白玉楼。
幻想郷の空、遥か上にあるこの場所はいわゆる冥界として地上の顕界とは一線を画し、生身の妖怪や人間は滅多に来ず、閻魔による輪廻転生の裁定を待つ多くの幽霊がふわりふわりと漂っている。
というのは昔の話で、ここの主である西行寺幽々子が春を奪う異変を起こしてから顕界と冥界の結界がかなり緩和され、来たいと思った妖怪や人間が訪れることも増えた。
とはいえ、立地が地上から離れ、本来は幽霊ばかりが漂う薄気味の悪く、外観も広大な庭園と屋敷の寝殿造という貴族感のある厳かさを残している。また、予定も言わずに来れば門前払いではなく、辻斬りされる可能性の高い場所に来る物好きなどなかなか存在せず、白玉楼の住人である幽々子と庭師兼剣術指南役の魂魄妖夢の生活に大きな変化はなかった。
強いて言うならば、妖夢が地上に降りることが増え、物好きな人間や妖怪の訪問が若干増えた。
合わせて幽々子も地上などの者と接点を持ち、大好きな食事が華やかになったことぐらいだろう。
「さて、そろそろかしらね」
幽々子は目的もなく腰掛けていた縁側から食卓のある部屋へと移動する。外に見える満開の桜は相も変わらぬ美しさと儚さを誇っているが、それを愛でるよりも食べることに勝る喜びには敵わない。
今日は妖夢が不在で、料理を作ったり、配膳するのは幽霊達の担当になっている。
ちょうど向かおうとしていた部屋から幽霊が一体出てきて、幽々子の姿を認めると彼女に向かってきた。
「……そう。ありがとうね」
幽霊は彼女を案内するように前を漂い、器用に襖を開く。手もないのにどうやって開けているのかと以前、守矢の風祝に問われたが、細かいことを気にするようでは冥界ではやっていけない。
「うん。美味しそうな香りね」
書院造風の構成と間仕切りがされた二十畳ほどの部屋には十人は座ることのできる食卓に並ぶのは鰹のたたきにクニマスの塩焼き、たけのこの入った味噌汁。
妖怪の賢者と知り合いだと海の魚や幻の魚が比較的容易に手に入るので非常に助かる。
後で御礼はきちんとしておかなくてはならない。
死んでも大丈夫そうな人間が迷い込んだら送ってあげよう。
「いただきます」
手を合わせて箸を取る。
まずは鰹のたたきを口に運ぶ。一般的にはねぎとにんにくと一緒に食べて臭みを無くすのが定番らしいが、そのような人間の食べ方を真似るなど面白くない。
鰹の上に乗っていたねぎとにんにくをどかしてそのままの鰹を醤油に少しつけていただく。
脂が乗っていて、柔らかい。鰹は火を通さないと固くなってしまうと聞いていたが、焼いて正解だった。その分、旨味が凝縮されている。
そして、臭みも気になるほどではなく、十分に味を楽しめる。折角なので次の鰹にはねぎとにんにくを乗せたまま食す。
なるほど、と幽々子は咀嚼しながら頷く。
ねぎの食感やにんにくの香りで先程の鰹よりもさっぱりして、臭いも気にならない。友人がおすすめする理由が分かった。幽々子はにんにくをあまり好まないが、これは例外と言わざるを得ない。
外の世界ではにんにくをふんだんに使う料理が増えていると聞いている。はたして臭いが気にならないのか、それとも気にするような文化が無くなっているのだろうか。
一度、ご飯と味噌汁で口の中を整えるとクニマスの方へ視点を向ける。
たまたま読んだ本にこの魚のことが書かれていて、絶滅したことを承知で友人にいれば良いからとお願いした結果、見つけてくれた一匹である。
数十年の歳月を経て、再び外の世界で見つかったらしい。
黄泉返りなのか、人間の目を上手く盗んで生き延びたのか。
丁寧に身をほぐし、いつも以上に時間をかけて口に運ぶ。
あっさりとした味わいで、淡白な旨味が口の中に広がる。どの魚よりも格段に美味しいと言うわけではないが、根から古風な日本人である幽々子は魚の方が好みである。特別な魚であるという思いがより自分の味覚を引き立てているのかもしれないと続けてクニマスの身を食していく。
これが人間達の欲のせいで消えたとされるのが残念でならない。
かつては領主にも献上され、専用の漁師もいるほどの魚だった。それが人間による科学技術の発展により条件のある水でしか住めない彼らは環境を失い、消えていった。
紫によると今は行き過ぎた自然破壊を押さえようとしている取組も盛んに行われている。だが、行き過ぎた活動を行う愚かな人間もいるらしい。
何事も中庸が良いと言った偉人の考えを理解しない者が増えないとは、なんと下らない人間の多いことだろう。
人間の欲がどこまでも深い以上、自然と調和し、時に畏れ、共生していた時代に戻ることはできない。いつか神による罰が再び与えられるのだろうか。
天災。一言で言えばそうだが、大雨、火事、疫病、地震。何かが起こり、行き過ぎた人間に鉄槌が下るのかもしれない。
地震といえば、この春の時期に外の世界で大きな地震があったとも聞いた。
