山々が燃えるように紅く染まったのも束の間。
紅葉の秋はあっという間に過ぎ去り、幻想郷は次の季節への移り変わりを見せ始めている。
木枯らしが痩せ細った木の葉を舞わせ、それらは水面に落ちて幾つもの波紋を生む。
その水面に映る二つの影。上空には霧の湖ではお馴染みの二人が浮かんでいた。
「暇よねー、あたいってば最強なのに……」
「チルノちゃん……それってあんまり関係ないよ?」
「う……ち、違うのよ大ちゃん。あたいってば最強だから、暇じゃいけないのよ。まぁ最強じゃない大ちゃんにはわからなかったかもしれないけどね」
さて、二人……チルノと大妖精が繰り広げているのは、他人が聞いたらやれやれとジェスチャーつきで言いそうな漫才であった。
無論、当人達にとってはそんなつもりなど全くないのだが、誰がどうみてもそれは間抜けな会話であり、たまたま浮上してきたクニマスの魚太郎が、やれやれとばかりにヒレを動かした後潜航したのもまた事実なのであった。
とりあえず最強だとか云々はさておき、二人は今もの凄く暇を持て余しているのは事実である。
どうしようもないくらいの暇は、妖精にとっては拷問にも等しい時間。
チルノはこの暇な時間をどう過ごすべきか、無い知恵を絞って考えていた。
その側で苦笑を浮かべる大妖精のように少しでも落ち着きがあれば、たまにはゆっくり散歩でも楽しもうか、という判断に落ち着くのかもしれないが。
当然大妖精はそう提案したが、散歩の楽しさを理解できないチルノは「面白くなさそう」の一言で切り捨てている。
要するに、チルノは活動的に動かないとつまらないのである。
日々の景色を眺め、出会った人妖と語らい、思索にふける散歩も、大妖精に言わせれば十分活動的なのであるが、その活動は落ち着いたものであり、チルノにとってはわかりやすい『おもしろさ』はないのだった。
これは妖精全般に言えることであって、チルノが特殊なわけではなかった。特殊なのは、むしろ妖精らしからぬ落ち着きを持つ大妖精なのである。
で、その妖精らしいチルノが思いついた結論は、やはり妖精らしい、中身がない結論だった。
「よし、面白いことがないか出かけよっ!!」
それは散歩とどう違うのか、大妖精は訊ねたい気持ちであったが、そんなことを聞いても、言語明瞭意味不明の言葉が返ってくるか、もしくは友人が蒸気機関となってしまうのは目に見えていたので、その言葉はぐっと飲み込んだ。そうなると、とばっちりが飛んでくるのは間違いなく自分なのだ。
さて、結局いつものように面白いことを探すために飛び回る、という結果に落ち着いた二人であるが、そうなるとまずはどっちの方向に行くかが重要となる。
ただどっちに行ったとしても、迷惑混乱を巻き起こす事に関しては天才的なチルノがいるのだ。
行く先々で何が起こっても、退屈は凌げるに違いない。
それが彼女にとって「おもしろい」かどうかはまた別の話だが。
「チルノちゃん、じゃあどこいこっか?」
「う~ん……」
チルノはぺろりと人差し指を舐めて風向きを調べる。
きっと意味はない。ただ誰かがそれをしているのを見て格好良いと思ったからやっただけに違いないと大妖精は確信した。
ただそれを指摘しないのが大妖精の優しさであり、チルノとうまく付き合う基本なのだ。
「よし、あっちに行こう!」
しばしの時が過ぎ、結局チルノが指し示したのは風上でも風下でもなかった。
風向き調べる意味ないじゃんなどとつっこんではいけない、チルノにとってはやることに意義があるのである。
まぁ、要するに大妖精が想像した通りなのであるが……
さて、針路を定めた二人は、目的地……なんて洒落たものはないので、ひとまずチルノが指し示した方向へと飛行する。
無論、飛行中に面白そうなものがあればそちらにふらふらと引きつけられるので、そのうちににその針路すら怪しくなってくるのだが……
ひとまず、不思議な匂いの食妖花に引き寄せられて危うく食べられそうになったり、星をばらまきながら猛進してきた魔法使いに「あたいってば最……」まで言いかけた所で風圧で吹き飛ばされたり、浮上中の大蝦蟇に奇襲をかけようと突進し、彼があくびをした瞬間にその中へ飛び込んだりと、いつも通りの飛行を楽しんでいた彼女らだが、針路上に怪しげなものを発見して停止した。
「何かな、あれ?」
「えっと……お皿?」
そう、二人の目の前には、なぜか空中に静止している一枚のお皿があった。
薄っぺらくてまん丸く見えるそれはどこから見ても立派な皿だ。
もしかするとそれ以外の何かなのかもしれないが、生憎二人の記憶を総動員しても皿以外に連想されるものはない。
わからないなら、わかるように確かめるのが妖精流。
すでにチルノの好奇心は大妖精に止められないまでに高まっている。
キラキラと輝く双眸を目の当たりにすれば、これはもう納得のいくまで好きにさせる他ないと、大妖精でなくても理解するはずだ。
「よし、行くよ! 大ちゃん」
「え、あ、うんっ」
いち早く飛び出したチルノに続いて、大妖精もその浮かぶ皿を目指して速度を上げた。
それで近づいてみたまでは良かったのだが、近づいてみて初めて理解できたことが一つ。
「……大ちゃん」
「……なぁに、チルノちゃん」
「おっきぃね」
「うん、おっきぃね」
二人の前に浮かんでいる皿。
そこまで辿り着くまでに随分な時間を要したのだが、そこはさほど気にする点ではない。
気にするべきは、その皿がそこらの人間の家よりも遙かに巨大な大きさを誇っていたことだ。
チルノ達のよく知る紅魔館ほどの大きさではないが、それでも圧倒的な存在感を感じさせる大きさであることは間違いない。
