「起動」
私の全身に青く光る文様が浮かび上がる。
額と頬に現れた隈取の様な文様を皮切りに、首筋から胸元へ、そして腹に。また両腕から掌へ。背中を通って九つの尻尾のそれぞれに。
身体の中心から末端へ。複雑な文字の様に見える術式の回路が、青い光の筋となって現れる。
私の全身に埋め込まれた大量の式が、一斉に動き始めた。
八雲家の土間。
囲炉裏のある板の間から一段下がった、カマドと流し台のある広い土間に降り立った私は、全身の式を起動させていた。
私の体内で立ち上がった式は、身体の周囲の空間にサブモニタや増幅回路等のギミックを展開しつつ、次々と構築されていく。
力が全身を巡る。
私はゆっくりと深呼吸をし、閉じていた目を開いた。
頭の中でアラートが響いている。
仕事が始まった。
異変が始まったのだ。
集中する。
とりあえず脳内に響くアラートを解除。
そして両の手を上向きにして掲げる。
左右の掌からそれぞれ光球が生み出された。
2つの光球はふわりと浮き上がり、空中で静止する。
同時に、私の右目のすぐ前に、青い光からなる小さな円形のモニタが出現した。
モニタの外枠には複数の小さな突起が突き出しており、細かく動きながらピントや彩度や輝度、可視化周波数域、提示情報密度などを自動で調整している。
これらは私の式神。
紫様より与えられた、私の力の一部だ。
空中の2つの光球からレーザが土間全体に投射され、その波長の重なり合いが私の右目を覆うモニタを通して空間の中に立体的な映像を映し出す。
今は3つの映像が、土間全体に広がっていた。
私から見て右手側には、地底や天界を含んだ、幻想郷全域を網羅する立体地図が現れる。
左手側にはたくさんのドラム缶が線によって階層的かつ並列に複数繋がれた立体映像が。
奥の方には緑だったり灰色だったりする大量の箱が直線によって複雑に結ばれている映像が現れる。
私の仕事は幻想郷の全システムの監視。
平和な幻想郷を維持するのが私の仕事だ。
そして今、幻想郷のどこかが、また壊れている。
「なにー?障害ー?またー?今度は何よー」
食卓のある部屋と土間を隔てる襖をガラリと広げて、端正な顔立ちの少女がこっちを覗いてきた。
「隙間風はいるじゃないのー。ちゃんと閉めてよー」
「すいません紫様」
紫様は遅い朝ごはんの途中のまま、左手にお茶碗を持ち、右手の箸でメザシを齧りながら、その体勢ではどう考えても不可能な高さにある右足で襖を開き、身体を後ろに倒し気味にして向こうの部屋からこちらを覗いてブーたれていた。
お行儀が良くない。
紫様の首が消えた。
と、すぐ隣に紫様の顔が現れた。顔だけが。
紫様の首だけが浮いている。近い。
ヴン、という音と共に紫様の目の前にも私と同じ小さなモニタが現れる。
後ろを見ると、身体はまだそこにあり、所帯なげに箸をフラフラさせていた。
右足は身体の上の方にあるし、首はこっちにあるし、滅茶苦茶だ。
「なにー?どこー?何系ー?」
目を細めて私の前の立体図を見つめている。
身体が無い分、なんだか近い。
人形の様に美しい横顔をついしげしげと見つめてしまう。この人の肌は真珠みたいだ、といつも思う。
今はちょっと頬がもぐもぐ動いている。
少しメザシの匂いがする。
「大きなものではありません。ジョブの異常では無いようです。システムオールグリーン。……あ、システム•ネットワーク構成図の下部に異常があります。端末への疎通が通っていません。幻想郷モニタで言うと、どこなのかな…」
左側の、ドラム缶が仲良く複雑に繋がれた図を「システム•ネットワーク構成図」と呼ぶ。
これは、幻想郷を構成している機械(と言っておいた方が分かりやすいだろう)の繋がりや機械の健康状態(と言った方が分かりやすいか?)を示している。
右側の、これは分かりやすい、幻想郷の小さな箱庭は、「幻想郷モニタ」と呼ぶ。
これは現在の現在の幻想郷がどの様な状態になっているか、一目でわかるように表示したものだ。
拡大すると分かるのだが、よく見ると小さなピンが無数に立っており、それぞれに「橙」とか「霊夢」とか「萃香」とか書いてある。
現時点での幻想郷がリアルタイムで表示されているのだ。
これを使うと橙がどこにいるかすぐに分かって便利なだけではなく、橙が何をしているかとか、どこかがシステム的に壊れただとか、博麗神社を抜けて外の世界から何かが侵入してきている、とかいう事が一目でわかる。
奥の、大量に箱が線で連なっている立体図は「ジョブ監視モニタ」と呼ぶ。
これはちょっと想像し難いかもしれないが、幻想郷を構築している機械が仕事をしっかりやっているか、機能を全うしているか見張るモニタだ。
単純なところで言うと、例えば重力というものがあって、それを幻想郷に作り出している機械があり、その機能がちゃんと動いているかどうかを見ることができる。
それらの機能は「ジョブ」と呼ばれている。
さっきの例でいくと、重力を発生させているのは重力発生ジョブだ。
一つの箱が、一つのジョブを示しており、正常に終了していると緑に、異常が発生すると赤く表示される様になっている。
まぁ重力とか、そんな根源的な所に異常が出たらモニタを見るまでもなく皆の身体が浮き上がるのでそれと分かるけれども。
他にも例えば時間の経過と共に四季が巡る様に設定しているのだが、何らかの原因でそのジョブが止まって正常に四季が変化していないだとか、季節によって日照時間や月照時間は決められているのに、それらのジョブの一部分が止まってしまい、いつまでたっても朝が来ないだとか、そういった事象はこのモニタによってすぐ判明する。
幻想郷を構成する機械群はそういった異常が起こると全力を挙げて修正しようとするのだが、小さい異常ならばそれで自然に復旧するが、先ほどの例の様な大きい異変が起こると機械がオーバーヒート(と言った方がわかりやすいだろ?)して壊れてしまうため、何としても我々で復旧させる必要がある。
我々八雲家はこの様なシステムの大きな異常を「異変」と呼んで警戒している。
各種モニタについてイメージできただろうか。
もし難しかったら、お手持ちの式で「ネットワーク構成図」や「ジョブ監視」とかの言葉を検索してみるといい。
あるのだろう?あなた達にも便利な式神が。
今も我々を覗いているその小窓だ。
まぁ我々の監視モニタは立体図で、そちらの世界のモニタはおおよそ平面図だろうから少し違うけども。
今回は、ジョブ監視モニタに赤い表示は一つもなかったので、幻想郷のシステムというか法則的に何か異常が発生した訳では無さそうだ。
まあそんな異変はそうそう無いのだが。
そうそうあっても困るし。
ドラム缶が並んでいるシステム•ネットワーク構成図の方は、一見すると緑色で異常が無さそうだったが、モニタの下部、ドラム缶の下にムカデの脚みたいにワサワサとぶら下がっている、小さな小さな緑のブロックの群の中に一つだけ赤いブロックが存在していた。
ピコン、ピコン、と赤く光って一生懸命自らの異常を示している。
「なんだー。端末の故障ね。それかネットワーク障害か。どっちにしろ大したことなくてよかったわ。あなたの管轄よ。ちゃんとやっといてね、藍。私はご飯を食べるわ」
「承知しました、紫様」
「そうそう、今日のご飯美味しいわよ。お米が硬めで」
「紫様、硬いご飯好きですよね」
紫様がこっちを向いて、いたずらっ子の笑みを見せる。
「あら藍、お弁当ついてるわよ、みっともない」
紫様の首がフラッと近づき、私の口に吸いついた。
口の端に付いていたらしい米粒を咥えて離れる。
心臓が跳ね上がった。一瞬キスされるのかと思った。というかされた。
魚くさい。興奮する。
ニコッと笑った紫様の首がかき消えた。
同時に奥の襖が「バン」と閉まる。
私は恥ずかしくなって一人で赤面したが、やる気は出た。
「私のお魚残しといて下さいねー!」
襖の奥に呼びかけたが
「早く終わらせちゃいなさーい」
という返事。これはまず間違いなく食われるパターンだ。あと一匹あったのに。
でもさっきの紫様はかわいかったから、許す。
ドラム缶が並んでいるシステム•ネットワーク構成図に近づいて、障害のあったポイントを拡大する。
赤く光るブロックは、「フィールド構築サーバ」という名のドラム缶に接続された脚の一本だという事がわかった。
ドラム缶の中にはその機械の健康状態を示す小さなグラフがいくつも表示されており、障害を復旧しようとバックアップサーバから情報を引き出したり、他の復元用サーバと協力して失われた端末への接続回路を生成しようとしたりと少し忙しくしている様子だったが、概ね機能そのものに影響を与える程の負荷ではなかった。
このフィールド構築サーバとは、幻想郷の土地や空間を構成するサーバである。
幻想郷の土地は、全てこのフィールド構築サーバで定義されており、我々はそれらが作り出した空間で生活をしている。
そうそう、言っていなかったか。
さっきまで機械、機械と言っていたが、機械というのはサーバの事だと思って頂いて構わない。
サーバが何だかよく分からない?そういう機械だよ。深く考えなくていい。機械って意味。その認識で間違いない。
例えばこのフィールド構築サーバという機械は、幻想郷のある一区画の土地を作り出している機械なんだ。
(本当はそれぞれ分かれている機械じゃなくて、大きな大きな機械の一部にそういった機能を与えて、独立した一つの機械のフリをさせてるだけなんだけどね。仮想化。知ってる?難しいから分からない人は気にしなくていいよ)
今回はフィールド構成サーバに接続された末端である、本当に物理的にその土地を生成している土地の核になる部分が一つ、壊れたか、そこまでの接続が途切れたという障害になる。
接続が切れると何が起こるかって?
自分の身体で考えてみよう。
あなたの皮膚を構成する細胞は血液により構成物質を摂取し、正常に機能しているだろう。
ところが、血液がその部分だけ止まったらどうなるかな?
末端の皮膚は栄養が得られず、死んでしまう。皮膚として存在できない。
血管を塞ぐとこうなるのは知っているだろう。健康に注意しなさいね。
まぁそれと似たような事が起こるのだ。
つまり、現在、この障害が起こったブロックが担当する土地は、無くなっているかそれに近い状態になっている。
それはどこなのか。
どこで障害が起きているのか。
私は幻想郷の箱庭、幻想郷モニタに近づいた。
式に命令を下すと、システム•ネットワーク構成図の赤くなったブロックから赤いレーザが一本走り、幻想郷モニタの一部を指し示す。
その周辺を拡大してよくよく見ると、幻想郷の森の中に、赤くなった区画を発見した。
ここだ。
人里に近い山の中。
ここで事象が起きている。
「人に近いな…」
犠牲者もいるかもしれない。
ある日突然あなたの足の下の地面が消滅したら。もしくは逆にバグってあなたがいる空間一体が岩になってしまったら。
*いしの なかに いる*
こんな感じでゲームオーバーだ。
私は無意識に橙の位置を検索した。
橙は迷い家の庭で転がっていた。
システム不具合による犠牲者は出したくない。
人間や妖怪が死ぬのは自然の摂理の一環として当たり前の事なので別に心を痛めたりはしないのだが、システムの不具合で誰かを失うというのは勿体無いし、何というか私の沽券に関わる。私は幻想郷のシステムを護るために存在しているのだ。それがシステムの不具合を見抜けないばかりか、それによって誰かが死んだとしたら。私は何のためにいるんですかという話になるだろう。
このフィールド構築サーバにアクセスして、ログを確認する。
ログというのは記録という意味だ。
要するに、このサーバで何が起きたのか、サーバ側から見ようというのだ。
分かりづらいか。分かりづらいな。
ではこうした。
私はバックアップサーバの記録をフルに使い、障害発生前の当該箇所周辺の映像を、立体映像で再現する事にした。
そこには、一人の猟師が映っていた。
猟師は名を九平次と言った。
ちなみにこの名前はこの一回しか出てこないから覚える必要はない。
九平次は妻と娘と息子を養う一家の大黒柱で、猟をして生計を立てていた。
一度山に入ると何日も獲物を追い、確実に獲物を仕留める凄腕の猟師として多少は知られていた。
その日、九平次はかねてからの大物を追い、山の中を歩き回っていた。
この辺りに、巨大な熊がいるはずなのだ。
九平次は数日前に見つけた、それはそれは大きな熊の足跡を追っていた。
森のふちを歩いていると、九平次は草原で蛙を見かけた。水たまりの周辺で蛙はケロケロと鳴いていた。
しばらく歩くと、九平次は草むらの中を蛇が這っていくのを見かけた。
蛇は水たまりで鳴いている蛙にするすると忍び寄っていった。
しばらく歩くと、九平次はその蛇を狙う鳥がいることに気づいた。
鳥は突き出した木の枝の上からジッと蛇を見つめていた。
九平次は面白くなってきた。妙に勘がざわつく。
九平次は、近くの草むらの中に潜って様子を見守ることにした。
障害発生七分前、蛙は蛇に飲み込まれた。
障害発生六分前、蛇は鳥に突つかれた。
障害発生五分前、鳥と蛇は格闘する。鳥は器用に蛇の脳天をクチバシで突き刺した。
障害発生四分前、九平次は茂みの向こうに、その鳥を狙う山犬を見つけた。
障害発生三分前、九平次は山犬のはるか後ろの木の陰に、山犬を狙う巨大な熊が、木漏れ日にまぎれ、ジッと立っているのを発見した。
!!
