Coolier - 新生・東方創想話

もし紅魔館の門番が、ドラゴンの『むかしばなし』をしたら

2012/04/10 21:51:44
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「…美鈴?」
「…はい」
「あなたはなぜ! この紅魔館の門前で! 真っ昼間から! ぶっちぎれた歌を歌いながら、お酒を飲んでいるの!!」
「ひゃぁんっ! …あの、その、これには理由が…」
「また適当なコトを!」
「いえ、いえ違うんです! 本当にわけがあるんです!」
「どんな訳よ? くだらない理由だったら、いつもどおりタダじゃおかないから!」
「いえ、いえね。昔ッからの習慣なんですよ。毎年こう、今日は門出を祝って~、みたいな…」
「昔…? それは、私に見つかる何秒前の事かしら!?」
「いや、普通に私が幻想入りしたころです! 私が硬派だった頃で…」
「…もしかしたら、あなたの言っている『硬派だった』というのは、あなたの妄想ではないでしょうか?」
「信じてくださいって! 本当に、昔はちょっとワルめのアウト龍(アウトロン)だったんですよ!」
「ちょっと永遠亭まで行って来るわ」
「咲夜さぁ~ん…ホントなんですってばぁ…」



「と、いうことで。連れてきたわよ」
「ひゃわ!? あれ!? わたし、なんでいきなりこんなところに!? これもお師匠様の罠…!? ああ、またエロ同人みたいに…!」
「いいえ、私の罠ですよ兎さん。まずは落ち着いて下さい。
 とりあえず、目の前の赤毛バカに頭の薬をありったけ処方して下さいますか? そうすれば、帰りの道も安全に送り届けて差し上げますよ」
「えっ…? あの、その、でも、この薬箱の中って、劇薬スレスレのお薬ばかりでしてね」
「劇薬って、毒!? さ、咲夜さん、それはさすがに…」



「と、いうことで。話の分からない兎は放っておいて、それっぽい薬を抜き取っておいたわ。さ、飲みなさい」
「待ってくださいよ、本当、本当なんです! …わかりました。いい機会ですからお話しますよ。ちょっとだけ真面目な話です」
「…そう、いいわ。あなたがそう言うのなら信じてあげる」
「そうでしょうそうでしょう、さぞや気になることでしょう。ミステリアスな女の過去というものは…」
「図に乗るんじゃないの。仕事も終わったし、あなたのヨタ話しを聞きながらひなたぼっこするのも悪くないと思っただけよ」
「まーた照れちゃって…。むかしばなしの前に、コレ、一口どうです? お屋敷のワインとはまた違って、いなせなお酒ですよ~」
「…その瓢箪の中身、なんなの?」
「白酒です。安酒ですけど、これが結構いいんです」
「いい、遠慮しておくわ」
「そうですか…。では遠慮なく」
「遠慮しなさいよ、この酔っぱらい。紅魔館は、門前ドライブスルーはやってないのよ?」
「…ダメですか?」
「…捨てられた子猫みたいな目をするんじゃないの。いいわよ、別に」
「へへー♪」
「…で、昔話はまだなの?」
「そうですねぇ~…。どこから話したものやら?
 …ええ、大体四百年前のことでしょうか? 私が幻想入りして一年足らずのころです」



       ・




ここからは、昔々のお話。
結界は一つしかなく、弾幕もスペルカードもない昔々の幻想郷。
妖怪は妖怪らしく人間は人間らしかった時代のお話。

さて。四百二十一年の昔に、美鈴は



        ・



「空は青くて水は清くて、人は醜くて世界は狭くて…。嗚呼、なんてつまらない…」

唄うようにぼやいた少女は、木陰に寝ている。
山奥の、湖というにはいささか小さすぎる大池のほとりだ。
風も無い、蒸し暑い真夏の午後。普通の人間ならば、山深くの清水に喜んで飛び込むであろうが、少女はどさりと寝転がっているだけ。

「暑い…。冬は寒いくせに夏も暑いなんて…。本当、最高に最低…」

汗ばんだ体を横たえたまま、のんびりと呪詛を吐き散らすのみだ。
傍らには、二日ほど前にすべて空っぽになってしまった酒樽が、三つほど転がっている。
これは当然、少女が購った物ではない。無論、少女へのお供え物でも贈り物でもない。

