※以前書いた「吸血鼓動・らぶびーと -月より紅茶より、抱擁を- 」のサイドストーリー的なものですが、別にダイレクトに話が繋がっているわけではなく、短編連作みたいなものというか、同じ設定を用いているだけですので、別にあちらを知らなくても大丈夫…なはずです。
どこか埃臭く、黴臭いような気がするが、実際のところ、それは気のせいである。
いくらここが無駄に広いとか、本ありすぎ、とかメイド長を含む全ての人間が思っているとしても、紅魔館の一部である以上、毎日完璧な清掃が隅々まで行き渡っている。
とはいえ、その一方で本に対する扱いがやたらと厳しく、ここの管理人にメイドは毎日厳しく注意を受けるので、割と胃とかがキリキリしている。
だが、それも先日までの話。
陽が射し込まず、暗いので陰鬱な印象は拭えないが、ヴワル図書館の一角では連日のように桃色の空気に彩られた場所がある。
そして、陰鬱な印象こそが、その場所を際立たせていた。
「ねぇ、パチェ!」
「どうしたの、レミィ?」
元気よく非難めいた声を上げるのは、館の主のレミリアで、それに眠たげかつ、どこか鬱屈そうに答えるのはパチュリー。
互いに三桁分の歳月を生きているが、二人の容姿は少女、と呼ぶしかない。幻想郷に住む者を外見で判断してはいけないのだ。
とはいえ、パチュリーよりも5倍程度は長生きしているレミリアの方がどうみても幼く見えるというのは、何と言うかこう、詐欺ではないのですか? 的なものがあるが、メイド達は一向に気にしない。
「みてみて、今日もお嬢様来てるわよ」
「うわ~、可愛いー」
「また顔を赤くしちゃって。あーもう、お持ち帰りしたい」
ロードヴァンパイア相手に、可愛いだとか、お持ち帰りしたいとか、とても正気の人間の言う台詞ではありませんが、残念ながらメイド長を含め、この館に居るのはこういう人間ばかりです。相手が可愛ければ、種族の差など越えるべきハードルになどならないようです。
人間って強いなぁ。もしくは、愛ってすごいなぁ。
まぁ、皆が皆、メイド長の後姿とかを見ているので、似てしまったのでしょう。ていうか君達、仕事しなさいよ。
本棚の影から、きゃいきゃい言っているメイド達はさて置き、魔女とヴァンパイアの二人に戻りましょうか。
「こないだパチェが教えてくれた方法、全然ダメだったわよ!」
「どんな風にダメだったの?」
泣く子も黙るであろう、ロードヴァンパイア・レミリアお嬢様の怒り心頭の様子にも動じることなく、眠たげに本をパラパラと捲るパチュリー。
もっとも、その様子をここのメイド達も、可愛い、の一言で済ますのですから、ある意味ここはとても平和な所と言えるのかも知れません。
「えーと。こないだ教えたのはこれね」
目的のページを見つけ、それを読み上げます。
「『ムードが大事、甘い空気を構築し、そのまま流れるように移行するのがポイント。まずはさり気無く、しなだれかかってみましょう。さすれば、意中の殿方はコロリですぞ』」
そこに至る過程をすっとばしている、実に素晴らしい恋愛ハウツー本のようです。というか今時、コロリっていう表現はどうなんだ。
「どこがどうダメだったのかしら?」
どうダメも何も、霊夢はそもそも殿方でないのだがどうか。
「しなだれかかった瞬間、『ちょっと、気持ち悪いからやめて』とか、とてもクールに言われたわ。どっかの氷の妖精も真っ青ねアレは」
寂しそうにレミリア。
「ふーん。どういう流れで?」
パチュリーは、本の字を目で追いながら聞き返す。
「『おはよう、霊夢』と言った次の瞬間『れ・い・む。レミリア、何か疲れちゃったな…』と甘い声で服をはだけつつ迫ってみたわ。さり気無く、流し目とか使いながら。ちなみに、こないだ見た『少女漫画』というものを参考にしてみたんだけど」
一体、どなた向けの少女漫画なのか。絶対教育に悪いぞ、それは。
本棚の影では、聞き耳を立てていたメイド三人が、その時のレミリアの姿を想像でもしたのか、息を若干荒くしつつ、両手で鼻を押さえ、抑えきれずに鼻血をぽたぽたと零している。
次々と出来ていく、赤い池の数々。
あー、メイド長かパチュリーさんに怒られますよー。
でもまぁ、とても幸せそうな顔をしているからいいでしょう。本当にメイド長に似たようです、彼女達は。
「お嬢様…ハァハァ…」
とか言ってるし、台詞だけ取ると、メイド長と区別が付きません。
「うーん。それでなびかないなんて、霊夢は、据え膳食わぬは何とやらというのを知らないのかしら」
言いながら、数ページ捲るパチュリー。
「あ、これなんか良さそうよ」
「どれどれ」
身を乗り出して、レミリアもそれを横から覗き込みます。
「えーと、『いやよいやよも好きのうち。恋する相手は、こちらに好意を抱いているほど、なかなか素直になれないものです。時には強引にプッシュしてみましょう』?」
ちなみに、その文の横には注意書きとして、『※(なかなか素直になれない)若い男性に多く見られる傾向ですね』などと書かれているが、パチュリーは軽やかにスルーである。
「つまりこういうことね」
全てお見通しよ、みたいなノリで話し始めるパチュリー。
「どういうことなの?」
「レミィが『霊夢、貴女のことが好きなの。血を吸わせて』という趣旨のことを言うわ」
「多分、瞬時に『吸うな』と返って来ると思うんだけど」
半ば呆れ顔のレミリアに、ちっちっちっ、と口から音を出しつつ人差し指を左右に振るパチュリー。
普段とキャラが何か違うような気がするのですが、自分がレミリアに余計な知識を吹き込んだ結果、巻き起こされる騒動を楽しんでいるんでしょう、この魔女は。自分は巻き込まれることが無いのですから、当人は実に気楽なものです。
「その『吸うな』は、『本当は吸って欲しい。でも、霊夢恥ずかしくて素直に言えないの』と翻訳可能ね。この本によれば」
いや、そんな無茶な。
「なるほどっ」
レミリアの脳裏に、「は…恥ずかしくて言えないわよっ、いやいやっ!」と、赤面しながら顔を激しく左右に振る霊夢の映像が浮かぶ。
「恥ずかしがる霊夢も良いわね…うふふ」
「だから、吸うなと冷たくされても、そこで無理やり押し倒すのが正解ね。強引にプッシュ」
プッシュって押し倒すって意味じゃないと思いますよ、この場合。パチュリーさん。
「そっか。そうだったのね。人間の恋愛は奥が深いわ」
どう考えても、それ間違ってますから。なんていうかこう、法律とかそういうのに抵触してしまいそうな勢いですよ。
