Coolier - 新生・東方創想話

笠にゆうきを隠して

2021/04/16 13:26:44
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 日々の雑務を終えようやく就寝の準備を終えた頃、薬売りとして里を中心に幻想郷を練り歩いた疲労が現れた。ひどく冷たい晩秋の風が戸の隙間から侵入してきて、疲れた身体を冷やしていく。身体の冷えは万病の元であると永琳様は言っていた。そこいらの妖怪共よりは頑丈なつもりではあるが、それでもいたずらに身体を冷やして具合を悪く必要もないだろうと、寝間着の下にもう一枚着込むことにした、そんな冷えた夜だった。
 床に就こうとしたまさにそのとき、外が騒がしいことに気がついた。イナバたちが暴れているのかと思ったが、それにしては騒ぎが収まる気配がない。こういった場合はイナバらを従えているてゐが対応するはずである。何か様子がおかしいと、気だるく重い体を動かして調べることにした。万が一侵入者であれば私が対応しなければならないだろう。そうして永遠亭の廊下を進んでいくと一匹のイナバとすれ違った。白い身体に赤い斑点がついており、それは明らかに血液に見えた。

「止まって!あなた血が出ているわよ!!」

 せっかく心配してあげたのにもかかわらず、そのイナバは私を見つけるやいなやグイグイと引っ張り、庭へ私を連れて行こうとしてくる。その導きに従いながらも、イナバの身体を波長を用いて調べたが、どうやら出血はしていないようであった。ともすれば、身体についているその血は返り血であるということである。なんとなく事態が飲み込めてきた。イナバに連れられ中庭に着いたとき、騒ぎの原因はすぐに発見できた。

「なんだあんたか」
「うぐぅ……なんだとはなんだ、重傷者だぞ……」

 庭には慌てふためくイナバらに囲まれた霧雨魔理沙が倒れ込んでいた。周囲には彼女の魔法の残滓が舞っており、まるで星が落ちてきたようである。黒い魔女装束をまとっているので一見外傷が判らないが、よく見れば地面に血が染み込んでいた。顔も青ざめていることから、彼女の言葉が大げさでないことも判った。彼女を抱えて永琳様のもとへ運ぼうと身体を起こすと、思わぬ軽さに私まで倒れそうになってしまった。

「よいしょっと……あんたちゃんとご飯食べてるの?軽過ぎてびっくりしたわ」
「ふん……重いよりかは良いじゃないか。……いいから、さっさとはこべ……」

 やがて魔理沙は気を失ったがそれでも最後まで不遜な態度を崩さなかった。これから治療してもらう命の恩人にもそんな態度を取れるとは恐れ入る、まあ見習おうとは思わないが。

***

 魔理沙を医務室へ運び込み私と永琳様、あとてゐとで魔理沙の治療を始めたが、予想以上に厄介な裂傷が彼女の全身に蛇のように絡みついており、結局、施術が終わったときには日が昇り始めていた。ようやく縫合が終わり一息つこうとした矢先に魔理沙が目を覚ます。あれだけの傷を負いながらこれほど早く意識が回復するとは思わなかった。

「ぅ……治療は、終わったのか?」
「もう目覚めたの?あんたはやかましいから、もう少し寝ていても良かったのにね。まったく幸運だなぁ」
「お前らが徹夜してたんだから、こっちだけ眠るというのも申し訳ないだろう」
「はぁ、まあいいけどね……。お師匠様を呼んでくるから、安静にね」

 てゐが診療室から出ていこうとしたとき、ちょうど永林様が戻ってきた。

「あら元気そうね」
「おう。治療してくれてありがとう」
「かるいなぁ……永遠亭としては、里に住んでいないあんたを助けても旨味が無いわね」
「そんなことはないわよ鈴仙。こうして恩を売ることは巡りめぐって私たちに利益をもたらすものよ」
「そうそう、情けは人の為ならずだ」

 永琳様はてゐに薬を持ってくるように伝えると、診療録をめくりながら問診を始めた。全身を包帯に覆われて痛々しい姿をしている魔理沙は、質問に答えながらもどこか得意げであり、私はそれが気にかかった。

「……それで、いつごろ治りそうなんだ?」
「最低でも3日は安静に、完治したいなら10日といったところね」
「そ、そんなにか!?魔法で流血を抑えたんだし、すぐ退院できるもんだと思ったんだが……」
「それが原因ね。正しい知識もないまま無理に血管を修復していたのもあるけど、何かの薬物を服用していたでしょう。そのせいで朝まで治療することになったのよ」
「あ〜あの薬かぁ……それは申し訳ないな。いやしかしだな、こう、一瞬で完治するような薬とかおまえなら作成できるんじゃないのか?」
「出来なくはないけど副作用であなたは人間を辞めることになるわね」
「ていうか動脈にまで達していた傷もあったんだから、あんたは素直に命が助かったことをありがたがることね」
「はあ……そうするか」

 そう言うと魔理沙はふてくされたように寝転がった。先程の得意げな様子の訳は、おそらくここに来た際に自身に施していた治癒の処置のことだったのだろう。それが永琳様にきっぱりと否定されてさすがの彼女も落ち込んだようである。
 さて、お師匠様の問診も終わったのでそろそろ休憩でもしようかと、伸びをしていた私のもとにてゐが来て、持っていた白い容器をそばに置いた。

「あとの処置はうどんげに任せるわね。夕方頃に包帯を替えてあげて」
「えぇ、私がですか……」
「私が代わってあげたいのは山々だけど、あいにく私はイナバたちの面倒をみなくちゃならないからね」
「別にてゐ、あんたに期待はしていないから」

 なんとも面倒くさいことになったものだ。口が達者な魔理沙の世話など大変に決まっているではないか。しかし永琳様の命令とあれば仕方がない。永琳様から処置の手順を教わっている間に、ちらりと魔理沙をみるとすやすやと寝息を立てていた。なんとものんきなものである。
 明朝の騒動が収まってからしばらく平穏な時間が流れた。魔理沙は私が懸念していたよりもおとなしかったのである。そろそろ包帯を替える時間なので、その用意をして彼女が居る部屋へ向かう。部屋に入ると魔理沙はベッドで分厚い魔法の本を読んでいた。

「意外に勤勉なのね。包帯を取り替える時間よ」
「ん、わかった。それと、私は別に勤勉ではないぜ、日々の日課をこなしているだけだ」
「そうなの?まあどうでもいいわ、服脱いで」

 魔理沙にそう言っても彼女は脱ごうとはしなかった。別に同性同士なのだから恥じることなどないではないか。そう促しても、彼女の返答は歯切れが悪い。

「もう!私も暇じゃないんだからっ!!さっさと脱ぐ!」

 そうして患者着を上半身だけでもむりやりに脱がすと、魔理沙の態度の訳を知ることが出来た。せっかく永琳様が治療を施したのにもかかわらず、魔理沙の身体には内出血のようなあざが至る所に現れていた。

