注:多分結構な分量の「俺設定」が含まれます。許せる方のみお読みください。
「うん。圧倒的に知識不足ね、これは」
アリス・マーガトロイドは、言いながら、座りっぱなしで凝り固まった体を伸ばしていく。
もうかれこれ一日近くは机に向かっていただろうか。食事の必要はないけれども、研究途中の軽い食事というのは気分転換に最適だったりする。丁度時間も夕飯時だ。
本当ならば散歩も兼ねてその辺まで薬草や茸等の消耗品を採集に行きたいところだったが、外は生憎の雨だ。それも、傘をさせば凌げるような雨ならばまだしも、降っているのは霧雨だ。傘をさそうがレインコートを着込もうが容赦なく雨粒が衣服を濡らし体温を奪う。並の人間よりも丈夫とはいえ、さすがに体調を崩しかねない。
忌々しい。心の中でそう呟きながらも表情には出さずに人形に指示を飛ばす。視線はガラス窓に付いては流れる水滴を追っていた。と、重要なことに思い当たる。
「クッキーが無いじゃない」
これからとるのはイギリス式の仰々しいティータイムではないにせよ、さすがにお茶だけを飲むというのも味気ない。いつもなら、多少不精ではあるけれど、作り置きをしてあるクッキーで済ませるところだ。しかし、今はとある事情によりそれが無い。
というのも、昨日魔理沙が来たときに食べ尽くして行ったからだ。今度弾幕ごっこで勝った時には「節度」と「礼儀」という字の書きとりを五百回ずつやらせることにしよう。そんなことを考えながら、今度は表情も忌々しそうに窓を睨む。確かに外のあれも霧雨だが、憤りを向けるべきはもっと黒くて白くて子供っぽい霧雨だ。それを分かっていながらも、やはりあれもこれも霧雨なのだよなぁと益体もない思考に陥ってみる。
精々五秒程度だろうか。一つ瞬きをすると、書斎を出て台所へ向かう。上海人形に無言で指示を飛ばし、台所のテーブルにクッキーを作るための材料を並べさせる。「ふんふん♪」と鼻歌交じりにそれらをふるい、混ぜ合わせ、ねかせ、型で抜いていく。上海人形にオーブンの準備をさせ、ついでだからと余熱が終わるまで先ほどの研究をまとめることにした。
研究というのは、相も変わらず自律人形についてのものだ。昨日の昼に魔理沙から襲撃を受け仕方なく紅茶をふるまっていると、眼前を幸運の女神が横切る幻が見えた。よく言われるように幸運の女神には後ろ髪がない。この機を逃してはならぬと魔理沙に餌を与えて黙らせ、自分は書斎へ引きこもり一気にノート20ページにわたる慨案を書き上げた。
夕方ごろに魔理沙は帰って行ったようだが、応対は蓬莱人形に任せておいた。それよりも書き上げた興奮を冷まし、理論に穴がないかを見直さなければならない。頭を切り替えるためにラジオ体操第二や豊胸体操、ヒップアップ運動などの日課をこなし再び机に向かう。ノートに書き連ねてある文章は当然粗筋のようなものだから、論理の飛躍や単なる発想に過ぎない部分も多々ある。それらを一つずつつぶしていかなければ、実現可能な理論にはならないだろう。そして、書き込みで紙面が真っ黒くなるまで詰めた結果が冒頭の一言だったりする。
気分転換などしなくとも、とるべき方針は決まっているようなものだった。
アリスだって自分は魔法使いであるという自負もあるし、実際に書斎の本棚には相当量の魔道書と自分なりの解釈を加えたノートが詰まっている。人後に落ちぬとまで言うつもりはないが、研鑚を怠っているとは思わない。『根暗なミカン』や『異聞馬頭教』といった、言ってしまえば物珍しいだけの本もあるにはあるけれど……。
ともあれ、これ以上はアリス自身の知識では補えないと判断した。ならばどうするか。
とりあえず自分より知識がある人間に、頼るとまでは言わずとも相談をするのが妥当だろう。
さて相談する相手だが、と思ってふと考え込む。
わからない部分があまりにアリスの専門とかけ離れすぎていて、誰に相談したものかも分からない。
これまでは、自分の操作しやすい人形を作る延長線上で自立思考型の人形を作ることばかり考えていた。そもそもアリスにとって「人形を作る」とは、「自分に操られる人形を作る」ということでしかなかった。勿論そう意図しないで作った人形もあるけれど、それらは自分の目標とは分けて作られたものだ。主にプレゼントとか。
転機は魔理沙との会話にあった。
「偶には遊びに行かないか。無明の丘なら今頃鈴蘭が盛りだぜ。会わせてみたいやつもいるし」
「へえ。魔理沙が他人を紹介してくれるなんて珍しいじゃない。どんな子?」
「アリスならきっと気に入ると思うんだけどな、人形なんだよ。しかも自分で考えたり動いたりするんだ」
「ふぅん。どうせ誰かが操っているんでしょ。まあ、魔理沙が騙されるくらいの腕の人形遣いなら会ってみたいとは思うけど」
「いやいやそれがな、どうも捨てられた人形が鈴蘭の毒で妖怪化した奴みたいなんだ。日本でいう九十九神ってのに近いと思う」
「……そう。九十九神ってあれよね、長年使った道具が妖怪になるっていう」
「そう、それだ。そいつはメディスンっていうんだが、メディスンの場合は年月よりも鈴蘭の毒のほうに原因があるみたいだけどな」
「そう。毒で人形が、ねぇ。ええ、そう、なら、いえ……」
「お、おい、アリス?」
「ちょっとごめん。思いついたのよ。クッキー食べてもいいけど散らかさないでね。蓬莱、相手をしてあげて頂戴」
そう言って、蓬莱人形に魔理沙を押し付け自分は書斎に引き籠ったわけだ。魔理沙はクッキーを食べ終えた後、蓬莱人形とチェスをして時間を潰していたらしい。アリスが戻ってきそうにないと分かるや、前述の通り一声かけて帰って行った。
しかし一夜明けて、この様である。
発想の転換を得たのはいいのだが、そもそも相談相手に選べそうな人材など幻想郷に多くはいない。
つらつら思い浮かべてみると、まず相談しやすそうなのは人間の里にいるワーハクタクだ。それに、人間の里にいる稗田阿求という少女も知識人として名が通っている。他には、永遠亭の薬師や亭主も長い年月を経てきているから相談相手としてはそれなりに頼れるかもしれない。幻想郷で賢者と言えば思い浮かぶのは境界の妖怪やその式だし、その繋がりで白玉楼の主人もまあ、ないとは言い切れない。その他となると、知名度でいえば紅魔館の主もなかなかだが、どうにも人格的に頼りたくないないものを感じる。あそこならば主よりも七曜の魔女の方が余程相談に向いている。他にも霊夢なら相談に乗るくらいはしてくれるだろうが、今回はどう考えても彼女に不向きな問題だ。
ここまで思い浮かべてから、取捨選択に移る。というか、最早選択肢など一つに絞られているに等しい。
まずワーハクタクと稗田の二人は、問題がどう考えても歴史に関係しないことから除外する。白玉楼の主は禅問答で返されそうなのでこれも除外。永遠亭の二人は解答を与えてくれるかもしれないがあまり近寄りたくない。境界の妖怪とその式は、まあ式はともかくあのスキマ妖怪に聞いてまともに返答があるなどと思ってもいない。それに、こと魔術に関する問題だ。彼女以上の適任者はいないだろう。
脳裏に浮かぶのは、紫色の長い髪と三日月型のアクセサリー、ジト目に不機嫌そうに閉じられた口。宴会以外ではあまり会話したことがなく、それも妙に陰鬱な雰囲気を纏っているため話しかけづらい。知っていることと言えば、喘息持ちで七曜を操る魔女ということだけ。以前あの図書館に出向いたときは宴会の異変の時で、ろくに話もせずに追い返された。
どうにも気乗りしないが、それでも座して天啓を待つよりは余程まともな選択だ。
さて手土産は喘息にいいハーブ入りのパウンドケーキにしようかなどと考えて、そういえばまだクッキーを焼いていなかったと気づく。
結局その日はクッキーを焼きあげてから軽く食事をとり、手土産は翌日に回し寝ることにした。
■□■□■
翌日、目覚めはなかなかに爽快だった。窓の外は木漏れ日が差している。早速パウンドケーキを焼き上げけると、クッキーも一緒にバスケットに詰める。いい香りだ。思わず鼻歌も出てしまうくらい、今日の天気は気持ちいい。
一日のスタートが気持ちいいと、そこから先の出来事が全て上手くいきそうに思えてくるから不思議だ。
出かける支度を整えつつ、頭の中ではパチュリー・ノーレッジという人物の人となりを考える。
パチュリー・ノーレッジは魔女。喘息持ちというのは身体的な特徴だけど、これはあまり考えなくてもいいと思う。精々魔術を使うのに多少不便だという程度だろう。寧ろ彼女の特徴は七曜を操ることにある。魔理沙から聞いた話だと、どうも普段は五行とそれらの相生相克で魔術を使っているらしい。日月の符はあまり使わないと聞く。ということは、おそらく彼女は陰陽道の中でも天文を修めている可能性が高くて……。って、こんなことは「七曜」なんだからすぐに分かりそうなものだ。ああ、そうすると占いとか得意なのかな。天文って言ったら大体占いがメインだし、五行七曜九曜まで含めれば……。うん。
でも話を聞くとどうも召喚術師、それも四大精霊だからウォーロックっぽいし彼女自身の名前もあれだし、少なくとも陰陽師ではなさそうなのよね。そうなると二系統の魔術を修めてることになるし。ああ、たぶん二系統どころじゃなくそれ以上か。そんなの化け物じゃない。
でも、錬金術なんかはあまり得意じゃないみたいなのよね。というか興味がないのかもしれない。知っているけどやらないとか。となると、私の想像が正しければ彼女は概念とか思考に重心を置く、理論家の魔女ね。実践にはあまり関心がなさそう。
だとするとそれは少し困る。私は実践するために悩んでいるのだし。
でもまあ、所詮想像は想像に過ぎないし、もしそうだったとしてもヒントは得られるだろうし良しとしよう。
そんなことを考えながらも、アリスは手際よく身支度を整える。服装は多少フォーマルなものを。と言ってもドレスなどではない。仮にも自分より年かさの相手を訪問するのだし、こちらはできれば教えを請いたい立場だ。普段着よりほんの少し型式ばったものを。
しかし何よりもアリスは少女なのだから、可愛らしさを忘れてはいけない。
姿見に映る自分の姿をざっと点検し、特に気になるところもなかったのでそのまま家を出る。
鍵はかけなくても問題ないだろう。来るとしてもどうせ金髪のくせに頭の黒い鼠くらいのものだ。盗られて困るものはあるけれど、取り戻せばいい。
そんなことを考えるともなしに考えつつ、紅魔館目指して飛びたった。
前回の教訓を生かし、今度は門番を通して正式に訪問することにした。また追い返されるかもしれないと覚悟をしていたが、拍子抜けするくらいにあっさりと通された。それでもパチュリーはまた不機嫌でいるかもしれないと、内心は決して安心しているわけではない。
