Coolier - 新生・東方創想話

ア・バウム・クーヘンの怪物

2014/01/26 22:32:28
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 運命は、このような音でドアを叩く。

 けたたましいノックの音にも関わらず、レミリアは優雅に両手を振り、まるで指揮者のように振る舞った。
 そう、それは壮大で華麗なシンフォニーが流れているように彼女は両手を操り、まるで何かに答えるように呟く。

「あらあら、そっちは駄目らしいわね。なら、こっちの方が良いのかしら。ああ、多少、無様ではあるけれど、やむを得ないかしらね。ときに、運命は残酷なものなのだし」

 まるで陶酔しているかのように、誰もいない一人の部屋で両手を振るう姿は、美しく凛と立つ少女指揮者のそれであり、ちょっとした中二病患者のそれでもあった。

「そうねぇ、最初の選択はこうかしらね、『……入るわよ、レミィ』」

 レミリアが呟くと、ドアの向こうからノックの音が再びする。

「入るわよ、レミィ」

 反応がないためにもう一度ノックをしつつ、続いて女指揮者の親友、パチュリー・ノーレッジが入室した。
 どこか病的で窶れた顔色に陰鬱な雰囲気を纏う魔女ではあるが、一方でその二つの瞳に知性に爛々と輝き、ときに聡明、ときに狂奔とした印象を与える。

「どうぞ、お座りなさい、パチェ。あなたらしくもない、慌てた様子ね」

 そう言うと、先ほどまで振るっていた両手を納め、また自分の椅子に腰掛ける。
 それはまるで、今、あなたは何も見なかったわよね、と言外に確認するほどの自然さであった。彼女は典雅に座ってみせて、ティーカップにそっと触れる。

 そしてそのまま手元のどす黒い紅みを帯びた紅茶を優雅に口元に運ぶと、その典雅な調子は一切換えず、まるで世の中には動ずべきことが何もないと言うかのようにパチュリーに視線を向けた。

「そう、みえるかしら……」

 そのレミリアの仕草の典雅さへの感銘と、えっ、今のなかったことになるの、という驚愕の表情を併せて浮かべて、パチュリーは暫くレミリアの顔を凝視する。
 いや、この賢者はもっと違う何かに驚いているかのようですらあった。

 このどこから見ても少女としか思えない女主人の気品、そして吸血鬼の緋色の瞳。それにさっきまで虚空に向かって一人で何かしていた、その奇妙な動作。
 いや、最後については敢えて突っ込まないこととして、少なくとも彼女の持つその容姿と仕草は見るものに強い印象を与える。

 ともすれば少女のような外見を、完全に否定し尽くすその雰囲気。
 カリスマ、あるいはアウラ、とでも言うべき何ものか。
 見るものによって恐怖、忠誠、尊敬、威厳、傲慢、憎悪、さまざまな感情を呼び起こすことだろう。
 だが、本来そうした親友の外見に見慣れていたパチュリーをして、レミリアの顔には凝視させる「なにか」があった。

「さ、どうしたの?まるでフランが逃げ出したみたいな顔をしているわよ、今のあなた。鏡で見せてあげたいくらい」
「……幸い、そうではないのだけれど」

 最近は驚くほど安定している当主の妹ではあるが、かつては事あるごとに反抗を試み、そのたびにパチュリーが水の魔法を駆使して、つまりは雨を降らせなければならなかったものだ。
 それも今では過去の話、霊夢や魔理沙、その他愛すべき幻想郷の皆様のおかげで精神状態は安定してきている。

「なら、急ぐことは何もないでしょう。さ、お座りなさいな。あなたの分の紅茶も用意させないとね」

 小さな呼び鈴を鳴らしてパチュリーに席を勧める。
 すべて優雅にことを運び、動揺している賢者を即座に落ち着かせてみせる。まさにレミリア・スカーレットの本領、ここにありだ。

「……ええ。確かに、急ぐことでもないのかもしれないけれど」

 そんな落ち着いた女主人を見て日頃の冷静さを取り戻したのか、パチュリーはやっと席に腰掛けた。
 そしてまた、じっとレミリアの顔を見つめる。

「それで、どうしたというの?動かない大図書館と言われたあなたが、そんなにも慌てるなんて。世の中には事程左様に慌てることなどないものよ。あんまり長生きするものではないわね。世はすべてこともなし、……退屈だこと」

 レミリアは親友を安心させるように、そう言って微笑む。
 少なくともフランが関わっていないことであれば、レミリアが慌てるべきことなど、……あんまりないのだ。

「そうね、確かにそうなんだとは思うのよ。それに、レミィにとってはたいしたことじゃないでしょうし、私にとってもそんなに必死になるべきことでもないのだけれど……」

 落ち着いたせいか、さっきまでの様子とは打って変わって、逆に戸惑ったように言葉を選んでパチュリーが言う。勢いで何事か言おうと思っていたのに、落ち着いてしまったせいでかえって困っているようだ。レミリアに切り出しかねているらしい。

 そんなおずおずとした態度の親友に、レミリアは優しい視線を投げかけた。この吸血鬼が、身内だけに見せるあの暖かい視線。

「さ、パチェ。私の大切な魔女さん。私たちは親友でしょう?何を隠すことがあるというの」
「……ーへん」

 その優しさに引き出されるように、パチュリーは消え入るような声でつぶやく。

「……変?」
「ばうむくーへん……」

 そこまで言うと、パチュリーは恥ずかしげに帽子を目深にして言った。

「バウムクーヘンを知らないかしら、レミィ!?」
「……ええ、知っている、けれど……」

 そこまで言うと、レミリアは苦笑する。親友の意図が、いまいち伝わらなかったためだ。
 だが、そこで羞恥に震える賢者は本気のようで、愛らしくもある。普段のあの冷たい知的な雰囲気からはかけ離れた表情だった。

「ドイツのお菓子ね、年輪の形状をした焼き菓子でしょう」
「そうじゃないの」
「そうじゃない?」

 ん?
 いえ、あれ、バウムクーヘンって、違ったかしら。ドイツ語の、あれよね、あのお菓子。「Baumkuchen」。
 あれ、違うの?
 もしかして、なんかそういう古代の魔法とか、あるの?
 あるいはオカルト的な何かとか。もしや、邪神とかにいたっけ、あ、そう、いたかも。うー、そうそう、ドリームランドとかにいたかも。あの、あれよ、きっと眷属的な何か。

 咄嗟にレミリアが口元に手を置いて高速で灰色の脳細胞を働かせていると、パチュリーが慌ててその思考を中断させる。

「レミィ、違うのよ。バウムクーヘンが何かは私も知っているわ。そうじゃなくて、そのバウムクーヘンの所在が知りたいの。ええ、だから、つまり、その、バウムクーヘンが見つからないのよ!」
「バウムクーヘンが、ない?」
「ないのよ」

 ようやくパチュリーは再び冷静に戻り、むきゅ、と声の調子を整えた。

「その、たいしたことじゃないのだけれど」

 あの剣幕で「たいしたことじゃない」、もないわよね、とレミリアは思う。

 しかし、この親友の魔女はなんとか体裁を整えたいらしく、こほん、とわざとらしく咳をしてみせた。咳をするのはいつものことだが、敢えて咳をする様子は彼女にしては珍しいことで、微笑ましくもあった。

「その、バウムクーヘン、なんだけど。いえ、別に何か、深い意味があるとかじゃないのよ。邪推とかされても困るし。その、噂とかされると恥ずかしいし」
「……パチェは、キャラの方向性を変えていくつもりなの?」

 今、流行のツンデレかしら?いえ、ツィタデレだったかしら?
 対戦車戦用パックフロント設置型城塞系女子。
 運命的な流行を感じる。多分、こう1周した感じで。

「ち、違うの。そうじゃなくて。違くて。その、何て言うのかしらね、そのバウムクーヘンは、魔理沙とアリスの手作りで、お土産に持ってきてくれて……」
「大問題じゃない!」

 今度はレミリアがテーブルを叩いて立ち上がった。

 ことほどさように、世の中に慌てることはあるのだ。世はすべてことばかり。「動くとあれば、もろともに動く」だ。

「ご、ごめんね、パチェ。これは慌てることだったわ、あなたにとって。それを何も知らない私が落ち着けだなんて、酷いことを言ったわ。少し前にあなたの眼前にいた吸血鬼に、平手打ちの一つもしてやりたい気分ね、……って、落ち着いてうまいこと言ってる場合じゃないわ」

 さしてうまいことかは分からないが、レミリアは親友のために「うー」、などと呻きながら慌てて席を立って部屋から出て行こうとする。
 これで「あーうー」なら守矢神社の祟り神か、あるいは秀才なのに鈍牛呼ばわりされるかのどちらかだろう。キャラ崩壊の危機である。

「ま、待って、レミィ、良い、良いから」

 だが、そんな様子の親友の腕に、慌ててパチュリーが抱きつき止める。

「良いから、じゃないわよ、パチェ。あなたあの子達から貰った手作りのお菓子なんて、本来永久保存版じゃないの。私なんて、フランからもらったクッキー、未だに金庫に保存してあるわよ!」
「……それ、腐ってない?」
「咲夜に任せてるから大丈夫、私が信じる咲夜を信じる」

 格好良く言ったレミリアだが、結局、ただのトートロジーだった。
 とはいえ、時間を操れる能力があれば、あるいは。

「で、その永久保存版のバウムクーヘンはどこにあるのよ?なんなら、紅魔館のメイドたち、全員動員して探すわよ?いや、妖精メイドじゃ役に立たないわね。あるいは、あれね、あの仏教徒のところに出向いていって、力付くでもダウジング使いを呼びつけるわよ?」

 友情に絆されてか、レミリアが言う。
 そんなことしたら、命蓮寺と紅魔館で全面戦争になりそうだが、割合幻想郷ではよくあることではある。喧嘩するほど仲が良い。
 トムとジェリーは仲良く喧嘩するものだ。

「良いから、そこまでされたらもう公開処刑と一緒だから」
「い、いや、そんな、体裁とかに拘ってる場合じゃなくない?」

 レミリアがさっきまでの落ち着きはどこへやら、パチュリーに答える。

「良い、本当にいいの。ただ、どこかにあるかな~、どこかに行っちゃったのかしら~、て思っているだけだから。本当にそれだけだから」

 レミリアの翼と腕をつかんで、パチュリーは言い募った。ちょっと暢気風に言ってみせるが、その形相は必死そのものだ。こんなことで幻想郷をまっぷたつに割る千年戦争でも始められたら困る。
 この親友なら、友情のためにそれぐらいやりかねず、炎の匂い染み着いて噎せるだろう。いや、それはパチュリーが吐血しているだけかもしれない。

 その原因が魔理沙とアリスのお土産バウムクーヘンとか言われたら、そりゃ、この冷徹無比をもってなる賢者をして、ベッドの中で枕を抱えてごろんごろん、羞恥に震えて吐血させるだろう。
 横で看病する小悪魔も心配である。色々な意味で。

「そう、なの?」
「そう。大丈夫。ね、だからとにかく座って」

 暫くレミリアはパチュリーを見つめていたが、やがてやれやれ、と元の席に戻った。パチュリーが落ち着いているのに、自分の方が慌てているのもおかしいと思ったのだろう。そしてレミリアはまたティーカップを持つと、軽くパチュリーを揶揄した。