「ちょっとこれっ……どういうことよ!?」
「……魔法をリハビリがてら使ってみたら、こうなった」
「……呆れた。師匠が安静にって言ったの、もう忘れたの?」
「ぐ」
「はぁ……まったく。いま永琳様を呼んでくるから、そこでおとなしくしててよね」

 なんてことだ、余計な仕事が増えてしまったではないか。いったいなぜ大怪我して間も無いにもかかわらず魔法を使おうなんて思うのか、私には到底理解できないことだ。そうしてぶつぶつと愚痴を垂れ流していると、ついお師匠様の部屋を通り過ぎてしまった。これも魔理沙のせいである。

***

「退院が1日延びたわね」
「魔法は使用禁止だって説明がなかったじゃないか」
「魔法の使用は身体に負荷がかかるものでしょう?まさかそんなことも分からないわけないわよね?」
「それでも説明はあってしかるべきだろう」
「あんたねぇ、安静にするというのは治療に専念することよ。師匠の言いつけを守らなかったのだから自業自得ね」
「まあいいわ、内服薬を1種類追加します、おそらく血管や内臓にまた損傷がおきてるでしょうから。これには抗炎症と鎮痛の効能があるから必ず飲むようにね」
「それは素晴らしい薬じゃないか。常備薬にしたいくらいだ」

 永琳様は壁にある薬箱から白い錠剤を取り出し、軟膏の側に置いた。薬学については修行中の身ではあるが、この薬については私でも知っている。たしかこの薬にはやっかいな副作用があったはずである。

「常備薬には向かないわ。薬理作用に体温上昇や脈拍増大……簡単に言えば熱っぽく作用があるから、素人は容易には使えない」
「へぇ……んくっ、うまくいかないもんだな」
「はい水。薬効はすぐにあらわれるはずよ、とにかく安静にね。あとは鈴仙に任せるわ」
「おまかせください」

 永琳様は銀の髪をひるがえして部屋を出ていく。机に置かれていた、永琳様が会話の最中に書き足していた診療録を覗き見ると、そこには追加した薬のことと、魔理沙を要監視する旨の文言が書かれていた。あざのことについては特に触れられていないことから、さほど大事ではないのであろう。魔理沙のあざが心配だったが杞憂であったようである。お師匠様も忙しい身であり私も明日の薬売りの準備があるから、さっさと魔理沙の治療を終わらせてしまおう。今日は軟膏を服用させれば、あとは『安静に』寝かせておけばいいはずだ。

「さぁ、服脱いで」
「ん、わかったよ……んっすこし、寒いな」
「そう?……顔が赤いわね、先の錠剤の副作用かしら」

 魔理沙を観察すると全身が汗ばんでいて、すこし苦しそうだ。包帯を外すときに苦しそうな息を漏らすが、鎮痛成分が効いてきているはずなのでそれには構わず、腕から軟膏を塗布し始める。彼女の肌はまるで絹のような肌触りで、それが崩れた傷口の不気味な感触をより引き立てている気がして、なんだか不思議な感覚だった。
 私の手のひらが魔理沙の肩から手まで往復する。その間はお互い無言のまま、私も魔理沙も、手の動きをただ見つめていて、部屋には彼女の苦しそうな息づかいが響いていた。

「だいじょうぶ?身体が熱いし呼吸も苦しそうよ」
「あぁ……すこしぼぉっとするけど、だいじょうぶだ、多分」
「じゃあ次は背中に塗るから、後ろ向いてくれる?」

 魔理沙は「よっと」と軽快な声を出しながら身体をひねっていくが、視線が定まっておらず疲労が隠しきれていない。そして現れた彼女の背中は特に傷が酷く、まるで赤黒いバラが咲いているかのようである。大量の軟膏を手に取り背中にゆっくり塗り広げていく。薬のおかげでそれほど痛くはないのだろうが、それでも指が傷口に沈むと彼女の背中が引きつった。
 しばらく塗布を続けていると、魔理沙が糸の切れた操り人形のように倒れ込んだ。呼びかけにも荒い呼吸を返すのみで、熱にうなされているようすである。私にもたれさせるように体勢を入れ替えると、上半身裸である彼女の緩やかな双丘が揺れていた。そんな顔を真っ赤にした魔理沙と目が合うと、その小さな体に似合わぬ扇情さに思わず生唾を飲んだ。

「あんた本当に大丈夫?」
「はぁ……はぁ……」
「まったく……無理に魔法なんか使うからよ……」
「鈴仙……なんかさ、寒いんだ……」
「悪寒が走っているのね。でも軟膏を塗りきるまでは我慢して」

 魔理沙が私の手を握ってきた。冬の始まりの季節、その気温によって冷えていた私の手のひらには、魔理沙の手は燃えるように熱かった。片手が塞がっているがやむを得ないと、一方の手で軟膏を手に取る。きめ細かな雪が積もったような肌と溶岩が吹き出す火山のような傷口が広がる魔理沙の肌を、私のゆびが滑る。

「ふぁぁ、んっ……れい、せんっ…………っぁ」
「へんな声、出さないでよね」

 脇腹からへそ、へそからまた脇腹へ手を動かすと、魔理沙の身体がビクッと跳ねる。そして指先がうすい腹筋をなぞりながらみぞおちを過ぎると、柔らかな魔理沙の胸にたどり着いた。彼女の声に苦しさとは別の物が混ざり始めているのを、私は敏感に感じ取った。それでもけっして手は緩めないし、指摘もしない。かすかな膨らみを持つ胸を変形させると、羽毛のように美しく歪む。ふと魔理沙が頭を私の胸へ埋めてきた。風邪をひくとヒトは寂しくなるのだと里の人間がいぜん話していたのを思い出す。彼女は無意識に甘えているのかもしれなかった。なんだか私もこっ恥ずかしくなってくる。

「おまえ、なんか……くすりの匂いがするな……」
「かぐなって」

 そんなことを言われると私も魔理沙の匂いを意識し始めてしまう。汗で蒸れているはずなのに彼女の髪からは甘い香りがした。

「つ、つぎは足に塗っていくから……寝転んでおくほうが楽?」
「そう、だな……悪いがそうさせてもらう」

 魔理沙がベッドに倒れ込むとまた小ぶりな胸が少し揺れた。すでに患者着は上半身がはだけているのに、下半身も大きく露出させるとなればもはや彼女は裸同然である。荒く息を吐いており汗ばんで火照っている魔理沙の身体は、酷く劣情を煽る姿なのであろう。無論同性である私にそんな気はないのだが、それでも意識してしまう。
 包帯を外して足首から膝を通って太ももまで、薬をのばすと際どいところに指が触れ、魔理沙の身体がかすかに跳ねる。きっとこの状況を傍から見れば、まぐわう寸前の状態に見えなくもないだろう。

