Coolier - 新生・東方創想話

わが楽園、そは汝のもの -The Paradise in their Course- (後編)

2007/07/14 12:17:58
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#本作は「わが楽園、そは汝のもの -The Paradise in their Course- (前編)」の承前完結編です。











 月の兎の弾丸も、紅魔のメイドのナイフも越えて、楽園の巫女は魔界の神へと歩みを進める。

 「天蓬、天内、天衝、天輔、天禽……」

 彼女の歩んだ跡が次々と光を放ち、そのステップが結界を形作る。結界は敵の攻撃を防ぐ盾となり、また味方の攻撃のための足掛かりともなった。

 (私は独りじゃない)

 霊夢は思う。だからこそ、私は一人でも立ち向かう。たとえ、どんなに状況が絶望的でも。ここは私たちの楽園なのだから。

 (あんなデミウルゴスに、負けるわけにはいかない)

 ふわりふわりと、風を受けた裾をはためかせながら、楽園の巫女は進む。

「天道を立てて是を陰陽と謂い、地道を立てて是を柔剛と謂い、人道を立てて是を仁義と謂う。……天地に位を定め、山沢に気を通ず、雷風相起こり、水火相撃つ。……今、天生を夢想せん」

 楽園の巫女が空を行く。次々と襲い来る弾幕も、彼女を捉えることはない。それは、あたかも弾の方から彼女を避けているようだった。


 ※ ※ ※


 白黒の魔法使いは、激しい攻撃をものともせずに前進する親友を驚きの眼差しで見ていた。その所作は、とても弾を避けているものとは思えなかった。まるでそれは、優雅な舞いのように見えた。
 「霊夢……」
 こんな時のなのに、ついついその姿に見とれてしまう。
 華麗に舞う永遠の巫女は、美しかった。

(見とれてばかりはいられない!)

 気を取り直した普通の魔法使いは、魔法のモードを切り替える。すると彼女の撃ち出す弾幕の形状が変化する。これは、いわば魔力の焼夷弾、爆風が周りを巻き込む。貫通力は劣るが、相手を点でなく面で捉えることが可能になる。視界を揺さ振ったり、時空を超える相手には効果があるだろう。
 そして黒白の魔は、切れ目無い弾幕を思いっきり月の兎に向かって撃ち込んだ。たとえ少しずつだとしても、損耗を与え続ければ道は開けるだろう。魔法使いの放った光弾は、月の兎の周囲に次々と着弾し、広範囲を爆風が焼く。
「いけるか?」

 だが、狂気の兎は一歩も引かずに、本来攻撃補助を役目とする使い魔を盾として大量に召喚し、黒魔術少女に対抗する。人たる黒白魔の攻撃は、あと僅かの所で兎本体まで届かない。
 しかも、空間の弾幕の密度が上がってきたことで、幻視を駆使する狂気の兎の攻撃力は格段に上昇していた。あちこちから突然接近してくる弾丸の多さと、その軌道の読み難さ故に次第に避けるのが精一杯となる。弾避けしながらの攻撃では照準が定まらず、使い魔の盾を突破できない。
 それでも何とか照準を合わせようと、魔法使いが速度を緩めた瞬間、波長が大きく変化した。辺りの空間が蠕動し、弾幕が波の様に揺らぐ。続いて近距離に出現する多数の弾丸。
 攻撃を諦め、必死に弾幕から逃れて背走する魔法使いの背に隙が生まれる。その先には離れた場所で妹紅の相手をしていたはずの咲夜が待ちかまえていた。
 ようやく紅魔館のメイドに気付いた黒魔術少女が、絶望の叫びを上げる。

「空間を弄ったな!」

 咲夜は僅かに首を傾げると、にっこりと微笑んだ。
「さよなら、まりさ」

 その手に握られた銀のナイフが煌めく。と、その時、
「さ……く、や」
「くはっ」
 目にも留まらぬ速さで魔法使いの影から飛び出した紅い塊が、咲夜に抱きつく。
 魔法使いの首筋を狙ったナイフは目標を失い空を切る。銀の輝きが雫と散って虚空に走る。

「この悪魔っ。まだこんな力がっ。く、黒いのを雲に使ったのかッ」
「あ……なたは、私のもの。この一瞬を待ってい……たわ。」
 レミリアは必死に食らいつく。だが、傷つき雨に濡れた吸血鬼に対し、瀟洒なメイドには余裕があった。

「――今度は首を切り落として差し上げますわ」
「あなたは、……死ぬまで私と生きるのよ」
「お嬢様、永遠にお別れです」
「……運命を操る能力を持つ者の、……誇りに懸けて、もう一度、あな……たの運命……を、変えて見せる!」
 咲夜にしがみついたレミリアの手に力が入る。

「レミリア!」
 普通の魔法使いの目の前を二人が落ちてゆく。
「ああ、駄目……」
 霊夢が悲鳴のような声を上げる。
 レミリアの腕の力が抜ける。その瞳の輝きが鈍る。一方でメイド長には何の変化も見られなかった。墜落しながらもナイフを振り上げた瀟洒で完全な従者は、じっと幼き月の顔を見つめていた。
「お嬢様………」

「何てこと!レミリアの力が及ばなかった。咲夜の運命を変えることは出来なかった。……やはり結界が弱まっているせいなの?」
 巫女の言葉をかき消すように、神綺の哄笑が響き渡る。
「あはは。もはや運命も我が手にある。そもそもその能力とやらだって、私が創ってやったものなのだから」

 レミリアの虚ろな瞳は、ただ咲夜の影だけを映す。
「さく……や、誰に……も、私たちを引き離させや………しな…い。
 それ…が、たとえ神で………あっても」
 そこに映るのは、かつて在りし忠実なる紅魔館のメイド。囁くように、歌うように、緋色の悪魔は語り続ける。彼女が唯一認めた人間の従者に抱かれて。
「……たとえ我…、死の………陰の谷を……歩めど…も。………を……懼れ………じ。汝…、我と共に………在…せ………ば……」

 その時突然、十六夜咲夜は紅い悪魔を抱きしめた。彼女の手からナイフが離れる。ただ、そのままの姿で、二人は共に落ちてゆく。
 従者を見つめ返した永遠に幼き月は、弱々しく尋ねる。
「……どうし…て、……刺さな…かったの?」
 完全で瀟洒な従者はすまして応える。
「私も、時には運命に逆らって見たくなることもあるのです」
そう言うと、十六夜咲夜は、レミリアをさらに強く強く抱きしめた。
「ですから、死ぬまで、ずっとお嬢様のそばに……」

「レミリアっ!咲夜っ!」
 黒白の魔法使いは、箒から落ちないよう、必死でしがみつきながら二人に呼びかける。
 だが、遂に答えは返ってこなかった。


 ※ ※ ※


「イナバ、遅いわね」
「そうですね」

 迷いの竹林の奥、永遠亭の座敷では、二人の蓬莱人が向かい合っていた。
 二人の隣には、空の席が設けられていた。そこには色とりどりの花が飾られ、普段とは異なる御馳走が列べられていた。

「やっぱり、この日を記念日って言うのは、ちょっとアレだったんじゃない?」
「いえ、過去の罪は無かったことにはできません。その罪を見据えた上で、生きていかなければならないのです。姫、私たちは、それを充分に理解してきたはずですわ」
「そうねぇ。確かに、イナバが私たちに出会った日でもあるわけだし」
「ウドンゲも、これからここで、私たちと生きてゆくなら、過去に眼をつぶっていてはいけない。それを理解してもらわなくてはいけません」
「確かにそうなのだけど」

「本当は、誕生日とか分からないので、記念日の決めようがなかったからなのですけれど……」
「―――――」
「コホン!……兎に角、折角お祝いの準備までしましたのに」
「永琳~。お腹空いたわ~」
「今日はウドンゲが私たちの家族となった記念日ですよ。少しは我慢してくださいな」
「え~」

 永遠亭では、静かに時が流れてゆく。そこでは孤独と永遠に疲れた二人の月人が、帰らぬ家族を、待っていた。

「イナバ、遅いわね。早く帰ってくれば良いのに」
「そうですね」


 ※ ※ ※


 紅魔が墜ちた。

 心を凍らせるナイフの光は、もはや無い。
 だが、それでもなお、博麗神社での状況は決して好転してはいなかった。
 幻想郷の少女達の前に立ち塞がるは、その眼に狂気を宿す、月の兎。

 月の兎はゆるゆると動きつつ、弾を撃ち出していた。彼女は決して素早いわけでも、防御力が高いわけでもない。それでも、周りを飛び回る少女達は、そんな月兎を攻めあぐねていた。魔法使いの弾幕はいとも簡単にすり抜けられ、素早いはずの冥界の庭師の斬撃も次々と空を切る。
「ちっとも当たらないじゃない」
「仕方ないじゃないか、よく見ようとすればするほど、なんだかぼやけるんだよ!」
 言葉に悔しさと焦りとが滲む。

