◆0
幻想郷の夜は、その一瞬、昼の明るさを取り戻した。
轟と夜空を貫く眩き光。正しく圧倒的であるところの光は辺り一体を照らし、天高く昇って消える。
その光の奔流は――恋の魔砲、マスタースパークと云う。
「……やったか?」
霧雨魔理沙は、己が放った主砲に手を痺れさせていた。未だ発射の余韻を振動として残しているミニ八卦炉から目を
放し、高度を上げる。
マスタースパークの光たるや凄まじく、発射した軌道上の夜がすべて灼き付いたようにぼうと光って見えた。しかし、
当然ながらそれで魔理沙が狙ったのは、夜の闇などではない。もっと厄介で、もっとどうしようもない奴だ。
そいつは今、どこにいる?
視界を縦横無尽に走らせ、奴の姿を探す。果たしてそう、どでかいものを叩き込む事が出来たか。
魔理沙は気付いていない。奴は発射直前、魔理沙の後方極めて近くに飛び込んでいたことに。
自らが放った攻撃の余りの眩さが故に魔理沙は限界までそのことに気付かず。
見慣れた紅白が、一瞬、彼女の視界に映り――
ぺちんっ
「あうっ」
博麗神社の境内は冷たい。夜に冷やされた石の冷たさはこれでなかなか侮れないものがある。
今日も今日とて撃墜された魔理沙は、そんな場所の真ん中に倒れている。空には星。よく晴れた夜だった。
「くそ。今日もダメだったか」
「いいから上がんなさいな。そんなとこで風邪なんか引いたら目も当てられないわよ」
縁側から声がかかる。紅白の巫女――博麗霊夢は、二つの湯のみを出していた。運動後の一杯という奴だ。
「気が利いてるじゃないか」
立ち上がる魔理沙。ホコリを払い、取り落としたミニ八卦炉を拾う。
それから大きく伸びをし、ぽてぽてと縁側へ。さっきは何だかんだで興奮状態だったから寒さは感じなかったものの、
落ち着いてみると、吹き抜ける夜風は結構厳しいものがあった。
並んで座り、緑茶を飲む。温かい液体がゆるりと喉を通り、魔理沙の体に溶け込んだ。
「あんたも飽きないわねえ。何回目よ、これで」
呆れた、という表情の霊夢。随分前から呆れ続けているのだが。
ここ最近は幻想郷には大きな異変は無い。しばらくはのんびり暮らせるかと思えば、ヒマになった魔理沙が結構な頻
度で弾幕ごっこを挑んでくる。あまり何も無くても退屈なので、たまには魔理沙の挑戦もいいものだが。
最近はどう見ても、たまに、ではない。基本的にごろごろしていたい霊夢にとっては由々しき事態である。
「さあな。もう数えてないからわからないぜ。わからないから、まだ零勝零敗とも言えるな」
「はいはい」
肩を竦める霊夢を横目に見ながら、魔理沙はまた緑茶を一口。既に彼女の頭の中では別のことが渦巻いていた。
今回の弾幕ごっこの流れを反芻。まず自分がどうやって相手はどう返し、最終的にはどう負けたか。
それを踏まえた上で、なら次はどう攻めてどう避けるかの模索。
霊夢は強い。強いし、なんだか勝てない。
そのみょんな具合が、魔理沙の負けず嫌い精神をなんとも揺さぶるのである。
結論のみ述べるならば、霧雨魔理沙は、まだまだ懲りていないということになる。
◆1
「はてさて。うーむ。ふむう」
翌日の朝はカラッと快晴、雲一つない真っ青な空が天に広がっていた。
魔法の森の比較的開けている場所、日当たりも考慮されたその場所に霧雨邸は存在する。
しかし、今の魔理沙にとっては日光など関係の無いこと。彼女は、家にこもって頭をこねくり回している。
ベッドの上に座り込み、目の前にはスペルカードをずらりと並べ。
その中の一枚をぴらぴらさせ、頭の中には霊夢のこと。
「昨日やられたのは、私がこいつを撃って油断してたからだ。たぶん。それにしてもハタキで叩きやがって」
彼女の主砲、マスタースパークの威力は凄まじい。直撃させればひとたまりも無い。
紅魔館の門番なんかがよく体でそれを語っているし(彼女にとってはたまったもんではないだろうが)。
だが――そういった攻撃のセオリーとして、余りにもでかい隙がある。
目を焼かんばかりの眩い光は魔理沙自身の視界も狭めるし、撃ってる間は反動抑制のためにろくに動けやしない。
万一回避に成功したらそりゃあ相手は攻撃し放題って訳だ。
「だったら次はこう攻めるか……うーん」
次のカードを拾い上げ、その可能性を頭の中で回す。次を。また次を。
魔理沙の頭の中がぐるぐるしている内に、日の向きもまたぐるりと変わっていった。