幻想郷では迷惑な天人のおかげで地震が起きないようになってはくれたが、はたして外の世界の復興は進んでいるのだろうか。
いくら人間の罪が重くとも善良な者達までもが犠牲になるのは忍びない。
「ごちそうさまでした」
気付けば全ての料理を食べ終えていた。
珍しい魚と儚い思いが幽々子の心を満たすと共に胃袋も十分に満たしたようだ。
手を叩くと控えていた幽霊が襖を開き、指示通りに食器を片付けていく。入れ替わりに別の幽霊が食後の菓子を持ってきた。
桜餅。
折角なので縁側に腰掛け、西行妖を見ながら食す。
目の前で自分のせいで欠けていく桜とすでに枯れきっている桜木。
連想させていると心に何となく刺さるものを感じた。西行妖が枯れてしまった原因は分からない。友人に聞いても教えてくれない。もう諦めているのだが、きっと悲しくも人間の業欲によってあのように枯れたのだろう。
最後の一口を食すと幽々子は自室へと戻る。
満開の桜の下、皆を集めて花見をしよう。
夏の白玉楼は、この昼間の時間帯も地上に比べて比較的涼しく、過ごしやすい。太陽までの距離はこちらの方が近いのに何故だろうか。
こういうのは賢者の友人の方が詳しいだろうが、聞けば長い話になると思うので辞めておく。
妖夢は地上に降りて各所を回っている。
暑い地上に降りるのは半人半霊の彼女にとって大変なことであるが、大変に重要な役目である以上、仕方ない。
亡霊が一匹こちらにやってきて、何かを伝えるように左右に揺れる。
「あら、できたのね?」
幽々子は立ち上がり、食卓のある部屋へと向かう。
並べられているのは、河童印のきゅうりの漬物、山童印のナスを焼いたもの、鰯のつみれが入った汁、カンパチの刺身と塩焼き。
「いただきます」
いつも通り手を合わせると、まずはカンパチの刺身に目を向ける。少し醤油にひたしてから口に運ぶ。脂が乗っているが、引き締まった身が歯応えを良くしている。
聞けばカンパチはよく泳ぐ魚だとか確かに水の中を泳ぎ続ければこのようになるのだろう。
せっかくなら妖夢にも水練をさせようか。妖怪の山の河童に許可をもらえば上手くいくかもしれない。
もう一切れ食べて白米を食すと一旦お茶で口を整える。
次に鰯のつみれ汁をいただく。汁をすするとこれも親友に頼んで取ってきてもらった昆布の出汁と鰯から出た旨味が凝縮されている。これだけでも何杯でも飲めるが、せっかくの鰯のつみれを食さない選択肢はない。
出汁を吸ったつみれが程よい甘さをもたらしてくれる。臭みよけのねぎともまた相性がよく、歯応えを楽しませてくれる。このまま小さくなって汁物の中を泳げたらと思ってしまうぐらいだ。
続けて、口の中を仕切り直すため、きゅうりの漬物から口に運ぶ。さすが、河童が作っただけあって味も甘く、歯応えもしっかりしている。味の名残が消えない間に白米を食すとよりさっぱりした感覚が口に広がる。
これだけでご飯が何杯でもいけてしまうが、まだまだおかずは残っている。
さらに焼きナス醤油をかけて口に運ぶ。水分が無くなって柔らかくなった食感の次にほのかな甘みと醤油の酸味がちょうど良い。
ふと、暑さ故に開けたままの襖の外から穏やかな風が吹いてきた。それに合わせて外に目を向けると心なしかいつもより幽霊の数が多い気がする。
そういえば、白玉楼には関係ないが、もうお盆の時期かと思いながらご飯を口に運ぶ。
三途の川の渡し舟を取り扱う死神達は大変だろう。あのさぼり癖のひどい死神もさすがに文句を言わずに働いている頃か。
外の世界ではきゅうりやなすを先祖の霊を運ぶ馬として扱い、お盆の間のお迎えとして扱うとか。
成仏せず、亡霊として冥界に住む自分としては何とも言いがたい風習である。
様々な伝統的文化が忘れ去れていると聞く外の世界だが、せめてお盆はこれからも続き、外の世界の先祖を思う心が失われずに続いてほしい。弔うべき先祖はすでに形は無いが、語り継ぐことで報われることもあるだろう。
死後といえば、外の世界は平穏無事でいるだろうか。平和に退屈した愚か者が勝手に戦をするようなことはしていないだろうか。
そして、日本で起きていないことを祈るばかりである。かつて、起こるべくして起きた大戦のように。
「ごちそうさまでした」
手を合わせると例によって亡霊が入ってきて食器を片付けると同時に菓子を持ってきてくれた。
水羊羹。
この暑い中でいただくには最上である。せっかくなら涼しさを全身で味わいたいと縁側に腰掛ける。吹き抜ける風が顔から首を、素足からふくらはぎ、太ももにかけて撫でてくれる。上半身と下半身から感じる涼風が全身の奥まで染み渡り、何とも言えない快感を与えてくれる。
あわよくばここで全てを脱ぎ去って全身の風を肌身で感じたい。だが、それこそ風情もなく、妖夢が見れば肝を冷やすだろう。
「何やっているんですか!?」と叫ぶ彼女が容易に想像できてしまい、思わず口元が緩んでしまう。
