―――あぁ、あれはいつのことだったかしら?
あの時はね、戯れのつもりだったのよ?
でもね、気付いたら手放したくなくなってたの―――
それは初夏の散歩中の出来事
1人の少女が私を睨みつける、目に浮かぶ涙は悔しさからそれとも痛みからか?
ついさっき私に「金を出せ」と茂みから踊りかかってきた少女は満身創痍で地べたに這いつくばっていた
この幻想郷随一と謳われる大妖怪、八雲 紫に襲い掛かるとは全くもって愉快痛快だ
まぁそれ以前にこの少女は体の使い方もろくに知らない素人だろう
あまりにも手ごたえがなくて拍子抜けしてしまった
「ねぇ貴女、どうしてお金を欲しいと思ったのかしら?」
妖怪がお金を欲しがるとはこれまたどうしたものか?
私の見立てではこの少女は狐の妖怪だ、それもつい最近化生になったばっかりの
普段なら即座に血の詰まったズタ袋にしてスキマ送りしてしまうところだが少しだけこの少女に興味が沸いた
少女はしぶしぶといった感じで私に説明しだした
私が人間に見えたこと
女だからちょっと脅かせば有り金を置いて逃げ出すと思っていたこと
本当は人間を襲ったりはしたくないこと
空腹に耐え切れずやってしまったこと
そして最後にお稲荷さんが食べたかったと
聞き終わると同時に私は噴きだしていた
少女は顔を真っ赤にして憤慨したが仕様が無い、面白い物は面白いし笑いたいときに私は笑うのだ
なるほどこの少女は妖怪の癖に妖怪らしくない、人間を襲うことに抵抗を感じている
そして何より稲荷寿司が食べたいと、この台詞が私の琴線に触れた
この少女は面白そうだ、私は彼女を持って帰ることにした
そう、いつもの戯れだ
飽きたら捨てればいい、何なら殺してしまってもいいし、スキマに放り込んでしまっても構わない
「私と一緒に来なさいな子ギツネさん、私が面倒を見てあげる お稲荷さんもお腹いっぱいになるまで食べさせてあげるし、
戦い方も教えてあげるわ 貴女このままじゃ3日で日干しよ?」
彼女は嫌がったが無理矢理スキマに落とし込んでマヨイガに連れて帰った
逃げ回る彼女を無理矢理床に押し付けわざと沁みる薬を使って傷の手当てをしてやり
大皿に山盛りにもった稲荷寿司を出してやった
初めは警戒していたが空腹に耐えかねたのか、貪る様に稲荷寿司を口に運び出した
時々喉に詰まらせて胸をドンドンと叩いている彼女が面白くてわざとお茶は出さなかった
彼女が満足するまでその様子を私はにやにやと眺めていた
空腹を満たした彼女が落ち着いてから色々聞き出してみた
どうやら少女は母親に棲家から追い出されたようだ
いつものように外から帰ってくるといきなり母親に襲われたらしい
棲家に近寄るたびに追い回され
母親にどうして家に入れてくれないのかと尋ねても答えてもらえず
泣く泣く諦めて野宿をしていたが空腹に負けて犯行に及んだようだ
そこまで話すと彼女は悲しそうに自分のひざを抱いて顔を伏せてしまった
2本しかない尻尾が悲しげに揺れている
つまるところ彼女は子別れの儀式を受けたのだろうか?
どうあれ少女が1人で生きていくのは難しそうだ
そう、彼女は妖怪にしては優しすぎる
「残念だけどもう貴女はお家には帰れないわよ? 帰ったところで追い返されるだけでしょうし
貴女が一人前になるまで私が鍛えてあげる 言っておくけど私は厳しいわよ? ちなみに嫌がっても無駄だから」
少女は顔を上げげんなりとした瞳をこちらに向けた
「そうそう、自己紹介がまだだったわね 私は八雲 紫 紫様と呼びなさい いいわね?
それで貴女の名前は?」
彼女は微かに耳に届く程度の音量で答えてくれた
「・・・ラン」
「ラン・・・ね 字はどう書くのかしら?」
「花の・・・蘭」
――――初めは嫌がってたのに藍ったらすぐに私に懐いてくれたわ
そりゃそうよね、まだまだ人肌恋しい年頃だったわけだし
まるで私を本当の母親みたいに頼ってくれて楽しかったし嬉しかった
私もね、貴女の母親になったつもりだったのよ?
ふふふ、きっと貴女は信じないだろうけど
多分寂しかったのよ
大妖怪と恐れられて、隙間をいじって遊んで誤魔化してたけど
いつも一人きりだったのよ?
