オリキャラ注意。
最近はとても暑くて、喉が渇いて仕方ないからいつも水ばかり飲んでいた。がぷがぷと飲むものだから井戸が枯れないかと母が笑うほどに喉が渇いていた。
空を見上げれば真っ青が広がっていて、申し訳なさそうに白いものが浮かんでいる程度。
あぁ、これでは私の喉が渇くのも仕方あるまい。
その日、私は弟の忘れ物を届けに学校に向かっていた。生憎私は身体が弱く、学校を卒業した後は仕事も就けずただ家で寝て過ごす事のほうが多かったのだが、その日はほんの僅かだけれども体調が良く、またこんなにも空が青いのならば日に少し当たるのも悪くないだろうと母に頼み外に出たのだ。
目を細めながら、まぶしく輝く太陽を見つめる。何処かでサイレンの音が聞こえた。
暑い暑いと思うけれども、やはり日の光は気持ちがいい。何よりここら辺は私の庭だ。小さい頃は今のように寝たきりというわけでもなかったから、この近辺は遊び場として駆け回った。
あの塀をよじ登ろうとして落っこちた事も、柿を取ろうと木の枝を振り回し叱られた事も、竹馬に乗って転び膝小僧をすりむいた事も、子猫を拾って母に元の場所に戻して来いと告げられ泣きながら子猫を抱いた事も、何一つ忘れてはいない。
だけれども、どれだけ記憶を辿ろうとも、この場所の記憶は無い。誰かの家だったのだろうか。それともそもそも空き地だったのだろうか。印象に残らないものというのは庭とはいえ覚えないのか。
だが今度は忘れようにも忘れられまい。
そこは一面の黄色だった。
随分立派に育った向日葵だ。このご時世に明るい向日葵は気持ちを晴れやかにしてくれるのだろう。
暑い。少しだけ立ちくらみがした。向日葵は気持ちを元気にさせてくれはするが、私の病を治す事は無い。早く弟に届け物をして、家に帰ろう。
もしもまた外に出れるほどの体力になったら、出来れば夏のうちに……またここに来れば良いだろう。画帳でも持ってこようか、絵心はないが留めておきたい気分だ。
熱い。目の前が真っ白になった。あぁ、しまった。体力の限界だったのか?あぁ、おかしいなぁ、足が、いや、身体が、消える。
私の記憶は一端そこで白から黒へと変わった。
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「随分とお寝坊さんね」
若い女性の声がして目を覚ました。先ほどと同じように青く澄み渡った空。私は寝転んでいるのだろうか。
何故だろう、身体が全然動かない。
「少しゆっくりしていきなさいな」
視界に女性の姿が映る。日傘を差した、赤いチェックの服を着たハイカラな女性だ。今のご時世にパーマネントまでかけているとは。度胸があるというのを通り越して大丈夫なのだろうかとかえって心配してしまうほどだ。
私は首一つ動かせないが、少しだけ映る風景に、ここが向日葵畑なのだという事を悟る。いや、そこには鮮やかな黄色い花がいくつもいくつも見えるから、という単純な思考に過ぎないのだけれども。
きっと先ほどの向日葵畑の前で倒れてしまったのだろう。そしてこの女性が私の事を介護してくれたに違いない。道端ではいくらなんでも危ないから、向日葵畑に運んでくれたのだろうか。
こんなに日差しが強く暑いというのに、喉が渇いていない。きっとこの女性が寝ている間に水を口に含ませてくれたのだろう。
大体の状況は把握出来た。この女性は私に良くしてくれたのだろう。ならばお礼の一言でも述べなければ気がすまない。
それなのに
私は一言も言葉を発する事が出来ない。
「いいからゆっくりしていきなさい。少し寝ぼけてるんじゃないの?」
目を細め、女性は私を一瞥し、冷たい口調でそう言い放つ。
気の強い女性だな。まぁあんな派手な服を着ているのだ、それなりに気品が高い人なのだろう。
それに私は動く事が出来ないのならば、身体を休める以外にやる事はない。おとなしく言われるがまま、まぶしすぎる空を見るのを止め、目を瞑る。