あまりの無為と退屈に耐えかねて、八岐大蛇の真似事をした時の土産だ。
…いや、少女が耐えていたのは、無為と退屈ばかりではなかったのだ。
本人は、それに気づいていなかったようであるが。
かつての、愚かな人間の仕業や、純真な自分の愚かしさ。
そういった過ちに耐え続けた結果、彼女は人里を荒らしてお神酒を盗む、といった狼藉を働いたのだ。

初めて働いた悪事が酒泥棒。いやはや、実に愚かしいことだ。
彼女にも、それは分かっている。
だが、そういった妖怪として扱われてしまった以上、彼女はそういった悪い妖怪なのだ。
ならば、そういった狼藉を働くのは、人々からすれば当然だった。

そして、そういった悪い妖怪は多くの場合、神々に祝された戦士か、蛮勇の若者に打ち倒される。
彼女の例にとっても、それはごく一部において当てはまっていた。

「ふむ。この樽は、お嬢さんの盗ってきたものかね?」
「…おじいちゃん、おうちはどこだか憶えてますか?」
「呵々。面白いことを言わしゃる。ボケた爺が、この山奥まで盗人を退治しに来るものかよ」
「…帰れと言ったが、分からなかった?」
「分からなんだのう。それで帰れという意味に通ずるのかね? 大陸の言葉とは面白いものじゃ」

老人が、またもからからと笑った。
ここに至って、ようやく彼女は起き上がり、目を開いて馴れ馴れしい見ず知らずの老人を睨み付けた。
殺すつもりだ。
彼女は退治されるつもりはないし、愚かな人間なぞに手心を加えてやるつもりもない。

彼女がこのような手段を採るのは、初めてであった。
かつての彼女は心優しく、人間、動物、草木、すべてを愛し、平等に助け、また罰していた。
残酷さは欠片も無く、人々には恐れながらも愛されていた。

だが、その時の彼女には、この殺人にためらいは無く。この老人の命にさえも、何の価値も見ていなかった。

老人は、杖をついていた。
あご髭を短く刈り込んで、豊かな白髪を後ろ無造作に束ねている。衣服は、継ぎのあたった何色だったのかもわからないような着物。ただの貧しい老人としか見て取れない。
しかしこの老人は、妖怪の強烈な殺意を向けられて、いささかも動じていなかった。
それは、彼女…美鈴にも、はっきりと見て取れた。

「お嬢さん。名を何と言うのかね? 儂は…」
「名前なんて言わなくていいわよ。戒名なら、聞いてあげるけど?」
「ふむ…」

老人は、憮然とした面持ちで短いあご髭をひねった。
と言っても、彼女の態度に気分を害したのではない。強情な娘に手を焼いている、父親のような顔であった。
その表情が、よけいに美鈴を苛立たせた。自分を格下として、見下しているかのような態度が気に入らなかったのだ。
目の前の老人に対してだけではない。ここで出会ったすべての人々に、彼女は同じ苛立ちを感じていた。

(私が誰かも知らずに、調子に乗って…。誰も彼も、私を妖怪と罵って…! どいつも、こいつも!) と。

その苛立ちは、正しいと言っていいだろう。彼女は、かつては祠の一つも建てられて、祭られていた龍神であったのだ。
それがすべてを失い、奪われて、このような島国の結界に閉じ込められている。人々は、口を開けば『妖怪、妖怪』と彼女を貶める。
彼女がいくら温和であっても、一年あまりも人を避けて酒食を断って隠れ住んでいたのでは、鬱屈は深まる一方だ。

そう、ついこの前まで、彼女は人を襲う事もなく、ただひたすらにこの大池に隠れ潜んでいたのだ。悪事も働かず、人食い妖怪とも関わらずに。
にもかかわらず、里に下りていけばその赤毛と瞳の色だけで妖怪だ妖怪だと騒がれた。
怒りは、当然のものであろう。

「あれほど大胆に里を襲っておきながら、人を手にかけなんだではないか。儂はな、お嬢さんは話の通じるいい妖怪だと思っておるよ」
「話? はっ、下らない。下らない下らない…! 何を今さらァっ!」