貴女と一緒だったのよ、きっとね――――
「・・・・・・あっつぅ・・・」
あまりの寝苦しさに私は目を覚ました
外ではセミが喧しく鳴きまわり、ギラギラと日を降り注ぐ太陽がいつもより大きく見えた
「いつの間にか夏になったのね・・・・・・」
私の記憶がたしかなら最後に過ごした季節は冬の真っ只中のはずだ
当然布団も冬用、そりゃ暑い
「藍!藍はいないの!?」
手を叩きながら呼んでみる、するとすぐに返事は帰ってきた
『うわーめんどくせーあいつ起きやがったのかよー』といった感じの気だるい返事だったが
「ハイハイ・・・なんですか紫さm「奥義『弾幕結界』!」ぐふぉあ!?」
久しぶりに顔をあわせた瞬間、色々とムカついたので
部屋に入ってきた自分の式を有無も言わさず吹き飛ばしてやった
「藍・・・自分の主人が起きてきたんだからもっと嬉しそうにしなさいな、後それからその尻尾!暑苦しいわ 何とかなさい」
「そげなこった・・・いわれましても・・・・・ぐふ」
「それと布団が冬用のままじゃないの、ちゃんと変えておきなさいな」
「ハイ、モーシワケアリマセンデシタ」
よっぽど私が怖いのか、スペルカードのダメージで時々あちこちを痙攣させながら布団を交換している藍は正直気持ちが悪い
昔の蘭はもっと可愛かったのにと少し悲しくなった
あの後、藍に朝食(一般的には昼食に当たる時間帯だったが)を用意してもらい、それを腹の中に収めた
今は縁側に座り、水を張った桶に素足を突っ込みちゃぷちゃぷさせている
思っていたよりは涼が取れると思いつつ私はマヨイガの庭を見やった
庭では藍と橙が遊んでいた
二人とも楽しそうにしている
特に藍、あんな風に屈託なく笑う藍を見たのはいつ以来だろうか?
いや藍は最近よくああいう風に笑うようになっていた
もっとも、その笑顔は私に向けられる物ではなく橙に向けられていたが
私に向けて笑う藍の笑顔は苦笑いか愛想笑いだけだ
そう思うと藍のあの笑顔を引き出せる橙が少しだけ羨ましく思えた
藍は今、橙の世話をするのが楽しくて仕方が無いのだろう
私もそうだった
あの頃の蘭は襖は破くわ、障子に穴を開けるわ、窓は割るわ、垣根は倒すわで、大変だった
今にして思えばなかなかのおてんば娘だったといえるだろう
手のかかる子供は可愛いものなのだ
私の教えたことを少しずつ覚え、徐々に私の手から離れていく蘭を見るのは嬉しい反面、寂しくもあった
そういえば私はどうして蘭を自分の式にしようと思ったのだろうか?
あーでもないこーでもないと考えているうちに日は暮れ、藍が私に夕食の支度が出来たことを告げに来た
夕食はコロッケだった
味はよくわからなかった
――――私はね、藍
貴女のことを本当に娘のように思っていたのよ?
ううん、今でも思ってる
でもね、親子じゃダメなのよ
子は成長したら親から離れて自立していく
親は子の背中を押してやり自立を促す
そして子は親になり子を育てていく
それが当然、それが摂理
でも
でも、それは藍が私の元からいなくなるということで・・・
私はそれが怖かった・・・そう怖かったの
可笑しいでしょう?
幻想郷にその名を轟かせていたこの私が!
娘1人を送り出すことに恐れ慄いていたなんて!!
貴女と出会ってから私はいろんなことを思い知らされたわ
1人でいることの寂しさ、つらさ、悲しさ、苦しさ・・・
2人で時を共に過ごす喜び、楽しさ、嬉しさ、幸せさ・・・
1度知ってしまったらもう一人には戻れない、戻りたくない
だから・・・だからね、藍?
私は1本、境界線を引く事にしたの
私と貴女の間に
主従と言う名の境界線を――――
「蘭?いないの?」
愛娘の名を呼びながら部屋数の少ない我が家を探し回る
いない
どこにいったのかしらと考えていると、庭のほうから声がした
「どうかなさったんですか、紫様?」
窓から顔をだすと手を少し泥で汚した蘭が、こちらに駆け寄ってきているところだった
どうやら庭園の世話でもしていたのだろう
「あのね蘭、大切な話があるの 土いじりは切り上げて私の部屋に来てくれないかしら?」
「わかりました、すぐに伺います」
パタパタと駆けていく蘭の後姿を見ながら私は少し気合を入れた
さぁここからが正念場だ
彼女の尻尾はもう6本になっていた
「失礼します」
身なりを整えた蘭が私の部屋に入ってきた
少し神妙な顔になっている蘭が可愛らしい
きっと何か咎められるのでは、とでも思っているのだろう
これから私は生涯で一番の我儘を押し通す
「貴女はよくがんばってるわ 私の教えた知識をきちんと自分のものにしてきたし
戦い方だってしっかりと身についてきたわね あとは経験を積むだけといった所かしら?