「それじゃあ、これならどうかしら?」
 紅白の巫女は、黒白魔に目配せする。
 すると、狂気の兎の周りを囲むように、大地から光の壁が何枚も立ち上がった。博麗の巫女が結界を発動しているのだ。結界で直接打撃を与えるのは難しいが、相手の動きを大幅に制限することができる。他の攻撃手段と一緒になる時、その効果は絶大なものとなる。
 幾重にもなった結界をすり抜け、普通の魔法使いは、その隙間から兎を狙う。紅白が結界のどこに「窓」を開けているのか、何時、それが開くのか、黒白にはそれが分かる。伊達に長いこと相棒をやっている訳ではない。この辺りの阿吽の呼吸は誰にも真似できない。
 (今だ!)
 結界の僅かな間隙を狙って弾幕を撃ち込む。この間合い、この瞬間、逃げられはしない。
 だが、命中すると思われた瞬間、月の兎の姿が揺らぎ、希薄になる。やがて、何事もなかったかのように月の兎は結界の外側に現れる。
「くそっ。何故当たらないんだ!」
 魔法使いは歯がみする思いでそれを見つめ、苛立たしげな言葉が思わず口をつく。

 狂気の月兎は視界を揺らす。位相をずらす。結界も、弾幕も、その“外側”に出てそれを無効化してしまうのだ。常に、後一歩というところで、月の兎を捉えきれない。
 押されているようで、いつの間にか相手との攻守が逆転する。弾と狂気をばらまきつつ、兎は少しずつ相手を追い込んでゆくのだ。兎の弾幕は静かに忍び寄る。それだけではない、時折兎の幻視が弾丸を消してしまうのだ。だから次に弾丸がいつ現れるのか、どこに現れるのか、その予想が付きにくい。彼女の放つ弾丸は、常に予想から僅かにずれた場所に現れる。その予想とのほんの僅かなずれが、僅かなだけにかえって不安と圧迫感を増大させるのだ。
 攻撃は当て難く、逆に弾は避け辛い。少しずつ少しづつ苛々が積もり、集中力を削ぐ。
 月の兎の能力は攻撃の間隔を、弾の波の周波数を乱す。微妙にずらされ、奏でられる不協和音が、ささくれた心を逆なでする。いつの間にか自らの呼吸も、思考も乱される。

「さあ、私の目を見て、もっともっと狂うがいいわ」


(このままでは拙いな)
 妹紅は思う。数え切れない程の修羅場を潜り抜けてきた経験に裏付けられた勘が、妹紅に警告を発している。狂気の兎如きを相手にしている暇はもう無い。……おそらく先程紅白が言っていた結界の異常が進行しているのだ。少しずつだが、相手の力が増してきている。それに、兎の背後で見物を決め込んでいる神綺の存在も気懸かりだ。現状では僅かに此方が押しているようにも見えるが、それは戦っているのが月の兎一人だからに過ぎない。そう、いつ魔界の神が本格的に介入を始めるかも分からないのだ。そうなれば、状況は全く変わってしまう。その前に、出来る限りの手を打っておきたい。

(そう、時間が経てば経つほど、不利になる)
 意を決して妹紅は一旦攻撃の手を緩めると、弾丸に追われて後退してきていた妖夢に近づき声を掛ける。
「冥界の剣士よ、正攻法では駄目だ。これから私の言う通りに動いてくれないか」
 蓬莱人の言葉に魂魄妖夢は頷く。僅かな時間だが、闘っている妹紅を見た妖夢はその弾幕戦における経験と判断力が、自分を遙かに上回っていることに気付いていた。
「いいか、私があの兎を捕まえる。そうしたら間髪を入れず私ごと斬れ」
 想像を超えた依頼に、冥界の庭師は一瞬言葉を失う。
「…………。で、でも」
 しかし、答えを躊躇する妖夢に向かって蓬莱人は笑みを見せる。
「大丈夫、私は死ねないんだ。このままあの波長を狂わす電波兎に付き合っていたら駄目だ」
「は、はい」
「いいな、外すなよ」
 そう念を押すと、妹紅は再び狂気の兎へと立ち向かう。

「一掛け二掛け三掛けて……」
 童謡を口ずさみながら、蓬莱の人の形は炎の翼で空を翔る。
 永遠亭の連中は、自分と同じ、居場所を無くした哀れな罪人だ。あの二人も、この兎も。
「四掛けて五掛けて橋架けて……」
 だがこの世界は、……幻想郷は私に居場所をくれたのだ。同時に、永遠亭にも。
(ああ、私はこの場所が好きなのだ)
 妹紅は自分の気持ちに改めて気付く。
「片手に線香、花を持ち……」
(だから、まだ諦めるわけにはいかない。あいつとの約束を守るためにも、そして何よりも自分のために)

 普通の黒魔術少女が、自分と同じように攻撃の機会を狙って狂気の兎の周りを旋回している。
「援護を頼む」
 彼女に向かってそう叫ぶと、妹紅は月の兎へと進路を向ける。

「任せとけ」
 素早く意図を察した黒魔術少女は、派手に弾幕を展開しつつ妹紅の反対側へと回り込み、狂気の兎の弾幕を引き付ける。

 魔法使いの誘導のおかげで薄くなった弾幕を抜け、声が届く程度の距離まで近づいたところで、妹紅は動きを止める。そして、予定していた通りに月の兎へと語りかけた。
「ウドンゲ!お前は、またも仲間を裏切るのか」
 その言葉に、月の兎は反応する。その肩が僅かに震える。
「あの時のことを、繰り返すのか」
 弾幕が途切れる。

 妹紅はさらに接近すると、月の兎に向かって鋭く言い放つ。
「この、裏切り者め!」

「ち、違う……。違うわ……。違うぅぅ!」
 それを聞いた月の兎は、攻撃の手を止めると、激しく否定する。
「うぁ、うぁたしはあああああぁぁ、うぅ、裏切り者じゃああ無いいいいぃぃ」
 そう叫ぶと、狂気の兎は魔法の弾丸を、続けざまに炎の不死鳥へ撃ち込んだ。だが、弾を受けた鳥の形は、瞬く間に揺らめいて、細かで切れ切れの炎の断片となって、消えた。

「あ、あれ??」
 目標を失った兎の首筋に、後ろから妹紅の腕が絡みつく。
「愚か者め!直接掴まれてりゃ、位相をずらして逃げる事もできまいて」
 妹紅は月の兎の首を締め上げる。
「ぐ、ぐ。あ、頭を吹き飛ばしてやるぅう」
 兎は自由な方の腕を曲げ、弾幕を妹紅の頭へ撃ち込もうと試みる。
 妹紅と魔法使いが、同時に叫ぶ。
「今だ妖夢!切り込めッ」
 目を閉じ、気持ちを落ち着け、集中を図っていた半分幻の庭師は、声を聞いて目を開く。
(見えた!)
 既に弾幕は途切れ、月の兎に組み付いた妹紅がはっきりと見えた。目標を確認した幽人は最大速度で、一直線に切り込む。
 妖夢の振るう剣の光が、真っ直ぐに伸びる白銀の残像を作り出す。
「この一瞬よ、永劫なれ!」
 妖夢は全身全霊で、斬りかかった。
 そして月の兎の絶叫が響き渡る。次の瞬間、その場にいた誰もがそれを感じ取った。突然周囲の光や音、大気に異様な波長が現れ、位相を乱し、すぐに消えたことを。


「―――――。まったく、なんで手加減するかなぁ?」
 傷口を押さえつつ、妹紅が立ち上がる。
「私諸共ぶった切れって言ったのに」
「はぁ、はぁ。……申し訳ない、です」
 肩で息をする妖夢の足許に、月の兎が倒れている。斬撃を受けて気を失っている狂気の月兎を見ながら、妹紅は諦めたような口調で言う。
「ま、それがお前さん達の良い所なんだけどね」

「やったか!」
 弾丸形の弾幕が消えたのを確認しつつ、黒白の魔法使いも舞い降りる。
 妹紅は月の兎の傍らに立つと、魔法使いに尋ねる。
「とどめ、刺しとくか?」
「えっ」
 妖夢が慌てて魔法使いと蓬莱人を交互に見る。
「生かしておくと、こいつの能力は後々面倒だぞ」
 だが黒魔術少女は首を横に振った。
「こいつの言葉を聞いたろう?それなりに、譲れない理由があったんだろう。余計な殺生をすることはないさ」
 それを聞くと、妹紅は肩をすくめて言う。
「みんな、甘いなあ」
 でも、その様子は何だかとても嬉しそうに見えた。


 ようやく障碍は除かれた。巫女達は残された一つの影に向かってゆっくりと進む。
 ……そして、遂に少女達は魔界の神と直接対峙した。


 ※ ※ ※


「あら、これ程早くあの二人を倒すなんて……。あなた達もまんざらじゃないのね」
 魔界の神はすまして言う。従者が倒されても、些かの動揺も見せない。

 博麗の巫女はそんな神綺を真正面に見据え、鋭く言い放つ。
「境界を元に戻しなさい」
 その瞳は、もはや迷いに曇ることもなく、ただ真っ直ぐに未来を映す。そんな楽園の巫女に導かれるように、残る三人も神綺に対する包囲網を少しずつ狭めてゆく。