彼女の中で、怒りが弾けた。

地面を引き裂いて、美鈴が突進した。それは尋常な速さではない。
槍の間合いよりもなお遠い、5メーターほどは開いていた間合いを一息に詰めて、老人の眉間に痛烈な突きを放った。
もとより手心を加えるつもりは無かった。これは本気の、必殺の一撃である。
しかし、老人は美鈴の一撃よりもなお速く、左に体を開いてこれを躱し。
その勢いを駆って、体を回して肘を打ち込んだのだ。
それを間一髪で、と言うべきだろう。美鈴は両腕でその一撃を防いだ。
真っ直ぐに受け止めた美鈴の体に、冷や汗が吹き出た。
この一撃は、まともな人間の放てる力ではない。
妖怪としては、中程度の実力である彼女だが、まともに喰らったら立てるかどうかは分からないだろう。

しばし押し合い、ぱっ、と老人が2メーターあまり飛びすさった。これも、人間業ではない。
ここでようやく、彼女は自分と相手とが、対等な妖怪である事を理解した。苛立ちに任せていたとはいえ、全力で打ち込んだ彼女の判断は正しかった。もし侮ってかかっていたら、躱すまでもなく受けられていただろう。

構えをとった老人との間合いはおおよそ2メータ-、十分に彼女の間合いの中だ。ということは、相手も自分を間合いの中に捉えていると思っていいだろう。
この場合怖いのはカウンターだ。あの威力に彼女自身の勢いも乗せて急所を打たれたら、問題なく一息で死ねる。
老人も拳法を遣う。迂闊な一撃は、そのまま自分に帰ってくるのだ。
とはいえ、カウンターを回避する技は当然ながらある。自信も持っている。彼女の二千年近い修行は、彼女の血となり肉となっている。

だが、彼女は踏み込めず、なおも対峙を続けている。足が動かないのだ、まるで自分の意志が通じていないように。
彼女は、自身の命を賭けて一撃を打つ。などという経験はかつてなかった。それゆえの、怯えであったのだ。
その怯えを見越したように、老人が構えを解いて言った。

「止めにはできんか? お嬢さん」
「…何をぉっ!」

美鈴は、誘い込まれるように吠えて、打ち込む。
待っていたかのように、老人は一歩踏み込んだ。
そして次の瞬間には、美鈴は老人の踵を受けて、崩れ落ちた。

理解出来なかった。いや、自分に何が起ったかは、美鈴ははっきりと理解していた。
体を沈めて蹴り上げた自分の一撃を老人が躱し、無防備な脇腹に踵を落としただけの事だ。
理解できないのは、速さと重さだけだ。
この異常な速さと重さならば、彼女を闇討ちし、一撃で殺すのは容易だっただろう。
けれど、老人の手心か、美鈴の腕前なのか。その衝撃は命を、さらには意識を刈り取るにも至らなかった。
崩れ落ちた体を、美鈴は必死に持ち上げようとする。
だが、脇腹への一撃は、確実に身体を刈り取っていた。

「あ…くぅ! が、ぁぁあ…!」
「止めには、できんか」
「止めたいなら、殺しな…!」
「そんなことをしておったら、儂が何もせんでもな、死ぬよ」

無意味な足掻きを、とどめを刺そうともせずに、老人は痛ましげに眺めていた。
老人は、彼女を殺そうなどとはまったく考えていない。本当に、この年若い龍と話をしに来たのだ。
村人もあえて殺せとは言わなかった。里を襲わないようにすれば、それで良いと。

勝負は老人の勝ちであり、このままでは、何度戦っても老人は負けない。
彼女を殺すのは、二度目の襲撃の時でいい。老人はそう思っていた。

だが、彼女にはまだ勝算がある。それゆえに、命を賭して体を起こすのだ。

「私はね、違うんだよ…! 人喰いのうす汚い妖怪とはさ…! 違うってのに、どいつもこいつも…!」

立ち上がった彼女の血を吐くような叫びを聞いて、老人の顔は曇った。
理解されずに苦しめられ、誤解を解こうにも人間は話を聞いてくれない。
周囲の妖怪とも馴染めず、ただただ世界を呪いながら、悲嘆にくれて絶望していた。
そのような彼女の生活を想像するのは容易であった。

そのすぐ後の彼女の異変に、老人はいっそう痛ましい思いをした。
同胞である若者が、これほど苦悩していたのに、それを叩き伏せるしか方法が無いという事実に。

白い歯がきれいに並んだ口が、剣のような牙を敷き並べた顎に変わった。
赤毛は、波打ち逆立つたてがみに変わった。
かつては少女の肌であった皮膚は、ウロコに覆われた巨体となった。
繭のような激流に包まれて数秒の後。彼女は、巨大な龍となった。