そのまま心を落ち着かせるとさらさらとした心地よい風に晒されているのが感じられとても気持ちが良いものだった。
そして私の記憶はまた黒へと変わる。
「今日もお寝坊さんね」
昨日と同じように女性の声で目が覚めた。これも昨日と同じように青く澄み渡った空。昨日よりは雲が幾分多いだろうか。
私は首を傾げる。いや、実際は傾げていないのだろうが、そのつもりで十分だ。
一日もここで寝てしまったのだろうか。それならばいくらなんでも家族が心配しているに違いない、家に帰らねば。だが何故だろうか、やはり身体が動かない。右手も左手も、足すらあるのかも判らない。いや。もしかしたら私が寝ている状態なのか、立っている状態なのかも判らなくなってきた。こんな症状は今までにないものだ。
不安になり女性を見つめるが、女性は昨日から変わらず気の強そうな笑顔でこちらを見ているだけだ。
「そんなに心配しなくてもいいわ。いずれ返る事が出来るわよ」
私は少しだけ驚いた。この女性は私の心が読めるのだろうか。それとも表情があるのだとすれば私の表情に出ていたのだろうか。
だがいずれ帰れるのならば、問題は無い。家族が心配して探しに来るのならばその時女性に事情を話して貰えばいいだろう。何せ私は今動く事が適わないのだから。
もしも今日が昨日と違うのならば、今日の風は少し湿度を含み生ぬるさを感じさせる。ふと、視界に違和感を感じさせるものが見えた。
「もう少しゆっくりしていけばいいわ」
私を覗き込むように女性が見つめたために、その視界は遮られ影となる。女性がその影を取り除く頃にはもう違和感などどこにも無く、私はそれを幻覚だと思い込む他に無かった。
「今の時期はどこを見ても綺麗な花が咲いているわ」
その女性が遠くを見ながら呟いた。確かにこの季節ならば気の早い秋桜やら、のんびり屋の朝顔やら、緑の中に色とりどりの花をつけ目を休ませてくれるだろう。
「貴方も花が好きなのね。ほら、今、とても安らかな顔をしているわ」
私のほうを見て女性は笑う。そんなに表情に出ていただろうか。言葉には出せないけれども、心の中で必死に「えぇ、花は好きです」と念じ続けた。
この女性がそれを受け取ってくれたかは判らない。また遠くを見ながらのんびりと私にいくつかの言葉をかけてくれた。
彼女に倣って、私は遠くを、とはいえ空しか見ることは出来ないのだが、ぼうっと見ながら彼女との会話を楽しんだ。
そんな緩やかな流れがが何度も何度も続いた。
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何度も何度も日が廻るとしても、不思議な事に私は夜の記憶がない。日が昇る頃に目覚め、日が沈む前には深い眠りについてしまう。寝たきりだった、とはいえ12時間もずっと眠り続けていることは無い。むしろ眠りは浅く夜に目覚める事の方が多かったくらいだ。
身体にも変化が訪れている。私の病による体の鈍痛は嘘のように無くなり、あれほど渇いていた喉もここ数日渇きを感じることが無くなった。食欲なんていうものはもってのほかだ。四肢は愚か全身があるのか無いのかさえ判らない。もう、目と耳と脳しか存在していないのではないだろうか。
もう一つの違和感としては、この向日葵畑は何の音も聞こえないのだ。いや、自然に存在する音は聞こえるのだが、それ以外の音、つまり人の声、雑踏、生活音。それにサイレンや飛行機といった類の音が一切聞こえてこない。
私の身体は一体どこまで正常なのだろうか、いや……
それとも、私は人間では無くなってしまったのだろうか。
日に日に不安は募る。あの女性は、『いずれ帰る事が出来る』と言っていたがいずれとはいつの事なのだろうか。家族は心配していないだろうか。
