私、いわゆる大妖精と呼ばれている私が、今日もチルノちゃんの凍らせたカエルを触らせてもらっているところに、疾風のごとく黒い方がやってきました。
いくら氷ごしとは言ってもカエルへ触るのに抵抗があった私は、霧雨魔理沙がやってきてくれてチルノちゃんの興味がそちらへ傾いたことにホッとしました。
ところが魔理沙は近づくなり、なんとも強引にチルノちゃんの腕をつかんでぐいと引き寄せていったのです。
「ああっ」
それは私の喉からしぼり出された叫び声でした。
魔理沙とチルノが驚いて振り向いてきました。
「だっ、ダメよチルノちゃん! このケダモノ人間め、チルノちゃんを離しなさい!」
「なんだよ。連れていくくらい構わないだろう」
その言葉を聞いた私は、氷の中でかたまるカエルと目が合ったとき以上の戦慄を覚えたものです。
「連れていこうとしているんですね! なんてひと、チルノちゃん離れて!」
私はすばやくチルノちゃんの身体を捕まえ、魔理沙から引き剥がしました。そのときのチルノちゃんはふくれっ面で、とてもかわいかったです。
「大ちゃんいたいよっ」
痛い! それは分かりますチルノちゃん。だって私の腕は魔理沙からせまりくる手を払いのけたい一心にこれほど力んでしまっているから! ですが許してください。これもチルノちゃんを守るためなんです。
「そんなにカッカするもんじゃないぜ。チルノにちょっと手伝ってもらいたいことがあるだけなんだ」
魔理沙の戯言に対して、私は睨んで返します。人間の言葉は信用なりません。
「へえ、あたいに手伝ってほしいことってなに」
「だめよチルノちゃん。話を聞いちゃだめ」
「大ちゃんは黙ってて」
チルノちゃんのつっけんどんな態度に私はガツンとぶたれました。チルノちゃんの手を離した、というより力が抜けてしまい自然と離れました。
私のふかい心配などよそにチルノちゃんは魔理沙と会話を続けるのです。
「それで、あたいが手伝ってやらなきゃいけないことってのは何っ」
「詳しい話は香霖堂で話そうじゃないか。今はとりあえず一緒に来てくれ」
香霖堂ですって!
なんとイヤな想像をかきたてる名前を出してくれたんでしょうか、この魔法使いは。
香霖堂で人目をはばかる悪趣味な儀式をとりおこなって、それの生贄にチルノちゃんが差し出されるのだとしか私には思えません。あのメガネ店主にチルノちゃんが無慈悲にも貪れるのだと、考えただけでも鳥肌がたちます。
「ダメよ! だめだめ、いっちゃいけないわ!」
私は再びチルノちゃんをこちらへ連れ戻そうと腕をのばしました。でもちょっと遅かった。魔理沙は舞踏のように流れる手つきでチルノちゃんを自分側へ抱きこんでしまい、私へ嘲笑を浴びせかけたのです。なんたる失態。
「さ、さすがに寄り添うと冷たいな。まあいいや。いくぜチルノ」
「待ってなさいメガネ野郎!」
魔理沙はチルノを抱きかかえたまま、鳥にも劣らぬ速さでいっきに消えてしまいました。
私は呆然と見送りましたが、こうしている場合ではないとすぐに気づいて後を追いかけました。
しかし私がいくら頑張ったところで、彼女たちのお尻も見えません。はやく追いつきチルノちゃんを奪還しないと、チルノちゃんの純情が危険だというのに。
湖上を直進していき、岸を超えてなおそれずに進みつづける。そうすると前方に霞がかった怪しげな森林が広がっているのが見えてきます。あれこそが魔理沙の住んでいるらしい魔法の森という場所です。
あの薄気味悪い場所には彼女のほか、陰気な人形遣いも引き篭っているようですが、詳しくは知りません。たしか顔を見た覚えがあるのですが。
香霖堂は魔法の森の入り口部分に建っている、それは小汚い店です。しかし面白い商品がばらまかれて、いえ、たくさん陳列しているので暇つぶしの分にここほど有意義な場所はないかもしれません。
有意義? そんな生やさしいことを言っている場合ですか。
チルノちゃんがそのほこりまみれな場所に連れこまれた事実を想像するだけで私は、揺れ幅の激しい目眩にさいなまれてしまうのです。
「チルノちゃんっ!」
私は香霖堂へ到着するなり胸の奥から大声を上げて、店いっぱいに漏れなく響き渡らせんとしました。その後ほこりを吸いこんでしまい二、三度くしゃみをしてしまいます。
私の声を聞きつけて店の奥から、例のメガネ店主、森近霖之助が現れました。彼は私を見るなり何を思ったか、ふうむとわざとらしく呟いてくれたあと冴えない調子で店内へ招き入れてくれました。