それに妖力も昔に比べれば段違いに大きくなったわ その6本に増えた尻尾を見れば一目瞭然ね」
蘭は俯き加減の顔を真っ赤にしながら消え入るような声で「ありがとうございます」と言った
髪の毛の間から顔を出している耳はぴこぴこと動き、6本の尻尾は嬉しそうに揺れている
かわいいなぁもう!
おっと、危うく蘭を抱きしめに行きそうになるところだった
ここからが大事なところなのに
私もまだまだ修行が足りないわね
「もう名実共に一人前の妖孤になったと言っても過言ではないと思うの」
少しだけ語尾が上がってしまったかもしれない
それに少し早口になってきている
情けない、何を緊張しているのだ私は
自分を落ち着かせようと必死になっていた私は「一人前」と聞いた時に蘭が少しだけ寂しそうな顔をしたことに気付かなかった
「それでね、蘭 えーと・・・そうそう!本来なら一人前になったことだしそろそろここから出て行ってもらうことになるはずなんだけど・・・」
結構いっぱいいっぱいだ
前言撤回、そりゃ誰だってハジメテは緊張するもんでしょう?
しないほうがおかしい
いや、それより今まで一度もシタことがない私のほうがおかしいのかしら?
いやいやいや、そうそう簡単にこんなことはするもんじゃないんだから私は間違ってない
テンパっていた私は蘭が泣きそうになっていることに気付く余裕なんてありゃしなかった
「でね? もしよかったら・・・あー・・・そのね?私と契約っていうか・・・うん・・・そう・・・私の式になってもらえないかしら!?」
そこで目が覚めた
ちゃぷちゃぷと桶の水を遊ばせる
足の裏がふやけてきている
目が覚めてから食事も取らずに今までずっとこうしていたのだから当たり前だ
思い描いているのは夢の続き
あの後蘭(ラン)は私の式になり、藍(ラン)になった
紫(ムラサキ)は藍(アイ)と紅(クレナイ)が混ざってできる
八雲の苗字と私の紫(ユカリ)から半分――藍(ラン)――を貴女の名前にあげるといったら彼女は喜んで名を変えた
名前を変える必要はなかったかもしれないが彼女の本当の親に対する僅かばかりな虚栄心だ
この子は私の子供です、と
藍を式にしてから私はよく眠るようになった
眠りは脳の記憶装置
もう藍とは親子ではないのだ、これから過ごす時は親子ではなく主従として過ごすことになる
親子であった時代のことを1つでも多く覚えて置けるようにと永く永く・・・
藍は今の私達の関係をどう思っているのだろう?
私の我儘で始まった主従と言う名の関係
もしかすると藍はこの関係に嫌気がさしているのかもしれない
今にして思えば私は常に藍を縛り付けてきた
娘として、式として、そして今では必要のない用事まで押し付けてまで私の傍に置こうとしている
でも、藍は橙という新しい絆を手に入れた
もう私は必要ないのかもしれない
藍の本音が知りたい
どう思っているのか?
どうしたいのか?
もし藍が私を必要としていないなら
その時は――――
夕飯の支度をしていた藍に今夜12時に私の部屋に来るようにと命じ自室に引き篭もった
パンッ!!
乾いた音が私の部屋に響く
何が起こったか一瞬わからなかった
ただ頬が痛くて、いたくて、そして熱かった
藍に頬を張られたと認識できたのはもう少し後のことだった
藍は私の言った時間通りに部屋にやってきた
明かりを灯していなかったので藍の表情はよくわからなかった
私は今まで思ってきたことを全て吐き出した
これほどまでに素直に思いを語ったのは生まれて初めてだ
藍は何も言わず私の言葉を最後まで聞き、そして聞き終わったと同時に私の頬を打った
彼女は泣いていた
「紫様は・・・勝手すぎます!」
そうだ、私は我儘だったのだ
だから私の我儘から解き放とうと思って・・・
ねぇ藍、どうしてそんなに怒っているの?