気が付いた頃には、太陽は中天高く昇り切り、惜しげもなくその光を降らせている。
「……おや? 朝だった筈なのにな。おかしなもんだぜ」
ふと窓から差し込む陽光の向きが変わっていることに気付き、魔理沙は窓の外に視線を移した。
赤いカチューシャの少女と目が合った。
もはや午後になっていた。
アリス=マーガトロイドは緑茶を一口すする。まずい。
とりあえずは客だから、と魔理沙がティーバックを引っ張り出してきたから飲んでみたものの、色々と論外だ。
当然といえば当然である。緑茶を飲みたいなら博麗神社に行けばいいのだから、しょっちゅうお邪魔している魔理沙が
まともなものを持っているわけがない。
「うまいか?」
「まずいわ」
「わかってて聞いたぜ」
すまし顔でお茶を飲む魔理沙を小憎らしく思いつつ、それでもまた一口運ぶアリス。何も口に入れないよりは、マシだ。
魔法使いの家の中で飲む緑茶は、どこかシュールな感覚をアリスに喚起させた。
「そういえばお前、いつからあそこにいたんだ? 全然気付かなかったぜ」
ふと魔理沙が口を開く。
魔理沙にとって、ついさっきアリスが窓から覗いていたのは、いつの間にか日が高く昇っていたことと同じように理解の
できないことだった。すっかり注意の範疇外だったのである。
――それほど熱中していたのかな。
心中で魔理沙は苦笑する。
「……あんたがボーっとしてるからでしょ。私はたまたま通りがかっただけ。
あんたこそ何やってたのよ、難しい顔でスペルカードなんか睨んでて」
「ん、いや、ちょっと、な」
魔理沙は。
己の努力を他人に見せたがらない。負けず嫌いであるからという理由以上の理由は何も無いのだが。
ちょっとした注意力不足だった。熱中しやすいのは癖だからいい。そもそも熱中できるように人の寄り付かないような森
の中に居を構えたのだが、そういえば、寄り付く奴はアリスがいた。
「ふぅん」
それきり、興味なさげにアリスはまたお茶を飲む。
しばしの沈黙が降りた。
もう昇り切って、あとは西へ墜落してゆくだけの太陽は、斜め数十度の位置から霧雨邸の窓に光を突っ込んでいる。
位置的に直撃である魔理沙は、その日光に少々押し付けがましさを感じた。
ふと。
魔理沙が口を開けた。
「なあアリス」
「何よ」
「こう、押しても押しても効果の無いのれんを落とすにはどうしたらいいと思う?」
もちろんこれは霊夢のことだ。参考までに、例え話を使って聞いてみようと魔理沙は思い立ったのである。
まさか霊夢のことだとは思っていないのだろう、アリスは軽い調子で返答する。
「やり方を変えるか、ほどほどで諦める」
「やり方を変える、か」
「ていうか下に引っ張れば取れるでしょ」
「下に引っ張っても取れなさそうなんだよなあ」
まだ湯飲みの底に残っている茶を見つめつつ、また魔理沙は顔を難しくする。
対するアリスはわけがわからなかった。唐突に何か言い出したかと思えば、今度は俯いて顔を顰める魔理沙が、アリス
の目にはいつも異常に変な奴に映っていた。
「……どういうのれんよ。何? ひょっとしてのれんをどうにかするためにスペルカードを?」
うんと首肯する魔理沙。間違ってはいない。のれんのような奴をどうにかしたいからだ。
アリスは肩を竦めた。
「何考えてんだか知らないけど、やめなさいよ。たかがのれん如きに」
「されどのれん、だぜ」
また言葉が途切れ、お茶をすする音が双方から響く。
のどかで心地いい静寂だった。
そのまま大きな変化も無く、アリスは普通の魔法使いの家から、普通に去った。
◆2
目の前は紅い。大きな屋敷が視界一杯に広がっている。
ただでさえ紅いその館が、夕日に照らされ、朱の色も吸っていた。朱が交わってますます赤い。
そして魔理沙の目は、視界を埋める紅の端っこに、ぽつんと存在する緑色っぽいものを認めた。
「よう。来たぜ」
「……またあんたか」
門番は重く深く息を吐き出す。そのままいい具合に冷えた霊魂を吐き出しそうで、魔理沙は少し可笑しくなった。
「なあ中国っぽい門番。お前、雲を掴むにはどうすればいいと思う?」
「はぁ?」
「雲を掴むんだ。掴めないものを掴むんだ」
「そりゃ……………………。…………掴めないものは掴めないでしょうよ」
「そんなだからお前は三面なんだよっ」
魔理沙の手の中の八角形の小さな炉が、光を放ち。
ヤバ、とばかりに門番は身構えるが、それも既にもう遅く。