「……っ」
「……どうした?」

 柄にもないことを考えてしまった。こちらまで変な気分になってくる。何だか心臓の鼓動が早くなっている気さえする。

「なんでもない……。さ、今日の治療は終わりよ。替えの包帯を巻くから、もうちょっと待っててね」

 そして包帯を巻き終えて、ようやく全ての作業が終わった。なんだか妙に疲れた。魔理沙を寝台に寝かせて再三安静にするよう注意をして、部屋を出ようとした瞬間、魔理沙に声をかけられた。

「なぁれいせん、もうしばらく……その、ここに……あ〜……居てくれないか?」
「まあ……いいけど。あんた、普段からそれくらいおとなしかったらいいのにね」
「ぅ……」
「はぁ……わかったわよ。けどあんまり長居できないからね」

 顔を真っ赤にしながら手を差し出されたら、こちらも応じざるをえない。患者に辛く当たることもあるまいし、なによりしおらしい魔理沙は珍しいのだから、こうしておけば後々面白いのかもしれない。想像以上に強く握られた手から彼女の体温が伝わってくる。
 しばらくお互いに無言の時間が流れたが、別に嫌ではなかった。そしてふと魔理沙と目が合った。濡れた瞳が光を乱反射してまるで星を湛えているようである。私としたことが眼を離せなかった。魔理沙がそう簡単に狂気にのまれるわけがないが、それでもこうして見つめるのは控えるべきだろう。しばらく無理に目を反らしていると、やがて魔理沙から寝息が聞こえてきた。どうやらようやくこの場から去ることができそうだ。
 魔理沙を起こさぬように側を離れて振り向くと、扉の隙間からのぞいている姫さまが居た。いったいいつからそこに居たのか、想像するだけで嫌な汗が流れてくる。

「お熱いのね」
「そ、そ、そんなんじゃないんですっ!!」
「くすくすっ……静かにしないとその娘が起きちゃうわよ」

 そう、本当にそういうのではないのだ。私がいくら説明してもきっとドツボにハマるし姫さまに弄ばれるので、言わないのだけど、本当に違うのだ。

***

 魔理沙が飛来して2日目、天気も悪くより一層と冷え込んだ日だった。彼女の様子を見に来たが、昨日と同じように本を読んでいた。ただ本は禍々しい魔導書から私が見慣れた薬学のものに変わっている。私が入室したことに気がついた彼女は、私に微笑みを向ける。

「おはよう。今日は寒いな」
「おはよう。今日は薬学の本なのね、薬学も魔法の領分なのかしら?」
「魔法とは魔の法だ。むしろ魔法の学問体系の一部が薬学と被っているといったほうが良いだろうな」
「そういうもんなの?それで、魔法の練習はやめたのね」
「きのうこっぴどく叱られたからな。医者の言うことはきくに越したこたぁないだろう」

 寝台の脇には大量の書物が積まれていた。中にはこの部屋にはなかったものも多数ある。

「これだけの本を読むつもりなの?」
「まあな。なにせ『安静に』しないといけないからな」
「ふん、わかってるならいいのだけど。それはそうと……この本、この部屋には置いていないはずよ?」
「永琳に頼んだら届けてくれたのさ。ありがたいかぎりだぜ」
「ふーん……そうだ傷の具合はどう?痛む?」
「多少うずくが昨日に比べればかなりマシにはなってきたな」
「なら良かったわ。それじゃあ私は行くから。何かあったらてゐかイナバたちに言えばいいわ」
「なんだ?お前はさぼりか?」
「今日は里で薬を売り歩くのよ」

 包帯が巻かれた手を私に向けて振る魔理沙の、金色の髪が揺れた。きのう思わず見惚れてしまった瞳をつい見つめてしまうが、もう瞳に星は浮かんでいない。魔理沙は私への興味を一瞬で失い、本に没頭し始める。ギラついた目で貪欲に知識を吸収する魔理沙が朝の日差しに照らされているのを見て、私は昨日のおとなしい彼女がもう居ない事を悟った。

***

 薬売りなんて私には造作もない、永琳様の製造した薬の効能は疑いようがないし、秋の涼しさは夏の熱さにバテた人間を元気にするため、今の里に厄介な病に罹った人間などいなかったのである。それでも、来る冬に備えて薬を入用とする者は多く、今朝の冷えも相まって普段よりも多く薬を売ることが出来た。
 普段より長居しすぎたと里を離れ日が暮れたころに、ようやく迷いの竹林を抜け私は永遠亭に帰ってきた。薄暗い廊下を歩いて気がついたのだが、いつもよりイナバ達が静かだった。永遠亭は変化が少ない。それはすなわち、異変はたいてい外部からもたらされるということで、早い話、魔理沙が関係していることは明らかだった。彼女がいる部屋の戸を開くと、そこではイナバたちに対して魔法の教導が行われていた。

「おっ鈴仙、遅かったじゃないか」
「……魔法、使わないんじゃなかったの?」
「おっと勘違いするなよ、ちゃんと永琳の許可は得たんだ」
「そうなの。でもなんでイナバたちに魔法を?」
「ある薬が欲しいと言ったら、てゐから交換条件としてこれをまかされたんだよ」

 人の姿をとっているイナバたちをよく見れば、手のひらに金平糖のような星が現れている。イナバたちは非常に興奮した様子で、小さな星を生み出していた。いたいけなイナバたちに要らぬ知恵を、と思ったが、この程度の魔法ならば問題ないだろう。魔理沙に目をやれば、ウサギの姿をとっている未熟なイナバもよく懐いている。

「なんだ?帰ってきたと思えば入り口でぽかんとしやがって。そんなに羨ましいか、お前にも教えてやってもいいぞ?」

 言われてみれば、薬売りの服装のままであった。さっさと着替えてしまおうと身を翻したとき、てゐがちょうどやってきた。

「おおっ!ちゃんと魔法を教えてくれてんだね。感謝するよ」
「いやいや、それほどでもないさ。こういった慈善事業もたまには良いもんだからな」
「なにが慈善事業よ。薬との交換条件なんでしょうに……というか、なんでてゐがここに?」
「あんたの帰りが遅いから私が今日、魔理沙の治療をするのさ。ほら、さっさと服を脱いでくれるかい?」

 てゐが魔理沙に近づいて患者着を脱がすと、魔理沙の白い肌があらわになった。昨日みたはずなのに、こうして治療目的ではなく第三者としてみると、なんだか変な気分だ。魔理沙の傷口はほとんど塞がっており、一部の深い裂傷が残っているのみである。てゐの小さな手が魔理沙の身体を滑ると、魔理沙がくすぐったそうに目を細める。それがなんだか面白くない。……面白くないとはどういうことなのだろう。むしろ業務がひとつ減ったおかげで楽ができるのだから、喜ぶべきなのではないか。しばらくぼぉっと魔理沙を無意識に見つめていた、すると当然魔理沙と目が合う。

