最近のファッショントレンドなら「生活」を切り取るというただ退屈一途な作業にある。スタイルの潮流の観点から言えば生活は此岸にあり、彼岸にはその再構築があった。ヴァージル・アブローの名前を引き合いに出すまでもなく再構築はここのところ流行のデザインであり、それだけではなくすべての文化の最先端だ。そもそも再構築はルネサンス以前から常に文化の彼岸にあり、すでに完成したデザインをばらばらに分解したあとでつぎはぎにしてそこに新しい意味を与えるという試みは、デザイン、映画、絵画、小説といったように文化の種別を問わず常に行われてきた。あるいは再構築とは単なる文化的交雑進化の過程にすぎないと言ってしまえば事足りるのかもしれず、まあ、とにかく最近のファッションにおける再構築というトレンドはやがて商業主義的戦略に呑み込まれ、いつしかそれが正しくひとつのモードとして収まったというところで崩壊し、今では、切り取られた生活のその断片だけが残る。
スタイリストたちによれば、わたしのファッションは80年代の日本、いわゆるバブルの時代に対する悔悛じみたノスタルジーを喚起するというところに主眼がある。一方で、姉さんのスタイルは再構築だった。姉さんの着込んだ服のあちらこちらにかさぶたのように貼り当てられた督促状はもはや督促状の意味をなさず、単なる意匠としてそれを身に纏うものに反社会生活的なスタイルを提示するに留まる。督促状を服に貼り当てること自体が反督促状的な態度であることはもちろんで、それはつまり督促状を間に受けて恐れるような人間はちゃんとそれをファイルにしまっておくだろうということで、その意味で姉さんの服に貼り付けられた督促状は、姉さんの社会生活に対する態度がもたらしたその結果というよりも、単にそれを表明する手段にすぎなかった。真実、姉さんはその最盛期でさえ、びた一文たりとも借金を背負ったことはなかったのだ。身も蓋もないことを言ってしまえば、姉さんのスタイルは貧困層に対する求心と共感をターゲットにした戦略的な意匠であって、実際それは大きな成功を収めたのだ。姉さんは貧困層を中心に信仰を獲得することからはじめ、そして、そこからさらに、ある種の性質を持った人々へと広がっていった。もちろんわたしたちはスターになるために現在のスタイルを選択しそれを立派に演じ続けてきたわけだけど、結果として、わたしたち、あるいは姉さんが、やがて大きな信仰や人気を集めるに至ったということはひとつの想定外でもある。姉さんのスタイルを演じる態度には、何か普通ではないところ、わたしたちの誰も想像しなかった、神妙で微細な顕現性があった。姉さんのスタイルは反社会的生活だが、実際の姉さんの態度はそれよりも深く生命のこの世界に在ることの危機感に根付いている。姉さんの態度は明らかに生命に対して冒涜的であり、さらには誰よりもうまく生命を粗雑に扱っているように見せることができた。全盛期の姉さんの儚さと言ったら、どうやって言葉にできるだろうか。姉さんはいつだって吹けばそのまま塵になって消えてしまいそうだった。それは姉さんの置かれた経済状況や貧乏神というスタイルのせいではない。全盛期の姉さんはすでに大きな信仰を集めており、経済的状況を言うなら、安定と充足の境地にあったわけだけれど、それでも姉さんはどこまでいっても小さな炎だった。もちろん、姉さんのような態度自体はさして目新しいものでもない。そのような態度はすでにあらゆる文化を通じて語られ尽くしている。たとえば反社会的組織で常に命を秤にかけながら生きることを選んだ人々や過酷な戦場でしか生を見出すことができない兵士たちについて語った映画や小説がどれくらいあるだろうか。でも、それは特定の状況下でのみ許される態度である。わたしたちは映画で戦場の狂気を覗き込み、帰りにレストランでパスタでも食べながら語らううちに、それを忘れてしまう。当然、姉さんにも極限的な貧困状態という特定された状況があった。たしかに姉さんが貧乏神ということはどこまでいっても姉さんのスタイルとして姉さんのそばにはあったけれど、それでも姉さんの喋り方、声、仕草、姿勢、身体を動かすこと、どれをとっても非凡なところがあって、姉さんは少し腕をあげて髪をかきあげるその動きだけで、生命を、その炎のひとひらを、今にも消えてしまいそうに見せかけることができたのだ。たとえば、姉さんについて語った神話的な物語はいくつもあり、そのなかには姉さんが満たされるようなものだってある。これはわたしたちがわたしたちのスタイルを知らしめるためによく用いた手法のひとつにすぎないが、わたしは疫病神として男たちなんかから金品を巻き上げては使い尽くしているといういわば設定で、おなじく貧乏神を演じなければならなかった姉さんにわたしはときどき豪勢な食事を御馳走した。わたしはがつがつと飯を平らげる姉さんの姿を見て、その哀れな姿に同情心とひとつの自己批判的な気持ちを抱くのだ。いわばその醜い暴食は姉さんにとっては特別ないっときのものに過ぎないのに対して、かえってわたしのスタイルを参照した際には標準的な姿なのであり、わたしら姉さんの暴食を通じて自己批判を行うのだといったような、まあ要するに、やっぱりわたしのスタイルはどこまでいっても後先顧みず贅沢を貪った時代への悔悛的なノスタルジーなわけで、そういうわけで、なんだかむしゃくしゃしてしまい姉さんに意味もなくあたりちらすといったようなお話なのだけれど、しかし、実際のところ、姉さんはその暴食の加減によって、哀れみよりも、むしろ儚さを表現してしまっていた。姉さんは食事をするときは必ず、まるでそれが最後の晩餐なのではないか、というふう態度でご飯を食べる。がつがつと犬のように飯を平らげる姿が、どうして最後の晩餐の光景になり得るのか、それをうまく説明することは難しい。結局のところ、姉さんはそう見せることができた、というだけのことにすぎない。そして、それは姉さんの優れた才能であり、わたしには当然なかったものだ。姉さんはたとえ贅沢の限りを尽くしていてもいつでもどこか死にかけていた。あるいは、そういうふうに見せることができた。姉さんは生活すらままならずどこにもいけないというところからはじめて、やがてその罪深い態度によって、ある種の富むものたちにも同じことを思いこませることに成功した。わたしたちはこんなにも満たされているがどこにもいけないのだろう。姉さんはその絶頂期に空腹感は呪いみたいなものだよと言っていた。そもそもの姉さんのスタイルを踏襲するなら、それは単に貧困の悲しみに対するひとつの換言にすぎなかったけれど、そのときの姉さんの手によれば、わたしたちを空腹に至らせるもの、生命を維持しようとするその衝動、それすらも呪いに変えてしまうことができたのだ。そんなふうにして姉さんはスターになった。姉さんは督促状を纏ってある日突然幻想郷に現れて(実際にはその前に別の場所での失敗や下積みのようなものだってあるのだけれど)姉さんのスタイルはやがて世界中に知られるモードになる。
わたしなら、結局どこまでいっても、単なる局所的なノスタルジーにすぎない。そもそものわたしは姉さんの極性としてデザインされている。姉さんが貧困の悲しみをスタイルにするなら、わたしは栄華を極めたあとの憂鬱をスタイルにしているわけだけど、いまや富めるものたちの影でさえ姉さんのスタイルの範疇なのだ。わたしはすでに単なるノスタルジーだった。ひどく局所的な、暦なら夏の午後五時半の夕暮れ時にしか通用しないような。
だからやっぱりノスタルジーについて話そう。
ある暑い夏の日の夕暮れにわたしと姉さんは二人で線路を歩いている。
わたしたちはまだ出会ったばかりだ。その頃のわたしたちには余りあるほどの時間があり、目的の土地に向かって線路伝いにひたすら歩いて向かう余裕があった。その頃、わたしたちは八百万の神々の父なる神の手によって新しいProjectのために引き合わせられたのだった。それがどんな計画だったかはいちいち説明するまでもないだろう。神様たちがいつもやってる、信仰を失いつつある人々に対して、そもそもの神域という存在を知らしめるための、よくある計画のひとつだ。大抵の場合そうなのだけれど計画のほうが先にあり、それから手の空いている神様を適当にピックアップするという形になっていて、富める疫病神と貧しい貧乏神をセット売り出そうという計画が先にあり、そのあとでわたしたちが引き合わされた。つまり、その頃は、まだ姉さんは貧乏神でもなかったし、わたしは疫病神ではなかったのだ。姉さんの生まれは日本のあるひどく閉鎖的な小さな村で、わたしはロサンゼルスの日本人街だった。だから、もちろんわたしたちは本物の姉妹なんかじゃないということになる。わたしたちが姉妹であることは、布教に関する戦略のひとつにすぎない。そのときのわたしの格好と言えば、仕立てのいい白地の薄いTシャツにキャップを被り、アディダスの三本線のパンツにスタンスミスという当時流行りの没神論的なスタイルで、一方の姉さんはオールドな日本書紀リヴァイバルスタイルだった。姉さんの最初の印象は変なところでよく笑う女というものだった。自分のわかっていることは人もわかっているだろうと思っているのだろうか、とにかく自分勝手な自分にしかわからない話をする癖があった。なんだか気まぐれでマイペースで自分がペットとして愛されていることをよく知っている嫌な家猫のようだとわたしは考えていた。わたしたちは歩き疲れて休息をとることにし姉さんは線路の上にわたしは少し離れたところで腰を下ろしていると、突然姉さんが、猫、と言う。
「猫」
「ねこ? ねこがいたの?」
「猫はいるよ。たくさんね。そして猫が好きな女の子がいる」
「いや、いないじゃん……。え、あんたってなんか見えちゃう系の神様? わたしそういうの苦手なのよね。怖がりじゃないわよ、言っとくけど。そういう神様けっこういるけどさ……。わりとうけはいいわよ。男は全員不思議ちゃんが好きだし、女はみんな心霊話が好きだもの。いいかしら、わたしは、あんたのその感じが嫌いなのよ」
「そうなの? それでね、猫が好きな女の子は大好きな猫に触れたら真っ赤になっちゃうんだよ」
「うぶなのね」
「ちがうよ。猫アレルギーなんだよ。猫に触れたら身体中がかぶれちゃうの」
「ふうん」
「でもその女の子は猫が好きだから猫を抱くんだよ。大好きな猫に触れると身体中がかぶれちゃうのに、かゆくてかゆくて痛くて苦しいのに、猫を抱くの」
「うん」
「ねえ」
「なに?」
「それって悲しいお話かな?」
わたしが応えずにいても姉さんは気にするふうもなく線路の上に横たわって鉄道の上に耳をくっつけてた。熱くないわけとわたしが聞くと、電車の音が聞こえるよって姉さんは言う。じゃあそんなとこにいたら危ないじゃんとわたしは言う。まだ遠いんだよほら貴方も聞いてみてよって首をぐるりと回した姉さんは逆さの顔でわたしを見つめていた。しぶしぶという感じを出してわたしは立ち上がり姉さんの横で鉄道の上に耳を寄せた。鈍く暖かった。ほら、聞こえるよね、かたかたかたかたって遠いところで呼ぶみたいにさ。でも、わたしには聞こえなかったのだ。そのまま仰向けになって空を見た。夕焼けだった。薄い雲があったし、変な鳥も飛んでいた。
「ねえ」
「なあに」
「別に悲しい話じゃないと思うわ」
「なにが?」
「猫」
「え、ねこがいたの? ふふ」
「あー猫はいるわ。そりゃもううざいくらいいるでしょ」
「それはもう言ったよ」
「ちがうわよ。いろんな猫がいるって話。たとえばさ、絵に書かれた猫とか想像の猫とかさ」
「うん」
「それなら触れるじゃない」
「まあ、そうだね」
「それなら悲しい話じゃない。どう?」
「うーん、どうかな……。あ、じゃあ、こうしようよ。男の子がいるの」
「はあ」
「で、男の子は足が悪いことにしよう。それでいつも部屋の窓から外を見てその絵を書いてるんだよ。ある日猫アレルギーの女の子を見つけるの。それでその子の絵を描くんだよ。絵の中でその子は猫を抱いている。少しもかゆくないし痛まない」
「あ、もうわかった、それでやがてその男と女がいい感じになってシーツの上で触れたら真っ赤になっちゃうんでしょう?」
「そういう話じゃないよ」
「そんでさあ、そんで、やっぱ子どもとかできちゃうわけ。一発で。しかもついてるときのパチンコみたいぽんぽん出んのよ。一撃で二人くらいかな、ふふ、四発で八人よ」
「人体ってそういうふうにできてないと思うけど」
「で、やっぱ、八人も子どもいると生活は困窮するわわ。貧困によって父親と母親の喧嘩は絶えないし、そんなところで育ったガキどもみんな悪ガキになる。非行よ非行全非行。八人オール非行。父親は現実から逃げ出すために酒浸りになるし母親はストレスと過食でぶっくぶくにでぶる。それって、悲しい話だと思う?」
「まあ、どうかな……。けっこうそうかも」
「でしょう」
「うん。」「でも、思ったんだけど、わたしたちって気が合いそうだよね?」
「まー、そう……、ちょっとはね」
あるいはホテル・アラバマの49階。
それは姉さん都内に所有するホテルの名前だった。今や姉さんは世界に31の高級ホテルのオーナーで、幻想郷にさえ同じのを3つ、建設計画なら韓国とシンガポールに1つずつ、とにかく姉さんには土地と不動産がある。わたしたちの絶頂期にはその信仰の集積の証として様々な贈り物を集めせしめたわけだけれど、姉さんの受け取るものといえば、ほとんどが土地や不動産に限っていた。それは単にスタイルの問題だよと姉さんは言ってた。つまり、わたしなら金品をいくらでも手に入れてはそのたびに失ったけれど、姉さんのスタイルは非所有、手に入れたものを失うことにではなくてそもそも持つことができないというところにあるので、豪勢な生活をするなんてことはもってのほかだったのだ。一方で土地の所有に関して人々はそれほどの関心を持たないらしい。土地は持っててもバレないし悪いこともない、と姉さんは笑ってた。当時の姉さんは古く朽ちかけの空き家に勝手に住み込んで暮らしたりあるいはホームレスとなり橋の下や駅前で生活を送ってはいたけれど、たとえばその駅から歩いて5分もしないところにある高層マンションをすでに所有していたのも事実である。信仰を集めればそれだけの様々なものを得ることができるわけだけれど、それはいわゆる信者からの貢物というだけではなく、むしろ現代においては得るところに占めるその割合は実は少なくて、たとえば八百万の神々の父なる神から布教力に応じて与えられる報奨金だったり、ある種のインフルエンサーとしてTVや雑誌に出演することで得られるギャランティーのほうがずっと大きい。姉さんは自らのスタイルを通貫するために、手に入れた金銭や物品をすべて土地と不動産の契約書に変えることで見えにくくした。やがて姉さんのスタイルが広く伝播してひとつのモードになったあとで(それはつまり姉さん自体がさして目新しくはなくなり熱狂的なうねりも収まったあとでっていうことだけど)姉さんは本格的に不動産運用をはじめて、今では手にとってなお余りあるほどの財を所有する。そもそもはじめの時点でここまで姉さんが予期して計画していたのか、わたしは知らない。たぶんそうなんじゃないだろうかとは、なんとなく思う。姉さんのあの演技性は単に天性の素質だけれど、それ以外のわたしたちに関する細かいことについても姉さんが決定したことは多かった。たとえば、わたしたちの名前やあるいは身長差を設定したのは姉さんだった。わたしは単にその貧富の差からそのままわたしのほうが身長が高いものだと考えていたけれど、姉さんの考えはちがっていた。背が高いほうが痩せぎすなのが生えるし、それに時代性の問題もあると姉さんは言う。ほら女苑の造形は20世紀の日本のイメージでしょ。一方で、この国において、貧困はむしろ現代的な問題だよ。そしてこの国の平均身長は増えているもの。といったように。姉さんはあの特別な演技力を抜きにしても神様としてスタイルをデザインし売り出す才能があったように思える。だから、そんな姉さんが、神様として成功したそのあとのことをその時点で想像してもおかしくはない。
今では、姉さんは港区を一望できるその場所、ホテル・アラバマの49階で、週に二回パーティーをやる。真っ白のガウンを着込んで女の方を抱いて葉巻を吸っている姉さんはNetflixのオリジナルドラマからそっくりそのまま取り出してきたみたいに典型的だった。悪夢のようにだだっ広いリビングとひとつながりになったオープンキッチンには姉さんみたいなモードの女がいてフライパンでステーキをがしがしと危うい感じで焼いていた。向こうの寝室でベッドに身体を預けて項垂れる女も、ベランダにぺたんと座り込んだ女も、姉さんの腕の中の女も、どいつもこいつもやっぱり姉さんのスタイルで、わたしはなんだかめまいがするような気持ちだった。わたしは部屋の隅っこの方でワイングラスを傾けながらずいぶん居心地の悪い思いをしたものだ。顔を知ってる著名人や神様もいたが、彼らはなんだか社会生活における概念的な話をするばかりで、義務教育さえ終えてないわたしにはなにがなんだかさっぱりで、パーティーにはかわいい男の子だっていないわけじゃなかったけれど、そのときわたしがご執心だったのは、ときどきわたしのアパートのドアノブに長い手紙と花束をの入った袋をかけてくれたちょっと気味悪い感じの男の子だった。手紙はひと目通して捨ててしまい、花は花瓶差して飾ったけれど水をやらずにいつも枯らしてしまって……。あの子とは結局ちゃんとした話をすることもなかったしいつの間にか花束も届かなくなったけれど、今はどうしているのだろうか。それだってやっぱりノスタルジーに関することだ。
姉さんが今度は神殺しの槍で自分の胸を突き刺して自殺未遂をしたというので、連絡があり、新百合ヶ丘駅から小田急線に乗って乗り換え2回で40分、姉さんの部屋に行った。記憶の中の暗証番号で部屋の鍵を開けて中に入ると、広い部屋はパーティーの余韻だけを残したまま空っぽになっており、寝室に続く扉の向こうに姉さんだけがいた。姉さんは白いガウンを着込んでベッドの上に仰向けになって寝込んでいた。首だけ曲げてわたしを見つけて、かすかに笑う。
「あ、女苑……」
電車の中でずっと女苑に会ったら頬に重いのを一発か二発食らわせてやろうかとわたしは考えていたのに、いつもそうだが、姉さんの姿を見るとその気もなくしてしまって寝室の入り口に立ってため息をつき、首を振ることしかできなかった。それもやっぱり姉さんの才能、ひとひらの命を演じる態度の微妙さにある。姉さんはなんだか水辺に佇むようだった。まるで宇宙空間の奇蹟にように、あたり360度を球状に湖畔に囲まれているのだ。姉さんの指先のかすかな震えや首をもたげるとともに靡く髪やささやくように絞り出す声が、すべて、姉さんの周りにかすかな波紋をつーっと起こしていくようだった。そして、しばらくすると姉さんの身体とその延長にある波紋との境目が曖昧になってゆき、いつしか姉さん自身が湖にさっと触れた飛ぶ風鳥の足が起こした小さな漣のように思われるのだった。それはたったかすかな指先の震えによって広がり、その波が収まってしまったら湖には再び静寂が訪れて、姉さんはもうどこにはいないのだとそんな気持ちさえする。布団の中ですっかり小さく縮こまる姉さんの姿に、わたしは怒りを覚えることも憐れみを感じることもできなくて、いつでもただそのスタイルの完成度に魅入ってしまう。姉さんは呟くように言う。
「ねえ、女苑、なんだかずいぶん久しぶりの感じ。最近はどお?」
「そうねえ。まあ、どうかな……」
わたしは姉さんの寝ているベッドの端に腰掛けた。
姉さんが言う。
「大丈夫? 困ってない? 欲しいものがあったらなんでも言ってね」
「別にあんたの世話になるほど落ちぶれちゃないわよ」
「でも……。そうだ、遺書を書いたの」
「遺書?」
「うん。いろいろ書いてみたけど……、でもまあわたしが死んだら、わたしの財産とか信仰とかは全部女苑にあげるようになってるから心配しなくていいよ」
「そんなのいらないわよ。それに、ほら……、わたし手に入れても全部なくしちゃうって、そういう……そういう感じでやってるでしょわたし」
「うん。そうだね」
「この前だって、ある男に散々貢がせたあげく、金が尽きたら捨ててやったのよ。結局そいつは首を吊って死んじゃったけど……。わたしを所有できないと知ったときのあいつの表情ったら!」
「そのエピソードトーク、わたしが考えたやつだよね」
「ふふ、そうね。あんたには才能があるわ。大切にしなさいよ、あんたみたいになりたい神様いっぱいいると思うわ」
「女苑も?」
「わたしはいいかな。賢人は満ちを知るっていうでしょ。まあてきとーに暮らして好きな服とか買えればそれでいいのよ」
「女苑って昔からそうだもんね」
「そう、そう。豪勢な疫病神なんてわたしに向いてなかったのよ」
「そんなことないよ。わたしがこんなふうになれたのは女苑がいたからだし、それを言うなら、わたしだって……」
「うん」