とはいえ、幻想郷で規律を司るのは博麗の巫女だけなので、その巫女を手篭めにしてしまえば、事など無きと同義なのかも知れませんが。
「よしっ。今日こそ、今日こそは霊夢をモノにしてくるわ! ありがとう、パチェ!」
「幸運を祈っているわ、レミィ」
持つべきは親友ね、とばかりに喜色満面で走り出すレミリア。
眠たげな顔に微笑を称えて、愛らしい妹を送り出すかのように、手を僅かに振るパチュリー。
レミリアは勢いよく図書館の扉を開け、文字通り飛ぶように駆けていく。
その数秒後、今度は扉が逆向きに勢いよく開かれた。
ちなみに、図書館の扉を勢いよく開けるなんて芸当をして、パチュリーから魔法を喰らわないで済むのはレミリアを含め、三人程度のものである。
今、扉を開けて入ってきたのは、その中の一人だ。
「おっ、お嬢様っ!?」
珍しく息を切らし、額には僅かだが光る汗すら見える。完全で瀟洒と呼ばれる彼女が、そんな姿を見せるのは珍しい。
「あら、咲夜。ごきげんよう」
「御機嫌麗しゅう、パチュリー様」
ちっ、今日も遅かったか。
と胸中で毒づきながらも、涼しげな笑顔と、お辞儀で答える咲夜。
「レミィだったら、愛しの姫君に逢瀬しに行ったわよ。丁度入れ違いね」
「へぇ。今度はお嬢様に、どんな間違った知識を仕込んだんですか?」
敵意、ちょっと剥き出し。
その言葉には、暗に「とばっちりがくるのは私なんだよ、このやろー。やめろっつうんだよ」という意味が込められている。
ちなみに、前回は間違った知識を仕込まれたレミリアが「私の愛を受けとってー霊夢ぅーー!!」と叫びながらマイハートブレイクを全力で打ち込んだため、博麗神社の鳥居が決壊した。
霊夢と咲夜が必死に結界を張って押し留めたからその程度で済んだものの、「玉露一年分で勘弁してあげるわ」と、こめかみをひくひくさせた霊夢に言われたのは、咲夜にとって記憶に新しいことである。危うく、神社そのものが跡形も無く吹き飛ぶところであった。
一年分という量の確保と、それにかかる資金繰りにどれだけ苦労したことか…。違う意味で、咲夜はハートブレイクしそうなのだ。
「あら、心外ね咲夜。私はただ、親友であるレミィの恋を応援しているだけなのに…。まさか、そんな風に思われて…い……た……な…」
悲しげに言いながら、俯いていくパチュリー。語尾もなんだか弱々しくて、最後まで聞き取れない。
その様子を見ながら、ちょっと言いすぎたかしら。そうね、お嬢様の親友であるところのパチュリー様がまさか嫌がらせとか、悪戯心でしているわけがない。私が間違っていたわね。
と思うには、若干を通り越し、かなり無理がある所業の数々が思い起こされたが。咲夜はそう反省をした。完全で瀟洒な従者は、我儘な主のお陰で、捻子くれまがった愛情表現に割りと慣れている。
「パチュリー様。今のは私の失言でした…って」
「すーすー」
「人と話をしている時に寝ないで下さいっ!」
即刻、反省取り消しである。むしろ、するべきではなかった、と逆向きの反省に切り替える。
眠気が頂点に達した顔が、悲しげに見えただけだった。常日頃から眠そうな顔をしている彼女であるが、本当に眠い時というのはまた表情が変わるのである。
「起きてっ、起きて下さいっ!」
肩を掴んで、ガクガクとパチュリーを揺する。
「……ん。あと5…」
普通の人間なら瞬時に起きそうなものだが、相手は万年寝不足(に見える)パチュリーである。そう簡単には起きない。
「あと5分も待ってられませんっ。今回はどんな間違った知識を仕込んだんですか? 早くお嬢様を追わないといけないのにっ」
「…5時間…」
分じゃねぇのかよ!? なげぇなオイ!
と、その場に居たメイド達と咲夜は思いつつ、何とか踏みとどまったが、激しく突っ込みをいれそうになった。本音的には、咲夜はちょっと殴りたかった。というか、メイドの目が無ければ多分殴っていた。いや、時を止めて殴れば…。と数瞬考えるくらいには、殴りたかった。
「ダメだわ。魔女には常識が通用しない…」
恐らくそういう問題ではないし、アリス辺りが聞いたら怒りそうであるが、起きないパチュリーを諦めて、咲夜は図書館の出口に向かって駆け出す。
「まだ、玉露だって届いていないのに、これ以上あの紅白を刺激してどうするのー!」
最悪、紅魔館の全額負担で神社を新築しろ、とか言われかねない。そして、実際問題的にレミリアは神社を破壊しかねない。「一緒に紅魔館に住めばいいのよっ!」みたいなノリで。
スカートを翻し、髪を乱しながら走るメイド長。普段そのような姿を誰かに見せることは皆無であり、誰かがそのようなことをしていれば、これでもか、と言わんばかりの説教と罰がメイド達を襲うのだが、それに対する怒りなどどこにもなく。
「あぁ、メイド長のふとももがチラリと…」
「光る汗が素敵だったわ…」
「あぁ咲夜様。お怒りの表情も美しい…」
メイド達は、更なる鼻血を出しながらそれを見送るのだった。どうやら、レミリアお嬢様でも、メイド長の咲夜様でも、彼女達はどっちでもイケルらしい。
紅魔館は、実に平和である。
「おーい、今日も邪魔するぜ」
そんな声と共に、咲夜と入れ違うように入ってきたのは、魔理沙。
その声にピクンと反応して目を覚ますパチュリー。
その様子を見て、「あの魔法使い凄いわね…」、「あんなに揺すっても起きなかったのに…」、「5時間とか言っていたのにね…」とメイド達はひそひそと話したとか。
「ま、魔理沙。こないだ持っていった本はもう読み終わったの?」
若干どもりつつ、帽子を被りなおすパチュリー。さり気無く髪も手櫛で整える。
何とも分かりやすいことである。さっきまでのパチュリーは、何処へ行ってしまったのか。
「読み終わったって言うか、これ何かおかしな呪いとかかかってないか?」
半分くらいまでは目を通したんだが、何か精神のどこかに刺激が来るんだよな。例えると、桃色マスタースパークみたいな。
と、よく分からない例えを言いながら、一冊の魔道書を取り出してパチュリーに渡した。
「あら、そう。今度、確かめてみるわね」
平静を保ちながら、いつもの眠たげな表情で返すが、「ちっ、気付かれたか。最後まで読んでいれば、今頃、星でも出しながら、『パチュリーーーー!!」と叫んで抱きついてくるはずだったのに」と胸中で毒づいた。
早い話、パチュリーは刷り込みを応用した恋愛魔術をそれに仕掛けていた。
「ん? そいつは見たことの無い本だな」
魔理沙がパチュリーの持っている本に興味を示す。
「こっ、これは魔道書じゃないわよ」