見つけた!
障害発生二分前、九平次は息を殺して早鐘の様に鳴る心臓を必死に抑えながら、草むらの中、ゆっくりと、ゆっくりと、静かに銃を取り出した。
障害発生一分前、九平次は遠くにいる熊に向け、グッと銃を構えた。熊の脳天を見つめ、引き金に指をかける。心臓の鼓動で銃口が揺れるのを懸命に抑えた。
障害発生数秒前、九平次はふと思った。蛙は蛇に飲まれた。蛇は鳥に食われた。鳥は山犬に狙われている。その山犬は熊に狙われている。
熊は俺に狙われている。
では、俺は?
風がザアっと吹き、急に周囲の音が失せた様に感じた。
おかしい。
山の民らしく信心深い九平次は、不安で脳天がチリチリと疼くのを感じた。
九平次は察した。
あの勘は良い予感じゃない。悪い予感だったのだ!
何かが起こる!何か、悪いことが!
九平次はあわてて逃げようとした。
その瞬間、九平次は真横からものすごい力で吹き飛ばされた。
映像はそこで途切れた。
「何これ…」
訳がわからなかった。
何も無いのに、勝手に九平次が吹っ飛んでいた。
バグか。
超短期間の間に連続して食物連鎖の戦い、命のやり取りが起きると発生するバグなのか。
そもそもシステムも、その端末もそんなに簡単に壊れない。
そういう風にできている。
そんなに壊れてたまるか。世界なのだ。
さらに、万が一壊れるにしても事前に予兆が出るように作っている。
確かにバグだったら訳の分からない動作をする事もある。
しかも想定をしていないケースが発生した場合に出やすくなる。
九平次の出会ったこんな、動物番組の弱肉強食映像ダイジェストみたいな状況は、確かにバグが出てもおかしくないレアなケースだと思われた。
わからんが、とにかく現場に行ってみるか。
現場でわかることもあるだろう。
「紫さまー。なんかバグっぽですよー。ちょっと見てきますー」
「嘘ーやめてよねーそういうの、根深いんだからー」
「メザシ残しておいて下さいねー」
「はいはい、行ってらっしゃい」
紫様の用意した監視ツールは、もちろん現場に急行する式も組み込まれている。
私は幻想郷モニタと他の式神に指令を出し、隙間を発動させて障害の発生ポイントに移動した。
そよそよと風がなびく。
人里を眼下に見渡す小高い山の中腹の、開けた草地の片隅に、人間の右腕と曲がった猟銃と血まみれの着物の切れ端が転がっていた。
地面はまだ無くなっていない。しかし、その周辺の土地の妖精達は皆姿を消していた。
妖精達は自然の権化だ。自然の権化とは、システムの一部という事である。
妖精の正体は、フィールド構築サーバの端末がその土地を物理的に形作るために生み出したエージェントだ。
その妖精が全く見当たらない。
システムからのエネルギー配給が無くなったため、端末に余裕がないのだろう。
土地はまだ形を保っているので、端末そのものが壊れた訳ではないようだ。
おそらく何らかの原因で、端末とシステムを結ぶ接続が切れたのだろう。
端末とシステムを結ぶ接続。
それは各種のサーバとサーバ、サーバと端末を結ぶ、神霊的な回線である。今回切れたそれは地面の中を巡り、あげく我々の知覚できる次元を超えてフィールド構築サーバへと続いている。
感の良い人間は、その流れを龍脈と呼んでいるらしい。
紫様は、この回線を「LAN(藍)ケーブル」とか「LAN(藍)」と呼んでいる。
そうそう、これまでの話の中では混乱するかと思って言ってなかったが、幻想郷を動かす機械、サーバというのは目に見えない。見えないというか我々と同じ次元に存在しない。別の次元に存在している。
あなた達の世界にも、あなた達とは別次元にあって、あなた達を形作る仕組みがあるだろう。天地創造の神だの八百万の神だの。それそれ。そういうの。
あなた達がイメージする神というのは正確にはシステムの事だ。紫様はその仕組みを解き明かし、応用することで幻想郷を作られた。
誤解を恐れず例えてみよう。
システムのサーバというのは脳みその様なものだ。
しかし、脳みそだけあっても、手足が無ければ何かを作る事はできないだろう。作りたい物は思い浮かぶとしても。
その手足に当たる物が、システムの端末である。
端末もサーバと同じく神霊的な要素で構成されており、物理的な物ではないが、サーバと違ってちゃんとこの世界に存在している。
位置があるのだ。機械の幽霊みたいなものかと思って頂けるとよい。
フィールド構築サーバの端末の一つは、確かにこの辺りの地面に埋まっている。
ザックリ言うと、地面の下にある見えない機械からピロっと伸びた白っぽい霊的な線(LAN)が、ボヤッとどっかに消えていくのをイメージしてもらうと良い。
今回は、不幸にもそのピロっと出たLANケーブルをたまたま何かがちょん切ったのだろうと推測される。
さて、何がそんな事をしたのかな。
吹っ飛んだ猟師と関係があるのかな。ありそうだ。あるだろう、恐らく。
猟師を吹っ飛ばした何かがLANケーブルも切断した。そう考えるのが最も自然だと思う。
ではそれは何だ。
何かのジョブがバグって空間に断裂を作ってLANごと切っちゃって、余波で猟師が吹っ飛んだ、とかならありそうだ。
バグは困るけど。探すの大変だし。
下をよく見ると、石や虫に混じって人間の血や肉片が散乱する地面に、複数の穴があいていた。
「?」
穴があいてる。
「蛇の巣?モグラの巣?」
飛んで落ちてきた人間の身体めがけ、地面の下から大量の蛇だかモグラだかネズミだかが吹き出して、肉を食い荒らしてまた地面に潜って行ったのだろうか。
その際、ついでにLANも断ち切って行ったのだろうか。
「そんなバカな…」
霊的な回線だ。物理的に切れる物ではない。霊的な衝撃を受ければ切れる事もあるだろうが。
両手から光球を出現させて幻想郷モニタを呼び出し、立体地図からこの地域をクローズアップしてLANケーブルの敷設状況を確認したところ、やはりこの穴の一つが地中のLANを切断しているという事が分かった。
「…つまり」
この穴は、霊的な力を持ち、かつ物理的に存在するものが開けた穴で、猟師はそれに吹き飛ばされた?
そんなものは人間でも動物でもない。神か妖怪だ。
だが肉体を持った神とはシステムの権化だから自分から回線を切るような真似はしない。
そうすると妖怪か何かだという事になる。
しかしログで確認する限り何もいなかったぞ?
改めて周りを見渡す。
風がそよぐ。
波打つ緑の草原のずっと向こうで、あの猟師の頭がクネクネ動いているのを見た気がした。
「!?」
慌てて見直したが、それはすぐに草葉に紛れて見えなくなった。
なんだあれは。
あの猟師、生きていたのか。
それにしては様子がおかしかった。
「クネクネ…」
そういうふざけた名前の感染系の妖怪が、最近外の世界に出たらしい。
名前に似合わず、相当力の強い妖怪らしいが、まだ幻想入りしているはずはなかった。
幻想郷モニタを使って辺りに人間や妖怪の類がいないか確認してみたが、システム上この周囲に位置するのは現在私一人だけだ。
なんだそれ。
…。
見間違えか。
いや確かに何か見たぞ私は。
しかし幻想郷の立体図にはとまどう私の小さな姿しか映っていない。
がーっと倍率を下げて広範囲を見てみると、ずーっと向こうの山の中にルーミアがいることがわかった。
呑気にふよふよ飛んでいる。
でもあの妖怪の仕業じゃない。遠いし。
ユーザ管理サーバにアクセスして猟師「九平次」のアカウントを見てみたら、状態は死亡になっていた。
なんだやっぱり死んでるじゃん。
じゃあやっぱりあれは私の見間違えだったのか。
幽霊すらここにはいない。
なんだかよく分からない。
とりあえず、端末とシステムを結ぶ回線を修復し、周囲の状況をシステム的に正常に戻した。妖精達が現れて、ワイワイ言いながら荒らされた草や地面を修復し始める。
私は猟師の腕と曲がった銃を、その家族に返す事にした。
人里から少し離れた、山で暮らす人々の集落。
あちこちにポツリポツリと家が建っている。
お金を用意していたら夕方になってしまった。
とん。とん。とん。
木の扉を叩く。
猟師の妻は引き戸を開けて私の姿を見るなり腰を抜かした。
普通の着物とは明らかに異なる道服を着た金髪の女、それも背後には豊かな狐の尻尾が何本も揺れており、あちこち光るギミックが周囲に浮いたりしている様な奴がいきなり玄関先に現れたとあっては、驚くのも無理はない。
「か、神様…?お山の、神様ですか? 」
ペタン、と尻をついたまま、それでもこちらを見上げて聞いてくる。
そしてハッと気付いた様に叫んだ。
「あの人に、あの人に何かあったんですか!?」
私はしゃがみ込み、九平次の腕と銃と金の入った包みを押し付け、言った。
「九平次は山のものに喰われた。しばらく山には近づくな」
事情が分からぬ猟師の娘と息子が、なになにー?どうしたのお母さん?等と言いながら家の奥の部屋から母親のもとに近寄ってきたので昏睡させた。
床の上にバタン、バタンと子供が折り重なって倒れる。
「心配するな。寝かしただけだ」
手元とこちらと家の中を交互に見て絶句する猟師の妻を後に、私は式を起動させ、八雲家に転移した。
幸い、泣き声や悲鳴は聞かずに済んだ。
「やーわけわかりませんよー」
「なにそれー。わかりなさいよー」
紫様がお饅頭をかじりながら私に合わせてくる。
「いや分かんないですよぉ。動物ではない、妖怪でもない、何にもない。でも地面に穴が空いてて、LAN切れてたんですよ。
記録ひっくり返して見たんですけど、猟師が、あ、こいつ九平次っていうんですけど、別に周りに何にもないのに、勝手に吹っ飛んで勝手にいなくなったんですよー。九平次ーどこいったんだよ九平次ー」
「オッすオラ九平次!いっちょやってみっか!」
手持ち無沙汰だった紫様がお人形遊びを始めた。
不謹慎過ぎて笑っちゃう。そういうノリ好きです紫様。
「えっとですね、まず記録から言うと、九平次は面白い現象を目の当たりにするんです」
「なに面白い現象って」
「食物連鎖」
「蛙から熊までの?」
「そうです。知ってるんですか!」
「あなたが教えてくれたのよ、藍」
「私まだ言ってませんよそれ…」
「あれ?そうだっけ?…テヘペロ!」
「もう見たんですか?」
「あなたの考えてる事を読んだだけ。口程にものを言うのよ?目やら鼻やら口調やら態度やら足の向きやら手の動き、発汗量顔色態度とか色々なものは」
「態度が二回入っていました」
「面!」
「アイタ!」
「あなたの考える事はお見通しなの!」
「…なるほど。で、そんな動物達の厳しい弱肉強食の世界を生で見ていた九平次さんなのですが」
「狙ってた熊を放り出して突然逃げ始めたかと思ったらいきなり吹っ飛んでそれっきり。残ったのは腕と曲がった銃だけって訳ね」
「熊が襲ってきたんでしょうか」
紫様がお饅頭をもぐもぐ食べながら各種サーバにアクセスする。
「記録を見る限りそんなに熊は近くないわ。そんなスピードで動けたらそれこそ妖怪よ。そもそも周りには何もいなかった。フィールド構築サーバのログとか、バックアップサーバの記録やらも確認したんでしょ?ちがう?」
「そうなんですけど…」
「九平次ちゃんは何かに吹っ飛ばされて穴だらけになった。でも周りに何もなかった!」
「そんな事ってありえます?」
「無くはない、わね…」
「マジっすか!何なんですか!」
「マジっすかじゃない、マジですかでしょ。藍、リピートアフタミー、マジですブェ!」
イラッとした私は自分のお饅頭を紫様の口に突っ込んだ。
「いい加減にして下さい!何なんですか!これ!何かジョブとかのバグなんじゃないですか!」
「ちょっと!お饅頭口に突っ込むんじゃないわよ!主人に向かってーあんたはもー!多分バグじゃないわよ!バグだったら監視画面に何か出るだろうし、監視に出なかったとしても今までこんな事、無かったでしょ。つーかバグだったらマジ勘弁…。ゆかりん泣いちゃうわ…」
「じゃあ、バグじゃ無かったら何なんですか?」
「知らない。隕石でも落ちたんじゃない?」
「は?」
「隕石。きっとそうよ。隕石が落ちてきて九平次とLANケーブルをズタズタに切り裂きましたー。お終い」
「マジで言ってるんですか?」
「それしかないでしょー。『どんなにありえないと思った事でも、最後に残った可能性だけが真実である』キリッ!あーホームズかっこいいわー素敵ですわー。あいつこっちにまだ来ないのかしら」