それは悠然と空に浮き、何故か満々と水をたたえていた。水面が映す秋の空は薄い水色で、かすかに日の光を反射して輝く。この季節なのに木の葉が一枚も浮いていないのが、奇妙な非現実感を与えていた。
これを正体不明と言わずしてなんと言おう。わかるように接近したらますますわからなくなったというと間抜けに聞こえるが、正体不明ということがわかったと言えば、それはなかなかの成果に聞こえる。
「チルノちゃん、ここは慎重に……チルノちゃん!?」
ひとまず、大妖精はさらに慎重に状況を確認しようとしたのだが、そんな思考がチルノに通じるはずなどなかった。
大妖精が言いかけた時、好奇心という名のビョーキに憑かれたチルノは、全速でそれに接近しつつあった。
「あたいってば最強ねっ!」
全く関係のないことをわめきながら急降下し反転、皿の下方にもぐり込もうとしたチルノは……
「げふっ!?」
「わっ!?」
二つの悲鳴とともに、はね返された。見えない壁……に弾かれたチルノは、まるで映画を巻き戻すかのような格好で滑空し、数十メートルも後退を強いられた後にようやく体勢を立て直した。
向こうでは、謎の皿が大きく揺らぎ、しかし水滴はこぼれない。実に不思議な光景である。
再び離れた位置に陣取り、大皿を見据えるチルノは言った。
「皿のクセに、あたいを吹っ飛ばすなんて……」
好奇心も強いが負けん気も強いのがチルノという妖精の良いところでもあり悪いところでもあった。
状況はまったく理解できないし、あの皿の正体もまったく掴めていないというのに、チルノは再びそれに近づこうとする。
「ちょっと待って!」
それを制止したのは、大妖精の少し大きめの声だった。
ケガこそしなかったものの、近づいてまた無事で済む保証はどこにもない。
「またいつもの“よく調べてから”?」
「そうだよ。あんなわけの分からないお皿が浮いてるなんておかしいよ」
「でも調べるなら近づかないといけないじゃん」
そりゃそうだ。
大妖精は自分で言ったことにハッとする。
「もー、大ちゃんはおバカさんだなぁ」
無邪気に笑いながらチルノは、お前が言うなと誰からも突っこまれそうな台詞を、いけしゃあしゃあと言い放った。
言われた大妖精も流石に何か言いたげに顔をしかめるが、そこは大の名の付く妖精。言いたいことをぐっと呑み込んで、とりあえず苦笑を浮かべて取り繕う。
「わかった。じゃあ近づくけど、絶対に一人で先走っちゃダメだよ」
「うんうん、わかってるてば。大ちゃんはしんぱいしょーなんだから」
大妖精からの許しも得て、チルノはリベンジマッチをするために再び浮かぶ皿の元へと飛んだ。
さすがに、チルノといえども再び全速で突撃する事はなく、じわじわと距離を詰め、先ほど弾かれた地点の手前で停止する。
ほっと胸をなで下ろした大妖精を後目に、チルノは自信満々で皿を見据えた。全てを看破したかのようなその様子に、心なしか皿が後ずさりしたように見えた。
そんな皿の様子には目もくれず、チルノは息を吸い込む。
何を言おうとしているだろう?それも皿に?文字通り聞く耳持たないんじゃ……
だが、大妖精が悩む間に、チルノはその得意満面な顔を皿に向け、言う。
「あたいってば天才だからーっ!」
大声。聞いている誰もが突っ込みたかったが、それすらも無意味な行為に思えて沈黙する。ちょうどこの付近を飛行中だったゴクラクインコのピースケが「ねぇ、あの妖精ってお馬鹿なの?」と言った息子の口を慌てて塞ぎ、飛べなくなって落下したのはこの時であった。
一方、チルノは周囲が納得していると満足していると様子で、皿にびしっとばかりに指をつきつけた。
「あんたの正体なんてお見通しよっ!!」
ずがーんと効果音がつきそうな自信満々の声、得意満面の様子、大皿がひるんだように後退する。
それを見て、疑問120%で聞いていた大妖精に、かすかな希望が生まれる。その希望は今まで一度たりとてあたったことはなく、むしろ悪い方に数倍されて跳ね返ってきたりしていたのだが、生き物は希望なくしては生きていけないのであった。
そうなの?まさか?いや、でもバカ……もとい、思考が単純なチルノちゃんの場合、予期せずして正解にたどり着いている場合も考えられるし……
大妖精が悩む間に、たっぷりと間を取ったチルノは、次の瞬間、相変わらずの表情のまま言った。
「あんたは皿ねっ!!!!」
皿がずっこけた。宙に浮いたままずっこけるというのは実に器用であり、想像しにくいものであるが、それですらチルノの先ほどの発言の前には当然のように見えた。
見りゃわかるよ……
今の発言を聞いた全ての生き物が、同じ感想を持ったに違いない。
例えば、このとき偶然通りかかったリョコウバトのパタ吉は、連れていた息子に、火付け強盗火事親父をやるようになってもあのようになってはいけないと教えていたし、眼下の森でコサックダンスの練習をしていた露西亜人形は、あまりの間抜けな会話にステップを間違え、足を一本とばしてしまっていた。
チルノの爆弾発言に、大妖精も次に紡ぐべき言葉が見あたらない。
だが今の一連のやり取りで一つわかったことがある。
チルノが「あんたは皿ね」と言ったとき、皿がずっこけたのを大妖精もチルノも目の当たりにしている。
つまりこの目の前で浮かんでいる皿には、少なくとも言葉を理解し反応するだけの知恵があるということ。
もしかして話ができるんじゃないだろうか。
「あの……」
これで話が出来れば平和的に解決できるはずと、大妖精が話しかけようとしたときだった。
あれ、なんか寒いな、と思ったときには時既に遅し。
「せてん必勝! 喰らえ、あたいの必殺技!」
決め言葉も肝心の言葉を間違っては形無しだ。しかも初っ端を間違う辺りがどうしようもないが、しかし技自体は決め台詞など何の影響も受けない。