「何だよ、隠すなんてそんなに凄い本なのか」
後ろ手に本を隠すが、それにより魔理沙は一層興味を惹かれる。
にじり寄る魔理沙相手に、椅子から立ち上がり、後ろずさりをして距離を取るパチュリー。
「ふふふ、逃げる魚はいつだって大物だからな。私はそれを逃すほど愚かじゃないぜ?」
両手を、怪しげにわきわきさせながら魔理沙。まるでセクハラ中年親父である。
「ふふふ、魚は魚でも、これは人魚だから釣らないほうが身のためよ?」
不敵に笑いながらも、どこか嬉しそうにパチュリー。
言った後、魔理沙に背を向け、「私を捕まえてごらんなさい~。うふふふ~」とでも言いたげに走り出す。
こうすれば、魔理沙が追いかけてきて、擬似恋人ごっこが完成するという寸法だ。
メイド達は、「うっわー、こんな元気なパチュリー様、初めて見たわね」と頷きあっている。ぶっちゃけると、キャラが違いすぎだろうという話もある。
そして、メイド達が走り回ったりしたら、魔法で強制的に静かにさせられる。「何だか理不尽な気もするわね」、とメイド達は呟いたが、現実はそんなものである。
「ふ、パチュリー。この私から逃げられると思うなよ」
言いながら手を翳す。そこに魔力が集中し、物理的な威力が込められた小さなミサイルが形成されていく。
魔力の流動に気が付いて、パチュリーが振り返る。
「たぁっ」
普段のものより格段に小さいとはいえ、声の割には随分と勢いよくマジックミサイルが一発発射される。
「えっ?」
振り返り終えた瞬間、パチュリーのおでこの、ど真ん中にそれは命中した。突き抜けるベクトルが、いい感じに彼女を吹っ飛ばす。
一見、子供の玩具に見えるようなモノが、少女を勢いよく宙に舞わせる様は、見ようによってはまぁ、幻想的に見えなくも無い。
すざざざ。体が床を滑る音が、その幻想の終わり。
「い、痛い…」
喰らって、2mくらい吹っ飛んだパチュリーが、うつ伏せのまま呻く。
魔理沙の愛情表現は、実に痛いものだった。
呻くパチュリー何て、なんのその。無視して、落ちた本を拾い上げる。
「どれどれ、ってなんだこりゃ。『意中の殿方を射止める666の方法』?」
「お嬢様の為に、こないだ探し出したのよ…」
おでこを擦りながらパチュリーが答えた。少し赤くなっているのが可愛らしい。が、少し赤くなる程度で済むのは彼女が魔女で、瞬時に薄い結界を張れたからであり、普通の人間が喰らったら、充分に脳天に風穴が明く威力である。痛いにも程があるだろうに、全く痛いわね、と呟く感じで、ちょっと寂しげに話すパチュリーは実に健気である。
「あー。それでこないだ、神社が壊れそうになったりしてたわけか」
あのお嬢様も元気なもんだ。
本を閉じながら、魔理沙は嘆息気味に呟いた。
「あら、妬けるの?」
ぱんぱんと、服を手で払いながらパチュリーは立ち上がる。
「ばっ、ばばばばば、馬鹿なことを、何をっ!!?」
「どもっている上に、言葉の順番が違っているけれど」
パチュリーも魔理沙と同じように嘆息気味に呟いて、分かりやすいわねと思いながらも、歩を進めて魔理沙に近づいた。
「別に、私は霊夢をそんな風には…」
指をもじもじさせながら、ごにょごにょと言っているが、その顔は赤い。
分かりやすい人達ばっかりだ、というか色恋が絡むと、この人達はキャラが変わりすぎだと思うのだがどうか。
恋は魔法、とは良く言ったものである。もっとも、魔理沙の場合は魔砲だが。
「じゃあ、魔理沙には好きな人は居ないのかしら?」
にじり寄り、片手を頬に、もう一方の手を首筋からゆっくりと下へ這わせていく。
「ぱ、パチュリー…?」
「私はね、居るの」
言葉と共に、パチュリーの二つの手が羽で撫でられている様な感触を与えながら、魔理沙の身体を撫でていく。
「へ、へぇー…」
だらだらと、熱くも無いのに何故か汗が流れ出そうになる魔理沙。心臓も、徐々に早鐘になっていく。
「魔術を使ってでも、自分のモノにしたいのよね…」
パチュリーの指が唇に、もう一方の手が胸に到達する。
「そういうのは、相手のさ…気持ちを…その、尊重しないとダメだと思うぜ…」
「あら、そんな台詞が魔理沙から聞けるなんて思いもしなかったわ。何でも腕ずくって感じなのに」
「私は、礼儀正しい人間だからな」
礼儀正しい人間が、毎日門番を蹴散らして屋敷に侵入してくるかどうかは、まぁこの際、さて置こう。
魔理沙的問題としては、なぜこのような状態に陥ったのかということと、この状態に置かれた自分の心臓がハードビートを刻んでいるのかということだ。鼓動のスピードと正比例するように顔の温度も上がっていく。何故か、パチュリーを振り払う気になれない。
(おかしい、おかしいぜ…)
(ふふふふふ。半分とはいえ、魔理沙は本を読んだ。なら、効果はそれなりに出ているはず)
ならば、今のうちに強硬手段で頂いてしまえ、ということである。据え膳喰わぬはなんとやらだ。この際、両方女性であるとか、魔術のお陰でこうなっているとかは一切合切シカトである。
これぞ雰囲気重視。何か、ちょっと違う気もするが。
混乱している魔理沙は、魔術を既に行使されているということに気が付けない。何故なら、既に術中に落ちているから。もっとも、アリ地獄に落ちた後に、落ちたという事実に気がついても手遅れなのだが。
魔理沙が、なんでこんなことに…。と、どうこう考えているうちに、唇を撫でていた手が顎にかけられ、顔を上向かせられる。
「こ、コレって…」
「しっ…黙って見てなさい」
「パチュリー様、そのままやっちゃえっ」
本棚の影から聞こえる、無責任な声援。
だが、二人の世界モードに突入しているパチュリーの耳にそんな戯言は届かない。
「礼儀正しいのなら、まさか女に恥はかかせないわよね」
声は胸の奥に染み込む様に甘く、普段の眠そうな表情は消え、魔女と呼ぶに相応しい妖艶たる笑み。
もっとも、魔理沙にそう聞こえ、見えるというだけで、魔術の効力が及んでいないメイド達には、普段となんら変わらないパチュリーである。
ゆっくりとパチュリーの顔が魔理沙に近づいていく。
あぁ不味いぜ。このままじゃ、第一種接近遭遇だ。それは危険だって、パチュリーのおでこだって赤く警告してる。この場を離れないと不味い、あぁでも何か胸が苦しくて…。ダメだ、身体に力が入らない…。逆らえない…。
視界にパチュリーしか映らない。他のもの全てが色を無くしていく。
「あぁ…。恥は…かかせない…」
何故自分がこんな気持ちになっているのか理解出来なかったが、逆らい切る事が出来ないことを理解した魔理沙は、静かにそう言った。
