この話の吸血鬼は、血を飲むことでその人物の人生を感じることが出来ます。
これは、作品集203『一個の輸血パックの中には、全ての書物にある以上の哲学が存在する?』『吸血鬼のワイン』で使った設定でもあります。
「イマイチね」
「あら、これも気に入りませんの?」
霍青娥は意外そうに声を上げ龍を模した陶器の置物を机の脇に寄せる。
「年代物なんですけどねえ」
紅魔館の客間のアンティークデスクの上は、今や中国製の古美術品の数々が摩天楼の如く聳え立っている。
「もう此方は品切れですわ。まさか一つも買い取っていだだけないなんて」
心底落胆し、拗ねた顔つきで大きくため息をついた。
「古いだけの駄作なんていくらでもある」
「レミリアさんは何時も分かったような事をおっしゃるけど、この品々を評価されないなんてその見識もたかが知れたものですわ。全くの骨折り損の草臥れ儲け。もう二度とこのお屋敷には足を運ばないでしょうね」
「お茶くらい出すけど」
「結構です。これ以上いると体調を崩しそうですもの。最低限の空気の浄化装置はあるようですけど、窓が全くないのも、この異常な配色も、私にはとても耐えられませんわ」
立ち上がりいそいそと帰り支度を始めた。
「まあ、待ちなさいよ。一つも買わないなんて言ってないじゃない」
「あら、お眼鏡に適う品がありました?」
「まだ見せてない物もあるみたいだけど」
青娥が座っていた椅子の横に置いてある包みを指差す。
「残念だけど売り物ではないわ。ここに来る途中に森で拾った小物です。普段はこんな乞食の様な真似はしないんですけど、見過ごすには惜しい品でしたから」
「見てもいいかしら?」
青娥は座りなおし、明朝の壷と黄ばんだ対極図の隙間にある最後の空間に包み置く。山吹色の布を解くと鮮やかな朱の和服が現れた。
「良いじゃない。色も好みだわ」
「上質の絹ですし、品の無い色彩を除けば良い品ですわ。大きなシミがなければ完璧だったんですけど」
「あら、血痕」
「怖いですよね」
レミリアは女物の和服を持ち上げ血痕の辺りに鼻を近づけた。
「これ、御幾らかしら?」
「パチェ、いるー?」
「ついてるわねレミィ。ちょうどメアリーが……肉片だった時は気付かなかったけど女性だったのよ。彼女が目を覚ましたの」
レミリアが図書館に備え付けられているラボに入ると、パチュリーが助手の小悪魔と死霊術の実験をしていた。
先日訪れた時に水槽の中で揺れていた大脳は、今や生前に近い上半身と剥き出しの下腿骨とを再生して、人の形を取り戻しつつあった。
解剖台の上で不完全な肉をシーツによって隠されている有様なのに目を覚ましたメアリーは言葉を発している様だった。
「ノ……ッ……ヤル」
「ん?何かしら」
パチュリーは口に指を入れ、気道を塞いでいる剥離した粘膜を取り除く。
「ノロッテヤル」
涙を浮かべる友人の魔女に慰めの言葉をかける。
「気にすること無いわ。どう見ても悲しんでるけど、前いた場所が地獄じゃないって分かったんだし、良い子よきっと。考え様によっては……うん、贔屓目に見ても蘇らせてくれてありがとうって顔つきに見えないのは喜ばしいことよ」
「どうしよう、レミィ。私、涙が止まらないの」
「分かるわ」
「嬉しくって、涙があふれて来るわ!」
「……良かったわね」
「パチュリー様、苦しんでるようですけど」
「すさまじい激痛のようね。アスピリンを持ってきてもらえるかしら」
「分かりました」
数分後、意識を失うことで落ち着きを取り戻したメアリーの額を撫でながらレミリアは血痕が付いた着物をパチュリーに手渡す。
「これの解析をお願いしたいんだけど」
「あら、可愛らしい振袖ね」
「ほら、裾の所。血が付いてるでしょ。これが誰の血か調べて欲しいのよ」
「良いわよ。ちょっと待ってて、調べてくるから。メアリーを見てて頂戴」
レミリアがシーツの下の膝関節を持ち上げて遊んでいると、不完全だった大腿四頭筋が切れて下腿が床に転がっていった。