私はすぐさま霖之助に飛びよってチルノちゃんの生存確認をしました。
「あなたっ、チルノちゃんに変なことしてないですよね!」
「うん……勘違いしているようだけど、変なことをしているのは魔理沙だよ」
まだ霖之助が喋っているとちゅうでしたが、私は彼を飛び越えて店の奥につっこんでいきました。
物が散在しているこの部屋をつっきった先に居間があり、私はそこへ狙いを絞ると、あとは弾丸のごとくです。
その部屋で待ち受けていたものは奇妙な光景でした。
期待に満ちた笑顔をうかべる魔理沙がいて、その視線のさきではチルノちゃんが複雑な顔で、透明なグラスらしき容器を握りぱなしでいるのです。
その中は桃色にうすく染められた液体が満たしていたので、私はそれをふしだらな行為と直感したのです。あれは何かいかがわしい薬にちがいないと。
「なんてことを」
私は魔理沙の頭を、背後からおもいきりひっぱたきました。魔理沙は驚愕の声を漏らして振り返ろうとしてきたので、さらに頭を陥没させるつもりで叩いてやります。
「いてえッ、やめろよッ」
「誰がやめるものですか。チルノちゃんを汚そうとする悪鬼に手加減などするものですか」
「うるさいなあ。もうすぐアレが凍ったらおいしいものが出来るんだぜ」
魔理沙の言うアレとは、もちろんチルノちゃんの手に包まれた容器のことです。表面はとっくに冷えて白みをおびてきています。あれを凍らせて一体なにができるというのか、私には想像も及びません。
しかしなんということでしょう! あのチルノちゃんのつまらなそうな表情。
そりゃあ容器を持たされ続けているだけじゃあ誰だってあんな表情になります。チルノちゃんにこんな拷問をほどこすなんて、この黒い悪魔はまったく真性の悪魔です。
「チルノちゃん、辛いんじゃないの? そんなもの捨てて一緒に湖へ帰りましょう」
「だって、魔理沙がおいしいものが作れるからジッとしてろって」
チルノちゃんはそういうと、ほっぺたをふくらませて容器を見つめるのです。いじらしい、つつきたい衝動をつんつん刺激してくる姿ですが、今の私はそうもしてられません。
私は魔理沙を問いただしました。
「あの桃色の水はいったいなんなんですか。あれは、もしや、まさか、危険な薬品ではないのでしょうか。いかにもあなたの得意分野そうな!」
「そんなんじゃないぜ。これを凍らせて食べるんだ。容器も、凍った中身を取り出しやすいやつも使ってるんだぜ。そうだろ霖之助」
魔理沙が店のほうへ向かって投げかけると、霖之助の覇気がない声が肯定のうまみを返してきた。
「そうだな。チューペットというお菓子の容器をつかっている」
「ちゅーぺっと? ねずみみたいな名前ですね。ほんとうにお菓子なんですか」
「ああ、お菓子だとも。食べたことはないけどね。容器だけがいつの間にか店にあったんだ。もちろんちゃんと洗っておいたものだ」
聞けば聞くほどウサン臭さに拍車がかかってくるではありませんか。
未知の物体をチルノちゃんに持たせて冷却させるなんて、これだから人間と半人半獣は信用なりません。
「ねえ、そろそろいいんじゃないのかなあ」
事の重大さにまるで無頓着なようすのチルノちゃんは、表面の低温が周囲の水分をかたまらせ付着させた、白いチューペットの容器を、きわめて純粋無垢なまなじりで見つめているのです。
気温との温度差によって生じる水蒸気、ほんのわずかな霧がチルノちゃんの手にかかっています。もはやあの容器はじゅうぶん冷却しきっているようでした。さすがはチルノちゃんと言えましょう。
チルノちゃんに向き返った魔理沙は、さも満足げに首を上下させます。
「ちゃんとシャーベット状にしたてあげたか」
「うーん。たぶんこのくらいでいいはずだけど」
「だいたいシャリシャリしたところで留めてるか」
「ふんっ、あたいをナメないでよ。しっかりシャリシャリなんだから。シャリシャリくらい朝飯前よ!」
チルノちゃんは誇らしげに腕組みをして、その姿勢だとチューペットが二の腕に触れてしまいますが冷たくないのでしょうか。きっと冷たくないのでしょうね。
それにしても、チューペットが二の腕をわずかに押しこんで、そこに現れたちいさな砂丘のなんとやわらかそうな。私の指もああやって包みこんでくれるのでしょうか。ああやってマシュマロのような感触に!