脳裏に、のんびりと緑茶をすする紅白な巫女の顔が浮かんだが、ほんの一瞬でそれは暗闇の中に埋没していった。それは、理性という蝋燭の火が消える瞬間だ。
魔理沙が諦めて、目を瞑った時。
メイド達の興奮が頂点に達した、その瞬間。
パチュリーが勝利を確信し、唇と唇がランデブーをするその数瞬前。
それは起こった。
「黒い魔法使いーーー! 今日という今日は、五体満足じゃ帰さないわ………よ?」
バンッ、という音を立てて、咲夜やレミリア以上に勢いよく扉を開け、侵入してきた誰か。走ってきたから、というよりも誰かと争ったのだろう。顔の両脇に垂れている三つ編みは若干ほつれ、服は所々破けているし、被っている帽子には草葉が僅かに残っていた。
彼女は入ってきた勢い同様、大きな声で言ったが、中で繰り広げられていた予想外な、桃色空気に語尾が弱くなった。
空気が硬直する。真夏の砂浜を駆ける恋人達。けれど、相手が100mを世界新か、おい? という勢いで駆けていく。ちょっ、ちょっと待ってと言いたくなる。飛び始めたロケットは停止しないが、燃料が勢いよく零れ落ちていく。ひゅるるるる―
「…………」
魔理沙以外、全ての視線を受け、言葉を失う中国。
「え、えーと…」
そう言って、恥ずかしそうに頭を指一本でかくのと、それは同時だった。
現実の認識は、それが予想外であればあるほど時間がかかる。ならば、非現実から現実への立ち返りも同じだ。けれど、凍りついた空気、沈黙が支配する空間。それと数秒もあれば、魔法や魔術に抵抗力を持つものならば、心を乱す魔術から、充分に現実へ立ち返れる。
心の蝋燭に火が灯る、世界が色を取り戻す、埋没した理性が目を覚ます。頭の中で、紅白な巫女が緑茶を啜り出す。
魔法使いは、数瞬もあれば世界を把握する。
どんっ、と正気に戻った魔理沙は乱暴にパチュリーを突き飛ばし、現状を把握しきれず混乱している中国の脇を抜け図書館を出た。
その速さと言ったら、「世界新か、おい?」とメイドの一人に言わせたほどである。メイドは愚か、パチュリーでさえ、その速さに声を掛けることすら出来なかった。
ただ、「れいむーーーーーっ、よっ、汚されそうになったーーーーっ! うっ、うわーーーーーんっ!!!」という、少女らしい泣き声が遠くから聞こえたとか、聞こえなかったとか。
魔法使いとはいえ、種族は人間、無理も無い。
「あ、あれ…? 今日はもうお帰り?」
中国は図書館の中と、外を交互に見比べつつ、ぼけーっと呟くが、そこにぬぅーん、という感じで近づくパチュリー。
そして、がしっとアイアンクローである。
「いっ痛いです、パチュリー様っ!」
床から足が離れて、ぶらーんと揺れる。
ていうか、パチュリー様ってこんな肉体派だっけ? という疑問の余地を挟む暇が無いほどに、見事なアイアンクローであった。
する必要が無いからする魔女などいないが、彼女達はその気さえなれば肉体強化の魔法程度は簡単に扱えるのである。
「ち ゅ う か こ む す め ~~~」
恐ろしく怨念の篭った声で、中国は何かの呪詛かと思った。
「わっ私の二つ名は、中華小娘じゃなくて、華人小娘ですっ。ていうか日本語読みですかっ!」
怯えながら、そんなことを訂正している場合ではないのだが、最早パチュリーに何を言ったところで無駄だろう。
「あれほど、図書館の扉は静かに開けろと…。図書館の中での戦闘は厳禁だと…」
意訳すると、「私と魔理沙のアバンチュールを邪魔しやがって、どう責任とってくれるんだ、アンコラ!!」という感じの呪詛が、そこには込められている。
恋する乙女を怒らせると危険だが、恋する魔女を怒らせるともっと危険である。
「ふふふふふふふ…。どうしましょうか…。ふふふふふふふ」
大気中の魔力が、凄まじい勢いでパチュリーに流れ込んでいき、付けている魔法力を高めるリボンが、その勢いに紫電に似たものを散らし、バチバチと渇いた音が図書館一体に響き渡る。
「ひぃっ…。ぱ、パチュリー様?」
痛いです。と言おうとした所、アイアンクローの力が強まった。
「逃がした黒ネズミは大きいわねぇ…」
「すいませんすいませんすいません―」
「この不出来な猫イラズはどうしたものかしら。要らないかしら…ねぇ?」
そんな様子を見ながら、火の粉が降りかかっては堪らないと、掃除もしていないのに図書館をこっそりと後にするメイド達。
そこの残されるのは、猫イラズと呼ばれて、要らない呼ばわりされている不憫な門番と齢100歳を越える魔女。そして、いくつもの血の池。
せめて血くらいは拭いていけよ、メイド達。
パタン、と静かに締めた扉の向こうから声が聞こえる。
「今日は何か調子がいい気がするわ。何でも唱えられそう。うふふふふふ」
「すいませんすいませんすいませんすいませんすいません、ずびばぜんー。お許しをーーーーーーーーー!!」
「かー すい もく きん どー 符ァァァァァアアアアア!!!! エノク・マーキュリー・ヘルメス・イドリス・トートォ!!…この手に生命の樹たるカドゥケウスを…。死すべき神よ、その衣を持ち、我にウリムを与え給えェェェ!!―」
所々、やけくそ気味ではあるが、軽やかにスペル詠唱を行うパチュリー。
「なっ、何でそんな上級スペルーーーー!!!?」
「――賢者の石ィィィィイイ!!!!」
「キャァァァァーーーーーー!!!!」
メイド達は、「あんなに楽しそうで元気なパチュリー様を見たのは初めてでしたが、あれほどまでに怒りを表情に出されているのも初めて見ました。その上、どこか微笑ましいような声で、スペルの詠唱を――。恋って怖いですね」
と、自分たちの鼻血についてはノーコメントだったというか、ついでだという事で、床を汚していた血は中国のものだと、レミリアや咲夜に語ったと言う。
その時、レミリアと咲夜、二人の同意により、中国の減給が決まった。
紅魔館は今日も平和である。
「涙を流す月よ、50の姿を持つ月よ、愛しきエンデュミオンと共に紅く染まれ― さいれんと せ・れ・な♪」
「そっ、そんな二連続で、死んじゃいますっ、私死んじゃいますってっ!!ていうか、なんでちょっと楽しそ……ぎ、ぎにゃーーーーーっ!!!」
平和で…ある。
その日、博麗大結界に向かって流れ星の如く、中国こと、紅美鈴は飛んでいったが、名前を呼んで欲しいという願いは、パチュリーに限って言えば、永遠に叶わないことになりそうだった。
「ごっ、ごめんなさぁぁぁいぃぃぃーーーーーーーーーーーーー!!!」
