※ 違和感があるかれもしれません。ご注意。 公式にはないキャラがいます。注意
報道とは何の為にあろうか?
記事とは何の為にあろうか?
――――それは伝え続ける事に、意義があると見つけたり。
妖怪達が住まう山々の一つ、そこで幻想郷の人里に最も近き天狗と言われている人物、射命丸文は、一人山頂の冬空で悩んでいた。
「……何かいいネタはないものかしら」
記事にするネタ自体はまだある。
季節が冬に入ってからというもの、人間の方はあまり活発な行動、もとい、ネタになるような事はしなかったが、代わりに氷妖精であるチルノが文の記事に合うような行動をしでかしてくれた。
反応も上々、もう2、3度はチルノ特集で書いても問題はないだろう。
だが何事にも飽きが来るように、それだけでは足りない。
もっと別の何か、一年という周期を巡る上で、妖怪だけじゃなく、人間や妖精達もするような行事。
「………うーん、うーん……」
文は一人唸りながら考える。
季節が春や秋なら人間達の行事というものが生きてくるのだが。
気候が寒くなり、秋の収穫祭も終わった後。一部を除いてただ怠惰に暮らす人間と妖怪を奮い立たせる行事等あるのだろうか。
「……これは、知恵を借りに行ったほうがいいのかなぁ」
悩んだ末、文は身近な人間に知恵を借りに行く事にした。
妖怪である自分の冬と、あの神社に住んでいる人間の冬とは、また違うかもしれない。
彼女は外の世界から幻想郷に越してきた人間だ。神を信仰し、神に愛され、それ故に奇跡を起こせる少女。
文は背中に生えている黒い翼をはためかせ、風を蹴るようにして山の中の神社へと向かった。
「冬の行事ですか?」
妖怪達が住まう山の中。
「えぇ、貴方なら何かいいネタ………行事を知っているかと思いまして」
文は神社の境内を掃除していた東風谷早苗に知恵を借りに来ていた。
巫女ではなく、風祝を職業としている彼女は、この神社に祀られている神、八坂神奈子の信仰を集める為にこの幻想郷へ来た。
文は外の世界の常識を全て知っているわけではない。それは一部を除く幻想郷に住まう人間や妖怪も同じ事で、新しい新鮮なネタを聞くには、うってつけの相手であった。
「うーん…幻想郷の方にも通じる行事なんて、何かあるかなぁ……」
早苗は手に持つ箒を胸に抱きしめるようにして考える。
「何でもいいんです。何か、この日じゃないとやらない事とかでも」
「この日じゃないとやらない事……」
必死に考えてくれる早苗に、文は辛抱強く待った。
どのみち早苗が駄目なら、山を降りて幻想郷を自身の目で取材するしかないのだ。ここで待つ労役と幻想郷全体を回る労役を考えれば待つことは苦にならない。
「あれがあるじゃない」
と、境内で話し込んでいた二人に神社の中から声をかけるものがいた。
「あ、神奈子様」
「こんにちは。あれと言いますと、何かあるんですか?」
文は出てきた神奈子に一礼し、スカートのポケットに入れておいたネタ張を取り出す。
「えぇ、人間が考えた行事だけれど。それなりに馴染みの深いものよ」
いつもの威厳たっぷりな雰囲気は何処に行ったのか。神奈子は神社の縁側に座り、文の方へと話を続ける。
いつものしめ縄も背負ってない事から、今は休憩の最中だったのだろう。
「2月14日、私達の大陸ではなかったけれど、他の大陸に住まう神を祝う行事があったのよ。それが私達の大陸に流れ着いて、その神を祝うという意味合いではなく、想い人や大切な人に贈り物をするようになった行事……」
「あ!」
神奈子がそこまで喋ってから、早苗も気づいたように声を上げる。
「そういえばヴァレンタインデーがありましたね」
「…ヴァレンタイン?」
文は何処かで聞いたようなイベントだと思いつつ、ネタ張にすらすらと記録していく。
「はい! 大抵はチョコをあげるのがポピュラーなのですが、冬の行事のせいかマフラーやセーターとか、そう言った衣類も好きな人に贈るんです」
「ふむふむ……」
「よく覚えていましたねぇ神奈子様」
感心するように早苗は神奈子にニコニコと微笑むが、神奈子は苦々しく笑った。
「そりゃ覚えているわよ。私の信仰を集めようと奮起している上で、別の大陸からも祝ってもらえている神様なんていたら、嫌でも覚えるわ。早苗からも毎年チョコをもらっていたしね」
「あぁ、なるほど」
早苗はその言葉に納得する。確かに、冬のこの時期になれば神奈子にチョコをあげていた事を早苗は思い出していた。
「幻想郷に越してきてすっかり忘れていました……そういえば、今日は、何日でしたっけ?」
ふと、早苗が浮かんだ疑問。
「2月12日。後二日ね……今年も期待しているわよ早苗。他の神を祝うのはどうかと思うけれど」
「はい! 今年も頑張って作らせていただきますね!」
ニッコリと笑う早苗に、神奈子も微笑みを返す。
「…ふむ、……ふむ」
その二人の話を聞いて文は脳内で高速に思考を働かせていた。
そのヴァレンタインがあるのは後二日。
一日前にもし記事にして出せば、妖怪や人間達は奮起するだろうか?
先ほど語った神奈子の想い人や大切な人、それに贈り物をするというキーワードに文は記事にする上でどういう風に書くべきかを決めていく。
その上で当日のヴァレンタインの風景を記事に出来れば、特大号並みの取材反映が期待されるはずだ。
「ありがとうございます早苗さん、神奈子様。おかげさまで、いい記事が書けそうです!」
脳内構想が出来上がったのか。文は早苗と神奈子に一礼すると、翼を広げ、大空へと飛ぶ。
「また当日になったら取材に来ると思いますが、その時はよろしくお願いしますね~!」
飛びながら最後にそう言うと、文は急ぎ、元来た空へと引き返していった。
やるからには徹底的に、自身を磨り減らしても全力投球。
文は戻る間も頭の中で記事の構成、部数を計算しながら飛んでいた。
※
2月13日。
まだ日も昇らぬ深夜。
「……よしよし。こんな感じかな?」
プライベート口調になっている文だったが、書き起こした原案を印刷機に通し、今日も文々。新聞は出来上がる。
いつもと違うとしたら、当日になる前には出来上がっている新聞であるはずなのと、その数である。
文は、部数をいつもの3倍にして新聞を作っていた。
「回れる所には回っておこっと」
出来上がった新聞を肩下げ鞄の中に入れて背負い、文は日も昇っていない外へと出るため、身支度を整える。
いつもなら日が出た辺りから人里へ向けて新聞を配りにいくのだが、今回は数が数だけに、取材反映となる確実な人物というものをいくつか捉えておきたかった。
外に出た文は、白い息を吐きながら、まだ月が浮かび、星々が輝く夜空を眺め。
「うん。今日もいい空になりそう」
翼を広げ、輝く空へと飛んだ。
風を切り裂くように飛んでいく文が、妖怪の山から降りるのに数分とかからない。
文がまず向かった先は、人里ではなかった。
「ええと…確か、この辺りのはずなんですが……」
山から降りて飛ばして来た文の下には、広がる魔法の森があった。
文は当日の取材を獲得する上で、ネタになりそうな人物から配ろうとしていたのである。
「お、あったあった」
月明かりしかない魔法の森の中で、文は目的の物を上から見つける。
羽の音を最小限にしながら魔法の森へと降り立つ文。
目の前には、木造で作られた家が一軒。
自称普通の魔法使い、霧雨魔理沙が住まう家だ。
「……」
文はそっと入り口であるドアノブを捻る。
―――ガチャガチャ
二度捻ってみたが、案の定カギがかかっていた。
「流石にそこまで無用心でもないですよね……」
文は肩に下げていた鞄から団扇を取り出す。
「あらよっと…」
そよそよと、微量の風をドアノブに向けて団扇を煽る。
―――カチン
するとどうだろう。ドアからカギが外れる音がし、ドアノブを捻ると、扉は開いてくれた。
文は風を扉の隙間に送り、内側から風をうまく使って開けたのである。
「…では、おじゃましまーす」
そっと扉を閉め、魔理沙邸へと入る文。
魔理沙に劣らずの泥棒の真似事だが、文は大して気にしなかった。
全ては自分が作る記事の為。その為ならば、たとえ火の中水の中、飛び込んでいくぐらいの気持ちでいた。
(それに、何も盗まなければ泥棒じゃないですしね)
自分に言い聞かせ、明かりのない魔理沙邸の中へと足を進めていく。
一階には雑貨や、本、魔法の実験にでも使う実験器具らしきものが床にまで散らばっている始末だった。
「………」
文はそれを見て掃除をしてしまいたくなるが、今日に限って時間が惜しい。
衝動を押し止め、魔理沙が一階にいないのを確認すると、二階に上がる階段へと足を上らせる。
ギシギシと木の階段が小さくなるのと、自分の息遣いしか音がしないせいか文は少なからず緊張した。
心臓の鼓動まで聞こえてくるその状況で、2階へと上がった文は、一番近くのドアを開ける。
「…すぅ…ん……」
開けた先は寝室みたいだった。
ベットで布団を被る魔理沙を確認し、文は音を立てないようにしながら肩下げ鞄から新聞を一枚取り出す。
それを窓際に置くと、眠る魔理沙の顔をじっと見つめてみた。
(…寝ている姿は綺麗な少女なのになぁ…)
白金の髪に白い肌。あどけない顔をした魔理沙の寝ている姿に文は昼間に見る魔法使いの姿である魔理沙とは連想がつかないほどに可愛く見えた。
文はこの寝ている姿を写真に収めたい衝動に駆られたが、音とフラッシュの光で起こしてしまう可能性を考えると出来ない。
惜しいが今日の自分は忙しい身、ここで退散するとしよう。
忍び足で部屋を出て、文は同じように階段を、音を立てずに降りていく。
一階をそそくさと抜け、外へと出る。
外へと出た文は2、3度深呼吸し、再び団扇でドアにそよ風を送る。
―――カチン
来たときと同じように閉まった扉を確認し、文は急いで次の場所へ向かった。
「さてさて…今度はアリスさん家ですよっと……」
呟くように言いながら、文は魔理沙の家の近くにある、アリスの家の前で扉を捻る。
―――ガチャガチャ
案の定閉まっている。魔理沙よりアリスの方がどちらかというと細かいというか慎重な性格は知っていたので開いているということはないとは思った。
文は魔理沙邸へと入った時と同じ要領でそよ風を扉に送る。
―――カチン
扉からカギが外れた音を確認し、文はそっと身体をアリス邸へと滑り込ませた。
「……」
文は明かりがない部屋の中、大量の人形達が棚に置かれている部屋へと足を進めた。
周りをぐるりと見渡してみるが、人形が置かれている所がないというぐらい人形がある。
「……すぅ」
その人形達の中。七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドは椅子に座ったまま寝ていた。
アリスの膝の上には人形が置かれている。きっと、作るのを達成してそのままベットにもいかず寝てしまったのだろう。
文は横にあったテーブルに新聞を一枚置き、アリスの膝の上にあった人形もテーブルへと移動させ、代わりに棚にあった毛布をアリスに被せた。
(頑張るのもいいですが、風邪を引いちゃ駄目ですからね…)
以前文はアリスに取材した事がある。何故人形を作っているのかと?
彼女は自身の夢の為だと答えた。いつか自分で動き、自分で考える人形を作ってみたいと。
文は寝ているアリスに無言で一礼すると、そそくさと家から外へ出た。
そよ風で再びカギを閉めなおすと、文は再び空へと舞い上がる。
「今度は香霖堂ですよっと」
慣れてきたのか、文は魔法の森の入り口まで戻り、いつも自分の新聞をちゃんと読んでくれる香霖堂の主人、森近霖之助に新聞を渡しにいこうと空から降り立った。
引き戸に手をかけ、カギがかかっているかどうか確認する。
「……あれ?」
―――ガラガラガラ
引き戸は、すんなりと開いてしまった。
「…無用心ですよ霖之助さん」
文は溜息を吐きつつも、香霖堂の中へと入る。
文は霖之助がいつも座っている椅子辺りに新聞を置いて、すぐに外へと出た。
彼は早々ここから動く事もない。顔まで見ずとも、いつも店番をする所に置いておけば見てくれる事だろう。
音を立てずに引き戸を閉めると、文はそよ風を、引き戸に送る。
―――カチン
カギを閉めてあげたのは無用心すぎる霖之助に対して、いつも新聞を読んでくれる事のせめてものお礼だった。
文は、閉まった引き戸を確認すると翼を広げ、空高く舞い上がる。
これで魔法の森には用がない。
次に向かうとしたら…。
「紅魔館…かな」
人里から離れていて取材に期待出来ると言ったらあそこだろう。
ただ、夜である今こそがあの紅魔館に住まう吸血鬼が最も行動する時でもある。
さっきより慎重かつ大胆にいかなければならない事だろう。
文は翼をはためかせ、紅魔館へと向かった。
※
まだ日が昇るまで数時間はある中。
文は霧の湖を越え、紅魔館へと来ていた。
文は正面から入るべく、門の方へと飛んでいく。
先ほどとは違い、あくまで気づかれてもいいというぐらいの音を立てながらだ。
魔理沙やアリス邸にまず言った理由は、彼女たちが日が昇った時、いない可能性があったからだ。
この冬の中でも自宅から頻繁に出る彼女たちを、今日という一日で、もし捕捉出来なかった場合を考慮してわざわざ日が昇る前に置いてきた。
逆に、この時間帯に起きているはずの面々の目を欺いてまで、新聞を配置する理由等ない。
「おはようございまーす」
門前に到着した文は早速中に新聞を渡してもらうべく、門番である紅美鈴に挨拶と共に新聞を渡そうとした。
「………」
だが、返事がない。
「…おはようございまーす?」
返事がない事に疑問を持ち、文は再度挨拶をしてみるが。
「……すぅ」
美鈴の顔を見て固まった。
(立ったまま寝ていますよこの人……!)
鼻ちょうちんをふくらまし、夢心地に目を閉じながら、紅美鈴は寝ていた。
「あのー、美鈴さーん…?」
起こすべきか少し躊躇したが、文は美鈴の肩を掴んで揺らしてみた。
「……あ……ん…咲夜さん…そんな所触っちゃ駄目です……」
しかし、寝言で返されてしまい、起きる気配がない。
「…あややや、困りましたね」
文はしばし考え、肩下げ鞄から一枚新聞を取り出すと、美鈴の胸元へと一枚、服のボタンを脱がして突っ込む。
「あふ……駄目ですよ……咲夜さん………すぅ」
「……」
これで起きたら美鈴は新聞を読む事だろう。
何せ自分の谷間に新聞があるのだ。読まないという事はないはずだ。
この寒い中、夢の中へとダイブしている美鈴に尊敬と悲哀の意味を込めて文は一礼し、紅魔館の門を潜る。
あのメイド長が美鈴が起きた後に来ると信じて、文は自分の手で新聞を渡しに行く。
紅魔館の中へと入った文は、まず、何処に行くべきか考えた。
地下に行けばきっと七曜の魔法使い、パチュリー・ノーレッジが本を読んでいるか、もしくは寝ているかもしれない。
逆に上に上がっていけば、レミリア・スカーレットに会える可能性が出てくる事だろう。
メイド長、十六夜咲夜に関してだけ何処にいるかはわからない。見回りをしている可能性もあるし、自室で就寝している可能性だってある。
「……上、かな?」
文は死亡フラグという言葉を知らない。新聞を渡さなければ行けない義務感に追われ、一時的に恐怖というものが麻痺しているのもあるかもしれないが。
前方にある大理石で出来た階段を上り、文は薄暗い廊下の中を歩いていく。
一歩歩く毎に足音は反響する。
文は前を見るようにしてただ歩いた。
そう、前だけを見て。
「あれれ? 魔理沙かと思ったら違った」
だから、後ろから近づいてきた者がいるなんて思わなかった。
「…っつ!?」
後ろにばっと振り返る。
「こんばんは、それともおはようかな? どっちにしても、天狗の貴方がここにいるなんて珍しいね」
振り返った先には、虹の翼をはためかせ、無邪気な笑顔で笑っている金髪の吸血鬼が立っていた。
「フ、フランドールさん……」
文は目の前にいる人物を見て、背筋が凍る。
何故フランドールがここにいるのか?
地下の部屋にいつもいるのではないのか?
いや、そもそも私はなんでこの可能性を考えていなかったのだ…!
文は一度フランドールに会った事があった。紅魔館へと取材をしに行った時、地下の部屋には行くなとレミリアに言われ、興味心から赴いてしまったあの時に。
結果は、全治一ヶ月という重傷を負うはめになった。
フランドールはニタリと笑う。
「ねぇ……遊ぼう? 退屈してたんだぁー。お姉さまは外出しちゃうし、咲夜は寝ちゃったし」
「…フ、フランドールさん」
文は肩下げ鞄から新聞を取り出す。
「あ、あのですね。退屈なさっているのでしたらこれを読んでもらえないでしょうか?」
フランドールの遊ぶという言葉に、文は嫌な予感を走らせ、咄嗟に新聞をフランドールに渡そうとしていた。
「? なにこれ?」
フランドールは興味の対象が一瞬移ったのか。文の手から渡される新聞を手に取って読んでみる。
「……2月14日は大切な人や想い人へ贈り物をする日……」
風祝の者が語る行事! という記事から書かれている内容をフランドールは黙読していく。
「こ、これを私は渡しに来ただけなので、まだ回らないといけない所があるんですよ。ですから、遊んであげたいのは山々なんですが……」
文は嫌な汗を背中に掻きつつ、後ずさるようにじりじりとフランドールから後退していく。
「………ふーん、明日はそんな日なんだ」
読み終えたのか。フランドールは新聞から目を離した。
「え、えぇ。フランドールさんも明日に向けて準備をなさった方がいいかと……」
「うん。でも、まだ日が昇るまで時間、あるよね?」
文はそれを聞いた途端、鞄から団扇とスペルカードを取り出していた。
「禁忌!」
「風神木の葉隠れ!」
フランドールの宣言が成される前に文は前方に弾幕を展開する。
「レーヴァテイン!」
片手に新聞を持ったままフランドールは、弾幕を展開した文に向け、もう片方の手でレーヴァテインをなぎはらった。
「…!」
文は地面に屈むようにして紅い魔剣をかわす。
文が展開した葉隠れは、フランドールの視界から文を隠していたせいか。照準が合わなかったのだ。
廊下の窓や天井を壊すようにしてなぎはなわれるレーヴァテイン。
(…今だ!)
文は壊れた天井へと突っ込むようにして、全力で空へと舞い上がる。
文は前の一戦で、まともに相手をするべきではない事を味わっている。
フランドールから隠れるようにして空高く上がった文は、全速力で紅魔館から離れた。
「あー、もう。逃げられちゃった」
フランドールは空へとうまく逃げおおせた文を見送る。
追ってもいいが、レミリアの言いつけでフランドールは留守番をしてほしいと頼まれていた。
「…もう、つまんないなぁ」
壊れた天井から星を眺めながらフランドールはぼやく。
「魔理沙来ないかなぁ。面白くないよー」
ガラガラと倒壊していく壁や天井の中、フランドールはただただ星を眺めていた。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
文は霧の湖を越えた辺りで一度急停止し、後ろからフランドールが追って来ていないか確認する。
「…ハァ」
どれだけ経ってもフランドールの姿が見える事はなかった。
文はフランドールから逃げおおせた事に安堵する。
あのままやりあっていれば、確実に前回と同じ状況になっていた事だろう。
まだ新聞をまともに配っていない身とはしては、それはあってはならない事だ。
「…仕方ない。とりあえず2部は置いてきたし、よしとしましょう」
仕事中なせいか、それともフランドールとやりあった恐怖が消えてないのか、仕事口調のまま文は気を取り直し、停滞していた空から再び翼をはためかせる。
朝日までもうそんなに時間はない。
文は全速力で冥界の方へと飛んだ。
※
「あやや…ここに来るのも久々ですねぇ」
見事な桜花結界の壁を見ながらも、文は上を目指す。
この結界の上を飛び越えていけば、白玉桜が見えてくる事だろう。
結界を飛び越え、文は長い階段の道を飛びながら進んでいった。
既に朝日が昇り始めてしまっている。
輝いていた星々は消え、月に代わって太陽が出始めている空を見ながら、文は白玉桜の敷地へと入っていった。
「あら?」
文は敷地へと入って数分後に、前方から向かってくる半霊の人物を視界に定めた。
「誰かと思えば、貴方か」
腰にぶらさげている刀に手を置いていた魂魄妖夢は、文を見ると刀から手を離していた。
「おはようございます~新聞を届けに参りました」
文は肩下げ鞄から新聞を一枚取り出すと、妖夢に手渡す。
「いつもは来ないのに、何かあったの?」
「内容を見てくださればわかるかと」
妖夢の疑問に文は答える。いつもなら人里のカフェや、香霖堂等にしか置かない文々。新聞だが、今回は色んな所に配っている。
「…2月14日かは想い人や大切な人に贈り物をする日?」
妖夢は書かれている内容を声に出して読んでみる。
「はい。こんな日は幻想郷の皆々全ての方に動いてもらいたいなと思いまして、ここにも立ち寄らせてもらいました」
「……なるほど」
納得したのか。妖夢は一度新聞から目を離し、文に一礼する。
「わざわざありがとう」
「いぇいぇ。妖夢さんも頑張ってください~」
文も一礼し、元来た道を引き返すべく、妖夢に背を向け、高速で階段を戻るように飛んでいく。
「……大切な人か」
妖夢はそんな文を見送りつつも、新聞に書かれている内容に目を通していた。
「幽々子様に何か贈り物をしないといけないわね」
主人である幽々子にも妖夢はこの新聞を見せるべきか少し迷い。
新聞をスカートのポケットに折りたたんで仕舞う。
見せればきっと幽々子様の事だ。わたしのためと言って何かお作りになられてしまう事だろう。
主人にそのような真似をさせるわけにはいかないと妖夢は判断し、明日何を贈ろうかと悩みつつ、白玉桜へと戻っていった。
文が人里に着くまでには、日は空高く昇っていた。
冬場なせいか、春や秋より人の出入りが少ないが、自分の新聞を取り扱ってもらっているカフェへとまず足を運ぶ。
「いらっしゃいませー。お、文ちゃんじゃないか」
「どうもー、おはようございます。マスター」
カランカランと入り口のベルを鳴らして入った文は、カウンターでグラスを拭いているマスターに朝の挨拶をする。
「今日はいつになく早いが、何かあったのかい?」
いつもなら昼間ぐらいに新聞を出しに来ているからか、そんな事を聞いてくるマスター。
「フフフ、これを見てください」
鞄からカフェに置くいつもの部数の新聞をドサッっとカウンターへ置き、その一枚をマスターへ見せる。
「お、どれどれ……」
渡された新聞を読むマスター。少しばかり黙読する事数分。
「…ふんふん。へぇ、あの山の上の神様のお墨付きの行事ねぇ」
一通り読みきったのか、マスターは読んでいた新聞もカウンターに置かれている新聞に置き、勘定をする横へと、全て移動させた。
「贈り物が衣類やチョコってのがまたいいね。これなら、私達にも共通の行事が出来そうだ」
「ですよね! 聞いた時にはやるしかないと思いましたよ!」
マスターは人間の割には、妖怪達をよく理解してくれている人だ。
夜雀のミスティア・ローレライが夜の食べ物所の顔なら、彼は昼の食べ物所といった所か。
文がここに新聞を置かしてほしいといった時も快く引き受けてくれた。
「秋の収穫祭が終わって、皆冬をただ越す為だけに生活していたからね。こういったイベントを教えてくれると、皆揃ってやるかもしれない。それに文ちゃんが記事にしたチルノちゃんの記事も、反応が良かったのもあるしね」
「えぇ、明日が取材の宝庫になっている事を楽しみにしていますよ」
文は笑いつつ、肩下げ鞄を横の椅子に置いてカウンターに座る。
「それよりもマスター、珈琲を一つ頂けますか? 後適当に何か食べれる物を…」
「おや、何も食べずに来たのかい?」
「これを作るのに朝までかかってしまって…」
アハハと頭を掻きながら文は少しばかり照れた顔をした。
そんな文に、マスターは苦笑する。
「文ちゃんらしいけど……無理はしないようにね?」
「大丈夫ですよ。少なくとも、マスターよりかは身体が丈夫な身ですから」
文は胸を叩いて大丈夫とジェスチャーしてみせる。
「ハハハ、それを言われると、確かにその通りだからねぇ。文ちゃんが私達より年齢が上だとはとても思えないけれど」
マスターは笑いつつも文の前に珈琲を先に出した。
白いカップから湯気がでる黒い液体を、文は息を吹きかけながら啜っていく。
「…あー、生き返りますね」
ガムシロップもミルクも入れてない苦味たっぷりの珈琲だったが、今の文にとっては格別の物だ。
徹夜で新聞を作った眠気が一気に醒めていく。流石に飛び回っているだけあって、疲れは抜けてくれないが。
「生き返ったついでにこれもどうぞ」
珈琲に合わせてくれたのだろう。食パンの耳に砂糖をまぶして揚げた物が小さなお皿に何本か置かれている。
それを珈琲と一緒にパクパクと平らげていく。また色々と回らねば行けない所があり、休憩する場所は特に貴重なのを文は長年の経験から知っている。
しっかり食べてしっかり飲んで、せめて眠気だけは完全に消し去っておきたかった。
「…んぐ。ごちそうさまでした、マスター!」
早々に珈琲とパンを平らげ、文はお礼を言いながら食事の代金をスカートのポッケに入れてある財布から出そうとする。
「お代はいらないよ、文ちゃん。余ったパンの耳を揚げただけだし、珈琲一杯だ。お客さんからお代を取るようなもんじゃない」
だが、財布を取り出す文を止めるマスター。
「…なら、お言葉に甘えます。断ったらマスターに悪いですしね」
マスターはマスターなりにお客に配慮する癖がある。それがこのカフェが人気な理由の一つでもあるのだが。そして彼は、一度言った事を変えない人だ。今の文にとっては、ここにこれ以上いる時間が惜しかった。
「なあに、明日のこの行事で稼がせてもらうさ。甘い物なら家は天下一品だしね」
礼をしてカフェから出て行く文に、マスターはそう言って送っていった。
彼の言っている事はきっと真実だろう。
明日にはこのカフェのお客さんがきっとたくさんいる。
それを取材しに来るのも、文の一つの楽しみであった。
文は空へと飛ばず、走るようにして次の目的地へと行く。
人間の里はそれなりに広い。害を与えない妖怪達もいて、珍しい物を物々交換している程だ。
数分走っただろうか。
本当なら飛んでいった方が早いのだが、人里の中を飛んで移動するのは、心象的によろしくない者達の反感も買ってしまうのでやめておく。
郷に入れば郷に従え。人里の中を駆け回るのなら人間みたいに足を使えという事だろう。
まぁそんな事お構い無しに、人里の空を突っ切る人もいるが、主に人間で。
飛んでいた時の韋駄天のような速さではないが、常人より遥かに早い足取りは、すぐに目的地へと着けた。
「おはようございますー」
トントンと、目的地である寺子屋の戸を叩く。
「はいはい」
程なくして戸を開けてくれる青白い長髪に紅いリボンをつけた人物。
「おや、鴉天狗」
「射命丸文ですよ……いい加減、会った途端にそういう風に言わないでください。妹紅さん」
文を見てそっけなく名前ではなく天狗と呼ぶ、藤原妹紅。
「悪い悪い、慧音に用か?」
悪びれた様子もなく、妹紅はこの寺子屋の家主である慧音に用事かと思い、奥へと引っ込もうとする。
「あ、いや待ってください。慧音さんにも用はあるのですが、妹紅さんにも用事があるんです」
「私にも用事?」
自分に用事があると言われ、妹紅は引っ込もうとした身体を再びドアの前に留めた。
「はい。あ、でも出来ましたら慧音さんも一緒にいた方が、話が省けると思うのですが…」
「じゃあ、一度中に上がってもらうか。幸い今日は、寺子屋は休みだしな」
妹紅はどうぞと、文を寺子屋の中に招き入れる。
「おじゃましますね」
文は玄関先で靴を脱ぎ、木造の廊下を、妹紅の後に続くように歩いていく。
いつもなら子供たちが集まって、慧音が歴史を教えている所であろう大きな教室を抜けると、小さな部屋があった。
「慧音」
二度襖にノックをし、妹紅は返事を待つ。
「ん? どうしたんだ妹紅?」
襖を挟んで女性らしい、凛々しげな声が聞こえてくる。
「お客さんだよ。鴉天狗の」
「客……? ……すまない、少し待ってもらえないか?」
「だそうだ。少し待ってくれないか?」
文にも聞こえていたが、妹紅は繰り返すように後ろにいる文にそう答える。
「いいですけれど……慧音さんが人を待たせるなんて珍しいですね」
文の思っている上白沢慧音とは真面目な人だ。
そんな人が、お客が来て人を待たすなんて正直考えられない。
「あぁーまぁ、何だその…」
文の疑問に心当たりがあるのか、妹紅は頭を少し掻きつつ明後日の方向に視線を向ける。
「何か心当たりでも?」
「…いや、胸にさらしを巻いているんじゃないかなって。何かまた大きくなったとか前に愚痴こぼしていたし」
言いにくそうに妹紅は襖の先にいる慧音に聞こえないように小さく文に答える。
「あぁ、なるほど」
言われてみれば、先ほど襖の先から声が若干くぐもっていた気がする。
待たす理由に納得が行った文は、妹紅と共に慧音を待つ。
「…お待たせして申し訳ない」
程なくして、襖を開いていつもの帽子に青い服と、慧音は申し訳なさそうな顔をしながら文と妹紅に一礼する。
「いぇいぇ、全然待ってないですから、お構いなく」
文は理由がわかったのもあるが、殊勝な態度でいる慧音に逆に自分が訪れた事が申し訳ないように思えてきてしまう。
文と妹紅は慧音の部屋に入っていく。
中は質素で、本棚に机が一つあるだけという、下は畳で和風な部屋だった。
文と妹紅に座布団を手渡し、慧音は畳に正座する。
「私に用があると聞いたが…鴉天狗である貴方が一体、私に何の用事だろうか?」
「…いや、実を言いますと」
文は礼儀正しく応答する慧音に、一瞬困惑する。
自分の考えた記事をこのような形で読んでもらっていいのだろうかと?
しかし文が困惑したのは一瞬だけであった。
記者として文は自分の書いた物に誇りを持っている。指をさして笑われるような記事の時もあれば、存在自体を馬鹿にされる時もある文々。新聞だが、この礼儀正しい慧音を笑わすというだけでもそれはある意味いい事であろう。
文は隣に置いた鞄から新聞を一部取り出す。
「まずはこれを見てほしいのですが……」
「…? これは?」
「今日の新聞です。慧音さんにはこれを渡しておくべきと思いまして……」
文の手から慧音へと手渡される新聞。
慧音はそれをしばし黙読する。
「………」
「………」
空気が重く感じる静寂がどれぐらい続いただろうか?
「…慧音?」
痺れを切らしたのは、慧音でも文でもなく、横で文と一緒に座布団の上であぐらをかいていた妹紅だった。
「ん? あ、ああ。すまない」
慧音は少し苦笑いしながら、妹紅へと文が書いた新聞を手渡す。
「いい記事が書かれていますね。想い人や大切な人へ贈り物を届ける行事…これを配っておられで?」
「はい。妖怪や人間……妖精達も揃って行事を楽しんでくれるようにと、今配って回っているんです」
慧音の質問に、文は慧音に習って、礼儀正しく答えた。
「それは…いい事ですね。冬場のこの時には目立った行事がないだろうし…」
「慧音さんにそう言われるだけで、この記事を書いた意味があります」
ニコリと文は微笑む。慧音もそれを見てニコリと笑う。
「へぇー、文にしてはいい記事を書いているな」
慧音に渡されて読みきったのか、妹紅も感心するように、新聞の内容を褒める。
「しかし、これと私に何の関係が……?」
「あ、いぇ。慧音さんに用といいますか…実を言うと妹紅さんに頼んでほしいと思った事が」
「ん? 私に?」
慧音から急に話の話題が妹紅へと移り、きょとんと首を傾げる妹紅。
「はい、その……永遠亭にも、この新聞を渡しに行きたいんです」
永遠亭と聞いて、妹紅の顔が一瞬にして不快な顔になる。
「……なんだってあいつらの所に?」
「記者として、幻想郷全ての者にこの新聞を送りたいからです。しかし私一人では永遠亭に辿り着くまでに時間がかかりすぎてしまいます。ですから、妹紅さんにお力を借りたく、ここに来ました」
不快な顔をしたままの妹紅。
妹紅と永遠亭のお姫様の仲の悪さは耳にしているが、文は永遠亭までの道を正しく理解しているのも妹紅だと言う事を知っていた。
不快な顔をしたままの妹紅を文はじっと見つめ続けた。
時間をかければ永遠亭には文一人でも着けよう。しかし、それをしてしまえば、他に回るはずである場所へも行けなくなってしまう。
どうしても文は、今日中に新聞を幻想郷全域に配りたかったのである。
「…妹紅、そこまで言っているんだ。行ってやったらどうだ?」
横から慧音は文を押すようにやんわりと、行ってやれと助言した。
「………はぁ」
真摯に妹紅を見つめ続ける文に、妹紅は溜息を吐く。
「慧音からそう言われたら…仕方がないな。入り口までなら付き合ってやるよ」
「…! ありがとうございます!」
文は座布団に座ったまま妹紅にお礼を言う。
「ふふ、素直じゃないな」
そんな文と妹紅のやりとりを見て、微笑む慧音。
「…ふん」
慧音の言葉に若干顔を赤くして、妹紅はそっぽを向いた。
※
「………」
「………」
人里から迷いの竹林に入って一時間程経っただろうか。
竹林から見える空は、雲一つない晴天である。
朝に出かけた時と気温も太陽のおかげで若干上がっているおかげか、文は寒いとは思わなかった。
竹林に入ってから無言で前を行く妹紅に合わせるように、文は付いていく。
飛んでいった方が早いのではないか? と竹林に入ってから妹紅に聞いてみたが、答えは飛ぶと迷うという返答が返ってきた。妹紅には妹紅なりの永遠亭の行き方を覚えているのだろう。
しかし、行けども行けども竹林では、文は焦りを感じていた。
「……見えてきたぞ」
そんな焦りを感じ始めた時、前を歩く妹紅が声を上げる。
竹林の中、それは隠れるようにして立てられていた。
紅魔館が洋風の大きな屋敷と言うなら、永遠亭は和風の大きな屋敷であった。
文はこの隠れ住まう永遠亭を記事にした覚えがある。
元々は月のお姫様である、蓬莱山輝夜を月の民から隠す屋敷であり、何百年もの間、幻想郷で忘れ去られていた場所の一つだ。
月の異変の事件から、この幻想郷そのものが月から隠れ蓑になっている事を知り、今では便利な薬屋として人間の里とはうまくやっているようだが。
「言われた通り、案内してやったぞ。帰りはこの竹林から空に飛んじまえば、方角で大体わかるだろ」
永遠亭を確認した妹紅は、文にそう言うと、元来た道を引き返していく。
「ありがとうございました! 妹紅さん!」
そんな妹紅に礼を言う文。
妹紅は文の方を振り向かずに、片手をあげてひらひらとさせる。
彼女らしい返し方だった。
見えなくなるまで妹紅を見送り、文は永遠亭へと足を向ける。
永遠亭の門前には、人里でよく見かける顔が立っていた。
「…あら? 妹紅が来たからてっきり急患かと思ったのだけど」
「こんにちは。 永琳さん」
門の前に立つ彼女、八意永琳に文は挨拶する。
「こんにちは。鴉天狗である貴方がここに来るなんて、いつ以来かしらね」
「前に取材した時以来ですね。人里の方ではよく見かけましたが」
挨拶を交し合いながら、門の前で雑談する二人。
「それで、今日も取材で来たのかしら?」
「いえ、今日は新聞をお届けに来ました」
そう言い、肩に下げた鞄から新聞を十枚程取り出す。
文は永琳の手に新聞を手渡した。
「……」
永琳は新聞を手渡され、目を通す。
「………これを、どうして永遠亭に?」
新聞に目を通しながら、永琳は文に聞いてくる。
「幻想郷に住まう全ての人に、この行事を知ってもらいたかったからです」
文は当然のようにそう答える。
「……そして当日、それを取材すると?」
続く永琳の言葉に文はニコリと笑う。
「出来ましたら、当日の取材もお願いしたいですね。冬の行事に妖怪や妖精、人間の皆が一緒にこの行事を楽しむ事が出来て、それを取材出来たらいい記事になりますから」
「…ふふ」
その言葉に永琳は笑う。
「貴方にしては…いい方法を思いついたものね。確かに寒い冬を越えていく上で、こういう行事はおもしろい記事になりそうだわ」
「当日の新聞も完成したらまた幻想郷に配ろうと思います。…では、私は次に行かないといけないのでこれぐらいで」
永遠亭のトップに近い、永琳に最初に出会えたのがよかった。時間をかけずに永遠亭の人達にこれで新聞は読んでもらえる事だろう。
文は早々に、迷いの竹林から出るように空へと飛んでいく。
「……」
永琳は文が竹林から飛び立つのを見送り、永遠亭へと戻っていった。
「師匠。患者は?」
永遠亭の中へと戻った永琳は、玄関先で待っていた鈴仙に駆け寄られる。
「患者じゃなかったわ。どうやら私の思い過ごしだったみたい」
「そうですか………手に持っているのは、新聞ですか?」
「えぇ…明日に向けての行事の為って。わざわざ天狗が送ってきたわ」
10枚の内、9枚を鈴仙に渡す永琳。
「他の者達にも配ってあげなさい。興味があるなら、してみるのもよし。うどんげ。私はちょっと輝夜の所にいるから、何かあったら呼んで頂戴」
「わかりました」
鈴仙にそう伝えると、永琳は永遠亭の長い廊下を歩いていく。
長い廊下を抜けた先、一番奥の部屋の襖を開け、永琳は窓から外を見つめる輝夜を見る。
「輝夜、今天狗が面白い物を持ってきたわ」
面白い物という言葉に反応したのか、輝夜は外を見つめていた顔を永琳に向ける。
「面白い物…?」
「えぇ、貴方にとっては懐かしい物かもしれないけれど」
永琳は文から貰った新聞を輝夜に渡す。
新聞を渡された輝夜はサッと目を通していく。
「……これって」
「えぇ。永遠の生を持った私達にとって、こういった行事は懐かしいわ」
書かれている新聞の文字を追っていく。
輝夜は文字を追っていくごとに懐かしさに襲われた。
それは何処かに捨ててきた行事。何年も何十年も何百年も何千年も生きた自分にとって、空しさを味わってしまった大切な風習。
書かれている事がどれだけ輝いている事か。
輝夜にとって、その文字一つ一つがまぶし過ぎる。
「…今更な物ね」
「そうね。確かに今更よ」
輝夜の呟きに合わせるように永琳は声を出す。
「だけど、あの天狗は幻想郷全域にこれを配ると言ったわ」
「……それはまた、忙しい事をしているわね」
輝夜の言葉はあくまでそっけない。彼女は悠久の時を超えて、永琳と生活を共にしてきた。
そこに信頼はある。友情もある。絆もあった。
だが、それが本当に大切だと自信をもって言えなくなったのはいつからだろう? 口に出して言わなくなったのはいつからだろう?
一緒に居て当たり前になる感覚。それは絆が深いようで、何処か色あせた付き合い。
「輝夜」
永琳は新聞に目を通したままの輝夜を後ろから抱くようにして耳元で呟く。
「貴方は、私をまだ想ってくれるかしら、大切な人と想ってくれるかしら?」
「……愚問ね」
囁く言葉に輝夜は少し微笑み。
「私は永遠に永琳の事が好きよ。大切な、想い人」
後ろから抱きしめる永琳の手をゆっくりほどいていく輝夜。
「そうね、今更だけどこういう行事に乗るのもいいわ」
立ち上がる輝夜に永琳は無言で一礼する。
永琳は内心天狗に感謝する。懐かしい事を輝夜に思い出させてくれたと。
文は翼を広げ全力で飛んでいた。
次に行くところは博麗神社だ。神社の巫女である霊夢がこの行事に乗ってくれるかどうかはわからないが、文はあくまでこの幻想郷全域に新聞を広げる為にやっている為、するかどうかは二の次であった。
記事にする上で色んな場所で行われる行事の風景を取材したい所だが。
文は真っ直ぐ神社を目指していた。迷いの竹林から出て、既に時間はお昼時。
お昼にもなれば、私以外の人が飛んでいても、それはおかしくないわけで。
前方から、ヒュンっと、風を切るようにして、いつもの箒に跨った黒白の魔法使いが横切った。
速度がどちらとも幻想郷を1、2を争うスピードなせいか、目視した時には横切っていた。
文は一度止まり、後ろを振り返る。
相手も私が横切ったのがわかったのか。
急旋回して、私の方へと向かって来ていた。
※
遡る事数時間前。
日の光と共に目が覚めた魔理沙は、奇妙な出来事に出くわした。
「…なんだこれ?」
朝の風を受けようと窓の施錠を解こうとしていた時である。
窓際には、一枚の新聞が置かれていた。
寝ぼけ眼をこすりつつ、魔理沙はその新聞を見て、文が発行している物だと思い出す。
奇妙だと思ったのは、新聞を取っていない自分の家に、どうしてこれがあるのか。
魔理沙は寝巻き姿のまま一度、一階に降りた。
床にまで本が錯乱している一階は、昨日の状況から特に変わった様子はない。
扉も確認してみたが、鍵は閉まっていた。
「……んー?」
魔理沙は首を傾げる。では、これはいつの新聞だろうか?
魔理沙は新聞に書いてある内容を見てみる。
「……ふむふむ」
書かれていた内容は、明日は、大切な人、想い人に贈り物をする日と書かれている。
主な贈り物を語る風祝の者等、神様一押しの行事、等。
妖怪の山に住まう早苗や神奈子の事を言っているなぁと思いつつ、魔理沙はこの行事を見て、皆もするのかな? と考える。
「……新聞が出回っているか、確認してくるか」
行事の内容には多少興味があったが、一人で盛り上がるだけだったらそれはそれでつまらない。魔理沙は文が家に入ってきた事等は深く考えず、この行事を皆がやるのかどうかに関心が行った。
魔理沙は二階に戻り、寝巻き姿からいつものエプロンドレスに着替える。
朝の支度を手短にし終え、材料調達もかねて香霖堂へ行くことにしてみた。
魔理沙が起きたその頃、椅子の上で寝ていたアリスも、日の光が差し込んだためか、目を覚ましていた。
「ん……?」
寝てしまったのかと、まず思うアリス。
昨日は良いところで終わろうと思い、人形の作成を止めようとしたのだが、どうしても自分に納得が出来ず、夜中に入っても人形を作っていた。
完成したのが大体日が変わる時間帯だったせいか。そのまま寝てしまったようだ。
「…あれ?」
自分にかかっている毛布にアリスは首を傾げる。無意識的に棚から毛布を取り出して被っていたのか?
アリスは首を傾げつつも、毛布を畳み、棚へと戻す。
そういえば人形は何処に置いただろうか。
アリスは自分が座っていた椅子の横にある木製のテーブルに目を向ける。
人形はそこにあった。
「…何かしらこれ?」
アリスは人形があることに安堵したが、横に一緒に置かれている新聞を見つけ、手にとって見る。
「……想い人や、大切な人へ送る行事?」
発行日は今日。そして明日に向けてその行事の内容は書かれていた。
「………」
アリスはまず扉を見に行き、鍵が閉まっているか確認した。
「…ちゃんと閉まってる」
当たり前だ。自分でちゃんと施錠したのは覚えている。
ならば何処からかあの鴉天狗が、私の寝ている間に家に入って置いていったのだろうか?
「……まぁ、魔理沙じゃないし。何か盗って行ったって事もないわよね」
しばし悩んだが、そう結論付けるアリス。
これが魔理沙の行動なら代償として自分の家の本が何冊か消えていてもおかしくないが、相手はあの天狗だ。
この新聞を見せたくて置いていったのだろうとアリスは決めつけ、新聞の内容を椅子に座りなおしてちゃんと読んでみる。
「……贈り物は衣類でもいいのね」
アリスは大切な人、想い人と聞いて頭の中に何人か思い浮かべた。
「…一日で作り切れるかしら?」
アリスは菓子類を作る気は全くなかった。人形を作る事と似ているが、それなら自分の得意分野でやるべきだろうと思うのは当然である。
アリスは急いで自分の寝室へ戻り、服や下着を着替えなおす。
「まずは材料よね」
昨日の人形作成で糸や布が大分少なくなっているのもあり、アリスはまず、この魔法の森の入り口にある香霖堂に行くことにした。
「…ん、今日もいい朝だ」
日が昇る晴天。
雲一つない青空を眺めながら、香霖堂の店主、霖之助は朝の日差しを全身に浴びていた。
「しかし僕とした事が鍵を閉め忘れているなんてね…」
霖之助はいつも自分が店番をする椅子に置かれていた新聞を手に持って苦笑する。
自分が寝ている間に置いていったのだろう。昨日鍵を閉めていなかった事を思い出し、ちゃんと施錠されていた扉を見て、霖之助は天狗である文に感謝した。
「さて、今日も店を……?」
開くかと言いかけて、霖之助はこんな朝早くから箒に跨ってこっちに飛んでくる人物を見る。
「こんな朝早くどうしたんだい? 魔理沙」
「おはよう。こーりん」
飛ぶように香霖堂の前に降りる魔理沙に聞く霖之助だったが、ポケットから出した新聞を見て一人納得した。
「なるほど、魔理沙の所にも行っていたのか」
「その口ぶりだと、こーりんの所にも新聞を置いていったんだな、文は」
「あぁ、僕は常連だからね。この新聞の」
以前から霖之助は、文から新聞は貰っていた。
ただ店番中にいつも来ていたのに、こんな朝早くに置かれていたのは初めてだったが。
「こーりんはこれやるのか?」
新聞に書かれていた内容を指し示す魔理沙に、霖之助は首を縦に振る。
「まぁ、一応ね。わざわざこんな朝早くにおいていったのだから、行事に参加して欲しいって事なんじゃないかな?」
「…ふむ」
「そういう魔理沙はどうするんだい?」
魔理沙は霖之助のその言葉にニカリと笑うと。
「勿論やるぜ。それもかねてここに来たんだからな」
「…材料かい?」
書いてあったのは菓子類や衣類を贈り物という内容を霖之助は思い出す。
「ああ。人里まで行くでもいいんだが、ここの方が近いし。霊夢の所にも行ってみようと思ったからな」
「…まぁ、折角の行事だから、ご贔屓に扱わせてもらおうか」
霖之助はきっと魔理沙は代金を払わないと分かっていても、苦笑しながらそう言った。
「んじゃなぁーこーりん!」
必要な物を袋に詰め込み、魔理沙は箒にぶら下げて帰っていく。
結局魔理沙はいつも通り払わなかった。
霖之助はそんな魔理沙に溜息を吐きつつも、今日も人があまり来ない香霖堂の店番をしようと店頭に並べた商品を確認していた時である。
―――カランカラン
立て続けになる入り口のベルに、霖之助は魔理沙が何か忘れて来た物かと思い。
「なんだい魔理沙、何か忘れ物でも……」
振り返った先にいる人物が、魔理沙ではなく。
「おはようございます」
朝の挨拶をするアリスであった。
「…おはようアリス。すまない。さっきまで魔理沙がいたものだから勘違いしてしまった」
霖之助は間違えたアリスに平謝りする。
「別にいいわ。私もさっき入り口で魔理沙に会ったし」
謝る霖之助にアリスは大して怒った様子もなかった。
「君も、新聞をもらったのかい?」
立て続けに来る理由がそれしかないと思い霖之助は椅子に座りながらアリスに聞く。
「えぇ。起きてみたらテーブルの上にあったから」
アリスはスカートのポケットから折りたたんだ新聞を取り出す。
「折角だから私もやろうかなって。毛糸と布はあるかしら?」
「君の為に仕入れはしておいてあるよ。ちょっと待っててくれないか?」
霖之助はそう言うと、本家の霧雨道具店から仕入れてあった大量の布と毛糸を持ってくる。
アリスからここに注文されるようになってから、いつもこれだけは大量に別に置いていたのである。
「ありがとうございます」
アリスはポケットからいつも通りの代金を霖之助に支払う。
「毎度。しかし今日作り始めて間に合うのかい? 菓子類ならまだしも」
いくつ作るかわからないが、霖之助はアリスが毛糸や布を注文した事に内心驚いていた。
アリスはそんな霖之助の言葉に苦笑する。
「お菓子を作るよりこっちの方が得意分野だから。間に合うように作って見せるわよ」
アリスはそれだけ言うと、霖之助に一礼して香霖堂から出て行く。
「……ふむ」
まぁ、アリスなら問題ないかもしれないと霖之助は思った。彼女は人形の作成でそう言った仕事は慣れているだろうし。
今度こそ誰も来ないだろうと、霖之助は思い、再び店頭の商品を確認しようとした。
だが一度ある事は二度、二度ある事は三度あるのか。
―――カランカラン
香霖堂の入り口のベルが鳴った。
―――ドォォン!!
