序
冴え冴えとした銀色の月光が花畑を照らす夜、メディスン・メランコリーは鈴蘭の花に
埋まるようにして、そこに寝転がっていた。闇に浮かぶ花弁は、まるで初雪のように白い。
少女──少女の形をした人形は、普段綺麗に整えられた濃い蜂蜜色の髪も、花で染めた
深紅のスカートもボロボロのまま、何時間もそうして群生する鈴蘭の中に横たわっていた。
手足は力を失いピクリとも動かず、煤けた顔でけほっと咳き込めば、小さな口から真っ
黒な毒が立ち上り、薄雲のかかった真円の月へと向かっていく。
それは、一つの事実を物語るものだ。
「あ~あ……また負けちゃったね、スーさん」
小さな呟きは、誰もいない鈴蘭畑に向けられたもの。受け止める者がおらず、当然うな
ずく者もいない言葉は、春夜のまだ冷たい空気の中に溶け込んでいく。
しん、と返ってくるのは静寂ばかりのその場所で、メディスンはさらに続けて音を育む。
「やっぱり、あいつらの言う通りなのかしらね。私程度じゃ、まだ何もできない。もっと
強い毒が必要なのかしら。それとも……」
言いながら、小指の先に力を入れる。
――少し動いた。
「ありがとう、スーさん。スーさんだけは私の味方ね」
そうして、
「……う~っ!」
わずかな力の全力を使って、身体の向きを入れ替える。空を見る形から、ゴロンと回転。
今度は、両手を広げて花畑を抱き締める形。
よしっ、と幼く丸い頬が笑顔にとろける。やわらかな白い花。清楚な花姿そのままの、
清廉でほんの少しの甘みの混じった香り。その香りは、メディスン自身の香りでもある。
唯一のしゃべる存在であるメディスンが瞼を下ろし、しばしの沈黙が訪れたと思ったら、
「復活!」
よくしゃべる人形は、そう叫んで立ち上がった。
寸前までの弱っていた姿はどこにいったのか、周囲の毒気を吸収したメディスンは、今
生まれたばかりのように溌剌とした表情で大きく伸びをする。人間ではそうはいかないだ
ろうが、妖怪は特定の条件さえ揃えば、瞬時に傷を癒すことも可能だ。彼女の場合は、体
内の毒の補給。鈴蘭畑にいる限り、メディスンが滅びることは、それこそ全身を燃やし尽
くされでもしないない限りあり得ない。
「スーさんは凄いわ。みんなも、早くスーさんの力を分けてもらえばいいのに」
ニコニコと、踊るような足取りで秘密の場所に足を運ぶ。鈴蘭が一層密生するそこにか
がみこめば、無惨にも身体の欠損した人形が無数に並べられていた。
腕がないもの、足がないもの、両方ないもの、頭がないもの、全部ないもの――それら
は全て、メディスンの可愛い後輩たちだ。
「みんなが動いてくれれば、私も人形解放がやりやすくなるのになあ」
言いながら、『もきもき』。
小さな手で、綿の入ったぬいぐるみの胴体を『もきもき』と揉みしだく。
カウボーイハットの伊達男さん。
メディスンに少し似たお嬢さん。
実物より随分と可愛らしい野武士さん。
人形と言っても、ぬいぐるみから紙人形、ビスクドールまで幅は広い。しかし、メディ
スンはどれにも等しく『もきもき』と毒を与える。刷り込んで、自分と同じ存在を生み出
そうとする。
だが、その結果はただの毒の染みた人形の出来上がり。どれ一つとして、メディスンの
言葉を聞いてはくれない。
聞いて欲しいことを――凄いことだね、メディスンは偉いね、と褒めて欲しい気持ちを
受け取ってくれない。
「まったく、誰のために人形解放をするのかわかってるのかしら?」
あなたたちのためなのよ、とメディスンはお姉さんぶって指を立てた。一つ一つの人形
の頬をつつき、頬のないものには腹をつつき、ぷんぷん、とわかりやすい憤慨の言葉を呟
き、最後に人形たちを丁寧にもとの場所に戻す。
人形解放。それは、メディスンが提唱する、文字通り人間からの人形の解放運動だ。
人形は、弱い。立場が弱い。購入されるも、捨てられるも、全てが人間の一存で決めら
れてしまい、もちろん物言わぬ玩具である以上抵抗することもできない。
最初から消耗品であれば、それも納得できるだろう。
だけれど、人形は愛されるために生まれてくる。
人形は、誰しも一度は望まれて人間に抱かれ、そしてその笑顔のそばで生活するのだ。
それ故に、捨てられる時は愕然とする。古くなったから、新しい人形を買ったから、様
様な理由で、人形たちは捨てられる。
待ってください、と言うことはできない。人形は言葉を紡がない。文句を言わない。
――こっちだって愛しているのに、と言えない。
人間からの人形への愛は、あまりに一方的だ。人間が求める時は良い。しかし、人形側
が求めても、それを返してくれることは絶対にない。
人形は、弱い。
メディスンが望むのは、そんな人形の解放。立場の向上だ。
『人形を、人間が好き勝手していい存在ではなくす』
そしてできれば、とも思う。
復讐してやる。
一瞬、ほんの短い時間だけ、人形たちを鈴蘭に隠すメディスンの顔に暗い陰が差す。い
つも朗らかな、まだ幼い無邪気な心しか持ってないはずの彼女の、心の奥底にある闇。
その、憎しみという名の呪いが、捨てられていた人形を毒と結びつけ、一体の妖怪人形
にまで育て上げたことを、メディスンは自覚している。
(ん~、みんなに見抜かれてるのかしら?)
他の人形に自分の言葉が届かないのは、そういう自分の私欲が感じ取られているからな
のでは。
「でも、スーさんはそれでいいって言ってくれるもんね!」
負け惜しみのように、メディスンは口を尖らせる。それに応えるように、一面の鈴蘭が
サァッと風に揺れて音を立てる。
その様は、月下の白い海。潮騒がメディスンを包み込み、香りは何者をも拒む結界とな
って、鈴蘭畑の彼女を守ってくれる。
絶対に安全な場所。メディスンの安らぎの場所。
「でもね、スーさん。私、少し賢くなったわ」
先ほど、寝転がりながら考えていたこと。入れ代わり立ち代わり鈴蘭畑を訪れて彼女を
打ち負かした妖怪たち。
人形解放?