どうしてチルノちゃんはチューペットを握っているのですか。私の手ではなくあんな中古の容器を握りしめて、健気に魔理沙の言うことにしたがって凍らせている。
私はそう考えると、いてもたってもいられなくなり、今すぐにでもチルノちゃんの白くて華奢な腕をつかまえ満遍なく味わいたくなったのです。
けれど現実は残忍な方向へかたむこうとしています。
魔理沙が何気なしに一歩ふみでたかと思えば、あろうことかチルノちゃんの腕をとって見つめ合ったのです。
私には二人の視線が絡み合った様子がハッキリと見えました。
私はたまらなくなると魔理沙の背中を目標にして、一気に両腕をのばすと、その身体をチルノちゃんにぶつからぬ側へ突き飛ばしてやりました。魔理沙は顎から落下していくなり畳の上を滑って目前にそびえる柱へ痛々しい挨拶を交わしました。その愉快な姿と言ったら。さらに「オボッ」などとマヌケな声を発するなり練り物のようにぐにゃりと身体が崩れ落ちました。尻を突き出したかっこうは無様ではありませんか。
「チルノちゃん!」
私が悪鬼から救い出したチルノちゃんは呆然と口を開けて私を見つめ返してきます。
無理もありません。今のはさすがにやりすぎました。しかし悪い魔女にはこれくらいの仕打ちが妥当なのです。
私がチルノちゃんと手を取り合おうとした矢先、こしゃくにも魔理沙は文句をたれながら起き上がってきました。
「いきなり何するんだよ!」
「おだまりなさいッ! あなたのような輩にチルノちゃんと一秒たりともロマンスさせるものですか」
「ロマンスよりも、私はとっとと涼みたいんだ。チューペットをよこせよ」
「いけません。せっかくチルノちゃんの手作りのチューペットを、みすみすあなたに渡すものですか」
私はそう言い切った瞬間にチルノちゃんからチューペットを取り上げ、魔理沙が見ている目の前で容器の先端を頬張ってやりました。
そこで魔理沙が見せた驚愕と失念にまみれた表情を見てみなさい。私はたった今彼女より高い位置に立っているのです。
切り取られている先端から凍った桃色の中身をすいあげると、口の中をわずかな甘みが伝わってきます。それは唇一帯をとりまく冷気と相まり、高い気温に茹だった私のからだを癒してくるではありませんか。
何よりもチルノちゃんと間接的に手をつないでしまっているこの状態が、至福以外のなんでもございません。もしここにチルノちゃんの手垢の一片でも見つけたならば、私はうれしくって発狂してしまうかもしれません。
「バカッ、チルノは凍らせただけだ。中身を調合したのは私だぜ。砂糖高かったんだからな!」
そんな私情をのまたいながら魔理沙は私へ近づいてきました。
そのぐっと突出された手の平は間違いなく私の持つチューペットを狙っている手つきです。
そうはさせるものかと私はチューペットを高々と上げて魔理沙の腕から逃れようとします。けれど魔理沙の身長は私のそれよりも伸びているため、もう一歩踏みこまれたらあっさり奪われてしまいそうでした。
危惧した私は天井まで浮かびあがって彼女を見下ろしてやりました。ご覧なさい彼女の歯をくいしばった悔しそうな表情を。弾幕ごっこでは彼女になかなか敵いませんが、チューペット争奪では私が有利なようです。
そりゃあもちろん、チルノちゃんの真心こもった結晶をいただくのは、私以外にはありえませんから。
「もういいよ!」
そのとき部屋いっぱいを震わせる大きな声をだしたのは、チルノちゃんでした。
見ると、チルノちゃんはじっとりした目つきで唇を結び、スカートの裾をぎゅっと握りしめています。どう考えても機嫌が悪そうでした。
「みんなずっとチューペットをすすってればいいのよ」
渾身といった叫びを放ったチルノちゃんは、そのまま居間から飛び出てしまいました。
私はよく分かりませんでしたが、チルノちゃんに嫌わてしまったことだけは明白に理解して愕然となりました。
向こうで硝子物の割れた音を聞いたところで、私はぞっとした面持ちのままチルノちゃんの後を追いました。音はさいわい、チルノちゃんが霖之助にぶつかり彼が運んでいた最中の割れ物が落ちたのが原因でした。
