― 妖怪は自分本位らしい ―
咲夜の見た目は同年代の彼女達と比べて大人びていた。
魔理沙と霊夢が十代後半の頃
彼女達の見た目にはまだ抜けきれていない青さが取り巻いていた。
それに対して咲夜には大人の魅力が備わり始めていた。
魔理沙と霊夢が二十代の頃
彼女達の見た目には大人の魅力が備わり始めていた。
それに対して咲夜には成熟した大人が持つ色気があった。
魔理沙と霊夢が三十代の頃
彼女達の見た目には成熟した大人が持つ色気があった。
それに対して咲夜には皺が目立ち始め、代わりに見た者を安心させるような柔らかさが備わっていた。
ある静かな夜、赤ワインをグラスに注いでいる咲夜にレミリアは尋ねた。
「なぁ咲夜、お前は他の人間より一歩先を生きているように私は感じるのだけど、どうしてなのかしら?」
「それは止まった世界の中を私の時だけが流れているだけですわ」
さも当然といった雰囲気をまとわせつつ、注ぎ終えたワインを両手で抱えながら笑みを浮かべ咲夜はそう答えた。
その夜以来、咲夜は時間を操ることを禁止された。
そして紅魔館にあった時計のほとんどは外され食堂の一つだけになり、時計台は単なる飾りへ、食事の支度などには砂時計を使うようになった。
懐中時計はどこかへいってしまった。
そしてだいぶ日が経った。
夏の太陽がだいぶ高くなり、暑さと湿度がまとわりつき始めた昼前。
紅魔館の庭の外れ、
そこで美鈴は自分が育てている野菜の手入れをし始めている。
日差しが強くなり額には汗がうっすらと浮び、服の裾には泥がついているが気にした様子はない、むしろ明るい表情を浮かべながら自分の体を緑の中に沈めるようにして膝を曲げて屈みこみ野菜と向き合っている。そして右手にある植木鋏で親しみを込めて手入れをしている。
美鈴が手入れをしているかたわら、トマトは青々とした葉を広げて、夏の日光を存分に浴び実に甘味を詰めこんでいる。
収穫が可能なほど熟したトマトは深い青の中に艶のある赤をもたらし、収穫する者にその存在を大きく示していた。
夏の日差しが強くなる。
美鈴が手入れを終える頃には額には汗が玉となって浮かんでいた。ただそれでも表情は崩れることはなく、収穫の作業に入った。
収穫のとき、美鈴は植木鋏で切ったときのパチッという音が好きである。
その歯切れのいい音には植物ならではのみずみずしさと生命力があるように思え、収穫する者の努力 ―しっかりとした野菜を育てるにはその野菜特有の方法と手順を踏まえ、それなりの付き合いが必要― それに対する野菜なりの反応を感じられるからである。
切ったあと、手の平に収まったトマトからは弾くようなハリとしっかり甘味の詰まった重さ、そしてあの青臭さが広がっていた。
このトマトの青臭さを認めてくれるのは紅魔館では美鈴以外には咲夜だけであった。
他の住人はあまりいい顔をせず眉をひそめてしまう。
だが咲夜はこの匂いをかぐと納得したような顔つきになる。
「この匂いをかぐとね、自然と適度な酸味とじんわりした甘味が鼻から伝わって、やっぱりこれだなと思わせるのよね。ちょっと食べてもいいかしら」
そうしてかぶりつくときの咲夜の顔、そのトマトを味わう横顔を眺めるのが美鈴は好きである。
収穫を終えたあと美鈴は汗をタオルで拭いてから着替えて食堂に向かった。
収穫をした野菜はトマトだけでなくカボチャ、ナス、キュウリなどの色合いが豊かな夏野菜であった。それらをザルに乗せるとまた一段と色が映えた気がする。
食堂に着くとそこの空気はカラッとしていて温度もほどよい状態であった。
食卓の隅ではパチュリーが黙々と本を読んでいる。どうやら食堂の心地よい空気はパチュリーが作り出したようである。
ただあまりに真剣なので美鈴は話しかけるのがためらわれ、視線を泳がし時計に目がいった。
午後0時20分であった。