そのためには、再びあいつらとぶつかるかもしれないのだ。
「ぐる~~~~~~っと!」
一回転。
東西南北、あらゆる方向。そのあらゆる方向を、メディスンは知らない。
メディスンは『何も知らない』。
東には何があるだろう。どんな妖怪がいて邪魔をしてきて、どんな人形がいてどんな言
葉なら説得できるだろう。
西ならば。
南ならば。
北ならば。
――そう。
「ここにいたら、ただ一人で言っているだけなの。どうやったらあの子たちに言葉を届け
られるかもわからないで……ずっと『もきもき』してるだけ」
それじゃあ駄目だ。
一人では、駄目だ。
だから。
「ねえ、スーさん。私、お勉強してみようと思うの。スーさんは……協力してくれるかし
ら?」
1
その日、メディスン・メランコリーは珍しく客人を迎えていた。それは、月からやって
きたと嘯く妖怪兎と、その師匠を名乗る人間の二人組だ。
無惨に捨てられた人形という経歴を持つメディスンは、仇敵である人間の登場に目を剥
いて驚いたのだが、その人間が彼女自慢の鈴蘭畑でまったく平気な顔をしていることに、
さらに驚きを覚えることになった。
「ああ、気にしないで。私には毒の類が効かないだけだから」
気軽に言うその微笑みは、周囲に咲き誇る鈴蘭のように美しい。
陽の光を知らないような花弁の白さと、造形美の極みのような鈴の形を合わせ持った鈴
蘭の美しさ。そして、自然界三大花香とも言われるその香りは妙なるもので――。
「って……ああ! 毒だっ!」
「ご名答ね。ウドンゲ、お前より筋が良いみたいよ」
クスクスと、教師の謎かけに答えた優秀な生徒を褒める口調でその少女は掌に握りこん
でいた蝋燭の欠片のようなものをメディスンに見せてきた。微量ではあるが、その蝋が少
しずつ気化して大気にごく弱い麻痺製の毒を漂わせているのだ。
鈴蘭とは違う、メディスンも初めて嗅ぐ甘く刺激的な香り。
「ただの虫除けよ」
「どういで、しあがしびえうと……」
う~、と情けなく長い耳を垂らして口を押さえるのは、前述した妖怪兎である。どうや
ら、微量の毒を間近で受け続けたらしく、その台詞に舌が追いついていない。
しかし、メディスンが一瞬で把握した毒情報はそれだけではない。それを理解すれば、
目の前の人間のタチの悪さが全て理解できた気がする。
それは。
「虫除け……のわりには、虫を寄せる香りなのね」
「駆除しないと、薬が切れた後が心配だから」
さらりと言う。
わかったのは、彼女の恐ろしさだ。
鈴蘭は、馬や狐に食べられないためにその身に毒をまとった。香り高さは自らの危険性
を広く報せるためで、賢い動物たちは決してそこに近寄ったりはしない。近寄るとしたら、
花の美しさに見せられた人間くらいのものだ。
しかし、鈴蘭のように美しいこの少女は、遠ざけるためではなく一網打尽にするために
香り高く咲く。鈴蘭の毒が自衛のための手段であるのに対し、確実に相手を屠るための毒。
花の毒が生きるための毒であるのならば、彼女の毒は殺すための毒なのだ。
だから、メディスンは同種の毒を扱う者として、その少女に無条件に畏怖を感じた。
(『この人も』、私の力の及ばない人なのね……)
未熟であると言っても、妖怪だからこそわかる、本能的な危険度。
口惜しく思う反面、自分がその危険度を察知できたことに、密かに満足も覚える。
メディスンは、つい先日、ほんの数日間の間に驚くほどの回数の実戦経験を積んだ。そ
れは、鈴蘭が例年よりも一月ほど早く開花した特別な春だからこそ起こった、不思議な事
件の最中のことだ。
メディスン・メランコリーとしての意識がこの血肉の備わない身体に宿って以来、鈴蘭
畑を一歩も出たことがなかった彼女は、花のある場所に事件の犯人を求めてきた多くの人
間や妖怪と遭遇し、戦い、そのほとんどに敗北した。
夜雀や氷精など、幾つか勝ちといえる状況で相手を追い払えたこともあったが、それは
からくも鈴蘭畑から追い出せた程度でしかない。
これまでは、鈴蘭畑に迷い込んだ人間を相手に、好きなだけ一方的に毒を盛って操るこ
とができたというのに、これでは自信喪失だ。何より、人間に捨てられた自分が鈴蘭の恩
恵で人形の身体を自由に動かす術を得たのは、捨てられた復讐をせよという運命の啓示と
信じていただけに、巫女や魔法使いに負けたことは彼女を大いに意気消沈した。
井の中の蛙は大海を知らず、というわけだ。
そうして学んだことは、世の中には自分などより遥かに強い力を持つ者が数多存在し、
今後自分が人形解放を目指すのであれば、障害になるかもしれないそうした存在への対抗
手段を得なければならない、ということであった。
そのために、彼女は色々なものを見聞きしないといけない、と判断した。何故なら、何
より痛感したのは自分の引き出しの浅さだったからだ。
毒を操れるが、基本的にそれしかできない彼女に対し、経験豊富な妖怪たちはあの手こ
の手で彼女を翻弄した。実戦経験の差と言えばそれまでだが、それまで負け知らずだった
彼女にとって、それは屈辱以外のなにものでもない。中には生まれたばかりの妖怪である
彼女に先輩ぶってがんばるように応援してくる者までいた始末だ。
――そう、メディスンが自分の領域である鈴蘭畑に客人を招きいれたのは、そのような
失意の時に、自分を打ち負かした妖怪兎から鈴蘭畑の見聞を申し入れられたからなのだ。
「私の師匠が、あなたの鈴蘭畑に興味があるみたいなのよ。良ければだけど、少し見学さ
せてもらえない?」
その要請に首を縦に振ったのは、彼女なりに『世界』を知る必要があったからである。
鈴蘭畑に閉じこもっていては、自分の力をより強くすることはできない。もっと多くのも
のを見て、多くのことを学ぶべきだと実感したのだ。
よって。
(大当たり!)