今度、妖夢を連れて行って、博麗神社で行われる祭りや永遠亭で行われる肝試しにでも参加しようか。
幽々子は水羊羹を程良い大きさに切って口に運んだ。
地上では今頃、豊穣祭の最中だろうか。紅葉も綺麗に見える頃だろうか。
どこかのタイミングで地上に降りて、焼き芋を食べながら景色を楽しみたい。
妖夢は地上で採れた野菜を買ってきてくれている。今夜はそれらをふんだんに使った料理が並べられるだろう。
想像するだけで腹の虫が鳴る。だが、夕食よりも先に今は昼食。
幽霊が数メートル奥から食事ができたことを伝えようとしている。いつもならもっと近付いてきてからでないと彼らの意思が伝わらないというのに、やはり食欲の秋故だろうか。
部屋へと向かい、食卓を見るとサンマの塩焼きが真ん中に陣取り、焼いたさつまいもが新聞紙に包まれている。さらに味噌汁にはきのこがふんだんに入っている。
この季節、きのこや芋も良いが、幻想郷にはないサンマも良い。賢者の友人には本当に頭が上がらない。
「いただきます」
先に例年通り豊穣の神からいただいたさつまいもから食す。甘い香りが口いっぱいに広がり、まるで自宅にいるのに帰った時のような安心感に浸ってしまう。このさつまいもには秋の神様姉妹の性格が移っている。作ってくれたのは人里の農家だが、よくよく信仰しているのだろう。これからも彼女達を奉り、人里の農産物が豊作であり続けてほしい。
さて、と幽々子は今日の主役に目を向ける。昨年は妖夢が幻想郷中を駆け巡って見つけたのも美味しかったが、今年のは友人が外から直送してくれた新鮮な代物。
身をほぐし、まずはそのままいただく。
美味い。脂が乗っていて昨年のものとは違い、身がしっかりしている。
続けて大根おろしに醤油をかけて身に乗せて食べる。さっぱりした味が口だけでなく頭を刺激する。これは駄目だと思いつつもご飯を食べ、再び大根おろしを乗せてサンマを食してしまう。
危険。あまりにも危険。味を知ってしまった以上、戻れなくなってしまいそうだ。
そういえば、外の世界では内陸の土地で食べたサンマをそこが本場だと勘違いした偉い人がいるらしいが、上ばかりを見て、現場を理解しない愚か者はいなくなったであろうか。
勘違いをした者が我こそは高等な人間だと勘違いし、世の中か顰蹙を買うようなことがないと良いが。
物思いにふけりながら食事を楽しんでいるといつの間にか食器が全て空になり、焼き芋も無くなっている。物足りなさを感じるが、サンマはこれしかない。さつまいももいつでも食べられるのであれば今は別に良いだろう。
「ごちそうさまでした」
手を合わせると例によって亡霊が入ってきて食器を片付けると同時に菓子を持ってきてくれた。
栗まんじゅう。
秋といえば栗という果物には見えない果物を忘れてはならない。日本古来から親しまれてきたが、あの形状の中にこれだけの美味が隠されていたことを発見した先人には感謝しなければならない。
そう思うと足が自然と縁側へと向かう。漂う幽霊達に自分より前の時代を生きてきた者ははたしているのだろうか。自分が生前何をしていたかは覚えていないが、千年ほど亡霊をやっているのだからおおよそどの時代を生きてきたかぐらいは分かる。
腰を下ろすと栗まんじゅうを頬張り、じっくりと味わう。さっぱりした甘さが口に広がり、落ち着いた気持ちになれる。
そういえばそろそろ月見だ。まんじゅうを食していると団子が思い浮かんでしまう。今度の月見は妖夢と二人でのんびり過ごしたい。秋は哀しみを抱きやすい季節だが、そういう時は長い付き合いのある者と共にいるのが良いのだろう。
冥界に降る雪も、顕界に降る雪も降って溶けてしまえば皆同じ。
そこにある物の景色と人の考え方で絶景か、ただの雪化粧かは大きく変わる。
白玉楼は庭園として素晴らしい景観を持っているが、雪が降ってしまうと残念ながらほとんどが見えなくなってしまう。
地上に行けば、妖怪の山やその麓にある滝あたりが良い景観を作り上げてくれているのだろうが、生憎この寒さで外に行こうという気になれない。
それでも妖夢は備蓄と寒さに対策を打たなければと地上で色々と買い出しに行ってきているのだからありがたい存在である。
とはいえ幽々子自身、冬が苦手というわけでもなく、むしろ肌に合っている。かつて自分の気質を変えたからだろうか。冬から春にかけての調子は毎年一番良くなる。
今なら氷精と雪女が一緒に攻撃してきても余裕で勝ててしまいそうだ。そう思うと体を暖めるために何となく外出したくなる。
「ん? あら、ごめんなさい」
先程から真横にいた幽霊が右往左往しながら食事ができたと伝えていたようだ。柄にもなく、内心はしゃいでいたためか全く気付かなかったのは不覚としかいえない。
服に付いていた白い結晶を払うといつもの食卓へと向かう。
目の前に置かれた一つの大鍋。普通の人間が中にある食材を平らげるには四、五人は必要だろう。