慌てて拾い上げ、シーツの中に隠したところでパチュリーが戻ってきた。
「お待たせレミィ。残念ながら保管庫に無い血液みたいで個人の特定までは出来なかった。ただ天狗の女って事は分かったわ」
「天狗か……やっかいね」
「そういえば今日の晩に博麗神社で花見があるそうよ。天狗も数人来てるかも」
「ありがとうパチュリー。ところで質問があるんだけど、例えばの話、メアリーの足が取れてしまったら直すのにどれくらいかかるかしら」
「……取れちゃったの?」
「ぽろっと」
「……。」
「足なんて飾りよ……」
神社の桜は境内を取り囲むように植わっており、今は松明の明かりで下からライトアップされている。
「咲夜、今から神社を見て回って天狗が何人いるか調べてきなさい」
「え?あ、はい。承知しました……二人です。お嬢様」
咲夜は時間を止めて境内を隅々まで見て周り、息継ぎの時間を含めて一分ほどでレミリアの問いに答えた。
「白狼天狗が冥界の二人組と酒を飲んでいます。それから、社の裏手で射命丸文が花見をしておりました」
「オーケイ。なら見えている椛の方から確認しましょうか」
「お嬢様は何をなさろうとしているのですか?」
「血を吸うの。天狗など他に何の用があるってのよ」
一旦は納得したが新たに湧いた疑問に折り合いがつかなかったので再び主に尋ねた。
「天狗の血をご所望でしたか。ですが私の知る限り、お嬢様が手ずから血を分けてもらうという事自体記憶にありませんから気になってしまいますわ。何か特別な思い入れがあるのですか?」
「思い入れって程のことは無いわ。面白い(Intersting)種族だとは思うけど、興味があるのと執心って全然別でしょう?それに分けてもらうなんて、まるで私が頼み込んで恵んでもらうみたいに聞こえるけど、的外れだし、ぜんぜん吸血鬼らしくないわ。ただ奪い取るの。それが私たちヴァンパイアというものよ」
「物騒な会話が聞こえるけど本人がいない所でした方が良いんじゃないかしら?白狼天狗のお嬢さんがご立腹ですわよ」
レミリアが視線を移すと幽々子が苦笑した口元を扇子で隠していた。
幽々子ら三人の敷物は二人がいた場所から数メートルしか離れていなかったので、会話をしながら歩いても数秒で着いてしまうのだ。
「あら、それは配慮が足りなかったわね。えらく狭い境内だこと」
「お前ら、まさか文さんに何かする気だろ!?誰の差し金だ!言え!!」
椛の声は大きかったがその声色が上がったり下がったり、トランポリンの様に遠のくので酷く聞きづらく、真っ赤な顔色からして泥酔しているのは明らかだった。
「落ち着きなさい。何も取って食おうって訳じゃないんだから、見苦しく喚き散らさないでよ」
周りを見渡すと数人の花見客がこちらを見ていたので酔っ払いをなだめるふりでやり過ごそうとしたが、幸いなことに彼女はそれ以上騒ぎ立てることもなく座り込んでなにやらぶつぶつ泣き言を発していた。
「どうしました?どこか悪いところがあるんですか?お水を持って来ましょうか?」
すすり泣く少女に優しく声をかける咲夜に椛の介抱をまかせて、レミリアは言葉尻から先ほどの発言の真意を探ることにした。
「すみません。良く考えたらあなた達があいつらの関係者の筈無いですよね。実は文さんがちょっと問題を抱えてて、忌々しい事に実際問題があるのはあいつらの方なんすが、問題なのはあいつらがそんな理不尽ぜんぜん意に介さない所にあって、文さんはいつも立派に仕事をしてたのに嘘だらけの新聞だと言われて、そんなのぜんぜん違うのに、私すごく悔しかったです。他のお役人に媚を売ってる新聞の方が……実際履いて捨てるほどいるんですよ。本当に嘘だらけなのはそっちの方です。文さんはそういった腐敗をほんの一寸人より知っていただけなんです。知っているのを黙ってるのって本当に難しいんですよ。それが正義に反する場合なら尚更です。それを告げ口屋だとか、捏造だとか、冗談じゃないですよ。