例のオカルト騒動以来、聖白蓮が奇怪な自動二輪を乗り回す様は里の中で珍しくもない光景になっていた。煽情的なスーツに身を包んで颯爽と走る彼女の姿を、里の男達は自然と目で追う。何というか、彼女はどこへ行こうとしているのか、二重の意味でね。
広場に集まった弟子たちの修行を見るでもなく見ていると、何やら私を呼ぶ声が聞こえて振り返る。
「おーい、神子ー」
なんともけだるげな、脱力を誘う声の主は果たして面霊気、秦こころであった。やにわに浮つきだした弟子たちに休憩を申し渡して、こころの方へ向かう。週に一度か二度という頻度でこの廟を訪れる彼女の存在は、一服の清涼剤として認識されているらしい。
こころは相も変わらず何を考えてるのか分からないような顔をして、弟子たちに手なぞ振っていた。後ろで弟子たちがデレデレしているのが振り返らずとも分かった。
この廟には私や青娥といった師匠格の存在や、あまり顔を合わす機会のない芳香、屠自古など、彼らにとってあまり心を許すには向かない存在ばかりがいる。惚けた奴だと思われることの多い布都でさえ、彼らにとっては雲上の実力者なのだ。そんな中、ちょくちょくやってきてはあっちへふらふら、こっちへふらふら。愛くるしい小動物のように――まあ無表情ではあるんだけれど――愛嬌を振りまくこころは、なんだろう、厳しい道場の師範の娘とも言うべき癒し手の立ち位置であるようだ。……あんまりいい例えじゃないな、ストレートすぎて。
「おー、神子。来たぞ」
「やあ、来ましたねこころ。何をしに来たのかな」
こころの周囲を漂う半透明の無数の霊気が一瞬、竜巻のように回転。ピタリと止まると、ひとつが実体化している。般若の面だ。
「なに!分からないのか!私が来た理由が!」
「わからないな。お前の“声”は何だか聞き取りづらいからね」
そもそも感情の集合体である彼女にどのような“欲”があるのか、それはよく分からない。……洒落じゃないぞ。
「私は昨日、命蓮寺に行っていたんだけど、一輪や布都と話していて気になったことがあったの」
いつの間にか女面――平静なときに被っている――に戻ったこころが続ける。
「なにが気になったんだ?」
私としては何故布都が普通に命蓮寺にいたのかが気になるところだけれど。
「どうして聖は最近、あのヘンテコな乗り物に乗っているんだろうって」
「ヘンテコな……、バイクのことかな」
「そう、それ。一輪は『だってカッコいいだろう』って言ってた。布都は『あれがあれば、火を付けた後速やかに現場を離れることができるのう』って」
「……そ、そうか」
何も言うまい。
「それで、気になって聖に聞いたんだ。そしたら、『分からない』って」
そういうとこころの周りをまた青白い光がぐるぐると回って、猿の面が実体化する。困っているようだ。
「聖は自分でもよく分からないんだって。それでなんでだ、なんでだって、しつこく聞いてたら『神子なら分かるかもしれません』って言ったんだ」
またぐるぐる。狐の面。
「だから私は今日、それをお前に聞きに来たのだ!」
白蓮め、うっとおしくなって私に押し付けたな。
まあ、それはそれとして。
こころの頭に――面にはぶつけないように――げんこつをお見舞いする。
「あだっ、な、何をするんだ!」
霊気がぐるぐる、間にあっていない。
「他人様に迷惑を掛けるなと教えたでしょう、白蓮にはあとで謝っておきなさい、いいね?」
「……迷惑だったかな」
「相手を質問攻めにするのは大人のやることではありませんよ、ましてやアレは仕事中だったのではないですか?」
「なんか、書棚の整理をしていた」
こころの頭に手を置いて、先ほどげんこつをおとした場所を撫でる。
「こころが舞の練習をしていたとする」
「うん」
「地底の放蕩娘がやってきて、こころを質問攻めにする。こころは練習ができない。どうする」
「決闘でぶちのめすあだっ、な、なにを」
もういちどげんこつを落とす。
「白蓮はこころをぶちのめしたか?」
「ううん。でも、そうか。聖も迷惑だったのかな」
「分かったらきちんと謝るんだよ。いいね?」
「分かった」
「それはそれとして、なんで聖は最近そのバイクとやらを乗り回しているのだろう」
「ああ、そんなことか。それはな……」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
空の西からまばゆい光が差す。
夕暮れの少し涼しい風を感じながら、愛車の陸王に跨る。エンジンを始動すると腹の底に響くような重低音が心地良い。アクセルを絞って、境内から躍り出た。
