私は縁側の障子を開け、目の前に広がる景色に深くため息をついた。白い息は目の前を軽く曇らせ、すぐに消えた。
今日、穣子ちゃんは旧正月の豊作祈願の祭りだとかで人間の里に呼ばれていった。もちろん私はお呼びではない。葉の色を変える能力など、人間の生活に直接的に役に立つものではない。だから私に媚を売る必要など特に無いということなのだろう。今、家にいるのは私だけ。
障子を閉め、部屋に戻ったが、炬燵に入り火鉢を焚いていても、何処からか吹き込んでくる隙間風はちくちくと身体を突き刺す。
冬はどうも苦手な季節。毎年この季節が来ると気分が暗くなる。原因はこの寒さのせいではない。私の心を曇らせるのは見渡す限りの白と茶色のモノトーンの景色だ。紅色や黄金色に世界が染まる、最も美しい季節の後にこんな景色を見せられて嬉しくなる人や妖怪の気なんか知れたものではない。もちろん、秋神の一柱として、季節の運行に文句を言うつもりなんか全くない。季節は巡るもので、いくら神とはいえその流れを止めてはいけないことぐらいは分かっている。それに、他の季節があるからこそ美しい秋がよりいっそう際立つのだろうということも知っている。しかし頭ではそうわかっていたとしても、どうもこの風景を見ると鬱屈とした気分になってしまうのだ。
玄関からノックの音が聞こえた。穣子ちゃんが帰ってくるにはいくらなんでも早過ぎる時間だ。あの子が祭りから返って来るのは、宴会の三次会が終わった午前四時頃のはずだ。では客人だろうか?だが穣子ちゃんが出払っている今日に限ってありえない。我が家に来る客の十割はあの子が招待した者。妹と違って社交的でない私の下を訪れる客など、多くはないどころか一人もいない。だとすれば少ない幻想郷の中で購読者を食い合っている天狗の新聞屋だろうか。この寒い中ご苦労なことである。
「何?新聞なら間に合ってるわよ?」
引き戸を開け、相手の顔も見ずにそう言った。
「新聞?私は別に天狗のお家芸を真似するつもりはないわよ」
想定外の声と発言に顔を上げると、そこには天狗ではなく、淡い青色の髪をした、この季節には似合わない薄手の服を着た妖怪が立っていた。
「おっと、失礼したわね。てっきり文屋の押し売りかと思っちゃったわ。お客様とは珍しいわね。どちら様?ここらへんじゃ見ない顔だけど」
「初めまして。私はレティ・ホワイトロック、冬の妖怪よ。普段は霧の湖辺りにいるから、妖怪の山に来たのはこれが初めてね」
冬の妖怪、その言葉を聞いて背中に寒気が走った。
「あらそうですか。あいにく今日穣子ちゃんは出払ってて。あの子が帰ってきたら。お客様が来てた、って伝えておくわ。だから今日のところはお引取り願える?」
「あら、別に穣子さんに用があって来たわけじゃないわ」
「じゃあ何のご用件?」
「今日は貴女に用があって来たのよ」
私に用?この女は一体何を言い出すのだろう。そもそもたった今会ったばかりではないか。
「私に用?一体何の冗談?私たちはたった今知り合ったばっかりじゃない」
「貴女が秋の神だってことは話に聞いてるわ。同じ季節に関係する者どうし、もしかしたら仲良くなれるかもしれない、って思ってね。挨拶とお話をしに来たのよ」
「私は貴女が冬の妖怪だってことは今知ったわ」
「それさえ分かれば結構よ。それ以上のことはこれから知っていけばいいんだから」
「知っていったところで、それがお互いのためになるとは思えないわ。始めに言っておくけど、私は冬が好きじゃないの。冬の妖怪さんと仲良くなれるとは到底思えないわね」
「貴女が冬が嫌い、ってことも話に聞いてるわ」
「じゃあ一体どうしてわざわざここに来たの?」
この女の論理が理解出来ない。どうして趣味が合わないと分かりきっている者と会話をしようなどと思うのだろう。
「たとえ同じ趣味を持っていたとしても、長く付き合っていくうちにお互いの小さな差異が気になってきて、次第に関係がギクシャクしていく、ってこともあるわ。むしろ表面的には違ってたほうが、今度は小さな共通点を見つけられて、最終的には気が合うようになる、ってこともあるわよ」
「だから私との間にも小さな共通点が見つけられると?」
「もう一つ見つけたわ。『季節に関係してる』ってことをね」