「あなた、自分の欲望に忠実になった方が良いと思うわ」
「私は忠実よ、失礼ね」
「体裁を気にしているうちはまだまだよ」

 レミリアはため息混じりにそう言う。

「で、バウムクーヘン、だったかしらね。それが何処に行ったっていうの?」

 そのレミリアの問いにパチュリーが首を振った。わからないの、と。

「昨日の夜、だったかしら。魔理沙とアリスがやって来て、珍しく贈り物がある、なんて言って持ってきたのよ。全く、夜にいきなり来て、そんなの持ってきてどうする気だったのかしらね」

 お茶の時間でもないのに、とパチュリーは愚痴っぽく言う。勿論、長いつきあいのレミリアにとっては、それが惚気話の類であることはわかっていたので、にやついた笑みを浮かべつつ先を促した。これなら、紅茶に砂糖も蜂蜜もいらないわね、と。

「それで、その場で3人で分けて、小悪魔に言ってお茶会にしたのよ。で、残りはおみやげ、って二人が置いていった、んだけれど……」
「その残りのバウムクーヘンがなくなっている、ってこと?」
「ええ。小悪魔に聞いたのだけれど、そういえば、あの後は見てないですねぇ、って」

 一見するといつも通り冷静に見えるが、やはりパチュリーにはどこか悄げた雰囲気があった。

「あのとき、なんで眠気に負けて眠ってしまったのかしら。いつもなら……」

 ちゃんとしまったでしょうに。魔術的なさまざまな措置を施して。
 その後悔を感じて、レミリアはうなずく。

「……紅魔館には、よくあることだけれど」

 レミリアが重々しく言葉を発した。

「これはまた、悲劇的な事件ね」

 運命を操る女主人、特有のカリスマ的な言葉だった。
 
「レミィ……」
「これまでも、悲しい歴史があったわね。鯛焼き、ゼリー、ケーキ、大福、お饅頭にスコーン、ザッハトルテにタルト、キャンディー、ムースにアイスクリーム、ジェラート、かき氷、クッキー、鯛焼き……」

 レミリアは思い起こすように宙に視線をやる。美しい詩を暗誦するように、お菓子の名前が流れていく。ちなみに、鯛焼きだけ二回言っている。

「そう。過去の悲劇。誰かが大切にとっておいたお菓子が、他の誰かのお腹に収まってきた、禁断のおぞましい歴史」

 そのレミリアの重い一言にパチュリーは唾をごくりと飲んだ。
 確かに、紅魔館の歴史は、「大切にとっておいたお菓子を、お気楽に誰かが食べてしまった」という悲劇の歴史の、その連鎖と言っても過言ではない。

 フランが無邪気に姉の目の前で、姉の皿のザッハトルテを両手で掴んで貪ってしまったために、姉妹間で取っ組み合いの喧嘩をし、咲夜と美鈴が慌てて止めるために鐘を鳴らしてその騒音で止めた「吸血鬼の晩鐘」。

 咲夜が何の気なしに口に放り込んだ饅頭が、美鈴の虎の子の最後の一つであり、絶望にかられた美鈴が部屋に閉じこもってしまったため、咲夜がレミリアのおもしろ半分の命令で門番の代わりをさせられた「門番メイドの屈辱」。

 咲夜がレミリアのために作っておいた月見団子を、美鈴が前日に食べ尽くしたことから起こったあの悲劇、咲夜による美鈴無視という陰惨な報復。「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」として知られた「十五夜の虐殺」。

 フランが隠していた楽しみにしていた蜂蜜を、レミリアがスコーンに使ってしまったために起こった「第二次吸血鬼の晩鐘」と、それに続く「大シスマ(ただの姉妹喧嘩)」、「フランドールの地下室補囚(1週間出してもらえなかった)」。

 パチュリーが氷の魔法で取っておいた来客用(主に特定の客用)アイスクリームを、レミリアがホットケーキに乗せて食べてしまった「ホットケーキ奇襲」。

 そして、「全然、少しも気にしてない。気にしてないったら。ほら、だって私たち、親友じゃない。レミィ、私たち、ずっと親友だよ?」と言って大情報戦を繰り広げたパチュリーが、その日のうちにレミリアの大切に保管していた、霊夢用の鯛焼きを小悪魔とともに食べ尽くしたあの史上最大のやけ食い、通称「オーバーロード作戦」。

 どれもこれも、血を見ることなしに済んだものはない。

 菓子がなくなるということは、紅魔館に戦雲を招くことであり、ろくなことにはならない。たいてい、暴力の応酬やギスギスした空気が張りつめ、喧嘩の当事者以外も胃を悪くしてしまう、そういうものなのだ。
 今回も、その悲劇の幕がまた開くというのだろうか。

「また、立ちふさがるというのかしらね、ノストラダムスの大予言」
「何の話よ、レミィ」

 カメラ目線で決めたレミリアに、パチュリーが咳払いする。
 良かった、レジデンス・オブ・サンじゃなくて。

「とはいえ、まだその悲劇に至ったかはわからない、んじゃないかしら?億万が一、どこかでバウムクーヘンの安否が確認できるかもしれないし」

 パチュリーは自分でもたいして信じていないのか、淡々と言う。
 その落ち着いた雰囲気に、レミリアが悲劇を回避できる可能性を感じた。

「でも、仮に、よ。仮にパチュリー。その大切なバウムクーヘンを誰かが食べていたとしたら、その哀れな犠牲者はどうなるのかしら?」

 レミリアがそう言って、敢えて正面からではなく横目でパチュリーを見ると、彼女は喉だけ鳴らして笑う。

「あら、別に悪意で食べたわけじゃないかもしれないでしょう?酷いことなんて、しないわ、恐怖小説や官能小説みたいに。ええ、しないですとも。私がすると思って?」

 横目で見ていたレミリアは慌てて視線を外にずらした。親友ではあるが、ちょっと、怖かったからだった。

「ですよねー。しませんよねー?」
「私が過去にそんなことした?」

 したよ、思いっきりした。少なくとも前者的な意味で。

 レミリアが喉まででかかった言葉飲み込み、ククッ、と笑って誤魔化す。なんとかカリスマは維持できたはずだった。

「で、今回はあれですか、パチェさん。あの、相手が素直に謝罪したら許す感じですか?」

 残念、維持できていなかった。ばっちり敬語を使ってしまっている。

「……素直?謝罪?罪って、償えるものなのかしら?」

 パチュリーが優しい笑みをうかべて続ける。

「血は血を求め、名誉は血を求める、よ」
「パチェ、私たち、マフィアじゃないわよ?」

 オメルタの掟を口ずさみ始める魔女に、吸血鬼は少し引く。

「だって、あれよパチェ。バウムクーヘンはお菓子よ?お菓子が仮によ。誰かのお腹に消えたとしてそれへの対価はバウムクーヘンを返すことじゃないかしら?それが等価交換ってやつだと思うの」

 なんとか人道に戻るよう吸血鬼が力説すると、魔女はうなずいた。

「……目には目を、歯には歯を、ね?」

 パチュリーが古バビロニアの刑法制度に触れる。

「ちなみに、あの法典は限度を決めているのよ、レミィ。だから、最高でも同害までとしているだけで、それよりも少ない代償、つまり金銭や物品での代償も認めているのよ」

 理性的な光を湛えて賢者は答え、その様子に吸血鬼はようやく表情を和らげた。

「そ、そうよね。だとすれば……」
「魔理沙とアリスの手作りバウムクーヘン、と等価の代償よ?」

 賢者が微笑み、吸血鬼は笑みを強ばらせた。

「あの、主観的な判断ではなく、第三者の客観的な価値基準で測るべきじゃないかしら?」
「レミィ」

 パチュリーは親友の手を取った。

「フランのクッキー、食べちゃった」
「パチェ、あなたは大切な親友だけど、吸血と絞血どっちが……」

 そこまで言って、危ない危ない、とレミリアは微笑んでこつんと額を叩いた。
 あやうく、この魔女にひっかけられるところだった。悪しきオーラ力でハイパー化してはいけない。

「パチェ、あなたの気持ちは分かったわ。……それで、嘘なんでしょ?」
「……金庫を開ける鍵、フランの人形の抱き枕の中とか、引くわ~」
「こら、もやし賢者。言って良いことと悪いことがあるわ!」

 腕をまくし立てる古典的な姿勢で魔女ににじり寄るレミリア。

「……嘘よ、レミィ。もっとわかりにくいところに隠しなさいな。あなた、たいていフラングッズに隠すの止めなさい。咲夜が見て見ぬふりするの、大変そうよ」

 しれっと答えるパチュリーに、レミィがこつん、とまた額を叩いた。

「てへっ」
「てへっ、じゃないわよ。……つまり、あなたと私は根本で同じなのよ」

 とにかく誤魔化すレミリア。
 暗い瞳で吸血鬼の緋色の瞳を凝視する魔女。

「私たち、ほとんど違うと思うけど」

 そう答えて、レミリアが翼と背を伸ばして椅子にもたれた。

「根っこが同じだから、こうしてやってられるのかもね」

 今度は賢者も苦笑してうなずく。

「ね、だから、わかるでしょ。私の気持ちが」
「まぁ、分からないわけではないわ。でも、憎しみや妬みは何も生まないじゃない。ああいうのは、パルスィみたいに一芸をきわめて初めて何かを生むのよ」

 橋姫のパルスィ師匠は、妬ましい、の流行語大賞で幻想郷に君臨した。ちなみに、師匠に言わせると、ずっと使ってきた言葉を今更晒し上げするとか、あなたたち馬鹿でしょ、というツンデレな回答を返して授賞式への出席を拒否したという。
 そこ、「妬ましい」を絡めてコメントするところでしょう、その辺に芸人としての自覚が足りないですよね、と主催の阿求は言ったとかなんとか。

 あの娘、そのうちパルスィに取り殺されると思う。

「あぁ、レミィ。私、あなたが思ってるほど憎いとか報復したいとか思ってるわけじゃないのよ?」

 レミリアの心配をよそにパチュリーが顎に手を当ててつぶやく。
 そして、そのまま爪を噛んで憎々しげな表情を浮かべた。

 その表情にしばらくレミリアは紅茶を飲んで落ち着いて応じて見せた後、慌てて顔の正面で手を横に振った。

「いやいや、全然、本当に、全くそうは見えないわよ、パチェ。嘘を付くならもっと真剣に嘘を付いて欲しいものだわ……、ごめん、付いてください」

 途中、パチュリーの剣呑な表情に押され、レミリアが慌てて語尾を和らげた。「ください」を語尾につけると、相手への印象は和らぐと言いますから。

「ふふ、プラウダにはプラウダはなくて、イズベスチヤにはイズベスチヤはないのよ、レミィ?」
「もう、何言っているんですか、パチェさん?」

 再び、さん付けに戻ってレミリアがパチュリーの真意を伺う。あれ、これ、まずいかしら、という感じで。

「つまり私はこれっぽっちも、些かも取り乱すことなく心は平静、そう言いたいのだと思っているの、きっと」

 自分でもやや疑問があるのか、パチュリーがぜいぜい呼吸を荒げつつ言う。つまり、確信はないらしい。確かに興奮してきており、頭に血が上っているようにも見える。それが羞恥のせいか、憤激のせいかはいまいち分かりかねるが。

「うー、まぁ、だいたい分かったわ。パチェのためにも、紅魔館の平安のためにもバウムクーヘンを見つける必要がある、そういうわけよね。少なくとも、バウムクーヘンが辿った、その運命の行き先を」