龍が咆哮する。
水は逆巻き、空はたちまち暗雲に覆われた。
太陽は厚い黒雲に隠され、龍の眼のみが爛々と空に輝く。

なるほど、これに生身で勝つのは至難であろう。
拳であろうと剣であろうと、このウロコを貫こうというのは無謀な試みだ。そも、自在に空を飛ぶこの龍に、剣や拳は届かない。

もう一度、龍が吠える。
雷鳴が轟き、暴風が水面を掻き立てた。

美鈴は覚悟を決めていた。この姿を見せ、この老人に逃げ帰られたらただではすまない。
老人は、諦めるかもしれない。しかし、その言葉を聞いた執念深い人間に、いつか自分は殺されるだろう。
美鈴の覚悟とは、逃げる老人を背後から食いちぎる覚悟。それは、かつてこの少女が最も嫌っていた残酷さだった。

だが、幸いにもその覚悟は不要であった。

彼女が見たのは、予想もしなかった老人の姿だ。
逃げもせず、隠れもせず。
老人は繭のように炎に包まれた。

老人は、赤銅色のドラゴンへと姿を変えた。

稲妻のような速さの、地滑りのような重さの尾で打たれ、彼女はあっけなく失神した。

老人は、人の姿に戻った彼女を見届けて、自分も元の姿へと戻った。
地面に倒れふした彼女を見つめて、老人はふといため息をついた。その顔は苦しげに歪み、脂汗が浮いている。



        ・



「ほれ、起きなされよ」
「むぷっ! えほっ、けほけほ…。何事!? ってあれ…?」
「まともな言葉遣いもできるではないか。やはり、お前さんとは話ができそうだよ」
「なっ…! 貴様…!?」
「まあ座れ。儂もお主も、慣れない事をして疲れ果てておるだろうによ、いまさら殴り合ったところで始まらんわい」

自分の帽子にくまれた水をかけられて気がつき、弾かれたように立ち上がった彼女であったが、あまりにも穏やかな老人に、毒気をすっかり抜かれてしまった。
ぺたりと座り込んだ彼女に、最前までの荒々しさは微塵もない。

「…お爺さん、なんで人間の用心棒まがいのことしてるんですか?」
「用心棒そのものじゃよ。もっとも、儂がドラゴンであるとは誰にも知られておらんがな。
 妖怪だと勘付いている奴はおるようじゃが…。便利の用心棒を、手放すテは無いだろうて」
「そんな、馬鹿みたい…。誇りとか、ないんですか? 人間の言いなりなんて…」
「無いのう。くだらん金銀財宝なぞを何千年と守り続けるだけであった我が身に、誇りなど抱けるものかよ」

言い捨てて、からからと笑った老人が、美鈴には理解出来ない。
自らに誇りも持たず、人々に忘れ去られ、ならばこの老いたドラゴンは何の為に生きているのか?
彼女には、この老いたドラゴンが理解出来なかった。

「じゃあ、何が楽しくて何のために生きているんですか? あなたは」
「楽しいことなど、なんっにもありゃせんわい。生まれた時からずっとじゃ。
 ただな、ドラゴンだとか龍だとかは、何かしらを守る為に生きるもんだ。それが何かには、わしゃ興味は無いわ」
「ははあ…。要するに頑固ジジイですか、あなた」
「いや、他の生き方を知らんだけじゃよ。この世に生を受けてより数千年、ずっと守り通して来たのじゃ、今さら変えられるものかえ。
 お主も、そうではなかったのか?」

言われて、ようやく彼女は思い出した。
何かを守る。それが龍の本分であったと。
自分も、あのような事が無ければこんな生き方を選んだだろう。
それだけに、なんのこだわりも無いこの老人が、彼女は憎らしかった。

「おうおう、もう日が傾いておるのう。随分と時間をとられた、急がねばな」
「そうですか、早く帰って下さいよ。…あなたと私は、友達にはなれないんですから」
「何を言っておる? 誰がお主を逃がすと言ったかね。お主も来るんじゃよ」
「はあ!? 誰が行きますか、そんなの!」
「そう言うな、儂一人ではいささか骨が折れる仕事があってのう。なにぶん、この爺がお主とあれだけ争ったのだからな。
 それにな、悪い妖怪であっても、そやつが改心して人里を守るために悪い妖怪と戦った。ということなら、見逃した儂の面子も立つ」
「…悪い妖怪って、何が何人ですか?」
「ほれみろ、乗り気ではないか。なあに三十はいまいよ。それも雑魚ばかりだ、ちょいと痛めつけてやれば良い」

