「ねーねーパチュリー、雪ってどうやって降らせばいいの?」
紅魔館の地下大図書館。
いつもの様に、パチュリー・ノーレッジが小悪魔の淹れた紅茶を嗜んでいると、季節感をどこかへ忘れてきたような言葉が頭上から降りてきた。
「フラン、今は真夏よ。夏に雪は降らないわ」
「季節感をどっかに置いてきたような場所で何を言ってるの、パチュリー」
「まあ、魔法で無理やり年中快適な環境を作り出してますからねー、ここ」
もちろん、快適というのは本にとって、ということだ。
温度は摂氏22度を保ち、湿度も55%前後を維持。
結露や過湿など、本にとって致命傷とも言える環境変化など断固として許していない。
魔法の実験などで、不可抗力に発生してしまった二酸化硫黄・窒素酸化物などの汚染物質ガスなども即座に浄化。
紫外線も当然カットカットカットカットである。
「まあ、それはいいわ。それで、何? 雪を降らせたい?」
「そう、雪! パチュリーから借りた本を読んでて思いついたんだけど…………あの本いいねー、気に入っちゃったわ」
パチュリーはフランに本を貸した覚えはないが、どこぞの黒白と違ってキチンと期限を区切って返却するので、半ば黙認している。
「読み終わったのなら、後で小悪魔に返却しといて。それにしても」
雪……ね、とパチュリーは独りごちる。
パチュリーの印象では、雪という儚さの代名詞みたいな単語と、フランドール・スカーレットとのイメージが結びつかなかった。
小悪魔も同様らしく、解せないといった顔をしている。
「だって、素敵で綺麗だったんだもの」
二人の心情を察したのかどうなのか、フランは少し拗ねたような様子で、そう言った。
フランのその言葉に、パチュリーは物心付いて初めて見た、雪の降る光景を思い出した。
深々と降り積る白くて、冷たい、粉。
普段は色とりどりで雑多な景色を、白一色に染め上げてしまう。
生きるものは息を潜め、一時の間、白こそが世界の色となる。
それは、まるで世界を侵略する魔法のようで。
しかして、自身は侵し難い静謐さを持っていて。
――――――――ああ、それは確かに綺麗だった。
「しかし、雪を降らすなんて――――――フランからそんなロマンチックな言葉が聞けるとはね」
「あら、パチュリー知らないの? これでもわたし、巷じゃ魔法少女って言われてるんだよ? 夢と希望を振りまくんだよ?」
「貴女が振りまくのは、弾幕と破壊痕でしょうに」
「ダメですよ、パチュリー様。妹様に失礼です、そんな本当の事を言っちゃあ」
フォローできていないフォローをする小悪魔をジトと睨むフランに対し、パチュリーは一つの現実を告げる。
「まあ、どうあれ。フラン、さすがに今は時期が悪いわ。真夏に雪なんて、下手をしたら異変扱いされて巫女が怒鳴りこんでかねない」
「巫女を怖がるなんて、七曜の魔女の名が泣くわ。それに別に館の中でやればいいじゃない」
「巫女が出張ると、例の白黒も当然出張るわ。図書館に面倒事を招き入れる趣味はないし、本を持ってかれる隙も作りたくないのよ」
「それに、図書館内で雪なんか降らすと本にとっては致命的ですし、紅魔館本館の方でやると後片付けで咲夜さんの負担が凄い事になります」
息のあった主従の連携攻撃に、フランは二の句が継げない。
「……………………わかったわ。はいこれ、借りてた本」
本を小悪魔に投げて寄越すと、フランは少し肩を落としたような様子で、大図書館を後にした。
その姿を見送った主従は、暴れることもなくあっさり身を引いたフランに対し、ほぼ同時にふう、と安堵の息を漏らす。
「本に影響を受けて何かをするというのには、協力してあげたいけどね」
「まあ、雨ならともかく、雪を降らせるっていうのは難しいですよねー。…………あれ、この本?」
何よ、とパチュリーが小悪魔に返却された本のタイトルを覗き込む。
次の瞬間、パチュリーは、フランの言葉を受けて雪を見た原体験を思い出したことを、ほんの少し後悔し、複雑な表情を浮かべた。
紅魔館の最奥にして入らざるべき聖域、フランドールの地下部屋。
フランが、自身以外の気配があるはずのない、その空間に足を踏み入れた瞬間、突然フランへ語りかける声が響いた。
「振られちゃったみたいねー」
「――――――なんだ、来てたのね、こいし」
驚きは一瞬。
急に目の前に現れた少女に対し、さして警戒をする様子もなく、フランはお気に入りのクッションソファに身を投げる。
「あーあ、頭の硬い魔法使いのせいで、折角の楽しそうなことが台無しだわ」
「んー、楽しそうなことって?」
数瞬前まで入口付近にいたのにもかかわらず、クッションソファで寛ぐフランの側に気配も感じさせず現れるこいし。