十六夜咲夜の目覚めは、爆音と共にあった。
「……」
お嬢様がお出かけになったのが夜の八時頃。
朝までには戻ってくると言ったレミリアは、博麗神社へと飛び立って行った。
自分もお供したい所だったが、妹様の相手がいなくなるのもあり、それに主がいない紅魔館の留守を他に誰が出来ようかと自分を縛るように言い、妹様とのお戯れをしながら就寝に入ったのが夜の12時。
そして爆音が耳に入ってきて、時計を見てみれば朝の4時。
「……」
もう一時間は眠れたものをと憤慨しつつ、咲夜は寝巻き姿から急いでいつものメイド服へと着替える。
まだ眠い目や頭の中をブンブンと首を振るようにして覚醒させ、部屋を出た。
爆音がしたのは2階からだった。
駆け足で爆音の元へ行ってみると、見事に廊下の壁や天井が倒壊している現場へと辿り着く。
「…妹様」
その倒壊の中、一人星を眺めるフランドールが立っていた。
「あ、咲夜起きちゃった?」
咲夜に気づいたのか。フランドールは星を眺めていた顔を咲夜に向ける。
その顔は何処かつまらなさそうであった。
「…何があったのですか?」
「天狗がいたから遊ぼうって言ったのだけど、逃げられちゃった」
フランドールは悪びれた様子もなくそう言うと、手に持つ新聞を咲夜に手渡す。
「これは?」
「天狗が持ってきた物よ。これを渡しに来たんだって」
咲夜に新聞を渡したフランドールは、ゆっくりと自身の部屋である地下室へと戻る。
「つまんないから私寝ちゃうね。おやすみ咲夜」
フランドールはそれだけ言って廊下の先から見えなくなった。
「おやすみなさいませ」
咲夜は、そんなフランドールに後ろで一礼する。
一礼した後、咲夜は新聞の内容を読んでみて納得した。
書かれていたのは明日に向けての記事の特集だった。あの天狗の事だ。わざわざここに持ってきたという事は当日取材でもしに来るのだろう。
「そんな事より…」
咲夜は何故こんな所でフランドールと文が出くわしたかが、理解できなかった。
普通、こんな事になるまえに、門番である美鈴の所で新聞を渡せばいいはずなのにだ。
「……まさか」
咲夜は自分の考えに思い至り、急いで紅魔館の門へと向かった。
「……すぅ」
「………この」
咲夜はその現状を見て握っていた拳が小刻みに震える。
美鈴は立ったまま紅魔館の門の前で寝ていた。
それだけならまだいい。それだけならまだいつものことだと言えただろう。
だが、あろう事か、胸元が大きくはだけ、その谷間に新聞が挟んであるのに起きないとはどういう了見か。
「起きなさい!!」
「ぎゃあああ!?」
咲夜は躊躇なく全力で携帯していた銀のナイフを美鈴に投擲する。
一本所ではなく、数十本を。
「さ、咲夜さん! 痛い、痛いです!」
「黙りなさい! 貴方がそんなだから!」
咲夜の怒りはフルスロットルであった。起きたくもない時間に起こされた事。それの原因が美鈴にある事。極めつけは胸で新聞を挟むだと!? アテツケカ!!
「アアアアアアァァァァァァァ!」
悪鬼のように叫ぶ咲夜はナイフを何度も何度も美鈴に投擲した。レミリアが帰ってくるまで美鈴の泣き叫ぶ声が続いたという。
「…おはようございます」
咲夜はその後、レミリアの言いつけで行事の準備をするようにと言われ、今香霖堂へと足を運んでいた。
「…おはよう」
挨拶をする霖之助だが、流石に三度も立て続けに来ると、どんな品物が欲しいかがわかってしまう。
「メイド長もチョコの材料かい?」
「…もって言いますと、他にも誰か来たのかしら?」
咲夜はそう言いつつも、大体の見当はついていた。あの新聞が来たのはまだ日が昇ってさえいない時だ。恐らく、あの天狗はあの黒白や人形遣いにも新聞を配ったのだろう。
「魔理沙とアリスがついさっきね。君も新聞の行事に向けてかい?」
咲夜はコクリと頷く。
「わざわざ天狗が新聞を紅魔館に送ってくれたわ…」
咲夜は溜息を吐きながら答えた。
「とりあえずチョコに使う材料、あるだけもらえるかしら?」
「…ちょっと、待ってくれないか? さっき魔理沙が大分持って行ったから…」
椅子から立ち上がり、霖之助は再び香霖堂の奥へと引っ込む。
数分経ち、奥から出てきた霖之助は、ドサリと、大きな袋を咲夜の前に置いた。
「これで大体全部だ」
「…大体何人分ぐらいかしら? これ」
白い大きな袋の中を覗く咲夜。中には砂糖やら小麦粉やらカカオやらが大量に瓶詰めの状態で保管されていた。
「約三十人分って所かな。これ以上欲しいなら人里に行ってもらうのが一番いいけれど…」
「充分よ」
咲夜は霖之助からお代を聞き、財布から払うと、白い袋を肩に背負う。
「…大丈夫かい?」
三十人分はそれなりに重いはずなのだが、咲夜は涼しい顔をしたままだ。
「大丈夫よ。鍛えているから」
背負ったまま、霖之助に一礼し、咲夜は香霖堂を出て行く。
霖之助は今度こそ、誰も来ないだろうと思い。
「…今日は、もういいかな」
咲夜が出た後、昼間にもなっていないというのに店を閉めた。
あの新聞が出回っているのなら再び訪れた客が注文するのはわかりきっている。
しかしさっきの咲夜が持って行ったのがあれで全部であり、多少残ってはいるが、後の物は霖之助がこの行事に参加する分であった。
ないものを欲しがるお客を見るほど辛い物はない。霖之助はそう思い、早々に店を閉める決意をしたのだ。
「…さぁ、そうと決めたら少し寝なおすか」
軽く伸びをして自室に引きこもる霖之助。彼の決意とは裏腹に、どう考えても店番を放棄しているように見えるのは否めなかった。
※
「よ。今度は何処に向かうんだ?」
空で偶然会った文に魔理沙は急旋回しながら戻り、声をかけていた。
「今度はっていうと、ちゃんと読んでくれたんですね」
文は魔理沙が新聞を読んでくれた事に少なからずほっとする。
わざわざ真夜中に行ったかいがあるというものだ。
「あぁ、ビックリしたぜ。起きてみたら窓際に新聞があったのは。カギも閉まっていたし、どうやって入ったんだ?」
「それは天狗の秘密と言う事で……」
まさか風を中に入れて無理やり開けた等とは言えない。
「ふーん。まぁいいけどな。私も新聞に書かれている通り、準備だけはしてあるぜ。アリスとも会ったが、あいつも準備しているみたいだしな。これから霊夢もやるのかどうか聞きに行こうとしていた所だ」
「あれ、博麗神社に向かうのならこっちじゃ?」
文は魔理沙が来た方角に指を差し向けた。
しかし魔理沙は首を横に振る。
「神社に行ったけどいなかったんだよ。多分紫のところに行っているんじゃないかと思って、今マヨヒガに向かっていたんだが」
神社に霊夢がいないという言葉に文は少しばかり考える。
「困りましたね…魔理沙さん、私も一緒に行っていいでしょうか? 今日中に幻想郷の皆に配りたいんです。新聞を」
「別に構わないぜ。文なら私の速度に楽々ついてこられるだろ」
文のお願いに魔理沙は頷く。
「んじゃあ、飛ばしていくか!」
箒に跨り直して、魔理沙は帽子を押さえるようにマヨヒガまで全速力で飛ばしていく。
文もそれについていくように速度を上げていった。
マヨヒガまで、二人が辿り着くまでそうはかからなかった。
魔法使いと天狗と言った珍しい組み合わせは、マヨヒガの途中の道にたむろする妖怪達の目に入ると、慌てて道を譲るような感じにどいていった。
勿論、文は妖怪問わず、新聞を途中ばら撒く。
興味がある妖怪はきっとやってくれる事だろう。
自分の新聞を読んで、実行に移してくれるだけで、文にとってそれは明日の取材の宝となっていくのだ。
マヨヒガに立つ家に、魔理沙と文は地面に降りて、扉を叩いた。
「こんにちはー」
「紫いるかー?」
扉の前で声を上げる文と魔理沙。
程なくして、歩いてくる音が中から聞こえてくる。
扉のカギを開ける音が聞こえ、ガチャリとドアが開かれる。
「ハイハイどなた~?」
扉を開けたのは、紫でも霊夢でもなく、式である橙や藍でもなかった。
「おや、魔理沙に天狗じゃないか」
出てきたのは、今も少し酔っているのか。顔を赤くしながら、分銅をじゃらじゃらとぶらさげる子鬼、伊吹萃香だった。
「おー、萃香がいるなら霊夢もいるな」
萃香を見て魔理沙はここに霊夢がいる事を確信する。
「ん? 霊夢に用事で来たの?」
萃香は首を傾げる。
「私は霊夢に用事だ。文は多分萃香や紫にも用事があるだろ」
「はい、丁度よかったです。みなさんがいて」
文は紫や萃香もいた事に内心歓喜する。一人は幻想郷では見なくなった鬼、もう一人は八雲の大妖怪だ。取材の宝としては、いいものになるだろう。
「ふーん? まぁよくわからなけいど上がりなよ」
自分の家のように萃香は言って魔理沙と文を家の中に上がらせる。
「お邪魔するぜ」
「お邪魔しまーす」
玄関で靴を脱いで上がる魔理沙と文は上がる。
萃香の後をついていくように廊下を歩いていき。
「紫~霊夢~お客さんだよ~?」
襖を開いて酒臭い部屋に入った。
「う………」
文はさっと口に手をあてる。そこはかなり陰鬱な空間だった。
酒瓶がいくつ転がっているかわからない。部屋の中にいる面々は机に突っ伏しているのもいれば、部屋の奥で転がって寝ているのもいる。
「おいおい…藍と橙にも酒を飲ませたのかよ」
文は魔理沙の顔を見るが、呆れ顔をして部屋の状態を見ていた。
「あら、珍しい組み合わせね」
霊夢が見上げるように魔理沙と文を見る。その顔は少しばかり赤くなっていた。
「こ、こんにちはー……」
その陰鬱とした空間で、紫と霊夢は机に杯を置いて座っていた。
「鴉天狗もここに来るのは珍しいわね。何の用かしら?」
紫は置いた杯にお酒を注ぐと、再びぐいっと飲み干していく。顔は赤くすらなっていなかった。
文と魔理沙は空いている席に座る。文は話を切り出すように肩下げ鞄から新聞を取り出そうとしていた。
「実は…」
「待った」
そこで同じようにお酒をぐいっと飲み干した霊夢は、飲み干した杯をそのまま文の前に置いて注ぐ。
「発言する度に一杯分、今そういうルールでここで飲んでいるから守って頂戴」
「…は?」
新聞を取り出そうとした手が止まる。
「い、今仕事中なのですが……」
置かれた杯を霊夢の所に戻そうと、文は杯を持った。
「いいから飲め」
だが、目が据わっている霊夢に文は杯を返せなかった。
予想以上にどうやら巫女の方は酔っていると、文は認識を改めなおす。
恐らく、藍と橙が酔いつぶれているのも、このルールに耐え消れなくて、先に潰れた為か。
(し、しかしどうしましょう……)
まだ自分には回る所がある。それなのに今ここでお酒を飲んでしまえば回れなくなってしまうかもしれない。
「……」
困り果てる文を見かねたのか。
「よっと」
文が持つ杯を、横で見ていた魔理沙が引ったくり。
「ん……」
一気に口の中に流し込んだ。
「ま、魔理沙さん?」
「…ふぅ。私が代わりに飲んでやるから、文、お前は話を続けな」
杯に入っていたお酒を飲み干して、魔理沙は文に話を進めさせる。
「…は、はい」
新聞を3部取り出し、文は霊夢と紫、それと萃香に新聞を手渡した。
「…ん。これは?」
ぐいっと酒を飲み干して、紫は渡された新聞に目を通す。
「それを今、幻想郷全域に配っているんです」
「…ん、ふんふん……へぇ、ヴァレンタインの真似事を、種族問わず、やろうとしているのね」
紫はこの行事を知っているのか。新聞には一言もヴァレンタインと書かれていないにも関わらず、この行事の正式な名称を言った。
「…大切な人、想い人へと贈る行事。本来なら確か、神様を祝う行事のはずなのだけれど、こう書けば色々な者がこの行事に乗りそうね」
紫は杯にお酒を注ぎなおして、再び煽る。
「でも、妖怪達は何処でこういった贈り物を持つんだい?」
横で話を聞いていた萃香が、自前の杯を飲み干して話に割ってはいる。
「そうね。人間達ならまだしも、こういう贈り物を山や森に住んでいる妖怪が用意出来るとは思えないわ」
「…確かに、そうですが」
文は横目で魔理沙を見つつ、話を進める。既に4杯目。新聞を渡せた時点で目的は達成しているのだが、文はその疑問に答えを出していた。
「紫さんと霊夢さんが率先して手引き出来ないでしょうか…? その、妖怪達に」
文は駄目もとで聞いてみた。霊夢は博麗の神社の巫女だが、妖怪達に受けがいい。
そして、八雲紫は、外と繋がりがある妖怪だ。材料問わず、完成品を大量に用意する事だって可能なはずである。
問題は、そんなボランティア精神が、この二人にあるかどうかだが。
「何で私が」
霊夢は酒を飲み干して拒否の発言をした。
「…私も同じね。そこまで周りの妖怪にしてあげるほど、優しくはないわ」
「…そう、ですよね」
紫からも拒否の発言をされる。
文はそこまで期待していない。出来たら、皆が楽しめる行事になってほしいというだけで、強制は出来ないのだ。
「…次の所にいかなきゃいけないのでこれで」
文は一礼して、席から立ち上がる。
出来たら後、三途の河と太陽の畑を回りたい所である。その後は、夜の食べ物所である、ミスティアに渡せば大体配りきるはずだ。
「魔理沙さん、すみません。私の代わりに」
横で自分の代わりにお酒を飲んでくれた魔理沙にお礼を言う。
魔理沙はその言葉に笑って返していた。
「なあに、私が飲みたかっただけさ。もう少し飲んでいくから、悪いけどここでお別れだけどな」
「はい。いつか何処かでお礼をさせてくださいね」
文は駆け足で部屋から出て玄関から外に出ると、翼を広げ、三途の河へと向けて飛び立った。
「……なぁ」
文が出て数分経っただろうか。
魔理沙は杯にお酒を注ぎつつ、一気に口に運び、飲み干す。
「何とかしてやれないのか?」
魔理沙は横目で紫と霊夢に問う。
「出来るけれどメリットがないわ」
そんな魔理沙の発言を切って捨てるように紫はお酒を飲み干す。
「あんなに文が努力してるんだぜ? それを応援してやるのも、上に立つ妖怪のする事じゃないのか?」
「…なによ、魔理沙。文の肩を持つっていうの?」
横で魔理沙の言葉を聞いていた霊夢は、不愉快げに自分の杯に酒を注ぎ、一気に飲み干す。
「努力する奴は嫌いじゃないからな」
魔理沙はそう言い捨ててお酒を飲む。
「………そうね。なら魔理沙、勝負をしましょう」
その言葉に、紫は何を思ったのか。
隙間から一升瓶を取り出す。
「お。鬼殺しだね」
萃香はぐいっと、杯に入っている酒を飲みつつ、紫が取り出した酒を見ていた。
「鬼殺し?」
「鬼をも酔わす、特注の酒って奴さ。アルコール度数99%。まぁ、間違いなく人間が飲んだら、倒れるじゃ済まないね」
「倒れるじゃ済まないって…」
魔理沙は紫が取り出した酒瓶を見ていたが、取り出した紫本人は、そんな魔理沙を見て薄く笑っていた。
「この一升瓶を飲みきったら、今さっきの話を考えてもいいわ」
「…マジか」
魔理沙は顔を青ざめる。萃香があれほど言う代物だ。間違いなく今の酒より絶対にきつい。
文の代わりにお酒を飲んで既にかなりの量に達している。
そろそろほろ酔い気分だと言うのにそんなものを飲んだら卒倒しかねない。
「…どう? やる? それともやらない?」
紫は愉快げに魔理沙の青ざめた顔を見る。
魔理沙は、一度目を閉じた。
あの天狗は、今も必死に幻想郷の空を飛んでいるのだろう。
魔理沙は、文の新聞の噂を耳にした事がある。
それは、どんな事を書いたのか。後ろ指をさされたり、馬鹿にされるような時もあったみたいだった。
けれどあの文は、今日も幻想郷のみなに読んでほしい。皆にこの行事をしてほしいと思い、飛び回っているのだ。
魔理沙は置かれている一升瓶をがっと掴む。
そんな物を見せられて、私がここでやらないでどうするんだ。
「んぐ…」
魔理沙は一気に一升瓶を飲んでいく。
口に来る強烈な熱さをじっと待ち。
「…んぐ?」
飲んでも飲んでも、冷たい、水の味しか来ない事に疑問を抱く。
「…んっく、プハ」
一升瓶を飲み干した魔理沙に、紫はニヤニヤしながら見ていた。
「おめでとう魔理沙。飲み干せたみたいね」
「ゆ、紫? これ、水じゃ……?」
「えぇ、水ね」
その言葉にこらえきれなかったのか、萃香はブッと吹くようにして笑った。
「アハハハ! 魔理沙ってホントに面白いわよね!」
「す、萃香。お前、騙したな!?」
魔理沙は、今さっきまでの必死な決意が何だったのかと憤慨する。
「いいじゃないいいじゃない。本当に鬼殺しだったら魔理沙は飲めなかっただろうしさ」
怒る魔理沙に萃香は腹を抱えながらも、尤もな事を言う。
「そう、だけどさぁ……」
魔理沙は納得がいかないのか。頭を掻きつつぼやく。
「貴方の気持ちは受け取ったわ。私の方から少しだけど、約束通り手引きしてあげるわよ」
魔理沙が飲み干した一升瓶を紫は隙間に戻すと、手引きしてくれる事を約束してくれた。
紫が見たかったのはあくまで魔理沙の度胸と気持ちである。紫は否定的な事を言っていたが、行事としては面白い明日のイベントに、最初から手を貸そうとは思っていたのだった。
「博麗の神社に貰いにいく形でいいわよね?」
紫はさっきから静かになっている霊夢に声をかける。
「……すぅ」
だが、いつの間に落ちたのか。
霊夢は目を閉じ、机に突っ伏すでもなく、コクリ、コクリと座りながら船を漕いでいた。
「あらあら…」
紫は眠る霊夢を見て、抱き上げる。
紫の手でお姫様抱っこをされた霊夢だったが、それでも起きる気配はなかった。
「今日はこれでお開きね。霊夢を介抱するから二人とも帰ってくれるかしら?」
「あ、ああ。わかったぜ」
転がる藍や橙も介抱しなくていいのかと思ったが、口には出さない。彼女達は紫の式である。
霊夢と違い、ここで転がって寝ていても風邪等引くことはないだろう。
「えぇ? お開きなのー?」
まだ飲み足りないのか、萃香がダダをこねるが、紫は歩みを止めない。
「仕方ないじゃない、霊夢が眠っちゃったのだから。萃香も明日の行事の準備でもしてなさい」
紫は文句を言う萃香にそう言うと、お酒を飲んでいた部屋から出て行く。
「むぅー」
「まぁ仕方ないさ。萃香も一緒に私の家でチョコを作らないか? 材料だけはこーりんからいっぱい貰ってきてるからさ」
「うー、うー」
唸る萃香だったが、魔理沙の言葉に反応するように立ち上がり、外へと出て行く。
魔理沙はそんな萃香の後を付いていくようにして、このマヨヒガから自宅へと戻っていった。
※
三途の河は、何処までも霧が立ち込めた。陰鬱な場所であった。
晴天であった幻想郷の空が、ここに来て深い霧に立ちこめていて、暗い空間へと変わっていく。
尖形をした山々が並び、そこは何処までも、異界と呼ぶにふさわしい場所であった。
文はそんな霧が立ちこめた河の此岸側で、大の字に寝ている死神の前に降り立つ。
「こんばんはー」
一応声をかけてみるが、起きるそぶりはない。
死神の仕事をサボっている小野塚小町は、サボりの常習でよく閻魔である小町の上司、四季映姫に怒られている事を知っている。
「おはようございますー。起きてくださいー小町さんー」
「……すぅ」
肩を揺らしてみるが、全く起きる気配がない。
まだ寝言を吐かないだけ門番の美鈴よりましかもしれないが、やっている事に変わりはなく、文が取る行動も変わらなかった。
「仕方ありませんねぇ」
文はニコニコと笑いながら肩下げ鞄から新聞を一枚取り出し、小町の胸元をはだけさせようと着物を掴む。
「……何が、仕方ないんですか?」
だが、その行いを見咎めるように。
文が降りた空から、直立不動に立つ、閻魔がいた。
「小町を見に来てみれば…貴方は今、何をしようとしていましたか?」
だらだらと背中に嫌な汗が流れる。
映姫の顔は笑ってもいなく、怒っている素振りもない。
ただただ能面。何の表情も浮かんでいないのだが…。
「え、ええと」
「天狗の貴方に、前に言いましたよね? 貴方は、好奇心が強すぎると」
後ろに立ち込める殺気は隠しきれていない。
「ちょ、ま、待ってください! 誤解、誤解なんです!」
「えぇ、えぇ。誤解であればよかった」
文の言葉に耳を貸さない映姫。
「しかし、安心なさい。この私が、貴方を裁きましょう」
「あ、あややや…! こ、小町さん! 小町さん起きてください!」
この状況でもいまだに寝こけている小町の胸倉を掴み、バシバシと平手を小町の顔に打つ文。
「…う、んん? 何だい…? 私は今忙しい……」
「起きないと死にますよ!!」
寝ぼけ眼の小町に文は必死に耳に向かって大声で叫ぶ。
「きゃん!? ……な、いきなり耳元で大声を出すな!」
可愛らしい声を上げて、小町は完全に目を覚ます。
「貴方の上司が誤解しているんです! 誤解を解いてください!」
「は、はぁ?」
起きた小町は、ようやく上にいる映姫が見えたのか。
顔が一気に、青ざめていった。
「………あ、あの。四季、様? これはその」
「有罪」
弁明を言わせずに、小町と文は、閻魔の弾幕を一緒に浴びた。
「全く、何度私を怒らせれば気が済むんですか」
ガミガミと説教される事一時間。
小町と文は、地面に正座をしたまま映姫の説教を聞いていた。
「あ、あの。四季様…」
「黙りなさい」
小町が弁明を言おうとする前に、映姫は有無を言わさず、説教を止める気配がない。
「いいですか? 私が多忙となっているのは、いつもいつも、貴方が真面目に仕事をしないからなのですよ? それをちゃんと理解出来るまでは、今日は貴方に何も弁明させません」
その言葉に、小町はガクリとうなだれる。
「貴方もです。射命丸文」
「私のは誤解ですって……」
矛先が文へと変わり、文は無実だと主張する。
「ほぉ? では何故小町の着物をはだけさせようと? 貴方にいたずら心がなければ着物をはだけさせよう等とは思わないはずですが」
文はその言葉に好機を見出す。確かにしていた行為はいたずらそのものだが、この閻魔にその目的となる物を見せればどうにか、どうにかこの状況から脱出出来るのではないか?
文はそう思い、肩下げ鞄から新聞を一枚取り出す。
「これをその…小町さんの胸元に挟もうと思いまして…」
言っている事は既にいたずらを認めているようなものだったが、映姫はその新聞を手に取り、しばし黙読する。
「……」
「これを小町さんに渡せば、その、閻魔である四季映姫様も参加してくれると思ったのです…ですが、小町さんは寝ていまして、仕方なく……私はまだ他の所にもこの新聞を配らないと行けない身ですので、小町さんを起こす時間さえも、惜しかったのです」
文はほろりと嘘泣きまでしてみせる。小町には悪いが、まだ自分は回る所がある身、全力で捨て石になってもらおう。
「…ふむ」
「し、四季様。ま、まさかそんな話信じる気は…」
わざわざ胸元に新聞を入れる意味がないじゃないかと小町は思ったが、閻魔である自分の上司は。
「…確かに。貴方の話も一理ある」
こういう話に弱い。特にそれが善行なる行いと思った時は、特にだ。
「いいでしょう、今後好奇心をうまく抑えるように、行きなさい。射命丸文、己の善行をするために」
「ありがとうございます!」
文は正座のまま土下座をするように頭を下げると、さっと立ち上がり、翼を広げると韋駄天の速さで三途の河から脱出した。
「…えぇ?」
小町は高速で飛び去っていった文を呆然と見送り。
「では、小町。貴方にはまだ説教をしなければいけませんね」
ニコリと、嫌な笑みを浮かべて、まだ延々と説教をする宣言をされる小町であった。
※
「ふぅ、何とか逃げおおせました」
文は三途の河の霧の景色から脱出した辺りで、安堵の溜息を流す。
小町には悪いが、本当に時間が押し迫っているのだ。
空は徐々に夕日になりつつある。
「急がなければなりません……」
残す太陽の畑へは、三途の河から反対側の奥地にある。
文は全力で翼を広げ、速度を上げていく。
向日葵が春夏秋冬に関係なく咲くあの畑は、文字通り、妖怪達が集まる溜まり場だった。
文はそこで行われる、プリズムリバー楽団の演奏会の時間に到着しておきたかった。
妖怪や妖精達に一気に新聞を配れる機会があるとしたらここしか恐らくないだろう。
文は少しばかりその演奏会に遅れた。
太陽の畑にはかなりの数の妖怪や妖精が集まっている。
その中心にいる三人の騒霊。
演奏は既に流れている。音が次女である、メルラン・プリズムリバーのトランペットに移っているのを見ると、最初のスタートの長女である、ルナサ・プリズムリバーのバイオリン演奏には間に合わなかったようだ。
文は踊る向日葵の中に、面識がある人物を見て、その妖怪の横に行く。
「こんばんはー。幽香さん」
「あら、天狗の」
ピンクの日傘を片手に持ちながら、プリズムリバーの演奏を聞いていた、フラワーマスターこと、風見幽香であったが、横に降りてきた文を見てそちらに顔を向ける。
「あ、いつかの天狗だ!」
横にもう一人声を上げる少女がいた。
「こんばんは。メディさん」
赤一色のフリルドレスに長い金の髪にリボンと言った、人形が、妖怪になった少女、メディスン・メランコリーが幽香の手を握るようにして横に立っていた。
「珍しいですね。貴方が無名の丘から出るなんて」
文は幽香の横にいるメディスンを見て首を傾げる。彼女は無名の丘にある鈴蘭が大好きで、あそこから離れたがらないはずなのだが。
「スーさん達ね、春まで寝ているの」
「寝ている?」
メディスンの悲しそうな顔に、文はあの鈴蘭畑に何かあったのかと思った。
「鈴蘭は冬の間は花を閉じてしまうのよ。開くのは春になってから」
横にいる幽香がそう付け加えてくれて、文は納得した。
「ここは特殊すぎますしねぇ…」
文は冬だと言うのに咲いている向日葵達を見る。
「それはそうよ。私が手塩をかけているもの」
幽香はニカリと笑う。この向日葵達を維持するのに、一体どれだけの犠牲と時間をかけているか。文はこの向日葵達の苗が何なのかを、わかっていて「特殊」だと言った。
「そういえばリグルさんはどうしたんです?」
幽香の近くでいつも捕まっている蛍の妖怪の姿がない事に疑問を抱く。
「あの子はまだ冬眠中よ。今年の冬は寒くてまだ駄目みたい」
幽香は溜息を吐きながら語る。
文は、だからメディスンを横に置いているのかと納得してしまった。
幽香には少しだが、誰彼構わずいじめる癖がある。
冬の間はきっとリグルがいなくなって、代わりにメディスンと言った所なのだろう。
「それはそうと、貴方いいの? 写真を撮らないで。プリズムリバーの演奏を」
「ああ、それなんですが…」
文は本来の仕事を幽香に言われ思い出す。
肩下げ鞄から新聞を2部取り出すと、幽香とメディスンに手渡した。
「なあに? これ」
「今日の新聞です。これを今日は、配りに来たのですよ」
黙読して読む二人に、文は流れてくる演奏を見聞きしながら待った。
いつの間にか、三女であるリリカ・プリズムリバーの演奏になっている。
ルナサやメルランが強烈すぎて、あまり目立たないが、彼女が奏でる演奏も、聴くものにつかの間の幻想を見せる演奏だ。
リリカの周囲に銀の結晶がキラキラと降りるほどの幻想。
「……あれ?」
しかし、それは幻想ではなく、本当に白い雪の結晶が周囲に輝いていた。
それを見た妖怪はおおっと一際歓声を上げたが、何故夕焼け雲のこの向日葵畑の中、こんな現象が起きているのか。
「これって…」
上を見上げる。誰かが雪を降らしているわけでもないみたいだ。もしかしたら氷妖精のチルノがこんな芸当をしたのかと思ったのだが。
「ああ、今日はレティも来ているのよ」
幽香は新聞を読み終えたのか、プリズムリバーの周囲に起こっている現象に答えた。
確かに、雪の妖怪であるレティ・ホワイトロックなら、動かずにこんな芸当も出来るかもしれない。
「あの人もこういう所に来るのは珍しいですねぇ」
レティは冬にしか動けない身だ。それをこういう大勢の妖怪がいる所に出てきて、腕を振るう性格でもないはずなのだが。
「フフ、レティもご執心の子がいるのよ。その子が、大妖精の子と一緒にこの演奏を聴きに来たから、着いてきたみたいよ」
幽香は何かを思い出したのか、クスクスと笑いながら話をする。
レティのご執心の子と言うのは、きっとチルノの事だろう。チルノの特集を作る時に、そういえばレティも傍にずっといた事を、文は思い出した。
「この新聞を見たら、きっとレティは喜ぶわね。冬に行事を行うだなんて」
「問題は、いつ配りましょうかねぇ……」
新聞の話題になり、文はプリズムリバーの演奏を聞きながら、どうしようか悩む。
途中に空から新聞をばら撒くでもいいのだが、それはこの演奏会自体に対してのマナー違反だ。
急いでいる身とは言え、心証を悪くするのも嫌であった。
「新聞は、後どれくらいあるのかしら?」
幽香に尋ねられ、文は鞄の中に入っている新聞の部数を確認する。
「…後、40枚程です。この後、ミスティアさんの所にも行くので、配るとしたら30枚前後ですけど」
「それなら、みんなに力を借りましょう。新聞を貸してくれないかしら?」
幽香にそう言われ、鞄に入っている新聞を、取り出す。
片手で幽香はそれを受け取ると、隣に咲いている向日葵の上に置いた。
「お願いね、これを皆に」
ピンクの日傘で向日葵を押す幽香。
すると、どうだろうか。
咲いている向日葵達に向けて、その向日葵は首を回すようにして新聞を投げる。
「…凄い」
隣で見ていたメディスンは感嘆の言葉を呟く。
投げられた新聞を、他の向日葵達が、首を回すようにして受け取るのだ。
まるで生きているみたいに動くその向日葵達は、周りで演奏を聞いている妖怪たちの肩を、花の部分で叩いて新聞を渡していく。
文はその光景を呆然と見ていた。
「これで、よかったかしら?」
横で日傘をさす幽香は、ニコリと文に笑いかける。
「あ、ありがとうございます! 幽香さん!」
向日葵達の力を借りて新聞を配った幽香に、お礼の挨拶をする文。
「たまには私も通り名らしい事をしなくちゃね」
フラワーマスターの名は伊達ではない事が、ここに証明された。
夕日も徐々に沈み始めている。日が落ちてからが妖怪達の本調子なだけあり、まだまだ演奏会は終わりそうになかった。
「では、私は次に回らないといけないので、行きますね!」
幽香とメディスンに手を振りながら、文は太陽の畑から走って遠ざかり、演奏会から離れた所で飛んだ。
人里に戻る頃には丁度日が沈む頃合いだ。
はずれに屋台を置くはずである、夜雀のミスティア・ローレライの元へと文は向かった。
※
「サークラーサークーラーサキミダレ♪」
日が沈み、太陽が消え、代わりに三日月と星々が出ている夜の帳。
歌を口ずさみながら今日もミスティアは、人里のはずれで屋台を開く。
今日はどんなお客が来てくれるだろうか? 私の歌を聞いてくれるだろうか?
「ソラ、ニ、マーウーハハンゴンチョー♪」
包丁を持ち、魚を捌きながらも歌う事を忘れない。
歌を忘れては、この屋台をする意味がないから。
「ああ、よかった。やっていました…!」
トントントンとリズムよく包丁でお鍋物の下準備を作っていたミスティアは、お客さんかな? と少し待つ。
「こんばんはー。ミスティアさん」
「こん、ばん、はー♪ 天狗の貴方だったかー♪」
ミスティアは文を見て、お辞儀をする。文はミスティアの所に来る常連の一人であった。
「ご注文はー?」
「そう、ですね。とりあえず即興で出せる物を」
「はーい♪」
文の注文を聞いて、ミスティアはヤツメの串揚げと、鰻の串焼きを用意する。
「夢に、ミタ、マボロシノー♪バショヲー♪」
いつもと同じく、上機嫌な歌を歌うミスティアに、文は屋台の椅子に座りながら、肩下げ鞄から新聞を取り出した。
「あの、ミスティアさん。歌っている所悪いのですが…」
「んー? 何ですかー♪」
文は新聞を取りだして、ミスティアに見せる。
ミスティアは串の焼き加減を見ながらも、その新聞に目を通していた。
「ふんふん………へぇー♪ 明日はそんな日なんですねぇー♪」
串焼きを、新聞を読み終えると同時に、お皿に盛り付けて文の前に出すミスティア。
「あ、ありがとうございます……それでですね。この新聞を10枚程、ここに置かしてもらってよろしいでしょうか?」
「構わないよー♪」
二つ返事で了承するミスティアに、文は早速屋台の端に新聞を置かせてもらう。
これで一通り、幻想郷の皆に新聞は回るはずだ。
「…はぁ………」
文は、力尽きるようにその場でカウンターに突っ伏すようにしながら、出された串揚げをほおばる。
「…んぐ。あぁ、やっぱり仕事の後の御飯は美味しいですねぇ……」
やっと下準備が終わった。後は一度山に戻り、明日に備えての取材と、新聞の発行の準備をするだけだ。
オーバーワークが今頃になって来たのか、身体中がビキビキと、音を鳴らして痛いと警告しはじめる。
一日中、カフェでの休憩以外は、幻想郷の空を飛び回っていたのだ。むしろ今までよく保ってくれたと言うべきだろう。
「サダメニ背くはー、誰がタメー♪ マヨイキズツイテー♪」
いつの間にか、ミスティアが歌う曲も変わっている。
文は腕を回すようにしながら、痛む全身にもう一度渇を入れる。
「ごちそうさまでした」
「はーい♪」
ミスティアに食事の代金を払い、文は人里を足早に出ると、再び、星が輝く夜空へと飛んだ。自身が住まう妖怪の山に帰るために。
※
「お帰りなさいませ。文様」
山の自宅に戻った文は、自分の帰りを待っていたのか。
哨戒天狗である、犬走椛が部屋にあった椅子に座って待っていた。
「ただいま、椛。私の帰りを待っていたの?」
仕事からやっと解放された為か、文はいつもの丁寧口調を無くし、椛に話かけていた。
「はい。………文様に、上から命令が降りました」
その言葉に、文は固まる。
「命、令……?」
「はい。明日の2月14日。自宅から出ないようにとのお達しです」
椛は生真面目に、表情を崩さないようにしてその゛命令゛を言っていた。
「なん、ですって……?」
文は、その言葉に怒りや悲しみよりも、何故? という疑問がまず浮かび上がった。
このタイミングで、何故自宅から出るなという命令が来るのか。
「どうして、どうしてこのタイミングでそんな命令がくるの…!?」
「…理由はわかりません。私は唯、この命令を帰ってきたら文様に伝えろと言われただけですので」
椛の言葉に文は頭を抱える。
理由はわからない。けれど自宅から出るなだと?
文は今日一日してきた事を、自分の目で、明日取材という形で回るはずだったのだ。
それをまさか、身内に潰されるとは思ってもいなかった。
「……椛、貴方にもその命令は降りているの?」
ふと、疑問に思った事を聞いてみる。
「いえ、私には降りていません。あくまで、文様だけにみたいです」
その言葉に、文はわかってしまった。
自分の今回の文々。新聞が、上から見ればよくない事なのだと。
人と妖怪が揃って参加しようとしているこの行事の風景を、写されたくないのだと。
上の天狗達は未だに妖怪としての威厳というものに、執着していたのはわかっていた。
人間に自分たちは賢い種族なのだと、生まれた時から力関係が違うのだと思っている連中だ。
「はは……」
文は、笑うしかない。何処かで身内の天狗に、自分の新聞を読まれたというだけで、こんな事になるとは考えていなかった。怪我を負った時でさえ、新聞を毎日出していたというのに。
こんな形で、それすら潰された。
「文、様………」
椛は乾いた笑いをする文に、どう声をかければいいかわからない。
「……ごめんなさい、椛。帰って」
文は椛の横を通り過ぎて、寝室になっている部屋へと飛び込む。
あのまま、椛の前で泣くわけにはいかなかった。
「う……」
文は寝室に置かれていた布団に飛び込んで、枕に顔を押すようにして声を押し殺して泣く。どうしてこう、いつもうまくいかないのか。
「…ひく……うぅ」
きっと自分の新聞を読んで、明日みんな行事をしてくれる事だろう。
記者として、それを記事に出来ない事に、文は泣くほかない。
命令を蹴ってでも行くべきか?
答えは否。鴉天狗である私がそれをしてしまったら、下に示しがつかない所か、この妖怪の山から追放されてもおかしくはない。
むしろこれぐらいで済んでよかったと喜ぶべきなのか。
「……いいわけ、ないじゃない…」
自分のその考えに、文は拳を握り締める。
文はここにきて、どうすればいいかわからなくなってしまった。
記事にする事なら限りなく頭の中は動いてくれるというのに、こういう事になると全く動いてくれない。
一度下った命令を変えることは無理だ。上司の天狗に掛け合っても無駄だろう。
文は、枕に顔を押さえながら、まどろみの中に落ちていく。
どうしようもない。何もかも、諦める他なかった。
「……」
椛は帰っていなかった。
寝室に繋がる部屋の外の前で、押し殺した声で泣く文をずっと聞いていた。
「文様……」
椛は、文が文々。新聞にどれだけ力を入れていたか知っている。
椛は懐から文が作った新聞を取り出していた。わざわざ今日の昼間、人里まで降りて取ってきたものだ。
大切な人へと、想い人へと贈り物をする行事。新聞にそう書かれた物は、今や幻想郷の皆が行うべく、やろうとしている行事だ。
「……私に」
新聞をじっとみつめながら、椛は考える。
「私に、出来る事は……何かないでしょうか?」
椛は必死に考える。文の為に。自分に出来る事はないのかと。
※
2月14日、早朝。
朝日が出始め、魔法の森からは、鳥の囀る声が何処からともなく鳴く音が木霊していた。
空は昨日に続いて青空が広がっている。今日も雪や雨が降ることはないだろう。
「で、出来たぁぁぁ………」
アリスは最後の作品をラッピングすると、椅子の上で歓声を上げた。
昨日の夕方頃から、今日の行事の為に作り始めたアリスは、予想以上に自分のペースの遅さに焦っていた。
一つ作るのに四時間かかったり五時間かかったりと。人形を作るのと編み物とでは、ジャンルは同じでも作業時間そのものが違ったのか。結局徹夜で作るはめになってしまった。
「ふぅ……」
凝った肩をバキバキと鳴らしながらアリスは立ち上がる。
このまま寝室に行って、ベットに倒れこみたかったが、きっと倒れたらそのまま一日中沈んでしまう事だろう。
そのまま脱衣場へと向かって、朝風呂をしようと思い、お風呂に水を張り始める。
昼頃に博麗神社の方に向かえば、霊夢はいるだろう。
「…魔理沙もきっといるわよね……」
自分の想い人。同じ魔法の森に住み、いつも陽気に笑い、いつも私の心の中にいる人。
昨日、香霖堂の入り口で会ったが、彼女も今日の行事の為に準備しているようだった。
きっと神社の方に行けば会えるはずだろう。
アリスは顔がにやけているのが自分でもわからないほど、今日という日に力を入れていた。
同時刻。
「魔理沙~、これにお酒入れちゃ駄目かなぁ?」
魔理沙邸で萃香と魔理沙はチョコを作る作業をしていた。
本当なら、昨日の内に作っておくはずだったのだが、あの後魔理沙と萃香はここでお酒を飲みなおして、朝になるまで、起きられずにいたのだ。
「入れても構わないが、少量にしとけよ? 自分で食べるんじゃないんだから」
魔理沙は液体状になって、ボウルに入っているチョコに、色々と手を加えていた。
大雑把で不器用と言った感じの魔理沙だったが、魔法の実験みたいにチョコを作っているせいか、中々難しい作業を、苦もなく終わらせていく。
「んー、じゃあちょっとだけ……」
萃香にも魔理沙は同じようにボウルを渡していた。原料を作る作業がめんどくさい、難しいとダダをこねた為に、手を加える作業に入るまでやってしまったのだ。
萃香はきゅぽんと持ち歩いているお酒の蓋を開けて、ドボドボとチョコに加えた。
そう、ドボドボと。
「萃香…それは少量じゃないぜ……」
完全にチョコがお酒に負けるだろと突っ込みを入れたくなったが、魔理沙はあくまで自分の作業に集中する。
砂糖や少量の塩等を混ぜて、よくかき混ぜ、後は型通りに流しこむだけなのだが。
「魔理沙~魔理沙~、チョコがー、チョコが熱い……」
「酒をそれだけ入れればそりゃあな……」
酒を入れてかき混ぜたチョコに、萃香は指を突っ込んで味見をしてみたが、カッと喉の奥で熱くなる甘いチョコとお酒の味に、頭をグルグルさせていた。
「冷やせばまた変わるかもしれないぜ。型はどうする?」
気休めを言いつつ魔理沙は頭をグルグル回している萃香に香霖堂からもらってきた形入れを一通り置いてみる。
星型やハート型、動物の型等、多種多様にあった。
魔理沙は複数ある小さな星型の形入れ全てに、液体状になっているチョコを流し込んでいく。
「んー……じゃあ、私はこれとこれでいいや」
萃香が手に取ったのは大きなハート型形入れの二つ。
きっと紫と霊夢にあげるのだろう。少しずつ、それにチョコを流しこんでいく。
「よし、じゃあ固めるか」
形入れに流し込むのを終えた魔理沙は、設置型の属性魔法を、チョコに向けて放っていた。
コールド・インフェルノ。つい半年前に、パチュリーの属性魔法をパクリ…もとい参考にしてものにした、魔法の一つである。
みるみる内に固まっていくチョコを見る萃香は、おーと魔理沙の魔法に歓声を上げていた。
「どうやって固めるのかと思ったら、弾幕の応用とはねぇ~」
魔理沙らしいやと萃香は笑う。
「固めたら、ラッピングしていくから、ちょっと待っててくれな」
「うん、わかったよ!」
チョコに入れていたお酒を、萃香は蓋を閉じずに、椅子に座りながら飲んで待つ。
昼頃には、きっと神社へと持っていける事だろう。
魔理沙がチョコを固めているのを見つつ、萃香は早く出来ない物かと足をブラブラさせていた。
「……何とか、間に合ったか」
白玉桜の台所で、朝早くから妖夢は幽々子に贈るチョコを完成させていた。
わざわざ日が昇らない時間から作っただけあって、出来栄えはそれなりだ。
幽々子にいつも頼まれ、人里にお菓子を買いに行っていた妖夢にとっては、自分でお菓子を作る事自体、初めてであった。
横に失敗したチョコの残骸達を見て、妖夢は溜息をこぼす。
「後は幽々子様が起きてくる前に、これを処理しないと…」
もはや甘い匂いすらしていない残骸を掴むと、妖夢は手に持つ袋へと詰め込んでいく。
全て入れて、ぎゅっと袋の口を縛って閉じ、台所の下にラッピングしたチョコを隠して足早に、台所を後にする。
捨てるとしたら白玉桜から外に出てからだろう。
縁側から庭へと出ようとした妖夢は。
「精が出るわねぇ~妖夢」
庭に佇む隙間妖怪とでくわしてしまった。
「ゆ、紫様!?」
妖夢は、誰もいないと思った庭に紫がいて動揺する。
サッと手にもつ袋を背中に隠し、緊張した面持ちで妖夢は紫を見た。
まさか、自分がチョコを作っていたのを知っているのだろうか?
「ふふ、幽々子の為とはいえ、貴方が自分でお菓子を作ろうだなんて」
思いっきりばれていた。
「こ、これは、その」
妖夢はしどろもどろする自分が情けなく感じながら、扇子で口元を隠しながら庭に立つ紫にどう言うべきか、困ってしまった。
「安心なさい、その背中に隠している事は、幽々子には言わないであげるから」
紫は口元を扇子で隠しながら笑う。妖夢がしどろもどろになっている様は愉快であった。
「その、今日の行事の事も言わないでくれませんか?」
顔を赤くして、妖夢は紫にやっとまともな言葉を喋る。
「あら? 教えていないの?」
まだ幽々子が今日の行事の事を知らない事に紫は多少驚く。
「はい…その、言えば幽々子様はご自身もお作りになってしまうでしょうから」
紫は妖夢のその言葉に、確かにと心の中で頷く。
この行事を聞けば、幽々子はきっと妖夢の為にチョコを作っただろう。
しかし、従者である妖夢は、それをよしとはしないようだった。
「…貴方も、本当に堅物ね」
溜息を吐きつつ、紫は隙間から幽々子の為に用意したチョコを取り出していた。
「言わない代わりに、これも幽々子に渡してもらえないかしら?」
パチンっと、口元を隠していた扇子を閉じて、紫は妖夢に包装されたチョコを投げてよこす。
「…わかりました。お茶の時間に一緒に渡しておきます」
「ええ。私はまだ他を回らないと行けないから、幽々子によろしく言っておいて頂戴」
そういうと、頷く妖夢を見届けてから、紫はチョコを取り出した隙間ではなく、別の隙間から白玉桜を後にした。
本当なら今日の夕方頃に贈り物を用意出来ない妖怪達を、博麗神社に集めている事を幽々子にも言って、一緒に集まらないかと言おうと思ったのだが。
紫は笑う。たまにはあの二人だけの行事にしてもいいだろうと。
「おはよう慧音。もう起きてたのか」
まだ日が昇ってあまり時間が経っていない早朝、妹紅はいつものように起きていた。
今日は昨日天狗の文が言っていた行事の日。妹紅はひそかにチョコの材料を、昨日寺子屋へと戻るまえに買ってきていた。
「おはよう妹紅」
早速寝巻きからいつもの服装に着替えて、台所に向かう妹紅だったが、そこには既に作業をしている慧音がいた。
妹紅は横から慧音が作っているチョコを覗き込む。
「何だかたくさん作っているけど、どうするんだ。これ?」
「今日の寺子屋の授業で、子供たちにあげようと思ってな。妹紅もチョコを作りに?」
チョコを流し終えている形入れに注意を払いつつ、慧音は台所の下にある引き出しを開ける妹紅を見る。
「ああ。…まぁ、天狗が教えてくれた事だし、やってみようかなって」
「…そうか」
誰にあげるとは妹紅は言わなかったが、慧音は少し照れくさそうな妹紅の横顔を見て、微笑んだ。
慧音は別に既に作ってある、妹紅用のチョコをいつあげようかと思いつつ、妹紅のチョコを作る作業をじっとみつめていた。
※
「早苗~まだかい?」
妖怪の山にある守矢の神社にて、朝から神奈子と、土地神である洩矢諏訪子が居間のテーブルに挟んで、早苗のチョコを座りながら待っていた。
「もうちょっと、待ってください~~今持っていきますから!」
台所の方で声を出す早苗。
「まったく、神奈子は待つって事を知らないのかい」
先ほどから数分おきにまだかまだかとわめく神奈子に、諏訪子は溜息を吐く。
「それほど早苗のチョコを待ち望んでいるのよ。お酒もガマンして待っているんだ。そろそろ限界ってものを感じる頃合だと察してほしいね」
ケッっと悪態をつきながら諏訪子にそう言った神奈子は、指でテーブルをトントン叩きながら待つ。
まるでアルコール中毒の禁断症状ではないかと、諏訪子は見ていながら思ったが、口に出すと素で神奈子は傷つくので口には出さない。
代わりに、再び溜息を吐いてしまったが。
「お待たせしましたー!」
ようやく出来上がったのか。台所から大きなお皿に盛り付けた色々なチョコをテーブルに置く早苗。
「お、ようやくだねぇ」
先ほどの苛立ちは何処に行ったのか。神奈子は嬉しそうな顔をして、ひょいと適当に皿に置かれたチョコの一つを取る。
「どれどれ…」
諏訪子も適当にチョコを手に取り、口に運ぼうとする。
―――ドンドンドン!