チルノの手にはしっかりと握られたスペルカード。
その周囲はすっかり戦闘用の冷気に包まれ、いつ攻撃が放たれてもおかしくない状況だ。
「ち、チルノちゃん? その手のスペルカードは一体何をする気なのかなぁ?」
「あったりまえよ。正体も分かったことだし、さっきの汚名を挽回するのさ」
汚名は返上するものだよ、というお決まりのツッコミを入れる間もない。
今はチルノを止めるのが最優先。
しかし、である。こんな時には言葉で語るよりも拳で語る……要するにチルノの攻撃が発動する前に一撃かまして吹き飛ばす……方が確実であるにも関わらず、そこで丁寧に説明しようとするのが大妖精の人の良さ顔のよさであり、長所であるとともに致命的な短所でもあった。
彼女が悠長に説得の文句を考えている間に、突進猛進暴走驀進、ついでに突入自爆をスキルに持つチルノが攻撃を開始してしまった。
「アイスクレコール!」
聞いたことがないその名、彼女の新作スペルカードが発動する。
チルノちゃんいつの間に新しいスペルカードを……帰ったらお赤飯炊いて褒めてあげなきゃ……あ、でもその前にちゃんと人の話を聞くように教えてあげないと。あ、でもでもそれ以前に無事に故郷に帰れるかしら……
大妖精が現実逃避を兼ねてトリップする中、チルノから放たれた氷弾は真っ直ぐと水面へと向かう。
ちなみに、それはどこからどう見てもアイシクルフォールだったが、それに気づくべき大妖精は、幸せそうな笑顔で今日は甘い赤飯の炊き加減について悩んでいたので、誰も『とうとう自分のスペルカードの名前まで忘れたか!』と突っ込むことはなかった。
だが、名前を間違えられた所でその威力が変わるわけでもなく『アイスクレコール』の氷弾は水面を叩く。
たちまちそこは無数の波紋に覆われ、大皿は驚いたように激しく振動する。
「よーしっ! とどめっ!!」
チルノが言ったが、大妖精はとろけるような笑顔で彼女が美味しそうに赤飯を食べているのを想像している為、止めることはできない。
「パーフェクトストーム!!」
それはそれで相当に強そうな名前の『パーフェクトフリーズ』の冷気は水面へと向かい、たちまちそれを凍りつかせた。
皿の振動は止まり、続いてお辞儀をするように落下してゆく。まるで、誰かの頭に乗っていて、その人間が倒れているようなそんな動き……それを見て、チルノは勝利の笑みを浮かべた。
だが、つぎの瞬間その笑みは凍り付いく。
「えっと……やっぱりお汁は澄まし汁にしようかな、おみそ汁だとお赤飯にあんまり……」
皿が向かう先には、相変わらず平和な晩餐を想像する大妖精の姿……
「大ちゃ……」
「え?」
チルノが言った時には手遅れだった。『戻ってきた』大妖精の視界は、急速に接近する皿の姿があった。圧倒的な質量と速度、回避などできるものではない。
「大ちゃーんっ!?」
チルノの悲鳴とともに、大妖精は大皿にはねられ、再びあらぬ世界への切符を手にする羽目になった。
「くっそー。よくも大ちゃんを」
チルノが激高し、叫ぶ。
大妖精に被害が及んだのは、自分の所為だという自覚は全くなかった。
その声に反応するかのように、地面に向かって真っ逆さまだった皿が、突然体勢を立て直すかの如く元の位置まで戻ってきた。
どうやら向こうも攻撃を吹っ掛けられてご立腹らしい。
声も出さず表情も見えないが、纏う空気が明らかに先程とは異なっている。
「ふふん、よーやく本気を出す気になったようね。大ちゃんの仇も含めて、あたいが最強だってことを思い知らしてやるわ!」
先程有効打を与えたことで得意げになっているチルノは、再びその手にスペルカードを構える。
そして格好良く、高らかにスペルカード宣言をしようとしたその時だった。
「ふぎゃっ!?」
目の前の皿が、ほんの少し動いたかと思うと、予測もしていなかった方向から突然の大打撃を受けるチルノ。
脳みそは詰まってないが痛覚は通っている頭部が、まるで寺社に釣られている鐘のようにぐわんぐわんと揺らされ、目から星が飛び出そうなほどの痛みが全身に巡り回る。
痛みを我慢するために両手で後頭部を押さえたのだが、その時思わず手に持っていたスペルカードを落としてしまった。
「あーっ、あたいのカードがぁ」
目の前に戦うべき相手がいるにも関わらず、チルノは大事な必殺技を取り戻すために急降下する。
幸いだったのは見失う前に落下地点を見ることができたことだ。
その場所はちょうど大妖精が落ちた位置。というか大妖精の頭の上だった。
風が身体を叩き、地面が急速に近づく。普通の者ならば恐怖のあまり気絶しそうなものであるが、あいにくとチルノにはそういった感情はあんまりない。
想像力が欠落しているともいえるが、その結果、蛮勇ともいえるような勇気と豪胆の規範を示す事が出来るのである。
正体不明の攻撃がチルノの背中をかすめるが、無謀ともいえるような速度で降下するチルノには当たらない。チルノの非常識が、謎の攻撃の常識を上回ったのである。突っ込みどころは非常に多いのだが、残念ながらそれは事実であった。
もはや、チルノの目には落ちたスペルカードしかうつらない。背後の大皿も、スペルカードの下にいる大妖精も目に入らない。チルノが考えているのは、いかに速くスペルカードへと到達するのかだけであった。
さて、ところで世には次のような言葉がある。
有能な怠け者は指揮官に向き、有能な働き者は参謀に向く。そして無能な怠け者は兵士に向くが、無能な働き者は処刑するしかない。
無能な働き者は、自ら考え、行動するが、無能であるばかりに間違いに気づかず行動し続け、やがて取り返しのつかない事態を引き起こすのである。
この時、果たして積極的に行動する⑨であるチルノは、果たして上のどれに当てはまったのであろうか?