彼女は微笑みかけたが、その心情は私にはわからない。
「まあ玄関での立ち話も何だし、どうぞ上がっていきなさいよ」
とりあえず相手はどうであれ、主人側としての最低限の礼儀は尽くそう。それにしても疲れる来客だ。茶を一杯出したら、早々にお引取り願おう。
「和室っていいわねえ。畳の香りって私好きよ」
正座はしているものの、彼女はかなりくつろいだ様子である。
「炬燵には入らないの?」
「だって私、暖かいの苦手だもの」
「そう…。ところで貴女話をしに来た、って言ってたけど、一体どんな話をしようってのよ。話すことなんか無いとは思うけど」
「あいかわらずつっけんどんな口ぶりね。お話って別にこれについて話すんだ、って肩肘張るもんじゃないと思うけど」
「そうなの?私はそんなに外に出ることはないし、他人とあまり話さないから」
「じゃあ普段何をやってるの?」
「別に…。大体家事をやってるわね。穣子ちゃんは普段外に出歩いてて、そう家にいる時間もないから私がやるしかないってのもあるけど」
「貴女は外には出ないの?」
「そりゃ秋は山がきれいだから散歩したりはするわ。私の紅葉の仕事もあるしね。でもそれ以外の季節はだいたい家にいて本でも読んでるわ。外に行ったって一体何があるっていうのよ?」
「友達と会ったりは?」
「私は社交的じゃない、って言ったでしょう?会いに行くような友達も、会いに来るような友達も私にはいないし、必要ないわ」
私はほんの少し自分の心に嘘をついた。
「でもあなた本を読む、ってさっき言ったわよね。その感想を友達と共有したい、とか思ったりはしないの?紅魔館の図書館に気が合いそうな魔女が一人いるじゃない?」
「思わないわね。どうして自分の感想を人と共有しなけりゃならないの?それに、自分の感想にケチを付けられたりなんかしたら、それこそいい気分にはならないわ」
「何で会ってもいないのにそんなに皆が自分に意地悪するだなんて思うのよ」
「穣子ちゃんがいつもそうだもの。私の読んでる本にいつもケチはつけるし、紅葉だって『何のお腹の足しにもならない』って言っていつも馬鹿にするし。どうしてあの子と私が姉妹なのかわからないわ」
「ふふふ」
「何がおかしいの?」
「いえ、穣子さんを嫌ってるようなのに『ちゃん』ってつけてるのがちょっとおかしくてね」
彼女に指摘されて初めて、私は自分の口癖を知った。
「だってこれは…小さい時からの癖で…」
予想外のところを突かれ、私は言葉に窮した。
「ね?一人だけだと気づかないことも結構あるものよ?」
「どうせ私は一人よ」
「別に一人が悪い、って言ってるわけじゃないわ。ただ他の人がいれば、もっと違ったこともわかるかもしれない、って言ってるだけよ」
「というと何?私に友達を作れとでも言うの?」
心の奥に無意識のうちに秘めていた小さな気持ちを見透かされた感じがして、私は少し語気を荒らげた。
「またそう肩肘を張って。友達なんて会話と一緒で意識してこんなふうにしよう、なんてもんじゃないわ。人と触れ合ううちに、気の合った仲間を見つければ、それがもう友達なのよ」
人と触れ合え?この私に?無理なことを言うものだ。
「まあどっちにしろ私には縁のない話ね。触れ合う人なんか私にはいないわ」
「あら、今話してる相手をお忘れ?」
「ふん、とても貴女とは気が合うとは思えないのだけれど」
「私はそうは思わないわ。私、貴女と趣味が合いそうだわ」
「一体何処が?」
「貴女に見せたいものがあるの。ちょっと着いてきてくれない?」
彼女は立ち上がると、私に手を差し伸べ同行を促した。
早々に追い返すつもりが、どうしてこんなことになっているのだろう。廊下で彼女に手を引かれながら、ぼんやりと私は考えた。
「ううぅ、寒い…」
外の寒気は屋内の隙間風とは比較にならないほどの勢いで私の身体を貫いた。
「あらいけない、貴女が寒さに弱いってことを忘れてたわ」
彼女はそう言うと右手を軽く上げ、円を描く様な動作をした。その瞬間、私の周りの空気が秋のように穏やかになった。
「ちょっとあなたの周りの空気をいじらせてもらったわ。私の能力は寒気を操ること。貴方の周りの寒気を一時的にどかすことで、しばらくは暖かいままでいられるわ。少なくとも、私のそばにいるうちはね」