部屋のなかは真っ暗で、ただ壁にかけられた巨大なTVのインチから投げかけれる点滅する光だけが、小さな姉さんの横たわるこの部屋の夜に、窓枠から差し込む月の明かりのようだった。月の模様は悲劇の断片だ。津波が町を飲み込んで人々を埃のように流したと思ったら、次の瞬間には巨大なビルが倒壊する。高速道路でトラックが倒れ軽自動車を巻き込み、次には家屋が燃え黒い人々が踊るところ、デモ集団には催涙弾がぶつけられ、銃を斜めに持った少年兵がはにかんでいる。辛気臭いからこれ消しさないとわたしが言っても姉さんはうんと肯くだけで、しかたないからリモコンを探すけど見つからないし、わざわざTVのところまで歩いていって裏側のスイッチを探していると、遠くで姉さんが言った。
「ねえ、アレクサ、テレビ消してよ……」
消灯。
「この子いつまでたっても学習しないんだ。姉さんはこんな感傷なんかとっくに乗り越えてるってことがわかんないの」
「べつに乗り越えるとかじゃ……ただ、どうかな。わたしって感じにくいのよ。不感症なの。全身がもうマグロでさ、ずっと前だけ向いて泳いでないと死んじゃうって感じ」
「ふふ、なにそれ。イミワカンナイ」
「うん。でも姉さんは十分よくやってると思うわ。この前だって、なんだっけ、なんかに一千万くらい募金してたよね。そういや、姉さん、先月、日本社会における女性問題について文芸誌に寄稿もしたでしょ、『足並みそろえて』ってやつ。読んだよ。傑作だったわ」
「あれ、ほんとは、親しくしてる作家の人に書いてもらったんだよ」
「ふうん、どうりでね……」
わたしは再び姉さんのところまで歩いていって、その手をとった。姉さんの腕はあの頃と変わらず、あるいはそれ以上に痩せていて、細くか弱い。そのまま上に滑らせて握れば、簡単に折れてしまいそうだった。
「ねえ、女苑」
「なに……」
「この国はどんどん悪くなってると思わない? なんだか嫌なムードだよね……。余裕ないっていうか。すごくひりひりするの。まるで雷の前の晴れみたいな感じで、肌にぺたぺたと張り付くんだよ、見えない気分が、黒い雲みたいに広がってさあ。きっと、取り返しがつかなくなっちゃうってわたし……」
「そんなんちがうわよ。別によくあることじゃない。こういう気分って昔もあったし、それでも別になんてことはなかったわ。気分はただ繰り返すのよ。そういうの人間が言うのはわかるわ。あいつらは100年も生きないから、気分が繰り返すことがわかんないの。歴史を知ってみたって、実際の気分を知れるわけじゃないんだし。姉さんはもう何百年も生きてるから、こんな気分いくらでも感じたことあるでしょ?」
「そうだね。きっと、わたし、いろんなこと忘れちゃうんだね。女苑は忘れないそのことを……」
「そりゃそうよ。だって、わたしのキャラクター性はノスタルジーでしょ、いわば純愛よ。自分が破産させた男の子のこといつも思い出して、ああ、あの子はとってもいい子だったのに、っていつも思い返してんのよ。姉さんはその日暮らし、とっかえひっかえよ」
「んー」
「だからね、姉さんはあんまり根詰めずに毎日を生きてりゃそれでいいのよ」
「そうだね」
「で、今回はどうしたわけ?」
わたしの問に姉さんは応えない。ただ、わたしの握った手を強く握り返し……。手持ち無沙汰に暗闇を眺めていると、姉さんのベッドの上には絵が飾ってあった。それは磔にされたキリストの絵だった。その横には月桂冠が壁に打たれた釘の上に掛けられてた。その視線に気づいた姉さんが言う。
「ねえ、女苑、言ったことあったっけ……。わたし、イエス様みたくなりたいの」
「うん。知ってるわ」
「わたしが死んだらみんなが幸せになるとかだったらいいな」
「うん」
「本を読んだよ。誰かが火山に飛び込んだら噴火がとまってみんなが救われるの」
「どうしてそうなるの?」
「忘れちゃったな……」
「ああ、そう。でもいまあんたが死んだってなんにもなりゃしないわよ」
「ねえ、女苑」
「んー」
「どうしてわたしはイエス様みたいになれないのかな」
「そうね。どうしてかしら。やっぱあんたが女だからじゃない? 女にはあんま髭が生えないでしょ。やっぱりあの髭が威厳っていうか、神々しいって感じだもんね……。でも、キリストはVOGUE誌の表紙とかは飾れないわね。あほくさいヒッピーみたく見えるもの」
「女苑、ねえ、じょおん……ねえ、わたし、女苑とセックスがしたいな。昔みたいにわたしのこと抱いてほしいんだ。女苑に触れられるととっても安心するの。なんだかすべてが大丈夫だって気がするんだよ。どうしてかな。たぶん女苑はやさしいんだね。爪を立てることも食むこともできない遠慮がちなその手つきが、好きなの……。女苑に好きになってもらえる男の子はいいよねえ。羨ましいなあ。ねえ、お願い、ちょっとくらい、いいでしょ?」
「いやよ」
「どうして? 女苑もわたしのこと愛想つきたの?」
「だって、わたしたち姉妹じゃない」
「うそつき」
姉さんは弱い力でわたしの手を引っ張ってベッドの上に倒そうとする。
さり気なく振り払い、そのままの勢いで吊るされた月桂冠をつかみ取り姉さんの頭の上に被せてあげる。
「あら、けっこう似合うじゃない」
「えへへ。ほんと? わたしキリスト様みたい?」
「うん、うん、そうよ」
「えへへへへへ」
「ああ、イエス様、わたくしに生の奇蹟を授けたまえ」
「だめです。わたしはこれから迷える仔羊たちを救うため生贄になるのです」
「あはは、生贄なんかないって」
でも生贄はある。
姉さんの生まれた村には生贄がある。
生贄は姉さんに捧げられるのだ。
もちろんそれは姉さんが望んだことはではない。姉さんの誕生の前から生贄はあり、生贄はキリストの磔のように美しい自己犠牲などでなはく、単に後ろめたい物事を多い隠すためのみに存在する。村の権力者に貢がれる少女、権力闘争のなかで殺されてしまう跡継ぎの少年や単に大人たちの起こした不慮の事故によって死んでしまった子どもたち、それらがすべてが隠されて神々に捧げられる生贄として処理されたうちに、いずれどこかで本物の生贄になる。姉さんの生まれた村には生贄がある。姉さんが生まれたのはある山奥の小さな村だった。村の集会所には老人たちがのさばり、大人たちと言えばセックスの他にすることがなく、そうして生まれたたくさんの子どもたちは集会所にあるたったひとつのファミリー・コンピューターを聖遺物のように崇め、四年に一度のイベントは生贄だった。村には映画がある。映画は月に一度村の外からやってくる。どんな映画がどのようにやってくるのか、村の誰も知らない。古典的名作も町で流行りの大作も巨匠の実験作もアニメーション映画もコメディもSFもジャンル問わずやってくるし、前後編の後だけがやってくることもあるし、単館でしかやらないような映画もポルノ映画でさえやってくる。村の人たちはいつも次にどんな映画がやってくるのかその話ばかりしている。やってきた映画を封切ることができるのは映写係の男で、彼は映画がやってくるとそれがどんな映画なのか集会所の老人たちに伝える。どれだけ映画の内容を興味深く伝えることができるのか、それが映写係の価値を決める。映写係の役職は四年一度、村のお祭りのときに選ばれる。神聖な篝火に最も長い間全身を触れていた者だけが映写係になることができる。映写係はこの村で最も尊敬を集める役職だ。若者たちはみんな映写係になりたがっている。男たちは勇んで炎に飛び込んでいく。そのせいで映写係の男は必ず全身の皮膚が爛れている。ときにはその顔貌さえはっきりしない者さえいる。でも、彼は映写係だ。どんな女だって彼と寝たがるし、子どもたちはみんな彼の話を聞きたがる。映写係が老人たちのその映画のあらすじを伝えると、やがてそれは村中に広がっていく。人々はかいつまんだあらすじからそれがどんな映画なんだろうと想像し、各々に自分の意見を語る。これはきっと傑作に違いない。昔おなじようなものを見たがひどいものだった。でも今回は単なる描写の連綿だけではなくもっと深く人間を問うているうように俺は思う。というふうに。やがて満月の日がくると、村の人たちは一人残らず集会所に集まり、映画を見る。それからその映画について語る。村の人たちは大人も子どももみな映画を見ることを愛している。そしてそれ以上に映画について喋ることを愛している。村の老人たちが尊敬を集めるのは彼らが多くの映画を知っているからだ。映画がやってこない間、人々は老人たちから昔やってきた映画についてのお話を聞く。映画は先祖から子孫へと代々語り継がれている。だからこの村の人たちは一生に見ることのできる映画の数以上にたくさんの映画を知っている。ジェームズ・キャメロンの映画には正確な描写がないと父親は訳知り顔で息子に語る。もちろん父親はジェームズ・キャメロンの映画など見たことがない。それを話に聞いただけだ。母親は娘に昔見た恋愛映画の筋書きを話して、こんな男を好きになってはいけないよ、と言う。だから娘はそんな男と恋に落ちる。人々は映画を語り、語られる映画のなかには誰かが勝手に作り出した偽物の映画がある。偽物の映画を語った者には痛みを伴う重い罰があり、そしてそれが本当に偽物の映画だったのかどうか、誰も知らない。姉さんのあの特別な演技性についてそれがどこから湧き出しているのかわたしにはわからないけれど、ひとつ想像するなら、それは姉さんが彼らと一緒に映画をすべてとして育ったからじゃないだろうか。姉さんも村の人たちと同じで映画をなによりも楽しみにし、さらには神様である姉さんは村の人たちのように誰かと語らうこともできないのだ、月にたった一度だけのそれを村の誰よりも食い入るように見つめて、頭の中に焼き付けて、次の一ヶ月の間におんなじ映画を頭のなかで何度も何度も繰り返し再現したはずだ。たとえば、女優のたったひと触れ、指先のその動きまで。だから、姉さんは、いつしかそれを自分のものとしてそれ以上に身につけることができたのかもしれない。この村で、生贄の対象として、いつか生まれた姉さんは。
そう、その村には、生贄がある。
そして、姉妹がいるのだった。
姉妹は間近に迫った生贄の対象だった。それは、たぶん、ある暑い夏の日の夕暮れで、二人は線路の上を二人で歩いている。明日には生贄を決める籤引きがある。二人は誰が生贄になるだろうか、そのことで頭がいっぱいで、口数も少なくどうしていいかわからない思いを抱えたままどこにもいけないと知りつつも線路を歩いてる。村のすぐそばには線路が通っている。村には決してとまることのない電車がその上をどこまでも通り過ぎていく。その意味で村の人たちにとって電車とは風に近い。村の人たちは電車がどこから来たのかもどこへ行くのかも知らない。子どもたちにとって電車は夢かあるいは悪夢のようなものだった。大人たちは子どもたちに電車の悪夢を語る。電車は悪い子を連れ去ってしまうのよ。電車のなかはあんたをおしおきで入れる蔵よりも狭く真っ暗で、そしてわかるでしょう、それはどこにもとまることはないの、永遠に進み続けあんたは永遠に暗闇の中にいなきゃいけないのよ、もしもあんたが本当に悪い子ならね。でも子どもたちはその無邪気で正しい想像力でやがて電車がどこかへ辿り着くだろうことを知っている。きっと電車は幸せな村に辿り着くのだろうと。そこには、うるさい母親もいないし、好きなものを好きなだけ食べられるし映画だっていつでもなんだって好きなものを見ることができる。だから二人は結局はどこへもいけないことを知りながらも線路の上を歩いてる。やがて歩き疲れ妹のほうが立ち止まり、もう帰ろうよと言う。姉の方はそれには応えず先に進んでいく。少し行って振り返ると妹はもうついてきてはおらず、向こうの線路の上に座り込んでいる。それでまた歩いて妹のところに戻る。立ちなさい、歩くんだよ。その手をとって言う。妹は首を振る。そんなところで立ち止まってたらやってきた電車に轢かれてしまうよ、と姉は言う。妹は首を振る。電車なんか来ないよ、それはただの夢だもん、電車なんてほんとはないんだよ。仕方ないので姉も一緒にそこに腰を下ろす。それから線路に耳をくっつけて、電車はあるよ、と言う。音が聞こえるでしょう、かたんたんって遠くから聞こえるの。妹も同じように線路に耳を寄せるけれど、それを聞くことができない。聞こえないよ、もういいの、きっとわたしは明日生贄になって死んじゃうんだ。姉は首を振る。大丈夫よ、もしわたしたちのどっちかが生贄になるなら、それはわたしだよ。どうして? だっていつも貧乏籤をひかされるのはわたしのほうでしょ、弟たちの子守をさせられるのもわたしだし収穫を手伝うのだってわたし、あんたはいつも見てるだけよ。それはお姉ちゃんがお姉ちゃんだからしょうがないじゃん、と妹は言う。姉は線路に寝転がり、空を見ている。厚い雲が夕暮れを覆いはじめている。雨が降るね、帰ろっか。どうしてわかるの? 覚えるの、忘れないんだよ、雨が降る前の空の色とかさあ、鳥の飛び方とか、風の匂いとか、全部ひとつ残らず覚えるんだよ、忘れない。どうして、そんなことするの? だって忘れたくないもの、全部さあ。二人は再び線路に沿って村まで戻りはじめる。やがて雨が降ってくる。次の日には生贄を選ぶ籤がある。妹が籤を引き、姉が籤を引く。全員が籤を引き終わるまで籤を見てはいけない決まりになっている。籤を交換しようと姉が言う。どうして、と妹が言う。わたしのが外れ籤だからね、と姉が言う。いやだ、と妹がいる。姉は見えないところで、無理やり妹の籤と自分の籤を交換してしまう。妹が泣き出したのを見て大人たちは妹が籤を見てしまったのだと思う。それが貧乏籤だったのだろうと。でも、生贄には姉のほうが選ばれる。聡明な姉は四年前の籤引きのことをよく覚えている。籤は毎回同じものを使う。だから生贄の籤には同じ傷がついていて姉はそれをちゃんと覚えている。まだたいした力のない神様だった姉さんはその様子をただ見ている。それに生贄のある村で育った姉さんは生贄を当たり前のことだと思う。そして、少しあとで姉さんは本当の姉さんになり、そしてやがてありもしない貧乏籤を引くためにホテル・アラバマの49階で自らの胸に刃物を突き立てるようになる。
それは悲しい話だろうか?
姉さんが海を見に行きたいと言うので、わたしは姉さんを車椅子に乗せて、ベランダから飛んだ。
姉さんは飛ぶことを不安がっていた。
「ね、ねえ、じょおん、じょおん。女苑ってまだ飛べるの?」
「飛べるわ」
「ほんとに?」
「そう……どうかな」
「最後に飛んだのっていつ?」
「もうだいぶ前ね、そう、何年も……」
「ね、じょおん、ねえ、いいよ、エレベーターで……わたし、ねえ、女苑!」
わたしは飛んだ。
ふわり、と落ちて、そのまま落ちて、夜の底へ、港区の夜の光のなかへ消えていき、そして吹き上げる風、姉さんのローブのはためくその音……煽られてわたしの帽子が天高く消えたあとで、急上昇して、雲の上にいた。
わたしは飛んでいた。
キリストの格好して姉さんの車椅子を押して、夜の空を滑るように、飛んでいた。
「飛んでる! 飛んでるわ! ほら、見て、姉さん、わたし、飛んでる!」
「ちがうよ! わたしが飛ばしたの。だって、いま、わたし力入れてるよ?」
「そうかしら? じゃあ、それ解いたっていいわ。わたし飛んでるもの!」
「だめ、だめだめだめだめだってば」
「どうして?」
「だめったらだめだよ。ちょうだめ」
「なんで?」
「だって落っこちちゃうもん!」
「いいじゃない、あんた、さっきまで死にたがってたのに」
「でも、姉さんが……」
「大丈夫、信じなさい。わたしは神だわ。いわばイエス・キリストよ」
「ちがう! イエス様はわたし!」
「じゃあ、わたしはイエス・キリストの妹ね」
「そんな、そんな、そんなって……」
「聖書にもあるわ」
「諸説あるから、しょせつぅ」
「いいじゃない全人類兄弟よ。イエス・キリストは信者たちを丘に集めて言いました、今日から姉妹になろうね!」
何を諦めたのか知らないけど、姉さんは急に神域を外すから、わたしたちは落ちていく。夜の底。わたしのもう細くなってしまった神域を集中して空力を生み出そうとすると、垂直に落ちるという事態からは免れて、なんとかまあ、夜を滑空する。それで、うまく埠頭に着地することができた。わたしたちは東京湾を眺めることのできる埠頭のそばのコンクリートに並んで座った。姉さんの車椅子の上、わたしは見上げるように姉さんの顔を見た。姉さんは海を見つめていた。端的に言えば東京湾は汚かった。湾沿には生活ゴミが発情期の公園の猫みたいににゃあにゃあと集まって溜まり、その隙間にはあぶくがびっしり犇めいていて、ヘドロとかもたくさんあった。遠いところは夜に黒いうねりにしか見えない。
「それで、どうなの?」
「え、なにが?」
「いや、海は」
「まあ、海だって感じだね」
「あんたって愛し甲斐ない人間よねえ。彼女に綺麗に包装されたプレゼントしてもらってどうだった?とか言われても、財布だったね、とか言うんでしょ」
「でも、嬉しいんだよ、ほんとだよ。今日も連れてきてくれてありがとね」
「まあ」
「わたし、海が好きなんだよね」
「なんで?」
「広いもん」
「それはあれ、広い海見てると自分の悩みとかちっぽけに思えてどうでもよくなるみたいなやつ?」
「そういうんじゃないよ。ほら、広いものっていいでしょ。大きいものとか、ぜんぶ、好きだな。得した気分になるよ」
「あんたの趣味悪い部屋とかねえ」
「趣味は悪くないよ」
「そう?」
「だって、広いじゃん」
「あんたってふつーに貧乏性だよね」
「そう?」
「そうよ」
「ちがうよ」
「そうだって」
「それはビジネスだもん」
「いや、そうよ」
「ちがうって」
「ちがくないわ」
「ちがうよ?」
「そうよ」
「ちがうってこと?」
「いや、もう、あー……。」「でもわたし潮風は好きになれそう」
「いいよね」
「まあ、どうかな……」
波打ち際に近いところを酔っ払った肌の浅黒い外国人の男が歩いてた。缶ビールを片手に持ってふらふらと歩いている。それから最後の一口をぐいと煽って、缶を海に投げ捨てた。
「あのインド人、ゴミを捨てたわ。わたしたちの東京湾を汚しやがって。戦争だよ。ガンジス川に火をつけてやる」
「あれはパキスタン人だよ」
「どうしてわかるわけ?」
「なんでだろうね。よく見るからかな……喋ることも多いし、だんだんわかるようになるよ」
「ふうん。わたしには肌の浅黒い人はみんなおんなじ顔に見えるわ」
「うん」
「最近、増えたよね」
「外国の人?」
「ガイジン」
たぶん、これからわたしたちはこの国でさらに混じり始めるんだろう。少なくともある程度までは。
20世紀までは共通語の夢があった。物心ついた頃にわたしたちが見始めた夢は拡大の夢、それは15世紀の半ばから急速に現実味を持って膨らんでその夢の広がりとともに版図を広げながら、植民地を征服し教化して言葉を伝播した。19世紀になり、拡大が行き着くところまで行ってしまい一応の収束を見ると今度はわたしたち統合の夢を見た。あの頃の人々はいつしかひとつの言葉が世界を覆うのだと信じていたように思う。それは二度の世界大戦が終わってもまだ続く。たとえば、当時の知識人の興味はもっぱらサイバネテクスにあった。サイバネテクスとは、工学と生物の間に共通のパターンを見出し、それを同じ理論によって統合しようとする試みだった。あの頃のわたしたちはこの世界の一見まったく異なるように見える様々なものたちの間に共通のパターンを見出すことができた。そしてその等しいパターンを重ね合わせることによってわたしたち自身を統一できるのではないかと考えていた。あの頃の人々が見ていた夢は巨大で複雑でひとかたまりの複合体の夢だ。企業はM&Aを繰り返しより巨大に多角的になっていったし、マルチデバイスという言葉が現れて、ファッションは装飾にあふれた全部乗せが流行だった。でもやっぱり、その夢は、その巨大な複合体は、泡のように膨らんでやがて弾けてしまったようにわたしには思う。結局のところ、見出した共通のパターンによって事物を重ねる合わせるということは、そうでない部分、その差異を強調することにほかならない。そして、わたしたちは差異によって再び分解した。もちろん、すべてが終わってしまったわけではなくて、今でもまったく別の形で再統合の試みは続けらているっていうこともできるんだろう。それでも、わたしが統合の夢が終わってしまったと信じるのは、単にわたしのスタイルがそうだったから、というだけのことだ。わたしは20世紀への悔恨からはじまりノスタルジーに留まろうとするそのひとつのスタイルを衣装として長い間、着込み続けてきたから、今ではたとえモードで全身を包み込んだとしても、まるで皮膚のようにそのスタイルはわたしの動きに完全に追従する。故郷のロサンゼルスではわたしが生まれたときでさえすでに共通語の夢は破れていた。人々は人種によって区画を別れて生活を送り、それは今でも変わらない。わたしたちはある程度までは統一し巨大化もしたが、そこまでだった。それは単に再撹拌にすぎなかったのかもしれない。撹拌以前、わたしたちはそれぞれの故郷の国旗を降っていたが、今度はNIKEのスウォッシュやSupremeの巨大なロゴやあるいは紅白や白黒のもとに集う。所属を示すことはファッションの重要な機能だ。そういえば、幻想郷では所属や種族で人を呼ぶ。小さな世界でほとんど完結しているあの場所はすでに拡大分解撹拌それぞれの臨界点に達している。幻想郷では普段着の概念があまり発達していない。人々の多くがそれぞれの所属や種族を示す服を着て過ごしている。わたしたちだってその場所からはじめることによって、いつでも同じ服を着続けることが許されるその場所で、自分たちのスタイルを手軽に確立することができたのだった。あるいは、生贄のある村で姉さんが生まれ、今なお自らを磔にしようとしているというのは、わたしたちが生まれや所属によって同定されてしまう証左じゃないだろうか。わたしのスタイルなら最初から満たされてすべての中から所属を選ぶことできるけど、貧困を纏った姉さんは、なにひとつ選ぶことができず、ありものならなんだって食べなくてはならなかったし、すべての隣人をとりあえず愛するところからはじめなくてはならなかった。その結果姉さんは多様な種類の人々からの信仰を得るわけだけれど、土地を広げること、より手に入れること、仲間たちをみな満たすこと、その拡張の夢は見ることができても、やっぱりそれを為すためには身を削って与えること以外の方法がわからないんだろう。