「ふん、生意気に。私の力をちょっとだけ見せてあげるわ」
 神綺の言葉が終わるか終わらないうちに、彼女の周囲が光で一杯になった。次の瞬間、光は渦巻く膨大な量の光弾へと変化した。瞬く間に一面に展開された高密度の弾幕に押され、少女達は後退を余儀なくされる。

「異例な事だけど、私自らがあなた達を裁くわ。覚悟することね。……さて、まずはお手並み拝見、といったところかしら」
 神綺はそう言うと指を僅かに動かす。するとその動きに合わせるように、弾幕の渦の中から次々と光の箭が撃ち出される。箭は長い尾を曳いて高速で飛ぶ。魔界の神を中心として光の筋が次々と伸びてゆく。そしてその光跡を追うかのように、無数の光弾が押し寄せて来る。
 密度、威力、弾速、その何れを取ってみても、これまで経験した弾幕とは段違いだった。決して視野が揺らめく訳でも、時間が止まる訳でも無い。それでもその弾幕は極めて大きな脅威となった。美しく輝く死の光が、少女達の周りで踊っている。
 魔界の神は、次第に弾幕の量と種類とを増やしてゆく。溢れる色とりどりの光、視界を埋め尽くしてゆく目眩く美しき弾幕……。そこには、普段なら、弾幕を見ただけで勝負など最初から諦めてしまう位の“格の違い”が感じられた。

 それでも、四人は怯むことなく次々と攻撃を試みる。黒い魔法使いは、その速度と火力で、蓬莱の人の形は、炎と頑丈さで、神綺に果敢に迫る。巫女は結界を駆使して、二人の攻撃を補助する。
「八方屠龍陣!」
 護符が舞い、次々と襲いかかる神の光弾を防ぎ止める。そして、幼い冥界の剣士が博麗の巫女の盾となる。
「二百由旬もこの一閃の裡っ」
 目にも留まらぬ剣捌きで、妖夢は霊夢の背後に迫る弾幕を次々と切り潰す。

 だが、絶え間の無い奔流の如く押し寄せる弾幕に、巫女と庭師は防戦に追われ、魔法使いと蓬莱人の放つ攻撃も厚い弾幕に遮られ、神の元へは届かない。ただ、時間だけが無情に過ぎてゆく。

 と、その時、少女達に向かって延々と弾幕を吐き出していた魔界の神が声を上げる。
「先程の威勢はどうしたの?もう少し楽しませてくれると思っていたのだけど……。避けてばかりではいつまでたっても勝負はつかないわ。それとも、この程度の弾幕ではご不満かしら?……そうねぇ、じゃ、こんなのはどう?」

 突然境内の真ん中に、巨大な光の柱が立った。
 その光は霊夢の結界を突き破り、大地に突き刺さる。瞬く間に光は四方へ分岐し、次の瞬間一斉に 大量の弾となって弾けた。その一方で、時を同じくして神綺の放った一群の光弾が、霊夢達一人一人に向かって急速に収束し始める。
 複数の起点を持ち、重なり合う弾幕に、さらに追尾能力を備えた光弾が加わる。一気に厳しくなった攻撃に曝され、少女達は必死で回避行動を取る。最早仲間のことを顧みる余裕もない。神綺の楽しげな声が辺りにこだまする。
「さあさあ、どうやって避けるのかしら?」

 そんな中で魔法使いは、重なり合う弾幕を避けつつ迫り来る光弾を誘導する。地面すれすれをかすめるように飛び、急転回を行う。湿った土埃が舞い散り、箒の先が石畳をかすめる。すると彼女を追ってきた弾が、そのまま彼女の傍らをすり抜けてゆく。
 (これで追尾してくる奴はかわせたな)
 そう思った時、地面へと着弾した光が轟音を立てて炸裂した。
「わっ!」
 爆発は周囲の光弾を巻き込んで、巨大な連鎖を引き起こす。
「しまった」
 石の破片が飛び散り、土煙が舞う。彼女は爆風による強い衝撃を受ける。ぎりぎりでかわしたはずの弾が次々と近距離で破裂してゆく。
 彼女の視界の片隅に、神社の屋根が入ってくる。次いで木が、地面が。そして彼女の意識は暗転する。


 ※ ※ ※


 壊れた大地の破片が細かな煙となって辺りを覆う。降りしきる冷たい雨が塵を含んで黒い雨となる。
「霊夢!妹紅!」
「妖夢、生きてるか?」
 仲間を求め、彼女は声を上げる。視覚も聴覚も濁った雨に遮断され、急激な孤独感が襲ってくる。どうやら神域の端まで飛ばされ、斜面を滑り落ちたらしい。箒がかなり上の方に引っ掛かっているのが見える。
 とにかく、箒を拾って、社殿のある所まで登らなくては。
 上を見上げた魔法少女が斜面に手をかけた時、

 「!」
 背後から声が掛かった。
「普通の人間にしては、良く頑張ったわね」
 箒は坂の上、まだ手が届かない。

「まあ、所詮努力で辿り着ける場所には限界があるわ。さあ、苦しいレースもお終いよ」
 普通の黒魔術師は懸命に後ろの様子を探る。まだ最後の、奥の手がある。あれが少しでも、ほんの少しでも隙を見せれば……。
「無駄無駄。私にはあなたの心が手に取るように分かる。楽しませてくれたお礼に、あなたには速やかな死をあげるわ」
 魔界の神の右手の中から光が伸びる。長く伸びた光は剱の形へと変化する。雨の煙る中、ただ刃だけが白く浮き上がる。神は大きく手を挙げ、光の剱は真っ直ぐに普通の黒魔術少女へと向けられた。
 (……駄目か)
 その時。
「神綺様っ。ごめんなさいっ!」
 斜面の上から転げ落ちると、魔法使いを突き飛ばし、魔界の神の腰にぶつかるようにしがみついた者があった。
「わたしは、もう裏切るのは嫌です。もう二度と裏切り者には―――」
 人間へと向けられていた剱は、一瞬目標を失った。だが、次の瞬間、光は月の兎を貫き、その身体を切り裂いた。

「何故邪魔を!退きなさい!」
 だが、彼女はその手を離さなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」

「ウドンゲ!」
 光の剱から逃れた普通の魔法少女が、奥の手を繰り出す。
「これでも喰らえっ!」
 素早くスカートの下から取り出した瓶を、神綺の顔面へ叩き付ける。間髪を入れず、斜面を蹴ると、上方の木の根に引っ掛かっている箒を掴む。

「ちっ」
 瓶の中には魔法の薬。それは破壊力こそ無かったが、発する光とその揮発成分で暫くの間視界を奪う。
 魔界の神は不利な状況を瞬時に理解し、月の兎を引き剥がすと雨の中へと退いた。

(ごめんなさい)
(ごめんなさい)
(どうか許して)

 傷を負った月の兎は、荒い息の中で何度も何度も謝罪を繰り返していた。
 虚空を見つめる赤い眼に宿るは、もはや狂気ではなく、深い絶望と孤独。

 雨の中へ神が退くのを認めた魔法使いが、彼女を抱き起こし、声を掛ける。
「しっかりしろ」
 その声に答えるように、兎の目の焦点が合う。ようやく彼女は正気を取り戻したようだった。
「ああ、わたしはまた、みんなに非道いことをしてしまった」
 赤い眼からは雨よりも大粒の涙が。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「――もういいよ。大丈夫、誰もお前を裏切り者だなんて思っていない」
「……本当に?」
「ああ、仲間じゃないか」
 月の兎は目を閉じる。
「姫、師匠、……申し訳ありません」
「心配するな。一緒に術を解けばいい。永琳だって、輝夜だって、許してくれるさ」
 兎は再び目を開き、普通の魔法使いを見つめる。その目には、もはや数刻前に魔法使いを狂気へと誘った力は無い。
「わたしは、みんなが、わたしのことを裏切り者だと思っていると……。それなのに、やっぱりまた……。そんなわたしでも、許してもらえるのかな」
「もちろんだ。私を助けてくれたじゃないか」
「……寒い。ま……さ、そこに居るよね」
「ああ、いるよ」

 兎の眼は、もう何も映していなかった。
「……お願い。私のことを忘れ……ないで。ど……うか、師匠…に、私のことを……」
 魔法使いの中で、月の兎の手の力が抜けていった。
「―――――。……ああ、……みん…な。迎え…に来て……くれ…んだ……ね……が…う」


 雨の中、遙かなる異邦の地で果てた亡骸の前で、彼女は思う、雲の彼方の月を。
 月の兎の魂は、仲間の待つ月へと帰ることができたのだろうか。


 ※ ※ ※


 神の僕も、もはやない。
 幻想郷を脅かしているのは、ただ一人。
 だが、魔界の神が時と共にその力を増しているのを、その場の皆が感じていた。高まる弾幕の密度と速度、そして威力。その弾幕は最早神の姿すら覆い隠さんばかり。
 懸命に魔界の神に挑む少女達も、今や狙いを定めて攻撃するどころか、次々と襲い来る弾幕をかわすのに精一杯の状況に陥りつつあった。時が経つに従い誰もが疲労を重ね、既に体力も気力も限界に近い。先刻のような攻撃を続けられたら、いずれ避けられなくなる。事実、妖夢などは服に随分大きな焦げ痕をこさえていた。普通の魔法使いだけでなく、誰もが皆ぎりぎりの所で死地を脱して来ているのだ。