そしてチルノちゃんの姿はとうに店外へと消えていたのです。
こうなるとチューペットどころではありません。
私は一目散にチルノちゃんを追いかけ店を出て、周囲を見回しました。
チルノちゃんのスカート! あそこでひるがえりながら陽光と戯れている水色のスカートは、疑いなくチルノちゃんのものではありませんか。
私はあれへ向かって速力いっぱい空気を切って大疾風の構えでございます。そしてチルノちゃんをめいっぱい抱きしめてあげるのです。
「チルノちゃん!」
今日何度目か分からぬ言葉でした。しかし何度だって言える言葉でもあります。
飛んでいたチルノちゃんはその場でとまり私のほうへ振り向いてくれました。私はここぞとばかり腕を広げて突撃いたします。
チルノちゃんは一瞬ひきつった顔をあらわしましたが、そんなものは関係ありません。その後すぐに二人は接触。つまり、私の両腕にはチルノちゃんの冷たい、けれどあたたかいからだが収まったわけです。
「だ、大ちゃんっ」
「んふふー、チルノちゃんすりすりしよー」
チルノちゃんのひんやりしたほっぺに私のほっぺをこすり合わせて、二人いっしょにもちもちします。この心地良さはチルノちゃんの肌でしか発揮されません。私はなんと幸せな妖精でしょうか。
「離してよ、大ちゃんはチューペットとキスしてればいいの!」
なるほど。チルノちゃんはチューペットにお熱になっている私や魔理沙たちに失望して逃げ出したようですね。せっかく手伝ってほしいと呼ばれて行ってみればものを凍らせるだけだったんですもの。心底期待を裏切られたことでしょう。
「違うのよチルノちゃん。私はチューペットと口づけして惚けるような性の偏った妖精じゃない。私はチルノちゃんのつくってくれたチューペットだから熱烈に欲しがったんですよ」
「でもアレをつくったのは魔理沙でしょっ」
「凍らせたのはチルノちゃんでしょ! チルノちゃんが仕上げを担当したんでしょ! あれはチルノちゃんの結晶に違いないわ!」
私は握っていたチューペットをチルノちゃんの前に差し出します。あんなに冷えてかたまっていた中身は溶けて、氷がぽつぽつ水に浮かんでいる飲みやすい状態でした。
「いっしょに飲みましょう」
「え、でも」
「デモもプロモもありません。さあっ」
おずおずとチューペットをつかんだチルノちゃんは、切り口を咥えると吸いはじめました。
ああああ。
チルノちゃんとの間接キスが実現したばかりでなく、ひょっとこ顔が見れるなんて、卒倒して酔ったトンボの如く地面に墜落してしまいそうです。
「……甘い」
そう言うと、チルノちゃんは少し笑顔を取り戻してくれました。
それを認めたとき私は、心臓にピルムの投擲を直撃させられた感にうちのめされました。
重なる感激に抑制がきかなくなってきた私は、とうとう、チルノちゃんを抱きしめる力を一層強めながら焦る彼女の唇をうばったのです。
小ぶりな唇はとてもなめらか、やわらかく、私の中枢を金槌で殴りつけんばかりの極上感でした。
そこで後ろから魔理沙の声が聞こえました。
「うへえ」
顔を離して後ろを見てみると魔理沙が気まずそうな顔で浮かんでいました。
「うわっ、み、見られてたじゃんっ、大ちゃんのバカ!」
「ならもっと見せつけてあげましょう」
私はすかさず、再びチルノちゃんの口をふさぎました。
間もなくチルノちゃんの鉄拳が飛んできましたが、その尋常じゃない痛みだけはよく記憶しています。
いくら氷ごしとは言ってもカエルへ触るのに抵抗があった私は、霧雨魔理沙がやってきてくれてチルノちゃんの興味がそちらへ傾いたことにホッとしました。
ところが魔理沙は近づくなり、なんとも強引にチルノちゃんの腕をつかんでぐいと引き寄せていったのです。
「ああっ」
それは私の喉からしぼり出された叫び声でした。
魔理沙とチルノが驚いて振り向いてきました。
「だっ、ダメよチルノちゃん! このケダモノ人間め、チルノちゃんを離しなさい!」