図書館の扉を前に一つ深呼吸すると、意を決して扉を開ける。部屋の中は相変わらず薄暗く、所々にぼんやりと明かりが灯っている。光源が揺れているようには見えないから、魔術的な明かりなのかもしれない。
部屋の薄暗さに目が慣れてきた頃合いでゆっくりと歩き始める。周囲は威圧的なまでに高くそびえる本棚と、無造作に積み重ねられた魔導書の山。やっぱりここは知識の集積場なのだと感心する。
扉から真っ直ぐ歩いていると、やがて多少開けた場所に着く。そこには、豪奢とは言えないまでも重厚な造りの机があり、机の上には乱雑なまでに魔導書が積まれ、開きかけの本もいくつかある。そして本の山の隙間から、紫色の絹糸にも似た髪の毛が覗く。
無意識に足音を抑えて歩いてきたからだろうか、本の山の向こうでは気づいた気配が無い。
意を決して声をかける。
「おじゃましているわよ」
「……ええ、さっき小悪魔が言付けていったわ。珍しい人が珍しいくらいに正式に訪ねてきたって。ええ。まったく珍しいじゃない。こんな薄暗い場所にどんな用事かしら」
「少しばかり知りたいことがあってね。これ、お土産」
「あら……。ありがとう。そんなに気を使ってもらわなくてもよかったのに。いい香りね」
「え?」
「あら、随分とシンプルなお菓子じゃない。でも美味しそう。お茶の時にでも頂きましょう。小悪魔」
パチュリーが呼ぶと、どこからか赤い髪の少女が現れた。
「これ、お茶の時一緒に出してくれるかしら。ああ、つまみ食いしては駄目よ」
少女は図星を指されたかのように身震いすると、バスケットを受け取ってまたどこかへ消えていった。
「さて、どんな本をお望み? あなたのことだから、人形に関するものなんでしょうけど。まさか、ただお茶を一緒にどうかと思って、なんて言わないでしょう?」
「ええ、まあ、そうね。ただ、用事があるのはここの本ではなくてあなたになのだけれど」
「……あら。今日は珍しいものずくめじゃない。魔法の森の人形遣いが礼儀正しくここを訪ねてきて、その上本じゃなくて私に用事だなんて。まあいいわ。丁度急ぎの用事もないし、話し相手くらいにはなってあげられるわよ。ちょっと待って。お客様なんて滅多に来ないものだから余分な椅子は置いていないの。小悪魔」
パチュリーが呼び終わらないうちに、手に椅子を持って再び赤い髪の少女が現れた。机の上を見まわし比較的本の少ないあたりに座れるように椅子を置くと、またどこかへと消える。
「ありがとう。実は研究で行き詰っててね。あなたなら何か知っているかもしれないと思って」
言いながら、アリスは椅子に腰かける。本に視線を落とすパチュリーの横顔が見えるあたりに座ることになった。にらみつけているように見えるのは本を読むのに集中しているからだろう。一定のリズムで左から右に視線が動いている。
「あなたの研究ね。確か、完全に自律した人形を作ることだったかしら。私も興味が無いではないけれど」
「そう。ところがいるみたいなのよ。鈴蘭の咲いている無明の丘だったかしら、そこに動く人形が」
「聞いたことがあるわ。咲夜も会ったことがあるらしいし。そうね、あなたならもっと早くに知っていると思っていたのだけれど」
「生憎と、友人に恵まれていなくて」
「そう。よい友人は得難いものよ。私も欲しいくらい」
「吸血鬼のお嬢様がいるじゃない」
「彼女は、そうね。どちらかというと悪友かしら。もちろん良い友達であると言えなくもないけれど」
「うらやましいことね」
「紹介してあげましょうか? レミィは多分あなたのことを気に入るわよ。礼儀正しい人間は、ここでは好まれるから」
「遠慮しておきたいわね。畏れ多いわ」
「そう。なら私がなってあげましょうか、友人」
その言葉は恐らく冗談だったのだろう。アリスはそうと知りながら、真剣に返す。
「ありがたいわね。お願いするわ、友人。あなたとなら、楽しいお喋りができそうだし」
その返事に対するパチュリーの反応は、ある意味で予想通りだった。会話の最中も読み進めていた本から目を離し、アリスを見つめる。ほんの少し開いた口と本を読む時よりもかすかに開かれた瞳が、パチュリーの興味が本からアリスに移ったことを如実に物語っている。
「そう。人と話すときは本ではなくて人を見るものよ、パチュリー・ノーレッジ」
「そうね、ごめんなさい。じゃあ、用件を聞きましょうか、アリス・マーガトロイド」
挑発ともとれるアリスの言葉に、パチュリーは苦笑を以って返答とする。しばらく二人でクスクスと笑い、落ち着いたところでパチュリーが口を開いた。
「ごめんなさいね。つい、いつもレミィにしている癖が出てしまって。話す時は相手の顔を見るものだったわ。それにしても、宴会で話した時に遊びにきてと言ったのに、随分遅かったのね」
「あら、社交辞令でしょう?」
「ああ、そういう受け取り方もあったのね。私の周りには社交辞令を言うような友人なんていなかったから忘れていたわ」
「じゃあ、本気で?」
「ええ。前々からあなたには興味があったの。そうね、いい友人になれそうだと思っていたし」
「そう。悪いことしたわね」
「別に。で、鈴蘭畑の人形についてだったかしら?」
「そう。なんでも鈴蘭の毒を浴びて人形が妖怪化したっていう話だけど」
「ええ、そのようね。珍しいことに違いはないけれど、所詮九十九神の亜種といったところかしら」
「そう、やっぱりそういうことなのかしら。ああいう存在を自分で作り出すっていうのは、難しいものなんでしょうね」
「ああいう存在を作るのは、別に難しいことじゃないのよ。私だって作れるかもしれない。例えばこの書見台だってもう五十年も使えば意志をもつかもしれないもの。ここは幻想郷よ。有り得ないことじゃないわ」
「じゃあ、上海も……」
「ああ、それはないでしょうね。もしあなたが今後一切その上海人形を操ったりしないとなれば、もしかしたら化けるかもしれないけれど」
「それは……、ないわね」
「それに、あなたの目標は何? 偶然に頼ってありきたりな方法で自律人形を作ること? それとも自律人形の作り方を確立して自分で作り上げること?」
その言葉に、パチュリーの意図を察する。件の毒人形は鈴蘭の毒で妖怪化したのだから、上海人形も同様に放置すれば魔法の森の魔力で妖怪化するかもしれないということだろうか。しかし出来上がってしまったものは自分の理解の及ばないものでしかない。その場合、はたして自分は自律人形を作り上げたといえるのだろうか。
「……そうね。ああ、結構いいセンいってたと思ったんだけどなぁ」
「あら、いい着眼点よ。落ち込むことなんか少しも無いわ。少なくとも、ここに気づかなかったらあなたは自律人形は作れなかったでしょうね」
「え?」
「そうね、少なくともあなたが人形遣いとしての考え方以外の視点を持ったことは、自律人形を作るために有意義よ」
「そ、そう?」
思いもよらない褒め言葉に、アリスは多少戸惑う。そして、この七曜の魔女はもしかしたら自分の目標とする自律人形など容易に作り上げてしまえるのではないか、今の自分は一体何十年前の彼女と同じ場所にいるのだろうか、と嫌な気分にもなる。
「心配しなくてもいいわ。私も魔術を使うから、毒人形の話を聞いた時に色々と考えたの。あなたのことと併せてね。先に色々と考えていたから相談にも乗れるわ。そんなに落ち込むことじゃないのよ」
「別に、落ち込んでなんかないわ」
「そう。まあいいけれど。さあ、なんでも聞いてちょうだい。私が知っていることなら何でも教えてあげるわ。尤も、何もかも私から教わりたいと思うほど、あなたは素直じゃないでしょう?」
「そう、ね。ところでパチュリー、あなた随分自律人形に詳しいみたいじゃない」
「あら、私は知識と日陰の少女よ。このくらいお手の物だわ」
「そ」
「と言いたいのだけれどね。言ったでしょう? わたしは前々からあなたに興味があったって」
「ん?」
「私は人形に詳しいんじゃなくて、あなたに詳しいのよ」
「それはちょっと気持ち悪いわ」
「冗談よ。あなたが今日はいている下着の色も知らない程度にしか、あなたのことは分からない。でもね、同じ魔術を扱う者同士、分かることもあるのよ」
「……そう」
やはり、こと魔術においてはパチュリーにアリスは及ばない。純粋な知識量でいえば、どれだけの蔵書量を持つか分からないこの図書館全体に匹敵するほど膨大なのだろう。
「白のレースかしら」
「ちょ!!」
耳まで染めそうな勢いで赤面させると、座ったままスカートの裾を椅子に押さえつけた。
「暇にあかせて透視用に魔法を開発するくらいなんでもないわ」
「あなたねぇ」
「嘘よ。カマかけただけ。妙に型式ばった服装をしてるけれど、少女らしさを忘れないあなたなら見えないところにそういう要素を持ってくるかもしれないと思って」
「あなた、骨の髄まで魔女ね」
「あら、今更」
「友達なくすわよ」
「それは困るかしら。折角できた新しい友人だもの、大事にしないとね」
目の前の少女は本当に魔女なのだと、アリスは溜息交じりに理解する。今浮かべている微笑みにさえ裏があるのではないかと無用な勘繰りをしてしまう。勿論そんなことはないのだろうが。
「お茶にしましょう。険悪な雰囲気をほぐすにはそれが一番よ」
「マッチポンプもいいところね」
「自作自演なんて酷いわ。私はただあなたと楽しくお話ししようと……」
「顔を伏せて肩を震わせても無駄よ。今更泣き真似しても騙されないから」
「……」
「……え?」
「……」
「あの、パチュリー?」
「……」
「その、……ごめん」
「騙されてるじゃない」
「ああもう! ああもうってくらいにああもう! そんなことばっかりしてると本当に友達なくすわよ」
「え……」
「上目づかいにこっち見ても駄目だからね」
「あら、手ごわい」
机に突っ伏したくなるくらいにあっさりと、普段の表情に戻る。アリスが文句の一つも言ってやろうと口を開きかけると、唐突に十六夜咲夜が紅茶を片手に現れた。
「パチュリー様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
「こちら、お土産にいただいたクッキーとケーキでございます」
「おいしそうね。さあ、アリスも」
「……ええ」
「では失礼致します」
現われた時と同様に、物音一つ立てずに十六夜咲夜は立ち去った。
「相変わらず瀟洒ね」
「咲夜だから」
「そう。なら仕方ないわ」
「あら、おいしい。アリスは器用ね」
「え? ああ、ありがと」
「このパウンドケーキ、ハーブ入りなのね。この香りは好き」
「気に入ってもらえてよかった」
「このハーブは思いやりかしら。有り難く受けとっておくわ」
「別に、そんなんじゃ……」