妖怪兎の師匠――メディスンの知るどのような鈴蘭よりも美しく危険な少女の訪問に、
彼女は身の危険を覚えながら感動していた。先の花の事件の時を振り返ってみても、目の
前の少女ほどの力を持つ妖怪はせいぜい一人二人といったところだろう。間違いなく大妖
怪と言ってよい存在だ。
(う~ん……一応、身体の作りは人間みたいだけど?)
メディスンは、鈴蘭畑を楽しそうに物色する少女の横顔を見つめながら考える。メディ
スンの能力は、他人の身体の中にある毒――毒にもなりえる体内物質――の存在を感じ取
ることができる。その感覚を信じるならば、少女の体内にあるのは、ごく普通の人間と変
わらないものばかりだ。
と。
「本当、見事な鈴蘭畑ねえ。あなたが管理しているの?」
「へ? う、うん。でも、今年みたいにみんな満開! っていうのは初めて見たわっ」
不意に尋ねられ、メディスンは思考を現在の時間に戻された。余裕のある態度のせいか、
実際の年齢よりも大人びて見える美貌が自分に向けられている。そのことに、慌ててしま
う。人間であればまだ二十の歳を数えていないだろうに、妖怪相手にこの落ち着きぶりは
何なのだろう。
不思議。
(うん、不思議)
まるで、先日出会ったどの妖怪よりも長い時を生きているような――。
「毒も、去年より強いみたい。コンパロ、コンパロ、毒よ集まれ~!」
「あら……これは凄いわね」
メディスンが花畑中の鈴蘭の毒を周囲の花に集めると、それがわかるのか少女は興味深
そうにそのうちの一輪を手に取った。躊躇いなどない、恐れのない行動だ。
「予想以上の毒気ね。普通の鈴蘭なら大気中に毒が溢れることはないのだけれど、これは
……あなたの力ね? これなら妖怪でも短時間で行動不能にできる。素晴らしいわ」
「ここのスーさんが気に入ったなら、少しなら持っていっていいわよ。なんなら、私の他
の毒コレクションも分けてあげる。今年は変な春だから、全部の季節の花があるのよ?」
メディスンとしては、自分の庭に転がっている、幾らでもあるものを分け与える程度の
ことだった。
だが、少女は大げさに感激したそぶりで、弟子である妖怪兎に言う。
「いい子じゃない、ウドンゲ。お前の言っていたような凶暴性も見られないし」
「騙されてはいけません。この前はいきなり攻撃してきたんですから。それに……うう」
今だって毒を集めているじゃないですか、と言いたいらしい妖怪兎だったが、充満する
毒気に口を開くのも危険だと悟ったらしい。青い顔で唇を結び、代わりにその赤い瞳にジ
ロリと見下ろされ、メディスンは自分はそれほど周りに対して攻撃的だったかと反省する。
せめて、もう少し賢くなるまでは無闇な戦闘は避けることにすべきだ。
今日はそのために彼女たちを招いたのである。
そのことをどう伝えようかとメディスンが困っていると、
「そんなに睨まないの。かわいそうじゃない、こんなに可愛いお人形さんに」
ふわり、とメディスンの首に巻きついてくるものがあった。びっくりして見上げると、
後ろから少女がメディスンを抱きかかえるようにしていた。
(う、うわあ……!?)
とメディスンが絶句したのも無理はない。何故なら、それは生身の人間であれば即座に
喉を掻きむしってのたうち回る、メディスンの毒の集大成、自分自身の身体に触れられた
からだ。
まだ彼女が自らの身体を動かす術を知らなかった頃、偶然迷い込んだ人間が彼女を見つ
け、何人が死んできたことだろう。誰も触れることができない、花畑の毒人形。
なのだが。
「可愛い可愛い。こんな精巧な人形、初めて見たわ。しかも自分で考えて、自分で動く。
これほど怪しい人形もないけど、これほど貴重な人形もないわ」
「褒め……てくれるんだ?」
「それだけの価値があるからよ」
立派立派、と少女は後ろからメディスンの手を取り、玩具でそうするように自分で拍手
をさせた。さすがにそれにはムッときたメディスンだったが、今日心に決めたことを思い
出して、怒鳴りたい気持ちを押し殺した。
彼女の望む人形解放に必要なのは、自分の知恵と、それに賛同する仲間を集めることだ。
そして、仲間とは自分の目指すものを理解してくれて、協力してくれる者のこと。
メディスンは、自分が孤独であることを先日の事件で思い知らされた。彼女の世界は狭
く、閉じこもった鈴蘭畑では一人で毒を作ることしかできない。一人では、意思を持たな
い他の人形たちが望みもしない──意志が無いのだから──目標を叫ぶだけで終わってし
まう。
だから、メディスンは世界を学ぶことは、誰かに自分の言葉を届け、理解してもらうこ
とと同義だと考える。多くを知り、他人との関わり方を知ること。それは、一人では練習
できないことだ。
それ故に、他者との繋がりが欲しい。そのためには、多少の譲歩も必要なのだと、自分
に言い聞かせるのだ。
そう、褒められたのなら、可愛がられたのなら、何と言えば良いのか。
「あ、ありがとう……」
意外に、その言葉はすんなりと唇を通って紡がれた。
すると、
「ほら、こんなに可愛い子に失礼よ、ウドンゲ」
「嘘じゃないですよ。本当に凶暴なんですって。すっごく怪しいですっ」
「大方、お前の殺気に反応したってところでしょ。お前は何事も力で解決することばかり
考えるから」
戦士の性ね、と少女が妖怪兎をたしなめる。それを見て、メディスンは会心の気持ちで
小さな拳をぎゅっと握り締めた。
(上出来じゃない! 人の信頼を得るなんて、簡単なものね!)