「なるほどね。それはどうも」
「じゃあ、行きましょうか」
そう言うと彼女は私の手を引いて歩き出した。そういえば、最後に人の手を握ったのはいつのことだっただろうか。はるか昔、私も穣子ちゃんも小さかった頃、二人で手をつないで秋の野山を歩いた記憶が蘇る。少なくとも、こんなに冷たい手ではなかったが、確かにこの彼女の手のように、柔らかいものであったはずだ。多少恥ずかしい気持ちはあったが、私は心の中に何か長い間忘れていたような感情が沸き上がってくるのを感じた。
それにしても目に入ってくるのは見渡す限り雪の白色と枯れ木の茶色、そして所々顔をのぞかせる岩石の灰色、見事なまでのモノトーンの景色である。いつ見ても気が重くなる光景だ。こんな景色の中、彼女が見せたいものとは一体何なのだろうか。「貴女と趣味が合う」などという自信は何処から来るのだろうか。様々な思いが私の心を駆け巡る。
一時間ほど歩いただろうか。彼女は周りの地面から大きく盛り上がった雪の塊の前でその歩みを止めた。
「着いたわ。これが貴女に見せたかったものよ」
私は愕然とした。少しでもこの女の言うことを信じた自分にやり場のない怒りを覚えた。
「バカ言わないでよ。こんなのただの雪の塊じゃない、こんなものを見せるために私をはるばる家から連れだしてこんなに長い距離歩かせたっていうの?ふざけるのもいいかげんにしてよ。私は最初に言ったはずよ!『冬は好きじゃない』って。それがどうよ、私に見せるのはこの雪の塊?冬そのものじゃない。私が嫌いな、彩りのないモノトーンの物体じゃない!」
私は怒りのあまり足元の雪に埋まっていた石を拾い上げ、その雪塊めがけて投げつけた。
石は雪を貫通した。私の投げる力が強すぎたせいではない。雪塊の内部には大きな空間が開いていたのだ。石によって穴が開いた雪塊は、その力の均衡を崩して崩壊していった。
ようやく私は彼女の言っていたことを理解した。私の投げた石によって覆いを外された雪塊からは、鮮やかな緑の葉と、眩しいほどの紅色の花をつけた灌木が現れた。
私は暫くの間、自分とその木以外の全ての時間が止まったように感じた。モノトーンの世界に突如生まれた色彩に、私は目を奪われた。様々な感情が私の心を駆け巡ったが、それを言葉にすることは出来なかった。唯一最も近いであろう言葉を探すならば、それは「美しい」という形容詞だった。
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ」
彼女の言葉が止められていた時計の針を再び動かした。
「私はあなたの感想を求めたりなんかはしないわ。多分私が最初にこの椿を見た時と同じ感情を持ってるでしょうから」
「すごい…秋の時は紅葉もしない地味な常緑樹としか思ってなかったのに…」
「実はね、あえて家に貴女だけしかいないを時を見計らってお邪魔したのよ。物質的な豊穣の神様は多分分かってくれないだろうけど、紅葉の神様である貴女ならきっとこの椿の魅力を分かってくれる、って思ってね」
「わざわざ…私のためだけに?」
「貴女が穣子さんが『お腹の足しにもならない』って言ったことに不満を言ってたのを聞いて、確信したわ。そしてこのとおりだった。この思いが分かってくれる人がいて私も嬉しいわ」
私の心に、何かむずむずとした不思議な気持ちが沸き起こった。
「あの…何て言うか…その『貴女』って言うの、やめてもらえないかしら…?」
「じゃあどう呼べばいいの?」
「…『静葉』って呼んでくれない?」
「分かったわ、『静葉』、じゃあ私のお願いも聞いてくれる?」
「何?」
「私のことを『レティ』って呼んでくれない?」
「…わかったわ、『レティ』。…これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくね」
これまで、秋こそ最高の季節だと私は考えてきたし、もちろんその考えは私が秋神で在り続ける以上変わることもないだろう。しかし、あの椿のような美しい花が咲く季節が冬であるのならば、冬も決して悪い季節ではないはずだ。
