと、いまだ呆然とした美鈴を残して歩く。
最後に仕事しろと意味を篭めて鋭く一瞥すると、美鈴はびくうっと震えて、慌てて門番の仕事に戻っていった。
手には、中身の無い空箱を大切そうに持ったまま。
まるで、たかがゴミでも、貰えただけで嬉しいと言わんげの、幸せを含む笑顔のままで。
「……………」
私は瀟洒。
「………………………」
私は瀟洒なメイド。
だから、失敗なんて不遇の事態にだって、上手に自然にクールに片付けられる。
「…………馬鹿」
鈍感で、真面目で、変な所で頑固な美鈴に向けて、呟いた。
だけど、最大級の馬鹿は、私だった。
スタスタと靴音を意味無く響かせながら歩き、館の扉を開く。紅魔館らしい紅い玄関の先には、お嬢様が腕を組んで立っていた。
「…………ふん」
お嬢様は、無表情に佇む私の顔を見つめると、ゆっくりと背を向けて、
「大丈夫よ咲夜。来年は、きっと渡せるわ」
平坦な声で、お嬢様はそう言った。
そう言ってくれた。
「―――――――――」
だから私は、ようやく、
「――っ、ぅ、ふえ」
ようやく泣ける。
お嬢様の背中を見ながら、時を止めるのも忘れて、嗚咽を漏らしてボロボロとみっともなく泣いた。
失敗だった。
だからこそ、私は瀟洒ではなかった。
「……ぅ、ぅあ、お嬢、様ぁ」
それでも、それでも私は美鈴が好きだ。
私の気持ちに気づかない、あの妖怪が好きだ。共に時を過ごせないかもしれないけど、あの大きな手で頭を撫でてくれた感触を、私は忘れない。
愛して、いるのに……!
お嬢様の小さな背中に、服が皺になるぐらい必死にしがみ付いて、声を押し殺して、私は泣いた。
ボロボロと泣く私に何も言わずに背中を貸しながら、お嬢様は小さく、とても小さく呟いた。
「……本当、もどかしいわね」
優しき吸血鬼の主は、それからいつまでも、馬鹿な人間の涙を受け止め続けてくれた。
だから、愚かな人間は、頑張ろうと、そう思えた。
「――――――――ッ!」
「あら、どうしたの貴方? 急に震えて、大丈夫?」
目の前の彼女の涼しげな美貌が、映像の中の泣き顔と重なって、
自然、瞳に涙が浮かび上がる。
嫌だ、読みたくない。
すでに何百年前に感じた、意味の無い抵抗と心からの叫び。
だが、この第三の目が存在する限り、それは出来ない。
嫌な、本当に嫌な圧迫感を感じてのけぞる。
気持ち悪い。
初対面の人間の傷を、まだ瘡蓋すらできていない、真新しい傷口を近距離から見てしまった。
心配してくれる目の前の人間の、見られたくない記憶を見てしまった。
吐き気がこみ上げて、身が僅かに震える。
「?」
そうだ。
さとりを前にしてのその無防備さは、私がさとりだと知らないからこそ起こる現象。
バレンタインという単語で痛みを思い出したのも、私を知らないからこそ、考えてしまった事なのだ。
「……ッ!」
無表情に、腕を組む彼女のポーカーフェイスが、余計に傷の深さを際立たせて、足がガクガクと震える。
きっと、彼女は私がさとりだと知っていれば、ここまで無防備にはならなかっただろう。
私を知らないから、彼女は気分でも悪いのかしら、なんて、事もあろうに私なんかの心配が出来るのだ。
「……か、帰ります」
「えっ?」
驚いた顔の二人の顔が、もう私には見れない。
「も、う大丈夫です。私は、失礼します」
「何よ突然? いくら何でもそんな顔色でふらふらしているのを見逃せるわけないでしょう?」
お願い、そんな風に、優しくしないで。
私は貴方に殺されても仕方のない悪行を、当たり前の様にしてしまっているのだから。
私は首を振ると、呆気にとられているリグルさんから逃げ出し、ようやく飛ぶ事を思い出した身体をぎくしゃくと方向転換させる。
「……何、あれ?」
「えっと、私にもよく分からないや」
『……具合が悪いくせに、無理するわね』
『大丈夫かな? でも、これ以上嫌がっているのに手を貸すのは、親切とはいえないし……』
お願い……! そんな風に私なんかに気を配らないで……!
ごめんなさい。
もう嫌だ。
バレンタインなんて、嫌いだ。
「………何で」
飛びながら、身体をきつく抱く。爪を立てて引き裂いてしまいたいとばかりに、強く。
見たくないのに。
知りたくないのに。
いつもいつも、見たいわけでも聞きたいわけでも無いのに。どうして……!
脳裏に、射命丸文の姿が浮かぶ。聞きたくない声が聞こえる。
『貴方に、特別に好きな誰かなんているんですか?』
うるさい。
「…うる、さい」
そうです。本当はあの時、堂々と答えてやりたかったんです。
さとりにそんなの、いるわけないじゃないか……! って。
でも、出来なかった。出来なかった自分が、いまだ、何かを諦めきれていない自分を発見して、嫌悪した。
そうだ、あんな風に―――
小さな花畑で笑いあう、二人。
心を通じ合わせて、
すれ違いながらも―――
紅い館の門の前で、傷つけあった二人。
それでも、想い続けられる様な事が、私みたいなさとりにできる訳がない。
うるさい、
うるさい……!
