Coolier - 新生・東方創想話

船乗りの糸

2022/03/23 22:26:18
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ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


 と、地響きをさらに低くしたような、洞穴の風切音を何十にも重ねたような不快な振動が鼓膜を揺さぶる。
私は思わず耳を塞ぎ体を丸めたが、この轟音の前では気休めにしかならず永遠にも感じるこの不愉快な時間が過ぎ去るのをただ耐えることしかできなかった。



うるさい。うるさい。ここはどこだ。寒い。暗い。水の中か。何故だ。なんでこんな所に。
私は。私は誰だ。わからない。とにかく上がろう。ここは寒い。なんで。なんで私がこんな目に。
あの明かりはなんだ。船か。助かった。助けてくれ。ここだ。良かった。こんな暗くて寒い所はもう嫌だ。
何だ。その顔。やめろ。叩くな。何もしない。乗せてくれるだけでいい。違う。助けてくれ。助けてくれないのか。
なら。ならお前も来い。沈めてやる。お前らが悪い。私の苦しさをお前も味わえ。はは。愉快だ。
あいつも海に落っこちたときあんなに慌てていたっけな。あいつ?。あいつって誰だ。たしか船乗りの。
そうだ。私は。私も船乗りだった。それで。後は。その後は何だったか。


ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


 轟音が再び脳を直接震わせる。思考を続ける余裕なんてまるでなかった。今の私にできるのは精々この理不尽に対して
怒りの炎を燃え上がらせることだけだった。長い永い拷問のような苦痛の後に残ったものは不快感とこの理不尽への怒りをぶつける矛先を探すことだった。





………………………………
……………………………
………………………
………………
…………
……








 もう何度繰り返しただろうか。昔のことを思い出そうとするたびにあの音を聞かされ続け、ある時を境に私は救助を求めようともしなくなっていた。
そもそも誰も助けようとしなかったのは事実だがそれよりも私は人を沈める事に快楽を感じ始めていた。
人の、生き物の死を弄ぶ黒い快感にいつしか私はもうあの音がなくとも自発的に船を沈める様になっていた。



来たか。船だ。小さいな。手漕ぎか。人は。一人だけか。まあいい。お前も。お前もこっちに来い。
手を。掴んだ?。熱い。掴まれたのは初めてだ。熱い。離せ。いや。この方がいい。このまま引き摺り落とそう。来い。落ちろ。
熱い。落ちないな。よく見たら女だ。しぶといな。いや。むしろ引っ張られてないか。え力つよ。
船だ。船をひっくり返そう。熱い。おかしい。力だけで耐えられるものじゃない。しまった。ただの人間じゃないのか。
やられた。熱い。離せ。熱い。火傷しそうだ。離してくれ。熱い。熱い。熱い。



 成るのは一瞬だった。稲妻に打たれたようにその熱は全身に伝播し、今初めて世界に生まれたような感動に包まれる。
ただ、昔からこうだったという相反する感覚もあった。パズルが綺麗にはまったような、体も記憶もやっと正しい器に戻ったという気がした。
自分がなんなのか。船で何があったのか。忘れていたことが不思議に思えるほどの鮮明さで生前のことを思い出し、繋いでいる手を借りて船に乗る。


「で、これが問題のやつかい」


 先ほどまで引きずり込もうとしていた相手にまるで旧知の友人の様に村紗水蜜は話しかけるがまったくの初対面である。
この図太さが故にこれまでにも何度か問題を起こしたこともあったが救われる事もあったので自分はそういう性格だと割り切っていた。
現に今、自分が既に死んでいるとわかっても表面上は平静を保っていられるのはこの性格のおかげだ。


「…あなたもそうだったのですが、正気に戻ったみたいですね」


 返答に間こそあったが女性は別段気を悪くしたわけでもないように答える。
村紗は横目で女性を見ると坊さんとも尼僧ともとれる恰好をしており、ゆとりのある服の上からでも分かるほどの豊かな物をもっていた。
恰好の割には剃髪をしていないことが些か気になったがここで女性の観察を切り上げて正面を見る。
そんなことは比較にならない程の問題が目の前にあるからだ。そこには何十人と乗れる程の大型の船があるが、船体は腐ってボロボロで所々には穴すら開いており、手すりは機能を成さない程に崩れている。
様はとても航海に耐えられる状態ではないのだが最も大きい問題は船の上に乗っているものであった。
ガスとも液状とも判断がつかない黒い不定形の球状の物質が2つと船体にしがみつく様についている先が5つに割れた棒が2つ。
見ているだけで精神を不安にさせる見た目をしているが、似ているものを上げるなら横から見た赤ん坊のそれであった。
顔──不思議なことにそう認識できた──に見える三つの穴がこちらを向き、その一つを何かを発する様に大きく開ける。


ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


 幾度も聞いた不協和音が耳を劈く。不快なのは相変わらずだが、繋いでいる手の温もりが村紗が暗い所に戻るのを抑えてくれる。
怪物が鳴き止んだ後で村紗は口を開く。


「あたしに任せてくれないか」

「………」

「あいつらはあたしの仲間なんだ。あたしがけじめをつけないと」

「…出来るのですか?」

「一つだけある」

「…それがあなた達への救いになるのであれば」


 そういって女性は手を放す。村紗は大きく息を吸い、両手を伸ばし頭の上で重ねて水に飛び込む。
海の底へ向かいながら船で起きたことを思い出す。無風の日が何日も続いた上に何かに引っかかったのか機材が壊れたのか、錨が巻き上げられなくなってしまった。
そして、私は何とかしようと生身で海に飛び込んだのだ。今なら馬鹿馬鹿しいと思えるが、あの時はもう何日も脱水症状と空腹が続き、正常な判断などできるはずがなかった。
ただ、この状態から察するに結局あの後も助けなど来なかったのだろう。その事を考えるとあそこで死ねた私はまだ幸せな方だったかもしれない。
船乗りである以上、遭難した船がどういう結末を迎えるのかは嫌でも耳に入ってくる。水も食料も無くなった人間が最後に何をするのか。
話には聞いていたがどこか他人事の様に考えていた。それが実際に起きた船上は相当の地獄であったに違いない。
もしかしたら先に楽になった私を他の船員が恨んでいたかもしれないとか、そのせいで私はああなってしまったのかとか、そんな事をぐるぐると考えていたら視界に白いものが映る。

まさかと思いながら近づくと錨に絡むように人骨がついていた。ただ落ちただけではこんな所に来る訳がない。
当時、朦朧としていたせいか海に飛び組む前後の記憶は曖昧にしか無かったが、まさか本当にたどり着いているとは。我ながらよくやる。
しかしそんな感傷に浸りに来たわけではないので躊躇せずにその骨を引き剥がし鎖に手をかける。骨はなんの抵抗もせずに剥がれ落ち、潮の流れに乗って消えていった。
そして地に足をつけ鎖を渾身の力を込めて引く。生身なら馬鹿馬鹿しいと思うが私と、おそらくこの船ももう普通ではない。
船に起きた事を考えれば錨は必ず関係があるに違いない。もう一度錨を引く。びき、という音がした気がした。だが


ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ


という怪物の声にかき消される。水の中でも芯まで響く声に耳を塞ぎたくなったがそれをなんとか堪え引き続ける。
ばきん、と今度は確かな感触と共に鎖の継ぎ目が切れる。だが鳴き声を直に聞いているせいか既に意識が限界を迎えている。
ぎぎぎ、という音が聞こえた。しかしそれは鎖からではなく歯がきしむ程食いしばっている村紗自身の口からしていた。
仲間を救いたいという気持ちも嘘ではない。が、本当の理由はそんな綺麗なものではなかった。
私以上の地獄を味わったのかもしれない。早く楽になった私を恨んだかもしれない。だから、なんだ。
人を裏から操って自分は上から見てるだけだと。ふざけやがって。舐められっぱなしじゃ気が済まない。
金属が千切れる音がしてがしてついに鎖が弾ける。化け物の鳴き声が悲鳴の色を帯びるのが分かった。
錨を手にかけて水面へ上がる。あれだけ力をかけてもびくともしなかった錨がすんなりと地面から離れる。
少し違和感を覚えたがこの方が都合がいいので無視して水面へ上がる。そしてその勢いのまま飛び上がり怪物の頭上を捉える。


「あたしには一発くらい、入れる権利があるよなぁ!」


 錨を振り上げ、怪物の顔(と思わしき部分)に振り下ろす。しかし、勢いに反してその感触は水面を叩いた程度にしかなく
ぱしゃん、という気の抜けた音と共にはじける様に四散してしまった。そのため、ほぼその勢いのまま船体にぶつかり、
そこから亀裂が出来、自重で二つに割れあっけなく沈んでしまった。


「…力ずくとは感心しませんね」


 と、尼僧が言う。


「…違うんだよ尼さ~ん。あたしだって、あたしだってそんなつもりじゃなかったんだ。ただど~しても一発入れなきゃ気が済まなかったんだよぉ~。
それをあんな図体してさぁ~。あっさりいくなんて思わないじゃないかぁ~」