――ああすいません咲夜さん私は駄目な門番ですあの白黒ったらまた今日も――
間に合わないと知り、早くも門番の頭の中ではメイド長に対する言い訳が構成されつつある。
「ぁー」
閃光と共に、門番は門もろとも吹き飛んだ。
双方無意識ながら慣れたもので、実にスムーズな流れであった。
メイド達の様子を見るために時を再始動させた十六夜咲夜の耳が、爆音で痺れた。
鼓膜に乱暴を働く音に嘆息する咲夜。正体はわかっている。
「……たまには門を壊さずに来れないのかしら」
来るのは別にいいのだが、もはや通過儀礼というかお約束となっている門(と門番)破壊には、いい加減咲夜もうん
ざりしていた。しかし何度言ったところで反省の兆しは全く見えないので半ば諦めてもいた。
門番はあれで結構丈夫なので放っておいてもどうにかなるが、門はそうはいかない。修繕の手間は馬鹿にならない。
この派手さは恐らく白黒の方だろうと咲夜は読んで、紅魔館の入り口まで移動する。手にはモップ。
予想は正しかった。
「挨拶代わりだぜ」
魔理沙はふぅと息を細く吐き出し、手のミニ八卦炉から未だ立ち上る煙を吹き消している。
挨拶でいちいち門を無残なことにされちゃたまったもんじゃないと咲夜は頭が痛くなった。
門番は頭どころでなく色々痛いのだが、そんなことはどうでもいい。咲夜の頭の中で門番は、哀れ、またもお仕置き
の対象となった。
と、唐突に、魔理沙が口を開けた。
「あのさあ。コンニャクを切るにはどうしたらいいかな?」
コンニャク。
一瞬咲夜はきょとんと動きを止めた。仕事中に魔法使いにコンニャクのことをしかも真顔で相談されたのは、幻想郷
において比較的短い部類に入る咲夜の人生経験上初めてだからである。
どんな表情をしたものか逡巡する咲夜。が、まともな対応は諦めた。
一切初めてであることに対しては、完全で瀟洒なメイドと言えどほんの一瞬対応が遅れる。
「そんなのは妖夢辺りに聞けばいいじゃないの」
「それだけで冥界まで行けるか。だから、手近な刃物マニアに聞こうと思ったわけだ」
「マニアじゃない」
馬鹿馬鹿しい話だがコンニャクは確かに斬れないものの代名詞としてその名を轟かせている。何故か、はわからない。
けどなんとなく斬れそうにないなとは咲夜も思っていた。鈍くテカりを発する外見に、奇妙に重いぷるぷる感。
ほんの少し、咲夜は考える。
「……とりあえず、最初に凍らせればいいんじゃないかしら」
効率的且つ効果的な答えである。
「そうかな。凍らせられる奴はいるけど、頼りないんだよなあ」
何にせよ、魔理沙が狙うコンニャクは状態変化などものともしないだろう。
紅魔館の廊下に二人分の足音が生まれては消える。
咲夜はいつも通りに歩く。魔理沙はというと、俯き考えている。凍らせられないコンニャクはどう斬ればいいか。
足取りはいつの間にかヴワル図書館に向かっていた。
紅い絨毯ばかり見ながら歩いていたため、顔を上げた魔理沙は少々びっくりした。
「いつの間にかここまで歩いてたのか」
「妙に考えてるようね、ろくでもないことでなければいいけど。まあいいわ。どうせ目的はここなんでしょ」
言うやいなや、咲夜は一瞬で魔理沙の眼前からいなくなった。まだ掃除の続きがあったのだろう。
急にぽつんと独り取り残される魔理沙。ともあれ、目の前の大きな扉を開けるとした。
◆3
黴臭く、暗かった。何度も訪問している以上慣れっこだが、客観的に考えればやはり黴臭い。あと暗い。
明かりくらい灯したらどうなんだと時折思うが、図書館の主にとっては手元さえ見られればどうでもいいのだろう。
「あれえ」
頭上から声がした。
図書館の司書、名も知らぬ小悪魔である。その手一杯に本を抱え、ちょっとよたよたしながら宙に浮いている。
魔理沙を見下ろすその目には微妙な期待があった。
「また来たんですか? もしかして本を返しに?」
「残念だが違うぜ」
帽子とツイと上げて小悪魔と視線を合わす魔理沙。返答を聞いた小悪魔の目はがっくりとしぼんだ。
だがすぐに立ち直り、とりあえずはと手元の本を元の本棚に戻しに翼を動かす。
魔理沙はなんとなくそれについて行くことにした。手の箒にまたがり、飛びながら。ヴワル図書館の蔵書数は常識を
遥かに凌駕しているため、縦方向にも広げないとすべて収めきれない。故に、飛ばなければ届かない本棚もあるのだ。