「なんだよ。連れていくくらい構わないだろう」
その言葉を聞いた私は、氷の中でかたまるカエルと目が合ったとき以上の戦慄を覚えたものです。
「連れていこうとしているんですね! なんてひと、チルノちゃん離れて!」
私はすばやくチルノちゃんの身体を捕まえ、魔理沙から引き剥がしました。そのときのチルノちゃんはふくれっ面で、とてもかわいかったです。
「大ちゃんいたいよっ」
痛い! それは分かりますチルノちゃん。だって私の腕は魔理沙からせまりくる手を払いのけたい一心にこれほど力んでしまっているから! ですが許してください。これもチルノちゃんを守るためなんです。
「そんなにカッカするもんじゃないぜ。チルノにちょっと手伝ってもらいたいことがあるだけなんだ」
魔理沙の戯言に対して、私は睨んで返します。人間の言葉は信用なりません。
「へえ、あたいに手伝ってほしいことってなに」
「だめよチルノちゃん。話を聞いちゃだめ」
「大ちゃんは黙ってて」
チルノちゃんのつっけんどんな態度に私はガツンとぶたれました。チルノちゃんの手を離した、というより力が抜けてしまい自然と離れました。
私のふかい心配などよそにチルノちゃんは魔理沙と会話を続けるのです。
「それで、あたいが手伝ってやらなきゃいけないことってのは何っ」
「詳しい話は香霖堂で話そうじゃないか。今はとりあえず一緒に来てくれ」
香霖堂ですって!
なんとイヤな想像をかきたてる名前を出してくれたんでしょうか、この魔法使いは。
香霖堂で人目をはばかる悪趣味な儀式をとりおこなって、それの生贄にチルノちゃんが差し出されるのだとしか私には思えません。あのメガネ店主にチルノちゃんが無慈悲にも貪れるのだと、考えただけでも鳥肌がたちます。
「ダメよ! だめだめ、いっちゃいけないわ!」
私は再びチルノちゃんをこちらへ連れ戻そうと腕をのばしました。でもちょっと遅かった。魔理沙は舞踏のように流れる手つきでチルノちゃんを自分側へ抱きこんでしまい、私へ嘲笑を浴びせかけたのです。なんたる失態。
「さ、さすがに寄り添うと冷たいな。まあいいや。いくぜチルノ」
「待ってなさいメガネ野郎!」
魔理沙はチルノを抱きかかえたまま、鳥にも劣らぬ速さでいっきに消えてしまいました。
私は呆然と見送りましたが、こうしている場合ではないとすぐに気づいて後を追いかけました。
しかし私がいくら頑張ったところで、彼女たちのお尻も見えません。はやく追いつきチルノちゃんを奪還しないと、チルノちゃんの純情が危険だというのに。
湖上を直進していき、岸を超えてなおそれずに進みつづける。そうすると前方に霞がかった怪しげな森林が広がっているのが見えてきます。あれこそが魔理沙の住んでいるらしい魔法の森という場所です。
あの薄気味悪い場所には彼女のほか、陰気な人形遣いも引き篭っているようですが、詳しくは知りません。たしか顔を見た覚えがあるのですが。
香霖堂は魔法の森の入り口部分に建っている、それは小汚い店です。しかし面白い商品がばらまかれて、いえ、たくさん陳列しているので暇つぶしの分にここほど有意義な場所はないかもしれません。
有意義? そんな生やさしいことを言っている場合ですか。
チルノちゃんがそのほこりまみれな場所に連れこまれた事実を想像するだけで私は、揺れ幅の激しい目眩にさいなまれてしまうのです。
「チルノちゃんっ!」
私は香霖堂へ到着するなり胸の奥から大声を上げて、店いっぱいに漏れなく響き渡らせんとしました。その後ほこりを吸いこんでしまい二、三度くしゃみをしてしまいます。
私の声を聞きつけて店の奥から、例のメガネ店主、森近霖之助が現れました。彼は私を見るなり何を思ったか、ふうむとわざとらしく呟いてくれたあと冴えない調子で店内へ招き入れてくれました。
私はすぐさま霖之助に飛びよってチルノちゃんの生存確認をしました。
「あなたっ、チルノちゃんに変なことしてないですよね!」
「うん……勘違いしているようだけど、変なことをしているのは魔理沙だよ」
