初夏の太陽が眩しくも爽やかな昼前時。
迷いの竹林のとある一画にて、その端正な顔に珠のような汗を浮かべた妹紅が、そろそろ昼食にしようかと腰を上げた。
傍らには煙を上げる年季の入った窯。妹紅はここで人里にて販売するための竹炭の製造を行っているのである。
妹紅が作った竹炭は燃料としてはもちろんのこと、脱臭剤や水の濾過などほかの用途でも優れた効果を発揮して、非常に好評である。
竹を切り倒したり短冊状に切り揃えたりなど、なかなかの重労働ではあるが、妹紅はそれを一人でこなしていた。
よって、製造できる量が限られているため、なかなか一般人がまとまった量を入手するのは難しく、一部の利用者の間で『妹紅炭』とブランド付けされて重用されている。
本日の午前中の作業も一区切りつき、昼食の弁当へと歩き出したときであった。
「もお~~ごぉ~~~~」
なんとも間の抜けた声が静寂を破るかのごとくあたりに響き渡った。
普段音といえば、竹を焼く音くらいであるため、なんとも珍しいことである。
聞き覚えのある声に、妹紅は太陽の眩しさに顔をしかめつつ声のした上空を見やる。
そこには青を基調とした服にクリスタルのようにきらめく羽、小さな氷精チルノが急降下してくる姿があった。
「おわっと!」
勢いを落とさず突っ込んでくるチルノを妹紅はとっさに抱きとめた。スルーしていたら、そのまま竹炭の窯に突っ込んでいたことであろう。
氷の具現化ともいえるチルノからひんやりとした冷気が発散される。作業で体が火照った妹紅にとっては、非常に気持ちがよかった。
しばらくこうしていようかなと妹紅は思ったが、そのうちに腕の中でじたばたとチルノが暴れだした。
「もお~~ごぉ~~~~」
がばっと妹紅を見上げ、またしても情けない声をあげるチルノ。
よくよく見れば、チルノの顔面は涙、鼻水、よだれとぐしゃぐしゃであった。顔中の穴という穴からさまざまな液体を噴き出している。
当然、妹紅の服もべっとりとぬれていた。
「お前、チルノか。一体どうしたってのさ。こんなところにまで来て」
まずは落ち着かせようとチルノに声をかけ、椅子代わりにしていた岩の上にちょこんと乗せてやる。
しばらく、えぐえぐと妹紅の顔を見上げていたが、そのうち落ち着いてきたようで、妖精汁の流出も徐々にとまっていった。しょぼくれて下がっていた羽も、ピンと張りを取り戻している。
「あたいね、あたいね、もこに会いにきたの」
チルノの言葉に思わず妹紅は目を丸くする。
友人である慧音が人里で開いている寺子屋に、たまにチルノが遊びに行っていることは妹紅も知っている。
しかし、こんな竹林の内部までわざわざ会いに来るとは並大抵のことではない。
迷いの竹林の名の通り、そこに一歩踏み入ればたちまち迷宮と化し、妹紅や慧音のように地理に明るいものでないと、延々と迷い続けることになる。
それよりなにより……
「よくこの場所が分かったわね」
当然の質問をチルノに投げかける。
今妹紅たちがいる場所は竹林の内でも珍しく霧の立ち込めない開けたスポットではあるが、深部にあり相当に分かりづらい。
知る人ぞ知る、まさにそのようなところである。
「そりゃ、さいきょーのあたいにかかれば、なんでもないことよ!」
先程の泣き顔はどこへやら。エッヘンと胸を張ってチルノは答える。
「じゃあ、帰りも一人で帰れるね?」
「え? え、えと……も、も、もちろん」
根拠のない自信を見せるチルノに、若干意地の悪い返しをする妹紅。
そして妹紅の予想通りに、チルノは言葉とは裏腹にあたふたと不安げな態度を見せ始めた。
その急な変わりっぷりに、妹紅は思わず苦笑する。
(まあ、迷いに迷って、泣きながらもようやくたどり着いたってとこね。それにしてもちゃんと辿り着いたんだから、それはそれですごいわね。カンが鋭いんだか、運が強いんだか)
それでもチルノは「せっかくだから、さいきょーのあたいをえすかれーとするけんりをあげるよ」とか意味不明なことをつぶやいている。
それを言うなら『エスコート』だ、と思いながらも、妹紅は無視して話を進めることにした。