「なんだ、まだいたのか」

 それを聞いて私は部屋を飛び出した。なぜかわからないけど酷く腹がたったからである。薄暗い廊下を歩いていると、前方にいたイナバがさっと私を避けた。そのイナバがもといた場所をみても妙なところはないので、私はゆうゆうイナバのそばを通り過ぎる。しばらく進み曲がり角に気配を感じ覗き見るとそこには姫さまがいて、私を見てニヤリと口角をあげた。

「くっくっ、なにやらドスドスと足音が聞こえたから見に来れば、あなただったのね」
「も、申し訳ありません……騒がしかったでしょうか?」
「それになんて深い眉間のシワ、幼いイナバが見たら泣いてしまうでしょうね」

 そう言われて初めて、全身に力は入りすぎていることに気がついた。

「なにか嫌なことでもあったのかしら?」
「そういうわけでは……ないのですが……」
「わたしが客人の治療をてゐに任せたのだけれど、それだったりするのかしら?」

 遠回しに魔理沙のことを指摘されたことを察した。思い返してみてもなぜあれほど腹がたったのか、自分でも分からず唸ってしまう。てゐに仕事を盗られたからか、魔理沙の態度に苛立ったからか、それともただの疲れからだろうか。考えてもなかなか答えが出ない。ただひとつ確実に言えることがある。

「魔理沙が原因では無いということだけは、確実です」
「あら、そうなの?ふーん……ああそうだ、今日はあの娘の手を握らなくて良いの?」
「……きっとてゐが握ります」

 私がそう言うと姫さまは喉を鳴らして小さく笑い、部屋に帰ってしまった。目の前にくしゃくしゃになった私の耳が垂れてきた。きっと姫さまとの会話に緊張してしまったからだろう、そうに決まっている。

***

 厄災もとい魔理沙が飛来して3日目、今日は先日と比較して暖かく穏やかな日だった。朝の魔理沙の問診が始まった。

「体表の傷はかなり治ってきているわね。昨日診たとおり魔法の使用も問題無さそうね」
「退院しても良いということか」
「あくまで表面の傷を率先して治しただけよ。いまだ体内の損傷は残っている……まあ、あとは内服薬で様子を見てもいいけど」
「実は家にやりかけの実験をそのままで放置してしまってるからな、可能な限り早く帰宅したいのさ。神社にもいかにゃあならん」
「……いかにゃあならんって、あんたね、自分の体調よりも優先するもんなの?」
「体調には気を付けているさ」

 なんとなく魔理沙に漂う雰囲気から、彼女は今日退院するのだと察した。身体にはいまだ裂傷が残り、体内に損傷があるというのに彼女は忙しなく動き、視線は窓の外に張り付いていた。永琳様が診療録に筆を走らせる。

「退院するのなら止めはしないわ、けれど帰りに箒から落ちても知らないわよ」
「もしそうなったら化けてここに来てやるさ」

 なんて軽い返事なのか、そして己の命への認識も軽い。そもそもここに来たのだって出血多量で死にかけていたのだから来たのではないのか。これまでの治療を無碍にするような発言を、私たちの前でするなんてと思わなくはないが、口には出さない。

「ふむ、ならいいわ。薬を出すからあとは自分でね。うどんげ、はいこれ処方箋」
「あっはい」
「いつもと一緒、軟膏を身体に塗って、薬も飲むこと。詳しくはうどんげにきいて」
「わかったよ。あっそうだ、私が個人的に欲しい薬も出してくれよ」
「病人が生意気ね。そんなの自分で調合しなさいな」

 永琳様は呆れた様子でため息をつきながら病室を出ていった。私も永琳様からいただいた処方箋を片手に、調剤室へ向かう。ワセリンはベトベトするのが嫌なのだが仕方がない、先に飲み薬の方から調合をやってしまうことにした。
 調剤にしばらく手間取ったが、なんとか完成した薬を持って魔理沙の待つ病室まで向かう。ようやく彼女の世話から開放されると思うと、自然と足取りも軽くなる。「薬が出来たわよ」と私が扉を開けたとき、部屋の窓は開かれ、寝台にはたとまれた患者着と一枚の便箋があった。やられた、脱走である。明らかに私の不注意であり、師匠に怒られる程度の事件である。この事態を飲み込んで深くため息をついたとき、風に舞った便箋が私の足元へやってきた。『世話になったな。またこの恩は返す。マリサ』と記されている。思わず拾った紙をくしゃくしゃに握りしめ、独りごちる。

「いったいなにが世話になったよ、厄介事を増やしただけじゃないの!!」

 私の叫びは開いていた窓から吹きすさぶ、寒暖差がもたらした風にかき消された。とにかくお師匠様に報告をば、と部屋に駆け込めば「彼女の家まで届けなさい」と言われ、腰が砕ける。ああ、せっかく温かくて過ごしやすい日だったのに、なんてことになってしまったのだろう。
 ここでいくら嘆いていても仕方がない。魔理沙がどのように野垂れ死のうと興味はないが、永遠亭の治療を受けた彼女がその日のうちに死んでしまったとなれば問題である。一応いつもの変装をして薬箱を背負う。外に出るとこの時期には珍しく温かな日差しが満ちており、散歩程度の外出なら非常に心地いいのだろうと思う。ふと背後から「いってらっしゃい」という声が聞こえた。

「──っ!……姫さまと、てゐ?」

 二人ともニヤニヤと私を見ている。

「急がないとあの娘、死んでるかもしれないわよ」
「そんなヤワなやつじゃあないですよ、あいつ」
「私が行ってあげたいけどなぁ……イナバたちの面倒を見なくちゃだからなぁ……」
「思っても無いことを言うもんじゃないわよ」

 口の立つ2人にからかわれる前に森へ歩を進める。人間の里も遠いが魔法の森はより遠い、しかしこの暖かさなら行ってやるのもやぶさかでない。飛ぶのはやめて歩くことにしよう。雪が幻想郷を覆う前の最後のぬくもりのようにさえ思えるほど、温かい日だった。
 しばし歩いてたどり着いた温かな陽気を遮るこの魔法の森は、晩秋の時期でさえジメジメとしていた。妖しげなキノコが放つ濃い瘴気がまとわりついて来るように感じられて、ここにいるだけで気が滅入ってくる。波長を視て歩きやすい道や瘴気がうすい道をひた進むと、わずかに森が開け周囲が明るくなり家が現れた。これが霧雨魔理沙の家なのであろう。意外に小奇麗な一軒家のそばに彼女の箒が落ちていたことから、おそらくいま彼女はこの家にいるのだろう。恨みをこめて強めに戸を叩けば、中から間抜けな声が響いたが、住人が出てくる気配はない。私が戸を開けば良いのだろうか。