思いもよらない感謝の言葉に少しだけ驚く。落ち着くために紅茶を一口飲むと、流石と言うべきだろう、とても美味しく淹れられていた。紅茶については一家言あるアリスだが、この淹れ方には文句が無い。
ほっと一息つきながら香りを楽しむ。薫り高い紅茶は人の心を落ち着けるもので、先ほどまでのどこかもやもやした不機嫌さは溶けて無くなっていた。尤も、本気で気分を害した訳ではない。軽いじゃれ合い程度の会話だが、どうも手玉に取られるのはアリスの性に合わない。ただそれだけだ。
「じゃあアリス、ティータイムの気の利いた話題をよろしく」
「何で私?」
「え?」
「なんで不思議そうな顔するのよ。私、ゲスト。あなた、ホスト」
「あら、私もこの館ではゲストよ」
「じゃあホストはどこよ」
「……レミィ呼ぶ?」
「……。ごめん、私が悪かった」
「じゃあお願い」
「私よりパチュリーのほうが色々知ってるでしょ」
「楽しい話題の持ち合わせはそんなに無いのよ」
「でもいいわ、聞かせて」
「……そうねぇ。じゃあ、寝物語に読んでいた雑誌にのっていた話でもしましょうか。男が四人列車で国外を旅行していた時の話よ。その窓からは草原が見えたの。その草原の真ん中には黒い羊がいたわ。そこで天文学者の男はこう言ったの。『これは驚いた! この国の羊はみんな黒いらしい』それを聞いた物理学者は『いや、この国の羊の中には黒いのもいるというべきだ』って反論したのね。それに対して数学者は『いやいや、この国には羊が少なくとも一匹いて、その片側は黒いとしか言えない』と言ったんだけど、哲学者は三人に向かっていったのよ。『だが待ってほしい。われわれが見ているあれは果たして羊なのだろうか』ってね」
「それは何の話?」
「ただの笑い話」
「物理学者あたりがまともなこと言ってそうね」
「そう。天文学者は大雑把過ぎて、数学者は厳密すぎる。哲学者に至っては馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる」
「で、どうしたの?」
「それを馬鹿馬鹿しいと言い切れるほど、事態は単純じゃないということよ」
「聞きましょう。あなたの話は面白そうだもの」
「期待に応えられるかは分からないけれど。貘は知っているわよね」
「ええ。悪夢を食らう想像上の動物だったかしら」
「大体そんなところね。ある書物によると、貘の毛皮は白と黒のまだら柄で、体のわりに目が小さく、笹や蛇を食べ、体格は熊のようなものらしいの。熊って知ってる?」
「知ってるわよ。鮭くわえてる獣でしょ」
「……まあ、間違ってはいないわね。それと、白澤は知っているわよね」
「ああ、寺子屋の」
「その返答は狼のことを聞かれて狼男の説明をするくらいには不適切だわ」
「……それは失礼。でも知ってるわよ。吉兆の獣で、これも想像上の動物ね」
「ええ、そう。そして一般に、白澤と貘は同一視されるわね。貘は本来悪夢を食らうのではなく記憶を食らうのだし、記憶というのはとりもなおさず歴史だもの」
「ああ、それで」
「まあ、白澤と貘の関係はヨグ=ソトースとウムル・アト=タウィルみたいなものかもしれないし、色々と横着して話を端折っているから正確ではないわ。でも獏と白澤は一般に同一視されてるわね。ところで、パンダって知ってるかしら」
「さっきから妙なこと聞くわね。それも知ってるわよ。白黒の熊でしょ。……ああ」
「そう。もしかしたら寺子屋の彼女は半分パンダかもしれないのよ」
ふとアリスの頭の中に、あのワーハクタクが笹竹を片手に貪りながら歴史書を編纂している姿が浮かんだ。それはあまりに滑稽であり、何よりもあまりに素直にパチュリーの話に乗せられてしまった自分の他愛なさにも思わず苦笑してしまう。
「あら、思ったよりもお気に召したみたいでよかった」
「まあ、面白い話ではあったけど」
「そう、全然正当な論証じゃない。与えられた情報を吟味していないもの。あれとこれは似ているね。じゃあ同じかもしれない。そんなお粗末なお話よ。似ているってことは、違う対象に対してつかわれることが大半なのに。哲学者が言っているのはそういうこと」
「そう。まあ、疑いすぎても病気になりそうだけど」
「アリス、あなたは実に常識的だわ。非常に健全と言ってもいいくらい。でも常識は時として弊害よ」
「……?」
「何故羊が羊と分かるのかしら。羊って何?」
「それは……」
「何故自律人形が自律人形と分かるのかしら。自律人形って何?」
「え?」
「自律人形に命はあるの? そもそも命って何? 自律人形に心はあるの? そもそも心って何? 自律人形に魂はあるの? そもそも魂って何? 考えるべきことはいくらもあるわ。見たこともない自律人形と、自分の思い描いているそれとは、同じ?」
「それは……」
「ところでアリス。何故貴方はアリスなのかしら。アリスを見てアリスだと分かるのは何故かしら。アリスって何?」
「私? 私は、私? 私って、あれ……?」
懊悩しているアリスを見ながら、パチュリーはクッキーを齧り紅茶を一口含む。クッキーの甘みと紅茶の香りを楽しみながら、パチュリーは更にアリスの表情も楽しんでいた。
暫くして聞こえてきたくすくすという含み笑いに、アリスははっと顔をあげる。
「……パチュリー、あなた本当にいい性格してるわ」
「あら、あなたが素直すぎるのよ」
「まるで哲学者ね」
「哲学者というにはあまりに幻想的だけれど。でも魔術に関わるなら当然哲学くらい一通り知っているものよ」
「……そうなんだ」
「そう。私の魔術は精霊魔術ね。起源でいえばギリシャの哲学まで遡るわ。ああ、これは知ってるみたいね。そう、地・水・火・風の四大元素と対応する各々の四大精霊を召喚しているの。五行は四大と関係あるし、日月を含めて七曜にするにも都合がいいもの。惑星も絡めると更に関連が出来てお得だからね。でも、あなたのは魔術というよりも、ねぇ」
「え?」
「あなた、自分がどんな魔術を使っているのかきちんと理解している?」
「勿論、人形を操る――」
「そうね。あなたは本当に器用。人形も上手に作れるし羨ましいくらい。でもね、あなたの魔術が何なのか、私には分からない」
「……何なのかって」
「霧雨魔理沙は呪具や薬草を媒介に魔法を使う。ウィッチクラフトや錬金術の類ね。私は契約に従って召喚魔術を使うわ。火なら火の、水なら水の精霊の力を借りて。ところで、あなたはどこから魔力を取り出しているのかしら?」
「私からよ」
「そうね。そう考えるのが自然だわ。でも、あなたのそれは魔法じゃなくて超能力の類なの。サイコキネシスとかパイロキネシスと大差ない。ポルターガイストに近いのかもしれないわね。あなたはこれ以上ないくらいに少女らしさの集合体なのだから不思議はないけれど、意図的に操作できるのが違いかしら。呪をかけて人形を操っているというのもありえるけれど、果たして無生物に呪がかかるかは微妙ね。いや、ああ、エネルギーはそれこそアリスの魔力とすると、いやいや……」
パチュリーは早口にぼそぼそと独り言を呟き続ける。一応理解しようと耳を傾けるアリスだが、最後のあたりは畑違いの言葉ばかりで全く訳が分からない。
「……何を考えているか分からないけど、どうも私のアイデンティティが危機にさらされている気がするわ」
「それは気のせい。人形遣いであることに変わりはないもの。ただ、私にはあなたの魔術を説明することが難しいということね。あの人形、オートマタではないのでしょう? 操り主が直接動かしているのだし。オートマタならまあ、錬金術というかプラハの町のあの辺の専門なのだけれど」
「一応オートマタも作ってみようとは思ったけれど、あれは所詮からくり人形なのよね。自律とは程遠いのよ」
「……だから、あなたは人形遣い止まりなのよ」
失望の色がありありと浮かんだ溜息が、パチュリーの口からもれる。
「何よ、その人を見下した言い方は」
「見下してなんかない。やっぱりあなたが分からないわ。あなたは自律人形に何を求めているのかしら。見たところ、『人形を動かす』のと『動く人形を作る』のは全く別系統の魔術に依るのに。多分混乱しているのね」
「……そうなの?」
「多分ね」
「そう……」
「落ち込むことはないわ。私を頼って来てくれたのだもの、とても気分がいいから特別に本の貸し出しを認めましょう」
「……ああ、やっぱりここ貸し出しはしてなかったのね」
「ええ。それなのに無断帯出すら平気でやってのける輩がいるの」
「本に限ったことじゃないけれどね。うちのマジックアイテムもよ」
「鼠だもの。仕方ない。もし捕まえたら、魔法使いから物を盗むことの意味を嫌というほど教え込んでやるわ。さて、ところであなたにはどの本が役に立つかしら。オートマタ関連ならそこの裏の本棚にあるし、もし哲学書が読みたければ突きあたりを右に行って二番目の列を右に曲がって本棚の途切れるあたりを右に曲がるとここに戻ってくるわね」
「……貸す気が無いのね」
「まさか。哲学の醍醐味は対話にあるのよ。だからここにいるうちは哲学の本なんか読ませないわ。私は読むけれど」
「人と話す時くらい……」
「そうだったわね、アリス限定でやめましょうか」
「……喜ぶべきか悩むわね」
「冗談はさておき、お勧めはオートマタ関連の本と、発生学や生理学、解剖学についての本も読んで損は無いかも知れない」
「何で生物学の本なのよ」
「人の形をしたものを作るんだから、人について学ぶのは当然よ。ところであなたは子供を生めるのかしら」
「――ッ!!」
かろうじて紅茶を噴き出すのは免れたが、気管に入ってしまいアリスはしばらく噎せた。
数分後、ようやく呼吸が落ち着いたアリスが涙目で睨むと、パチュリーはしれっと紅茶を飲んでいる。
「あなたね……」
「もし噴き出していたら、勿論バズソーよりはシャイニングウィザードよね」
「パチュリーが受けてくれるならやってもいいのよ?」
「アリスの蹴りは痛いから嫌だなぁ。砂糖とスパイスその他諸々で出来てるとは思えないわね」
「生憎と砂糖控え目が好みなのよ」
「それにしても『時が来れば生みます』くらいは言い返してほしかったわね」
「そうなるとパチュリーは妊婦の役よ」
「ええ、あの人の赤ちゃんが」
「いるの!?」
「いないけれど。あの人って誰かしら」
「知らないわよ」
「処女懐胎か単性生殖か、それが問題ね」
「ちょっとハムレットっぽく言っても駄目よ」
「神社へ行け」
「尼寺じゃないの!?」
「幻想郷に無いじゃない」
パチュリーはマイペースにクッキーをつまみ紅茶に口をつける。
それを見ながら、アリスは溜息を一つ吐くと立ち上がった。
「お勧めの本から良さそうなの探してくるわ」
「そう。ごゆっくり。小悪魔つけましょうか?」