時間を確認すると急に空腹を感じた。しかし紅魔館での昼食は午後1時になっている。
咲夜はこういった時間を厳しく守っている。
今頃、厨房で咲夜が時間を操ることなく昼食の支度をちょうど午後1時に終えるように調理しているのが美鈴には容易に想像出来た。
だが時間を意識すると空腹は余計に強くなる。朝食もあまりとらなかった。
そこで美鈴は人差し指で時計の針を15分ほど進めた。
これで昼食が早くなる。
人差し指を少し見つめたあと美鈴は夏野菜の乗ったザルを両手で抱え、その15分の前借りをした時間を伝えるために咲夜のいる厨房へ向かった。
そのときの表情はうっすらと期待を寄せているようであり、美鈴はちょっとした想像をしていた。
まず野菜の中からトマトを取り出し咲夜さんに見せる。
あの青臭さをかいだ咲夜さんはきっと納得した様子を見せ、思わずたくさんあるうちのトマトの一個をかぶりつくだろう。
トマトの酸味と甘みを感じている中
15分の前借りをした食堂の時計の時間を伝える。
もうすぐ昼食ですよと。
うまく状況を飲み込めない咲夜さんはきっと焦るだろう。
ぽけっとした表情を浮かべるだろう、かぶりついたトマトを片手に。
それから私はそっと期待を寄せた話を出す。
時計の針はチッチッチッという音を食堂に響かせていた。
食堂にある正確さを失った時計が午後1時を示す頃、食堂ではしっかりと昼食を始めることができた。
そしてその時計は現在、午後3時20分を示している。
パチュリーは未だに食堂で本を読んでいる。いつの時期から食堂で本を読む習慣が生まれたのかは分からないが
日が昇っている間は食堂で
日が落ちている間は図書館で
そういったサイクルの中に現在はいる。
読むのに区切りが生まれ、視線を本から外すと遠くからバタバタとした物音が聞こえる。
どうやら妖精メイドが何かをやらかし掃除が滞っているようである。
少し前、咲夜が時間を操れることができた頃はその能力を生かして紅魔館全体を隅から隅まで毎日掃除していた。
だが今日では3日に分けて全体の掃除を終える状態で切り盛りしている。
時間を操る能力とは便利すぎたのだろう。
パチュリーにとってその物音は別に耳触りではなかった。
本を読むときはそれなりに集中しており、その程度の物音ではパチュリーの集中を妨げるのは不足だった。
それどころかその物音は懐かしさを携えていた。
咲夜がメイド長として切り盛りする前は今よりバタバタしており、館内はホコリっぽくまた時間に対する規律が感じられなかった。
ただその日常が悪かったかというと微妙な問題であった。
ホコリは喘息の原因に繋がるが図書館にほとんど籠っており館内を出歩くことは少なかった。稀に出歩く場合にはそれなりの備えをしていた。
それは確かに面倒であった。
だがそんなたまに出歩いた日
夕陽が紅魔館を照らし、数少ない窓から入ってくるオレンジがホコリを目立たせるときがあった。
その光景は普通に考えて不快なものであるかもしれないが、差し込んだオレンジの光の中、ホコリが空気の流れに従い大きく波打つ様。
それは暖かいオレンジとサラサラと流れる印象を含んでいると同時にホコリ特有の息苦しさを胸の奥にもたらす。
それは言葉にすると不自然に思えるが自然に存在している。
暖かさとサラサラと息苦しさ、和みと苦しさ、それを天敵ともいえるホコリが包んでいると自分が感じていること。
そのことはパチュリーが本で知識を得るのとは違う現実の刺激をたまにもたらしてくれた。
まだ館内のどこかでバタバタしている音がする。だいぶ咲夜も手間をとっているようだ。
時間を確認するため時計を眺めた。
午後3時40分である。
いつも通りなら午後4時になるとレミリアが起きてきて一緒に紅茶を楽しむ時間が訪れる。
だがパチュリーが読んでいる本はもう少しで終わるところであったが20分では読み切れそうになかった。