神奈子と諏訪子がチョコを口に入れようとしたその時、神社の玄関先から、引き戸を叩く音がした。
「……一体何だい? こんな朝っぱらから?」
口に放り込もうとしたチョコを、神奈子は苛立ちながら皿に戻す。
「さぁ、何だろうね?」
諏訪子も一度チョコをお皿に戻す。こんな朝早くから神社を訪れる者等、そうはいないはずのだが。
「あ。文さんじゃないでしょうか? 取材をしに来るって行っていましたし」
「あー、あの鴉天狗かもしれないね」
神奈子は一昨日ここを訪れた文の事を思い出す。そういえば取材に来るような事を言っていたはずだ。
「ちょっと見てきます」
早苗は立ち上がると、未だに引き戸をドンドンと叩く来訪者を見に行く。
神奈子はおあずけをくらったみたいで、舌打ちをしながら早苗が戻るのを待った。
食べてもいいのだが、神奈子は、三人揃ってチョコを食べたかった。それに早苗が作ったチョコだ。早苗のいない所で食べるのも節操がなさすぎる。
「神奈子様~! 諏訪子様~! ちょっと来てくれませんかぁー!」
「んん?」
早苗が戻る所か、玄関の方に来てほしいと言われ、諏訪子と神奈子は顔を見合わせる。
「一体、なんなんだい……」
よいしょっという声を出しながら立ち上がる神奈子に、諏訪子は一緒に玄関の方へと歩いていく。
「お、おはようございます…」
玄関に待っていたのは文ではなかった。銀の髪に、紅い帽子と、文に似た服を着ているが、スカートは黒と赤を半々といったロングスカートで、背中には、赤い大きな鞄を背負っていた。
「…アンタは、確か」
神奈子は文に引っ付くようにこの前ここに訪れた天狗だと思い、名前を思い出そうと少し頭をひねる。
「哨戒天狗の子じゃないか。一体何の用だい?」
横にいた諏訪子は覚えているのか。哨戒天狗と言い、神奈子はそれで名前を思い出した。
そう、確か犬走椛と言う名前のはずだ。
「そ、その」
椛は諏訪子と神奈子を見た途端、緊張するように口をわなわなと震わせていた。
「文さんの代わりに取材をしに来たそうです」
「代わり…?」
早苗が代弁するように、神奈子に言う。
「は、はい! 文様がご自宅から出られないので! 私が代わりにここに取材に来させて戴きました!」
こう言った事に慣れていないのか。椛は背筋をピンと伸ばして、大きな声で用件を言った。
「…なるほどね」
取材として神社に訪れた椛を居間まで引き込んで、文が自宅から出られない理由を洩矢の神社にいる面々は聞いていた。
神奈子は椛が持ってきた、先日配られた文々。新聞を読んでいく。
「私の言った事が幻想郷の皆もしているなんて驚きですねぇ……」
早苗も横から覗くようにして新聞を読んでいるが、神奈子は忌々しげに、皿に盛られたチョコをほおばった。
「ふん、こんなに良く書かれているのに、上の連中は体面を気にしたってのかい」
「……」
椛は神奈子の言葉に悲しそうな表情をしながら、正座をして、顔を俯かせていた。
「か、神奈子様。椛さんが悪いわけではないのですから、そう言う言い方をしなくても…」
「…ふん」
「でも実際、古い妖怪は気にするもんさ。それが妖怪と人間が同じ事をしようとしてるとなったら余計にね」
神奈子の横に座る諏訪子は無表情のままチョコを頬張る。
「…諏訪子はこの状況を良しとするのかい?」
神奈子は諏訪子に聞くが。
「まさか。胸糞悪くて吐き気がするね」
断固拒否の発言をした。どうやら神奈子と見解は一致しているようだ。
「文さんが可哀想ですよ…これじゃ…」
早苗は嬉しそうにして取材にしに来ると言った文の顔を思い出す。
「…ああ。本当にね」
神奈子も思い出しているのか。早苗に同意するようにして答えていた。
「…椛、上からの命令は、文は今日、自宅に出るなってだけかい?」
諏訪子は確認するように、椛に聞く。
「…はい。一応そうなっています」
「だから、代わりに取材しようと思ったんだね?」
神奈子と早苗は椛の顔を見る。
椛は頷いて、俯かせていた顔を上げた。
「はい。文様は、この新聞を作る事に、身を擦り減らせる思いで毎日、毎日力を尽くしておられました。なのに、このような事で文様のその思いを無駄にする事なんて出来ません…!」
「……椛さん」
早苗は椛の真剣な眼差しを見ていた。
「…ふん、下っ端の哨戒天狗にしては、いい目をするじゃないか」
神奈子はそんな椛にふっと笑う。
「椛、取材をする為の道具と、今日の新聞は持ってきているんだな?」
諏訪子は再度尋ねる。
「はい。文様の家からカメラとフィルムを拝借させていただきました。それと、今日発行する予定だった新聞も、印刷して持ってきています」
椛はそう言うと、隣に置かれていた赤い背負い鞄からカメラと新聞を取り出す。
神奈子はその印刷した新聞とやらを一枚手に取る。
右上に書かれていた日付は、確かに今日の日付だった。
記事にはでかでかと、氷妖精! 再び池の主と激闘! という見出しで書かれている。
「確かに今日の記事だが、よく原版を見つけたね?」
「…印刷機に、設置したまま置かれていたんです」
きっと家に戻ったらすぐに印刷する気だったのだろう。
神奈子は手に取った新聞を、置かれている新聞の束の上に置いた。
「…よし、物があるなら椛。私たちの取材が終わったら、この新聞をいつも文が置いてきている所に置いてきな。人間達の行事は、人里で撮ればいい。その後は博麗の神社に行けば、とりあえず取材はどうにかなるだろ」
諏訪子はニヤリと笑う。
「後、出来たら八雲の大妖怪を引き込みたい所だね」
「…諏訪子、もしかして私が考えている事と一緒かい?」
神奈子はニヤリと笑う諏訪子と同じように、邪悪な笑みを浮かべている。
「なあに、人と妖怪が同じ事をしてはいけないなんて理由はないからね。ましてや、その取材をしちゃいけない理由もない」
「ああ、そうさ。あの天狗共は時の流れってものをわかっちゃいない。それに、私が文に出した行事を、人間もするからってあいつらは邪魔しやがった」
それは神の考えを否定したのと同じ事。怒りを買っても真っ当な、喧嘩を売れる理由が出来た。
「か、神奈子様、諏訪子様…一体何をお考えで……」
そんな笑みを浮かべる二人に、早苗は少しばかり恐怖を感じる。
「なに、早苗は何も気にしなくていい。……ああ、そうだな。ちょっと早苗にお使いを頼もうか」
「お使い、ですか?」
早苗は神奈子の言うおつかいという言葉に首を傾げる。
「そう、お使い。と言っても大した事じゃない。もし、八雲の大妖怪に会ったらこう伝えてくれるだけでいい。神様が面白い話があるから来てほしいって。もし会えなかったら、そのまま椛と一緒に取材の協力をしてあげな」
「文が自宅から出られない理由は言わないようにね。昨日動き回ったせいで体調を崩して動けない状態…こんな理由で取材をするように」
諏訪子は神奈子の話に捕捉を入れるように割って入る。
「? どうして本当の事を言わないんですか?」
早苗は何故文が体調を崩した事にするか理解が出来なかった。
「本当の事を言ったら、博麗の巫女や、あの黒白の魔法使いが殴りこみにいきそうだからねぇ」
それでは面白くない。人間と妖怪の亀裂が広がるだけで、今日の記事を発行出来るわけではないのだ。
あくまで今日の記事を、いかに上の天狗達に文句を言わせずに発行するか。
それをしなければ文が浮かばれない。
「まぁ、とりあえず。今日の行事をまずは楽しむとしようじゃないか。椛、うまく写真を撮っておくれよ」
話は終わりと、神奈子は早苗が作ったチョコをちゃんと咀嚼しながらほおばる。
「あぁ、早苗のチョコはおいしいねぇ」
今頃になって感想を言う神奈子に、早苗は微笑み、諏訪子はその横で溜息を吐く。
椛は、しっかりとその神奈子のチョコを頬張る様を、カメラのレンズに収めていた。
※
守矢神社での取材をし終えた椛と、協力するように神奈子に言われた早苗は、妖怪の山を降りると、真っ直ぐ人里の方へと向かっていた。
「……」
共に無言で飛ぶ二人。早苗と椛は、特に親しいというわけでもなく、何処までもこの二人は、真面目な人間であった。
「見えてきました!」
椛は横に飛ぶ早苗に叫ぶ。
だが、早苗の目にはまだ人里は見えない。
「まだ見えませんがー?」
「もうすぐ、見えてくるはずです!」
椛の目には既に人里は見えていた。それ所か、地上にいる人間の一人一人の細部まで完全に目視している。
椛の能力は、千里先まで見える能力と、文のように韋駄天の速度で飛べないが、見通せる目があった。
椛の言ったとおり、すぐに早苗の視界にも、人里が見えるようになる。
人里の入り口で降りた二人は、まず今日発行される新聞を置くべく、カフェへと向かう。
―――カランカラン
「いらっしゃいませー」
入り口のベルを鳴らしながら、早苗と椛がカフェへと入るなか。カウンターで驚いた様子もなく応対するマスターがいた。
早苗はきょろきょろと周りを見渡す。まだ昼にもなっていないというのに、色んなカップルらしき男女が、そこには座っていた。
迷う事なく、椛は空いているマスターの正面のカウンターへと足を運ぶ。
早苗もその後ろについていった。
「ご注文は?」
「あ、あの!」
注文は? と聞くマスターに、椛は緊張した声で、用件を言おうとする。
「そ、その!」
だが、緊張しているせいか、要領が得ない。
「私達、体調を崩された射命丸文さんの代わりでここに来たのですが…」
助け舟を出すように、早苗はわたわたする椛の後ろで用件を答えた。
「…文ちゃん、体調を崩したのかい?」
文の名前を出したおかげか、接客の対応を取っていたマスターの顔つきが、心配そうな顔になる。
「はい、今日一日は動けないみたいで…今日という日を楽しみにしていたみたいなのですが……」
早苗は流暢に嘘の事をマスターに言ったが、大体は間違っていない。動けないし、今日を楽しみにしていたのは事実である。
「そうか……」
「そ、それで文様の代わりに、今日の新聞と、取材を私達が来させにもらいにきました!」
わたわたしていた椛だったが、早苗に触発されたのか、それだけ大きな声で言い切った。
何事かと、他のカフェにいたお客がこっちを見ていたが。
「は、はは。そ、そういう事ですので。新聞を置かせてもらってよろしいでしょうか?」
椛の大声のおかげで、客の視線が集まる中、早苗は顔を赤くしながらマスターに聞く。
「あ、ああ。新聞を渡してもらえるかい?」
マスターにそう言われ、椛は背負っている鞄から急いで新聞を全部取り出す。
「お、お願いします!」
バッと力一杯マスターの前に新聞を置く椛。
それをマスターは、苦笑しながら受け取り、勘定をする場所の横へと置く。
「お客さんの写真を撮るなら、まず撮っていいかの断りを入れるように。文ちゃんはそうしていたからね」
「わ、わかりました! では、撮らせていただきます!」
早速椛は、手近にいたカップルへと交渉しに行く。
「…椛さん、こういうのに慣れていないんですね……」
早苗はずっと緊張したままの椛を見ながら、カウンターの席へと着いた。
「…ハハハ、文ちゃんと比べると大分違うね」
マスターは、大きな声で写真を撮らせてもらってよろしいでしょうかぁ!? と叫ぶ椛を、早苗と一緒に生暖かい目で見守る。
「…しかし、あの文ちゃんが体調を崩すとはなぁ……早苗さん、でいいかな?」
声をかけられ、早苗はマスターの方を見る。
「あ、はい。早苗でいいですよ。よくご存知で?」
神奈子の信仰を集める時に、早苗は派手に事を起こしていたが、ここに来る事は始めてだった。
「昨日の新聞で君が出ていたからね。勿論、文ちゃんが書いた山の上の神様の特集で名前も知ったのだけど」
早苗はそのマスターの言葉に、そういえば風祝として文に取材されたと思い出す。
「…文ちゃんに、お大事にと言っておいてくれないかな? 早く元気になってくれと、カフェのマスターが言っていたって」
マスターは照れくさそうに笑いながら、早苗にそう言った。
「わかりました。会えたらそう伝えておきます」
早苗はその言葉にくすりと笑いながら、マスターの言伝を受け取る。
「ありがとうございます! 撮らせていただきます!」
力一杯挨拶する椛はカップルがチョコを食べている様を、昼の本格的に混む時間になるまで写真に収めていった。
マスターにお礼を言って、カフェを後にした早苗と椛は、諏訪子と神奈子に言われた通り、人里を出ると、飛んで博麗神社へと向かった。
※
空は快晴、太陽が真上に爛々と輝く紅魔館で。
「…ん」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは、目を覚ました。
「…咲夜~」
夜に活発に動くレミリアが、昼に起きる事は珍しい事である。
今日は、天狗が新聞で教えた行事の為と思い、レミリアは活動的な夜の機会を早々に切り上げ、紅魔館で惰眠を貪り、今に至った。
「はい、お呼びでしょうか? お嬢様」
レミリアの呼ぶ声が聞こえたのか、それとも廊下でずっと起きるまで待機していたのか、咲夜は音もなくレミリアの寝室へと入ってきた。
「着替えを手伝ってちょうだい」
「かしこまりました」
レミリアは寝ていたベットから出ると、着ていた寝巻きを脱ぎ捨て、咲夜に渡す。
渡された咲夜はそれを受け取ると、用意しておいた洗濯をする籠の中にいれ、すぐに部屋にあったクローゼットから、紅いフリルのドレスを持ってきた。
「失礼します」
咲夜は一度頭を下げると、レミリアに上からドレスを着せ、後ろに回り、調整用の紐を縛っていく。
再びクローゼットへと向かい、紅い帽子をレミリアに被せて着替えは完了した。
「着替え終わりました。お嬢様」
「ん」
レミリアはまどろむ目を、首を振って覚醒させる。
「…咲夜、貴方はもう今日の贈り物を用意したのかしら?」
レミリアは、横に控える咲夜に聞く。
「はい、勝手ながら、ご用意させていただきました」
「パチェも用意したのかしら?」
レミリアは盟友である地下図書館に佇む魔女が、今日の行事を聞いて、動いたかどうかが気になった。
「朝頃に。お嬢様を除いた全ての物がお作りになっていたかと…」
「…私を除いてって、フランも?」
妹であるフランドールも今日の行事を聞いて、贈り物を作っていたのだろうか?
「はい、妹様もお作りになられたいと言われましたので、手ほどきさせていただきました」
「そう…」
レミリアは少しばかり口元を綻ばせる。
フランドールがこう言った行事に参加する事に嬉しく思い、全てを壊す事しかできなかった妹が、何かを作ると言った事そのものが、ただ嬉しかった。
「一体誰に渡すのかしらね」
レミリアはわかりきっている言葉を呟く。
フランドールが渡す相手なんて決まっている。
我が妹の遊び相手の魔法使い。
我が妹を大切にしてくれる魔法使い。
我が妹を変えてくれた魔法使い。
レミリアは紅魔館をいつも強行突破してくる黒白魔法使いの顔を少しばかり思い浮かべ、薄く笑う。今日もアイツはここに来るのだろうか。
「…あの、お嬢様」
少しばかり脳内に浸っていたレミリアは、咲夜の呼びかけに引き戻される。
「なにかしら?」
「その、起きになられたばかりなのですが…」
咲夜は懐から包装された包みを取り出す。
「どうか、私が作った物を、お召しになられてくれませんか?」
紅い、絨毯の上に肩膝を置くようにして、咲夜はレミリアを上目遣いに見ながらその包みを渡そうとした。
「……」
レミリアはそれを受け取り、包みを開けてみる。
中には、レミリアの手ぐらいの大きさの、ハート型のチョコが入っていた。
レミリアは、それをじっとみつめていたが、端をかじる様にして食べてみる。
「…甘いわね」
口の中に広がるチョコの甘さに、レミリアは少しばかり表情が緩んだ。
「…お気に、召したでしょうか?」
肩膝を着いたまま、咲夜はレミリアの事をみつめていた。
「えぇ、おいしいわ。咲夜も食べてみればわかるわよ」
パキンっと、逆側の端を割るレミリア。
「咲夜、目を閉じて口を開けなさい」
「…え?」
「聞こえなかったかしら?」
レミリアは咲夜の顔の前に、割ったチョコを向ける。
「あ、あの。自分で食べられますので…」
「咲夜」
しどろもどろする咲夜に、レミリアはもう一度名前を呼ぶ。
「……わかりました」
咲夜は決意して、目を閉じて口を開ける。
まさかレミリアからハイ、あーんみたいな事をしてもらう事になるとは、咲夜は考えていなかった。
目を閉じた咲夜を、レミリアは確認し。
「ん……」
割ったチョコの方ではく、手のひらサイズのチョコを、レミリアは自分の口でバキボキと咀嚼したかと思うと。咲夜が考えていた以上の事を、レミリアは実行する。
「ん……!?」
そのまま、目を閉じていた咲夜に、口付けで流しこんでいった。
「…ん、んぅ………」
咲夜の口内に、甘いチョコレートの味が広がっていく。
いや、これはそれだけなのだろうか?
咲夜はしばし、目を閉じながら、それを受け入れ、流し込まれるチョコをコクコクと飲み込んでいった。
「ん……プハ。それが、私からの贈り物よ。ありがたく受け取っておきなさい」
ニコリと笑うレミリアは、顔を真っ赤にする咲夜にそう言うと、余った残りのチョコを咀嚼して、一人先に、自分の寝室から出て行く。
「………」
咲夜は腰を抜かしたようにして、床に尻餅をついていた。
※
日が昇っている竹林の中、因幡達は思い思いに自分が作ったチョコを交換していた。
昨日の新聞を見た因幡は、殆どの物が朝早くからつくり、この行事に参加したのである。
「師匠、どうぞ!」
ここにも一人。鈴仙は、自分の師である永琳にチョコを渡していた。
「ありがとう。うどんげ」
笑顔で受け取る永琳だが、その顔は何処か冴えない。
鈴仙は、そんな自分の師を不思議に思った。
「何か、あったんですか?」
「え? べ、別に何でもないわ。少し体調が優れないだけよ」
永琳は、自分の表情が暗くなっているのかと思い、しばし目を閉じて、深呼吸しながら整える。
表情が冴えない理由はあった。
朝早く、永琳は輝夜の元へとチョコを渡しに行っていた。
だが、輝夜は何処にもいなかった。
書置きも何もなく、昨日の夜にはいたはずの大切な人は、突如姿を消したのだ。
永琳は、そんな消えた輝夜が何処かに行く理由に、一つだけ心当たりがあった。
だが、それが本当ならば、昨日好きだと言ってくれたあれはなんだったのか。
永琳は溜息を吐きつつも、暗い表情をしないように、笑顔を保つ。
きっと、事が終われば輝夜は帰ってきてくれる。
それが、憎悪するほど、愛しているもう一人の想い人の所に行ったとしてもだ。
「レイセ―ン」
そんな永琳の考えの範囲外で、鈴仙へと駆け寄る妖怪兎の因幡てゐ。
「私もチョコを作ったから食べて~」
ラッピングされたチョコを鈴仙に渡そうとするてゐだったが。
「……」
貰う側の鈴仙は警戒していた。相手はあのてゐだ。
「どうしたの?」
「……何か、仕込んでないでしょうね?」
ニコニコと鈴仙に笑顔を振りまくてゐに、鈴仙は直球で質問する。
このチョコは、普通か? と。
「ひ、酷い! そりゃいつも嘘を吐いたりいたずらしたりする私だけど…大切な人へ贈る行事と聞いて一生懸命作ったのに!」
ヨヨヨとその場で泣き崩れるてゐだったが、演技っぽいその状況に、傍から見ていた永琳は、冷めた顔で見ていた。
「…! ご、ごめんてゐ。疑ったりして……そうよね、こんな時までいたずらなんか普通しないわよね」
だが、鈴仙はそうは思わなかったらしい。てゐの崩れる様を見て、急いで中からチョコを取り出す。
「じゃあ、ありがたく頂くわね」
鈴仙はバキっと、チョコを勢いよく口で割り、口の中で咀嚼していく。
「…うんうん、甘い……わ?」
だが、その顔が徐々に、青くなっていくのはどうしてだろうか。
「か………」
鈴仙は身体中全身を駆け巡る震えに。
「からいいいいいいいい!」
身悶えするように、食べていたチョコを床に吐いた。
「辛い、辛い…! 何なのよこのチョコ!?」
涙目になりながら、舌を出してその場で地団駄を踏む鈴仙。
「カカッタナ、アホメ」
そんな鈴仙を見て、いつの間に離れたのか。10メートル程放れた所で、黒い笑いをしながらてゐは立っていた。
「てゐゐゐゐゐ!!」
鈴仙は騙された事がわかり、その場で残っていたてゐのチョコを握り潰す。
「今日と言う今日は! 許さないんだから!」
悪鬼となる鈴仙に、てゐはフハハハハという笑いと共に脱皮のごとく逃げ出していた。
「……はぁ」
そんなやりとりを見ていた永琳は、笑顔が何処に行ったのか。溜息を吐く。
永遠亭は、永琳を除いて、賑やかに行事を満喫していた。
※
「見えてきました!」
椛の叫び声と共に、早苗も神社を目視する位置まで来ていた。
そのまま博麗神社の境内へと、直下降に降りる二人。
「あら、また珍しい組み合わせね」
声のした方へと振り向けば、そこにはお茶を啜りながら、暇そうに神社の中で座っている霊夢の姿があった。
「こんにちは霊夢さん」
挨拶する早苗に、霊夢は手を上げて返す。
「椛と一緒なんて、何かあったの?」
「あ、文様の代わりに! 今日の行事の取材を回らせて戴いています!」
霊夢と面識があるのか。椛は背筋を伸ばして答えていた。
「…文の代わりって」
「昨日無理をしすぎて、体調を崩されたんですよ。文さん」
流暢に説明を加える早苗だが、霊夢は少し首を傾げながらお茶を啜る。
「そんなヤワじゃないと思うんだけどなぁ……本当に体調を崩したの?」
勘が鋭いのか。霊夢は文が倒れたと言う話を信じられないような感じであった。
「えぇ、今は自宅で療養中です」
早苗はそんな霊夢にニコリと笑ってそう言った。内心バレナイものかとヒヤヒヤしていたが。
「お? 先客か。よ」
そこに、境内に向かって降りてきた二人がいた。
「こんにちは、魔理沙さん。…そちらの方は?」
早苗は後ろを振り返り、声をかけてきた魔理沙と、見慣れない二本の角の生えた少女が降りてきたのを見た。
「伊吹萃香だよー。貴方は、守矢の風祝?」
「東風谷早苗と言います」
お互い、自己紹介をして、お辞儀をする。
「珍しいな、早苗と椛がここに来るなんて」
魔理沙は肩に袋を抱えながら近づいてきた。
「とりあえず、ほら」
早苗と椛にラッピングされたチョコを渡す魔理沙。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「霊夢、お前にも」
「あ、私も作ってきたからもらって!」
魔理沙はそのまま神社の中で座っていた霊夢にも袋からチョコを取り出す。
萃香も駆け寄って大きなラッピングしたチョコを霊夢に手渡した。
「ありがとう」
霊夢は座ったままチョコを受け取ると、ビリビリと包装を破って星型のチョコを取り出し、そのまま口に頬張った。
「…ん、甘いわね」
「それでも甘さ控えめなんだぜ?」
魔理沙は霊夢の食べる様を見てから、キョロキョロと辺りを眺める。
「文はいないのか? てっきり来てると思ったんだけど」
「あ、文様は…」
「体調を崩したそうよ。昨日無理しすぎて」
ずずずとお茶を啜りながら、椛が言いかけた事を、霊夢は魔理沙に言った。
「なに…? それ、本当なのか?」
「えぇ、本当です。文さんは今自宅で療養中ですよ」
早苗は、魔理沙が驚く顔を見ながら話に加わる。
「あちゃー、そりゃ可哀想だねぇ。折角幻想郷中を回っていたみたいなのに」
萃香は文が体調を崩した事にそう言うって、ポリポリと自分の頬を掻く。
「文さんの代わりに、私達で今日の行事を取材して回っているんです」
「あー、だからここに来たのか」
早苗と椛がここにいた理由がわかったのか、魔理沙は納得したように声を上げた。
「けど、それなら残念だったわね」
「? 残念?」
「ここに本格的に妖怪達が集まるの、夕方からよ」
霊夢はそう言って、後ろを指差す。
霊夢が指を差した方向を見る面々は、居間に広がる大量に包装されたチョコの山を見て驚いた。
「紫が今、贈り物を用意できない妖怪達に夕方ここで行事をやろうって言って回っている最中なのよ」
「…なるほど」
霊夢の言葉に早苗は納得する。確かに、それは残念な事であった。
もう少し時間が経たねば、妖怪達が行事をする風景は撮れないだろう。
「…ん? 紫って、八雲の大妖怪の事ですか?」
「ええ、そうよ?」
霊夢は魔理沙のチョコを食べ終わったのか、今度は萃香の包装したハート型チョコを取り出して、かじる。
「……ブッ!?」
だが、2、3度咀嚼した後、急にチョコを吹いていた。
「ゴホ…ゴホ…! ちょっと萃香、これ、どれだけお酒混ぜたのよ!?」
「ん? ドボドボと」
むせる霊夢に萃香は笑うようにそう言った。
「ドボドボって…まともに食べられないのだけど」
「アハハ、無理して食べて」
困った顔をしながら、萃香は霊夢にチョコを食べてくれという。捨てられるのは正直嫌な萃香であった。
「…徐々に食べれば、食べられるかしら……」
そんな萃香の言葉に真面目に考える霊夢。
「あの、霊夢さん。その紫さんの事なのですが…」
早苗は神奈子のお使いの用件を言うべく、チョコを見ながら悩む霊夢に声をかけようとするのだが。
「こんにちは。……何だか、珍しい組み合わせの面々ね」
霊夢の周りで話していた面々は、境内の方からした声に振り向いた。
そこには、片手に鞄を背負ったアリスが立っていた。
「おー」
魔理沙はアリスの作ってきた物に、感嘆の声を上げていた。
「よく一日でこんなの作れたな」
アリスが持ってきたものは、魔理沙の色に合わせてか、黒い毛糸のマフラーだった。
早速ぐるんと首に巻く魔理沙。
「ほんと、よく間に合ったわね」
霊夢のは、赤に白とストライブのマフラーだった。魔理沙と同じように早速首に巻いてみる。
「ありがとなアリス」
「ありがとうアリス」
お礼を言われ、アリスは少し照れくさそうに目をそらした。
「べ、別に気にしないでいいわ。魔理沙からはチョコだって貰っているし…」
アリスの手には、ラッピングされた魔理沙のチョコがしっかり握られている。
「いいなぁー」
マフラーを巻く霊夢や魔理沙を見て萃香は物欲しそうに見ていた。
「いいですねぇ…」
同じように早苗はそんな魔理沙と霊夢を見る。日が昇っているとはいえ、まだこの時期は少しばかり寒かった。
「……しゃ、写真いいですか?」
そんな魔理沙や霊夢のマフラー姿を見て、椛はカメラを取り出し、レンズにその姿を納める。
そんな事を、どれぐらいしていたか。
「さてっと」
魔理沙は置いてあった袋を背負いなおして、箒に跨る。
「夕方まで時間があるからな。私は紅魔館に行くが」
「あ、私も行くわ。パチュリーにも渡してあげないと」
魔理沙の後ろをついていくように、アリスはついていく。
「私は紫にチョコをあげるから、ここで待とうかなー」
「あ、私も紫さんに用があるのでここで待ちます」
早苗と萃香は、紫に用があるためここに残ると言う。
「椛はどうする? 取材というか、写真を撮るなら、一緒についてくるか?」
魔理沙はしどろもどろしている椛に声をかける。
早苗がここに残ると聞いて、どうしようか迷っている椛だったが。
「…じゃ、じゃあ一緒に行きます」
妖怪達が本格的にここに集まるまで時間があるなら、それまで色々な所で取材をするべきと考えた。
「よし、じゃあ行くぜ」
魔理沙を先頭に、アリス、椛と日が昇っている青空へと飛び立つ。
博麗神社に残る面々からその姿が見えなくなるまで、そうはかからなかった。
※
人里から少し離れた山の中、妹紅は一人、川原のせせらぎを聞きながらじっと水面を見ていた。昼頃に慧音は、寺子屋を開いて子供達と一緒に授業をしている所であって、それの邪魔にならない為にここに来たのだ。
「はぁ…」
朝方に作ったチョコを未だに妹紅は、慧音に渡せないでいた。
照れくさいのもあったが、あの天狗が書いた新聞の内容には、大切な人、想い人へと贈る行事と書かれていただけあり、どうしても意識してしまったのもあった。
私は、慧音の事を大切に思っている。
妹紅は、水面を見つめながらも、ぎゅっと拳を握り締めた。
だが、大切に思っていても、永遠に生きる身である事が、妹紅の行動全てに束縛をかける。
好きであればあるほど、もし、慧音がいなくなってしまう日の事を考えると、妹紅は自分が耐えられるのか? と自問自答するようになっていた。
答えは決まって否だ。
悠久の時を生きてきた身なのに、孤独になる事が怖いと感じる日が来るとは思わなかった。
「…くそ」
妹紅は、一瞬、自分の心に浮かび上がった顔に、不快げに声を上げる。
自分と同じように、悠久の時を生き続けている相手。
初めてあいつを見たときは、自分が女だという事も忘れ、綺麗な人だと思った。
帝に惚れられ、周りの男共にも求婚を迫られ、せせら笑うように難題を押し付け、最後には月に帰ろうとした、あの馬鹿姫。
私は、その求婚を迫る中に、ただ自分の父親がいたというだけで、許せなかった。
アイツのおかげで藤原の姓を持つもの達は立場が悪くなり、没落していった。
だが、そこで私はそんな人生だと笑えばよかったんだ。
そう思えば、今こうして、水面を見て悩む事なんてせずに、慧音にも会わずに朽ちれた。
妹紅はわかっていた。輝夜を怨むのは、筋違いなのだと。
けれど、怨まねば、憎しみを増やしていかねば生きていけなかった。
喜びでは薄かった。
悲しみでも足りない。
普通に生きる事すら出来ない。
怒り。それだけが自分を保ってられる感情だった。
「…輝夜、お前は私をどう思っているんだ……?」
水面に語るように、妹紅は呟く。
それは決して返ってこないはずの呟き。
「憎悪する程に好きよ。妹紅」
だが、思えば通じるとでも言うのか。
妹紅は声のした方へ振り返る。
そこには、何千年も経つと言うのに、私と同じように、変わらぬ姿で輝夜はいた。
「……よく、私がここにいるってわかったな」
妹紅は立ち上がる。徒手空拳のまま、輝夜を睨む妹紅は、既にさっきまでの思考をかっ飛ばして、いつでも弾幕を撃てる体勢を取る。
「わかるわよ。好きな人の所なら」
だが、輝夜はあくまで隙だらけだった。
微笑むように妹紅の元へ一歩一歩、近づいていく。
「…私はお前の事が大嫌いなんだが」
「えぇ、知っているわ」
妹紅は撃つべきか迷う。今なら、確実に殺せる。例えリザレクションしようとも、沸き立つ憎しみを止める理由等何処にもない。
だが、妹紅は撃てない。
「どうしたの? 撃たないの?」
首を傾げ、微笑む輝夜は、何処までも綺麗に見えて。
「…くそ!」
それ故に、恐ろしい。
妹紅は輝夜を見ないようにして、輝夜に手を向け、弾を撃つ。
だが、照準も合わしていない弾は、輝夜の横をかすめるようにして明後日の方向に消えていく。
「…妹紅、好きよ」
歩みは止まらない。輝夜が一歩近づく度に、妹紅の心臓は跳ね上がる。
「貴方の事が、憎悪する程に好き」
囁くように言われ続けるその言葉。
「やめろ……」
妹紅は首を振る。
どうしてそんな事を言うのか。
「私は、お前の事が、大嫌いなんだよ…!」
泣きそうになる自分に、必死に虚勢を張り続ける。
とうとう、距離は零になり、妹紅の顔に輝夜は手で触れる。
「妹紅は、今日は何の日だか知っている?」
自分の頬を撫でる輝夜に、妹紅は動けなかった。
まるで、蛇に睨まれた蛙である。
「今日は、大切な人へと贈り物をする行事なのよ」
輝夜の言葉が心の底で沈んでいく。
「だから、貴方に、私から贈り物をあげるわ」
輝夜の顔が、徐々に近づいてくる。
それを、私はただ呆然と見ているだけで―――
「駄目だ! 妹紅!」
慧音の声が聞こえた途端、私の身体から炎の翼が生えていた。
「…チッ」
舌打ちをしながら、飛ぶように下がる輝夜。
「……慧、音?」
無意識に声に反応して、妹紅は火の鳥を輝夜に放っていた。
「大丈夫か!?」
朦朧としている妹紅に、慧音は駆け寄る。
「あ、ああ…」
駆け寄る慧音を見ながら、妹紅は首を振って、動かなくなっていた身体に力を入れる。
「…はぁ」
妹紅が完全に動けるようになったのを見て、輝夜は溜息を吐いた。
「邪魔をするのね。ワーハクタク」
「当たり前だ。貴方は今、妹紅に何をしようとした」
慧音は睨みつけるように輝夜を見る。
「何って、キスよ。見ていてわからなかった?」
そんな慧音の視線を受け流すように、輝夜はクスリと笑う。
「…貴方は」
慧音は全身をわなわなと震わせる。
「ワーハクタク、貴方では妹紅を幸せに出来ないわ」
だが、輝夜はきにせず言葉を紡ぐ。
「半獣の貴方は歴史を飲み込む事しか出来ない。生きられても精々100年。そんな貴方が、どうやって妹紅を幸せにするの?」
輝夜は慧音が気にしている事を言い切った。
妹紅を、幸せに出来るのかと。
「……貴方に、言われる筋合いはない!」
慧音は吼える。
「私は妹紅を幸せにしてみせる! 例え先に死のうと、貴方がずっと生き続けようと! 私は妹紅の心の中に、ずっと生き続けてやる!」
激昂するようにそう言い切る慧音に、妹紅は、再び固まった。
「……」
それは輝夜も同じようであった。目を見開いて、慧音を見ている。
「ハァ…ハァ…」
言い切った慧音は、未だに輝夜を睨み付けたままだ。
「…はぁ」
輝夜は、溜息を吐く。まさか、ワーハクタクがこんな事を言うとは、思っていなかった。
「いいわ。そこまで言うなら、今回は退散しましょう」
輝夜の周囲が光り輝いていく。
「また来るわ、妹紅」
最後にニコリと、妹紅に笑いかけ、輝夜はそこから消えるように移動した。
「慧音……」
輝夜が消えたのを見て、妹紅は、肩で息をする慧音に声をかける。
「…! 妹紅!」
振り返った慧音は、泣きそうな顔をしながら、妹紅に抱きつく。
「け、慧音?」
「よかった……妹紅は、まだ此処にいてくれた」
震える慧音は、妹紅を抱きしめながら、そこにいることを確かめているようだった。
慧音は寺子屋で子供達を帰した後、直ぐにここに走ってきて、妹紅に口付けをしようとする輝夜を見て、ギリギリ間に合ったのである。
「…私は、何処にもいかないよ」
妹紅は、そんな慧音を抱き返す。
「ずっと、慧音が死んでも、ずっと一緒だから」
―――心の中に、ずっと生き続けてやる
慧音が最後に言った言葉に、妹紅は、幸せになる方法を見出せたかもしれない。
慧音が死ぬまで、たくさんの想い出を作っていけば、私は慧音がいなくなっても、きっと耐えられる。
だって、私の心の中に、居続けてくれるのだから。
「…慧音」
妹紅は懐に入れてあったチョコを思い出す。
少し涙目の慧音の手の平に、妹紅はチョコを置く。
「今日は、大切な人へ、贈り物をする日だから」
「…私も」
慧音もスカートのポケットから、チョコを取り出す。
「私も、大切な人へ、贈らせてもらう」
そう言って妹紅の手の平にチョコを置く。
二人は笑い合うように、渡し合ったチョコを同時に頬張る。
それは、何処までも甘くて、忘れられない味になってくれる事だろう――――
※
お昼を過ぎ、三時のおやつ時。
白玉桜の居間で、妖夢は主である幽々子が自分のチョコを食べる様をじっと見つめていた。
「…? どうしたの~?」
「あ、い、いえ。おいしいですか?」
妖夢はサッと目を逸らして、顔を赤くしながらたずねる。
「ええ、とっても。妖夢も食べなさい~」
「量が少ないですから…幽々子様の為に紫様が用意してくださったんです。私が食べるわけには行きません」
妖夢は丁寧に断った。一つは自分が作った物だが、行事を教えてないのだ。何故自分が作ったか問われたら、ボロが出かねない。
妖夢は幽々子が自分のチョコをおいしいと言ってくれるだけで、十分満足であった。
顔を赤くしながらも、ニコニコと、無意識に笑みが出てきてしまう。
「…? 変な妖夢ね」
そんないつもの妖夢を、疑問に見つめながらも、幽々子はチョコを頬張っていった。
同時刻、三途の河にて。
小町は昨日の事も忘れ、再び地面に大の字になってサボっていた。
「あー、いつ見ても空は真っ白だねぇ…」
流石に寝るのは怖いのか、霧で覆われている空を見上げながら、小町はぼーっとしていた。
そう滅多に何度も四季様が来ることはないだろう。
昨日はたまたま運が悪かっただけだ。
小町はそう思い、ひたすら霧が立ち込めている空を見る。
「…そういや、四季様。昨日あの新聞を持って帰っちゃったな…」
天狗がどんな方法で、あの四季様を納得させる記事を書いたのか、少しばかり興味があったのだが。
「……まぁ、私には関係ないか」
「えぇ、関係ありませんね」
独り言を言っていたのに、何故か返ってくる言葉に、小町はバッと身を起こして声のした方へと振り返っていた。
「し、四季様…」
気配もなく、近くまで来ていた自分の上司に、小町は青ざめた表情をする。
「小町、サボっているように見えましたが?」
「そ、そんなサボってなんていません! 少し転がっていただけですから…!」
必死の弁明だったが弁明になっていなく、小町は嫌な汗を掻きながら、どうにか切り抜けられないかと思ったのだが。
「…まぁ、今のは見なかった事にしてあげます」
上司である映姫が、こんな事を言うのは初めてだった。
「え、…え?」
小町はその言葉が始め、わからなかった。
「代わりと言ってはなんですが、小町。目を閉じて口を開けなさい」
小町はその言葉に、説教じゃなくて体罰ですかと思った。
しかし言われた通りここはやらなければならないだろう。
一瞬の痛みを取るか、長い長い地獄のような説教を取るか。
どっちとも取りたくない。
「……はい」
小町は諦めるように目を閉じて、口を開けた。
ぎゅっと目をつぶって、迫る痛みに耐えようと、身体に力を入れていたのだが…
「…?」
痛みは一向に来ない。
代わりに、口の中に何か入ってきた。
「ん……?」
小町はそれを咀嚼する。
甘くておいしかった。
「もう、目を開けていいですよ」
そう言われ、小町は目を開ける。
目の前には、視線を逸らして、少し照れたような顔をする映姫の顔があった。
「…? 四季様、これは…?」
「昨日の天狗が言っていた事です。今日は、大切な人や、想い人へ贈り物をする行事だと。小町、それでしっかり働きなさい」
それだけ言うと、映姫は顔を赤くしながら、自分の仕事場へ戻る。
「……え、え?」
小町は時間が経つにつれ、口に入れられた物がお菓子だとわかり。
「えーーー!?」
上司である映姫が言った言葉を理解して、絶叫するように、小町は顔を真っ赤にしたのであった。
※
「見えてきたぜ」
博麗神社から一時間程立っているだろうか。
空は快晴、青空が広がる中、霧の湖を越えた魔理沙、アリス、椛は、並ぶようにして飛びながら、紅魔館へと向かっていた。
「…あれが、紅魔館」
椛は、前方にそびえ立つ大きな屋敷を見ながら魔理沙やアリスに聞こえないぐらいの声で一人呟く。
文や、他の天狗からは話を聞いてはいたが、実際紅魔館に来るのは初めてであった。
文からは、危険だが面白い場所と話を聞かされ、文が紅魔館から怪我をして戻って来たときも、笑ってそう話していたのを、椛は思い出していた。
(……文様)
椛はぎゅっと拳を握り締め、暗い表情をする。
今頃、何をしているだろうか。まだ眠っておられるのだろうか。
取材が出来ない悲しみに、まだ泣いておられるのだろうか。
「……椛!」
自分の名が聞こえてきて、ビクリと、椛は横で名を呼んでいた魔理沙の方へと振り返る。
「門の方で降りるが、大丈夫か?」
魔理沙は心配そうな顔をして椛の事を見ていた。
「だ、大丈夫です」
「…ならいいが」
健気にそう言う椛に、魔理沙は、それ以上何も言わなかった。
紅魔館の門の方へと降り立った三人は、門の前に立つ紅美鈴に歩み寄る。
「よ」
「こんにちは」
「こ、こんにちは!」
三者三様、美鈴に挨拶をした。
「こんにちは。今日は強行突破しないのね」
美鈴はそんな三人に笑いながらお辞儀をする。
「今日は行事を満喫しようと思ってな。ほら」
魔理沙は袋からチョコを取り出し、美鈴に手渡す。
「? いいのかしら? もらって」
美鈴は渡されたチョコと魔理沙の顔を交互に見つめる。
「ああ、私にとっては、みんな大切な人だからな」
にかりと笑いながらそう言う魔理沙に、美鈴はクスリと笑う。
「なら、もらっておくわ。ありがとう」
「……」
そんなやりとりを椛は早速カメラで撮っていたが、横にいるアリスは、少し憮然としていた。
「…後ろのは見ない顔ね?」
カメラを構える椛を見てか、美鈴はそっちの方に顔を向ける。
「わ、私は」
「文の代わりに今、行事の風景を取材して回っている、天狗の椛だ」
椛が言おうとする前に、魔理沙はそう美鈴に説明する。
「ふーん……」
「パチュリーにも、渡しに行きたいのだけれど、通っていいかしら?」
やりとりに痺れを切らしたのか、椛の横に立っていたアリスは美鈴に聞く。
「ええ。来たら通すように今日は言われているわ」
そう言うと、美鈴は紅魔館の門を開け、三人を先導するように美鈴は先を歩く。
「じゃあ遠慮なく入らせてもらうぜ」
開けられた門を潜り、三人は美鈴の後を付いていくように紅魔館へと入っていった。
「まだかなぁ……」
紅魔館の二階の大広間にて。
フランドールは椅子に座りながら、足をぶらぶらさせつつ、目の前に出されたチョコレートケーキを頬張っていた。
横にはフランドールが今朝早くから作った、包装されたチョコが置かれている。
「直に来るわ。おとなしく待ってなさい」
そんなフランドールを見つつ、同じように椅子で座っていたレミリアも、紅茶を飲みながら待っていた。チョコは用意していなかったが。
「……」
無言で同じようにパチュリーも出されているチョコレートケーキを頬張っている。
さっきまで地下図書館にいたのだが、小悪魔のおやつの時間という言葉に、二階まで引っ張られてきたのだった。
「おいしいですか?」
小悪魔はそんなパチュリーにニコニコと笑いながら聞く。フランドールやパチュリーに出されているチョコレートケーキは、小悪魔からの物であった。
「ええ、おいしいわ」
そんな小悪魔に薄く笑いながら答えるパチュリーだったが、少しばかりいつもより表情は暗い。
パチュリーの横にも、包装されたチョコが二つ程置かれていた。
「…もし来なかったらどうしよう」
フランドールのその言葉に、パチュリーの表情も、更に暗くなる。
「…はぁ、咲夜。おかわりを頂戴」
レミリアは、そんな二人を見ながら溜息を吐きつつ、横に静かに控えている咲夜に、紅茶を飲みきったカップを差し出す。
差し出されたカップを手に取ると、咲夜は紅茶が入ったポッドを持ち、カップに注いでいた。
―――トントン
そこに、大広間の入り口の扉から、ノックをする音が聞こえてきた。
ガチャリと開けられたドアから、美鈴を先頭に、魔理沙、アリス、椛と入ってくる。
「魔理沙!」
魔理沙の姿を見て、フランドールは座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、駆け寄ってくる。
「よ。チョコを渡しに来たぜ」
駆け寄ってくるフランドールに魔理沙は再び肩に背負っていた袋から一つチョコを取り出す。
「私も用意したんだよ! ほら!」
魔理沙が取り出したチョコに合わせるように、フランドールは自分が作ったチョコを魔理沙に差し出していた。
「お。私の為に作ってくれたのか」
フランドールが作った事に驚く魔理沙だったが、笑顔のままそれを受け取ると、フランの頭を撫でる。
「ありがとな」
「えへへ」
頭を撫でられ、フランドールは照れくさそうにそれを受け入れていた。
「はい、パチュリー」
そんなフランドールと魔理沙のやりとりを通り過ぎて、アリスは鞄から作ったものをパチュリーに渡していた。
「ありがとう。チョコにしては、大きいけれど、開けてみていいかしら?」
「ええ、いいわよ」
パチュリーは包装された袋から中身を取り出すと、紫色のマフラーが出てきて、感嘆の声を上げる。
「これ、いつから作っていたの?」
「昨日の夕方からよ。流石に、ギリギリになって焦ったけれど」
苦笑しながらそう話すアリスにパチュリーは微笑んだ。先ほどの暗くなっていた表情はそこにはない。
「ありがとう。私からも、はい」
パチュリーはマフラーを入れてあった袋に一度戻すと、横に置いてあったチョコの一つをアリスに渡す。
「ありがとう」
それを素直にアリスは受け取る。
「…? 見ない顔が一人いるけれど」
そんなやりとりを見ていたレミリアだったが、最後に入ってきた椛の姿を見て、首を傾げる。
「いつもの天狗の記者の代わりだそうです。今日の行事を取材しているとか」
「こ、こんにちは!」
真っ直ぐ美鈴はレミリアの方に来て、そう報告する。
その後ろに、椛はついていくようにして来ていたが、レミリアに美鈴が報告するのと合わせるように挨拶をした。
「あの鴉天狗の代わり…?」
「しょ、哨戒天狗の犬走椛と言います! あ、明日の新聞の為に、今日の行事の風景を撮らせにもらいに参上しました!」
大きな声でそう言う椛に、レミリアは、横に控えていた咲夜と顔を見合わせるようにきょとんとしていた。
「体調を崩したねぇ…」
贈り物を渡し終え、大広間にいた面々は、揃って咲夜の入れた紅茶と、魔理沙が作ってきたチョコを頬張っていた。
一体いくつ作ったのか。魔理沙が持ってきた袋の中身には、まだ包装されたチョコが見え隠れしている。
「あの天狗にしては、ありえない事ですね」
控えていた咲夜も、椛から聞かされた文の体調不良に、立ったまま魔理沙から手渡された星型のチョコを食べつつ、レミリアのぼやきに答えていた。
「そうね。体調が崩れていても、ネタの為なら這ってでもきそうなのに」
レミリアは、咲夜のその言葉に同意する。以前、ここを取材しに来た時に、わざわざ行くなと言ったのに、フランドールがいる地下室へと足を赴く程だ。
多少の体調の崩れで、今幻想郷に起きている大量のネタを逃す奴でもないはずなのだが。
「まぁ、どうでもいいけれど」
レミリアはカメラで今、皆のチョコを食べている様子を撮っている椛を見る。
こんな部下がいるのだ。文が体調を崩したとしても新聞が絶える事もないのだろう。
見ていたのがわかったのか。
椛は魔理沙やフランドールが交換し合ってチョコを食べていた様を撮り終えると、こっちに近づき。
「しゃ、写真いいでしょうか?」
「…いいわよ。撮るからには、ちゃんと撮りなさい」
椛の応対に、苦笑しながら答えるレミリアであった。
※
「ほら、あーんして」
太陽の畑にて。幽香は、少し寒い寒風の中、メディスンに自分が作ったチョコをあげていた。
「おいしい?」
「うん。おいしいよ!」
ニコリと笑うメディスンに、幽香は微笑むように返す。
昨日の天狗の行事に乗る形で、幽香はメディスンの為にチョコを作ってきたのだ。
「それはよかったわ。じゃあ、まだまだあるから、ゆっくり食べて頂戴」
幽香は再び手に持つ袋から、一口サイズのチョコをメディスンにあげる。
「ん…」
目を閉じて、口を開けるメディスンは、差し出されるチョコを再び口に頬張っていた。
「おいしい?」
再度幽香はメディスンに聞いた。おいしいか? っと。
「うん!」
「そう」
ニコリと笑う幽香。
だが、先ほどの微笑むような笑みではなく、何処となく、邪悪な笑みなのは何故だろうか?