小悪魔が飛んでいるということは、その本も恐らくもともとは上の方の棚にあったのだろう。
陰鬱とした暗闇の中を飛ぶ一人と一匹。小悪魔はランプを灯していた。
「では、今日も本を借りに? それともパチュリー様に用事とか」
「そんな感じかな。ところで、ぬかに釘を突き立てるにはどうすればいいと思う?」
不意打ち的に質問する魔理沙。とにかく今日は手当たり次第にこの手の質問をしてみようと思ったのである。
紅魔館に来たのもとりあえず誰かに聞いてみようと思ったためであり、ここヴワル図書館に来たのもなんとなく咲夜
について歩いていたら到着してしまったからだ。
「ぬかにですか? うーん」
目的の本棚に本を入れながら、考える小悪魔。腕を組みたいところだが、生憎と両手は塞がっている。
うんうん唸り続けながら本を直し続け、全部終えた辺りで自由になった両手を組み、またうんうん唸った。
魔理沙は小悪魔が考えている横で、その辺から適当に引っ張り出した本を読んで待っている。
しばらく経って、妙案を思いついたとばかりに小悪魔が言葉を発した。
「木の釘にすればいいんですよ」
「木に?」
「はい。だって、木ならぬかに根を張りますよ」
「気の長い計画だなあ」
駄目ですか? と小悪魔は目で聞いてくる。
長い時を生きる者にとっては植物が何かに根を張るくらいほんのちょっとなんだろうか、と魔理沙は少し考えた。
だが時間の感覚はこの際問題ではない、求めるのは即効性だ。小悪魔の考えも駄目じゃないけど。
例えが悪かったかなと思いつつ、小悪魔に別れを告げて飛び立つ魔理沙。この図書館にはもう一人いる。
「いいと思ったんだけどな、この案」
背後から呟きが聞こえた。
紫色はこの暗闇の中では明らかな異質だったが、それでも違和感を感じさせないのは、彼女の特徴かも知れない。
「……魔理沙か。また来たの?」
魔理沙を迎えるのは、いつも通りの湿気たジト目。パチュリー=ノーレッジ。
「いや実は、ちょっと聞きたいことがあって」
「……? 珍しいのね。改まって」
パチュリーの目の前でやおら一冊の本を取り出す魔理沙。
『ことわざ辞典』。
実はさっき小悪魔といるときこっそり抜き取っておいたのだ。
妙な顔をするパチュリーを尻目に、ページをめくること数十秒。
「……柳を風で折るにはどうすればいい?」
「馬の耳に念仏を聞かせるような難題ね」
一秒足らずで返すパチュリー。流石は知識の魔女、と魔理沙は内心で思った。
まあとりあえず聞きたいことの趣旨は理解してくれたようである。
「少し待って。馬にちゃんと話を聞かせる方法は……」
「載ってるのか?」
「当然」
当然載ってる筈が無い。パチュリーは常のように軽く咳き込み、静かに本を閉じた。派手に閉じると埃が舞うからだ。
――何を思い詰めてるのか知らないけれど。
心で少しそう思う。今日の魔理沙はどことなく覇気が無い。どこか上の空である。会話をしながら、頭の中では何か
全く別のことを考えているようで。
大方、その答えを得るために、先の質問を放ったのだろう。とパチュリーは読んだ。
「……まあ詳しいことは聞かないけど」
「? それで、どう思う?」
「受けざるを得ない状況に追い込めばいいわ。まともにぶつかるようにね。角度の工夫とか」
受けざるを得ない状況。
パチュリーが何の気なしに放った言葉は、魔理沙の中で眩い閃光となり、彼女の頭を端から端へ一瞬で駆け抜けた。
「――それだっ!!」
唐突に叫ぶ魔理沙。
その声は魔理沙自身思いもよらぬほど大きく、ヴワルの暗い静寂を弾き飛ばす。パチュリーはひっくり返った。
わんわんと声がこだまし、やがて図書館が再び静けさを取り戻す間に座り直すパチュリー。
「……何よ……いきなり」
「それだ、それなんだよ。いやあ私は今まで何悩んでたんだろうなあ。ありがとうなパチュリーっ」
先程の翳はどこへやら、ヴワルに似合わぬ明るさを取り戻し、魔理沙はこうしちゃいられないとばかりに箒に跨る。
いきなり素直に礼を言われたパチュリーは驚いた。驚いた証拠にそのジト目をちょっとばかし見開いている。
パチュリーは、己が照れを感じているのを自覚した。
「……いや……その」
「あ、この本借りてくぜ!」
最後の一言で、パチュリーの気分は割とぶち壊された。
真っ直ぐ紅魔館の入り口を飛び出る魔理沙。
崩れた門の付近では焦げた門番がまだ倒れているが、当然目もくれない。
アリスは言った。やり方を変える。