 レミリアは大仰に頷くと、鋭く小さな声を上げた。

「咲夜!」
「はい、お嬢様」

 完全で瀟洒なメイドは、当然のごとくその小さい声に応じて入室した。

「お呼びでしょうか?」

 しれっと答える咲夜に、パチュリーが苦笑して言う。

「呼び鈴を鳴らしてから、ずっと扉の向こうで待っていたのかしら、咲夜?」
「困ったものね」

 レミリアが肩を竦めるが、咲夜は取り澄ました顔で続ける。

「お話が盛り上がっていましたので、水を差してはいけないと」
「……水を差して欲しい場面が多々あったわ」

 レミリアがうーっ、と咲夜を見つめるが彼女に何ら表情の変化はない。

「またまたご冗談を。お嬢様とパチュリー様がお話をされているときに、命の危険を感じるようなことなど、有りようはずがありません」

 そう言って勿体ぶるように首を横に振った。

「咲夜、あなた聞き耳まで立ててたわね」
「盗み聞きなんて、瀟洒と言えるのかしら?」

 二人に責められて、咲夜が微笑する。

「白鳥は優雅に泳いでいますが、水面下では必死に足掻いているのですよ」
「……つまり?」
「どんな失態や悪行も、見つからなければどうということはありませんわ」

 咲夜が目を閉じてこともなげに言うと、二人は思わず黙り込んだ。

「……瀟洒ね」
「……瀟洒だわ」

 その性根は見事なものだ、と主人とその親友が唸ってお互いに視線を交わす。あれ、瀟洒、ってそういうことだっけ、と思いながら。

 完全で瀟洒である条件は、他者にそう評価させることにあり、必ずしも常に「完全で瀟洒」である必要はないのだ。
 ある種の悟りといえよう。ただし古明地は関係ない。

「それで、私のメイド長。話はだいたい分かっている、そういうことでの良いのね?」
「はい、お嬢様。パチュリー様のバウムクーヘンがなくなり、その行方が分からない、ということでしたね。但し、その詳細までは分かりかねますが」

 そこまで言うと、咲夜は暫くレミリアの目をまじまじと見つめた。

「お嬢様?」
「……何かしら?」

 急に自分に問いかけるメイドに、女主人は不思議そうに首を傾げた。

「いえ、少し気になることがあっただけです。たいしたことではありません」
「……何よ、気になるわね。咲夜、私に言いたいことがあるのなら、いつでも言って良いと……」
「それで、本題はどうなったのかしら?」

 咲夜とレミリアが今にも二人だけで話し始めようとするのが気に障ったのか、パチュリーが間に入るべく声を上げた。レミリアは思わず苦笑してうなずく。

「ごめんなさい、パチェ。あなたを仲間外れにするとか、そういうつもりじゃなかったのよ」
「分かってるわ、レミィ。それで、咲夜?」

 パチュリーの視線に、咲夜は暫く何か言いたそうな顔をする。そして、彼女らしくなく唇を指で掻いて、言葉を探し始める。

「えっと、バウムクーヘン、でしたね。そうでした」

 そこまで言うと、咲夜が再び唇を掻いてレミリアを見る。

「お嬢様は覚えがないのでしたね?」
「ええ。少なくとも私は見ていないわ。今日のおやつはスコーンだったし」

 そうでしょ、咲夜?とレミリアが尋ね、咲夜もうなずいて返した。
 その答えになぜか安心したように、レミリアも微笑んだ。


「ほら、パチェ。私は少なくともバウムクーヘンは食べていないわよ?」
「レミィじゃないのは良いとして……」

 パチュリーは頷くと、話を続けようとしている咲夜を促す。

「パチュリー様は当然、そのバウムクーヘンを探されたのですよね?」
「ええ。一応、紅魔館中をね。小悪魔から行方不明と聞いて探し回っていたから、もうかれこれ数時間は経つかしら」

 パチュリーが思い返すように、自分の記憶を点検しながら言う。

「それで、他の者は見ていないんですか?」
「妖精メイドや小悪魔には聞いたけど、やはり知らないと言っていたわ。レミィも知らないと言っているんだし、咲夜、あなたは?」

 パチュリーのやぶにらみするような視線に、咲夜がはっきりと首を振る。

「いえ。見た覚えはありません。ついでに言えば、食堂等に保管されたお菓子類の中にも見ていません。となると、あとは……」

 咲夜もまた、可能性を吟味するようにそらんじる。

「妹様や美鈴に聞いて分からなければ、もう迷宮入りでしょうか」
「あるいは、誰かの胃袋の中、ね」

 咲夜の言葉にレミリアがうなずくと、パチュリーもおおらかにうなずいた。

「すると、その「誰か」は誰?ってことになるわけね」
「……ちょっとしたフーダニットね。紅魔館で犯人探しでもする気なの、パチェ?」

 レミリアがため息混じりに言うと、パチュリーもやや躊躇いがちな表情をする。

「悪意がなくて食べてしまったのなら、仕方がないものね。でも……」

 パチュリーはそこまで言って、テンション高めに続ける。

「あ、ここに誰のか知らないお菓子があるぜ、ラッキーだな、食べちゃっても構わんな、じゃ、食べるぜ。……っていう展開は絶対に許せないわね」

 パチュリーが誰のまねなのか、分からないようにぼかした言葉遣をして言った。その割に物まね自体のレベルは高めで、ああ、よほど観察しているのだな、という特徴を捉えたものである。
 大変、伝わりやすい物まねです。

 ちなみに、今回、そのバウムクーヘンをプレゼントしてくれたのはアリスと魔理沙だ。重要なことなので繰り返すが、アリスと「魔理沙」だ。

「……パチェ、私、あなたの中に仮想敵が住んでいる気がするのよ。その仮想敵が大きな存在になりすぎた気がして、親友として多いに心配だわ」
「親友の従者としても心配です。ある人に特定して繋げて考える癖は、先入観にとらわれます。賢者と言われた方としては良くないことではないかと」

 二人の少々呆れている様子に、慌ててパチュリーが首を振った。
 何、馬鹿言ってるのかしら、と頭の上から出したような声で。

「ち、違うのよ。私が言いたいのは、つまり、お菓子が「そこに」あったからって、それを誰かのものだとも考えずに、無思慮にとりあえず食べてしまう、そういう考え方が許せない、って言っているだけで、特定の誰かを想定しているわけではないわ」

 最後は取り澄ましたように言い繕う賢者様を横目に、主人と従者は続けた。

「得てしてそう言うのよね、不特定だ、っていう側は」
「私としては、第三者委員会に審査してもらうのが良いのと思います」
「何で私の内心に第三者委員会が必要なのよ。っていうか、それ、私にカウンセラーが必要ってことじゃない」

 パチュリーの言葉に咲夜は深々と頭を下げた。

「ご賢察、いたみいります」
「えっ、何、私、そのレベル?」
「……自覚がないのね」
「ちょっと、レミィ。そんな目で見ないでよ」

 レミリアは哀れみを込めた口調に、さすがのパチュリーも焦りを感じたのか、弱々しい声で答える。

「とにかく。私が許せないのは、バウムクーヘンがそこにある、そこにあるお菓子が誰のものかは不明だ、だから私が食べちゃおう、なんていう暢気な三段論法を駆使した可能性のある輩について、なのよ」

 先ほどの特定人物を一段階抽象化することに成功した賢者に、しばらく生温い視線を送ってからレミリアはつぶやいた。

「分かったわ、パチェ。つまり、紅魔館の中に犯人がいなければ満足、ということで良いわね?」
「外にいる可能性もあるにはありますが……」

 咲夜は特定人物を想定した後、ため息混じりに言った。
 もしその特定人物が食べたとすると、お土産に持ってきた後にとって返したかと思うと、お土産に渡した物を盗み食いして帰って行ったことになり、もう、魔理沙の頭の中が心配になるレベルだ。
 いくらなんでも、そこまで魔理沙はパンクでもアヴァンギャルドでもないと咲夜は思っている。多分。

「そこまで確認する必要はない、ということでよろしいですね?パチュリー様」
「……、そういうこと、かしらね」

 パチュリーは不満げではあったが、ようやく渋々納得する。

「で、咲夜。そうすると、あとはフランと美鈴に確認する、ということだけれど」
「そう仰ると思いまして」

 咲夜が軽く手を叩くと、ドン、と扉が乱暴に開かれた。

「お待たせいたしました、お嬢様、パチュリー様!」
「あっ、ぶつかる、あぶなっ、……ということね、お姉様、パチュリー」

 軽やかにフランドールを肩車した美鈴が入室する。ちなみに、頭をぶつけそうになったフランも慌てて腕を組んで、見下ろす形で二人に挨拶した。この、何事もなかったように続けるところは姉妹共通である。

「何?あなたたちも待っていたの?扉の外で」
「……三人、そこにいたわけ?あなたたち、退屈じゃなかった?」

 親友二人が死んだ魚の目で入室者を眺めると、美鈴が頬を掻きながら笑った。

「あ~、咲夜さんに呼ばれてから、ずっと入室の機会を伺ってましたので。妹様と一緒に。お話が聞こえてたんで、それほど退屈じゃなかったですよ?」
「で、咲夜が入っちゃったんで、さっきまで二人でドアに聞き耳を立ててたんだけど、ようやく呼ばれたんで美鈴に肩車してもらって入ったわけね」

 入室するにも多少のインパクトが欲しいわよね、とのフランたってのご要望で美鈴が肩車して入室したわけだが。

「入るとき、頭ぶつけそうになったわよ、美鈴」
「すいません、妹様。でも、しゃがんでたつもりなんですけどねぇ」

 フランが美鈴の耳元に口を寄せて文句を言うのを、美鈴が殊勝に謝る。

「まぁ、分かったわ。とにかくまずは、降りてきなさいフラン。話はそれからよ」
「は~い、お姉様」

 妹を見上げながら姉が指摘する。
 どこの世界に肩車で入室する妹がいるのだろう、と半ば姉は心配になった。
 姉より優秀な妹がいても良いと思うが、姉の部屋に肩車で入室して得意満面になる妹はいない方が良い、と純粋に思ったのである。

「レミィ、ときどき私、思うのだけれど……」

 パチュリーは言葉を選ぶように、レミリアを気遣うように言った。

「あなた、妹の育て方を間違えたんじゃない?」
「それ、ど直球よ?パチェ」

 言葉を選んだわりに、ストレート160kmの剛速球でした。
 気遣いができてない親友は、決して悪意があるわけではなくて、人付き合いが下手なんだとレミリアは信じることにした。信じるだけならただなので。

「あと、一応、分かっていると思うけど言っておくわ」

 レミリアがよいしょよいしょ、あっ妹様そこに足を置くと少し痛いです、美鈴ちょっとしゃがんでて、しゃがみますからちょっと待って、などと美鈴と仲睦まじくじゃれ合いながら降りてくる妹を横目に続けた。

「私は絶対的に成功したと思ってるわ」
「……あなたが自分の言っていることを理解できているか、いまいち確信が持てないけど、とにかく凄い自信ってことは分かったわ」

 親友にドヤ顔で断言され、賢者がぼやく。

 少なくとも今、門番の肩から降りてくるというどこかトチ狂った行動をしている妹の姿はそれなりに愛らしく、またその様子を恍惚とした表情で見つめている姉はおよそ神聖さと狂気の狭間にたゆたっており、時間操作の能力を駆使してまでその姉の姿を堪能しているであろうメイドの多幸感に酔いしれる姿を横目にすると……、「やだ、私だけしかいないじゃない、まともなの」と賢者は安直に自覚した。