 ……とにかく一刻も早く善後策を講じなければならない。何としても体力が切れる前に決着を図らねば。
 誰もがそんなことを考えていた。雰囲気を察した霊夢の合図に従い、一旦攻撃を諦めた四人は、境内に僅かに残った安全地帯に集まった。そこは境内の端の大鳥居の影。
「このままでは埒が明かない」
 流石の蓬莱人も疲労の色が濃い。
「そうね」
「ここは一か八か、一気に片を付けよう」
「そうだな……。なあ博麗の巫女、お前は何か、あれを眠らせる……、あるいは封印するような術を持っていないのか?」
「そうね。護符も結界も効かないようだけど……、密着して陣を張れば、もしかすると」
 蓬莱の人の形と黒魔術少女は顔を見合わせて頷く。
「よし、それに賭けよう」

「私たちがまず飛び込んで、あいつの注意を引き付ける」
「その間に何とか相手の懐に飛び込んでくれ」
「でも、それじゃああなた達が……」
 妹紅は笑う。
「心配するな、不死の私が盾となる。大丈夫、相棒は必ず無事に帰すさ」
 黒白の魔法使いも続ける。いつもと変わらない、自信に溢れた声で。
「こっちも唯の囮じゃない。接近さえ出来れば、私の零点射撃をお見舞いしてやる」

 そして魔法使いは振り返り、幼い庭師に向かって言う。
「それから、妖夢は霊夢に付いて行ってやれ」
「え?でも、囮なら私も……」
「いいから。何故お前の主が、ここにお前を遣わしたのか、考えてみろ。自らの護衛の任を解いてまで、お前に託したことは何なのか」
「幽々子様が私に託したこと……、ですか」
「ああ」
「……………」
 冥界の幽人は目を伏せ、懸命に考える。
 思い返せば、彼女は今まで自分一人で考えて行動することなどほとんど無かった。常に主人や師匠の言う通りに動けば良かった。誰かの命令をきちんと成し遂げること。これまで妖夢はそうすることで褒められてきたし、それが自分の正しいあり方だと信じてきた。
 でも。それだけでは駄目なんだ。彼女の中で何かが目覚める。これからも、幽々子様を護ってゆくのなら、自分で考えることを学ばなくてはいけない。自分の在りようも、自分で決めなくてはいけない。それが出来るようになって、始めて本当に幽々子様を護れるようになるんだ。
 やがて顔を上げた彼女は、三人に向かってはっきりと告げた。
「……はい、分かりました。
 私はきっと冥界――いえ、幻想郷一堅い盾になって見せます」

 四人は頷くと一斉に行動を開始した。
 魔法使いと蓬莱人は、一斉に派手な弾幕を繰り出す。巫女の足取りを隠すための光の筋と火の鳥が、魔界の神へ向かって次々と放たれる。

 神綺は大鳥居の影から飛び出し、再び攻撃を始めた少女達に向かって言う。
「……おや、降伏の相談かと思っていましたが、違ったのですね」
 そして迫る光と炎を軽くいなすと、再び厚い弾幕を展開し始める。
 一方、一呼吸を置いて、霊夢達が所定の場所へと移動したことを確認した普通の魔法使いと蓬莱人は、魔界の神に向かって一気に間合いを詰める。そして普通なら避けるしかないような狭い間隔の弾幕へ飛び込んでゆく。

「なんと無謀な……。自殺行為ですよ?……覚悟の突撃なのかしら?」
 魔界の神は呆れたように、二人の行動を見つめている。

 それでも、二人は前へと進む。妹紅は身を挺して行く手を塞ぐ弾幕を受け止め、血路を開く。服が、髪が燃え上がる。
「手には二本の珠を持ち、足には黄金の靴を穿き……」
 さらに光弾が塊となって押し寄せ、輝く壁となって二人の行く手を閉ざそうとする。だが、妹紅は怯むことなく、弾幕の真ん中へ身を投じる。
「不死、火の鳥!」
 次の瞬間、魔法使いの目の前の空間が弾幕ごと燃え上がる。そしてそこに魔界の神へと至る“道”が現れる。
「行けっ!」
「おうっ」
 幻想郷の韋駄天を自認する黒白魔が、妹紅によって切り開かれた狭隘な道を速度を緩めず駆け抜ける。そして遂に神の目の前に迫ると、渾身の魔砲を放つ。
「灰も残さず、消えて無くなれ!!」

「ほう」
 神綺は、落ち着いた様子で光に向かって軽く手を一閃させる。魔砲の光が、神綺に届く直前で弾き返される。火花が散って神綺と魔法使いの顔を明るく照らし出す。
「くそっ、こんなに、近いのに!!」
 普通の魔法使いは力を振り絞り、魔砲の出力を上げる。だが、光は神へは届かない。
「なんとか、本体に一撃を。……いや、せめて霊夢が踏み込むまで持ち堪えなくては」
 そんな思いも空しく、魔界の神は、魔砲の光をいとも簡単に押し返す。
「残念でした」
 神綺がそう言って、魔法使いへ反撃を加えようとした時、その背後から博麗の巫女が飛び込んできた。
「!」
 魔界の神は、素早く振り返る。
「なるほど、挟み撃ちね。定石通りの二段構え」
 その言葉と同時に霊夢の足下で何かが弾ける。
「そんな作戦は、お見通しよ」
 だが、今度は直下の弾幕に僅かに怯んだ霊夢の肩を乗り越えて、妖夢が前へと飛び出した。
「あら、三段構えだったの。でも残念ねえ、あとちょっとだったのに。その間合いではあなたの剣は、私には届かないわ」
「斬るのは、お前じゃないッ」
 半分幻の庭師は身体を丸めて回転すると、身体ごとぶつかるようにして霊夢の前の弾幕を斬った。
「霊夢っ!」
 博麗の巫女は魔界の神へ飛び掛かると、強力な結界を展開する。

「人には醒めない夢を、妖怪には安らかな眠りを、神には永劫の玉座を……」
「くっ!」
 幾重もの結界が巫女と神を包み込む。二人を中心とする輝く同心円が次々と顕れ、神へと向かって収束してゆく。

「封魔!」
 霊夢の声と共に、衝撃波が広がり、周囲は砂塵に包まれる。大地が、大気が震える。
 一瞬辺りは暗くなり、次の瞬間、何かが爆発し、少女達が吹き飛ばされる。爆風は砂塵を巻き上げ、瞬く間に全てが闇に覆われた。


 ※ ※ ※


 博麗神社を静寂と暗闇が包む。
 巫女の創り出した渾身の封魔陣は、強力な結界を生み、周囲の時空さえも歪める。その生成と消滅による相互作用が、強大な爆発となって顕在化したのだった。やがて湿った大気の中、舞い上がった塵が次第に収まってゆくに従い、神社の境内の視界が少しずつ晴れてゆく。
 突然の爆風に薙ぎ倒され、ようやく立ち上がった少女達が上空に見たものは―――。

 博麗神社の上空、華奢で可憐な姿、揺れる髪飾り……。魔界の神は健在だった。
 魔法使いの渾身の魔砲も、紅白の巫女の捨て身の結界も、神綺を葬り去ることは出来なかったのだ。
「これでも駄目かッ」
 妹紅が呻く。
「……………」
 紅白の巫女は神綺を見上げ、無言で唇を噛む。

「ふふふ、そんな程度で私を倒すつもりだったの?」

 神綺は嗤う。
 啾々と風が哭き、蕭然と雨の降るその中を、静かに、そしてゆっくりと魔界の神は大地へと降り立つ。神綺は微笑むと、少女達に向かって優しく語りかける。
「なかなかのものだったけれど……。所詮はこの程度よね。あなた達は私には勝てない。たとえどんなに抗っても。だって私は神なのだから。決して勝てない戦いなんて無駄。ただ苦しみが増えるだけよ」
 そう言うと、神綺はぐるりと頭を巡らせ、視線を遙か遠方へと飛ばす。

「時は満ちた。そろそろここでのお遊びもお開きね。世界を自壊させる仕掛けは巧く働かなかったけれど、やっぱりあちこち見たいところもあるし……。
 そうだわ。こんな提案はいかが?
 あなた達が諦めて降参するなら、最後の最後、ぎりぎりまで生かしておいてあげるわ。そして最期には何の痛みも苦しみも、恐れさえもなく、一瞬にして消してあげる。どう、悪くないでしょう? それだけではないわ。終わりの瞬間が訪れるまで、神に一番近い特等席でこの世界の死に行く様を見せてあげるわ。ね、世界が終わるその時を一緒に楽しみましょう。
 さあ、無駄なことはもう止めて、こちらへ来て楽になりなさい」