何で、あんな意地悪。
『今の幻想郷を、あまり甘く見ないで下さい』
分かってます、分かりましたよ……!
素敵でした。親切でした。その心の中は、平和だからこそ生まれる、穏やかで優しいものでした。
でも、だからどうだというんです!
だから、さとりが受け入れられるかもしれないなんて、夢物語でも見ていろと?!
ふざけないでっ……! もう、嫌なんです期待するのは! 勝手に裏切られて死に掛けるのは……!
あの天狗、私が此処にいる最大の元凶、射命丸文。
貴方は絶対に、無傷で済ませませんから……!
今までにない、暴力的な気持ちを押し殺し、だけれど口だけはぶつぶつと、
「バレン、タイン……バレンタインが………全部、バレンタインで」
原因の一端に嫌悪を篭めて、馬鹿みたいに繰り返す。
バレンタインについて聞けばいい。聞いたわけでも無いのに、流れ込むあの光景。
私は、バレンタインに対しても呪いを篭めて、恨みを交えてぶつぶつと呟いていた。
「雛、おいしい?」
「……ええ、おいしいわよ」
少し不安だった手作りのチョコ。
だけど、雛はおいしいと言ってくれて、正直ホッとした。
「良かったぁ、チョコなんて作るの初めてだったからさ、まずかったらどうしようかと」
「……にとり、その、わざわざ私なんかの為に、ありがとう」
二人きりだった。
その甘い空気の中、落ちつかなさそうにもじもじとチョコを食べる雛を見ていると、自然嬉しくなってニコニコしてしまう。やっぱり、雛は可愛いなぁって再認識。
「いいよいいよ。気にしないで、友達なんだしさ」
「……ええ」
ポッと耳まで赤らめて、誤魔化すようにチョコをかじるその姿はやっぱり可愛いくて、 私はニコニコと嬉しそうに見守ってしまう。
彼女がチョコを食べる一つ一つの仕草が、不思議なぐらいに胸を温かくして、幸せな気持ちで溢れそうになる。
私、雛と友達で本当に良かったなぁって、何度目かの呟きを心の中で噛み締める。
「?」
と、雛がチラリと上目遣いで此方を見ていた。「お?」と目を見開いてその瞳を見つめると、雛は照れ臭そうに「ふふっ」と笑い、すっと食べかけのチョコを割って、此方に差し出す。
「え?」
「私だけは不公平だから、にとりも、ね?」
「ん、と。あー」
動揺。
何故こんなに落ち着かなくて顔が熱くなるのか不思議で、だけど悪い気はしなくて、「えへへ」と笑ってから
「うん」
と雛の手からチョコを受け取ろうと手を伸ばした。
だけど、
「ダメ」
雛は、違うわよと、少し拗ねた顔をすると、
「あーんして」
なんて、すっごく恥ずかしい事を言ってきた。「ええっ?!」と勿論狼狽した私だけど、でも、断るのもおかしいし、嬉しくないといえば大嘘で、私は赤い顔を帽子で出来る限り隠してから、何処か渋々と格好をつけて「あーん」と口を開くのだった。
「おいしい」
「う、うん。けっこう上手くできてた」
少し苦いけど、いい出来たと頷く。
そんな私を見て、雛はくすくすと微笑んでから、チョコをジッと見つめる。
「にとり、あのね? 来年は、私も忘れずに作るから」
その台詞に、予想以上にドキッとして、慌てて、悟らせないようにそっぽを向いてから頷いた。
「そ、そっか? う、うん。期待してるね」
「ええ、にとりに負けないぐらいに、おいしいのを作って見せるわ」
チョコ、来年は雛も作ってくれる。
そっかぁ、くれる、のかぁ。
やばい。今から来年が待ちきれなさそうで、何をそんなにわくわくしているんだと自分を叱った。
「う、うん。大丈夫、雛のなら、失敗しても全部食べるからさ!」
「…って、もう! 意地悪ねにとり」
「だって、雛お料理苦手だし」
「チョコレートなら大丈夫よ!」
来年の約束が、あまりに嬉しい。
今度は私から、雛に「あーん」をしながら、早く来年にならないかなと、機械で時を進める事って出来ないかなと、本気で考えた。
「ひぃうッ?!」
また見たぁ?! どこから、ってそこから?!