老人がにやにやと笑っている。口車に乗せたと思っているのであろう。
人間のためだというのは気に食わないが、この老人の口車になら乗ってもよい。彼女はそんな気がしていた。

「…もうひと休みしたら、夕暮れ時を狙いましょう。きっと、のんきに酒飲んでますから」
「よしよし、そうしようとも。もっとも、そのような気を使ってやるほど、連中、上等ではないがな」



        ・



数時間後、二人は息を詰めて、捨てられた荒れ寺に近付いていた。小さな境内は荒れ放題だが、道は踏みしめられ、堂内からは妖怪の笑い声が聞こえる。
寺の中で酒を喰らって大騒ぎをしているのは、『小鬼』である。
鬼と名乗ってはいるものの、酒天童子などといった『鬼」に比べれば格はぐんと落ちる。せいぜい徒党を組んで村を荒らす程度の小物だ。
そのころは、中国から日本から、果ては西欧からも、山賊などに追われて幻想郷にあふれるようになっていたのだ。
この寺は、小鬼どもの小さなたまり場の一つに過ぎない。

寺に殴り込む手筈は、こうだ。
まずは正門と裏口に別れて、老人が正門から得意の呪術で火を放つ。
これは、奴らの逃げ道を裏口に限定する意味もあるし、堂内は大いに混乱するであろう。
しばらくして火が回ったところで、美鈴が同じく呪術で水をぶちまけてから、そろって殴り込む。
この際は、高熱の火を消すことによって生じた蒸気が、堂内の敵の視界を奪うことになるはずだ。
その混乱の中で、小鬼どもを殴り飛ばして、あの村を襲ったらどういうことになるかを教えてやれば良い。

この程度まで話をまとめて、細かいところは詰めきらずに二人は寺へと向かった。
こういった荒っぽい殴り込みは、勢いまかせとなるのが、かえって良い。これより細かいことは、それぞれが思うようにやればいい。

美鈴は、裏口に張り付いた。
日は低くなったとはいえ、山中でも真夏の暑さはかなりのものだ。
久しぶりの緊張と暑さとで、彼女の喉はからからに渇いていた。

美鈴は、ほどなくして正門から火の手が上がるのを見た。火の回りは、思っていたよりも数段早い。
小鬼が騒ぎ始めたのも、すでに寺が半分ほど炎に包まれてからであった。
小鬼が騒ぎ始めても、美鈴はまだ水をぶちまけなかった。息を潜めて、限界まで待ち続けた。
しばらくして、どたどたと裏口に駆けてくる足音が聞こえた。裏手の井戸を目指しているのである。
これが限界であった。

『彩雨』

呟くや否や、空からと屋根裏からと言わず、周囲のありとあらゆる物の『天井』から豪雨が降り注ぐ。
尋常ではない熱を放つ火に触れて瞬く間に蒸発し、また、火を消してゆく。美鈴の十八番であり、とっておきだ。
室内は、混乱の極みとなった。怒号と悲鳴が、いくつかの言語で飛び交っている。二人が手を下すまでもなく、殴り合いを始める小鬼もいた。

「はぃやっ!」

と気合いを発して、裏口に駆けて来た小鬼に掌打を叩き込む。
美鈴の一撃を受けて、そいつは声も出せずに吹き飛んだ。
倒れたそいつには目もくれずに、美鈴は湯気の立ちこめた堂内に飛び込んだ。
後はもう、目についた奴から、稲でも苅るようになぎ倒すのみだ。

五人ほどを殴り飛ばしたところで、火を消しに来た小鬼を打ち倒していた老人と合流した。
軽く視線を交わしたのみで、互いに離れた。
老人が、気合い声も発さずに小鬼の首すじを二人三人、二回三回と蹴り飛ばす。

「敵だーっ! 殴り込みだぞぉーっ!! 刀はどこやった!」
「んだとぉ!? 親分は無事かーっ!?」
「殴り込みだぁ!? 敵ァ何人だ!」

小鬼がそう叫んだ時には、堂内にはその三人しか立っている小鬼はいなかった。

「テメエかぁ-っ!」

そう叫んで徳利で殴り掛かって来た小鬼を、美鈴はいとも簡単に投げ飛ばした。
そいつが二、三回転して床に叩き付けられるまでに、二人はそれぞれ一人ずつを気絶させた。
美鈴もさることながら、老人の働きは凄まじいものであった。
次々と急所を打ち抜く様子は、老いを全く感じさせなかった。洗練された武術ではなく、獣のように真直ぐで鋭い動きだ。