「隕石かー。んー、仮にそうだとしても物理的にはLANって切れない筈では?」
「天界から流れ弾でも降ってきたんじゃない?とりあえず今はそう思っとこ」
「あのね、紫様」
「あら、なぁに、藍。改まって。ふふ、かわいい」
「私、九平次の残骸らしきものが歩いていくのを見たんです。不自然にガクガクしながら。それで、よく見ようとしたら次の瞬間消えて無くなったんです。人間も妖怪も幽霊だって、システム上のどこにもいないのに」
「外の世界との接続を切断!現時点の幻想郷システム断面を開発環境に全転写!NTPサーバをデュアルモードに切り替え、時間の進行速度を八雲ハウス以外全て最低値に設定しろ!このハウスは最高値に設定!本番系へはこれ以上手を出すな!開発系で非武装地帯「博麗神社」へのアクセスログとファイアーウォール「幻と実体の境界」「博麗大結界」それぞれの状態を確認すること!ハニーネット「幻想卿」へのアクセスログも確認!その後データベースその他各種の主要なサーバへのアクセスログも確認しろ!外の世界から攻撃を受けた痕跡をしらみつぶしで探る!念のためバックアップサーバからの復元準備を整えておけ」
私の言葉を聞いた途端、紫様が目の色を変えて指示を飛ばす。
全身の毛が一気に逆立った。バチバチバチと放電すら伴いながら強制的に式を立ち上げられ、私はほぼ無意識のまま紫様の命令を全力で遂行していた。
「私は外からハードを見てくる。外から直接侵入されたかもしれない…。ありがとう、藍、あなたがいてくれるから私はここを護れるのよ」
私は過出力のあまり意識が飛んでいたからよく分からなかったが、紫様は私を一度ギュッと抱きしめ、それから虚空に消えて行った。
「何も無かったじゃないですか」
「よかったわね、何もなくて」
「ほんと、すっごい焦りましたよ」
「私も焦ったわよ。また何か変なのにハッキングされたかと思った」
「侵入の形跡はなし、と言うことですね」
「相手が痕跡すら残さない腕の持ち主じゃなければね」
「そんな奴いるんですか」
「いるかもしれないし、いないかもしれない」
「何ですかそれ」
私達は最短時間で全ての調査を終え、外からの侵入がない事を確認した。
大丈夫だった。
紫様は、外の世界の変な神が攻撃をしかけてきたんじゃないかと思ったらしい。もしくは外の世界の変な妖怪か、変な神が直接潜り込んできたか。
幻想郷は外の世界の隙間に紫様が勝手に作った代物だ。
外の世界のサーバの余剰部分を盗み出し、自分の世界を作り上げた。
博麗神社を共有することで、あたかも外の世界の一部の様に見せかけているが、こんなハチャメチャな世界が外の世界と同じ訳がない。
外の世界のサーバを作った管理者達に見つかったら、どう処理されるのか想像がつかない。
幻想郷システムまるごと強制削除も十分あり得る。
だけど、今回はそういった侵入の痕跡はかけらも見つけられず、多分大丈夫だろうと言う結論に至った。
短時間に必要なノルマを全てクリアした充足感と、全身を優しくつつむ心地良い疲労感に支配され、紫様と私は部屋の中で重なり合う様に寝そべっていた。
というか寝っ転がっている紫様の背中を私が枕にしている。
「もーなんなのよー。やっぱ隕石よ隕石」
「隕石ですかねー」
「歩いてたってのも、きっと目ざとい火車だか何か妖怪が持って行ったんでしょ」
「直前まで近くに誰もいなかったんですけどねー」
「『うにゃ!ラッキー!こんなところに九平次が落ちてるニャ!もらって行くよん!』火車のマネ。プークスクスクスwww」
「似てるwてか何で名前御存知なのwww」
「博識だからww博識おりんりんwwww」
「博識なんだwwww博識言いたいだけでしょそれwwww」
この件は、隕石のせいと言うことになった。
隕石は、その後、およそ1年のうちに不定期に4回ほど落ちてきた。
「絶っっっっっっっっ対、隕石じゃない!」
「分かってるわよそんな事…」
「じゃあ何なんですか!」
「分からないわよそんな事…」
私達はほとほと、困っていた。
理由なくシステムが、幻想郷が壊れていくのだ。
ある時フィールド構築サーバの端末が別箇所で手がかりも無くまた壊れ、最初に起きた食物連鎖の連続にバグの秘密があるんじゃないかと睨んだ我々はそれを再現しようと蛙とか蛇とか鳥とか犬とか熊とかを方々回って捕まえてきては同時に野に放ってみたりして連日ワッキャワッキャと泥まみれになっている間に風見幽香の花畑周辺の土地を担当している端末が壊れ、秋の季節を司るサーバの端末そのものである穣子が破壊され、そして先日、因果を司るサーバの端末である厄神、鍵山雛が破壊された。
「事象が起こるのは基本的に日中帯。数ヶ月起きに発生。それらしき容疑者は誰もいない。なのにシステムが破壊される。端末以下に被害を与えている事から次元を渡れる神の類いではない。被害者は穴があけられ、場合によっては消失する。目撃者は不定でいたりいなかったり。雛がやられた時は河童のニトリが近くにいたが、破壊された雛から噴出する厄を全身に浴びて昏睡状態。現在ニトリは永遠亭で集中治療を施されてるため詳細な事情を聴くことは出来ない。フィールド構築端末の破壊に至っては必ず人か動物がそこにいた。おそらく、狙っているのは人間か動物で、端末の破壊はたまたまなのだろうと思われる。人間や動物の被害総数だけで考えると、何十倍か何百倍に膨れ上がる可能性が高い。場所は妖怪の山の麓から人里近くの森までで、ある程度のエリアに集中している。犯行現場は人気の少ない所で一人だけが被害に合う。そして事象発生時刻は」
私は静かに、しかし言葉には力を込める。
「必ずお昼時か夕食時なんです」
紫様が緊張した面持ちでつぶやく。
「つまり、藍、あなたはこう言いたいのね…。『私にも人間、食べさせろ』と…」
「ちがいます!」
「藍、私やってないわよ」
「わかってます!」
紫様がたまに人間をつまみ食いしてる事を指摘するとまたいらん言い訳を聞かされたりと碌な事にならないだろう。
私が知らないと思っていてくれた方がいい。
「何か、います。紫様。見えない妖怪が」
「見えない…妖怪…?」
「ええ、認識出来ない妖怪です。我々にも、システムにすら感知されない」
「あのね。藍。考えてもご覧なさい。私達は、私達を含めて、幻想郷の全ての存在をここのシステムで制御しているのよ?あなたにはそれを管理する為の式を埋め込みました。どんな存在だろうと、ここにいるからには我々の管理から逃れられない」
「でももうそんなのがいるって考えないと話が進まないでしょー!」
「確かにこれ、姿さえ見えれば完全に野良妖怪の仕業なのよねぇ」
「ですよねぇ」
「でも聞いたことないわ、そんな妖怪。私ほとんどの妖怪の事知ってるのよ?そんな力のある妖怪を私が知らないなんて」
「最近産まれたんじゃないですか。もしくは例によって感知されずに侵入してきたか」
「産まれた!それだ!ファイアーウォールにも侵入検知システムにも感知されず、ダミーシステムもことごとく無視してここに侵入するのは幻想郷のセキュリティ上ほぼ不可能。そんな事ができるのは高々度の神のみよ。でもサーバハックされたり変な挙動したりしてないわよね。外の神とか管理者じゃない。最近産まれた妖怪なのよ、こいつはきっと」
紫様は喋りながら考えるタイプだ。
「あらでもおかしいわ。システム上で生きている我々が、システム上で見つからないなんて。それこそバグよ。大体幻想郷に産まれるって事はシステムに存在するって事でしょう。違うの。違わないわよ」
「紫様も外の世界からアカウント移してきたし、人間を出し入れする時も外の世界のデータベースサーバとかユーザ管理サーバとか弄ってこっちにデータ持ってくるでしょう?そうすると外の世界では人が消えますよね。それと似た様な事されてるんじゃないですかね」
「サーバハック?そんな高度な事できる奴がこの幻想郷にいるかのかしら。いるならお目にかかってみたいわ。お話したい。是非ともお友達になりたいわ」
「別にアプリケーションサーバのハックしてなくても空飛べるじゃないですか。結構みんな個人で重力の遮断とかしてますよ?」
「あれはサーバじゃなくて端末をハックしてんのよ。ハックっていうか、逆に端末の方が個人の希望を受け入れてるの。個人の力量に応じてね。それが出来る様にしたの。外の世界みたいなバグじゃなくて、端末の機能として。妖怪が存在しやすくするためよ」
「なるほど」
「でも、その線で考えるのは正しいかもしれないわ。能力、ね。能力かぁ。ったく、どんな能力を使えば監視システムから見えなくなるのよ。滅茶苦茶だわ。なんで運営側にダメージ与える能力なんて生まれちゃったのよ。もっと自分にメリットのある方向で考えるでしょ普通。何でそんな嫌がらせみたいな能力…。こんなのが増えたら幻想郷の管理が立ち行かなくなるじゃない。てかそもそも単独なのかしら。複数なのかしら」
「対象が複数か単独かはわかりませんが、おそらく対象はまだ若く、幻想郷のルールを知りません。システムに手を出すなんて…。という事は、やっぱり最近産まれた訳で、そんなに複数いるとは考えづらくないですか」
「そうね、単独犯か、それに近い少数。絶対にとっ捕まえて、きつーいお灸を据えてやるわ」
「見えない妖怪。どうやって捕らえますか」
「んー。どうしようかしら」
囮捜査になった。
「ふぇーん痛いの嫌だよう」
「大丈夫よ藍、あなたは強いわ。見えない奴なんてちょちょいのちょいーよ」
「今、当事者になってみて気づいたのですが、見えない敵に襲われるのってとっても怖いです」
「しっかりして。大丈夫よ。あなたこんな事くらい何度もあったでしょ。慣れてるでしょ」
「退治されるだなんて二度と味わいたくないですよ!」
「いざとなったらアレよ。得意技の。身体バラバラにして逃げるやつ。あれやりなさいよ」
「宴会芸じゃないんですよ!?」
お昼時、私は16、17くらいの娘に化け、紫様は8歳くらいの女児に化け、二人して人里から少し離れた森の中を歩いていた。
今までの被害者の傾向を見ると背格好はある程度大きい方が狙われているので、私が囮になり、紫様がそいつを捕らえる事になったのだが、正直すごく嫌だ。
季節は夏が本格的に始まろうとする頃合い。
緑の生命力はこれからがまさに最高潮であり、森は熱気の中で鬱蒼と生い茂り、地面に生える草の葉一枚いちまいが空へ伸び上がる力強さを感じさせる、そんな時期だった。
「すっごい気持ち悪い、でかい蜘蛛みたいな奴だったらどうしようー」
「無駄に想像力が豊かなのねぇ」
「て言うか別に私達が直接来なくても良くないですか。誰か人間を呼び寄せたりして監視するとかじゃダメなんですか」
「だめよー。当事者にならないと見えない事って結構多いんだし」
「そうですかー…」
とか言いながら私と紫様はブラブラと山道を歩き回ったのだが、見えないそいつは襲って来なかった。
そんな日が二ヶ月ほど続いた。
見えないそいつはいつまでたっても出てこないから、最近はもう当初の目的はほとんど忘れ、紫様と二人で野山をお散歩する会に成り果てていた。
爽やかな風がなびく草原で、紫様といつものお散歩コースをふざけて歌いながら歩いていたら、突然スコーンと脳天に穴が空いた。
化けていても変わらず頭にかぶっていたお気に入りの帽子が血に染まって宙に舞う。
続いて心臓、両手両足に衝撃が走り、吹き飛ばされる。
身体の制御が効かず、顔面から着地。ジャリジャリ、と口の中に土が入った。
久しぶりに土を噛んだ。
「藍!?」
「ペッ、紫様、や、やられました…」
「大丈夫!?」
紫様が短い手足を一生懸命振り回し、こちらに駆け寄ってきた。
慌てているのだろう、化けている幼い姿のままだ。
かわいいな…って今はそんな事を考えている場合ではない!
対象は相変わらず見えない。しかし、私の身体に絡みつき、何やらウゾウゾと蠢く存在を確かに感じる。
気持ち悪!
目に見えない何か触手の様なものが、私の身体の上で這い回っている!
顔の右半分を真っ赤に染める流血を無視し、私は血まみれの手で触手を身体から外そうとしたのだが、何しろそれが見えないのだ。
確かに感触はあるのに!