「じゃあ、まだまだ、いけるわよね?」
幽香は日傘を地面に置くと、メディスンの肩を掴む。
逃がさない為に。
「う、うん」
メディスンは幽香の顔つきが変わったのがわからなのかったのか。
「はい、あーん」
幽香は手に持つ袋から、再びチョコを掴むようにして取り出す。
掴むようにして、取り出されたチョコは、袋とは不釣合いなまでに、縦長に大きなチョコであった。
「ゆ、幽香。こんな大きいの…」
「食べられるわよね? さっき、頷いたのだから」
チョコは、幽香の腕ぐらいはあろうか。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
メディスンはそのチョコを、口を大きく開けて噛み砕いていく。
「ん、んぐ」
涙目になりながら食べるメディスンに、幽香は微笑むとは違う、恍惚とした表情をしながら、メディスンが口に入り切らないチョコを必死になって食べるのを見ていた。
いつも虐めているリグルとは、また違う表情。
自分が虐められていると理解できない程のその純真さ。
これだから、何かを虐めるという行為をやめられない。
「…お楽しみの最中悪いのだけれど、いいかしら?」
幽香は声がした方へと、メディスンの肩に手を置いたまま、顔をそちらに向ける。
「あら、隙間の」
首を向けた方向には、扇子で口元を隠す紫が立っていた。
「何の用かしら? 八雲の大妖である貴方がここに来るなんて」
幽香は恍惚とした表情から一転、怒った顔を紫に向けていた。
わざわざメディスンの泣き顔見たさにあのような大きなチョコを作ったのだ。
それを邪魔された怒りは計りしれない。
「そう怒らないで頂戴。用件だけ言ったらすぐに退散するわ」
そんな幽香の表情を受け流し、紫は扇子を閉じて用件を言う。
「今日の夕方、博麗神社で今日の行事を妖怪達がするために、集まる事になっているわ。興味があるなら来て頂戴」
「…? 貴方がそんなボランティアみたいな事をするなんて、珍しいわね」
幽香の言葉に紫は苦笑する。
「貴方も知っている、魔法使いとの約束なのよ。贈り物を用意出来ない妖怪達にも手引きしろって」
「…魔理沙からの?」
「用件を伝えたのは貴方で最後よ。他の妖怪や妖精、幽霊には一通り伝え回ったわ。それじゃあ、お楽しみの所悪いわね」
紫はそれだけ言うと、隙間を開き、その場を後にする。
「…んぐ。幽香?」
隙間に消えていく紫を見送る幽香だったが、あの大きなチョコを食べ終えたのか。メディスンが幽香の名前を呼んだのに反応するように振り向いた。
「ん。食べ終わったのね」
先ほどまでの怒った表情は何処に行ったのか。幽香はニコニコと微笑みながら、口元にチョコが付いているメディスンの顔を見る。
「さっきの人は誰?」
「…私の、古い知り合いよ」
メディスンのその言葉に幽香はそう返す。メディスンの口元についていたチョコを、指で拭いてやりながら。
「メディ。夕方頃に博麗神社に行こうと思うのだけれど、一緒に行かないかしら?」
「神社に?」
「ええ」
わざわざ紫が回っているぐらいだ。大体の妖怪は神社に来る事だろう。
メディスンとこうして二人で行事をするのもいいが、賑やかなのも、またいいかもしれない。
「うーん…私は、幽香が行くって言うならいくよ。スーさん達、寝ちゃってるし」
「じゃあ決まりね」
メディスンの言葉に幽香は微笑み、チョコが入っていた袋を懐に入れると、地面に置いていた日傘を手にとって差し、もう片方の手でメディスンの手を握りながら、太陽の畑から一緒に博麗神社へと向かった。
※
「…紫、遅いわねぇ」
「…そうですねぇ」
博麗神社の縁側にて、霊夢と並ぶように、紫を待つ早苗と萃香は霊夢が入れてくれたお茶を啜っていた。
特に誰が来るという事もなく、のんびりと時間は流れている。
「困りましたねぇ…神奈子様からのお使いで来てるのに」
「神様から楽しい話があるから来て欲しい、だったっけ?」
隣で一緒にお茶を飲んでいた萃香が早苗にたずねる。
「はい…私もどんな話をするかよくわからないのですが」
早苗は、霊夢と萃香に今日ここに来た用件を言っていた。
勿論、文の今現在の本当の状況を伏せながら語っているだけあって、何か文の為にするような話だとは、言えなかったが。
「でも、珍しいわよね。神奈子から話があるから来いって呼ばれている事自体が」
霊夢はお茶を啜りながらぼやく。
「そうですねぇ」
早苗はその言葉に相槌を打ちながらも、内心ヒヤヒヤしていた。
霊夢の勘の鋭さは一級品だ。納得できない事にはずっと疑問を持つ性格でもあり、文の体調不良の件にも、未だに納得が出来ていないように見えた。
「…あら?」
お茶を啜る三人であったが、霊夢は、神社の鳥居を潜る見知った人物を見て声をかけた。
「こんにちは、霖之助さん」
境内へと入ってきたのは霖之助だった。
手を上げて声をかけた霊夢に、同じように手を上げて返す霖之助。
「こんにちは、霊夢。今日の行事の為にチョコを作ってきたんだが」
霊夢の元に歩いてくる霖之助は、隣に座る早苗と萃香を見て、一度お辞儀をする。
「こんにちは、早苗、萃香」
「こんにちはー」
「こんにちはだよー」
霖之助は二人と面識があった。早苗とは霊夢との付き添いで香霖堂を訪れた時。
萃香とは、神社で開かれる宴会の時に、度々会っていた。
霖之助は包装されたチョコを懐から取り出すと、霊夢へと手渡す。
「ありがとう。霖之助さん」
受け取る霊夢はニコリと微笑む。
早速霖之助から頂いたチョコを、包装を破って、霊夢は口の中に投げ入れる。
「…魔理沙は、来ていないみたいだね」
霖之助はそんな霊夢の様子を見てから、いつも大体一緒にいる魔理沙がここにいない事に首を傾げる。
「かなり前にはいたわよ。紅魔館にチョコを渡しに行ったけれど」
「そうか」
霊夢の言葉に霖之助は傾げていた首を戻し、再び懐からチョコを取り出すと、霊夢に渡していた。
「なら、これを魔理沙に渡して置いてくれないか?」
「? 戻ってくるまでいられないの?」
霊夢の尤もな言葉に、霖之助は首を横に振った。
「人里のお世話になっているお店の方にも、顔を出しに行こうと思ってね。夜までには着いておきたいんだ」
「…ああ」
霊夢は霖之助のその言葉に納得する。今からここを立たなければ、人里に着くのは真夜中であろう。
飛べる自分が一緒に着いていってやれればいいが、夕方からここで行事を行う身としては、神社の巫女がいないと色々と締まらない。
少し待って、魔理沙に乗せて行ってもらえばとも思ったが、霖之助は恐らく魔理沙の実家に顔を出しに行こうとしている事から、それも無理そうだ。
「それじゃあ、仕方ないわね」
霊夢は諦めるように、霖之助を引き止める言葉を言わなかった。
代わりに渡されたチョコを懐に入れる。
「ああ、じゃあ頼むよ。早苗や萃香もまた」
「はい、お気をつけて」
「またねぇー」
境内の外へと出て行く霖之助に、早苗や萃香は見えなくなるまで手を振った。
「またねぇ~」
霖之助が見えなくなるか否か言う所に、もう一人、紛れるように声に入ってきたのは、きっと気のせいじゃないだろう。
霊夢は早苗や萃香とは反対から聞こえてきた声に、顔を向けた。
「遅かったわね、紫」
振り向いた先には、にこりとこちらに笑いかけ、縁側に座る紫の姿があった。
「えぇ、少し手間取ったわ。ただいま。霊夢」
「お、紫遅い~。待ってたんだよ~」
萃香も気づくように紫に声をかけ、縁側から立ち上がって、持っていたチョコを紫に渡す。
「はい、今日の行事の」
「あら。ありがとう」
萃香から渡されるチョコを紫はもらうと、早速包装を破って、口には入れるには少し大きめのチョコを、端をかじって食べてみる。
「仕事をした後の甘い物はおいしいわね~」
「…」
言っている事はまともなのだが、確かそれは酒が大量に入っているチョコじゃ? と、先ほど霊夢が2、3口食べて、結局諦めた萃香のチョコを思い出す。
諦めたチョコは、捨てるのも惜しいので、作った本人である萃香自身が食べたが。
顔色一つ変えずに萃香のチョコを咀嚼していく紫を呆然と見る霊夢であったが、早苗は気にせず、チョコを咀嚼している紫の前に立ち、お辞儀をする。
「こんにちは、八雲紫様」
「こんにちは、風祝の。貴方がここに来ているのも珍しいわね」
紫は正面に立つ早苗に、今気づいたかのように会釈すると、ニコリと笑う。
「ここに妖怪達が集まる行事の話を聞いてやって来た…ってわけでもなさそうね」
「はい、神奈子様からのおつかいがありまして。紫様に面白い話があるから来てほしいと」
先ほどまでの穏やかな顔は何処に行ったのか。早苗は真剣な顔をして、その事を言った。
「…あの神からの?」
紫はその言葉に、しばし考える素振りをしたが、あの神の面白い話と聞いて、思い当たる節がなかった。
「……んー、今日行かないと駄目かしら?」
日はまだ昇っているとはいえ、夕方までそんなにない。
「…出来たら、今すぐに行ってもらえないでしょうか?」
早苗のその言葉に悩む紫だったが、溜息混じりに萃香のチョコを噛み砕いて、周囲に二つ隙間を開けた。
「式符」
言葉と共に、一つの隙間から狐の耳らしき物が出始め、徐々に藍の顔が出てくる。
「お呼びでしょうか?」
身体が全部出てきて、地面に音もなく着地した紫の九尾の式、藍は、紫の方を見ていた。
「藍、夕方までに私が帰らなかったら、来た妖怪達に、神社にあるチョコを配ってあげて頂戴」
「わかりました」
その言葉に頷く藍。
「霊夢、貴方もお願いね」
「ええ、わかってるわよ」
霊夢が頷くのを見て、紫は縁側から立ち上がり、残っていたチョコを食べ切ってから、藍が出た隙間とは違う隙間の方へと身体を入れていく。
「気をつけてねー紫」
隙間に消えていく紫を萃香は手を振って見送り、早苗も無言でお辞儀をして見送った。
※
「じゃあ、その集まりに後で私達も行かせてもらうとするわ」
紅魔館の玄関にて。博麗神社へと戻る魔理沙、アリス、椛を、レミリア、パチュリー、フランドール、咲夜は見送ろうとしていた。
美鈴は早々に門番の仕事に戻った為、門の所に行けば会える事だろう。
「ああ、きっと色んな奴が来るから、そんなに早くは終わらないと思うぜ」
魔理沙は見送る紅魔館の面々に一度手を上げて玄関の扉を開ける。
本当なら、このまま同行してもよかったのだが、日が出ている内に行くのは自分一人ならともかく、フランドールを連れてとなると、まずいと判断したレミリアであった。
「絶対行くから待っててね!」
フランドールが横で笑いながら手を振って、外へと出て行く魔理沙達を見送る。
レミリアは横目でそれを見つつ、内心溜息を吐いていた。本来なら、フランドールを外に出すのはまずい事だ。自身の妹であるフランドールの力は、全てを破壊してしまう。
それが制御できているのならともかく、未だに不安定。
(…けれど)
外に出て、そんなお祭りじみた行事に、参加させてやりたかった。
レミリアは万が一を考え、紅魔館勢全員で行くことを先ほど魔理沙達に言った。
もし万が一、不慮の事故があった場合、全員でフランドールを抑える為に。
だが、それを聞いたフランドールはとても嬉しそうだった。
みんなで一緒に行くんだね、と。そう楽しく言って
その言葉に、レミリアは、今までフランドールを孤独にさせてしまっていた後悔に、本当の全員で行く意味を、フランドールに教えてあげられない悲しみに一瞬囚われた。
しかし、それも一瞬だ。
扉は閉められる。魔理沙達の姿が見えなくなって、レミリアは踵を返す。
「じゃあ、神社へと行く支度をして頂戴、咲夜」
「かしこまりました」
横に控える咲夜は、それを聞くと、支度をする為に、一階の廊下へと歩いていく。
「パチェはどうするのかしら?」
「私は、時間まで地下図書館にいるわ。今日はあまり本を読んでいないから」
あの後、大広間でお茶会のように行事を満喫していたパチュリーは、本を読みに戻るという。
「そう。フランは、どうしたい?」
横にいるフランドールにレミリアは優しい表情をして聞く。
「私は………んー」
聞かれたフランドールはどうしようか悩む。
このまま地下の自室へと戻るのもいいかもしれないが、行くまで少しは時間がある。
「…お姉様と、一緒にいちゃ駄目かな?」
一人よりは二人の方がいい。
フランドールは、一人にはなりたくなかった。
「いいわよ。それなら私のお部屋で、咲夜が支度を整えるまで、お茶でも飲んでようか」
レミリアはその言葉に頷く。
「うん!」
フランドールはそれを見て、ニコニコとしながらレミリアと一緒に2階へと昇っていった。
「じゃあな美鈴!」
門から飛び立つようにして、魔理沙達は、門番をしていた美鈴に最後に手を振る。
「また~」
美鈴は手を振るようにしてそれに返していた。
数分と経たず、紅魔館が見えなくなり、空へと上がった魔理沙達は、日が徐々に沈み始めている空を、少し遅めに飛んでいく。
「いい写真は撮れたか? 椛」
魔理沙は空に上がって、紅魔館が視界から見えなくなった辺りで、椛に聞く。
「…私は、文様じゃないですから、いい写真が撮れたかはわかりません」
「そっか」
「ですが」
椛は少し微笑むようにして。
「皆さん、とても楽しそうでした」
レンズ越しに見た風景は、皆とても楽しそうに行事を送っていたように、椛は見えた。
「……あの天狗の部下にして置くには、勿体無いわね」
横でアリスは、溜息混じりにそう呟く。純粋すぎるその言葉に、アリスは椛と文が同じ天狗とは思えなかった。
「ああ、全くだ」
魔理沙は笑うように、それに同意していた。
※
どれだけ、寝ていたか。
身体が鉛のように重い。昨日の疲れが抜ききれてないのか。
ぼやけている頭に、文は布団から身を起こさず、横になったまま寝室の天井を眺めていた。
何もせず、部屋に籠もった事なんて、今まであっただろうか。
「……」
昨日の事が脳裏に浮かぶ。
朝から必死になって新聞を配っていた。
家に密かに侵入したり、いきなり殺されかけたり、人里でお願いをしたり、マヨヒガではお酒を飲まされそうになったり、閻魔様に説教されたり、演奏会を聴きにいったり、屋台にも顔を出しにいったり――――
「…う」
それが、何で。
枯れ果てたと思った涙が、再び目に滲む。
馬鹿にされる事はあった。同じ天狗の身として、どうしてこんなゴシップ記事みたいな事を書くんだと。
後ろ指を差された事だってあった。どうして、このような事しか書けないんだと。
けれど、止められるなんて事はなかった。
どうしてだろうか。何故、取材に行っては行けないのだろうか。
今日の行事の風景を撮れば、皆の幸せそうな顔が、撮れると思ったのに。
どうして、人間と妖怪が共に行うというだけで、止められるのか。
「…ひ……くぅ……」
あぁ、考えれば考えるだけ涙が滲む。
寝てしまえ。それが一番いい。今日の日を考えないで寝てしまえば、また次の日からきっと頑張れる。
頑張れる、はずなんだ。
※
「…なるほど」
妖怪の山にある、守矢の神社の居間に、二神と大妖が、テーブルを挟んで座っていた。
紫は隙間からすぐにここへと来て、神奈子と諏訪子から、早苗に言われた、面白い話というのを聞いていた。
「しかし、わかりませんわ。何故、貴方方神々が、そこまでたかが一人の鴉天狗を助けようと思うかが」
「なあに、神も人の子ってだけさ」
紫の疑問に、神奈子は笑って返す。
「それに頑張って皆に配ったと言うのに、報われないのは些かね」
「……本当に、人間のような事を言うのですね」
何処かで似たような台詞を紫は聞いたと思い、紫は笑う。
「いいわ。力をお貸ししましょう。私もこの行事に手を貸した身。邪魔されたとあっては不愉快ですから」
「ありがとう、八雲の」
諏訪子は礼をする。
「紫でいいですわ。諏訪子様」
そんな諏訪子に笑って返す。
「なら、私も諏訪子でいいよ。共に殴り込みに行く身だ。神と妖怪の種族なんて関係ないしね。神奈子もいいだろ?」
横目で見る神奈子は頷く。
「早苗がおつかいを果たせなかったら二人で行く気だったがね……紫が居てくれれば心強い。呼び捨てで構わないよ」
神奈子は律儀に紫と呼び、自分も呼び捨てで構わないという。
実際、神と妖怪とはいえ、力関係は互角である。それをわざわざ紫は、律儀に神だからと様をつけていたり丁寧な口調をしていたのだが。
「なら…神奈子、諏訪子。事を起こす前にお酒でも飲まないかしら?」
それがいらないとわかった紫は、友人に話すように、隙間から杯とお酒を取り出す。
「お、いいねぇ」
神奈子は紫の取り出したお酒を見て、自然と顔がにやける。
「……程々にしときなよ?」
そんなにやける神奈子に溜息を吐きながらも、紫から杯を貰う諏訪子であった。
※
紫が妖怪の山に行ってから、随分と経った。
霊夢は言われた通り、境内の前に集まっている妖怪達に、居間に山積みにされているチョコを一つずつ、藍や、式で呼んだ橙に、椛を待っていた早苗も、手伝ってくれる形で配布し始めている。萃香は、お酒を大量に何処からか運んできていたが。
既に夕方、妖怪達の本格的な活動時間より少し早いが、行事は滞りなく始っていく事だろう。
「…こんばんは」
「こんばんは。貴方達も紫に呼ばれて来たの?」
今霊夢の前にいるのはプリズムリバー楽団の長女である、ルナサだった。
「ああ。華がないと面白くないと言われたものでな…ここで演奏をして欲しいと言われているんだ」
「そう」
空中にいるメルランやリリカは、既に演奏をする準備に入っている為か、神社の空で待機していた。
「なら、もう始めちゃっていいわよ。時間的には開始の予定だから」
「…わかった。じゃあ、やらせてもらおう」
ルナサは霊夢に一度礼をしてから、メルランやリリカが待つ空に上がると、演奏を開始する。
「こんばんは」
空に浮かぶルナサ達を見上げていた霊夢は、声をかけられた方に顔を戻す。
「あら、雪妖怪」
「チョコをもらいにきたよ!」
「こ、こんばんは…」
顔を向けた方向には、氷妖精のチルノを挟むようにして、左にレティ、右に大妖精がいた。
「チョコを、頂けるかしら?」
「はいはい。ちょっとまってね」
レティに催促され、霊夢は後ろに置かれているチョコの山から、三つ取る。
「はい」
順番に霊夢は渡していく。
「ありがとう」
「レティ達も、紫に呼ばれて?」
霊夢の言葉に、レティは頷く。
「湖の所で、チルノ達と遊んでいたらいきなりね…。冬の間に、こんな行事に誘ってもらえて嬉しいけれど」
レティは本当に、嬉しそうに答えていた。春にはまた何処か、涼しい所にいなければいけない彼女にとって、その言葉は本心なのだろう。
「なら、楽しんでって頂戴」
「そうさせてもらうわ」
霊夢にお辞儀をして、境内の端へと移動していく三人。
霊夢はその後も、顔見知りではない妖怪達や妖精にもチョコを配っていた。
日が沈みかけた頃に。
「戻ったぜ」
「ただいま」
「戻りました」
神社の鳥居を滑るようにして、空から紅魔館へと行っていた三人が帰ってきた。
「遅いわよ」
霊夢はそんな三人に溜息を吐く。既にチョコの山は半分程になっていた。
「悪い悪い、少し長居しちゃってな」
魔理沙は悪びれた様子もなく霊夢に謝る。
「あ、椛さんお帰りなさい!」
横で配っていた早苗は、椛を見ると駆け寄ってくる。
「戻りました、早苗さん」
「魔理沙、霖之助さんが昼間に来たわよ」
横ではしゃぐ早苗と椛を見つつ、魔理沙に霖之助が昼に来た事を話す。
「え? ほんとか?」
「えぇ。貴方にチョコを渡す気だったみたい」
霊夢は霖之助から預かっていたチョコを魔理沙に手渡す。
「こーりんは帰ったのか?」
「人里に行くって言ってたわよ。魔理沙の実家に行くんじゃないかしら?」
実家と聞いて、魔理沙の顔が少し強張る。
「……魔理沙?」
強張った魔理沙の顔を見て、横で聞いていたアリスが、不思議そうな顔をした。
「…ん、いや、何でもないんだ」
横にいたアリスに、強張っていた顔から微笑むように顔を変え、魔理沙は背負っていた袋の中へと霖之助のチョコをしまう。
「レミリア達も後で来るってさ。紫は?」
辺りを見渡してみるが、紫がいない事に気がつく。
「一度戻ってきたけど、守矢の神社に向かったわ。何だか神奈子と話があるみたい」
首を横に振って、そう答える霊夢に、魔理沙は首を傾げる。
「神奈子が紫に…?」
「魔理沙~」
霊夢と話していた魔理沙だったが、後ろから自分の名を誰かに呼ばれ、そちらの方に顔を向ける。
「お、幽香じゃないか」
魔理沙が振り向いた先には、片手に日傘を持ち、メディスンと手を握って歩いてくる幽香の姿があった。
「…ここまで大所帯なのも、凄いわね」
夕日は沈み、既に太陽の代わりに、月が出てきている。
博麗神社は妖怪達で溢れていた。
皆思い思いに渡されたチョコを交換し合い、頬張っている。
「…まぁ、半分宴会地味てるよな」
先ほど萃香が何処から引っ張ってきたのか、大量の酒瓶も投入され、チョコを肴にお酒を
飲んでいるようなものだ。
「いいんじゃないかしら。皆楽しそうだし」
「まぁ、な」
空では月を背にプリズムリバーの演奏が絶えず流れ、下では妖怪達が楽しそうに笑っている。
霊夢と魔理沙とアリスは、神社の縁側でその光景を見ながら、片手にチョコを持ち、もう片方でお酒を妖怪達と同じように飲んでいた。
神社の居間に合ったチョコの山も、大分減ってきている。
「もうそろそろレミリア達がきそうね」
夜中に来るというならそろそろだろう。
「噂をすればなんとやらってな。来たみたいだぜ」
魔理沙は神社の鳥居の方を指差す。
そこには、レミリアを先頭に、フランドールや咲夜、パチュリーや門番の美鈴まで来ていた。
その後をぞろぞろとメイド妖精がついてくる。
「……全員で来たわね」
その集団を開けるように、妖怪達は左右に分かれていく。
「遊びに来たわよ」
先頭にいたレミリアは、ニコリと霊夢に笑いかけて、そう言った。
「…まぁ、いらっしゃい」
溜息を吐きながら霊夢はそれに答える。
その周りで、絶えず椛が写真を撮る光があった。
※
月が昇る中、永遠亭の入り口で永琳は立っていた。
「…寒いわね」
独り言のように呟くが、誰も聞いてはいない事だろう。
今永遠亭の中では行事を満喫したからか、そのまま宴会のような状態になっていた。
因幡達の騒ぐ声が玄関にいても聞こえてくる。
永琳は、未だに帰ってこない輝夜を待っていた。
手には永琳が作ったチョコが握られている。
「…寒いわよ。輝夜」
ぼやく声に返ってくる声はない。永琳は白い息を吐きながら、顔を俯かせる。
ここまで帰ってこないと、本当に帰ってこないかもしれないと不安になる。
輝夜の事が好きだ。
それは永遠に、ずっと永遠に続く想いのはずだ。
だけど輝夜には、もう一人想っている人物がいる事も知っている。
藤原妹紅。輝夜を追って、自ら不死となる事を選んだ者。
「………」
何で、妹紅の所に行ってしまうのか。
自分を好きだと言ってくれたのに。
私は、輝夜の何なのか。
考えている事が自虐的だとわかっていても、時間が経つ度に、永琳は不安になる。
本当は、私の事なんて、どうでもいいんじゃないかと。
「…輝夜」
「……永琳?」
独り言のように呟いていた言葉に、返ってくる言葉が聞こえ、永琳はバッとそちらの方に顔を向ける。
そこには、月を背に佇む輝夜の姿があった。
「…? 泣いているの?」
「あ、い、いぇ。泣いてなんかいないわ!」
永琳は必死に自分の顔を腕で拭う。
いつの間にか涙まで出てきていたらしい。
「お、お帰りなさい。遅かったのね」
「え、ええ。ちょっと手間取っちゃって……」
永琳の慌てっぷりに、輝夜は驚く顔をしたままだった。
輝夜は永琳の慌てるような姿をあまり見た事もなければ、泣いている姿なんて初めてみたかもしれない。
何より、自分の名前を呼んで泣いているとはどういう事か。
「永琳?」
「な、何かしら?」
「もしかして、寂しかったの?」
輝夜のその言葉に、永琳は顔を真っ赤にする。
「だ、誰が寂しいなんて」
「だって、今、私の名前を呼んで泣いていたじゃない」
「き、きのせいよ」
永琳はごまかすように顔を真っ赤にしながら輝夜から目を逸らす。
「本当に?」
そんな永琳をじっと見つめる輝夜だったが。
ふと、永琳の身体が小刻みに震えている事に気づく。
「永琳、ちょっと…」
輝夜は永琳の手を握る。
「か、輝夜?」
「……貴方、いつからここにいたの?」
永琳の手は氷のように冷たかった。
「え、ええと。夕方ぐらいから……」
正直に答える永琳に、輝夜は怒った顔をする。
「そんな時間からどうして……」
「……か、輝夜を待とうと思ったのよ」
握られる手の暖かさを感じながら、永琳は目を逸らしたまま答える。
「………永琳」
「どれだけ経っても……帰ってこないから、不安になって……」
「…ごめんなさい」
輝夜は少しばかり罪悪感にとらわれる。自分を想ってくれた人をほおって置いて、妹紅の所に向かった事に。
「い、いいのよ。私が勝手に待っていただけだから、輝夜が気にする事じゃないわ」
謝る輝夜に永琳は慌てるように答える。
「それに、ちゃんと帰ってきてくれたわ」
「……」
健気にそう言う永琳に。
「えい」
輝夜は抱きついた。
「ちょ、輝夜!?」
「寒いでしょうから、暖めてあげるわよ。……待たせて、本当にごめんなさいね」
ぎゅっと永琳の身体を温めるように抱きしめる輝夜は、永琳の胸にうずくまるように、もう一度謝った。
「…輝夜」
そんな輝夜に顔を赤くしながらも、永琳は抱き返す。
この時間が、永遠に続いてくれたらどんなにいいか。
叶わぬ願いと知りつつも、永琳は願う。
月を背に、二人はしばらく抱き合っていた。
※
「…何でこうなったか、誰か説明して頂戴」
「そうねぇ…贈り物をする行事に、流石にお酒はまずかったって事ね」
霊夢のその言葉に、横で萃香が配給したお酒を飲んでいたレミリアは、目の前に広がる光景を楽しげに見ていた。
レミリア達が来てから、宴会のようになっていた博麗神社は、益々盛り上がり、普段お酒をあまり飲まない連中がハイペースでお酒を飲んだせいか。
「や、やめてくれぇーーーー!!」
「アハハ! マリサマテー!」
「アハハ! マテマテー!」
「ニガサナイワヨ! マリサ! ゴホ! ゴホ!」
「パ、パチュリー様、無理をせずに…!」
「マチナサイ! マリサ!」
魔理沙を追いかけるフランドールやパチュリー、アリスに、何故かメディスンや小悪魔も一緒にいたり。
「アハハ~目の前に⑨が見えるわぁ~」
「チ、チルノちゃん! 駄目、見えたら駄目!」
追いかけている連中の余波を食らって、昏倒しているものがいたり。
「レティ、結局の所どうなのよ。あの氷妖精の事好きなんでしょ?」
「す、好きというか、私は別に……」
雪妖怪と花妖怪が神社の端で恋話をしていたり。
「…咲夜さ~ん、好きですよ~」
「ああ、はいはい。わかったから。私の身体をまさぐるのをやめてくれないかしら」
門番の悪酔いを介抱するメイド長がいたり。
「ちぇーーーーーーん!」
「ら、藍様!? 痛い、痛いです!?」
自分の式に、全身全霊で抱きつく九尾がいたり…。
「…はぁ」
「レイムさ~ん」
目の前の光景に溜息を吐きながらも、レミリアとは逆に座っていた早苗も既に顔を真っ赤にして、酔っ払い化していた。
「ワタシノ~ハナシヲ~キイテイマスカァ!?」
「聞いてる聞いてる。だから離れて頂戴」
「ウゥーキイテナイデス! ゼンゼンキイテナイデス!」
笑っていたかと思ったらいきなり泣き出したり、早苗の酔い方も始末に終えなかった。
「…アハハ、出来上がっているみたいだねぇ?」
萃香は顔を引きつらせて、早苗の状態を見ながらお酒を飲んでいた。
「萃香、明日からアンタ、しばらくお酒抜きね」
「ひ、酷い!?」
「元凶アンタでしょうが…」
頭を抱える霊夢に、レミリアは苦笑しながらもお酒を煽った。
「まぁ、楽しそうだからいいんじゃないかしら?」
上ではまだプリズムリバーの演奏が続いている。
「…そういえば、あの天狗は何処に行ったのかしら?」
霊夢はキョロキョロと辺りを見渡す。さっきまであれだけ写真を撮る音がしていたというのに。早苗の相手をしてほしいのだが。
「ウゥー? モミジサンデシタラァ~~ウエカラトルヨウナコトヲ~」
「上?」
霊夢は上を見上げる。
「あそこにいるわね」
レミリアはプリズムリバーの横を指差す。
「あ、ホントだ」
萃香もみつけたのか。
そこには、月を背にカメラを構える椛の姿があった。
「頑張るわねぇ…」
「アヤサンのタメにナリタインデスヨォ~。モミジサンハ」
早苗は、目から滝の涙を流すように、えぐえぐと霊夢に寄りそって泣く。
「文の代わりと言ってもねぇ…」
「アヤサン、ウエカラ~ジタクカラ~デルナッテ…」
「……は?」
今、早苗は何と言ったか。
「早苗? 今何て言ったの?」
「ダカラァ~~………」
言いかけた早苗がガクンと、力尽きたように霊夢に寄り添ったまま、落ちた。
「さ、早苗?」
「……すぅ………すぅ」
「ちょ、気になる事言ってるのに寝ないで!」
霊夢は寄り添う形で自分の胸元で落ちた早苗の胸倉を掴んで、ガクガクと揺さぶる。
「文は体調不良じゃなかったの!? おーい!」
「…すぅ」
「駄目ね。起きる気配がないわ」
どれだけ揺さぶられても起きる気配がない早苗に、横で見ていたレミリアはそう答える。
「……夢想封印ぶちこんじゃ駄目かしら?」
「ぶちこんだら、今度は起きられなくなっちゃうよ?」
尤もな萃香の発言に、霊夢は舌打ちし、眠る早苗を抱き上げる。
「…ちょっと、寝室に置いてくる」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい~」
レミリアと萃香は、早苗をお姫様抱っこする霊夢に手を振りながら、目の前で広がる光景を肴にして、お酒を飲み続けた。
※
「………」
静寂が、これ程耐え難い事があっただろうか。
妖怪の山の麓。
大天狗は、今起きている現実から目を背けたい状況であった。
部屋に控えている白狼天狗達も同じであろう。皆必死に、自身の身体が震えないように、歯を食いしばって耐えている事だろう。
大天狗がいる部屋は、天狗の長である天魔様が過ごすお部屋だ。
そこに、先程警備をしていた白狼天狗が、慌てるように駆け込んできた。
化け物が来ると。
大天狗はその表現に失笑する。妖怪の我々もその化け物だと言うのに、何故そのような言葉で報告するのかと。
だが、その表現が、今は間違っていない事を認めなければならない。
天魔様がいる今このお部屋に、紛れもない化け物が、三人立っていた。
「さて、何処からお話しましょうか」
横に並ぶように天魔と対峙するように立っていた一人、八雲の大妖が話を切り出してきた。
「…ここに来た事から、まずお話できないものか。八雲の大妖、洩矢のニ神よ」
天魔は口を開き、どうしてここへ来たか話せと言った。
「……貴方方の鴉天狗の一人が書かれている、文々。新聞というのを、天魔様はご存知でございましょうか?」
大天狗は、その言葉に驚いていた。
何故、この緊迫した状況でその新聞の名前が出る。
「…射命丸文が、出している新聞だな」
「ご存知のようで、話が早いですわ」
天魔のその言葉に、紫はクスリと笑う。
「でしたら、私達がここに来た理由も、おわかりになられるかと」
「……大天狗よ」
「は、はい!」
自身の名を呼ばれ、背筋を伸ばし、直立不動に立つ大天狗。
「確か、射命丸は自宅謹慎の命令をしていたな?」
「は、はい! 妖怪と人間が同じような行事をする事をそそのかした記事を書いて配っていたもので―――」
――――ガァァン!
大天狗が言い終える前に、神奈子は地面の床を、足で破壊して黙らせる。
「妖怪と、人間が同じような事をしちゃいけないってのかい」
「……よ、妖怪の威厳というものが…」
――――ガァァン!
大天狗が言いかけた言葉を踏み潰すように、今度は諏訪子が自分の床を破壊していた。
「そんな威厳、捨ててしまえ」
「う、うぅ……」
大天狗は、荒ぶる神二人に、何も言えなくなってしまう。
「…お二方、戯れはそこまでに」
怒気によって、他に控える天狗達も震えが止まらぬ中、紫は天魔を見る。
「天魔様、私達が今日ここに来たのは、射命丸文の邪魔をするなという事だけですわ。勿論、明日もし文々。新聞に、今日の行事の事が書かれてあったとしても、邪魔をしない事」
「……何故、そこまで射命丸の事を助けようとするのだ? そなたらはあやつの友人でもなければ、仲間でもないであろう」
天魔の言葉に三人はニヤリと笑う。
「私の言った事が、邪魔されたのが気にいらないから」
神奈子を筆頭に。
「大切な事が、書かれていたから」
諏訪子が間を取り。
「努力するものをあざ笑う程、誇りを捨ててはいないからよ」
紫が締めた。
「……そうか」
「天魔様、これは交渉でも説得でもなく゛脅し゛と言う事をお忘れなきよう。もし、あの天狗の身に何かあったり、邪魔をした場合」
紫は笑う、それは、強者だけが許される、邪悪な笑み。
「天狗という種族が、丸々この幻想郷から消えるかと」
それを最後に、三人は踵を返し、部屋から出て行った。
「…………肝が冷えたぞ」
三人が姿を見えなくなって、数分経ってから、天魔は安堵するようにぼやいていた。
「て、天魔様、いいのですか!? このままでは…」
大天狗は安堵する天魔に進言しようとするが、天魔は首を横に振る。
「あの三人を敵に回したら、先程の言葉が実現するぞ…」
天狗が幻想郷から消える。
あの三人がそれをしようと思ったならば、何の躊躇もなく、それを実行される事だろう。
「…神も大妖も味方につけるとはの…」
身内ながら天晴れだと、天魔は文に、心ながら賞賛を送ってしまった。
※
「はいはい、皆お開きよ~寝転がってないで帰って頂戴」
パンパンと手を打ちながら、霊夢は宴会の閉幕の音を鳴らす。
「またね」
「またな~」
「またくるわ」
思い思いに霊夢に挨拶をして、泥酔しているものは担ぐようにして、滞りなく神社から自分たちの帰る場所へと帰っていく。
「いやー、派手にやったねぇ」
神社で泊まる気満々の萃香は、霊夢の横で何処にも帰ろうとはしなかった。
「萃香、ここの後片付け、お願いできるかしら?」
境内に錯乱しているチョコの包装紙や、酒便等、霊夢一人で掃除するには荷が重過ぎる。
「してもいいけど……明日からお酒抜きの話を、ちょっと、考えてくれないかなぁ?」
頭を掻いて笑う萃香に、霊夢は少し考える素振りをする。
「はい、考えてあげたわ。やれ」
「ひ、酷い!?」
「半分以上は萃香のせいなんだから、自業自得よ。やらなかったら、御飯も抜かしてもらうわ」
「お、鬼ぃぃぃ……」
鬼は萃香じゃない、と内心突っ込みを入れたくなったが、突っ込まない。
泣く泣く自身の能力を使い、萃香は錯乱しているゴミを集め始める。
「あの…」
萃香の掃除をする様子を見ていた霊夢だったが、横から椛に声をかけられる。
「早苗さんは…?」
「早苗なら、完全に落ちちゃってるから、このまま神社で預かるわ」
神社の布団に転がして置いてある早苗は、起きる気配がなさそうだった。
「…椛は、今日の写真を記事にするのなら、戻った方がいいんじゃないの?」
「はい、では、早苗さんをお願いします」
霊夢に一礼をして、飛び立とうとする椛に。
「あ、椛」
先程早苗が酔っ払って言っていた件を聞こうとするのだが。
「? 何でしょうか?」
「……いや、何でもない。ごめんね、引き止めて」
紫が、まだ戻って来ていないのだ。
もし、早苗の言った事が事実ならば、紫と神様のお話とは、きっと文をどうにかしようとしている話なのだろう。
「? では」
椛は再びお辞儀をして、今度こそ月が輝く夜空へと飛び立った。
「…頑張りなさいよ、文」
椛が飛んでいく夜空に向かって、明日の新聞がちゃんと出てる事を祈る霊夢だった。
※
「………」
一日中寝ていたせいか、身体がだるい。
明日の新聞をどうしようかと思い、色々と頭を捻るが、何も浮かび上がってこない。
当然だ。明日は今日の行事の事を書こうとしていたのだ。それで頭がいっぱいだったのに、別の記事なんて考えていない。
「困ったなぁ…」
文は机に突っ伏すようにして倒れる。
もうこれは、明日も出さない方向で行くか?
「……はぁ」
その考えに、文は溜息を吐く。
自分が弱気になっているのはわかっているが、そんな考えが浮かんでしまう事も辛かった。
―――ドンドン!
机に突っ伏すように悩む文に、家の扉をノックする音が聞こえる。
「誰…?」
今は、自分は自宅謹慎中になっているというのに。
文は扉を開ける。
「ハァ! ハァ! あ、文様!」
「…椛?」
そこには、ゼェゼェと息を大きく荒げて、今にも倒れそうな椛の姿があった。
「どうしたの、そんなに息を荒げて…」
「あ、文様に、これを…」
椛は、背負っていた鞄から、カメラとフィルムを取り出す。
「これって…私のカメラじゃない?」
「きょ、今日の行事の風景を、自分なりに撮ってきたんです!」
「え…」
「文様! お願いです。これを使って、新聞を、明日の新聞を書いてください!」
椛のその言葉に、文は動揺する。
「……椛、それは、わかって言っている?」
「は、はい」
だが、動揺する文だったが、椛の言葉に、首を横に振る。
「もし、今日の行事を記事にしてしまったら、こんな事では済まないわ…私だけじゃなく、写真を撮りに行った椛も巻き込んじゃう」
「わ、私は」
「…山から追放されたら、私たち天狗は生きていけないわ……」
「い、いいえ! 大丈夫です!」
椛は、そんな弱気な発言をする文に、豪語する。
「もし、山から追放されても生きていけます! 文様が追放されても、私も共に行きます! 文様がどれだけ新聞を作るのに力を入れているか、私は知っているから!」
「…椛」
叫ぶように話す椛は、真剣な眼差しで、弱気になっている文に言う。
「知っているから…! 諦めないでください! そんなの文様じゃないです。私の知っている文様は、例え怪我をなさっても、笑って新聞を配りに行く強いお人じゃないですか…!」
気持ちが高ぶったのか、椛の目から涙が流れる。
「諦めるなんて事言わないでください……! そんなの、そんなの文様らしくないですよ………」
文の顔が、もう、椛は見れない。
椛は顔を俯かせるようにして、文の前で泣いた。
「う…うう…!」
「…椛」
そんな椛に、文は溢れる涙を指で拭ってやる。
「…わかったわ」
「え……」
「新聞、書きましょう」
その言葉に、椛は顔を上げた。
「そうね。何を私は弱気になっていたのか」
そこにネタがあるのなら、記事にするのが私ではなかったか。
どれだけ自分が怪我を負おうと、新聞を配るのが私ではなかったか。
「椛、手伝って頂戴、今から明日の新聞の原版を作るわ」
「は、はい!」
弱気な文はもういない。
今ここにいるのは、いつでもネタを探す為に、風となって幻想郷を回る文だ。
椛と文は、すぐに記事を作る為の作成に入った。
「どうやら、杞憂に終わったみたいね」
守矢神社で、その二人の様子を、紫、神奈子、諏訪子は隙間で見ていた。
「だから言ったろう。別に教えなくても、あの子らはきっと書くと」
「ふん、一番はらはらしていたのは神奈子のくせに」
笑いながら語る神奈子に、諏訪子はケッと悪態を吐きながら、紫が出したお酒を飲む。
文が一度首を横に振った時に、一番騒いでいたのが神奈子なのは、事実であった。
「ああん? 喧嘩売っているのかい、アホ蛙」
「そう聞こえたなら、そう聞こえたんじゃない? バカ蛇」
「まぁまぁ…」
口喧嘩をする二人を紫は微笑みながらなだめる。
「今は事がうまく行った事に乾杯しましょう。めでたく、終わったのだから」
「…まぁ、そうだね。悪い諏訪子」
「…いや、ごめん私も。揚げ足を取ったみたいで」
紫の言葉に合わせるように、ころりと態度を変える二人。
紫は内心苦笑しながらその心変わりを見つつ、三人で杯を、カチィンと打ち鳴らしていた。
※
「いつだって~♪ 隣にいる~♪ 強い~♪ フリして~♪ 泣いてる己~♪」
今日もミスティアは歌いながら、人里の外れで屋台を開く。
昨日の天狗が置いていった新聞を一枚貰い、ミスティアは屋台に来た人にある物を振舞っていた。
「お邪魔するよ」
「いらっしゃいませ~♪」
一通りお客が来ては去り、来ては去りが続いて今度は眼鏡をかけた男の人が入ってきた。
「注文いいかな?」
「注文の前に~♪ 今日は行事の日ですので~♪ これを貴方にあげましょう~♪」
ミスティアは横に作っておいた物を眼鏡の人に渡す。
「ん…? これは?」
「チョコバナナ~♪ 大切な人へと贈る行事と聞きましたので~♪ 私の大切な人は、私の歌を聴いてくれる人~♪」
「…はは、まさか。最後の最後で貰うとはね」
眼鏡をかけた男―――霖之助は、ミスティアから貰ったチョコバナナを頬張る。
博麗神社を発った後、人里にお世話になっている所に、チョコを渡しに行ってはいたが、貰うのはこれが初めてだった。
「おいしいね」
頬張ったチョコバナナは甘すぎず、と言っても苦いわけでもない。バランスよくチョコとバナナの甘さが合体していた。
「チョコバナナと合いますのは~♪」
「ワハー、遊びに来たよー、ミスチィー」
ミスティアが霖之助に次のを勧めようとした時に、闇を周囲に纏ながら屋台に近づく者が。
「あら、ルーミアも来たかー♪」
来たのは宵闇の妖怪である、ルーミアだった。霖之助の横に座ると、催促するように、カウンターを叩く。
「ミスチィーなんか頂戴~」
「じゃあルーミアにもこれをあげよう~♪」
チョコバナナをルーミアにも渡すミスティア。
「なあにこれ?」
「それはチョコバナナというものでねぇ~♪ 大切な人へと贈り物をする為に用意したんだぁ~♪」
「そーなのかー」
ミスティアの説明を聞いてか聞かずか、チョコバナナをおいしそうに頬張り始めるルーミア。
「とりあえず、お酒を貰えるかい?」
「はーい♪」
今日も、ミスティアの屋台は歌いながら切り盛りしていた。
次の日。
「号外~!」
「号外~!」
幻想郷中を飛ぶように、新聞が飛んでいく。
それは妖怪にも読まれ、人間にも読まれ、妖精にも読まれた。
表紙にはデカデカとこう書かれている。
幻想郷で起こった行事の風景! 人間、妖怪、妖精みんなやったよ!
皆それを見て笑い、笑顔で読んでいましたとさ。
報道とは何の為にあろうか?
記事とは何の為にあろうか?