紅魔館は、今日も愉快である。
どこか埃臭く、黴臭いような気がするが、実際のところ、それは気のせいである。
いくらここが無駄に広いとか、本ありすぎ、とかメイド長を含む全ての人間が思っているとしても、紅魔館の一部である以上、毎日完璧な清掃が隅々まで行き渡っている。
とはいえ、その一方で本に対する扱いがやたらと厳しく、ここの管理人にメイドは毎日厳しく注意を受けるので、割と胃とかがキリキリしている。
だが、それも先日までの話。
陽が射し込まず、暗いので陰鬱な印象は拭えないが、ヴワル図書館の一角では連日のように桃色の空気に彩られた場所がある。
そして、陰鬱な印象こそが、その場所を際立たせていた。
「ねぇ、パチェ!」
「どうしたの、レミィ?」
元気よく非難めいた声を上げるのは、館の主のレミリアで、それに眠たげかつ、どこか鬱屈そうに答えるのはパチュリー。
互いに三桁分の歳月を生きているが、二人の容姿は少女、と呼ぶしかない。幻想郷に住む者を外見で判断してはいけないのだ。
とはいえ、パチュリーよりも5倍程度は長生きしているレミリアの方がどうみても幼く見えるというのは、何と言うかこう、詐欺ではないのですか? 的なものがあるが、メイド達は一向に気にしない。
「みてみて、今日もお嬢様来てるわよ」
「うわ~、可愛いー」
「また顔を赤くしちゃって。あーもう、お持ち帰りしたい」
ロードヴァンパイア相手に、可愛いだとか、お持ち帰りしたいとか、とても正気の人間の言う台詞ではありませんが、残念ながらメイド長を含め、この館に居るのはこういう人間ばかりです。相手が可愛ければ、種族の差など越えるべきハードルになどならないようです。
人間って強いなぁ。もしくは、愛ってすごいなぁ。
まぁ、皆が皆、メイド長の後姿とかを見ているので、似てしまったのでしょう。ていうか君達、仕事しなさいよ。
本棚の影から、きゃいきゃい言っているメイド達はさて置き、魔女とヴァンパイアの二人に戻りましょうか。
「こないだパチェが教えてくれた方法、全然ダメだったわよ!」
「どんな風にダメだったの?」
泣く子も黙るであろう、ロードヴァンパイア・レミリアお嬢様の怒り心頭の様子にも動じることなく、眠たげに本をパラパラと捲るパチュリー。
もっとも、その様子をここのメイド達も、可愛い、の一言で済ますのですから、ある意味ここはとても平和な所と言えるのかも知れません。
「えーと。こないだ教えたのはこれね」
目的のページを見つけ、それを読み上げます。
「『ムードが大事、甘い空気を構築し、そのまま流れるように移行するのがポイント。まずはさり気無く、しなだれかかってみましょう。さすれば、意中の殿方はコロリですぞ』」
そこに至る過程をすっとばしている、実に素晴らしい恋愛ハウツー本のようです。というか今時、コロリっていう表現はどうなんだ。
「どこがどうダメだったのかしら?」
どうダメも何も、霊夢はそもそも殿方でないのだがどうか。
「しなだれかかった瞬間、『ちょっと、気持ち悪いからやめて』とか、とてもクールに言われたわ。どっかの氷の妖精も真っ青ねアレは」
寂しそうにレミリア。
「ふーん。どういう流れで?」
パチュリーは、本の字を目で追いながら聞き返す。
「『おはよう、霊夢』と言った次の瞬間『れ・い・む。レミリア、何か疲れちゃったな…』と甘い声で服をはだけつつ迫ってみたわ。さり気無く、流し目とか使いながら。ちなみに、こないだ見た『少女漫画』というものを参考にしてみたんだけど」
一体、どなた向けの少女漫画なのか。絶対教育に悪いぞ、それは。
本棚の影では、聞き耳を立てていたメイド三人が、その時のレミリアの姿を想像でもしたのか、息を若干荒くしつつ、両手で鼻を押さえ、抑えきれずに鼻血をぽたぽたと零している。
次々と出来ていく、赤い池の数々。
あー、メイド長かパチュリーさんに怒られますよー。
でもまぁ、とても幸せそうな顔をしているからいいでしょう。本当にメイド長に似たようです、彼女達は。
「お嬢様…ハァハァ…」
とか言ってるし、台詞だけ取ると、メイド長と区別が付きません。
「うーん。それでなびかないなんて、霊夢は、据え膳食わぬは何とやらというのを知らないのかしら」
言いながら、数ページ捲るパチュリー。
「あ、これなんか良さそうよ」
「どれどれ」
身を乗り出して、レミリアもそれを横から覗き込みます。
「えーと、『いやよいやよも好きのうち。恋する相手は、こちらに好意を抱いているほど、なかなか素直になれないものです。時には強引にプッシュしてみましょう』?」
ちなみに、その文の横には注意書きとして、『※(なかなか素直になれない)若い男性に多く見られる傾向ですね』などと書かれているが、パチュリーは軽やかにスルーである。
「つまりこういうことね」
全てお見通しよ、みたいなノリで話し始めるパチュリー。
「どういうことなの?」
「レミィが『霊夢、貴女のことが好きなの。血を吸わせて』という趣旨のことを言うわ」
「多分、瞬時に『吸うな』と返って来ると思うんだけど」
半ば呆れ顔のレミリアに、ちっちっちっ、と口から音を出しつつ人差し指を左右に振るパチュリー。
普段とキャラが何か違うような気がするのですが、自分がレミリアに余計な知識を吹き込んだ結果、巻き起こされる騒動を楽しんでいるんでしょう、この魔女は。自分は巻き込まれることが無いのですから、当人は実に気楽なものです。
「その『吸うな』は、『本当は吸って欲しい。でも、霊夢恥ずかしくて素直に言えないの』と翻訳可能ね。この本によれば」
いや、そんな無茶な。
「なるほどっ」
レミリアの脳裏に、「は…恥ずかしくて言えないわよっ、いやいやっ!」と、赤面しながら顔を激しく左右に振る霊夢の映像が浮かぶ。
「恥ずかしがる霊夢も良いわね…うふふ」
「だから、吸うなと冷たくされても、そこで無理やり押し倒すのが正解ね。強引にプッシュ」
プッシュって押し倒すって意味じゃないと思いますよ、この場合。パチュリーさん。
「そっか。そうだったのね。人間の恋愛は奥が深いわ」
どう考えても、それ間違ってますから。なんていうかこう、法律とかそういうのに抵触してしまいそうな勢いですよ。
とはいえ、幻想郷で規律を司るのは博麗の巫女だけなので、その巫女を手篭めにしてしまえば、事など無きと同義なのかも知れませんが。
「よしっ。今日こそ、今日こそは霊夢をモノにしてくるわ! ありがとう、パチェ!」
「幸運を祈っているわ、レミィ」