今日、穣子ちゃんは旧正月の豊作祈願の祭りだとかで人間の里に呼ばれていった。もちろん私はお呼びではない。葉の色を変える能力など、人間の生活に直接的に役に立つものではない。だから私に媚を売る必要など特に無いということなのだろう。今、家にいるのは私だけ。
障子を閉め、部屋に戻ったが、炬燵に入り火鉢を焚いていても、何処からか吹き込んでくる隙間風はちくちくと身体を突き刺す。
冬はどうも苦手な季節。毎年この季節が来ると気分が暗くなる。原因はこの寒さのせいではない。私の心を曇らせるのは見渡す限りの白と茶色のモノトーンの景色だ。紅色や黄金色に世界が染まる、最も美しい季節の後にこんな景色を見せられて嬉しくなる人や妖怪の気なんか知れたものではない。もちろん、秋神の一柱として、季節の運行に文句を言うつもりなんか全くない。季節は巡るもので、いくら神とはいえその流れを止めてはいけないことぐらいは分かっている。それに、他の季節があるからこそ美しい秋がよりいっそう際立つのだろうということも知っている。しかし頭ではそうわかっていたとしても、どうもこの風景を見ると鬱屈とした気分になってしまうのだ。
玄関からノックの音が聞こえた。穣子ちゃんが帰ってくるにはいくらなんでも早過ぎる時間だ。あの子が祭りから返って来るのは、宴会の三次会が終わった午前四時頃のはずだ。では客人だろうか?だが穣子ちゃんが出払っている今日に限ってありえない。我が家に来る客の十割はあの子が招待した者。妹と違って社交的でない私の下を訪れる客など、多くはないどころか一人もいない。だとすれば少ない幻想郷の中で購読者を食い合っている天狗の新聞屋だろうか。この寒い中ご苦労なことである。
「何?新聞なら間に合ってるわよ?」
引き戸を開け、相手の顔も見ずにそう言った。
「新聞?私は別に天狗のお家芸を真似するつもりはないわよ」
想定外の声と発言に顔を上げると、そこには天狗ではなく、淡い青色の髪をした、この季節には似合わない薄手の服を着た妖怪が立っていた。
「おっと、失礼したわね。てっきり文屋の押し売りかと思っちゃったわ。お客様とは珍しいわね。どちら様?ここらへんじゃ見ない顔だけど」
「初めまして。私はレティ・ホワイトロック、冬の妖怪よ。普段は霧の湖辺りにいるから、妖怪の山に来たのはこれが初めてね」
冬の妖怪、その言葉を聞いて背中に寒気が走った。
「あらそうですか。あいにく今日穣子ちゃんは出払ってて。あの子が帰ってきたら。お客様が来てた、って伝えておくわ。だから今日のところはお引取り願える?」
「あら、別に穣子さんに用があって来たわけじゃないわ」
「じゃあ何のご用件?」
「今日は貴女に用があって来たのよ」
私に用?この女は一体何を言い出すのだろう。そもそもたった今会ったばかりではないか。
「私に用?一体何の冗談?私たちはたった今知り合ったばっかりじゃない」
「貴女が秋の神だってことは話に聞いてるわ。同じ季節に関係する者どうし、もしかしたら仲良くなれるかもしれない、って思ってね。挨拶とお話をしに来たのよ」
「私は貴女が冬の妖怪だってことは今知ったわ」
「それさえ分かれば結構よ。それ以上のことはこれから知っていけばいいんだから」
「知っていったところで、それがお互いのためになるとは思えないわ。始めに言っておくけど、私は冬が好きじゃないの。冬の妖怪さんと仲良くなれるとは到底思えないわね」
「貴女が冬が嫌い、ってことも話に聞いてるわ」
「じゃあ一体どうしてわざわざここに来たの?」
この女の論理が理解出来ない。どうして趣味が合わないと分かりきっている者と会話をしようなどと思うのだろう。
「たとえ同じ趣味を持っていたとしても、長く付き合っていくうちにお互いの小さな差異が気になってきて、次第に関係がギクシャクしていく、ってこともあるわ。むしろ表面的には違ってたほうが、今度は小さな共通点を見つけられて、最終的には気が合うようになる、ってこともあるわよ」
「だから私との間にも小さな共通点が見つけられると?」
「もう一つ見つけたわ。『季節に関係してる』ってことをね」
彼女は微笑みかけたが、その心情は私にはわからない。
「まあ玄関での立ち話も何だし、どうぞ上がっていきなさいよ」