少女がすっかり自分を無害な人形と信じ込んでいると確信し、メディスンは満足の笑み
を浮かべる。それがさらに可愛いのか、少女はすべすべとしたメディスンの頬を両手で揉
むように撫でさする。
その手はそうするのに慣れているのか、結構心地良い。
そうやってメディスンの心に余裕が生まれた時だった。
「それで、あなたはその可愛い顔で私たちに何を望むのかしら、お人形さん?」
「っ!」
無償で毒を分けたり親切をしてくれるわけではないでしょう、という響きに、メディス
ンは心の奥底まで見抜かれた気がして全身の毒を震わせた。
下心を、見抜かれた。頃合を見計らって、相手の機嫌の良さにつけこんで要求する予定
だったのに。
「う……」
思考が、停滞する。どうする? と考えて出てくるのは、もう駄目だ、排除しろという
精神の毒が囁く言葉。鈴蘭の香りは心に作用する毒。それで動くメディスンの思考は、直
情的で短絡なものだ。
──これまでは。
「落ち着きなさい。お馬鹿はお馬鹿なりに考えて、私たちを招いたんでしょう? ここで
台無しにするか、続けるか、さあどっち?」
「う、うん……」
試すように、少女はメディスンの耳元で問いかけてきた。その事実の、恐ろしいこと。
やはり、この少女にはメディスンの毒は何一つ効きはしないのだ。その気になれば、メデ
ィスンの毒を操ってこの身体を自由にするくらいのことはできる相手のはずだ。
逆らえない。
(でも……)
私は『そういう世界』を見ようと思ったはず。
うん、とメディスンはもう一度うなずいた。予定していた自分の都合が崩れればすぐに
相手を攻撃するのは、自分を理解してもらう努力を放棄していた過去のメディスンだ。
今のメディスンの望むことは一つ。
「私は、このスーさんの外の世界を見てみたいの。たくさんお話する相手が欲しいわ。色
色知りたいことがあるの。私以外の人の心がどうなっているか、どうすればその人に私の
言うことを聞いてもらえるのか、わかりたいの」
それを知り、自分を成長させること。
全てはそこから始まるのだから。
「ふうん?」
必死に考えて言葉にしたメディスンに対し、少女は面白げ頬を緩め、彼女を捕らえてい
た腕を放した。自然、振り返ったメディスンは、正面から銀色の髪の少女に向き合った。
もしここで拒絶されようとも、メディスンはもう癇癪を起こさないことに決めた。そう
いうことになったら、新しい誰かを探すだけだ。まず、この鈴蘭畑を訪れた者に自分を理
解してもらうことから始めるのが、大切だ。
果たして、その思いを読み取った──そのくらいのことはできそうだ──のか、少女は
屈みこみ、今度は正面からメディスンの手を取って言った。
「なら、うちにいらっしゃい、可愛いお人形さん。永遠亭はあなたの社会学習を応援して
あげるわ」
その言葉に、メディスンの顔がパッと輝く。思いがけない返事だ。
「いいの!?」
「ええ。私もあなたに興味があるし、それに、私の主もきっとあなたに会いたがるわ。こ
んなに可愛いんですもの。大歓迎よ」
「えへへ~、そう?」
可愛いと言われれば、悪い気はしない。両頬を手で包み込んで照れるメディスンを横目
に、妖怪兎はおっほんとわざとらしい咳を一つ。
「きっと……って、そもそも姫様が私の話を聞いて連れてこいって言ったのよね。それに、
師匠は最初から研究材料として鈴蘭を花畑ごと持ち帰るつもりで──」
そのぼやきが最後まで紡がれることがなかったのは、果たして兎の自重なのか、その師
匠の踵に足を思い切り踏まれたからなのか、それは一つの成功に浮かれて何も聞いていな
かったメディスンにはうかがいしれないことだ。
ともあれ、メディスンはそこで初めて自分が少女の名前を知らないことに気がついた。
月の銀光を束ねた長い髪も印象的なその少女。毒花の中でなお咲くその『今年一番の鈴
蘭』に、メディスンは尋ねる。
「私は、メディスン・メランコリー。誰かがくれた名前。あなたのお名前は?」
「永琳。八意永琳よ。よろしくね、メディスン」
鈴蘭畑に笑顔が花咲く昼下がり。
──それが、メディスンのはじめの一歩だったのである。
2
人里にほど近い鬱蒼とした竹林の中に、永遠亭と呼ばれるその屋敷は建っている。
背の高い竹が翌日にはさらにその背を伸ばす魔境の森で、ぽつんと一つ。日々形を変え
る竹林の迷宮をくぐり抜けてそこに辿り着けるのは、月の瞳を持つ者か、幸運の兎の恩恵
を授かった者のみ。実際、永遠亭が竹林にあること自体、つい最近まで知られてはいなか
ったのだ。
比較的時間がゆったりと進む感のある幻想郷の中でも、まるで時間が止まったかのよう
にその姿を変えない古めかしい屋敷を訪れた者は、そこに停滞と静寂の極みを感じ取るこ
とだろう。
風が吹けば、竹の葉が揺れる音さえ聞こえる静寂の地。夜になろうと蝋燭一つ灯される
ことのない、昼夜の境も失った時間の平坦に位置する僻地。
だが、外観に反して、その建物の中は意外と賑やかなものである。退屈嫌いの主のため、
毎日のように下僕たちは歌い、踊り、楽しい小噺を披露し合う。その下僕というのも、た
だだの人間や妖怪ではなく、これまたほとんどが普通の兎というもの珍しさだ。
そうして今日も、何人かの妖怪兎たちが、多くの普通兎たちに命令を出しながら慌しく
家事に勤しんでいるのであった。
「は~い、きりきり働く働く~。永琳様が戻ってくるまでにお掃除終わらせないと、また
研究室から戻ってこない兎が生まれてしまうわ~」
と、なかなかに物騒なことを言っているのは、黒髪にぴょこんと真っ白な兎耳を生やし