持つべきは親友ね、とばかりに喜色満面で走り出すレミリア。
眠たげな顔に微笑を称えて、愛らしい妹を送り出すかのように、手を僅かに振るパチュリー。
レミリアは勢いよく図書館の扉を開け、文字通り飛ぶように駆けていく。
その数秒後、今度は扉が逆向きに勢いよく開かれた。
ちなみに、図書館の扉を勢いよく開けるなんて芸当をして、パチュリーから魔法を喰らわないで済むのはレミリアを含め、三人程度のものである。
今、扉を開けて入ってきたのは、その中の一人だ。
「おっ、お嬢様っ!?」
珍しく息を切らし、額には僅かだが光る汗すら見える。完全で瀟洒と呼ばれる彼女が、そんな姿を見せるのは珍しい。
「あら、咲夜。ごきげんよう」
「御機嫌麗しゅう、パチュリー様」
ちっ、今日も遅かったか。
と胸中で毒づきながらも、涼しげな笑顔と、お辞儀で答える咲夜。
「レミィだったら、愛しの姫君に逢瀬しに行ったわよ。丁度入れ違いね」
「へぇ。今度はお嬢様に、どんな間違った知識を仕込んだんですか?」
敵意、ちょっと剥き出し。
その言葉には、暗に「とばっちりがくるのは私なんだよ、このやろー。やめろっつうんだよ」という意味が込められている。
ちなみに、前回は間違った知識を仕込まれたレミリアが「私の愛を受けとってー霊夢ぅーー!!」と叫びながらマイハートブレイクを全力で打ち込んだため、博麗神社の鳥居が決壊した。
霊夢と咲夜が必死に結界を張って押し留めたからその程度で済んだものの、「玉露一年分で勘弁してあげるわ」と、こめかみをひくひくさせた霊夢に言われたのは、咲夜にとって記憶に新しいことである。危うく、神社そのものが跡形も無く吹き飛ぶところであった。
一年分という量の確保と、それにかかる資金繰りにどれだけ苦労したことか…。違う意味で、咲夜はハートブレイクしそうなのだ。
「あら、心外ね咲夜。私はただ、親友であるレミィの恋を応援しているだけなのに…。まさか、そんな風に思われて…い……た……な…」
悲しげに言いながら、俯いていくパチュリー。語尾もなんだか弱々しくて、最後まで聞き取れない。
その様子を見ながら、ちょっと言いすぎたかしら。そうね、お嬢様の親友であるところのパチュリー様がまさか嫌がらせとか、悪戯心でしているわけがない。私が間違っていたわね。
と思うには、若干を通り越し、かなり無理がある所業の数々が思い起こされたが。咲夜はそう反省をした。完全で瀟洒な従者は、我儘な主のお陰で、捻子くれまがった愛情表現に割りと慣れている。
「パチュリー様。今のは私の失言でした…って」
「すーすー」
「人と話をしている時に寝ないで下さいっ!」
即刻、反省取り消しである。むしろ、するべきではなかった、と逆向きの反省に切り替える。
眠気が頂点に達した顔が、悲しげに見えただけだった。常日頃から眠そうな顔をしている彼女であるが、本当に眠い時というのはまた表情が変わるのである。
「起きてっ、起きて下さいっ!」
肩を掴んで、ガクガクとパチュリーを揺する。
「……ん。あと5…」
普通の人間なら瞬時に起きそうなものだが、相手は万年寝不足(に見える)パチュリーである。そう簡単には起きない。
「あと5分も待ってられませんっ。今回はどんな間違った知識を仕込んだんですか? 早くお嬢様を追わないといけないのにっ」
「…5時間…」
分じゃねぇのかよ!? なげぇなオイ!
と、その場に居たメイド達と咲夜は思いつつ、何とか踏みとどまったが、激しく突っ込みをいれそうになった。本音的には、咲夜はちょっと殴りたかった。というか、メイドの目が無ければ多分殴っていた。いや、時を止めて殴れば…。と数瞬考えるくらいには、殴りたかった。
「ダメだわ。魔女には常識が通用しない…」
恐らくそういう問題ではないし、アリス辺りが聞いたら怒りそうであるが、起きないパチュリーを諦めて、咲夜は図書館の出口に向かって駆け出す。
「まだ、玉露だって届いていないのに、これ以上あの紅白を刺激してどうするのー!」
最悪、紅魔館の全額負担で神社を新築しろ、とか言われかねない。そして、実際問題的にレミリアは神社を破壊しかねない。「一緒に紅魔館に住めばいいのよっ!」みたいなノリで。
スカートを翻し、髪を乱しながら走るメイド長。普段そのような姿を誰かに見せることは皆無であり、誰かがそのようなことをしていれば、これでもか、と言わんばかりの説教と罰がメイド達を襲うのだが、それに対する怒りなどどこにもなく。
「あぁ、メイド長のふとももがチラリと…」
「光る汗が素敵だったわ…」
「あぁ咲夜様。お怒りの表情も美しい…」
メイド達は、更なる鼻血を出しながらそれを見送るのだった。どうやら、レミリアお嬢様でも、メイド長の咲夜様でも、彼女達はどっちでもイケルらしい。
紅魔館は、実に平和である。
「おーい、今日も邪魔するぜ」
そんな声と共に、咲夜と入れ違うように入ってきたのは、魔理沙。
その声にピクンと反応して目を覚ますパチュリー。
その様子を見て、「あの魔法使い凄いわね…」、「あんなに揺すっても起きなかったのに…」、「5時間とか言っていたのにね…」とメイド達はひそひそと話したとか。
「ま、魔理沙。こないだ持っていった本はもう読み終わったの?」
若干どもりつつ、帽子を被りなおすパチュリー。さり気無く髪も手櫛で整える。
何とも分かりやすいことである。さっきまでのパチュリーは、何処へ行ってしまったのか。
「読み終わったって言うか、これ何かおかしな呪いとかかかってないか?」
半分くらいまでは目を通したんだが、何か精神のどこかに刺激が来るんだよな。例えると、桃色マスタースパークみたいな。
と、よく分からない例えを言いながら、一冊の魔道書を取り出してパチュリーに渡した。
「あら、そう。今度、確かめてみるわね」
平静を保ちながら、いつもの眠たげな表情で返すが、「ちっ、気付かれたか。最後まで読んでいれば、今頃、星でも出しながら、『パチュリーーーー!!」と叫んで抱きついてくるはずだったのに」と胸中で毒づいた。
早い話、パチュリーは刷り込みを応用した恋愛魔術をそれに仕掛けていた。
「ん? そいつは見たことの無い本だな」
魔理沙がパチュリーの持っている本に興味を示す。
「こっ、これは魔道書じゃないわよ」
「何だよ、隠すなんてそんなに凄い本なのか」
後ろ手に本を隠すが、それにより魔理沙は一層興味を惹かれる。
にじり寄る魔理沙相手に、椅子から立ち上がり、後ろずさりをして距離を取るパチュリー。