だが不安とは逆に、あの女性と声の無い会話をするのも楽しいとも感じ始めていた。
時折恐ろしいと感じる事もあるのだけれど、彼女はきっとこの向日葵畑、もしくは花自体が好きなのだろう。周りを見渡している時の表情はとても穏やかで美しいものだった。私も彼女の言葉を聞きながらこの近辺の花を想像する事で、彼女との感覚を共有しているかのような気分に浸れた。
彼女の見ている角度や目線を考えれば、この向日葵畑はかなり広いのだろう。おそらく、いや、確実に、ここは私が倒れたあの向日葵畑ではない。あの向日葵畑はそんなに広く大きなものではなかったのだから。
この美しく力強く咲く向日葵が萎れ枯れる頃になれば彼女はどんな表情で見つめるのだろうか。その頃には家に戻っていたいものだが……。もしここが、私の移動距離の範囲内であるならば訪れるのも悪くないだろう。
頭の中に取り留めのない思考だけが廻り浮かんで消えてゆく。
あぁ、でも私が人間では無くなってしまったとしていても、ここはとても、綺麗な場所なんだろう。
うん…… ここは平和だなぁ。お母さんや弟が見たら喜ぶかもしれないな……。家の近くのあの向日葵よりも美しい向日葵に違いないよ。
もし来れるなら一緒に来てもいいんじゃないだろうか。お父さんが帰ってきたら、お父さんも一緒に。家族一緒に。
ふと視界に、違和感を感じる。
先日感じた違和感と同じもの。そう、あの時は隠されてしまったけれども、今回は隠す事が出来なかったのだろうか。私の限られた視界に……。
今は、暑い暑い夏なのだ。
蝉がけたたましく鳴き、入道雲が上り、時折降る夕立に怯える夏なのだ。
薄い紫色の桜の花びらが一片、 私の視界を横切った。
なるほど、ここが美しく平和である理由が、私にも判った。
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「あら、いい加減に目が覚めたのね」
「はい。お手数をお掛けしました」
私はふわりと漂い、向日葵畑を歩く彼女を見つけるとその前に降り立った。
本当は声など出てはいないのだろう、だけれども彼女には伝わっている気がした。
「ここはあの世なのでしょうか」
私はようやく見ることの出来るようになった向日葵畑を見渡しながら、そう尋ねると、彼女は、くく、と愉快そうに笑い、首を横に振り否定した。
「やっぱり寝坊助ね。ここがあの世だったら私は何なのよ」
私は少しだけ考え込み、『神様か』とでも答えようと思ったが彼女に怒られそうな気がしたので喉のあたりでその言葉を止めてしまった。
「まぁいいわ。ねぇ貴方、餞、って言葉知ってるかしら。あれって旅立つ者に馬の鼻を向けて見送るっていうけれど、それじゃあ風情が無いと思わない?」
「風情、というか我々の観点で言うのであれば少し詫び寂びに欠けるものはあるかもしれませんね。ですがそれは文化ですから」
「あら、やっぱり向日葵に映るだけあるのね。しみったれた紫陽花じゃそんな返答は期待できなかったわ」
彼女は一瞬、驚いたような顔をしてみたが、また笑顔に戻る。そして、差していた日傘を閉じると、その先を先ほど桜が舞ってきた方向へと向ける。
今までは日傘で殆どを翳らせており、また、黒だと思い込んでいたものもあり気付かなかったが、彼女のその髪の毛の色はまるで草葉のような緑色をしていた。そう、赤い洋服とあわせ、一輪の花のように。
「……貴方は花の女神様なのかもしれませんね」
彼女に最後に怒られるのも悪くはないだろうと、先ほど止めておいた言葉を口にしてみたが、彼女は怒る事はなく、むしろ気持ち良さそうに笑ってしまった。
「あら、随分と位が高くなったものだわ。でも悪くは無いわね。……さぁ、私なりの餞よ」
彼女がそう宣告すると、無風だった向日葵畑に突如風が吹き、向日葵たちをざわつかせる。私は何が起こったのかと驚きあたりを見渡すと、それまで全く違う方向を好き勝手に向いていた向日葵が一斉に、彼女の傘が指し示していた方向へと向いていたのだった。