幽霊が幽々子の座ったタイミングで鍋の蓋を開けると白い湯気が視界を塞ぐ。様々な食材の香りが溜まり、入り混じり解放されるこの瞬間はいつまで経っても飽きることのない至福のひとときである。
数秒の後、白菜、大根、鮭をメインに使われた味噌鍋の全容が見えてきた。目の前に広がる絶景だけでも腹が満たされ、同時に早く食べたいという衝動に駆られる。
「いただきます」
白菜から取り出す。
鍋で茹だっているが、歯応えも残っていて甘みがある。
輪切りされた大根を掬い、四等分する。口に近付けると熱気が伝わり、このままだと口の中を火傷してしまう。
三、四回「ふー」と息を吹きかけ、慎重に口へ運ぶ。まだ少し熱く、口の中で舌も使って転がすとようやく噛めるようになった。
柔らかく、中から吸われた出汁と味噌が含まれた汁がじゅわりと広がり、大根の甘さと出汁のしょっぱさが良い塩梅で合わさっている。
白菜や大根は寒い雪の中で育つほど甘みが増すと聞くが、これほどの味を引き出すのであれば冬も悪くないと思う者が増えるのではないか。
辛子をつけることもあるが、何だかんだで素材の味をそのままに近い形で楽しめるのが一番良い。
他にも青菜などの野菜を一通り食すといよいよ鮭に目を向ける。普段の鍋は出汁だけのものを食しているが、今回の鮭のためにあえて味噌鍋にした。
取り皿に切り身を入れて、一口サイズにほぐす。柔らかくなった身はあっという間にそぼろ状になってしまいそうになり、慌てて箸を止めて比較的大きな身を摘む。口に入れると鮭の甘みと脂、そして味噌が染み込んだ味があっという間に口の中に広がり、思わず「はぅ」という艷やかな嘆息が出てしまった。
慌てて口を押さえて周りを見るが、誰かがいる気配はない。安堵して、すぐに次の鮭の身を食す。用意された白米を回せて口に運ぶととても良く合う。
鮭を食すのは初めてではないが、前回食べた時は塩焼きだった。同じ魚種でもこれだけ違うと改めて料理とは実に奥が深い。
取り皿に残った出汁の効いた味噌の汁も思わず飲んでしまう。これだけでご飯が何十杯でもいけてしまいそうだ。
何よりも体が温かくなってくるのが良い。亡霊故に体温も何もないが、やはり温かさというのは生きていく上で欠かせない柱である。
もっとも、自分はすでに死んでいるのだが。
「ごちそうさまでした」
無心で食べ進めた鍋はあっという間に空になってしまった。
おかわりがあればいくらでも食べたいが、鮭は外の食べ物である以上、贅沢は言えない。それにしても冬はいつも別の季節以上に食べてしまうような気がする。
冬眠する友人がその前に栄養をつけるためにできるだけ食事を取るようにすると言っていたが、それと同じ原理なのだろうか。
例のごとく幽霊達が片付ける中で、食後の菓子が置かれる。
うぐいす餅。
餅の上に青大豆の粉をまぶされているこの菓子は、年の暮れから春前にかけて食べるとされている。うぐいすは春の訪れを知らせる「春告鳥」とも呼ばれ、その鳴き声が春の訪れを告げる瞬間を表しているとされ、このうぐいす餅も春の到来を祈っているものとされている。
雪原となった庭を眺めながら、春の到来を願う菓子を食するのは風流だろうと縁側へと向かう。
相変わらず庭は真っ白だが、一部分はまだ雪に覆われず、苔や草が若干見える。見ていると手元にあるうぐいす餅が巨大化しているように思えて、自然と笑みがこぼれてしまう。
だが、この庭いっぱいの大きなうぐいす餅を食べられると想像しただけでどれだけ至福なのだろうか。作らせてみようかと思ったが、さすがに現実的ではないとすぐに頭を振って諦める。
一つ食べるとやわらかい求肥の食感とほんのりと甘い味が口の中に広がる絶妙なバランスが癖になりそうだ。
まだまだ冬は長いが、これから平和に春がやってきてほしい。
そういえば、外の世界では冬が暖かくなり、段々と雪を見ることが減ってきたと環境が変わっていることを最近、外から来ている少女に聞いた。
気候変動と言うらしいが、千年近く前から亡霊である自分に新しいことはよく分からない。外の世界が徐々に良くない方向へと変わっているということは分かる。このまま季節のバランスが崩れれば、四季折々の魅力を魅力と感じない者が増えてしまい、日本特有の文化にまで影響を及ぼすかもしれない。
幻想郷にいる者として、外の世界がこのまま変わりなく人々が生活できる環境であることを願うことしかできないが、変わらずにあるべきものはそのままでいてほしい。
幽々子は両手を重ね、目を瞑った。
このささやかな願いが叶うほどの言霊を有しているわけではない。
だが、願うことは人間だろうと妖怪であろうと生きとし生きる者、たとえ死んでしても形あるものに与えられた平等な権利であろう。
幻想郷の空、遥か上にあるこの場所はいわゆる冥界として地上の顕界とは一線を画し、生身の妖怪や人間は滅多に来ず、閻魔による輪廻転生の裁定を待つ多くの幽霊がふわりふわりと漂っている。