「確かに紫様はどうしようもないぐらいグータラでダメ妖怪です! でも、それでも・・・」
藍は私をきっ、と見据えてこう言ってくれた
多分私はこの言葉を墓に入っても忘れないだろう
「それでも!母を慕わぬ子が何処に居りましょう!?」
あれ・・・おかしいな?
「ずっと、紫様に拾われたあの日から師の様に、母の様にお慕いしていたのに!
どうして・・・どうしてそんな事を仰るんですか!?
私を式にしてくださったのは私を認めてくれたからではなかったのですか!?」
なんだか藍の顔がよく見えなくなってきちゃった
「私に名前を分けてくださったとき 貴女の子として認められたようで嬉しかったのに、いまさら・・・なん・・・で?」
どうしたのかしら藍ったら急に静かになっちゃって
あぁそれよりこの頬を伝う熱いものは何かしら?
「ゆ、紫様!? どうなさったん・・・ですか? そ、そんなに痛かったですか 申し訳ありません!!そんなにきつく叩いたつもりは・・・」
違う、違うのよ藍
何が違うのかはよくわからないけど違うの
藍は悪くないの
悪いのは私なの
愚かだったのも私なのよ
「ごめんなさい 藍、許して ごめんなさいごめんなさい」
私にはもう溢れる涙を止めることも
藍にかけるべき言葉を見つけることも出来なかった
ただただ藍に縋り付いて謝罪の言葉を並べるだけ
そんな私を藍は優しく抱きしめてくれた
空に浮かんだ虚像の満月だけが私達を見ていた
蛍の灯りはいつもより驚しく見えたのは気の所為か
今宵は永い夜になるだろう
博霊の巫女を向こう1週間分の食料で雇い私達は満月の異変の原因を叩き潰しに出発した
霊夢は一体どんな生活をしているのだろう?
そんなに飢えているのかしら?
「ねぇ・・・」
霊夢が聞いてくる
「あんたたち、いつからそんなに仲良しになったわけ?」
私と藍が寄り添うようにしているのが不思議なのかしら?
「あら霊夢、私達はずっと昔から仲良しよ?」
「正直気持ち悪い 特に藍 ちょっと前までよく神社に紫のことで愚痴りに来ていたのに
やれ紫はダメ妖怪だの、グータラ過ぎて橙の教育によろしくないとか、足くさもごもごもごふがふがふが」
「アハハハハハハハハハ、霊夢ッタラソウイウ妄言ハ他所デヤッテクレナイカ?」
「藍・・・」
「んー!んー!・・・んー・・・・ん~・・・・・・ガクガク」
「はいいいいいいいいいいい!? ななな、なんでしょうか!?」
「後でひどいわよ」
「うええええ 勘弁してくださいよぉ」
耳も尻尾もたらしてへこむ自分の式を見る
酸欠で蒼くなっている霊夢はあえて見ないことにした
あの夜のことは今思い出しても恥ずかしい
魔理沙や幽々子に知られようものなら未来永劫に渡っていじり倒されそうだ
要するに私が浅はかだったのだ
藍のこころを想い量ることが出来ず
あれよこれよと自己完結した結果があれだ
初めから最期まで私と藍は親子だったのだ
わざわざ藍を式にして主従と言う関係で縛り付ける必要はなかったのに
情けない、ダメ妖怪といわれても言い返せないだろう
あの後、藍は私の式で在り続けたいと申し出てきた
親子の絆があるのだからその必要はないと思ったが藍が望むのなら構わないだろう
結局あれから私と藍の関係は親子でありながら主従の関係というよくわからないものになった
まぁ何が変わったというものはないのだけれど
変わったところと言えば藍の笑顔が昔に戻ったことと私があまり寝なくなったことぐらいだ
もう過去の記憶を留めておく必要はない、新しく親子としての思い出を作っていけばいい
少しばかり遠回りをしてしまったけれど私達の日常は概ね順調だ
「さあ藍 とっとと異変を解決して本物の満月でお月見よ」
「はい!」
いかに私の力をもってしても終わらない夜を作ることは出来ない
明けない夜はないのだ
でも、終わらない絆なら作れるかもしれない
解けぬ絆を、ゆっくりと紡いでいこう
私達には時間がたっぷり残されているのだから
あの時はね、戯れのつもりだったのよ?
でもね、気付いたら手放したくなくなってたの―――
それは初夏の散歩中の出来事
1人の少女が私を睨みつける、目に浮かぶ涙は悔しさからそれとも痛みからか?