「いいわ。一人で見て回りたいの」
「そう。あ、生物の本棚の横に官能小説があるんだけど、興味があるなら借りて行っても……」
「行かない」
「そう。文字では興奮しない、と」
「そういうことじゃない。それとメモしない!!」
「あら、興奮はするのかしら。じゃあ、ごゆっくり」
その言葉が言い終わらないうちに、パチュリーの視線は再び本に注がれている。アリスは本来不要だと思われる疲労を覚えながら、天高くそびえたつ本棚を攻略にかかった。
■□■□■
「私って紫じゃない」
「はい?」
突然脈絡のない発言をする目の前の友人に、アリスは片頭痛をこらえるかのように頭部を抑えながら聞き返す。
「パチュリー、話の流れとか伏線って知ってるかしら?」
「私が何冊本を読んできたと思っているのよ。勿論数えてないけれど。あなたは今まで読んだ本の冊数を覚えているのかしら?」
「ふつうはパンの枚数で聞くものだと思うわ」
「どこぞの悪魔みたいに捻りもないのはつまらない」
「友人でしょ」
「友人だからよ」
「そう。で、何で紫?」
「いや、見た目」
「そうね。紫には違いないわね、見た目」
無駄だと分かっていながらも突っ込まずにはいられない。それがたとえ話を余計に長引かせ、ひいては己の心労に直結するのだと分かっていても。アリスはそんなことを考えながら、長話を聞くために楽な姿勢で椅子に座る。最近やっと諦めるということを覚えた自分をこっそりと褒めたい。
なぜこんなことになったのかといえば、最近週に三日はこの図書館に入り浸っているからだ。本が専門的過ぎて解説書を読みに行ったり、参考文献にあたってみたりと、アリスの研究の進行にこの図書館は欠かせないものとなっていた。当然、主であるパチュリーともよく会う。何故か先方の覚えめでたく、時間が合えば毎回こうしてティータイムを共にしている。主にパチュリーのムダ知識オンステージなのだが、アリスとしても聞いていて詰らないわけではないのでおとなしく耳を傾けることにしている。
急に仲良くなりすぎではないかとアリスも不思議ではあるが、いくつか思い当る節が無いでもない。
パチュリーから初めて本を借りて帰った翌日の事だが、参考文献を借りようと再び図書館を訪れると丁度鼠がいたのでしょっぴいてパチュリーに突き出した。すると見たこともないような笑顔で礼を言われる。ちょっとドキドキしたのは内緒だ。その後二人で徹底的に躾をする。その甲斐あってか、被害はその後出ていないらしい。「躾というのは身を美しく整える事。後にそれに合わせて漢字が作られたのよ。うふふ。身を美しく端正にとは、なんて素晴らしいのかしら」といつもより興奮気味に呟くパチュリーが忘れられない。
他には、毎回訪れるたびにお茶請けとしてお菓子を少々持ってきていることだろうか。どうやらパチュリーにお世辞を言うという習慣はないらしく、口に合わなければはっきりと言ってくる。しかも味の好みは恐ろしいほど細かくて、それならばとアリスも毎回工夫を凝らして作る。お土産とかどうでもよくて、半分以上意地で作ってるのも内緒だ。そんなこんなでパチュリーの好みといえばグレープフルーツは食べられないけれど果肉のオレンジなグレープフルーツは好んで食べることを知っているくらいには詳しくなってしまっていた。他にもオムレツは食べられるけれどスクランブルエッグは駄目だとか、りんごはうさぎりんごにしないと食べないとか。
最初は自分の研究をさらに進めるためのステップくらいにしか考えていなかった。分からない個所を一言二言質問だけして、あとは本を読みながら一人で考えるつもりでいた。
ところが実際は、図書館にいる時間の半分以上はパチュリーと会話をして過ごしている。借りていく本が予め決まっており今日は早く帰ろうと思っていても、図書館に入ると知らず知らずのうちにいつもの場所に座り、いつも通り下らなくも面白い内容の話を、いつも変わらず小声で早口に、でもどこか品のある声で喋るパチュリーに、これまたいつものように手玉に取られ煙に巻かれながらも、そんな状況を楽しんでいる。そしてすべてが終わり家に帰ると一日を思い出し、悶え、のたうち回り、次回こそはと心に決めて眠り、次に図書館に行くとまたいつも通りを繰り返す。
やめようにも欲しい資料はまだまだあるし、一連の出来事も決して不快ではないのでついつい足は図書館へと向かってしまう。じわじわと絡め取られていくようで、不快ではないが不安ではある。とは言え何がどう不安なのかを明確に示せないので、特に問題視せず日常を過ごしていた。
「実は私、八雲紫の分身だったのよ」
「ダウト」
「あら、私があなたに嘘をついたことなんてあったかしら」
「両手じゃ数えきれないくらいあるわね」
「二進数を使えばいいじゃない。27で止めると下品だけれど。両手なら1023まで数えられるわよ」
「たったの四桁で足りる筈が無いわ」
「しょうがないわね。特別に私の手も貸してあげようかしら」
「あらありがとう」
「話は変わるけど、私は八雲紫の分身なの」
「ダウト。しかも変わってないし」
「そうね。それにしても、スキマ妖怪って意外に沢山いるのよ」
「いや、それもダウト」
「そうね。○×クイズだったら45点ってとこかしら。勿論96点満点で」
「どこが勿論なのかとか何故○×クイズなのに正解・不正解じゃなく点数なのかとか色々突っ込みたいんだけど我慢するわ。どういう意味?」
「我慢できてないじゃない。まず、八雲紫、以降はスキマと称する、は境界を操るわよね」
「ええ、そうね。まだ幽冥の境界が不安定らしいけど」
「怠惰は巫女とスキマの代名詞でしょう。さておき、境界っていうと何を思い浮かべるかしら」
「そうねぇ。時々人間の里で村の境界争いが起こっているらしいけど。あとは各家庭の敷地争いとか、田畑もそうらしいわね」
「ゴシップばかり。あなたらしいけど」
「そんな“らしさ”はいらない」
「詳しいことは省くけど、かつてこの国で最も分かりやすい境界と言えば河川ね。さっきアリスの言った村落同士の境界も、河川で区切られていたことが多かったの」
「川ねぇ。まあ、見た目に分かりやすい区別よね」
「見た目の分かりやすさは大事よ。たとえ正しくなくても大まかには理解できるから。正しくなくても。大事だから繰り返したわよ。正しくなくても」
「……やけに拘るじゃない」
「大事だもの。ところで、川にもひょいと飛び越せる小さな川もあれば、それなりにそれなりな規模の川もあるわよね。後者の川を渡るにはどうすればいいのかしら」
「船ね」
「そうね。でも往来が激しくて船じゃ追いつかない場合は? 浅く広い川で船が浮かばない場合もあるわね」
「橋をかければいいじゃない」
「そう。その答えを待っていたの。橋は境界、この場合は川ね、それで区切られた場所と場所をつなぐものとして利用されているわ。転じて一般に区切られているものを関連付ける場合は橋が比喩に用いられることが多い。同様に川はよく境界の比喩になるわね。顕界と冥界を隔てる三途の川やレテ川なんて顕著な例よ。この場合は船が彼岸と此岸とを非可逆的に繋いでいるわけだけど」
「ああ、あの怠惰な死神」
「怠惰が増えた。困ったわね。じゃあ、巫女は怠惰から暢気にクラスチェンジさせましょうか。それはさておき橋よ。昔から橋には橋姫っていう女神なんだか妖怪なんだか分からないものがいるとされていてね。守り神だったり鬼だったり諸説紛々というかただの混同のような気がするけどさておきその妖怪、にしてしまうけれど、それが境界の妖なのよ。ある世界と別の世界とを繋ぐ存在ね。ちなみに鬼の橋姫は丑の刻参りの元祖らしいわ。あれは類感呪術らしいけどまあこんな話は脱線するからやめておきましょう。ところである場所と別の場所をつなぐっていうのはあのスキマにも当てはまるわね」
「あの神出鬼没ぶりには迷惑してるわ。入るなとは言わないからせめてドアから入ってきてほしいものね」
「うちの本ももしかしたら何冊か持っていかれてるかもしれないわね。気付かないだけで。ともかく、境界の妖はあのスキマだけじゃないの。もしかしたらアヴァターラみたいなものかもしれないし、タイプとトークンに近いのかもしれないとも思うけど。でもタイプの存在って実に幻想よね。それを言ったらアーキタイプなんてのも素晴らしく幻想だけれど」
「後半わかんないんだけど」
「じゃあ、あの辺の本を読むといいわ。気が向いたらね。さて、でもあのスキマはそれがすべてじゃない。むしろあのスキマの本質は境界を操るってことね。他の境界の妖は境界の象徴だけれど、あのスキマはそれを割と自由に操れるらしいのよね。それは最大にして絶対の差異だわ。だから45点。スキマ妖怪と呼べそうなのは色々といるけれど、あのスキマみたいなのはあれしかいないわ。もしあんなのが二体や三体もいるなら、それこそアヴァターラとでも解釈するしかないわね。それとも分御霊かしら」
「厄介よね、スキマ」
「厄介だわ、スキマ」
「スキマ風とか厄介の極みね」
「冬場のスキマ風は悲しくなるものね。ところで境界と言えば、生物と無生物の境界って何かしら」
「炭素を含むか含まないかだったかしら」
「それは無機物と有機物ね。まあそれすら曖昧な区別しかないらしいけれど。それに錬金術は個人的に苦手だから不得意科目だわ」
「そう。なんかパチュリーにも苦手なものがあると安心する」
「あら、私が運動得意そうに見えるのかしら」
「そういう意味じゃなくてね」
「わかってるわよ。だって錬金術はあんまり幻想的じゃないんだもの」
「そうなの? よくわからないけど」
「で、生物と無生物よ」
「そうねぇ。ああ、この間読んだのには自己増殖、エネルギー変換、ホメオスタシスって書いてた。エントロピーの増大とかいろいろあるみたいだけど、まだよく分からないわ」
「ああ、そうね。そういえばそんなこと勉強してるんだったわね。まあ、真面目に境界定めたらとっても面倒だから詳しくは蓬莱の薬師にでも任せましょう。でもまあ、適当な話をするとね、その昔地中海あたりの人が磁石を鉄鉱石に近づけたら鉄鉱石が動いたのね。当然だけれど。そしたらその人は、なんかこの石動くし命があるんじゃないかって思ったらしいの。まあ、アニミズムなんだけど。これ、概念的には今考えてもなかなか面白いのよ。石だろうが植物だろうが人間だろうが、投げれば飛ぶし落とせば落ちるし妹様にかかれば壊されるわ。ある法則には従わざるをえない。風もないのにドアが閉じたりしまったりするのよ」
「そりゃまあねえ。明らかに関係ないけど」