た少女、因幡てゐだ。板張りの廊下を真っ赤な目をした兎たちが猛烈な勢いで駆け抜けて
いく様を、その妖怪変化の少女は暢気な鼻歌混じりに歩きながら眺めている。
「まぁもっとも、もし間に合わなくても、みんなががんばってたことは私から永琳様にし
っかり報告させてもらうからね」
人間であれば十歳を少々越える程度の見た目に反して、てゐは永遠亭の兎全てを統括す
る、いわゆるメイド長のような立場にいる。人間の言葉を解しない兎たちにとっては、唯
一と言ってよい主たちとの窓口的存在である。
少女は、肉付きのよい愛らしい頬に手を当てて、悲劇のヒロインのように眉根を寄せて
言う。
「そう、いざとなれば、この私が身を挺してあなたたちを守ってみせるわ~」
「!」
その悲壮な決意に、兎たちは少女の足元に集ってクークー、ブーブー、と鳴く。兎語が
わかる者ならば「てゐ様最高です~」やら「一生ついていきます!」などの言葉が聞けた
ことだろう。
「騙されてる、騙されてる……」
小さな身体で大きな洗濯籠を抱えた妖怪兎が通りすがりに呟いたが、現在進行中でてゐ
にすがりつく兎たちの耳に届きはしない。
この因幡てゐ、何を隠そう、かなりの嘘つきなのである。だが、ごく普通の兎たちには
その嘘を見抜くことができるはずもなく、いいようにこき使われながらも、英雄的な存在
としててゐを崇拝している。
まあ、兎が効率よく働くから良いでしょう、と他の面々も許容していたりするのが現状
である。
「そういうわけで、はい、仕事再開~」
まさに鶴の一声。兎たちが一斉に動き出すのを確認し、てゐは頭の後ろで腕を組んで、
ぶらぶらと玄関の方に歩いていった。
(お散歩でもしよっかな~)
他人を働かせても、自分が働く気はまったくない。そもそも狭い屋内は好みではなく、
自分の領域である竹林で遊んでいるのが一番好きだ。
(永琳様も、兎を実験台にしていると思われてるなんて、思ってもないよね~)
クスクスと意地悪く笑うのは、兎たちを脅すために使った話題──行方不明の兎たちの、
本当の行方を知っているからだ。
永遠亭の兎たちは、数年単位で世代交代をする。一定の年齢に達した者は、雑務から解
放されて残り数年の寿命を屋敷で安穏と過ごすことが大半なのであるが、一部の兎が野生
に帰ることを望むこともある。消えた兎とは、なんのことはない、竹林に消えただけとい
うだけの話だ。だが、屋内でばかり過ごす兎たちがその真相を知ることはない。てゐと、
他数名の妖怪兎が知っていれば良いことであった。
「さてさて、お散歩ついでに、筍採り~。春の若芽をお刺身で~」
てゐが、そう鼻歌混じりに玄関の引き戸をガラガラと横に動かした瞬間。
「て~ゐ~!」
「ぎゃっ!?」
玄関の向こう、永遠亭の外から伸びた手が、手馴れた様子でてゐの鼻を摘み上げた。そ
の悲鳴に何事かと振り返った妖怪兎たちは、立っている三人の姿に、なんだ、と安堵の息
をついて頭を下げる。
「永琳様、お帰りなさいませ!」
「お帰りなさいませ~!」
言葉だけは丁寧だけれど、その本質はどこまでも陽気な妖怪兎たちの声を受け、外出か
ら戻ったその少女は鷹揚にうなずいた。
妖怪兎たちは、絶対にその人物の存在を見逃さない。
背中の半ばまでの豊かな銀糸の三つ編みと、陽射しを知らないのではと疑ってしまう白
い肌。柔和な微笑を浮かべるその美貌が、時には時すら凍らせる怜悧なものを含んでいる
ことを知る妖怪兎たちは、彼女の行動全てに神経を張り詰めているのだ。
八意永琳。永遠亭の主の最大の腹心であり、妖怪兎たちにとっては仕えるべき上司であ
る。
そうして戻ってきた永琳の隣には、てゐの鼻を摘んだ月の兎──鈴仙と、見知らぬ妖怪
人形がいる。
「いったいどこに行こうとしていたの。まだたっぷり仕事があるでしょう!」
説教の声色で言う鈴仙は、永琳と同じく月を写した銀色の髪を自然に伸びるに任せてい
る。血よりも深い紅の瞳は、てゐたち地上の兎とは一線を画す、どこか『狂った』もので、
ともすれば漏れ出しそうなそれは、鈴仙自身の理性で保たれる危ういものだ。
その瞳を真正面から受け止められる兎は、永遠亭にはてゐしかいない。
「放してよもうっ。可愛いお鼻が潰れたらどうするのよっ。──って、げげっ、その人形
は!?」
「あ、うさんくさい兎だ! あなたもここに住んでるのかしら」
永琳の腰の後ろからひょこっと顔を出している、まるで人形のように美しい──当たり
前のことだ──金髪の人形は、顔を警戒色に染めて後ろに逃げたてゐの様子に、自らもわ
ずかに視線に力を込める。
ほんの一瞬お互いの間に火花が散り、
「はい、そこまで」
「うあっ」
「むぎゅっ」
二人同時に永琳の手のひらを鼻面に受けてのけ反った。
「やるなら後で死ぬまでやりなさい。今は、メディスンを姫様に届けるのが先よ。ウドン
ゲ、孟宗の間に連れていきなさい」
「はい。師匠は?」
「ウドンゲ」
鈴仙が永琳に尋ねたのは、反射のようなものだったのだろう。妖怪兎たちは、肩をすく
める永琳を見て、悟る。そして全員が内心ため息をついた。
(あ~あ)
果たして。
「そのおつむは何のためにあるのか、たまには考えてみなさい。そのままじゃ、いつまで
経っても言われたことをするだけのお馬鹿さんよ」
「は? は、はい!」
冷たい目で言われ、鈴仙は弾かれるように廊下の奥へと走り出した。途中で気がついて
振り返り、
「メディスン、こっちよ!」
と手招きして呼ぶ。メディスン──と妖怪兎たちはその妖怪人形の名を知った──は、
永琳を見上げて確認すると、ちょこまかと小走りに鈴仙の後についていく。
