「魔理沙さんですか? 死にましたよ。多分」
射命丸文が語ると、どうにも緊張も慈悲も悲しみも無いように聞こえる。
「貴女の事だからどうせ見殺しにしたんでしょ」
八意永琳が語ると、どうにも容赦も情けも慈しみも無いように聞こえる。
「そんな人聞きの悪い事いわないでくださいよー、私も色々大変でして」
「うそおっしゃい射精丸」
「しゃ……っ!?」
皮製の大きなソファーの上で割と本気でショックを食らった文を見下すのは永琳。天狗
の座る前をうろうろしながら、この応接室は調光が出来てないじゃない、などと考えつつ、
ひたすら腕を組んでうんうん唸っている。
横目に文の表情を垣間見ると、ようやく永琳は足を止め、文の顔を覗きこんだ。
なにげなしに、突然に、鴉天狗の黒髪の下にある首筋を指先で撫でる永琳。
「うひゃっ」
「なに顔を赤くしてるのかしら?」
「と、突然なにを言い出すんですか」
ずい、と顔を寄せる永琳。その赤い帽子以上に頬を真っ赤にした文は、目と鼻の先の瞳
から視線を外せなかった。
「ってからかわないで下さいよ、緊急事態なんでしょう?」
「だからこそ、じゃないの? ……とはいえ、この異変のおかげで私の身体にも随分と影
響が出たみたい。病苦にはならないけど、等しく化学反応は起きるものなのよ」
文は逃げ出したい半分留まりたい半分だったが、この状態では動くに動けない。
――そんな事より化学反応?化学反応といったかこの薬師は。しかも「私にも」って。
えーっ私にも掛かってる!?反応や紅潮や身体の火照りだってそれってつまり媚や――
「なに黙りこくってるのよ、いいじゃない、たまには……」
「うっ」
いつのまにか隣へと収まっていた永琳に肩を掴まれる。
「貴女には前々から目をつけてたのよ」
「そ、そうですか。それは光栄ですね、はは」
「ウドンゲは妙に硬いところがあってねぇ、中々こういう実験に賛同してくれないのよ」
「やっぱり実験なんじゃないですかっ……ひゃっ!?」
わずかに感じる、耳への吐息がひときわ強くなって、文は再び身体を強張らせる。
こういった意味で永琳は危険だった。なにも警戒せずに立ち会ったのは文の計算不足と
も言えるが。
と、いつのまにか白いブラウスの前が外されていたり、帽子がずらされたりしていたり、
文の使いであるカラスが脅えるあまり遠ざかったりしていた。
こういった意味でも永琳は危険だった。文はもうだめだと思った。
「そうね、貴女は素直、純情、無邪気――長く生きる者に欠如した物で溢れている」
「……はぁ」
「じゃあ、戯れはここまでにしましょうか。話の続きを宜しく」
「えっ、あ、はい……」
薄らと汗を浮かべた文の貌。彼女は上気しつつ名残惜しそうに返事をする。
それは矢張り永琳の掌を誘うようで――動物に対する嗜虐心に近いが――またも吐息を
漏らす永琳。顔は素面そのものだったが。
「えーと」と呟きながらいそいそとブラウスのボタンを直す仕草が、一々可愛らしくて
仕方がない。と永琳は心に留めておいた。
「竹林ですよ。魔理沙さんはアリスさんを連れていたようですが……」
「あら、警告してあげたのに魔理沙ったら。またこっちへ戻ってきてたの?」
「“奴ら”はあちらこちらで一纏まりに固まっているようで」
向かい合った椅子へ座り直す永琳を確認したあと、なんとなしに頷いて文は続ける。
「竹林は安全と思ったのか、見つかりにくいように低空飛行していたんでしょうね。それ
が仇となったようで……あとは酷い有様でしたよ、寄って集ってて」
声の質は相変わらず変わらない。さも爽やかそうに、風に乗るように。
文の肩の上のカラスは、真っ赤な瞳を爛々とさせていて、文の心を映すようだった。
「隠れて覗いていたのかしら?」
「出ていったら私でも対処できませんよ」
「そう。ここら一帯も危なくなってきたわね」
「薬の影響は凄いですね」
「私の“疫病”は噛まれて感染するほかに、空気感染も感染手段になるのよ」
「ああ、霊夢さんがボンしたのはそのせいですか、かわいそうに」