「そういえば、この前、あんたの生まれた町に行ってみたわ」
「どうして?」
「どうしてって……。単に暇だったからかな」
「どうだった?」
「姉さんの話とはずいぶんちがったな。電車でね、行ったのよ。町があったよ、よくある田舎町さ。それに霊園があった……。でかいやつ」
「わたしも女苑の故郷に行ってみたいな」
「行ったことあるじゃない」
「仕事で行っただけだもん。ゆっくりさ、女苑に案内とかしてもらって、ほら女苑の信仰の生まれの場所とか見に行きたいな。なんかそういうのあれば、わたしも拝むよ、女苑がまた飛べるようにね」
「余計なお世話よ」
「飛びたくなったらわたしに電話くれるから? りん、りん、りんって」
「まさか。そうだ、わたしの生まれってあんたの大好きなキリストよ」
「そうなの?」
「あるおじいさんがいるわけよ。そいつは日系人だけど生まれはアメリカよ。だから信仰は当然キリストね。頭から爪先まで全部キリスト。で、そいつは狂ってたのね、まあ年も年だし頭がボケちゃってたの。そいつの家にはキリスト像があった。そうね、ちょうど、500のペットボトル……よりはちょっとでかくて、700のペットボトルがあればそんくらいの大きさ」
「いや、それ、なに。なんでもありだよね」
「まあまあ。でも言いたい大きさはわかるでしょ。それで、その爺さんは頭がイカれちゃってたわけだから、そのキリスト像をブッダだと思いこむようになるの。あ。で、で、その爺さんはホモセクシャルなわけよ。もちろん信仰するキリスト様にそんな思いは抱かないけど、ブッダならいいでしょ。ほら、仏教ってなんかそっち系だしね……。それでそのキリスト像に穴を開けて、楽しむわけ。そしたらその精子がキリスト様の奇蹟でああだこうだなってキリスト像は懐妊し、わたしが生まれたの」
「いや、いろいろ言いたいことはあるけど、まずそれってほんとの話?」
「さあねえ」
「あ、思いついた! こういうのはどう。そのおじいさん、昔は結婚してたんだよ。セクシュアルならバイってわけでさ……。実は娘がいたの。でも離婚したときに娘は母親のほうにもってかれちゃって、それ以来二度とは会うことはなかった。女苑はその娘によく似てるの。本当は女苑はキリストの秘術とかイカれた性発散の産物なんかじゃなくて二度とは会えない娘を思う一途な気持ちから生まれたんだよ。こういうのってどうかな?」
「まあ……。けっこういいんじゃない」
「えへへ。でしょー」
「うん」
ときどき、巨大な成功と獲得によって姉さんは変わってしまったという人がいる。わたしはそうは思わない。そもそも姉さんの貧困は単なるスタイルだ。単に物質主義を問うなら、その絶頂期でさえ姉さんは完全に満たされていた。姉さんには生命に対する偏執的なほどの愛がある。それはたぶん姉さんが生贄のある村で生まれ育ったことに由来して、姉さんは今もそこに留まっている。姉さんのあの生命を水滴のように軽んじるような神妙な態度だって、かえって、失われる生命への拘泥からやってくるようにさえ思える。その意味で神様として強固な命を持つ姉さんは生まれついて使い切ることのできないものを与えられている。姉さんは貧困を知らない。たぶん、それが姉さんを苦しめるのだとわたしは思う。
姉さんの車椅子を押しながらわたしたちは湾沿を歩いた。きゃりきゃりきゃると車椅子のホイールがコンクリートに削られる音。横ざまに冷たくて尖った幾何学模様めいた潮風が吹いている。姉さんは気持ちよさそうにあくびをひとつ、かすかな鼻歌を口ずさんでいた。それはこんな歌だ。んーん、んー、ふーん、んーー、ん、ふーん。ん。マイナー調の……。そういえば、夜に、潮風が吹くことをわたしは知らなかった。
「んーん、んー、ふーん」
「ねー、姉さん?」
「んー?」
「さっきの話だけどさ……お爺さんが娘へのノスタルジーでわたしを生み出したっていうなら、その母親は彼と別れたあと列島に渡ってその小さな村で暮らしてやがてそこで姉さんが生まれたっていうのはどう?」
「全然だめだね。意味分かんないもん、結果ありきだよ、それ」
「ま、そうね」
んーんーんー。ふーん。ん。
わたしたちはあらゆる意味において姉妹ではない。わたしには姉さんの憂鬱はわからないし、それを知る必要さえない。
だからやっぱり、それは、ある暑い夏の日の午後五時半の夕暮れ。
姉さんは少女と二人で線路を歩いている。音が聞こえる。それはこんな、こんなふうに……んーん、んー、ふーん、んーー、少女は鼻歌を口ずさむ。わたしは彼女の顔も姿も知らないけれど、彼女のことはよく知っている。少女は昔誰かの姉さんのだった少女で、いまはもういない少女だ。彼女は死んでしまった。ということになっていた。少女は生贄だった。姉さんに捧げられるはずの。少女は生贄になるはずだった妹のかわりに籤を交換し、姉さんに捧げられる。でも、少女の自己献身は生贄のある村で育ちそれを受け入れた姉さんを変えてしまう。山奥の大きな木に縛られて繋がれた少女を姉さんは助け出し、二人で村を出る。少女と姉さんは村を止まることなく通り過ぎる線路に沿って歩きはじめる。閉鎖的な村で生まれた二人はそれがどこかに繋がっていることを知らない。ただ、幼さによってかろうじた支えられた想像力でそれを信じているだけである。姉さんは生まれて最初の神域で、彼女の空腹をなきものにする。その呪いを解いてあげる。それでも小さな少女が線路を歩いてあるかどうかも知れない町へと向かうのはなみたいていのことではない。やがて少女は足をとめ線路のそばに座り込む。姉さんもならって少女の隣に線路の上に腰を下ろす。膨らむ熱が二人を包み込む。少女は言う。ねえ、依神さま、このまま歩いてもきっとどこにもいけないとわたしは思うんです。いえかみさまを疑うわけではないんです。ただわたしもう疲れちゃって、きっとあるはずのその場所まで歩いてはいけないって思うんです。大丈夫だよ、と姉さんは言う。このまま線路に沿って歩き続ければいつかは辿り着くし、きっとそれはそんなに先の話じゃない。そこはとても素晴らしいところで、なんだって好きなものが食べられるし映画だって好きなものをいつでも見れる。もちろん、そんなことを姉さんが知っているわけもない。ただ、村の子どもたちが言うことを、そのまま繰り返しているだけだ。そのことは聡明な少女にだってわかってしまう。依神さま、これから雨が降ってきます。どうしてわかるの? わたし、覚えているんです、雨降る前の空模様とか空気の匂いとか、それで……きっと今度もそうだって……。わたしにはわからないよ、と姉さんは正直に言う。かみさまにもわからないことがあるんですねと少女は笑う。でも、そのことによって、気落ちしているわけではない。彼女の信仰は強固だし、それに妙な素直さと言うのはみんなが大好きな姉さんの素質だ。少女は姉さんのことをなんだか愛おしく思う。それは彼女が神様に対して抱くとは決して想像もしなかった気持ちである。少女は姉さんに言う。べつにたいしたことじゃないんですよ、ほんとは村のひとたちだっておんなじことをやってるんです、村のひとたちは映画が好きでいつも映画を楽しみにしているんです、だから映画がやってくるとそれを忘れないように大切見ます、映画のなかでだれかが喋る言葉やその場面を忘れないようにあとで映画のないときも思い出せるように忘れないようにちゃんと見るんです、ただそれとおなじことなんです、わたしは天気とか空気とか鳥とか動物たちとかお母さんや妹や村のひとたちのことが好きだから、みんなが言ったことやしたこと、その空気とかをあとで思い出せるように忘れないようにしてるんです、ただそれだけのことで……。やがて夕空を厚い雲が覆い、薄暗闇があたりを染めると、雨が降りはじめる。でも、少女は雨に濡れることはない。それは二人がはじめて目の当たりにした本物の奇蹟だ。雨は少女と姉さんを避けるようにその周りにだけ降っている。雨はカーテンのように二人を世界から覆い隠し、雨の向こうではすべてが溶け出して、山脈が木々が草原がひとつながりの色なりに見える。すごい、どうやってるんですか、と少女は聞く。わからないと困った顔で姉さんは言う。あははと少女は笑う。今のうちに少し休もうと姉さんは言う。雨の壁は二人の周囲から熱を奪い、暑い夏の夜から二人を遠ざける。姉さんは線路の上に横たわる。電車はまだやって来ないよと姉さんは言う。ほら、音が遠いもの。少女も姉さんの真似をしてそこに寝転がる。線路に耳を寄せて、わたしには聞こえないです、と少女は言う。姉さんは少女の髪にそっと手を差し入れて撫でつける。大丈夫、心配しなくていいよ、わたしが連れて行ってあげるから、守ってあげるから。そのやり方さえ本当は知らないくせに姉さんはそんなことを言う。それでも二人はやがて町へと辿り着く。辿り着いた町で少女は暮らすようになる。苦労しながらも町での暮らし方を覚える。姉さんはわたしと引き合わされ偽物の姉妹になる。時が少し経って少女は大人になりもはや少女ではなくなって、姉さんは幻想郷で新しいスタイルを身につけはじめる。少女は愛することを覚えて、やがて契りを交わし、家族になる。村のひとたちがそうしたように彼女はたくさんの子どもたちをつくる。でも、この町においては子どもを多く育てることにはたくさんのお金がかかる。彼女は小さな団地で夫と六人の子どもの八人で暮らすようになる。姉さんは町に戻ってスターになる。子どもが増えて大きくなるにつれて彼女の生活は困窮する。彼女の夫は生活苦のなかに安酒を唯一の楽しみにし、深酒するまではどこかいらいらし、アルコールが回るとそのまま眠ってしまう。長男ははじめたばかりの仕事を辞めてしまい、次男はその大きい身体を持て余し、長女を小学校に送り出すと、部屋でうるさくする次女と三女保育園に送り届け、パートタイムの仕事にでかけ、夜には四女が夜泣きするのでまとも眠ることもできない。睡眠薬を四錠飲んでやっと眠る。もはや彼女は生活のすべてを記憶しようとはしない。それはむしろ忘れたい類いの物事であり、忘れようとしても忘れることのできないものだ。起こりうるすべての言葉や空気や仕草を子細に心に留めるなんてことは、日々の間延びした閉鎖的な退屈な村でしか通用しない神話のようなものである。パートタイムの仕事の細則事項、家計簿や娘の小学校の行いや、団地の規則、隣人の子どもたちのことや父親のこと、その他生活に関する細々したこと。町では覚えなければいけないことは無数にある。天気予報で明日の天気を知り、パートタイムの仕事の細則事項を頭に入れ、娘の弁当をつくり、八人分の洗濯と食事の用意をすれば、毎日一本の映画を見たとしても一ヶ月後にはそのほとんどは忘れている。その頃、ひとつの絶頂に達した姉さんは安易な同情心と親しみによって彼女に金銭的な援助をする。運命の悪戯という形で大金を彼女の家族に授ける。まず父親が金の半分を持って家を出る。彼女は大きなマンションを買ってそこに引っ越す。家政婦とベビーシッターを雇い入れ、子どもたちの世話をさせる。それでもまだ金は余りある。でも、村で生まれ、貧困のなかで暮らした彼女には、そんな大金の使い方はわからない。欲しいと思ったこともなかったブランドの服やバッグを買う。TVショッピングの健康器具を買う。必要のない家具を増やす。やがて彼女もマンションの大きな部屋に家政婦と子どもたちと余りあるお金の半分を残したまま、家を出て、二度とは帰らない。
それって悲しい話だろうか?
どうやら風邪を引いたみたいだった。
熱風邪の兆しは、その帰り道、姉さんの車椅子を押して公道沿いまで歩き、呼んだタクシーを待っているときだった。突然、冷えるような心地がして、一度出たくしゃみがとまらなくなった。くしゅんくしゅんくしゅんと合いの手のように喋る間にくしゃみを出していたので、姉さんが心配そうな顔でわたしを見上げる。風邪? 治るわ、くしゅん。そりゃあね。くしゅん。しばらくしてやってきたタクシーの運転手は若い中国人の男で、姉さんを抱きてあげて後部座席に乗せるのを手伝ってくれた。車内で、姉さんは彼と話をしてた。わたしは姉さんの横で、にじみ出て下着に張り付く汗が、うざい。
「わたしはこの前の休暇で故郷に帰って、洛楼天見に行ったんですよ」
「へー。どうだった?」
「驚くはなかったですね。写真を見たものと同じのでした」
「ふうん。わたしも一度は見に行きたいって思うんだよね」
洛楼天は間違えなく現代の建築美術の最先端だろう。現代美術が往々にしてそうであるように、その塔もやはり批判性に富んでいる。それは、見た目にはいわゆる中華風の絢爛な塔なのだけれど、なんて言ったらいいか、その存在を認識することが、反共的なのだった。そのデザインに反共的なモチーフを見い出せるというわけでもないし、批評性に満ちた建築素材や技術を用いているというわけでもなくて、ただそれを全体として眺めることそれ行為自体が反共的であるっていう、そういう形をしていると言えばいいんだろうか……。だから中国共産党はその建造物を批判することはないし、ましてや解体してしまうこともない。そもそも、彼らにとって、それは存在しないのだ。その場所は、単なる空白、何ひとつ存在しない場所だ。ある高名な建築家の言葉を借りれば、洛楼天の達成はその政治的批評性にではなくて空白な土地を作り出すことにある。この世界に、なにもないが存在するところが、あるということ……。わたしは汗がとまらない。身体が火照っている。どうして風邪なんて引いてしまったんだろう。わたしは悪夢を見る。夢の中ではタクシーの車内で姉さんが中国人の男と喋っていた。
「洛楼天を登ることは空を飛ぶことです」
「空を飛ぶ?」
「それはわたしたちに透明なので、洛楼天を登ることは空を飛ぶことです」
「ふうん……」
次の夢の中でわたしは洛楼天の最上階にいる。そこには観光客が立ち入ることのできない精緻な意匠を施された扉がある。その扉を開くと、姉さんがいた。屈強な男が二人、姉さんのそばに立っている。姉さんは繋がれて……。彼らはその場所には存在しない誰かに向かって語りかける。現実の論理を破って、その外側に、こちら側に。こんなことを。この女には莫大な借金がある、お前はこの女の保証人になっているから、それを肩代わりしなければならない、そうでなければこの女はもっと酷い目に遭うことになるだろう。男のひとりが姉さんの腹に蹴りを食らわせる。それは幻想郷にまだわたしたちが住んでいた頃の話。わたしには手紙が届く。そこにはその光景が子細をもって記述されている。それは誰かの手によってデザインされ複雑な手続きを得て顕現させられた偽物の光景だ。実際のところ、姉さんはすでに彼らを満たすだけの金銭を払うことができるし、そうでなくても八百万の神々の母なる神に与えられた神域によって守られている。それでも、わたしは自分自身に与えられたスタイルをまっとうするために、姉さんのところへ駆けつける。巨大な宝石のついた指輪を全部の指に嵌めた拳を握って男たちに一発ずつ食らわせて伸す。それから指輪を外して床に投げ好きなだけ持っていけばいいと言う。どうして、って姉さんは言う。どうして女苑がそんなことをするの。だって、あんたはわたしの姉さんじゃない。姉さんはわたしを見つめている。炎の消えゆく最後の秒を切りとった明るい瞳で。それはいったいどういう意図の視線だったんだろう。わたしは見つめ返し、それから姉さんの纏ったボロ衣に視線を移すと、そこに貼り付けられた督促状はよく見ればそのディティールにおいて無数の省略が見て取れる。横で倒れている男たちのやさしげな顔には現状に通じる歴史がない。彼らは今までに人を痛めつけたりなどしたことがないんだろう。わたしは笑ってしまう。笑いがとまらなくなる。笑いすぎて、泣いてしまう。わたしは劣悪を嫌悪する。安っぽい芝居じみたわたしたちのスタイルや物語とか、高価なわりにすぐに駄目になってしまう生地の服とか……。洗濯機に放り込むことのできないその服をわたしは憎む。姉さんの声……。ねえ、最近はどう? 最近の調子はどお……。そういえば、変に嫉妬とかされてもめんどうだから姉さんにはずっと秘密にしているけれど、わたしはキリストに会ったことがある。韓国の夜のことだった。キリストは明洞の夜市でBALENCIAGAのフェイク・シューズを売っていた。明洞は冷たい光と暖たい光の奇妙に同居する街だ。屋台や夜市のオレンジ色の光、あるいは新世界百貨店から地に向かって捧げられる冷光の……。身体が火照っている。怠い気持ちがする。全身が重くなっていくような心持ちがする。わたしは、わたしの胃の下にあるらしい重力の底に向かって落ちていく。変形する。わたしは頭痛を知らない。わたしは頭痛することがほとんどないのだ。40度の高熱にうなされる夜が、食当たりの朝が、月巡りが、やってきたとして、その身体兆候に苦しめられることはあっても、それは頭痛として現れない。それを知りたいと思うか? まあ、少しはね。キリストは自分が韓国の夜市でコピーを売っていることをこんなふうに説明する。それはスタイルの問題なのです。そもそもわたしは遍いて広がるところからはじまりました。ずいぶん誤解もされたのですよ。偽物の教えが氾濫し、そのままコピーされただけの戒律がときおり人々を苦しめます。今ではもうそれをわたしにどうすることもできません。しかし、もちろん悪いことばかりではありません。たしかにそこには本物の救いもあることはあるのです。コピー・ブランドもそうじゃありませんか。拡大すること。あるひとつの理念が、多少粗悪なものがあるにしろ、誰にでも手に取れる形に翻案され広まっていくこと。わたしはわたしのスタイルを演じているのです。それからSupremeのスマホカバーをわたしは買うことにする。それは斜めになった例の巨大なロゴを背景にシンプソンズのバートがスケートボードに乗っているというデザインのものだ。それは完全なフェイクである。そもそもそのような商品は以前には存在しない。シンプソンズはフェイク・ブランドの通過儀礼のようなものでもある。多くのフェイク・ブランドの製作者たちは、どうしてだろうか、すぐにシンプソンズを引用する。その意味で、シンプソンズのバートは、偽物の世界でキリストのようなものだった。シンプソンズが好きなんだよねとわたしが言うと、わたしもそうですよとキリストは言う。
「わたしはこの世界を創り上げたときそこに様々な可能性を孕ませましたが、少なくともわたしが想定したもの、そのほとんどはすでにシンプソンズがそのアニメの中で実現しているのです」
「へえ、わたし知らなかったです。シンプソンズってアニメとかあるんだ……」
「いえ、そもそもの生まれを語るなら、シンプソンズはアニメにその来歴があるのです」
来歴、来歴。らーれき。そもそもの生まれを語るなんてなんだかすっごくキリストっぽいな、とわたしは嬉しく思う。シンプソンズがアニメーションだっていうことはやっぱりシンプソンズの原罪かなんかなの? わたしたちには来歴がある。わたしたちはどこかここではないところからやってきて、今のひとときここでこうして淀み、またどこかここではない場所に流れていく。それは7月の終わりの雨のようにわずかな熱を持ってしとしと降り注ぎ、あるいは岩肌の隙間からぷつぷつと湧き出して、流れ、やがて辿り着くその場所で境界を失う。それを泡沫とか言おうかな? やっぱ、いいや。来歴とは、まるでとげとげの尻尾。普段はそれがあることを意識さえしないのに、もちろんくるりと振り回してものを掴んで見せるなんてもってのほかでさ、それなのに、ときおり大殿筋の動きに追従して振れ周り、身体に刺さってそれを思い出す。それを追ってくるくると周り続ければ、いつまでも追いつくことはなく、そのまま回転運動になって朽ち果てる。それをノスタルジーって呼んでもいいよ。わたしは午後五時半の夕暮れ。姉さん、覚えてる? わたしたちはが幼い頃、ふたりで学校から帰ったでしょう。わたしたちは手を繋いでた。姉さんと手を繋いで帰るなんてわたしは恥ずかしくて友だちに見つかってあとで笑われないだろうかそんなことばかりが気がかりで、姉さんは何を思っていたのだろう。がっこうはどう? うん。あの子とは結局どうなったの? うん。わたしと帰るのがいやだ? うん。踏切待ち、夏草の匂い、赤い空、わたしたちの影を長くして、六時のチャイムが町に響いている。そのざらざらの音が、かんかんかんかんと甲高く喚き散らす踏切の警告音と混じり合って、音の海になる。海鳴りに。ねえ、姉さんはさあ………………。わたしの声は姉さんに聞こえない。姉さんは鼻歌を口ずさんでた。それはあの頃、わたしたちみんなが大好きだった流行歌だ。んーん、んー、ふーん、んーー、ん、ふーん。ん。全てのざわめきのひとつの中で、わたしはそれを今もよく覚えている。姉さんの歌う声を。もちろんそんなのは単なる嘘で、ほんとの話なら、わたしは7月の際に降る雨、姉さんは岩肌を滴る湧き水で、わたしたちはそれぞれ別のところから流れはじめ、そのどこかでこうして合流したけれど、ちょっとした岩際や中洲にぶつかるたびに二手別れになってはなんとなく戻り、そしていつか流れ着く場所はまったくちがうところなんだろう。すぐ隣で姉さんがまた喋っている。女苑もそう思うよね?ねえ、聞いてる?じょおんー、じょおん。ねえ、女苑! ああ、そうね、わたしも愛してるわ。姉さんが幻想郷で誰かわたしのよく知らない女たちとだるい夜を体液で濾して過ごしているとき、わたしは幻想郷の外れにある寺で暮らしていた。夢の中では、聖白蓮がこんなことを話していた。
