「なんて所なの、ここは……」
木にもたれかかって溜息を吐く。
なんて所だ。昼ですら妖怪が現れる。それもこれでもう十数匹になる。
夜ですら現れる事は稀になって久しいというのに。
視線の先には、狂ったように赤い夕暮れ空が広がっていた。
いきなりわけのわからない所に飛ばされたので、状況は良く分からない。
けれど、恐らくここは妖怪の根城だろう。
細々と命を繋ぎながら、反撃に出るのを待っていたのだ。
能力か何かで私を連れ込み、数の暴力で圧倒する。そういう算段だったに違いない。
「あるいは夢かしら」
むしろ夢であってくれた方がいいのだけれど。
残念ながら頬をつねっても普通に痛む、ゆえにその線は薄い。
「夢と現、その違いは貴女に見分けられるのかしら」
耳元で囁かれ、慌ててその場から飛びのいた。
そこには、紫を基調とした派手な服を纏い、薄い桃色の傘を携えた妖怪が立っていた。
(いつの間に……?)
確かにさっきまで何の気配もなかったはず。
気配を消していたのか。あるいは、何らかの能力?
どちらにせよ、先程までの妖怪とは格が一つも二つも違うようだ。
「そんなに怖い顔しないの。美人が台無しよ」
微笑を浮かべながら、妖怪はそんな事を言ってくる。
余裕か。人間ごときに負けはしない、とタカをくくっているのか。
「一応聞いておく。これは貴女の仕業?」
「これ?」
「私をここに飛ばしたのは、貴女かと聞いているの」
「んー……私の能力で起こった事ではあるけど、故意ではないわ」
原因はこの妖怪のようだった。とはいえ『故意ではない』という部分は非常に疑わしいが。
「戻りたいなら戻してあげる」
「妖怪の手助けなんていらない。戻る方法は貴女を倒してからゆっくり考えるわ」
困ったわと呟く妖怪。しかしその表情は困っているようには見えない。
見ていろ。その顔に、すぐにナイフを突き立ててやる。
”時よ止まれ”
時間の止まった、灰色の世界。
ここで動けるものは、私と私が許可したもののみ。
何故か私は、生まれながらに時間を操る能力を持っていた。
妖怪退治を生業とする私の一族だったがそんな能力を持つのは私だけで、突然変異だろうと言われた。
この能力ゆえに、私に負けは無い。
銀のナイフを妖怪目掛けて投げ、当たる直前に再び時を動かした。
ナイフは当たらなかった。
「面白い能力を持っているわね」
振り向くと、妖怪は後ろに回っていた。
何故。瞬間移動ならまだわかる、自分も似たような事ができるからだ。
だが何故、至近距離まで迫ったナイフを回避できる。
「その位、気配で分かるわ。分かっていれば対処は可能」
「……心まで読めるのね」
「顔に出てるじゃない。なんでかわせたのー、って」
そう言って、くすくす笑う妖怪。
「ああ、心配しなくても今の回避はもう使わないわ。ちょっと卑怯すぎるでしょ?」
「余裕ですわね。後で後悔することになっても知りませんわよ」
「できるかしらね、貴女に」
その言葉を言い終わるかどうか、というくらいで時を止めた。
瞬間移動をしないとはいえ、単発では読まれていればかわされる。
なら、複数。
次々にナイフを設置する。妖怪を取り囲むように。
距離も速度もまちまちの、ナイフの包囲網。これを逃れる術などあるものか。
元の位置に戻り、そして時を動かす。
だが、またナイフが当たることはなかった。
途中で光の壁のようなものに弾かれ、全て叩き落されていた。
「結界か……!」
右手に持ったナイフに魔力を込める。
結界を使うならば、結界を突き破ってしまえば済むことだ。
「はあっ!!」
結界を斬る。一撃、二撃、三撃、四撃、五撃。
結界が砕け、消失する音。
「もらった!」
妖怪の身体目掛け、ナイフを振るう。
が、途中で腕が、傘によって止められた。
「まだだ!」
時を止めて背後に回りこみ、時を動かすとともに斬りかかる。
捕らえた。
そう思った瞬間、妖怪の姿が消える。
しまった、あの発言は嘘か――振り向こうとして、足を払われた。
バランスを崩し、危うく倒れそうになる。
「こんな古い手に引っかかるなんて、うっかりやさんね」
何のことはない。地面に伏せていたのだ。
突然のことで動作も速く、見切れなかったのを消えたと勘違いしたというわけだ。