 そんな神に対して、身構えたまま巫女は言う。
「冗談でしょ」

 続いて、黒魔術少女が地面に膝をつきながらも、神に向かって返答代わりの輝く光の弾を撃つ。
「……まだまだ。こんな弾幕より霊夢の宝珠の方がよっぽどイタい……」

 放物線を描いて迫る弾を軽く弾き飛ばし、魔界の神が不思議そうに尋ねる。
「どうして、そんなに足掻くの?」
 弾かれた光弾が後方で炸裂し、魔界の神の影を浮かび上がらせる。
「苦しいでしょ?痛いでしょ?諦めてしまえば、楽になるのに」

 うつむいていた妖夢が、顔を上げて刀を神綺に向かって構え直す。
「……まだです!」
 蓬莱人が再び不死の翼を広げる。空を飛ぶ不思議な巫女は符を翳し、その傍らでは黒白魔の箒が大地から浮かび上がる。

 傷つき、仲間を失いながらも立ち向かうことを止めない少女達を順に見つめ、神は告げる。
「自分のしていることが無駄だということが分からないのかしら?私はこの世界の創造者。幻想郷の総てが私の支配下にある」

 神綺はすっと手を伸ばし、手のひらを上に向ける。そこからめらめらと炎が生じ、やがてそれは小さな人の形となった。薄い羽根を持ったそれは、心を持った妖精のように、ひらひらと魔界の神の回りを舞う。次の瞬間、神綺は拳を作り、それに力を入れる。すると妖精は僅かに苦悶の表情を浮かべ、まるで紙屑のようにくしゃくしゃと押しつぶされ、炎となって消えた。
「博麗大結界の力が薄れた今、私に不可能なことは何も無い」

 それなのに、と小首を傾げて神は改めて尋ねる。
「なぜ、そんなにも足掻くのかしら?」

「それは――」
 厚い弾幕を潜り、魔界の神と対峙するは、永遠の巫女。

「私たちが生きているから」

 博麗霊夢は毅然として答える。
「たとえ、私たちがあなたに創られたものであっても。命ある限り、私たちは闘う、生きるために」

「それが生命たる所以、生きる者の性」
 罪の火焔を背負う藤原妹紅が続けて答える。

「私の思い……、幽々子様への、そしてみんなへの気持ち。……私が何者であろうと、それだけは真実。だから私は最後まで諦めません!」
 冥界の庭師が必死で抗う。

 あくまでも“神の託宣”に逆らう少女達の言葉を聞き、苛立たしげに神は言う。
「この世界も、この楽園も、全て私が与えてやったものだわ。お前達は、私が紡いだ物語の、単なる登場人物に過ぎないのよ」

 だが、そんな神綺に対して、普通の黒魔術少女が強い口調で答える。
「楽園は与えられるものじゃない。私たちが自ら築き上げるものだ」

 仲間の声を背に、楽園の巫女が魔界の神に向かって進む。彼女は小さく頭を振り、再び神綺をしっかりと見つめる。巫女はゆっくりと、そしてはっきりと自分の気持ちを託した言葉を発する。それは、己が未来を自ら掴むことを誓う言霊に他ならない。


「創った者を乗り越え、私たちは生きて見せる。この世界は、私たちのものよ。ここで生きる、私たちの」


 ※ ※ ※


 その不思議な光景は、きっとずっと離れた所からでも見ることが出来ただろう。暗く立ちこめていた雨雲の一部が、突然色とりどりに輝いた。揺らめく光は目まぐるしく色と形を変え、神々しい瑞雲にも、禍々しい地獄の霧にも見えた。
 それは博麗神社の上空、直下で繰り広げられた激しい弾幕戦の光が、空を覆う雲に照り映えていたのだった。
 既に、神域は魔界の神の弾幕で覆い尽くされた。もう、安全な場所などどこにも無かった。

「私の世界で、こんなにも私に逆らうなんて……。仕掛けも台無しにしてくれたようだし、私の楽しみを邪魔した罪は大きいわ」
 四人の目の中に、決して揺らぐことの無い強い意志を認めた魔界の神は、諦めたように吐き捨てる。

「でも、それももうお終い。神の力を、思い知るがいいわ」
 最早彼女には弾を直接発射する必要さえ無い。思い通りの場所に、自由に弾幕を呼び出すことが出来る。燃える炎の塊が、怜悧な光が、傷つき疲れ果てた少女達に次々と襲いかかる。

 ゆっくりと光の中を上空へ向かって昇りつつ、最後の力を振り絞って対決する少女達に向かって神は告げる。その目に宿るは憐憫か、それとも嘲りか。
「地上の愚かで卑小な者共ノ声なド聞ク必要モ無イ」
 魔界の神は軽やかに宙高く舞う。
「我ハ神也、此ノ世ノ支配者也」
 その手にはまばゆく輝く雷霆が。

「神ハ唯、断罪スル」

 巨大な光の束が、少女達を襲う。あらゆるものを焼き払う、神の火が。


 目の前に光が迫る。真っ直ぐに向かってくる。だが、それを見ても魂魄妖夢はもう動けなかった。身体のあちこちが悲鳴を上げていた。両の手に抱く剣はまだ輝きを失ってはいない。しかし、足が、腕が、もはや言うことを聞かなかった。
 (幽々子様……)
 冥界の主の顔が目に浮かぶ。妖夢が大好きだった、無邪気な笑顔が。
 (無力な私を……。幽々子様のために、幻想郷一の盾になると、そう誓ったのに……)


「馬鹿野郎」
 その時、妖夢は引き千切らんばかりの勢いで襟首を掴まれ、抱え込まれる。
「ほんの一瞬しか生きていない癖に」
 吼えるように、蓬莱人が叫ぶ。
「お前さんはまだまだ生きる権利がある、いや義務がある!」
「私は、もう……。せめてあなただけでも」
「何を言うかッ!悟った振りをして、諦めて、静かに死んでいくような奴は大ッ嫌いだ。そんな奴は嘘吐きだ。自分に嘘を吐いているんだ」
 目の前に蓬莱の人の形の顔があった。その悲しみを湛えた瞳は、まだ燃えていた。そこに光るのは、……涙?
「可能性がある限り、生きろ。見苦しくとも、辛くとも、それが生き物のあるべき姿」
 妖夢は妹紅にしがみついた。華奢で儚く、暖かい……、それは紛れもなく今を懸命に生きる人間のものだった。
 妖夢が妹紅に答える間も無く裁きの火が迫り、一瞬にして二人は光に飲み込まれた。




 ※ ※ ※


「おい、生きてるか?」
 蓬莱の人の形は、自分の下敷きになっている幼い庭師に声を掛ける。もっとも、彼女は既に人の形をなしてはいなかったが。
「………うう」
「ふ。意外と丈夫だな」
 半人半霊の無事を確認すると、妹紅は安堵の声を上げる。そしてゆっくりと仰向けになり、ため息をつく。
(もう、間に合わないか…)
 身体の再生にはどうしても時間がかかる。どうやら、相手はそれまで待ってくれそうにもなかった。
(あいつに合わす顔がないな)
 光の束が再び迫ってくる。視界が真っ白に塗りつぶされてゆく。
(もっとも、冥界に行くこともかなわぬ私は、幽世での再会すら許されないんだったな……)
 妹紅は独り、寂しく笑う。

「我未だ生を知らず、焉んぞ死を―――」


 ※ ※ ※


 神が放った裁きの光は、全てを焼き尽くしたかに見えた。圧倒的な暴力が、あらゆるものを打ち倒した。博麗神社の境内は焦土と化し、煙と巻き上げられた塵が漂う。それは厚い緞帳の如く、ただでさえ弱い曇天の光を完全に遮断した。
 だが、そんな虚ろな闇の中、神の光が薙ぎ払い、焼き尽くされた曠野に、立ち上がる二つの影があった。
 凛として立つは永遠の巫女、穢れ無き紅白が周囲の闇を打ち払う。箒を片手に、帽子を押さえて立つは普通の魔法使い、暗黒をまといつつも心を燃やす。二人は視界を遮る煙と塵の緞帳の真ん中、冥い霧の先に居るはずの神を見据える。

「とうとう、二人になっちまったか」
 さわさわと風が鳴る。
 いつの間にか雨が収まって来ていた。

「二人じゃないわ」
「……ああ、そうだったな」
 確信のこもった巫女の言葉に、魔法使いが頷く。
 きっとみんな、幻想郷のどこかで、己の存在を賭けて精一杯異変と闘っているのだろう。そうだ、私たちは孤独じゃない。たとえ離れていても、願いは一つ。だから、最後まで諦めない。

「……幽々子も、紫も、みんな」
「もしかすると、幽香もね」
 魔法使いは楽しそうに笑う。何故か気持ちが晴れる。心が凪ぎ、迷いも消える。辺りに満ちる蒼穹と陽光の予感に心が澄み渡る。

「さて、霊夢、それじゃ後は頼むぜ」
「ちょっと、何言ってるのよ……」
「勘違いするなよ?私は悲劇の英雄なんて安っぽいものになるつもりは全然無いよ」

 そう言って、普通の黒魔術少女は振り返る。
 その目の前にはいつもと変わらぬ紅白の相棒が居る。ほんの一瞬、いつもの日常が蘇る。
(そう、今は未来だけを考えよう)
 そして普通の黒魔術少女は弾んだ声で夢を語る。