かなりの高度にいたチルノであるが、降下を始めれば一瞬である。スペルカード……というか、大妖精の頭がどんどん迫ってきた時、ようやくチルノの頭に一つの疑問が浮かんだ。
「どうやって止まろう?」
誰もがもっと早く思い当たるであろう疑問に、ようやく行き着いたのである。
もっとも、考えてももう止まれるはずなどない。
「痛っ!?」
羽根を広げ慌てて引き起こそうとしたチルノだが、降下速度が速すぎ、進路変更すらままならない。広げた羽根に巨大な風圧がかかり、引きちぎられそうになる。慌てて羽根を閉じたが、すぐに次の悲劇が彼女と……そして大妖精を待っていた。
「ん……なんだろこのカード?」
ようやく三途の川の河岸から引き返してきた大妖精が、頭上のスペルカードに気づく間もあればこそ……
「大ちゃんどいてどいてとまらないっ!?」
「え?」
ふと上を向いた大妖精の視界は、大口を開けたチルノの顔で一杯になり……激しい衝撃とともにブラックアウトしたのだった。
「ありゃりゃ、こりゃあ二人とも伸びちゃったなぁ」
頭上から聞こえてくる聞き覚えのない声を聞きながら、大妖精は一体ここはどこなんだろうと、ありきたりなのか場違いなのかよく分からないことを考えていた。
しかし思考が戻ってきたら、次第に身体の感覚も戻ってくる。
まずは指先足先が動かせるようになり、動かせる範囲は確実に広がっていく。
妖精の回復力、生命力はなんとも強く、瞼も動かせるくらい回復するまでに、大した時間は掛からなかった。
「う、うー……ん?」
「およ、こっちの方が先に起きたみたいだね」
まだ頭のずきずきは取れないままだが、起き上がれないほどではない。
大妖精は痛む頭を抑えながら上半身を起こして、その聞き覚えのない声の主との対面を果たした。
「よっ。お目覚めの気分はどうかな。妖精さん」
見たこともない相手から馴れ馴れしく声を掛けられた大妖精ができるのは、首を傾げながら相手の姿を観察するだけだ。
ポケットの多い珍しい服を着て、背中には上半身と同じくらいの大きさの鞄を背負い、左右で髪を縛る頭には緑色の帽子が乗っている。
見た目だけなら人間と大差ないが、感じる空気はどう感じても妖怪のものだ。
しかしこの辺りでは見たことのない妖怪だ。これだけ特徴のある格好をしていれば気付きそうなものだが、それがないということは妖怪の山の奥に住む妖怪かもしれない。
「あー、それ大正解」
どうやら途中から考えていたことを口に出してしまっていたらしい。
にぱーっと笑みを浮かべながら大妖精の予想を肯定する妖怪に、大妖精は「はぁ」と曖昧に頷きを返すしかない。
「私は谷カッパのにとり。河城にとりっていうんだ。よろしくね」
「あ、私は大妖精って呼ばれてます。あと、こっちが……って、そうだチルノちゃんっ」
チルノのことを紹介しようとして、大妖精はいきなり突っこんできたチルノのことを思い出す。
あまり覚えてはいないが、あの速度で突っこんできたのだから、彼女も気絶していた可能性が高い。
「あぁ、それってこの子のこと?」
「え? あぁっ、チルノちゃんっ」
にとりが指差す先には、大の字で仰向けになり寝ころぶ友の姿。
大妖精は慌てて近寄り、チルノの安否を確認しようとするが――
「すぅ……すぅ……」
「この子は随分と大物なんだね。さっきからずーっとこの調子で気持ちよさそうに寝ているよ」
大物なのか神経が図太いのかはさておき、チルノも無事であることに変わりはない。
聞こえてくる健やかな寝息に、大妖精は安堵の息を漏らすと同時に呆れた表情を浮かべる。
ところでチルノも無事と分かったことで、この件が一件落着したわけではない。
にとりにつられて一緒に笑う大妖精だったが、ふとあの事を思い出してまた取り乱し始めた。
「あわわわわ、そういえば大きなお皿が湖みたいで木の葉が浮かんでいない不思議なわけでして……ご存じありませんか?」
「いや……そんな奇妙奇天烈なものは知らないねぇ」
ひとまず、問題の一つである空を舞う大皿について質問する大妖精なのであるが、困ったことに説明が説明になっていないので、にとりを苦笑させるばかりであった。
「つまりですね、お皿が飛んでいたらチルノちゃんと出会って美味しそうな晩ご飯と正面衝突しちゃったわけでしてあれ私ってば何を言おうとしてるんだろうつまり言いたいことは巨大なチルノちゃんが晩ご飯を正面衝突しようとして気がついたら三途の川の渡船が酔っぱらい運転で桟橋に衝突沈没死神さんがどんぶらこっこでさぁ大変という……」
真面目な人間ほどパニックに陥るとどうしようもなくなるものである。
大妖精の説明は地を駆け空を飛び、挙げ句博麗大結界を突破して空の彼方にぶっとんでいきそうな勢いで暴走を続け、そのまま大気圏を離脱して月の兎達を衝撃波で薙ぎ払い、太陽を突き抜けて宇宙を巡る彗星となってもう一度戻ってきて、ようやく落ち着いた。
「ずいぶんと長い旅路だったみたいだね……」
「はい?」
「いや、何でもない」
結局、ようやくまともな説明ができた大妖精から話を聞き、にとりは腕を組む。ここまで、約5分ほどの時間を要していたが、これを意外と短いと見るか、ずいぶんと長いと見るかはその人次第であろう。