というのは昔の話で、ここの主である西行寺幽々子が春を奪う異変を起こしてから顕界と冥界の結界がかなり緩和され、来たいと思った妖怪や人間が訪れることも増えた。
とはいえ、立地が地上から離れ、本来は幽霊ばかりが漂う薄気味の悪く、外観も広大な庭園と屋敷の寝殿造という貴族感のある厳かさを残している。また、予定も言わずに来れば門前払いではなく、辻斬りされる可能性の高い場所に来る物好きなどなかなか存在せず、白玉楼の住人である幽々子と庭師兼剣術指南役の魂魄妖夢の生活に大きな変化はなかった。
強いて言うならば、妖夢が地上に降りることが増え、物好きな人間や妖怪の訪問が若干増えた。
合わせて幽々子も地上などの者と接点を持ち、大好きな食事が華やかになったことぐらいだろう。
「さて、そろそろかしらね」
幽々子は目的もなく腰掛けていた縁側から食卓のある部屋へと移動する。外に見える満開の桜は相も変わらぬ美しさと儚さを誇っているが、それを愛でるよりも食べることに勝る喜びには敵わない。
今日は妖夢が不在で、料理を作ったり、配膳するのは幽霊達の担当になっている。
ちょうど向かおうとしていた部屋から幽霊が一体出てきて、幽々子の姿を認めると彼女に向かってきた。
「……そう。ありがとうね」
幽霊は彼女を案内するように前を漂い、器用に襖を開く。手もないのにどうやって開けているのかと以前、守矢の風祝に問われたが、細かいことを気にするようでは冥界ではやっていけない。
「うん。美味しそうな香りね」
書院造風の構成と間仕切りがされた二十畳ほどの部屋には十人は座ることのできる食卓に並ぶのは鰹のたたきにクニマスの塩焼き、たけのこの入った味噌汁。
妖怪の賢者と知り合いだと海の魚や幻の魚が比較的容易に手に入るので非常に助かる。
後で御礼はきちんとしておかなくてはならない。
死んでも大丈夫そうな人間が迷い込んだら送ってあげよう。
「いただきます」
手を合わせて箸を取る。
まずは鰹のたたきを口に運ぶ。一般的にはねぎとにんにくと一緒に食べて臭みを無くすのが定番らしいが、そのような人間の食べ方を真似るなど面白くない。
鰹の上に乗っていたねぎとにんにくをどかしてそのままの鰹を醤油に少しつけていただく。
脂が乗っていて、柔らかい。鰹は火を通さないと固くなってしまうと聞いていたが、焼いて正解だった。その分、旨味が凝縮されている。
そして、臭みも気になるほどではなく、十分に味を楽しめる。折角なので次の鰹にはねぎとにんにくを乗せたまま食す。
なるほど、と幽々子は咀嚼しながら頷く。
ねぎの食感やにんにくの香りで先程の鰹よりもさっぱりして、臭いも気にならない。友人がおすすめする理由が分かった。幽々子はにんにくをあまり好まないが、これは例外と言わざるを得ない。
外の世界ではにんにくをふんだんに使う料理が増えていると聞いている。はたして臭いが気にならないのか、それとも気にするような文化が無くなっているのだろうか。
一度、ご飯と味噌汁で口の中を整えるとクニマスの方へ視点を向ける。
たまたま読んだ本にこの魚のことが書かれていて、絶滅したことを承知で友人にいれば良いからとお願いした結果、見つけてくれた一匹である。
数十年の歳月を経て、再び外の世界で見つかったらしい。
黄泉返りなのか、人間の目を上手く盗んで生き延びたのか。
丁寧に身をほぐし、いつも以上に時間をかけて口に運ぶ。
あっさりとした味わいで、淡白な旨味が口の中に広がる。どの魚よりも格段に美味しいと言うわけではないが、根から古風な日本人である幽々子は魚の方が好みである。特別な魚であるという思いがより自分の味覚を引き立てているのかもしれないと続けてクニマスの身を食していく。
これが人間達の欲のせいで消えたとされるのが残念でならない。
かつては領主にも献上され、専用の漁師もいるほどの魚だった。それが人間による科学技術の発展により条件のある水でしか住めない彼らは環境を失い、消えていった。
紫によると今は行き過ぎた自然破壊を押さえようとしている取組も盛んに行われている。だが、行き過ぎた活動を行う愚かな人間もいるらしい。
何事も中庸が良いと言った偉人の考えを理解しない者が増えないとは、なんと下らない人間の多いことだろう。
人間の欲がどこまでも深い以上、自然と調和し、時に畏れ、共生していた時代に戻ることはできない。いつか神による罰が再び与えられるのだろうか。
天災。一言で言えばそうだが、大雨、火事、疫病、地震。何かが起こり、行き過ぎた人間に鉄槌が下るのかもしれない。
地震といえば、この春の時期に外の世界で大きな地震があったとも聞いた。
幻想郷では迷惑な天人のおかげで地震が起きないようになってはくれたが、はたして外の世界の復興は進んでいるのだろうか。
いくら人間の罪が重くとも善良な者達までもが犠牲になるのは忍びない。