「そうだ、これが終わったら、またみんなで宴会をしよう。レミリアとパチュリーを紅魔館に返し、紫や幽々子に手伝わせて、神社を元のように直すんだ。そうして、以前のように、宴会をするんだ」
「そうね。今度はきちんと片づけもお願いしたいわ……」
「勿論だ。みんなで星を見て、お酒を飲んで……」
「お酒が好きねぇ」
 霊夢が笑う。
 魔法使いも笑う。

「じゃあ、約束ね」
「ああ、でも。その前に、……二人でお茶を飲もう。のんびり、ゆっくりと。さっき折角霊夢が淹れてくれたお茶なのに、まだ飲んでなかったしな」

 そう言うと普通の魔法使いは、友にとびきりの笑顔を見せる。
 霧が薄れ、閉ざされた視界が開けてくる。多分、機会は一度だけ。

「……ありがとう」
「……礼を言うのはまだ早いぞ?」
「まりさっ!私は、……」
 霊夢の声が聞こえる。それでも私は振り返らない。


 一世一代の魔法を見せてやる!
 今、私が出せる最高の力、最後の魔法。

「ファイナル・ブレイジングスター!!!」


 風を切り裂き、魔法使いは翔る。七色の魔法使いの、大図書館の魔女の想いを乗せて。月の兎の、紅い悪魔の、そして多くの人妖の願いを負って。
 霧が吹き飛び、衝撃波が彼女を中心に同心円を描く。箒が曳く光の軌跡が火花を散らし、まるで星屑をばらまいたように輝く。それはあたかも宇宙を奔る彗星の如く。鎮守の森の木が、参道の地面が、飛ぶように後方へ流れる。色とりどりの弾幕が頬をかすめてゆく。
 前方には魔界の神。瞬く間に距離が縮む。
「ああ、星が……」


 その瞬間、音は消え、時が引き延ばされる。あらゆるものがゆっくりと流れてゆく。
 幻想郷での幸せな日々が、頭の中を巡る。
 幼き頃の霊夢との思い出、人外との出会い。事件。そして……。
 彼女は見た。
 雲の切れ間から覗く太陽と、煌めく虹を。

 やがて彼女は深い虚無に呑み込まれた。



 ※ ※ ※




 ふと見上げると、そこに楽園の巫女が居た。
 (なんだ、そんなところに居たのか)
 霊夢は笑う。嬉しそうに、そして少し寂しそうに。
 (おい、霊夢。何にこにこしてるんだ。気持ち悪いな)
 (そうか、異変は収まったのか、そうなんだろ?)
 (笑ってばかりじゃ、わからないじゃないか)
 霊夢の口が動く。
「まりさ、×××××」
 そして、ふわりと浮かび、遠ざかってゆく。
 (霊夢、どこに行くつもりだよ?)
「×××××」
 聞きたくない。それを聞いてはいけない。
 (待てよ。霊夢!)
 必死で手を伸ばす。だが掌は虚空を掴むばかり。
 (待ってくれよ。私を置いていかないでくれ)
 (霊夢!私は、ずっと、お前を追いかけてきたんだから……)
 (霊夢!霊夢!)




 ※ ※ ※


「霊夢!」
 そして、薄暗い建物の中で、私は目覚めた。
「私は一体……」
 暫くして夢と現の境が定まり、私は気付く。そこは博麗神社の社殿の中だった。布団が敷かれ、そこに寝かされていたらしい。体のあちこちに包帯が巻かれ、額には冷たい布巾が載せられている。あちこちが痛む。身体を動かそうとしてもなかなか言うことを聞かない。何だか自分の体ではないようだ。
 そしてようやく布団の周りで、心配そうにのぞき込んでいる、多くの目に気が付いた。
「お前達……」
 幽々子が居た。そして八雲紫と藍が、レミリアが、妹紅が居た。振り返れば、薬箱を持った永琳、輝夜。そっぽを向いて縁側に腰掛けているのは、風見幽香らしい。
「……みんな」

 私が目覚めたことが伝わり、周囲の雰囲気が和む。みんながほっとしたのが感じられる。
「やっと気が付いたか―――」
「妖夢は肉体的にも精神的にも大分やられたみたいだから、白玉楼で静養させて貰ってるわ。まだまだ半人前ね。いえ、半分掛ける半分だから四分の一人前かしら?」
 蓬莱人の言葉を遮るように、亡霊嬢が聞いてもいないことを、さも楽しそうに語る。
「パチュリーは、図書館の本の方が心配とか言って、帰ったわ」
 間をおかずに、今度は紅い悪魔も明るい調子で話しかけてくる。
「咲夜は流石にここには居づらいそうよ……」

「なんだ、みんな意外に頑丈なんだな」
 その場の全員からの暖かい気遣いを感じつつ、私は呟いた。

 何でもないおしゃべりが社殿の中を流れていく。まるで何事も無かったかのように。しかし、私にはどうしても聞かなければならないことが、伝えなければならないことがあった。周りの者は誰一人としてそのことについて口に出さない。でも、私は聞かねばならない。
 枕元には永琳がいた。私の手当は主に彼女がしてくれていたようだ。私はようやく意を決し、周りをてきぱきと片付け始めた彼女に尋ねる。
「……アリスは?」
 永琳はゆっくりと首を振る。あの時の感触が胸を締め付ける。最期に垣間見せた命の炎の色が忘れられない。

「そうか……。ウドンゲは?」
 永琳の手が止まる。彼女はうつむいたまま何も答えなかった。重い沈黙の後、ようやく永琳は私の方へと向き直り、ゆっくりと話し始める。

「ありがとう、貴女にはお世話になったみたいね」
「……助けられたのは、私の方だ」
「貴女は最期に彼女の魂を救ってくれた。私達の元でも得られなかった、安らぎを」
 そうだ。これだけは絶対に伝えなければいけない。永琳と輝夜とに。
「ずっとお前達のことを気にしていた。そして、あいつは……、忘れないでくれって、そう言ってた……」
「……………。まったく、出来の悪い弟子だったわ。最後まで……、心配させて。
 ……大丈夫、あの子のことは絶対に忘れないわ」

 そう言うと、永琳は包帯や水入れを持って立ち上がる。私には、彼女の背中に掛ける言葉を見つけられなかった。
 彼女の心が泣いていた。蓬莱の民の心の発した悲しみの声を、私はその時確かに聞いたのだった。永琳も輝夜も永遠の民、死に行く者との別れには慣れているのかもしれない。それでも、彼女たちはかけがえのない家族を失ったのだ。

 永琳が別室へと下がり、場に沈黙が訪れる。

 ――その時になってやっと私は大きな違和感に気が付いた。それは私にとってとてもとても大切なことのはずだった。それなのに、こんな大事なことを、今の今までずっと気付かずにいた自分が信じられなかった。仲間達が揃う神社、柔らかな日差し……。それはいつもの風景、取り戻したはずの日常……、のはずだった。でも、そこにはその風景の中心にあるべき一番大切なものが欠けていたのだ。私にとって最も大きなものが。
 そう、そこには一番会いたいはずの大切な人が、何を措いても一番に喜びを分かち合うべき相手が、心許し合う相棒がいなかった。私は部屋中を見回して、本来そこに居るべき見慣れた姿を必死に探す。

「……霊夢は?」
「…………………」
 声が震える。悲しい予感が私を脅かす。
「怪我でも?」
 答えは無い。
「どうしたんだ?みんな」
 やはり答えは無かった。
「霊夢はどこに居るんだ?」
 そして私は突然思い出す。あの時の霊夢の声を。聞こえなかったのではなかったのだ。私の心が、それを理解するのを拒否していたのだ。でも本当は、確かに聞いていたのだ。




 「……礼を言うのはまだ早いぞ?」

 「まりさ、私は今解ったの」
 「私がこの世界に居る理由が。博麗の巫女の本当の役割が」
 「この世界を維持するための鍵が、博麗の巫女」
 「こういう時のために、私は生きてきたの」
 「あなたと過ごした日々が、一番楽しかった。同じ人間として、ずっと一緒に居られると、そう思いたくて。だから忘れていたの。でも、やっぱり私は博麗の巫女だから……」
 「それに……。私はあなたの生きるこの世界を守りたい――」

 「まりさ、ありがとう」
 「さようなら」





 違う違う違う―――。これは夢だ、気を失っている時に見た夢なんだ。私は必死に自分にそう言い聞かせる。

「なあ、霊夢はどこだ?」
 私はなおも問い続ける。声の調子が自分でも知らないうちに高くなる。
「なぜ、みんな黙ってるんだよ……」

 その沈黙こそが、答えに他ならない。私の頭の中の一部が、冷静にそう告げていた。それでも、私の心は認めたくないものから必死で目を逸らし、別の説明を探す空しい試みを続ける。

(……そうだ。これはきっと、私を驚かすためにみんなが仕組んだお芝居なんだ。そうに違いない。すぐに、私の後ろから、何事もなかったかのように霊夢がひょっこり現れるんだ。絶対にそうに決まっている。そしていつものようにこう言うんだ「あんた、馬鹿ねえ」って。そうなんだろ?)