「ふふふ、逃げる魚はいつだって大物だからな。私はそれを逃すほど愚かじゃないぜ?」
両手を、怪しげにわきわきさせながら魔理沙。まるでセクハラ中年親父である。
「ふふふ、魚は魚でも、これは人魚だから釣らないほうが身のためよ?」
不敵に笑いながらも、どこか嬉しそうにパチュリー。
言った後、魔理沙に背を向け、「私を捕まえてごらんなさい~。うふふふ~」とでも言いたげに走り出す。
こうすれば、魔理沙が追いかけてきて、擬似恋人ごっこが完成するという寸法だ。
メイド達は、「うっわー、こんな元気なパチュリー様、初めて見たわね」と頷きあっている。ぶっちゃけると、キャラが違いすぎだろうという話もある。
そして、メイド達が走り回ったりしたら、魔法で強制的に静かにさせられる。「何だか理不尽な気もするわね」、とメイド達は呟いたが、現実はそんなものである。
「ふ、パチュリー。この私から逃げられると思うなよ」
言いながら手を翳す。そこに魔力が集中し、物理的な威力が込められた小さなミサイルが形成されていく。
魔力の流動に気が付いて、パチュリーが振り返る。
「たぁっ」
普段のものより格段に小さいとはいえ、声の割には随分と勢いよくマジックミサイルが一発発射される。
「えっ?」
振り返り終えた瞬間、パチュリーのおでこの、ど真ん中にそれは命中した。突き抜けるベクトルが、いい感じに彼女を吹っ飛ばす。
一見、子供の玩具に見えるようなモノが、少女を勢いよく宙に舞わせる様は、見ようによってはまぁ、幻想的に見えなくも無い。
すざざざ。体が床を滑る音が、その幻想の終わり。
「い、痛い…」
喰らって、2mくらい吹っ飛んだパチュリーが、うつ伏せのまま呻く。
魔理沙の愛情表現は、実に痛いものだった。
呻くパチュリー何て、なんのその。無視して、落ちた本を拾い上げる。
「どれどれ、ってなんだこりゃ。『意中の殿方を射止める666の方法』?」
「お嬢様の為に、こないだ探し出したのよ…」
おでこを擦りながらパチュリーが答えた。少し赤くなっているのが可愛らしい。が、少し赤くなる程度で済むのは彼女が魔女で、瞬時に薄い結界を張れたからであり、普通の人間が喰らったら、充分に脳天に風穴が明く威力である。痛いにも程があるだろうに、全く痛いわね、と呟く感じで、ちょっと寂しげに話すパチュリーは実に健気である。
「あー。それでこないだ、神社が壊れそうになったりしてたわけか」
あのお嬢様も元気なもんだ。
本を閉じながら、魔理沙は嘆息気味に呟いた。
「あら、妬けるの?」
ぱんぱんと、服を手で払いながらパチュリーは立ち上がる。
「ばっ、ばばばばば、馬鹿なことを、何をっ!!?」
「どもっている上に、言葉の順番が違っているけれど」
パチュリーも魔理沙と同じように嘆息気味に呟いて、分かりやすいわねと思いながらも、歩を進めて魔理沙に近づいた。
「別に、私は霊夢をそんな風には…」
指をもじもじさせながら、ごにょごにょと言っているが、その顔は赤い。
分かりやすい人達ばっかりだ、というか色恋が絡むと、この人達はキャラが変わりすぎだと思うのだがどうか。
恋は魔法、とは良く言ったものである。もっとも、魔理沙の場合は魔砲だが。
「じゃあ、魔理沙には好きな人は居ないのかしら?」
にじり寄り、片手を頬に、もう一方の手を首筋からゆっくりと下へ這わせていく。
「ぱ、パチュリー…?」
「私はね、居るの」
言葉と共に、パチュリーの二つの手が羽で撫でられている様な感触を与えながら、魔理沙の身体を撫でていく。
「へ、へぇー…」
だらだらと、熱くも無いのに何故か汗が流れ出そうになる魔理沙。心臓も、徐々に早鐘になっていく。
「魔術を使ってでも、自分のモノにしたいのよね…」
パチュリーの指が唇に、もう一方の手が胸に到達する。
「そういうのは、相手のさ…気持ちを…その、尊重しないとダメだと思うぜ…」
「あら、そんな台詞が魔理沙から聞けるなんて思いもしなかったわ。何でも腕ずくって感じなのに」
「私は、礼儀正しい人間だからな」
礼儀正しい人間が、毎日門番を蹴散らして屋敷に侵入してくるかどうかは、まぁこの際、さて置こう。
魔理沙的問題としては、なぜこのような状態に陥ったのかということと、この状態に置かれた自分の心臓がハードビートを刻んでいるのかということだ。鼓動のスピードと正比例するように顔の温度も上がっていく。何故か、パチュリーを振り払う気になれない。
(おかしい、おかしいぜ…)
(ふふふふふ。半分とはいえ、魔理沙は本を読んだ。なら、効果はそれなりに出ているはず)
ならば、今のうちに強硬手段で頂いてしまえ、ということである。据え膳喰わぬはなんとやらだ。この際、両方女性であるとか、魔術のお陰でこうなっているとかは一切合切シカトである。
これぞ雰囲気重視。何か、ちょっと違う気もするが。
混乱している魔理沙は、魔術を既に行使されているということに気が付けない。何故なら、既に術中に落ちているから。もっとも、アリ地獄に落ちた後に、落ちたという事実に気がついても手遅れなのだが。
魔理沙が、なんでこんなことに…。と、どうこう考えているうちに、唇を撫でていた手が顎にかけられ、顔を上向かせられる。
「こ、コレって…」
「しっ…黙って見てなさい」
「パチュリー様、そのままやっちゃえっ」
本棚の影から聞こえる、無責任な声援。
だが、二人の世界モードに突入しているパチュリーの耳にそんな戯言は届かない。
「礼儀正しいのなら、まさか女に恥はかかせないわよね」
声は胸の奥に染み込む様に甘く、普段の眠そうな表情は消え、魔女と呼ぶに相応しい妖艶たる笑み。
もっとも、魔理沙にそう聞こえ、見えるというだけで、魔術の効力が及んでいないメイド達には、普段となんら変わらないパチュリーである。
ゆっくりとパチュリーの顔が魔理沙に近づいていく。
あぁ不味いぜ。このままじゃ、第一種接近遭遇だ。それは危険だって、パチュリーのおでこだって赤く警告してる。この場を離れないと不味い、あぁでも何か胸が苦しくて…。ダメだ、身体に力が入らない…。逆らえない…。
視界にパチュリーしか映らない。他のもの全てが色を無くしていく。
「あぁ…。恥は…かかせない…」
何故自分がこんな気持ちになっているのか理解出来なかったが、逆らい切る事が出来ないことを理解した魔理沙は、静かにそう言った。
脳裏に、のんびりと緑茶をすする紅白な巫女の顔が浮かんだが、ほんの一瞬でそれは暗闇の中に埋没していった。それは、理性という蝋燭の火が消える瞬間だ。