――――それは伝え続ける事に、意義があると見つけたり。
妖怪達が住まう山々の一つ、そこで幻想郷の人里に最も近き天狗と言われている人物、射命丸文は、一人山頂の冬空で悩んでいた。
「……何かいいネタはないものかしら」
記事にするネタ自体はまだある。
季節が冬に入ってからというもの、人間の方はあまり活発な行動、もとい、ネタになるような事はしなかったが、代わりに氷妖精であるチルノが文の記事に合うような行動をしでかしてくれた。
反応も上々、もう2、3度はチルノ特集で書いても問題はないだろう。
だが何事にも飽きが来るように、それだけでは足りない。
もっと別の何か、一年という周期を巡る上で、妖怪だけじゃなく、人間や妖精達もするような行事。
「………うーん、うーん……」
文は一人唸りながら考える。
季節が春や秋なら人間達の行事というものが生きてくるのだが。
気候が寒くなり、秋の収穫祭も終わった後。一部を除いてただ怠惰に暮らす人間と妖怪を奮い立たせる行事等あるのだろうか。
「……これは、知恵を借りに行ったほうがいいのかなぁ」
悩んだ末、文は身近な人間に知恵を借りに行く事にした。
妖怪である自分の冬と、あの神社に住んでいる人間の冬とは、また違うかもしれない。
彼女は外の世界から幻想郷に越してきた人間だ。神を信仰し、神に愛され、それ故に奇跡を起こせる少女。
文は背中に生えている黒い翼をはためかせ、風を蹴るようにして山の中の神社へと向かった。
「冬の行事ですか?」
妖怪達が住まう山の中。
「えぇ、貴方なら何かいいネタ………行事を知っているかと思いまして」
文は神社の境内を掃除していた東風谷早苗に知恵を借りに来ていた。
巫女ではなく、風祝を職業としている彼女は、この神社に祀られている神、八坂神奈子の信仰を集める為にこの幻想郷へ来た。
文は外の世界の常識を全て知っているわけではない。それは一部を除く幻想郷に住まう人間や妖怪も同じ事で、新しい新鮮なネタを聞くには、うってつけの相手であった。
「うーん…幻想郷の方にも通じる行事なんて、何かあるかなぁ……」
早苗は手に持つ箒を胸に抱きしめるようにして考える。
「何でもいいんです。何か、この日じゃないとやらない事とかでも」
「この日じゃないとやらない事……」
必死に考えてくれる早苗に、文は辛抱強く待った。
どのみち早苗が駄目なら、山を降りて幻想郷を自身の目で取材するしかないのだ。ここで待つ労役と幻想郷全体を回る労役を考えれば待つことは苦にならない。
「あれがあるじゃない」
と、境内で話し込んでいた二人に神社の中から声をかけるものがいた。
「あ、神奈子様」
「こんにちは。あれと言いますと、何かあるんですか?」
文は出てきた神奈子に一礼し、スカートのポケットに入れておいたネタ張を取り出す。
「えぇ、人間が考えた行事だけれど。それなりに馴染みの深いものよ」
いつもの威厳たっぷりな雰囲気は何処に行ったのか。神奈子は神社の縁側に座り、文の方へと話を続ける。
いつものしめ縄も背負ってない事から、今は休憩の最中だったのだろう。
「2月14日、私達の大陸ではなかったけれど、他の大陸に住まう神を祝う行事があったのよ。それが私達の大陸に流れ着いて、その神を祝うという意味合いではなく、想い人や大切な人に贈り物をするようになった行事……」
「あ!」
神奈子がそこまで喋ってから、早苗も気づいたように声を上げる。
「そういえばヴァレンタインデーがありましたね」
「…ヴァレンタイン?」
文は何処かで聞いたようなイベントだと思いつつ、ネタ張にすらすらと記録していく。
「はい! 大抵はチョコをあげるのがポピュラーなのですが、冬の行事のせいかマフラーやセーターとか、そう言った衣類も好きな人に贈るんです」
「ふむふむ……」
「よく覚えていましたねぇ神奈子様」
感心するように早苗は神奈子にニコニコと微笑むが、神奈子は苦々しく笑った。
「そりゃ覚えているわよ。私の信仰を集めようと奮起している上で、別の大陸からも祝ってもらえている神様なんていたら、嫌でも覚えるわ。早苗からも毎年チョコをもらっていたしね」
「あぁ、なるほど」
早苗はその言葉に納得する。確かに、冬のこの時期になれば神奈子にチョコをあげていた事を早苗は思い出していた。
「幻想郷に越してきてすっかり忘れていました……そういえば、今日は、何日でしたっけ?」
ふと、早苗が浮かんだ疑問。
「2月12日。後二日ね……今年も期待しているわよ早苗。他の神を祝うのはどうかと思うけれど」
「はい! 今年も頑張って作らせていただきますね!」
ニッコリと笑う早苗に、神奈子も微笑みを返す。
「…ふむ、……ふむ」
その二人の話を聞いて文は脳内で高速に思考を働かせていた。
そのヴァレンタインがあるのは後二日。
一日前にもし記事にして出せば、妖怪や人間達は奮起するだろうか?
先ほど語った神奈子の想い人や大切な人、それに贈り物をするというキーワードに文は記事にする上でどういう風に書くべきかを決めていく。
その上で当日のヴァレンタインの風景を記事に出来れば、特大号並みの取材反映が期待されるはずだ。
「ありがとうございます早苗さん、神奈子様。おかげさまで、いい記事が書けそうです!」
脳内構想が出来上がったのか。文は早苗と神奈子に一礼すると、翼を広げ、大空へと飛ぶ。
「また当日になったら取材に来ると思いますが、その時はよろしくお願いしますね~!」
飛びながら最後にそう言うと、文は急ぎ、元来た空へと引き返していった。
やるからには徹底的に、自身を磨り減らしても全力投球。
文は戻る間も頭の中で記事の構成、部数を計算しながら飛んでいた。
※
2月13日。
まだ日も昇らぬ深夜。
「……よしよし。こんな感じかな?」
プライベート口調になっている文だったが、書き起こした原案を印刷機に通し、今日も文々。新聞は出来上がる。
いつもと違うとしたら、当日になる前には出来上がっている新聞であるはずなのと、その数である。
文は、部数をいつもの3倍にして新聞を作っていた。
「回れる所には回っておこっと」
出来上がった新聞を肩下げ鞄の中に入れて背負い、文は日も昇っていない外へと出るため、身支度を整える。
いつもなら日が出た辺りから人里へ向けて新聞を配りにいくのだが、今回は数が数だけに、取材反映となる確実な人物というものをいくつか捉えておきたかった。
外に出た文は、白い息を吐きながら、まだ月が浮かび、星々が輝く夜空を眺め。
「うん。今日もいい空になりそう」
翼を広げ、輝く空へと飛んだ。
風を切り裂くように飛んでいく文が、妖怪の山から降りるのに数分とかからない。
文がまず向かった先は、人里ではなかった。
「ええと…確か、この辺りのはずなんですが……」
山から降りて飛ばして来た文の下には、広がる魔法の森があった。
文は当日の取材を獲得する上で、ネタになりそうな人物から配ろうとしていたのである。
「お、あったあった」
月明かりしかない魔法の森の中で、文は目的の物を上から見つける。
羽の音を最小限にしながら魔法の森へと降り立つ文。
目の前には、木造で作られた家が一軒。
自称普通の魔法使い、霧雨魔理沙が住まう家だ。
「……」
文はそっと入り口であるドアノブを捻る。
―――ガチャガチャ
二度捻ってみたが、案の定カギがかかっていた。
「流石にそこまで無用心でもないですよね……」
文は肩に下げていた鞄から団扇を取り出す。
「あらよっと…」
そよそよと、微量の風をドアノブに向けて団扇を煽る。
―――カチン
するとどうだろう。ドアからカギが外れる音がし、ドアノブを捻ると、扉は開いてくれた。
文は風を扉の隙間に送り、内側から風をうまく使って開けたのである。
「…では、おじゃましまーす」
そっと扉を閉め、魔理沙邸へと入る文。
魔理沙に劣らずの泥棒の真似事だが、文は大して気にしなかった。
全ては自分が作る記事の為。その為ならば、たとえ火の中水の中、飛び込んでいくぐらいの気持ちでいた。
(それに、何も盗まなければ泥棒じゃないですしね)
自分に言い聞かせ、明かりのない魔理沙邸の中へと足を進めていく。
一階には雑貨や、本、魔法の実験にでも使う実験器具らしきものが床にまで散らばっている始末だった。
「………」
文はそれを見て掃除をしてしまいたくなるが、今日に限って時間が惜しい。
衝動を押し止め、魔理沙が一階にいないのを確認すると、二階に上がる階段へと足を上らせる。
ギシギシと木の階段が小さくなるのと、自分の息遣いしか音がしないせいか文は少なからず緊張した。
心臓の鼓動まで聞こえてくるその状況で、2階へと上がった文は、一番近くのドアを開ける。
「…すぅ…ん……」
開けた先は寝室みたいだった。
ベットで布団を被る魔理沙を確認し、文は音を立てないようにしながら肩下げ鞄から新聞を一枚取り出す。
それを窓際に置くと、眠る魔理沙の顔をじっと見つめてみた。
(…寝ている姿は綺麗な少女なのになぁ…)
白金の髪に白い肌。あどけない顔をした魔理沙の寝ている姿に文は昼間に見る魔法使いの姿である魔理沙とは連想がつかないほどに可愛く見えた。
文はこの寝ている姿を写真に収めたい衝動に駆られたが、音とフラッシュの光で起こしてしまう可能性を考えると出来ない。
惜しいが今日の自分は忙しい身、ここで退散するとしよう。
忍び足で部屋を出て、文は同じように階段を、音を立てずに降りていく。
一階をそそくさと抜け、外へと出る。
外へと出た文は2、3度深呼吸し、再び団扇でドアにそよ風を送る。
―――カチン
来たときと同じように閉まった扉を確認し、文は急いで次の場所へ向かった。
「さてさて…今度はアリスさん家ですよっと……」
呟くように言いながら、文は魔理沙の家の近くにある、アリスの家の前で扉を捻る。
―――ガチャガチャ
案の定閉まっている。魔理沙よりアリスの方がどちらかというと細かいというか慎重な性格は知っていたので開いているということはないとは思った。
文は魔理沙邸へと入った時と同じ要領でそよ風を扉に送る。
―――カチン
扉からカギが外れた音を確認し、文はそっと身体をアリス邸へと滑り込ませた。
「……」
文は明かりがない部屋の中、大量の人形達が棚に置かれている部屋へと足を進めた。
周りをぐるりと見渡してみるが、人形が置かれている所がないというぐらい人形がある。
「……すぅ」
その人形達の中。七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドは椅子に座ったまま寝ていた。
アリスの膝の上には人形が置かれている。きっと、作るのを達成してそのままベットにもいかず寝てしまったのだろう。
文は横にあったテーブルに新聞を一枚置き、アリスの膝の上にあった人形もテーブルへと移動させ、代わりに棚にあった毛布をアリスに被せた。
(頑張るのもいいですが、風邪を引いちゃ駄目ですからね…)
以前文はアリスに取材した事がある。何故人形を作っているのかと?
彼女は自身の夢の為だと答えた。いつか自分で動き、自分で考える人形を作ってみたいと。
文は寝ているアリスに無言で一礼すると、そそくさと家から外へ出た。
そよ風で再びカギを閉めなおすと、文は再び空へと舞い上がる。
「今度は香霖堂ですよっと」
慣れてきたのか、文は魔法の森の入り口まで戻り、いつも自分の新聞をちゃんと読んでくれる香霖堂の主人、森近霖之助に新聞を渡しにいこうと空から降り立った。
引き戸に手をかけ、カギがかかっているかどうか確認する。
「……あれ?」
―――ガラガラガラ
引き戸は、すんなりと開いてしまった。
「…無用心ですよ霖之助さん」
文は溜息を吐きつつも、香霖堂の中へと入る。
文は霖之助がいつも座っている椅子辺りに新聞を置いて、すぐに外へと出た。
彼は早々ここから動く事もない。顔まで見ずとも、いつも店番をする所に置いておけば見てくれる事だろう。
音を立てずに引き戸を閉めると、文はそよ風を、引き戸に送る。
―――カチン
カギを閉めてあげたのは無用心すぎる霖之助に対して、いつも新聞を読んでくれる事のせめてものお礼だった。
文は、閉まった引き戸を確認すると翼を広げ、空高く舞い上がる。
これで魔法の森には用がない。
次に向かうとしたら…。
「紅魔館…かな」
人里から離れていて取材に期待出来ると言ったらあそこだろう。
ただ、夜である今こそがあの紅魔館に住まう吸血鬼が最も行動する時でもある。
さっきより慎重かつ大胆にいかなければならない事だろう。
文は翼をはためかせ、紅魔館へと向かった。
※
まだ日が昇るまで数時間はある中。
文は霧の湖を越え、紅魔館へと来ていた。
文は正面から入るべく、門の方へと飛んでいく。
先ほどとは違い、あくまで気づかれてもいいというぐらいの音を立てながらだ。
魔理沙やアリス邸にまず言った理由は、彼女たちが日が昇った時、いない可能性があったからだ。
この冬の中でも自宅から頻繁に出る彼女たちを、今日という一日で、もし捕捉出来なかった場合を考慮してわざわざ日が昇る前に置いてきた。
逆に、この時間帯に起きているはずの面々の目を欺いてまで、新聞を配置する理由等ない。
「おはようございまーす」
門前に到着した文は早速中に新聞を渡してもらうべく、門番である紅美鈴に挨拶と共に新聞を渡そうとした。
「………」
だが、返事がない。
「…おはようございまーす?」
返事がない事に疑問を持ち、文は再度挨拶をしてみるが。
「……すぅ」
美鈴の顔を見て固まった。
(立ったまま寝ていますよこの人……!)
鼻ちょうちんをふくらまし、夢心地に目を閉じながら、紅美鈴は寝ていた。
「あのー、美鈴さーん…?」
起こすべきか少し躊躇したが、文は美鈴の肩を掴んで揺らしてみた。
「……あ……ん…咲夜さん…そんな所触っちゃ駄目です……」
しかし、寝言で返されてしまい、起きる気配がない。
「…あややや、困りましたね」
文はしばし考え、肩下げ鞄から一枚新聞を取り出すと、美鈴の胸元へと一枚、服のボタンを脱がして突っ込む。
「あふ……駄目ですよ……咲夜さん………すぅ」
「……」
これで起きたら美鈴は新聞を読む事だろう。
何せ自分の谷間に新聞があるのだ。読まないという事はないはずだ。
この寒い中、夢の中へとダイブしている美鈴に尊敬と悲哀の意味を込めて文は一礼し、紅魔館の門を潜る。
あのメイド長が美鈴が起きた後に来ると信じて、文は自分の手で新聞を渡しに行く。
紅魔館の中へと入った文は、まず、何処に行くべきか考えた。
地下に行けばきっと七曜の魔法使い、パチュリー・ノーレッジが本を読んでいるか、もしくは寝ているかもしれない。
逆に上に上がっていけば、レミリア・スカーレットに会える可能性が出てくる事だろう。
メイド長、十六夜咲夜に関してだけ何処にいるかはわからない。見回りをしている可能性もあるし、自室で就寝している可能性だってある。
「……上、かな?」
文は死亡フラグという言葉を知らない。新聞を渡さなければ行けない義務感に追われ、一時的に恐怖というものが麻痺しているのもあるかもしれないが。
前方にある大理石で出来た階段を上り、文は薄暗い廊下の中を歩いていく。
一歩歩く毎に足音は反響する。
文は前を見るようにしてただ歩いた。
そう、前だけを見て。
「あれれ? 魔理沙かと思ったら違った」
だから、後ろから近づいてきた者がいるなんて思わなかった。
「…っつ!?」
後ろにばっと振り返る。
「こんばんは、それともおはようかな? どっちにしても、天狗の貴方がここにいるなんて珍しいね」
振り返った先には、虹の翼をはためかせ、無邪気な笑顔で笑っている金髪の吸血鬼が立っていた。
「フ、フランドールさん……」
文は目の前にいる人物を見て、背筋が凍る。
何故フランドールがここにいるのか?
地下の部屋にいつもいるのではないのか?
いや、そもそも私はなんでこの可能性を考えていなかったのだ…!
文は一度フランドールに会った事があった。紅魔館へと取材をしに行った時、地下の部屋には行くなとレミリアに言われ、興味心から赴いてしまったあの時に。
結果は、全治一ヶ月という重傷を負うはめになった。
フランドールはニタリと笑う。
「ねぇ……遊ぼう? 退屈してたんだぁー。お姉さまは外出しちゃうし、咲夜は寝ちゃったし」
「…フ、フランドールさん」
文は肩下げ鞄から新聞を取り出す。
「あ、あのですね。退屈なさっているのでしたらこれを読んでもらえないでしょうか?」
フランドールの遊ぶという言葉に、文は嫌な予感を走らせ、咄嗟に新聞をフランドールに渡そうとしていた。
「? なにこれ?」
フランドールは興味の対象が一瞬移ったのか。文の手から渡される新聞を手に取って読んでみる。
「……2月14日は大切な人や想い人へ贈り物をする日……」
風祝の者が語る行事! という記事から書かれている内容をフランドールは黙読していく。
「こ、これを私は渡しに来ただけなので、まだ回らないといけない所があるんですよ。ですから、遊んであげたいのは山々なんですが……」
文は嫌な汗を背中に掻きつつ、後ずさるようにじりじりとフランドールから後退していく。
「………ふーん、明日はそんな日なんだ」
読み終えたのか。フランドールは新聞から目を離した。
「え、えぇ。フランドールさんも明日に向けて準備をなさった方がいいかと……」
「うん。でも、まだ日が昇るまで時間、あるよね?」
文はそれを聞いた途端、鞄から団扇とスペルカードを取り出していた。
「禁忌!」
「風神木の葉隠れ!」
フランドールの宣言が成される前に文は前方に弾幕を展開する。
「レーヴァテイン!」
片手に新聞を持ったままフランドールは、弾幕を展開した文に向け、もう片方の手でレーヴァテインをなぎはらった。
「…!」
文は地面に屈むようにして紅い魔剣をかわす。
文が展開した葉隠れは、フランドールの視界から文を隠していたせいか。照準が合わなかったのだ。
廊下の窓や天井を壊すようにしてなぎはなわれるレーヴァテイン。
(…今だ!)
文は壊れた天井へと突っ込むようにして、全力で空へと舞い上がる。
文は前の一戦で、まともに相手をするべきではない事を味わっている。
フランドールから隠れるようにして空高く上がった文は、全速力で紅魔館から離れた。
「あー、もう。逃げられちゃった」
フランドールは空へとうまく逃げおおせた文を見送る。
追ってもいいが、レミリアの言いつけでフランドールは留守番をしてほしいと頼まれていた。
「…もう、つまんないなぁ」
壊れた天井から星を眺めながらフランドールはぼやく。
「魔理沙来ないかなぁ。面白くないよー」
ガラガラと倒壊していく壁や天井の中、フランドールはただただ星を眺めていた。
「ハァ…ハァ…ハァ…」
文は霧の湖を越えた辺りで一度急停止し、後ろからフランドールが追って来ていないか確認する。
「…ハァ」
どれだけ経ってもフランドールの姿が見える事はなかった。
文はフランドールから逃げおおせた事に安堵する。
あのままやりあっていれば、確実に前回と同じ状況になっていた事だろう。
まだ新聞をまともに配っていない身とはしては、それはあってはならない事だ。
「…仕方ない。とりあえず2部は置いてきたし、よしとしましょう」
仕事中なせいか、それともフランドールとやりあった恐怖が消えてないのか、仕事口調のまま文は気を取り直し、停滞していた空から再び翼をはためかせる。
朝日までもうそんなに時間はない。
文は全速力で冥界の方へと飛んだ。
※
「あやや…ここに来るのも久々ですねぇ」
見事な桜花結界の壁を見ながらも、文は上を目指す。
この結界の上を飛び越えていけば、白玉桜が見えてくる事だろう。
結界を飛び越え、文は長い階段の道を飛びながら進んでいった。
既に朝日が昇り始めてしまっている。
輝いていた星々は消え、月に代わって太陽が出始めている空を見ながら、文は白玉桜の敷地へと入っていった。
「あら?」
文は敷地へと入って数分後に、前方から向かってくる半霊の人物を視界に定めた。
「誰かと思えば、貴方か」
腰にぶらさげている刀に手を置いていた魂魄妖夢は、文を見ると刀から手を離していた。
「おはようございます~新聞を届けに参りました」
文は肩下げ鞄から新聞を一枚取り出すと、妖夢に手渡す。
「いつもは来ないのに、何かあったの?」
「内容を見てくださればわかるかと」
妖夢の疑問に文は答える。いつもなら人里のカフェや、香霖堂等にしか置かない文々。新聞だが、今回は色んな所に配っている。
「…2月14日かは想い人や大切な人に贈り物をする日?」
妖夢は書かれている内容を声に出して読んでみる。
「はい。こんな日は幻想郷の皆々全ての方に動いてもらいたいなと思いまして、ここにも立ち寄らせてもらいました」
「……なるほど」
納得したのか。妖夢は一度新聞から目を離し、文に一礼する。
「わざわざありがとう」
「いぇいぇ。妖夢さんも頑張ってください~」
文も一礼し、元来た道を引き返すべく、妖夢に背を向け、高速で階段を戻るように飛んでいく。
「……大切な人か」
妖夢はそんな文を見送りつつも、新聞に書かれている内容に目を通していた。
「幽々子様に何か贈り物をしないといけないわね」
主人である幽々子にも妖夢はこの新聞を見せるべきか少し迷い。
新聞をスカートのポケットに折りたたんで仕舞う。
見せればきっと幽々子様の事だ。わたしのためと言って何かお作りになられてしまう事だろう。
主人にそのような真似をさせるわけにはいかないと妖夢は判断し、明日何を贈ろうかと悩みつつ、白玉桜へと戻っていった。
文が人里に着くまでには、日は空高く昇っていた。
冬場なせいか、春や秋より人の出入りが少ないが、自分の新聞を取り扱ってもらっているカフェへとまず足を運ぶ。
「いらっしゃいませー。お、文ちゃんじゃないか」
「どうもー、おはようございます。マスター」
カランカランと入り口のベルを鳴らして入った文は、カウンターでグラスを拭いているマスターに朝の挨拶をする。
「今日はいつになく早いが、何かあったのかい?」
いつもなら昼間ぐらいに新聞を出しに来ているからか、そんな事を聞いてくるマスター。
「フフフ、これを見てください」
鞄からカフェに置くいつもの部数の新聞をドサッっとカウンターへ置き、その一枚をマスターへ見せる。
「お、どれどれ……」
渡された新聞を読むマスター。少しばかり黙読する事数分。
「…ふんふん。へぇ、あの山の上の神様のお墨付きの行事ねぇ」
一通り読みきったのか、マスターは読んでいた新聞もカウンターに置かれている新聞に置き、勘定をする横へと、全て移動させた。
「贈り物が衣類やチョコってのがまたいいね。これなら、私達にも共通の行事が出来そうだ」
「ですよね! 聞いた時にはやるしかないと思いましたよ!」
マスターは人間の割には、妖怪達をよく理解してくれている人だ。
夜雀のミスティア・ローレライが夜の食べ物所の顔なら、彼は昼の食べ物所といった所か。
文がここに新聞を置かしてほしいといった時も快く引き受けてくれた。
「秋の収穫祭が終わって、皆冬をただ越す為だけに生活していたからね。こういったイベントを教えてくれると、皆揃ってやるかもしれない。それに文ちゃんが記事にしたチルノちゃんの記事も、反応が良かったのもあるしね」
「えぇ、明日が取材の宝庫になっている事を楽しみにしていますよ」
文は笑いつつ、肩下げ鞄を横の椅子に置いてカウンターに座る。
「それよりもマスター、珈琲を一つ頂けますか? 後適当に何か食べれる物を…」
「おや、何も食べずに来たのかい?」
「これを作るのに朝までかかってしまって…」
アハハと頭を掻きながら文は少しばかり照れた顔をした。
そんな文に、マスターは苦笑する。
「文ちゃんらしいけど……無理はしないようにね?」
「大丈夫ですよ。少なくとも、マスターよりかは身体が丈夫な身ですから」
文は胸を叩いて大丈夫とジェスチャーしてみせる。
「ハハハ、それを言われると、確かにその通りだからねぇ。文ちゃんが私達より年齢が上だとはとても思えないけれど」
マスターは笑いつつも文の前に珈琲を先に出した。
白いカップから湯気がでる黒い液体を、文は息を吹きかけながら啜っていく。
「…あー、生き返りますね」
ガムシロップもミルクも入れてない苦味たっぷりの珈琲だったが、今の文にとっては格別の物だ。
徹夜で新聞を作った眠気が一気に醒めていく。流石に飛び回っているだけあって、疲れは抜けてくれないが。
「生き返ったついでにこれもどうぞ」
珈琲に合わせてくれたのだろう。食パンの耳に砂糖をまぶして揚げた物が小さなお皿に何本か置かれている。
それを珈琲と一緒にパクパクと平らげていく。また色々と回らねば行けない所があり、休憩する場所は特に貴重なのを文は長年の経験から知っている。
しっかり食べてしっかり飲んで、せめて眠気だけは完全に消し去っておきたかった。
「…んぐ。ごちそうさまでした、マスター!」
早々に珈琲とパンを平らげ、文はお礼を言いながら食事の代金をスカートのポッケに入れてある財布から出そうとする。
「お代はいらないよ、文ちゃん。余ったパンの耳を揚げただけだし、珈琲一杯だ。お客さんからお代を取るようなもんじゃない」
だが、財布を取り出す文を止めるマスター。
「…なら、お言葉に甘えます。断ったらマスターに悪いですしね」
マスターはマスターなりにお客に配慮する癖がある。それがこのカフェが人気な理由の一つでもあるのだが。そして彼は、一度言った事を変えない人だ。今の文にとっては、ここにこれ以上いる時間が惜しかった。
「なあに、明日のこの行事で稼がせてもらうさ。甘い物なら家は天下一品だしね」
礼をしてカフェから出て行く文に、マスターはそう言って送っていった。
彼の言っている事はきっと真実だろう。
明日にはこのカフェのお客さんがきっとたくさんいる。
それを取材しに来るのも、文の一つの楽しみであった。
文は空へと飛ばず、走るようにして次の目的地へと行く。
人間の里はそれなりに広い。害を与えない妖怪達もいて、珍しい物を物々交換している程だ。
数分走っただろうか。
本当なら飛んでいった方が早いのだが、人里の中を飛んで移動するのは、心象的によろしくない者達の反感も買ってしまうのでやめておく。
郷に入れば郷に従え。人里の中を駆け回るのなら人間みたいに足を使えという事だろう。
まぁそんな事お構い無しに、人里の空を突っ切る人もいるが、主に人間で。
飛んでいた時の韋駄天のような速さではないが、常人より遥かに早い足取りは、すぐに目的地へと着けた。
「おはようございますー」
トントンと、目的地である寺子屋の戸を叩く。
「はいはい」
程なくして戸を開けてくれる青白い長髪に紅いリボンをつけた人物。
「おや、鴉天狗」
「射命丸文ですよ……いい加減、会った途端にそういう風に言わないでください。妹紅さん」
文を見てそっけなく名前ではなく天狗と呼ぶ、藤原妹紅。
「悪い悪い、慧音に用か?」
悪びれた様子もなく、妹紅はこの寺子屋の家主である慧音に用事かと思い、奥へと引っ込もうとする。
「あ、いや待ってください。慧音さんにも用はあるのですが、妹紅さんにも用事があるんです」
「私にも用事?」
自分に用事があると言われ、妹紅は引っ込もうとした身体を再びドアの前に留めた。
「はい。あ、でも出来ましたら慧音さんも一緒にいた方が、話が省けると思うのですが…」
「じゃあ、一度中に上がってもらうか。幸い今日は、寺子屋は休みだしな」
妹紅はどうぞと、文を寺子屋の中に招き入れる。
「おじゃましますね」
文は玄関先で靴を脱ぎ、木造の廊下を、妹紅の後に続くように歩いていく。
いつもなら子供たちが集まって、慧音が歴史を教えている所であろう大きな教室を抜けると、小さな部屋があった。
「慧音」
二度襖にノックをし、妹紅は返事を待つ。
「ん? どうしたんだ妹紅?」
襖を挟んで女性らしい、凛々しげな声が聞こえてくる。
「お客さんだよ。鴉天狗の」
「客……? ……すまない、少し待ってもらえないか?」
「だそうだ。少し待ってくれないか?」
文にも聞こえていたが、妹紅は繰り返すように後ろにいる文にそう答える。
「いいですけれど……慧音さんが人を待たせるなんて珍しいですね」
文の思っている上白沢慧音とは真面目な人だ。
そんな人が、お客が来て人を待たすなんて正直考えられない。
「あぁーまぁ、何だその…」
文の疑問に心当たりがあるのか、妹紅は頭を少し掻きつつ明後日の方向に視線を向ける。
「何か心当たりでも?」
「…いや、胸にさらしを巻いているんじゃないかなって。何かまた大きくなったとか前に愚痴こぼしていたし」
言いにくそうに妹紅は襖の先にいる慧音に聞こえないように小さく文に答える。
「あぁ、なるほど」
言われてみれば、先ほど襖の先から声が若干くぐもっていた気がする。
待たす理由に納得が行った文は、妹紅と共に慧音を待つ。
「…お待たせして申し訳ない」
程なくして、襖を開いていつもの帽子に青い服と、慧音は申し訳なさそうな顔をしながら文と妹紅に一礼する。
「いぇいぇ、全然待ってないですから、お構いなく」
文は理由がわかったのもあるが、殊勝な態度でいる慧音に逆に自分が訪れた事が申し訳ないように思えてきてしまう。
文と妹紅は慧音の部屋に入っていく。
中は質素で、本棚に机が一つあるだけという、下は畳で和風な部屋だった。
文と妹紅に座布団を手渡し、慧音は畳に正座する。
「私に用があると聞いたが…鴉天狗である貴方が一体、私に何の用事だろうか?」
「…いや、実を言いますと」
文は礼儀正しく応答する慧音に、一瞬困惑する。
自分の考えた記事をこのような形で読んでもらっていいのだろうかと?
しかし文が困惑したのは一瞬だけであった。
記者として文は自分の書いた物に誇りを持っている。指をさして笑われるような記事の時もあれば、存在自体を馬鹿にされる時もある文々。新聞だが、この礼儀正しい慧音を笑わすというだけでもそれはある意味いい事であろう。
文は隣に置いた鞄から新聞を一部取り出す。
「まずはこれを見てほしいのですが……」
「…? これは?」
「今日の新聞です。慧音さんにはこれを渡しておくべきと思いまして……」
文の手から慧音へと手渡される新聞。
慧音はそれをしばし黙読する。
「………」
「………」
空気が重く感じる静寂がどれぐらい続いただろうか?
「…慧音?」
痺れを切らしたのは、慧音でも文でもなく、横で文と一緒に座布団の上であぐらをかいていた妹紅だった。
「ん? あ、ああ。すまない」
慧音は少し苦笑いしながら、妹紅へと文が書いた新聞を手渡す。
「いい記事が書かれていますね。想い人や大切な人へ贈り物を届ける行事…これを配っておられで?」
「はい。妖怪や人間……妖精達も揃って行事を楽しんでくれるようにと、今配って回っているんです」
慧音の質問に、文は慧音に習って、礼儀正しく答えた。
「それは…いい事ですね。冬場のこの時には目立った行事がないだろうし…」
「慧音さんにそう言われるだけで、この記事を書いた意味があります」
ニコリと文は微笑む。慧音もそれを見てニコリと笑う。
「へぇー、文にしてはいい記事を書いているな」
慧音に渡されて読みきったのか、妹紅も感心するように、新聞の内容を褒める。
「しかし、これと私に何の関係が……?」
「あ、いぇ。慧音さんに用といいますか…実を言うと妹紅さんに頼んでほしいと思った事が」
「ん? 私に?」
慧音から急に話の話題が妹紅へと移り、きょとんと首を傾げる妹紅。
「はい、その……永遠亭にも、この新聞を渡しに行きたいんです」
永遠亭と聞いて、妹紅の顔が一瞬にして不快な顔になる。
「……なんだってあいつらの所に?」
「記者として、幻想郷全ての者にこの新聞を送りたいからです。しかし私一人では永遠亭に辿り着くまでに時間がかかりすぎてしまいます。ですから、妹紅さんにお力を借りたく、ここに来ました」
不快な顔をしたままの妹紅。
妹紅と永遠亭のお姫様の仲の悪さは耳にしているが、文は永遠亭までの道を正しく理解しているのも妹紅だと言う事を知っていた。
不快な顔をしたままの妹紅を文はじっと見つめ続けた。
時間をかければ永遠亭には文一人でも着けよう。しかし、それをしてしまえば、他に回るはずである場所へも行けなくなってしまう。
どうしても文は、今日中に新聞を幻想郷全域に配りたかったのである。
「…妹紅、そこまで言っているんだ。行ってやったらどうだ?」
横から慧音は文を押すようにやんわりと、行ってやれと助言した。
「………はぁ」
真摯に妹紅を見つめ続ける文に、妹紅は溜息を吐く。
「慧音からそう言われたら…仕方がないな。入り口までなら付き合ってやるよ」
「…! ありがとうございます!」
文は座布団に座ったまま妹紅にお礼を言う。
「ふふ、素直じゃないな」
そんな文と妹紅のやりとりを見て、微笑む慧音。
「…ふん」
慧音の言葉に若干顔を赤くして、妹紅はそっぽを向いた。
※
「………」
「………」
人里から迷いの竹林に入って一時間程経っただろうか。
竹林から見える空は、雲一つない晴天である。
朝に出かけた時と気温も太陽のおかげで若干上がっているおかげか、文は寒いとは思わなかった。
竹林に入ってから無言で前を行く妹紅に合わせるように、文は付いていく。
飛んでいった方が早いのではないか? と竹林に入ってから妹紅に聞いてみたが、答えは飛ぶと迷うという返答が返ってきた。妹紅には妹紅なりの永遠亭の行き方を覚えているのだろう。
しかし、行けども行けども竹林では、文は焦りを感じていた。
「……見えてきたぞ」
そんな焦りを感じ始めた時、前を歩く妹紅が声を上げる。
竹林の中、それは隠れるようにして立てられていた。
紅魔館が洋風の大きな屋敷と言うなら、永遠亭は和風の大きな屋敷であった。
文はこの隠れ住まう永遠亭を記事にした覚えがある。
元々は月のお姫様である、蓬莱山輝夜を月の民から隠す屋敷であり、何百年もの間、幻想郷で忘れ去られていた場所の一つだ。
月の異変の事件から、この幻想郷そのものが月から隠れ蓑になっている事を知り、今では便利な薬屋として人間の里とはうまくやっているようだが。
「言われた通り、案内してやったぞ。帰りはこの竹林から空に飛んじまえば、方角で大体わかるだろ」
永遠亭を確認した妹紅は、文にそう言うと、元来た道を引き返していく。
「ありがとうございました! 妹紅さん!」
そんな妹紅に礼を言う文。
妹紅は文の方を振り向かずに、片手をあげてひらひらとさせる。
彼女らしい返し方だった。
見えなくなるまで妹紅を見送り、文は永遠亭へと足を向ける。
永遠亭の門前には、人里でよく見かける顔が立っていた。
「…あら? 妹紅が来たからてっきり急患かと思ったのだけど」
「こんにちは。 永琳さん」
門の前に立つ彼女、八意永琳に文は挨拶する。
「こんにちは。鴉天狗である貴方がここに来るなんて、いつ以来かしらね」
「前に取材した時以来ですね。人里の方ではよく見かけましたが」
挨拶を交し合いながら、門の前で雑談する二人。
「それで、今日も取材で来たのかしら?」
「いえ、今日は新聞をお届けに来ました」
そう言い、肩に下げた鞄から新聞を十枚程取り出す。
文は永琳の手に新聞を手渡した。
「……」
永琳は新聞を手渡され、目を通す。
「………これを、どうして永遠亭に?」
新聞に目を通しながら、永琳は文に聞いてくる。
「幻想郷に住まう全ての人に、この行事を知ってもらいたかったからです」
文は当然のようにそう答える。
「……そして当日、それを取材すると?」
続く永琳の言葉に文はニコリと笑う。
「出来ましたら、当日の取材もお願いしたいですね。冬の行事に妖怪や妖精、人間の皆が一緒にこの行事を楽しむ事が出来て、それを取材出来たらいい記事になりますから」
「…ふふ」
その言葉に永琳は笑う。
「貴方にしては…いい方法を思いついたものね。確かに寒い冬を越えていく上で、こういう行事はおもしろい記事になりそうだわ」
「当日の新聞も完成したらまた幻想郷に配ろうと思います。…では、私は次に行かないといけないのでこれぐらいで」
永遠亭のトップに近い、永琳に最初に出会えたのがよかった。時間をかけずに永遠亭の人達にこれで新聞は読んでもらえる事だろう。
文は早々に、迷いの竹林から出るように空へと飛んでいく。
「……」
永琳は文が竹林から飛び立つのを見送り、永遠亭へと戻っていった。
「師匠。患者は?」
永遠亭の中へと戻った永琳は、玄関先で待っていた鈴仙に駆け寄られる。
「患者じゃなかったわ。どうやら私の思い過ごしだったみたい」
「そうですか………手に持っているのは、新聞ですか?」
「えぇ…明日に向けての行事の為って。わざわざ天狗が送ってきたわ」
10枚の内、9枚を鈴仙に渡す永琳。
「他の者達にも配ってあげなさい。興味があるなら、してみるのもよし。うどんげ。私はちょっと輝夜の所にいるから、何かあったら呼んで頂戴」
「わかりました」
鈴仙にそう伝えると、永琳は永遠亭の長い廊下を歩いていく。
長い廊下を抜けた先、一番奥の部屋の襖を開け、永琳は窓から外を見つめる輝夜を見る。
「輝夜、今天狗が面白い物を持ってきたわ」
面白い物という言葉に反応したのか、輝夜は外を見つめていた顔を永琳に向ける。
「面白い物…?」
「えぇ、貴方にとっては懐かしい物かもしれないけれど」
永琳は文から貰った新聞を輝夜に渡す。
新聞を渡された輝夜はサッと目を通していく。
「……これって」
「えぇ。永遠の生を持った私達にとって、こういった行事は懐かしいわ」
書かれている新聞の文字を追っていく。
輝夜は文字を追っていくごとに懐かしさに襲われた。
それは何処かに捨ててきた行事。何年も何十年も何百年も何千年も生きた自分にとって、空しさを味わってしまった大切な風習。
書かれている事がどれだけ輝いている事か。
輝夜にとって、その文字一つ一つがまぶし過ぎる。
「…今更な物ね」
「そうね。確かに今更よ」
輝夜の呟きに合わせるように永琳は声を出す。
「だけど、あの天狗は幻想郷全域にこれを配ると言ったわ」
「……それはまた、忙しい事をしているわね」
輝夜の言葉はあくまでそっけない。彼女は悠久の時を超えて、永琳と生活を共にしてきた。
そこに信頼はある。友情もある。絆もあった。
だが、それが本当に大切だと自信をもって言えなくなったのはいつからだろう? 口に出して言わなくなったのはいつからだろう?
一緒に居て当たり前になる感覚。それは絆が深いようで、何処か色あせた付き合い。
「輝夜」
永琳は新聞に目を通したままの輝夜を後ろから抱くようにして耳元で呟く。
「貴方は、私をまだ想ってくれるかしら、大切な人と想ってくれるかしら?」
「……愚問ね」
囁く言葉に輝夜は少し微笑み。
「私は永遠に永琳の事が好きよ。大切な、想い人」
後ろから抱きしめる永琳の手をゆっくりほどいていく輝夜。
「そうね、今更だけどこういう行事に乗るのもいいわ」
立ち上がる輝夜に永琳は無言で一礼する。
永琳は内心天狗に感謝する。懐かしい事を輝夜に思い出させてくれたと。
文は翼を広げ全力で飛んでいた。
次に行くところは博麗神社だ。神社の巫女である霊夢がこの行事に乗ってくれるかどうかはわからないが、文はあくまでこの幻想郷全域に新聞を広げる為にやっている為、するかどうかは二の次であった。
記事にする上で色んな場所で行われる行事の風景を取材したい所だが。
文は真っ直ぐ神社を目指していた。迷いの竹林から出て、既に時間はお昼時。
お昼にもなれば、私以外の人が飛んでいても、それはおかしくないわけで。
前方から、ヒュンっと、風を切るようにして、いつもの箒に跨った黒白の魔法使いが横切った。
速度がどちらとも幻想郷を1、2を争うスピードなせいか、目視した時には横切っていた。
文は一度止まり、後ろを振り返る。
相手も私が横切ったのがわかったのか。
急旋回して、私の方へと向かって来ていた。
※
遡る事数時間前。
日の光と共に目が覚めた魔理沙は、奇妙な出来事に出くわした。
「…なんだこれ?」
朝の風を受けようと窓の施錠を解こうとしていた時である。
窓際には、一枚の新聞が置かれていた。
寝ぼけ眼をこすりつつ、魔理沙はその新聞を見て、文が発行している物だと思い出す。
奇妙だと思ったのは、新聞を取っていない自分の家に、どうしてこれがあるのか。
魔理沙は寝巻き姿のまま一度、一階に降りた。
床にまで本が錯乱している一階は、昨日の状況から特に変わった様子はない。
扉も確認してみたが、鍵は閉まっていた。
「……んー?」
魔理沙は首を傾げる。では、これはいつの新聞だろうか?
魔理沙は新聞に書いてある内容を見てみる。
「……ふむふむ」
書かれていた内容は、明日は、大切な人、想い人に贈り物をする日と書かれている。
主な贈り物を語る風祝の者等、神様一押しの行事、等。
妖怪の山に住まう早苗や神奈子の事を言っているなぁと思いつつ、魔理沙はこの行事を見て、皆もするのかな? と考える。
「……新聞が出回っているか、確認してくるか」
行事の内容には多少興味があったが、一人で盛り上がるだけだったらそれはそれでつまらない。魔理沙は文が家に入ってきた事等は深く考えず、この行事を皆がやるのかどうかに関心が行った。
魔理沙は二階に戻り、寝巻き姿からいつものエプロンドレスに着替える。
朝の支度を手短にし終え、材料調達もかねて香霖堂へ行くことにしてみた。
魔理沙が起きたその頃、椅子の上で寝ていたアリスも、日の光が差し込んだためか、目を覚ましていた。
「ん……?」
寝てしまったのかと、まず思うアリス。
昨日は良いところで終わろうと思い、人形の作成を止めようとしたのだが、どうしても自分に納得が出来ず、夜中に入っても人形を作っていた。
完成したのが大体日が変わる時間帯だったせいか。そのまま寝てしまったようだ。
「…あれ?」
自分にかかっている毛布にアリスは首を傾げる。無意識的に棚から毛布を取り出して被っていたのか?
アリスは首を傾げつつも、毛布を畳み、棚へと戻す。
そういえば人形は何処に置いただろうか。
アリスは自分が座っていた椅子の横にある木製のテーブルに目を向ける。
人形はそこにあった。
「…何かしらこれ?」
アリスは人形があることに安堵したが、横に一緒に置かれている新聞を見つけ、手にとって見る。
「……想い人や、大切な人へ送る行事?」
発行日は今日。そして明日に向けてその行事の内容は書かれていた。
「………」
アリスはまず扉を見に行き、鍵が閉まっているか確認した。
「…ちゃんと閉まってる」
当たり前だ。自分でちゃんと施錠したのは覚えている。
ならば何処からかあの鴉天狗が、私の寝ている間に家に入って置いていったのだろうか?
「……まぁ、魔理沙じゃないし。何か盗って行ったって事もないわよね」
しばし悩んだが、そう結論付けるアリス。
これが魔理沙の行動なら代償として自分の家の本が何冊か消えていてもおかしくないが、相手はあの天狗だ。
この新聞を見せたくて置いていったのだろうとアリスは決めつけ、新聞の内容を椅子に座りなおしてちゃんと読んでみる。
「……贈り物は衣類でもいいのね」
アリスは大切な人、想い人と聞いて頭の中に何人か思い浮かべた。
「…一日で作り切れるかしら?」
アリスは菓子類を作る気は全くなかった。人形を作る事と似ているが、それなら自分の得意分野でやるべきだろうと思うのは当然である。
アリスは急いで自分の寝室へ戻り、服や下着を着替えなおす。
「まずは材料よね」
昨日の人形作成で糸や布が大分少なくなっているのもあり、アリスはまず、この魔法の森の入り口にある香霖堂に行くことにした。
「…ん、今日もいい朝だ」
日が昇る晴天。
雲一つない青空を眺めながら、香霖堂の店主、霖之助は朝の日差しを全身に浴びていた。
「しかし僕とした事が鍵を閉め忘れているなんてね…」
霖之助はいつも自分が店番をする椅子に置かれていた新聞を手に持って苦笑する。
自分が寝ている間に置いていったのだろう。昨日鍵を閉めていなかった事を思い出し、ちゃんと施錠されていた扉を見て、霖之助は天狗である文に感謝した。
「さて、今日も店を……?」
開くかと言いかけて、霖之助はこんな朝早くから箒に跨ってこっちに飛んでくる人物を見る。
「こんな朝早くどうしたんだい? 魔理沙」
「おはよう。こーりん」
飛ぶように香霖堂の前に降りる魔理沙に聞く霖之助だったが、ポケットから出した新聞を見て一人納得した。
「なるほど、魔理沙の所にも行っていたのか」
「その口ぶりだと、こーりんの所にも新聞を置いていったんだな、文は」
「あぁ、僕は常連だからね。この新聞の」
以前から霖之助は、文から新聞は貰っていた。
ただ店番中にいつも来ていたのに、こんな朝早くに置かれていたのは初めてだったが。
「こーりんはこれやるのか?」
新聞に書かれていた内容を指し示す魔理沙に、霖之助は首を縦に振る。
「まぁ、一応ね。わざわざこんな朝早くにおいていったのだから、行事に参加して欲しいって事なんじゃないかな?」
「…ふむ」
「そういう魔理沙はどうするんだい?」
魔理沙は霖之助のその言葉にニカリと笑うと。
「勿論やるぜ。それもかねてここに来たんだからな」
「…材料かい?」
書いてあったのは菓子類や衣類を贈り物という内容を霖之助は思い出す。
「ああ。人里まで行くでもいいんだが、ここの方が近いし。霊夢の所にも行ってみようと思ったからな」
「…まぁ、折角の行事だから、ご贔屓に扱わせてもらおうか」
霖之助はきっと魔理沙は代金を払わないと分かっていても、苦笑しながらそう言った。
「んじゃなぁーこーりん!」
必要な物を袋に詰め込み、魔理沙は箒にぶら下げて帰っていく。
結局魔理沙はいつも通り払わなかった。
霖之助はそんな魔理沙に溜息を吐きつつも、今日も人があまり来ない香霖堂の店番をしようと店頭に並べた商品を確認していた時である。
―――カランカラン
立て続けになる入り口のベルに、霖之助は魔理沙が何か忘れて来た物かと思い。
「なんだい魔理沙、何か忘れ物でも……」
振り返った先にいる人物が、魔理沙ではなく。
「おはようございます」
朝の挨拶をするアリスであった。
「…おはようアリス。すまない。さっきまで魔理沙がいたものだから勘違いしてしまった」
霖之助は間違えたアリスに平謝りする。
「別にいいわ。私もさっき入り口で魔理沙に会ったし」
謝る霖之助にアリスは大して怒った様子もなかった。
「君も、新聞をもらったのかい?」
立て続けに来る理由がそれしかないと思い霖之助は椅子に座りながらアリスに聞く。
「えぇ。起きてみたらテーブルの上にあったから」
アリスはスカートのポケットから折りたたんだ新聞を取り出す。
「折角だから私もやろうかなって。毛糸と布はあるかしら?」
「君の為に仕入れはしておいてあるよ。ちょっと待っててくれないか?」
霖之助はそう言うと、本家の霧雨道具店から仕入れてあった大量の布と毛糸を持ってくる。
アリスからここに注文されるようになってから、いつもこれだけは大量に別に置いていたのである。
「ありがとうございます」
アリスはポケットからいつも通りの代金を霖之助に支払う。
「毎度。しかし今日作り始めて間に合うのかい? 菓子類ならまだしも」
いくつ作るかわからないが、霖之助はアリスが毛糸や布を注文した事に内心驚いていた。
アリスはそんな霖之助の言葉に苦笑する。
「お菓子を作るよりこっちの方が得意分野だから。間に合うように作って見せるわよ」
アリスはそれだけ言うと、霖之助に一礼して香霖堂から出て行く。
「……ふむ」
まぁ、アリスなら問題ないかもしれないと霖之助は思った。彼女は人形の作成でそう言った仕事は慣れているだろうし。
今度こそ誰も来ないだろうと、霖之助は思い、再び店頭の商品を確認しようとした。
だが一度ある事は二度、二度ある事は三度あるのか。
―――カランカラン
香霖堂の入り口のベルが鳴った。
―――ドォォン!!
十六夜咲夜の目覚めは、爆音と共にあった。
「……」
お嬢様がお出かけになったのが夜の八時頃。
朝までには戻ってくると言ったレミリアは、博麗神社へと飛び立って行った。
自分もお供したい所だったが、妹様の相手がいなくなるのもあり、それに主がいない紅魔館の留守を他に誰が出来ようかと自分を縛るように言い、妹様とのお戯れをしながら就寝に入ったのが夜の12時。
そして爆音が耳に入ってきて、時計を見てみれば朝の4時。
「……」
もう一時間は眠れたものをと憤慨しつつ、咲夜は寝巻き姿から急いでいつものメイド服へと着替える。
まだ眠い目や頭の中をブンブンと首を振るようにして覚醒させ、部屋を出た。
爆音がしたのは2階からだった。
駆け足で爆音の元へ行ってみると、見事に廊下の壁や天井が倒壊している現場へと辿り着く。
「…妹様」
その倒壊の中、一人星を眺めるフランドールが立っていた。
「あ、咲夜起きちゃった?」
咲夜に気づいたのか。フランドールは星を眺めていた顔を咲夜に向ける。
その顔は何処かつまらなさそうであった。
「…何があったのですか?」
「天狗がいたから遊ぼうって言ったのだけど、逃げられちゃった」
フランドールは悪びれた様子もなくそう言うと、手に持つ新聞を咲夜に手渡す。
「これは?」
「天狗が持ってきた物よ。これを渡しに来たんだって」
咲夜に新聞を渡したフランドールは、ゆっくりと自身の部屋である地下室へと戻る。
「つまんないから私寝ちゃうね。おやすみ咲夜」
フランドールはそれだけ言って廊下の先から見えなくなった。
「おやすみなさいませ」
咲夜は、そんなフランドールに後ろで一礼する。
一礼した後、咲夜は新聞の内容を読んでみて納得した。
書かれていたのは明日に向けての記事の特集だった。あの天狗の事だ。わざわざここに持ってきたという事は当日取材でもしに来るのだろう。
「そんな事より…」
咲夜は何故こんな所でフランドールと文が出くわしたかが、理解できなかった。
普通、こんな事になるまえに、門番である美鈴の所で新聞を渡せばいいはずなのにだ。
「……まさか」
咲夜は自分の考えに思い至り、急いで紅魔館の門へと向かった。
「……すぅ」
「………この」
咲夜はその現状を見て握っていた拳が小刻みに震える。
美鈴は立ったまま紅魔館の門の前で寝ていた。
それだけならまだいい。それだけならまだいつものことだと言えただろう。
だが、あろう事か、胸元が大きくはだけ、その谷間に新聞が挟んであるのに起きないとはどういう了見か。
「起きなさい!!」
「ぎゃあああ!?」
咲夜は躊躇なく全力で携帯していた銀のナイフを美鈴に投擲する。
一本所ではなく、数十本を。
「さ、咲夜さん! 痛い、痛いです!」
「黙りなさい! 貴方がそんなだから!」
咲夜の怒りはフルスロットルであった。起きたくもない時間に起こされた事。それの原因が美鈴にある事。極めつけは胸で新聞を挟むだと!? アテツケカ!!