「ん?」
目が合ったので逃げた。
「あれぇ? ねえ雛、あの子どうしたんだろ? さっきからバレンタインがどうとかブツブツ言ってたかと思ったら、泣きながら飛んでったよ?」
「……え? そうねぇ、厄が堪っているのかしら? 心配ね」
「いい加減に離しなさいよ衣玖!」
「駄目です。今日だけは絶対に離しません」
「ああもう! 変なヤキモチやかないでよね!」
「ヤキモチなんて焼いていません」
こほんと、衣玖は静かに咳払いすると、怖いぐらいに真剣な目で、
「ただ、私以外に渡すチョコを明日にまわして欲しいだけです!」
「って、それがヤキモチなのよ!」
ああもう、衣玖の馬鹿! 呆れてものも言えないとはこの事だと思った。
付き合うようになって、いつの間にか過保護を通り越して独占欲の塊になった恋人に、必死に抵抗するが、きっと無駄なんだろう。
衣玖はこういうお願いだけは、ちっとも聞いてくれないのだから。
「とにかく、今日はここから絶対に逃がしません。この辺りはほぼ無人ですから、ずっと二人きりです」
「え?」
「あ、今ときめいてくれましたか総領娘様?」
図星。
二人きりという単語に反応して、ドキッとはしたけど、わざわざ口に出すその無神経さにムッとして、思わず「違うわよ!」と叫んだ。
切り株の上に腰を下ろし、さらに自身の膝の上に私を軽々と乗せた竜宮の使いは、怒鳴ったのに、素直に嬉しいと笑顔を浮べている。いつも、いつも思うのだが、その嬉しそうな顔は卑怯すぎる。私の顔はまたボンッと真っ赤に爆発してしまった。
「ふふ、総領娘様は本当に可愛らしいです」
「そ、そんな訳ないでしょう! いいから離しなさいよ!」
「嫌です。今日は何が何でも離しません」
「ば、馬鹿! 大体、総領娘はやめてって何度言わせればいいのよ!」
「……何度でも言って下さい、その度に、私は貴方を呼びます。天子」
「――――ぅあ」
真剣な表情の、衣玖の優しくも強引気味な台詞にドキュンとした。
こんなに大好きなのに、いつもいつも不安そうな顔をする衣玖がずるくて、その強引さが嫌いになれないのが悔しくて、私はやっぱり、怒鳴るしか出来ない。
「いきなり呼ばないでよ衣玖の馬鹿!」
ついでにポカポカとその頭を帽子ごと叩いてやる。
「あん、痛いですよ天子」
「うるさいうるさい!」
「もう、可愛らしいんですから、天子様は」
「さ、『様』はいらないの!」
衣玖は嬉しそうにふにゃりと笑って、「はい♪」なんて答えるから、私はまたドキリとして、衣玖はずるいとふてくされる。
「うふふ、天子♪」
「な、何よ衣玖!」
「何でもないですよ、天子」
「もう! ……もっと名前呼ばないと逃げるからね! 衣玖」
「はい、天子♪」
いつもの会話。
だけど、いつもと違うのは、本当に衣玖は、今日が終わるまで私を離さないというところだろう。
まったく、馬鹿なんだから。
「衣玖こそ、他の奴にチョコあげたら、許さないからね!」
「はい、大好きです、私の天子」
よく分からないが、衣玖はぶるぶると感激で震えてぎゅうっと私を強く抱きしめる。
ああ、もう衣玖はずるい、可愛すぎるし、と心の中で叫んで、恐る恐る、その背中に両手を回していった。
「うふふ♪」
抱きしめたら、衣玖はもっと強く抱きしめてくれるから、私は真っ赤な顔を隠して、それからずっと衣玖にぎゅっとして貰おうと決めた。
どうせ逃げられないなら、私を存分に甘やかしなさいと、小さく呟いた。
「――――ふあんッ?! こ、今度は、そこですか?!」
ぶつぶつ呟いていたら、不意打ちで流れ込む映像。見ると、地上の川辺にその二人はいた。勿論逃げた。
「ん? 何よあれ、急に此方をみて逃げるなんて、失礼な子ね」
「? よく分かりませんが、天子様の顔を見て相当怯えてましたね。天子様があまりに可愛いからでしょうか?」
お姉ちゃんは、信じられない気持ちの私に、躊躇する事無く差し出してくれた。
「はい、受け取って穣子」
「……え?」
あれ、本当に?
「ふふ、今年は頑張っちゃった」
「こ、これ、私に?」
夢じゃなくて?
「? 当たり前でしょう、穣子以外の誰に渡すって言うのよ」
「だ、だって、お姉ちゃんは、私以外に好きな人が出来たんじゃないの?!」
叫ぶ。
目の前の現実に付いていけずに、私はお姉ちゃんの顔を凝視する。お姉ちゃんは本当に不思議そうで、むしろ慌てている私に戸惑っている様だった。
「え?」
とか首を傾げてるし。
私は何が何だか分からなくて、もごもごと口ごもりながらしゃべる。
「だ、だって、今年はずっと台所に篭りっぱなしで、だから、てっきり、私以外の本命が出来たのかなって……私に、何も言ってくれなかったし」
顔が熱い。何だか気まずくて、もじもじしていると、お姉ちゃんは得心がいったとばかりに少しだけ苦笑しながらも、最後には微笑んでくれた。しょうがないなぁって顔で、私の頭をいつもみたいに撫でてもくれた。
「そっか。だから最近、よそよそしかったんだ」
「だ、だって」
不安、だったのだ。
お姉ちゃんは優しくて可愛くて、見ているだけで幸せになれる神様だから。私をたくさん甘やかしてくれる大切な姉だから。
誰かに取られるのが、その現実に起こりえるだろう不安の種が、本当に怖かった。
「……大丈夫だよ、お姉ちゃんは穣子が大好きだもの」
「お、お姉ちゃん」
私の不安を、ゆっくりと溶かしていきながら、お姉ちゃんは微笑む。
それは、いつものあの笑顔。
「本当に、大好きだよ」
「わ、私だって、本当に、大好きだもの!」
「……うん」
笑っているのに、どこか痛そう。それはお姉ちゃんの悪い笑い方。
どうしてだろう。私はちゃんと、お姉ちゃんを好きだと言っているのに、お姉ちゃんは疑っている。いや、むしろ信じていない。私の好意を信じているくせに、その好意の在り方を、信じていない。
こんなに大好きで仕方ないのに、どれだけ言葉にしても伝わらない。
じれったくて、苦しくて、どうしたら信じて貰えるのかと、いつも奥歯を噛み締めて考えるのに、分からない。
「穣子」
「…お姉ちゃん」
たまらなくて、お姉ちゃんに抱きついて、ぎゅっとする。
お姉ちゃんは驚いた顔で、だけどはにかむ様に微笑んでから、そっと抱き返してくれた。
「大好きだよ」
「うん…!」
「だからね、穣子」
「うん……!」
お姉ちゃんはそっと私を引き離すと、少し困った表情で、
「とりあえず、その背中に隠してる、当たったら痛そうな釘バットは捨てようね?」
と言った。
あ。お姉ちゃんが好きになった奴が最低な奴だったら用のバット、当たり前だがばれてしまった様だ。
慌てていると、お姉ちゃんば「……あはは」と乾いた笑いをして、
「最近素振りして物騒だと思ってたんだぁ」
「ええ?!」
そこまでばれてた?!