「もともと人間なら、あっという間に広がるわ。今や幻想郷中で生きてる人間は……」
「多く見積もってゼロ、ですか?」
ふふ、と鼻を鳴らして組んだ足を交換する永琳。
「そうね、外がどういう状況かはシミュレート道理」
「あなたの兎達は?」
「さぁ、でも皆、完全な密室を作り出すのに準備してくれているし……大丈夫でしょう。
それに外で起きている事には殆ど話していないわ、ウドンゲにもね」
「そうですか……では幻想郷は、ここ以外――」
「寂しいかしら?」
項垂れてしまった文に、悪戯ぽく首を傾げて尋ねる。
少し残念がる天狗の思うところは一つだった。
「寂しくないと言えばウソになりますよ。私は幻想郷が大好きでした。多分これからも」
揃えられた膝の上の拳が、わずかに強張る。
「でも、もう、新聞が出せなくなっちゃいましたね」
―――――――――――――――――――――――
心地のよい肌触りを頬に感じ、仰向けのままに少女は目を覚ます。
暗雲に覆われた空は、自分その物を代弁しているようで、少女――霊夢は酷く気分が悪
くなった。
そもそも、何故空が見える?
――神社の中にいて、部屋の中にいて、ええと……?
何気なしに左へ転がる。目の前に広がる光景を目の当たりにし、ようやく霊夢は気付い
た。そうだ。この背中が妙に心地のよい布団の感触で溢れていたのはその所為か、と。
「死人花……」
深紅に彩られた海。血塗られた掌一つ一つが暗い空へと救いを求めるかのように、それ
らは緩やかに虚空を仰いでいる。
恐るる事はない、ここは地獄と現実の境界線。
多くの魂の宿る彼岸の名を冠する華が、地平線の彼方まで咲き乱れる事を許された場。
「で――」
霊夢の頭先に現れた、彼岸花の叢の上に佇む姿。
「やはりおまえか、巫女」
否、立っているのではなく、浮いている。紅の腕の群れに絡め取られぬようにか、声の
主は不機嫌な顔をわずかに傾け、彼岸花の群れを一瞥する。
「んあー、あんたは……死神――小町」
「今度の死因はなんだ? また自殺か? 酒の中毒でか? 勝負事でしくじったか?」
華の床へ手を付き、湿った砂利に不快感を覚えつつも上半身を起こす霊夢。
それまで立膝をついたまま霊夢を観察していた死神、水先案内人の小野塚小町は、ふん、
と鼻で霊夢をあしらい、左手に――さも軽そうに、そこに存在しないかのように――構え
ていた奇妙な造形の大鎌を肩に担ぎなおす。
暫く、普段の呆けた貌を崩さずに死神の瞳を見つめ返していた霊夢だが、巨大な髪留め
で結わえられた黒髪を二、三回揺らし、
「なるほど、なんとなく理解できた」
深紅の華の上へ立ち上がった。紅白の装束が僅かに、風を帯びた様にたゆたう。
大鎌を肩にして、小町も黙って砂利の上へ立つ。頭半分ほど違う身長差が露骨になる。
二つの少女が、風もない空虚の中で対峙する。一度は出会い、衝突した二人だ。再会が
このような形でやってくるとは、霊夢ですら想像はつかなかった。
燃え盛るように赤い髪はその実直さ――自分に対してのだが――を示し、深紅の相貌は
しかし彼女の大らかさを逆に打ち消すかのように陰湿に濁る。
僅か数歩の距離。霊夢がふとした事を一瞬頭に浮かべると、目の前の死神は口を開いた。
「お前は死んだわけじゃあないさ」
「……あら、そう。意識してここに来たわけじゃないから、分からなかった」
いちいち意識してこられても困るんだがな、と小町は苦笑する。
「それで、どうしたら戻れるわけ?」
「……もどる? 戻るだって? なにを勘違いしてる?」
魂を刈り取るには不適切であろう鎌の刃先をくるくる回しながら、小町の顔に莫迦にし
た様な表情が浮き彫りになった。
「今は戻れない。理解できる。どうして? 閻魔にお呼ばれかしら?」
「ちがうちがう、映姫様は色々と大変らしい……というか手がつけられないらしい」
「何によ」
「詳しい事は言えないな」
「いいから答えろ!!」
苛立ちを隠そうとせずに、霊夢は四本の指の間に挟んだ針を目の前の邪悪な瞳へと突き
立てた。
――今はこんなところで漫才をしている暇ではない!と顔を引きつらせて憤慨する。