「アアアアアアァァァァァァァ!」
悪鬼のように叫ぶ咲夜はナイフを何度も何度も美鈴に投擲した。レミリアが帰ってくるまで美鈴の泣き叫ぶ声が続いたという。
「…おはようございます」
咲夜はその後、レミリアの言いつけで行事の準備をするようにと言われ、今香霖堂へと足を運んでいた。
「…おはよう」
挨拶をする霖之助だが、流石に三度も立て続けに来ると、どんな品物が欲しいかがわかってしまう。
「メイド長もチョコの材料かい?」
「…もって言いますと、他にも誰か来たのかしら?」
咲夜はそう言いつつも、大体の見当はついていた。あの新聞が来たのはまだ日が昇ってさえいない時だ。恐らく、あの天狗はあの黒白や人形遣いにも新聞を配ったのだろう。
「魔理沙とアリスがついさっきね。君も新聞の行事に向けてかい?」
咲夜はコクリと頷く。
「わざわざ天狗が新聞を紅魔館に送ってくれたわ…」
咲夜は溜息を吐きながら答えた。
「とりあえずチョコに使う材料、あるだけもらえるかしら?」
「…ちょっと、待ってくれないか? さっき魔理沙が大分持って行ったから…」
椅子から立ち上がり、霖之助は再び香霖堂の奥へと引っ込む。
数分経ち、奥から出てきた霖之助は、ドサリと、大きな袋を咲夜の前に置いた。
「これで大体全部だ」
「…大体何人分ぐらいかしら? これ」
白い大きな袋の中を覗く咲夜。中には砂糖やら小麦粉やらカカオやらが大量に瓶詰めの状態で保管されていた。
「約三十人分って所かな。これ以上欲しいなら人里に行ってもらうのが一番いいけれど…」
「充分よ」
咲夜は霖之助からお代を聞き、財布から払うと、白い袋を肩に背負う。
「…大丈夫かい?」
三十人分はそれなりに重いはずなのだが、咲夜は涼しい顔をしたままだ。
「大丈夫よ。鍛えているから」
背負ったまま、霖之助に一礼し、咲夜は香霖堂を出て行く。
霖之助は今度こそ、誰も来ないだろうと思い。
「…今日は、もういいかな」
咲夜が出た後、昼間にもなっていないというのに店を閉めた。
あの新聞が出回っているのなら再び訪れた客が注文するのはわかりきっている。
しかしさっきの咲夜が持って行ったのがあれで全部であり、多少残ってはいるが、後の物は霖之助がこの行事に参加する分であった。
ないものを欲しがるお客を見るほど辛い物はない。霖之助はそう思い、早々に店を閉める決意をしたのだ。
「…さぁ、そうと決めたら少し寝なおすか」
軽く伸びをして自室に引きこもる霖之助。彼の決意とは裏腹に、どう考えても店番を放棄しているように見えるのは否めなかった。
※
「よ。今度は何処に向かうんだ?」
空で偶然会った文に魔理沙は急旋回しながら戻り、声をかけていた。
「今度はっていうと、ちゃんと読んでくれたんですね」
文は魔理沙が新聞を読んでくれた事に少なからずほっとする。
わざわざ真夜中に行ったかいがあるというものだ。
「あぁ、ビックリしたぜ。起きてみたら窓際に新聞があったのは。カギも閉まっていたし、どうやって入ったんだ?」
「それは天狗の秘密と言う事で……」
まさか風を中に入れて無理やり開けた等とは言えない。
「ふーん。まぁいいけどな。私も新聞に書かれている通り、準備だけはしてあるぜ。アリスとも会ったが、あいつも準備しているみたいだしな。これから霊夢もやるのかどうか聞きに行こうとしていた所だ」
「あれ、博麗神社に向かうのならこっちじゃ?」
文は魔理沙が来た方角に指を差し向けた。
しかし魔理沙は首を横に振る。
「神社に行ったけどいなかったんだよ。多分紫のところに行っているんじゃないかと思って、今マヨヒガに向かっていたんだが」
神社に霊夢がいないという言葉に文は少しばかり考える。
「困りましたね…魔理沙さん、私も一緒に行っていいでしょうか? 今日中に幻想郷の皆に配りたいんです。新聞を」
「別に構わないぜ。文なら私の速度に楽々ついてこられるだろ」
文のお願いに魔理沙は頷く。
「んじゃあ、飛ばしていくか!」
箒に跨り直して、魔理沙は帽子を押さえるようにマヨヒガまで全速力で飛ばしていく。
文もそれについていくように速度を上げていった。
マヨヒガまで、二人が辿り着くまでそうはかからなかった。
魔法使いと天狗と言った珍しい組み合わせは、マヨヒガの途中の道にたむろする妖怪達の目に入ると、慌てて道を譲るような感じにどいていった。
勿論、文は妖怪問わず、新聞を途中ばら撒く。
興味がある妖怪はきっとやってくれる事だろう。
自分の新聞を読んで、実行に移してくれるだけで、文にとってそれは明日の取材の宝となっていくのだ。
マヨヒガに立つ家に、魔理沙と文は地面に降りて、扉を叩いた。
「こんにちはー」
「紫いるかー?」
扉の前で声を上げる文と魔理沙。
程なくして、歩いてくる音が中から聞こえてくる。
扉のカギを開ける音が聞こえ、ガチャリとドアが開かれる。
「ハイハイどなた~?」
扉を開けたのは、紫でも霊夢でもなく、式である橙や藍でもなかった。
「おや、魔理沙に天狗じゃないか」
出てきたのは、今も少し酔っているのか。顔を赤くしながら、分銅をじゃらじゃらとぶらさげる子鬼、伊吹萃香だった。
「おー、萃香がいるなら霊夢もいるな」
萃香を見て魔理沙はここに霊夢がいる事を確信する。
「ん? 霊夢に用事で来たの?」
萃香は首を傾げる。
「私は霊夢に用事だ。文は多分萃香や紫にも用事があるだろ」
「はい、丁度よかったです。みなさんがいて」
文は紫や萃香もいた事に内心歓喜する。一人は幻想郷では見なくなった鬼、もう一人は八雲の大妖怪だ。取材の宝としては、いいものになるだろう。
「ふーん? まぁよくわからなけいど上がりなよ」
自分の家のように萃香は言って魔理沙と文を家の中に上がらせる。
「お邪魔するぜ」
「お邪魔しまーす」
玄関で靴を脱いで上がる魔理沙と文は上がる。
萃香の後をついていくように廊下を歩いていき。
「紫~霊夢~お客さんだよ~?」
襖を開いて酒臭い部屋に入った。
「う………」
文はさっと口に手をあてる。そこはかなり陰鬱な空間だった。
酒瓶がいくつ転がっているかわからない。部屋の中にいる面々は机に突っ伏しているのもいれば、部屋の奥で転がって寝ているのもいる。
「おいおい…藍と橙にも酒を飲ませたのかよ」
文は魔理沙の顔を見るが、呆れ顔をして部屋の状態を見ていた。
「あら、珍しい組み合わせね」
霊夢が見上げるように魔理沙と文を見る。その顔は少しばかり赤くなっていた。
「こ、こんにちはー……」
その陰鬱とした空間で、紫と霊夢は机に杯を置いて座っていた。
「鴉天狗もここに来るのは珍しいわね。何の用かしら?」
紫は置いた杯にお酒を注ぐと、再びぐいっと飲み干していく。顔は赤くすらなっていなかった。
文と魔理沙は空いている席に座る。文は話を切り出すように肩下げ鞄から新聞を取り出そうとしていた。
「実は…」
「待った」
そこで同じようにお酒をぐいっと飲み干した霊夢は、飲み干した杯をそのまま文の前に置いて注ぐ。
「発言する度に一杯分、今そういうルールでここで飲んでいるから守って頂戴」
「…は?」
新聞を取り出そうとした手が止まる。
「い、今仕事中なのですが……」
置かれた杯を霊夢の所に戻そうと、文は杯を持った。
「いいから飲め」
だが、目が据わっている霊夢に文は杯を返せなかった。
予想以上にどうやら巫女の方は酔っていると、文は認識を改めなおす。
恐らく、藍と橙が酔いつぶれているのも、このルールに耐え消れなくて、先に潰れた為か。
(し、しかしどうしましょう……)
まだ自分には回る所がある。それなのに今ここでお酒を飲んでしまえば回れなくなってしまうかもしれない。
「……」
困り果てる文を見かねたのか。
「よっと」
文が持つ杯を、横で見ていた魔理沙が引ったくり。
「ん……」
一気に口の中に流し込んだ。
「ま、魔理沙さん?」
「…ふぅ。私が代わりに飲んでやるから、文、お前は話を続けな」
杯に入っていたお酒を飲み干して、魔理沙は文に話を進めさせる。
「…は、はい」
新聞を3部取り出し、文は霊夢と紫、それと萃香に新聞を手渡した。
「…ん。これは?」
ぐいっと酒を飲み干して、紫は渡された新聞に目を通す。
「それを今、幻想郷全域に配っているんです」
「…ん、ふんふん……へぇ、ヴァレンタインの真似事を、種族問わず、やろうとしているのね」
紫はこの行事を知っているのか。新聞には一言もヴァレンタインと書かれていないにも関わらず、この行事の正式な名称を言った。
「…大切な人、想い人へと贈る行事。本来なら確か、神様を祝う行事のはずなのだけれど、こう書けば色々な者がこの行事に乗りそうね」
紫は杯にお酒を注ぎなおして、再び煽る。
「でも、妖怪達は何処でこういった贈り物を持つんだい?」
横で話を聞いていた萃香が、自前の杯を飲み干して話に割ってはいる。
「そうね。人間達ならまだしも、こういう贈り物を山や森に住んでいる妖怪が用意出来るとは思えないわ」
「…確かに、そうですが」
文は横目で魔理沙を見つつ、話を進める。既に4杯目。新聞を渡せた時点で目的は達成しているのだが、文はその疑問に答えを出していた。
「紫さんと霊夢さんが率先して手引き出来ないでしょうか…? その、妖怪達に」
文は駄目もとで聞いてみた。霊夢は博麗の神社の巫女だが、妖怪達に受けがいい。
そして、八雲紫は、外と繋がりがある妖怪だ。材料問わず、完成品を大量に用意する事だって可能なはずである。
問題は、そんなボランティア精神が、この二人にあるかどうかだが。
「何で私が」
霊夢は酒を飲み干して拒否の発言をした。
「…私も同じね。そこまで周りの妖怪にしてあげるほど、優しくはないわ」
「…そう、ですよね」
紫からも拒否の発言をされる。
文はそこまで期待していない。出来たら、皆が楽しめる行事になってほしいというだけで、強制は出来ないのだ。
「…次の所にいかなきゃいけないのでこれで」
文は一礼して、席から立ち上がる。
出来たら後、三途の河と太陽の畑を回りたい所である。その後は、夜の食べ物所である、ミスティアに渡せば大体配りきるはずだ。
「魔理沙さん、すみません。私の代わりに」
横で自分の代わりにお酒を飲んでくれた魔理沙にお礼を言う。
魔理沙はその言葉に笑って返していた。
「なあに、私が飲みたかっただけさ。もう少し飲んでいくから、悪いけどここでお別れだけどな」
「はい。いつか何処かでお礼をさせてくださいね」
文は駆け足で部屋から出て玄関から外に出ると、翼を広げ、三途の河へと向けて飛び立った。
「……なぁ」
文が出て数分経っただろうか。
魔理沙は杯にお酒を注ぎつつ、一気に口に運び、飲み干す。
「何とかしてやれないのか?」
魔理沙は横目で紫と霊夢に問う。
「出来るけれどメリットがないわ」
そんな魔理沙の発言を切って捨てるように紫はお酒を飲み干す。
「あんなに文が努力してるんだぜ? それを応援してやるのも、上に立つ妖怪のする事じゃないのか?」
「…なによ、魔理沙。文の肩を持つっていうの?」
横で魔理沙の言葉を聞いていた霊夢は、不愉快げに自分の杯に酒を注ぎ、一気に飲み干す。
「努力する奴は嫌いじゃないからな」
魔理沙はそう言い捨ててお酒を飲む。
「………そうね。なら魔理沙、勝負をしましょう」
その言葉に、紫は何を思ったのか。
隙間から一升瓶を取り出す。
「お。鬼殺しだね」
萃香はぐいっと、杯に入っている酒を飲みつつ、紫が取り出した酒を見ていた。
「鬼殺し?」
「鬼をも酔わす、特注の酒って奴さ。アルコール度数99%。まぁ、間違いなく人間が飲んだら、倒れるじゃ済まないね」
「倒れるじゃ済まないって…」
魔理沙は紫が取り出した酒瓶を見ていたが、取り出した紫本人は、そんな魔理沙を見て薄く笑っていた。
「この一升瓶を飲みきったら、今さっきの話を考えてもいいわ」
「…マジか」
魔理沙は顔を青ざめる。萃香があれほど言う代物だ。間違いなく今の酒より絶対にきつい。
文の代わりにお酒を飲んで既にかなりの量に達している。
そろそろほろ酔い気分だと言うのにそんなものを飲んだら卒倒しかねない。
「…どう? やる? それともやらない?」
紫は愉快げに魔理沙の青ざめた顔を見る。
魔理沙は、一度目を閉じた。
あの天狗は、今も必死に幻想郷の空を飛んでいるのだろう。
魔理沙は、文の新聞の噂を耳にした事がある。
それは、どんな事を書いたのか。後ろ指をさされたり、馬鹿にされるような時もあったみたいだった。
けれどあの文は、今日も幻想郷のみなに読んでほしい。皆にこの行事をしてほしいと思い、飛び回っているのだ。
魔理沙は置かれている一升瓶をがっと掴む。
そんな物を見せられて、私がここでやらないでどうするんだ。
「んぐ…」
魔理沙は一気に一升瓶を飲んでいく。
口に来る強烈な熱さをじっと待ち。
「…んぐ?」
飲んでも飲んでも、冷たい、水の味しか来ない事に疑問を抱く。
「…んっく、プハ」
一升瓶を飲み干した魔理沙に、紫はニヤニヤしながら見ていた。
「おめでとう魔理沙。飲み干せたみたいね」
「ゆ、紫? これ、水じゃ……?」
「えぇ、水ね」
その言葉にこらえきれなかったのか、萃香はブッと吹くようにして笑った。
「アハハハ! 魔理沙ってホントに面白いわよね!」
「す、萃香。お前、騙したな!?」
魔理沙は、今さっきまでの必死な決意が何だったのかと憤慨する。
「いいじゃないいいじゃない。本当に鬼殺しだったら魔理沙は飲めなかっただろうしさ」
怒る魔理沙に萃香は腹を抱えながらも、尤もな事を言う。
「そう、だけどさぁ……」
魔理沙は納得がいかないのか。頭を掻きつつぼやく。
「貴方の気持ちは受け取ったわ。私の方から少しだけど、約束通り手引きしてあげるわよ」
魔理沙が飲み干した一升瓶を紫は隙間に戻すと、手引きしてくれる事を約束してくれた。
紫が見たかったのはあくまで魔理沙の度胸と気持ちである。紫は否定的な事を言っていたが、行事としては面白い明日のイベントに、最初から手を貸そうとは思っていたのだった。
「博麗の神社に貰いにいく形でいいわよね?」
紫はさっきから静かになっている霊夢に声をかける。
「……すぅ」
だが、いつの間に落ちたのか。
霊夢は目を閉じ、机に突っ伏すでもなく、コクリ、コクリと座りながら船を漕いでいた。
「あらあら…」
紫は眠る霊夢を見て、抱き上げる。
紫の手でお姫様抱っこをされた霊夢だったが、それでも起きる気配はなかった。
「今日はこれでお開きね。霊夢を介抱するから二人とも帰ってくれるかしら?」
「あ、ああ。わかったぜ」
転がる藍や橙も介抱しなくていいのかと思ったが、口には出さない。彼女達は紫の式である。
霊夢と違い、ここで転がって寝ていても風邪等引くことはないだろう。
「えぇ? お開きなのー?」
まだ飲み足りないのか、萃香がダダをこねるが、紫は歩みを止めない。
「仕方ないじゃない、霊夢が眠っちゃったのだから。萃香も明日の行事の準備でもしてなさい」
紫は文句を言う萃香にそう言うと、お酒を飲んでいた部屋から出て行く。
「むぅー」
「まぁ仕方ないさ。萃香も一緒に私の家でチョコを作らないか? 材料だけはこーりんからいっぱい貰ってきてるからさ」
「うー、うー」
唸る萃香だったが、魔理沙の言葉に反応するように立ち上がり、外へと出て行く。
魔理沙はそんな萃香の後を付いていくようにして、このマヨヒガから自宅へと戻っていった。
※
三途の河は、何処までも霧が立ち込めた。陰鬱な場所であった。
晴天であった幻想郷の空が、ここに来て深い霧に立ちこめていて、暗い空間へと変わっていく。
尖形をした山々が並び、そこは何処までも、異界と呼ぶにふさわしい場所であった。
文はそんな霧が立ちこめた河の此岸側で、大の字に寝ている死神の前に降り立つ。
「こんばんはー」
一応声をかけてみるが、起きるそぶりはない。
死神の仕事をサボっている小野塚小町は、サボりの常習でよく閻魔である小町の上司、四季映姫に怒られている事を知っている。
「おはようございますー。起きてくださいー小町さんー」
「……すぅ」
肩を揺らしてみるが、全く起きる気配がない。
まだ寝言を吐かないだけ門番の美鈴よりましかもしれないが、やっている事に変わりはなく、文が取る行動も変わらなかった。
「仕方ありませんねぇ」
文はニコニコと笑いながら肩下げ鞄から新聞を一枚取り出し、小町の胸元をはだけさせようと着物を掴む。
「……何が、仕方ないんですか?」
だが、その行いを見咎めるように。
文が降りた空から、直立不動に立つ、閻魔がいた。
「小町を見に来てみれば…貴方は今、何をしようとしていましたか?」
だらだらと背中に嫌な汗が流れる。
映姫の顔は笑ってもいなく、怒っている素振りもない。
ただただ能面。何の表情も浮かんでいないのだが…。
「え、ええと」
「天狗の貴方に、前に言いましたよね? 貴方は、好奇心が強すぎると」
後ろに立ち込める殺気は隠しきれていない。
「ちょ、ま、待ってください! 誤解、誤解なんです!」
「えぇ、えぇ。誤解であればよかった」
文の言葉に耳を貸さない映姫。
「しかし、安心なさい。この私が、貴方を裁きましょう」
「あ、あややや…! こ、小町さん! 小町さん起きてください!」
この状況でもいまだに寝こけている小町の胸倉を掴み、バシバシと平手を小町の顔に打つ文。
「…う、んん? 何だい…? 私は今忙しい……」
「起きないと死にますよ!!」
寝ぼけ眼の小町に文は必死に耳に向かって大声で叫ぶ。
「きゃん!? ……な、いきなり耳元で大声を出すな!」
可愛らしい声を上げて、小町は完全に目を覚ます。
「貴方の上司が誤解しているんです! 誤解を解いてください!」
「は、はぁ?」
起きた小町は、ようやく上にいる映姫が見えたのか。
顔が一気に、青ざめていった。
「………あ、あの。四季、様? これはその」
「有罪」
弁明を言わせずに、小町と文は、閻魔の弾幕を一緒に浴びた。
「全く、何度私を怒らせれば気が済むんですか」
ガミガミと説教される事一時間。
小町と文は、地面に正座をしたまま映姫の説教を聞いていた。
「あ、あの。四季様…」
「黙りなさい」
小町が弁明を言おうとする前に、映姫は有無を言わさず、説教を止める気配がない。
「いいですか? 私が多忙となっているのは、いつもいつも、貴方が真面目に仕事をしないからなのですよ? それをちゃんと理解出来るまでは、今日は貴方に何も弁明させません」
その言葉に、小町はガクリとうなだれる。
「貴方もです。射命丸文」
「私のは誤解ですって……」
矛先が文へと変わり、文は無実だと主張する。
「ほぉ? では何故小町の着物をはだけさせようと? 貴方にいたずら心がなければ着物をはだけさせよう等とは思わないはずですが」
文はその言葉に好機を見出す。確かにしていた行為はいたずらそのものだが、この閻魔にその目的となる物を見せればどうにか、どうにかこの状況から脱出出来るのではないか?
文はそう思い、肩下げ鞄から新聞を一枚取り出す。
「これをその…小町さんの胸元に挟もうと思いまして…」
言っている事は既にいたずらを認めているようなものだったが、映姫はその新聞を手に取り、しばし黙読する。
「……」
「これを小町さんに渡せば、その、閻魔である四季映姫様も参加してくれると思ったのです…ですが、小町さんは寝ていまして、仕方なく……私はまだ他の所にもこの新聞を配らないと行けない身ですので、小町さんを起こす時間さえも、惜しかったのです」
文はほろりと嘘泣きまでしてみせる。小町には悪いが、まだ自分は回る所がある身、全力で捨て石になってもらおう。
「…ふむ」
「し、四季様。ま、まさかそんな話信じる気は…」
わざわざ胸元に新聞を入れる意味がないじゃないかと小町は思ったが、閻魔である自分の上司は。
「…確かに。貴方の話も一理ある」
こういう話に弱い。特にそれが善行なる行いと思った時は、特にだ。
「いいでしょう、今後好奇心をうまく抑えるように、行きなさい。射命丸文、己の善行をするために」
「ありがとうございます!」
文は正座のまま土下座をするように頭を下げると、さっと立ち上がり、翼を広げると韋駄天の速さで三途の河から脱出した。
「…えぇ?」
小町は高速で飛び去っていった文を呆然と見送り。
「では、小町。貴方にはまだ説教をしなければいけませんね」
ニコリと、嫌な笑みを浮かべて、まだ延々と説教をする宣言をされる小町であった。
※
「ふぅ、何とか逃げおおせました」
文は三途の河の霧の景色から脱出した辺りで、安堵の溜息を流す。
小町には悪いが、本当に時間が押し迫っているのだ。
空は徐々に夕日になりつつある。
「急がなければなりません……」
残す太陽の畑へは、三途の河から反対側の奥地にある。
文は全力で翼を広げ、速度を上げていく。
向日葵が春夏秋冬に関係なく咲くあの畑は、文字通り、妖怪達が集まる溜まり場だった。
文はそこで行われる、プリズムリバー楽団の演奏会の時間に到着しておきたかった。
妖怪や妖精達に一気に新聞を配れる機会があるとしたらここしか恐らくないだろう。
文は少しばかりその演奏会に遅れた。
太陽の畑にはかなりの数の妖怪や妖精が集まっている。
その中心にいる三人の騒霊。
演奏は既に流れている。音が次女である、メルラン・プリズムリバーのトランペットに移っているのを見ると、最初のスタートの長女である、ルナサ・プリズムリバーのバイオリン演奏には間に合わなかったようだ。
文は踊る向日葵の中に、面識がある人物を見て、その妖怪の横に行く。
「こんばんはー。幽香さん」
「あら、天狗の」
ピンクの日傘を片手に持ちながら、プリズムリバーの演奏を聞いていた、フラワーマスターこと、風見幽香であったが、横に降りてきた文を見てそちらに顔を向ける。
「あ、いつかの天狗だ!」
横にもう一人声を上げる少女がいた。
「こんばんは。メディさん」
赤一色のフリルドレスに長い金の髪にリボンと言った、人形が、妖怪になった少女、メディスン・メランコリーが幽香の手を握るようにして横に立っていた。
「珍しいですね。貴方が無名の丘から出るなんて」
文は幽香の横にいるメディスンを見て首を傾げる。彼女は無名の丘にある鈴蘭が大好きで、あそこから離れたがらないはずなのだが。
「スーさん達ね、春まで寝ているの」
「寝ている?」
メディスンの悲しそうな顔に、文はあの鈴蘭畑に何かあったのかと思った。
「鈴蘭は冬の間は花を閉じてしまうのよ。開くのは春になってから」
横にいる幽香がそう付け加えてくれて、文は納得した。
「ここは特殊すぎますしねぇ…」
文は冬だと言うのに咲いている向日葵達を見る。
「それはそうよ。私が手塩をかけているもの」
幽香はニカリと笑う。この向日葵達を維持するのに、一体どれだけの犠牲と時間をかけているか。文はこの向日葵達の苗が何なのかを、わかっていて「特殊」だと言った。
「そういえばリグルさんはどうしたんです?」
幽香の近くでいつも捕まっている蛍の妖怪の姿がない事に疑問を抱く。
「あの子はまだ冬眠中よ。今年の冬は寒くてまだ駄目みたい」
幽香は溜息を吐きながら語る。
文は、だからメディスンを横に置いているのかと納得してしまった。
幽香には少しだが、誰彼構わずいじめる癖がある。
冬の間はきっとリグルがいなくなって、代わりにメディスンと言った所なのだろう。
「それはそうと、貴方いいの? 写真を撮らないで。プリズムリバーの演奏を」
「ああ、それなんですが…」
文は本来の仕事を幽香に言われ思い出す。
肩下げ鞄から新聞を2部取り出すと、幽香とメディスンに手渡した。
「なあに? これ」
「今日の新聞です。これを今日は、配りに来たのですよ」
黙読して読む二人に、文は流れてくる演奏を見聞きしながら待った。
いつの間にか、三女であるリリカ・プリズムリバーの演奏になっている。
ルナサやメルランが強烈すぎて、あまり目立たないが、彼女が奏でる演奏も、聴くものにつかの間の幻想を見せる演奏だ。
リリカの周囲に銀の結晶がキラキラと降りるほどの幻想。
「……あれ?」
しかし、それは幻想ではなく、本当に白い雪の結晶が周囲に輝いていた。
それを見た妖怪はおおっと一際歓声を上げたが、何故夕焼け雲のこの向日葵畑の中、こんな現象が起きているのか。
「これって…」
上を見上げる。誰かが雪を降らしているわけでもないみたいだ。もしかしたら氷妖精のチルノがこんな芸当をしたのかと思ったのだが。
「ああ、今日はレティも来ているのよ」
幽香は新聞を読み終えたのか、プリズムリバーの周囲に起こっている現象に答えた。
確かに、雪の妖怪であるレティ・ホワイトロックなら、動かずにこんな芸当も出来るかもしれない。
「あの人もこういう所に来るのは珍しいですねぇ」
レティは冬にしか動けない身だ。それをこういう大勢の妖怪がいる所に出てきて、腕を振るう性格でもないはずなのだが。
「フフ、レティもご執心の子がいるのよ。その子が、大妖精の子と一緒にこの演奏を聴きに来たから、着いてきたみたいよ」
幽香は何かを思い出したのか、クスクスと笑いながら話をする。
レティのご執心の子と言うのは、きっとチルノの事だろう。チルノの特集を作る時に、そういえばレティも傍にずっといた事を、文は思い出した。
「この新聞を見たら、きっとレティは喜ぶわね。冬に行事を行うだなんて」
「問題は、いつ配りましょうかねぇ……」
新聞の話題になり、文はプリズムリバーの演奏を聞きながら、どうしようか悩む。
途中に空から新聞をばら撒くでもいいのだが、それはこの演奏会自体に対してのマナー違反だ。
急いでいる身とは言え、心証を悪くするのも嫌であった。
「新聞は、後どれくらいあるのかしら?」
幽香に尋ねられ、文は鞄の中に入っている新聞の部数を確認する。
「…後、40枚程です。この後、ミスティアさんの所にも行くので、配るとしたら30枚前後ですけど」
「それなら、みんなに力を借りましょう。新聞を貸してくれないかしら?」
幽香にそう言われ、鞄に入っている新聞を、取り出す。
片手で幽香はそれを受け取ると、隣に咲いている向日葵の上に置いた。
「お願いね、これを皆に」
ピンクの日傘で向日葵を押す幽香。
すると、どうだろうか。
咲いている向日葵達に向けて、その向日葵は首を回すようにして新聞を投げる。
「…凄い」
隣で見ていたメディスンは感嘆の言葉を呟く。
投げられた新聞を、他の向日葵達が、首を回すようにして受け取るのだ。
まるで生きているみたいに動くその向日葵達は、周りで演奏を聞いている妖怪たちの肩を、花の部分で叩いて新聞を渡していく。
文はその光景を呆然と見ていた。
「これで、よかったかしら?」
横で日傘をさす幽香は、ニコリと文に笑いかける。
「あ、ありがとうございます! 幽香さん!」
向日葵達の力を借りて新聞を配った幽香に、お礼の挨拶をする文。
「たまには私も通り名らしい事をしなくちゃね」
フラワーマスターの名は伊達ではない事が、ここに証明された。
夕日も徐々に沈み始めている。日が落ちてからが妖怪達の本調子なだけあり、まだまだ演奏会は終わりそうになかった。
「では、私は次に回らないといけないので、行きますね!」
幽香とメディスンに手を振りながら、文は太陽の畑から走って遠ざかり、演奏会から離れた所で飛んだ。
人里に戻る頃には丁度日が沈む頃合いだ。
はずれに屋台を置くはずである、夜雀のミスティア・ローレライの元へと文は向かった。
※
「サークラーサークーラーサキミダレ♪」
日が沈み、太陽が消え、代わりに三日月と星々が出ている夜の帳。
歌を口ずさみながら今日もミスティアは、人里のはずれで屋台を開く。
今日はどんなお客が来てくれるだろうか? 私の歌を聞いてくれるだろうか?
「ソラ、ニ、マーウーハハンゴンチョー♪」
包丁を持ち、魚を捌きながらも歌う事を忘れない。
歌を忘れては、この屋台をする意味がないから。
「ああ、よかった。やっていました…!」
トントントンとリズムよく包丁でお鍋物の下準備を作っていたミスティアは、お客さんかな? と少し待つ。
「こんばんはー。ミスティアさん」
「こん、ばん、はー♪ 天狗の貴方だったかー♪」
ミスティアは文を見て、お辞儀をする。文はミスティアの所に来る常連の一人であった。
「ご注文はー?」
「そう、ですね。とりあえず即興で出せる物を」
「はーい♪」
文の注文を聞いて、ミスティアはヤツメの串揚げと、鰻の串焼きを用意する。
「夢に、ミタ、マボロシノー♪バショヲー♪」
いつもと同じく、上機嫌な歌を歌うミスティアに、文は屋台の椅子に座りながら、肩下げ鞄から新聞を取り出した。
「あの、ミスティアさん。歌っている所悪いのですが…」
「んー? 何ですかー♪」
文は新聞を取りだして、ミスティアに見せる。
ミスティアは串の焼き加減を見ながらも、その新聞に目を通していた。
「ふんふん………へぇー♪ 明日はそんな日なんですねぇー♪」
串焼きを、新聞を読み終えると同時に、お皿に盛り付けて文の前に出すミスティア。
「あ、ありがとうございます……それでですね。この新聞を10枚程、ここに置かしてもらってよろしいでしょうか?」
「構わないよー♪」
二つ返事で了承するミスティアに、文は早速屋台の端に新聞を置かせてもらう。
これで一通り、幻想郷の皆に新聞は回るはずだ。
「…はぁ………」
文は、力尽きるようにその場でカウンターに突っ伏すようにしながら、出された串揚げをほおばる。
「…んぐ。あぁ、やっぱり仕事の後の御飯は美味しいですねぇ……」
やっと下準備が終わった。後は一度山に戻り、明日に備えての取材と、新聞の発行の準備をするだけだ。
オーバーワークが今頃になって来たのか、身体中がビキビキと、音を鳴らして痛いと警告しはじめる。
一日中、カフェでの休憩以外は、幻想郷の空を飛び回っていたのだ。むしろ今までよく保ってくれたと言うべきだろう。
「サダメニ背くはー、誰がタメー♪ マヨイキズツイテー♪」
いつの間にか、ミスティアが歌う曲も変わっている。
文は腕を回すようにしながら、痛む全身にもう一度渇を入れる。
「ごちそうさまでした」
「はーい♪」
ミスティアに食事の代金を払い、文は人里を足早に出ると、再び、星が輝く夜空へと飛んだ。自身が住まう妖怪の山に帰るために。
※
「お帰りなさいませ。文様」
山の自宅に戻った文は、自分の帰りを待っていたのか。
哨戒天狗である、犬走椛が部屋にあった椅子に座って待っていた。
「ただいま、椛。私の帰りを待っていたの?」
仕事からやっと解放された為か、文はいつもの丁寧口調を無くし、椛に話かけていた。
「はい。………文様に、上から命令が降りました」
その言葉に、文は固まる。
「命、令……?」
「はい。明日の2月14日。自宅から出ないようにとのお達しです」
椛は生真面目に、表情を崩さないようにしてその゛命令゛を言っていた。
「なん、ですって……?」
文は、その言葉に怒りや悲しみよりも、何故? という疑問がまず浮かび上がった。
このタイミングで、何故自宅から出るなという命令が来るのか。
「どうして、どうしてこのタイミングでそんな命令がくるの…!?」
「…理由はわかりません。私は唯、この命令を帰ってきたら文様に伝えろと言われただけですので」
椛の言葉に文は頭を抱える。
理由はわからない。けれど自宅から出るなだと?
文は今日一日してきた事を、自分の目で、明日取材という形で回るはずだったのだ。
それをまさか、身内に潰されるとは思ってもいなかった。
「……椛、貴方にもその命令は降りているの?」
ふと、疑問に思った事を聞いてみる。
「いえ、私には降りていません。あくまで、文様だけにみたいです」
その言葉に、文はわかってしまった。
自分の今回の文々。新聞が、上から見ればよくない事なのだと。
人と妖怪が揃って参加しようとしているこの行事の風景を、写されたくないのだと。
上の天狗達は未だに妖怪としての威厳というものに、執着していたのはわかっていた。
人間に自分たちは賢い種族なのだと、生まれた時から力関係が違うのだと思っている連中だ。
「はは……」
文は、笑うしかない。何処かで身内の天狗に、自分の新聞を読まれたというだけで、こんな事になるとは考えていなかった。怪我を負った時でさえ、新聞を毎日出していたというのに。
こんな形で、それすら潰された。
「文、様………」
椛は乾いた笑いをする文に、どう声をかければいいかわからない。
「……ごめんなさい、椛。帰って」
文は椛の横を通り過ぎて、寝室になっている部屋へと飛び込む。
あのまま、椛の前で泣くわけにはいかなかった。
「う……」
文は寝室に置かれていた布団に飛び込んで、枕に顔を押すようにして声を押し殺して泣く。どうしてこう、いつもうまくいかないのか。
「…ひく……うぅ」
きっと自分の新聞を読んで、明日みんな行事をしてくれる事だろう。
記者として、それを記事に出来ない事に、文は泣くほかない。
命令を蹴ってでも行くべきか?
答えは否。鴉天狗である私がそれをしてしまったら、下に示しがつかない所か、この妖怪の山から追放されてもおかしくはない。
むしろこれぐらいで済んでよかったと喜ぶべきなのか。
「……いいわけ、ないじゃない…」
自分のその考えに、文は拳を握り締める。
文はここにきて、どうすればいいかわからなくなってしまった。
記事にする事なら限りなく頭の中は動いてくれるというのに、こういう事になると全く動いてくれない。
一度下った命令を変えることは無理だ。上司の天狗に掛け合っても無駄だろう。
文は、枕に顔を押さえながら、まどろみの中に落ちていく。
どうしようもない。何もかも、諦める他なかった。
「……」
椛は帰っていなかった。
寝室に繋がる部屋の外の前で、押し殺した声で泣く文をずっと聞いていた。
「文様……」
椛は、文が文々。新聞にどれだけ力を入れていたか知っている。
椛は懐から文が作った新聞を取り出していた。わざわざ今日の昼間、人里まで降りて取ってきたものだ。
大切な人へと、想い人へと贈り物をする行事。新聞にそう書かれた物は、今や幻想郷の皆が行うべく、やろうとしている行事だ。
「……私に」
新聞をじっとみつめながら、椛は考える。
「私に、出来る事は……何かないでしょうか?」
椛は必死に考える。文の為に。自分に出来る事はないのかと。
※
2月14日、早朝。
朝日が出始め、魔法の森からは、鳥の囀る声が何処からともなく鳴く音が木霊していた。
空は昨日に続いて青空が広がっている。今日も雪や雨が降ることはないだろう。
「で、出来たぁぁぁ………」
アリスは最後の作品をラッピングすると、椅子の上で歓声を上げた。
昨日の夕方頃から、今日の行事の為に作り始めたアリスは、予想以上に自分のペースの遅さに焦っていた。
一つ作るのに四時間かかったり五時間かかったりと。人形を作るのと編み物とでは、ジャンルは同じでも作業時間そのものが違ったのか。結局徹夜で作るはめになってしまった。
「ふぅ……」
凝った肩をバキバキと鳴らしながらアリスは立ち上がる。
このまま寝室に行って、ベットに倒れこみたかったが、きっと倒れたらそのまま一日中沈んでしまう事だろう。
そのまま脱衣場へと向かって、朝風呂をしようと思い、お風呂に水を張り始める。
昼頃に博麗神社の方に向かえば、霊夢はいるだろう。
「…魔理沙もきっといるわよね……」
自分の想い人。同じ魔法の森に住み、いつも陽気に笑い、いつも私の心の中にいる人。
昨日、香霖堂の入り口で会ったが、彼女も今日の行事の為に準備しているようだった。
きっと神社の方に行けば会えるはずだろう。
アリスは顔がにやけているのが自分でもわからないほど、今日という日に力を入れていた。
同時刻。
「魔理沙~、これにお酒入れちゃ駄目かなぁ?」
魔理沙邸で萃香と魔理沙はチョコを作る作業をしていた。
本当なら、昨日の内に作っておくはずだったのだが、あの後魔理沙と萃香はここでお酒を飲みなおして、朝になるまで、起きられずにいたのだ。
「入れても構わないが、少量にしとけよ? 自分で食べるんじゃないんだから」
魔理沙は液体状になって、ボウルに入っているチョコに、色々と手を加えていた。
大雑把で不器用と言った感じの魔理沙だったが、魔法の実験みたいにチョコを作っているせいか、中々難しい作業を、苦もなく終わらせていく。
「んー、じゃあちょっとだけ……」
萃香にも魔理沙は同じようにボウルを渡していた。原料を作る作業がめんどくさい、難しいとダダをこねた為に、手を加える作業に入るまでやってしまったのだ。
萃香はきゅぽんと持ち歩いているお酒の蓋を開けて、ドボドボとチョコに加えた。
そう、ドボドボと。
「萃香…それは少量じゃないぜ……」
完全にチョコがお酒に負けるだろと突っ込みを入れたくなったが、魔理沙はあくまで自分の作業に集中する。
砂糖や少量の塩等を混ぜて、よくかき混ぜ、後は型通りに流しこむだけなのだが。
「魔理沙~魔理沙~、チョコがー、チョコが熱い……」
「酒をそれだけ入れればそりゃあな……」
酒を入れてかき混ぜたチョコに、萃香は指を突っ込んで味見をしてみたが、カッと喉の奥で熱くなる甘いチョコとお酒の味に、頭をグルグルさせていた。
「冷やせばまた変わるかもしれないぜ。型はどうする?」
気休めを言いつつ魔理沙は頭をグルグル回している萃香に香霖堂からもらってきた形入れを一通り置いてみる。
星型やハート型、動物の型等、多種多様にあった。
魔理沙は複数ある小さな星型の形入れ全てに、液体状になっているチョコを流し込んでいく。
「んー……じゃあ、私はこれとこれでいいや」
萃香が手に取ったのは大きなハート型形入れの二つ。
きっと紫と霊夢にあげるのだろう。少しずつ、それにチョコを流しこんでいく。
「よし、じゃあ固めるか」
形入れに流し込むのを終えた魔理沙は、設置型の属性魔法を、チョコに向けて放っていた。
コールド・インフェルノ。つい半年前に、パチュリーの属性魔法をパクリ…もとい参考にしてものにした、魔法の一つである。
みるみる内に固まっていくチョコを見る萃香は、おーと魔理沙の魔法に歓声を上げていた。
「どうやって固めるのかと思ったら、弾幕の応用とはねぇ~」
魔理沙らしいやと萃香は笑う。
「固めたら、ラッピングしていくから、ちょっと待っててくれな」
「うん、わかったよ!」
チョコに入れていたお酒を、萃香は蓋を閉じずに、椅子に座りながら飲んで待つ。
昼頃には、きっと神社へと持っていける事だろう。
魔理沙がチョコを固めているのを見つつ、萃香は早く出来ない物かと足をブラブラさせていた。
「……何とか、間に合ったか」
白玉桜の台所で、朝早くから妖夢は幽々子に贈るチョコを完成させていた。
わざわざ日が昇らない時間から作っただけあって、出来栄えはそれなりだ。
幽々子にいつも頼まれ、人里にお菓子を買いに行っていた妖夢にとっては、自分でお菓子を作る事自体、初めてであった。
横に失敗したチョコの残骸達を見て、妖夢は溜息をこぼす。
「後は幽々子様が起きてくる前に、これを処理しないと…」
もはや甘い匂いすらしていない残骸を掴むと、妖夢は手に持つ袋へと詰め込んでいく。
全て入れて、ぎゅっと袋の口を縛って閉じ、台所の下にラッピングしたチョコを隠して足早に、台所を後にする。
捨てるとしたら白玉桜から外に出てからだろう。
縁側から庭へと出ようとした妖夢は。
「精が出るわねぇ~妖夢」
庭に佇む隙間妖怪とでくわしてしまった。
「ゆ、紫様!?」
妖夢は、誰もいないと思った庭に紫がいて動揺する。
サッと手にもつ袋を背中に隠し、緊張した面持ちで妖夢は紫を見た。
まさか、自分がチョコを作っていたのを知っているのだろうか?
「ふふ、幽々子の為とはいえ、貴方が自分でお菓子を作ろうだなんて」
思いっきりばれていた。
「こ、これは、その」
妖夢はしどろもどろする自分が情けなく感じながら、扇子で口元を隠しながら庭に立つ紫にどう言うべきか、困ってしまった。
「安心なさい、その背中に隠している事は、幽々子には言わないであげるから」
紫は口元を扇子で隠しながら笑う。妖夢がしどろもどろになっている様は愉快であった。
「その、今日の行事の事も言わないでくれませんか?」
顔を赤くして、妖夢は紫にやっとまともな言葉を喋る。
「あら? 教えていないの?」
まだ幽々子が今日の行事の事を知らない事に紫は多少驚く。
「はい…その、言えば幽々子様はご自身もお作りになってしまうでしょうから」
紫は妖夢のその言葉に、確かにと心の中で頷く。
この行事を聞けば、幽々子はきっと妖夢の為にチョコを作っただろう。
しかし、従者である妖夢は、それをよしとはしないようだった。
「…貴方も、本当に堅物ね」
溜息を吐きつつ、紫は隙間から幽々子の為に用意したチョコを取り出していた。
「言わない代わりに、これも幽々子に渡してもらえないかしら?」
パチンっと、口元を隠していた扇子を閉じて、紫は妖夢に包装されたチョコを投げてよこす。
「…わかりました。お茶の時間に一緒に渡しておきます」
「ええ。私はまだ他を回らないと行けないから、幽々子によろしく言っておいて頂戴」
そういうと、頷く妖夢を見届けてから、紫はチョコを取り出した隙間ではなく、別の隙間から白玉桜を後にした。
本当なら今日の夕方頃に贈り物を用意出来ない妖怪達を、博麗神社に集めている事を幽々子にも言って、一緒に集まらないかと言おうと思ったのだが。
紫は笑う。たまにはあの二人だけの行事にしてもいいだろうと。
「おはよう慧音。もう起きてたのか」
まだ日が昇ってあまり時間が経っていない早朝、妹紅はいつものように起きていた。
今日は昨日天狗の文が言っていた行事の日。妹紅はひそかにチョコの材料を、昨日寺子屋へと戻るまえに買ってきていた。
「おはよう妹紅」
早速寝巻きからいつもの服装に着替えて、台所に向かう妹紅だったが、そこには既に作業をしている慧音がいた。
妹紅は横から慧音が作っているチョコを覗き込む。
「何だかたくさん作っているけど、どうするんだ。これ?」
「今日の寺子屋の授業で、子供たちにあげようと思ってな。妹紅もチョコを作りに?」
チョコを流し終えている形入れに注意を払いつつ、慧音は台所の下にある引き出しを開ける妹紅を見る。
「ああ。…まぁ、天狗が教えてくれた事だし、やってみようかなって」
「…そうか」
誰にあげるとは妹紅は言わなかったが、慧音は少し照れくさそうな妹紅の横顔を見て、微笑んだ。
慧音は別に既に作ってある、妹紅用のチョコをいつあげようかと思いつつ、妹紅のチョコを作る作業をじっとみつめていた。
※
「早苗~まだかい?」
妖怪の山にある守矢の神社にて、朝から神奈子と、土地神である洩矢諏訪子が居間のテーブルに挟んで、早苗のチョコを座りながら待っていた。
「もうちょっと、待ってください~~今持っていきますから!」
台所の方で声を出す早苗。
「まったく、神奈子は待つって事を知らないのかい」
先ほどから数分おきにまだかまだかとわめく神奈子に、諏訪子は溜息を吐く。
「それほど早苗のチョコを待ち望んでいるのよ。お酒もガマンして待っているんだ。そろそろ限界ってものを感じる頃合だと察してほしいね」
ケッっと悪態をつきながら諏訪子にそう言った神奈子は、指でテーブルをトントン叩きながら待つ。
まるでアルコール中毒の禁断症状ではないかと、諏訪子は見ていながら思ったが、口に出すと素で神奈子は傷つくので口には出さない。
代わりに、再び溜息を吐いてしまったが。
「お待たせしましたー!」
ようやく出来上がったのか。台所から大きなお皿に盛り付けた色々なチョコをテーブルに置く早苗。
「お、ようやくだねぇ」
先ほどの苛立ちは何処に行ったのか。神奈子は嬉しそうな顔をして、ひょいと適当に皿に置かれたチョコの一つを取る。
「どれどれ…」
諏訪子も適当にチョコを手に取り、口に運ぼうとする。
―――ドンドンドン!