 ちなみに、妹様、妹様、髪の毛引っ張ると痛いですから、と言いながら、はらはらしている門番は割合まともなのだが、賢者はそこまで数えていなかった。
 別に美鈴に対して悪意があったのではなく、美鈴を数に入れると自分が「まともじゃない」側に数えざるを得ないことを知っていたからである。
 さすが賢者、汚いな賢者。

「で、バウムクーヘンでしたね」

 フランを無事におろした美鈴が、再び満面の笑みでレミリアとパチュリーに向き直った。

「ええ、そうだったのよね。だんだん、やる気が殺がれてきたけどね」

 パチュリーの言葉にレミリアが微笑む。

「フォースの暗黒面から脱するのは良いことだわ」
「やめて、レミィ。それ大抵の場合、死亡フラグだから」

 ちなみに、「暗黒面に飲まれるな、と忠告される存在は暗黒面に堕ちる」法則があるので注意だ。注意されるほどに暗黒面に近い性格だということなのか、それとも忠告されるから暗黒面に近寄ってしまうのか、その辺りは「卵と鶏のたとえ話」と同じであろう。

「それで、あなたたちは食べたの、バウムクーヘン?」
「え~と、誤解を恐れずに言いますと、食べました」
「食べたんかいっ!?」

 パチュリーが思わずらしくもない口調で大声を上げる。

「具体的に言いますと、妹様と食べました」
「おいしかったよね、美鈴」

 フランがにこやかに微笑んで言う。

「……えっと、美鈴、フラン。あなたたち、私たちの話を立ち聞きしていたわよね?」

 おそるおそる、レミリアが門番と妹をうかがう。命知らずなの?それともバカなの?死ぬの?
 いや、死なないで、死なれちゃ困るわ、と言わんばかりに。

「してました。ついでに言いますと、誤解を恐れずに言うならば、の部分が重要でして」

 美鈴がそこまで言って、近くに存在する陰の気配に黙り込む。

「あの、パチュリー様。これから誤解を解きますので、もう暫くお待ちいただけませんか?その、すっごく空気が重いんですけど」
「……そのつもりで待ってるのよ?具体的に言うなら、「くっ、収まれ、私の中の闇の力よ!」みたいな状態よ?」

 闇に包まれているパチュリーは、それでも相手に恐怖感を抱かせないように微笑む。 勿論、目論見に成功していないので、相当に凄絶な笑みであった。

「もう少しだけ耐えてください、パチュリー様。それでそのバウムクーヘンなんですが、多分、パチュリー様のところに持参されたものとは別物だと思うのです」

 美鈴が言うとフランもまた、翼をパタパタ動かして力強くうなずいた。

「なぜ、そんなことが分かるのかしら?」
「えっと、その、とりあえず、賢者の石がキラキラ輝いているの、止めてください。ちょっとまぶしいです」

 半泣きになる美鈴に、パチュリーがぼんやりと横を見て、初めて気づいたのか驚いてみせる。

「ご、ごめんなさい、無意識に呼び出していたみたい」
「無意識なのね……」

 やっぱりカウンセラーが必要かしらね、とレミリアが囁くと、咲夜が唇を掻きながら視線だけで同意を告げる。

「……で、ですねぇ」

 軽く怯えながら、賢者の石がどこかへ消えていく姿を目で追いつつ、美鈴は続けた。

「私たちが食べたものなんですが、それって、いただいたものなんですよ」
「……?」

 全員が黙り込んで美鈴を見つめる。

「誰から?」

 パチュリーが唾を飲むようにして、ようやく声を出す。

「ええ。それが、こあちゃんでして」
「……」

 全員の目が小悪魔の召還者、使用者である主人に向かった。

「……それ、本当?」
「はい、本当です。妹様も一緒にいたので」

 美鈴がうなずくと、フランも元気よくうなずいて返した。

「そうだよ?私と美鈴で門のところで太極拳の練習をしていたら」
「あなたたち、そんなことしているの?」

 レミリアの視線に美鈴が笑顔で答える。

「お嬢様も一緒に是非」
「楽しいよ?」

 フランが急に真剣な顔になったかと思うと、ゆったりとした体の動きでちょっとした舞のような踊りを始める。細部、末端まで神経を研ぎ澄まし、徐々に身体を動かすというのは、これで難しいものだ。

「お上手ですよ、妹様」
「練習したものね~」

 そう言って、二人でうなずく。

「……そうね、考えておくわ」

 門のところで紅魔館のメンバー全員で太極拳。
 なんだか長閑な光景であるが、昼日中にパラソルの下でまですることかしらね、とレミリアは首を傾げる。

「ところで、そのときに何があったのかしら?」

 太極拳談義になりそうな空気に、パチュリーが話を修正する。

「ええ。そのときですよ。こあちゃんが「お盛んですねぇ、どうです、一休みしたら」って言って、バウムクーヘンですか。あのお菓子を持ってきてくれたんです」
「一緒に紅茶も持ってきてくれたのよ。それでみんなで門のところでお茶会してたのよ」

 美鈴、フラン、小悪魔の三人で地べたに座ってお茶会をしていたとのこと。

「フラン、せめてテーブルや椅子を用意しなさいな」
「ピクニックみたいで、楽しかったよ?」

 やれやれ、と首を振る姉に、反省の色一つなく妹が答える。

「紅魔館の門前でピクニック、って」
「今度は地下図書館でピクニックする?お姉さまも一緒に」

 ああ、もう、それ、ピクニックじゃないわね。お家探訪の世界だわ。ついでに、言うと探訪しているのが自宅ときた。
 どんなピクニックよ。

 レミリアは機関銃のように口から漏れそうになる言葉を飲み込み、フランに微笑んだ。

「そのときは私にも知らせなさいね」
「は~い」

 もっと生産的なことをさせねばと思った姉に、無邪気に妹が答える。

「で、そのとき、バウムクーヘンをみんなで食べたの?」

 そんな姉とは打って変わって、パチュリーは何か考えるような表情で言った。

「はい。でも、そのときこあちゃんは別に、パチュリー様のところから持ってきたとか、魔理沙さんやアリスさんから貰った、とか言ってませんでしたよ。だから、私たちが食べたバウムクーヘンと、パチュリー様の仰ってるバウムクーヘンは別物なのではないか、と愚考するわけですが……」

 美鈴がそこまで言うと、パチュリーは瞳に鈍い、暗い光を漂わせて周囲に視線を配った。

「パチェ?」
「いるんでしょ、小悪魔。出てきなさい」

 パチュリーが天井に向かって鋭く言った。メイド長を除いた全員が、驚きの表情で天井を見つめる。

「ついに、ばれてしまいましたか……」

 そう言って小悪魔が、ゆっくりと扉を開けて入室した。メイド長だけが扉を見ていたわけだが。

「あれ、そっちから?」
「パチェ、あなた天井見てたわよね」
「なんとなくよ、なんとなく」

 細かいことはいいんだよ、とパチュリーがぞんざいに手を振る。

「つまり、小悪魔もドアの前にいたわけね……」

 レミリアが天井を仰ぐと、小悪魔は重々しくうなずいた。

「肩車をした美鈴さんとフラン様が入室しているのを見かけましたので、これは次は私の番だな、と覚悟を決めたのです。……そして」

 そこまで言うと、フランとハモる。

「誰もいなくなった」
「妖精メイドはいるでしょうに」

 そうぼやいたレミリアが、「仲良いわね、あなたたち」と付け加える。

「さっき、リハーサルをしていましたから」
「何それ、見かけた、って先言ったじゃない。リハーサルとか言ったらあなたたち、しっかりと会話していた、ってことになるじゃない。それ、見かけたのレベルを越えてるでしょ。もう完全に打ち合わせた、ってレベルよ。示し合わせた、とか、そういうやつ」

 パチュリーの高速詠唱のようなつっこみにも、小悪魔はめげないし、悪びれなかった。そう、小悪魔に逃走の二文字はないのだ。

「えっと、扉の前のお二人を見かけて声をかけたところ、「なんかお姉様とパチュリーが面白いこと話しているみたい」とフラン様が仰るので、一緒に聞き耳立ててました」
「……この家、傍目から見たら馬鹿ばっかりね」

 一家総出で部屋の扉に聞き耳立てて張り付いている。
 コメディでも最近は見かけない光景だ。

「少なくとも盗み聞きばかりしてますね」

 レミリアの嘆き節に、咲夜もうなずく。
 これでは紅魔館全員、家政婦は見た状態だ。
 家政婦じゃなくても見ているのだから始末に終えない。

「それで、小悪魔。このタイミングで出てくるということは、犯人はあなたで良いのかしら?」

 パチュリーが賢者の石を両腕で抱えて素振りをしながら尋ね、旧来の付き合いのレミリアを驚かせる。

「えっ?賢者の石って、そう使うの?ってか、そんな大きさだったけ?もっとコンパクトサイズだったような気がするんだけど。私の目がおかしいんじゃなかったら、かなりの大きさに見えるわよ」

 別の言葉で言い換えれば鈍器と言う。
 錬金術の奥義の最終地点がここだと知ったら、パラケルススや偽アグリッパは何て言うだろうか。

「賢者の石は、全長50mの巨石にも豆粒ほどにも小さくなれるわ」
「どこかで聞いた話だけどそれ絶対、賢者の石じゃないわ。まがい物を掴まされてるわよ、パチェ」
「失礼ね。漬け物石代わりにもなって、とっても便利なのよ」

 そして、鈍器にもなる。暗い瞳でパチュリーがつぶやき、小悪魔の出方を伺う。すると小悪魔はふっ、と軽く吐息を出した。

「パチュリー様、落ち着いてください。らしくもありませんよ、使役している悪魔ごときに良いように弄ばれるなんて」

 小悪魔はそう言って、妖艶に微笑んだ。そのデモニッシュな笑みは、淫靡というよりは畏怖を与えるものだったが。
 その小悪魔の様子を、パチュリーが鼻で笑う。

「良く主人相手に言ったわね、小悪魔。あなた、×××して、××した後、××しただけではすまさないで××したかと思うと、××し尽くした上で×××という×××に×××で埋め尽くすわよ?勿論、泣いて謝っても××するし、×××になっても×××だったりするけど、良いわよね?その覚悟は当然あるのよね?」

 えげつない言葉の連続に、さしもの親友のレミリアですらどん引きし、美鈴は慌ててフランの耳を閉じ、咲夜はため息混じりに主人に紅茶を注いだ。
 そして、一通りパチュリーの啖呵を聞き終えた小悪魔は、涙目で言い返した。

「良くないです」

 そう言うと、ぴょんっと、伝統のフライング土下座へと姿勢を変える。
 小悪魔の翼をパタパタさせて軽く飛び、軽快に頭頂部を見せるように地面に額をこすりつける。うなじがきれいだ。