「ここはいいところでしょう。この庭はこの土地に新しい信仰の拠点を設けることになった際わたしがデザインしたものなのです。もちろんわたしはその道の専門家ではないですが。でもけっこうよいものができたんじゃないかと思っています」
「ふうん。どうかな。わたしあんま侘び寂びとかわかんないかんね」
わたしたちは命蓮寺の中庭を一望できる縁側に座っていた。わたしは半ば望まない形で入信させられたこの寺の中を聖白蓮にちょうど案内されているところで、その最後に中庭を見せられたのだった。一望できるといっても、中庭は畳三条分程度の狭い庭で、白みがかった灰色の細かい砂敷の庭の上に丸石が、ぽつり、ぽつり、ぽつり……と八つ、わたしには無造作にしか見えないふうに配置されているだけだった。
「貴方をわたしたちの一員として歓迎しますよ。よろしくおねがいします」
「どうかな。わたしはなにやっても続かない質でさあ、今回もうまくやれない気がするよ」
「そうですか? それでは、短い間ですが、どうかよろしくおねがいします」
「そんなんでいいのかよ。わたしを更生させるんでしょ?」
「どうでしょう。そもそも貴方が更生されるべき神さまであるかどうかわたしにはわかりません」
「わかんないのかよ」
「ええ、どう思います?」
「それ、懺悔しろってこと?」
「いいえ。懺悔という文化をわたしたちは好ましいものとして捉えません」
「そうなのか?」
「なぜ、懺悔をするのだと思いますか?」
「そりゃあ、あれだろ、なんていうの、ほら、自分のやった悪いこと口に出せば、なんていうか、それを再確認するだろ。つまり、反省するんだ」
「そうでしょうか。わたしは悪い人間です、と言い続ければその人はたちまち悪い人間になってしまいます」
「ふうん、そういうものなのかしら」
「ええ。実はそういう本も書こうと思っているんです。『自己暗示で人は変わる。自分を変える12の言葉』っていう題目にしようかなって思うんですけど、どうでしょう?」
「それ、なんか、あんまり有り難みとかなさそうじゃん」
「そういえば、財布を盗む男の話があります」
「財布?」
「ある男がいて、その友人には財布を盗む癖があるんです。男は人づてにそれを知っているが、そのことについて何かを言うことはありません。なぜならその友人は彼から財布を盗むことはないからです」
「それで、最後は自分が盗まれちゃうんでしょう」
「いや、別にそういうわけではないのですよ」
「じゃあ?」
「結局ずっとその男は他人の財布を盗み続けるし、もうひとりの男は彼と友人で居続けるし、何ひとつ変わらず続いていくという話です」
「まじで? それ、どうゆう教訓?」
「わかりません」
「わからないわけ?」
「ええ。それがいったいどういうことなのか。ずっと考えてるのに未だにわからないんです」
「ふうん。」「でもなんだかおもしろいわね。禅問答とかそういう感じなのかな。昔の人はいろんな事を考える。暇だったんだよ」
「でも、これはわたしの考えた話なんですよ」
「はあ?」
「前に何となくこの話を思いついて、これってなんか教訓がありそうじゃないですか、だからいわゆる新作説話みたいにできるかなあと考えていたんですか」
「いや、それ順序逆じゃねえ? ふつー教訓があってそれを伝えるために物語があるでしょうが」
「そんなことはないですよ」
「あ、じゃあ、こーゆーのはどうよ? その男が財布を盗まれなかったのは、そいつが財布を持ってなかったからだ」
「というと?」
「つまり、貧困なら、奪われるものもないからたとえスリとだって仲良くなれる。生涯の親友でいられる。だから清貧でいましょうってさ、そういう話さ」
「ふむ。もしかして、それは貴方の姉のことを言ってるんですか」
「まあ……どうかな。でも、結局、今だけさ」
とにかくさ、わたしにはこんなにも姉思いの清い心があるんだから修行なんか必要ないでしょう。それはわかりません。またわからないって何もわからないんだなお前は、と毒づくと、聖白蓮はそうですねと笑う。でもわかることもあります。たとえば今日の夕飯には秋刀魚の塩焼きが出るでしょう。どうしてわかるわけ。足音が聞こえるんです、とことことこって床を跳ねるような音が……。足音? ええ、この寺では節制を重要な精神と考えて実践しているのですが、やっぱり食事に関してもそうで、おそらく貴方からすれば質素というようなものを食べていると思うのです、いわゆる精進料理ってやつですね、それには貴方にも慣れてもらわなければなりませんが。うん。でも、それはそれとして時々は多少は食事の楽しみを味わおうとそういうこともあって、まあ、息抜きというか精神の問題ならともかく実践にはそういうものも必要でしょう? うん。だから、たまに美味しさに重きをおいた献立の日もあって、たとえば今日の秋刀魚なんかはそうですね。うん。そういうときを寺のみんなは楽しみにしているんです、そういう日に厨房で秋刀魚を焼いてるのを誰かが知るとそれはたちまち広がってみんなは浮足だち、もちろんそんな喜びについてわざわざ語ったりはしないのですけど、それでも床を通じてここまで響いてくるその軽い弾むような足取りによって夕餉の秋刀魚の喜びがわかるんです。もちろん、わたしには同じ音が聞こえなかった。
「そうだ、この寺における食事について、ルールのひとつを貴方に教えておきましょう、この寺では位や行いによってではなくて単純にその体重によって食べることできるご飯の量を決定します。やはり体重の重い者はその身体を維持するためにその分たくさんの食べ物が必要でしょう」
「それっておかしくねえ?」
「なぜでしょう?」
「だって、それって、際限がないじゃんかよう。でぶがよりたくさん食べ物食うならそいつはどんどんでぶるし、痩せてるやつは痩せ続けるわ」
「それが物事の道理ですよ」
「わたしはそうは思わないね。っていうか節制の精神はどこ行ったのよ。お前んとこの変なルールのせいで、でぶのやつは、いつか丸々太って厚い脂肪に瞼を覆われて一寸先も見えなくなっちゃうわ」
「そうですね」
「そうですね、ってさ、なに」
「お星様って知ってますか、丸くて光る夜に空にたくさん現れるあれです」
「いや、星は知ってるわよ」
「あの星はそうしてぶくぶくと太って丸くなってしまった妖怪たちの成れの果てなのです」
「なにそれ、どういう話なの?」
「どうっていうかそういう話です」
「いや、やっぱ、なに? それも教訓みたいなこと? でもそれならあの庭の丸石になっちゃいました、とかのほうがいいんじゃねえ? 星になるだとかなんかブレるわ、なんかちょっとロマンチックだもの」
「ロマンチックのほうが素敵じゃないですか」
「素敵とか素敵じゃないとかじゃあないでしょうが」
「でも、本当の話なんですよ。この寺で暮らしたわたしの愛した妖怪たちは、いつかみんな星になっちゃったんです」
それって、悪い僧侶が怪しげな魔法で星に変えちゃったってそういう話でしょ、ってわたしが言うと、聖白蓮は笑っていた。夕方の命蓮寺の庭には彼女の笑い声がからんころんと響いている。どこかから漂ってくる秋刀魚の匂い。わたしは秋刀魚を食べたいなって思う。
再び姉さんの声。
「ついたよ、女苑?」
そして、ホテル・アラバマの冷光。
部屋に戻ると、声によって姉さんは明かりを灯した。間接照明のオレンジ色の淡く広がる光。わたしは半身を照らされて……。帰ったらすぐにシャワーを浴びたいと思っていたのに、どうにも怠くて、そのままベッドの上に倒れ込んだ。わたしは汗がとまらない。寝返りをうつ身体の動きにあわせて体所有する重力の焦点が移ろい、あっちへこっちへうねるような気持ち、まるで乗り物酔いの夢のようだった。車椅子を転がして姉さんが寝室から消えたと思ったら、濡らしたタオルを持って戻ってきた。それでわたしの身体を拭いて頭の上に載せてくれる。冷たい。姉さんは白いローブに、月桂冠。わたしは帽子を風に飛ばしてなくしてしまったのに、姉さんのくすんだ緑のそれがまだそこに残っているのは不思議なことだとわたしは思う。食欲はある……なにか食べるものを作るよって姉さんが言う。キリスト様ね、その献身と正確な医学の知識を奇蹟と偽って神さまを気取るの。えへへと姉さんは笑う。
「ねえ、女苑、大丈夫?」
「うん……」
「わたしが急にお外に連れ出しちゃったからかな。ごめんね」
「うん」
「女苑ってけっこう……昔からそうだよね、身体が弱いんだ。季節の変わり目にはいつも風邪をひいてたでしょ」
「そうだっけ」
「そうだよ。そのくせ弱ったときの女苑は妙に優しいんだよね。仕事とかも絶対休まなかったし、逆にわたしのこと心配したりして。そんなことより姉さんは大丈夫なのか、かと言っちゃってさー。まるで当てつけみたいにね」
「当てつけだったのよ、実際さ」
「いやな妹だ」
「まあ、そう……」
「やっぱり最近信仰とか集められてないからじゃない? 身体が弱ってるんだよ。今まではあんなに注目の神さまだったんだのが、急に冷えたんだもん、風邪もひくよ。また、人気になるよに、わたしがプロデュースしてあげよっか?」
「余計なお世話よ」
「でも作戦はいろいろあるんだよ。ふたりで、みんなを驚かすよなたくさんのアイデアが……」
「どうかな。そりゃ、あんたと二人とぶいぶい言わせてた頃は楽しかったけどさ、でもまあ、今では単にいい思い出ね。もう一度やりたいとは思わないな」
「そっか」
来歴、らーれき。来歴?
わたしたちは流れていく。遠いところでは雨が降っている。それが溜まり、やがて溢れて流れ出し、淀んだものを流れ押す。わたしは未だ留まり振り返って眺め続け、姉さんは流れる先を見つめているように思えるけれど、それだって、下から突き上げられ上から沈み渦巻く流れのひとつで、その回転の今ひとときを切り出してみたってだけのことに過ぎず、わたしたちはくるくる回る。わたしは午後五時半の夕暮れだけど、明日には六時、明後日には七時半、一昨日は正午だった。姉さん、今は何時だっけ? もう二時半だよ。眠いわ。吹き出す汗。脇から流れ、腕を伝いシーツの上に点を落とす。姉さんはわたしのシャツを脱がして、冷たいタオルでその汗を丁寧に拭う。それから下着を剥いで、新しいシャツをわたしに着せる。眠りなよ、すぐによくなるから。
「そんなされたら眠れないよ。べつにかまってくれなくていいわ。こんなんただの季節風邪よ」
「また、そういうのを言う」
「あ、そうだ、そうだ。そんなことより姉さんは大丈夫? 自殺をしちゃうなんてわたし心配だわ」
「ふふ。女苑の馬鹿」
「姉さんのことが心配でわたしは眠れないなあ」
「ばか、ばか、ばか。女苑のことをわたしが心配するのって変だとおもう?」
「どうかな」
「ねー女苑……。わたしさ、自分を失わせるその日にだってみんなが続いてたらって思うんだよ。わたしはここで終わるけどわたしはどこにも続かないけど、みんなが、わたしの傷つけちゃった人やもう二度と会うことない人やちょっとすれちがっただけの人たちや、友だちや知り合いのみんなが、みんな、今も健康で生きていたらなあって! そういうのってきっと恥ずべきことだよね。わたしがみんなのことを大好きなことは恥ずかしいことなんだよ。わたしは傲慢だよねイエス様気取りでさあ……。ねえ、女苑、奇蹟のやり方を、教えてあげよう! まずは夜に……そう、満月の夜がいいね。床に赤いペンキでサークルを描くの。それからスーパーマーケットで牛肉の切り落としのいちばん大きいパックとコーラと油とマッチ、サプリの亜鉛を買ってきて。それからまず燃えやすい紙、それから牛肉と錠剤を全部サークルの上に広げて油を染み込ませ……そうだ、明かりを、明かりを消してね……。そのあと火をつけるの。。呪文……なんだっていいし、好きな子の名前とか嫌いなやつのそれとか唱えてもいいよ。写真を一緒に燃やすのもありだね。とにかく火が高くなるまで燃やして、それからコーラをかけて、火を消して。そして、そのあとで、床を見下ろしてみてよ。それが、どうなってるか……。焦げた肉片とサプリメントが散乱し、床が焦げついて赤黒い炭酸の液体がまるで血のように貴方の足元に流れ出す……そしたらさ。そしたらね。そしたら、そしたら、そしたらさ、きっと、とっても、むなしいから!」
「ふふ、そお?」
「ねえ、女苑」
「なあに?」
「どうして、女苑はわたしのそばにいてくれるの?」
「だって家族じゃない。あんたはわたしのたった一人の姉さんよ」
「うそつき」
姉さんはわたしの手をとって握った。姉さんの手はとても小さくて、子どもみたいだった。20世紀までは夢があったのだ。それは共通語の夢だ。わたしは午後五時半の夕暮れ。すべてが破れて、落とした影を長くして足取り重く歩むその旅路の帰り道で、切り取られて降る「生活」の断片の……。ねえ、紫苑、わたしたちは姉妹なんだよ。わたしたちは生まれによって同定され暮らしによって固着して結局どこにもいけなかったけれど、ここにいる、それを守りたいと思う。幼い頃妹はいつでも姉の真似するでしょ、わたしたちは未だこんなにも幼くて、幼いままで、姉さんの小さなか細い腕……わたしはいつでも姉さんの極性、その反対をやっているけれどそれだってやっぱりひっくり返して姉さんの真似をしているっていうにすぎなくて、だから姉さんがそこでキリストごっこをしているならわたしは姉さんの妹ごっこをするし、姉さんが生命をすべて愛して生贄になりたがるならわたしは姉さんを磔に至らせる生命のことを憎む。この愛を、自己嫌悪する。わたしと姉さんは血脈だって繋がってなかったけれど、生まれも暮らしもちがったけれど、姉妹になれる。そうなりたいとわたしは思う。
「ほんと言うとさ、わたし、どっちかと言えば、妹が欲しかったの」
「うん」
「姉さんみたいにだめな姉じゃなくてね、生意気な妹よ」
「うん」
「器用でね、なんでもうまくやるの。二人目の子だからそんなふうに育つのよ」
「うん」
「たとえばわたしがしょうもないことで躓いてるときにやってきて、そういうの簡単に笑い飛ばしてくれるのよ。あーおねーちゃんはばかだねえ、ってさ」
「うん」
「でも、結局、わたしは妹になっちゃったでしょ。だからさ、せめてそんなふうになろうって思ってたの」
「うん」
「でも無理だったな」
「うん」
「姉さんは立派だわ。わたし姉さんのことばかだなんて言えないよ。姉さんがいてくれて嬉しいのよ。もうどうしようもないくらい愛してるんだから。死なないでよ……、ずっといて」
「どうかな、わたし……」
ここはひどく寒い。
わたしは震えている。
姉さんの手。
女苑、すごい汗……。
ねえさん、ねえさん……エア・コンディショナーを消してよ。
そんなの、ついてないよ?
でも、すごくつめたいの。はしっこのほうから、ふるえ、震えがとまらない。
ねえ、大丈夫だから、大丈夫だよ。すぐによくなるよ。
わたしは悪夢を見る。
悪夢の中で、姉さんは、キリストだった。
白いローブを羽織り月桂冠に照らされた姉さんは、その小さな手でわたしの手を包みこむように握りしめる。
まるで祈るように握っている。
そういう夢を。
でも、それだって、やっぱり、泡のように膨らんで弾けてしまうんだろう。
だからもうわたしは、どんな類の夢だって見ないよ。
姉さんの指、冷えゆく汗。
わたしたちは、ここで、凍りつく。
ある暑い夏の日の夕暮れに姉さんとわたしは二人で線路を歩いている。
その頃のわたしたちには、余りあるほどの時間があった。どこまで歩いていくことができた。そのときのわたしのスタイルは没神論的なスタンスミスで、姉さんは日本書紀からそっくりそのまま出てきたみたいに典型的だった。わたしは生まれてはじめて妹になったばかりだった。わたしたちには計画があったのだ。それは、いつものやつ、わたしたちが広がることに関するやつ……。わたしならいつもの通り乗り気じゃなかったけれど、姉さんはずいぶん気合が入ってた。姉さんにはいろんな作戦があった。道中ずっと姉さんはそのことについて喋っていた。そうだ、そうだった、わたしたちは、その原型は、この線路の上で生まれたのだった。姉さんはわたしたちに関するすべてにアイディアがあった。わたしたちの服装、意匠、喋り方、来歴について……。そもそも女苑に疫病神って似合わないとわたしはずっと思ってたんだよね。そう?適任だと思うけど、人の足を引っ張って生きんのは得意よ。そうかな、わたしはそうは思わないな、女苑ってむしろすごく優しいよ。へーまじで?そうなの? ほら、この前、昔好きだった男の子の話してくれたでしょ?普段あんま女苑言わない人なのにそのときはめっちゃ喋っててまだ好きみたいなこと言っててさ、それまでは女苑のことってね、秘密だよ、ほんとはね、ちょっと苦手だなあって思ってたんだけど、その話聞いたときにこの神さまってすごい女々しいな!って思って、なんだか、かわいいなって、それからはわたし女苑のこと大好きだよ。あんた本当はまだわたしのこと嫌いなんでしょ? えーなんで!なんで!だって、かわいかったんだよ。まじでむかつくなお前。なんでー。っていうかさ、昔の男のことずっと引きずるとかむしろ疫病神適任でしょ、ストーカーよ、ストーカー。あ、そうだね、ふふ女苑って疫病神じゃん。あんたってまじでさ……。わたしは、まあそう、とか、どうかな、とか、曖昧な肯きを返しながら、でも、姉さんの計画を聞くのは別に嫌じゃなかったのだ。姉さんにはたくさんの夢があった。わたしにはなくて、結局最後まで持たずに終わってしまったやつを……。そのうち歩き疲れて、わたしたちはその場で一休みすることにする。わたしは線路の上に横たわり空を見ていた。夕暮れの空には細い雲が煙のようにたなびいている。姉さんが言う。
「そんなとこで寝たら電車に轢かれちゃうよ」
「大丈夫。わたしは無敵なの」
「ふふ、女苑ってばか。じゃあ、わたしも線路で寝ようかな」
「うん。姉さんはそこで寝なさいよ」
「なんで? そんなにわたしのことが嫌?」
「だって、わたしより前の線路で寝てくれたら姉さんが先に轢かれるからそれで電車も止まってわたしは助かるじゃない」
「それ、ひどくない?」
「そうね、ひどいわ」
「ひどいことを言うのはやめよう!」
「まあ、そう……」
姉さんはわたしの隣に座る。
見上げると、夕空を背景に姉さんは笑っていた。
金星、いちばん星。
「ねえ、ねえ、女苑」
「なあに?」
「わたしたちこれから絶対すごくなるよ」
「そうかしら」
「そうだって。たくさん信仰を集めるし、もう超有名になって、イエス様みたくなってさあ、なんだって奇蹟を起こせるよ。そしたら女苑はなにしたい?」
「えー。わかんないわよ」
「なんでもいいんだよ、なんでもできるんだよ」
「じゃあ、星をほんとに星の形にするね。みんなが絵に描くぎざぎざのやつに」
「あのさ、これ、まじの話だからね」
「いや、ほんと特にないんだけど……。じゃあ服とかたくさん買いたいかなあ」
「女苑はおしゃれだもんねえ」
「姉さんは?」
「わたしは女苑が笑ってくれてたらそれでいいな」
「は? なにそれ? さいてー」
「さいてーなんかじゃないよ全然もう」
「てか、そんなにわたしのこと思ってくれるなら、やっぱ、そっちで寝なさいよ」
「なんで?」
「だって、そしたら姉さん轢かれて死んじゃうでしょ。わたし、きっと涙だって流しちゃうよ。こんなにも……、こんなにも、こんなにも、嬉しくって楽しくってさあ……」
「女苑のばか」
まだ何やら喋っている姉さんにわたしは背を向けて、目をつぶる。
線路の上に耳をくっつけてみて、電車の音が聞こえないかどうか、試してみる。
でも、やっぱり、わたしには聞こえない。
それは、ずっと聞こえない。
わたしはやってくる電車の音がわからないから、それがやってきても、きっと姉さんのことを守ることができないと思う。
姉さんがいつも聞いているその音を、わたしも聞きたいと思う。
でも、わたしには電車の音は聞こえない。
昔からずっと聞こえてはいない。
いつでもわたしはその場所で安心して眠ることができる。
ねえ、姉さんはそれって悲しい話だと思う?