「それで、この私に用っていうのは?」
しばらくぽかんとした表情で妹紅の顔を見つめるチルノ。
急に話が変わったため、頭がついてこないのであろう。どうやら話の調子を合わせる必要があるなと妹紅は感じていた。
「お前、私に会いに来たんでしょ?」
「うん! あたい、もこに会いにきたの!」
「だから、その目的を聞いているんだけど。なんで私に会いに来たの? ってこと」
「えーと、うんと………………思い出した! うん、やっぱり忘れた!」
「お前ね……」
びしっと親指をたてて自信満々に答える氷精に妹紅は頭を抱える。
さすが幻想郷名物のおばか妖精である。一体何を思い出して、その直後に何を忘れたというのだろうか。
しかし、さすがのチルノも思い出せないことが不快らしく、うーんうーんと両手を頭に乗せて唸りながら、なんとかひねり出そうとしていた。
そしてしばらく後、ぱっとその表情が明るくなる。どうやら見つ出したようであった。
「あ、そうだった! あたい、もこに会いにきたんだった!」
「お前は何を言っているんだ……」
堂々巡りであった。
結局、埒が明きそうもなかったため、妹紅は昼食をとることにした。せっかくだからということで、チルノにも声をかけたところ、二つ返事でくっついてきた。
チルノは妹紅のとなりに腰掛けて、おにぎりを満面の笑みで頬張っている。
妹紅はその姿を微笑ましく眺めながらも、やはりチルノの来訪は気になっていた。
あれほどまで顔をくしゃくしゃにしてまでここまできたのだ、よっぽど言いたいことがあったに違いない。もしくは、渡したいものでもあるのか。何か持っているようには見えないが。でも、途中で落としてきたということも考えられる。
とはいえ、チルノのことだ大したことはあるまい、と結論付けたところで再度チルノを眺めると、どうやら食べ終えていたようであった。手についた米粒を一生懸命口に入れている。
「もこー、ありがとう。ごちそうさま」
「はいよ、おそまつさまでした」
律儀にもお礼を言うチルノ。
次の瞬間、その視線が一点に集中していた。その先には相変わらず煙を上げる竹炭の窯があった。
「あれが気になる?」
「うん。あれなに?」
「あれは竹の炭を作っているものだよ。熱くて危ないから近寄るんじゃないぞ?」
「うんわかった。あたい熱いの苦手」
言葉ではそう言うものの、チルノはひょいっと岩から飛び降りて、とことこと窯に向かって歩き出した。危険より好奇心が勝ったようだ。
妹紅もやれやれといった表情で腰をあげた。
「ほら、危ないからさがっていなさいって」
「大丈夫。あたいへーき」
それなりに熱を感じるくらいまでに窯に近寄っているのだが、煙突から吹き出る煙がおもしろくて仕方ないのだろう、チルノは「もくもく、もくもく」と言ってはしゃいでいる。
説明しても分からないかもしれないが、と妹紅は炭作りについて話を始めた。
「いまはちょうど竹を焼きはじめたところだよ。じっくりと温度に気を配りながら焼くことでいい炭ができあがるんだ」
「へー」
「私の場合は火力の調整は自由自在にできるからね。そこは便利なところだね」
「ほー」
「竹と言っても色々ある。よく成長した、身が締まったものがいいね。あと、そのままだと水分が多く含まれているから、煙で燻して乾燥させる必要がある」
「ふぁぁ~」
気づけは妹紅は懇々とチルノに向かって話していた。
苦労しながらも一生懸命やっているものを誰かに話すということは楽しいものだ。たとえ、相手がちゃんと聞いていなくてもだ。
「ほら、そこにあるのが」
そう言って妹紅は近くにあるきれいに積み上げられた黒い塊を指差す。
「それがつい最近出来上がった炭、竹炭だ」
黒い塊を一つつまみ、しげしげと見つめるチルノ。
「『たけすみ』……?カチンカチンだ。ねー、これもらってもいい?」
「ああ、いいよ。いい具合に仕上がったようだしね。これならばまた喜んでもらえそうだよ」
そう言って妹紅はニカッと笑う。いかにも職人といった風情であった。