とりあえず感覚を頼りに、身体を締め付けてくる蛇の胴体の様なものを引き剥がそうとするも、突如ビクンと身体が跳ねて腕が動かせなくなった。
頭蓋にあけられた傷から触手が入ってきた様だった。
やられた。
糸の様に細く枝分かれした触手の先端が脳みそのどこかをいじりまわし、まず私の身体の自由を奪った。
意識や感覚は普通にあるのに、手足が動かせない。
全身を締め付ける複数の触手は、私が動かなくなったと同時にジワリと動き、腕や胸に穿たれた穴から私の身体に侵入してくるのが分かった。
ズルズルと皮膚や筋肉の下に潜りこみ、骨と筋肉の隙間から神経に絡みつく。
「藍!どこから撃たれたの!相手はどこにいる!」
「あ、あ、ゆ、紫様、ああ、頭に、ああ、あ、あ、身体の、中、あ」
「弾幕結界!」
私の状態を一目見て、何かに取り憑かれていると踏んだのだろう。紫様は私もろとも相手を結界の中に封じ込めた。
私の周囲を無数の弾幕が隙間なく高速で旋回し、弾幕の繭を作り上げる。
(あら、あなた人間じゃないのね)
声が聞こえる。頭の中で。
こいつ、何だ、喋れるのか。
「藍!動けるの!?無事なら何か合図を出しなさい!」
(痛くない?今、気持ち良くしてあげるね)
よせ離れろ、そう言う暇もなく。
一瞬の違和感の後、かつて経験した事のない強烈な快感が全身を包みこんだ。
ブワァッと多幸感が全身に広がったと同時にそれが身体の芯に集まっていき、ゾクゾクゾクっと背骨に電気が走ったかと思うと、快感が頭に達して爆発した。
頭が真っ白になり、全身が浮き上がる様な錯覚を覚える。
「は!あああぁぁんッ!!!!」
思わず声まで出ていた。
(脳って凄いよね、痛み止めを自分で作れるんだから。私がたくさん作ってあげるから、これで幸せになりな?)
痛みはもともと意識できていなかったが、今や完全に感じる事がなくなった。
それどころか、身体を内側から優しく丹念に撫でられている様な気持ち良さを感じる。
私の心臓が脈打つ度に、身体を内側から甘く愛撫され、その度に快感が全身を駆け巡る。
それを数回味わっただけで、脳が快感の許容量に耐えられなくなり、意識が吹き飛んだ。
心臓は私の意思に関係なく、全身に血と快感を運び続ける。
「藍、あなた、無事なの!?変な声出てるけど!合図なのそれ!?」
(ふふ、気持ちいいでしょ、これからずっと、死ぬまでそのままにしてあげる。だからあなたの身体、私に使わせてね)
ストロボの様に意識が点滅して、誰が何を言っているかわからない。
とてつもない重大な契約を迫られている気がする。
自分をしっかり持たないと持って行かれそうだという不安をかすかに感じる。
しかし、よく理解できない。
「…ッハウゥ!」
また意識が爆発した。
漠然とした不安なんかに構っていられる余裕がない。
開けっ放しの口からは唾液が、弛緩と緊張を繰り返す下半身からはあらゆる体液が漏れ出すが、それどころではない。
何でもいい。
もう何でもいい。
もう無理!
馬鹿になりそう!
(いいね?お姉さん、もう私に任せて?大丈夫、大事に使うから)
抵抗、しなければ…。
抵抗…。
私は何とか意識を繋ごうと全身の快感に抗ってみるが。
「…グッ!」
息を殺して脈打つ快楽に耐える。
ゾワ、ゾワゾワ、ゾワゾワゾワ。
紫様が弾幕結界の外側から私に声をかける。
「わかった、藍、あなた身体の制御が効かないのね。敵は憑依するタイプの妖怪かしら。わざわざ傷をつけたって事はそこから侵入するのかな。頭の傷から脳に侵入して、身体の傷は手足それぞれの神経系を制御するのかしら。脳から間接的に手足を動かすんじゃなくて、直接手足に接続するってことは、制御に妖怪自身の脳を使っているのね。脳があって、しかも接続するための複数の回路を持つ姿。私、そんな妖怪知ってるわ。藍、あなたさっき、身体に絡み付いた何かを取ろうとしてたでしょ。そいつはタコみたいな形してんじゃない?」
紫様、分かってくれた!
その喜びが私の意識に小さな穴を開けた。
背骨にピリリ、と電気が走る。そのわずかな刺激で、限界まで引き絞られていた私の忍耐は決壊した。
蓄積された快感は、それまでとは比べものにならない位の大きな波で私を押し流す。
ズバーンと目の前が真っ白になる。
「〜〜〜〜ッッッ!!!!!」
快楽の大波は一度で終わらず、波状的に何度も私に襲いかかった。
意識をさらう甘い津波は私をもみくちゃにかき回し、あまりにも圧倒的な強さで私を抱いた。
「…も、もうムリ!もう、もうダメェェェッ!!!ゆ、ゆかりさまぁ!ゴメンナサイィィ〜〜〜ッ!!」
もう何も考える事ができない。
巨大な快楽の奔流に押し流されて、私は、私の意識を手放した。
「藍の中に入ってる奴。あなた何。名前は?なんで見えないの?どういう能力をお持ちなのかしら」
『ゆかりさま?私はもう大丈夫です。あいつはどっか行っちゃったみたいです。結界を解除して下さい』
「…騙されると思って?無駄よ。藍はね、失禁した時はもっと恥ずかしそうにするの。あなた、人間の事をよく知らないのね。最近産まれたんでしょう。」
『…』
「あら、やっぱり消えるのね。でも無駄よ。結界は解除しない。別にあなたを取って食おうなんて思ってる訳じゃないのよ。安心しなさい。私達はあなたに言いたいことがあって来たの。殺すつもりはないわ」
『ほんとう?私を殺さない?』
「本当よ。あなた殺したって美味しくもなさそうだし、どうしょうもないでしょう。ほら、姿を見せて」
『…分かった』
「あらあら、藍ったらすごい顔。血とヨダレと涙でビショビショじゃないの。ねえ、藍、この子の事だけど、大丈夫なんでしょうね?藍が死んでたら流石に殺すわよ?」
『生きてる。人間だったら死ぬんだけど、人間じゃないから生きてる。怪我が痛いかと思って、痛み止めを作っておいたから痛くないよ。気持ちいいと思うよ』
「ふうん、白目まで剥いちゃって。本当に気持ち良さそうな顔になっちゃってるわね。あなたこれ、ダメな量与えたでしょう。ダメよそんな事しちゃ。癖になるでしょう。あら、やっぱりあなた、さとりによく似た姿してんのねぇ」
『さとりお姉ちゃんの事知ってるの』
「あら、妹さんなの。お名前は」
『こいし。古明地こいし。お嬢ちゃんは?』
「お嬢ちゃんじゃないわよ。私は紫。八雲紫よ、よろしく。よいしょっと。本当の姿なんて有って無い様なもんだけどね。私の本当の姿はこれ」
『うわ、騙された!』
「こいしちゃん。あなた、覚(さとり)妖怪じゃないの?ていうかあなた、血色が悪いわね。真っ青じゃないの。大丈夫なの?」
『私ね、もう覚(さとり)妖怪じゃないよ。眼をね、潰しちゃったの』
「あら」
『うん、もう何も見たくないなーって思って』
「…」
『血色悪くなっちゃったのはそのせいかなー』
「何でそんな事したの?」
『心が読めて良い事なんて一つもなかったから。今まで生きてきて』
「…眼は、その、自分で潰したの?」
『うん、痛かったよ。でもね、もう何も気にしなくても良くなったからね、ずっと楽になったよ。痛いのは一度だけ』
「そうなの…。その代わり、何か力を得たんでしょう。あなた、気づいてる?見えなくなってるわよ、誰からも。システムからも見れないなんて、尋常な事じゃないわ」
『システム?よく分かんないけど、誰にも関わりたくないって思ってたら、誰も構ってくれなくなった。あはは』
「あのね、あなたが身につけたその力、はっきり言って手に負えないわ。この幻想郷では管理しきれない。さっきあなたを殺さないって言ったけど、嘘になってしまうかもしれない…」
『えー、うそー、じゃあこの人殺しちゃうよ?』
『ゆかりさま、おやめ下さい。お願いです、私を殺さないで』
『ほら、いいの?死にたくないってよ?』
「藍の口から聞かされるとゾッとするわね…」
『ゆかりさま、わかりました。覚悟を決めました。こいしと一緒に、冥界でお待ちしております。どうか、どうか御身体に気を付けて』
「やーめーろその悪趣味なモノマネを。とりあえず藍を離しなさい。できる?」
『できるけど、お話できなくなっちゃうよ。それと、そのままだと養分がもらえなくて私が死んじゃう。別な身体を用意してくれたら乗り移るよ』
「わかった。ちょっと待ってなさい」
「レミリアー、ちょっと、私が前預けた娘、返してもらえるかしら」
「うわ、いきなり現れるな!ビックリするだろ!咲夜ー!お客様ー!」
「ここに」
「紫が娘を返して欲しいんだって」
「はい。しばしお待ち下さい。…ここに」
「ちょっと、何この娘、妊娠してるじゃないの!」
「知らないのか?人間は年頃になると妊娠するんだよ」
「ちょ、ええ!?どんな管理してんのよアンタ達!まあいいや、この娘はあげるから、別の娘ちょうだい。小さな娘ね!」
「しばしお待ち下さい。…ここに」
「あら、可愛い娘じゃない。じゃあもらっていくから。その娘はあげるから大事にしてよね!」
「はいはい。大事にしてるよ。なぁ?」
「はい、お陰様で、大事にしてもらっております…」
「ほら。心配ご無用よ!」
「さて、あなたはこっちにいらっしゃい」
「は、はい!」
「毎度毎度、嵐の様に現れて去って行くなあいつは…」
「まことに」
「こいしー、来たわよー」
『あ、早い!へー、どこでも行き来できるんだ。あ、その娘だね!結界の中に入れられる?』
「わわ、うわぁ!」
『あ、ありがと。じゃーこの娘もらうね!』
「ヒィッ!な、何これ…や、ヤダ…うわぁっ!ブッ!ガッ!グエエエ!イギイイ!イイイイイイイッ!…………入れた入れた。ありがとう!」
「藍はもらうわよ。藍!…藍!今、治してあげるからね…」
私は意識を取り戻した。
身体がダルい。身体中が何やら血だの汗だのでベトベトになっていた。
変化が解かれ、生娘の姿からいつもの姿に戻っている。
背中に温もりを感じ、見上げると、紫様が私を後ろから抱きかかえて地面に座っていらした。
紫様の服が、私の血でベショベショに汚れている。
「紫…様…」
大きな安堵感。
先程まで果てしなく感じていた恍惚感がジワリと思い出され、屈辱と羞恥に心が荒れる。
「紫様、私、汚されてしまいました…」
「大丈夫よ藍。汚れたあなたも、凄く素敵よ」
それはなんかちょっと違うんじゃないだろうかと一瞬思ったが、とりあえず私と紫様は互いに抱き合って無事を喜び合った。
弾幕結界の中に幼い少女が閉じ込められていた。
胸には閉じた瞳の様な球体が寄生しており、少女の全身に血管の様な管を張り巡らせている。
名を古明地こいしと言うそうだ。
彼女は呪われた地底の妖怪、覚(さとり)の一族だったが、自らその能力を捨てた事で別のものになってしまったという。
流石は地底の妖怪だ。やっかいな奴らの集合体。
こいしの本体はその球体と血管の様な管であり、それを他の動物に突き刺して養分を乗っ取ったり身体のコントロールを横取りしたりする事で生きている。
最初、猟師を襲った時もこの触手を伸ばして襲ったそうだ。地面に触手を突き刺してLANを切ったのは完全に偶然だったらしい。
その主な生態は覚(さとり)妖怪と変わらないのだが、やっかいなのは新たに手にした能力だ。
こいしは他人の無意識を操る事で、触れずとも相手をコントロールする事ができる様になったという。
正確に言うと、こいしの存在を認識した者に自動的に暗示をかける能力だ。
私達も例外ではない。こいしはシステム上に確かに存在したのだが「何もいない」と思わされていたらしい。
まことにやっかい極まりない。
今は弾幕の結界に取り込まれ、抜け出すことができないからコミュニケーションが取れるが、離したら再びこいしを認識する事は出来ないだろう。
私達は彼女に、人間を取り過ぎない事、地面をむやみに傷つけない事、誰かをむやみに傷つけない事、何かを決める時は弾幕勝負で決着をつける事、それが幻想郷を維持する上でどうしても必要な事をコンコンと口が酸っぱくなる位に教え込み、別れた。
こいしは紫様の結界が無くなると、じゃあね、と言ってスッと姿を消してしまった。
八雲家に戻る前、私は思ったことを口にした。
「紫様、あいつ、殺しとかなくていいんですか?」
紫様は独り言の様に呟いた。
「幻想郷は全てを受け入れる。昔、そういうポリシーを決めたのよ。やれやれ。それはそれは、残酷な話だわ」
八雲家についてから、私は下半身が異常に濡れている事に気づき、ひどく恥じたが、紫様が忘れさせてくれた。
私の全身に青く光る文様が浮かび上がる。
額と頬に現れた隈取の様な文様を皮切りに、首筋から胸元へ、そして腹に。また両腕から掌へ。背中を通って九つの尻尾のそれぞれに。
身体の中心から末端へ。複雑な文字の様に見える術式の回路が、青い光の筋となって現れる。
私の全身に埋め込まれた大量の式が、一斉に動き始めた。
八雲家の土間。
囲炉裏のある板の間から一段下がった、カマドと流し台のある広い土間に降り立った私は、全身の式を起動させていた。