その不気味とも言える現象に、しかしてフランは気にもせず言葉を紡ぐ。
「こいしは、あの本読んだことあるかしら?」
「司書さんに返してたアレ? あるよー、最後が素敵よね」
こいしのその言葉に我が意を得たりと、こいしに対して目を紅く輝かせ身を乗り出すフラン。
「そう、最後が素敵で綺麗。要はアレをどうにか再現したいのよ。ね? 雪でしょ?」
「ぬー、アレかあ」
なるほどねえ、と考え込むこいし。
そして唐突にピコーンと電球を発し、ゴニョゴニョとフランに耳打ちする。
「面白そう!」
「でしょー」
二人の少女が地下の密室で蠢動する。
そして、それはすぐに実行された。
星屑たちが呑み込まれてしまったような夜空。
フランとこいしは、すべての準備を終え、門番の眼を盗んで(いつも通り寝てた)館を抜け出し、紅魔館のやや前方の上空に佇んでいた。
「――――――うん、そろそろいいかな」
こいしは、そう言うと一枚のスペルカードを取り出した。
「――――――ええ、それじゃあ始めましょう」
フランも、同じくスペルカードを一枚取り出す。
二人が待っていたのは、時間。
最も闇が深くなる時間を、二人は逸る心を抑え、粛々と待っていたのだ。
そして満を持した今、少女が二人、高らかに宣言する。
――――――――――――【ブランブリーローズガーデン】――――――――――――
こいしの背後に、薔薇の園が形成される。
殊更に特筆すべきは茨だろう。
延々と伸び続けるそれは、空を覆い尽くさんばかりの勢いだ。
周囲に張り巡らされる茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨、茨。
元より一度根付いた茨を取り除くのは、至難。
縦横無尽に世界を侵食し根を下ろさんとする茨を取り除くのは、まさに不可能の一言だろう。
―――――――――――しかし、ここに、その不可能を可能にする魔杖がある。
かつて、世界を焼き尽くしたと云われる豪炎。
その炎は、一振りの魔杖より放たれたとされる。
北欧の神話により語り継がれる、それの名を冠した現象を起こす、一つの禁忌。
――――――――――――― 禁忌【レーヴァテイン】 ―――――――――――――
光が消え失せた空に、煌々と輝く炎。
その炎に吸い込まれるようにして、無数の茨が迫る。
「この――――――――――――想いは…………!」
轟々と燃え盛る破滅の杖が振り降ろされる。
何人にも払えぬその炎は、幾重にも折り重なる魔法の茨を尽く灰燼に帰す。
そしてその灰は、遙か上空からまるで堕ちるように、紅魔館周辺に儚く降り積もるのだ。
「お嬢様、フラン様が――――――寂寞の夜空に……」
「ええ、咲夜――――――舞い上がり砕けた……のね」
その光景は、かつて空を赤く染めた館の主人とその従者にも。
「むにゃ――――――この世界が、形を変えるたびに…………むにゃむにゃ」
黒檀のような決意の固さで、闇の中を眠る門番にも。
「フラン、貴女は――――――守りたいものを……」
「そうですよパチュリー様――――――壊してしまっていたんです」
吸血鬼の住まう館に設置された数少ない、嘆きの窓から上空を見上げる、大図書館のマスターとサーバントにも。
それぞれの眼に、きっとこう映っただろう。
それは、ああ、まるで……………………
『雪のような――――――灰』×3
「しかし、『マッチ売りの少女』を読んで雪を降らせたくなるなんてね。さすが妹様、気が触れてるわ」
「まあ、趣味が良いとは言えませんよね~」
舞うようにして、楽しそうに業火を揮うフランを見て、ふふ、と今回の功労者であるこいしが微笑む。
ただ深々と降る雪では、きっとフランは満足しない。
フランから事の詳細を聞かされ、こいしは無意識にそう思った。
あの話の最後が、素敵で綺麗だと、フランは言った。
こいしも、同じく素敵で綺麗だと思った。
こいしは、無慈悲な雪と残酷な燃え滓に塗れた、少女の死体に対して。
フランは、儚い命によって燃え尽くされた、儚い夢の後の灰に対して。
故に、灰を降らせなければならないと、こいしはそう思ったのだ。
フランの無意識の意図を百パーセント理解出来たこいしは、故に無意識にフランと行動を共にする。
自分の意図していた事を完全に上回った形で実現させてくれたこいしに、フランは得難い親愛を感じる。
禁忌と薔薇は、古来より共に人を惑わせてきた。
並び立つのは道理である。
「さあ、次は何して遊ぼうか?」
どちらかともなく、そう告げた。
良かったです
門番さんあんた何してるんですかw