今日は冷やし中華だと言ったら、こころちゃんは是非ご相伴にあずかりたいと力説していた。いつもはあくまでも来るもの拒まず、というスタンスで、わざわざ迎えに行ったりはしないのだけど、昨日仕事が忙しくて邪険にしてしまったことがなんとなく引っ掛かっていたのだ。
神子の住む廟はこの世界とは隔絶された仙界――いわゆる異空間――にあるのだけれど、彼女が抱える弟子たちの多くは自由に行き来できず、また神子自身が里との関わりを持ちたい性分なのが手伝って、里の大通りの一角に、仙界と直接つながる御殿を構えている。
里の大通りは十分に幅があって、バイクで走っても誰かにぶつかる心配がないのが嬉しい。だけれど、直線距離が短くて、少し物足りないと感じている。最近の私は少し変だ。そして、変な自分が少し心地いい。
御殿の前に着いたとき、ちょうどこころちゃんが神子に連れられて出てくるところだった。
「子守は寺の仕事じゃないのか」
神子が嫌味たらしい笑顔でそう言った。後ろではこころちゃんが、誰が子どもだと騒いでいる。
「そんなこと言って、しばらく顔出さないと寂しがるくせに」
これは半ば売り言葉に買い言葉という奴で、今回は神子の方に少し分がある。寂しがるのは本当だけど。
「それじゃあこころ、御馳走になる時は行儀よくするんだよ」
「分かっているとも」
こころちゃんにヘルメットをかぶせ、バイクの後ろに乗せる。
「白蓮、事故を起こすなよ」
神子が珍しくそんなことを言う。
私はべっ、と舌を出して
「こころちゃんを乗せてるんですから、もちろん安全運転に決まっているでしょう」
と答える。
すると神子は何か珍しいものを見たような顔をして少し笑った。
「バイクに乗るようになって、お前は良い顔をするようになった」
帰る道すがら――もちろん安全運転だ――後ろから私にしがみつくこころちゃんが突然
「ごめんなさい」
と言った。
「どうして?」
「私は、聖が仕事中なのに質問攻めしてしまった。迷惑だっただろうから、神子がきちんと謝れと」
そういうところ、あの人は律儀だ。
「いいんですよ、私もそっけない答えをしてごめんなさいね。きちんと謝れるこころちゃんは凄いわね」
「いいや、聖は凄いぞ。私だったらこいしをボコボコにしているところだ」
「……?」
なんでこいしちゃんが出てきたのかしら。……ボコボコ?
「それより聖の言ったとおりだった」
風の音に混じって、弾んだ声が聞こえる。
「なにがですか?」
「神子は何で聖が最近バイクに良く乗ってるのか教えてくれた」
「えっ……!な、なんといっていましたか?」
神子に聞けば分かるかもしれないというのは、実際人の感情に聡い彼女なら私の最近のこの傾向になにかしら説明を与えてくれるのではないかという思いが多少あったから。だけど本当は、こういえばこころちゃんの興味が移ってくれるのではないかという浅はかな思惑からだった。
「神子は『白蓮は元々、そんなに性根の立派な女じゃあない。我欲の強い、わがままな女性なんだ』と言っていた」
「ほ、ほほう、続けて下さい」
こころちゃんに何と言うことを言ってくれるのだ。
「それで『白蓮が慕われているのは、彼女のわがままが結果的にたくさんの妖怪を幸せにしたからだ。本当はそれだけで、彼女もその自覚があったはず』だって」
「……」
「『彼女がバイクに乗って楽しそうなのは、自分が本来的には不良じみた非行少女だってことを思い出せたからだ。たくさんの妖怪に慕われて、崇められるうちに、その期待は息苦しいものになっていったはずだ。彼女にその自覚は無かったかもしれないが』」
どうして、あの人は本当に……。本当にもう。
「『異変の過程でちょっと自分のイメージと違うことをやってみたところ、思ったほど周りの反応が悪くなくて、彼女は気付いたんだ。自分がそんなに聖なる存在じゃなくっても、みんな自分を捨てないでくれるってね』と、いうのが神子の予想だ。聖、あってる?」
もう夕方だというのに今日はまだ暑い。
それとも後ろからしがみついているこころちゃんの体温が高いのかしら。
安全運転のせいで風が体感温度を下げてくれないのかも。
「聖、首筋真っ赤だけど、大丈夫?私くっつぎすぎだろうか」
あの人はどうにも苦手だ。
あんまり見透かされると、その、恥ずかしい。
余計なこと言うんじゃなかった。
「こころちゃん、ちょっと飛ばしていい?」
「お?おおー!これが首都高をかっ飛ばす爽快感の表情!」
広場に集まった弟子たちの修行を見るでもなく見ていると、何やら私を呼ぶ声が聞こえて振り返る。
「おーい、神子ー」