「ええ。生と死の境界でもいいわ。死なんて、すべての細胞が死に絶えるまで死じゃないのか、主要臓器が動かなくなったら死なのか、まだ境界は色々とありそうだけど。そういう命とか心とか魂とか、色々境界が曖昧なものはある。厳密に定められる境界とは別に、日常的な、まあ常識的と言ってもいいけれど、そういう境界がある。でもね、常識なんて見た目に分かりやすいものでしかないの。実にプラグマティズムだわ。役に立つけれど正しくはないわね。というか、幻想。そしてここは幻想郷よ。幻想が力を持つ場所。この意味が分かるかしら」
「……ごめん。あまりよく分からないわ」
「そう。……ちょと喋りすぎたわね。お茶にしましょう」
そのあとは、本当に世間話程度の内容しか話さなかった、それでもパチュリーは、アリスが話す人間の里の様子や巫女や鼠や妖怪たちの話を面白そうに聞く。お茶の時間が終わるといつものように本を借りてアリスは帰る。机に向かったままアリスを見送るパチュリーの表情は、相変わらずジト目ではあったがどこか悲しそうで、それでいてほっとしたような奇妙なものだった。
■□■□■
最初に本を借りたのがもう三か月程前になる。近頃アリスは、紅魔館を訪れるたびに門番からいっそ住んではどうかと冗談めかして言われるようになっていた。曖昧に微笑みながらやり過ごすが、確かに最近は頻繁に来すぎのような気もする。館内を掃除している妖精メイドなどは住んでいるものと思っているらしく、人形の作り方を教えてほしいから部屋に遊びに行きたいなどと声をかけられる。そのたびに丁寧に説明しているのだが、どうも誤解は解けていないようだ。
尤も、現状を鑑みればほぼ図書館に住んでいるようなものだと言わざるを得ない。最近では図書館で理論構築まで済ませてしまって、家には着替えと人形の手入れと睡眠と理論の実践のために戻っているだけになっている。パチュリーから泊まっていけばいいのにと言われることもあるけれど、家のほうがゆっくりと研究がすすめられるからと断ることにしている。これは本当で、実践に必要な設備は家に揃っているし紅魔館まで一式を移動させるのはさすがに労力がかかりすぎる。それに、魔法の森のほうが魔力の流れや諸々の環境において紅魔館よりも都合がいい。
それは嘘ではない。嘘ではないけれど、言い訳に近いとアリスも分かっている。段々とアリスの日常はパチュリーを欠かせないものにしてしまってきていた。参考文献も大体読みつくし、オートマタについてはひとかどの研究者並に通じている。生物についても、蓬莱の薬師と宴会の時にたどたどしくも理論の解釈について話せるくらいまでには詳しくなった。もう、あまり頻繁に図書館に通う意味はない。自分の工房で本格的な実践に専念してもいい時期になっている。それでも、気がつくとアリスの足は図書館に向いている。そしていつものようにパチュリーと話をするのだ。
この上紅魔館に泊まり込んでしまったら、引き返せないような気がする。アリスはそんな拭い去れない不安に付きまとわれていた。明確にどこからどこへとは言えないけれど、というかもう片足が抜け出せないほど深く飲み込まれている気さえするけれど。
そんな気分をパチュリーには気付かせないように、アリスはいつも通り椅子に座り他愛もない話をする。
「私が紅魔館に住みこんでるって噂らしいわね」
「だって私がここに住んでる設定にしてるから」
「ぱぁぁぁぁちゅぅぅぅぅりぃぃぃぃぃぃぃ!?」
「耳が痛いわ。物理的に。図書館ではお静かに」
「なんでそんな根も葉もないことを言うのよ!?」
「……だって、事実それに近い状況じゃないの」
「それは別に、その、明確に否定できないけど」
「ならいいじゃないの。名実ともに住人かしら」
「それは嫌。ここに引っ越す気は毛頭無いわよ」
パチュリーの表情はいつもより少し柔らかく、経験によればそれは他人をからかっている時の表情だとアリスは結論する。
「ところでアリス、今日は私がクッキーを焼いてみたの。お口に合うかしら」
「……パチュリーが? ええ、いただくわ」
「安心して。別にあやしい材料は少ししか使っていないから」
「っ!? ちょっと」
「メホホブルサザンG・改の粉末タイプを少し」
「何そのどう聞いても怪しい薬品」
「あとジクロロジフェニルトリクロロエタンもどき」
「死ぬわよ!! 殺す気!?」
「まあ、実際はコーヒーパウダーと砂糖なんだけど」
「なんで名前がそんなに物騒なのよ」
「まあ、名前と実態にあんまり関係はないから。かつて存在した神聖ローマ帝国は神聖でもローマでも帝国でも無かったのと同じね」
「……そうなの?」
「あら、こちらの歴史にはあまり明るくないのかしら。確か魔界の人間だったものね。そうよ。実態は小国の集まった連合王国に過ぎないわ。名前に限らず言葉なんて、ただのショートカットキーに過ぎないものだし」
「ショートカットキー? 聞きなれないわね」
「あの古道具屋に最近入った雑誌に書いてあったのよ。パーソナルコンピューターという箱型の式に関する機能らしいわね。特定の単純な操作を行うことで複雑な操作を一気に行えるものらしいわ。便利よね」
「式、か」
「こと式に関してなら例のスキマが詳しいんじゃないかしら。興味があったら聞いてみるといいわね。私もあまり詳しくはないのよ。関連する書籍はあまり幻想郷に入ってきていないらしいから」
「そう、残念」
「関係ないけれど、ドロワーズってあるじゃない。ゴロワーズだと私はあまり好まないものだし、ジタンの煙が目にしみると月が銀色だったり赤かったりするわね」
「えっと、何?」
「ただの妄言よ。忘れて頂戴。それよりドロワーズよ。日本語だとドロワーズと言うみたいだけど、つまりはズロースのことね。ネイティブの人の発音はズロースに近いらしいけれど、ダスティ・ローズが日本でダスティ・ローデスと呼ばれているようなものかしら。どうでもいいわね。ところでズロースって言うとどうも少女というよりも年かさの女性が履くものっていう印象が強いみたい。その言葉の使われ方に原因があるのでしょう。意味と意義の差かしら。指し示すものは同じだけれど、言葉の使われ方が違っているから差が出るのね。ある数学者の言い方を借りれば、認識価値が異なっているということになるんでしょう」
「そうね、魔理沙や霊夢なんかはズロースじゃなくてドロワーズって言うもの。それにしても、数学についても詳しいのかしら?」
「いいえ。スキマやその式みたいに演算能力が高いわけじゃないし、新しい理論を作るのも得意じゃないわ。どちらかというと不得意科目ね。ただ、それ以外の研究に役に立つからすでにある理論を学ぶことはそれなりにあるわ。数学の議論は美しいから読むだけでも面白いし」
「そう、なのかしら。パチュリーはやっぱり頭がいいのね」
「それは褒め言葉じゃないらしいわよ。まあ、議論を追うのは楽しいのよ。哲学だってそう。あれは遊戯としてかなり面白いもの。哲学の発祥も昔の暇人の議論だし、特に論理学なんてまさにパズル、素晴らしく娯楽だわ。真面目にやってるロジシャンの人たちには申し訳ないけれど、これほど愉快なものも無い。学問なんて、議論を追うだけならこれ以上ない娯楽なのよ」
「そう。私にはあまり経験がないから分からないけれど、パチュリーと話しているとそんな気もするわね」
「生物の本なんか読んでいて面白くはない?」
「面白いわよ。ただ、あれは新しいことを知る快感かしら。オートマタの理論に応用できそうな所なんかは色々と想像できて楽しいけれど」
「なるほど。ついに本を読んで興奮するようになってしまったのね。ああなんて可哀想なアリス」
「ちょっと!!」
「冗談よ。哲学だって結局のところ、日常から幻想を取り除いているだけ。取り除かれた幻想は魔法の理論に役立つこともあるし、特にこの幻想郷では幻想が力を持つわ。レミィやスキマや亡霊嬢がいい例ね。幻想の純度が高いほど強いみたい。竹林にいる不老不死の人間なんてのも、生物の本を読んでいればどれだけありえないか分かるでしょう? みんな現実の法則から好き放題に逸脱しているもの」
「そうね、彼らはあまりに非常識だわ」
「ところでアリス、あなたの姓のマーガトロイドだけど、なんだかちょっと優雅な響きよね」
「そ、そう? 実は気に入ってるの」
「ええ。実にあなたらしい名前ね。知っていたかしら。人間は成長するとにつれて段々とその人の名前に似てくるものらしいわ。これはドイツの詩人が言っていたことなんだけれど」
「おかしな話ね」
「おかしな話よ。でも一面の真実ではあるわね」
「そうなの。なんて詩人?」
「さあ。失念したことにしておくわ。今の話もあまり正確ではないし。ドイツ語でのダブルミーニングなんて日本語に訳しにくいことこの上ないもの。美しく訳せないしね。同じ詩人なら最近読んでる日本の詩人のほうがひねくれていて面白いけれど」
「あなたらしいわね」
「私らしいのかしら。そうそう、その詩人が言った言葉がすごいのよ。書を捨てよ、町へ出よう。私に死ねと言っているのかしら。きっとそうね。書を捨てるなんて勿体なくて出来るわけないじゃない。さらには私のアイデンティティの崩壊だわ。私から本をとったら当然本なしの私が残るから私はどこまでも私でまあつまりアイデンティティなんて幻想の最たるものだと思うけれど。それに実際は書を捨てて町という更に巨大な書を読みに行こうということなのよね。……あら、どうしたのアリスそんなに嬉しそうに笑って」
「何でもないわ。パチュリーが自分の話をしてくれるようになったと思ったら、ついね」
「……そう。そうだったかしら」
「顔を赤くしちゃって、可愛い所あるじゃない」
「別に、そんな」
「そういうパチュリーもいいわね」
「何を、言うのよ……」
その後しばらく、なかなか顔の火照りが治まらないパチュリーを微笑みながら見つめるアリスという逆転した構図が見られた。落ち着こうとして慌ててクッキーを頬張り噎せて紅茶をすするも熱くて口の中を火傷する様子が実に微笑ましいと、そんなことを考えながらもアリスはほんの少しどきどきしていた。勿論優しく介抱しながら。
「みっともないところを見せたわね」
「そんなことないわよ。可愛らしいところを見せてもらえてうれしいわ」
「そう。フォローありがとう。そういえばあなた、なぜ自律人形を作りたいのかしら」
「え? ええ、人形の手入れを手伝ってもらいたくて」
「そんなのは自律人形じゃなくてもオートマタで事足りるわ。それに気付かないわけでもないのでしょう」
「……ええ、そうね」
「本当は?」
「本当は……、ね。本当は、私を作った神綺様の気持ちはどんな感じだったのかなって。自律人形が作れるようになれば、その気持ちが少しくらいは分かるかなって」
「それで今まで研究してきたわけね。共感したかった。うん、悪くない動機だわ」
「そう? ありがとう」