 芝居がかった言い回しをしながらわざとらしく尼僧の足元に縋りつきおいおいと声を上げる。泣いてはいない。


「……どの道岸までは時間があります。よければ何があったか聞かせてもらえませんか」


 ここで尼僧は聖白蓮と名乗り、村紗は死ぬ前と死んだ後の話をした。聖はしばらく考え込み、私の推測ですがと前置きして話始めた。


「あなたは有名になり過ぎてしまったのかもしれません」

「有名に?」

「はい。妖怪がどうやって生まれるかご存じですか」


 村紗は黙って首を横に振る。


「妖怪は人の畏れから生まれ、その想いが強いほど力を増します。そして私は船ではなくあなたを何とかするために来たのです。
これがどういうことかわかりますか」

「わからん」

「つまり人々は船ではなくあなたを畏れたのです。そもそもあの船の存在を誰も知らなかった。
その為、船から操られているだけの存在であったはずのあなたが、人々があなたを畏れたせいであなただけが一つの妖怪としての力を持ってしまったのではないかと」

「そういうもんかね」

「それならあなたが今も現世に留まっているのにも説明がつきます。船に囚われているだけの存在であれば船が無くなった時点であなたも成仏していたはずですから」

「なるほどね」

「…あまり興味が無いようですね」

「うーん、興味っていうかさぁ。あんたこれからあたしをあれするんでしょ」

「あれ、とは?」

「だから、あの、退治するんだろ。あたしを。それで妖怪がどうとか言われてもね」

「いえ、退治なんてしませんよ」

「へ?」

「元々説得しに来たのであって無理やり払いに来たわけではありません。
あなただって船に操られてだけであの船がなくなればもう人を襲わないでしょう」

「いや、でもこれからもそうとは限らないし…それにもう何人も…」

「…罰が欲しいのですか」


 村紗はハッとした顔で聖を見る。何か言い返したかったが何も出てこなかった。


「残念ですが私はしません。私が何かしてもそれは罰ではないのです。本当に悔いているのならあなた自身で見つけなければいけません」


 何も、本当に何も言い返せなかった。目頭が熱くなり思わず俯いてしまう。ふざけるな。なんの涙だ。やめろ。ここで泣いてしまったら本当に自分を許せなくなってしまう。


「…誰かが悪かったというものでもありません」

やめろ。

「あなた一人の罪ではありません」

やめてくれ。

「不運な事故にあった、それだけです」

それ以上言うな。

「あなたも救われるべき被害者なのです」


 喉から嗚咽が出て来てからはもう駄目だった。自分が死んでしまった事。仲間がひどい目にあった事。死んでからも人に迷惑をかけた事。
村紗にはとても抱えきれるものではなかった。目からは止めどなく涙が流れ、嗚咽は段々と大きくなり、子供の様に声を上げ泣きじゃくっていた。
聖はそれ以上何も言わず船を漕ぐ速度を落とすだけだった。


「…あなたの罪を清算することはできませんがその手助けをすることはできます」


 泣き終わった後、そう言いながら聖は村紗に手を差し出す。しばらく逡巡していたがゆっくりを手を伸ばし聖の手を取る。
その手は初めて触った時と同じ暖かさだった。
サイレントなヒル
ハピ茶
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コメント



0.100簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
怨恨が募り募った村紗が素敵でした。
3.100サク_ウマ削除
良かったです。「え力つよ」で笑っちゃった。いい具合の正統派でした。
4.80watage削除
音で臨場感が出てましたし、ムラサの悲しい過去に触れていてよかったです
5.100南条削除
おもしろかったです
悪霊状態の時の畳みかけてくるようなモノローグに異形を感じられました
とてもよかったです
6.80夏後冬前削除
汽笛の効果音がよく利いてたな、と思いつつ、そうなると村紗の年代には汽笛の鳴るような蒸気船は存在しないんじゃないかな、というところを矛盾として感じてしまったので、そこをうまく料理できたら良かったのかなと。
8.90めそふ削除
良かったです
9.100ラレ削除
ないた
10.80わたしはみまちゃん削除
所々で少し描写不足と感じる部分がありましたが、ムラサの過去が丁寧に掘り下げられていて良かったと思います。怪物の鳴き声の描写のくだりで某ホラーゲームを思い出しましたが、あとがきを読んで納得しました
12.無評価3分待ってやるおら削除
お願いします
13.無評価3分待ってやるおら削除
好きです
14.90ローファル削除
村紗の過去の話、面白かったです。
罪の清算は出来ないけど寄り添うことなら出来る、って台詞から
聖はただ甘いだけではないというのが伝わってきてとてもよかったです。