「う、げぇっ…」

投げ飛ばされて、ヒキガエルのように叩き付けられた小鬼が起き上がろうとしている。その背を、老人が思いきり踏み付けた。

「おい、小鬼さんよ。あんたらが食うに困るのも人を襲うのも、儂の知ったことではないが、儂の守っている村に手を出すのは許せないね。
 いいかえ? 次にこんなことをしてみろよ、今度は儂一人で、残らず地獄に送ってやろうよ。分かったかね?」
「ひい! …う、ぅぅ…」

と、投げ飛ばされただけにもかかわらず、この小鬼、あっさりと失神してしまった。
呆れた様子で視線を交わし、二人が出ていった後の堂内には三十四の気絶した小鬼が転がっているのみだ。



        ・



二人が焼け落ちた正門から外に出ると、まだ夕焼け時であった。日は落ちているが、空にははっきりと夕焼けが残っている。
さすがに疲れた様子で、二人は近くの木の根元に座り込んだ。

「いや実に上手くいったのう。儂一人であったら、この山中にああも大胆に火は放てなんだわ」
「ええ、とんだタダ働きで。それにしても暑かった…、まるで蒸し風呂でしたよ。喉が渇きましたね」
「ふむ。ならばちょいと待っておれよ」

そういって、半分は瓦礫の山になった堂内に老人は入っていった。
しばらくして出て来た老人は、両手に一つずつ瓢箪を持っていた。

「ほれ、お前さんのじゃ」

そう言って投げ渡した瓢箪からは酒の香りがした。
老人が一口飲むのを見届けてから、彼女も口にした。子鬼の酒など、どんな味がするか知れたものではない。
瓢箪の中は焼酎だった。意外に、うまい。

「沁みるのう」
「沁みますねぇ」
「盗んだ酒よりも、旨いじゃろう?」
「…ま、いくらかは」
「ならば好し。どうじゃ、儂と組まんか? 何かを守ってこその龍じゃよ、のう?」
「それだけは無いですよ、よりにもよって人間を守ろうなんて…。冗談じゃない、あんなモノ」
「…何があった」

彼女は答えなかった。
それだけでも、老人が美鈴の過去を推し量るには十分だ。
怒りや悲しみを抱え込むことが、最善の策ではないのを老人は知っていた。

「それじゃよ、それがいかんのだ」
「何が、いけないんですか?」
「そうやって、鬱屈を溜め込むのがいかんのだよ。いくらかでも吐き出してしまうがいいさ。お前さんは、いらん事を溜め込み過ぎとるのじゃ」

しばらくして、嘲るように呟いた。

「…私はね、他の残酷な龍が嫌いでした」
「なるほど、お前さんらしいわ」

それきり、美鈴は言葉を続けるのを躊躇った。
だが、酒を一口飲んで、もう一言呟くと、後は堰を切ったように語り出した。

「…人間を平気で食べたり、自分の守る河を幾度も氾濫させて人里をなぎ倒すような、そんな龍が大嫌いだったんです。
 そして、小さな河を守ることになった私は、自分はこんな河ではなくて人間を守ろうと決めた。馬鹿な事です。他の龍からも妖怪からも、ずいぶんと貶されました。中には私を妖怪の敵だと言う妖怪もいました。
 でも、私は強かった。だから、誰も私の守っている河や人間を襲わなかった。
 人間は私に感謝して、祠を建ててお酒や肉を供えてくれたりと、よくしてくれました。
 いつしか、私の呼び名は滝の主から滝の神様になって、それに比例して私の力は強くなり、私の守る村は大きくなった。そして、その内に私は龍から水神へと、名を変えました。
 神様になっても、妖怪達とはうまくやっていけませんでしたけど、私は人間を信頼して、大切に思っていました。もちろん向こうもそう思ってくれていると、私はそう信じて疑わなかった。
 …つい五十年ほど前に、海の向こうから青い目の異人がやって来たんです。彼らは、布教のために来たのだと言っていました。
 その教えは滑稽でした。この世界には神はただ一人しかおらず、この世界は全能の神の作ったものだー、って。笑っちゃいましたね。もしそれが本当なら、私は一体なんなんだって。
 …でも、里の人間達はそれを信じた。いまだに、どうしてなのか分からない。
 彼らは、こうも言いました。『ドラゴンとは、憎むべき悪魔の馬であり槍であり盾である。彼らは炎を吐き、毒の血を流して作物を枯らす。
 また、蛇は人に全ての苦しみを背負わせ、アダムとイヴをエデンの園から追放せしめた邪悪なる生き物だ。龍もまたこれらに等しく、悪魔の走狗となって善良なる人々の血肉を狙っているのだ』って。
 本当に人間は愚かでした。自分達の信じていた存在を裏切って、祠を燃やす、川に貴重な塩をまき散らす。そんな事を本気でやってるんですから。
 …ま、私も同じくらい愚かでしたね、そんな生き物を信じてしまったなんて。でも、ただの妖怪になってしまってからそんな事に気づいたって、遅い。
 もう終わってしまった」