ついさっき私に「金を出せ」と茂みから踊りかかってきた少女は満身創痍で地べたに這いつくばっていた
この幻想郷随一と謳われる大妖怪、八雲 紫に襲い掛かるとは全くもって愉快痛快だ
まぁそれ以前にこの少女は体の使い方もろくに知らない素人だろう
あまりにも手ごたえがなくて拍子抜けしてしまった
「ねぇ貴女、どうしてお金を欲しいと思ったのかしら?」
妖怪がお金を欲しがるとはこれまたどうしたものか?
私の見立てではこの少女は狐の妖怪だ、それもつい最近化生になったばっかりの
普段なら即座に血の詰まったズタ袋にしてスキマ送りしてしまうところだが少しだけこの少女に興味が沸いた
少女はしぶしぶといった感じで私に説明しだした
私が人間に見えたこと
女だからちょっと脅かせば有り金を置いて逃げ出すと思っていたこと
本当は人間を襲ったりはしたくないこと
空腹に耐え切れずやってしまったこと
そして最後にお稲荷さんが食べたかったと
聞き終わると同時に私は噴きだしていた
少女は顔を真っ赤にして憤慨したが仕様が無い、面白い物は面白いし笑いたいときに私は笑うのだ
なるほどこの少女は妖怪の癖に妖怪らしくない、人間を襲うことに抵抗を感じている
そして何より稲荷寿司が食べたいと、この台詞が私の琴線に触れた
この少女は面白そうだ、私は彼女を持って帰ることにした
そう、いつもの戯れだ
飽きたら捨てればいい、何なら殺してしまってもいいし、スキマに放り込んでしまっても構わない
「私と一緒に来なさいな子ギツネさん、私が面倒を見てあげる お稲荷さんもお腹いっぱいになるまで食べさせてあげるし、
戦い方も教えてあげるわ 貴女このままじゃ3日で日干しよ?」
彼女は嫌がったが無理矢理スキマに落とし込んでマヨイガに連れて帰った
逃げ回る彼女を無理矢理床に押し付けわざと沁みる薬を使って傷の手当てをしてやり
大皿に山盛りにもった稲荷寿司を出してやった
初めは警戒していたが空腹に耐えかねたのか、貪る様に稲荷寿司を口に運び出した
時々喉に詰まらせて胸をドンドンと叩いている彼女が面白くてわざとお茶は出さなかった
彼女が満足するまでその様子を私はにやにやと眺めていた
空腹を満たした彼女が落ち着いてから色々聞き出してみた
どうやら少女は母親に棲家から追い出されたようだ
いつものように外から帰ってくるといきなり母親に襲われたらしい
棲家に近寄るたびに追い回され
母親にどうして家に入れてくれないのかと尋ねても答えてもらえず
泣く泣く諦めて野宿をしていたが空腹に負けて犯行に及んだようだ
そこまで話すと彼女は悲しそうに自分のひざを抱いて顔を伏せてしまった
2本しかない尻尾が悲しげに揺れている
つまるところ彼女は子別れの儀式を受けたのだろうか?
どうあれ少女が1人で生きていくのは難しそうだ
そう、彼女は妖怪にしては優しすぎる
「残念だけどもう貴女はお家には帰れないわよ? 帰ったところで追い返されるだけでしょうし
貴女が一人前になるまで私が鍛えてあげる 言っておくけど私は厳しいわよ? ちなみに嫌がっても無駄だから」
少女は顔を上げげんなりとした瞳をこちらに向けた
「そうそう、自己紹介がまだだったわね 私は八雲 紫 紫様と呼びなさい いいわね?
それで貴女の名前は?」
彼女は微かに耳に届く程度の音量で答えてくれた
「・・・ラン」
「ラン・・・ね 字はどう書くのかしら?」
「花の・・・蘭」
――――初めは嫌がってたのに藍ったらすぐに私に懐いてくれたわ
そりゃそうよね、まだまだ人肌恋しい年頃だったわけだし
まるで私を本当の母親みたいに頼ってくれて楽しかったし嬉しかった
私もね、貴女の母親になったつもりだったのよ?
ふふふ、きっと貴女は信じないだろうけど
多分寂しかったのよ
大妖怪と恐れられて、隙間をいじって遊んで誤魔化してたけど
いつも一人きりだったのよ?