スタイリストたちによれば、わたしのファッションは80年代の日本、いわゆるバブルの時代に対する悔悛じみたノスタルジーを喚起するというところに主眼がある。一方で、姉さんのスタイルは再構築だった。姉さんの着込んだ服のあちらこちらにかさぶたのように貼り当てられた督促状はもはや督促状の意味をなさず、単なる意匠としてそれを身に纏うものに反社会生活的なスタイルを提示するに留まる。督促状を服に貼り当てること自体が反督促状的な態度であることはもちろんで、それはつまり督促状を間に受けて恐れるような人間はちゃんとそれをファイルにしまっておくだろうということで、その意味で姉さんの服に貼り付けられた督促状は、姉さんの社会生活に対する態度がもたらしたその結果というよりも、単にそれを表明する手段にすぎなかった。真実、姉さんはその最盛期でさえ、びた一文たりとも借金を背負ったことはなかったのだ。身も蓋もないことを言ってしまえば、姉さんのスタイルは貧困層に対する求心と共感をターゲットにした戦略的な意匠であって、実際それは大きな成功を収めたのだ。姉さんは貧困層を中心に信仰を獲得することからはじめ、そして、そこからさらに、ある種の性質を持った人々へと広がっていった。もちろんわたしたちはスターになるために現在のスタイルを選択しそれを立派に演じ続けてきたわけだけど、結果として、わたしたち、あるいは姉さんが、やがて大きな信仰や人気を集めるに至ったということはひとつの想定外でもある。姉さんのスタイルを演じる態度には、何か普通ではないところ、わたしたちの誰も想像しなかった、神妙で微細な顕現性があった。姉さんのスタイルは反社会的生活だが、実際の姉さんの態度はそれよりも深く生命のこの世界に在ることの危機感に根付いている。姉さんの態度は明らかに生命に対して冒涜的であり、さらには誰よりもうまく生命を粗雑に扱っているように見せることができた。全盛期の姉さんの儚さと言ったら、どうやって言葉にできるだろうか。姉さんはいつだって吹けばそのまま塵になって消えてしまいそうだった。それは姉さんの置かれた経済状況や貧乏神というスタイルのせいではない。全盛期の姉さんはすでに大きな信仰を集めており、経済的状況を言うなら、安定と充足の境地にあったわけだけれど、それでも姉さんはどこまでいっても小さな炎だった。もちろん、姉さんのような態度自体はさして目新しいものでもない。そのような態度はすでにあらゆる文化を通じて語られ尽くしている。たとえば反社会的組織で常に命を秤にかけながら生きることを選んだ人々や過酷な戦場でしか生を見出すことができない兵士たちについて語った映画や小説がどれくらいあるだろうか。でも、それは特定の状況下でのみ許される態度である。わたしたちは映画で戦場の狂気を覗き込み、帰りにレストランでパスタでも食べながら語らううちに、それを忘れてしまう。当然、姉さんにも極限的な貧困状態という特定された状況があった。たしかに姉さんが貧乏神ということはどこまでいっても姉さんのスタイルとして姉さんのそばにはあったけれど、それでも姉さんの喋り方、声、仕草、姿勢、身体を動かすこと、どれをとっても非凡なところがあって、姉さんは少し腕をあげて髪をかきあげるその動きだけで、生命を、その炎のひとひらを、今にも消えてしまいそうに見せかけることができたのだ。たとえば、姉さんについて語った神話的な物語はいくつもあり、そのなかには姉さんが満たされるようなものだってある。これはわたしたちがわたしたちのスタイルを知らしめるためによく用いた手法のひとつにすぎないが、わたしは疫病神として男たちなんかから金品を巻き上げては使い尽くしているといういわば設定で、おなじく貧乏神を演じなければならなかった姉さんにわたしはときどき豪勢な食事を御馳走した。わたしはがつがつと飯を平らげる姉さんの姿を見て、その哀れな姿に同情心とひとつの自己批判的な気持ちを抱くのだ。いわばその醜い暴食は姉さんにとっては特別ないっときのものに過ぎないのに対して、かえってわたしのスタイルを参照した際には標準的な姿なのであり、わたしら姉さんの暴食を通じて自己批判を行うのだといったような、まあ要するに、やっぱりわたしのスタイルはどこまでいっても後先顧みず贅沢を貪った時代への悔悛的なノスタルジーなわけで、そういうわけで、なんだかむしゃくしゃしてしまい姉さんに意味もなくあたりちらすといったようなお話なのだけれど、しかし、実際のところ、姉さんはその暴食の加減によって、哀れみよりも、むしろ儚さを表現してしまっていた。姉さんは食事をするときは必ず、まるでそれが最後の晩餐なのではないか、というふう態度でご飯を食べる。がつがつと犬のように飯を平らげる姿が、どうして最後の晩餐の光景になり得るのか、それをうまく説明することは難しい。結局のところ、姉さんはそう見せることができた、というだけのことにすぎない。そして、それは姉さんの優れた才能であり、わたしには当然なかったものだ。姉さんはたとえ贅沢の限りを尽くしていてもいつでもどこか死にかけていた。あるいは、そういうふうに見せることができた。姉さんは生活すらままならずどこにもいけないというところからはじめて、やがてその罪深い態度によって、ある種の富むものたちにも同じことを思いこませることに成功した。わたしたちはこんなにも満たされているがどこにもいけないのだろう。姉さんはその絶頂期に空腹感は呪いみたいなものだよと言っていた。そもそもの姉さんのスタイルを踏襲するなら、それは単に貧困の悲しみに対するひとつの換言にすぎなかったけれど、そのときの姉さんの手によれば、わたしたちを空腹に至らせるもの、生命を維持しようとするその衝動、それすらも呪いに変えてしまうことができたのだ。そんなふうにして姉さんはスターになった。姉さんは督促状を纏ってある日突然幻想郷に現れて(実際にはその前に別の場所での失敗や下積みのようなものだってあるのだけれど)姉さんのスタイルはやがて世界中に知られるモードになる。
わたしなら、結局どこまでいっても、単なる局所的なノスタルジーにすぎない。そもそものわたしは姉さんの極性としてデザインされている。姉さんが貧困の悲しみをスタイルにするなら、わたしは栄華を極めたあとの憂鬱をスタイルにしているわけだけど、いまや富めるものたちの影でさえ姉さんのスタイルの範疇なのだ。わたしはすでに単なるノスタルジーだった。ひどく局所的な、暦なら夏の午後五時半の夕暮れ時にしか通用しないような。
だからやっぱりノスタルジーについて話そう。
ある暑い夏の日の夕暮れにわたしと姉さんは二人で線路を歩いている。
わたしたちはまだ出会ったばかりだ。その頃のわたしたちには余りあるほどの時間があり、目的の土地に向かって線路伝いにひたすら歩いて向かう余裕があった。その頃、わたしたちは八百万の神々の父なる神の手によって新しいProjectのために引き合わせられたのだった。それがどんな計画だったかはいちいち説明するまでもないだろう。神様たちがいつもやってる、信仰を失いつつある人々に対して、そもそもの神域という存在を知らしめるための、よくある計画のひとつだ。大抵の場合そうなのだけれど計画のほうが先にあり、それから手の空いている神様を適当にピックアップするという形になっていて、富める疫病神と貧しい貧乏神をセット売り出そうという計画が先にあり、そのあとでわたしたちが引き合わされた。つまり、その頃は、まだ姉さんは貧乏神でもなかったし、わたしは疫病神ではなかったのだ。姉さんの生まれは日本のあるひどく閉鎖的な小さな村で、わたしはロサンゼルスの日本人街だった。だから、もちろんわたしたちは本物の姉妹なんかじゃないということになる。わたしたちが姉妹であることは、布教に関する戦略のひとつにすぎない。そのときのわたしの格好と言えば、仕立てのいい白地の薄いTシャツにキャップを被り、アディダスの三本線のパンツにスタンスミスという当時流行りの没神論的なスタイルで、一方の姉さんはオールドな日本書紀リヴァイバルスタイルだった。姉さんの最初の印象は変なところでよく笑う女というものだった。自分のわかっていることは人もわかっているだろうと思っているのだろうか、とにかく自分勝手な自分にしかわからない話をする癖があった。なんだか気まぐれでマイペースで自分がペットとして愛されていることをよく知っている嫌な家猫のようだとわたしは考えていた。わたしたちは歩き疲れて休息をとることにし姉さんは線路の上にわたしは少し離れたところで腰を下ろしていると、突然姉さんが、猫、と言う。
「猫」
「ねこ? ねこがいたの?」
「猫はいるよ。たくさんね。そして猫が好きな女の子がいる」
「いや、いないじゃん……。え、あんたってなんか見えちゃう系の神様? わたしそういうの苦手なのよね。怖がりじゃないわよ、言っとくけど。そういう神様けっこういるけどさ……。わりとうけはいいわよ。男は全員不思議ちゃんが好きだし、女はみんな心霊話が好きだもの。いいかしら、わたしは、あんたのその感じが嫌いなのよ」
「そうなの? それでね、猫が好きな女の子は大好きな猫に触れたら真っ赤になっちゃうんだよ」
「うぶなのね」
「ちがうよ。猫アレルギーなんだよ。猫に触れたら身体中がかぶれちゃうの」
「ふうん」
「でもその女の子は猫が好きだから猫を抱くんだよ。大好きな猫に触れると身体中がかぶれちゃうのに、かゆくてかゆくて痛くて苦しいのに、猫を抱くの」
「うん」
「ねえ」
「なに?」
「それって悲しいお話かな?」
わたしが応えずにいても姉さんは気にするふうもなく線路の上に横たわって鉄道の上に耳をくっつけてた。熱くないわけとわたしが聞くと、電車の音が聞こえるよって姉さんは言う。じゃあそんなとこにいたら危ないじゃんとわたしは言う。まだ遠いんだよほら貴方も聞いてみてよって首をぐるりと回した姉さんは逆さの顔でわたしを見つめていた。しぶしぶという感じを出してわたしは立ち上がり姉さんの横で鉄道の上に耳を寄せた。鈍く暖かった。ほら、聞こえるよね、かたかたかたかたって遠いところで呼ぶみたいにさ。でも、わたしには聞こえなかったのだ。そのまま仰向けになって空を見た。夕焼けだった。薄い雲があったし、変な鳥も飛んでいた。
「ねえ」
「なあに」
「別に悲しい話じゃないと思うわ」
「なにが?」
「猫」
「え、ねこがいたの? ふふ」
「あー猫はいるわ。そりゃもううざいくらいいるでしょ」
「それはもう言ったよ」
「ちがうわよ。いろんな猫がいるって話。たとえばさ、絵に書かれた猫とか想像の猫とかさ」
「うん」
「それなら触れるじゃない」
「まあ、そうだね」
「それなら悲しい話じゃない。どう?」
「うーん、どうかな……。あ、じゃあ、こうしようよ。男の子がいるの」
「はあ」
「で、男の子は足が悪いことにしよう。それでいつも部屋の窓から外を見てその絵を書いてるんだよ。ある日猫アレルギーの女の子を見つけるの。それでその子の絵を描くんだよ。絵の中でその子は猫を抱いている。少しもかゆくないし痛まない」
「あ、もうわかった、それでやがてその男と女がいい感じになってシーツの上で触れたら真っ赤になっちゃうんでしょう?」
「そういう話じゃないよ」
「そんでさあ、そんで、やっぱ子どもとかできちゃうわけ。一発で。しかもついてるときのパチンコみたいぽんぽん出んのよ。一撃で二人くらいかな、ふふ、四発で八人よ」
「人体ってそういうふうにできてないと思うけど」
「で、やっぱ、八人も子どもいると生活は困窮するわわ。貧困によって父親と母親の喧嘩は絶えないし、そんなところで育ったガキどもみんな悪ガキになる。非行よ非行全非行。八人オール非行。父親は現実から逃げ出すために酒浸りになるし母親はストレスと過食でぶっくぶくにでぶる。それって、悲しい話だと思う?」
「まあ、どうかな……。けっこうそうかも」
「でしょう」
「うん。」「でも、思ったんだけど、わたしたちって気が合いそうだよね?」
「まー、そう……、ちょっとはね」
あるいはホテル・アラバマの49階。
それは姉さん都内に所有するホテルの名前だった。今や姉さんは世界に31の高級ホテルのオーナーで、幻想郷にさえ同じのを3つ、建設計画なら韓国とシンガポールに1つずつ、とにかく姉さんには土地と不動産がある。わたしたちの絶頂期にはその信仰の集積の証として様々な贈り物を集めせしめたわけだけれど、姉さんの受け取るものといえば、ほとんどが土地や不動産に限っていた。それは単にスタイルの問題だよと姉さんは言ってた。つまり、わたしなら金品をいくらでも手に入れてはそのたびに失ったけれど、姉さんのスタイルは非所有、手に入れたものを失うことにではなくてそもそも持つことができないというところにあるので、豪勢な生活をするなんてことはもってのほかだったのだ。一方で土地の所有に関して人々はそれほどの関心を持たないらしい。土地は持っててもバレないし悪いこともない、と姉さんは笑ってた。当時の姉さんは古く朽ちかけの空き家に勝手に住み込んで暮らしたりあるいはホームレスとなり橋の下や駅前で生活を送ってはいたけれど、たとえばその駅から歩いて5分もしないところにある高層マンションをすでに所有していたのも事実である。信仰を集めればそれだけの様々なものを得ることができるわけだけれど、それはいわゆる信者からの貢物というだけではなく、むしろ現代においては得るところに占めるその割合は実は少なくて、たとえば八百万の神々の父なる神から布教力に応じて与えられる報奨金だったり、ある種のインフルエンサーとしてTVや雑誌に出演することで得られるギャランティーのほうがずっと大きい。姉さんは自らのスタイルを通貫するために、手に入れた金銭や物品をすべて土地と不動産の契約書に変えることで見えにくくした。やがて姉さんのスタイルが広く伝播してひとつのモードになったあとで(それはつまり姉さん自体がさして目新しくはなくなり熱狂的なうねりも収まったあとでっていうことだけど)姉さんは本格的に不動産運用をはじめて、今では手にとってなお余りあるほどの財を所有する。そもそもはじめの時点でここまで姉さんが予期して計画していたのか、わたしは知らない。たぶんそうなんじゃないだろうかとは、なんとなく思う。姉さんのあの演技性は単に天性の素質だけれど、それ以外のわたしたちに関する細かいことについても姉さんが決定したことは多かった。たとえば、わたしたちの名前やあるいは身長差を設定したのは姉さんだった。わたしは単にその貧富の差からそのままわたしのほうが身長が高いものだと考えていたけれど、姉さんの考えはちがっていた。背が高いほうが痩せぎすなのが生えるし、それに時代性の問題もあると姉さんは言う。ほら女苑の造形は20世紀の日本のイメージでしょ。一方で、この国において、貧困はむしろ現代的な問題だよ。そしてこの国の平均身長は増えているもの。といったように。姉さんはあの特別な演技力を抜きにしても神様としてスタイルをデザインし売り出す才能があったように思える。だから、そんな姉さんが、神様として成功したそのあとのことをその時点で想像してもおかしくはない。
今では、姉さんは港区を一望できるその場所、ホテル・アラバマの49階で、週に二回パーティーをやる。真っ白のガウンを着込んで女の方を抱いて葉巻を吸っている姉さんはNetflixのオリジナルドラマからそっくりそのまま取り出してきたみたいに典型的だった。悪夢のようにだだっ広いリビングとひとつながりになったオープンキッチンには姉さんみたいなモードの女がいてフライパンでステーキをがしがしと危うい感じで焼いていた。向こうの寝室でベッドに身体を預けて項垂れる女も、ベランダにぺたんと座り込んだ女も、姉さんの腕の中の女も、どいつもこいつもやっぱり姉さんのスタイルで、わたしはなんだかめまいがするような気持ちだった。わたしは部屋の隅っこの方でワイングラスを傾けながらずいぶん居心地の悪い思いをしたものだ。顔を知ってる著名人や神様もいたが、彼らはなんだか社会生活における概念的な話をするばかりで、義務教育さえ終えてないわたしにはなにがなんだかさっぱりで、パーティーにはかわいい男の子だっていないわけじゃなかったけれど、そのときわたしがご執心だったのは、ときどきわたしのアパートのドアノブに長い手紙と花束をの入った袋をかけてくれたちょっと気味悪い感じの男の子だった。手紙はひと目通して捨ててしまい、花は花瓶差して飾ったけれど水をやらずにいつも枯らしてしまって……。あの子とは結局ちゃんとした話をすることもなかったしいつの間にか花束も届かなくなったけれど、今はどうしているのだろうか。それだってやっぱりノスタルジーに関することだ。
姉さんが今度は神殺しの槍で自分の胸を突き刺して自殺未遂をしたというので、連絡があり、新百合ヶ丘駅から小田急線に乗って乗り換え2回で40分、姉さんの部屋に行った。記憶の中の暗証番号で部屋の鍵を開けて中に入ると、広い部屋はパーティーの余韻だけを残したまま空っぽになっており、寝室に続く扉の向こうに姉さんだけがいた。姉さんは白いガウンを着込んでベッドの上に仰向けになって寝込んでいた。首だけ曲げてわたしを見つけて、かすかに笑う。
「あ、女苑……」
電車の中でずっと女苑に会ったら頬に重いのを一発か二発食らわせてやろうかとわたしは考えていたのに、いつもそうだが、姉さんの姿を見るとその気もなくしてしまって寝室の入り口に立ってため息をつき、首を振ることしかできなかった。それもやっぱり姉さんの才能、ひとひらの命を演じる態度の微妙さにある。姉さんはなんだか水辺に佇むようだった。まるで宇宙空間の奇蹟にように、あたり360度を球状に湖畔に囲まれているのだ。姉さんの指先のかすかな震えや首をもたげるとともに靡く髪やささやくように絞り出す声が、すべて、姉さんの周りにかすかな波紋をつーっと起こしていくようだった。そして、しばらくすると姉さんの身体とその延長にある波紋との境目が曖昧になってゆき、いつしか姉さん自身が湖にさっと触れた飛ぶ風鳥の足が起こした小さな漣のように思われるのだった。それはたったかすかな指先の震えによって広がり、その波が収まってしまったら湖には再び静寂が訪れて、姉さんはもうどこにはいないのだとそんな気持ちさえする。布団の中ですっかり小さく縮こまる姉さんの姿に、わたしは怒りを覚えることも憐れみを感じることもできなくて、いつでもただそのスタイルの完成度に魅入ってしまう。姉さんは呟くように言う。
「ねえ、女苑、なんだかずいぶん久しぶりの感じ。最近はどお?」
「そうねえ。まあ、どうかな……」
わたしは姉さんの寝ているベッドの端に腰掛けた。
姉さんが言う。
「大丈夫? 困ってない? 欲しいものがあったらなんでも言ってね」
「別にあんたの世話になるほど落ちぶれちゃないわよ」
「でも……。そうだ、遺書を書いたの」
「遺書?」
「うん。いろいろ書いてみたけど……、でもまあわたしが死んだら、わたしの財産とか信仰とかは全部女苑にあげるようになってるから心配しなくていいよ」
「そんなのいらないわよ。それに、ほら……、わたし手に入れても全部なくしちゃうって、そういう……そういう感じでやってるでしょわたし」
「うん。そうだね」
「この前だって、ある男に散々貢がせたあげく、金が尽きたら捨ててやったのよ。結局そいつは首を吊って死んじゃったけど……。わたしを所有できないと知ったときのあいつの表情ったら!」
「そのエピソードトーク、わたしが考えたやつだよね」
「ふふ、そうね。あんたには才能があるわ。大切にしなさいよ、あんたみたいになりたい神様いっぱいいると思うわ」
「女苑も?」
「わたしはいいかな。賢人は満ちを知るっていうでしょ。まあてきとーに暮らして好きな服とか買えればそれでいいのよ」
「女苑って昔からそうだもんね」
「そう、そう。豪勢な疫病神なんてわたしに向いてなかったのよ」
「そんなことないよ。わたしがこんなふうになれたのは女苑がいたからだし、それを言うなら、わたしだって……」
「うん」
部屋のなかは真っ暗で、ただ壁にかけられた巨大なTVのインチから投げかけれる点滅する光だけが、小さな姉さんの横たわるこの部屋の夜に、窓枠から差し込む月の明かりのようだった。月の模様は悲劇の断片だ。津波が町を飲み込んで人々を埃のように流したと思ったら、次の瞬間には巨大なビルが倒壊する。高速道路でトラックが倒れ軽自動車を巻き込み、次には家屋が燃え黒い人々が踊るところ、デモ集団には催涙弾がぶつけられ、銃を斜めに持った少年兵がはにかんでいる。辛気臭いからこれ消しさないとわたしが言っても姉さんはうんと肯くだけで、しかたないからリモコンを探すけど見つからないし、わざわざTVのところまで歩いていって裏側のスイッチを探していると、遠くで姉さんが言った。
「ねえ、アレクサ、テレビ消してよ……」
消灯。
「この子いつまでたっても学習しないんだ。姉さんはこんな感傷なんかとっくに乗り越えてるってことがわかんないの」
「べつに乗り越えるとかじゃ……ただ、どうかな。わたしって感じにくいのよ。不感症なの。全身がもうマグロでさ、ずっと前だけ向いて泳いでないと死んじゃうって感じ」
「ふふ、なにそれ。イミワカンナイ」