パチュリーは言った。角度の工夫。
――どうして今まで気付かなかったんだろう。
「待ってろよ、霊夢!」
白黒魔法使いはいつもの勢いをすっかり取り戻し、撃ち放たれた矢の如く幻想の空を駆けた。
◆4
その日もまた、夜は雲の無い空一杯に広がっていた。
最近は大体、この時間である。霊夢は緑茶の用意をしている。本来なら布団を敷いてもおかしくない時間なのだが。
「霊夢ーっ、来たぜー!」
「ああほらやっぱり」
誰に言うでもなく呟く霊夢。
棚から湯飲みを二つ出し、そのまま外へ出る。冷めないように湯は後から沸かす。
境内には魔理沙の姿があった。今夜もまた意気込んでいる様子で、夜空の星を背負っているのは私だと言わんばかり
に胸を張って仁王立ちしている。
「まあ、わかってたけどね……まったくあんたは毎度毎度」
「退屈しなくて済むだろ? さしずめ私は刺激をもたらす使者ってわけだ」
「刺激もしょっちゅうだと鈍るわよ」
魔理沙の用向きは、唯一つ。わざわざ何しに来たと問うほど霊夢は野暮ではない。
「何度も言ってるでしょうに。あんたのへろい直線じゃあ――」
「何言ってるんだよ、霊夢」
霊夢の言葉に被せるように、魔理沙。
「恋は盲目。全力投球の直球勝負でこそ、ナンボだぜ」
そして魔理沙は箒にまたがり、地面と決別するかの如く、力強く浮き上がり。
「そーゆーもんかしら」
対する霊夢は、それがさも当然であるかのように、ふわりと宙に浮かぶ。
示し合わせたようなタイミングで、二人は星の海へ躍り上がってゆく。
「こいつでいいか?」
中空で魔理沙は、拳大の石を取り出した。
「いいわよ」
霊夢の了承を受け、ニヤリと笑う魔理沙。いつでもご自由にってわけだ。
石から手を離す魔理沙。石は一瞬自由になり、しかし直後、静かに落下してゆく。
「しかしまあ、今日もいい夜だな。こんな夜は――」
石は地面に吸い込まれるように――
「眩しいことになりそうね」
「思いっきり輝けそうだぜ」
地面で弾ける音がした。
それを合図に魔理沙は己の魔力を箒に注ぐ。
箒は叩き込まれた分の魔力をそのまま推進力に換え、フルアクセル。目標は霊夢の右斜め上やや後方、視覚的死角だ。
ほぼ一瞬間で最高速度まで加速し切った魔理沙はこれまた一瞬のようなスピードで定めた座標まで飛び込み、同時に
箒の先端に魔力を注ぎ込む。
しかし魔理沙の視界は、その端に札一枚の襲来を捕らえた。今まさに魔力の弾を放たんとしていた先端を強引に上げ、
無理やり上昇する魔理沙。霊夢もこの程度は読んでいたのだろう。
一旦は回避に成功したが、再び放たれた札が鋭く魔理沙を追う。
「容赦が無いぜ!」
そのまま魔理沙は先端を捻り上げ続け、角度180度のターン。札を振り切り、同時にレーザーを展開する。
回避しながらとは言え、魔理沙の狙いは的確だった。二つの光条が奔り、霊夢を射抜く――ように見えたが、現実は
勿論そこまで甘くはない。霊夢は彼女独特のふわふわした動きでそれを回避し、アミュレットをばら撒く。
へん、と魔理沙は小さく笑う。
思考を即座に切り替え、独特の機動で迫るアミュレットを引き付ける。ギリギリまで来たところで魔理沙は素早く横
へスライド、これを回避した。
しかしこの回避もまた、霊夢の予想の範疇にある。
霊夢は速度を上げ魔理沙に接近する。札を何枚か放ち、魔理沙の動きを牽制。ショートレンジに入った瞬間、霊夢は
己の右腕を思い切り振り抜いた。
彼女の横で浮いていた陰陽玉がその動きに連動し、短く鋭く重いハンマーのように魔理沙に襲い掛かる。
魔理沙は、箒を立てた最低限の防御行動を取りつつ、その打撃を敢えて受けた。
みしりとした感触。打撃の衝撃に対し魔理沙の体は軽すぎた。吹き飛びつつ空中でめちゃくちゃなスピンに陥る。
視界がぐるぐる回る。全方位を同時に見るような錯覚に陥りつつ、しかしそれでも、魔理沙の目はターゲットの位置
を逃してはいない。
姿勢をろくに直しもせぬまま今度こそ魔力弾を形成し、発射。
回転の勢いをそのままに、星の光を四方八方一気に撒き散らす。そして霊夢もまた同タイミングで札の弾幕を展開し
ていた。距離にして中。集まりすぎでも広がりすぎでもない密度の弾幕が、互いに覆い被さる。
魔理沙は己の弾幕の行方を確認せぬまま急速後退した。重要なのは相手に当てたか否かではない。相手の弾幕を如何
にかわし切るかなのだ。