「そういうつもりでは、ありませんでした」

 勿論、主人の燃え立つ瞳にはそのようなものは映っていない。

「じゃあ、どういうつもりだったのよ?」

 パチュリーの言葉に、小悪魔は米搗きバッタのように、あるいは敬虔な巡礼者のように礼拝しだした。それで駄目なら五体投地、とばかりに頭を下げる。

「あの~、まず、事実関係の確認からでよろしいでしょうか?」

 小悪魔がご主人様の機嫌を伺うように、下から仰ぎ見る。

「……分かったわ」
「その、ですね。先日の会話。覚えてらっしゃいますか?」
「先日の会話?」

 パチュリーが首をひねり、ふぅ、と鈍器を無造作にレミリアのテーブルに置いた。
 あ、いや、そんな貴重品っぽいものを無造作に置くのは、とレミリアも思わないではなかったが水を差すのも悪いかと、紅茶を口に含んで推移を見守る。

「ほら、あれですよ。魔理沙さん達が来る前。最近、平和ねぇ、っていう」
「……確かに、言ったわねぇ。あの後、すぐに平和は打ち砕かれたけれど」

 あの後、魔理沙がアリスとともに突っ込んできて、いつも通り一悶着あった後、おお、忘れるところだった、あんた、それが目的だったでしょ、いけないいけない危なかったぜ、田舎者ねぇ、などと定番の会話とともに二人はバウムクーヘンを置いていったのでした。

 なぜか敬語になって回想する。

「そうです。そこで、もう少しだけ、回想を巻き戻してもらえないでしょうか?」

 小悪魔がにこやかに微笑みつつ、そう続ける。恐ろしいほどの追従笑いであり、命の危険を感じた茶坊主の表情だった。
 ご機嫌を損ねると打ち首になる系、である。

「えっと、最近、平和ねぇ」

 そう呟いてパチュリーは暫く顎に手を当てて考え始める。小悪魔がにっこり笑って続けた。

「でもそれって、良いことなんじゃないですか?」
「最近はいろいろな勢力も出てきたり、異変も起こっているのに、私たちは置き去りなところ、あるじゃない?」

 手探りで思い出すように、パチュリーも続ける。まるで記憶喪失者を導くような会話であるが、レミリアなどの部外者も興味深く見守った。

「まぁまぁ、そのうち順番が回ってきますから。それまでは魔法の研究しつつ、魔理沙さんが来るのを待ちましょう」
「別に、魔理沙やアリスを待っているわけじゃないわよ。でも、最近は色々忙しいのね、お見限りとみえて寂しい限りだわ……」

 そこまで言ってから、パチュリーが全員にぎっ、と視線をやる。

「分かってるから。弁解しなくて良いから、さぁ、続けなさいな」

 レミリアが頬杖をつきながら紅茶に口を付けて言う。その言葉にパチュリーはむきゅ、と一瞬だけ恐ろしい視線をとばしたが、比較的赤い顔なので怖くはなかった。

「で、そこでパチュリー様が言ったじゃないですか?」

 小悪魔が問いかけるように言う。

「「何か、面白いことでもないかしら?」」

 小悪魔とパチュリーが同じ言葉を呟く。

「ちょっと待ちなさい、つまり、これが面白いこと、だと?」
「……パチュリー様、もう少し、続けてよろしいでしょうか?」

 鈍器を再び両手で掲げる主人に、小悪魔が再び深々と頭を垂れる。
 最近は輝夜の持つ仏の御石の鉢といい、貴重品を鈍器にしても良いという風潮があるのかもしれない。
 嘆かわしいことだ。

「それで、なんですけど。私、気になったんです」
「可愛らしく言ってもだめよ」
「……いえ、ちょっと待ってください。全員が気づいていない点があるんです」

 小悪魔がそこまで言って、くくくっ、と喉をならした。

「妹様、美鈴さん。私と食べたバウムクーヘンはどんなものでした?」
「えっ?ごく普通の生地の……、黄色い卵色の……。優しくて粉っぽくなくて、とても甘い……」

 フランが思い出すように腕を組んで言う。

「年輪状の、外側に砂糖をまぶしてコーティングしてある……」

 美鈴も続けた。

 するとパチュリーが表情を変えて、鈍器を再びレミリアのテーブルに落とす。あまりにも急だったので、ゴン、と重い音がしてティーカップの皿がガチャンと音を立てるほどだった。

「そういうことなのね、小悪魔……」

 パチュリーの表情に理解が浮かんだが、しかし表情は決して許すことに直結する雰囲気ではない。

「あ、分かっていただけました?ね、面白かったですよね?」
「ちっとも面白くないわよ!ついでにあなた、美鈴やフランに濡れ衣を着せる気だったの!?」

 パチュリーの言葉に、小悪魔がやれやれ、と肩を竦める。しょうがない人ですねえ、とまるでだだをこねる子を見るように。

「だから、私も一緒に食べたんですよ。そうすれば、お二人よりも先に私を疑うだろうな、と思ってましたので。パチュリー様は賢い方ですもの」
「……む」

 パチュリーが言葉を失うと、小悪魔が優しく微笑んだ。

「どうです?本当はこんな風に早く話が進むとは思っていませんでしたので、もう少し風情があるはずだったんですが」

 小悪魔がなにを想定していたのかは分からないが、悪びれないその様子にパチュリーが呆れて首を振る。

「じゃあ、本物のバウムクーヘンはどこなの?」

 パチュリーのつぶやきに、おずおずと美鈴が手を挙げる。

「あの~、よろしいですか?」
「なに?」
「あの、私たちの無実は、なぜ証明されたんでしょう?なんだか、こあちゃんが持ってきたバウムクーヘンが魔理沙さんたちのおみやげじゃないって証明がいつされたのか、良く分からなかったんですが」

 美鈴の言葉にフランもレミリアもうなずいた。そして咲夜だけが、せき込みつつ、ちらちらレミリアに視線を送る。唇を掻きながら。

「ああ、そのことね」

 パチュリーは苦笑しながら小悪魔を見ると、小悪魔がうなずいた。

「簡単なことなのよ、バウムクーヘンと言っても、チョコレートだかココアだかを練り込んだものなの。だから、普通のバウムクーヘンとは見た目で違うのが分かるのよ」

 言ってみれば、黒いバウムクーヘンという訳ね。パチュリーはそう言って、都会派でしょう、とアリスのもの真似らしきものをして言った。
 その表情は微妙なもので、呆れているのか嬉しいのか、一見、分かりづらいものではあった。

「は~、都会派ですねぇ」

 絶対に分かっていないだろう美鈴が感心したように言う。

「ガトーショコラみたいになるのかしらね?」
「いえ、あんなに濃厚なチョコレート状態ではないと思いますが……」

 フランが美鈴を見上げて聞くと、咲夜が微笑んだ。

「今度、作ってみましょうか、お嬢様、妹様」

 そう言いながら、また唇を掻いてレミリアを見る。ちらちら視線を送りながら。

「良いわね、私も食べてみたいわ」

 レミリアが微笑むと、咲夜は苦笑してうなずいた。唇を掻きながら。

「でも、そうすると、なおさら分からないわね」

 紅茶を両手で持ち、暖かさを手のひらに感じながらレミリアが続けて言う。

「二人が食べたのは普通のバウムクーヘンで、かつそれが小悪魔の悪意ある悪質な悪戯だったとして、あ、これ、字面で見たら悪っていう漢字だらけね」

 レミリアが得意げに美鈴に言うが、言葉で言われても美鈴にはいまいちぴんとこなかったらしく、レミリアはすぐに表情を改める。

「えっと、何だったかしら。そうそう、悪戯だとしたら、本物の黒いバウムクーヘンは何処へいったのかしら?」
「そこなのよ」

 パチュリーも一緒にうなずく。そう、ここで重要なことは、これだけあれこれ言って、なんら事件の真相に近づいていないことなのだ。

「そのバウムクーヘンは何処へいったのか?これは謎のままだわ」
「あの~、ついでに良いでしょうか?」

 美鈴が再びおずおずと声を上げる。レミリアが軽くうなずくと、美鈴が続けた。

「あの~、情報が少なすぎではないでしょうか。なんといいますか、さっきのこあちゃんの言葉で思ったんですけど、私たちは常識に囚われる気がするんです」
「なに、あの山の神社の巫女と同じこと言う気?」

 この幻想郷では常識に囚われてはいけないのですね!
 至極、名言である。
 これは常識に囚われて生きてきた人間にのみ発することのできる崇高な言葉だった。一種の悟りと言っても過言ではないだろう。但し、古明地は関係ない。

「いや、あそこまでは言いませんが、私たちが探すもの、バウムクーヘンの正体がなんかあやふやな気がするんです。さっきまで、私たちは黒いことすら知らなかったじゃないですか」

 美鈴の言葉に咲夜が再びせき込んだ。
 喉の調子が悪いらしいので、レミリアは少し気になって、飴ちゃん、なめる?と聞いてしまうが、彼女は優しい笑みを浮かべながら首を振りつつ、唇を掻いた。

「そうね。確かにそうだわ。バウムクーヘンといえば、それだけで通じると思っていたけど、それは偏見だったのかもね」

 パチュリーがそこまで呟くと、ふぅ、とため息を付いた。

「まぁ、言われてみれば、あれは特殊なバウムクーヘン、と言えなくもないわね」
「……なにそれ、怖い」

 正直、特殊な「何か」を食べたいとは思わないものだろう。
 惚れ薬入りとか、髪の毛入りとか、体液入りとか、正直食べたくない。
 ん?
 いや、霊夢の血液とか、なにそれ、ご褒美じゃない!

「どうしたの?レミィ」
「いえ、ごめんなさい。それで、続けて」
「ええ?ああ、そうそう。あのバウムクーヘンは特殊なものだったのよ。もともと、魔理沙とアリスが冗談半分に作ったものなの。そのときの話に私も混ぜてくれたのが本当のところなのよ」

 どこか楽しげで、懐かしげに語る優しい瞳の笑みのパチュリーだが、それは昨日のことにすぎない。
 だが、その記憶すら大切なもののように語る賢者の様子に、親友も使い魔もちょっと嬉しい気分になる。

「お土産も、その話の中で出てきたものなの」

 そう言うと、いつのまにか置かれていた紅茶をパチュリーは飲んだ。

 ちなみに、周囲の人々の所にもいつのまにか椅子とテーブルが置かれ、紅茶を堪能しているところだ。さすがに完全で瀟洒なメイドは違う。しかし、それを口に出しても、謙虚なメイド長は「それほどでもない」と答えるのだが。

「話、っていうのは?」
「ああ。いつもの魔女たちの与太話よ。その日は円積問題だったわ」

 円を正方形にできるか。

 答え、出来ない。
 どうみても円周率が超越数だからです。
 本当にありがとうございました。

 ちなみに、「どうみても」とかは今だから言えることだし、お前立証しろよ、とか言われたら、「その、なんだ、困る」話だ。
 この辺は大図書館の数学書を呼んで勉強するか、八雲の式神こと八雲藍に教えて貰うか、慧音先生の個人授業「頭突き特訓編」でもすると良いかもしれない。

「……あなたたち、魔女三人ってそんな話しているの?もっと、こう、色気のある話とかないわけ?」
「十分、色っぽい話だと思うけど?」

 πの真実の姿が判明することで呪術の図像概念としての真円、つまり極限としての無限を象徴する多角形として、魔法の基礎概念として変換・抽出し、あるいは図像としての真球へと解放して、そこからあるいは高次元球の概念へと……。
 そこまで言って周囲との温度差を感じた魔女は、四色問題とかの方が良い?と首を傾げた。