その拍子に鼻腔を刺激した香りに、妖怪兎たちはハッと顔色を変える。
「やばっ。逃げ──」
言いかけるが、遅い。
メディスンが鈴仙と姿を消した通り道には、死屍累々と泡を噴いた兎たちが転がってい
た。動揺する妖怪兎たちの中で、てゐだけが仕方が無いという顔で懐から小さな小瓶を取
り出した。
「さすがは毒人形。そういうわけで、みんな、鈴蘭の毒に効くお薬はいらんかね~?」
もちろん、その小瓶の中身は単なるうどん粉なのであったけれど。
※
メディスンが鈴仙に連れられて入ったのは、永遠亭でも風通しの良い一角であった。庭
に面したその部屋は、何重もの襖によって区切ることができる大広間で、メディスンがい
る末席から上座までは大の大人でも大股で二十歩はかかりそうな場所だ。
やや固い畳の上にメディスンが立つと、青臭い香りと鈴蘭の香りが混ざり、また新しい
種類の芳香と変わって周囲に広がっていく。もし密室であればすぐにそれが充満していた
だろうから、永琳がその部屋を指定したのは正しい判断と言える。
ただ、
「まだ~?」
「あ~、確かに遅いわね。ごめんなさい、ちょっと見てくるわ」
メディスンがそこで待つように言われてかなりの時間が経ったが、未だに永琳が『姫様』
を連れてくる気配は感じられなかった。メディスンの漂わせる毒気に怯えたのか、使用人
である兎たちも遠くに逃げてしまい、動くものと言ったらメディスンと鈴仙の二人だけと
いう状態だ。
その鈴仙が首を傾げて部屋を出て行くと、メディスンは退屈に耐え切れずに、行っては
いけないと言われた上座へと飛び込む。
「やっ!」
両手を広げ、上質な座布団の上にぼふんとお腹で着地。勢い余って滑ることもない見事
な着地に満足し、メディスンは今度は座布団の右隣にある用途不明の漆塗りの台を見た。
「なにこれ?」
それは、台の上に柔らかなクッションを取り付けたものだ。肘掛、とある程度の知識が
あれば思い浮かんだだろうが、生まれて数年の妖怪人形にそのようなものがあるはずもな
い。
「枕かしら? でも、少し高すぎるわね。乗るのかしら? 跨ぐのかしら?」
かしら、かしら、と繰り返し、メディスンはその謎の道具の使用法を一つ一つ実践する。
座布団に正座して、台を抱きしめるようにして頭を乗せてみたり、馬に乗るように跨いで
みたり、片足一本で上に立ってみたり。
「なんだか、どれも違うみたい……う~ん、なんなのかしら」
もしかして、私以外のみんなは『これ』の使い方を知っていて、私だけが知らなくて笑
いものになっているんじゃ。
そんな想像に、少し嫌な気分になる。不安になってしまうのは、ここが『敵地』だから
だ。
(ここで壊れたら、もう戻れないかも……)
形の良い小さな鼻を、スンと動かす。
無い。
ここには、親しんだ鈴蘭の香りが、無い。わずかに自分の身体に染み込んだ毒の分だけ
が、メディスンの心を支えてくれる。
(大丈夫。無闇に攻撃しなければ、攻撃されることもない……って言われたし)
先ほど険悪な雰囲気になったあのてゐとかいう妖怪兎なら、鈴蘭畑を離れた自分の力で
もどうにかなる。永琳や鈴仙の不興をかわなければ、どうにかなるだろう。鈴仙が相手で
も、鈴蘭畑まで逃げるくらいは──たぶん──できるはずだ。
「ん~、がんばらなくちゃ。こんなところでくじけてちゃ、スーさんに笑われちゃうわ。
ね、スーさん」
自分の腹をポコンと叩くと、体内の毒素が頼もしい力を返してくれる。決して裏切らな
い鈴蘭の毒に、メディスンはにっこりと微笑んで、座布団に座りなおした。
使い方のわからない台のことなど忘れ、上座から下座を見る形。真っ直ぐに座ると、
「あ」
ちょうど、右肘が台の上に乗せることができそうだった。
そのことを直感した時のメディスンの表情は、喜びと、してやったりと、やっぱり私は
凄いのよ、といういくつもの感情が入り混じったもので、とても人形とは思えない豊かさ
に満ちていた。それは、自我を持つ人形の研究をする魔法使いが見たりしたら、それだけ
で捕まえて家に持ち帰ってしまいそうなものだ。
「なるほど、人間も面白いものを作るのね」
平安時代の佳人のように、メディスンは肘掛に肘を預けて、ふむ、と下座に視線を向け
る。だらしない格好が、むしろ地位の高さや余裕を表現しているようで、気分が良くなる。
「うふふっ」
「上機嫌ね、お人形さん」
「!?」
笑顔で後ろに寝そべったその瞬間、視界が人間の顔で埋まった。左右には黒いカーテン
──長い黒髪。
硬直したメディスンの身体を、思考が働く前に毒が動かした。脅威の排除。生身の人間
なら触れただけで毒を刷り込む幼い手が、目の前の顔を掴もうと伸びる。
が。
「私、あなたのように動く人形が欲しかったのよ、結構前から。やっぱり、ペットもイナ
バだけだと飽きるのよね」
メディスンの手は、半ばまで動いたところで動きを止めていた。その人間、逆さの視界
の中にある黒髪の少女の喉に、後少しという距離で動きを止めて──いない。
「え? なに?」
メディスンの手は、動き続けていた。ほんのわずかずつ、メディスンの肉体の命令で少
女に触れるために距離を縮めている。
だけれど。
「ああ、諦めなさい。あなたの手は、永遠に私に届かない。それでね」
微笑みが生まれた。無邪気で、悪意のない、本当に楽しそうな笑み。メディスンが呆け、
毒にまみれたその心が吸い込まれるかと思った、その笑みで。
「私の手は、須臾の間にあなたに届く」
ピン、と人差し指で、メディスンの額を弾いた。その、取るに足らない衝撃は、痛みで
はなく、もっと致命的なものとしてメディスンの心に響いた。
「ひ……っ」