集中し、神経を研ぎ澄ましている魔理沙から見てその弾幕はひどく遅いものに見えた。が、ヒットすればアウト。
一瞬たりとも気を許さず、己の視覚を信じて広がるその弾幕を注視。
隙が見えた。アクセル、前方高速推進。
弾幕に生じたほんの小さな隙間に飛び込む魔理沙。展開している防護用結界とその札がわずか接触し、ちりりと緊張
感を煽る音を発す。
隙間から弾幕の向こう側へ飛び出す。安心する間もなく左右の力場に魔力を込め、レーザーのスタンバイ。
弾幕は攻撃そのものでなく、相手の動きを制限する役割もある。霊夢は今、撃墜されているのでなければ、先程己の
放った弾幕を回避したばかりの状態だろうと読む魔理沙。前方にいる筈だ。
そしてそうであるならば、このレーザーで追い討ちを――
気付いた。囲まれていることに。
魔理沙は前後左右上下すべてに配置されているもの――博麗神社のアミュレットを認める。それらはすべて、獲物を
捉えた猟犬のように見えた。
――本命か!
先程の札は目くらまし、霊夢は魔理沙が飛び込んでくるであろう位置にアミュレットを放っていたのだろう。
弾幕は相手の動きを制限する役割もある。ごもっとも、だ。
誘導性を持った全てのアミュレットが、次々と魔理沙に殺到した。回避運動をとるには余りにも遅すぎる。
そうこなくちゃな、と、魔理沙は、口の中で呟いた。手には一枚のスペルカード。
「――恋符!」
間髪いれず、高らかなる宣言。夜空に魔理沙の声が響き渡る。
「『ノンディレクショナルレーザー』ッ!」
発動。
魔理沙の周囲に生じた光が高出力のレーザーを発射し、彼女の周囲を旋回。
恋と言うには些か過激すぎる光の風車が魔理沙を守るように回転し、360度全てを容赦無く薙ぎ払う。
スペルカードに込められた莫大な魔力は、何発も放てる程度の弾をかき消すには充分すぎる威力を持つ。
パチュリーからヒントを得たこの全方位レーザーに魔理沙は自信を持っていた。
そしてその自信を裏切らず、ノンディレクショナルの光が力を持たぬ粒子になり空に散ったときには、すべての弾幕
が綺麗さっぱり消え失せていた。
しかし同時に、魔理沙の頭にある確信。弾幕は消せても、あいつは落とせない。
「境界」
どこからか声が届く。
静かで、確かで、凛とした声。
「『二重弾幕結界』」
――来た。
決して叫びなどではなく、それでいて空気そのものが言葉を発しているような声。幻想自体のものとすら錯覚してし
まうような、それは不思議で素敵な巫女の宣言。
博麗霊夢のスペルカード。その発動に、真実、魔理沙は昂ぶる。
景色が切り取られた。
霊夢が張る結界に、更に重なる結界。壱は外へ、弐は内へ、初見で完全に読み切ることなど到底叶わぬ軌跡を夥しい
数の弾が紡ぎ、ここに二重結界の弾幕が展開される。視界が埋まる気がした。
避けられるのか? 否。避けるのだ。避け切って痛い奴をブチ込んでやる。
決意の漲る華奢な腕は、箒をしっかと握り締め――
魔理沙はその場に停止する。
瀑布をそのまま表現したかのような紅白の弾が横殴りに襲来。魔理沙は動かない。一度でも直撃を受ければ、動きを
固めた隙に何十何百もの弾の嵐がたちまち相手を撃墜せしめる、そんな弾幕の中で、魔理沙の行動はただただ愚かし
いだけのものであっただろうか?
答えはNOである。
魔理沙はそのとき、普段からは想像も出来ない集中力で、限界まで神経を研ぎ澄ましていた。針に糸を通すように、
紙が紙縒りになるように。その一方で、箒と己の身の内に魔力を込めていた。最大速を、可能な限り短時間で弾き
出せるように。最大力を、いつでも撃ち出せるように。
今まさに弾が当たってしまうという直前、心と魔力がまとまった時、彼女は不敵に微笑んだ。
箒のはけが爆発したように推進力を放出し、狭まった空間を穿つ矢となって魔理沙の機動のスタートを切る。
視覚を最大限活用し、弾幕のほんの小さな隙間を見出し、次々とその合間を縫う。
前から来たら後ろに退避し隙間を見出して突撃、右や左に滑り込み合間を潜り抜け、第二の結界の内に飛び込み空間
の切れ目を利用、第一の結界で生み出される無数の弾を紙一重で回避、前が見えなくなったら聴覚でカバーし、それ
でも駄目なら勘に賭け。
ありとあらゆる機動で二重の結界から放たれる弾幕の豪雨を掻い潜り、そして遂に。
とめどなく現れ出でる無数の弾に刹那の間隔が生じた。
――ここだ!