「お礼を言われるのもおかしな話ね。そう遠くない未来、あなたは自律人形を作りだすでしょう。少なくとも人のような形のものを作り出すことは出来る筈よ。私はこれまで人というものの、いわば物理的な側面についてしかあなたの研究に協力してこなかったわけだけれど、でも私にとっても非常に有意義な時間だったわ。色々と役にたたない話もしたけれど、そんなのは忘れてしまって構わない。オートマタの構造や生物の知識のほうがずっと大切。ところで最初にあなたと話した哲学者の話、覚えているかしら。さっきも言ったけれど、哲学って結局幻想と現実とを区別するものなのよ。あるものについて、それは何故か。どういうことなのか。どのようになってどのようにはならないのか。そして、現実においては議論の余地なんてないのよ。物事が当たり前の法則にしたがって当たり前に動くだけ。議論が発生するのは幻想の中だけよ。言葉が、というか言葉が自分の外側にあるなんて考えがそもそも幻想にすぎないのだもの。幻想はあまりに複雑な物事で成り立っているから、私には制御はおろか把握さえままならないわ。今まで無駄話を聞いてて分ったでしょうけど、幻想の内容についてあなたに上手に説明することはできないし、あなたの作り上げる幻想を具体的に手助けするのも本意ではない。だから私が手伝うのはここまでにしましょう。ここから先はあなたが自分で考えるべき。もしこれ以上の領域で助言が欲しければ、そうね、蓬莱の薬師や永遠の姫、白玉楼の亡霊嬢かあのスキマあたりに聞くといいわ。それと、今日を限りにここへは来ないでほしいの」
「……え?」
「つまり、私が手助けするのは議論の余地のない部分だけ。それ以上のものを作ろうとしているのだから、そこから先は私が手を出すことじゃないわ。たった三か月でここまで知識を手に入れたあなたは素晴らしい。だからこの先もきっと大丈夫。私なんかにかかずらわずに、自分の研究に専念するべきなのよ。これは魔法にあなたより長く関わってきた者からの最後の助言。だから、さようなら」
「なんで……」
「あなたの研究が終わったら、成果を聞かせてもらえるかしら。実に実に興味深いわ。一体どんな幻想が出来上がるのかしらね。その時を楽しみにしてる。じゃあ、出て行ってもらえるかしら。私もそろそろ自分自身の研究に専念したいの」
一方的に話を打ち切ると、それきりパチュリーは一言も口をきかず黙々とペンを走らせ続けた。アリスが声をかけても五月蠅そうに手を振るばかりでそちらを見もしない。
アリスは30分ほど黙って座っていたが、冷めきった紅茶を飲み干すといとまを告げ、図書館から出て行った。
■□■□■
パチュリーから来館を拒絶された翌日、アリスは書斎で何をするでもなく本を弄んでいた。
図書館から戻ってもしばらくは訳が分からず夜まで玄関に立ちつくしていたが、こうしていても仕方がないと、とりあえず寝間着に着換え眠ることにした。いざ眠ろうと瞼を閉じると、パチュリーの告げたさようならが聞こえて来るような気がして心臓が高鳴る。眠れないので仕方なく深呼吸を繰り返し落ち着ける。そして瞼を閉じると以下同文。結局、寝室の窓から朝日が差し込むまでずっと、ベッドの中でもぞもぞし続けることになった。日も昇ったので仕方なくベッドから起き出し、のろのろと普段着に着換えて書斎へ向かう。
いつもなら身支度を整えて図書館へと出かけている時間だ。胸に穴が開いたようなという表現はよく目にするけれど、今がそうなのかとわけもなく感じ入る。本を開いたり閉じたりしてはみるものの、どうしても読もうという気にはなれない。それどころか表紙をじっと見つめるだけでパチュリーの顔が脳裏に浮かぶ。
これは幻想なのだと、昨日のパチュリーの言葉を改めて噛みしめる。
確かに幻想なのだろうが、振り払うのはしばらく無理そうだった。気分転換に作るお菓子も知らず知らずにパチュリー好みの味にしてしまう。ならばと研究に戻っても、本を読むとそれがパチュリーの声で聞こえてくる。どこか間違っているとしか思えないくらいに自分の日常はパチュリー抜きに成り立たなくなってしまっていたのだと、アリスは今更乍ら思い至る。
一息つくために紅茶を飲み、多少醒めた頭で現在の自分を省みる。いやしくも魔法に関わる者だ。専門外ながら、自分は現在言霊にかけられた状態にあるのだろうと判断する。単純に言霊というよりも呪、いや呪よりは式を付けられた状態に近いのかもしれない。陰陽道の実践には疎い、というよりも全くの門外漢なので具体的にどのような状態が式をつけられている状態なのかはっきりとは分からない。けれど今の自分は明らかに異常であるし、パチュリーは少なくとも陰陽道に通じている。無い話では無いだろう。アリスはそう結論付けると、解決策を模索する。悩むまでもなく椅子から立ち上がり、風呂場へ向かうと衣服を脱ぎ湯船に水を張る。見るからに冷たそうなその様子に、躊躇わずにはいられない。
「……式には水!!」
意を決して飛び込む、のは流石にはしたないし少女としてのプライドが許さないので片足ずつ水風呂に入り肩まで浸かる。
「ううー、冷たい。パチュリーの馬鹿ぁ。なんでこんなことしたのよもう……」
水風呂に入って暫くしても、油断するとパチュリーのことばかり考える。ああそうかこれは式じゃないのかだって水に入っても取れないんだものなぁ、などとぼんやり思う。いい加減体が冷えてきたので風呂場から出て体を拭き、部屋着用にゆったりとした服を着る。色々と疲れていたからかうとうとしてきたので、そのままソファーに座り込むと仮眠を取ることにした。
目を覚ますと、日が暮れて暫く経つようだった。水風呂に入るなんて馬鹿な事をしたのが昼過ぎ頃だったので、仮眠では済まないくらいぐっすり眠ってしまっていたらしい。伸びをしようと腕を持ち上げ、ひどくだるいことに気づく。そういえば顔も火照っているような気がする。とりあえずランプに火を点けようと体を起こした途端、息が詰まり激しく咳き込んだ。呼吸を整え溜息を吐くと、どうも声が掠れているようだ。
どう考えても風邪だ。
これまでの自分の行動を思い返し、一部の隙もなく完全無欠に風邪を引くために最適な行動をとっていることに気付き、軽く自己嫌悪に陥る。馬鹿。大事だからもう一回くらい言っておこう。馬鹿。
自己嫌悪に陥ったままで風邪が治るわけもないので、だるい体を頑張って動かし台所へ向かう。お湯を沸かし、お菓子用に買ってあるラム酒を割る。砂糖を溶かし、バターを浮かべてちびちび飲み、それなりに体も温まったのでベッドに入り布団をかぶる。今度は何も考えず、ただ眠りに落ちて行った。
■□■□■
風邪は一晩ですっかり良くなった。
治ってからもう半月ほど、工房に籠ってあれやこれやとオートマタをいじってはいるのだが、どうにも没頭できないでいる。
原因は明らかだ。ふとしたはずみに視界の隅に紫の絹糸のような髪が見える気がする。突然あの小声で早口に喋る声が聞こえる。こんな状態で没頭できるほど無神経ではないと、アリスは怒りにも似た感情を常に抱いていた。「寧ろ私は繊細なのよ。何故なら私はアリス・マーガトロイド、不思議の国にだって行けちゃう夢見る少女だから。いいえそれはリデルです」と、そんな支離滅裂な独り言を吐く程にアリスは苛立っていた。
パチュリーなら「苛立ちと怒りは本来違うものなのだからきちんと区別して使わなければいけない。そんなのは幻想の中でも下の下に位置する下らないものよ。まあそれさえも興味深いものではあるのだろうけれど」とかなんとか言うんだろうなぁ、あの性悪魔女。ああもう苛々する。なんでパチュリーの言いそうなことが分かるのよ。ていうかまたパチュリーか。パチュリーパチュリーっていい加減にしなさいよ。誰よこんなことばっか考えてる馬鹿は。私か。ああそうだ私だ。私の馬鹿。略して若。ああもう駄目だ。私の中のパチュリーにさえ口では勝てない。そうだ、口で勝てなければ実力行使だ。少女の取るべき行動としては少々らしさに欠ける気がするけれども何もしなければ何も起こらないのは自明の理。パチュリーだって言っていたじゃないか。現実は物事が当たり前の法則に従って当たり前に動くだけなのだ。つまり私がパチュリーに会いに行かなければパチュリーに会えないのですべてはパチュリーが悪い。
以上のように甚だ混乱した理屈に従い、アリスは支度を開始した。まずは対パチュリー攻略法である。パチュリーの普段用いる魔術は中国の五行思想を応用した召喚魔術で、所謂陰陽道のものだと考えて構わない。しかし陰陽道に対抗する有効な魔術は殆どない。あれは森羅万象に相性を設定し、それらの組み合わせを主眼に用いるものであり、総体としての陰陽道に決定的優位に立つ魔術を探すのは諦めたほうがよい。ある意味においては体系的に完成された魔術であり、付け入るべき弱点は魔術そのものというよりもそれを用いる対象にあると思われる。ここでパチュリーと言えば、体力的にもしかしたら普通の人間よりも劣るのではないかと思われるほどに虚弱であることが挙げられる。純粋に持久戦に持ち込んだ場合、相性の選択さえ間違えなければ彼女よりも優位に立てる可能性が高い。そこで急場しのぎではあるが対パチュリー用に五行に対応させた人形を複数用意し適宜選択、使役し追い詰める戦略が有効であろうと結論する。他にも想定される邪魔、つまり門番やメイド、使い魔への対策を講じ、専用の呪具を装備させた人形を用意する。
実に半月ぶりの外出であり、身支度にも間違った方向に気合が入る。具体的には対魔術用装備。普段連れている上海人形に特別な呪的処理を施した装備をさせ、いつもは連れて行かない弾幕戦用の人形も入念に整備をした。人形のドレスアップ用の小物入れからも物理戦闘用のマジックアイテムを取り出し、各々の人形に取り付ける。まるで一人十字軍の如き武装を整えた後、昏い微笑みを浮かべながらアリスは紅魔館・魔法図書館へ向けて飛び立った。
・・・---・・・
紅魔館へ向かう湖の上から、もう門が見える。その前には、当然ながら門番が立っていた。アリスを見つけると、慌てたように飛んで来る。
「ご無沙汰していますアリスさん。ええと、実はですね、パチュリー様からアリスさんが来たら問答無用に追い返すように言われていまして、私としましても実に心苦しいのですけれど、できればこのまま帰っていただけると……」
「で?」
「いえ、ですから通さないようにと厳命されているので今日のところは……」
「パチュリーはいるかしら?」
「二週間ほど前からご自分の工房に籠っていらっしゃいます。お嬢様がお茶にお呼びになられても籠ったままでいらっしゃいますので、恐らく余程重要な研究をなさっているのだと思いますが」
「そう、いるのね」
