賽の河原の地獄のような有様を見て、外界の夏に行われる有明の祭典とはこのようなものなのだろうかと小野塚小町は呑気に考えた。
丸くてもちっとした霊魂、火の玉、少しふっくらとした白い人型のっぺらぼう、三角の額紙を身につけた以外は生前と遜色ない外見の者、とバラエティ豊かな幽霊が未だかつて見ない数でごった返し、川の向こうへ渡されるのを列をなして待っている。
突然の行列であった。午前中は寝坊をしたので知らないが、昼頃に顔を出して、ちょっと見回りに出る前には普段の閑散とした賽の河原だったのに、いったいどこから湧いて出たのか。
うん、サボろう。と心に決めて踵を返そうとしたものの、霊の一人に背中の襟を掴まれて、何をするのかと言い返す間もなくポイポイと見事な人型霊の連携によってベルトコンベアに運ばれるが如く渡し場の船の前まで強制連行の憂き目に遭い、無言で小町の周りを取り囲む霊の眼無き視線と、船の上に大量の霊魂を積み込んだ死神仲間からの『お前が奴らを渡さぬならば私がお前を渡してやる』というジェスチャーに迎え入れられる。
普段は悠々と霊の昔話でも聞きながら船を漕ぐ小町であったが今日ばかりは馬車馬のごとく働くのであった。
そんなわけで猫の手程度の戦力と定評のある小町の手を借りてまで霊の処理を行なう死神達であったが、従来の船で渡す方法ではらちがあかない。
上司である閻魔、四季映姫ヤマザナドゥに訴えた所、従来通りの方法で何とかするようにという返答の結果、総勢13人の 死神部隊うち二人が仕事帰りに飲んで愚痴って二日酔いでダウンするという始末である。
もっとも、霊はいくら賽の河原で待たされようと疲労憔悴摩耗劣化といった事を起こさない賞味期限記載不要品であるので、四季映姫ヤマザナドゥの判断はあながち間違っても居ないのだ。
しかしそれは机上の正解であり、渡され待ちの霊が暇のあまり河原の石でピサの斜塔やらパンテオン神殿やらを模した建造物を完成させている様を見ている現場の死神達にとっては、なんとか早く渡してやりたい、という意識が芽生えているのである。
死神魂見せてくれるわエンヤコラと平時の定員を大きくオーバーした船を力任せに漕いでいき、船が重みに耐えられず沈むとも泳いで霊を渡し切るあたりにも彼女達の気合の入り方が窺える。
小町もよくよく努力した。かつて使っていたという渡し橋を使えばと無許可で霊を渡らせ老朽化した橋を重みでへし折り四季映姫の糾弾を一手に担い、いっそ賽の河原を渡る前の場所を地獄にしてしまえばどうかというコペルニクス的発想転換を見せては伝統と現実の前に玉砕した。
それにしても霊の数は膨大だった。ざっと見渡して果てが見えない。少なくとも万は下らず、下手をすれば十万百万といった規模である。
小町達死神部隊ももはや奇策は諦めて、小さな舟にたんと霊を詰め込んで氷山をかき氷機で砕いていくように愚直に消化する日々が続いた。
そんなある日の事である、のっぺら霊の一人が白い筒状の手で小町の肩を叩き、ついて来いと手招きをした。
一体何かと後に続くと、ブオォブオォと上機嫌な様子で吹かれる法螺貝の音とカラーテープの波が小町を歓迎した。
豪華幽霊船であった。丸もち霊が上空をくるくると回遊し、甲板の端々を火の玉がステップを踏むように飛び移る。のっぺら霊は何やらシルクハットのように頭部を型取りワイングラスを打ち合わせ、白装束に身を包んだ女の霊がギターをかき 鳴らしながらヘッドバンギングで激しく黒い長髪を振り回している。
小町は何がなんだかわからぬままに船の先頭に連れられ、いつの間にやら操縦桿を握った先ののっぺら霊がグッと親指を立てて口のあたりにニヤリとした形の黒線を浮かべるものだから、ああもうなんかどうでもいいやという結論に至り、出発 進行!と破れかぶれの大声を三途の川に響かせるのであった。