その隙に素早くスペルカードを引っ張り出す。魔理沙の中でチャージされていた魔力はもはや爆発寸前にまでその力
のボルテージを上げていた。溜めに溜めた分を解放するときが、遂に来たのだ。
目的は単純明快――真っ向から、すべて打ち消す!
「弾幕はパワーだぜ! 魔符! 『スターダストレヴァリエ』ッ!」
大輪の星が弾け、張り巡らされた結界を過剰なまでに彩った。星が弾を打ち消し、力が力を打ち消し、体一杯に詰め
込んだ魔力に相応しき勢いで、全ての弾を叩き潰す。
星が弾もろとも光となって消えたのと同時に、霊夢の結界が一切解除される。
一瞬。
そこには何も無くなった。
まるで時に穴が開いたかのような虚空がぽっかり生ずる。
唐突に静寂が戻った博麗神社上空には影が一つ。霧雨魔理沙の姿である。
魔理沙の目に霊夢は映っていない。
どこにもいないがどこかにいる、それこそ魔理沙にとって致命的な位置に必ずいる。
「――!」
『いた』と認識した頃には、もう既に遅かった。
霊夢はその奇妙で素敵で幻想じみた機動により、いつの間にか――そう、まさしくいつの間にか、魔理沙の直上に。
「眩しいじゃないの」
零距離から、気を失いそうな勢いで魔理沙にアミュレットが叩き込まれた。
魔理沙の視界が盛大にぶれる。こいつは、痛打だ――どこか客観的にそう思う魔理沙。
事実まったくの痛打であった。このままだと地面に叩きつけられ、トドメの弾を一発放たれてゲーム・オーバー。
魔理沙の黒星が一つ増えることになる。これはまずい、魔理沙は敗北を覚悟する――
わけはなかった。
魔理沙の双眸に闘志は未だ燃えている。
直撃を受け、魔理沙は真っ直ぐ地面へ墜落。だがそれは、力が尽きたが故の墜落ではない。
敢えてだ。被弾の衝撃を利用し、通常の自由落下よりも速く地面に到達するための手段だ。
一瞬後、体に墜落の衝撃が叩き込まれる。防御結界越しでも余りにでかいそれに、魔理沙の息が一瞬止まった。
魔理沙の体は境内に叩き付けられ、半ばめり込んでいる。
――これでいい。これがいい。こいつを待っていた!
アリスは言った。やり方を変える。
パチュリーは言った。角度の工夫。
二人は恐らくちょいとした小細工程度のものを想定していたのだろう。だが魔理沙の切り札は、彼女達の想定を思い
切り裏切るような、馬鹿でかいアイデアだった。
懐から取り出すは、一枚のスペルカード――それと、マジックアイテム、ミニ八卦炉。
「――恋符――」
力が収束する。
己の体から供給される魔力をスペルカードが変換し、ミニ八卦炉が超高エネルギーとして圧縮。
――持てよ、霧雨魔理沙。正念場なんだぜ。もう少し、持ってくれ。
仰向けに倒れこんでいる今は、ただもう星空しか見えていない。上も下も後ろも右も左もなく、あるのは前だけだ。
そしてその一直線の前に博麗霊夢はいた。
霧雨魔理沙は、不敵に笑い。
発動するは己の主砲。全てを焼き払う盲目で超強力な恋の波動――魔砲。
「『マスタースパーク』ッ!!」
光の柱が博麗神社から立ち上る。
体が軋む。反動を逃がす場が無いのだ。魔理沙は己の体が圧縮されるような奇妙な感覚を覚えた。
だが、それだけでは終わらない――終わるわけがない。
ミニ八卦炉を両手で支えた。今この状態で、反動を抑える必要は無い。
尚も強大な魔砲を放出し続けているミニ八卦炉を、その両腕で精一杯に振り回し。
「――当たれぇぇぇぇぇぇぇえええええッ!!」
マスタースパークは、巨大な、余りにも巨大な光の剣となって、空を夜ごと打ち払う。
どんな相手であれ、初めて見る攻撃のやり方に対しては一瞬のみ反応が遅れるものだ。
一瞬の隙と、固定砲台と化した位置的な要因。
魔理沙は豪快の豪快とも言える方法で、強引に霊夢を『当たらざるを得ない状況』に叩き込んだのである。
やがて。
魔理沙の魔力が尽き、魔砲の光は雲散し、夜は再び夜に戻る。
もはや魔力も体力もごっそり使い果たした魔理沙は、呆然と夜空を眺めていた。
博麗霊夢は浮いていた。