吐き捨てて、美鈴は酒を呷った。
程なくして空になった瓢箪を、彼女は投げ捨てた。

「お爺さんは、そうじゃなかったんですか?」
「…いや、そうであったよ。悪魔の走狗などと言われたドラゴンそのものじゃった。
 人々は、儂を殺して宝と名誉を手に入れんと必死であった」
「なら、なんで人間に肩入れするんです?」
「好むと好まざるに関わらず、宝を目指してくる人間を殺しておった。見て見ぬふりをしてやろうと言うのに、儂を殺そうとするのでな。
 勇猛な戦士、無謀な若者、軍を従えた領主。倦まず弛まず、ようも殺しあったわ。
 だが、そのような者もいつしか絶えた。儂が守っていた程度の宝、忘れてしまったのじゃ、人間は。
 儂の殺した数知れぬ人間も忘れ、儂の事も忘れた。その程度であったのだ、儂は。
 ここに来て、初めは戸惑ったものよ。何を守ればよいのか、とな。
 儂もお嬢さんと同じで、人間を守るなどはまっぴらじゃった。だがな、人間が儂のした事を忘れて儂を宝から解き放ったのであれば、儂も人間のした事は忘れて人間とまっさらな気持ちで付き合ってみようと思うたのよ。
 そうやって人間を守ると決めたはいいが、当然初めての事でな。これには手こずったのう。
 だがな、汚らわしい宝ではなく生きている人間を守るのは、やりがいがある。守っている実感があるのよ」
「ふうん…。老いては子に従えってことですか」
「呵々、面白い事を言うのう。そういう事かも知れんな。
 …ふむ。しかし…な。儂とお前さんとは似ていると思っておったのだが…。その実、正反対であったな」

最後に呻くように呟いた言葉は、的を射ていた。
つまり、老人は憎むべきドラゴンであったが、宝と共に忘れ去られて、人々に必要とされる幸せな老人となった。
そして、彼女は心優しい水神であったが、人々の信仰を失い、人々に憎まれる哀れな妖怪となった。

似かよった存在でありながらも、一つの意志でこうも変わってしまう。
それは巨大で、身勝手な意志。それは歴史を綴り、時には歴史を血で塗りつぶす意志。
その意志とは、小さな人間の移り気な信仰に過ぎないのだ。

「ええ、私とあなたは、友達にはなれないんです。最初から分かってたじゃないですか。…もう行きますね」
「何処へ行くのかね?」
「探し物です。吐き出したら色々軽くなりましたから」

立ち上がった彼女の顔は、むしろ晴れやかであった。
それを見守る老人の顔は、夕闇に紛れてしまい見て取れない。

「そうか…。いずれまた、拳を交える事もあるやもしれんな」
「次は、勝ちますよ」
「その前に、儂と仕合うまで生き延びることを考えるがよいわ。修行を怠るでないぞ」
「大きなお世話ですよ」

背を向けようとした美鈴に、老人の瓢箪が投げ渡された。

「長い旅路じゃ。酒でも飲んで、ゆるりと行けよ」

その声には答えずに、美鈴は歩き出した。
まずは、この狭い世界をひと回りしようと考えている。
妖怪達と仲良くやってみるのも楽しいかもしれない。静かな湖に住み着くのもいいだろう。
あるいは、人間と生きてみるのも。

そう。すでに、彼女は自由であったのだ。
彼女が生きるのは幻想郷。そこは非常識の世界。
神になるのも、良い妖怪として生きるのも、悪い妖怪として生きるのも自由。
すべては彼女の決める事。