「あ~っと──ごめんなさい、怖がらせるつもりはなかったの。本当よ?」
今まで、向日葵を操る妖怪、閻魔を名乗る少女、それから永琳の三人にしか感じなかっ
た、絶対的な力の差が生む感情。妖怪故に屈辱的で、だけれど抗い互い防衛本能が感じさ
せる畏怖に、メディスンは蛇に睨まれた蛙のような顔をせざるを得なかった。
それを見た少女は、う~ん、と眉根を寄せてメディスンの視界から消える。それが、覗
き込んでいた彼女が立ち上がっただけだということに気づくまで、メディスンには少しの
時間が必要だった。
慌てて身を起こして見れば、少女は少し離れた場所に佇んで、目を輝かせてメディスン
を見つめていた。興味津々、というそれに、彼女は察しをつけて尋ねる。
「……あんたがここのお姫様?」
「ええ。私がここのお姫様。私の他にお姫様はいないし、いたら大変だわ」
「大変なの?」
「永琳を二つに分けるのは手間だと思わない? 赤と青に」
「赤と青に……」
ひそひそと、内緒話をするように顔を近づけてきた少女に、メディスンは少し怯みなが
らもその言葉に想像を刺激された。
永琳を二つに分ける──彼女は、左右を赤と青に色分けした服を着ていた。確かに、分
けるならそこを中心にして……。
「あ~、うんうん!」
「でしょ?」
何故か妙に納得してしまい、メディスンは何度もうなずいて同意した。すると、我が意
を得たりとばかりに少女が上品に口元を隠して朗らかに笑う。
少女は、永琳とはまた違った意味で、美しい容姿をしていた。
芸術家が女神を模して銀細工で永琳を作り上げたというのなら、少女は最高の職人が甘
い菓子を寄り合わせて生み出したかのような、そういう違い。
月を浮かべる真夜中の空の色の髪は、どこまでも深く艶やかで、己の存在を誇示するか
のように長い。繊細という言葉を体現した細い線で編まれた鼻梁のライン、綺麗な卵型の
頭、長いまつげの下の子供の好奇心を宿した瞳。
(お姫様だ……)
そういう人形が、鈴蘭畑にもある。メディスンが『もきもき』しているうちの一つ。和
人形のお姫様。だけれど、今メディスンの目の前にいるのは、物言わぬ人形では敵わない
明るい生命に満ちた生身の存在だ。
と。
「なに?」
「ふ~ん」
ぐるり、と少女が自分の周りを一周して眺めてくるのに、メディスンは落ち着かなげに
身をよじった。少女の視線は、どこかくすぐったい。永琳の視線はメディスンの心を見透
かすようだったが、彼女の視線はメディスンに無遠慮に自分の自分の感情を伝えてくる。
好奇心。可愛いものを見た喜び。さて、どうしてくれようかしら?
(うわ……変よ、変っ)
見透かされるのは嫌だったが、見せつけられるのも嫌だった。
しかも、これは――。
かつて、メディスンを捨てた、一方的な愛。
人形からの返事など最初から予定に入れない、ぶつけるだけの人間の愛、だ。
「うんうん、やっぱり永琳の目は確かね。可愛くなかったら、動く人形なんて気持ち悪い
から壊してきてって頼んでおいたのよ」
――不愉快だ。
頬を膨らませるメディスンの気持ちを知ってか知らずか、少女は上機嫌にそのような彼
女を見つめてくる。無邪気で、悪意がない瞳だ。
悪気がないから、こちらも処理に困るのだけれど。
とりあえず。
「だから、人間は嫌いなのよ!」
メディスンは、説明も何もかも吹っ飛ばした叫びを上げた。癇癪でも良い。とにかく、
目の前の人間に抗議の一発――主に毒の一撃――をくれてやるつもりだった。
だがしかし、だ。
「へえ、いいわね。何、面白いお話?」
何故か、少女はそこにくらいついてきたのだ。
――そしてしばし。
メディスンの、ところどころ論理が飛躍しがちな『人形の悲運と人形解放について』を
聞き終えた少女は、いつの間にかメディスンと入れ違いで上座に座って肘掛に身を預け、
悠々とした様で感想を言った。
「……平凡ねえ。もっと、人形解放後に、逆に人間を人形扱いしてやる、とかそういうの
はないわけ?」
「私はそうしてもいいけど、あんたはいいの? 人間なんでしょ?」
「ええ、もちろん人間よ」
困った困った、とクスクス笑いながら言う少女に、真剣味は感じられない。どうせ出来
ないだろうと馬鹿にされていると思ったメディスンが口を開くと、
「でも、人間は人形より強いわ。だから人間は人形を好きに扱えるのよ。なんとも簡単な
力関係、あなたに覆せるのかしら?」
「う……」
核心に迫る言葉を、遠慮もなく言ってくる。本当に、歯に布を着せぬ少女だ。他人に配
慮することなく、己の言葉ばかりを並び立てるのはメディスンも同じだが、メディスンの
言葉ががなりたてるばかりで他人に届かないのに対し、少女の言葉はいとも容易くメディ
スンの心に届く。
「それに、人形の地位向上がしたいんだったら、もっと簡単な方法があるでしょう? そ
れだけしゃべれるなら」
「え!? なに? どんなの!?」
「あらあら……」
自分のひとことに過敏に反応するメディスンに、少女が苦笑する。これはお見事、とい
う呟きがメディスンの耳に入った直後、少女は肘掛から身を起こして袖で自分の口元を隠
した。
「気がつきましょうね、お人形さん」
「教えてくれてもいいじゃない!」
意地悪して出し惜しみしているんだ、とメディスンは憤慨する。もちろん、少女が言う
簡単な方法でも自分にはまだ難しいのではと思うが、そういう手段を使えるように成長す
るために外の世界にやってきたのだ。
しかし、少女は簡単には教えず、交換条件を出す。楽しげに、だ。
「なら、私の欲しいものを持ってきてもらわないと。今、花が咲き誇っているでしょう?