「うん。でも姉さんは十分よくやってると思うわ。この前だって、なんだっけ、なんかに一千万くらい募金してたよね。そういや、姉さん、先月、日本社会における女性問題について文芸誌に寄稿もしたでしょ、『足並みそろえて』ってやつ。読んだよ。傑作だったわ」
「あれ、ほんとは、親しくしてる作家の人に書いてもらったんだよ」
「ふうん、どうりでね……」
わたしは再び姉さんのところまで歩いていって、その手をとった。姉さんの腕はあの頃と変わらず、あるいはそれ以上に痩せていて、細くか弱い。そのまま上に滑らせて握れば、簡単に折れてしまいそうだった。
「ねえ、女苑」
「なに……」
「この国はどんどん悪くなってると思わない? なんだか嫌なムードだよね……。余裕ないっていうか。すごくひりひりするの。まるで雷の前の晴れみたいな感じで、肌にぺたぺたと張り付くんだよ、見えない気分が、黒い雲みたいに広がってさあ。きっと、取り返しがつかなくなっちゃうってわたし……」
「そんなんちがうわよ。別によくあることじゃない。こういう気分って昔もあったし、それでも別になんてことはなかったわ。気分はただ繰り返すのよ。そういうの人間が言うのはわかるわ。あいつらは100年も生きないから、気分が繰り返すことがわかんないの。歴史を知ってみたって、実際の気分を知れるわけじゃないんだし。姉さんはもう何百年も生きてるから、こんな気分いくらでも感じたことあるでしょ?」
「そうだね。きっと、わたし、いろんなこと忘れちゃうんだね。女苑は忘れないそのことを……」
「そりゃそうよ。だって、わたしのキャラクター性はノスタルジーでしょ、いわば純愛よ。自分が破産させた男の子のこといつも思い出して、ああ、あの子はとってもいい子だったのに、っていつも思い返してんのよ。姉さんはその日暮らし、とっかえひっかえよ」
「んー」
「だからね、姉さんはあんまり根詰めずに毎日を生きてりゃそれでいいのよ」
「そうだね」
「で、今回はどうしたわけ?」
わたしの問に姉さんは応えない。ただ、わたしの握った手を強く握り返し……。手持ち無沙汰に暗闇を眺めていると、姉さんのベッドの上には絵が飾ってあった。それは磔にされたキリストの絵だった。その横には月桂冠が壁に打たれた釘の上に掛けられてた。その視線に気づいた姉さんが言う。
「ねえ、女苑、言ったことあったっけ……。わたし、イエス様みたくなりたいの」
「うん。知ってるわ」
「わたしが死んだらみんなが幸せになるとかだったらいいな」
「うん」
「本を読んだよ。誰かが火山に飛び込んだら噴火がとまってみんなが救われるの」
「どうしてそうなるの?」
「忘れちゃったな……」
「ああ、そう。でもいまあんたが死んだってなんにもなりゃしないわよ」
「ねえ、女苑」
「んー」
「どうしてわたしはイエス様みたいになれないのかな」
「そうね。どうしてかしら。やっぱあんたが女だからじゃない? 女にはあんま髭が生えないでしょ。やっぱりあの髭が威厳っていうか、神々しいって感じだもんね……。でも、キリストはVOGUE誌の表紙とかは飾れないわね。あほくさいヒッピーみたく見えるもの」
「女苑、ねえ、じょおん……ねえ、わたし、女苑とセックスがしたいな。昔みたいにわたしのこと抱いてほしいんだ。女苑に触れられるととっても安心するの。なんだかすべてが大丈夫だって気がするんだよ。どうしてかな。たぶん女苑はやさしいんだね。爪を立てることも食むこともできない遠慮がちなその手つきが、好きなの……。女苑に好きになってもらえる男の子はいいよねえ。羨ましいなあ。ねえ、お願い、ちょっとくらい、いいでしょ?」
「いやよ」
「どうして? 女苑もわたしのこと愛想つきたの?」
「だって、わたしたち姉妹じゃない」
「うそつき」
姉さんは弱い力でわたしの手を引っ張ってベッドの上に倒そうとする。
さり気なく振り払い、そのままの勢いで吊るされた月桂冠をつかみ取り姉さんの頭の上に被せてあげる。
「あら、けっこう似合うじゃない」
「えへへ。ほんと? わたしキリスト様みたい?」
「うん、うん、そうよ」
「えへへへへへ」
「ああ、イエス様、わたくしに生の奇蹟を授けたまえ」
「だめです。わたしはこれから迷える仔羊たちを救うため生贄になるのです」
「あはは、生贄なんかないって」
でも生贄はある。
姉さんの生まれた村には生贄がある。
生贄は姉さんに捧げられるのだ。
もちろんそれは姉さんが望んだことはではない。姉さんの誕生の前から生贄はあり、生贄はキリストの磔のように美しい自己犠牲などでなはく、単に後ろめたい物事を多い隠すためのみに存在する。村の権力者に貢がれる少女、権力闘争のなかで殺されてしまう跡継ぎの少年や単に大人たちの起こした不慮の事故によって死んでしまった子どもたち、それらがすべてが隠されて神々に捧げられる生贄として処理されたうちに、いずれどこかで本物の生贄になる。姉さんの生まれた村には生贄がある。姉さんが生まれたのはある山奥の小さな村だった。村の集会所には老人たちがのさばり、大人たちと言えばセックスの他にすることがなく、そうして生まれたたくさんの子どもたちは集会所にあるたったひとつのファミリー・コンピューターを聖遺物のように崇め、四年に一度のイベントは生贄だった。村には映画がある。映画は月に一度村の外からやってくる。どんな映画がどのようにやってくるのか、村の誰も知らない。古典的名作も町で流行りの大作も巨匠の実験作もアニメーション映画もコメディもSFもジャンル問わずやってくるし、前後編の後だけがやってくることもあるし、単館でしかやらないような映画もポルノ映画でさえやってくる。村の人たちはいつも次にどんな映画がやってくるのかその話ばかりしている。やってきた映画を封切ることができるのは映写係の男で、彼は映画がやってくるとそれがどんな映画なのか集会所の老人たちに伝える。どれだけ映画の内容を興味深く伝えることができるのか、それが映写係の価値を決める。映写係の役職は四年一度、村のお祭りのときに選ばれる。神聖な篝火に最も長い間全身を触れていた者だけが映写係になることができる。映写係はこの村で最も尊敬を集める役職だ。若者たちはみんな映写係になりたがっている。男たちは勇んで炎に飛び込んでいく。そのせいで映写係の男は必ず全身の皮膚が爛れている。ときにはその顔貌さえはっきりしない者さえいる。でも、彼は映写係だ。どんな女だって彼と寝たがるし、子どもたちはみんな彼の話を聞きたがる。映写係が老人たちのその映画のあらすじを伝えると、やがてそれは村中に広がっていく。人々はかいつまんだあらすじからそれがどんな映画なんだろうと想像し、各々に自分の意見を語る。これはきっと傑作に違いない。昔おなじようなものを見たがひどいものだった。でも今回は単なる描写の連綿だけではなくもっと深く人間を問うているうように俺は思う。というふうに。やがて満月の日がくると、村の人たちは一人残らず集会所に集まり、映画を見る。それからその映画について語る。村の人たちは大人も子どももみな映画を見ることを愛している。そしてそれ以上に映画について喋ることを愛している。村の老人たちが尊敬を集めるのは彼らが多くの映画を知っているからだ。映画がやってこない間、人々は老人たちから昔やってきた映画についてのお話を聞く。映画は先祖から子孫へと代々語り継がれている。だからこの村の人たちは一生に見ることのできる映画の数以上にたくさんの映画を知っている。ジェームズ・キャメロンの映画には正確な描写がないと父親は訳知り顔で息子に語る。もちろん父親はジェームズ・キャメロンの映画など見たことがない。それを話に聞いただけだ。母親は娘に昔見た恋愛映画の筋書きを話して、こんな男を好きになってはいけないよ、と言う。だから娘はそんな男と恋に落ちる。人々は映画を語り、語られる映画のなかには誰かが勝手に作り出した偽物の映画がある。偽物の映画を語った者には痛みを伴う重い罰があり、そしてそれが本当に偽物の映画だったのかどうか、誰も知らない。姉さんのあの特別な演技性についてそれがどこから湧き出しているのかわたしにはわからないけれど、ひとつ想像するなら、それは姉さんが彼らと一緒に映画をすべてとして育ったからじゃないだろうか。姉さんも村の人たちと同じで映画をなによりも楽しみにし、さらには神様である姉さんは村の人たちのように誰かと語らうこともできないのだ、月にたった一度だけのそれを村の誰よりも食い入るように見つめて、頭の中に焼き付けて、次の一ヶ月の間におんなじ映画を頭のなかで何度も何度も繰り返し再現したはずだ。たとえば、女優のたったひと触れ、指先のその動きまで。だから、姉さんは、いつしかそれを自分のものとしてそれ以上に身につけることができたのかもしれない。この村で、生贄の対象として、いつか生まれた姉さんは。
そう、その村には、生贄がある。
そして、姉妹がいるのだった。
姉妹は間近に迫った生贄の対象だった。それは、たぶん、ある暑い夏の日の夕暮れで、二人は線路の上を二人で歩いている。明日には生贄を決める籤引きがある。二人は誰が生贄になるだろうか、そのことで頭がいっぱいで、口数も少なくどうしていいかわからない思いを抱えたままどこにもいけないと知りつつも線路を歩いてる。村のすぐそばには線路が通っている。村には決してとまることのない電車がその上をどこまでも通り過ぎていく。その意味で村の人たちにとって電車とは風に近い。村の人たちは電車がどこから来たのかもどこへ行くのかも知らない。子どもたちにとって電車は夢かあるいは悪夢のようなものだった。大人たちは子どもたちに電車の悪夢を語る。電車は悪い子を連れ去ってしまうのよ。電車のなかはあんたをおしおきで入れる蔵よりも狭く真っ暗で、そしてわかるでしょう、それはどこにもとまることはないの、永遠に進み続けあんたは永遠に暗闇の中にいなきゃいけないのよ、もしもあんたが本当に悪い子ならね。でも子どもたちはその無邪気で正しい想像力でやがて電車がどこかへ辿り着くだろうことを知っている。きっと電車は幸せな村に辿り着くのだろうと。そこには、うるさい母親もいないし、好きなものを好きなだけ食べられるし映画だっていつでもなんだって好きなものを見ることができる。だから二人は結局はどこへもいけないことを知りながらも線路の上を歩いてる。やがて歩き疲れ妹のほうが立ち止まり、もう帰ろうよと言う。姉の方はそれには応えず先に進んでいく。少し行って振り返ると妹はもうついてきてはおらず、向こうの線路の上に座り込んでいる。それでまた歩いて妹のところに戻る。立ちなさい、歩くんだよ。その手をとって言う。妹は首を振る。そんなところで立ち止まってたらやってきた電車に轢かれてしまうよ、と姉は言う。妹は首を振る。電車なんか来ないよ、それはただの夢だもん、電車なんてほんとはないんだよ。仕方ないので姉も一緒にそこに腰を下ろす。それから線路に耳をくっつけて、電車はあるよ、と言う。音が聞こえるでしょう、かたんたんって遠くから聞こえるの。妹も同じように線路に耳を寄せるけれど、それを聞くことができない。聞こえないよ、もういいの、きっとわたしは明日生贄になって死んじゃうんだ。姉は首を振る。大丈夫よ、もしわたしたちのどっちかが生贄になるなら、それはわたしだよ。どうして? だっていつも貧乏籤をひかされるのはわたしのほうでしょ、弟たちの子守をさせられるのもわたしだし収穫を手伝うのだってわたし、あんたはいつも見てるだけよ。それはお姉ちゃんがお姉ちゃんだからしょうがないじゃん、と妹は言う。姉は線路に寝転がり、空を見ている。厚い雲が夕暮れを覆いはじめている。雨が降るね、帰ろっか。どうしてわかるの? 覚えるの、忘れないんだよ、雨が降る前の空の色とかさあ、鳥の飛び方とか、風の匂いとか、全部ひとつ残らず覚えるんだよ、忘れない。どうして、そんなことするの? だって忘れたくないもの、全部さあ。二人は再び線路に沿って村まで戻りはじめる。やがて雨が降ってくる。次の日には生贄を選ぶ籤がある。妹が籤を引き、姉が籤を引く。全員が籤を引き終わるまで籤を見てはいけない決まりになっている。籤を交換しようと姉が言う。どうして、と妹が言う。わたしのが外れ籤だからね、と姉が言う。いやだ、と妹がいる。姉は見えないところで、無理やり妹の籤と自分の籤を交換してしまう。妹が泣き出したのを見て大人たちは妹が籤を見てしまったのだと思う。それが貧乏籤だったのだろうと。でも、生贄には姉のほうが選ばれる。聡明な姉は四年前の籤引きのことをよく覚えている。籤は毎回同じものを使う。だから生贄の籤には同じ傷がついていて姉はそれをちゃんと覚えている。まだたいした力のない神様だった姉さんはその様子をただ見ている。それに生贄のある村で育った姉さんは生贄を当たり前のことだと思う。そして、少しあとで姉さんは本当の姉さんになり、そしてやがてありもしない貧乏籤を引くためにホテル・アラバマの49階で自らの胸に刃物を突き立てるようになる。
それは悲しい話だろうか?
姉さんが海を見に行きたいと言うので、わたしは姉さんを車椅子に乗せて、ベランダから飛んだ。
姉さんは飛ぶことを不安がっていた。
「ね、ねえ、じょおん、じょおん。女苑ってまだ飛べるの?」
「飛べるわ」
「ほんとに?」
「そう……どうかな」
「最後に飛んだのっていつ?」
「もうだいぶ前ね、そう、何年も……」
「ね、じょおん、ねえ、いいよ、エレベーターで……わたし、ねえ、女苑!」
わたしは飛んだ。
ふわり、と落ちて、そのまま落ちて、夜の底へ、港区の夜の光のなかへ消えていき、そして吹き上げる風、姉さんのローブのはためくその音……煽られてわたしの帽子が天高く消えたあとで、急上昇して、雲の上にいた。
わたしは飛んでいた。
キリストの格好して姉さんの車椅子を押して、夜の空を滑るように、飛んでいた。
「飛んでる! 飛んでるわ! ほら、見て、姉さん、わたし、飛んでる!」
「ちがうよ! わたしが飛ばしたの。だって、いま、わたし力入れてるよ?」
「そうかしら? じゃあ、それ解いたっていいわ。わたし飛んでるもの!」
「だめ、だめだめだめだめだってば」
「どうして?」
「だめったらだめだよ。ちょうだめ」
「なんで?」
「だって落っこちちゃうもん!」
「いいじゃない、あんた、さっきまで死にたがってたのに」
「でも、姉さんが……」
「大丈夫、信じなさい。わたしは神だわ。いわばイエス・キリストよ」
「ちがう! イエス様はわたし!」
「じゃあ、わたしはイエス・キリストの妹ね」
「そんな、そんな、そんなって……」
「聖書にもあるわ」
「諸説あるから、しょせつぅ」
「いいじゃない全人類兄弟よ。イエス・キリストは信者たちを丘に集めて言いました、今日から姉妹になろうね!」
何を諦めたのか知らないけど、姉さんは急に神域を外すから、わたしたちは落ちていく。夜の底。わたしのもう細くなってしまった神域を集中して空力を生み出そうとすると、垂直に落ちるという事態からは免れて、なんとかまあ、夜を滑空する。それで、うまく埠頭に着地することができた。わたしたちは東京湾を眺めることのできる埠頭のそばのコンクリートに並んで座った。姉さんの車椅子の上、わたしは見上げるように姉さんの顔を見た。姉さんは海を見つめていた。端的に言えば東京湾は汚かった。湾沿には生活ゴミが発情期の公園の猫みたいににゃあにゃあと集まって溜まり、その隙間にはあぶくがびっしり犇めいていて、ヘドロとかもたくさんあった。遠いところは夜に黒いうねりにしか見えない。
「それで、どうなの?」
「え、なにが?」
「いや、海は」
「まあ、海だって感じだね」
「あんたって愛し甲斐ない人間よねえ。彼女に綺麗に包装されたプレゼントしてもらってどうだった?とか言われても、財布だったね、とか言うんでしょ」
「でも、嬉しいんだよ、ほんとだよ。今日も連れてきてくれてありがとね」
「まあ」
「わたし、海が好きなんだよね」
「なんで?」
「広いもん」
「それはあれ、広い海見てると自分の悩みとかちっぽけに思えてどうでもよくなるみたいなやつ?」
「そういうんじゃないよ。ほら、広いものっていいでしょ。大きいものとか、ぜんぶ、好きだな。得した気分になるよ」
「あんたの趣味悪い部屋とかねえ」
「趣味は悪くないよ」
「そう?」
「だって、広いじゃん」
「あんたってふつーに貧乏性だよね」
「そう?」
「そうよ」
「ちがうよ」
「そうだって」
「それはビジネスだもん」
「いや、そうよ」
「ちがうって」
「ちがくないわ」
「ちがうよ?」
「そうよ」
「ちがうってこと?」
「いや、もう、あー……。」「でもわたし潮風は好きになれそう」
「いいよね」
「まあ、どうかな……」
波打ち際に近いところを酔っ払った肌の浅黒い外国人の男が歩いてた。缶ビールを片手に持ってふらふらと歩いている。それから最後の一口をぐいと煽って、缶を海に投げ捨てた。
「あのインド人、ゴミを捨てたわ。わたしたちの東京湾を汚しやがって。戦争だよ。ガンジス川に火をつけてやる」
「あれはパキスタン人だよ」
「どうしてわかるわけ?」
「なんでだろうね。よく見るからかな……喋ることも多いし、だんだんわかるようになるよ」
「ふうん。わたしには肌の浅黒い人はみんなおんなじ顔に見えるわ」
「うん」
「最近、増えたよね」
「外国の人?」
「ガイジン」
たぶん、これからわたしたちはこの国でさらに混じり始めるんだろう。少なくともある程度までは。
20世紀までは共通語の夢があった。物心ついた頃にわたしたちが見始めた夢は拡大の夢、それは15世紀の半ばから急速に現実味を持って膨らんでその夢の広がりとともに版図を広げながら、植民地を征服し教化して言葉を伝播した。19世紀になり、拡大が行き着くところまで行ってしまい一応の収束を見ると今度はわたしたち統合の夢を見た。あの頃の人々はいつしかひとつの言葉が世界を覆うのだと信じていたように思う。それは二度の世界大戦が終わってもまだ続く。たとえば、当時の知識人の興味はもっぱらサイバネテクスにあった。サイバネテクスとは、工学と生物の間に共通のパターンを見出し、それを同じ理論によって統合しようとする試みだった。あの頃のわたしたちはこの世界の一見まったく異なるように見える様々なものたちの間に共通のパターンを見出すことができた。そしてその等しいパターンを重ね合わせることによってわたしたち自身を統一できるのではないかと考えていた。あの頃の人々が見ていた夢は巨大で複雑でひとかたまりの複合体の夢だ。企業はM&Aを繰り返しより巨大に多角的になっていったし、マルチデバイスという言葉が現れて、ファッションは装飾にあふれた全部乗せが流行だった。でもやっぱり、その夢は、その巨大な複合体は、泡のように膨らんでやがて弾けてしまったようにわたしには思う。結局のところ、見出した共通のパターンによって事物を重ねる合わせるということは、そうでない部分、その差異を強調することにほかならない。そして、わたしたちは差異によって再び分解した。もちろん、すべてが終わってしまったわけではなくて、今でもまったく別の形で再統合の試みは続けらているっていうこともできるんだろう。それでも、わたしが統合の夢が終わってしまったと信じるのは、単にわたしのスタイルがそうだったから、というだけのことだ。わたしは20世紀への悔恨からはじまりノスタルジーに留まろうとするそのひとつのスタイルを衣装として長い間、着込み続けてきたから、今ではたとえモードで全身を包み込んだとしても、まるで皮膚のようにそのスタイルはわたしの動きに完全に追従する。故郷のロサンゼルスではわたしが生まれたときでさえすでに共通語の夢は破れていた。人々は人種によって区画を別れて生活を送り、それは今でも変わらない。わたしたちはある程度までは統一し巨大化もしたが、そこまでだった。それは単に再撹拌にすぎなかったのかもしれない。撹拌以前、わたしたちはそれぞれの故郷の国旗を降っていたが、今度はNIKEのスウォッシュやSupremeの巨大なロゴやあるいは紅白や白黒のもとに集う。所属を示すことはファッションの重要な機能だ。そういえば、幻想郷では所属や種族で人を呼ぶ。小さな世界でほとんど完結しているあの場所はすでに拡大分解撹拌それぞれの臨界点に達している。幻想郷では普段着の概念があまり発達していない。人々の多くがそれぞれの所属や種族を示す服を着て過ごしている。わたしたちだってその場所からはじめることによって、いつでも同じ服を着続けることが許されるその場所で、自分たちのスタイルを手軽に確立することができたのだった。あるいは、生贄のある村で姉さんが生まれ、今なお自らを磔にしようとしているというのは、わたしたちが生まれや所属によって同定されてしまう証左じゃないだろうか。わたしのスタイルなら最初から満たされてすべての中から所属を選ぶことできるけど、貧困を纏った姉さんは、なにひとつ選ぶことができず、ありものならなんだって食べなくてはならなかったし、すべての隣人をとりあえず愛するところからはじめなくてはならなかった。その結果姉さんは多様な種類の人々からの信仰を得るわけだけれど、土地を広げること、より手に入れること、仲間たちをみな満たすこと、その拡張の夢は見ることができても、やっぱりそれを為すためには身を削って与えること以外の方法がわからないんだろう。