もはや人々の信仰は届かず、また悪意も届かず。

龍でもなく、神でもない。
名前をなくした紅美鈴は、酒を呷った。






        ・






「…と、いうわけなのですよ」
「ふぅん…。苦労したのね…」
「…ま、辛いのはほんの三年ほどでしたね。可愛さあまって憎さ百倍ってやつでした」
「だからって理由も無く昼酒なんかしてたら、盆と暮れのお祭りに出版できるような目にあわせてやるんだから」
「…できればスカは無しの方向d」
「もう、バカ! スカってなによ! 私はそんな…! コホン。そうね、話題を変えましょう。
 その『お爺さん』の名前ってなんなの?」
「知りません」
「えっ」
「聞きませんでしたからねぇ」
「そ、そう。…あ。その瓢箪って、もしかして?」
「ええ、あの後ごにょごにょして、今までずっと使ってます」
「ごにょごにょって…。そんな器用な妖術もできたのね、意外だわ」
「へへーん。あれから伊達に退屈してませんでしたからね」
「十分伊達でしょ、瓢箪をいじった程度じゃあ」
「そんなひどい! 見てくださいよこれ、自己再生するんですよ? 凄くないですか?」
「ぅわっキモい! ごめん、それなんか生理的に無理!」
「そんなぁ」
「…けどまぁ、落ち着いて考えたら、それってけっこう凄いわよね」
「そうでしょうそうでしょう。紅美鈴会心の作ですから」
「退屈だったのね…」
「…退屈でした」
「それから『お爺さん』には会わなかったの?」
「ええ。探した事もありますが、あれから一度も会ってません。きっと、もう」
「…そう」
「はい」
「…もうこんな時間ね。門を閉めて、晩ご飯にしましょうか」
「ええ、ぜひそうしましょう! 今日の晩ご飯ってなんですか?」
「大振りのいい虹鱒が手に入ったから、それね。…美鈴はどうやって食べたい?」
「ニジマスですかぁ。ネギとショウガで蒸したのにゴマ油と酢醤油で食べたいなぁ。白身のお魚はこれに限りますよ」
「中華風かあ。お嬢様も妹様もネギはOKだし、軽めだからパチュリー様も食べるかしら。
 さすが紅魔館のレシピ帳紅美鈴。冴えてるわ」
「そうでしょうそうでしょう。いくらでもお手伝いしちゃいますよ-、私」
「否定しないのね…。これは、料理長兼門番というまったく新しい役職の誕生の瞬間かしら?」
「やめて! 過労死しちゃいますよ!」

「なら、門番の仕事に専念して。…これからも、ずっと守ってもらうわよ」
「…はい、喜んで」




        了
初めに、最後まで読んで下さってありがとうございました。
どうも初めまして、ワタリ蟹と申します。

初めに、一部で特定の宗教に対しての否定的な描写がありますが、一個人として特定の宗教を否定する意志を持っての描写ではありません。御理解のほどをいただけたらと思います。不快な思いをされた方に、深くお詫び申し上げます。

さて。
三作目となるこのSS、きっぱりと短くまとめられました。だらだら書くだけが能ではないのですよ。(ドヤァ
まあしかし、この程度の長さがちょうどいいですね。自分で書いておいてなんですが、前作はひどかった。128Kバイトとか誰が読むんだよマジで…。
あのような前作を読んでくれた方、本当にありがとうございます、感謝してもしきれません。多謝。
まだ読んでない方は、やめとけ。

ここまで長々とおつき合い頂きありがとうございました。
それでは、また。

追記・ダメな子は可愛い。ダメな子は可愛い。

4/11追記・誤植を訂正しました。情報提供ありがとうございます。
ワタリ蟹
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コメント



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2.100名前が無い程度の能力削除
なんか幸せな気分になった。GJ!
6.90奇声を発する程度の能力削除
>昨夜さぁ~ん
咲夜
中々面白かったです
15.100名前が無い程度の能力削除
これは可愛らしいアウト龍(アウトロン)エピソードですねw
美鈴=龍って設定はちらほらと聞きますが、これはすんなり飲み込めた感じ。
龍でも神でもない、本当にただの一人の自由な妖怪となって生きる様が現在の美鈴像に合ってて良いです。

しかしアウト龍って表現、なんだかツボっちゃった(ぇ
うん、昔の美鈴ってけっこうアウト龍なイメージがありますよねーww