夜遅くにこっそりとしていたのに。実は影から見守られていたのだろうか?
私は相当に居心地が悪くなって、暫く釘バットを意味無く弄っていたが、すぐに「ごめんなさい」とそれを捨てた。
それは地面に転がって、すぐに止まってしまった。
「うん。穣子は本当にいい子だね」
「……お姉ちゃん」
こんな私にも、やっぱり変わらぬ優しさをくれるお姉ちゃん。
感動に瞳が潤んで、少し泣きそうになった。
「もう、穣子は泣き虫なんだから、はいハッピーバレンタインだよ」
そして、お姉ちゃんはチョコの入った包みを、改めて私へと差し出してくれた。
私はもう嬉しくて、その包みを受け取ると胸でギュッと抱いて、えへへとお姉ちゃんの頬にありがとうのキスを送った。
お姉ちゃんは、またあの痛そうな笑顔を浮かべたが、ちゃんとお返しのキスをしてくれた。
「あのね、私もちゃんとチョコを用意しているから、受け取ってくれる?」
「勿論だよ穣子。あ、だけどね」
そこで、お姉ちゃんは慣れなくて下手な怖い顔をつくると、えいって、私の鼻を押した。
「お姉ちゃんも、穣子が他の人にチョコをあげたら、嫌だからね?」
「――――――」
固まった。
だけど、すぐにこくこくと了解の意味で首を上下に振って、可愛すぎるお姉ちゃんの顔に見惚れてしまう。
うわ、どうしよう。
大好き、お姉ちゃん。
「――――――――――ッッ!!」
またぁ?!
今度はもう、脇目も見ずに飛び去っていく。視界の端に赤い服が見えて、ギクリとしながら必死に逃げた。
「っと。びっくりした、あの子、あんなに急いでどうしたんだろう?」
「そうだね、天狗さんにも負けないぐらい速かったね。……うーん、もしかして穣子が可愛すぎて興奮したのかなぁ?」
「ば、ばれ、バレンタイン……」
とにかく、もう地上は駄目かもしれないと本気で思った。
くっ、しゃ、射命丸文……
昨日の彼女の疲れた笑顔が思い出される。あれは、やはりそういう意味だったのだ。
彼女を探して、リグルさんから読み取った、彼女の住む妖怪の山を探すだけで、これ以上ないくらいに消耗してしまった。
今では、あの天狗に怒りを篭めれば篭めるほど、バレンタインの事をつい口にしてしまう。反射なのだとは思うのだが、コレ、実はあの天狗の罠だろうか?
「……っ」
もう、赤くない所がない。全身が茹蛸で、煙が出ているんじゃないだろうか? こうなったら、もうこいしみたいに第三の目を閉じてしまおうかなんて、冗談でも思ってしまうこの状況。
「ば、バレンタイン……バレンタインなんて……」
口が、勝手に恨み言を呟く。
もう今の私は、バレンタインに嫌悪しか沸かないぐらい追い詰められていた。
彼女達のバレンタインの思い出は、成功も失敗も、とても輝かしくて、
今この場で蹲る私は、一人ぼっちだと突きつけられる。
「……こんな」
こんな事で、私は改めて、誰もいない草むらで膝を抱えながら、惨めに再確認させられた。
「私は、此処では何処でも、一人なんですね……」
あの、唯一の居場所だと信じている地霊殿。だけど、それは同時にさとりを閉じ込める牢獄の様なものだと思っていた。
今は、その牢獄が恋しくて、すぐにでも帰りたかった。
「……ぐす」
目元の水を擦って、また膝を抱える。
そうだ、私にとってあそこは、すでにかけがえの無い場所になっているのだと、こんな事になって改めて、深く気づく事が出来た。
「……」
だけど、私のこんな恥ずかしい姿を、皆に見せる訳にはいかない。
今すぐに帰りたいが、こんな酷い顔を、見せる訳にはいかない。
帰ったら、きっと燐も空も優しく迎えてくれるだろう。もしかしたら仕事でいないかもしれないが、それでも、あの館に帰ることで、私はようやく安心して眠る事が出来るのだ。
「……帰りたい」
誘惑は捨てがたく、無防備に心を開く地上の誰かにこれ以上会わない内に、射命丸文の事なんて忘れて、帰ってしまいたい。
本当に、もう誰にも会わない内に、帰って―――
その時、また
『貴方に、特別に大切な誰かなんているんですか?』
なんて声が、鼓膜に蘇える。
「――――ッ」
まるで、トラウマ。
あの台詞が蘇った瞬間、怒りがぶり返す。
私自身、何故そんなに気にするのか分からない。だけど、彼女は容易に触れて欲しくない場所に、ずけずけと踏み込んで、まるでさとり妖怪の様に、安易に他者の心を傷をつけた。
その尤も柔らかで傷つき易い『心』という部位を、あっけなく蹴り飛ばして、踏みつけた。
その行為が、まるで自分を見ているかの様で、嫌悪しているのかもしれない。
そう、あれはまさに、私だった。
あの時の射命丸文は、私だったのだ。
―――――――。
「……ああ、そうか」
ガツンと、鈍器で頭を殴られた気がした。
