静かな湖畔にある静かな館の静かな夜。
決して眠る環境として不適格ではないにも関わらずこうまで眠れないのは自分の血が、吸血鬼の気が満月に呼応しているからだろうか、などとレミリアはベッドに腰掛けて取り留めのない思考を巡らせた。
しかし眠れぬ夜は一人で過ごすにはあまりに長く、喉も渇いた――ベッド脇に置かれている鈴を軽く鳴らすと、ドアがコンコンと静かにノックされた。
「入れ」と返すと「失礼します」との言葉と共に一人のメイド妖精が入室し、その場で恭しく一礼をした。
「礼はいい――喉が渇いた。何か持ってこい」
「かしこまりました」と部屋を出ていった姿を見送り、再び一人きりの思考の海へと旅立つ。
ほどなくしてティーセットを手に帰ってきたメイドを迎え入れるが、カップが二つあるのを見ていぶかしげな表情を作ってしまった。
それを察したのか、「話し相手がほしい、という顔をしていらしたので……」とメイドは応えた。
「なるほど、気が利くな」と納得し、しばし紅茶の香りを楽しむことにする。
所作も紅茶の香りも咲夜のものと比べると物足りないが、なるほどどうして今の気分には適しているような感じがした。
「……ここの暮らしは楽しいか?」
レミリア自身にもなぜこのようなことを言ったか分からなかったが、隣で紅茶を楽しんでいるメイドを見ていると無意識にそんな言葉が出てきてしまったのである。
メイドはたっぷり5秒はきょとんとした顔をしていたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「な、何がおかしい!従者に気を遣うのも主の仕事だろう!」と言いつつ顔を背けるその姿がまた可愛らしく、メイドはまた笑ってしまう。
「もちろん楽しいですよ。そうでなければここにいませんから」
ひとしきり笑った後、柔らかい笑顔でこう答えたメイドはレミリアの顔を見てこう続けた。
「私たちは妖精……気ままな存在です。本来、誰かに縛られたり定期的な仕事を受けたりすることはありません――飽きっぽいですから。それでも皆がここにいるのは、ここが好きだからですよ」
「そんなものか……」と納得したようなしていないような微妙な顔をしたレミリアだったが、何か思いついたのかメイド服の袖を引っ張って目線で窓の外を示した。
手を放して窓まで歩くとそれを開け放ち、ふわりと飛んで屋根の上に腰を下ろす。
続いて出てきたメイドが「お行儀が悪いですよ、お嬢様?」とやんわりたしなめるも、「ここは私の館だ。……そもそも誰も見ていないだろう」と、どこ吹く風のすまし顔をしてみせた。
「まったく……」と言いつつもレミリアの隣に腰を下ろし、二人は月明かりに包まれた。
風の音がわずかに聞こえるだけの静寂を破ったのは、レミリアが先だった。
「たまに不安になるんだ。咲夜も、巫女も、白黒も、知っている人間がいなくなったここで、私はどうやって生きるんだと。……知り合いなどいくらでも作れることは分かっている。それにパチェも美鈴もおまえたちも――フランもそう簡単に死なないことも分かっている。だが……」
普段決して見せることのない表情に戸惑いを覚えつつも、これも主の姿なのだと理解した。
見た目は子どもながら年齢は500に近く、まれに幼さを見せるが基本は傲岸不遜で猪突猛進。
そんなイメージは隣にいる小さき吸血鬼にはまったくなく、月の下で見るその横顔は儚げにさえ思えるほどだった。
「大丈夫ですよ、お嬢様……大丈夫です」
レミリアを後ろから軽く抱きしめ、耳元で囁くように繰り返す。
何が大丈夫なのかは本人にも分かっていなかったが、ある種の本能的にこうするのが良いと感じたのであった。
抱きしめられる温かさに優しい声、いつしか加わった頭を撫でられる感触ですっかり気分は落ち着いていたが、もう少しこうしていたいと身を任せつつも静かに口を開く。
「私はあいつらよりも長く生き、世界を見続けてやる。だが、その前にあいつらのことを私に刻み込む。私を恐れず、付き合ってくれたやつらのことを忘れはせん。――そして、おまえのこともな」
言い終るや否やレミリアは立ち上がり、つられてメイドも立ち上がる。
二人は顔を見合わせて真面目な表情を作ったが、すぐに破顔してくすくすと笑い合った。
「おまえは不思議なやつだな……この私がこうも無防備になってしまう」
「主のケアをするのもメイドの務めですから」
すっかりと解れたレミリアと妙にかしこまるメイド――その対照がおかしく、二人は笑いを抑えることができなかった。