「いやぁ……なんていうか、ほら、好奇心っていうのは時に暴走をしちゃうものでさ。最初は作るだけで満足してたはずなのに、どうしても完成すると使いたくなるっていうか……」
「はい?」
さて、今度はにとりが要領を得ない説明を始める。
この時、彼女は首を傾げる大妖精を見ながら、言うべきか言わぬべきか、いっそ実験中の新式器材『記憶は飛ぶよどこまでも(はぁと)11型』を使用して亡かったことに、もとい無かったことにしようかと考えていたのだが、大妖精はそんな危険な立場に自分がいたなどとは知る由もなかった。
結局、長い沈黙の末、にとりは諦めたように言った。
「いやね、あれ私が作ったロボットなんだ」
「ろぼっと……ですか」
「うん、そう。ロボット」
大妖精はたっぷり3分ほど思索を巡らせた後、おずおずとした様子で一言こう尋ねた。
「あのぉ、ろぼっとって何ですか」
「うん、何となくそう返ってくるだろうなぁとは思っていたよ。まさか3分掛けてから聞くとは思わなかったけどね」
にとりは呆れる様子も疲れた様子も特には見せず、目の前の大妖精に「可愛いなぁこの子」といった視線を送っていた。
それはさておき、まずはロボットとは何かという説明から入らなければならないにとりだが、まさか目の前できょとんとしている妖精に、小難しい専門用語を並べ立てたところで理解してもらえるはずもない。
「えーっと、ロボットっていうのはだね。これこれこうで、かくかくしかじか、ということなの。それでこれこれうまうまというのが、ロボットなんだけど分かる?」
※小難しくない程度の専門用語が連発されているようです。
「うーん……要するに大きな式神さんってことですか」
「なんだ妖精にしては頭が良いのね。ますます気に入っちゃ、ごほごほっ。まあ良いわ。それで私もそのロボットを作ってみようかと思ってね」
「作っちゃったんですか!?」
驚きと羨望の眼差しを向けてくる大妖精に、にとりは河童ながら鼻を高くする。
褒められるというのは人前に姿を現さない河童でもやっぱり嬉しいことらしい。
「そう! 私に作れないのは美味しいカッパ巻きくらいなもんよ!」
「うわー、凄いなぁ。それでそのロボットがどうしたんですか?」
鼻高々に笑っていたにとりが思い切りずっこけた。
どうやらロボットというものを理解することでキャパシティの全てを使い切ったらしい大妖精は、先程の話と今のロボットの話が繋がっているということに気がついていなかったようだ。
その辺りはいくら頭が良いとは言えやはり妖精族である。
「……まあ作ったのは良いんだけどね? ちょびぃっとばかし大きく作り過ぎちゃってさ。それで仲間から邪魔だからどっか別の場所に持っていけって言われちゃって」
それで試運転がてら動かすのは良しとしたのだが、これを河童族以外に見られたら攻撃されかねないと考えたにとりは、さてどうしたものかと思案を巡らせた。
そこで思いついたのが、以前ににとり作った光学迷彩スーツ。
巫女や魔法使いに見破られたものに改良を加え、そのステルス性能が飛躍的に上昇したバージョンβを作り上げていたにとりは、それを利用することを考えたのだ。
「ただ……カッパージャイアントを作るのに軍資金の殆どを使っちゃっててね」
「かっぱーじゃいあんと?」
「ああ、私のロボットの名前よ。どう、めっちゃ強そうでしょ!」
頭の上に焦りの汗を飛ばすエフェクトが見えそうな大妖精だったが、語りに熱の入りだしたにとりはそんなことを気にせずに話を続ける。
「まぁそんなわけで、全身を隠すにはあと少し光学迷彩シートが足りなかったわけなんだ」
「はぁ」
「それがまぁ、その、なんだ、あなた達が見たって言うお皿の正体……だったり、そうじゃなかったり、やっぱりそうだったり?」
二人が墜落したり気絶した原因が、隠しきれなかったロボットにあったとなっては、流石ににとりも良心の呵責を感じるのだろう。
ただ突然の攻撃を受けたとき、ちょっとやり返してやろうと思ったのは事実だったりする。
さて、二人が事の真相を話している最中、その熱弁の熱に充てられたのか、今まで寝息を立てているだけだったチルノが、起きる気配を見せ始めていた。
ぴくぴくとチルノの羽根が動き始め、続いて本体も起動する。
「あたいってば……誰だっけっ!?」
「チルノちゃん!?」
「そうそうおはよう大ちゃん、思い出したわ、あたいってば最強ね!」
「よかった……いつものチルノちゃんだ」
記憶障害を疑われるセリフとともにチルノははね起きたが、元々記憶喪失になるような複雑な頭は持っていない。叩けば回復するどころか、叩く間もなくいつもの調子を取り戻し、大妖精はほっと胸をなで下ろした。
もちろん、呆然と立ちすくむにとりから見れば、どっちにしても速やかに病院送りにした方が世のため人のため自分のためなような気がした。
それはまったくもって事実であり、もしそのような行動をとった場合、彼女は大衆的英雄精神を発揮したと幻想郷中から賞賛されるのは間違いなかったのであるが、如何せん大妖精がよかったよかったとチルノに抱きついているのを見てしまった後では、それなりに根がよい妖怪である彼女にはチルノをビョーキであるなどと言うことはできなかったのである。