とりあえず相手はどうであれ、主人側としての最低限の礼儀は尽くそう。それにしても疲れる来客だ。茶を一杯出したら、早々にお引取り願おう。
「和室っていいわねえ。畳の香りって私好きよ」
正座はしているものの、彼女はかなりくつろいだ様子である。
「炬燵には入らないの?」
「だって私、暖かいの苦手だもの」
「そう…。ところで貴女話をしに来た、って言ってたけど、一体どんな話をしようってのよ。話すことなんか無いとは思うけど」
「あいかわらずつっけんどんな口ぶりね。お話って別にこれについて話すんだ、って肩肘張るもんじゃないと思うけど」
「そうなの?私はそんなに外に出ることはないし、他人とあまり話さないから」
「じゃあ普段何をやってるの?」
「別に…。大体家事をやってるわね。穣子ちゃんは普段外に出歩いてて、そう家にいる時間もないから私がやるしかないってのもあるけど」
「貴女は外には出ないの?」
「そりゃ秋は山がきれいだから散歩したりはするわ。私の紅葉の仕事もあるしね。でもそれ以外の季節はだいたい家にいて本でも読んでるわ。外に行ったって一体何があるっていうのよ?」
「友達と会ったりは?」
「私は社交的じゃない、って言ったでしょう?会いに行くような友達も、会いに来るような友達も私にはいないし、必要ないわ」
私はほんの少し自分の心に嘘をついた。
「でもあなた本を読む、ってさっき言ったわよね。その感想を友達と共有したい、とか思ったりはしないの?紅魔館の図書館に気が合いそうな魔女が一人いるじゃない?」
「思わないわね。どうして自分の感想を人と共有しなけりゃならないの?それに、自分の感想にケチを付けられたりなんかしたら、それこそいい気分にはならないわ」
「何で会ってもいないのにそんなに皆が自分に意地悪するだなんて思うのよ」
「穣子ちゃんがいつもそうだもの。私の読んでる本にいつもケチはつけるし、紅葉だって『何のお腹の足しにもならない』って言っていつも馬鹿にするし。どうしてあの子と私が姉妹なのかわからないわ」
「ふふふ」
「何がおかしいの?」
「いえ、穣子さんを嫌ってるようなのに『ちゃん』ってつけてるのがちょっとおかしくてね」
彼女に指摘されて初めて、私は自分の口癖を知った。
「だってこれは…小さい時からの癖で…」
予想外のところを突かれ、私は言葉に窮した。
「ね?一人だけだと気づかないことも結構あるものよ?」
「どうせ私は一人よ」
「別に一人が悪い、って言ってるわけじゃないわ。ただ他の人がいれば、もっと違ったこともわかるかもしれない、って言ってるだけよ」
「というと何?私に友達を作れとでも言うの?」
心の奥に無意識のうちに秘めていた小さな気持ちを見透かされた感じがして、私は少し語気を荒らげた。
「またそう肩肘を張って。友達なんて会話と一緒で意識してこんなふうにしよう、なんてもんじゃないわ。人と触れ合ううちに、気の合った仲間を見つければ、それがもう友達なのよ」
人と触れ合え?この私に?無理なことを言うものだ。
「まあどっちにしろ私には縁のない話ね。触れ合う人なんか私にはいないわ」
「あら、今話してる相手をお忘れ?」
「ふん、とても貴女とは気が合うとは思えないのだけれど」
「私はそうは思わないわ。私、貴女と趣味が合いそうだわ」
「一体何処が?」
「貴女に見せたいものがあるの。ちょっと着いてきてくれない?」
彼女は立ち上がると、私に手を差し伸べ同行を促した。
早々に追い返すつもりが、どうしてこんなことになっているのだろう。廊下で彼女に手を引かれながら、ぼんやりと私は考えた。
「ううぅ、寒い…」
外の寒気は屋内の隙間風とは比較にならないほどの勢いで私の身体を貫いた。
「あらいけない、貴女が寒さに弱いってことを忘れてたわ」
彼女はそう言うと右手を軽く上げ、円を描く様な動作をした。その瞬間、私の周りの空気が秋のように穏やかになった。
「ちょっとあなたの周りの空気をいじらせてもらったわ。私の能力は寒気を操ること。貴方の周りの寒気を一時的にどかすことで、しばらくは暖かいままでいられるわ。少なくとも、私のそばにいるうちはね」
「なるほどね。それはどうも」
「じゃあ、行きましょうか」