夜の空に、空の間に――幻想郷に。
「神霊
『夢想封印』」
決死結界の煌きを、魔理沙は見た。
「――『瞬』」
霊夢から放たれた色とりどりの光は、大きな星の輝きにも見え。
ちぇ。
魔理沙は小さく、苦笑い。
◆5
満天の星。
魔理沙はまた境内に寝そべっている。実はさっきの体勢から微動だにしていないのだが。
呆けていた。
何故かはわからない。魔力が底をついたからか。体力がすっからかんになったからか。それともあれで勝てない霊夢
の意味不明さに対してか。いっそ、その全てなのだろう。
「だから上がっときなさいって。神社で風邪ひく魔法使いなんて聞いたことないんだから」
「……んー。もーちょっとこうしてるぜ」
霊夢はいつもの調子で、ふ、と一息つき、引っ込んでいった。お茶の用意をしてくれるのだろう。
「……あー。ん。うぁー。ぅー」
その間、魔理沙は空に手を向けて握ったり開いたりしていた。敗北ではある。けれど、いつもとは感覚が違った。
「…………へへっ」
感覚の正体に気付く魔理沙。知らず、笑みがこぼれた。
「むう」
こぽこぽと湯気を吐き出すヤカンを眺めながら、霊夢はどうにも難しい顔をしていた。
「……困ったわね」
湯が沸いたのできゅうすに入れ、独りごちる霊夢。
紅白の巫女服。
今その服は、右袖の部分がぼろりと焦げ落ちていた。
「これじゃ霖之助さんでも直せないじゃない」
一歩遅ければ。
決死結界の展開がほんの一歩だけ遅ければ、地に倒れていたのは自分で、魔理沙は勝利していたのかも知れない。
それを思って霊夢はまた深めの息をつく。
「ほんと、飽きないんだから」
不快ではなかった。どちらかと言えば快い。
正直、確実に追い付いてくる魔理沙を見るのがちょっぴり楽しみでもあった。
まるで生命の力をそのままに地面に根を張る木のようだ。その根が勝利に到達するのも或いはそう遠くないのだろう。
挑戦を繰り返す魔理沙も、徐々に詰められてゆく差も、ちょっとだけ敗北に近づいた自分も。
あるがままを受け入れ、博麗霊夢は二人分のお茶を淹れる。
――惜しかったなあ。
その感覚だった。惜敗という奴だろうか。
爽快な笑いがとめどなく溢れてきた。やってやったぞ、もうちょっとだったじゃないか、と。
「あそこでもうちょっとああしてれば。そうだった。へへ」
大の字になって全身で星空を仰ぐ。
魔理沙は幾戦も霊夢に挑み、幾敗も喫して、未だ白星に手は届いていない。
しかし。
「……うん、惜しかった、惜しかったよ! もうちょっとだったなあ、ははっ!」
ただ嬉しかった。そして底抜けに楽しかった。
だから、馬鹿みたいに笑えてきて、魔理沙はそれがとても心地よかった。魔理沙の笑いは、夜の空に溶けてゆく。
幾度も負け、その度に可能性を模索し。
幾戦幾敗、されども、不屈。
それでこそ魔理沙ですよね。
『ふははは かわせば神社が木端微塵だー!』
何処の悪役だそれは。すみません。面白かったっす。
冒頭バトルと2度目バトルの序盤はほぼ重複内容になっています。
途中結果がどうなるかなどわかりきってますし、描写はほとんどいらないはずです。
それと、魔理沙や他キャラの描写を入れすぎです。特に日常シーン。
魔理沙が心の中で思っているところは地の文の一言だけで言い表せられるはずです。
メイン以外で必要ではないところは遠慮なくカットしましょう。
余計なことを入れていくと、密度が薄くなるわけですから、
それだけ面白くなくなっていくだけです。
バトルそのものはなかなかよかったです。
特に魔理沙がマスタースパークを放ったときに感じている臨場感はよく言い表せていると思います。
欲を言うなれば、バトル中での客観的説明の割合をもう少し減らすこと。ご都合主義で締めくくらないこと。
これだけでスピード感と読後感を殺さずに済むと思います。
今後もがんばってください。
善きかな普通の魔法使い。GJ!
むしろ大歓迎です。ご指摘に感謝。
参考にさせて頂きます。
>「そんなだからお前は三面なんだよっ」
魔理沙ひどいぜwww