四季映姫ヤマザナドゥはその船の到着を見るや頭を痛めたように額に手を当てたが、霊達に取り囲まれ熱烈な感謝の胴上げを受けながら大声でヤケクソな笑い声を上げる小町を見ると、もうなんかどうでもいいやという感情が伝染し、黙認とすることにしたのである。
さて、かくして幾らか効率的に幽霊達の搬送が行われるようになったのだが、前代未聞な状況であるから新たな問題が現れる。
四季映姫ヤマザナドゥ、倒れる。この報せに小町達死神部隊はどよめいた。あの仕事の鬼が倒れることもまた前代未聞であった。多少頭が硬くとも死神部隊がストライキなど起こさなかったのは彼女の日頃の行いに起因する。三日徹夜は当たり前、一週間寝ずとも半日休めば元通り、一日三十時間の労働が可能とも噂され、ついた呼び名が鉄血閻魔ヤマザナドゥ。
レイタニックと名付けられた例の幽霊船を仲間に託し、川の向こうのあばら屋同然の自宅で一人寂しく療養しているという四季映姫の下へと駆けつけた小町を待ち受けていたのは、『ザナちゃんの快復を祈る会』とでかでかと書かれたのぼりとキャンプファイヤーを中心にドンドコドンドコと謎の踊りを踊る霊達の姿であった。
火の玉霊達が突然集まりはじめ何をするかと思えば、小魚が群れをなして大きな魚を象るようにして巨人へと姿を変え、ゆっくりとした動きで天を仰いだり地に伏せたりくるくると回転。
映姫様のためにここまでしてくれているのか、とちょっとした感動を覚えようとした小町であったが、火の玉巨人がのっぺら霊から受け取り猛烈な勢いで振り回した『L・O・V・E YAMAZANA DO!』の巨大な旗に哀れその気持ちは打ち砕かれた。
あばら屋の前で行われている騒ぎの輪を迂回して、そっと家に入った小町をボサボサ髪に寝間着姿の四季映姫ヤマザナドゥは全てを諦めた眼差しで迎え入れた。
なんなんですかあれ、と窓の外でオタ芸らしきものを繰り出す霊達を指さして小町が聞けば、私のファンクラブみたいですよ、とケラケラ笑いながら映姫が答える様から精神状態も見て取れる。
それでも、大量の霊を休みなく弛みなく裁いていく映姫の姿が暇を持て余して傍聴していた霊達の心を捉えたらしい、と客観的な説明を行うあたり鉄血閻魔である。
なんていうかあいつら楽しそうですよね、と小町は言って、全くですよね人の気も知らないで、布団をばむばむと叩きながら映姫は答えた。
二日後、傍聴席から熱い声援を受けながら平然と裁判を行う四季映姫の姿があった。
騒動の始まりから一ヶ月ほど経った頃、賽の河原には石造アパートが立ち並んでいた。
霊になってから時間が経つと生前の感情やら記憶やらが鮮明になってくるようで、眠気が生じれば吹きさらしで眠るのも耐え難いそうだ。
この頃から、時折川を渡されるのを嫌がる霊が見受けられるようになる。
それでもレイタニック号は毎日満杯満室で運行していたから、小町も左程気にしてはいなかった。
そういえばお前は向こうに行かないのかい、とレイタニック号運行初日から操縦桿を握り続けているのっぺら霊に聞いてみると、向こうへ渡った霊が残した法螺貝をブオオブオオと吹きながら、自分はこの船が役目を終えたら渡して貰いますよ、と思念で返された。
それからまた一ヶ月、レイタニック号は早くも役目を終えることになる。とはいえ、霊の全てが渡し終わったわけではない。
『当面の間、霊を渡す事を禁ず』との通達がなされたのである。
死神部隊はおまんま食い上げである。当然、どういうことなのかと上に詰め寄った。鉄血閻魔は復活したはずであるから、裁判の滞りはあり得ない。
メガネに腕章の事務担当鬼曰く、『天国地獄、共に定員オーバー。転生待ちの霊が二ヶ月前の賽の河原と同様に行列状態、また、転生先の見込みなし』