 そんなことは有り得ないことだ、私の中の理性はそう告げていた。でも、それでも私は認めたくなかった。もし私が認めてしまったら、それが事実になってしまう気がしたから。それがとても恐ろしかったから。

(さあ、声を聞かせてくれよ。ちゃんと驚いてやるから。いつでもいいんだ……、さあ。準備は出来てる。……そうすればみんなで笑い合って、日常に戻れるんだ。なあ、そうだろう?)

 ……だが、声はいつまでも聞こえなかった。

「みんな、……霊夢はどこなんだ?」
 ――認めたくない。信じたくない。

「なあ、みんな!……そうだ紫!お前、この世界のことなら何でも分かるんだろ?」
 居並ぶ顔を次々と見つめる。みな目を伏せ、私と正面から向き合う者は一人もいなかった。
「幽々子!お前は妖夢を寄越したけど、最初から何か知ってるみたいだったよな!」
 遂に千々に乱れた心が周りの者達に向かって爆発する。私は立ち上がって叫ぶ。何故か目の前が赤くなる。まるで世界がくるりくるりと回転しているようだ。
「紫!境界を統べるお前が何も知らないはずがないじゃないか!」
「……………」
「レミリア!妹紅!最後まであそこに居たよな?」
「―――――」

 一人で一気にまくし立てたために、息が切れ、言葉が途切れる。


 長い沈黙の後、八雲紫がゆるゆると顔を上げ、私の目を見つめ返した。その瞳に射した翳は、どこまでも深く、まるで永劫の奈落の底まで届くかのように思えた。私にはそこに映ったものが、哀惜なのか、瞋恚なのか、悔恨なのか、それとも寂寥なのか、判らなかった。
 そして。

「霊夢は居ないわ」

 ゆっくりと、驚く程年老いた声で紫が応える。紫は、一見いつもと変わらぬ少女の姿のようあったが、改めて見るとどこか酷く憔悴した雰囲気があった。

「…居ないって。どういうことだよ!」
 私は激高し、思わず棘のある言葉を投げつけた。どうしようもない自分への気持ちが、相手に対する非難となって迸る。
「この世界を壊せるくらい強力な力を持っているはずなのに、何やってたんだよ。何が妖怪の賢者だ。友人一人助けることも出来なかったじゃないか」

(………違う。これは本当は私自身に対する言葉だ。友を助けられなかったのは、私なのだから……)
 これが逆恨みだということは、理不尽な非難だということは自分が一番分かっていた。だから当然反論されると思っていた。

「ごめんなさい」
 紫の発した余りに意外な言葉に私は言葉を失った。

「あなたの言う通り。こんな私が大妖怪気取りなんて、お笑いよね」
 紫はゆらりと立ち上がると、ゆっくりと縁から階を下り、神社の向拝の柱を愛おしそうになでた。そして彼女は、博麗神社の境内を緩やかに進みつつ語り始める。
「博麗の巫女は決して死んだ訳では無いわ。彼女は遠い旅へ出たの……、たった一人で、この幻想郷を護るために。それが博麗の巫女の使命だったの。そして最後には彼女もそれを望んだわ。……でも、やっぱりそれでも同じこと、言い訳にはならないわ。そう、私は友を救えなかった」

 紫の声は次第に低くなり、それはほとんど自分に言い聞かせる言葉となっていった。彼女の声が切れ切れに私に届く。

「私は、また……。……を失ってしまった。あの時に……、……んな……は、……二度と繰り返さないと、そう誓ったはずなのに」

 やがて社殿の正面に戻ってきた紫は私に向かって深々と頭を下げた。これまで知っている紫の性格からはとても考えられないその行動に、私は驚き動揺した。
「あなたから親友を奪ってしまったのは私……。本当にごめんなさい。許してはもらえないかも知れないけれど……」
 私は紫の言葉を遮った。――多分、紫が本当に許せないのは自分自身なのだろう。
「謝るのは私の方だ。……私には紫を責める資格なんて無い。……友を守れなかったのは私も同じだ。それに、霊夢が自分の意志でしたことなら、私たちがそれを認めてあげなきゃな」

 それを聞いた紫が私をじっと見つめる。私には彼女の表情がほんの少し明るくなったように見えた。彼女の吸い込まれそうな深い色の瞳に私が映る。……それでもやっぱり私には、その瞳に宿る感情を読み取ることは出来なかった。

「ありがとう、優しい人間。そしてさようなら、元気な魔法使いさん。後悔することがないよう、しっかり生きるのよ。……そして、間もなくあなたにも拠って立つ所をきちんと決めなくてはならない日がくるわ」
 紫は優しくも厳しくそう私に告げた。そして彼女は博麗神社に背を向けると、中空に隙間を呼び出した。
(紫、待ってくれ。まだ、もっと話がしたい。霊夢のこと、博麗神社のこと、この幻想郷のこと……)
 私は紫の背中に向かって声を掛けようとした。だが、突然これまで感じたことの無かったような戦慄を覚え、私は言葉を呑み込んだ。その時私は確かに見た、八雲紫と自分との間に超えることの出来ない深い深い断絶が横たわっているのを。そして私は思い知らされる。私が人間であることに、そして博麗の巫女の如き越境者にはなれないことを。

 最後に隙間へと消える際、紫はもう一度社殿の方へと振り返り、言葉を掛けた。あたかもそこに紅白の巫女が居るかのように。そしてその言葉は、私にもはっきりと聞き取ることが出来た。

「この世界はあなたのもの。だからこれからも、ずっと私たちはあなたと共にある。
 だから安心して。これからは私が守るから。あなたが守ったこの楽園を」

 その言葉を最後に、八雲紫は隙間の中へと消えた。




 ※ ※ ※


 紫が去り、再び博麗神社を静寂が包む。
 霊夢との思い出がたくさん詰まった社殿の中に居たたまれなくなった私は、光の降り注ぐ縁側へと歩み出る。そしていつものように、縁側の日溜まりの中に腰を下ろした。だが、そこも紅白の巫女を強く思い出させる場所だった。
 いつでも必ず、私の隣には霊夢が坐っていたのだ。誰も居ない隣の空間は余りに大きく、余りに寂しい。二度と埋められることの無い席……。ああ、縁側ってこんなにも大きかったのか……。ここは一人で座るには広すぎる。
 私の心を慮ってか、大妖達はみな視界から退いた。ただ風だけが共にある。

 そこへ幽々子が何かを運んできた。
「さあ、……もう、冷めてしまったけれど」

 それは、ほんの少し前、まだ世界が幸福で溢れていたことの証、日常がいつまでも続くと無邪気に信じていたあの時の、一杯のお茶。
 霊夢が私に淹れてくれた、大切なお茶。

「……霊夢」

 抑えていた涙が、堰を切ったように溢れ出す。拭っても拭っても、後から後から涙が溢れる。手に、膝に、熱い涙が零れ落ちる。
 悔しくて、悲しくて、そして寂しくて、私は泣いた。

 そのお茶は、少し甘くて、ちょっと渋くて。
 それは、永遠に無くしてしまった幼い思い出の味。
 それは、もう二度と会えない大切な人の味。



 ※ ※ ※


 東から昇る唐紅の天道が西へと沈んでゆく。そして又東から西へ、東から西へ、……それは幾度となく繰り返され、季節は巡る。
 そして、いつしか時は流れ―――


 ※ ※ ※



 私は、追憶から醒める。
 もうあれから随分になる。私はあの日から何度夜を越えたのだろう。

 幻想郷は日常を取り戻し、再び平穏な時を刻み続けた。
 楽園は守られたのだ。

 でも。

 結局、巫女は帰ってこなかった。
 私たちは、自分達の未来を守り抜き、代わりにかけがえのない何かを失った。
 それは無垢な子供の心だったのだろうか。それとも無邪気に明日を信じることが出来た幼い夢だったのだろうか。

 私はその日以来、魔法使いであることを止めた。
 私が魔法を、力を求めたのは、彼女に少しでも近づきたかったから。一緒に、否、せめて遅れないで走っていたかったから。でも、彼女は独りで行ってしまった。誰も追いつけない、遙かな高みに。
 (勝ち逃げなんて、ずるいよなぁ)
 私は、聞く相手のない言葉を呟く。
 私は、独りで走り続けられるほど強くない……。

 あれ以来、大妖怪達が私の前に現れることは二度となかった。博麗神社にも行ってみたが、結局誰とも会うことは出来なかった。それも仕方がないことなのだろう、彼女たちは、やはり博麗の巫女に会いに来ていたのだ。改めてそのことを感じ、寂しさが蘇る。心残りは、彼女たちにきちんとお礼が言えなかったことだ。八雲紫、西行寺幽々子、風見幽香……、彼女たちは今も気儘に、楽しく生きているのだろうか?
 そして永遠亭の二人は、共に孤独な永遠を生きているのだろうか?