貴女と一緒だったのよ、きっとね――――
「・・・・・・あっつぅ・・・」
あまりの寝苦しさに私は目を覚ました
外ではセミが喧しく鳴きまわり、ギラギラと日を降り注ぐ太陽がいつもより大きく見えた
「いつの間にか夏になったのね・・・・・・」
私の記憶がたしかなら最後に過ごした季節は冬の真っ只中のはずだ
当然布団も冬用、そりゃ暑い
「藍!藍はいないの!?」
手を叩きながら呼んでみる、するとすぐに返事は帰ってきた
『うわーめんどくせーあいつ起きやがったのかよー』といった感じの気だるい返事だったが
「ハイハイ・・・なんですか紫さm「奥義『弾幕結界』!」ぐふぉあ!?」
久しぶりに顔をあわせた瞬間、色々とムカついたので
部屋に入ってきた自分の式を有無も言わさず吹き飛ばしてやった
「藍・・・自分の主人が起きてきたんだからもっと嬉しそうにしなさいな、後それからその尻尾!暑苦しいわ 何とかなさい」
「そげなこった・・・いわれましても・・・・・ぐふ」
「それと布団が冬用のままじゃないの、ちゃんと変えておきなさいな」
「ハイ、モーシワケアリマセンデシタ」
よっぽど私が怖いのか、スペルカードのダメージで時々あちこちを痙攣させながら布団を交換している藍は正直気持ちが悪い
昔の蘭はもっと可愛かったのにと少し悲しくなった
あの後、藍に朝食(一般的には昼食に当たる時間帯だったが)を用意してもらい、それを腹の中に収めた
今は縁側に座り、水を張った桶に素足を突っ込みちゃぷちゃぷさせている
思っていたよりは涼が取れると思いつつ私はマヨイガの庭を見やった
庭では藍と橙が遊んでいた
二人とも楽しそうにしている
特に藍、あんな風に屈託なく笑う藍を見たのはいつ以来だろうか?
いや藍は最近よくああいう風に笑うようになっていた
もっとも、その笑顔は私に向けられる物ではなく橙に向けられていたが
私に向けて笑う藍の笑顔は苦笑いか愛想笑いだけだ
そう思うと藍のあの笑顔を引き出せる橙が少しだけ羨ましく思えた
藍は今、橙の世話をするのが楽しくて仕方が無いのだろう
私もそうだった
あの頃の蘭は襖は破くわ、障子に穴を開けるわ、窓は割るわ、垣根は倒すわで、大変だった
今にして思えばなかなかのおてんば娘だったといえるだろう
手のかかる子供は可愛いものなのだ
私の教えたことを少しずつ覚え、徐々に私の手から離れていく蘭を見るのは嬉しい反面、寂しくもあった
そういえば私はどうして蘭を自分の式にしようと思ったのだろうか?
あーでもないこーでもないと考えているうちに日は暮れ、藍が私に夕食の支度が出来たことを告げに来た
夕食はコロッケだった
味はよくわからなかった
――――私はね、藍
貴女のことを本当に娘のように思っていたのよ?
ううん、今でも思ってる
でもね、親子じゃダメなのよ
子は成長したら親から離れて自立していく
親は子の背中を押してやり自立を促す
そして子は親になり子を育てていく
それが当然、それが摂理
でも
でも、それは藍が私の元からいなくなるということで・・・
私はそれが怖かった・・・そう怖かったの
可笑しいでしょう?
幻想郷にその名を轟かせていたこの私が!
娘1人を送り出すことに恐れ慄いていたなんて!!
貴女と出会ってから私はいろんなことを思い知らされたわ
1人でいることの寂しさ、つらさ、悲しさ、苦しさ・・・
2人で時を共に過ごす喜び、楽しさ、嬉しさ、幸せさ・・・
1度知ってしまったらもう一人には戻れない、戻りたくない
だから・・・だからね、藍?
私は1本、境界線を引く事にしたの
私と貴女の間に
主従と言う名の境界線を――――
「蘭?いないの?」
愛娘の名を呼びながら部屋数の少ない我が家を探し回る
いない
どこにいったのかしらと考えていると、庭のほうから声がした
「どうかなさったんですか、紫様?」
窓から顔をだすと手を少し泥で汚した蘭が、こちらに駆け寄ってきているところだった
どうやら庭園の世話でもしていたのだろう
「あのね蘭、大切な話があるの 土いじりは切り上げて私の部屋に来てくれないかしら?」
「わかりました、すぐに伺います」
パタパタと駆けていく蘭の後姿を見ながら私は少し気合を入れた
さぁここからが正念場だ
彼女の尻尾はもう6本になっていた
「失礼します」
身なりを整えた蘭が私の部屋に入ってきた
少し神妙な顔になっている蘭が可愛らしい
きっと何か咎められるのでは、とでも思っているのだろう
これから私は生涯で一番の我儘を押し通す
「貴女はよくがんばってるわ 私の教えた知識をきちんと自分のものにしてきたし
戦い方だってしっかりと身についてきたわね あとは経験を積むだけといった所かしら?