そう言うと彼女は私の手を引いて歩き出した。そういえば、最後に人の手を握ったのはいつのことだっただろうか。はるか昔、私も穣子ちゃんも小さかった頃、二人で手をつないで秋の野山を歩いた記憶が蘇る。少なくとも、こんなに冷たい手ではなかったが、確かにこの彼女の手のように、柔らかいものであったはずだ。多少恥ずかしい気持ちはあったが、私は心の中に何か長い間忘れていたような感情が沸き上がってくるのを感じた。
それにしても目に入ってくるのは見渡す限り雪の白色と枯れ木の茶色、そして所々顔をのぞかせる岩石の灰色、見事なまでのモノトーンの景色である。いつ見ても気が重くなる光景だ。こんな景色の中、彼女が見せたいものとは一体何なのだろうか。「貴女と趣味が合う」などという自信は何処から来るのだろうか。様々な思いが私の心を駆け巡る。
一時間ほど歩いただろうか。彼女は周りの地面から大きく盛り上がった雪の塊の前でその歩みを止めた。
「着いたわ。これが貴女に見せたかったものよ」
私は愕然とした。少しでもこの女の言うことを信じた自分にやり場のない怒りを覚えた。
「バカ言わないでよ。こんなのただの雪の塊じゃない、こんなものを見せるために私をはるばる家から連れだしてこんなに長い距離歩かせたっていうの?ふざけるのもいいかげんにしてよ。私は最初に言ったはずよ!『冬は好きじゃない』って。それがどうよ、私に見せるのはこの雪の塊?冬そのものじゃない。私が嫌いな、彩りのないモノトーンの物体じゃない!」
私は怒りのあまり足元の雪に埋まっていた石を拾い上げ、その雪塊めがけて投げつけた。
石は雪を貫通した。私の投げる力が強すぎたせいではない。雪塊の内部には大きな空間が開いていたのだ。石によって穴が開いた雪塊は、その力の均衡を崩して崩壊していった。
ようやく私は彼女の言っていたことを理解した。私の投げた石によって覆いを外された雪塊からは、鮮やかな緑の葉と、眩しいほどの紅色の花をつけた灌木が現れた。
私は暫くの間、自分とその木以外の全ての時間が止まったように感じた。モノトーンの世界に突如生まれた色彩に、私は目を奪われた。様々な感情が私の心を駆け巡ったが、それを言葉にすることは出来なかった。唯一最も近いであろう言葉を探すならば、それは「美しい」という形容詞だった。
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ」
彼女の言葉が止められていた時計の針を再び動かした。
「私はあなたの感想を求めたりなんかはしないわ。多分私が最初にこの椿を見た時と同じ感情を持ってるでしょうから」
「すごい…秋の時は紅葉もしない地味な常緑樹としか思ってなかったのに…」
「実はね、あえて家に貴女だけしかいないを時を見計らってお邪魔したのよ。物質的な豊穣の神様は多分分かってくれないだろうけど、紅葉の神様である貴女ならきっとこの椿の魅力を分かってくれる、って思ってね」
「わざわざ…私のためだけに?」
「貴女が穣子さんが『お腹の足しにもならない』って言ったことに不満を言ってたのを聞いて、確信したわ。そしてこのとおりだった。この思いが分かってくれる人がいて私も嬉しいわ」
私の心に、何かむずむずとした不思議な気持ちが沸き起こった。
「あの…何て言うか…その『貴女』って言うの、やめてもらえないかしら…?」
「じゃあどう呼べばいいの?」
「…『静葉』って呼んでくれない?」
「分かったわ、『静葉』、じゃあ私のお願いも聞いてくれる?」
「何?」
「私のことを『レティ』って呼んでくれない?」
「…わかったわ、『レティ』。…これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくね」
これまで、秋こそ最高の季節だと私は考えてきたし、もちろんその考えは私が秋神で在り続ける以上変わることもないだろう。しかし、あの椿のような美しい花が咲く季節が冬であるのならば、冬も決して悪い季節ではないはずだ。
しかし初対面ってのはちょっと無理がなかろうか
もっと古い時代の、思ひ出話、馴れ初め編に1票。
しかし、仲の不安定な秋姉妹とか、久しぶりに見た気分です。 最近は仲睦まじい姉妹像しか見てなかったけど、こんな静葉もいいですな。
夏が似合う幽香とも仲良くできるかも