「ごちそうさまでした」
気付けば全ての料理を食べ終えていた。
珍しい魚と儚い思いが幽々子の心を満たすと共に胃袋も十分に満たしたようだ。
手を叩くと控えていた幽霊が襖を開き、指示通りに食器を片付けていく。入れ替わりに別の幽霊が食後の菓子を持ってきた。
桜餅。
折角なので縁側に腰掛け、西行妖を見ながら食す。
目の前で自分のせいで欠けていく桜とすでに枯れきっている桜木。
連想させていると心に何となく刺さるものを感じた。西行妖が枯れてしまった原因は分からない。友人に聞いても教えてくれない。もう諦めているのだが、きっと悲しくも人間の業欲によってあのように枯れたのだろう。
最後の一口を食すと幽々子は自室へと戻る。
満開の桜の下、皆を集めて花見をしよう。
夏の白玉楼は、この昼間の時間帯も地上に比べて比較的涼しく、過ごしやすい。太陽までの距離はこちらの方が近いのに何故だろうか。
こういうのは賢者の友人の方が詳しいだろうが、聞けば長い話になると思うので辞めておく。
妖夢は地上に降りて各所を回っている。
暑い地上に降りるのは半人半霊の彼女にとって大変なことであるが、大変に重要な役目である以上、仕方ない。
亡霊が一匹こちらにやってきて、何かを伝えるように左右に揺れる。
「あら、できたのね?」
幽々子は立ち上がり、食卓のある部屋へと向かう。
並べられているのは、河童印のきゅうりの漬物、山童印のナスを焼いたもの、鰯のつみれが入った汁、カンパチの刺身と塩焼き。
「いただきます」
いつも通り手を合わせると、まずはカンパチの刺身に目を向ける。少し醤油にひたしてから口に運ぶ。脂が乗っているが、引き締まった身が歯応えを良くしている。
聞けばカンパチはよく泳ぐ魚だとか確かに水の中を泳ぎ続ければこのようになるのだろう。
せっかくなら妖夢にも水練をさせようか。妖怪の山の河童に許可をもらえば上手くいくかもしれない。
もう一切れ食べて白米を食すと一旦お茶で口を整える。
次に鰯のつみれ汁をいただく。汁をすするとこれも親友に頼んで取ってきてもらった昆布の出汁と鰯から出た旨味が凝縮されている。これだけでも何杯でも飲めるが、せっかくの鰯のつみれを食さない選択肢はない。
出汁を吸ったつみれが程よい甘さをもたらしてくれる。臭みよけのねぎともまた相性がよく、歯応えを楽しませてくれる。このまま小さくなって汁物の中を泳げたらと思ってしまうぐらいだ。
続けて、口の中を仕切り直すため、きゅうりの漬物から口に運ぶ。さすが、河童が作っただけあって味も甘く、歯応えもしっかりしている。味の名残が消えない間に白米を食すとよりさっぱりした感覚が口に広がる。
これだけでご飯が何杯でもいけてしまうが、まだまだおかずは残っている。
さらに焼きナス醤油をかけて口に運ぶ。水分が無くなって柔らかくなった食感の次にほのかな甘みと醤油の酸味がちょうど良い。
ふと、暑さ故に開けたままの襖の外から穏やかな風が吹いてきた。それに合わせて外に目を向けると心なしかいつもより幽霊の数が多い気がする。
そういえば、白玉楼には関係ないが、もうお盆の時期かと思いながらご飯を口に運ぶ。
三途の川の渡し舟を取り扱う死神達は大変だろう。あのさぼり癖のひどい死神もさすがに文句を言わずに働いている頃か。
外の世界ではきゅうりやなすを先祖の霊を運ぶ馬として扱い、お盆の間のお迎えとして扱うとか。
成仏せず、亡霊として冥界に住む自分としては何とも言いがたい風習である。
様々な伝統的文化が忘れ去れていると聞く外の世界だが、せめてお盆はこれからも続き、外の世界の先祖を思う心が失われずに続いてほしい。弔うべき先祖はすでに形は無いが、語り継ぐことで報われることもあるだろう。
死後といえば、外の世界は平穏無事でいるだろうか。平和に退屈した愚か者が勝手に戦をするようなことはしていないだろうか。
そして、日本で起きていないことを祈るばかりである。かつて、起こるべくして起きた大戦のように。
「ごちそうさまでした」
手を合わせると例によって亡霊が入ってきて食器を片付けると同時に菓子を持ってきてくれた。
水羊羹。
この暑い中でいただくには最上である。せっかくなら涼しさを全身で味わいたいと縁側に腰掛ける。吹き抜ける風が顔から首を、素足からふくらはぎ、太ももにかけて撫でてくれる。上半身と下半身から感じる涼風が全身の奥まで染み渡り、何とも言えない快感を与えてくれる。
あわよくばここで全てを脱ぎ去って全身の風を肌身で感じたい。だが、それこそ風情もなく、妖夢が見れば肝を冷やすだろう。
「何やっているんですか!?」と叫ぶ彼女が容易に想像できてしまい、思わず口元が緩んでしまう。
今度、妖夢を連れて行って、博麗神社で行われる祭りや永遠亭で行われる肝試しにでも参加しようか。
幽々子は水羊羹を程良い大きさに切って口に運んだ。