「そういえば、この前、あんたの生まれた町に行ってみたわ」
「どうして?」
「どうしてって……。単に暇だったからかな」
「どうだった?」
「姉さんの話とはずいぶんちがったな。電車でね、行ったのよ。町があったよ、よくある田舎町さ。それに霊園があった……。でかいやつ」
「わたしも女苑の故郷に行ってみたいな」
「行ったことあるじゃない」
「仕事で行っただけだもん。ゆっくりさ、女苑に案内とかしてもらって、ほら女苑の信仰の生まれの場所とか見に行きたいな。なんかそういうのあれば、わたしも拝むよ、女苑がまた飛べるようにね」
「余計なお世話よ」
「飛びたくなったらわたしに電話くれるから? りん、りん、りんって」
「まさか。そうだ、わたしの生まれってあんたの大好きなキリストよ」
「そうなの?」
「あるおじいさんがいるわけよ。そいつは日系人だけど生まれはアメリカよ。だから信仰は当然キリストね。頭から爪先まで全部キリスト。で、そいつは狂ってたのね、まあ年も年だし頭がボケちゃってたの。そいつの家にはキリスト像があった。そうね、ちょうど、500のペットボトル……よりはちょっとでかくて、700のペットボトルがあればそんくらいの大きさ」
「いや、それ、なに。なんでもありだよね」
「まあまあ。でも言いたい大きさはわかるでしょ。それで、その爺さんは頭がイカれちゃってたわけだから、そのキリスト像をブッダだと思いこむようになるの。あ。で、で、その爺さんはホモセクシャルなわけよ。もちろん信仰するキリスト様にそんな思いは抱かないけど、ブッダならいいでしょ。ほら、仏教ってなんかそっち系だしね……。それでそのキリスト像に穴を開けて、楽しむわけ。そしたらその精子がキリスト様の奇蹟でああだこうだなってキリスト像は懐妊し、わたしが生まれたの」
「いや、いろいろ言いたいことはあるけど、まずそれってほんとの話?」
「さあねえ」
「あ、思いついた! こういうのはどう。そのおじいさん、昔は結婚してたんだよ。セクシュアルならバイってわけでさ……。実は娘がいたの。でも離婚したときに娘は母親のほうにもってかれちゃって、それ以来二度とは会うことはなかった。女苑はその娘によく似てるの。本当は女苑はキリストの秘術とかイカれた性発散の産物なんかじゃなくて二度とは会えない娘を思う一途な気持ちから生まれたんだよ。こういうのってどうかな?」
「まあ……。けっこういいんじゃない」
「えへへ。でしょー」
「うん」
ときどき、巨大な成功と獲得によって姉さんは変わってしまったという人がいる。わたしはそうは思わない。そもそも姉さんの貧困は単なるスタイルだ。単に物質主義を問うなら、その絶頂期でさえ姉さんは完全に満たされていた。姉さんには生命に対する偏執的なほどの愛がある。それはたぶん姉さんが生贄のある村で生まれ育ったことに由来して、姉さんは今もそこに留まっている。姉さんのあの生命を水滴のように軽んじるような神妙な態度だって、かえって、失われる生命への拘泥からやってくるようにさえ思える。その意味で神様として強固な命を持つ姉さんは生まれついて使い切ることのできないものを与えられている。姉さんは貧困を知らない。たぶん、それが姉さんを苦しめるのだとわたしは思う。
姉さんの車椅子を押しながらわたしたちは湾沿を歩いた。きゃりきゃりきゃると車椅子のホイールがコンクリートに削られる音。横ざまに冷たくて尖った幾何学模様めいた潮風が吹いている。姉さんは気持ちよさそうにあくびをひとつ、かすかな鼻歌を口ずさんでいた。それはこんな歌だ。んーん、んー、ふーん、んーー、ん、ふーん。ん。マイナー調の……。そういえば、夜に、潮風が吹くことをわたしは知らなかった。
「んーん、んー、ふーん」
「ねー、姉さん?」
「んー?」
「さっきの話だけどさ……お爺さんが娘へのノスタルジーでわたしを生み出したっていうなら、その母親は彼と別れたあと列島に渡ってその小さな村で暮らしてやがてそこで姉さんが生まれたっていうのはどう?」
「全然だめだね。意味分かんないもん、結果ありきだよ、それ」
「ま、そうね」
んーんーんー。ふーん。ん。
わたしたちはあらゆる意味において姉妹ではない。わたしには姉さんの憂鬱はわからないし、それを知る必要さえない。
だからやっぱり、それは、ある暑い夏の日の午後五時半の夕暮れ。
姉さんは少女と二人で線路を歩いている。音が聞こえる。それはこんな、こんなふうに……んーん、んー、ふーん、んーー、少女は鼻歌を口ずさむ。わたしは彼女の顔も姿も知らないけれど、彼女のことはよく知っている。少女は昔誰かの姉さんのだった少女で、いまはもういない少女だ。彼女は死んでしまった。ということになっていた。少女は生贄だった。姉さんに捧げられるはずの。少女は生贄になるはずだった妹のかわりに籤を交換し、姉さんに捧げられる。でも、少女の自己献身は生贄のある村で育ちそれを受け入れた姉さんを変えてしまう。山奥の大きな木に縛られて繋がれた少女を姉さんは助け出し、二人で村を出る。少女と姉さんは村を止まることなく通り過ぎる線路に沿って歩きはじめる。閉鎖的な村で生まれた二人はそれがどこかに繋がっていることを知らない。ただ、幼さによってかろうじた支えられた想像力でそれを信じているだけである。姉さんは生まれて最初の神域で、彼女の空腹をなきものにする。その呪いを解いてあげる。それでも小さな少女が線路を歩いてあるかどうかも知れない町へと向かうのはなみたいていのことではない。やがて少女は足をとめ線路のそばに座り込む。姉さんもならって少女の隣に線路の上に腰を下ろす。膨らむ熱が二人を包み込む。少女は言う。ねえ、依神さま、このまま歩いてもきっとどこにもいけないとわたしは思うんです。いえかみさまを疑うわけではないんです。ただわたしもう疲れちゃって、きっとあるはずのその場所まで歩いてはいけないって思うんです。大丈夫だよ、と姉さんは言う。このまま線路に沿って歩き続ければいつかは辿り着くし、きっとそれはそんなに先の話じゃない。そこはとても素晴らしいところで、なんだって好きなものが食べられるし映画だって好きなものをいつでも見れる。もちろん、そんなことを姉さんが知っているわけもない。ただ、村の子どもたちが言うことを、そのまま繰り返しているだけだ。そのことは聡明な少女にだってわかってしまう。依神さま、これから雨が降ってきます。どうしてわかるの? わたし、覚えているんです、雨降る前の空模様とか空気の匂いとか、それで……きっと今度もそうだって……。わたしにはわからないよ、と姉さんは正直に言う。かみさまにもわからないことがあるんですねと少女は笑う。でも、そのことによって、気落ちしているわけではない。彼女の信仰は強固だし、それに妙な素直さと言うのはみんなが大好きな姉さんの素質だ。少女は姉さんのことをなんだか愛おしく思う。それは彼女が神様に対して抱くとは決して想像もしなかった気持ちである。少女は姉さんに言う。べつにたいしたことじゃないんですよ、ほんとは村のひとたちだっておんなじことをやってるんです、村のひとたちは映画が好きでいつも映画を楽しみにしているんです、だから映画がやってくるとそれを忘れないように大切見ます、映画のなかでだれかが喋る言葉やその場面を忘れないようにあとで映画のないときも思い出せるように忘れないようにちゃんと見るんです、ただそれとおなじことなんです、わたしは天気とか空気とか鳥とか動物たちとかお母さんや妹や村のひとたちのことが好きだから、みんなが言ったことやしたこと、その空気とかをあとで思い出せるように忘れないようにしてるんです、ただそれだけのことで……。やがて夕空を厚い雲が覆い、薄暗闇があたりを染めると、雨が降りはじめる。でも、少女は雨に濡れることはない。それは二人がはじめて目の当たりにした本物の奇蹟だ。雨は少女と姉さんを避けるようにその周りにだけ降っている。雨はカーテンのように二人を世界から覆い隠し、雨の向こうではすべてが溶け出して、山脈が木々が草原がひとつながりの色なりに見える。すごい、どうやってるんですか、と少女は聞く。わからないと困った顔で姉さんは言う。あははと少女は笑う。今のうちに少し休もうと姉さんは言う。雨の壁は二人の周囲から熱を奪い、暑い夏の夜から二人を遠ざける。姉さんは線路の上に横たわる。電車はまだやって来ないよと姉さんは言う。ほら、音が遠いもの。少女も姉さんの真似をしてそこに寝転がる。線路に耳を寄せて、わたしには聞こえないです、と少女は言う。姉さんは少女の髪にそっと手を差し入れて撫でつける。大丈夫、心配しなくていいよ、わたしが連れて行ってあげるから、守ってあげるから。そのやり方さえ本当は知らないくせに姉さんはそんなことを言う。それでも二人はやがて町へと辿り着く。辿り着いた町で少女は暮らすようになる。苦労しながらも町での暮らし方を覚える。姉さんはわたしと引き合わされ偽物の姉妹になる。時が少し経って少女は大人になりもはや少女ではなくなって、姉さんは幻想郷で新しいスタイルを身につけはじめる。少女は愛することを覚えて、やがて契りを交わし、家族になる。村のひとたちがそうしたように彼女はたくさんの子どもたちをつくる。でも、この町においては子どもを多く育てることにはたくさんのお金がかかる。彼女は小さな団地で夫と六人の子どもの八人で暮らすようになる。姉さんは町に戻ってスターになる。子どもが増えて大きくなるにつれて彼女の生活は困窮する。彼女の夫は生活苦のなかに安酒を唯一の楽しみにし、深酒するまではどこかいらいらし、アルコールが回るとそのまま眠ってしまう。長男ははじめたばかりの仕事を辞めてしまい、次男はその大きい身体を持て余し、長女を小学校に送り出すと、部屋でうるさくする次女と三女保育園に送り届け、パートタイムの仕事にでかけ、夜には四女が夜泣きするのでまとも眠ることもできない。睡眠薬を四錠飲んでやっと眠る。もはや彼女は生活のすべてを記憶しようとはしない。それはむしろ忘れたい類いの物事であり、忘れようとしても忘れることのできないものだ。起こりうるすべての言葉や空気や仕草を子細に心に留めるなんてことは、日々の間延びした閉鎖的な退屈な村でしか通用しない神話のようなものである。パートタイムの仕事の細則事項、家計簿や娘の小学校の行いや、団地の規則、隣人の子どもたちのことや父親のこと、その他生活に関する細々したこと。町では覚えなければいけないことは無数にある。天気予報で明日の天気を知り、パートタイムの仕事の細則事項を頭に入れ、娘の弁当をつくり、八人分の洗濯と食事の用意をすれば、毎日一本の映画を見たとしても一ヶ月後にはそのほとんどは忘れている。その頃、ひとつの絶頂に達した姉さんは安易な同情心と親しみによって彼女に金銭的な援助をする。運命の悪戯という形で大金を彼女の家族に授ける。まず父親が金の半分を持って家を出る。彼女は大きなマンションを買ってそこに引っ越す。家政婦とベビーシッターを雇い入れ、子どもたちの世話をさせる。それでもまだ金は余りある。でも、村で生まれ、貧困のなかで暮らした彼女には、そんな大金の使い方はわからない。欲しいと思ったこともなかったブランドの服やバッグを買う。TVショッピングの健康器具を買う。必要のない家具を増やす。やがて彼女もマンションの大きな部屋に家政婦と子どもたちと余りあるお金の半分を残したまま、家を出て、二度とは帰らない。
それって悲しい話だろうか?
どうやら風邪を引いたみたいだった。
熱風邪の兆しは、その帰り道、姉さんの車椅子を押して公道沿いまで歩き、呼んだタクシーを待っているときだった。突然、冷えるような心地がして、一度出たくしゃみがとまらなくなった。くしゅんくしゅんくしゅんと合いの手のように喋る間にくしゃみを出していたので、姉さんが心配そうな顔でわたしを見上げる。風邪? 治るわ、くしゅん。そりゃあね。くしゅん。しばらくしてやってきたタクシーの運転手は若い中国人の男で、姉さんを抱きてあげて後部座席に乗せるのを手伝ってくれた。車内で、姉さんは彼と話をしてた。わたしは姉さんの横で、にじみ出て下着に張り付く汗が、うざい。
「わたしはこの前の休暇で故郷に帰って、洛楼天見に行ったんですよ」
「へー。どうだった?」
「驚くはなかったですね。写真を見たものと同じのでした」
「ふうん。わたしも一度は見に行きたいって思うんだよね」
洛楼天は間違えなく現代の建築美術の最先端だろう。現代美術が往々にしてそうであるように、その塔もやはり批判性に富んでいる。それは、見た目にはいわゆる中華風の絢爛な塔なのだけれど、なんて言ったらいいか、その存在を認識することが、反共的なのだった。そのデザインに反共的なモチーフを見い出せるというわけでもないし、批評性に満ちた建築素材や技術を用いているというわけでもなくて、ただそれを全体として眺めることそれ行為自体が反共的であるっていう、そういう形をしていると言えばいいんだろうか……。だから中国共産党はその建造物を批判することはないし、ましてや解体してしまうこともない。そもそも、彼らにとって、それは存在しないのだ。その場所は、単なる空白、何ひとつ存在しない場所だ。ある高名な建築家の言葉を借りれば、洛楼天の達成はその政治的批評性にではなくて空白な土地を作り出すことにある。この世界に、なにもないが存在するところが、あるということ……。わたしは汗がとまらない。身体が火照っている。どうして風邪なんて引いてしまったんだろう。わたしは悪夢を見る。夢の中ではタクシーの車内で姉さんが中国人の男と喋っていた。
「洛楼天を登ることは空を飛ぶことです」
「空を飛ぶ?」
「それはわたしたちに透明なので、洛楼天を登ることは空を飛ぶことです」
「ふうん……」
次の夢の中でわたしは洛楼天の最上階にいる。そこには観光客が立ち入ることのできない精緻な意匠を施された扉がある。その扉を開くと、姉さんがいた。屈強な男が二人、姉さんのそばに立っている。姉さんは繋がれて……。彼らはその場所には存在しない誰かに向かって語りかける。現実の論理を破って、その外側に、こちら側に。こんなことを。この女には莫大な借金がある、お前はこの女の保証人になっているから、それを肩代わりしなければならない、そうでなければこの女はもっと酷い目に遭うことになるだろう。男のひとりが姉さんの腹に蹴りを食らわせる。それは幻想郷にまだわたしたちが住んでいた頃の話。わたしには手紙が届く。そこにはその光景が子細をもって記述されている。それは誰かの手によってデザインされ複雑な手続きを得て顕現させられた偽物の光景だ。実際のところ、姉さんはすでに彼らを満たすだけの金銭を払うことができるし、そうでなくても八百万の神々の母なる神に与えられた神域によって守られている。それでも、わたしは自分自身に与えられたスタイルをまっとうするために、姉さんのところへ駆けつける。巨大な宝石のついた指輪を全部の指に嵌めた拳を握って男たちに一発ずつ食らわせて伸す。それから指輪を外して床に投げ好きなだけ持っていけばいいと言う。どうして、って姉さんは言う。どうして女苑がそんなことをするの。だって、あんたはわたしの姉さんじゃない。姉さんはわたしを見つめている。炎の消えゆく最後の秒を切りとった明るい瞳で。それはいったいどういう意図の視線だったんだろう。わたしは見つめ返し、それから姉さんの纏ったボロ衣に視線を移すと、そこに貼り付けられた督促状はよく見ればそのディティールにおいて無数の省略が見て取れる。横で倒れている男たちのやさしげな顔には現状に通じる歴史がない。彼らは今までに人を痛めつけたりなどしたことがないんだろう。わたしは笑ってしまう。笑いがとまらなくなる。笑いすぎて、泣いてしまう。わたしは劣悪を嫌悪する。安っぽい芝居じみたわたしたちのスタイルや物語とか、高価なわりにすぐに駄目になってしまう生地の服とか……。洗濯機に放り込むことのできないその服をわたしは憎む。姉さんの声……。ねえ、最近はどう? 最近の調子はどお……。そういえば、変に嫉妬とかされてもめんどうだから姉さんにはずっと秘密にしているけれど、わたしはキリストに会ったことがある。韓国の夜のことだった。キリストは明洞の夜市でBALENCIAGAのフェイク・シューズを売っていた。明洞は冷たい光と暖たい光の奇妙に同居する街だ。屋台や夜市のオレンジ色の光、あるいは新世界百貨店から地に向かって捧げられる冷光の……。身体が火照っている。怠い気持ちがする。全身が重くなっていくような心持ちがする。わたしは、わたしの胃の下にあるらしい重力の底に向かって落ちていく。変形する。わたしは頭痛を知らない。わたしは頭痛することがほとんどないのだ。40度の高熱にうなされる夜が、食当たりの朝が、月巡りが、やってきたとして、その身体兆候に苦しめられることはあっても、それは頭痛として現れない。それを知りたいと思うか? まあ、少しはね。キリストは自分が韓国の夜市でコピーを売っていることをこんなふうに説明する。それはスタイルの問題なのです。そもそもわたしは遍いて広がるところからはじまりました。ずいぶん誤解もされたのですよ。偽物の教えが氾濫し、そのままコピーされただけの戒律がときおり人々を苦しめます。今ではもうそれをわたしにどうすることもできません。しかし、もちろん悪いことばかりではありません。たしかにそこには本物の救いもあることはあるのです。コピー・ブランドもそうじゃありませんか。拡大すること。あるひとつの理念が、多少粗悪なものがあるにしろ、誰にでも手に取れる形に翻案され広まっていくこと。わたしはわたしのスタイルを演じているのです。それからSupremeのスマホカバーをわたしは買うことにする。それは斜めになった例の巨大なロゴを背景にシンプソンズのバートがスケートボードに乗っているというデザインのものだ。それは完全なフェイクである。そもそもそのような商品は以前には存在しない。シンプソンズはフェイク・ブランドの通過儀礼のようなものでもある。多くのフェイク・ブランドの製作者たちは、どうしてだろうか、すぐにシンプソンズを引用する。その意味で、シンプソンズのバートは、偽物の世界でキリストのようなものだった。シンプソンズが好きなんだよねとわたしが言うと、わたしもそうですよとキリストは言う。
「わたしはこの世界を創り上げたときそこに様々な可能性を孕ませましたが、少なくともわたしが想定したもの、そのほとんどはすでにシンプソンズがそのアニメの中で実現しているのです」
「へえ、わたし知らなかったです。シンプソンズってアニメとかあるんだ……」
「いえ、そもそもの生まれを語るなら、シンプソンズはアニメにその来歴があるのです」
来歴、来歴。らーれき。そもそもの生まれを語るなんてなんだかすっごくキリストっぽいな、とわたしは嬉しく思う。シンプソンズがアニメーションだっていうことはやっぱりシンプソンズの原罪かなんかなの? わたしたちには来歴がある。わたしたちはどこかここではないところからやってきて、今のひとときここでこうして淀み、またどこかここではない場所に流れていく。それは7月の終わりの雨のようにわずかな熱を持ってしとしと降り注ぎ、あるいは岩肌の隙間からぷつぷつと湧き出して、流れ、やがて辿り着くその場所で境界を失う。それを泡沫とか言おうかな? やっぱ、いいや。来歴とは、まるでとげとげの尻尾。普段はそれがあることを意識さえしないのに、もちろんくるりと振り回してものを掴んで見せるなんてもってのほかでさ、それなのに、ときおり大殿筋の動きに追従して振れ周り、身体に刺さってそれを思い出す。それを追ってくるくると周り続ければ、いつまでも追いつくことはなく、そのまま回転運動になって朽ち果てる。それをノスタルジーって呼んでもいいよ。わたしは午後五時半の夕暮れ。姉さん、覚えてる? わたしたちはが幼い頃、ふたりで学校から帰ったでしょう。わたしたちは手を繋いでた。姉さんと手を繋いで帰るなんてわたしは恥ずかしくて友だちに見つかってあとで笑われないだろうかそんなことばかりが気がかりで、姉さんは何を思っていたのだろう。がっこうはどう? うん。あの子とは結局どうなったの? うん。わたしと帰るのがいやだ? うん。踏切待ち、夏草の匂い、赤い空、わたしたちの影を長くして、六時のチャイムが町に響いている。そのざらざらの音が、かんかんかんかんと甲高く喚き散らす踏切の警告音と混じり合って、音の海になる。海鳴りに。ねえ、姉さんはさあ………………。わたしの声は姉さんに聞こえない。姉さんは鼻歌を口ずさんでた。それはあの頃、わたしたちみんなが大好きだった流行歌だ。んーん、んー、ふーん、んーー、ん、ふーん。ん。全てのざわめきのひとつの中で、わたしはそれを今もよく覚えている。姉さんの歌う声を。もちろんそんなのは単なる嘘で、ほんとの話なら、わたしは7月の際に降る雨、姉さんは岩肌を滴る湧き水で、わたしたちはそれぞれ別のところから流れはじめ、そのどこかでこうして合流したけれど、ちょっとした岩際や中洲にぶつかるたびに二手別れになってはなんとなく戻り、そしていつか流れ着く場所はまったくちがうところなんだろう。すぐ隣で姉さんがまた喋っている。女苑もそう思うよね?ねえ、聞いてる?じょおんー、じょおん。ねえ、女苑! ああ、そうね、わたしも愛してるわ。姉さんが幻想郷で誰かわたしのよく知らない女たちとだるい夜を体液で濾して過ごしているとき、わたしは幻想郷の外れにある寺で暮らしていた。夢の中では、聖白蓮がこんなことを話していた。