小町の瞳に揺るぎはない。
清々しいような、疲れたような、そんな笑みを浮かべるだけ。
左手に持った鎌の柄で、自身の左肩を一回、二回と軽く叩くと、瞬く間にそれが霞んだ。
――刹那、時が数瞬の間凍りついた。
「――調子に乗るなよ、人間。今はお前の出る幕じゃないんだ」
どうした事か、と瞬きする霊夢は状況を確認するまでに数秒を要した。
まず、突き出した右拳の中には、折れるはずもないのに綺麗に真っ二つとなった三本の
針。そしてその先には小町の姿はない。代わり、喉元には冷たい金属の感触――
「そんな事では納得いかない、そういう顔をしている。でも、それはあたいも同じだ」
昏く、彷徨う魂の内にあってなお昏い声が耳元で囁く。
冷たい感触が喉から、ゆっくり、ゆっくり離れてゆくのを霊夢は感じた。
全く対処できなかった事に落胆する。早く戻らなければ、早く。そう焦燥すると同時に、
背後の、今にも自らの首を刈らんとする小町には今逆らうのは得策ではない――そうして、
霊夢は黙って折れた針を収めた。
彼岸花の上にローリングをかましつつ、霊夢はだだをこねるように叫ぶ。
「くそくそくそ! いつかあんたは地獄送りだ、閻魔が文句言っても知らないから」
「巫女の癖に言葉遣いが荒いなー、混乱中の幻想郷へ落とすか?」
「って、やっぱ幻想郷で何か起こってんじゃないの!」
がばっと身を起こして小町へ掴みかかる霊夢。
血飛沫のように紅の花弁が舞った。
「異変の時に、風邪で死に掛けとかふざけた経歴を後代に残すわけにはいかないのよ!」
「……さっきあたいは納得いかない、と言ったよな」
肩へのしかかる霊夢の腕を振り払い、小町は二つ結わえた耳のような赤髪の房を揺らし、
地平線に霞む花畑を仰ぎ見る。
「映姫様はあたいを死神の役職から外した」
「は?」
「なに、そんなに深刻な話じゃない。暫く幽霊たちはここに留まってもらうことになるけ
どな。でも、あたいは自由だ……ってわけにもいかなかった」
暗い空を仰ぎ見る。霊夢もそれに釣られる。朝なのか昼なのか夕なのか夜なのかも分か
らない、見る者を不安にさせる空。
「あたいにはちょっと新しい仕事が与えられた。それが……これだ」
金属音を立て、大鎌の切っ先が霊夢の方を向く。
「映姫様がお前さんに直々に用事があるわけじゃあない。あたいもない。
だったらここから出せって? 帰せって? そうはいかない。そういうわけだ」
「……な、る、ほ、ど。くだらない“異変ごっこ”だわ」
博麗の巫女は、やはり納得はしていなかった。
「……納得いかないんだけどねぇ……」
死神は、自分が統括するはずの河の方角を向いた。
それきり、彼女は思い出に浸るように、佇んだままだった。
―――――――――――――――――――――――
板張りの床面が軋んでいる。
きし、きし、きし、と。
永遠亭。
そのとある廊下に、規則正しく響く一つの足音。
廊下両翼に灯るは松明か鬼火か。
夜の帳も下りた薄暗い空間を、紅の火は部屋ごとに間隔を開けては照らし出す。
そんな中。きし、きし、きし、と。規則正しく響く一つの足音。
その影、一つの戸を見初めるや否や、傍らの壁面に背を付き、そっと片腕を耳へとやる。
彼女特有の細く長い、兎耳へと。
「……こちら鈴仙、師匠の実験室前に到着した」
抑揚をおさえて声を放つのは、鈴仙・優曇華院・イナバ。
か細い炎をたたえた小さなカンテラを一つ、片腕に下げ、その場で腰を落として辺りの
気配を探る。すぐに異常なし、と見ると。自身の耳をぎゅっと掴み、神経を集中させる。
月の兎のみが聴くことのできる、特殊な声の波を察知するためだ。
ややあって、
『ああ、やっと着いたのかー……』
気の抜けたような、一つの返答。
「うわ、気分ないな」
虚空を伝う音波が示すのは、地上の兎であり、兎達を統括するリーダーであるてゐの声
だった。
「あんた、師匠の実験室なのよ? あの師匠のなのよ? ちょっとは緊張感持ちなさい」
『いや私は安全圏だし』
「……こいつ、後でシガレット人参パクってやる」