無論、あんな⑨な言動を聞いていつもの……などと胸をなで下ろしている大妖精に対し、にとりが敬慕と同情の念を深めたのは当然であった。
さて、そんな……チルノと大妖精の会話を聞いた誰もが持つ疑問はさておき、難題はここからである。
果たして、あのいかにも⑨で好戦的な妖精に対し、どうやって先ほどまでの事を説明するべきか……
迂闊な発言をすれば「犯人はあんたねっ! 最強のあたいがせーばいしてやるわ!!」などといって、あのアイスクリームとかいうスペルカードを使って攻撃してくるに違いなかった。
いかにあれが不幸な事故であったと説明するか、いや、⑨は死ななきゃ治らないというし、いっそ新式器材『いい日旅立ち昇天号21型』で三途の川まで送り届けてやろうか……いや、⑨は死んでも治らないとも言うから、もし治らなかったら死に損で可哀想じゃないか……
にとりの頭は、どちらかというとまともじゃない方向で回転を続けるが妙案は出ない。
そもそも、まともに説得する方法を考えていないじゃないかなどと言われそうだが、研究には優れた能力を発揮するにとり脳も、こういうことについてはどちらかというとにわとり脳になってしまうのであった。
「ねぇねぇ、今気がついたんだけどさ、こいつ誰よ」
さて、今更になってにとりの存在に気付いたチルノは、側にいる大妖精に尋ねる。
その脳天気な発言にも関わらず、大妖精は優しく答えた。
「ああ、その人は河城にとりさんだよ」
「変な名前ねぇ。なんて言うか……安っぽい?」
言うに事欠いて人の名前を安っぽいと言いやがるか、このあんぽんたんはっ、と声を大にして怒鳴りたいところを自制するにとり。
ここで怒鳴り散らしてしまっては、妖怪の山一、ひいては幻想郷一の技術力を誇る河童族としてのプライドが粉みじんに砕け散ってしまう気がしたのだ。
「で、そのにわとりがどうしてここにいるのさ」
「にわとりじゃなくてに・と・りよ」
「いやまあどっちでもいいからさ。それよりあたいの質問に答えなさいよ」
にとりはそのことについてどうしたものかと考えているのだ。
それを目の前のバカ妖精は何も気付かずにいけしゃあしゃあと突き詰めてくる。
こうなりゃいっそカッパージャイアントの必殺武器で、コテンパンにのしてどっかに退散してやろうかと、にとりが考えてしまうのも仕方がないことだろう。
そうすれば自分の鬱憤も晴らせるし説明する手間も省けて一石二鳥だが、それだと大妖精があまりにも可哀想だ。
(それに私はこいつよりは大人だもの。もっと合理的且つスマートな説明を考えついてやるわ)
そしてまた思案に耽ろうとした時だった。
「にとりさんはね、でっかいロボットを作った凄い人なんだよー。あのお皿はそのロボットなんだって」
あーぁ、言っちゃったよ。
にとりは心の中で、泣きながらバンザイをする。バンザイの意味は勿論お手上げだ。
チルノばかりに気を取られ、もう一人の存在を蔑ろにしてしまっていた。
いや大妖精は何も悪意を持ってそんな言動をしたんじゃないということは、にとりもよく分かっている。
それはあのキラキラとした無邪気な瞳を見れば一目瞭然。
カッパージャイアントのことを純粋に凄いと言ってくれたあの子が、その感動を友達にも教えてあげようとしても、まったくおかしいことではない。
おかげでにとりがピンチに陥るかも知れないなんて考えには至りもしないだろう。
それにしてもこれからどうしたものか……
いっそ、諦めのバンザイを突撃のバンザイにかえて、カッパージャイアントと共にバンザイアタックを行い、最後は科学者の良心たる自爆装置で、この森を原始ならぬ原子に戻してやろうかとも思ったが、結局の所先ほどの案とは大差ないというかどちらかというと悪化している事に気がついて諦めた。
しかし、にとりがそんな色々な意味で危険な思考をしている時、肝心のチルノは首を傾げているばかりだ。
あの顔は『ろぼっと? 何それ? おいしいの?』とか考えているに違いない、にとりは確信する。
無論、二つの問題を同時に処理する能力を持たないチルノである。先ほどの『交戦』で、自分たちが危険な目に遭わされた事などもう頭にないようだ。
ずいぶんと前向きな頭であるが、ある意味実に幸せといえるだろう。負けた事など忘れてしまうのだから、自分が最強と思っているのは仕方がないのかもしれなかった。
「しめた」
「「しめた?」」
にとりの口から思わず飛び出た言葉に、二人が反応する。
彼女はしまったと言いそうになる口を慌てて押さえる。危ない危ない、せっかく誤魔化せそうだったのに、変に注目を集めてしまった。
「何よ? つまりあれはなんなのよ?」
いらいらしたように一歩前に出てくるチルノに、にとりは慌てる。
どうする、どうする……高回転を誇るこのにとり脳をもって、可及的かつ速やかに説明しないと、変なふうに因縁をつけられてしまう、でも、あんな⑨にロボットの定義を説明するなんて無理じゃ……どうする……どうしたらいいっ!?