輪廻転生の道程は大渋滞により機能を停止したらしい。
小町は回遊船に転身したレイタニック号の乗務員として働くことになった。
別に飲まず喰わずとも死神は生きていけるのだが、遊ぶ銭は欲しいし、何より労働時間を抜けだしてサボる快感は捨てられない。
繁華街と化した賽の河原を歩いてみると、だんだんと生前の姿をしている霊が増えてきているのがわかる。丸もちや火の玉型の霊はもう殆ど見受けられない。
元々は死神や鬼だけが嗜みにしていた飲食を行う霊も増えており、飲食店をはじめるものまで現れてきた。
近日テレビ放送とやらもはじめるらしく、道端でブラウン管やらアンテナやらを売っている姿もちらほらと見かける。
操縦桿を握る霊は船長となり、少しばかり体つきがシャープになったものの未だのっぺらのままで飲み食いはせず、ただ川向いへ法螺貝をブオオブオオと吹き鳴らしていた。
小町はネオンの光に満ちた明るい夜の街を歩いていた。
髪は後ろに纏めて白いシュシュで留め、手首にいくつかのミサンガ、黄色いタンクトップを一枚着て、ビンテージのジーンズに脱いだライダージャケットを巻きつけるといったラフな格好である。
今日はかつての死神仲間の一人と会っていた。テレビ会社のアナウンサーとして働く彼女は、元々人と話すのは好きだったしね、と現状に満足しているようだった。
横断歩道の信号が青に変わり、一斉に歩き出す人波と共に小町も歩き始める。ショッピングモールビルの広告ビジョンが最先端の商品のCMを映しだす。その商品を持ってヒラヒラの服を身に纏い、キラリと笑う緑髪ツインテールの少女は、かつての鉄血閻魔様だった。
賽の河原に霊が溢れかえったあの日から十年が経っている。もう街中を歩く霊は人間となんら遜色が無い。飲食をして睡眠を取り、年を取れば死にもするし、霊の間には子供も生まれる。
彼らが死んだらどこへ行くのか、小町にはわからない。けれど『渡し禁止』の解除令も無く、四季映姫様がああしてアイドルをやっているのだから、おそらくは小町達が管轄する事では無くなったのだろう。今は小町達死神は老いを知らず、四季映姫様もそのようだが、世にあふれる霊と同じく、いつその性質を変えるかはわからない。
地下駐車場からバイクを出してジャケットを着て、繁華街の渋滞をすり抜けるようにネオンの光から逃げるように街の外れに出る。
もうどこまで続いているのか把握できていない舗装された道の上で小町はアクセルをふかし、走り続けた。
ただ、目新しさと面白さはまた別なのでこれくらいの点数で。
なにをそんなに嫌う必要が
これは独自の読み応えと話の流れ、ぶっとんだ途中の展開を乗り越えての最後の船を漕ぐ様。
実に強いコンセントレーション!味わいの多い傑作。
いい味わいです。
しかし起承転結はしっかりしてていい感じ。
要するに貴方の作品の空気が好きです
少なくともラストの三人は彼岸という名のタイタニックから下船した模様。
どこに行くんでしょうかね、暗くてよく見えませんね、行き止まりじゃなきゃいいな。
10KBに満たぬ作品から受けたとは思えない閉塞感。
色々と広がる想像も含めて、コストパフォーマンスが大変よろしい印象。お得だネ。
あくまで俺基準なのですが、SSとしては改行が少ないと思える。でも全然読みにくくない。
ためしに頭の中で音読してみると、滑らか且つある種のリズムを刻んでいるように感じる。
俺の好きな文章だ。
なんとも言えない読後感。ファニーな世界崩壊系話とでも言いましょうか。
面白かったので百点。
人は沢山いるのに自分一人みたいな寂しさって言えば良いのかな
ラストの船を漕ぎ出すシーンも妙な余韻に溢れてて凄い良かった
しかし何故仕事を休職する羽目になった四季様はアイドルを選んだのだろう
警官とかそれっぽい職がいくらでもあるじゃんw