地上では今頃、豊穣祭の最中だろうか。紅葉も綺麗に見える頃だろうか。
どこかのタイミングで地上に降りて、焼き芋を食べながら景色を楽しみたい。
妖夢は地上で採れた野菜を買ってきてくれている。今夜はそれらをふんだんに使った料理が並べられるだろう。
想像するだけで腹の虫が鳴る。だが、夕食よりも先に今は昼食。
幽霊が数メートル奥から食事ができたことを伝えようとしている。いつもならもっと近付いてきてからでないと彼らの意思が伝わらないというのに、やはり食欲の秋故だろうか。
部屋へと向かい、食卓を見るとサンマの塩焼きが真ん中に陣取り、焼いたさつまいもが新聞紙に包まれている。さらに味噌汁にはきのこがふんだんに入っている。
この季節、きのこや芋も良いが、幻想郷にはないサンマも良い。賢者の友人には本当に頭が上がらない。
「いただきます」
先に例年通り豊穣の神からいただいたさつまいもから食す。甘い香りが口いっぱいに広がり、まるで自宅にいるのに帰った時のような安心感に浸ってしまう。このさつまいもには秋の神様姉妹の性格が移っている。作ってくれたのは人里の農家だが、よくよく信仰しているのだろう。これからも彼女達を奉り、人里の農産物が豊作であり続けてほしい。
さて、と幽々子は今日の主役に目を向ける。昨年は妖夢が幻想郷中を駆け巡って見つけたのも美味しかったが、今年のは友人が外から直送してくれた新鮮な代物。
身をほぐし、まずはそのままいただく。
美味い。脂が乗っていて昨年のものとは違い、身がしっかりしている。
続けて大根おろしに醤油をかけて身に乗せて食べる。さっぱりした味が口だけでなく頭を刺激する。これは駄目だと思いつつもご飯を食べ、再び大根おろしを乗せてサンマを食してしまう。
危険。あまりにも危険。味を知ってしまった以上、戻れなくなってしまいそうだ。
そういえば、外の世界では内陸の土地で食べたサンマをそこが本場だと勘違いした偉い人がいるらしいが、上ばかりを見て、現場を理解しない愚か者はいなくなったであろうか。
勘違いをした者が我こそは高等な人間だと勘違いし、世の中か顰蹙を買うようなことがないと良いが。
物思いにふけりながら食事を楽しんでいるといつの間にか食器が全て空になり、焼き芋も無くなっている。物足りなさを感じるが、サンマはこれしかない。さつまいももいつでも食べられるのであれば今は別に良いだろう。
「ごちそうさまでした」
手を合わせると例によって亡霊が入ってきて食器を片付けると同時に菓子を持ってきてくれた。
栗まんじゅう。
秋といえば栗という果物には見えない果物を忘れてはならない。日本古来から親しまれてきたが、あの形状の中にこれだけの美味が隠されていたことを発見した先人には感謝しなければならない。
そう思うと足が自然と縁側へと向かう。漂う幽霊達に自分より前の時代を生きてきた者ははたしているのだろうか。自分が生前何をしていたかは覚えていないが、千年ほど亡霊をやっているのだからおおよそどの時代を生きてきたかぐらいは分かる。
腰を下ろすと栗まんじゅうを頬張り、じっくりと味わう。さっぱりした甘さが口に広がり、落ち着いた気持ちになれる。
そういえばそろそろ月見だ。まんじゅうを食していると団子が思い浮かんでしまう。今度の月見は妖夢と二人でのんびり過ごしたい。秋は哀しみを抱きやすい季節だが、そういう時は長い付き合いのある者と共にいるのが良いのだろう。
冥界に降る雪も、顕界に降る雪も降って溶けてしまえば皆同じ。
そこにある物の景色と人の考え方で絶景か、ただの雪化粧かは大きく変わる。
白玉楼は庭園として素晴らしい景観を持っているが、雪が降ってしまうと残念ながらほとんどが見えなくなってしまう。
地上に行けば、妖怪の山やその麓にある滝あたりが良い景観を作り上げてくれているのだろうが、生憎この寒さで外に行こうという気になれない。
それでも妖夢は備蓄と寒さに対策を打たなければと地上で色々と買い出しに行ってきているのだからありがたい存在である。
とはいえ幽々子自身、冬が苦手というわけでもなく、むしろ肌に合っている。かつて自分の気質を変えたからだろうか。冬から春にかけての調子は毎年一番良くなる。
今なら氷精と雪女が一緒に攻撃してきても余裕で勝ててしまいそうだ。そう思うと体を暖めるために何となく外出したくなる。
「ん? あら、ごめんなさい」
先程から真横にいた幽霊が右往左往しながら食事ができたと伝えていたようだ。柄にもなく、内心はしゃいでいたためか全く気付かなかったのは不覚としかいえない。
服に付いていた白い結晶を払うといつもの食卓へと向かう。
目の前に置かれた一つの大鍋。普通の人間が中にある食材を平らげるには四、五人は必要だろう。
幽霊が幽々子の座ったタイミングで鍋の蓋を開けると白い湯気が視界を塞ぐ。様々な食材の香りが溜まり、入り混じり解放されるこの瞬間はいつまで経っても飽きることのない至福のひとときである。