神奈子と諏訪子がチョコを口に入れようとしたその時、神社の玄関先から、引き戸を叩く音がした。
「……一体何だい? こんな朝っぱらから?」
口に放り込もうとしたチョコを、神奈子は苛立ちながら皿に戻す。
「さぁ、何だろうね?」
諏訪子も一度チョコをお皿に戻す。こんな朝早くから神社を訪れる者等、そうはいないはずのだが。
「あ。文さんじゃないでしょうか? 取材をしに来るって行っていましたし」
「あー、あの鴉天狗かもしれないね」
神奈子は一昨日ここを訪れた文の事を思い出す。そういえば取材に来るような事を言っていたはずだ。
「ちょっと見てきます」
早苗は立ち上がると、未だに引き戸をドンドンと叩く来訪者を見に行く。
神奈子はおあずけをくらったみたいで、舌打ちをしながら早苗が戻るのを待った。
食べてもいいのだが、神奈子は、三人揃ってチョコを食べたかった。それに早苗が作ったチョコだ。早苗のいない所で食べるのも節操がなさすぎる。
「神奈子様~! 諏訪子様~! ちょっと来てくれませんかぁー!」
「んん?」
早苗が戻る所か、玄関の方に来てほしいと言われ、諏訪子と神奈子は顔を見合わせる。
「一体、なんなんだい……」
よいしょっという声を出しながら立ち上がる神奈子に、諏訪子は一緒に玄関の方へと歩いていく。
「お、おはようございます…」
玄関に待っていたのは文ではなかった。銀の髪に、紅い帽子と、文に似た服を着ているが、スカートは黒と赤を半々といったロングスカートで、背中には、赤い大きな鞄を背負っていた。
「…アンタは、確か」
神奈子は文に引っ付くようにこの前ここに訪れた天狗だと思い、名前を思い出そうと少し頭をひねる。
「哨戒天狗の子じゃないか。一体何の用だい?」
横にいた諏訪子は覚えているのか。哨戒天狗と言い、神奈子はそれで名前を思い出した。
そう、確か犬走椛と言う名前のはずだ。
「そ、その」
椛は諏訪子と神奈子を見た途端、緊張するように口をわなわなと震わせていた。
「文さんの代わりに取材をしに来たそうです」
「代わり…?」
早苗が代弁するように、神奈子に言う。
「は、はい! 文様がご自宅から出られないので! 私が代わりにここに取材に来させて戴きました!」
こう言った事に慣れていないのか。椛は背筋をピンと伸ばして、大きな声で用件を言った。
「…なるほどね」
取材として神社に訪れた椛を居間まで引き込んで、文が自宅から出られない理由を洩矢の神社にいる面々は聞いていた。
神奈子は椛が持ってきた、先日配られた文々。新聞を読んでいく。
「私の言った事が幻想郷の皆もしているなんて驚きですねぇ……」
早苗も横から覗くようにして新聞を読んでいるが、神奈子は忌々しげに、皿に盛られたチョコをほおばった。
「ふん、こんなに良く書かれているのに、上の連中は体面を気にしたってのかい」
「……」
椛は神奈子の言葉に悲しそうな表情をしながら、正座をして、顔を俯かせていた。
「か、神奈子様。椛さんが悪いわけではないのですから、そう言う言い方をしなくても…」
「…ふん」
「でも実際、古い妖怪は気にするもんさ。それが妖怪と人間が同じ事をしようとしてるとなったら余計にね」
神奈子の横に座る諏訪子は無表情のままチョコを頬張る。
「…諏訪子はこの状況を良しとするのかい?」
神奈子は諏訪子に聞くが。
「まさか。胸糞悪くて吐き気がするね」
断固拒否の発言をした。どうやら神奈子と見解は一致しているようだ。
「文さんが可哀想ですよ…これじゃ…」
早苗は嬉しそうにして取材にしに来ると言った文の顔を思い出す。
「…ああ。本当にね」
神奈子も思い出しているのか。早苗に同意するようにして答えていた。
「…椛、上からの命令は、文は今日、自宅に出るなってだけかい?」
諏訪子は確認するように、椛に聞く。
「…はい。一応そうなっています」
「だから、代わりに取材しようと思ったんだね?」
神奈子と早苗は椛の顔を見る。
椛は頷いて、俯かせていた顔を上げた。
「はい。文様は、この新聞を作る事に、身を擦り減らせる思いで毎日、毎日力を尽くしておられました。なのに、このような事で文様のその思いを無駄にする事なんて出来ません…!」
「……椛さん」
早苗は椛の真剣な眼差しを見ていた。
「…ふん、下っ端の哨戒天狗にしては、いい目をするじゃないか」
神奈子はそんな椛にふっと笑う。
「椛、取材をする為の道具と、今日の新聞は持ってきているんだな?」
諏訪子は再度尋ねる。
「はい。文様の家からカメラとフィルムを拝借させていただきました。それと、今日発行する予定だった新聞も、印刷して持ってきています」
椛はそう言うと、隣に置かれていた赤い背負い鞄からカメラと新聞を取り出す。
神奈子はその印刷した新聞とやらを一枚手に取る。
右上に書かれていた日付は、確かに今日の日付だった。
記事にはでかでかと、氷妖精! 再び池の主と激闘! という見出しで書かれている。
「確かに今日の記事だが、よく原版を見つけたね?」
「…印刷機に、設置したまま置かれていたんです」
きっと家に戻ったらすぐに印刷する気だったのだろう。
神奈子は手に取った新聞を、置かれている新聞の束の上に置いた。
「…よし、物があるなら椛。私たちの取材が終わったら、この新聞をいつも文が置いてきている所に置いてきな。人間達の行事は、人里で撮ればいい。その後は博麗の神社に行けば、とりあえず取材はどうにかなるだろ」
諏訪子はニヤリと笑う。
「後、出来たら八雲の大妖怪を引き込みたい所だね」
「…諏訪子、もしかして私が考えている事と一緒かい?」
神奈子はニヤリと笑う諏訪子と同じように、邪悪な笑みを浮かべている。
「なあに、人と妖怪が同じ事をしてはいけないなんて理由はないからね。ましてや、その取材をしちゃいけない理由もない」
「ああ、そうさ。あの天狗共は時の流れってものをわかっちゃいない。それに、私が文に出した行事を、人間もするからってあいつらは邪魔しやがった」
それは神の考えを否定したのと同じ事。怒りを買っても真っ当な、喧嘩を売れる理由が出来た。
「か、神奈子様、諏訪子様…一体何をお考えで……」
そんな笑みを浮かべる二人に、早苗は少しばかり恐怖を感じる。
「なに、早苗は何も気にしなくていい。……ああ、そうだな。ちょっと早苗にお使いを頼もうか」
「お使い、ですか?」
早苗は神奈子の言うおつかいという言葉に首を傾げる。
「そう、お使い。と言っても大した事じゃない。もし、八雲の大妖怪に会ったらこう伝えてくれるだけでいい。神様が面白い話があるから来てほしいって。もし会えなかったら、そのまま椛と一緒に取材の協力をしてあげな」
「文が自宅から出られない理由は言わないようにね。昨日動き回ったせいで体調を崩して動けない状態…こんな理由で取材をするように」
諏訪子は神奈子の話に捕捉を入れるように割って入る。
「? どうして本当の事を言わないんですか?」
早苗は何故文が体調を崩した事にするか理解が出来なかった。
「本当の事を言ったら、博麗の巫女や、あの黒白の魔法使いが殴りこみにいきそうだからねぇ」
それでは面白くない。人間と妖怪の亀裂が広がるだけで、今日の記事を発行出来るわけではないのだ。
あくまで今日の記事を、いかに上の天狗達に文句を言わせずに発行するか。
それをしなければ文が浮かばれない。
「まぁ、とりあえず。今日の行事をまずは楽しむとしようじゃないか。椛、うまく写真を撮っておくれよ」
話は終わりと、神奈子は早苗が作ったチョコをちゃんと咀嚼しながらほおばる。
「あぁ、早苗のチョコはおいしいねぇ」
今頃になって感想を言う神奈子に、早苗は微笑み、諏訪子はその横で溜息を吐く。
椛は、しっかりとその神奈子のチョコを頬張る様を、カメラのレンズに収めていた。
※
守矢神社での取材をし終えた椛と、協力するように神奈子に言われた早苗は、妖怪の山を降りると、真っ直ぐ人里の方へと向かっていた。
「……」
共に無言で飛ぶ二人。早苗と椛は、特に親しいというわけでもなく、何処までもこの二人は、真面目な人間であった。
「見えてきました!」
椛は横に飛ぶ早苗に叫ぶ。
だが、早苗の目にはまだ人里は見えない。
「まだ見えませんがー?」
「もうすぐ、見えてくるはずです!」
椛の目には既に人里は見えていた。それ所か、地上にいる人間の一人一人の細部まで完全に目視している。
椛の能力は、千里先まで見える能力と、文のように韋駄天の速度で飛べないが、見通せる目があった。
椛の言ったとおり、すぐに早苗の視界にも、人里が見えるようになる。
人里の入り口で降りた二人は、まず今日発行される新聞を置くべく、カフェへと向かう。
―――カランカラン
「いらっしゃいませー」
入り口のベルを鳴らしながら、早苗と椛がカフェへと入るなか。カウンターで驚いた様子もなく応対するマスターがいた。
早苗はきょろきょろと周りを見渡す。まだ昼にもなっていないというのに、色んなカップルらしき男女が、そこには座っていた。
迷う事なく、椛は空いているマスターの正面のカウンターへと足を運ぶ。
早苗もその後ろについていった。
「ご注文は?」
「あ、あの!」
注文は? と聞くマスターに、椛は緊張した声で、用件を言おうとする。
「そ、その!」
だが、緊張しているせいか、要領が得ない。
「私達、体調を崩された射命丸文さんの代わりでここに来たのですが…」
助け舟を出すように、早苗はわたわたする椛の後ろで用件を答えた。
「…文ちゃん、体調を崩したのかい?」
文の名前を出したおかげか、接客の対応を取っていたマスターの顔つきが、心配そうな顔になる。
「はい、今日一日は動けないみたいで…今日という日を楽しみにしていたみたいなのですが……」
早苗は流暢に嘘の事をマスターに言ったが、大体は間違っていない。動けないし、今日を楽しみにしていたのは事実である。
「そうか……」
「そ、それで文様の代わりに、今日の新聞と、取材を私達が来させにもらいにきました!」
わたわたしていた椛だったが、早苗に触発されたのか、それだけ大きな声で言い切った。
何事かと、他のカフェにいたお客がこっちを見ていたが。
「は、はは。そ、そういう事ですので。新聞を置かせてもらってよろしいでしょうか?」
椛の大声のおかげで、客の視線が集まる中、早苗は顔を赤くしながらマスターに聞く。
「あ、ああ。新聞を渡してもらえるかい?」
マスターにそう言われ、椛は背負っている鞄から急いで新聞を全部取り出す。
「お、お願いします!」
バッと力一杯マスターの前に新聞を置く椛。
それをマスターは、苦笑しながら受け取り、勘定をする場所の横へと置く。
「お客さんの写真を撮るなら、まず撮っていいかの断りを入れるように。文ちゃんはそうしていたからね」
「わ、わかりました! では、撮らせていただきます!」
早速椛は、手近にいたカップルへと交渉しに行く。
「…椛さん、こういうのに慣れていないんですね……」
早苗はずっと緊張したままの椛を見ながら、カウンターの席へと着いた。
「…ハハハ、文ちゃんと比べると大分違うね」
マスターは、大きな声で写真を撮らせてもらってよろしいでしょうかぁ!? と叫ぶ椛を、早苗と一緒に生暖かい目で見守る。
「…しかし、あの文ちゃんが体調を崩すとはなぁ……早苗さん、でいいかな?」
声をかけられ、早苗はマスターの方を見る。
「あ、はい。早苗でいいですよ。よくご存知で?」
神奈子の信仰を集める時に、早苗は派手に事を起こしていたが、ここに来る事は始めてだった。
「昨日の新聞で君が出ていたからね。勿論、文ちゃんが書いた山の上の神様の特集で名前も知ったのだけど」
早苗はそのマスターの言葉に、そういえば風祝として文に取材されたと思い出す。
「…文ちゃんに、お大事にと言っておいてくれないかな? 早く元気になってくれと、カフェのマスターが言っていたって」
マスターは照れくさそうに笑いながら、早苗にそう言った。
「わかりました。会えたらそう伝えておきます」
早苗はその言葉にくすりと笑いながら、マスターの言伝を受け取る。
「ありがとうございます! 撮らせていただきます!」
力一杯挨拶する椛はカップルがチョコを食べている様を、昼の本格的に混む時間になるまで写真に収めていった。
マスターにお礼を言って、カフェを後にした早苗と椛は、諏訪子と神奈子に言われた通り、人里を出ると、飛んで博麗神社へと向かった。
※
空は快晴、太陽が真上に爛々と輝く紅魔館で。
「…ん」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは、目を覚ました。
「…咲夜~」
夜に活発に動くレミリアが、昼に起きる事は珍しい事である。
今日は、天狗が新聞で教えた行事の為と思い、レミリアは活動的な夜の機会を早々に切り上げ、紅魔館で惰眠を貪り、今に至った。
「はい、お呼びでしょうか? お嬢様」
レミリアの呼ぶ声が聞こえたのか、それとも廊下でずっと起きるまで待機していたのか、咲夜は音もなくレミリアの寝室へと入ってきた。
「着替えを手伝ってちょうだい」
「かしこまりました」
レミリアは寝ていたベットから出ると、着ていた寝巻きを脱ぎ捨て、咲夜に渡す。
渡された咲夜はそれを受け取ると、用意しておいた洗濯をする籠の中にいれ、すぐに部屋にあったクローゼットから、紅いフリルのドレスを持ってきた。
「失礼します」
咲夜は一度頭を下げると、レミリアに上からドレスを着せ、後ろに回り、調整用の紐を縛っていく。
再びクローゼットへと向かい、紅い帽子をレミリアに被せて着替えは完了した。
「着替え終わりました。お嬢様」
「ん」
レミリアはまどろむ目を、首を振って覚醒させる。
「…咲夜、貴方はもう今日の贈り物を用意したのかしら?」
レミリアは、横に控える咲夜に聞く。
「はい、勝手ながら、ご用意させていただきました」
「パチェも用意したのかしら?」
レミリアは盟友である地下図書館に佇む魔女が、今日の行事を聞いて、動いたかどうかが気になった。
「朝頃に。お嬢様を除いた全ての物がお作りになっていたかと…」
「…私を除いてって、フランも?」
妹であるフランドールも今日の行事を聞いて、贈り物を作っていたのだろうか?
「はい、妹様もお作りになられたいと言われましたので、手ほどきさせていただきました」
「そう…」
レミリアは少しばかり口元を綻ばせる。
フランドールがこう言った行事に参加する事に嬉しく思い、全てを壊す事しかできなかった妹が、何かを作ると言った事そのものが、ただ嬉しかった。
「一体誰に渡すのかしらね」
レミリアはわかりきっている言葉を呟く。
フランドールが渡す相手なんて決まっている。
我が妹の遊び相手の魔法使い。
我が妹を大切にしてくれる魔法使い。
我が妹を変えてくれた魔法使い。
レミリアは紅魔館をいつも強行突破してくる黒白魔法使いの顔を少しばかり思い浮かべ、薄く笑う。今日もアイツはここに来るのだろうか。
「…あの、お嬢様」
少しばかり脳内に浸っていたレミリアは、咲夜の呼びかけに引き戻される。
「なにかしら?」
「その、起きになられたばかりなのですが…」
咲夜は懐から包装された包みを取り出す。
「どうか、私が作った物を、お召しになられてくれませんか?」
紅い、絨毯の上に肩膝を置くようにして、咲夜はレミリアを上目遣いに見ながらその包みを渡そうとした。
「……」
レミリアはそれを受け取り、包みを開けてみる。
中には、レミリアの手ぐらいの大きさの、ハート型のチョコが入っていた。
レミリアは、それをじっとみつめていたが、端をかじる様にして食べてみる。
「…甘いわね」
口の中に広がるチョコの甘さに、レミリアは少しばかり表情が緩んだ。
「…お気に、召したでしょうか?」
肩膝を着いたまま、咲夜はレミリアの事をみつめていた。
「えぇ、おいしいわ。咲夜も食べてみればわかるわよ」
パキンっと、逆側の端を割るレミリア。
「咲夜、目を閉じて口を開けなさい」
「…え?」
「聞こえなかったかしら?」
レミリアは咲夜の顔の前に、割ったチョコを向ける。
「あ、あの。自分で食べられますので…」
「咲夜」
しどろもどろする咲夜に、レミリアはもう一度名前を呼ぶ。
「……わかりました」
咲夜は決意して、目を閉じて口を開ける。
まさかレミリアからハイ、あーんみたいな事をしてもらう事になるとは、咲夜は考えていなかった。
目を閉じた咲夜を、レミリアは確認し。
「ん……」
割ったチョコの方ではく、手のひらサイズのチョコを、レミリアは自分の口でバキボキと咀嚼したかと思うと。咲夜が考えていた以上の事を、レミリアは実行する。
「ん……!?」
そのまま、目を閉じていた咲夜に、口付けで流しこんでいった。
「…ん、んぅ………」
咲夜の口内に、甘いチョコレートの味が広がっていく。
いや、これはそれだけなのだろうか?
咲夜はしばし、目を閉じながら、それを受け入れ、流し込まれるチョコをコクコクと飲み込んでいった。
「ん……プハ。それが、私からの贈り物よ。ありがたく受け取っておきなさい」
ニコリと笑うレミリアは、顔を真っ赤にする咲夜にそう言うと、余った残りのチョコを咀嚼して、一人先に、自分の寝室から出て行く。
「………」
咲夜は腰を抜かしたようにして、床に尻餅をついていた。
※
日が昇っている竹林の中、因幡達は思い思いに自分が作ったチョコを交換していた。
昨日の新聞を見た因幡は、殆どの物が朝早くからつくり、この行事に参加したのである。
「師匠、どうぞ!」
ここにも一人。鈴仙は、自分の師である永琳にチョコを渡していた。
「ありがとう。うどんげ」
笑顔で受け取る永琳だが、その顔は何処か冴えない。
鈴仙は、そんな自分の師を不思議に思った。
「何か、あったんですか?」
「え? べ、別に何でもないわ。少し体調が優れないだけよ」
永琳は、自分の表情が暗くなっているのかと思い、しばし目を閉じて、深呼吸しながら整える。
表情が冴えない理由はあった。
朝早く、永琳は輝夜の元へとチョコを渡しに行っていた。
だが、輝夜は何処にもいなかった。
書置きも何もなく、昨日の夜にはいたはずの大切な人は、突如姿を消したのだ。
永琳は、そんな消えた輝夜が何処かに行く理由に、一つだけ心当たりがあった。
だが、それが本当ならば、昨日好きだと言ってくれたあれはなんだったのか。
永琳は溜息を吐きつつも、暗い表情をしないように、笑顔を保つ。
きっと、事が終われば輝夜は帰ってきてくれる。
それが、憎悪するほど、愛しているもう一人の想い人の所に行ったとしてもだ。
「レイセ―ン」
そんな永琳の考えの範囲外で、鈴仙へと駆け寄る妖怪兎の因幡てゐ。
「私もチョコを作ったから食べて~」
ラッピングされたチョコを鈴仙に渡そうとするてゐだったが。
「……」
貰う側の鈴仙は警戒していた。相手はあのてゐだ。
「どうしたの?」
「……何か、仕込んでないでしょうね?」
ニコニコと鈴仙に笑顔を振りまくてゐに、鈴仙は直球で質問する。
このチョコは、普通か? と。
「ひ、酷い! そりゃいつも嘘を吐いたりいたずらしたりする私だけど…大切な人へ贈る行事と聞いて一生懸命作ったのに!」
ヨヨヨとその場で泣き崩れるてゐだったが、演技っぽいその状況に、傍から見ていた永琳は、冷めた顔で見ていた。
「…! ご、ごめんてゐ。疑ったりして……そうよね、こんな時までいたずらなんか普通しないわよね」
だが、鈴仙はそうは思わなかったらしい。てゐの崩れる様を見て、急いで中からチョコを取り出す。
「じゃあ、ありがたく頂くわね」
鈴仙はバキっと、チョコを勢いよく口で割り、口の中で咀嚼していく。
「…うんうん、甘い……わ?」
だが、その顔が徐々に、青くなっていくのはどうしてだろうか。
「か………」
鈴仙は身体中全身を駆け巡る震えに。
「からいいいいいいいい!」
身悶えするように、食べていたチョコを床に吐いた。
「辛い、辛い…! 何なのよこのチョコ!?」
涙目になりながら、舌を出してその場で地団駄を踏む鈴仙。
「カカッタナ、アホメ」
そんな鈴仙を見て、いつの間に離れたのか。10メートル程放れた所で、黒い笑いをしながらてゐは立っていた。
「てゐゐゐゐゐ!!」
鈴仙は騙された事がわかり、その場で残っていたてゐのチョコを握り潰す。
「今日と言う今日は! 許さないんだから!」
悪鬼となる鈴仙に、てゐはフハハハハという笑いと共に脱皮のごとく逃げ出していた。
「……はぁ」
そんなやりとりを見ていた永琳は、笑顔が何処に行ったのか。溜息を吐く。
永遠亭は、永琳を除いて、賑やかに行事を満喫していた。
※
「見えてきました!」
椛の叫び声と共に、早苗も神社を目視する位置まで来ていた。
そのまま博麗神社の境内へと、直下降に降りる二人。
「あら、また珍しい組み合わせね」
声のした方へと振り向けば、そこにはお茶を啜りながら、暇そうに神社の中で座っている霊夢の姿があった。
「こんにちは霊夢さん」
挨拶する早苗に、霊夢は手を上げて返す。
「椛と一緒なんて、何かあったの?」
「あ、文様の代わりに! 今日の行事の取材を回らせて戴いています!」
霊夢と面識があるのか。椛は背筋を伸ばして答えていた。
「…文の代わりって」
「昨日無理をしすぎて、体調を崩されたんですよ。文さん」
流暢に説明を加える早苗だが、霊夢は少し首を傾げながらお茶を啜る。
「そんなヤワじゃないと思うんだけどなぁ……本当に体調を崩したの?」
勘が鋭いのか。霊夢は文が倒れたと言う話を信じられないような感じであった。
「えぇ、今は自宅で療養中です」
早苗はそんな霊夢にニコリと笑ってそう言った。内心バレナイものかとヒヤヒヤしていたが。
「お? 先客か。よ」
そこに、境内に向かって降りてきた二人がいた。
「こんにちは、魔理沙さん。…そちらの方は?」
早苗は後ろを振り返り、声をかけてきた魔理沙と、見慣れない二本の角の生えた少女が降りてきたのを見た。
「伊吹萃香だよー。貴方は、守矢の風祝?」
「東風谷早苗と言います」
お互い、自己紹介をして、お辞儀をする。
「珍しいな、早苗と椛がここに来るなんて」
魔理沙は肩に袋を抱えながら近づいてきた。
「とりあえず、ほら」
早苗と椛にラッピングされたチョコを渡す魔理沙。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「霊夢、お前にも」
「あ、私も作ってきたからもらって!」
魔理沙はそのまま神社の中で座っていた霊夢にも袋からチョコを取り出す。
萃香も駆け寄って大きなラッピングしたチョコを霊夢に手渡した。
「ありがとう」
霊夢は座ったままチョコを受け取ると、ビリビリと包装を破って星型のチョコを取り出し、そのまま口に頬張った。
「…ん、甘いわね」
「それでも甘さ控えめなんだぜ?」
魔理沙は霊夢の食べる様を見てから、キョロキョロと辺りを眺める。
「文はいないのか? てっきり来てると思ったんだけど」
「あ、文様は…」
「体調を崩したそうよ。昨日無理しすぎて」
ずずずとお茶を啜りながら、椛が言いかけた事を、霊夢は魔理沙に言った。
「なに…? それ、本当なのか?」
「えぇ、本当です。文さんは今自宅で療養中ですよ」
早苗は、魔理沙が驚く顔を見ながら話に加わる。
「あちゃー、そりゃ可哀想だねぇ。折角幻想郷中を回っていたみたいなのに」
萃香は文が体調を崩した事にそう言うって、ポリポリと自分の頬を掻く。
「文さんの代わりに、私達で今日の行事を取材して回っているんです」
「あー、だからここに来たのか」
早苗と椛がここにいた理由がわかったのか、魔理沙は納得したように声を上げた。
「けど、それなら残念だったわね」
「? 残念?」
「ここに本格的に妖怪達が集まるの、夕方からよ」
霊夢はそう言って、後ろを指差す。
霊夢が指を差した方向を見る面々は、居間に広がる大量に包装されたチョコの山を見て驚いた。
「紫が今、贈り物を用意できない妖怪達に夕方ここで行事をやろうって言って回っている最中なのよ」
「…なるほど」
霊夢の言葉に早苗は納得する。確かに、それは残念な事であった。
もう少し時間が経たねば、妖怪達が行事をする風景は撮れないだろう。
「…ん? 紫って、八雲の大妖怪の事ですか?」
「ええ、そうよ?」
霊夢は魔理沙のチョコを食べ終わったのか、今度は萃香の包装したハート型チョコを取り出して、かじる。
「……ブッ!?」
だが、2、3度咀嚼した後、急にチョコを吹いていた。
「ゴホ…ゴホ…! ちょっと萃香、これ、どれだけお酒混ぜたのよ!?」
「ん? ドボドボと」
むせる霊夢に萃香は笑うようにそう言った。
「ドボドボって…まともに食べられないのだけど」
「アハハ、無理して食べて」
困った顔をしながら、萃香は霊夢にチョコを食べてくれという。捨てられるのは正直嫌な萃香であった。
「…徐々に食べれば、食べられるかしら……」
そんな萃香の言葉に真面目に考える霊夢。
「あの、霊夢さん。その紫さんの事なのですが…」
早苗は神奈子のお使いの用件を言うべく、チョコを見ながら悩む霊夢に声をかけようとするのだが。
「こんにちは。……何だか、珍しい組み合わせの面々ね」
霊夢の周りで話していた面々は、境内の方からした声に振り向いた。
そこには、片手に鞄を背負ったアリスが立っていた。
「おー」
魔理沙はアリスの作ってきた物に、感嘆の声を上げていた。
「よく一日でこんなの作れたな」
アリスが持ってきたものは、魔理沙の色に合わせてか、黒い毛糸のマフラーだった。
早速ぐるんと首に巻く魔理沙。
「ほんと、よく間に合ったわね」
霊夢のは、赤に白とストライブのマフラーだった。魔理沙と同じように早速首に巻いてみる。
「ありがとなアリス」
「ありがとうアリス」
お礼を言われ、アリスは少し照れくさそうに目をそらした。
「べ、別に気にしないでいいわ。魔理沙からはチョコだって貰っているし…」
アリスの手には、ラッピングされた魔理沙のチョコがしっかり握られている。
「いいなぁー」
マフラーを巻く霊夢や魔理沙を見て萃香は物欲しそうに見ていた。
「いいですねぇ…」
同じように早苗はそんな魔理沙と霊夢を見る。日が昇っているとはいえ、まだこの時期は少しばかり寒かった。
「……しゃ、写真いいですか?」
そんな魔理沙や霊夢のマフラー姿を見て、椛はカメラを取り出し、レンズにその姿を納める。
そんな事を、どれぐらいしていたか。
「さてっと」
魔理沙は置いてあった袋を背負いなおして、箒に跨る。
「夕方まで時間があるからな。私は紅魔館に行くが」
「あ、私も行くわ。パチュリーにも渡してあげないと」
魔理沙の後ろをついていくように、アリスはついていく。
「私は紫にチョコをあげるから、ここで待とうかなー」
「あ、私も紫さんに用があるのでここで待ちます」
早苗と萃香は、紫に用があるためここに残ると言う。
「椛はどうする? 取材というか、写真を撮るなら、一緒についてくるか?」
魔理沙はしどろもどろしている椛に声をかける。
早苗がここに残ると聞いて、どうしようか迷っている椛だったが。
「…じゃ、じゃあ一緒に行きます」
妖怪達が本格的にここに集まるまで時間があるなら、それまで色々な所で取材をするべきと考えた。
「よし、じゃあ行くぜ」
魔理沙を先頭に、アリス、椛と日が昇っている青空へと飛び立つ。
博麗神社に残る面々からその姿が見えなくなるまで、そうはかからなかった。
※
人里から少し離れた山の中、妹紅は一人、川原のせせらぎを聞きながらじっと水面を見ていた。昼頃に慧音は、寺子屋を開いて子供達と一緒に授業をしている所であって、それの邪魔にならない為にここに来たのだ。
「はぁ…」
朝方に作ったチョコを未だに妹紅は、慧音に渡せないでいた。
照れくさいのもあったが、あの天狗が書いた新聞の内容には、大切な人、想い人へと贈る行事と書かれていただけあり、どうしても意識してしまったのもあった。
私は、慧音の事を大切に思っている。
妹紅は、水面を見つめながらも、ぎゅっと拳を握り締めた。
だが、大切に思っていても、永遠に生きる身である事が、妹紅の行動全てに束縛をかける。
好きであればあるほど、もし、慧音がいなくなってしまう日の事を考えると、妹紅は自分が耐えられるのか? と自問自答するようになっていた。
答えは決まって否だ。
悠久の時を生きてきた身なのに、孤独になる事が怖いと感じる日が来るとは思わなかった。
「…くそ」
妹紅は、一瞬、自分の心に浮かび上がった顔に、不快げに声を上げる。
自分と同じように、悠久の時を生き続けている相手。
初めてあいつを見たときは、自分が女だという事も忘れ、綺麗な人だと思った。
帝に惚れられ、周りの男共にも求婚を迫られ、せせら笑うように難題を押し付け、最後には月に帰ろうとした、あの馬鹿姫。
私は、その求婚を迫る中に、ただ自分の父親がいたというだけで、許せなかった。
アイツのおかげで藤原の姓を持つもの達は立場が悪くなり、没落していった。
だが、そこで私はそんな人生だと笑えばよかったんだ。
そう思えば、今こうして、水面を見て悩む事なんてせずに、慧音にも会わずに朽ちれた。
妹紅はわかっていた。輝夜を怨むのは、筋違いなのだと。
けれど、怨まねば、憎しみを増やしていかねば生きていけなかった。
喜びでは薄かった。
悲しみでも足りない。
普通に生きる事すら出来ない。
怒り。それだけが自分を保ってられる感情だった。
「…輝夜、お前は私をどう思っているんだ……?」
水面に語るように、妹紅は呟く。
それは決して返ってこないはずの呟き。
「憎悪する程に好きよ。妹紅」
だが、思えば通じるとでも言うのか。
妹紅は声のした方へ振り返る。
そこには、何千年も経つと言うのに、私と同じように、変わらぬ姿で輝夜はいた。
「……よく、私がここにいるってわかったな」
妹紅は立ち上がる。徒手空拳のまま、輝夜を睨む妹紅は、既にさっきまでの思考をかっ飛ばして、いつでも弾幕を撃てる体勢を取る。
「わかるわよ。好きな人の所なら」
だが、輝夜はあくまで隙だらけだった。
微笑むように妹紅の元へ一歩一歩、近づいていく。
「…私はお前の事が大嫌いなんだが」
「えぇ、知っているわ」
妹紅は撃つべきか迷う。今なら、確実に殺せる。例えリザレクションしようとも、沸き立つ憎しみを止める理由等何処にもない。
だが、妹紅は撃てない。
「どうしたの? 撃たないの?」
首を傾げ、微笑む輝夜は、何処までも綺麗に見えて。
「…くそ!」
それ故に、恐ろしい。
妹紅は輝夜を見ないようにして、輝夜に手を向け、弾を撃つ。
だが、照準も合わしていない弾は、輝夜の横をかすめるようにして明後日の方向に消えていく。
「…妹紅、好きよ」
歩みは止まらない。輝夜が一歩近づく度に、妹紅の心臓は跳ね上がる。
「貴方の事が、憎悪する程に好き」
囁くように言われ続けるその言葉。
「やめろ……」
妹紅は首を振る。
どうしてそんな事を言うのか。
「私は、お前の事が、大嫌いなんだよ…!」
泣きそうになる自分に、必死に虚勢を張り続ける。
とうとう、距離は零になり、妹紅の顔に輝夜は手で触れる。
「妹紅は、今日は何の日だか知っている?」
自分の頬を撫でる輝夜に、妹紅は動けなかった。
まるで、蛇に睨まれた蛙である。
「今日は、大切な人へと贈り物をする行事なのよ」
輝夜の言葉が心の底で沈んでいく。
「だから、貴方に、私から贈り物をあげるわ」
輝夜の顔が、徐々に近づいてくる。
それを、私はただ呆然と見ているだけで―――
「駄目だ! 妹紅!」
慧音の声が聞こえた途端、私の身体から炎の翼が生えていた。
「…チッ」
舌打ちをしながら、飛ぶように下がる輝夜。
「……慧、音?」
無意識に声に反応して、妹紅は火の鳥を輝夜に放っていた。
「大丈夫か!?」
朦朧としている妹紅に、慧音は駆け寄る。
「あ、ああ…」
駆け寄る慧音を見ながら、妹紅は首を振って、動かなくなっていた身体に力を入れる。
「…はぁ」
妹紅が完全に動けるようになったのを見て、輝夜は溜息を吐いた。
「邪魔をするのね。ワーハクタク」
「当たり前だ。貴方は今、妹紅に何をしようとした」
慧音は睨みつけるように輝夜を見る。
「何って、キスよ。見ていてわからなかった?」
そんな慧音の視線を受け流すように、輝夜はクスリと笑う。
「…貴方は」
慧音は全身をわなわなと震わせる。
「ワーハクタク、貴方では妹紅を幸せに出来ないわ」
だが、輝夜はきにせず言葉を紡ぐ。
「半獣の貴方は歴史を飲み込む事しか出来ない。生きられても精々100年。そんな貴方が、どうやって妹紅を幸せにするの?」
輝夜は慧音が気にしている事を言い切った。
妹紅を、幸せに出来るのかと。
「……貴方に、言われる筋合いはない!」
慧音は吼える。
「私は妹紅を幸せにしてみせる! 例え先に死のうと、貴方がずっと生き続けようと! 私は妹紅の心の中に、ずっと生き続けてやる!」
激昂するようにそう言い切る慧音に、妹紅は、再び固まった。
「……」
それは輝夜も同じようであった。目を見開いて、慧音を見ている。
「ハァ…ハァ…」
言い切った慧音は、未だに輝夜を睨み付けたままだ。
「…はぁ」
輝夜は、溜息を吐く。まさか、ワーハクタクがこんな事を言うとは、思っていなかった。
「いいわ。そこまで言うなら、今回は退散しましょう」
輝夜の周囲が光り輝いていく。
「また来るわ、妹紅」
最後にニコリと、妹紅に笑いかけ、輝夜はそこから消えるように移動した。
「慧音……」
輝夜が消えたのを見て、妹紅は、肩で息をする慧音に声をかける。
「…! 妹紅!」
振り返った慧音は、泣きそうな顔をしながら、妹紅に抱きつく。
「け、慧音?」
「よかった……妹紅は、まだ此処にいてくれた」
震える慧音は、妹紅を抱きしめながら、そこにいることを確かめているようだった。
慧音は寺子屋で子供達を帰した後、直ぐにここに走ってきて、妹紅に口付けをしようとする輝夜を見て、ギリギリ間に合ったのである。
「…私は、何処にもいかないよ」
妹紅は、そんな慧音を抱き返す。
「ずっと、慧音が死んでも、ずっと一緒だから」
―――心の中に、ずっと生き続けてやる
慧音が最後に言った言葉に、妹紅は、幸せになる方法を見出せたかもしれない。
慧音が死ぬまで、たくさんの想い出を作っていけば、私は慧音がいなくなっても、きっと耐えられる。
だって、私の心の中に、居続けてくれるのだから。
「…慧音」
妹紅は懐に入れてあったチョコを思い出す。
少し涙目の慧音の手の平に、妹紅はチョコを置く。
「今日は、大切な人へ、贈り物をする日だから」
「…私も」
慧音もスカートのポケットから、チョコを取り出す。
「私も、大切な人へ、贈らせてもらう」
そう言って妹紅の手の平にチョコを置く。
二人は笑い合うように、渡し合ったチョコを同時に頬張る。
それは、何処までも甘くて、忘れられない味になってくれる事だろう――――
※
お昼を過ぎ、三時のおやつ時。
白玉桜の居間で、妖夢は主である幽々子が自分のチョコを食べる様をじっと見つめていた。
「…? どうしたの~?」
「あ、い、いえ。おいしいですか?」
妖夢はサッと目を逸らして、顔を赤くしながらたずねる。
「ええ、とっても。妖夢も食べなさい~」
「量が少ないですから…幽々子様の為に紫様が用意してくださったんです。私が食べるわけには行きません」
妖夢は丁寧に断った。一つは自分が作った物だが、行事を教えてないのだ。何故自分が作ったか問われたら、ボロが出かねない。
妖夢は幽々子が自分のチョコをおいしいと言ってくれるだけで、十分満足であった。
顔を赤くしながらも、ニコニコと、無意識に笑みが出てきてしまう。
「…? 変な妖夢ね」
そんないつもの妖夢を、疑問に見つめながらも、幽々子はチョコを頬張っていった。
同時刻、三途の河にて。
小町は昨日の事も忘れ、再び地面に大の字になってサボっていた。
「あー、いつ見ても空は真っ白だねぇ…」
流石に寝るのは怖いのか、霧で覆われている空を見上げながら、小町はぼーっとしていた。
そう滅多に何度も四季様が来ることはないだろう。
昨日はたまたま運が悪かっただけだ。
小町はそう思い、ひたすら霧が立ち込めている空を見る。
「…そういや、四季様。昨日あの新聞を持って帰っちゃったな…」
天狗がどんな方法で、あの四季様を納得させる記事を書いたのか、少しばかり興味があったのだが。
「……まぁ、私には関係ないか」
「えぇ、関係ありませんね」
独り言を言っていたのに、何故か返ってくる言葉に、小町はバッと身を起こして声のした方へと振り返っていた。
「し、四季様…」
気配もなく、近くまで来ていた自分の上司に、小町は青ざめた表情をする。
「小町、サボっているように見えましたが?」
「そ、そんなサボってなんていません! 少し転がっていただけですから…!」
必死の弁明だったが弁明になっていなく、小町は嫌な汗を掻きながら、どうにか切り抜けられないかと思ったのだが。
「…まぁ、今のは見なかった事にしてあげます」
上司である映姫が、こんな事を言うのは初めてだった。
「え、…え?」
小町はその言葉が始め、わからなかった。
「代わりと言ってはなんですが、小町。目を閉じて口を開けなさい」
小町はその言葉に、説教じゃなくて体罰ですかと思った。
しかし言われた通りここはやらなければならないだろう。
一瞬の痛みを取るか、長い長い地獄のような説教を取るか。
どっちとも取りたくない。
「……はい」
小町は諦めるように目を閉じて、口を開けた。
ぎゅっと目をつぶって、迫る痛みに耐えようと、身体に力を入れていたのだが…
「…?」
痛みは一向に来ない。
代わりに、口の中に何か入ってきた。
「ん……?」
小町はそれを咀嚼する。
甘くておいしかった。
「もう、目を開けていいですよ」
そう言われ、小町は目を開ける。
目の前には、視線を逸らして、少し照れたような顔をする映姫の顔があった。
「…? 四季様、これは…?」
「昨日の天狗が言っていた事です。今日は、大切な人や、想い人へ贈り物をする行事だと。小町、それでしっかり働きなさい」
それだけ言うと、映姫は顔を赤くしながら、自分の仕事場へ戻る。
「……え、え?」
小町は時間が経つにつれ、口に入れられた物がお菓子だとわかり。
「えーーー!?」
上司である映姫が言った言葉を理解して、絶叫するように、小町は顔を真っ赤にしたのであった。
※
「見えてきたぜ」
博麗神社から一時間程立っているだろうか。
空は快晴、青空が広がる中、霧の湖を越えた魔理沙、アリス、椛は、並ぶようにして飛びながら、紅魔館へと向かっていた。
「…あれが、紅魔館」
椛は、前方にそびえ立つ大きな屋敷を見ながら魔理沙やアリスに聞こえないぐらいの声で一人呟く。
文や、他の天狗からは話を聞いてはいたが、実際紅魔館に来るのは初めてであった。
文からは、危険だが面白い場所と話を聞かされ、文が紅魔館から怪我をして戻って来たときも、笑ってそう話していたのを、椛は思い出していた。
(……文様)
椛はぎゅっと拳を握り締め、暗い表情をする。
今頃、何をしているだろうか。まだ眠っておられるのだろうか。
取材が出来ない悲しみに、まだ泣いておられるのだろうか。
「……椛!」
自分の名が聞こえてきて、ビクリと、椛は横で名を呼んでいた魔理沙の方へと振り返る。
「門の方で降りるが、大丈夫か?」
魔理沙は心配そうな顔をして椛の事を見ていた。
「だ、大丈夫です」
「…ならいいが」
健気にそう言う椛に、魔理沙は、それ以上何も言わなかった。
紅魔館の門の方へと降り立った三人は、門の前に立つ紅美鈴に歩み寄る。
「よ」
「こんにちは」
「こ、こんにちは!」
三者三様、美鈴に挨拶をした。
「こんにちは。今日は強行突破しないのね」
美鈴はそんな三人に笑いながらお辞儀をする。
「今日は行事を満喫しようと思ってな。ほら」
魔理沙は袋からチョコを取り出し、美鈴に手渡す。
「? いいのかしら? もらって」
美鈴は渡されたチョコと魔理沙の顔を交互に見つめる。
「ああ、私にとっては、みんな大切な人だからな」
にかりと笑いながらそう言う魔理沙に、美鈴はクスリと笑う。
「なら、もらっておくわ。ありがとう」
「……」
そんなやりとりを椛は早速カメラで撮っていたが、横にいるアリスは、少し憮然としていた。
「…後ろのは見ない顔ね?」
カメラを構える椛を見てか、美鈴はそっちの方に顔を向ける。
「わ、私は」
「文の代わりに今、行事の風景を取材して回っている、天狗の椛だ」
椛が言おうとする前に、魔理沙はそう美鈴に説明する。
「ふーん……」
「パチュリーにも、渡しに行きたいのだけれど、通っていいかしら?」
やりとりに痺れを切らしたのか、椛の横に立っていたアリスは美鈴に聞く。
「ええ。来たら通すように今日は言われているわ」
そう言うと、美鈴は紅魔館の門を開け、三人を先導するように美鈴は先を歩く。
「じゃあ遠慮なく入らせてもらうぜ」
開けられた門を潜り、三人は美鈴の後を付いていくように紅魔館へと入っていった。
「まだかなぁ……」
紅魔館の二階の大広間にて。
フランドールは椅子に座りながら、足をぶらぶらさせつつ、目の前に出されたチョコレートケーキを頬張っていた。
横にはフランドールが今朝早くから作った、包装されたチョコが置かれている。
「直に来るわ。おとなしく待ってなさい」
そんなフランドールを見つつ、同じように椅子で座っていたレミリアも、紅茶を飲みながら待っていた。チョコは用意していなかったが。
「……」
無言で同じようにパチュリーも出されているチョコレートケーキを頬張っている。
さっきまで地下図書館にいたのだが、小悪魔のおやつの時間という言葉に、二階まで引っ張られてきたのだった。
「おいしいですか?」
小悪魔はそんなパチュリーにニコニコと笑いながら聞く。フランドールやパチュリーに出されているチョコレートケーキは、小悪魔からの物であった。
「ええ、おいしいわ」
そんな小悪魔に薄く笑いながら答えるパチュリーだったが、少しばかりいつもより表情は暗い。
パチュリーの横にも、包装されたチョコが二つ程置かれていた。
「…もし来なかったらどうしよう」
フランドールのその言葉に、パチュリーの表情も、更に暗くなる。
「…はぁ、咲夜。おかわりを頂戴」
レミリアは、そんな二人を見ながら溜息を吐きつつ、横に静かに控えている咲夜に、紅茶を飲みきったカップを差し出す。
差し出されたカップを手に取ると、咲夜は紅茶が入ったポッドを持ち、カップに注いでいた。
―――トントン
そこに、大広間の入り口の扉から、ノックをする音が聞こえてきた。
ガチャリと開けられたドアから、美鈴を先頭に、魔理沙、アリス、椛と入ってくる。
「魔理沙!」
魔理沙の姿を見て、フランドールは座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、駆け寄ってくる。
「よ。チョコを渡しに来たぜ」
駆け寄ってくるフランドールに魔理沙は再び肩に背負っていた袋から一つチョコを取り出す。
「私も用意したんだよ! ほら!」
魔理沙が取り出したチョコに合わせるように、フランドールは自分が作ったチョコを魔理沙に差し出していた。
「お。私の為に作ってくれたのか」
フランドールが作った事に驚く魔理沙だったが、笑顔のままそれを受け取ると、フランの頭を撫でる。
「ありがとな」
「えへへ」
頭を撫でられ、フランドールは照れくさそうにそれを受け入れていた。
「はい、パチュリー」
そんなフランドールと魔理沙のやりとりを通り過ぎて、アリスは鞄から作ったものをパチュリーに渡していた。
「ありがとう。チョコにしては、大きいけれど、開けてみていいかしら?」
「ええ、いいわよ」
パチュリーは包装された袋から中身を取り出すと、紫色のマフラーが出てきて、感嘆の声を上げる。
「これ、いつから作っていたの?」
「昨日の夕方からよ。流石に、ギリギリになって焦ったけれど」
苦笑しながらそう話すアリスにパチュリーは微笑んだ。先ほどの暗くなっていた表情はそこにはない。
「ありがとう。私からも、はい」
パチュリーはマフラーを入れてあった袋に一度戻すと、横に置いてあったチョコの一つをアリスに渡す。
「ありがとう」
それを素直にアリスは受け取る。
「…? 見ない顔が一人いるけれど」
そんなやりとりを見ていたレミリアだったが、最後に入ってきた椛の姿を見て、首を傾げる。
「いつもの天狗の記者の代わりだそうです。今日の行事を取材しているとか」
「こ、こんにちは!」
真っ直ぐ美鈴はレミリアの方に来て、そう報告する。
その後ろに、椛はついていくようにして来ていたが、レミリアに美鈴が報告するのと合わせるように挨拶をした。
「あの鴉天狗の代わり…?」
「しょ、哨戒天狗の犬走椛と言います! あ、明日の新聞の為に、今日の行事の風景を撮らせにもらいに参上しました!」
大きな声でそう言う椛に、レミリアは、横に控えていた咲夜と顔を見合わせるようにきょとんとしていた。
「体調を崩したねぇ…」
贈り物を渡し終え、大広間にいた面々は、揃って咲夜の入れた紅茶と、魔理沙が作ってきたチョコを頬張っていた。
一体いくつ作ったのか。魔理沙が持ってきた袋の中身には、まだ包装されたチョコが見え隠れしている。
「あの天狗にしては、ありえない事ですね」
控えていた咲夜も、椛から聞かされた文の体調不良に、立ったまま魔理沙から手渡された星型のチョコを食べつつ、レミリアのぼやきに答えていた。
「そうね。体調が崩れていても、ネタの為なら這ってでもきそうなのに」
レミリアは、咲夜のその言葉に同意する。以前、ここを取材しに来た時に、わざわざ行くなと言ったのに、フランドールがいる地下室へと足を赴く程だ。
多少の体調の崩れで、今幻想郷に起きている大量のネタを逃す奴でもないはずなのだが。
「まぁ、どうでもいいけれど」
レミリアはカメラで今、皆のチョコを食べている様子を撮っている椛を見る。
こんな部下がいるのだ。文が体調を崩したとしても新聞が絶える事もないのだろう。
見ていたのがわかったのか。
椛は魔理沙やフランドールが交換し合ってチョコを食べていた様を撮り終えると、こっちに近づき。
「しゃ、写真いいでしょうか?」
「…いいわよ。撮るからには、ちゃんと撮りなさい」
椛の応対に、苦笑しながら答えるレミリアであった。
※
「ほら、あーんして」
太陽の畑にて。幽香は、少し寒い寒風の中、メディスンに自分が作ったチョコをあげていた。
「おいしい?」
「うん。おいしいよ!」
ニコリと笑うメディスンに、幽香は微笑むように返す。
昨日の天狗の行事に乗る形で、幽香はメディスンの為にチョコを作ってきたのだ。
「それはよかったわ。じゃあ、まだまだあるから、ゆっくり食べて頂戴」
幽香は再び手に持つ袋から、一口サイズのチョコをメディスンにあげる。
「ん…」
目を閉じて、口を開けるメディスンは、差し出されるチョコを再び口に頬張っていた。
「おいしい?」
再度幽香はメディスンに聞いた。おいしいか? っと。
「うん!」
「そう」
ニコリと笑う幽香。
だが、先ほどの微笑むような笑みではなく、何処となく、邪悪な笑みなのは何故だろうか?