私の体内で立ち上がった式は、身体の周囲の空間にサブモニタや増幅回路等のギミックを展開しつつ、次々と構築されていく。
力が全身を巡る。
私はゆっくりと深呼吸をし、閉じていた目を開いた。
頭の中でアラートが響いている。
仕事が始まった。
異変が始まったのだ。
集中する。
とりあえず脳内に響くアラートを解除。
そして両の手を上向きにして掲げる。
左右の掌からそれぞれ光球が生み出された。
2つの光球はふわりと浮き上がり、空中で静止する。
同時に、私の右目のすぐ前に、青い光からなる小さな円形のモニタが出現した。
モニタの外枠には複数の小さな突起が突き出しており、細かく動きながらピントや彩度や輝度、可視化周波数域、提示情報密度などを自動で調整している。
これらは私の式神。
紫様より与えられた、私の力の一部だ。
空中の2つの光球からレーザが土間全体に投射され、その波長の重なり合いが私の右目を覆うモニタを通して空間の中に立体的な映像を映し出す。
今は3つの映像が、土間全体に広がっていた。
私から見て右手側には、地底や天界を含んだ、幻想郷全域を網羅する立体地図が現れる。
左手側にはたくさんのドラム缶が線によって階層的かつ並列に複数繋がれた立体映像が。
奥の方には緑だったり灰色だったりする大量の箱が直線によって複雑に結ばれている映像が現れる。
私の仕事は幻想郷の全システムの監視。
平和な幻想郷を維持するのが私の仕事だ。
そして今、幻想郷のどこかが、また壊れている。
「なにー?障害ー?またー?今度は何よー」
食卓のある部屋と土間を隔てる襖をガラリと広げて、端正な顔立ちの少女がこっちを覗いてきた。
「隙間風はいるじゃないのー。ちゃんと閉めてよー」
「すいません紫様」
紫様は遅い朝ごはんの途中のまま、左手にお茶碗を持ち、右手の箸でメザシを齧りながら、その体勢ではどう考えても不可能な高さにある右足で襖を開き、身体を後ろに倒し気味にして向こうの部屋からこちらを覗いてブーたれていた。
お行儀が良くない。
紫様の首が消えた。
と、すぐ隣に紫様の顔が現れた。顔だけが。
紫様の首だけが浮いている。近い。
ヴン、という音と共に紫様の目の前にも私と同じ小さなモニタが現れる。
後ろを見ると、身体はまだそこにあり、所帯なげに箸をフラフラさせていた。
右足は身体の上の方にあるし、首はこっちにあるし、滅茶苦茶だ。
「なにー?どこー?何系ー?」
目を細めて私の前の立体図を見つめている。
身体が無い分、なんだか近い。
人形の様に美しい横顔をついしげしげと見つめてしまう。この人の肌は真珠みたいだ、といつも思う。
今はちょっと頬がもぐもぐ動いている。
少しメザシの匂いがする。
「大きなものではありません。ジョブの異常では無いようです。システムオールグリーン。……あ、システム•ネットワーク構成図の下部に異常があります。端末への疎通が通っていません。幻想郷モニタで言うと、どこなのかな…」
左側の、ドラム缶が仲良く複雑に繋がれた図を「システム•ネットワーク構成図」と呼ぶ。
これは、幻想郷を構成している機械(と言っておいた方が分かりやすいだろう)の繋がりや機械の健康状態(と言った方が分かりやすいか?)を示している。
右側の、これは分かりやすい、幻想郷の小さな箱庭は、「幻想郷モニタ」と呼ぶ。
これは現在の現在の幻想郷がどの様な状態になっているか、一目でわかるように表示したものだ。
拡大すると分かるのだが、よく見ると小さなピンが無数に立っており、それぞれに「橙」とか「霊夢」とか「萃香」とか書いてある。
現時点での幻想郷がリアルタイムで表示されているのだ。
これを使うと橙がどこにいるかすぐに分かって便利なだけではなく、橙が何をしているかとか、どこかがシステム的に壊れただとか、博麗神社を抜けて外の世界から何かが侵入してきている、とかいう事が一目でわかる。
奥の、大量に箱が線で連なっている立体図は「ジョブ監視モニタ」と呼ぶ。
これはちょっと想像し難いかもしれないが、幻想郷を構築している機械が仕事をしっかりやっているか、機能を全うしているか見張るモニタだ。
単純なところで言うと、例えば重力というものがあって、それを幻想郷に作り出している機械があり、その機能がちゃんと動いているかどうかを見ることができる。
それらの機能は「ジョブ」と呼ばれている。
さっきの例でいくと、重力を発生させているのは重力発生ジョブだ。
一つの箱が、一つのジョブを示しており、正常に終了していると緑に、異常が発生すると赤く表示される様になっている。
まぁ重力とか、そんな根源的な所に異常が出たらモニタを見るまでもなく皆の身体が浮き上がるのでそれと分かるけれども。
他にも例えば時間の経過と共に四季が巡る様に設定しているのだが、何らかの原因でそのジョブが止まって正常に四季が変化していないだとか、季節によって日照時間や月照時間は決められているのに、それらのジョブの一部分が止まってしまい、いつまでたっても朝が来ないだとか、そういった事象はこのモニタによってすぐ判明する。
幻想郷を構成する機械群はそういった異常が起こると全力を挙げて修正しようとするのだが、小さい異常ならばそれで自然に復旧するが、先ほどの例の様な大きい異変が起こると機械がオーバーヒート(と言った方がわかりやすいだろ?)して壊れてしまうため、何としても我々で復旧させる必要がある。
我々八雲家はこの様なシステムの大きな異常を「異変」と呼んで警戒している。
各種モニタについてイメージできただろうか。
もし難しかったら、お手持ちの式で「ネットワーク構成図」や「ジョブ監視」とかの言葉を検索してみるといい。
あるのだろう?あなた達にも便利な式神が。
今も我々を覗いているその小窓だ。
まぁ我々の監視モニタは立体図で、そちらの世界のモニタはおおよそ平面図だろうから少し違うけども。
今回は、ジョブ監視モニタに赤い表示は一つもなかったので、幻想郷のシステムというか法則的に何か異常が発生した訳では無さそうだ。
まあそんな異変はそうそう無いのだが。
そうそうあっても困るし。
ドラム缶が並んでいるシステム•ネットワーク構成図の方は、一見すると緑色で異常が無さそうだったが、モニタの下部、ドラム缶の下にムカデの脚みたいにワサワサとぶら下がっている、小さな小さな緑のブロックの群の中に一つだけ赤いブロックが存在していた。
ピコン、ピコン、と赤く光って一生懸命自らの異常を示している。
「なんだー。端末の故障ね。それかネットワーク障害か。どっちにしろ大したことなくてよかったわ。あなたの管轄よ。ちゃんとやっといてね、藍。私はご飯を食べるわ」
「承知しました、紫様」
「そうそう、今日のご飯美味しいわよ。お米が硬めで」
「紫様、硬いご飯好きですよね」
紫様がこっちを向いて、いたずらっ子の笑みを見せる。
「あら藍、お弁当ついてるわよ、みっともない」
紫様の首がフラッと近づき、私の口に吸いついた。
口の端に付いていたらしい米粒を咥えて離れる。
心臓が跳ね上がった。一瞬キスされるのかと思った。というかされた。
魚くさい。興奮する。
ニコッと笑った紫様の首がかき消えた。
同時に奥の襖が「バン」と閉まる。
私は恥ずかしくなって一人で赤面したが、やる気は出た。
「私のお魚残しといて下さいねー!」
襖の奥に呼びかけたが
「早く終わらせちゃいなさーい」
という返事。これはまず間違いなく食われるパターンだ。あと一匹あったのに。
でもさっきの紫様はかわいかったから、許す。
ドラム缶が並んでいるシステム•ネットワーク構成図に近づいて、障害のあったポイントを拡大する。
赤く光るブロックは、「フィールド構築サーバ」という名のドラム缶に接続された脚の一本だという事がわかった。
ドラム缶の中にはその機械の健康状態を示す小さなグラフがいくつも表示されており、障害を復旧しようとバックアップサーバから情報を引き出したり、他の復元用サーバと協力して失われた端末への接続回路を生成しようとしたりと少し忙しくしている様子だったが、概ね機能そのものに影響を与える程の負荷ではなかった。
このフィールド構築サーバとは、幻想郷の土地や空間を構成するサーバである。
幻想郷の土地は、全てこのフィールド構築サーバで定義されており、我々はそれらが作り出した空間で生活をしている。
そうそう、言っていなかったか。
さっきまで機械、機械と言っていたが、機械というのはサーバの事だと思って頂いて構わない。
サーバが何だかよく分からない?そういう機械だよ。深く考えなくていい。機械って意味。その認識で間違いない。
例えばこのフィールド構築サーバという機械は、幻想郷のある一区画の土地を作り出している機械なんだ。
(本当はそれぞれ分かれている機械じゃなくて、大きな大きな機械の一部にそういった機能を与えて、独立した一つの機械のフリをさせてるだけなんだけどね。仮想化。知ってる?難しいから分からない人は気にしなくていいよ)
今回はフィールド構成サーバに接続された末端である、本当に物理的にその土地を生成している土地の核になる部分が一つ、壊れたか、そこまでの接続が途切れたという障害になる。
接続が切れると何が起こるかって?
自分の身体で考えてみよう。
あなたの皮膚を構成する細胞は血液により構成物質を摂取し、正常に機能しているだろう。
ところが、血液がその部分だけ止まったらどうなるかな?
末端の皮膚は栄養が得られず、死んでしまう。皮膚として存在できない。
血管を塞ぐとこうなるのは知っているだろう。健康に注意しなさいね。
まぁそれと似たような事が起こるのだ。
つまり、現在、この障害が起こったブロックが担当する土地は、無くなっているかそれに近い状態になっている。
それはどこなのか。
どこで障害が起きているのか。
私は幻想郷の箱庭、幻想郷モニタに近づいた。
式に命令を下すと、システム•ネットワーク構成図の赤くなったブロックから赤いレーザが一本走り、幻想郷モニタの一部を指し示す。
その周辺を拡大してよくよく見ると、幻想郷の森の中に、赤くなった区画を発見した。
ここだ。
人里に近い山の中。
ここで事象が起きている。
「人に近いな…」
犠牲者もいるかもしれない。
ある日突然あなたの足の下の地面が消滅したら。もしくは逆にバグってあなたがいる空間一体が岩になってしまったら。
*いしの なかに いる*
こんな感じでゲームオーバーだ。
私は無意識に橙の位置を検索した。
橙は迷い家の庭で転がっていた。
システム不具合による犠牲者は出したくない。
人間や妖怪が死ぬのは自然の摂理の一環として当たり前の事なので別に心を痛めたりはしないのだが、システムの不具合で誰かを失うというのは勿体無いし、何というか私の沽券に関わる。私は幻想郷のシステムを護るために存在しているのだ。それがシステムの不具合を見抜けないばかりか、それによって誰かが死んだとしたら。私は何のためにいるんですかという話になるだろう。
このフィールド構築サーバにアクセスして、ログを確認する。
ログというのは記録という意味だ。
要するに、このサーバで何が起きたのか、サーバ側から見ようというのだ。
分かりづらいか。分かりづらいな。
ではこうした。
私はバックアップサーバの記録をフルに使い、障害発生前の当該箇所周辺の映像を、立体映像で再現する事にした。
そこには、一人の猟師が映っていた。
猟師は名を九平次と言った。
ちなみにこの名前はこの一回しか出てこないから覚える必要はない。
九平次は妻と娘と息子を養う一家の大黒柱で、猟をして生計を立てていた。
一度山に入ると何日も獲物を追い、確実に獲物を仕留める凄腕の猟師として多少は知られていた。
その日、九平次はかねてからの大物を追い、山の中を歩き回っていた。
この辺りに、巨大な熊がいるはずなのだ。
九平次は数日前に見つけた、それはそれは大きな熊の足跡を追っていた。
森のふちを歩いていると、九平次は草原で蛙を見かけた。水たまりの周辺で蛙はケロケロと鳴いていた。
しばらく歩くと、九平次は草むらの中を蛇が這っていくのを見かけた。
蛇は水たまりで鳴いている蛙にするすると忍び寄っていった。
しばらく歩くと、九平次はその蛇を狙う鳥がいることに気づいた。
鳥は突き出した木の枝の上からジッと蛇を見つめていた。
九平次は面白くなってきた。妙に勘がざわつく。
九平次は、近くの草むらの中に潜って様子を見守ることにした。
障害発生七分前、蛙は蛇に飲み込まれた。
障害発生六分前、蛇は鳥に突つかれた。
障害発生五分前、鳥と蛇は格闘する。鳥は器用に蛇の脳天をクチバシで突き刺した。
障害発生四分前、九平次は茂みの向こうに、その鳥を狙う山犬を見つけた。
障害発生三分前、九平次は山犬のはるか後ろの木の陰に、山犬を狙う巨大な熊が、木漏れ日にまぎれ、ジッと立っているのを発見した。
!!
見つけた!