必死に考えるにとりであったが、いくら回転数を上げようとしても、やはり研究以外の事を考えるには向いていなかった。
結果、無茶な運転を続けたにとり脳は、だんだんと加熱し、結局半分ローストチキンになったような状態でとんでもない結論を叩き出した。
そう、あの妖精にもわかるような語句で説明するんだ、あの妖精がよく使っている言葉を使って説明すれば……
もはやにとりの目はぐるぐると渦を描き、見事ななるととなっていた。誰が見ても悲惨な結末は容易に想像できただろう。
そして、にとりはついに禁断の言葉を発してしまった。
「つまりね、あの大皿は最強なのよ」
「最強はあたいよっ!」
にとりの言葉に、チルノは即座に反応し、離陸する。無論、その目指す先には『ライバル』大皿があったのだった。
あぁもうこうなってしまっては致し方ない。毒も喰らわばなんとやら。
「ふ、ふふ、ふふふふふふふふふ」
「に、にとりさん?」
「こーなったら、やれることを全部やってやるまでだわ!」
突然高笑いを上げる自分を心配してくれる大妖精の言葉も、今のにとりには届いていない。
同様に大皿目掛けて飛ぶチルノにも、最早大妖精の言葉は距離的な意味で届きはしないだろう。
そんな大妖精をよそににとりは背中のバックパック、もとい河童の道具袋から何やらボタンやスイッチが沢山ある機械を取り出した。
「さぁ、カッパージャイアント! 今こそヴェールを脱ぎ捨てて、隠された姿を陽の下に晒すのよ! ……ぽちっとな」
お約束の台詞と共に押されたボタン。それによってカッパージャイアントを覆っていた光学迷彩シートが剥がれていく。
「な、なんじゃこりゃあっ」
目の前で皿だと思っていた物の姿が変わっていく様を見せつけられ、チルノは思わず叫んでいた。
その姿は壮大にして荘厳。青銅色のボディはまるでドラム缶の如く、単調にして優美なフォルム。そこから生える二本の腕は伸縮自在の特別製。その先にはUの字型のアームが付けられ、皿の下には二つのくりくりした目と可愛らしいくちばしが装着してあり、愛嬌まで振りまいている。
これぞ河城にとり稀代の傑作。可愛らしさと壮大さを併せ持ったスーパーロボット、カッパージャイアントの全貌なのだっ!
「さぁ行けぇ、カッパージャイアント! あなたこそが幻想郷で最強だということを、目の前の羽虫に思い知らせてやりなさい」
「は、羽虫っ!?」
思わず本音を出してしまったにとり。その言葉に大妖精は耳を疑う。
いくら良い人っぽそうとはいえ、チルノの悪口を言うならその人はもう良い人ではない。
しかも見れば、今のにとりはイってしまった表情を浮かべている。
これはチルノの危機と判断した大妖精の動きは早かった。
「ダメーっ!」
「ちょ、何をするの! ってそれは触っちゃダメなんだって」
「うにゃーっ、チルノちゃんを苛めるなら私が許さないんだからーっ」
にとりに組み付き、手元の機械をめちゃめちゃに弄くる大妖精。
まさかの大妖精の行動に、にとりの血が上っていた頭が冷えてくる。
同時に今の状況が非情に宜しくないことも、にとりにはなんとなく感じられていた。
「わ、わかったから。チルノを苛めたりなんてしないからっ。だからもうやめ、いたっ、いたたっ」
「チルノちゃんは私が守ってあげるんだからーっ」
言っても大妖精は聞く耳持たず、先程までの自分がこんな状態だったなんて考える暇など無く、にとりはこの最悪の状況を早く脱しようと頭をフル回転せざるを得なかった。
にとりの脳は高速回転を続けるが、如何せんあの巨大ロボットを停止させる術など思いつかない。
自動ロボット停止装置などという高尚な設備は予算不足でついていない上に、自動迎撃装置といういらんものはしっかりとついているのである。もちろん『積極的攻撃は禁止する』という命令は入れてあるものの、その後に『但し自衛の為の戦闘行動は此を妨げず』という余計な一文がついている為、一度攻撃を加えてきたチルノを視認すれば即座に反撃するに決まっていた。尚、敵味方識別装置もついていないので、戦闘モードに入っている時に視界に入れば、にとりも容赦なしに攻撃を受ける。
河童の里から追い出されて(?)きたのも当たり前であった。誰もこんな物騒なものを自分の住んでいる所においておきたくなどない。邪魔だし。
「どりゃー! あたいってばさーいーきょーよーっ!!!!」
しかし、その間にもチルノは雄叫びを上げながら大皿へと突進する。