『私の密かな楽しみを奪おうとはどういう事か。せっかく人が場を用意してあげたのに』
ただでそんな事を言われて食い下がる彼女でもないが、場合が場合なので黙っておいた。
なんの不安もない口調で返ってくる事には苛立ったが。
まぁそんな事より、とてゐ。
『今回の任務はえーりんの極秘実験内容、サンプルを回収および採取する事……永琳が下
手なところにレポートを隠すとも思えないけどね』
その通信の向こうでは、多分てゐは笑っている。
幼い声がそう告げている。緊張感は時として高揚へと繋がるものだと。
「極秘なんだから分かってる。そろそろ潜入するわよ」
鈴仙は再び顔を戸の方へと向ける。
そっと耳先を手放す。反発で元の位置へもどる耳。
それは普段からは考えられないほどに、まっすぐに立っていた。
鈴仙の耳は感情を推し量るのによく使われる。たとえば嬉しければピコピコとはねるし、
悲しければしおれる。極度に緊張をしていれば。今のように、角のように垂直に。
尤も、鈴仙は感情がすぐに顔に出るタイプなので特別、推し量ろうとするまでもなかっ
たが。
目の前には銅製の錠前。それに軽く手をかざすと、金属音と共に弾け飛ぶ。
かつて永遠亭へ特攻してきた人妖を押さえ込むために、妖術的な鍵を各扉に設置した事
があった。それを少し応用すれば、逆に外す事もできるというわけだ。
そして心臓の音がやたらと跳ねる。いよいよだ。侵入者の直々の師匠の実験室へ続く扉
は、妙に重く感じられた。
ここには何度も通っている。
扉を引いた瞬間に鼻に付く、薬品の刺激臭も慣れたものだ。
しかし、ひとたび“製薬のため”が“潜入のため”へ変わるとどうだろう。普段真面目
くさった鈴仙は、本来とは別の顔を見せる部屋へと抱く背徳心に苛まれる事請け合いだ。
いや、これは高揚に寄るものなのかもしれない。
冒涜的な高揚?
――まさか、ね。
と、深呼吸。そして、カンテラをそっと扉のふちへと傾ける。暗闇に炎を反射して鈍い
光沢を放つ薬瓶に、鈴仙はまた胸を跳ね上がらせた。
深紅の瞳が扉の隙間から部屋を嘗め回す。
重い吐息に湿った唇をきゅ、と引き結ぶ。
一歩、靴先を扉の縁の中へと押し進める。
その瞬間に感じる異様な空気。言い知れぬほどに深く暗い空気。
夜、というだけでこれ程の違いが出るのか。鈴仙は再び、一人頷いた。
普段はさほど気にならない、生きたまま保存された不気味な標本たちを目の当たりにし
て、ひどく気分が悪くなる鈴仙。同時に並べられた薬瓶が発する、独特の刺激臭もいただ
けない。
なるべく見ないように。
いそいそと、碁盤のように並べられた薬棚をすり抜けてゆく。音を立てぬように肩を狭
め、鈴仙の背をゆうに超える上る巨大なガラス製の棚を縫い行く。一つ、二つと抜ける内
に奪われる方向感覚。彼女はそれでも右へ左へと何の迷いも無く。
そうこうしている内に、一つの壁へと突き当たる。特に特徴の見当たらない、鈍く硬質
な光沢を放つ灰色の壁。
「それで、どうすればいいの?」
灯りを片手に持ち直し、少々この雰囲気に慣れて萎れだした耳を口へ寄せる。
『壁まで着けたのね、そこが“世界の最果て”ともいえる壁』
「おもしろい“例え”ね……ここがね」
『その壁は世にも珍しい貴金属製、防犯設備もセキュリティ管理も万全よ』
のっぺりとしたこの、人間より二回りほど大きいだけ壁のどこにそんな仕掛けがあるの
だろうか。しかし相手が相手、この実験室には“危険”という言葉だけで推し量る事の出
来ない事象が数多く渦巻いていることは、鈴仙がよく知っている事だった。
おずおずと、白い指先を壁へ沿わせる。
「この壁の奥に、師匠の極秘実験内容の全てが……」
『あーそうそう鈴仙』
「うん?」
『その防犯設備に関する事なんだけど、一つ言い忘れてた事が』
「? なによ」
『壁に触った時点でいろいろ発動するから』
鈴仙の指先――壁に接触した部分から、一瞬にして閃光が広がる。
瞬間、炸裂。
「ぶべらあぁぁぁ!!」
鈴仙が爆発した。
――ビィー!ビィー!