まだ霖之助が喋っているとちゅうでしたが、私は彼を飛び越えて店の奥につっこんでいきました。
物が散在しているこの部屋をつっきった先に居間があり、私はそこへ狙いを絞ると、あとは弾丸のごとくです。
その部屋で待ち受けていたものは奇妙な光景でした。
期待に満ちた笑顔をうかべる魔理沙がいて、その視線のさきではチルノちゃんが複雑な顔で、透明なグラスらしき容器を握りぱなしでいるのです。
その中は桃色にうすく染められた液体が満たしていたので、私はそれをふしだらな行為と直感したのです。あれは何かいかがわしい薬にちがいないと。
「なんてことを」
私は魔理沙の頭を、背後からおもいきりひっぱたきました。魔理沙は驚愕の声を漏らして振り返ろうとしてきたので、さらに頭を陥没させるつもりで叩いてやります。
「いてえッ、やめろよッ」
「誰がやめるものですか。チルノちゃんを汚そうとする悪鬼に手加減などするものですか」
「うるさいなあ。もうすぐアレが凍ったらおいしいものが出来るんだぜ」
魔理沙の言うアレとは、もちろんチルノちゃんの手に包まれた容器のことです。表面はとっくに冷えて白みをおびてきています。あれを凍らせて一体なにができるというのか、私には想像も及びません。
しかしなんということでしょう! あのチルノちゃんのつまらなそうな表情。
そりゃあ容器を持たされ続けているだけじゃあ誰だってあんな表情になります。チルノちゃんにこんな拷問をほどこすなんて、この黒い悪魔はまったく真性の悪魔です。
「チルノちゃん、辛いんじゃないの? そんなもの捨てて一緒に湖へ帰りましょう」
「だって、魔理沙がおいしいものが作れるからジッとしてろって」
チルノちゃんはそういうと、ほっぺたをふくらませて容器を見つめるのです。いじらしい、つつきたい衝動をつんつん刺激してくる姿ですが、今の私はそうもしてられません。
私は魔理沙を問いただしました。
「あの桃色の水はいったいなんなんですか。あれは、もしや、まさか、危険な薬品ではないのでしょうか。いかにもあなたの得意分野そうな!」
「そんなんじゃないぜ。これを凍らせて食べるんだ。容器も、凍った中身を取り出しやすいやつも使ってるんだぜ。そうだろ霖之助」
魔理沙が店のほうへ向かって投げかけると、霖之助の覇気がない声が肯定のうまみを返してきた。
「そうだな。チューペットというお菓子の容器をつかっている」
「ちゅーぺっと? ねずみみたいな名前ですね。ほんとうにお菓子なんですか」
「ああ、お菓子だとも。食べたことはないけどね。容器だけがいつの間にか店にあったんだ。もちろんちゃんと洗っておいたものだ」
聞けば聞くほどウサン臭さに拍車がかかってくるではありませんか。
未知の物体をチルノちゃんに持たせて冷却させるなんて、これだから人間と半人半獣は信用なりません。
「ねえ、そろそろいいんじゃないのかなあ」
事の重大さにまるで無頓着なようすのチルノちゃんは、表面の低温が周囲の水分をかたまらせ付着させた、白いチューペットの容器を、きわめて純粋無垢なまなじりで見つめているのです。
気温との温度差によって生じる水蒸気、ほんのわずかな霧がチルノちゃんの手にかかっています。もはやあの容器はじゅうぶん冷却しきっているようでした。さすがはチルノちゃんと言えましょう。
チルノちゃんに向き返った魔理沙は、さも満足げに首を上下させます。
「ちゃんとシャーベット状にしたてあげたか」
「うーん。たぶんこのくらいでいいはずだけど」
「だいたいシャリシャリしたところで留めてるか」
「ふんっ、あたいをナメないでよ。しっかりシャリシャリなんだから。シャリシャリくらい朝飯前よ!」
チルノちゃんは誇らしげに腕組みをして、その姿勢だとチューペットが二の腕に触れてしまいますが冷たくないのでしょうか。きっと冷たくないのでしょうね。
それにしても、チューペットが二の腕をわずかに押しこんで、そこに現れたちいさな砂丘のなんとやわらかそうな。私の指もああやって包みこんでくれるのでしょうか。ああやってマシュマロのような感触に!