チルノと妹紅は昼食をとった元の場所に戻ってきた。チルノの手には先程の竹炭がある。
しかし、チルノの様子がどうにもおかしい。先程から「たけすみ、たけすみ……」とうわごとのようにつぶやいている。
何かを思い出そうとしているが、後一歩のところで思い出せない。そんな様子にも見える。
「たけすみ、たけすみ……あ!!!!」
「な、なんだ!?」
急に大きな声をあげるチルノに妹紅は驚く。
「そうだ! あたい、『たけすみ』だったんだ!」
そして、またしてもよく分からないことを突然チルノは言い出した。
まったく訳わからんといった表情の妹紅をよそに、チルノは一人で騒ぎ始める。
「あたいね! けーねのもこーがたけすみでさいきょーだからすごいんだよ! それでね……」
「ああ、ちょっとまて、ちょっとまて、まずは落ち着け」
チルノはぱたぱたと羽をはためかせながら興奮した様子でしゃべり始めるが、このままではまったく話が進まないと判断した妹紅は、チルノの話をひとまず遮ることにした。
思いがけなくも慧音の名前が出てきたため、まずはそこからつついてみることにする。
「えっと、慧音ってこの話と関係があるのかい?」
「うん! けーねが教えてくれたの!」
「何を?」
「もこーの『たけすみ』がすごいんだって!」
なるほど、と妹紅は思う。以前、慧音が妹紅が作った竹炭を見て、これはいいものだと褒めてくれたことを思い出す。
どういうきっかけなのかは分からないが、おそらく慧音がチルノにそれを言ったのであろう。
しかし、それが妹紅に会いに来る理由になるかといえば、疑問が残る。竹炭をよく使用する者ならともかく、チルノは用途すら知っているかどうか怪しい。
そんな妹紅をよそにチルノはしゃべり続ける。
「えっとね、それでね。あのけーねがすごいっていうくらいだからね、ここはさいきょーのこのあたいがじきじきに見てやろうと思ったの」
ああ、そういうことか。ここにきてようやく妹紅は得心がいった。
普段からさいきょーを自負しているものの、チルノには色々と物事を教えてくれる"慧音"="すごい"という認識があるようだ。
そして、その"すごい"慧音が妹紅の竹炭を"すごい"という。つまりは、チルノのなかでは"妹紅の竹炭"="ものすごい"という図式ができあがったようだ。
しかし、そもそも竹炭がどのようなものか知らないチルノにとっては、それがどのようにすごいのかなどはもちろん知る由もない。
それを確かめるためにもわざわざ竹林にいる妹紅に会いに来たということであった。
妹紅はその安直な発想と行動力にあきれつつも、一応褒められているので、悪い気はしない。
それにしてもその肝心の竹炭自体を忘れてしまうとは、なんともチルノらしいところではある。
「なんとなくチルノの言いたいことはわかったよ。それでだ、じゃあその竹炭はどうだい?」
「うん、よくわかんないけどさいきょーな気がする。あ、あたいの次くらいにだけど」
思わずプッと吹き出してしまう妹紅。
「なんだいそりゃ。結局なんでもいいってことかい?」
「これ、これは、もこが作ったものだから」
「おん?」
「なんか、もこが一生懸命作ったものだから大事にしないといけない気がする。さっきこの『たけすみ』の話をしていたとき、もこはすごく楽しそうな顔してたもん」
「はは、これはこれは。うれしいこと言ってくれるじゃないの」
思いがけないチルノの返答に妹紅は目を細め、チルノの頭をなでてやる。
「だから、大事にこれを川に投げ入れるね」
「はい?」
思いも寄らないチルノの言葉に、頭をなでる手が止まった。
「川に投げるって、どういうこと?」
「だって、これを川に投げ入れれば、そこから大きな木が生えてきて、その枝でおじいさんが鬼を懲らしめるんでしょ? まさにさいきょーの名にふさわしいわね!」
「なんだそりゃ……一体どこからそんなこと聞いたのさ」
「んとね、おとぎばなしってやつ」
「どんなおとぎ話だよ!」
さすがはチルノ脳といったところだ。これまで聞いてきたさまざまな童話がごちゃ混ぜになっているのであろうか。