 真剣な顔で、さも楽しげに言う親友を見て、レミリアは妹に囁く。レディは、ああなってしまっては駄目よ、と。是非、理系女子や魔術系女子に謝罪していただきたい。

「で、その中でね。円積問題はともかく、普通、この話をしていると円の面積の話になるじゃない?こう、バウムクーヘンを切ってね」

 なにが普通なのか、それが分からない。
 分からないが、まぁ、そういうことらしい。

 年輪状態のチョコレートバウムクーヘンを半分に切る。また、半分に切ると四分の一。それをまた切ると八分の一。
 ここまで来ると普通の中心部分の欠けた扇形に見えるだろう。
 あの幽々子が背面に展開するデンドロビウムの部分である。幽々子に言ったら怒るかもしれない。いや、大笑いしそうだが。

「で、それをもっと細く切っていくのね。魔理沙よりもアリスの方が手先が器用でしょ?だから、彼女がうまく切っていくのよ。本当に薄く、薄くね」

 アリスが澄ました顔で、でも瞳は真剣に、薄く削ぎ切っていくのだけれど、とても綺麗なのよ、とパチュリーが笑う。ナイフもきっと、相当のものなのね。あるいは魔理沙あたりが香霖堂からツケで買ったものなのかしら。
 そのときの魔女たちの姿を思い出したのだろうか。パチュリーが微笑む。
 あのときのアリスが、どう、ちょっとしたものでしょ?なんて言って魔理沙と私に得意げに微笑んで見せたのは、とても可愛らしかったわね、と続けた。

「……そうすると、パチェ。それ、相当細切れになるわよね?」
「ええ。そうね、一言で言えば、黒いバウムクーヘンの千切り、あるいは削り節ね」

 我ながらうまいこと言った、とばかりにパチュリーが微笑む。
 え~、なにそれ、とレミリアが今日何度目か分からないが、軽く引いた。

「で、それをこう、交互に並べるわけね。そうすると円形の扇が長方形みたいになるでしょ?」
「……それ、魔女三人できゃっきゃっ、うふふ、とか言いながらやってたわけね?」
「えっと、きゃっきゃっは言ったかもしれないわ。でも、うふふ、は言ってはいけないのよ?なぜか魔理沙が言わせてくれないの」

 パチュリーの言葉に幻想郷の歴史の重みを感じつつ、レミリアがこの魔女たち、やっぱり変わってるわ~、と心から思う。

 やはり魔女ってものは、普通の感性とは違うらしい。命蓮寺の尼僧にもご意見をいただきたいところだ。
 いや、十分個性的でうらやましいですよ?

「で、並べてみると、疑似長方形になるわけね。で、それをこう無理矢理固めてから、チョコソースをちょっとかけて、紅茶と一緒に食べてたんだけど」
「もう、それ、バウムクーヘンじゃないわよね?なんかチョコが練り込まれた、ケーキ状のものよ、それ」

 レミリアが呆れ半分でつぶやき、暫く何か急に考える表情になる。
 沈思黙考。
 あれ、なんだろう、この感じ?

「そうねえ、ぼそぼそしてて、ばらばらこぼれるし、少し苦すぎたけど、でも、とてもおいしく感じたのよ。それで残った部分を大切に取って置いたはずなんだけど……」
「……あの~、多分、なんですが」

 美鈴が今までの話をまとめるように口火を切った。
 聞いた全員が思ったことだ。

「それ、パチュリー様の「バウムクーヘン見なかった?」っていう質問だと、絶対に見つかりませんよね?」
「……なるほどね!」

 パチュリーがすっと、美鈴を指さす。

「あなた、賢いわね」
「パチュリー様に誉められた……」

 美鈴が驚いた表情でいると、フランがぽんぽん、と美鈴の肩を叩いて微笑んだ。そのためにわざわざ少し浮かんでいる。

「つまり、私はこう言うべきだったのね。チョコケーキはどこだ?」
「……医者の居場所を聞くみたいな感じで聞くわねぇ」

 レミリアはそう呟きながら、ふっと、表情を変えて席を立った。

「さ、そこまで分かれば上出来よね。パチェ、私と探しに行きましょう」
「……レミィ?」
「あなたの「チョコケーキ」を!」
「レミィ!」

 二人で表情を新たに、手を取り合おうとした瞬間だった。

「えっと、私も言って良い?」

 フランドール・スカーレットが口を開いたのは。

「……ずっと気になってたんだけど」

 その言葉に全員が黙り込む。
 その間にもレミリアはすでにドアに手をかけており、咲夜は盛んにせき込んでいた。気管支炎が疑われるところだ。

「お姉さまのその唇の、それ、なに?」

 フランドール・スカーレット。
 その能力。
 まさに、この空間の空気を破壊し、予定調和を破壊する。
 今、運命がまた転がり出す。

「それ、言って良いのか、ずっと気になってたんですよ」

 美鈴がほっと安堵の息を付く。そして、咲夜は打って変わってため息を付いてみせた。
 そう、咲夜がずっと掻いていた唇の位置、そのレミリアの唇の位置に、ちょっとだけ付いていたチョコレート生地の細かい破片。

 そう、吸血鬼は鏡に映らない。その弱点が、こんなときに現れて苦しめるのだ。鏡を見るという習性は、吸血鬼にはないのだから。

「……スコーンって、チョコ生地じゃなかったの?」

 パチュリーがもう一度鈍器を両手に、レミリアに尋ねる。首が90度曲がって尋ねているのはご愛敬だ。
 あと、目が死んでいる。
 主に目が死んでいる。

「……、あ、パチュリー様も気づいていたんですね」

 小悪魔が良かった、うちの主人、ボケてるわけじゃなかったんだ、とうなずく。

 そして、実際に主人がボケていた方のメイドはどうしよっかな~、と視線を泳がせていた。私にだって、完全で瀟洒じゃないこともある。某調査集団の編集者のように内心で呟いた。

「待って、パチェ。誤解だわ」

 レミリアが心外、とでも言うように、胸に手を置いて声を上げる。そして、そっと唇に触れると、確かに指にチョコ生地のようなものがついているのをレミリアは見た。

「誤解?誤解なの?レミィ」
「誤解よ。六階でも七界でもないわ。いわば「私たちの誤解」よ。ある意味麗しき誤解、流麗な誤解、はたまた伝説たるべき誤解、とでも言うべきかしらね。いえ、言うべき運命が、そこにはあるのではないかしら。私たちがそれを信じるのなら」

 真剣な表情と鋭いまなざしで、レミリアは親友に向き直り言い切る。そして、そっと見えないように、指に付着した生地を払った。

「……どういうこと、ですかね?」
「お姉さま、ときどき意味不明なカリスマワードで逃げようとすることがあるから……」

 その様子を横目に、妹と門番が小声で言葉を交わす。

「たぶん、今、お姉さまの頭の中は真っ白、MPは0よ」
「レミリアお嬢様の精神力はMP制だったんですね」

 打たれ弱いようで、実際メンタルは強い美鈴が納得する。

「良い、パチェ。あなたは紅魔館の、真の恐怖を知る必要があるわ」

 レミリアはドアノブを後ろでにがちゃがちゃ言わせながら続ける。あれ、開かない、開かない、状態であり、こういう場合、単純に慌てている場合が多い。
 俗に言う、かからない車のエンジンと同じである。

「真の恐怖?」

 それは今のパチュリー様と違いますかね、と咲夜はこの状況で考える。

 目の前で肉体強化の呪文を詠唱しつつ、こほこほ、とせき込みながら漬け物石程度の大きさの賢者の石を素振りする魔女、というのは十分に怖い。

 この絶体絶命の主人を見つめる従者の立場からすると、女主人を救いたい気持ち、女主人が涙目になるのを堪能したい気持ち、それに自分に助けを求めてくるかもしれない愛らしいお嬢様を見たい気持ちに、いや、それでもこの状況を雄々しく切り抜けるだろう運命操作能力者たる主人の姿を見守りたい気持ち、そうした多種多様の感情のせめぎ合いがあった。

 純粋に言うと、傍観者モードである。確かに、どう転んでも咲夜に損はなかった。恐ろしく完全で瀟洒である。段々、「瀟洒」という言葉の意味がゲシュタルト崩壊していくが。

「真の恐怖ねぇ?レミィ、たとえば、どんなものなのかしら?」

 ひゅんひゅん、石が奏でる「素振り音」を耳にしつつ、どこの世界にレベルを上げて物理で殴る、そんな病弱な魔女がいるのよ、とレミリアは恐れる。

 弾幕とか魔法とかの痛みは想像の範囲だが、鈍器が頭に落ちてくる感覚は、あまり親しみのもてないものだった。

 いや、はっきり言おう。逃げたい。逃げてしまいたい。

 しかし、無情にも目の前の扉はなかなか開かなかった。まるで、逃げてはいけない、と言っているかのように。これ以上、力任せにドアノブを握ってはいけない。なぜか変な外国人の訛で聞こえてくる。

「良いわ、パチェ!聞かせてあげる。この紅魔館の、本当の恐怖の姿を!」
「あ、お姉さま諦めた」

 レミリアが、あのスカーレット家特有の緋色の霧を漂わせ、オーラをまとった姿で振り返る。
 でも最後にもう一度だけ、ノブを回しているのがちょっと残念だった。ちなみに、開かなかったので、がちゃっ、という音だけが響きわたる。

「さすがお嬢様、諦めない」

 咲夜が呟くと、レミリアはその両手をざっと広げ、翼を大きく広げた。ばつが悪かったらしい。

「パチェ。あなたほどの長い付き合いでも、私は言っていなかったわね。その惨劇、恐るべき事件を」
「……良いわ。時間はあるから聞いて上げるわ」
「……じゃ、ちょっと置いておいてくれる?その鈍器」

 親友同士が視線を絡ませると、やがてパチュリーは鈍器を素直に手元に置いた。
 いつでも振り切れるようにであり、ああ、それテーブルの上に置く気すらないのね、とレミリアは改めて思った。

「で、レミィ?」
「そうね。あれはそう、あなたと出会う前の話よ。当時、紅魔館にはまだ私やフラン、美鈴しかいなかったわね……、吸血鬼異変、などといって恐れられたあの大事件も収束した後のことだったわ……」

 懐かしむような、あるいは吐き捨てるような表情でレミリアは言い、ふっと片腕をのばす。何かをつかみ取るように。レミリア・スカーレット・ショーの開演である。

「居場所を手に入れたのか、それとも追いつめられたのか。自分でも分からないまま、この子達と紅魔館に居を構えた頃だったわね。外の世界のように人々に恐れられ、君臨することを失った一抹の寂しさと、それでいて自分たちがありのままでいられる、その安堵感で満たされていた頃だったわ」

 遠くを見つめる様子は、まるで劇中の人物のようであり、スポットライトに当たる主演女優のようでもあった。

「そう、あの惨劇はその頃に起こったのよ。当時、私はまだ、この世界が底知れぬ寛大さでなにもかも受け入れる、残酷な世界であるということを、頭では分かっていても心では納得していなかった。だからかしらね、私にあのような恐ろしい運命が降りかかってしまったのは」