「……お、おじゃまします」
「お〜う、ちょっといま手が離せないから、入口近くの空き場所でくつろいでいてくれ」

 霧雨魔理沙の家に入ったとき私を驚かせたのは、周囲の散らかり具合ではなく、来客をもてなしに来たマスクをしている魔理沙の赤黒く変色し爛れた右腕と、ただでさえ黒い彼女の服の少ない白地が赤く染まっている痛々しい姿だった。

***

「魔法使いの実験に事故は付き物なんだぜ」

 妖しげな薬を右腕にふりかけながら魔理沙はそう言った。

「ちょっとそんな得体の知れないもの使わないでよっ!!ええっと……こ、これ!!この薬飲んで!」
「そんな大層な怪我じゃないさ。こうしてこの粉をかけると……ほら、どんどん治ってるだろ?」

 酷く重症なのに魔理沙は脳天気に笑っていた。彼女のさしだす右腕を見るとみるみる外傷が治っていく、それが彼女の発言を裏付けている。しかし、自然治癒力に任せず無理に身体を修復させるのは、相当な苦痛を伴うはずである。

「せ、せめて鎮痛剤だけでも──」
「もう飲んでるから平気さ」

 あまりに常識から外れた光景に開いた口が塞がらない。彼女の身体をみると他にも小さな傷が付いていて、それは刺創や切創、咬傷のようなものもあった。永遠亭を出てから今までで、魔理沙はどれほどの傷を負ったのだろうか。そうこうしているといつの間にか治っていた右腕には、無理な治療によって火傷痕のようなものが出来ていた。永遠亭でみた彼女の新雪を思わせるような肌は、もう露出されている部分には残っていなかった。

「この傷跡……どうすんのよ」
「ん?あ〜普段は魔法で隠したり薬で消したりだな。まあ永琳のあの軟膏ほどじゃないがそれなりに効くのさ」

 いったいなぜそれほど自分に対して冷淡になれるのか分からない。魔理沙の瞳は未だに知識に対する欲求を失っておらず、実験を再開させようとしていることは目に見えてわかる。魔理沙が不思議そうに私を見つめてきた。

「それで、何の用なんだ?」
「何の用って、あんたが処方薬を受け取らずに脱走したから、渡しに来たのよ」
「そうか。それは悪いことをしたな」

 私は魔理沙の頬にも小さな、しかし深い傷跡があることに気がついた。

「……どうした?」
「……せっかくだからこのくすり、塗ってあげるわ」
「へぇ、ずいぶんかな風の吹き回しじゃないか。今日は比較的暖かいし、そんなことして時間を潰すのはもったいなくないか?」
「こんな日に篭って実験しているあんたに言われたくないわ。あんたがこの薬を塗るとは思えないから、1回だけ塗ってあげる。そのあと塗らなくても私は知らないけどね、それが責任でしょ」
「最初の一回は無料にするっていうのは勧誘の常套手段だしな、それと似たようなもんか」
「……それはちょっと違うでしょ。ほら服、脱ぎなさいよ」

 魔理沙が血に染まった魔女装束を脱ぐと、部屋に血の匂いが充満した。数日前の治療の甲斐もむなしく思えるほどの傷が魔理沙の身体の至る所にある。しかし出血量は大したことが無さそうで一安心だ。

「そんなに私の身体、気になるか?」
「別に。傷の具合を確認しただけよ」
「いつもこの程度の怪我なら自分で治せるんだけどな。あの日は想定外の事故で、傷も深くて血を失いすぎたんだ。だから永遠亭に駆け込んだのさ」

 濡れタオルで血を拭くと見えてきた傷口はほとんどがすでに血液が固まって、かさぶたが形成されて出血が止まっていた。鎮痛剤が効いているのかタオルが傷口に埋まってしまっても、魔理沙はのんきな顔をしている。騒がれないのは都合が良いので、いまのうちに私は軟膏を手に取り魔理沙の身体に塗布していく。

「あんたはつい最近全身血まみれで、瀕死の重傷を負ってたことを覚えていないの?まだ治療して間もないのにこんな怪我をしていたら、ほんとにぽっくり死んじゃうわよ」
「なあに、自分の限界はわきまえてるさ」
「いいえ、あんたは分かってない。出血しすぎで身体の免疫力も弱ってる、このままだと病気に罹るかもしれないわよ」
「……もしかして怒ってる?」

 とうぜん怒るに決まっているではないか。いきなり永遠亭に血まみれで来て、朝まで必死に治療したのに当の本人はまったく反省しておらず、こうしてすぐに実験を再開してまた傷だらけになっているのだから、誰だって怒るのではないか。だいたい魔理沙は己のことを軽視しすぎている。ふつうあんな怪我をしたら数カ月は安静にするものじゃないのか、なのにいくら永琳様の薬が素晴らしいとはいえ、3日で病室を抜け出すなんて本当に考えられない。だいたいこっちがどれだけ心配したと思っているのか、魔理沙はそのへんを慮れていない。お師匠様から渡された内服薬を服用した際は、あんなに可愛くて大人しかったくせに、なんでいまはこんなに憎たらしいのか。私は改めて、霧雨魔理沙の認識を替えねばならないと思うのだった。言いたいことは山ほど在るが、いまここで伝えてもきっと彼女は改善しないだろう。よく理解できないが、知識の探求者とはそのようなところがあるのだ。この薬だって私が塗ってあげなければきっと、魔理沙は蓋を開けさえしないのだ。私が今日ここに来なければ、本当に死んでいたのではないだろうか。
 私はいろいろと言いたいことをぐっと堪え、深い深呼吸をした。私の中の何かが暴発寸前だった気がした。

「いいえ、怒っていないわ」
「そ、そうか……?」
「あんたをわざわざ怒っても仕方ないからね」

 怒ったところで行動を改めるような奴ではないのだから。
 魔理沙の身体に無数にある新しい傷口と治りかけている傷口の区別が付かなかったため、とりあえずすべての傷口に軟膏を塗りたくってやった。そんな感じでようやく魔理沙に薬を塗布し包帯も巻き終えたので、さっさと荷物をまとめて帰る支度をしよう。片付けをしながら辺りを見るとなんて足の踏み場もない寝室だと思う、己の寝床にまで物品を置いて安眠できるのだろうか。私が帰りの支度をしていると、魔理沙が目の前に躍り出た。