障害発生二分前、九平次は息を殺して早鐘の様に鳴る心臓を必死に抑えながら、草むらの中、ゆっくりと、ゆっくりと、静かに銃を取り出した。
障害発生一分前、九平次は遠くにいる熊に向け、グッと銃を構えた。熊の脳天を見つめ、引き金に指をかける。心臓の鼓動で銃口が揺れるのを懸命に抑えた。
障害発生数秒前、九平次はふと思った。蛙は蛇に飲まれた。蛇は鳥に食われた。鳥は山犬に狙われている。その山犬は熊に狙われている。
熊は俺に狙われている。
では、俺は?
風がザアっと吹き、急に周囲の音が失せた様に感じた。
おかしい。
山の民らしく信心深い九平次は、不安で脳天がチリチリと疼くのを感じた。
九平次は察した。
あの勘は良い予感じゃない。悪い予感だったのだ!
何かが起こる!何か、悪いことが!
九平次はあわてて逃げようとした。
その瞬間、九平次は真横からものすごい力で吹き飛ばされた。
映像はそこで途切れた。
「何これ…」
訳がわからなかった。
何も無いのに、勝手に九平次が吹っ飛んでいた。
バグか。
超短期間の間に連続して食物連鎖の戦い、命のやり取りが起きると発生するバグなのか。
そもそもシステムも、その端末もそんなに簡単に壊れない。
そういう風にできている。
そんなに壊れてたまるか。世界なのだ。
さらに、万が一壊れるにしても事前に予兆が出るように作っている。
確かにバグだったら訳の分からない動作をする事もある。
しかも想定をしていないケースが発生した場合に出やすくなる。
九平次の出会ったこんな、動物番組の弱肉強食映像ダイジェストみたいな状況は、確かにバグが出てもおかしくないレアなケースだと思われた。
わからんが、とにかく現場に行ってみるか。
現場でわかることもあるだろう。
「紫さまー。なんかバグっぽですよー。ちょっと見てきますー」
「嘘ーやめてよねーそういうの、根深いんだからー」
「メザシ残しておいて下さいねー」
「はいはい、行ってらっしゃい」
紫様の用意した監視ツールは、もちろん現場に急行する式も組み込まれている。
私は幻想郷モニタと他の式神に指令を出し、隙間を発動させて障害の発生ポイントに移動した。
そよそよと風がなびく。
人里を眼下に見渡す小高い山の中腹の、開けた草地の片隅に、人間の右腕と曲がった猟銃と血まみれの着物の切れ端が転がっていた。
地面はまだ無くなっていない。しかし、その周辺の土地の妖精達は皆姿を消していた。
妖精達は自然の権化だ。自然の権化とは、システムの一部という事である。
妖精の正体は、フィールド構築サーバの端末がその土地を物理的に形作るために生み出したエージェントだ。
その妖精が全く見当たらない。
システムからのエネルギー配給が無くなったため、端末に余裕がないのだろう。
土地はまだ形を保っているので、端末そのものが壊れた訳ではないようだ。
おそらく何らかの原因で、端末とシステムを結ぶ接続が切れたのだろう。
端末とシステムを結ぶ接続。
それは各種のサーバとサーバ、サーバと端末を結ぶ、神霊的な回線である。今回切れたそれは地面の中を巡り、あげく我々の知覚できる次元を超えてフィールド構築サーバへと続いている。
感の良い人間は、その流れを龍脈と呼んでいるらしい。
紫様は、この回線を「LAN(藍)ケーブル」とか「LAN(藍)」と呼んでいる。
そうそう、これまでの話の中では混乱するかと思って言ってなかったが、幻想郷を動かす機械、サーバというのは目に見えない。見えないというか我々と同じ次元に存在しない。別の次元に存在している。
あなた達の世界にも、あなた達とは別次元にあって、あなた達を形作る仕組みがあるだろう。天地創造の神だの八百万の神だの。それそれ。そういうの。
あなた達がイメージする神というのは正確にはシステムの事だ。紫様はその仕組みを解き明かし、応用することで幻想郷を作られた。
誤解を恐れず例えてみよう。
システムのサーバというのは脳みその様なものだ。
しかし、脳みそだけあっても、手足が無ければ何かを作る事はできないだろう。作りたい物は思い浮かぶとしても。
その手足に当たる物が、システムの端末である。
端末もサーバと同じく神霊的な要素で構成されており、物理的な物ではないが、サーバと違ってちゃんとこの世界に存在している。
位置があるのだ。機械の幽霊みたいなものかと思って頂けるとよい。
フィールド構築サーバの端末の一つは、確かにこの辺りの地面に埋まっている。
ザックリ言うと、地面の下にある見えない機械からピロっと伸びた白っぽい霊的な線(LAN)が、ボヤッとどっかに消えていくのをイメージしてもらうと良い。
今回は、不幸にもそのピロっと出たLANケーブルをたまたま何かがちょん切ったのだろうと推測される。
さて、何がそんな事をしたのかな。
吹っ飛んだ猟師と関係があるのかな。ありそうだ。あるだろう、恐らく。
猟師を吹っ飛ばした何かがLANケーブルも切断した。そう考えるのが最も自然だと思う。
ではそれは何だ。
何かのジョブがバグって空間に断裂を作ってLANごと切っちゃって、余波で猟師が吹っ飛んだ、とかならありそうだ。
バグは困るけど。探すの大変だし。
下をよく見ると、石や虫に混じって人間の血や肉片が散乱する地面に、複数の穴があいていた。
「?」
穴があいてる。
「蛇の巣?モグラの巣?」
飛んで落ちてきた人間の身体めがけ、地面の下から大量の蛇だかモグラだかネズミだかが吹き出して、肉を食い荒らしてまた地面に潜って行ったのだろうか。
その際、ついでにLANも断ち切って行ったのだろうか。
「そんなバカな…」
霊的な回線だ。物理的に切れる物ではない。霊的な衝撃を受ければ切れる事もあるだろうが。
両手から光球を出現させて幻想郷モニタを呼び出し、立体地図からこの地域をクローズアップしてLANケーブルの敷設状況を確認したところ、やはりこの穴の一つが地中のLANを切断しているという事が分かった。
「…つまり」
この穴は、霊的な力を持ち、かつ物理的に存在するものが開けた穴で、猟師はそれに吹き飛ばされた?
そんなものは人間でも動物でもない。神か妖怪だ。
だが肉体を持った神とはシステムの権化だから自分から回線を切るような真似はしない。
そうすると妖怪か何かだという事になる。
しかしログで確認する限り何もいなかったぞ?
改めて周りを見渡す。
風がそよぐ。
波打つ緑の草原のずっと向こうで、あの猟師の頭がクネクネ動いているのを見た気がした。
「!?」
慌てて見直したが、それはすぐに草葉に紛れて見えなくなった。
なんだあれは。
あの猟師、生きていたのか。
それにしては様子がおかしかった。
「クネクネ…」
そういうふざけた名前の感染系の妖怪が、最近外の世界に出たらしい。
名前に似合わず、相当力の強い妖怪らしいが、まだ幻想入りしているはずはなかった。
幻想郷モニタを使って辺りに人間や妖怪の類がいないか確認してみたが、システム上この周囲に位置するのは現在私一人だけだ。
なんだそれ。
…。
見間違えか。
いや確かに何か見たぞ私は。
しかし幻想郷の立体図にはとまどう私の小さな姿しか映っていない。
がーっと倍率を下げて広範囲を見てみると、ずーっと向こうの山の中にルーミアがいることがわかった。
呑気にふよふよ飛んでいる。
でもあの妖怪の仕業じゃない。遠いし。
ユーザ管理サーバにアクセスして猟師「九平次」のアカウントを見てみたら、状態は死亡になっていた。
なんだやっぱり死んでるじゃん。
じゃあやっぱりあれは私の見間違えだったのか。
幽霊すらここにはいない。
なんだかよく分からない。
とりあえず、端末とシステムを結ぶ回線を修復し、周囲の状況をシステム的に正常に戻した。妖精達が現れて、ワイワイ言いながら荒らされた草や地面を修復し始める。
私は猟師の腕と曲がった銃を、その家族に返す事にした。
人里から少し離れた、山で暮らす人々の集落。
あちこちにポツリポツリと家が建っている。
お金を用意していたら夕方になってしまった。
とん。とん。とん。
木の扉を叩く。
猟師の妻は引き戸を開けて私の姿を見るなり腰を抜かした。
普通の着物とは明らかに異なる道服を着た金髪の女、それも背後には豊かな狐の尻尾が何本も揺れており、あちこち光るギミックが周囲に浮いたりしている様な奴がいきなり玄関先に現れたとあっては、驚くのも無理はない。
「か、神様…?お山の、神様ですか? 」
ペタン、と尻をついたまま、それでもこちらを見上げて聞いてくる。
そしてハッと気付いた様に叫んだ。
「あの人に、あの人に何かあったんですか!?」
私はしゃがみ込み、九平次の腕と銃と金の入った包みを押し付け、言った。
「九平次は山のものに喰われた。しばらく山には近づくな」
事情が分からぬ猟師の娘と息子が、なになにー?どうしたのお母さん?等と言いながら家の奥の部屋から母親のもとに近寄ってきたので昏睡させた。
床の上にバタン、バタンと子供が折り重なって倒れる。
「心配するな。寝かしただけだ」
手元とこちらと家の中を交互に見て絶句する猟師の妻を後に、私は式を起動させ、八雲家に転移した。
幸い、泣き声や悲鳴は聞かずに済んだ。
「やーわけわかりませんよー」
「なにそれー。わかりなさいよー」
紫様がお饅頭をかじりながら私に合わせてくる。
「いや分かんないですよぉ。動物ではない、妖怪でもない、何にもない。でも地面に穴が空いてて、LAN切れてたんですよ。
記録ひっくり返して見たんですけど、猟師が、あ、こいつ九平次っていうんですけど、別に周りに何にもないのに、勝手に吹っ飛んで勝手にいなくなったんですよー。九平次ーどこいったんだよ九平次ー」
「オッすオラ九平次!いっちょやってみっか!」
手持ち無沙汰だった紫様がお人形遊びを始めた。
不謹慎過ぎて笑っちゃう。そういうノリ好きです紫様。
「えっとですね、まず記録から言うと、九平次は面白い現象を目の当たりにするんです」
「なに面白い現象って」
「食物連鎖」
「蛙から熊までの?」
「そうです。知ってるんですか!」
「あなたが教えてくれたのよ、藍」
「私まだ言ってませんよそれ…」
「あれ?そうだっけ?…テヘペロ!」
「もう見たんですか?」
「あなたの考えてる事を読んだだけ。口程にものを言うのよ?目やら鼻やら口調やら態度やら足の向きやら手の動き、発汗量顔色態度とか色々なものは」
「態度が二回入っていました」
「面!」
「アイタ!」
「あなたの考える事はお見通しなの!」
「…なるほど。で、そんな動物達の厳しい弱肉強食の世界を生で見ていた九平次さんなのですが」
「狙ってた熊を放り出して突然逃げ始めたかと思ったらいきなり吹っ飛んでそれっきり。残ったのは腕と曲がった銃だけって訳ね」
「熊が襲ってきたんでしょうか」
紫様がお饅頭をもぐもぐ食べながら各種サーバにアクセスする。
「記録を見る限りそんなに熊は近くないわ。そんなスピードで動けたらそれこそ妖怪よ。そもそも周りには何もいなかった。フィールド構築サーバのログとか、バックアップサーバの記録やらも確認したんでしょ?ちがう?」
「そうなんですけど…」
「九平次ちゃんは何かに吹っ飛ばされて穴だらけになった。でも周りに何もなかった!」
「そんな事ってありえます?」
「無くはない、わね…」
「マジっすか!何なんですか!」
「マジっすかじゃない、マジですかでしょ。藍、リピートアフタミー、マジですブェ!」
イラッとした私は自分のお饅頭を紫様の口に突っ込んだ。
「いい加減にして下さい!何なんですか!これ!何かジョブとかのバグなんじゃないですか!」
「ちょっと!お饅頭口に突っ込むんじゃないわよ!主人に向かってーあんたはもー!多分バグじゃないわよ!バグだったら監視画面に何か出るだろうし、監視に出なかったとしても今までこんな事、無かったでしょ。つーかバグだったらマジ勘弁…。ゆかりん泣いちゃうわ…」
「じゃあ、バグじゃ無かったら何なんですか?」
「知らない。隕石でも落ちたんじゃない?」
「は?」
「隕石。きっとそうよ。隕石が落ちてきて九平次とLANケーブルをズタズタに切り裂きましたー。お終い」
「マジで言ってるんですか?」
「それしかないでしょー。『どんなにありえないと思った事でも、最後に残った可能性だけが真実である』キリッ!あーホームズかっこいいわー素敵ですわー。あいつこっちにまだ来ないのかしら」