「ここはいいところでしょう。この庭はこの土地に新しい信仰の拠点を設けることになった際わたしがデザインしたものなのです。もちろんわたしはその道の専門家ではないですが。でもけっこうよいものができたんじゃないかと思っています」
「ふうん。どうかな。わたしあんま侘び寂びとかわかんないかんね」
わたしたちは命蓮寺の中庭を一望できる縁側に座っていた。わたしは半ば望まない形で入信させられたこの寺の中を聖白蓮にちょうど案内されているところで、その最後に中庭を見せられたのだった。一望できるといっても、中庭は畳三条分程度の狭い庭で、白みがかった灰色の細かい砂敷の庭の上に丸石が、ぽつり、ぽつり、ぽつり……と八つ、わたしには無造作にしか見えないふうに配置されているだけだった。
「貴方をわたしたちの一員として歓迎しますよ。よろしくおねがいします」
「どうかな。わたしはなにやっても続かない質でさあ、今回もうまくやれない気がするよ」
「そうですか? それでは、短い間ですが、どうかよろしくおねがいします」
「そんなんでいいのかよ。わたしを更生させるんでしょ?」
「どうでしょう。そもそも貴方が更生されるべき神さまであるかどうかわたしにはわかりません」
「わかんないのかよ」
「ええ、どう思います?」
「それ、懺悔しろってこと?」
「いいえ。懺悔という文化をわたしたちは好ましいものとして捉えません」
「そうなのか?」
「なぜ、懺悔をするのだと思いますか?」
「そりゃあ、あれだろ、なんていうの、ほら、自分のやった悪いこと口に出せば、なんていうか、それを再確認するだろ。つまり、反省するんだ」
「そうでしょうか。わたしは悪い人間です、と言い続ければその人はたちまち悪い人間になってしまいます」
「ふうん、そういうものなのかしら」
「ええ。実はそういう本も書こうと思っているんです。『自己暗示で人は変わる。自分を変える12の言葉』っていう題目にしようかなって思うんですけど、どうでしょう?」
「それ、なんか、あんまり有り難みとかなさそうじゃん」
「そういえば、財布を盗む男の話があります」
「財布?」
「ある男がいて、その友人には財布を盗む癖があるんです。男は人づてにそれを知っているが、そのことについて何かを言うことはありません。なぜならその友人は彼から財布を盗むことはないからです」
「それで、最後は自分が盗まれちゃうんでしょう」
「いや、別にそういうわけではないのですよ」
「じゃあ?」
「結局ずっとその男は他人の財布を盗み続けるし、もうひとりの男は彼と友人で居続けるし、何ひとつ変わらず続いていくという話です」
「まじで? それ、どうゆう教訓?」
「わかりません」
「わからないわけ?」
「ええ。それがいったいどういうことなのか。ずっと考えてるのに未だにわからないんです」
「ふうん。」「でもなんだかおもしろいわね。禅問答とかそういう感じなのかな。昔の人はいろんな事を考える。暇だったんだよ」
「でも、これはわたしの考えた話なんですよ」
「はあ?」
「前に何となくこの話を思いついて、これってなんか教訓がありそうじゃないですか、だからいわゆる新作説話みたいにできるかなあと考えていたんですか」
「いや、それ順序逆じゃねえ? ふつー教訓があってそれを伝えるために物語があるでしょうが」
「そんなことはないですよ」
「あ、じゃあ、こーゆーのはどうよ? その男が財布を盗まれなかったのは、そいつが財布を持ってなかったからだ」
「というと?」
「つまり、貧困なら、奪われるものもないからたとえスリとだって仲良くなれる。生涯の親友でいられる。だから清貧でいましょうってさ、そういう話さ」
「ふむ。もしかして、それは貴方の姉のことを言ってるんですか」
「まあ……どうかな。でも、結局、今だけさ」
とにかくさ、わたしにはこんなにも姉思いの清い心があるんだから修行なんか必要ないでしょう。それはわかりません。またわからないって何もわからないんだなお前は、と毒づくと、聖白蓮はそうですねと笑う。でもわかることもあります。たとえば今日の夕飯には秋刀魚の塩焼きが出るでしょう。どうしてわかるわけ。足音が聞こえるんです、とことことこって床を跳ねるような音が……。足音? ええ、この寺では節制を重要な精神と考えて実践しているのですが、やっぱり食事に関してもそうで、おそらく貴方からすれば質素というようなものを食べていると思うのです、いわゆる精進料理ってやつですね、それには貴方にも慣れてもらわなければなりませんが。うん。でも、それはそれとして時々は多少は食事の楽しみを味わおうとそういうこともあって、まあ、息抜きというか精神の問題ならともかく実践にはそういうものも必要でしょう? うん。だから、たまに美味しさに重きをおいた献立の日もあって、たとえば今日の秋刀魚なんかはそうですね。うん。そういうときを寺のみんなは楽しみにしているんです、そういう日に厨房で秋刀魚を焼いてるのを誰かが知るとそれはたちまち広がってみんなは浮足だち、もちろんそんな喜びについてわざわざ語ったりはしないのですけど、それでも床を通じてここまで響いてくるその軽い弾むような足取りによって夕餉の秋刀魚の喜びがわかるんです。もちろん、わたしには同じ音が聞こえなかった。
「そうだ、この寺における食事について、ルールのひとつを貴方に教えておきましょう、この寺では位や行いによってではなくて単純にその体重によって食べることできるご飯の量を決定します。やはり体重の重い者はその身体を維持するためにその分たくさんの食べ物が必要でしょう」
「それっておかしくねえ?」
「なぜでしょう?」
「だって、それって、際限がないじゃんかよう。でぶがよりたくさん食べ物食うならそいつはどんどんでぶるし、痩せてるやつは痩せ続けるわ」
「それが物事の道理ですよ」
「わたしはそうは思わないね。っていうか節制の精神はどこ行ったのよ。お前んとこの変なルールのせいで、でぶのやつは、いつか丸々太って厚い脂肪に瞼を覆われて一寸先も見えなくなっちゃうわ」
「そうですね」
「そうですね、ってさ、なに」
「お星様って知ってますか、丸くて光る夜に空にたくさん現れるあれです」
「いや、星は知ってるわよ」
「あの星はそうしてぶくぶくと太って丸くなってしまった妖怪たちの成れの果てなのです」
「なにそれ、どういう話なの?」
「どうっていうかそういう話です」
「いや、やっぱ、なに? それも教訓みたいなこと? でもそれならあの庭の丸石になっちゃいました、とかのほうがいいんじゃねえ? 星になるだとかなんかブレるわ、なんかちょっとロマンチックだもの」
「ロマンチックのほうが素敵じゃないですか」
「素敵とか素敵じゃないとかじゃあないでしょうが」
「でも、本当の話なんですよ。この寺で暮らしたわたしの愛した妖怪たちは、いつかみんな星になっちゃったんです」
それって、悪い僧侶が怪しげな魔法で星に変えちゃったってそういう話でしょ、ってわたしが言うと、聖白蓮は笑っていた。夕方の命蓮寺の庭には彼女の笑い声がからんころんと響いている。どこかから漂ってくる秋刀魚の匂い。わたしは秋刀魚を食べたいなって思う。
再び姉さんの声。
「ついたよ、女苑?」
そして、ホテル・アラバマの冷光。
部屋に戻ると、声によって姉さんは明かりを灯した。間接照明のオレンジ色の淡く広がる光。わたしは半身を照らされて……。帰ったらすぐにシャワーを浴びたいと思っていたのに、どうにも怠くて、そのままベッドの上に倒れ込んだ。わたしは汗がとまらない。寝返りをうつ身体の動きにあわせて体所有する重力の焦点が移ろい、あっちへこっちへうねるような気持ち、まるで乗り物酔いの夢のようだった。車椅子を転がして姉さんが寝室から消えたと思ったら、濡らしたタオルを持って戻ってきた。それでわたしの身体を拭いて頭の上に載せてくれる。冷たい。姉さんは白いローブに、月桂冠。わたしは帽子を風に飛ばしてなくしてしまったのに、姉さんのくすんだ緑のそれがまだそこに残っているのは不思議なことだとわたしは思う。食欲はある……なにか食べるものを作るよって姉さんが言う。キリスト様ね、その献身と正確な医学の知識を奇蹟と偽って神さまを気取るの。えへへと姉さんは笑う。
「ねえ、女苑、大丈夫?」
「うん……」
「わたしが急にお外に連れ出しちゃったからかな。ごめんね」
「うん」
「女苑ってけっこう……昔からそうだよね、身体が弱いんだ。季節の変わり目にはいつも風邪をひいてたでしょ」
「そうだっけ」
「そうだよ。そのくせ弱ったときの女苑は妙に優しいんだよね。仕事とかも絶対休まなかったし、逆にわたしのこと心配したりして。そんなことより姉さんは大丈夫なのか、かと言っちゃってさー。まるで当てつけみたいにね」
「当てつけだったのよ、実際さ」
「いやな妹だ」
「まあ、そう……」
「やっぱり最近信仰とか集められてないからじゃない? 身体が弱ってるんだよ。今まではあんなに注目の神さまだったんだのが、急に冷えたんだもん、風邪もひくよ。また、人気になるよに、わたしがプロデュースしてあげよっか?」
「余計なお世話よ」
「でも作戦はいろいろあるんだよ。ふたりで、みんなを驚かすよなたくさんのアイデアが……」
「どうかな。そりゃ、あんたと二人とぶいぶい言わせてた頃は楽しかったけどさ、でもまあ、今では単にいい思い出ね。もう一度やりたいとは思わないな」
「そっか」
来歴、らーれき。来歴?
わたしたちは流れていく。遠いところでは雨が降っている。それが溜まり、やがて溢れて流れ出し、淀んだものを流れ押す。わたしは未だ留まり振り返って眺め続け、姉さんは流れる先を見つめているように思えるけれど、それだって、下から突き上げられ上から沈み渦巻く流れのひとつで、その回転の今ひとときを切り出してみたってだけのことに過ぎず、わたしたちはくるくる回る。わたしは午後五時半の夕暮れだけど、明日には六時、明後日には七時半、一昨日は正午だった。姉さん、今は何時だっけ? もう二時半だよ。眠いわ。吹き出す汗。脇から流れ、腕を伝いシーツの上に点を落とす。姉さんはわたしのシャツを脱がして、冷たいタオルでその汗を丁寧に拭う。それから下着を剥いで、新しいシャツをわたしに着せる。眠りなよ、すぐによくなるから。
「そんなされたら眠れないよ。べつにかまってくれなくていいわ。こんなんただの季節風邪よ」
「また、そういうのを言う」
「あ、そうだ、そうだ。そんなことより姉さんは大丈夫? 自殺をしちゃうなんてわたし心配だわ」
「ふふ。女苑の馬鹿」
「姉さんのことが心配でわたしは眠れないなあ」
「ばか、ばか、ばか。女苑のことをわたしが心配するのって変だとおもう?」
「どうかな」
「ねー女苑……。わたしさ、自分を失わせるその日にだってみんなが続いてたらって思うんだよ。わたしはここで終わるけどわたしはどこにも続かないけど、みんなが、わたしの傷つけちゃった人やもう二度と会うことない人やちょっとすれちがっただけの人たちや、友だちや知り合いのみんなが、みんな、今も健康で生きていたらなあって! そういうのってきっと恥ずべきことだよね。わたしがみんなのことを大好きなことは恥ずかしいことなんだよ。わたしは傲慢だよねイエス様気取りでさあ……。ねえ、女苑、奇蹟のやり方を、教えてあげよう! まずは夜に……そう、満月の夜がいいね。床に赤いペンキでサークルを描くの。それからスーパーマーケットで牛肉の切り落としのいちばん大きいパックとコーラと油とマッチ、サプリの亜鉛を買ってきて。それからまず燃えやすい紙、それから牛肉と錠剤を全部サークルの上に広げて油を染み込ませ……そうだ、明かりを、明かりを消してね……。そのあと火をつけるの。。呪文……なんだっていいし、好きな子の名前とか嫌いなやつのそれとか唱えてもいいよ。写真を一緒に燃やすのもありだね。とにかく火が高くなるまで燃やして、それからコーラをかけて、火を消して。そして、そのあとで、床を見下ろしてみてよ。それが、どうなってるか……。焦げた肉片とサプリメントが散乱し、床が焦げついて赤黒い炭酸の液体がまるで血のように貴方の足元に流れ出す……そしたらさ。そしたらね。そしたら、そしたら、そしたらさ、きっと、とっても、むなしいから!」
「ふふ、そお?」
「ねえ、女苑」
「なあに?」
「どうして、女苑はわたしのそばにいてくれるの?」
「だって家族じゃない。あんたはわたしのたった一人の姉さんよ」
「うそつき」
姉さんはわたしの手をとって握った。姉さんの手はとても小さくて、子どもみたいだった。20世紀までは夢があったのだ。それは共通語の夢だ。わたしは午後五時半の夕暮れ。すべてが破れて、落とした影を長くして足取り重く歩むその旅路の帰り道で、切り取られて降る「生活」の断片の……。ねえ、紫苑、わたしたちは姉妹なんだよ。わたしたちは生まれによって同定され暮らしによって固着して結局どこにもいけなかったけれど、ここにいる、それを守りたいと思う。幼い頃妹はいつでも姉の真似するでしょ、わたしたちは未だこんなにも幼くて、幼いままで、姉さんの小さなか細い腕……わたしはいつでも姉さんの極性、その反対をやっているけれどそれだってやっぱりひっくり返して姉さんの真似をしているっていうにすぎなくて、だから姉さんがそこでキリストごっこをしているならわたしは姉さんの妹ごっこをするし、姉さんが生命をすべて愛して生贄になりたがるならわたしは姉さんを磔に至らせる生命のことを憎む。この愛を、自己嫌悪する。わたしと姉さんは血脈だって繋がってなかったけれど、生まれも暮らしもちがったけれど、姉妹になれる。そうなりたいとわたしは思う。
「ほんと言うとさ、わたし、どっちかと言えば、妹が欲しかったの」
「うん」
「姉さんみたいにだめな姉じゃなくてね、生意気な妹よ」
「うん」
「器用でね、なんでもうまくやるの。二人目の子だからそんなふうに育つのよ」
「うん」
「たとえばわたしがしょうもないことで躓いてるときにやってきて、そういうの簡単に笑い飛ばしてくれるのよ。あーおねーちゃんはばかだねえ、ってさ」
「うん」
「でも、結局、わたしは妹になっちゃったでしょ。だからさ、せめてそんなふうになろうって思ってたの」
「うん」
「でも無理だったな」
「うん」
「姉さんは立派だわ。わたし姉さんのことばかだなんて言えないよ。姉さんがいてくれて嬉しいのよ。もうどうしようもないくらい愛してるんだから。死なないでよ……、ずっといて」
「どうかな、わたし……」
ここはひどく寒い。
わたしは震えている。
姉さんの手。
女苑、すごい汗……。
ねえさん、ねえさん……エア・コンディショナーを消してよ。
そんなの、ついてないよ?
でも、すごくつめたいの。はしっこのほうから、ふるえ、震えがとまらない。
ねえ、大丈夫だから、大丈夫だよ。すぐによくなるよ。
わたしは悪夢を見る。
悪夢の中で、姉さんは、キリストだった。
白いローブを羽織り月桂冠に照らされた姉さんは、その小さな手でわたしの手を包みこむように握りしめる。
まるで祈るように握っている。
そういう夢を。
でも、それだって、やっぱり、泡のように膨らんで弾けてしまうんだろう。
だからもうわたしは、どんな類の夢だって見ないよ。
姉さんの指、冷えゆく汗。
わたしたちは、ここで、凍りつく。
ある暑い夏の日の夕暮れに姉さんとわたしは二人で線路を歩いている。
その頃のわたしたちには、余りあるほどの時間があった。どこまで歩いていくことができた。そのときのわたしのスタイルは没神論的なスタンスミスで、姉さんは日本書紀からそっくりそのまま出てきたみたいに典型的だった。わたしは生まれてはじめて妹になったばかりだった。わたしたちには計画があったのだ。それは、いつものやつ、わたしたちが広がることに関するやつ……。わたしならいつもの通り乗り気じゃなかったけれど、姉さんはずいぶん気合が入ってた。姉さんにはいろんな作戦があった。道中ずっと姉さんはそのことについて喋っていた。そうだ、そうだった、わたしたちは、その原型は、この線路の上で生まれたのだった。姉さんはわたしたちに関するすべてにアイディアがあった。わたしたちの服装、意匠、喋り方、来歴について……。そもそも女苑に疫病神って似合わないとわたしはずっと思ってたんだよね。そう?適任だと思うけど、人の足を引っ張って生きんのは得意よ。そうかな、わたしはそうは思わないな、女苑ってむしろすごく優しいよ。へーまじで?そうなの? ほら、この前、昔好きだった男の子の話してくれたでしょ?普段あんま女苑言わない人なのにそのときはめっちゃ喋っててまだ好きみたいなこと言っててさ、それまでは女苑のことってね、秘密だよ、ほんとはね、ちょっと苦手だなあって思ってたんだけど、その話聞いたときにこの神さまってすごい女々しいな!って思って、なんだか、かわいいなって、それからはわたし女苑のこと大好きだよ。あんた本当はまだわたしのこと嫌いなんでしょ? えーなんで!なんで!だって、かわいかったんだよ。まじでむかつくなお前。なんでー。っていうかさ、昔の男のことずっと引きずるとかむしろ疫病神適任でしょ、ストーカーよ、ストーカー。あ、そうだね、ふふ女苑って疫病神じゃん。あんたってまじでさ……。わたしは、まあそう、とか、どうかな、とか、曖昧な肯きを返しながら、でも、姉さんの計画を聞くのは別に嫌じゃなかったのだ。姉さんにはたくさんの夢があった。わたしにはなくて、結局最後まで持たずに終わってしまったやつを……。そのうち歩き疲れて、わたしたちはその場で一休みすることにする。わたしは線路の上に横たわり空を見ていた。夕暮れの空には細い雲が煙のようにたなびいている。姉さんが言う。
「そんなとこで寝たら電車に轢かれちゃうよ」
「大丈夫。わたしは無敵なの」
「ふふ、女苑ってばか。じゃあ、わたしも線路で寝ようかな」
「うん。姉さんはそこで寝なさいよ」
「なんで? そんなにわたしのことが嫌?」
「だって、わたしより前の線路で寝てくれたら姉さんが先に轢かれるからそれで電車も止まってわたしは助かるじゃない」
「それ、ひどくない?」
「そうね、ひどいわ」
「ひどいことを言うのはやめよう!」
「まあ、そう……」
姉さんはわたしの隣に座る。
見上げると、夕空を背景に姉さんは笑っていた。
金星、いちばん星。
「ねえ、ねえ、女苑」
「なあに?」
「わたしたちこれから絶対すごくなるよ」
「そうかしら」
「そうだって。たくさん信仰を集めるし、もう超有名になって、イエス様みたくなってさあ、なんだって奇蹟を起こせるよ。そしたら女苑はなにしたい?」
「えー。わかんないわよ」
「なんでもいいんだよ、なんでもできるんだよ」
「じゃあ、星をほんとに星の形にするね。みんなが絵に描くぎざぎざのやつに」
「あのさ、これ、まじの話だからね」
「いや、ほんと特にないんだけど……。じゃあ服とかたくさん買いたいかなあ」
「女苑はおしゃれだもんねえ」
「姉さんは?」
「わたしは女苑が笑ってくれてたらそれでいいな」
「は? なにそれ? さいてー」
「さいてーなんかじゃないよ全然もう」
「てか、そんなにわたしのこと思ってくれるなら、やっぱ、そっちで寝なさいよ」
「なんで?」
「だって、そしたら姉さん轢かれて死んじゃうでしょ。わたし、きっと涙だって流しちゃうよ。こんなにも……、こんなにも、こんなにも、嬉しくって楽しくってさあ……」
「女苑のばか」
まだ何やら喋っている姉さんにわたしは背を向けて、目をつぶる。
線路の上に耳をくっつけてみて、電車の音が聞こえないかどうか、試してみる。
でも、やっぱり、わたしには聞こえない。
それは、ずっと聞こえない。
わたしはやってくる電車の音がわからないから、それがやってきても、きっと姉さんのことを守ることができないと思う。
姉さんがいつも聞いているその音を、わたしも聞きたいと思う。
でも、わたしには電車の音は聞こえない。
昔からずっと聞こえてはいない。
いつでもわたしはその場所で安心して眠ることができる。
ねえ、姉さんはそれって悲しい話だと思う?
場面転換のジェットコースターと狂ったような比喩表現の数々、短い文章なら書ける人もいそうですがこの文章量はなにか信念のようなものがないと絶対書けないでしょう。
衒学的でいながらもそれを否定するような所謂カオスというものがこの小説で一貫として書かれていてこんなものが存在していいのかとハンマーでぶん殴られたような衝撃を受けました。
内容についてですが私の未熟な読解力では無理でした。それともカオスを楽しむのがこの作品の正しい楽しみ方なのでしょうか……
発想力もありとても感心しながら読みました。
読んでいて、ところどころに挿入される細かすぎると言っていい描写に救われなさを感じ非常に心がざわつきました。これが作者さんの感性によるものなのか技術の賜物なのか、いずれにしてもとてつもない引力のある文章でした。