「まあ待て、せっかくここまで薬を届けてくれたんだ、お茶でも飲んでいけよ」
「あら、おかまいなく。それじゃあ私はこれで」
「お、おいおい待てって。はあ……まったく永遠亭のやつは患者が体に鞭打ってまで、お茶を淹れようという善意の誘いすら断るのか?いったいどういう教育を受けているんだ?無礼だとは思わんのか」
「うぐ……」
「お前の軽率な行動はお前の師匠の評判を下げることになるという意識が足りていないんじゃないか。だいたい──」
「ああもう!わかったわよっ!お茶を馳走になるわ!!」

 私がそういうと魔理沙は満足げに頷いた、これだから口の立つやつは嫌いなんだ。とはいえこうしてお茶をいただけるの悪くない、魔理沙が淹れた妖しげなお茶、という点を除けばだが。
 暖かい日差しが差し込む部屋に案内された。案内というのは、ごちゃごちゃとした雑多な床を荒らさないようにと、迷路のような道順を歩かされたからである。席についてしばらく待つと、甘い紅茶の香りがしてきた。酸っぱい匂いや汚臭が充満するかとも思っていたのだが、存外に丁寧なもてなしである。配られた茶器は温かく茶菓子も少ないが用意されていた。ティーポットを持ってきた魔理沙が丁寧に、綺麗な赤をした紅茶を注いでくれる。

「砂糖しかないぞ。ミルクティーなんて手間だからな」
「……ありがとう」

 おそるおそる口に含むとなかなか良い味で不味くはない、むしろ美味しかった。カップから目を離すとニヤつく魔理沙の顔が見えた。

「美味いか?」
「……美味しいわ」
「へぇ……この茶葉はふつうに飲めるようだな」
「なっ……そういうことするのね」
「咲夜……紅魔館のやつに貰った茶葉なんだが、あいつは珍味好きでね、いぜんに妙に酸っぱい紅茶をプレゼントされたことがあるんだ」
「それでわたしに毒味をさせたのね」

 なんてやつだ。ならばこのクッキーも何か入っているのではないか、と思うのが道理であるがしかし、紅茶のときとはうってかわって、魔理沙は率先してクッキーに齧りついた。推測するに変なものは入っていないだろうと、一口クッキーを食べると、柔らかな口溶けで美味しかった。私は机の上には毒物が無いことを改めて確認して、しばしのんびりと茶会を楽しむことにした。すると魔理沙が意気揚々と雑学談義を開始したが、私は相槌も打たずただお茶を飲むことに徹した。

「……。それで。この森に生えているキノコは非常に優秀な魔法の触媒になるんだ」
「私の記憶が正しければ、そのキノコには毒性があるはずだけど……」
「正しい知識でもって対処すれば問題ないのさ」

 素手で触らなければいい、なんて問題では無い気がするのだが。
 
「……しかしお前の髪は長いな。膝を曲げれば床についてしまうじゃないか」
「地につけぬように気を付けるのが当たり前になっているから、別に長さを意識したことはないわ」

 魔理沙が席を立った。ゆっくりと回りながら私をまじまじと観察している。ふわりと魔理沙の匂いが紅茶の香りに混ざって、私の鼻に届いたと思うと、耳元で彼女に囁かれて、どうにか態度には出さなかったが非常に驚いてしまった。

「髪を結ったりはしないのか?」
「……ちょっと近いわよ。気安く触らないで」

 私は髪を触る魔理沙の手を払いのける。それでも魔理沙は諦めずに私の髪をゆるく首元で束ねた。少し冷たい魔理沙の手が首すじに当たり、背筋がすっと伸びてしまう。背後にある魔理沙の気配が妙に気に掛かり、なぜだか茶器を持つこともままならない。私の髪をもてあそぶ彼女の指が上下に動く気配がまるで、背中を梳かれるように感じられる。髪を触られる不快感が気づけば消え失せていたのが不思議だった、少し心地いいのがむしろ癪であるほどだ。

「以前にお前の匂いはクスリの匂いだと言ったが、訂正する必要があるな。薬品の匂いに混じって……秋海棠の香りがする」
「……かぐなって」
「こうしてさ、後ろで束ねるのなんてどうだ?」
「髪をまとめると跡が残るでしょう?……それにまとめたところで誰かに見せるわけでもないし、永遠亭じゃあ話のネタにもならないわ」
「私がみてみたい、って訳にはいかないか?」
「みてみたいって、あんたとはあまり会わないじゃない」
「似合うと思うのだがね」

 魔理沙の手が離れたので私はいちど手で髪の毛を払う、すると首すじに新鮮な空気が舞い込んだが、秋海棠の匂いは感じられなかった。
 その後も穏やかな時間がしばらく流れたが、やがて窓から差し込む日差しが紅くなっていることに気がついた。私は食器の片付けを手伝い帰宅の準備を急いだ。ようやく帰路に付けることに喜びを感じながら、いつもの変装を行う。

「ああ、そういえばその格好じゃあ髪と耳を笠に隠していたな!」
「目立たないようにしているだけよ」
「変装ではなく、私はただ気の迷いで髪型を変えてみてほしいんだ」
「気の迷いって……お洒落とか気の利いた言い回しをしなさいよね。それじゃあ帰るわ」

 扉を開けると夕日はすでに森の背の高い木々に隠れ、宵闇が辺りを覆っていた。紅い木漏れ日が森を一層暗くしており、まさに魔法の森にふさわしい雰囲気がある。魔理沙に手を振ると間抜けな顔をして答えてくれた。私が去ればまた実験に明け暮れるのだろうと思うと、今日の私の善行に虚しさを覚えた。

「来週くらいにまた薬を持ってくるから、療養してなさいよ」
「なんだ、来週も来てくれるのか。こんどはそっちが茶菓子を用意しろよな」
「ケチくさいわね」

 こうして魔理沙に別れを告げ魔法の森を歩いて行く。不思議だったのは何故に私は来週の約束をしてしまったのか、ということである。面倒くさいことこの上ないはずなのに、私は意外にも約束したことを後悔はしていないのだ。そうこう考えているとぬかるみに足を取られた。これはきっと魔理沙のせいだった。

***

 魔理沙の件からおよそ一週間が経ち、一気に気温が冷え込み始めた。あれから永遠亭は普段の様相を取り戻したためか、妙に時間が経つのが早かったように思える。永琳様の見立てではもう追加の薬は必要ないとのことだったが、霧雨魔理沙という人物の性質を鑑みて、多少の追加分が認められた。今日は風が凍えるほど冷たかったので、マフラーを出すことにした。このような服装の季節感は、人間への変装に有効だといつかてゐが言っていた。

「へぇ、珍しく髪を結ってるじゃないか、色気づいちゃってさ」
「………………別に、気分転換よ」
「くっくっ、気分転換ねぇ……なにはともあれ似合っているよ」
「……ありがとう」
「ああそうだ、ゴムじゃなくて布で軽くまとめたほうが跡が残らないよ」
「そう、考えておくわ」