老人が鬼退治ってだけでもあまりにシュールすぎる。
ふぅ、とため息一つついて、妹紅は色々と竹炭についてチルノに教えてやることにした。幸い、窯のほうはしばらくほったらかしにしておいても問題ない。
チルノ曰く、やはり、妹紅のその表情は楽しげであったという。
「じゃあ、もこーまたねー」
大事そうに竹炭を抱えたチルノが、迷いの竹林の入り口で佇む妹紅にぶんぶんと腕ごと振る。
結局のところ、チルノ一人では入り口に戻ることは難しいと判断して、妹紅も一緒についていったのである。
気づけばすっかり夕暮れ時。
「あーあ、結局今日は何もできなかったなー」
妹紅はそうひとりごちてチルノを見送っていたが、逆に表情は晴れ晴れとしていた。
チルノに振り回されてはいたが、返ってよい気晴らしになったかもしれない。気づけば自然と独り言も多くなっていた。
「まあ、たまにはこんなものいいかもしれないね」
「ええ、いいものでしょう」
不意に近くで声がした。
おやまぁ、と妹紅がそちらに目をむけると、そこには慧音が立っていた。
こんばんは、と慧音が挨拶をする。
「あら、慧音。寺子屋はおしまい? おつかれさま」
「ええ、さっき終わりました。久々に妹紅のところにでも寄ろうかと思いまして。そうしたら、チルノと一緒に竹林から出てきたところを目撃したのです」
「なるほどね」
「ほら、色々と買出しもしてありますので、一緒に夕飯を食べましょう」
そう言って慧音は野菜やら魚やらがつまった袋を掲げてみせる。
妹紅もすぐに了承した。
「でもここからですと、妹紅の家より私の家のほうが近いですが、どうしましょうか」
「あっと、そういえば竹炭の窯の火も付けっぱなしだったなあ。一旦は窯の様子を見に戻りたいな」
「分かりました。ではやはり妹紅の家のほうが良さそうですね」
「うん、そうだと助かるよ」
「ではそうしましょう。ところで話は変わりますが、チルノが何か持っていたようでしたが?」
「ああ、あれはね」
妹紅は慧音と一緒に自宅へ向かいながら今日あった出来事を説明していった。
チルノが竹林に迷い込み、なんとか妹紅と出会えたこと。
チルノと一緒に昼飯を食べたこと。
チルノに竹炭の作り方を教えてやったこと。
チルノが竹炭に使い方におかしな考えを持っていたこと。
慧音は当初にこやかに話を聞いていたが、あのおかしなおとぎ話のくだりになると急に表情が変わった。
「……でね、チルノったら竹炭にこんな効果があると思ってたわけなの」
「ああー、そのことですか」
とたんにうれしそうな表情になる慧音。
「このまえチルノにその自作のおとぎ話を聞かせてあげたのですよ」
そう言って慧音はおとぎ話の概略を話し始める。確かにチルノが話したものとおおよそ一致していた。
「ちょっとぉ、それって慧音のしわざだったの?」
「ええ。ちなみに、そのおじいさんの名前は『もこのすけ』といいます。竹炭作り一筋50年の大ベテランです」
「いやいや、別にそんなこと聞いてないから。しかも、何? 私おじいさん!?」
「ええ。あと、おばあさん役は私です」
そう言ってなぜか頬を赤らめる慧音。
「だから、そんなこと誰も聞いてないってば……」
「わかりました。では、今夜は妹紅にもそのお話をしましょう! いい話ですからね、きっと気に入ってくれると思いますよ」
「い、いや、それはいいから! は、離して」
「離しません。あと、私も妹紅のおにぎり食べたい」
がっちりと妹紅の腕をつかむ慧音。
こうなるともう慧音は止まらなくなることを妹紅はよく理解している。今夜は延々と慧音のお話が続くであろう。
どうやらおじいさん、おばあさん以外の登場人物一人一人にも詳細な設定がされているようである。
慧音の話長いんだよなぁ……と、半ば諦めの境地に至って、帰途に着く妹紅であった。
【了】
のんびりしていて、よかったと思います。
そう言っていただけるとうれしいですね。
職人気質なもこたんと薀蓄の代わりに熱意や情を汲み取る無邪気なチルノ。
素敵なお話でした。