「さて、私は寝るとするか。――そうだ、名前を聞いていなかったな」
この紅魔館にはメイドなど100を超えるほどおり、その名すべてを把握することはメイド長である咲夜でさえ適っていない。
もっとも、その一番の原因は「いつの間にか増えている」ことにあるのだが――
「お嬢様に名を覚えていただけるなんて光栄です。私はエミと申します」
エミはスカートを少し持ち上げ、一礼をする。
「どこまでも面白いやつだ」と思い、その名を小さく口にしたレミリアは「良いことを思いついた」と言わんばかりの、悪戯心溢れる笑顔を弾けさせた。
「よし、エミ。おまえにもう一つの名を授ける。私とおまえだけが知る、大切な名だ。――”エミリア”。それが、今日から私に対するおまえの名だ」
レミリアは威厳と無邪気さを合わせた風で言い放ち、満足そうに頷いた。
さすがにこれにはあっけにとられていたエミであったが、柔和な笑顔で片膝を付き、「ありがたく頂戴いたします」と応えた。
レミリアはそれを見て嬉しそうにうんうんと頷くと、「おやすみ」の言葉と「ありがとう」の口を残して部屋に戻っていった。
「エミ……リア……エミリア……エミリア」
自分の新しい名前を屋根に腰かけたまま二度三度と呟く。
どうにも慣れずくすぐったい感じがするが決して嫌ではなく、むしろ秘密ができたことが嬉しく思えた。
「またお嬢様と、こうして話せるといいですね――あっ」
こう独りごちたところで、メイドとして重大なミスを犯してしまったことに気がついた。
「ティーセット……置きっ放しでしたわ」
主の眠る寝室に立ち入るわけにもいかず、夜明けすぐにそれを回収しに行ったエミであったが、珍しくその日一日中眠そうにしていたと同僚のメイド妖精たちの間でちょっとした噂になったのであった。
決して眠る環境として不適格ではないにも関わらずこうまで眠れないのは自分の血が、吸血鬼の気が満月に呼応しているからだろうか、などとレミリアはベッドに腰掛けて取り留めのない思考を巡らせた。
しかし眠れぬ夜は一人で過ごすにはあまりに長く、喉も渇いた――ベッド脇に置かれている鈴を軽く鳴らすと、ドアがコンコンと静かにノックされた。
「入れ」と返すと「失礼します」との言葉と共に一人のメイド妖精が入室し、その場で恭しく一礼をした。
「礼はいい――喉が渇いた。何か持ってこい」
「かしこまりました」と部屋を出ていった姿を見送り、再び一人きりの思考の海へと旅立つ。
ほどなくしてティーセットを手に帰ってきたメイドを迎え入れるが、カップが二つあるのを見ていぶかしげな表情を作ってしまった。
それを察したのか、「話し相手がほしい、という顔をしていらしたので……」とメイドは応えた。
「なるほど、気が利くな」と納得し、しばし紅茶の香りを楽しむことにする。
所作も紅茶の香りも咲夜のものと比べると物足りないが、なるほどどうして今の気分には適しているような感じがした。
「……ここの暮らしは楽しいか?」
レミリア自身にもなぜこのようなことを言ったか分からなかったが、隣で紅茶を楽しんでいるメイドを見ていると無意識にそんな言葉が出てきてしまったのである。
メイドはたっぷり5秒はきょとんとした顔をしていたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「な、何がおかしい!従者に気を遣うのも主の仕事だろう!」と言いつつ顔を背けるその姿がまた可愛らしく、メイドはまた笑ってしまう。
「もちろん楽しいですよ。そうでなければここにいませんから」
ひとしきり笑った後、柔らかい笑顔でこう答えたメイドはレミリアの顔を見てこう続けた。
「私たちは妖精……気ままな存在です。本来、誰かに縛られたり定期的な仕事を受けたりすることはありません――飽きっぽいですから。それでも皆がここにいるのは、ここが好きだからですよ」
「そんなものか……」と納得したようなしていないような微妙な顔をしたレミリアだったが、何か思いついたのかメイド服の袖を引っ張って目線で窓の外を示した。
手を放して窓まで歩くとそれを開け放ち、ふわりと飛んで屋根の上に腰を下ろす。
続いて出てきたメイドが「お行儀が悪いですよ、お嬢様?」とやんわりたしなめるも、「ここは私の館だ。……そもそも誰も見ていないだろう」と、どこ吹く風のすまし顔をしてみせた。
「まったく……」と言いつつもレミリアの隣に腰を下ろし、二人は月明かりに包まれた。