数秒の後、白菜、大根、鮭をメインに使われた味噌鍋の全容が見えてきた。目の前に広がる絶景だけでも腹が満たされ、同時に早く食べたいという衝動に駆られる。
「いただきます」
白菜から取り出す。
鍋で茹だっているが、歯応えも残っていて甘みがある。
輪切りされた大根を掬い、四等分する。口に近付けると熱気が伝わり、このままだと口の中を火傷してしまう。
三、四回「ふー」と息を吹きかけ、慎重に口へ運ぶ。まだ少し熱く、口の中で舌も使って転がすとようやく噛めるようになった。
柔らかく、中から吸われた出汁と味噌が含まれた汁がじゅわりと広がり、大根の甘さと出汁のしょっぱさが良い塩梅で合わさっている。
白菜や大根は寒い雪の中で育つほど甘みが増すと聞くが、これほどの味を引き出すのであれば冬も悪くないと思う者が増えるのではないか。
辛子をつけることもあるが、何だかんだで素材の味をそのままに近い形で楽しめるのが一番良い。
他にも青菜などの野菜を一通り食すといよいよ鮭に目を向ける。普段の鍋は出汁だけのものを食しているが、今回の鮭のためにあえて味噌鍋にした。
取り皿に切り身を入れて、一口サイズにほぐす。柔らかくなった身はあっという間にそぼろ状になってしまいそうになり、慌てて箸を止めて比較的大きな身を摘む。口に入れると鮭の甘みと脂、そして味噌が染み込んだ味があっという間に口の中に広がり、思わず「はぅ」という艷やかな嘆息が出てしまった。
慌てて口を押さえて周りを見るが、誰かがいる気配はない。安堵して、すぐに次の鮭の身を食す。用意された白米を回せて口に運ぶととても良く合う。
鮭を食すのは初めてではないが、前回食べた時は塩焼きだった。同じ魚種でもこれだけ違うと改めて料理とは実に奥が深い。
取り皿に残った出汁の効いた味噌の汁も思わず飲んでしまう。これだけでご飯が何十杯でもいけてしまいそうだ。
何よりも体が温かくなってくるのが良い。亡霊故に体温も何もないが、やはり温かさというのは生きていく上で欠かせない柱である。
もっとも、自分はすでに死んでいるのだが。
「ごちそうさまでした」
無心で食べ進めた鍋はあっという間に空になってしまった。
おかわりがあればいくらでも食べたいが、鮭は外の食べ物である以上、贅沢は言えない。それにしても冬はいつも別の季節以上に食べてしまうような気がする。
冬眠する友人がその前に栄養をつけるためにできるだけ食事を取るようにすると言っていたが、それと同じ原理なのだろうか。
例のごとく幽霊達が片付ける中で、食後の菓子が置かれる。
うぐいす餅。
餅の上に青大豆の粉をまぶされているこの菓子は、年の暮れから春前にかけて食べるとされている。うぐいすは春の訪れを知らせる「春告鳥」とも呼ばれ、その鳴き声が春の訪れを告げる瞬間を表しているとされ、このうぐいす餅も春の到来を祈っているものとされている。
雪原となった庭を眺めながら、春の到来を願う菓子を食するのは風流だろうと縁側へと向かう。
相変わらず庭は真っ白だが、一部分はまだ雪に覆われず、苔や草が若干見える。見ていると手元にあるうぐいす餅が巨大化しているように思えて、自然と笑みがこぼれてしまう。
だが、この庭いっぱいの大きなうぐいす餅を食べられると想像しただけでどれだけ至福なのだろうか。作らせてみようかと思ったが、さすがに現実的ではないとすぐに頭を振って諦める。
一つ食べるとやわらかい求肥の食感とほんのりと甘い味が口の中に広がる絶妙なバランスが癖になりそうだ。
まだまだ冬は長いが、これから平和に春がやってきてほしい。
そういえば、外の世界では冬が暖かくなり、段々と雪を見ることが減ってきたと環境が変わっていることを最近、外から来ている少女に聞いた。
気候変動と言うらしいが、千年近く前から亡霊である自分に新しいことはよく分からない。外の世界が徐々に良くない方向へと変わっているということは分かる。このまま季節のバランスが崩れれば、四季折々の魅力を魅力と感じない者が増えてしまい、日本特有の文化にまで影響を及ぼすかもしれない。
幻想郷にいる者として、外の世界がこのまま変わりなく人々が生活できる環境であることを願うことしかできないが、変わらずにあるべきものはそのままでいてほしい。
幽々子は両手を重ね、目を瞑った。
このささやかな願いが叶うほどの言霊を有しているわけではない。
だが、願うことは人間だろうと妖怪であろうと生きとし生きる者、たとえ死んでしても形あるものに与えられた平等な権利であろう。
白玉楼の静かでゆったりとした雰囲気がよく描かれていて、そこで幽々子様が料理に舌鼓を打っている画もとても良かったです。
ただ 本当に表現特化って感じだったので あとはストーリーにしてもキャラクター描写にしてもアツさが欲しいです
アツい作品待ってます
応援してます。