大皿……もといロボットは、戦闘用ではないためにロケットパンチやビーム砲などはついていないものの、自衛用に7.7mm豆鉄砲や、37mm銀玉鉄砲『ドアノッカー』、40mmキュウリ砲『ポムポム砲』等の、強いのか弱いのかよくわからない兵器がついていた。
霊夢やレミリアクラスには効かないだろうが、チルノ相手ならば十分以上の効果を発揮するだろう。具体的には痛い、とても痛い、特に目に当たると非常に危険なのである。
このままでは、チルノはその射界へと入ってしまう。しかも、ロボットパンチ(要するに腕をぶんまわす)のに当たれば、大けが間違いなしであった。
「わかった、わかったけどあいつを止めるには……には……」
「何ですか? 何かあるんですか? ないって言ったら怒りますよ?怒って怒って一週間のおトイレ掃除を押しつけちゃいますよ!?」
大妖精もパニックになり、怖いのか怖くないのかよくわからない罰を口にするが、にとりもやっぱりパニックになっていたので、一週間のおトイレ掃除なるものが非常に恐ろしいものに感じられていた。
「そ……そんな……死んじゃうよ……」
「そうですよ! チルノちゃん死んじゃいますよ!! 早くなんとかしてください!!」
弱気に呟くにとりの脳内では、自分が果てしなく続くトイレを一週間睡眠&食事ぬきで掃除させられるという光景が再生されていたが、それを大妖精はせかし続ける。そのうち襟首をつかんで締め上げ始めたが、誰も止める者などいなかった。
にとりの脳内に「掃除せよ、さもなくば貴様は地獄行きだ」などと言うどっかの閻魔様の姿が思い浮かんだ頃、彼女の脳はフリーズした。
「こ……このボタン……科学者の良心だから……ロボット止まる、みんななくなる……」
大妖精に締め上げられて、青息吐息の状態のにとりがあるボタンを差し出した。
無論『ロボット止まる』の言葉を聞いて、大妖精がそれを押さないわけなどない。
既に背後ではキュウリと豆と銀玉の弾幕をかいくぐり、大皿に肉薄するチルノの姿がある。
氷弾が次々に命中するが、新開発のカッパニウム鋼による強力な装甲を持つカッパージャイアントには効果などなく、当たっては砕け散る。
幸いにして、濃厚な弾幕を張るはずの40mmキュウリ砲は、弾切れか故障かですぐに沈黙したが、7.7mm豆鉄砲がチルノを追い、37mm銀玉鉄砲も至近弾を増やす。ぶんまわす腕こそ動きが鈍く、今のところ命中の危険はなさそうだが、チルノが疲労してくればそうとも限らない。
チルノには、体力の温存や撤退などという思考はないのである。
「これですね、はい!」
それを見て、もはや一秒の猶予もないと思ったのだろうか? 大妖精はボタンを押した。
瞬間、激しい閃光と共に、巨大な振動が大妖精を襲い、ついで来た爆風が彼女らを吹き飛ばした。彼女らより爆心に近かったチルノは「なんか知らないけどあたいの勝ちよっ!!」などと叫びながら吹き飛ばされ、お空のかなたへと消えていった。
大妖精も「ああ、これでチルノちゃんも大丈夫……」などと思いながら、再び三途の川へのショートトリップに旅だったが、むしろ自爆させた方がチルノの傷を深くしたのではないかという問題に気付かなかったのは幸いであるかもしれない。
尚、トイレ掃除という名の地獄から逃れ得たにとりは、幸せそうな笑顔で某神社のお賽銭箱へと突入自爆を果たしているのが発見されたが、それは、彼女が別な名の地獄を見る数十分前の事であった。
それから数日後の湖の湖畔。
そこにはすっかりけがも治り、あんな騒動を起こした犯人の一人とは思えないチルノの姿があった。
妖精の再生力は早いと言うが、あの爆発を一番間近で受けて、殆ど跡形もなく吹っ飛んでいてもおかしくなかったはずなのに、そんな様子はどこにもない。
隣には大妖精もいるが、彼女もまたけが一つ無い状態でチルノとの談笑に花を咲かせている。
自分がトドメを指したことには一切覚えがないらしい。
結局被害を被ったのは、カッパージャイアントを大破させられ、大怪我を負った上、しかも地獄を見る羽目となったにとりだけ。
さらにこの一件はバッチリ射命丸にスクープとしてゲットされ、文々。新聞号外として幻想郷全体に知れ渡り、にとりは今まで以上に人には見つからないように過ごすようになったという。
ちなみにその号外にあるインタビューで、チルノは今回の件についてこう語っている。
『え? 最後の爆発はなんだったのかって? そんなのあたいに恐れを成したからに決まってるじゃない。何よ、ろぼっとには意思がないって。そんなこと関係ないってば。なんてったって、あたいはさいきょーなんだもの』