 全員が静まりかえるのを確認したレミリアはそこで少し黙り込む。その間は多くの者をそのカリスマで引き込んだ。

 そしてもう一度だけ、ドアノブを試してみる。
 がちゃり、残念、開かない。
 音が聞き取られないよう、レミリアはさらに大声で言った。

「あれは恐ろしい事件だったわ。私はその日、いつものように眠りについた。そして、次の日の朝、起きたときにそれは起こったの」

 彼女は悲しい瞳でフランを見つめた。

「あなたは幼くて、もう覚えていないかもしれないわね」
「えっ?私?」

 その言葉にフランが目を丸くする。まさか、このザ・レミリア・スカーレット・ショーに自分の出番があるとは思わなかったからだ。

「ええ。あなたはまだ当時幼く、お菓子が必要だったわ」

 まるで何かに対し言い訳するような口振りで言う。その姉に対する妹の目は「?」で埋まっていた。ついでに、その当時一緒にいたはずの美鈴も、同じく首を傾げる。

「どういうことなの、レミィ?」
「そう。その日私が朝起きたとき、フランは私を見て言ったのよ」

 首をゆっくり横に振りながら、もう、思い出したくないわね、とレミリアは呟いた。

「お姉さま、唇に私のプリン・ア・ラ・モードのクリームがついているわ、って」

 ふぅ、とレミリアは切ない瞳になった。

「恐ろしいことだった。私はそれまで寝ていて、起きたばっかりだったのよ?にもかかわらず、私の唇にはクリームの跡。当然、フランは言ったわ、私のプリン、食べちゃったの、許せないわ!ってね」

 フランは腕組みをしつつ、あれ、そんなことあったっけ。ああ、でも似たようなことはあったかも、いや、なかった?と首を傾げ続ける。
 あんまりにも可愛らしいので、咲夜がどこからか取り出したカメラで写真を撮っていたくらいだ。
 ……これは重要なことなので二度繰り返すが、どこからか取り出したカメラで写真を撮っていた。

「つまり、なにが言いたいのかしら、レミィ?」

 親友の名演技の果てがいまいち見えず、パチュリーはじっと親友の、人を魅了するという吸血鬼の瞳をのぞき込んだ。
 そこにはどこまでも落ちるような、恐るべき深淵が映っている。深淵をのぞき込む者は、深淵にのぞき込まれていることを忘れてはならない。

「そう、急かさないで。私たち姉妹は、結局、力付くでプリンについて決着をつけねばならなかったわ。私は無実の罪を晴らすため、フランは自分の尊厳に加えて、プリンの仇であると信じた、憎き姉を倒すため」

 レミリアはその深淵の瞳を賢者に向ける。

「ねぇ、酷いことだと思わない。あれだけ思い合い、配慮し合い、尊敬し合っている姉妹が、たった唇のクリームのことだけで、血で血を洗う醜い殺し合いをしなければならないなんて」

 愚かしいわ、と吐き捨てるように言った。

「そして、私はフランに勝利したわ。姉に勝る妹はいない、これは先人の知恵で重要なことだわ。何回でも言うべきかもしれないわね。でも、そのとき私の胸に去来したのは、そうじゃなかった。ただの虚無感だったのよ。何で妹を手にかけねばならないのか。最愛の妹を、たったプリンごときのことで」

 そこで畳みかけるようにレミリアは両手をパチュリーに伸ばした。肉体改造系の魔法がいよいよ有効時間切れになってしまって、か細くなった両肩に届かんとする。

「ねぇ、親友同士が争うなんて醜い話あってはいけないと思わない。それも……」

 そう言って、疑念の表情を浮かべ続ける賢者に背を向け、悲しげな瞳で振り向いて続けた。

「幻想郷の妖怪、寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴、のせいでなんて」

 レミリアはそこまでを早口言葉のようにまくし立てて言うと、一気に扉に体当たりした。脱兎のごとく、あるいは猪突猛進。
 そう、咲夜がカメラをどこからか取り出したということは、ドアは開くということだったのだ。
 そして、肉体改造系の魔法の有効時間が切れた以上、パチュリーの一撃目であれば回避可能。
 レミリアはいともたやすく運命を操り、鮮やかに扉から出て行った。思わず開いた扉を見つめる一同。取り残された者達は、しばらく無言になる。

「……妖怪、寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴?」

 美鈴は何度も自分の言葉を租借するように繰り返し言った。

「なんか、語呂が悪くないですかね?」

 語呂どころの騒ぎではなかった。とにかく長すぎる。

「……美鈴、それ、多分、お姉様の口から出任せだと思う」

 ついでに言えば、妹をしてそんな過去はやっぱり思い出せなかった。

 類似した過去としては、実際に姉が妹のプリンを食べてしまって姉妹喧嘩をしたことはあるが、別にあれは妖怪「寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴」のせいではない。実際に姉が食べたのだった。

 さらに言えば、自分も報復として色々食べてきてるので恨むつもりはない。そういう事件が起こる度に、姉妹で力付くの交流をすることで思いのたけを重ね、姉妹愛は深まるものなのだ。

 あと、ネーミングセンス以前の問題ね、今回は。時間がないにしても酷すぎる、と妹なりに姉が心配になった。実は姉のネーミングセンス、嫌いではないのだ。

「ふふっ……」
「お嬢様、ご立派に……」

 見事、運命を操って切り抜けたかに見えるレミリアに、咲夜はハンカチ片手に見送り、パチュリーはなにがおもしろいのか、喉だけで笑い続けた。
 小悪魔は、あっ、これ、冗談で済まない奴だ、と他人事のように考える。

「レミィ……」

 パチュリーはなにやら高速詠唱を始める。すると周辺に何か靄のようなものが飛び交い、それが高速に壁を抜けて展開し始めた。

「どこに行こうというのかしら?」

 パチュリーは賢者の石の誤った使い方、鈍器として百本ノックをしつつ、ふわりと浮かび上がり、レミリアを追跡するようにゆっくりと部屋を出て行く。

「小悪魔、付いてきなさい」
「承知いたしました、パチュリー様」

 小悪魔は満面の笑みを浮かべると、暗い笑みの賢者の後をパタパタ翼を広げて追う。

「ここは紅魔館、逃げ場はないわよ~」

 パチュリーの声が遠くからする。すると、窓がないこの部屋にも雨音が響き始めた。

「あ~、パチュリー、本気になったみたいね」

 これじゃお外に出られないわ、と美鈴相手にフランが呟く。

「そうですねぇ、それじゃあ地下図書館にピクニックに行きましょうか?」

 美鈴の言葉にフランは楽しそうにうなずく。二人を見つめた咲夜は、ふぅ、とため息をついてから動き出した。彼女もまた、レミリアの従者として彼女の運命に付き合う必要があったからだ。

 しかし、咲夜が急ぐほどのことはなかった。パチュリーと小悪魔はゆっくりと紅魔館を浮遊してレミリアを追跡しているからだ。喘息の割に高速詠唱を続けるパチュリーの目は、暗い瞳に輝いている。

「あら、咲夜、レミィに義理立てするの?」
「私はお嬢様の従者ですから」
「そう」

 パチュリーは軽くうなずくと、楽しそうに笑う。

「レミィは賢いわ。決断力もある。ただ、あの子の良くないところは、ときどき気が動転することね。運命を操れる能力があるのに、敢えて不確実な方向に賽子を投げたがるのだから」
「ええ。それがお嬢様の良いところですから」
「あなた、惚れた相手がレミィで本当に良かったわね。悪い奴に捕まったら、とことんまで尽くして、相手を食らい尽くすタイプだわ」

 悪い奴がかわいそうね、とパチュリーは吐き捨てるように言う。

「ええ、私、完全で瀟洒ですから」
「もう、瀟洒の意味が分からないわね」

 パチュリーは楽しそうに微笑み、せき込む。まるで、私、残酷ですわ、とでも言っているようだからだ。

「さて、レミィは私のビーコンを蝙蝠を使って次々に撃墜しているみたいね。どんどんレミリアのいる場所が特定できるわ」

 鈍器と見間違う賢者の石から、次々に靄が現れてはどこかへ消えていく。それは延々と続き、紅魔館中を埋め尽くしていく。

「さて、あの子がいる確率の靄が一番濃いのはどこかしら?」

 楽しそうに、狐を追いつめる貴族のように、パチュリーは言った。ちなみに幻想郷で狐を追いつめると大変な目に遭う可能性がある。

「ああ、そこなのね、今、行くわよレミィ。寂しくないわ」

 パチュリーはそのままずっと地下に向かっていく。
 そう、あの、不思議な空間。居場所を特定されにくい、最も時空のゆがんだ場所。小悪魔と咲夜を連れて、パチュリーは降りていく。

「もっと深く、もっと深く」

 心の闇に落ちていくように。パチュリーが楽しげに地下図書館へ堕ちていく。
 もっと堕ちていけば。
 そこには「デュエル空間」があって、世界を革命する力を手に入れるべく、少女達が決闘するのだろう。今、そこにレミリアがいる。運命を操る能力を持つ少女。
 それは絶対的で、運命的で、黙示的なことである。

「お嬢様は、どこに?」

 地下図書館の野良魔導書を、そのナイフで撃墜しながら咲夜が呟く。

「こっちよ、咲夜。こっちの方で、隅で震えているわ」

 楽しそうにパチュリーはのどの奥で笑う。その光景に、小悪魔が感無量とでも言いたげに、あるいは性的な快感に打ち震えるように主人の横顔に恍惚となる。

 書棚の奥の、奥の奥。
 奥という概念がひっくり返り、裏返り、表返った奥。
 まるで無限の先にあるような無限遠点のような場所。
 しかし、それは普通に有限に変換できる場所にすぎず。

 レミリア・スカーレット、紅魔館の主人はそこにいた。

「逃げた先が地下図書館なんて、上出来だわ」
「パチェ、ついに来たのね」

 さっきまで頭を抱えてうずくまっていたように見えた少女は、しかし不敵な笑みを浮かべて微笑む。その様子に、少しも負け犬の要素はない。

「あなた、まだ妖怪「寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴」を信じられないでいるのね?親友を疑うなんて、悲しいわ」
「あなた、まだ妖怪「寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴」で切り抜けられると信じているのね?親友として悲しいわ」

 二人はにやり、と笑ってうなずく。

 そう。
 結局、私たちはこんな感じなのだ。
 親友であり、敵である。強敵と書いて「とも」と呼ぶ。
 その空間でしか、私たちは生きられない。

「ここなら、妖精メイドたちにも被害はないわ」
「そうね、レミィ。私たちも本気でかかりましょうか?」

 レミリアは片手を軽く掲げ、緋色の槍をどこからか取り出す。妖槍グングニルをそのか細い手で振り回す。
 そして、パチュリーもまた、賢者の石で素振りをした。

「えっ?まだパチェそれで来るの?」
「文句ある?」
「絶対、リーチの差で私が勝つと思うけど」
「それほどでもない」

 パチュリーはそう言うと、高速詠唱を開始する。それを見てレミリアもまた、緋色の霧を結集させ、蝙蝠をばらまく。恐ろしいほどの高周波の音が響きわたる。蝙蝠が白い靄を食らい、一方で白い靄が蝙蝠に絡みついて握りつぶす。

 食らわれる靄、圧潰する蝙蝠。
 その緋色と白色の中を、槍を構えたレミィと、獲物めがけて鈍器片手に降下していくパチュリーが交錯する。

「えっ?」

 レミリアが投槍しようとした瞬間、それは視界一杯に広がってきた。
 巨大な鈍器である。

「あ、危なっ」

 思わずうずくまった女主人のその上に、賢者は浮遊して言った。

「ゲームセットよ、レミィ。白木の杭が立ったわ」
「……投げて良いものじゃないと思うのよ、賢者の石は。西洋魔術の秘法でしょうに」

 錬金術師が泣くわよ、等価交換して入手できるものじゃないのに。

「で、私の大切な親友さん、私に言いたいことは?」
「ごめんなさい」

 レミリアは手短にそう言ってから、頭を上げて頭上の親友を見た。

「でも、最後に一言だけ言わせて?」

 パチュリーが手元にたぐり寄せ、振り上げている賢者の石を見つめながらレミリアが言う。

「どうぞ?」
「私、確かにチョコレートケーキを食べたわ。ガトーショコラ。でも、あなたが言っていたように苦くはなかったわ。甘さたっぷりのタイプ。それに、ぼろぼろこぼれたりしなかったのよ?」