それに妖力も昔に比べれば段違いに大きくなったわ その6本に増えた尻尾を見れば一目瞭然ね」
蘭は俯き加減の顔を真っ赤にしながら消え入るような声で「ありがとうございます」と言った
髪の毛の間から顔を出している耳はぴこぴこと動き、6本の尻尾は嬉しそうに揺れている
かわいいなぁもう!
おっと、危うく蘭を抱きしめに行きそうになるところだった
ここからが大事なところなのに
私もまだまだ修行が足りないわね
「もう名実共に一人前の妖孤になったと言っても過言ではないと思うの」
少しだけ語尾が上がってしまったかもしれない
それに少し早口になってきている
情けない、何を緊張しているのだ私は
自分を落ち着かせようと必死になっていた私は「一人前」と聞いた時に蘭が少しだけ寂しそうな顔をしたことに気付かなかった
「それでね、蘭 えーと・・・そうそう!本来なら一人前になったことだしそろそろここから出て行ってもらうことになるはずなんだけど・・・」
結構いっぱいいっぱいだ
前言撤回、そりゃ誰だってハジメテは緊張するもんでしょう?
しないほうがおかしい
いや、それより今まで一度もシタことがない私のほうがおかしいのかしら?
いやいやいや、そうそう簡単にこんなことはするもんじゃないんだから私は間違ってない
テンパっていた私は蘭が泣きそうになっていることに気付く余裕なんてありゃしなかった
「でね? もしよかったら・・・あー・・・そのね?私と契約っていうか・・・うん・・・そう・・・私の式になってもらえないかしら!?」
そこで目が覚めた
ちゃぷちゃぷと桶の水を遊ばせる
足の裏がふやけてきている
目が覚めてから食事も取らずに今までずっとこうしていたのだから当たり前だ
思い描いているのは夢の続き
あの後蘭(ラン)は私の式になり、藍(ラン)になった
紫(ムラサキ)は藍(アイ)と紅(クレナイ)が混ざってできる
八雲の苗字と私の紫(ユカリ)から半分――藍(ラン)――を貴女の名前にあげるといったら彼女は喜んで名を変えた
名前を変える必要はなかったかもしれないが彼女の本当の親に対する僅かばかりな虚栄心だ
この子は私の子供です、と
藍を式にしてから私はよく眠るようになった
眠りは脳の記憶装置
もう藍とは親子ではないのだ、これから過ごす時は親子ではなく主従として過ごすことになる
親子であった時代のことを1つでも多く覚えて置けるようにと永く永く・・・
藍は今の私達の関係をどう思っているのだろう?
私の我儘で始まった主従と言う名の関係
もしかすると藍はこの関係に嫌気がさしているのかもしれない
今にして思えば私は常に藍を縛り付けてきた
娘として、式として、そして今では必要のない用事まで押し付けてまで私の傍に置こうとしている
でも、藍は橙という新しい絆を手に入れた
もう私は必要ないのかもしれない
藍の本音が知りたい
どう思っているのか?
どうしたいのか?
もし藍が私を必要としていないなら
その時は――――
夕飯の支度をしていた藍に今夜12時に私の部屋に来るようにと命じ自室に引き篭もった
パンッ!!
乾いた音が私の部屋に響く
何が起こったか一瞬わからなかった
ただ頬が痛くて、いたくて、そして熱かった
藍に頬を張られたと認識できたのはもう少し後のことだった
藍は私の言った時間通りに部屋にやってきた
明かりを灯していなかったので藍の表情はよくわからなかった
私は今まで思ってきたことを全て吐き出した
これほどまでに素直に思いを語ったのは生まれて初めてだ
藍は何も言わず私の言葉を最後まで聞き、そして聞き終わったと同時に私の頬を打った
彼女は泣いていた
「紫様は・・・勝手すぎます!」
そうだ、私は我儘だったのだ
だから私の我儘から解き放とうと思って・・・
ねぇ藍、どうしてそんなに怒っているの?
「確かに紫様はどうしようもないぐらいグータラでダメ妖怪です! でも、それでも・・・」
藍は私をきっ、と見据えてこう言ってくれた
多分私はこの言葉を墓に入っても忘れないだろう
「それでも!母を慕わぬ子が何処に居りましょう!?」
あれ・・・おかしいな?