 後頭部で髪をしばったおかげで首の蒸れが軽減される。髪を結うのも存外に悪くない。とはいえ結局変装するときは髪を笠にしまうのだから大差ないのだが。薬箱にわずかばかりのお菓子を詰め込み背負っていざ出発、と玄関へ向かうとそこには姫さまがおられた。その時私は姫さまの長い濡鴉色の髪をみて、姫さまこそ髪を結ってみれば良いのにと思った。きっとどんな髪型もお似合いになるに違いなかった。

「きょうも薬を売り歩くの?精が出るわね」
「そうなんですが、まあ今日は薬を届けるのが主な仕事です」
「そう……届け先はあの夜に落ちてきた娘だったりするのかしら?」
「ま、まあそんなとこです。魔理沙の怪我のようすを診に行く所存です」
「そう……そんなの薬売りの姿ではなく、いつもの格好で行けば良いのに」

 姫さまが口元を隠してクスクス笑う。言われてみればそのとおりで、私が変装して魔法の森へ行く理由なんて無いに等しい。しかしそれでも、理由なんていくらでも取り繕えるのだ。

「あくまで永遠亭の使いとして赴くのですから、これは必要なんです」
「ふーん、そうなのね」
「それでは、私はこれで……」

 姫さまに別れを告げて永遠亭から外に向かって一歩踏み出したその時、姫さまに声をかけられた。

「イナバ、ゆっくり行きなさいな。まだこんなにも朝はやいのだから」
「はあ……ありがとうございます……」

 姫さまはときおり私にはよく分からない事をおっしゃる。ただ言われてみれば、確かに少し早い出発だったかも知れなかった。
 長い竹が並ぶ竹林を歩くと風が遮られて、寒さが和らぐ。空を飛ぶには寒すぎるからちょうどよかったが、しかしそれでも、竹林を出たら飛ぶことにした、寒さよりも時間が優先なのだ。すでに初冬であり空気に透明感が感じられ、空を飛べば身体が末端から痺れていくような寒さである。雪はまだ降っていないが遠くの山に分厚い雲が視えた、そろそろ雪が降るのだろう。
 魔法の森を飛ぶのは危険だと判断し、再び地に降りた。この森は冬であっても葉をつけている木々が多い。枯れ葉が獣道すら隠してしまい波長を視なければ、歩くことさえままならない。暗い森を抜けると素朴な一軒家が現れたが、周囲が不気味であるがゆえにその光景に違和感を覚える。家の周りに箒はなく窓はカーテンで覆われ、人の気配は感じられない。
 私はノックをしてみたが反応はない、魔理沙はここにはいないのだろうか。約束を反故にされたとは考えにくい、ああ見えても彼女は律儀なところがある、となれば寝ているのかと波長で家の中をのぞいてみたが、人の形をした生物は存在しなかった。

「やっぱり早すぎたのかしら……」

 まだ朝と言える時間帯であり、別の用事で家を出ている可能性が高い。霧雨魔理沙が居そうな場所、それは幻想郷のあらゆる場所が候補に挙がるだろう。しかし、最も可能性がある場所には心当たりがある。博麗神社だ。
 行き違うことも考慮したが、昼過ぎにはここに戻ってこれるだろうと魔法の森を引き返した。私がついさっき歩いた道はすぐさま枯れ葉に隠されてしまっていた。幻想郷の東の境にある神社、永遠亭からは遠いが魔法の森からであればそこそこ近い位置関係である。しばらく飛んでいると神社へ続く階段が目に入った、それを通り越して鳥居の前に着地すれば、境内にころがる箒が目に着いた。私の予想は正しかったようである。
 少し境内を歩けば容易に魔理沙は見つかった、そばには博麗霊夢も一緒だった。

「……」

 魔理沙をみた瞬間、呼吸が出来なくなった。彼女の瞳の美しさに見惚れてしまったのもあるが、それよりも表情に絶望してしまったのが大きかった。この絶望という表現は、自然に私の胸の内から発生したのだった。今まで見たことがなかった彼女の表情は、熱にうなされたあのときに似ていたが、決定的な違いは瞳に力強い意思が宿っていることだろう。夢みる少女のようでもあった。
 楽しそうに笑う魔理沙の話を、霊夢はお茶をすすりながら聞いている。そこは何人も割って入ることの出来ない空間のようで、私はただ遠くから眺めることしか出来なくて、呼吸がまともに出来なくて、必死に深呼吸を繰り返していた。しばらく私が立ち尽くしていると、霊夢が私に気がついたようだ。

「んん??……珍しい顔ねえ。魔理沙、あんたに用があるんじゃないの?」
「ん〜?おっ、鈴仙じゃないか。わざわざここまで届けに来てくれたのか!」

 ようやく魔理沙の視界に私が入ったようだが、その瞳には霊夢に向けられていたような情熱は感じられなかった。

「…………そうよ。せっかく家まで行ったのに留守だったから、ここまで来たの」
「それはありがたいな!……だがもうほとんど傷は塞がってしまったぜ?まあ効能素晴らしいから常備薬にしてもいいけどさ」
「あんたまた実験で怪我したの?」
「そうなんだ……って、その話はさっきしただろう?」
「実験に失敗したことしか聞いてなかったわ」

 せっかくの薬も不要とあってはいよいよ私がここにいる理由が無い。もし魔理沙の家であれば、厚かましくお茶くらいはいただこうと思っていたのだが。

「で、どうする?割安な価格で薬、売ってあげてもいいけど?」
「金を取るのか!?前は無料だったじゃないか!」
「もう傷も治ったんでしょ?なら処方薬としてあげることは出来ないわ」
「うーむ、見事な勧誘手法だな……」

 別にあげても良いのだ、魔理沙の出方次第で無料にしても問題はないと私は思っている。

「要らないなら私が貰っても良いわよ、魔理沙のおごりで」
「ふむ……私は別に薬があるからな。それでも良いか、お前は危なっかしいところがあるしな」

 博麗霊夢に渡ってしまうのはなんだか、少しだけ抵抗がある。霊夢のことを嫌っているわけでは、無いはず、しかし私の中の何かが拒絶している、気がする。

「まあいいだろう。ほら、これくらいの金額でいいか?」
「……少ないけど、まあいいわ」

 魔理沙が私の肩に手を回してきて少額の袋を渡してきたそのとき、ふわりと花の匂いがした。越冬の準備が完了し、すでに枯れてしまっているであろう秋海棠の花の香りはきっとこんな匂いがするのだろうと、ふと思った。
 薬箱から例の軟膏を取り出して魔理沙に渡す、彼女はそれをそのまま霊夢に流す。中には使い方を記した紙も入っているから、私は霊夢に何も説明しなかった。「そろそろいくわ」と別れを告げ、私は彼女らに背を向ける。そのとき魔理沙は私に声をかけてくれた。