ようやく、私は気づいた。
こんなに回り道をして、ようやく気づけたのだ。
そうすると、あんなに嫌悪した天狗の事が、どうでもよく感じて、身体からすうっと力が抜けていってしまった。
……そう、だったんだ。
「……私は、射命丸文を殴りたいんじゃなくて―――」
ずっと、『私』を殴りたかったんだ……
「……ぁ」
簡単な、事だった。
私の怒りは全て私自身に向けられていたのだ。
そして、だからこそ、私はあんなにも怒れたのだ。
「………馬鹿みたい」
そのまま、私は風に掻き消されて、何処かへと消えてしまいたかった。
胸を襲ったそれは、絶望だった。
後は、ただ無様に疲れた足を引きずって、家に帰るだけだった。
殴りたかったのは私自身。なら、もう地上にいても意味が無かった。
何に怒り何に怖がり何に傷つけられていたのか、もうすでに分からなくなっていた。
だけど、無性に悲しくて、
「………嫌な顔」
鏡に映る私は、いつもの可愛げのない人を見透かす様な嫌な眼をした、嫌な女の子だった。
何も変わっていない。
「…………」
空しかった。
心がカラカラに干上がりひび割れて、パサパサと水分を含まない砂が乾いた音を立てる。
「……ねえ、燐、空」
首だけで振り返ると、隠れていたつもりらしいペット達が、ドキリとうるさいぐらいに動揺した。
帰ってきた私の顔は涙と鼻水で汚れ、そのまま暫く部屋に閉じこもっていたから、身を削りそうなぐらい心配してくれているのが分かる。
分かってしまう。
「……ねえ、今日は、一緒に寝ましょうか」
ただひたすらに、今はその優しい心を渇望する。
優しいペット達が、驚きながらも喜び、嬉しそうに、不安を綯い交ぜにしながらも求めてくれるその心が、私の心の優しい雨になってくれるから。
そのまま、干上がった大地を洪水で水浸しにして欲しくて、私は彼女達を求める。
「寝る! 私さとり様と一緒に寝る!」
「こ、こらお空! いや、えっと、あ、あたいも一緒がいいです!」
興奮して真っ赤になる二人が可愛くて、じんわりと胸が熱い。
その感覚に、私はようやく、今日という一日が終わる事を安堵と共に受け入れられた。
ただ、さとり妖怪が馬鹿だった一日が、ようやく終わるのだと。
全てが許せそうだった。
「……えっと。というわけで、すでに自己完結を昨日の内にしていた私としては、昨日のそれは、すでに過去の事なのですが」
「いいえ、やはり責任は取るべきでしょう」
そんな次の日。
閻魔様が、前触れも無く鴉天狗を引きずってやってきた。
「…………………………」
流石に驚いて、二人に布団の中でぎゅうぎゅうに抱きつかれて寝苦しかった事など忘れてしまった。
相変わらず、閻魔様の仕事は速く正確で、昨日私が幻想郷で痴態を晒した事実も理由も、しっかりと突き止め、加害者が誰であるかも調べ上げていたらしい。
「い、いきなり乱暴すぎじゃないですか?」
「お黙りなさい、まったく」
どうやら、無理矢理叩き起こされて、しっかりと朝食を取らせてから此処まで説教込みでやってきたらしい文さん。閻魔様は厳しい顔でそんな文さんの腕を逃げられない様に掴んでいる。
「…………うー」
文さんは文さんで、本当なら閻魔様を振り切れるだけの逃げ足と実力があるのに、昨日私が本当に地上に来た事を知り、驚きつつも僅かな罰の悪さを感じているので、ここまで渋々ながらも逃げずにやってきたらしく……
「でも、文さんは反省どころか自業自得ですよーだ、とか開き直っていますが?」
「ゲッ」
「こら、射命丸文! 貴方は本気で反省が足り無すぎる!」
閻魔様がガミガミと文さんのこめかみをぐりぐりするが、むっすりとした顔の文さんは、ふんっと頑なに心を閉ざし、私に何かを隠したがっている。
今は、私は彼女に怒りを感じない。
あれは、あの黒い感情は、私自身に向けられていた、身勝手な八つ当たりだと自覚したからだ。
だが、それでも彼女の事は気にかかった。
「……文さん、聞いてもいいですか?」
「む? 何ですか?」
閻魔様に正座させられた姿で、だけど瞳には緩やかな怒りを篭める彼女。
ああ、そうか。
理解する。
射命丸文は、確固たる理由があって、私を拒絶しているのだと。
「……なんで、私にあんな問いを?」
『貴方に、特別に好きな誰かなんているんですか?』
考えていなかったが、考えてみれば、結構な具合でおかしな話なのだ。
私が、彼女を地霊殿に通したのは、何よりその心が私にとって不快ではなかったから。
そう、私は彼女を気に入ったから、彼女の取材に応じようという気になったのだ。
そんな、臆病で矮小なさとり妖怪が、話ぐらいは聞いてやろうと思った天狗が、
何故、そんなにも急に態度をぐるりと急変させて、心で攻撃するなんて事をしでかしたのだろう?