「隕石かー。んー、仮にそうだとしても物理的にはLANって切れない筈では?」
「天界から流れ弾でも降ってきたんじゃない?とりあえず今はそう思っとこ」
「あのね、紫様」
「あら、なぁに、藍。改まって。ふふ、かわいい」
「私、九平次の残骸らしきものが歩いていくのを見たんです。不自然にガクガクしながら。それで、よく見ようとしたら次の瞬間消えて無くなったんです。人間も妖怪も幽霊だって、システム上のどこにもいないのに」
「外の世界との接続を切断!現時点の幻想郷システム断面を開発環境に全転写!NTPサーバをデュアルモードに切り替え、時間の進行速度を八雲ハウス以外全て最低値に設定しろ!このハウスは最高値に設定!本番系へはこれ以上手を出すな!開発系で非武装地帯「博麗神社」へのアクセスログとファイアーウォール「幻と実体の境界」「博麗大結界」それぞれの状態を確認すること!ハニーネット「幻想卿」へのアクセスログも確認!その後データベースその他各種の主要なサーバへのアクセスログも確認しろ!外の世界から攻撃を受けた痕跡をしらみつぶしで探る!念のためバックアップサーバからの復元準備を整えておけ」
私の言葉を聞いた途端、紫様が目の色を変えて指示を飛ばす。
全身の毛が一気に逆立った。バチバチバチと放電すら伴いながら強制的に式を立ち上げられ、私はほぼ無意識のまま紫様の命令を全力で遂行していた。
「私は外からハードを見てくる。外から直接侵入されたかもしれない…。ありがとう、藍、あなたがいてくれるから私はここを護れるのよ」
私は過出力のあまり意識が飛んでいたからよく分からなかったが、紫様は私を一度ギュッと抱きしめ、それから虚空に消えて行った。
「何も無かったじゃないですか」
「よかったわね、何もなくて」
「ほんと、すっごい焦りましたよ」
「私も焦ったわよ。また何か変なのにハッキングされたかと思った」
「侵入の形跡はなし、と言うことですね」
「相手が痕跡すら残さない腕の持ち主じゃなければね」
「そんな奴いるんですか」
「いるかもしれないし、いないかもしれない」
「何ですかそれ」
私達は最短時間で全ての調査を終え、外からの侵入がない事を確認した。
大丈夫だった。
紫様は、外の世界の変な神が攻撃をしかけてきたんじゃないかと思ったらしい。もしくは外の世界の変な妖怪か、変な神が直接潜り込んできたか。
幻想郷は外の世界の隙間に紫様が勝手に作った代物だ。
外の世界のサーバの余剰部分を盗み出し、自分の世界を作り上げた。
博麗神社を共有することで、あたかも外の世界の一部の様に見せかけているが、こんなハチャメチャな世界が外の世界と同じ訳がない。
外の世界のサーバを作った管理者達に見つかったら、どう処理されるのか想像がつかない。
幻想郷システムまるごと強制削除も十分あり得る。
だけど、今回はそういった侵入の痕跡はかけらも見つけられず、多分大丈夫だろうと言う結論に至った。
短時間に必要なノルマを全てクリアした充足感と、全身を優しくつつむ心地良い疲労感に支配され、紫様と私は部屋の中で重なり合う様に寝そべっていた。
というか寝っ転がっている紫様の背中を私が枕にしている。
「もーなんなのよー。やっぱ隕石よ隕石」
「隕石ですかねー」
「歩いてたってのも、きっと目ざとい火車だか何か妖怪が持って行ったんでしょ」
「直前まで近くに誰もいなかったんですけどねー」
「『うにゃ!ラッキー!こんなところに九平次が落ちてるニャ!もらって行くよん!』火車のマネ。プークスクスクスwww」
「似てるwてか何で名前御存知なのwww」
「博識だからww博識おりんりんwwww」
「博識なんだwwww博識言いたいだけでしょそれwwww」
この件は、隕石のせいと言うことになった。
隕石は、その後、およそ1年のうちに不定期に4回ほど落ちてきた。
「絶っっっっっっっっ対、隕石じゃない!」
「分かってるわよそんな事…」
「じゃあ何なんですか!」
「分からないわよそんな事…」
私達はほとほと、困っていた。
理由なくシステムが、幻想郷が壊れていくのだ。
ある時フィールド構築サーバの端末が別箇所で手がかりも無くまた壊れ、最初に起きた食物連鎖の連続にバグの秘密があるんじゃないかと睨んだ我々はそれを再現しようと蛙とか蛇とか鳥とか犬とか熊とかを方々回って捕まえてきては同時に野に放ってみたりして連日ワッキャワッキャと泥まみれになっている間に風見幽香の花畑周辺の土地を担当している端末が壊れ、秋の季節を司るサーバの端末そのものである穣子が破壊され、そして先日、因果を司るサーバの端末である厄神、鍵山雛が破壊された。
「事象が起こるのは基本的に日中帯。数ヶ月起きに発生。それらしき容疑者は誰もいない。なのにシステムが破壊される。端末以下に被害を与えている事から次元を渡れる神の類いではない。被害者は穴があけられ、場合によっては消失する。目撃者は不定でいたりいなかったり。雛がやられた時は河童のニトリが近くにいたが、破壊された雛から噴出する厄を全身に浴びて昏睡状態。現在ニトリは永遠亭で集中治療を施されてるため詳細な事情を聴くことは出来ない。フィールド構築端末の破壊に至っては必ず人か動物がそこにいた。おそらく、狙っているのは人間か動物で、端末の破壊はたまたまなのだろうと思われる。人間や動物の被害総数だけで考えると、何十倍か何百倍に膨れ上がる可能性が高い。場所は妖怪の山の麓から人里近くの森までで、ある程度のエリアに集中している。犯行現場は人気の少ない所で一人だけが被害に合う。そして事象発生時刻は」
私は静かに、しかし言葉には力を込める。
「必ずお昼時か夕食時なんです」
紫様が緊張した面持ちでつぶやく。
「つまり、藍、あなたはこう言いたいのね…。『私にも人間、食べさせろ』と…」
「ちがいます!」
「藍、私やってないわよ」
「わかってます!」
紫様がたまに人間をつまみ食いしてる事を指摘するとまたいらん言い訳を聞かされたりと碌な事にならないだろう。
私が知らないと思っていてくれた方がいい。
「何か、います。紫様。見えない妖怪が」
「見えない…妖怪…?」
「ええ、認識出来ない妖怪です。我々にも、システムにすら感知されない」
「あのね。藍。考えてもご覧なさい。私達は、私達を含めて、幻想郷の全ての存在をここのシステムで制御しているのよ?あなたにはそれを管理する為の式を埋め込みました。どんな存在だろうと、ここにいるからには我々の管理から逃れられない」
「でももうそんなのがいるって考えないと話が進まないでしょー!」
「確かにこれ、姿さえ見えれば完全に野良妖怪の仕業なのよねぇ」
「ですよねぇ」
「でも聞いたことないわ、そんな妖怪。私ほとんどの妖怪の事知ってるのよ?そんな力のある妖怪を私が知らないなんて」
「最近産まれたんじゃないですか。もしくは例によって感知されずに侵入してきたか」
「産まれた!それだ!ファイアーウォールにも侵入検知システムにも感知されず、ダミーシステムもことごとく無視してここに侵入するのは幻想郷のセキュリティ上ほぼ不可能。そんな事ができるのは高々度の神のみよ。でもサーバハックされたり変な挙動したりしてないわよね。外の神とか管理者じゃない。最近産まれた妖怪なのよ、こいつはきっと」
紫様は喋りながら考えるタイプだ。
「あらでもおかしいわ。システム上で生きている我々が、システム上で見つからないなんて。それこそバグよ。大体幻想郷に産まれるって事はシステムに存在するって事でしょう。違うの。違わないわよ」
「紫様も外の世界からアカウント移してきたし、人間を出し入れする時も外の世界のデータベースサーバとかユーザ管理サーバとか弄ってこっちにデータ持ってくるでしょう?そうすると外の世界では人が消えますよね。それと似た様な事されてるんじゃないですかね」
「サーバハック?そんな高度な事できる奴がこの幻想郷にいるかのかしら。いるならお目にかかってみたいわ。お話したい。是非ともお友達になりたいわ」
「別にアプリケーションサーバのハックしてなくても空飛べるじゃないですか。結構みんな個人で重力の遮断とかしてますよ?」
「あれはサーバじゃなくて端末をハックしてんのよ。ハックっていうか、逆に端末の方が個人の希望を受け入れてるの。個人の力量に応じてね。それが出来る様にしたの。外の世界みたいなバグじゃなくて、端末の機能として。妖怪が存在しやすくするためよ」
「なるほど」
「でも、その線で考えるのは正しいかもしれないわ。能力、ね。能力かぁ。ったく、どんな能力を使えば監視システムから見えなくなるのよ。滅茶苦茶だわ。なんで運営側にダメージ与える能力なんて生まれちゃったのよ。もっと自分にメリットのある方向で考えるでしょ普通。何でそんな嫌がらせみたいな能力…。こんなのが増えたら幻想郷の管理が立ち行かなくなるじゃない。てかそもそも単独なのかしら。複数なのかしら」
「対象が複数か単独かはわかりませんが、おそらく対象はまだ若く、幻想郷のルールを知りません。システムに手を出すなんて…。という事は、やっぱり最近産まれた訳で、そんなに複数いるとは考えづらくないですか」
「そうね、単独犯か、それに近い少数。絶対にとっ捕まえて、きつーいお灸を据えてやるわ」
「見えない妖怪。どうやって捕らえますか」
「んー。どうしようかしら」
囮捜査になった。
「ふぇーん痛いの嫌だよう」
「大丈夫よ藍、あなたは強いわ。見えない奴なんてちょちょいのちょいーよ」
「今、当事者になってみて気づいたのですが、見えない敵に襲われるのってとっても怖いです」
「しっかりして。大丈夫よ。あなたこんな事くらい何度もあったでしょ。慣れてるでしょ」
「退治されるだなんて二度と味わいたくないですよ!」
「いざとなったらアレよ。得意技の。身体バラバラにして逃げるやつ。あれやりなさいよ」
「宴会芸じゃないんですよ!?」
お昼時、私は16、17くらいの娘に化け、紫様は8歳くらいの女児に化け、二人して人里から少し離れた森の中を歩いていた。
今までの被害者の傾向を見ると背格好はある程度大きい方が狙われているので、私が囮になり、紫様がそいつを捕らえる事になったのだが、正直すごく嫌だ。
季節は夏が本格的に始まろうとする頃合い。
緑の生命力はこれからがまさに最高潮であり、森は熱気の中で鬱蒼と生い茂り、地面に生える草の葉一枚いちまいが空へ伸び上がる力強さを感じさせる、そんな時期だった。
「すっごい気持ち悪い、でかい蜘蛛みたいな奴だったらどうしようー」
「無駄に想像力が豊かなのねぇ」
「て言うか別に私達が直接来なくても良くないですか。誰か人間を呼び寄せたりして監視するとかじゃダメなんですか」
「だめよー。当事者にならないと見えない事って結構多いんだし」
「そうですかー…」
とか言いながら私と紫様はブラブラと山道を歩き回ったのだが、見えないそいつは襲って来なかった。
そんな日が二ヶ月ほど続いた。
見えないそいつはいつまでたっても出てこないから、最近はもう当初の目的はほとんど忘れ、紫様と二人で野山をお散歩する会に成り果てていた。
爽やかな風がなびく草原で、紫様といつものお散歩コースをふざけて歌いながら歩いていたら、突然スコーンと脳天に穴が空いた。
化けていても変わらず頭にかぶっていたお気に入りの帽子が血に染まって宙に舞う。
続いて心臓、両手両足に衝撃が走り、吹き飛ばされる。
身体の制御が効かず、顔面から着地。ジャリジャリ、と口の中に土が入った。
久しぶりに土を噛んだ。
「藍!?」
「ペッ、紫様、や、やられました…」
「大丈夫!?」
紫様が短い手足を一生懸命振り回し、こちらに駆け寄ってきた。
慌てているのだろう、化けている幼い姿のままだ。
かわいいな…って今はそんな事を考えている場合ではない!
対象は相変わらず見えない。しかし、私の身体に絡みつき、何やらウゾウゾと蠢く存在を確かに感じる。
気持ち悪!
目に見えない何か触手の様なものが、私の身体の上で這い回っている!
顔の右半分を真っ赤に染める流血を無視し、私は血まみれの手で触手を身体から外そうとしたのだが、何しろそれが見えないのだ。
確かに感触はあるのに!