「やはり貴方は花の女神様でしょう」
「くく、そういう事にしておいてあげるわ。さぁお行きなさい。もし貴方がまた此処に辿り着くのであれば今度は酷い目にあわせてあげるわ」
私は苦笑をし、ふわりと風に漂うように浮かぶ。飛び方なぞ、生まれて死ぬまで考えた事も無かったのだが、死んでしまえば理解できるものもあるのだと悟った。この先に何があるかはわかるものではないが、せいぜい三途の川が流れているのだろう。よくよくみれば、私のように薄く光るものが一斉にそちらの方に向かっているのだ。
あぁ、ねぇ、ほら……。ここはこんなにも楽園なのですね。
「ねぇ、女神様。一つお尋ねしたいのですが」
くるりと後ろを振り返り、彼女を見る。おそらくこれが最後の彼女の姿だろうと思うと少し寂しかった。
「戦争は、どちらが勝ちますか」
彼女はほんの一瞬も考えずに答えてくれた。
「そんな下らない事、考えもしないわ。もしきちんとした答えが欲しいなら、答えてあげる。判りきっている事よ。それは私が勝つに決まってるわ」
その答えに私は久しぶりに声を上げて笑った。涙が出るほどに、大声で。
「ならば、せめてお名前をお聞かせ下さい。私の名前はもうだいぶ薄れてしまって教える事は出来ませんが、貴方の名前を次まで持って行きますから」
「風見幽香、せいぜい覚えておきなさい」
私は泣きながら、精一杯の笑顔で「ありがとうございました」と、この世界への別れを、彼女への別れを告げた。
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「やっと、これで最後の一輪が逝ったわね」
月が照らす一面の向日葵の中をゆっくりと歩き、風見幽香は独り言を呟く。もう此処にその言葉を聞く者はいない。
日に日に、紫の桜の花びらが舞う量が増えてきている。即ちこのお祭りももうすぐ終焉を迎えるのだろう。
「桜よりも遅いなんて、随分と抜けた子だと思ったけれど。向日葵は向日葵ね。とびきりの」
目的の場所、先ほど旅立った幽霊が宿っていた向日葵の元へ着くと幽香はその向日葵をじっと見つめる。
「戦争、ねぇ。馬鹿げてると、そう思わないかしら。そんなちっぽけな虚栄心を満たす為に、こんなにも見事な花を千切ろうだなんて、ねぇ」
空っぽになったその花に、まだその幽霊がいるかのように幽香は話しかけ続ける。
ひらりと漂う季節外れに舞い散る桜が幽香の手のひらに落ちた。
「そんな虚栄心なんて私から見たら何の価値も魅力もないものだわ。私が吹けば飛んでしまうようなものだもの」
ふっ、と強く息を吹きかければ、またその桜はひらりひらりと舞い、そして幽香の視界から消える。
「人間を虐めていいのは、妖怪だけよ。もし貴方がまた生まれ此処に来るならば、貴方を虐めてあげるわ。今度は妖怪と人間として」
幽香は向日葵の前で笑う。この向日葵の丘の中で、もっとも背が高く、大きく、そして美しく咲いていたこの向日葵の前で。
この空はあの子を殺した空とつながっているのだから、あの子はいずれまた此処に来るだろう事を信じて、ただ一人、幽香は笑い続けた。
気位の高い人のことかな?
読み終わった後、しんみりしました。
戦争は、みんな死んでしまうのです
このお話のように、外の世界で人間が幻想になってしまうほどに
「そんなに心配しなくてもいいわ。いずれ返れるわよ」
になっておりましたので、修正しておくといいかもしれませぬ
こんな話もいいものですね
面白かったですよ。
彼女が言うように戦争の愚かさに、我々が気付けるのは何時の日か……
大したコメントできずにすんません
せめて点数で受け取ってください
などとどうでもいいこと感想を書いてしまう自分のはがゆさ。
心にしみる、素敵なお話でした。
あとがきが心にしみました