間違っても、初対面様に読んだ内面は、そんな高圧的で意地悪な天狗ではなかったのに。
理由なく誰かを傷つける類の妖怪ではないのに、どうして?
「…………」
私の疑問に答えることなく、文さんは黙り込むと、暫く迷う様な顔つきで閻魔様を見上げ、閻魔様は言うべきだと頷いた。
どうやら閻魔様は、天狗がどういった理由でさとりに喧嘩を売ったのか、きちんと把握しているようだ。その上で、きちんと理由を話して、私に聞こえない程度に心を閉ざしながら文さんの肩を叩いた。
「………むぅ」
それで、ようやく文さんは心を決めたらしく、口をへの字にして俯いた。
「分かりましたよ、まったく。
ほら、いいですよ。心、読んで下さい」
「――え」
それは、小気味良くなるぐらいに、すとんと、
それこそあっさりと、頑なに拒まれていた強固な思考が溶かれて、流れ込んできた。
何の準備もしていなかった、私の心にまっすぐと――――
……へえ。
それが、見つめあう彼女達を見て、ネタにならないのに思わず頬が緩んでしまった、私の心の声だった。
ここは地霊殿、先の異変で交流が出来るようになった、地下の世界。
この世界は、この世界の管理者は一体どんな奴だろうとやってきた私が見たのは、そういうほのぼのな光景だった。
なんだ、仲、良いんじゃないですか。
楽しかったと、ホワイトデーの思い出に微笑み、目をあわせてくすぐったそうに笑っているさとりさん。
硬い表情が崩れたその素顔は幼く、このまま成長したらつい口説きたくなる位に魅力的だった。
何故か私の頭上で寛ぐ先の異変の元凶。地獄鴉のお空さんも、さとりさんの膝の上のお燐さんも、それはそれは幸福そうに和んでいる。
前の異変で、何かきつい仕置きでもされたのではと軽く心配もしていたが、この様子ならそんな心配はするだけで無粋だろう。
悪くない所だと、私はそう結論を出して、メモをサラサラと走り書いた。
そして、これ以上は欲しいネタもないようだし、少しだけふざけて反応を見てから次に行こうと、そう考えていた矢先だった。
私はさとりですよ。
私はさとり。それだけで充分な回答でしょう。
なんて、台詞が真顔で連続して聞けたのは。
「…………」
さとりだから、バレンタインに甘い経験など在り得ない、とばかりの、ふざけた眼差し。
何が私の琴線に触れたかって? それは、貴方の後ろに立つ、貴方の大事な家族の存在。
貴方の台詞で、スカートを握り締めて、悲しげに顔を崩した二人の存在。
目の前の私なんかに意識を割いて、あっさりと、さとりの貴方なら気づけた、二人の寂しさを無視した事実。
気づいていない。
彼女は、彼女がペットだと家族同然に卑下する存在が、どれ程彼女に愛情をそそいでいるのか、さとり『だから』って気づいていない。
彼女達の心が読めるくせに、その心の寂しさや悲しさを知っているくせに、それがいつもの彼女達だと思ってしまうぐらいに、彼女達の愛情を返す事無く、そのままちゅうぶらりんに吊り下げ続けた。
誰かが誰かを好きなのはいい。
誰かがその想いに気づかないのもいい。
誰かがその想いに気づいて、だけど答えられないからと気づかない振りをするのもいい。
そんな事は全然いい。
だけど、誰かが誰かを好きだと気づいて、それが『私』だからという理由で、気づいているのに、想いへの理解を放棄する奴を、こうまで見事に実践しやがった奴を、私は初めて見たから。
それも『いい』なんて、言えなくなった。
さとり、だから?
そりゃあ、心を読まれるなんて気持ち悪いです。
チラリと考えた無意識の悪意を読まれ、自分の汚さを知られてしまうなんて恐怖です。
でも、世の中にはさとりでも好きだという誰かや、さとりだから好きだという誰かがいるのに、絶対に何処かにいるというのに、
勝手に見切りをつけて、勝手に自分の周りを傷つけるなんて、むかつくじゃないですか。
私と会話している間中。貴方を守る為だけに、傍に控えていた貴方を大好きな彼女達を、貴方自身が傷つけているこの現状。
少し見ただけで微笑みたくなる、素敵な家族なんだから、
貴方は魅力的な、さとりなんて関係なくなるぐらいに優しい妖怪なのだから、
貴方だけが心を閉ざしているなんて、誰が許しても私は許せない。
私は記者だ。
壊れて戻れない家族だって、たくさん見てきた。
だから、壊れるか壊れないかの曖昧な境界線にある、この素敵家族を、壊す原因になる一家の主の存在。
そんな奴、殴ってでもビシッとさせたくなるじゃないですか……!