魔理沙が諦めて、目を瞑った時。
メイド達の興奮が頂点に達した、その瞬間。
パチュリーが勝利を確信し、唇と唇がランデブーをするその数瞬前。
それは起こった。
「黒い魔法使いーーー! 今日という今日は、五体満足じゃ帰さないわ………よ?」
バンッ、という音を立てて、咲夜やレミリア以上に勢いよく扉を開け、侵入してきた誰か。走ってきたから、というよりも誰かと争ったのだろう。顔の両脇に垂れている三つ編みは若干ほつれ、服は所々破けているし、被っている帽子には草葉が僅かに残っていた。
彼女は入ってきた勢い同様、大きな声で言ったが、中で繰り広げられていた予想外な、桃色空気に語尾が弱くなった。
空気が硬直する。真夏の砂浜を駆ける恋人達。けれど、相手が100mを世界新か、おい? という勢いで駆けていく。ちょっ、ちょっと待ってと言いたくなる。飛び始めたロケットは停止しないが、燃料が勢いよく零れ落ちていく。ひゅるるるる―
「…………」
魔理沙以外、全ての視線を受け、言葉を失う中国。
「え、えーと…」
そう言って、恥ずかしそうに頭を指一本でかくのと、それは同時だった。
現実の認識は、それが予想外であればあるほど時間がかかる。ならば、非現実から現実への立ち返りも同じだ。けれど、凍りついた空気、沈黙が支配する空間。それと数秒もあれば、魔法や魔術に抵抗力を持つものならば、心を乱す魔術から、充分に現実へ立ち返れる。
心の蝋燭に火が灯る、世界が色を取り戻す、埋没した理性が目を覚ます。頭の中で、紅白な巫女が緑茶を啜り出す。
魔法使いは、数瞬もあれば世界を把握する。
どんっ、と正気に戻った魔理沙は乱暴にパチュリーを突き飛ばし、現状を把握しきれず混乱している中国の脇を抜け図書館を出た。
その速さと言ったら、「世界新か、おい?」とメイドの一人に言わせたほどである。メイドは愚か、パチュリーでさえ、その速さに声を掛けることすら出来なかった。
ただ、「れいむーーーーーっ、よっ、汚されそうになったーーーーっ! うっ、うわーーーーーんっ!!!」という、少女らしい泣き声が遠くから聞こえたとか、聞こえなかったとか。
魔法使いとはいえ、種族は人間、無理も無い。
「あ、あれ…? 今日はもうお帰り?」
中国は図書館の中と、外を交互に見比べつつ、ぼけーっと呟くが、そこにぬぅーん、という感じで近づくパチュリー。
そして、がしっとアイアンクローである。
「いっ痛いです、パチュリー様っ!」
床から足が離れて、ぶらーんと揺れる。
ていうか、パチュリー様ってこんな肉体派だっけ? という疑問の余地を挟む暇が無いほどに、見事なアイアンクローであった。
する必要が無いからする魔女などいないが、彼女達はその気さえなれば肉体強化の魔法程度は簡単に扱えるのである。
「ち ゅ う か こ む す め ~~~」
恐ろしく怨念の篭った声で、中国は何かの呪詛かと思った。
「わっ私の二つ名は、中華小娘じゃなくて、華人小娘ですっ。ていうか日本語読みですかっ!」
怯えながら、そんなことを訂正している場合ではないのだが、最早パチュリーに何を言ったところで無駄だろう。
「あれほど、図書館の扉は静かに開けろと…。図書館の中での戦闘は厳禁だと…」
意訳すると、「私と魔理沙のアバンチュールを邪魔しやがって、どう責任とってくれるんだ、アンコラ!!」という感じの呪詛が、そこには込められている。
恋する乙女を怒らせると危険だが、恋する魔女を怒らせるともっと危険である。
「ふふふふふふふ…。どうしましょうか…。ふふふふふふふ」
大気中の魔力が、凄まじい勢いでパチュリーに流れ込んでいき、付けている魔法力を高めるリボンが、その勢いに紫電に似たものを散らし、バチバチと渇いた音が図書館一体に響き渡る。
「ひぃっ…。ぱ、パチュリー様?」
痛いです。と言おうとした所、アイアンクローの力が強まった。
「逃がした黒ネズミは大きいわねぇ…」
「すいませんすいませんすいません―」
「この不出来な猫イラズはどうしたものかしら。要らないかしら…ねぇ?」
そんな様子を見ながら、火の粉が降りかかっては堪らないと、掃除もしていないのに図書館をこっそりと後にするメイド達。
そこの残されるのは、猫イラズと呼ばれて、要らない呼ばわりされている不憫な門番と齢100歳を越える魔女。そして、いくつもの血の池。
せめて血くらいは拭いていけよ、メイド達。
パタン、と静かに締めた扉の向こうから声が聞こえる。
「今日は何か調子がいい気がするわ。何でも唱えられそう。うふふふふふ」
「すいませんすいませんすいませんすいませんすいません、ずびばぜんー。お許しをーーーーーーーーー!!」
「かー すい もく きん どー 符ァァァァァアアアアア!!!! エノク・マーキュリー・ヘルメス・イドリス・トートォ!!…この手に生命の樹たるカドゥケウスを…。死すべき神よ、その衣を持ち、我にウリムを与え給えェェェ!!―」
所々、やけくそ気味ではあるが、軽やかにスペル詠唱を行うパチュリー。
「なっ、何でそんな上級スペルーーーー!!!?」
「――賢者の石ィィィィイイ!!!!」
「キャァァァァーーーーーー!!!!」
メイド達は、「あんなに楽しそうで元気なパチュリー様を見たのは初めてでしたが、あれほどまでに怒りを表情に出されているのも初めて見ました。その上、どこか微笑ましいような声で、スペルの詠唱を――。恋って怖いですね」
と、自分たちの鼻血についてはノーコメントだったというか、ついでだという事で、床を汚していた血は中国のものだと、レミリアや咲夜に語ったと言う。
その時、レミリアと咲夜、二人の同意により、中国の減給が決まった。
紅魔館は今日も平和である。
「涙を流す月よ、50の姿を持つ月よ、愛しきエンデュミオンと共に紅く染まれ― さいれんと せ・れ・な♪」
「そっ、そんな二連続で、死んじゃいますっ、私死んじゃいますってっ!!ていうか、なんでちょっと楽しそ……ぎ、ぎにゃーーーーーっ!!!」
平和で…ある。
その日、博麗大結界に向かって流れ星の如く、中国こと、紅美鈴は飛んでいったが、名前を呼んで欲しいという願いは、パチュリーに限って言えば、永遠に叶わないことになりそうだった。
「ごっ、ごめんなさぁぁぁいぃぃぃーーーーーーーーーーーーー!!!」
紅魔館は、今日も愉快である。
パチェまっしぐら。(魔理沙にな)
次は紫×幽々子でヒトツ。
是非他のパターンも。。。
何だか激しくそう思わされたお話でした。
やはり、パチュリー萌です