なんともけだるげな、脱力を誘う声の主は果たして面霊気、秦こころであった。やにわに浮つきだした弟子たちに休憩を申し渡して、こころの方へ向かう。週に一度か二度という頻度でこの廟を訪れる彼女の存在は、一服の清涼剤として認識されているらしい。
こころは相も変わらず何を考えてるのか分からないような顔をして、弟子たちに手なぞ振っていた。後ろで弟子たちがデレデレしているのが振り返らずとも分かった。
この廟には私や青娥といった師匠格の存在や、あまり顔を合わす機会のない芳香、屠自古など、彼らにとってあまり心を許すには向かない存在ばかりがいる。惚けた奴だと思われることの多い布都でさえ、彼らにとっては雲上の実力者なのだ。そんな中、ちょくちょくやってきてはあっちへふらふら、こっちへふらふら。愛くるしい小動物のように――まあ無表情ではあるんだけれど――愛嬌を振りまくこころは、なんだろう、厳しい道場の師範の娘とも言うべき癒し手の立ち位置であるようだ。……あんまりいい例えじゃないな、ストレートすぎて。
「おー、神子。来たぞ」
「やあ、来ましたねこころ。何をしに来たのかな」
こころの周囲を漂う半透明の無数の霊気が一瞬、竜巻のように回転。ピタリと止まると、ひとつが実体化している。般若の面だ。
「なに!分からないのか!私が来た理由が!」
「わからないな。お前の“声”は何だか聞き取りづらいからね」
そもそも感情の集合体である彼女にどのような“欲”があるのか、それはよく分からない。……洒落じゃないぞ。
「私は昨日、命蓮寺に行っていたんだけど、一輪や布都と話していて気になったことがあったの」
いつの間にか女面――平静なときに被っている――に戻ったこころが続ける。
「なにが気になったんだ?」
私としては何故布都が普通に命蓮寺にいたのかが気になるところだけれど。
「どうして聖は最近、あのヘンテコな乗り物に乗っているんだろうって」
「ヘンテコな……、バイクのことかな」
「そう、それ。一輪は『だってカッコいいだろう』って言ってた。布都は『あれがあれば、火を付けた後速やかに現場を離れることができるのう』って」
「……そ、そうか」
何も言うまい。
「それで、気になって聖に聞いたんだ。そしたら、『分からない』って」
そういうとこころの周りをまた青白い光がぐるぐると回って、猿の面が実体化する。困っているようだ。
「聖は自分でもよく分からないんだって。それでなんでだ、なんでだって、しつこく聞いてたら『神子なら分かるかもしれません』って言ったんだ」
またぐるぐる。狐の面。
「だから私は今日、それをお前に聞きに来たのだ!」
白蓮め、うっとおしくなって私に押し付けたな。
まあ、それはそれとして。
こころの頭に――面にはぶつけないように――げんこつをお見舞いする。
「あだっ、な、何をするんだ!」
霊気がぐるぐる、間にあっていない。
「他人様に迷惑を掛けるなと教えたでしょう、白蓮にはあとで謝っておきなさい、いいね?」
「……迷惑だったかな」
「相手を質問攻めにするのは大人のやることではありませんよ、ましてやアレは仕事中だったのではないですか?」
「なんか、書棚の整理をしていた」
こころの頭に手を置いて、先ほどげんこつをおとした場所を撫でる。
「こころが舞の練習をしていたとする」
「うん」
「地底の放蕩娘がやってきて、こころを質問攻めにする。こころは練習ができない。どうする」
「決闘でぶちのめすあだっ、な、なにを」
もういちどげんこつを落とす。
「白蓮はこころをぶちのめしたか?」
「ううん。でも、そうか。聖も迷惑だったのかな」
「分かったらきちんと謝るんだよ。いいね?」
「分かった」
「それはそれとして、なんで聖は最近そのバイクとやらを乗り回しているのだろう」
「ああ、そんなことか。それはな……」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
空の西からまばゆい光が差す。
夕暮れの少し涼しい風を感じながら、愛車の陸王に跨る。エンジンを始動すると腹の底に響くような重低音が心地良い。アクセルを絞って、境内から躍り出た。
今日は冷やし中華だと言ったら、こころちゃんは是非ご相伴にあずかりたいと力説していた。いつもはあくまでも来るもの拒まず、というスタンスで、わざわざ迎えに行ったりはしないのだけど、昨日仕事が忙しくて邪険にしてしまったことがなんとなく引っ掛かっていたのだ。
神子の住む廟はこの世界とは隔絶された仙界――いわゆる異空間――にあるのだけれど、彼女が抱える弟子たちの多くは自由に行き来できず、また神子自身が里との関わりを持ちたい性分なのが手伝って、里の大通りの一角に、仙界と直接つながる御殿を構えている。