だから、つまり、
私は貴方に、謝りませんからね! さとりさん! 以上、言い訳終わりです!
「――――ぁ」
気づいたら一粒、涙が零れていた。
「―――――あぁ」
見えた。
そして知った。
文さんが見た、私の後方で立っていた二人の、表情を、
初めて見て、初めて、そんな顔をずっと見せていなかったのだという事実を知った。
「さとり様?!」
「あんた、さとり様に何したッ?!」
泣き出した私を後ろに庇い、牙をむく燐と空。
知らなかった。
気づかなかった。
気づけなかった。
「……別に、ガッチガチに固まっている心は、ショック療法が一番いいんです」
「何言ってるんだよあんたっ?!」
「さとり様を泣かしたなっ?!」
「……ふん、です」
そっぽを向く彼女から伝わってくる。
地上は、とっても刺激的だったでしょう? って。
「ぅ、……ッう」
あそこの住人の心を少しでも読んだら、一人になんて、簡単になれないって分かるでしょう?
馬鹿みたいに一途で、強くて、思い込みが激しくて、地上にはたくさんいるんですよ。
貴方がさとりでも気にしないだろう、馬鹿が。
本当は、すでに地下にもそういう誰か、いたんじゃないですか? 見つからなかっただけで。見つけなかっただけで。
もう、やめて。
熱い、両目が熱くて仕方ない。
グッと歯を噛んで声を押し殺そうとするが、昨日からずっと、限界まで刺激されていた心は、最後の一押しに、とんでもなく乱暴な押し込みに負けて、溢れて零れて、止まりそうになかった。
私の為だった。
意地悪な天狗は、私の事を考えて意地悪をしていた。
ただの、優しいお節介焼きだった。
その事実が、ひたすらに堪らなかった。
「……ふむ」
そんな私を見て、文さんに掴みかかる燐と空を止めて、ちょうど中間に立っていた閻魔様は、響く声でまとめる様に言う。
「射命丸文、貴方は、貴方の周りが騒がしくなって以降、泣いている女子が苦手になってしまいました。そして、目の前にいるのが、いつ泣いてもおかしくない、被害者と被害者の両方がいたのなら、貴方はより効果的かつ贖罪的な意味での、少々乱暴な解決法を見出す知恵を持っています。―――しかし」
ぺちりと。
少々痛そうな音が響く。
「貴方は、ちょっと意地悪すぎる!」
「………ぅ…、だ、だって、さとりの彼女に口で何を言ったって、さとりを知っている私が何を思ったって、さとりさんだからこそ、本当の意味で通じないじゃないですかぁ」
「やり方があったと言っているんです。貴方のそれはどう贔屓目に見ても苛めの域です」
「………ぅ」
ぺちぺち。
チラリと此方を見る、文さんの瞳。
やっぱりやり過ぎたでしょうか? でも、あれぐらいした方が、と弱々しい心が伝わってくる。
駄目だ。どうしよう。涙が、止まらない。
「まったく。変な所で口下手なんですから」
「ひ、酷いですよ! 大体、閻魔様だって本当は今日は休みで小町さんとデートだった癖に、事情を知ったらすぐに首を突っ込んできて……」
「家の中でひたすらに、言いすぎたぁ……、とか自己嫌悪に陥っていた貴方が原因です。小町には貴方も一緒に謝って貰いますからね」
「そんなぁ」
こんなに、涙が止まらないのは、初めてで。
「さとり様、さとり様、泣かないで下さい」
「あいつなら、私がやっつけるから、温泉卵、一杯一杯あげるから、さとり様」
「さとり様を苛める奴なんて、あたいが一発でぼこぼこにしますから!」
「わ、私だってさとり様を守ります! 今の私は、すっごく強いんですよ!」
「…………ッ!」
思わず、燐と空を両手で抱きしめる。
心が、許容量を超える情報と感情の洪水に、ただただ痛みだけを訴える。
痛くて、ギチギチと音を立てて、それを少しでも開放したくて、二人を強く抱きしめる。
あの日、地上の風をまとった天狗は、
この館に、本当に新しい風を吹き込んで、少し乱暴に撒き散らしたのだ。
今は、声が擦れて、喉がえぐついて言葉を発せられないから、だから後で伝えようと思う。
ありがとう、って。
皆に。
無意識な妹は、最近心を開き始めている。
地上の人間達は妹に良い刺激を与えている様で、彼女は帰ってくると楽しげに、色々な出来事を話してくれる。
だけど、今日は私も彼女に話す事がある。
「ねえ、こいし」
「なぁに? お姉ちゃん」
ベッドに腰掛けて、こちらを窺う妹に、私は微かに微笑みながら伝える。
「私ね、特別に好きな誰かを作ろうと思うの」
「―――――、へ?」
案の定、妹は驚いたのだろう、不思議なそうな声を出した。
「ええ、私みたいなさとりを、お嫁に貰ってくれる誰かを、探そうと思うの」
さとりが受け入れられる夢物語はもう見ない。
だけど、私を受け入れてくれる誰かの夢は見よう。
「候補、というと失礼だけど、燐と空が、私の事をお嫁さんにしたいって言ってくれたの」
「―――――」
「最初は、文さんが特別な誰かになるのかと思ったけれど、私は彼女とはむしろいいお友達になれると思う。ううん、私は彼女と特別に親しい友達になりたいって思う」
「―――――」
ぽつぽつと、自分の心境の変化を妹に伝える。
そして、
「ねえ、こいしはお姉ちゃんの事をお嫁さんにしたい?」
「したい!」
間髪いれずに、妹は答えた。
「したい、ううん、する! お姉ちゃんは私がお嫁にするから、お姉ちゃんは私をお嫁に貰って!」
強い言葉だった。
幻想郷では、姉妹でも恋人になれる様なので、いつの間にか私を抱きしめている妹の温もりにホッとした。
とりあえず、私は妹に避けられてはいるが、嫌われてはいないと確認できて、満足だった。
今はまだ、特別な誰かはいなくても、私を特別だと思ってくれる誰かがいる。
お嫁にしてもいいと言ってくれる家族が、傍にいる。
私は妹の身体を抱きしめながら、そっと瞳を閉じた。
文さんに、特別に好きな誰かを見せ付ける日は、そう遠くないかもしれない。
私は心が、熱い位に甘やかされているのを感じながら、嬉しくて、妹の腕の中で感極まって少しだけ泣いた。
文のおせっかいも良かったと思いますよ。
でもやっぱり地霊殿組の愛情が笑みを誘いますねぇ。
誰がさとりをお嫁にするか争奪戦でも始まりますか?