 あれから、紅魔館を訪れたのは唯一度。そう、私が無断で借り出していた魔導書を返すために。
 その時も、日陰と知識の少女は、たくさんの本に埋もれるようにして、本を読んでいた。

「…あら、わざわざ持ってこなくても良かったのに」
 ちょっと聞き難い、魔女の小さな声。
 私はその時の状況を思い出す。
「…どうせあなたの方が先に死んでしまうのだもの。それから回収するつもりだったのに」
 私は笑って本を返し、お礼と、さよならを述べた。最後に扉を閉める時、振り返ると紅魔の魔女は黙って後ろを向いていた。それはきっと、私の何倍も生きている魔女なりの、精一杯の強がりだったのだろう。
 彼女は今でも、あの薄暗い図書館で、本を読んでいるのだろうか?

 ああ、私はふと思い出して可笑しくなる。先日、人間の里で、買い出しに来たという紅魔館のメイド長に出会ったのだ。なんでも“孫娘”なのだと言う。
「私の知っている人に、そっくりね」
 と言ってやったら、にっこり笑って。
「よく言われます」
 などと返してきた。それはそっくりだろう。……紅い館では、時の流れが違うのだ。

 私はふと窓の外に目をやる。
 外には暖かな日の光が注ぎ、穏やかな風の中、鳥達の声が遠く聞こえる。

 人間の里は、今日も平和だ。
 その後、私は霧雨家へ嫁ぎ、ごく平凡な一生を送ってきた。大きな苦難も無く、驚くような事件も無く。
 きっと私は幸せだったのだ。穏やかな日々と、暖かい家族にも恵まれた。この幸福を感謝せねば罰が当たる。
 それでも私は思う。巫女と共にあったあの日々こそが、私の人生の中で最も輝いていた時だったのだと。

 私は再び部屋の中へと視線を戻し、手紙の収められた文箱や、こまごました思い出の仕舞い込まれた棚を眺める。
 そう言えば、私の周りも随分と変わってしまった。稗田家の先代当主、阿礼乙女も、もう随分前に逝ってしまった。常々転生は百年以上先と言っていたから、残念ながら再び彼女に会うことは出来そうにない。
 時とは残酷なものだ。この世界も、日差しも、何も変わってはいないのに、人間は変わってゆく。そう思い、思わず苦笑する。
(私も年を取った。老人にとっては、過去は総て輝かしいものなのかもしれない)
 最近の変化といえば、里での妖怪との諍いをほとんど聞かなくなった。もう巫女は居ないが、件の里を守る者が現れたからだろうか? あるいは妖怪と人間との関係も、時と共に少しずつ変わってゆくものなのかも知れない。そんな事をふと思う。
 次代の御阿礼の子は、そんな変化を知ったらどうするのだろう? 今後の幻想郷縁起の行方がちょっと気になる。

 去る者があれば、来る者もある。風の噂に、魔法の森に、一人の魔法使いが住み着いたと聞いた。人形を遣う金髪碧眼の魔女だと言う。……私には、彼女に会いに行く勇気が無い。否、会う資格など無いのだろう。
 人の一生はやり直しが出来ない。でも、もしいつか、因果の果てに、再び相見えることがあるとしたら、……その時こそ、幸せな出会いであって欲しい。

 ……魔法使い、……魔法の森、何だか懐かしい響きだ。ああ、私が森の中の小屋に残してきた魔法の道具や魔導書は、どうなっているのだろう?二度と使うことは無いと思ってきたけれど……。

 暖かな日差しの中で、私の思考はあてどもなく彷徨う。

 いつの間にか私も孫が出来るような歳になってしまった。けれど、それだって決して悪いことではない。何と言っても家族は良いものだ。中でも、孫の一人が私にとても懐いている。うちの家族には珍しく、妖怪や魔法の話も大好きだ。それに何でも私の名前が気に入っているという。
 (私、女の子が出来たら、絶対お祖母ちゃんの名前をつけるんだ!)
 そんなことを盛んに言う。
 (男の子だったら、そのまた子供に付けるの)
 いつか生まれる私と同じ名前を持つ人間、なんだかくすぐったいような妙な気分になる。そして孫の声を思い出す。

「きりさめ・まりさ、ほんとに良い名前!」


 ※ ※ ※


「さて」

 私はとりとめもない思考を断ち切ると、ゆっくりと立ち上がる。博麗神社へ出かけるのだ。

 この小さな旅は、私の日課となっている。始めは誰かに会うことを期待してのことだった。そして、もはや誰も博麗神社に来ることがないと分かっても、私は行くことを止めはしなかった。

 バスケットにお茶の用具を詰め込む。次に魔法瓶にお湯を入れ、これもバスケットに収める。そう、私が今でも使う魔法はこれだけだ。
 そして私は、このときだけの取って置き、白いリボンのあしらわれたつばの広い黒い帽子をかぶる。だって、これが無かったら、彼女は私だと気付いてくれないかも知れないじゃないの。

 博麗神社までの道のりは、老いた身には少々きつい。それでも、自分の足で歩くことの出来る間は、行っておきたい。
 石段を一段づつ登ってゆく。かつて一っ飛びに跳び越えたそれを、今は一歩一歩、自分の足で登ってゆく。やがて、目の前に見慣れた神社の風景が飛び込んでくる。誰も居ない社。鎮守の杜を背景に浮かび上がる鳥居は、あの時から全く変わっていない。
 社殿に向かって一礼すると、縁側に腰を下ろす。参拝者も、誰も居ないはずなのに、神社の境内は綺麗に掃き清められ、建物にも荒れた様子は全く見られない。そう、私だけではなく、ここを常に訪れている者達がいるのだ。
 私は、その変わらぬ気配を感じ、安心する。誰かに見守られているような、何かに優しく抱かれているような、ここはそんな気分にさせてくれる。

 いつものように、私はバスケットを開く。ここへ来た時には、欠かさずやることだ。急須と湯飲みを取り出し、魔法瓶からお湯を注いで、二人分のお茶を淹れる。私は忘れない、あの時の約束を。だからこうして待っている。いつの日か、彼女と再会できることを信じて。それが決して叶うことのない、私の儚い希望に過ぎなくとも。

 ああ、今日は本当に気候が良い。暑くも、寒くもなく、心地よい風。………なんだか眠い。


「………………」
 私は微かな気配を感じ、ゆっくりと振り返る。
 そこには―――。

 私は微笑む。
「ああ、やっと……」
「ずっと、待っていたんだ。ほら、ちゃんと二人分のお茶を淹れて」

 優しく穏やかな風が吹き抜けてゆく。
 そして。

 そう。
 私は懐かしい面影を、そこに慥かに見たのだった。
長文に最後までお付き合い頂き、誠に有難うございました。
元興寺です。

 創造者をも含めて完全な形で創られ、自己完結する世界において、その中で生きるとはどういうことなのか、あるいは世界の仕組みを知ってしまった時に、自己の存在意義をどう考えるのか、そんなことを夢想しました。果たして被創造物には心は有るのでしょうか?
 そもそも、私たちですら、本当に自由意思を持っているのでしょうか?

 なお、神様の設定については違和感をもたれた方も多かったかと思います。が、プロットの構成上、全体を単純化するために敢えて行ったことですので、ご容赦頂きたくお願い致します。
 また、前編にコメントを頂き有難うございました。実の所、後編はほぼ完成しておりました。頂いた御意見を元に、表現や内容に手を加えることも考えましたが、続き物という性格も考え今回は元々の形で投稿することと致しました。折角のコメントを後編へ十分に生かせず心苦しい次第です。
 今回はご期待に沿えませんでしたが、御指摘の内容は真摯に受け止め、今度の課題とさせて頂きます。

 本稿で登場させられなかったキャラクターや、切り捨てた部分、描ききれなかった部分も沢山あります。しかし、それはまた別の物語。

 ※ ※ ※

 長き旅路の果て、幾つもの季節を超えて、彼女たちは再び出会います。
 そして紡がれる物語は、皆様良くご存じの幻想郷の物語。
 願わくは、今度の出会いが彼女たちにとって幸福であらんことを。

 では皆様、どうぞ今宵も良き夢を。
元興寺
[email protected]
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コメント



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11.100あえて名乗らないぜ削除
前編、後編共に楽しませてもらいました。神綺に「なぜ、そんなにも足掻くのかしら?」と尋ねた時の霊夢達の返答がマジでカッコ良かったです!!

最後に、ようやく帰ってきてくれた霊夢が、博麗神社に行く前に永遠亭とか、紅魔館とかに立ち寄ってたかもとか妄想してましたww
12.80名前が無い程度の能力削除
ううむ、なんとも不思議な終わり方
『おいおい、なんだよ!これ』という怒りをわかせず、ただ終わりと繰り返しを感じました
本当に不思議だ
18.100名前が無い程度の能力削除
ふーっ、終わったか。終わってしまったか…



世界は、自らの手で創り上げるもの。運命は、自らの力で切り拓くもの。

幻想郷でも外の世界でも、それはきっと同じこと。



作者様、GJ!!

そして、幻想郷に生きとし生ける、全てのものたちに幸あれ!
20.無評価名前が無い程度の能力削除
少年漫画の王道ですね