そこでパチュリーは小悪魔を呼び時計の針を20分ほど戻すように指示した。
小悪魔はふふと少し笑い、主に睨まれたが臆せず黙って動いた。
小悪魔の人差し指が優しく針に触れてやるとその時計にそっと20分を返してやった。
暖かな日である。
時計の針はチッチッチッという音を食堂に響かせていた。
食堂にある正確さを失った時計が午後4時を示す頃、レミリアとパチュリーは紅茶を嗜んでいた。
そしてその時計は現在、午後5時50分を示している。
厨房では咲夜が午後6時30分の夕飯の支度をしている。
フランは食堂にある時計の前に座りこみ悩んでいた。
実はフランは吸血鬼にも関わらず日が昇ったあとも起き続け、屋根裏に隠れずっと傍から見るとスパイごっこの様な遊びをしていた。
これは前日に身近なところから多くの者を驚かすような大発見をした話 ―その話には身近なものを変わった視点からよく観察と考察をしろと載っていたのである ― それを聞き、触発され実践した結果、屋根裏からの食堂の観察である。
そうなった経緯は不明である。
ただやはり慣れない徹夜の様な生活。それは目をトロンと落させ眠くなり大きな欠伸を何度ももたらした。その度に目に涙をためたりもした。
だがいつどこから訪れるか分からない大発見、みんなを驚かせたいという気持ち、その興奮が睡魔に勝っていた。
そうして屋根裏から紅魔館の様子を観察していたのだ。
すると何故か住人達は時間を正確に知らせるためにある時計というものをいじっていたのだ。
フランはこの不可解な行動に興味を持ち、そこから大発見の糸口になるようなものを見つけようとした。
ただ屋根裏はホコリっぽく服が汚れるうえに湿度が高い、モノがたくさん詰められているので窮屈で羽がそこらに当るなど、
たいへん不快であった。
また寝不足の頭では余計に回らない、何を考えても手ごたえのあるものは浮かんでこなかった。
不快な環境、疲れた頭。次第に考えることが億劫になってきた。
だが別のことをするのは逃げるようで嫌だったのでとりあえず不快な屋根裏を抜け、
時計の前にペタンと座り込んだ。
床の冷たさが良かった。
改めて時計を見つめてヒントを探す。
変わった視点から観察と考察って大変だなと思いつつ、
たまには正攻法も大事だ。という言い訳に似たことも思っていた。
そうして今に至る。
「フランあなたはさっきから何をしているのかしら?」いつのまに後ろにいたのだろうか。レミリアが突然、尋ねた。
フランはその問いに対して素直に答えるべきか迷った。
大発見を横取りされるかもしれないと思ったのである。
「ただ時計を眺めていただけ」少々ぶっきらぼうになってしまったかもしれないがこれでいいと思った。
彼女の姉は時折、小さな綻びから大きなものを感じ取るときがある。
そこには運命のようなものがあるのか。はたまた単なる勘によるものなのか計れないが下手な嘘は良い方向へ導かない。
フランはそのことを知っているし、何度も経験してきた。
だからあとは興味を他に移してもらうだけである。
「眺めていたというよりは見つめていた。と言ったほうがいいかしら?」
「そう見つめていただけ」
「見つめていたというより探していた。と言ったほうがいいかしら?」
それを聞いて眉をひそめる。
あぁ、ほぼ見当がついているじゃないか
だが見当がついているのに焦らすとは姉らしくない。
そう思いながらフランは口を開いた。
「それでどうかしたのかしら? お姉さま」
「探してばかりいないで実践してみたらどうなの? という話よ」
「でも大発見には観察が必要なんでしょ?」
「観察なんてノロいことをしない、そんなのは知識人に任せればいいよ。気になったことには直に触れる。束縛なく動く、その方があなたには合っているはず」
「でも日光とか雨はダメ」