「強いわね……」
こちらの攻撃がことごとく流されてしまっている。
時を止めてもここまで対応してくる相手は初めてだ。戦い慣れているということなのだろうか。
守勢に回ればさらに不利、なんとか隙を付いて押し切ってしまわなければ。
「貴女もね。外にもまだこんな人間がいたなんて思わなかったわ」
「外?」
「ここは幻想の郷。外の世界で幻想となった物が萃まる場所よ」
「そう。貴女はその郷の頭領、といった所かしら?」
「さあ、どうでしょう」
あいまいな答えを返してくる。
戦いに関してもそうだがこの妖怪はどこか底が見えない。
確かに強い。強いが、少なくとも今の所絶望するほどの差はないように思える。
どうにか勝てそうで、しかし何か裏がありそうな雰囲気を纏っている。
(……考えるのは止めよう)
疑えばキリがない。どうせ動かないことにはわからないのだ。
時を止め、落とされたナイフを拾い、先程と同じように配置していく。
ただし今度は一つの仕掛けを打って。
時を動かすと、やはりナイフを結界で防御してきた。
これは予想通り。元より結界で防ぐか前に逃げるか、しか選択肢は無い。
今度は渾身の力で結界を一撃破壊し、そして――地面にナイフを突き立てる。
「……!」
叩き落されたナイフを陣に見立てた、即席の魔縛りの術。
これほど力があるなら完全には縛れないだろうが、一瞬でも動きは止められるはず。
その一瞬の隙は時を操れる私相手ならば、致命的な隙。
時を止めて新たなナイフを手に取り、残っている全ての魔力をつぎ込む。
(これで、仕留める)
助走を付けての突き。当たる寸前に時を動かし、妖怪の身体にナイフを突き立てる。
魔を退ける銀のナイフ、それも魔力を込めたものを。
「どう!?」
「よく頑張ったわね。けれど」
その直後、上から降ってきたクナイが私の身体に何本も突き刺さった。
「な……っ!」
「ゲームオーバーよ」
「いつの間に、クナイを」
「さっき話している時にこっそり。結界が破られたら落ちて来るようにしていたの。
投げナイフで結界を突き破れたなら危なかったかもしれないわね」
結局、あの結界が斬撃でしか破れなかった時点で負けだったのだ。
向こうが攻撃に関して手札を見せていない状態で特攻したのも拙かった。
自分の血が地面を赤く染めていく。
既に動く力も残っていない。だが、何故かあまり悪い気分ではなかった。
全力を出し切っての負け、だからだろうか。
「これで、終わり、か……」
「終わり? 何を言っているの」
「見ればわかる、でしょう」
動脈が数箇所いったらしく、血が止まらない。このままなら出血多量で死ぬのも遠くないはず。
それでなくとも人間が妖怪に負けるという事は、食われるという事でありやはり死だろう。
「気付いていないのね。まぁ当然でしょうけど」
「何が」
「これは夢よ。目覚めれば、貴女はいつも通り向こうの世界に居る」
「夢……?」
「そう。だから、これは終わりなんかじゃないの」
頭を優しく撫でられ、微笑んでくる。
母の温もりに包まれるような感じがして、私は眠くなってきた。
「そういえば、まだお互いの名前を言っていなかったわね。私は、八雲 紫」
「私、は……」
こちらも名前を言おうとして、しかしその途中で意識は闇に消えていった。
「さようなら、最後の外界の魔狩人さん」
「ん……」
日が差し込んできて、私は目を覚ました。
なんだかすごく長い間寝ていたような気がする。
夢を見ていたような気がするが、残念ながら内容までは覚えていなかった。
ふと、紫色の着物が目に映る。
ずっと前から持っているその着物に、何故か奇妙な既視感を覚えた。
しばらく悩んでいたが、気のせいということにして私は部屋を出て行った。
「本当に、思いっきり刺してくれたわねぇ」
銀のナイフを眺めながら、あの出来事を思い返す。
時を操る能力に加え、投げナイフに近接戦、妖術まで使う。それもどうやら、あれで発展途上のようだ。
恐らく、彼女はまた私達の前に現れる。今度は夢ではなく、現実で。
実力者というのはそういうもの。必ず数奇な運命に組み込まれているのである。
「ふふ……その時が楽しみね」