里の大通りは十分に幅があって、バイクで走っても誰かにぶつかる心配がないのが嬉しい。だけれど、直線距離が短くて、少し物足りないと感じている。最近の私は少し変だ。そして、変な自分が少し心地いい。
御殿の前に着いたとき、ちょうどこころちゃんが神子に連れられて出てくるところだった。
「子守は寺の仕事じゃないのか」
神子が嫌味たらしい笑顔でそう言った。後ろではこころちゃんが、誰が子どもだと騒いでいる。
「そんなこと言って、しばらく顔出さないと寂しがるくせに」
これは半ば売り言葉に買い言葉という奴で、今回は神子の方に少し分がある。寂しがるのは本当だけど。
「それじゃあこころ、御馳走になる時は行儀よくするんだよ」
「分かっているとも」
こころちゃんにヘルメットをかぶせ、バイクの後ろに乗せる。
「白蓮、事故を起こすなよ」
神子が珍しくそんなことを言う。
私はべっ、と舌を出して
「こころちゃんを乗せてるんですから、もちろん安全運転に決まっているでしょう」
と答える。
すると神子は何か珍しいものを見たような顔をして少し笑った。
「バイクに乗るようになって、お前は良い顔をするようになった」
帰る道すがら――もちろん安全運転だ――後ろから私にしがみつくこころちゃんが突然
「ごめんなさい」
と言った。
「どうして?」
「私は、聖が仕事中なのに質問攻めしてしまった。迷惑だっただろうから、神子がきちんと謝れと」
そういうところ、あの人は律儀だ。
「いいんですよ、私もそっけない答えをしてごめんなさいね。きちんと謝れるこころちゃんは凄いわね」
「いいや、聖は凄いぞ。私だったらこいしをボコボコにしているところだ」
「……?」
なんでこいしちゃんが出てきたのかしら。……ボコボコ?
「それより聖の言ったとおりだった」
風の音に混じって、弾んだ声が聞こえる。
「なにがですか?」
「神子は何で聖が最近バイクに良く乗ってるのか教えてくれた」
「えっ……!な、なんといっていましたか?」
神子に聞けば分かるかもしれないというのは、実際人の感情に聡い彼女なら私の最近のこの傾向になにかしら説明を与えてくれるのではないかという思いが多少あったから。だけど本当は、こういえばこころちゃんの興味が移ってくれるのではないかという浅はかな思惑からだった。
「神子は『白蓮は元々、そんなに性根の立派な女じゃあない。我欲の強い、わがままな女性なんだ』と言っていた」
「ほ、ほほう、続けて下さい」
こころちゃんに何と言うことを言ってくれるのだ。
「それで『白蓮が慕われているのは、彼女のわがままが結果的にたくさんの妖怪を幸せにしたからだ。本当はそれだけで、彼女もその自覚があったはず』だって」
「……」
「『彼女がバイクに乗って楽しそうなのは、自分が本来的には不良じみた非行少女だってことを思い出せたからだ。たくさんの妖怪に慕われて、崇められるうちに、その期待は息苦しいものになっていったはずだ。彼女にその自覚は無かったかもしれないが』」
どうして、あの人は本当に……。本当にもう。
「『異変の過程でちょっと自分のイメージと違うことをやってみたところ、思ったほど周りの反応が悪くなくて、彼女は気付いたんだ。自分がそんなに聖なる存在じゃなくっても、みんな自分を捨てないでくれるってね』と、いうのが神子の予想だ。聖、あってる?」
もう夕方だというのに今日はまだ暑い。
それとも後ろからしがみついているこころちゃんの体温が高いのかしら。
安全運転のせいで風が体感温度を下げてくれないのかも。
「聖、首筋真っ赤だけど、大丈夫?私くっつぎすぎだろうか」
あの人はどうにも苦手だ。
あんまり見透かされると、その、恥ずかしい。
余計なこと言うんじゃなかった。
「こころちゃん、ちょっと飛ばしていい?」
「お?おおー!これが首都高をかっ飛ばす爽快感の表情!」
深秘録のスペルカードで自分が聖なる存在ではないという自嘲を込めてばばあ名乗ったりしたのかもしれないという妄想をいだきました。
こころ可愛い聖さん可愛い
聖さんのバイクに乗る理由の答え、相手をよく知らないとこんなにわからないですよねえ 神子さんは聖さんのことよく知ってるんですねえ
なるほど、確かにと唸らされましたなぁ。
ストーリーも良いですね
いいですね!
終わり方がいいね!
そんな気持ちを思い出すお話でした
この聖大好き!
とにかく素敵なひじみこころでした
あと聖が格好良過ぎてバイクの後ろに乗せてもらいたくなります
ひじみこが好きな人がまだこんなにいてくれて嬉しい
素敵なSSでした
たまらんですばい!