 レミリアは、今度は少しも芝居がかっていない態度で言う。そこでは恬淡として勝負に負けたことを一応、受け止めている大吸血鬼の潔さがあった。

「しっとりした感じで、濃厚なチョコだったのよ。練り込んだ、っていうのじゃなくてチョコそのもの、みたいな。でも、私の唇には確かにチョコ生地が付いていたものね、今更何を言っても無駄だわ」

 レミリアは穏やかに笑った。
 あの紅魔館の女主人、恐怖の悪魔には似合わない笑みだった。
 違う、お嬢様はこんな表情で笑うような人ではないのだ、と咲夜は思う。そして、いや、こういうお嬢様もあり、と心の中でガッツポーズを取っていた。もう瀟洒とかは関係ない。

「……本当なの、レミィ?」
「それは本当よ。でも、あなたも気づいていないと思うけど……」

 レミィは恥ずかしげに首を振って続けた。

「妖怪「寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴」の話は、嘘なの。ごめんな……」
「知ってた」

 それには簡潔に答えてパチュリーはレミリアを見下ろす。

 レミリアは自分の嘘が見抜かれたことに衝撃を受けたみたいだった。これは甘やかしている咲夜が悪い。
 思わずパチュリーは咲夜をにらんでいると、咲夜は今にも鼻血でも出すんじゃないか、というくらいに興奮してバンバン床を叩いていた。
 え~、もう瀟洒じゃないじゃない。

「でも、そうだとすると……」

 パチュリーはそう言って暫くレミリアを見つめていたが、ふっと溜息を付いた。

「分かったわ、レミィ」
「パチェ?」
「あなたは無実。信じてあげる」
「……パチェ」
「これで」

 そう言うと、振り上げた賢者の石ではなく、ぽんと片手で頭をはたいた。

「……パチェが殴った~、咲夜にも殴られたことがないのに~」

 レミリアは半泣きで咲夜に抱きつく。これも、ありだな、と咲夜は顔に出さずに思った。いいだろう、完全に瀟洒ってことで。これもう、分からねぇな。

 ちなみに、レミリアは萃夢想と緋想天で何度も咲夜やパチュリーに殴られているのだが、これは言葉のあやであり、文々。新聞は関係ない。

「良いんですか、パチュリー様?」

 その主従の感動的な様子を横目に、小悪魔が気遣うようにパチュリーに近付いた。

「いいのよ。私はレミィが嘘を付いたというのが許せないと思っただけ。本当のことを言ってくれるのなら、許せるもの」
「でも、バウムクーヘンが……」
「しょうがないわね、諦めましょう。まぁ、そのうちあの子達がまた持ってきてくれるわ」

 パチュリーはそう答えて、ぽんと小悪魔の肩を叩く。

「ありがとう、小悪魔。確かに、平和でも退屈でもない時間を過ごせたわ」

 小悪魔がその言葉に苦笑する。

「いえ、締まらない結果になってしまいました」
「そんなことないわ。なかなかだったわよ。一瞬とはいえ、レミィと対峙したわけだし」

 なかなか普段、そんな面倒くさいことする気にはならないのだから。

「さ、行きましょうか、小悪魔。レミィを慰めるのを咲夜が堪能しているわ。邪魔しちゃ悪いものね」
「そうですね」

 パチュリーと小悪魔は微笑み合い、そっと二人を後にする。

「ところで、小悪魔?」
「はい」
「ガトーショコラを置いたのも、あなたね?」
「……どうして、そう思うんです?」

 二人は地下図書館を、いつもの書斎へ向かって抜けていく。下の方ではピクニックとばかりにレジャーシートを広げている美鈴とフランが見えた。

「あの状況でレミィを犯人っぽくできるのは、二人しかいないもの」

 パチュリーがそう言うと、小悪魔が苦笑した。

「私か、魔理沙さん、ですか?」

 アリスさんはしないですもんね、と笑うとパチュリーは首を振った。

「違うわ。あなたと」

 パチュリーが苦笑する。

「妖怪「寝ている奴の口元にお菓子塗りつけて濡れ衣きせる奴」よ」

 しばらく小悪魔が賢者を見つめ、やがて笑い出す。

「パチュリー様、意外に気に入られたんですね、その名前」
「私、レミィの言葉がいつだって好きよ。とっても詩的でシンプルで」

 賢者の微笑みを横目で見て、小悪魔も笑う。

「ええ、私もです」
「そうなの?あなたも変わり者ね」

 紅魔館の一員ですから、と小悪魔が笑い、パチュリーがうなずく。

「それじゃ続けるけど。私、そのときに思ったのよ。もし小悪魔、あなたがこれを仕掛けたなら、罠を一度だけ張って済ませるなんてしないわ、って。あなたもいわゆる、悪魔だものね」
「ええ、端くれですけどね」

 小悪魔が悪戯っぽく笑う。

「でも、もし、万が一、私があの賢者の石を、あのときレミィに振り下ろしていたとしたら?」

 そう言ってパチュリーは苦笑した。

「もちろん、レミィは簡単によけたでしょう。でも、億万が一、ね。そうしたら、あなた、どんな顔で私を見たかしら?」

 小悪魔は優しい言葉で甘やかに糾弾してくる主人をじっと見つめた。しかしその顔は色あせるどころか、どんどん紅潮していく。
 まるで、求愛されているかのように。

「我らが大先輩、メフィストフェレスは……」

 小悪魔が今度は歌うように、主人に答える。

「契約して主人となったファウストに仕えました。時間、若さ、美女、大金、知恵、なんでも与えました。愛していたんですよ、きっと。悪魔として。悪魔は本当に、契約者が好きなんです。自分よりも好きなんですよ?本当に相手のことを考えて相手に必要とされているのが幸福でたまらないんです。でも、契約者はよく契約を破るんです。神様、それも山の神社の神様みたいな東洋の神様じゃなくて、西洋の絶対神という方ですか?」

 小悪魔は微笑んで続ける。

「自分は民に契約を強制するのに、悪魔の契約を何でも破棄しちゃうんです。クーリングオフ、ってやつですかね?あんなにメフィストフェレスはファウストが好きだったのに、……泣くほど好きだったのに」

 そう、最後は少女の純愛と神によってファウストの腐敗した魂は浄化され、救われる。契約は全部無効になる。
 悪魔の契約とは、そんなものだ。

「でも、メフィストフェレスは、大好きなファウストを満足させたんですよ。彼に、あの無感動で優秀で、傲慢で不感症で倫理観のない男に、ですよ。「時間よ止まれ、今、おまえは美しい」って」

 うっとりとするように小悪魔は言った。

「もし、あのとき、パチュリー様の賢者の石が振り下ろされたとしたら」

 彼女はそう言って、そっと賢者の腕を取った。

「そのとき、私は大先輩の気持ちが分かったかも?」

 小悪魔の芝居がかった言葉に、パチュリーは今日何度目になるかしれない溜息をついて見せた。

「私がそれを言うとしても、もっと後よ。まだまだあなたには、私に付き合ってもらうのだから」

 パチュリーが腕に抱きつく小悪魔をそのままに答える。

「ええ、もちろんです。私はずっと、パチュリーさまの契約を満たすために、ずっとお仕えしますよ。自分の目的が何だったか、契約の内容がどのようなものだったか分からなくなったとしても、パチュリー様と一緒に、いつまでも」
「……もし、レミィが運命を操っていなかったら」

 パチュリーが小悪魔を優しい表情で見つめて、囁いた。

 もし、レミィが、最初からこの物語を、この事件を、このような滑稽な話として処理しようとしなかったら。

 もっと厳密で、深刻で、運命的で、複雑に絡んでいて、逃れようのない蜘蛛の糸のように扱っていたとたら。そして、小悪魔がもっと本気で、もっと短くすべてを変えようとしていたら。

 私はどうなっていたのだろう?

「パチュリー様」
「何?」
「戻ったら、すぐにお茶会にしましょう?今度は二人っきりで。あのときはパチュリー様と魔理沙さんとアリスさん、三人だけで楽しそうでしたものね。私もご一緒したかったのに」
「……あら、いつものことじゃない」
「……酷いです、パチュリー様」

 パチュリーが冷たく言うと、小悪魔は主人の腕を離して床に崩れ落ちた。

「さ、行くわよ、小悪魔。お茶会をするんでしょう。私のために」
「はい!パチュリー様」

 主人の気侭なその言葉に飛び上がって喜ぶと、小悪魔は差し出されたパチュリーの腕に飛びついた。
 また二人並んで、書斎へ向かって進む。
 
「今回のお茶会は、少し特別な気分がするんです」
「あなた、簡単に特別な気分になれるのね?」

 パチュリーが困った子ねぇ、と小悪魔の髪の毛をなでてやると、小悪魔は嬉しそうに目をつぶった。

「たまには良いじゃないですか。特別なお菓子があるんですよ?」
「そう。それは楽しみね」

 そう言って、パチュリーは続けた。

「きっとそれは、黒くて、ぼそぼそこぼれる、薄い生地を無理矢理くっつけた、長方形のチョコケーキなんでしょうね?」

 そのパチュリーの言葉に小悪魔は悪びれず、そして恍惚とした表情で笑った。

「……パチュリー様、大好きです」

-了-
これはさすがにジャンルは「ギャグ」でいいよね?と友人に聞いたら、「あ、ああ……」と奥歯に物が挟まった物の言い方をしてきました。
重ねて確認したところ、「こあちゃん薄気味可愛い」、って答えが返ってきました。
もう、僕と会話する気がないんだと思います。
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コメント



0.760簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
ギャグなんだけど、最後は微妙w
でも面白かったです
3.90名前が無い程度の能力削除
Good!
4.90名前が無い程度の能力削除
カリスマレミリアとその仲間達の優雅な日常風景を見ている筈が、なんだかよくわからない感じになってる気がするのは私だけではないはず。
それは兎も角この疾走感は嫌いじゃない、むしろ大好きだ!
つまり何が言いたいのかと言うと、次回作もお待ちしております、というわけで…
5.90奇声を発する程度の能力削除
この勢いの感じ悪くないですね
9.100名前が無い程度の能力削除
面白いですね!!




レミィが(笑
11.100名前が無い程度の能力削除
レミリアのカリスマが半端ない。さすがは小悪魔が足元にも及ばぬ紅い悪魔。
18.90名前が無い程度の能力削除
食べ物の恨みはとっても恐ろしい。でも、捻くれた恋心はよりずっと恐ろしい。
19.100Admiral削除
小悪魔さんまじ小悪魔。
相変わらずの小ネタてんこ盛りにニヤニヤしながら一気に読んでしまいました。
面白い!
21.100名前が無い程度の能力削除
これは良い大図書館、
22.90名前が無い程度の能力削除
ギャグの中に不安感や恐怖を織り交ぜると恐ろしく効果的ですが、この作品は好例です。実に巧い。