視界が突然紅く染まる。
侵入者!侵入者だ!と警報機がせわしなく赤熱する。
回転灯が真っ赤な閃光で部屋を照らし出す。
『うわ、全セキュリティシステム開放! なにやってるんだれーせん!!』
「こっ、何忘れてんのよあんた……っ!」
吹き飛んで全身が焼けた鈴仙は、一瞬死んだかと焦って上体をもたげる。
直後、曲がりなりにも規則正しく並べられていたはずの薬品棚が、好き勝手に移動し始
めた。大質量が、高速で鈴仙を絡めとらんと押し迫る。
「か……髪がコゲた! そして棚が急に動き出してた! 怖いよ! 動けないー」
『とにかく脱出するのよ、棚の上へ昇る!』
「――っ、」
轟音と塵埃を爆裂させ、コンマ二秒前まで鈴仙がいた場所へ激突する棚。
なんとか跳躍を決め、天板の上へ。
巨大な直方体が無秩序にひきずりまわる様子が見渡せる。割れてしまったカンテラ代わ
りとなった回転灯の深紅の光線を頼りに、
跳躍。脚が付くと同時に再び跳躍。跳躍。跳躍。
水蓮の上を跳ねまわる妖精のように。
杉木の頂を足場とする天狗のように。
薄暗く確認できない天井を意にも介さず、必死の表情で、不規則に変化する天板の床を
疾駆する。
『おおう鈴仙、動く床に挟まれたら普通に命はないわよ!』
「わかってるって!」
『身体一個分のスキマならBダッシュで切り抜けられるわ』
「なにそれ!?」
――うわっと!?
鈴仙の瞳が別の飛行体を捉える。
棚がどういう事か、飛んできたのだ。
方向転換。横っ飛びに跳ねる。背中から衝撃波、炸裂音。
方向制御を狂わせる事のできる鈴仙は、持ち前の感覚制御能力に優れてると言えた。移
動後の慣性を殺さず、立て続けに迫る三つの棚の上へ手をつき、長方形の構造を利用して
前転、その後、更に跳躍で越える。
「ひゅー」
一連の動作の優麗さに思わず自分で感嘆する鈴仙。
降り立った先は、薄く錆びついた機材の散乱する実験室。
「よし、抜けれた! 出口!」
鈴仙はついに、希望の光を見つけ出した。
サイレンと赤熱するランプが急かさせる。煩わしい。
半開きの扉へと手を伸ばす。
「――あ」
当然と言えば当然だったが。
扉を開いた瞬間、妙に見慣れた赤と黒で視界がいっぱいになる鈴仙。
「さて……話を聞かせて貰おうかしら、ウドンゲ」
焦げてる上、埃を被った鈴仙を冷やかな眼で見下すのは、鈴仙直々の師匠、八意永琳。
その後ろには大勢の兎達が、鈴仙をいぶかしんで見つめていた。
「……あーいやー師匠と皆あのそのえーとああっ強制連行!?」
分かっていた事だが、もう言い逃れはできそうにないな、と。
「でも師匠、あの防犯装置はどうかと思いますよ!!」
夜の永遠亭の廊下に、月の兎の悲鳴が反響した。
『鈴仙!? 応答しろ鈴仙! れーせーん!!』
黒兎の悲痛な叫びも反響した。