近頃はあの人への風当たりがあまりに酷いもんだから、怒りのあまり闇討ちまがいの事をしようとしたら、文さんが大した事じゃない。椛はまだ若いから分からないけど世間は本当に忘れっぽいものだからって言うんですよ。でもその間ずっと文さんはいわれの無い言いがかりで攻撃されるんです。だから私はいっそ終わらせてやろうって思って、いや、腐りきっているのが、終わっているのが現状で、だからそういった腐敗から何から全部引っくり返してやるんです。妖怪の山の地下に核関連施設があるんです。これが一帯のエネルギー源になっているんですが中枢の縮退炉が衝撃に弱いことが問題になってるんですよ。実は文さんの新聞で扱われた内容なんですけど、やはりというか黙認されましてね。でも、もうすぐ世間があの人の正しさを認めることになるんですよ。私が白狼天狗の待遇改善団体に入っているのは有名ですし、遺書にもその旨を書きましたから世間はそれを犯行声明とするので、文さんに迷惑はかかりません。私は学も無いし力だって弱いですけど最後にあの人の為に何か出来るなら本望です」
レミリアは話の間中上の空だった。というのも紅魔館がある辺りから火の手が上がっており、しかも空一面をオレンジ色に染めているので規模の大きさが窺えた。
周りの花見客は相当酒が入っているようで誰一人として気付いておらず、自分から騒ぎ立てるのもみっともないのでそわそわと其方を垣間見る事しか出来ない。
「お嬢様、如何なさったのですか?」
「んあ?いや、彼女の話に聞き入ってたのよ、なかなかに哲学的な内容ね。いたく感動したよ」
「はあ、確かに問題がありそうな話でしたね」
「そうね、ある意味ニーチェ、ある意味ウィトゲンシュタイン。こういった深遠な命題に向かい合う時、人はそれぞれ独自のポーズをとるわ。それは目を閉じて漆黒の闇に希望という光を探すことだったり、お決まりの喫茶店でブラックコーヒーを飲むことだったりする。私の場合は今日みたいな満月の夜に狂ったように飛び回って、東も西も分からなくなり、いずれ訪れる夜明けに舌打ちするの。かつて見た太陽を浴びて聳え立つ古い十字架を思い浮かべながら」
レミリアは「そういう訳で席をはずすわ」と従者に耳打ちして猛スピードで屋敷の方に飛び立った。
火の手は紅魔館に面した湖のちょうど屋敷から対岸にある森で上がっており、火元を確認するためにレミリアが地上に降りると、烏天狗の射命丸文が荒れ狂う炎を間近で撮影するためにカメラを構えていた。
炭化した一欠けらの木材から炎上して空高くまで届く火勢とビロードの様に揺れる赤紫は、燃えているのが神木だと伝えている。
文はレンズ越しで気付かないようだが炎の一端が形を変え、窪んで、その中心から蛇舌の如く突き出して彼女の体を飲み込もうとした。
レミリアが飛び出して文を突き飛ばすと炎は何事も無かったかのように立ち昇っていった。
「危ないじゃない!貴方らしくない」
「いつつ……ああ、レミリアさんですか」
「酷い顔色ね。メアリーみたいよ」
「あの、何してるんですか?」
「うん?」
「どうして浴衣を脱がせるんです?」
「肩のところ怪我してる。血が滲んでるわよ」
「ああ、開いてしまいましたか」
「泣くこと無いでしょう。破傷風にでもなったら大変ね。舐めてあげるわ」
「目が怖いです」
「綺麗ね。それに香りも素晴らしいわ」
「ああ、もう疲れました。好きにしてください」
「……。」
ああ
なんて心地よさ
井戸の底のように静かで、暗い、空間を私は漂っている
ここは水中だろうか
それとも虚空なのか
微かに聞こえた鳥の羽ばたきは何時のものだったか
今々だったか、それとも
数年前だったのか
あるいはもっと
起こっていない出来事さえ
ここでは
全てが同時に起こっている
過去も未来も
大木の年輪。南極の分厚い氷床。大図書館に詰まれた新聞
変わることなく続いている
回る。回る
時計が回る
地球が回る
太陽の周りを回る
永遠に近い歳月を
愛で紡いでいく
ちゃんと締めてほしい