「じゃあ、まだまだ、いけるわよね?」
幽香は日傘を地面に置くと、メディスンの肩を掴む。
逃がさない為に。
「う、うん」
メディスンは幽香の顔つきが変わったのがわからなのかったのか。
「はい、あーん」
幽香は手に持つ袋から、再びチョコを掴むようにして取り出す。
掴むようにして、取り出されたチョコは、袋とは不釣合いなまでに、縦長に大きなチョコであった。
「ゆ、幽香。こんな大きいの…」
「食べられるわよね? さっき、頷いたのだから」
チョコは、幽香の腕ぐらいはあろうか。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
メディスンはそのチョコを、口を大きく開けて噛み砕いていく。
「ん、んぐ」
涙目になりながら食べるメディスンに、幽香は微笑むとは違う、恍惚とした表情をしながら、メディスンが口に入り切らないチョコを必死になって食べるのを見ていた。
いつも虐めているリグルとは、また違う表情。
自分が虐められていると理解できない程のその純真さ。
これだから、何かを虐めるという行為をやめられない。
「…お楽しみの最中悪いのだけれど、いいかしら?」
幽香は声がした方へと、メディスンの肩に手を置いたまま、顔をそちらに向ける。
「あら、隙間の」
首を向けた方向には、扇子で口元を隠す紫が立っていた。
「何の用かしら? 八雲の大妖である貴方がここに来るなんて」
幽香は恍惚とした表情から一転、怒った顔を紫に向けていた。
わざわざメディスンの泣き顔見たさにあのような大きなチョコを作ったのだ。
それを邪魔された怒りは計りしれない。
「そう怒らないで頂戴。用件だけ言ったらすぐに退散するわ」
そんな幽香の表情を受け流し、紫は扇子を閉じて用件を言う。
「今日の夕方、博麗神社で今日の行事を妖怪達がするために、集まる事になっているわ。興味があるなら来て頂戴」
「…? 貴方がそんなボランティアみたいな事をするなんて、珍しいわね」
幽香の言葉に紫は苦笑する。
「貴方も知っている、魔法使いとの約束なのよ。贈り物を用意出来ない妖怪達にも手引きしろって」
「…魔理沙からの?」
「用件を伝えたのは貴方で最後よ。他の妖怪や妖精、幽霊には一通り伝え回ったわ。それじゃあ、お楽しみの所悪いわね」
紫はそれだけ言うと、隙間を開き、その場を後にする。
「…んぐ。幽香?」
隙間に消えていく紫を見送る幽香だったが、あの大きなチョコを食べ終えたのか。メディスンが幽香の名前を呼んだのに反応するように振り向いた。
「ん。食べ終わったのね」
先ほどまでの怒った表情は何処に行ったのか。幽香はニコニコと微笑みながら、口元にチョコが付いているメディスンの顔を見る。
「さっきの人は誰?」
「…私の、古い知り合いよ」
メディスンのその言葉に幽香はそう返す。メディスンの口元についていたチョコを、指で拭いてやりながら。
「メディ。夕方頃に博麗神社に行こうと思うのだけれど、一緒に行かないかしら?」
「神社に?」
「ええ」
わざわざ紫が回っているぐらいだ。大体の妖怪は神社に来る事だろう。
メディスンとこうして二人で行事をするのもいいが、賑やかなのも、またいいかもしれない。
「うーん…私は、幽香が行くって言うならいくよ。スーさん達、寝ちゃってるし」
「じゃあ決まりね」
メディスンの言葉に幽香は微笑み、チョコが入っていた袋を懐に入れると、地面に置いていた日傘を手にとって差し、もう片方の手でメディスンの手を握りながら、太陽の畑から一緒に博麗神社へと向かった。
※
「…紫、遅いわねぇ」
「…そうですねぇ」
博麗神社の縁側にて、霊夢と並ぶように、紫を待つ早苗と萃香は霊夢が入れてくれたお茶を啜っていた。
特に誰が来るという事もなく、のんびりと時間は流れている。
「困りましたねぇ…神奈子様からのお使いで来てるのに」
「神様から楽しい話があるから来て欲しい、だったっけ?」
隣で一緒にお茶を飲んでいた萃香が早苗にたずねる。
「はい…私もどんな話をするかよくわからないのですが」
早苗は、霊夢と萃香に今日ここに来た用件を言っていた。
勿論、文の今現在の本当の状況を伏せながら語っているだけあって、何か文の為にするような話だとは、言えなかったが。
「でも、珍しいわよね。神奈子から話があるから来いって呼ばれている事自体が」
霊夢はお茶を啜りながらぼやく。
「そうですねぇ」
早苗はその言葉に相槌を打ちながらも、内心ヒヤヒヤしていた。
霊夢の勘の鋭さは一級品だ。納得できない事にはずっと疑問を持つ性格でもあり、文の体調不良の件にも、未だに納得が出来ていないように見えた。
「…あら?」
お茶を啜る三人であったが、霊夢は、神社の鳥居を潜る見知った人物を見て声をかけた。
「こんにちは、霖之助さん」
境内へと入ってきたのは霖之助だった。
手を上げて声をかけた霊夢に、同じように手を上げて返す霖之助。
「こんにちは、霊夢。今日の行事の為にチョコを作ってきたんだが」
霊夢の元に歩いてくる霖之助は、隣に座る早苗と萃香を見て、一度お辞儀をする。
「こんにちは、早苗、萃香」
「こんにちはー」
「こんにちはだよー」
霖之助は二人と面識があった。早苗とは霊夢との付き添いで香霖堂を訪れた時。
萃香とは、神社で開かれる宴会の時に、度々会っていた。
霖之助は包装されたチョコを懐から取り出すと、霊夢へと手渡す。
「ありがとう。霖之助さん」
受け取る霊夢はニコリと微笑む。
早速霖之助から頂いたチョコを、包装を破って、霊夢は口の中に投げ入れる。
「…魔理沙は、来ていないみたいだね」
霖之助はそんな霊夢の様子を見てから、いつも大体一緒にいる魔理沙がここにいない事に首を傾げる。
「かなり前にはいたわよ。紅魔館にチョコを渡しに行ったけれど」
「そうか」
霊夢の言葉に霖之助は傾げていた首を戻し、再び懐からチョコを取り出すと、霊夢に渡していた。
「なら、これを魔理沙に渡して置いてくれないか?」
「? 戻ってくるまでいられないの?」
霊夢の尤もな言葉に、霖之助は首を横に振った。
「人里のお世話になっているお店の方にも、顔を出しに行こうと思ってね。夜までには着いておきたいんだ」
「…ああ」
霊夢は霖之助のその言葉に納得する。今からここを立たなければ、人里に着くのは真夜中であろう。
飛べる自分が一緒に着いていってやれればいいが、夕方からここで行事を行う身としては、神社の巫女がいないと色々と締まらない。
少し待って、魔理沙に乗せて行ってもらえばとも思ったが、霖之助は恐らく魔理沙の実家に顔を出しに行こうとしている事から、それも無理そうだ。
「それじゃあ、仕方ないわね」
霊夢は諦めるように、霖之助を引き止める言葉を言わなかった。
代わりに渡されたチョコを懐に入れる。
「ああ、じゃあ頼むよ。早苗や萃香もまた」
「はい、お気をつけて」
「またねぇー」
境内の外へと出て行く霖之助に、早苗や萃香は見えなくなるまで手を振った。
「またねぇ~」
霖之助が見えなくなるか否か言う所に、もう一人、紛れるように声に入ってきたのは、きっと気のせいじゃないだろう。
霊夢は早苗や萃香とは反対から聞こえてきた声に、顔を向けた。
「遅かったわね、紫」
振り向いた先には、にこりとこちらに笑いかけ、縁側に座る紫の姿があった。
「えぇ、少し手間取ったわ。ただいま。霊夢」
「お、紫遅い~。待ってたんだよ~」
萃香も気づくように紫に声をかけ、縁側から立ち上がって、持っていたチョコを紫に渡す。
「はい、今日の行事の」
「あら。ありがとう」
萃香から渡されるチョコを紫はもらうと、早速包装を破って、口には入れるには少し大きめのチョコを、端をかじって食べてみる。
「仕事をした後の甘い物はおいしいわね~」
「…」
言っている事はまともなのだが、確かそれは酒が大量に入っているチョコじゃ? と、先ほど霊夢が2、3口食べて、結局諦めた萃香のチョコを思い出す。
諦めたチョコは、捨てるのも惜しいので、作った本人である萃香自身が食べたが。
顔色一つ変えずに萃香のチョコを咀嚼していく紫を呆然と見る霊夢であったが、早苗は気にせず、チョコを咀嚼している紫の前に立ち、お辞儀をする。
「こんにちは、八雲紫様」
「こんにちは、風祝の。貴方がここに来ているのも珍しいわね」
紫は正面に立つ早苗に、今気づいたかのように会釈すると、ニコリと笑う。
「ここに妖怪達が集まる行事の話を聞いてやって来た…ってわけでもなさそうね」
「はい、神奈子様からのおつかいがありまして。紫様に面白い話があるから来てほしいと」
先ほどまでの穏やかな顔は何処に行ったのか。早苗は真剣な顔をして、その事を言った。
「…あの神からの?」
紫はその言葉に、しばし考える素振りをしたが、あの神の面白い話と聞いて、思い当たる節がなかった。
「……んー、今日行かないと駄目かしら?」
日はまだ昇っているとはいえ、夕方までそんなにない。
「…出来たら、今すぐに行ってもらえないでしょうか?」
早苗のその言葉に悩む紫だったが、溜息混じりに萃香のチョコを噛み砕いて、周囲に二つ隙間を開けた。
「式符」
言葉と共に、一つの隙間から狐の耳らしき物が出始め、徐々に藍の顔が出てくる。
「お呼びでしょうか?」
身体が全部出てきて、地面に音もなく着地した紫の九尾の式、藍は、紫の方を見ていた。
「藍、夕方までに私が帰らなかったら、来た妖怪達に、神社にあるチョコを配ってあげて頂戴」
「わかりました」
その言葉に頷く藍。
「霊夢、貴方もお願いね」
「ええ、わかってるわよ」
霊夢が頷くのを見て、紫は縁側から立ち上がり、残っていたチョコを食べ切ってから、藍が出た隙間とは違う隙間の方へと身体を入れていく。
「気をつけてねー紫」
隙間に消えていく紫を萃香は手を振って見送り、早苗も無言でお辞儀をして見送った。
※
「じゃあ、その集まりに後で私達も行かせてもらうとするわ」
紅魔館の玄関にて。博麗神社へと戻る魔理沙、アリス、椛を、レミリア、パチュリー、フランドール、咲夜は見送ろうとしていた。
美鈴は早々に門番の仕事に戻った為、門の所に行けば会える事だろう。
「ああ、きっと色んな奴が来るから、そんなに早くは終わらないと思うぜ」
魔理沙は見送る紅魔館の面々に一度手を上げて玄関の扉を開ける。
本当なら、このまま同行してもよかったのだが、日が出ている内に行くのは自分一人ならともかく、フランドールを連れてとなると、まずいと判断したレミリアであった。
「絶対行くから待っててね!」
フランドールが横で笑いながら手を振って、外へと出て行く魔理沙達を見送る。
レミリアは横目でそれを見つつ、内心溜息を吐いていた。本来なら、フランドールを外に出すのはまずい事だ。自身の妹であるフランドールの力は、全てを破壊してしまう。
それが制御できているのならともかく、未だに不安定。
(…けれど)
外に出て、そんなお祭りじみた行事に、参加させてやりたかった。
レミリアは万が一を考え、紅魔館勢全員で行くことを先ほど魔理沙達に言った。
もし万が一、不慮の事故があった場合、全員でフランドールを抑える為に。
だが、それを聞いたフランドールはとても嬉しそうだった。
みんなで一緒に行くんだね、と。そう楽しく言って
その言葉に、レミリアは、今までフランドールを孤独にさせてしまっていた後悔に、本当の全員で行く意味を、フランドールに教えてあげられない悲しみに一瞬囚われた。
しかし、それも一瞬だ。
扉は閉められる。魔理沙達の姿が見えなくなって、レミリアは踵を返す。
「じゃあ、神社へと行く支度をして頂戴、咲夜」
「かしこまりました」
横に控える咲夜は、それを聞くと、支度をする為に、一階の廊下へと歩いていく。
「パチェはどうするのかしら?」
「私は、時間まで地下図書館にいるわ。今日はあまり本を読んでいないから」
あの後、大広間でお茶会のように行事を満喫していたパチュリーは、本を読みに戻るという。
「そう。フランは、どうしたい?」
横にいるフランドールにレミリアは優しい表情をして聞く。
「私は………んー」
聞かれたフランドールはどうしようか悩む。
このまま地下の自室へと戻るのもいいかもしれないが、行くまで少しは時間がある。
「…お姉様と、一緒にいちゃ駄目かな?」
一人よりは二人の方がいい。
フランドールは、一人にはなりたくなかった。
「いいわよ。それなら私のお部屋で、咲夜が支度を整えるまで、お茶でも飲んでようか」
レミリアはその言葉に頷く。
「うん!」
フランドールはそれを見て、ニコニコとしながらレミリアと一緒に2階へと昇っていった。
「じゃあな美鈴!」
門から飛び立つようにして、魔理沙達は、門番をしていた美鈴に最後に手を振る。
「また~」
美鈴は手を振るようにしてそれに返していた。
数分と経たず、紅魔館が見えなくなり、空へと上がった魔理沙達は、日が徐々に沈み始めている空を、少し遅めに飛んでいく。
「いい写真は撮れたか? 椛」
魔理沙は空に上がって、紅魔館が視界から見えなくなった辺りで、椛に聞く。
「…私は、文様じゃないですから、いい写真が撮れたかはわかりません」
「そっか」
「ですが」
椛は少し微笑むようにして。
「皆さん、とても楽しそうでした」
レンズ越しに見た風景は、皆とても楽しそうに行事を送っていたように、椛は見えた。
「……あの天狗の部下にして置くには、勿体無いわね」
横でアリスは、溜息混じりにそう呟く。純粋すぎるその言葉に、アリスは椛と文が同じ天狗とは思えなかった。
「ああ、全くだ」
魔理沙は笑うように、それに同意していた。
※
どれだけ、寝ていたか。
身体が鉛のように重い。昨日の疲れが抜ききれてないのか。
ぼやけている頭に、文は布団から身を起こさず、横になったまま寝室の天井を眺めていた。
何もせず、部屋に籠もった事なんて、今まであっただろうか。
「……」
昨日の事が脳裏に浮かぶ。
朝から必死になって新聞を配っていた。
家に密かに侵入したり、いきなり殺されかけたり、人里でお願いをしたり、マヨヒガではお酒を飲まされそうになったり、閻魔様に説教されたり、演奏会を聴きにいったり、屋台にも顔を出しにいったり――――
「…う」
それが、何で。
枯れ果てたと思った涙が、再び目に滲む。
馬鹿にされる事はあった。同じ天狗の身として、どうしてこんなゴシップ記事みたいな事を書くんだと。
後ろ指を差された事だってあった。どうして、このような事しか書けないんだと。
けれど、止められるなんて事はなかった。
どうしてだろうか。何故、取材に行っては行けないのだろうか。
今日の行事の風景を撮れば、皆の幸せそうな顔が、撮れると思ったのに。
どうして、人間と妖怪が共に行うというだけで、止められるのか。
「…ひ……くぅ……」
あぁ、考えれば考えるだけ涙が滲む。
寝てしまえ。それが一番いい。今日の日を考えないで寝てしまえば、また次の日からきっと頑張れる。
頑張れる、はずなんだ。
※
「…なるほど」
妖怪の山にある、守矢の神社の居間に、二神と大妖が、テーブルを挟んで座っていた。
紫は隙間からすぐにここへと来て、神奈子と諏訪子から、早苗に言われた、面白い話というのを聞いていた。
「しかし、わかりませんわ。何故、貴方方神々が、そこまでたかが一人の鴉天狗を助けようと思うかが」
「なあに、神も人の子ってだけさ」
紫の疑問に、神奈子は笑って返す。
「それに頑張って皆に配ったと言うのに、報われないのは些かね」
「……本当に、人間のような事を言うのですね」
何処かで似たような台詞を紫は聞いたと思い、紫は笑う。
「いいわ。力をお貸ししましょう。私もこの行事に手を貸した身。邪魔されたとあっては不愉快ですから」
「ありがとう、八雲の」
諏訪子は礼をする。
「紫でいいですわ。諏訪子様」
そんな諏訪子に笑って返す。
「なら、私も諏訪子でいいよ。共に殴り込みに行く身だ。神と妖怪の種族なんて関係ないしね。神奈子もいいだろ?」
横目で見る神奈子は頷く。
「早苗がおつかいを果たせなかったら二人で行く気だったがね……紫が居てくれれば心強い。呼び捨てで構わないよ」
神奈子は律儀に紫と呼び、自分も呼び捨てで構わないという。
実際、神と妖怪とはいえ、力関係は互角である。それをわざわざ紫は、律儀に神だからと様をつけていたり丁寧な口調をしていたのだが。
「なら…神奈子、諏訪子。事を起こす前にお酒でも飲まないかしら?」
それがいらないとわかった紫は、友人に話すように、隙間から杯とお酒を取り出す。
「お、いいねぇ」
神奈子は紫の取り出したお酒を見て、自然と顔がにやける。
「……程々にしときなよ?」
そんなにやける神奈子に溜息を吐きながらも、紫から杯を貰う諏訪子であった。
※
紫が妖怪の山に行ってから、随分と経った。
霊夢は言われた通り、境内の前に集まっている妖怪達に、居間に山積みにされているチョコを一つずつ、藍や、式で呼んだ橙に、椛を待っていた早苗も、手伝ってくれる形で配布し始めている。萃香は、お酒を大量に何処からか運んできていたが。
既に夕方、妖怪達の本格的な活動時間より少し早いが、行事は滞りなく始っていく事だろう。
「…こんばんは」
「こんばんは。貴方達も紫に呼ばれて来たの?」
今霊夢の前にいるのはプリズムリバー楽団の長女である、ルナサだった。
「ああ。華がないと面白くないと言われたものでな…ここで演奏をして欲しいと言われているんだ」
「そう」
空中にいるメルランやリリカは、既に演奏をする準備に入っている為か、神社の空で待機していた。
「なら、もう始めちゃっていいわよ。時間的には開始の予定だから」
「…わかった。じゃあ、やらせてもらおう」
ルナサは霊夢に一度礼をしてから、メルランやリリカが待つ空に上がると、演奏を開始する。
「こんばんは」
空に浮かぶルナサ達を見上げていた霊夢は、声をかけられた方に顔を戻す。
「あら、雪妖怪」
「チョコをもらいにきたよ!」
「こ、こんばんは…」
顔を向けた方向には、氷妖精のチルノを挟むようにして、左にレティ、右に大妖精がいた。
「チョコを、頂けるかしら?」
「はいはい。ちょっとまってね」
レティに催促され、霊夢は後ろに置かれているチョコの山から、三つ取る。
「はい」
順番に霊夢は渡していく。
「ありがとう」
「レティ達も、紫に呼ばれて?」
霊夢の言葉に、レティは頷く。
「湖の所で、チルノ達と遊んでいたらいきなりね…。冬の間に、こんな行事に誘ってもらえて嬉しいけれど」
レティは本当に、嬉しそうに答えていた。春にはまた何処か、涼しい所にいなければいけない彼女にとって、その言葉は本心なのだろう。
「なら、楽しんでって頂戴」
「そうさせてもらうわ」
霊夢にお辞儀をして、境内の端へと移動していく三人。
霊夢はその後も、顔見知りではない妖怪達や妖精にもチョコを配っていた。
日が沈みかけた頃に。
「戻ったぜ」
「ただいま」
「戻りました」
神社の鳥居を滑るようにして、空から紅魔館へと行っていた三人が帰ってきた。
「遅いわよ」
霊夢はそんな三人に溜息を吐く。既にチョコの山は半分程になっていた。
「悪い悪い、少し長居しちゃってな」
魔理沙は悪びれた様子もなく霊夢に謝る。
「あ、椛さんお帰りなさい!」
横で配っていた早苗は、椛を見ると駆け寄ってくる。
「戻りました、早苗さん」
「魔理沙、霖之助さんが昼間に来たわよ」
横ではしゃぐ早苗と椛を見つつ、魔理沙に霖之助が昼に来た事を話す。
「え? ほんとか?」
「えぇ。貴方にチョコを渡す気だったみたい」
霊夢は霖之助から預かっていたチョコを魔理沙に手渡す。
「こーりんは帰ったのか?」
「人里に行くって言ってたわよ。魔理沙の実家に行くんじゃないかしら?」
実家と聞いて、魔理沙の顔が少し強張る。
「……魔理沙?」
強張った魔理沙の顔を見て、横で聞いていたアリスが、不思議そうな顔をした。
「…ん、いや、何でもないんだ」
横にいたアリスに、強張っていた顔から微笑むように顔を変え、魔理沙は背負っていた袋の中へと霖之助のチョコをしまう。
「レミリア達も後で来るってさ。紫は?」
辺りを見渡してみるが、紫がいない事に気がつく。
「一度戻ってきたけど、守矢の神社に向かったわ。何だか神奈子と話があるみたい」
首を横に振って、そう答える霊夢に、魔理沙は首を傾げる。
「神奈子が紫に…?」
「魔理沙~」
霊夢と話していた魔理沙だったが、後ろから自分の名を誰かに呼ばれ、そちらの方に顔を向ける。
「お、幽香じゃないか」
魔理沙が振り向いた先には、片手に日傘を持ち、メディスンと手を握って歩いてくる幽香の姿があった。
「…ここまで大所帯なのも、凄いわね」
夕日は沈み、既に太陽の代わりに、月が出てきている。
博麗神社は妖怪達で溢れていた。
皆思い思いに渡されたチョコを交換し合い、頬張っている。
「…まぁ、半分宴会地味てるよな」
先ほど萃香が何処から引っ張ってきたのか、大量の酒瓶も投入され、チョコを肴にお酒を
飲んでいるようなものだ。
「いいんじゃないかしら。皆楽しそうだし」
「まぁ、な」
空では月を背にプリズムリバーの演奏が絶えず流れ、下では妖怪達が楽しそうに笑っている。
霊夢と魔理沙とアリスは、神社の縁側でその光景を見ながら、片手にチョコを持ち、もう片方でお酒を妖怪達と同じように飲んでいた。
神社の居間に合ったチョコの山も、大分減ってきている。
「もうそろそろレミリア達がきそうね」
夜中に来るというならそろそろだろう。
「噂をすればなんとやらってな。来たみたいだぜ」
魔理沙は神社の鳥居の方を指差す。
そこには、レミリアを先頭に、フランドールや咲夜、パチュリーや門番の美鈴まで来ていた。
その後をぞろぞろとメイド妖精がついてくる。
「……全員で来たわね」
その集団を開けるように、妖怪達は左右に分かれていく。
「遊びに来たわよ」
先頭にいたレミリアは、ニコリと霊夢に笑いかけて、そう言った。
「…まぁ、いらっしゃい」
溜息を吐きながら霊夢はそれに答える。
その周りで、絶えず椛が写真を撮る光があった。
※
月が昇る中、永遠亭の入り口で永琳は立っていた。
「…寒いわね」
独り言のように呟くが、誰も聞いてはいない事だろう。
今永遠亭の中では行事を満喫したからか、そのまま宴会のような状態になっていた。
因幡達の騒ぐ声が玄関にいても聞こえてくる。
永琳は、未だに帰ってこない輝夜を待っていた。
手には永琳が作ったチョコが握られている。
「…寒いわよ。輝夜」
ぼやく声に返ってくる声はない。永琳は白い息を吐きながら、顔を俯かせる。
ここまで帰ってこないと、本当に帰ってこないかもしれないと不安になる。
輝夜の事が好きだ。
それは永遠に、ずっと永遠に続く想いのはずだ。
だけど輝夜には、もう一人想っている人物がいる事も知っている。
藤原妹紅。輝夜を追って、自ら不死となる事を選んだ者。
「………」
何で、妹紅の所に行ってしまうのか。
自分を好きだと言ってくれたのに。
私は、輝夜の何なのか。
考えている事が自虐的だとわかっていても、時間が経つ度に、永琳は不安になる。
本当は、私の事なんて、どうでもいいんじゃないかと。
「…輝夜」
「……永琳?」
独り言のように呟いていた言葉に、返ってくる言葉が聞こえ、永琳はバッとそちらの方に顔を向ける。
そこには、月を背に佇む輝夜の姿があった。
「…? 泣いているの?」
「あ、い、いぇ。泣いてなんかいないわ!」
永琳は必死に自分の顔を腕で拭う。
いつの間にか涙まで出てきていたらしい。
「お、お帰りなさい。遅かったのね」
「え、ええ。ちょっと手間取っちゃって……」
永琳の慌てっぷりに、輝夜は驚く顔をしたままだった。
輝夜は永琳の慌てるような姿をあまり見た事もなければ、泣いている姿なんて初めてみたかもしれない。
何より、自分の名前を呼んで泣いているとはどういう事か。
「永琳?」
「な、何かしら?」
「もしかして、寂しかったの?」
輝夜のその言葉に、永琳は顔を真っ赤にする。
「だ、誰が寂しいなんて」
「だって、今、私の名前を呼んで泣いていたじゃない」
「き、きのせいよ」
永琳はごまかすように顔を真っ赤にしながら輝夜から目を逸らす。
「本当に?」
そんな永琳をじっと見つめる輝夜だったが。
ふと、永琳の身体が小刻みに震えている事に気づく。
「永琳、ちょっと…」
輝夜は永琳の手を握る。
「か、輝夜?」
「……貴方、いつからここにいたの?」
永琳の手は氷のように冷たかった。
「え、ええと。夕方ぐらいから……」
正直に答える永琳に、輝夜は怒った顔をする。
「そんな時間からどうして……」
「……か、輝夜を待とうと思ったのよ」
握られる手の暖かさを感じながら、永琳は目を逸らしたまま答える。
「………永琳」
「どれだけ経っても……帰ってこないから、不安になって……」
「…ごめんなさい」
輝夜は少しばかり罪悪感にとらわれる。自分を想ってくれた人をほおって置いて、妹紅の所に向かった事に。
「い、いいのよ。私が勝手に待っていただけだから、輝夜が気にする事じゃないわ」
謝る輝夜に永琳は慌てるように答える。
「それに、ちゃんと帰ってきてくれたわ」
「……」
健気にそう言う永琳に。
「えい」
輝夜は抱きついた。
「ちょ、輝夜!?」
「寒いでしょうから、暖めてあげるわよ。……待たせて、本当にごめんなさいね」
ぎゅっと永琳の身体を温めるように抱きしめる輝夜は、永琳の胸にうずくまるように、もう一度謝った。
「…輝夜」
そんな輝夜に顔を赤くしながらも、永琳は抱き返す。
この時間が、永遠に続いてくれたらどんなにいいか。
叶わぬ願いと知りつつも、永琳は願う。
月を背に、二人はしばらく抱き合っていた。
※
「…何でこうなったか、誰か説明して頂戴」
「そうねぇ…贈り物をする行事に、流石にお酒はまずかったって事ね」
霊夢のその言葉に、横で萃香が配給したお酒を飲んでいたレミリアは、目の前に広がる光景を楽しげに見ていた。
レミリア達が来てから、宴会のようになっていた博麗神社は、益々盛り上がり、普段お酒をあまり飲まない連中がハイペースでお酒を飲んだせいか。
「や、やめてくれぇーーーー!!」
「アハハ! マリサマテー!」
「アハハ! マテマテー!」
「ニガサナイワヨ! マリサ! ゴホ! ゴホ!」
「パ、パチュリー様、無理をせずに…!」
「マチナサイ! マリサ!」
魔理沙を追いかけるフランドールやパチュリー、アリスに、何故かメディスンや小悪魔も一緒にいたり。
「アハハ~目の前に⑨が見えるわぁ~」
「チ、チルノちゃん! 駄目、見えたら駄目!」
追いかけている連中の余波を食らって、昏倒しているものがいたり。
「レティ、結局の所どうなのよ。あの氷妖精の事好きなんでしょ?」
「す、好きというか、私は別に……」
雪妖怪と花妖怪が神社の端で恋話をしていたり。
「…咲夜さ~ん、好きですよ~」
「ああ、はいはい。わかったから。私の身体をまさぐるのをやめてくれないかしら」
門番の悪酔いを介抱するメイド長がいたり。
「ちぇーーーーーーん!」
「ら、藍様!? 痛い、痛いです!?」
自分の式に、全身全霊で抱きつく九尾がいたり…。
「…はぁ」
「レイムさ~ん」
目の前の光景に溜息を吐きながらも、レミリアとは逆に座っていた早苗も既に顔を真っ赤にして、酔っ払い化していた。
「ワタシノ~ハナシヲ~キイテイマスカァ!?」
「聞いてる聞いてる。だから離れて頂戴」
「ウゥーキイテナイデス! ゼンゼンキイテナイデス!」
笑っていたかと思ったらいきなり泣き出したり、早苗の酔い方も始末に終えなかった。
「…アハハ、出来上がっているみたいだねぇ?」
萃香は顔を引きつらせて、早苗の状態を見ながらお酒を飲んでいた。
「萃香、明日からアンタ、しばらくお酒抜きね」
「ひ、酷い!?」
「元凶アンタでしょうが…」
頭を抱える霊夢に、レミリアは苦笑しながらもお酒を煽った。
「まぁ、楽しそうだからいいんじゃないかしら?」
上ではまだプリズムリバーの演奏が続いている。
「…そういえば、あの天狗は何処に行ったのかしら?」
霊夢はキョロキョロと辺りを見渡す。さっきまであれだけ写真を撮る音がしていたというのに。早苗の相手をしてほしいのだが。
「ウゥー? モミジサンデシタラァ~~ウエカラトルヨウナコトヲ~」
「上?」
霊夢は上を見上げる。
「あそこにいるわね」
レミリアはプリズムリバーの横を指差す。
「あ、ホントだ」
萃香もみつけたのか。
そこには、月を背にカメラを構える椛の姿があった。
「頑張るわねぇ…」
「アヤサンのタメにナリタインデスヨォ~。モミジサンハ」
早苗は、目から滝の涙を流すように、えぐえぐと霊夢に寄りそって泣く。
「文の代わりと言ってもねぇ…」
「アヤサン、ウエカラ~ジタクカラ~デルナッテ…」
「……は?」
今、早苗は何と言ったか。
「早苗? 今何て言ったの?」
「ダカラァ~~………」
言いかけた早苗がガクンと、力尽きたように霊夢に寄り添ったまま、落ちた。
「さ、早苗?」
「……すぅ………すぅ」
「ちょ、気になる事言ってるのに寝ないで!」
霊夢は寄り添う形で自分の胸元で落ちた早苗の胸倉を掴んで、ガクガクと揺さぶる。
「文は体調不良じゃなかったの!? おーい!」
「…すぅ」
「駄目ね。起きる気配がないわ」
どれだけ揺さぶられても起きる気配がない早苗に、横で見ていたレミリアはそう答える。
「……夢想封印ぶちこんじゃ駄目かしら?」
「ぶちこんだら、今度は起きられなくなっちゃうよ?」
尤もな萃香の発言に、霊夢は舌打ちし、眠る早苗を抱き上げる。
「…ちょっと、寝室に置いてくる」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい~」
レミリアと萃香は、早苗をお姫様抱っこする霊夢に手を振りながら、目の前で広がる光景を肴にして、お酒を飲み続けた。
※
「………」
静寂が、これ程耐え難い事があっただろうか。
妖怪の山の麓。
大天狗は、今起きている現実から目を背けたい状況であった。
部屋に控えている白狼天狗達も同じであろう。皆必死に、自身の身体が震えないように、歯を食いしばって耐えている事だろう。
大天狗がいる部屋は、天狗の長である天魔様が過ごすお部屋だ。
そこに、先程警備をしていた白狼天狗が、慌てるように駆け込んできた。
化け物が来ると。
大天狗はその表現に失笑する。妖怪の我々もその化け物だと言うのに、何故そのような言葉で報告するのかと。
だが、その表現が、今は間違っていない事を認めなければならない。
天魔様がいる今このお部屋に、紛れもない化け物が、三人立っていた。
「さて、何処からお話しましょうか」
横に並ぶように天魔と対峙するように立っていた一人、八雲の大妖が話を切り出してきた。
「…ここに来た事から、まずお話できないものか。八雲の大妖、洩矢のニ神よ」
天魔は口を開き、どうしてここへ来たか話せと言った。
「……貴方方の鴉天狗の一人が書かれている、文々。新聞というのを、天魔様はご存知でございましょうか?」
大天狗は、その言葉に驚いていた。
何故、この緊迫した状況でその新聞の名前が出る。
「…射命丸文が、出している新聞だな」
「ご存知のようで、話が早いですわ」
天魔のその言葉に、紫はクスリと笑う。
「でしたら、私達がここに来た理由も、おわかりになられるかと」
「……大天狗よ」
「は、はい!」
自身の名を呼ばれ、背筋を伸ばし、直立不動に立つ大天狗。
「確か、射命丸は自宅謹慎の命令をしていたな?」
「は、はい! 妖怪と人間が同じような行事をする事をそそのかした記事を書いて配っていたもので―――」
――――ガァァン!
大天狗が言い終える前に、神奈子は地面の床を、足で破壊して黙らせる。
「妖怪と、人間が同じような事をしちゃいけないってのかい」
「……よ、妖怪の威厳というものが…」
――――ガァァン!
大天狗が言いかけた言葉を踏み潰すように、今度は諏訪子が自分の床を破壊していた。
「そんな威厳、捨ててしまえ」
「う、うぅ……」
大天狗は、荒ぶる神二人に、何も言えなくなってしまう。
「…お二方、戯れはそこまでに」
怒気によって、他に控える天狗達も震えが止まらぬ中、紫は天魔を見る。
「天魔様、私達が今日ここに来たのは、射命丸文の邪魔をするなという事だけですわ。勿論、明日もし文々。新聞に、今日の行事の事が書かれてあったとしても、邪魔をしない事」
「……何故、そこまで射命丸の事を助けようとするのだ? そなたらはあやつの友人でもなければ、仲間でもないであろう」
天魔の言葉に三人はニヤリと笑う。
「私の言った事が、邪魔されたのが気にいらないから」
神奈子を筆頭に。
「大切な事が、書かれていたから」
諏訪子が間を取り。
「努力するものをあざ笑う程、誇りを捨ててはいないからよ」
紫が締めた。
「……そうか」
「天魔様、これは交渉でも説得でもなく゛脅し゛と言う事をお忘れなきよう。もし、あの天狗の身に何かあったり、邪魔をした場合」
紫は笑う、それは、強者だけが許される、邪悪な笑み。
「天狗という種族が、丸々この幻想郷から消えるかと」
それを最後に、三人は踵を返し、部屋から出て行った。
「…………肝が冷えたぞ」
三人が姿を見えなくなって、数分経ってから、天魔は安堵するようにぼやいていた。
「て、天魔様、いいのですか!? このままでは…」
大天狗は安堵する天魔に進言しようとするが、天魔は首を横に振る。
「あの三人を敵に回したら、先程の言葉が実現するぞ…」
天狗が幻想郷から消える。
あの三人がそれをしようと思ったならば、何の躊躇もなく、それを実行される事だろう。
「…神も大妖も味方につけるとはの…」
身内ながら天晴れだと、天魔は文に、心ながら賞賛を送ってしまった。
※
「はいはい、皆お開きよ~寝転がってないで帰って頂戴」
パンパンと手を打ちながら、霊夢は宴会の閉幕の音を鳴らす。
「またね」
「またな~」
「またくるわ」
思い思いに霊夢に挨拶をして、泥酔しているものは担ぐようにして、滞りなく神社から自分たちの帰る場所へと帰っていく。
「いやー、派手にやったねぇ」
神社で泊まる気満々の萃香は、霊夢の横で何処にも帰ろうとはしなかった。
「萃香、ここの後片付け、お願いできるかしら?」
境内に錯乱しているチョコの包装紙や、酒便等、霊夢一人で掃除するには荷が重過ぎる。
「してもいいけど……明日からお酒抜きの話を、ちょっと、考えてくれないかなぁ?」
頭を掻いて笑う萃香に、霊夢は少し考える素振りをする。
「はい、考えてあげたわ。やれ」
「ひ、酷い!?」
「半分以上は萃香のせいなんだから、自業自得よ。やらなかったら、御飯も抜かしてもらうわ」
「お、鬼ぃぃぃ……」
鬼は萃香じゃない、と内心突っ込みを入れたくなったが、突っ込まない。
泣く泣く自身の能力を使い、萃香は錯乱しているゴミを集め始める。
「あの…」
萃香の掃除をする様子を見ていた霊夢だったが、横から椛に声をかけられる。
「早苗さんは…?」
「早苗なら、完全に落ちちゃってるから、このまま神社で預かるわ」
神社の布団に転がして置いてある早苗は、起きる気配がなさそうだった。
「…椛は、今日の写真を記事にするのなら、戻った方がいいんじゃないの?」
「はい、では、早苗さんをお願いします」
霊夢に一礼をして、飛び立とうとする椛に。
「あ、椛」
先程早苗が酔っ払って言っていた件を聞こうとするのだが。
「? 何でしょうか?」
「……いや、何でもない。ごめんね、引き止めて」
紫が、まだ戻って来ていないのだ。
もし、早苗の言った事が事実ならば、紫と神様のお話とは、きっと文をどうにかしようとしている話なのだろう。
「? では」
椛は再びお辞儀をして、今度こそ月が輝く夜空へと飛び立った。
「…頑張りなさいよ、文」
椛が飛んでいく夜空に向かって、明日の新聞がちゃんと出てる事を祈る霊夢だった。
※
「………」
一日中寝ていたせいか、身体がだるい。
明日の新聞をどうしようかと思い、色々と頭を捻るが、何も浮かび上がってこない。
当然だ。明日は今日の行事の事を書こうとしていたのだ。それで頭がいっぱいだったのに、別の記事なんて考えていない。
「困ったなぁ…」
文は机に突っ伏すようにして倒れる。
もうこれは、明日も出さない方向で行くか?
「……はぁ」
その考えに、文は溜息を吐く。
自分が弱気になっているのはわかっているが、そんな考えが浮かんでしまう事も辛かった。
―――ドンドン!
机に突っ伏すように悩む文に、家の扉をノックする音が聞こえる。
「誰…?」
今は、自分は自宅謹慎中になっているというのに。
文は扉を開ける。
「ハァ! ハァ! あ、文様!」
「…椛?」
そこには、ゼェゼェと息を大きく荒げて、今にも倒れそうな椛の姿があった。
「どうしたの、そんなに息を荒げて…」
「あ、文様に、これを…」
椛は、背負っていた鞄から、カメラとフィルムを取り出す。
「これって…私のカメラじゃない?」
「きょ、今日の行事の風景を、自分なりに撮ってきたんです!」
「え…」
「文様! お願いです。これを使って、新聞を、明日の新聞を書いてください!」
椛のその言葉に、文は動揺する。
「……椛、それは、わかって言っている?」
「は、はい」
だが、動揺する文だったが、椛の言葉に、首を横に振る。
「もし、今日の行事を記事にしてしまったら、こんな事では済まないわ…私だけじゃなく、写真を撮りに行った椛も巻き込んじゃう」
「わ、私は」
「…山から追放されたら、私たち天狗は生きていけないわ……」
「い、いいえ! 大丈夫です!」
椛は、そんな弱気な発言をする文に、豪語する。
「もし、山から追放されても生きていけます! 文様が追放されても、私も共に行きます! 文様がどれだけ新聞を作るのに力を入れているか、私は知っているから!」
「…椛」
叫ぶように話す椛は、真剣な眼差しで、弱気になっている文に言う。
「知っているから…! 諦めないでください! そんなの文様じゃないです。私の知っている文様は、例え怪我をなさっても、笑って新聞を配りに行く強いお人じゃないですか…!」
気持ちが高ぶったのか、椛の目から涙が流れる。
「諦めるなんて事言わないでください……! そんなの、そんなの文様らしくないですよ………」
文の顔が、もう、椛は見れない。
椛は顔を俯かせるようにして、文の前で泣いた。
「う…うう…!」
「…椛」
そんな椛に、文は溢れる涙を指で拭ってやる。
「…わかったわ」
「え……」
「新聞、書きましょう」
その言葉に、椛は顔を上げた。
「そうね。何を私は弱気になっていたのか」
そこにネタがあるのなら、記事にするのが私ではなかったか。
どれだけ自分が怪我を負おうと、新聞を配るのが私ではなかったか。
「椛、手伝って頂戴、今から明日の新聞の原版を作るわ」
「は、はい!」
弱気な文はもういない。
今ここにいるのは、いつでもネタを探す為に、風となって幻想郷を回る文だ。
椛と文は、すぐに記事を作る為の作成に入った。
「どうやら、杞憂に終わったみたいね」
守矢神社で、その二人の様子を、紫、神奈子、諏訪子は隙間で見ていた。
「だから言ったろう。別に教えなくても、あの子らはきっと書くと」
「ふん、一番はらはらしていたのは神奈子のくせに」
笑いながら語る神奈子に、諏訪子はケッと悪態を吐きながら、紫が出したお酒を飲む。
文が一度首を横に振った時に、一番騒いでいたのが神奈子なのは、事実であった。
「ああん? 喧嘩売っているのかい、アホ蛙」
「そう聞こえたなら、そう聞こえたんじゃない? バカ蛇」
「まぁまぁ…」
口喧嘩をする二人を紫は微笑みながらなだめる。
「今は事がうまく行った事に乾杯しましょう。めでたく、終わったのだから」
「…まぁ、そうだね。悪い諏訪子」
「…いや、ごめん私も。揚げ足を取ったみたいで」
紫の言葉に合わせるように、ころりと態度を変える二人。
紫は内心苦笑しながらその心変わりを見つつ、三人で杯を、カチィンと打ち鳴らしていた。
※
「いつだって~♪ 隣にいる~♪ 強い~♪ フリして~♪ 泣いてる己~♪」
今日もミスティアは歌いながら、人里の外れで屋台を開く。
昨日の天狗が置いていった新聞を一枚貰い、ミスティアは屋台に来た人にある物を振舞っていた。
「お邪魔するよ」
「いらっしゃいませ~♪」
一通りお客が来ては去り、来ては去りが続いて今度は眼鏡をかけた男の人が入ってきた。
「注文いいかな?」
「注文の前に~♪ 今日は行事の日ですので~♪ これを貴方にあげましょう~♪」
ミスティアは横に作っておいた物を眼鏡の人に渡す。
「ん…? これは?」
「チョコバナナ~♪ 大切な人へと贈る行事と聞きましたので~♪ 私の大切な人は、私の歌を聴いてくれる人~♪」
「…はは、まさか。最後の最後で貰うとはね」
眼鏡をかけた男―――霖之助は、ミスティアから貰ったチョコバナナを頬張る。
博麗神社を発った後、人里にお世話になっている所に、チョコを渡しに行ってはいたが、貰うのはこれが初めてだった。
「おいしいね」
頬張ったチョコバナナは甘すぎず、と言っても苦いわけでもない。バランスよくチョコとバナナの甘さが合体していた。
「チョコバナナと合いますのは~♪」
「ワハー、遊びに来たよー、ミスチィー」
ミスティアが霖之助に次のを勧めようとした時に、闇を周囲に纏ながら屋台に近づく者が。
「あら、ルーミアも来たかー♪」
来たのは宵闇の妖怪である、ルーミアだった。霖之助の横に座ると、催促するように、カウンターを叩く。
「ミスチィーなんか頂戴~」
「じゃあルーミアにもこれをあげよう~♪」
チョコバナナをルーミアにも渡すミスティア。
「なあにこれ?」
「それはチョコバナナというものでねぇ~♪ 大切な人へと贈り物をする為に用意したんだぁ~♪」
「そーなのかー」
ミスティアの説明を聞いてか聞かずか、チョコバナナをおいしそうに頬張り始めるルーミア。
「とりあえず、お酒を貰えるかい?」
「はーい♪」
今日も、ミスティアの屋台は歌いながら切り盛りしていた。
次の日。
「号外~!」
「号外~!」
幻想郷中を飛ぶように、新聞が飛んでいく。
それは妖怪にも読まれ、人間にも読まれ、妖精にも読まれた。
表紙にはデカデカとこう書かれている。
幻想郷で起こった行事の風景! 人間、妖怪、妖精みんなやったよ!
皆それを見て笑い、笑顔で読んでいましたとさ。
なんかこう、物語に必要な要素が全て詰まっていて、かつそれが見事にマッチしてたといいますか。長文でしたが苦もなくさらっと読めました。
うう、うまく表現できない自分が恨めしい……
右のバーが残り少なくなっていくのがこんなにも寂しいと感じたのははじめてかもしれませんw
ちなみに自分はえーきさまでぴちゅりましt
後日談とかもあったら読んでみたいですね。
次回も期待しております!
誤字報告
神奈子が一つだけ「加奈子」になってました。
あとこちらも一つだけ 思いに思いに→思い思いに
それにしても、色々と甘い話が多かった。
お嬢様と映姫様で眼からチョコレートが・・・
買った本と書き上げた文章はなかなか減らせないものだけど、
特にはばっさり切ってしまう勇気も必要かと。
酒瓶のことでは?
ともあれ、とても良かったです
文には翼はありませんよ
鴉天狗だけど・・・
どうせなら、神社に集まった全員で、楽しい行事を広めてくれた文の為に何かして欲しかった気がします。
でも十分良い話でした。
そして美鈴の寝言と、美鈴と小町に文がしたことに噴きましたw あとメディをいじめるゆうかりんもゾクゾクきました。あとてるもこも。ごめんなさい変態です。
気になったのは紫が魔理沙を試すときに萃香が「鬼殺しだ」と嘘を吐いて魔理沙を騙したことです。「鬼は嘘を吐かない」ので、ここは黙っていた方がより鬼らしいと思いました。
>寺小屋
寺子屋です。全部で八つあります。CTRL+Fで探すと良いでしょう。
>最もな
尤もです。全部で三つあります。
>「2月12日。後二日ね
2が全角です。
>アリス邸にまず言った
行ったです。
>スカートのポケットにを
をが余計です。
>次に行くところは博霊神社
博麗神社です。
>フランドールと文が出会わした
出会った、または出くわしたです。
>隙間妖怪とでくあわして
出くわしてです。
>諏訪湖と神奈子は
諏訪子です。
>藤原の性を持つもの達
姓です。
>大量の酒便も
酒瓶です。
何度も読み返したのに気づかないとは、、私の目は腐ってますね。。
指摘、どうもありがとうございます。修正しました。
>「鬼は嘘を吐かない」ので、ここは黙っていた方がより鬼らしいと思いました
すいません。。違和感の一つ目それです。。どうしようか迷ったのですが、黙っていた方がやはりよかったですね。。
>神社に集まった全員で、楽しい行事を広めてくれた文の為に何かして欲しかった気がします。
これも…そうですね。。言われてみれば文を自宅謹慎にした事で考える視野が狭まってしまったかもしれません。
>文には翼はありませんよ
違和感二つ目がこれです。風録や花塚の立ち絵、ドットだとないのですが、、東方求聞史記の文の挿絵を見ると、翼らしきものがあるので、翼が生えているという事にさせて頂きました。
>長い長い ずっとローギア
確かに、今回の作品、前の作品の二倍の文章なんですよね…。長いと思われる方もいるかと思います。ローギア……んー(汗)テンポを遅くしすぎても駄目という事ですねぇ。精進します。
すばらしい、よかった、眼からチョコレートと言ってくれた方には、一言お礼を。正直キャラをここまで全開で出して話を繋げられるか不安でした。
後、批評、こうした方がいいのではないか? そう言って下さる方にもお礼を申し上げます。次の作品への視野、及び糧とさせて頂きます。
後日談を読んで見たいという方もいますので、それも少しばかり考えようかと思います。まとめてか、個人個人で書くかは未定ですが。
ただ、その、今更なのですが、自分は甘い話を書こうとするとどうも真面目な話を入れたくなるみたいで。。ご期待に応えられるような後日談を書けるか(汗)
少し長くなりましたね。すみません。では、これにて。
長さを半分、密度を倍にって感じで。
脱力して読めました。
一つのSSでこんなに泣いたのもひさびさです。
ほんと、作者に感謝!次回作にも期待しています!
もうそれだけしか感想は必要ないでしょう。
さすがに天魔様も幻想郷最強クラスの3人には敵わないよなぁ。
各キャラのいい部分を集めたような内容で楽しかったです
特に殴り込みの時の三人が格好よくて良かったです。
特に殴り込みの時の三人が格好よくて良かったです。
もし後日談もあったらぜひ読んでみたいです。
あと、お嬢様と映姫様のところで砂糖吐いた。
努力する者全てが報われる訳ではないが、少なくとも報われた者たちは努力していた。
そんな言葉を思い出させるお話しでした。
長い文章も自分はとても楽しめました。
半人半霊たる妖忌は少なくとも1000年以上生きてる事を考えると、半霊と半獣という違いはあれどどうかと
あと、このままだと天狗達の文への風当たりがきつくなりそうなんですが
が、それがいい。 と思わせてくれる作品ですね!
わざわざオリキャラ出すほどに重要な場面じゃねぇ気が。
あと何度も言われてますが長い。