風の音がわずかに聞こえるだけの静寂を破ったのは、レミリアが先だった。
「たまに不安になるんだ。咲夜も、巫女も、白黒も、知っている人間がいなくなったここで、私はどうやって生きるんだと。……知り合いなどいくらでも作れることは分かっている。それにパチェも美鈴もおまえたちも――フランもそう簡単に死なないことも分かっている。だが……」
普段決して見せることのない表情に戸惑いを覚えつつも、これも主の姿なのだと理解した。
見た目は子どもながら年齢は500に近く、まれに幼さを見せるが基本は傲岸不遜で猪突猛進。
そんなイメージは隣にいる小さき吸血鬼にはまったくなく、月の下で見るその横顔は儚げにさえ思えるほどだった。
「大丈夫ですよ、お嬢様……大丈夫です」
レミリアを後ろから軽く抱きしめ、耳元で囁くように繰り返す。
何が大丈夫なのかは本人にも分かっていなかったが、ある種の本能的にこうするのが良いと感じたのであった。
抱きしめられる温かさに優しい声、いつしか加わった頭を撫でられる感触ですっかり気分は落ち着いていたが、もう少しこうしていたいと身を任せつつも静かに口を開く。
「私はあいつらよりも長く生き、世界を見続けてやる。だが、その前にあいつらのことを私に刻み込む。私を恐れず、付き合ってくれたやつらのことを忘れはせん。――そして、おまえのこともな」
言い終るや否やレミリアは立ち上がり、つられてメイドも立ち上がる。
二人は顔を見合わせて真面目な表情を作ったが、すぐに破顔してくすくすと笑い合った。
「おまえは不思議なやつだな……この私がこうも無防備になってしまう」
「主のケアをするのもメイドの務めですから」
すっかりと解れたレミリアと妙にかしこまるメイド――その対照がおかしく、二人は笑いを抑えることができなかった。
「さて、私は寝るとするか。――そうだ、名前を聞いていなかったな」
この紅魔館にはメイドなど100を超えるほどおり、その名すべてを把握することはメイド長である咲夜でさえ適っていない。
もっとも、その一番の原因は「いつの間にか増えている」ことにあるのだが――
「お嬢様に名を覚えていただけるなんて光栄です。私はエミと申します」
エミはスカートを少し持ち上げ、一礼をする。
「どこまでも面白いやつだ」と思い、その名を小さく口にしたレミリアは「良いことを思いついた」と言わんばかりの、悪戯心溢れる笑顔を弾けさせた。
「よし、エミ。おまえにもう一つの名を授ける。私とおまえだけが知る、大切な名だ。――”エミリア”。それが、今日から私に対するおまえの名だ」
レミリアは威厳と無邪気さを合わせた風で言い放ち、満足そうに頷いた。
さすがにこれにはあっけにとられていたエミであったが、柔和な笑顔で片膝を付き、「ありがたく頂戴いたします」と応えた。
レミリアはそれを見て嬉しそうにうんうんと頷くと、「おやすみ」の言葉と「ありがとう」の口を残して部屋に戻っていった。
「エミ……リア……エミリア……エミリア」
自分の新しい名前を屋根に腰かけたまま二度三度と呟く。
どうにも慣れずくすぐったい感じがするが決して嫌ではなく、むしろ秘密ができたことが嬉しく思えた。
「またお嬢様と、こうして話せるといいですね――あっ」
こう独りごちたところで、メイドとして重大なミスを犯してしまったことに気がついた。
「ティーセット……置きっ放しでしたわ」
主の眠る寝室に立ち入るわけにもいかず、夜明けすぐにそれを回収しに行ったエミであったが、珍しくその日一日中眠そうにしていたと同僚のメイド妖精たちの間でちょっとした噂になったのであった。
レミリアが、とってもcute!
これからも、あなたの作品を心待ちにしています!
さすがレミリア・スカーレット卿であらせられる
とても面白かったです
こういう普段と違うところを見ることができる、って素敵ですよね。
そこを見ることのできたこのメイド妖精は運が良かったに違いない。
いや、それともそういう運命だったのですかね? 主が主だけに。
誤字報告ありがとうございます。修正しました。
はたしてレミリアが望んだ運命なのか自然の悪戯なのか……こういう交流を考えるのは楽しいです。
この妖精メイドの名はたちまち、紅魔館で噂となるでしょう。
メイド長の次に主に近いメイドとして。
こういう交流も紅魔館ならではの楽しみの一つなんですね。
レミリアも、メイド妖精も「生きている」という感じがしています。
「生き生きとしている」とは違うんですねー。これが。