「ずっと、紫様に拾われたあの日から師の様に、母の様にお慕いしていたのに!
どうして・・・どうしてそんな事を仰るんですか!?
私を式にしてくださったのは私を認めてくれたからではなかったのですか!?」
なんだか藍の顔がよく見えなくなってきちゃった
「私に名前を分けてくださったとき 貴女の子として認められたようで嬉しかったのに、いまさら・・・なん・・・で?」
どうしたのかしら藍ったら急に静かになっちゃって
あぁそれよりこの頬を伝う熱いものは何かしら?
「ゆ、紫様!? どうなさったん・・・ですか? そ、そんなに痛かったですか 申し訳ありません!!そんなにきつく叩いたつもりは・・・」
違う、違うのよ藍
何が違うのかはよくわからないけど違うの
藍は悪くないの
悪いのは私なの
愚かだったのも私なのよ
「ごめんなさい 藍、許して ごめんなさいごめんなさい」
私にはもう溢れる涙を止めることも
藍にかけるべき言葉を見つけることも出来なかった
ただただ藍に縋り付いて謝罪の言葉を並べるだけ
そんな私を藍は優しく抱きしめてくれた
空に浮かんだ虚像の満月だけが私達を見ていた
蛍の灯りはいつもより驚しく見えたのは気の所為か
今宵は永い夜になるだろう
博霊の巫女を向こう1週間分の食料で雇い私達は満月の異変の原因を叩き潰しに出発した
霊夢は一体どんな生活をしているのだろう?
そんなに飢えているのかしら?
「ねぇ・・・」
霊夢が聞いてくる
「あんたたち、いつからそんなに仲良しになったわけ?」
私と藍が寄り添うようにしているのが不思議なのかしら?
「あら霊夢、私達はずっと昔から仲良しよ?」
「正直気持ち悪い 特に藍 ちょっと前までよく神社に紫のことで愚痴りに来ていたのに
やれ紫はダメ妖怪だの、グータラ過ぎて橙の教育によろしくないとか、足くさもごもごもごふがふがふが」
「アハハハハハハハハハ、霊夢ッタラソウイウ妄言ハ他所デヤッテクレナイカ?」
「藍・・・」
「んー!んー!・・・んー・・・・ん~・・・・・・ガクガク」
「はいいいいいいいいいいい!? ななな、なんでしょうか!?」
「後でひどいわよ」
「うええええ 勘弁してくださいよぉ」
耳も尻尾もたらしてへこむ自分の式を見る
酸欠で蒼くなっている霊夢はあえて見ないことにした
あの夜のことは今思い出しても恥ずかしい
魔理沙や幽々子に知られようものなら未来永劫に渡っていじり倒されそうだ
要するに私が浅はかだったのだ
藍のこころを想い量ることが出来ず
あれよこれよと自己完結した結果があれだ
初めから最期まで私と藍は親子だったのだ
わざわざ藍を式にして主従と言う関係で縛り付ける必要はなかったのに
情けない、ダメ妖怪といわれても言い返せないだろう
あの後、藍は私の式で在り続けたいと申し出てきた
親子の絆があるのだからその必要はないと思ったが藍が望むのなら構わないだろう
結局あれから私と藍の関係は親子でありながら主従の関係というよくわからないものになった
まぁ何が変わったというものはないのだけれど
変わったところと言えば藍の笑顔が昔に戻ったことと私があまり寝なくなったことぐらいだ
もう過去の記憶を留めておく必要はない、新しく親子としての思い出を作っていけばいい
少しばかり遠回りをしてしまったけれど私達の日常は概ね順調だ
「さあ藍 とっとと異変を解決して本物の満月でお月見よ」
「はい!」
いかに私の力をもってしても終わらない夜を作ることは出来ない
明けない夜はないのだ
でも、終わらない絆なら作れるかもしれない
解けぬ絆を、ゆっくりと紡いでいこう
私達には時間がたっぷり残されているのだから
いや、何がクるのかわかんないけども、心にスッと響くんだ。
母娘の思い、素敵です。いくつになっても母は母、娘は娘、だと思います。紫さんの言い回しがもう一声きてくれれば、間違いなくあんた最高だと叫んでいました。お見事です。
八雲家は素敵な家族だなぁ
こういう心情描写の豊かな作品が描けるのは羨ましい限り。
なお蛇足ながら、九尾の狐伝説から考えると、尻尾の数が段階的に増加するというのは
ちょっと奇妙な感じを受けました。まあどうでもいいですが。
いいコンビだと思うんですよこの二人。