どうしてチルノちゃんはチューペットを握っているのですか。私の手ではなくあんな中古の容器を握りしめて、健気に魔理沙の言うことにしたがって凍らせている。
私はそう考えると、いてもたってもいられなくなり、今すぐにでもチルノちゃんの白くて華奢な腕をつかまえ満遍なく味わいたくなったのです。
けれど現実は残忍な方向へかたむこうとしています。
魔理沙が何気なしに一歩ふみでたかと思えば、あろうことかチルノちゃんの腕をとって見つめ合ったのです。
私には二人の視線が絡み合った様子がハッキリと見えました。
私はたまらなくなると魔理沙の背中を目標にして、一気に両腕をのばすと、その身体をチルノちゃんにぶつからぬ側へ突き飛ばしてやりました。魔理沙は顎から落下していくなり畳の上を滑って目前にそびえる柱へ痛々しい挨拶を交わしました。その愉快な姿と言ったら。さらに「オボッ」などとマヌケな声を発するなり練り物のようにぐにゃりと身体が崩れ落ちました。尻を突き出したかっこうは無様ではありませんか。
「チルノちゃん!」
私が悪鬼から救い出したチルノちゃんは呆然と口を開けて私を見つめ返してきます。
無理もありません。今のはさすがにやりすぎました。しかし悪い魔女にはこれくらいの仕打ちが妥当なのです。
私がチルノちゃんと手を取り合おうとした矢先、こしゃくにも魔理沙は文句をたれながら起き上がってきました。
「いきなり何するんだよ!」
「おだまりなさいッ! あなたのような輩にチルノちゃんと一秒たりともロマンスさせるものですか」
「ロマンスよりも、私はとっとと涼みたいんだ。チューペットをよこせよ」
「いけません。せっかくチルノちゃんの手作りのチューペットを、みすみすあなたに渡すものですか」
私はそう言い切った瞬間にチルノちゃんからチューペットを取り上げ、魔理沙が見ている目の前で容器の先端を頬張ってやりました。
そこで魔理沙が見せた驚愕と失念にまみれた表情を見てみなさい。私はたった今彼女より高い位置に立っているのです。
切り取られている先端から凍った桃色の中身をすいあげると、口の中をわずかな甘みが伝わってきます。それは唇一帯をとりまく冷気と相まり、高い気温に茹だった私のからだを癒してくるではありませんか。
何よりもチルノちゃんと間接的に手をつないでしまっているこの状態が、至福以外のなんでもございません。もしここにチルノちゃんの手垢の一片でも見つけたならば、私はうれしくって発狂してしまうかもしれません。
「バカッ、チルノは凍らせただけだ。中身を調合したのは私だぜ。砂糖高かったんだからな!」
そんな私情をのまたいながら魔理沙は私へ近づいてきました。
そのぐっと突出された手の平は間違いなく私の持つチューペットを狙っている手つきです。
そうはさせるものかと私はチューペットを高々と上げて魔理沙の腕から逃れようとします。けれど魔理沙の身長は私のそれよりも伸びているため、もう一歩踏みこまれたらあっさり奪われてしまいそうでした。
危惧した私は天井まで浮かびあがって彼女を見下ろしてやりました。ご覧なさい彼女の歯をくいしばった悔しそうな表情を。弾幕ごっこでは彼女になかなか敵いませんが、チューペット争奪では私が有利なようです。
そりゃあもちろん、チルノちゃんの真心こもった結晶をいただくのは、私以外にはありえませんから。
「もういいよ!」
そのとき部屋いっぱいを震わせる大きな声をだしたのは、チルノちゃんでした。
見ると、チルノちゃんはじっとりした目つきで唇を結び、スカートの裾をぎゅっと握りしめています。どう考えても機嫌が悪そうでした。
「みんなずっとチューペットをすすってればいいのよ」
渾身といった叫びを放ったチルノちゃんは、そのまま居間から飛び出てしまいました。
私はよく分かりませんでしたが、チルノちゃんに嫌わてしまったことだけは明白に理解して愕然となりました。