「なあ鈴仙、せっかくだから髪を結ってみないか。霊夢にリボンでも借りてさ、前言ったように後ろで束ねてみろよ」
「ちょっと勝手に人の物を貸さないでよね。まあ私も鈴仙の髪をくくった姿を見てみたいし、貸してあげるわよ」

 いまここで笠を脱げば魔理沙はきっと驚くのだろう、もしかしたら喜んでくれるかもしれない。しかし、私は丁寧に断った。悔しかったのかもしれないし、プライドが邪魔をしたのだろうか、いまここで結った髪をさらしたくないと思ってしまった。

「なんだ、頑なだなぁ……。そうまで拒まれるとこちらとしても見たい欲求がたかまってくるな」
「あんた髪が長かったわよね、まとめたほうが楽よ?」
「……考えとくわ」

 私は逃げるようにして神社から立ち去る。けっきょく私は薬を届けただけだった。姫さまの言うとおり、薬売りの変装はしないほうが良かったのかもしれない。けれどもあのときの私は、笠を脱ぐのがこれほど難しいなど想像出来なかったのだ。

***

 永遠亭にたどり着いたとき道中の記憶はほとんど無く、気づいたら目の前が永遠亭だった。普段は平気なはずなのに今日はとても寒く感じる。見上げれば空に重たい雲がかかっていたので、今から雪が降るのだろう。さっさと屋内に避難しておきたかった。玄関の戸を開くとてゐが偶然通りかかった。

「おっおかえり。意外と早かったね、今日は帰らないもんだと思っていたよ」
「ただいま……って、どういう意味よそれ。何か勘違いしてるんじゃないの?」
「あれ?私はてっきり薬を届けるなんて、口実だと思っていたんだけどなぁ」
「……そういうのじゃないわ」

 私は笠を脱いだとき中に収納していた髪がはらりと落ちて、自分が髪を結っていたことを思い出した。

「やっぱりその髪型、似合っているね」
「そう言ってもらえるとありがたいわね」

 なんだか今日はとても疲れた、しかし家事をしなければならないしお師匠様から課せられた雑務もまだ残っているから、休むわけにはいかない。それでもちょっとだけ休ませてもらおう、体調管理が出来ていないほうが問題なのだから。髪を結うたときは良いものだと思ったが、今はむしろうっとおしかった。私はおもむろに巻いていた布を取ると、とっても清々しい気持ちになった。
 私室まで歩いていると曲がり角に姫さまがいた、この方はいつも神出鬼没だ。姫さまは私をみると笑顔で「おかえり」と言ってくださる。姫さまがクスクスと笑うと美しい黒髪が揺れ、端整な顔立ちに神秘さが加わり私は思わず息を飲んだ。

「イナバは目的を果たせた?」
「はい、お薬も届けましたので、一段落と言った感じです……」
「ふふっ……そうでは無いでしょう。髪を結った姿、お披露目できたの?」
「っ……それは……」
「クスクス」

 姫さまにじっと見つめられると、隠し事なんて出来ないのだと悟らされる。別に隠していたつもりはないのだ、と言うより一方の目的が達成できなかったことを言わなかっただけである。姫さまが私の髪を優しく梳かしてくださる、こんなのとんでもないと拒否をしても、姫さまはやめてくださらなかった。

「たった一度機会を失っただけよ、鈴仙。あの娘が生きている時なんて私からすればほんの一瞬、それこそ須臾にも等しいのだけど、機会は数え切れないほど詰まっているわ」
「おっしゃっている意味がよく……わからないのですが……」
「いずれまた貴方の髪を披露する機会がくるわ。そのときまでに、髪の結い方を忘れてしまわぬようにね」
「……はい」

 言われてみればそうである、また宴会の余興のときにでも髪を披露すればいいのだ。それに別に魔理沙の家に行くことに理由など要らないのかもしれない、図々しくお茶でもたかりに行けばいいではないか。そんな気づきを得たとき、私はきっとわかりやすい表情をしたのだろう。姫さまは珍しく悪い顔をなされ、笑いながら去っていった。
 廊下に取り残された私は、きびすを返して調理場に向かうことにした。いつの間にか全身を覆っていた疲労が、まるで最初からなかったかのように引いていたのである。すると今度は永琳様が調剤室からちょうど出てきて、私に声をかけてくださった。

「あらうどんげ、ちょうどよかった。調剤室からいくつかの薬が無くなっているのよ」
「ああそれは──」
「みなまで言わなくてもいいわ。霧雨魔理沙から盗まれた分はきっちりと取り立てるようにね」
「承知しました」

 奇しくも魔理沙の家に行かねばならない理由ができた。もしも運気とやらが私の能力で視えるのであれば、きっと私の周りには運が渦巻いているはずである。私はもう一度、髪を結ってみようという気になった。周囲の評価は悪くなかったのだからと、私は長い髪をすくい後ろでまとめる。すると新鮮な冬の空気が私の首すじを冷やし、そしてかすかに秋海棠の香りが感じられた気がしたのだ。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
ウドマリ流行ってほしい。
ハンナブラ
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コメント



0.90簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
乙女心って感じがいいですね
3.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
ウドマリありですね
5.90名前が無い程度の能力削除
よかったです
6.100名前が無い程度の能力削除
恋敵(霊夢)が登場した瞬間俺がウドンゲになって胸が苦しくなったので俺の負けです
7.100夏後冬前削除
魔理沙の解像度と描写が鮮やかで非常に良かったです。面白かったです。無意識に女の子を振り回しちゃう魔理沙好き。
8.100めそふ削除
とても面白かったです。
前半の艶かしい描写にちょっとびっくりしましたが、そこから鈴仙が魔理沙を意識し始めていくのを感じ取れる事ができました。
魔理沙を心配したり、会いにいくのが楽しみになったきた矢先に霊夢が登場したときの鈴仙の動揺具合の描写がとても良かったです。
これから何度も魔理沙と会う機会ががあると思うので、鈴仙には頑張ってもらいたいですね。
9.100南条削除
とても面白かったです
うどんげの気持ちに寄り添い続けた充実した40KBでした
10.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
魔理沙も鈴仙も解釈やキャラがしっかりしていて素晴らしかったです。
関係性の積み重ねが丁寧で好みなお話でした。
いいところで終わってしまった感が惜しかったですが、もしかするとこの後は全年齢だと書けなかったとかそういうあれなんでしょうか。
ともかく有難う御座いました。良かったです。
11.100Kオス削除
お茶会では秋海棠の匂いを感じなかった鈴仙がラストでそれを自覚していくところで、鈴仙は己の恋心を自覚できたのかなと受け取れました。心の機敏の描き方が丁寧で、ここからの鈴仙を思わず応援したくなるような作品でした。ありがとうございます。