アリスはそのまま門番など存在しないかのように通り抜けようとする。そうはさせじと美鈴はアリスの前に立ち塞がった。アリスの瞳は何も映していないかのように濁り、視線も美鈴に向いてさえいない。
「お願いします。お引き取り下さい。そうでなければ」
「Otherwise?」
「……さもなければ、腕づくでも」
「いいわねそれ。単純で合理的で素敵な解決方法だわ。今の私はそういうの大好きよ」
「……えっと、キレてます?」
「いいえ、かつてない程頭がいいわ」
「仕方ありません。多少荒っぽいですが、お引き取り願います」
「私はパチュリーに用があるだけ。邪魔しないで」
「それが私の仕事ですから」
「そう。じゃあここでさよならね」
いつの間にか人形がナイフを美鈴の背に突き付けていた。他の人形達も、静かに美鈴を中心に囲んでいる。それらがいつ襲いかかってきてもいいよう、美鈴は周囲に気を張り巡らせた。
「スペルカードルールに従っていないから、こういうの反則なんだけどね。私に気を取られすぎ。いつもと明らかに違う様子を見せれば、少なくともしばらくはそちらに気を取られるものね」
「気付いてましたよ。でも、生半可な刃物では私に傷一つ付けられません。硬気功の修行もしていますから」
「知ってるわ。弱点も当然。浸透勁や徹しに弱い。人形でその理合を実践するのは難しいけれど、似た事ならいくらもできるわよ。例えば鞭で打つ、モーニングスターで打つ。なんなら見様見真似で私自身が浸透勁とやらを打ってもいいわ。浸透勁というのも結局人体を使った特殊な力の出し方なのよね。人の形をした物を操るのは私の十八番だもの、成功しないとも限らないわよ?」
「……本気ですか?」
「それに、こうして会話をしていればいつかは硬気功も途切れるんじゃない? 無意識に使い続けられる類の技術ではないはずよね」
「少なくともあと数時間は気を張っていられますよ。どうします。仕掛けてみますか?」
「必要無いわ。今現在も私の優位に変わりは無いもの。私は結果的にパチュリーに会えればいい。急ぐ必要はどこにもないわ」
「では、根競べといきますか」
美鈴はいかなる状況にも対応できる用に気を落ち着ける。対するアリスは、攻め入る隙を探るかのように人形を美鈴の周囲で動かし続けた。
「……ふふ。あなたはとても分かりやすくて素敵ね。刃物が効かないし、私があなたを倒すのも現実的じゃないからブラフなのは分かり切ってる。なら躊躇わずさっさと倒してしまえば良かったのに」
「――ッ!!」
構えを取っていた美鈴が、突然身を強張らせた。そのまま段々と腕を下ろし、構えを解いてしまう。
「パチュリー曰く、私は魔法使いというより超能力者に近いそうよ。でも人形につなげた魔法の糸であなたを縛るくらいは出来たみたいね。じゃあ、しばらくその子達と時間を潰していてくれるかしら」
アリスはそう言うと、数体の人形を残し図書館へ向かって飛び去った。
「うう。パチュリー様に怒られる……」
残された美鈴はそんな事を呟くと、特に悲壮感も無く人形と戯れることにした。
・・・---・・・
図書館へ向かう廊下の途中、予想通りというか、十六夜咲夜が現れた。
「一応止まってもらえないかしら」
「あら、あなた相手に素通りするような愚行はしないつもりよ。階段を昇ったはずなのに降ろされるのは嫌だもの」
「……何の話かしらね。パチュリー様の悪い癖が伝染っているわよ」
「失礼ね。それにしてもパチュリーパチュリーって、みんな何でパチュリーのことばっかり言うのかしら」
「それはあなたがパチュリー様のことばかり考えているからそう感じるだけですわ」
「……そんなわけないじゃない」
「図星を指されると人はみな立腹する。今の自分を鏡で見てから出直していらっしゃい」
言いながら、咲夜はどこからともなくナイフを取り出し突き付ける。虚を突かれた形になり動揺したアリスは、それでも即座に自らの前方に人形を展開し対峙する。
「あらあら、まるでファランクスですわね。弾幕はブレインではなかったのかしら」
「ええ、ブレインよ。どこぞの鼠みたいに無節操に威力だけを追い求めるのは愚か者のすることですもの。統率が取れ制御された力の恐ろしさ、味わいなさい」
「まるでバッドカンパニーですわ」
「あなたも人のこと言えないじゃない。あなたの弱点は、金行は兌宮・乾宮、金白西秋哭……。白虎大道白秋庚辛、なんだあなたそこそこ猫度あるんじゃない。断ち切る金行には包み溶かす火行。火剋金、火行陣形!」
アリスは自身の眼前に展開した人形を、一つの頂点を咲夜に向けた三角形の陣形になるように操る。
「五行思想なんてますますパチュリー様ね。重症だわ」
「そう。だからパチュリーに会わなくちゃいけないのよ。大人しく通しなさい」
「依存するために?」
「呪いを解くためよ!」
「完全に見失っているわけではなさそうね。でも形式上立ち会ってもらうわ」
一呼吸おいて、咲夜がナイフを投擲する。それは人形に迎撃されアリスに届くことはない。同時に飛び出した一団の人形が咲夜に襲いかかる。それらの人形各々に対しナイフを投げ撃ち落とすと、さらに大量のナイフをアリスに向って投げた。人形を操り大半のナイフを迎撃するも、いくつかは防ぎきれずにアリスの衣服をかすめる。
「火虚金侮か。さすがにああまで大量のナイフを迎え撃つのは至難の業かしら」
「所詮付け焼刃ね。理屈は間違っていなくても実際行動に移すと準備不足が露呈しているわよ」
「そうね。明らかに手勢が足りていないわ。こういう時に取るべきは、一点集中の突撃かしら」
「五行思想が通じないとなると手のひら反し? ろくなもんじゃないわ」
「言ってなさい。木行陣形、行くわよ」
アリスは人形たちを咲夜に向かって縦一列に並べ替える。そしてその全体が一斉に咲夜に向かって突撃しながら攻撃を開始する。
咲夜はそれを受け、真正面からの濃密な弾幕に拮抗するべく大量のナイフを放つ。
二人の弾幕は拮抗しているものの、金剋木の理は覆し難く戦況は次第に咲夜の優勢へと傾いていった。
「今よ、火行陣形、全軍突撃」
アリスが命令を下すと、突如後方の人形が戦列を横に広げ、攻撃の角度を変える。それに対応すべく広角にナイフをばらまく咲夜ではあったが、今まで一点集中で攻勢をかけていたゆえに優勢であった戦況が次第にアリス優勢に傾いていく。
じわりじわりと平原に広がる野火の如く戦列を拡大し侵攻するアリスに対し、ついに対応しきれなくなった咲夜は被弾した。
「木生火よ。相生の原理によって火はより力を持つ。想像に広がりや膨らみを持たせなかったのが敗因ね。……ああ、そこも膨らんでいないもの、当然かしら」
「……くっ……!! ってどこ見て言ってるのよ」
「まあいいわ。じゃあ、私はパチュリーに会いに行くから」
「ええ。精々毒されてきなさいな」
「もう嫌というほど毒されてるわ」
「折角だからお皿もお出ししましょうか」
「そうね。折角だから頂こうかしら。それはどこに行けば出してもらえるの?」
「図書館に入ってまっすぐ行った突き当りの右が寝室、左が工房よ」
「ありがとう。じゃあ、お大事に」
咲夜の横を通りぬけ、図書館の扉を開ける。
相変わらずの蔵書量に、圧倒されるとともに安堵感も覚える。この場所はたとえ半月が一年になったとしても、変わらずここにあり続けるのだろう。
日光が差し込まないせいでカビと埃の匂いが鼻につく。この空気も半月ぶりになる。変わらぬ薄暗さに目も慣れたところで、ゆっくりと歩を進める。知らず知らずのうちに足音を立てぬようそろりそろりと歩いていた。まるで自分だけ数ヶ月前に戻ったようだと幽かに自嘲し、それでも物音を立てぬよう気を使って進む。
やがて見慣れた机の上に、以前よりも確実に大量の本が積み上げられているのが見えた。そして、その隙間から覗くのは……。
アリスは予想外の事態に少しだけ戸惑う。本の山の隙間に見えるのは、見間違えようもない紫の絹糸にも似た長い髪。当然本の山の向こうにいるのは――
「気づいているわよ。今も、あなたが初めて相談に来た時もそう。読書の邪魔をしないよう気遣ってくれるのは嬉しいけれど、そんな他人行儀な真似を今更しなくてもいいんじゃない?」
「あ……」
「どうしたの? かけて頂戴。あなたの椅子ならずっとそこに置いてあるわ」
「工房に籠っていたんじゃ……」
「館内で弾幕戦闘されれば気付く程度には、鈍くないつもりでいるのだけれど」
「そ、そう」
「それどころか、門番を縛り上げて喜ぶあなたの倒錯的な趣味のあたりから気づいてはいたのよ」
「ちょっ!! 別にそんな趣味……。って、これじゃあ半月前と同じじゃない。私はあなたに聞きたいことがあってきたのよ。力づくででもね」
「そう。私が何かしたかしら?」
「……パチュリーなのよ。ここ半月。いえ、ここに通い始めてからずっと、寝ても覚めてもパチュリーばかり。あなた、私に何をしたの」
「何をって、……何も?」
「いいわ、あなたを倒してからじっくり聞く。覚悟なさい」
「あら、あなたは私が呪いをかけたとでも思っているのかしら。ならその選択肢は現実的ではないわね。呪いは術者が消えれば消滅するタイプのものだけではないわよ。例えば蠱毒がそうね。あれは、術者の意思が呪いの決定的な要因にならないもの。食らいあう毒虫の力を魔力というか呪力として取り出して用いるタイプの呪いだから、呪いの対象を設定する式さえ整えておけば術者が死のうと力は残るし機能もするわ」
「いいから準備しなさい。決闘よ」
「落ち着きなさいな。あなたは何をしにここに来たのかしら。門番のところでは私に会いに来たと言っていたわね。咲夜には確か私に会わなくちゃいけないとさらに強いこと言っていたと思うのだけれど。あなたは何故私に会う必要があったの?」
「だから、四六時中パチュリーのことばかり気になって仕方がないのよ。で、あなたが何かしたんじゃないかと思って」
「端的に言うなら呪いをかけたとでも思ったのかしら。それは違うと断言できる訳ではないけれど、少なくともそんなことしていないわよ。……まあ、それ以外に思い当たる節が無いとは言わないけれど」
「あるんじゃない。何をしたのよ」
「別にわざとやった訳では無いわ。単純接触効果って言って、顔を合わせたり話をする回数が多いほどその対象に好意を抱く傾向にあるってこと。それに、あなたは素直に私の話をききすぎていたわね。それが言霊をかけるのと同じような効果を持ってしまったのかも知れないわ。意図したものではないけれど、それらがあなたに無用の苦しみを与えていたのだとしたら本意ではないわね」
「……そう」
「問題は解決したでしょう? じゃあ」
「ちょっと待って。それもあるけど、何でいきなり私に来るななんて言ったのよ。別にあのままだって研究は進められたわけだし――」