面白いお話でした。
分かります
夏星さんの名前を見て果てしなく甘すぎる幻想郷なのは容易に想像がつきました…
…だが想像してても受け止めきれないくらい甘すぎましたww 体が糖尿病に侵される前に悶え死ぬww
まるで読者が『さとり』となって巡るような超絶甘口幻想郷ツアーでした。ご馳走様でした!
面白かったです
相変わらずの砂糖水でホールケーキを一気食いするような甘い幻想郷でした。バレンタインの思い出が走馬灯のように流れたときもうやめてぇぇ!!っと思ったのは自分だけでしょうか
それに慣れてしまえばもう夏星さんの世界に引き込まれるだけでした。
特に咲夜のエピソードとその次のリグルと咲夜のとこから逃げ出すさとりのシーンの、
感情表現がとても好みでした。
そして最後はハッピーエンドでよし。最高でした。
そして心理描写がとても素敵でした。
>~少しだけ夜更かしを許して~
この部分が可愛く思ったですよ、和みましたよ。
あぁもう可愛いすぎですよ!
今回はだだ甘というよりはちょっと甘酸っぱい感じで読ませていただきました。
願わくばさとりのこれからの日々がチョコレートのように甘くありますよう。
美鈴の話を単体で続き読みたいです。ちょい話なのにえらいストーリィが展開されてて・・・
相変わらず砂糖を吐けるものを書いてくださる……
でも今回は甘いだけでなく、温かいです。
お燐とお空が泣いたさとり様を慰める部分で感動した……
>>「わ、私だってさとり様を守ります! 今の私は、すっごく強いんですよ!」
個人的に名言です。
伏線も回収してあって盛り上がりも落ちもある作品構成の隙のなさに感動しました。
みっちり内容がつまって舌ざわりもいい、満足できる旨い饅頭をまるごといただいた充足感がありました。ごちです。
口の端からシロップが漏れる
>後、閻魔と死神のバレンタイン話は来年に持ち越しです。
有罪でしょうこれ…
テンポが良く、読みやすいお話でした。
作品の技術的な面から見ても、文句無しの満点ですね。
こんな神作久しぶりに見た……
そしてさとりの心理描写が丁寧でわかりやすかったです。
長さが全く気にならないし、さとりもあややもおくうもお燐も可愛かった!
いい作品を読ませていただきありがとうございました。
ホント、出るキャラが皆、綺麗な心を持ってて良い気分になれました
僕も、地霊殿の皆さんはこういう感じだと思います。
今週は、あなたの小説が読めたのでうれしいです。
夏星さんじゃないですか!お久しぶりです!
相変わらず良作過ぎて目頭が・・・
…ところで、砂糖はどこに処理しておけばよいでしょうか
…グハッ(吐糖
甘くてたまらん。
文が幼女にまとわりつかれてたり少女同士の恋愛が当たり前の世界に
なってるから、その辺を最初に書いといてくれると助かる。
百合は好きだけど同姓ゆえの葛藤とかそういうのを取り扱ってる作品が
好きなんで。
>地獄鴉のお空さんはも、
誤字、誤字
さとり故の苦悩もそのあとの幸せな感じも、読みやすい表現のおかげでストンと落ちてきました。
個人的に、咲夜さんのバレンタインで泣きかけました。
> 愛して、いるのに……!
これは泣きますよ……!!
それが私は大好きです。
私はいつか霊夢主軸の物語を書いてほしいなあと思います。
いいぞ、もっとやれ!!
地霊殿でもこんな話があるとは・・・
夏星さんの作品はやっぱり甘い!
ちょっと甘さ対策をせねば・・・
砂糖吐くくらいの百合をありがとう!!
俺の残機がいくつ減ってもいいのでこれからも頑張ってください。
おれもれも!!さとりんをお嫁さんに(ry
ただ少しだけ間が空き過ぎているようにも感じました
しかし後味の良さでGJ!!といわせてもらいます。
これが!俺が死ぬほどのものが!愛なんだよ!
さとりが可愛くて胸が締めつけられる思いでした
文の立ち回りがいいなあ
文が素敵だった
百合色一色の幻想郷こそ至高だと再確認させられた