「そういう話ではないでしょ」
そう言うとレミリアは後ろからフランの手をとり人差し指を時計の針にそっとのせてやった。
同じ位の身長の二人、やっと届く針、
二人は寄り添っているように映る。
フランは少し恥ずかしそうにレミリアは少しの笑みを浮かべながら針を進めて時計から20分を借りた。
もちろん何もおきない。
姉の様子を窺うと、まとっていた雰囲気はこれからを見ており、口を開いた。
「厨房に行きましょう」
時計の針はチッチッチッという音を食堂に響かせていた。
食堂にある正確さを失った時計が午後6時30分を示す頃、夕食は始まらなかった。
厨房でフランが遊んだためであった。
時間が近づくにつれ咲夜は酷く疲れたような顔をしたが、時間が過ぎると開き直ったのかいい顔になり、料理の支度を始めた。
二人は自ら片づけを始めた。
そしてその時計が午前3時を示す頃、
食堂でレミリアは一人、イスに座り赤ワインが入ったグラスを傾けながら時計を見つめている。
咲夜はもうすでに寝ている。能力を禁止してから流れる時間の中で少しは人間らしい睡眠をとらせている
日付が変わる前に睡眠に入り、主が就寝するに前に起きて主がいつでも寝られるよう準備させる。そういった睡眠だ。
レミリアはワインを口に含みグラスを空にした。だが注ぐ従者はいない。
抜けきらない“いつもの”が現れてしまい間を生んでしまった。
自らが注ぐとワインはうねりをもって沈んでいく。
咲夜が生きていて、咲夜がいない夜。
従者がいた心地よさが広がってしまう時間であり、吸血鬼でありながら人間の空白に寂しさとも悲観ともつかぬ青いものが取り巻く時間。
その時間は咲夜が生きているのにも関わらず思い出になりつつあった。
そう、この時間は思い出への変換であった。
咲夜の死をもって唐突に悲しみが降るのでなく、また唐突に思い出になるのでなく、咲夜が生きている間にゆっくりと夜の王の夜を飾った従者を心に詮をして閉じ込めるのである。
気高き吸血鬼に涙は似合わない、だから代わりにこの時間に多少の青さを漏らす。
思い出は心の片隅で優しさと寂しさをもたらす。
思い出して悲しみが溢れなくなった頃、
心の詮を抜く。
完全で瀟洒な従者が持っていた居心地の良さが周りを包み、それを肴にワインを嗜むのだ。
人間は利用する存在である。だから死んだ後にもあの従者は夜の王の夜を飾れるのである。
遠い未来に。月明かりのもと。
レミリアはイスから降りて時計の前に立ってから、どこからか懐中時計を取り出した。
開くとそこには正確な時間が刻まれている。
幼い指は針にふれる
その針は……
“早く昼食を食べたいという食欲と時間がないというのを理由にして一緒に料理をしたい門番の気持ち”
“本を読み終わりたいという知識欲と無理をあまりしてほしくないという知識人の気持ち”
“大発見をしたいという単純な妹の欲と大発見の中身を理解してもらいたいという姉の気持ち”
それらを乗せ不正確な時を刻んでいた。
そして深夜
その時計はチッチッチッという音を食堂に響かせて正確な時間をまた刻むのである。
今何時なのかわからなくなりそうです。
時間と時計の狭間に、それぞれの想いが垣間見えますね。
好きです、こういうの。
とても良い雰囲気のお話。あとオレンジとホコリの描写、いつか見た不思議な美しさを思い出しました。
咲夜さん側の話が無かったのも、この場合は逆に乙な雰囲気です。
さてはて彼女は、この温かい紅魔館で何を感じているのでしょうね。
そんな雰囲気が見えました。
老いては時間が短くなるといいますが、自身の時間を磨り減らした咲夜さんを労わりながら
将来起こるであろう、現実の時間の流れにレミリアは何を想って時計を見つめるのでしょう。
もはや素晴らしいとしか言えない…
心にじんわりと温かい物がそそがれていくような、そんな気持ちになりました。