「あのままだったらあなたの研究ではなく私とあなたの研究になってしまっていたわ。私が見たいのはあなたが自力で作り上げた幻想だもの。自分が関わった物を見ても興が削がれるばかりだわ」
「そうかもしれないけど、だからって」
「あなた、人形遣いとして何が重要だと思う? 普通は操る人形があたかも生きているかのように操ることね。無生物に仮初の命を与えているかのような幻想を生みだす、それが人形遣いの幻想だわ。人形を自分の一部にする。これは比喩でも何でもなくて、人形遣いって言うのは正にそういうことをしているのよ。自分の知覚する範囲を人形を通して拡大する。自分が操作する領域を人形を通して拡充する。人形遣いは人形を通して自己を拡大しているだけ。勿論それに伴う快感は得られるでしょう。欲求には際限が無いけれど、どれだけ拡大しても結局どこまでも自己なのよ。詰らない一人遊びと大差無いわ。それでは新たな他者を作り出すことは叶わない。だからあなたの願いを叶えるためには、それ以外の考え方を教えるのがよかったの」
「そうね、おかげで研究は進んだわ」
「それなのに、今度は私が同じ事をしようとしていた。単純接触効果というのは実に威力のあるものね。あなたが毎日のようにここへ来て、本を読み、私の漫談に付き合ってくれる。私もそれほど幻想度の高くない、言ってしまえば人間に近いものだもの。それなりにあなたに好意も持つわ。いっそ式をかけてしまおうかと思う程度には、あなたのことを憎からず思っていたのよ。支配欲ね。非常に良くない傾向だし、残念ながらあなたに式を打つ程度の能力なら持ち合わせているもの。あのままだったら、あなたの研究を駄目にしてしまっていたでしょうね。そんなことしたくもないのに」
「それで、来るなって? 言ってくれれば」
「言ってどうにかなるようならやってる。大体あなたはなんなのかしら。宴会でいくら誘っても来なかったのに、私が諦めた頃にふと現われてからは毎日のように通い詰め、挙句こんなにやきもきさせて。今日だってそう。来るなといった手前私から出向くわけには行かなかったけれど、あなたがもっと早くに来てくれていたらこんなに苦しまなくてもよかったのに! ……いえ、苦しんだのは私の勝手であなたのせいじゃないのは分かっているのに、駄目ね。百年も本ばかり読んでいたら、すっかり感情の制御がきかなくて」
「その、……ごめんなさい」
「あなたに謝られると私はもっと辛いわ。勝手に迷走して自滅した私が悪いんだもの。とにかく、これ以上は互いに駄目になるばかりだから、少し離れて冷静になろうと思っただけ。まあ無理だったわけだけれど。でもあなたには是非研究を完成させてほしいわ。だから、研究が完成したら来てほしいと言ったのは本心よ。それは私もとても興味があるものだし、喜びくらいは分かち合わせてほしいもの」
「そうね。ええ、勿論そうするわ。でも、たまには会いに来てもいいでしょう? パチュリーがあんなことを言った理由も分かったし、もう同じ過ちは繰り返さないわ。だから……」
「……そうね、わたしも最近あなたのお菓子が恋しくなってきたころだし。あんな酷いことを言った手前、身勝手だと言われても仕方がないけれど。それでもよかったらまた来てくれないかしら。研究の息抜きのついでで構わないわ。愚痴をこぼすだけだっていい。あなたに会いたいのは私も同じ」
「それを聞けて嬉しいわ。その……、ここ半月ずっと考えていたのだけれど、私の研究にはあなたが必要なのよ。どうしても。だから、また来るわね。勿論お菓子を持って」
「楽しみにしておくわ。それにしても、すごい格好ね。まるで魔女狩りにでも来たみたい」
「そうね、魔女狩りにきたんだもの」
「あら、何をされるのかしら。日も高いうちからいやらしい」
「いやらしくない! そういう想像しない」
「そういう想像ってどういうことかしら。私はただ、中世の魔女裁判みたいに判決ありきのいやらしい裁きをするのかと思って言っただけだけど? まさか拷問までする気だったのかしら。足の爪をはがしたり、親指と親指の間を責めたり……」
「そこまでよ。最後のはさすがに色々と拙いわ」
「そう? 残念ね。最終的にアリスなしではいられないようになるまで調教される私の姿を幻視してたんだけど」
「変態!!」
「冗談よ。まあ、あなたなしでいられないのは本当だけど」
「……ううー。あなた本当に魔女よね」
「今更も今更だわ。で、狩るの? 狩らないの?」
「狩らないわよ。誤解は解けて問題は解決。狩る必要が無いわ」
「じゃあ、帰るのかしら」
「ええ、帰るわよ。パチュリーに食べさせるお菓子を作りに」
「あら嬉しい。期待して待っているわ」
「期待に沿えるといいのだけれど。じゃあ、またね」
「ええ、また」
二人がゆっくりと微笑む。アリスは名残惜しげに図書館から出て行き、パチュリーはそれを愛おしげに見つめていた。
■□■□■
それからは一週間に一度、幽かに頬を染めて足早に図書館へ向かうアリスと、そわそわしながらそれを待つパチュリーの姿が見られることとなったらしい。
世はおしなべて事もなし。めでたしめでたし。
昨夜 → 咲夜
名前を間違えることはご法度ですので注意を
まぁ読み方は間違っていないようですが^^;
あなたのパチュアリ熱は色んな所に伝染してしまえばいい。
パチュリーに頼まれたこと(お茶の時にお土産)を咲夜がこなしてたのは、すぐに新しい用事(椅子)を言われたから?
>親指と親指の間を責めたり
? 両足(手)を縛って何かをするのか、誤字なのか
作者様の言葉遊びのセンスに脱帽と嫉妬。ご馳走様でした
こういうことですね、わかります。
パチュアリは私も大好物なのですがいかんせん少ない・・・
読解力が足りないのが悔しいですが、とりあえずパチュリーがもう最高。
そして振り回されてるアリスも最高。
それとは無関係に…。
何このアリパチェ、悶えてしまいます。
これだけ濃密な内容をテンポ良く読ませてしまう技術には感服しました。
た、たまらん もっとやれ お願いします!!!
アリスには幸せになってほしい。
パチュリーの淡々とした長い台詞が、徐々に感情に染まって行く様が可愛いです。
ところで、
>「もし噴き出していたら、勿論バズソーよりはシャイニングウィザードよね」
何時の間にTAJIRIサーンとムタは幻想入りしたんですかw
彼女の台詞回しも、アリスに対するアドバイスにしてもジョークにしても実に
「らしい」と思います。
ただ、展開の単調さと戦闘シーンの薄さが気になりました。
特に理由も無いのにアリスがスペカルールで戦わないのも不自然ですし。
自宅での準備段階では「対パチュリー攻略」を明確に意識しているのに、
パチュリーと戦わずに終わるのも物足りなかったです。
一応、58番目の「名前が無い程度の能力」様までは追記をもって返信と代えさせて頂きます。
また、抜粋レスの形になってしまっていることをお詫び申し上げます。
>ジタンとゴロワーズ
辛いですよね。私は二~三本程度しか吸ったことないですけど。私はセブンスターが大好きです。
>もっとやれ。アリスには幸せになってほしい。
やりたいのは山々なのですが、どうにもこういうSSは難しいです。期待しないでいてください。後半には同意。
>TAJIRIサーンとムタ
幻想入りしないでほしいですよね。でも私はそれよりリーガルさんが心配です。関係ないですね。すみません。
>…られら?
られら、れれられ、られられっれら。嘘です。すみません。私めが何か不始末を致しましたでしょうか。
>展開が単調。戦闘シーンが薄い。スペカルール無視が不自然。戦わずに終わって物足りない。
はい。その通りですね。前の二つに関しては全面的に私の筆力不足が原因でございます。
色々と飽きられないように小手先の工夫は加えているのですが、所詮は小手先に過ぎないようで。恥じ入るばかりです。
スペカルール無視については、アリスの頭に血が上っていたということでご理解頂けないでしょうか。恋は盲目と言いますし。
……無理ですよね。すみません。
弾幕戦闘を行わなかったのは、アリスのスタンスがパチュリーに会うためなら「戦いも辞さない」であって「問答無用で叩きのめす」ではないからです。
なので、門番とは直接的に戦わせませんでしたし、最終的にパチュリーとも話をして終わりにしました。
こんなところで説明になりましたでしょうか。色々と分かりにくい文章ですみません。
変ですよね。説明をしてても所々おかしいと思います。描き切れていない部分がまだまだあるようです。
話を先に進めるために色々とすっとばす癖はよくないですね。以後気をつけます。
では、ご指摘下さった方々、ネタに反応してくださった方々、そして少しでもパチュアリに萌えて下さった方々に心から感謝致します。
不思議ですよね。ソースは失念しましたが、パチュ萌えな人たちの間では割と常識らしいです。
きちんとした理屈があるのかもしれませんが、よく知りません。
パチュ萌え。
一点だけ気になること。
やぶにらみは斜視のことですが、ジト目と混同されてませんか。
閉じたり閉まったり、等のギミックの織り交ぜ方にも脱帽。
>やぶにらみ
混同してます。すみません。以前知人にも注意された気がしなくもないのですが、基本的に鳥頭なもので。
やぶにらみは斜視でがちゃ目のことですね。ちぃ覚えt……ゲフンゲフン。
>哲学書から得た知識の有効活用
哲学書はそれほど読んだことがないのですが、そう感じて頂けたのなら幸いです。
ほとんど新書などの入門書くらいしか読んだことありません。
こんな事を書いて真面目に哲学をやってる人から怒られないか不安です。
最近では『生物と無生物のあいだ』が久々のヒットでした。どうでもいいですね。
言葉の巧みさに惚れ惚れしました。
二人のやり取りに身悶えもしました。
必死なアリスかわいいよアリス
パチュアリはっ、ジャァァスティィィィスッ!!!!
親指と親指の間って…間には…まさか延長上にあるこ
ですが気になるところが一つ。
指で二進法で数を数えると、片手では31まで数えれるんじゃありませんか?
懐かしいなぁこの科白
>軽く自己嫌悪に陥る。馬鹿。大事だからもう一回くらい言っておこう。馬鹿。
こういうのがとても読んでて気持ちがいいです
なかでも極みの部類に入ると思う、個人的に。
随所に散りばめられた小ネタや言葉遊びが効いていて、読むのがとても楽しかったです。
会話文のなかに言葉遊びがいくつもあり量はあるはずなのに全然苦痛じゃありませんでした。
眼福感謝です。
素晴らしい。
……可愛すぎるだろ……好み過ぎるよこの二人
割と博覧強記でなければ、こういうのは書けないんじゃないでしょうか。
すきですわー。これ。