向こうで硝子物の割れた音を聞いたところで、私はぞっとした面持ちのままチルノちゃんの後を追いました。音はさいわい、チルノちゃんが霖之助にぶつかり彼が運んでいた最中の割れ物が落ちたのが原因でした。
そしてチルノちゃんの姿はとうに店外へと消えていたのです。
こうなるとチューペットどころではありません。
私は一目散にチルノちゃんを追いかけ店を出て、周囲を見回しました。
チルノちゃんのスカート! あそこでひるがえりながら陽光と戯れている水色のスカートは、疑いなくチルノちゃんのものではありませんか。
私はあれへ向かって速力いっぱい空気を切って大疾風の構えでございます。そしてチルノちゃんをめいっぱい抱きしめてあげるのです。
「チルノちゃん!」
今日何度目か分からぬ言葉でした。しかし何度だって言える言葉でもあります。
飛んでいたチルノちゃんはその場でとまり私のほうへ振り向いてくれました。私はここぞとばかり腕を広げて突撃いたします。
チルノちゃんは一瞬ひきつった顔をあらわしましたが、そんなものは関係ありません。その後すぐに二人は接触。つまり、私の両腕にはチルノちゃんの冷たい、けれどあたたかいからだが収まったわけです。
「だ、大ちゃんっ」
「んふふー、チルノちゃんすりすりしよー」
チルノちゃんのひんやりしたほっぺに私のほっぺをこすり合わせて、二人いっしょにもちもちします。この心地良さはチルノちゃんの肌でしか発揮されません。私はなんと幸せな妖精でしょうか。
「離してよ、大ちゃんはチューペットとキスしてればいいの!」
なるほど。チルノちゃんはチューペットにお熱になっている私や魔理沙たちに失望して逃げ出したようですね。せっかく手伝ってほしいと呼ばれて行ってみればものを凍らせるだけだったんですもの。心底期待を裏切られたことでしょう。
「違うのよチルノちゃん。私はチューペットと口づけして惚けるような性の偏った妖精じゃない。私はチルノちゃんのつくってくれたチューペットだから熱烈に欲しがったんですよ」
「でもアレをつくったのは魔理沙でしょっ」
「凍らせたのはチルノちゃんでしょ! チルノちゃんが仕上げを担当したんでしょ! あれはチルノちゃんの結晶に違いないわ!」
私は握っていたチューペットをチルノちゃんの前に差し出します。あんなに冷えてかたまっていた中身は溶けて、氷がぽつぽつ水に浮かんでいる飲みやすい状態でした。
「いっしょに飲みましょう」
「え、でも」
「デモもプロモもありません。さあっ」
おずおずとチューペットをつかんだチルノちゃんは、切り口を咥えると吸いはじめました。
ああああ。
チルノちゃんとの間接キスが実現したばかりでなく、ひょっとこ顔が見れるなんて、卒倒して酔ったトンボの如く地面に墜落してしまいそうです。
「……甘い」
そう言うと、チルノちゃんは少し笑顔を取り戻してくれました。
それを認めたとき私は、心臓にピルムの投擲を直撃させられた感にうちのめされました。
重なる感激に抑制がきかなくなってきた私は、とうとう、チルノちゃんを抱きしめる力を一層強めながら焦る彼女の唇をうばったのです。
小ぶりな唇はとてもなめらか、やわらかく、私の中枢を金槌で殴りつけんばかりの極上感でした。
そこで後ろから魔理沙の声が聞こえました。
「うへえ」
顔を離して後ろを見てみると魔理沙が気まずそうな顔で浮かんでいました。
「うわっ、み、見られてたじゃんっ、大ちゃんのバカ!」
「ならもっと見せつけてあげましょう」
私はすかさず、再びチルノちゃんの口をふさぎました。
間もなくチルノちゃんの鉄拳が飛んできましたが、その尋常じゃない痛みだけはよく記憶しています。
そういえば幻想入りしちゃってたんですね、チューペット。
チューペット懐かしいなぁ
朝から涼しさと笑いをありがとう
裏
三月精は面白いしCDも付いてくるので買って損はしませんよ。オススメです。
裏
でぶキャラ可愛い
これはヒドイ暴走大ちゃん。
太妖精の続編に期待して。
ナツカシス