とりあえず感覚を頼りに、身体を締め付けてくる蛇の胴体の様なものを引き剥がそうとするも、突如ビクンと身体が跳ねて腕が動かせなくなった。
頭蓋にあけられた傷から触手が入ってきた様だった。
やられた。
糸の様に細く枝分かれした触手の先端が脳みそのどこかをいじりまわし、まず私の身体の自由を奪った。
意識や感覚は普通にあるのに、手足が動かせない。
全身を締め付ける複数の触手は、私が動かなくなったと同時にジワリと動き、腕や胸に穿たれた穴から私の身体に侵入してくるのが分かった。
ズルズルと皮膚や筋肉の下に潜りこみ、骨と筋肉の隙間から神経に絡みつく。
「藍!どこから撃たれたの!相手はどこにいる!」
「あ、あ、ゆ、紫様、ああ、頭に、ああ、あ、あ、身体の、中、あ」
「弾幕結界!」
私の状態を一目見て、何かに取り憑かれていると踏んだのだろう。紫様は私もろとも相手を結界の中に封じ込めた。
私の周囲を無数の弾幕が隙間なく高速で旋回し、弾幕の繭を作り上げる。
(あら、あなた人間じゃないのね)
声が聞こえる。頭の中で。
こいつ、何だ、喋れるのか。
「藍!動けるの!?無事なら何か合図を出しなさい!」
(痛くない?今、気持ち良くしてあげるね)
よせ離れろ、そう言う暇もなく。
一瞬の違和感の後、かつて経験した事のない強烈な快感が全身を包みこんだ。
ブワァッと多幸感が全身に広がったと同時にそれが身体の芯に集まっていき、ゾクゾクゾクっと背骨に電気が走ったかと思うと、快感が頭に達して爆発した。
頭が真っ白になり、全身が浮き上がる様な錯覚を覚える。
「は!あああぁぁんッ!!!!」
思わず声まで出ていた。
(脳って凄いよね、痛み止めを自分で作れるんだから。私がたくさん作ってあげるから、これで幸せになりな?)
痛みはもともと意識できていなかったが、今や完全に感じる事がなくなった。
それどころか、身体を内側から優しく丹念に撫でられている様な気持ち良さを感じる。
私の心臓が脈打つ度に、身体を内側から甘く愛撫され、その度に快感が全身を駆け巡る。
それを数回味わっただけで、脳が快感の許容量に耐えられなくなり、意識が吹き飛んだ。
心臓は私の意思に関係なく、全身に血と快感を運び続ける。
「藍、あなた、無事なの!?変な声出てるけど!合図なのそれ!?」
(ふふ、気持ちいいでしょ、これからずっと、死ぬまでそのままにしてあげる。だからあなたの身体、私に使わせてね)
ストロボの様に意識が点滅して、誰が何を言っているかわからない。
とてつもない重大な契約を迫られている気がする。
自分をしっかり持たないと持って行かれそうだという不安をかすかに感じる。
しかし、よく理解できない。
「…ッハウゥ!」
また意識が爆発した。
漠然とした不安なんかに構っていられる余裕がない。
開けっ放しの口からは唾液が、弛緩と緊張を繰り返す下半身からはあらゆる体液が漏れ出すが、それどころではない。
何でもいい。
もう何でもいい。
もう無理!
馬鹿になりそう!
(いいね?お姉さん、もう私に任せて?大丈夫、大事に使うから)
抵抗、しなければ…。
抵抗…。
私は何とか意識を繋ごうと全身の快感に抗ってみるが。
「…グッ!」
息を殺して脈打つ快楽に耐える。
ゾワ、ゾワゾワ、ゾワゾワゾワ。
紫様が弾幕結界の外側から私に声をかける。
「わかった、藍、あなた身体の制御が効かないのね。敵は憑依するタイプの妖怪かしら。わざわざ傷をつけたって事はそこから侵入するのかな。頭の傷から脳に侵入して、身体の傷は手足それぞれの神経系を制御するのかしら。脳から間接的に手足を動かすんじゃなくて、直接手足に接続するってことは、制御に妖怪自身の脳を使っているのね。脳があって、しかも接続するための複数の回路を持つ姿。私、そんな妖怪知ってるわ。藍、あなたさっき、身体に絡み付いた何かを取ろうとしてたでしょ。そいつはタコみたいな形してんじゃない?」
紫様、分かってくれた!
その喜びが私の意識に小さな穴を開けた。
背骨にピリリ、と電気が走る。そのわずかな刺激で、限界まで引き絞られていた私の忍耐は決壊した。
蓄積された快感は、それまでとは比べものにならない位の大きな波で私を押し流す。
ズバーンと目の前が真っ白になる。
「〜〜〜〜ッッッ!!!!!」
快楽の大波は一度で終わらず、波状的に何度も私に襲いかかった。
意識をさらう甘い津波は私をもみくちゃにかき回し、あまりにも圧倒的な強さで私を抱いた。
「…も、もうムリ!もう、もうダメェェェッ!!!ゆ、ゆかりさまぁ!ゴメンナサイィィ〜〜〜ッ!!」
もう何も考える事ができない。
巨大な快楽の奔流に押し流されて、私は、私の意識を手放した。
「藍の中に入ってる奴。あなた何。名前は?なんで見えないの?どういう能力をお持ちなのかしら」
『ゆかりさま?私はもう大丈夫です。あいつはどっか行っちゃったみたいです。結界を解除して下さい』
「…騙されると思って?無駄よ。藍はね、失禁した時はもっと恥ずかしそうにするの。あなた、人間の事をよく知らないのね。最近産まれたんでしょう。」
『…』
「あら、やっぱり消えるのね。でも無駄よ。結界は解除しない。別にあなたを取って食おうなんて思ってる訳じゃないのよ。安心しなさい。私達はあなたに言いたいことがあって来たの。殺すつもりはないわ」
『ほんとう?私を殺さない?』
「本当よ。あなた殺したって美味しくもなさそうだし、どうしょうもないでしょう。ほら、姿を見せて」
『…分かった』
「あらあら、藍ったらすごい顔。血とヨダレと涙でビショビショじゃないの。ねえ、藍、この子の事だけど、大丈夫なんでしょうね?藍が死んでたら流石に殺すわよ?」
『生きてる。人間だったら死ぬんだけど、人間じゃないから生きてる。怪我が痛いかと思って、痛み止めを作っておいたから痛くないよ。気持ちいいと思うよ』
「ふうん、白目まで剥いちゃって。本当に気持ち良さそうな顔になっちゃってるわね。あなたこれ、ダメな量与えたでしょう。ダメよそんな事しちゃ。癖になるでしょう。あら、やっぱりあなた、さとりによく似た姿してんのねぇ」
『さとりお姉ちゃんの事知ってるの』
「あら、妹さんなの。お名前は」
『こいし。古明地こいし。お嬢ちゃんは?』
「お嬢ちゃんじゃないわよ。私は紫。八雲紫よ、よろしく。よいしょっと。本当の姿なんて有って無い様なもんだけどね。私の本当の姿はこれ」
『うわ、騙された!』
「こいしちゃん。あなた、覚(さとり)妖怪じゃないの?ていうかあなた、血色が悪いわね。真っ青じゃないの。大丈夫なの?」
『私ね、もう覚(さとり)妖怪じゃないよ。眼をね、潰しちゃったの』
「あら」
『うん、もう何も見たくないなーって思って』
「…」
『血色悪くなっちゃったのはそのせいかなー』
「何でそんな事したの?」
『心が読めて良い事なんて一つもなかったから。今まで生きてきて』
「…眼は、その、自分で潰したの?」
『うん、痛かったよ。でもね、もう何も気にしなくても良くなったからね、ずっと楽になったよ。痛いのは一度だけ』
「そうなの…。その代わり、何か力を得たんでしょう。あなた、気づいてる?見えなくなってるわよ、誰からも。システムからも見れないなんて、尋常な事じゃないわ」
『システム?よく分かんないけど、誰にも関わりたくないって思ってたら、誰も構ってくれなくなった。あはは』
「あのね、あなたが身につけたその力、はっきり言って手に負えないわ。この幻想郷では管理しきれない。さっきあなたを殺さないって言ったけど、嘘になってしまうかもしれない…」
『えー、うそー、じゃあこの人殺しちゃうよ?』
『ゆかりさま、おやめ下さい。お願いです、私を殺さないで』
『ほら、いいの?死にたくないってよ?』
「藍の口から聞かされるとゾッとするわね…」
『ゆかりさま、わかりました。覚悟を決めました。こいしと一緒に、冥界でお待ちしております。どうか、どうか御身体に気を付けて』
「やーめーろその悪趣味なモノマネを。とりあえず藍を離しなさい。できる?」
『できるけど、お話できなくなっちゃうよ。それと、そのままだと養分がもらえなくて私が死んじゃう。別な身体を用意してくれたら乗り移るよ』
「わかった。ちょっと待ってなさい」
「レミリアー、ちょっと、私が前預けた娘、返してもらえるかしら」
「うわ、いきなり現れるな!ビックリするだろ!咲夜ー!お客様ー!」
「ここに」
「紫が娘を返して欲しいんだって」
「はい。しばしお待ち下さい。…ここに」
「ちょっと、何この娘、妊娠してるじゃないの!」
「知らないのか?人間は年頃になると妊娠するんだよ」
「ちょ、ええ!?どんな管理してんのよアンタ達!まあいいや、この娘はあげるから、別の娘ちょうだい。小さな娘ね!」
「しばしお待ち下さい。…ここに」
「あら、可愛い娘じゃない。じゃあもらっていくから。その娘はあげるから大事にしてよね!」
「はいはい。大事にしてるよ。なぁ?」
「はい、お陰様で、大事にしてもらっております…」
「ほら。心配ご無用よ!」
「さて、あなたはこっちにいらっしゃい」
「は、はい!」
「毎度毎度、嵐の様に現れて去って行くなあいつは…」
「まことに」
「こいしー、来たわよー」
『あ、早い!へー、どこでも行き来できるんだ。あ、その娘だね!結界の中に入れられる?』
「わわ、うわぁ!」
『あ、ありがと。じゃーこの娘もらうね!』
「ヒィッ!な、何これ…や、ヤダ…うわぁっ!ブッ!ガッ!グエエエ!イギイイ!イイイイイイイッ!…………入れた入れた。ありがとう!」
「藍はもらうわよ。藍!…藍!今、治してあげるからね…」
私は意識を取り戻した。
身体がダルい。身体中が何やら血だの汗だのでベトベトになっていた。
変化が解かれ、生娘の姿からいつもの姿に戻っている。
背中に温もりを感じ、見上げると、紫様が私を後ろから抱きかかえて地面に座っていらした。
紫様の服が、私の血でベショベショに汚れている。
「紫…様…」
大きな安堵感。
先程まで果てしなく感じていた恍惚感がジワリと思い出され、屈辱と羞恥に心が荒れる。
「紫様、私、汚されてしまいました…」
「大丈夫よ藍。汚れたあなたも、凄く素敵よ」
それはなんかちょっと違うんじゃないだろうかと一瞬思ったが、とりあえず私と紫様は互いに抱き合って無事を喜び合った。
弾幕結界の中に幼い少女が閉じ込められていた。
胸には閉じた瞳の様な球体が寄生しており、少女の全身に血管の様な管を張り巡らせている。
名を古明地こいしと言うそうだ。
彼女は呪われた地底の妖怪、覚(さとり)の一族だったが、自らその能力を捨てた事で別のものになってしまったという。
流石は地底の妖怪だ。やっかいな奴らの集合体。
こいしの本体はその球体と血管の様な管であり、それを他の動物に突き刺して養分を乗っ取ったり身体のコントロールを横取りしたりする事で生きている。
最初、猟師を襲った時もこの触手を伸ばして襲ったそうだ。地面に触手を突き刺してLANを切ったのは完全に偶然だったらしい。
その主な生態は覚(さとり)妖怪と変わらないのだが、やっかいなのは新たに手にした能力だ。
こいしは他人の無意識を操る事で、触れずとも相手をコントロールする事ができる様になったという。
正確に言うと、こいしの存在を認識した者に自動的に暗示をかける能力だ。
私達も例外ではない。こいしはシステム上に確かに存在したのだが「何もいない」と思わされていたらしい。
まことにやっかい極まりない。
今は弾幕の結界に取り込まれ、抜け出すことができないからコミュニケーションが取れるが、離したら再びこいしを認識する事は出来ないだろう。
私達は彼女に、人間を取り過ぎない事、地面をむやみに傷つけない事、誰かをむやみに傷つけない事、何かを決める時は弾幕勝負で決着をつける事、それが幻想郷を維持する上でどうしても必要な事をコンコンと口が酸っぱくなる位に教え込み、別れた。
こいしは紫様の結界が無くなると、じゃあね、と言ってスッと姿を消してしまった。
八雲家に戻る前、私は思ったことを口にした。
「紫様、あいつ、殺しとかなくていいんですか?」
紫様は独り言の様に呟いた。
「幻想郷は全てを受け入れる。昔、そういうポリシーを決めたのよ。やれやれ。それはそれは、残酷な話だわ」
八雲家についてから、私は下半身が異常に濡れている事に気づき、ひどく恥じたが、紫様が忘れさせてくれた。
紫と藍のキャラがコミカルで読んでて楽しかったです
後、妖怪達のえげつなさがちょろちょろと描かれているの味が出ていました。
しかしちらっと出た紅魔館の様子といい、この幻想郷はどこか狂気を感じられてなおよし。
おっきしかけたお
展開も描写も良いですね。
最初の被害者や雛に寄生せず破壊したのが少し気になりました。無意識のせい?
現実とシステム交わり方にBLAME!とかNOiSEの雰囲気が漂ってて素敵。
あなたの作品は独特なキレがあってクセになります。
紫と藍のやりとりが、不具合対応中の先輩・後輩みたいで面白かったです!
DMZが博麗神社とは、なるほどなぁ。
こいしの設定がまんま「古明地こいしの○キ○キ大冒険」なのですが...
ぐしゃぐしゃになった藍様もエロ可愛い。
ここまでいったらもう東方じゃなくてもいいんじゃないかと思ってしまいました
好きです