欲しい花があるのよ」
「なに? 自慢じゃないけど、花ならすぐにとってこれるわ」
「雲の上を飛ぶ鉄の向日葵」
「…………え?」
言われた意味を、メディスンは理解することができなかった。
ええと、と分析する。
「雲の上を飛ぶ?」
「そう」
「鉄の?」
「そう」
「向日葵?」
「お願いね」
「そんな向日葵あるわけないじゃない!」
空を飛ぶ、とか、鉄の、とか片方ならともかく不可能が二つ混じっている。それこそ馬
鹿にされたのだと思っても、誰も責めなかっただろうが、こともあろうに少女は心外そう
に目を見開いて言う。
「これがあるらしいのよ。イナバが香霖堂とかいうお店で見た本に書いてあったそうよ。
四季の花が咲いた今年なら、その鉄の向日葵もさぞかし綺麗に咲いているでしょうね。あ、
種はどうするのかしら。やっぱり、地上に落ちてくるのかしら? 危険ね」
「無理無理! 何よ、その難題!」
「難題だもの。ああ、そういえば、昔も書物で見ただけのものを難題で出したような記憶
が……」
「そんな記憶どうでもいいわ。どうしても教えてくれないのね、ケチだわ。ね、スーさん」
「?」
メディスンが自分の内側の毒に話しかけると、初めて少女が怪訝そうな顔をした。その
表情に、自分より圧倒的に力も知識もある少女にさえわからないものはあるのだと理解し、
メディスンは嬉しくなって胸を張った。
「スーさんは、スーさんよ。私の一番の味方なの!」
「友達がいたのね、人形にも」
「いるわよ、たくさん」
鈴蘭畑の、壊れた人形たち。例え意思を持っていなくても、彼らがメディスンの友達で
あることに違いはない。もともと、メディスンも物言わぬ人形だったのだから。
だから、少女が次に言った言葉は意外だった。
「それは羨ましいわ。私には友達ってあまりいないの。最近まで、あまり外にも出なかっ
たから」
「そうなの? ……でも、兎とかたくさんいたじゃない」
廊下にいた無数の兎たちを思い出す。普通の兎から、妖怪兎まで、豊富な人材――兎材
――が揃っていた。寂しいとは無縁の生活だろうと思う。
「イナバはイナバよ。ペットと友達は違うわ。あれはあれで可愛いものだけど、畜生って
すぐに死ぬじゃない」
せめて二、三百年は欲しいわよね~、と言う少女に、いったい何年生きるつもりなのか
とメディスンは呆れる。人間など、せいぜい百年生きれば長い方だろう。
などと思っていると、
「その点、あなたは合格よ」
「私?」
突然目の前に人差し指が伸びてきて、メディスンは後ろにのけ反りながらも目を瞬かせ
た。
「人形は大切にすれば数百年は持つし、修理も効くし。何より、人形相手なら気兼ねしな
いでいいし」
「いかにも人間ね……」
そもそも、この少女に気兼ねなどという言葉があること自体驚きだ。少女は、にこっと
笑うと、言葉を続けた。
「昔からね、自由に友達を作れるような環境にいなかったのよ。そういう時は、お人形で
お友達ごっこをしていたの。だから、私はお人形が好きよ。あなたは可愛いし、二番目く
らいには好きになれると思うわ」
「ふ~ん……人間も複雑なのね。でも、好きになってくれるのは嬉しいけど、一番じゃな
いのは不満かしら」
それにしても、少女はどこまでもメディスンを人形として扱うつもりらしかった。いつ
の間にか、すっかり彼女の所有物として語られている。
(仕方ないわね……ここは我慢かしら)
社会勉強のため、とメディスンは口惜しさに蓋をする。まともに喧嘩して勝てる相手で
はないことは、先ほど思い知らされたばかりだ。
「それで、一番はどうなったの? やっぱり捨てた?」
メディスンが尋ねると、
「まさか」
少女は、笑う。そんなはずないだろうにと。
「でも、もうなくなったものだから、気にしないで。昔、お婆さんにもらった人形なんだ
けどね……さすがに千年はね。擦り切れてなくなっちゃったわ」
「千年?」
「そういう冗談なのよ」
どこまでが冗談かわからない。もしかして、本当に千年くらい生きているのでは、とメ
ディスンが怪しむくらいに、その少女は掴みどころがなかった。無邪気なのか、賢いのか、
どうにもよくわからない。無邪気で賢い、というのが正解だろうか。
メディスンがそう悩んでいると、少女は一人で続けていた。
嬉しそうに、語るのが楽しそうに。
「あれはね、うん。あなたみたいに可愛くなくて、それはもう不細工な手作りだったんだ
けど。お婆さんの手作りだったんだけど。なくなったから、もういいの。それはもう大切
にしていたんだけどね。だから」
あなたは長生きしなさい、と。
聞こえた気がして、メディスンは顔を上げた。そこでは、少女がわずかの揺らぎもない
静かな瞳で彼女を見つめていた。
その瞳に込められた、重すぎる期待。
――退屈な毎日は嫌い。
――楽しませて。
――遊びましょう。
「私は永遠亭の主、蓬莱山輝夜よ。小さなお人形さん、歓迎するわ」
最後に一つ。
「仲の良いお友達になりましょう」
その言葉に、メディスンは無意識にうなずいていた。どうせそれも人間からの一方的な
愛情、気まぐれで失われるものであるとわかっていたのだけれど、うなずいてしまった。
それは、少女のどこかに、自分の胸にある『たった一体の自律人形』という孤独感――
それに似た、寂しさ。そういうものを、見てしまったからかもしれなかった。
3
鈴蘭畑から永遠亭に通うようになって一週間も経つと、メディスンにも永遠亭の住人た
ちの特徴が把握できるようになっていた。
まず、蓬莱山輝夜。
永遠亭の主である彼女の気まぐれを中心にして、永遠亭の日常は動いている。
彼女が「違うものが食べたい」と言えば、すでに用意されていた朝食全てが兎たちの餌
となり、彼女の望む食材を求めて妖怪兎たちは東西奔走することになる。
彼女が「漫才が見たい」と言えば、さして冗談が上手いわけでもない鈴仙がボケて、て
ゐがつっこむ、苦しい漫才が夜の催しとして披露される。
彼女が「メディスンとお風呂に入りたい」と言えば、逃げようとしたメディスンを妖怪
兎が大挙して取り押さえ、半ば全員合い討ちになる形で湯船にプカプカ死骸を浮かべるこ
とになったり。
良くも悪くも、彼女が永遠亭を支配していた。彼女の意見が永遠亭の意見であり、それ
に逆らう者は永遠亭には存在しなかった。メディスンの訪問自体も、輝夜の許可があるか
らこそ許されているのだろう。
また、彼女はメディスンに限らず、訪問者をことの他丁重に扱う傾向がある。その最た
るものは泥棒対策であり、度々訪れる白黒の魔法使いの出迎えに、妖怪兎だけではなく輝
夜本人が混じっているのに、メディスンは驚く以上に呆れてしまった。
――とにかく、色々気分だけで生きているような人物である。
次に、八意永琳。
主に永遠亭の実務全般の長を兼ねる彼女の毎日は、意外にも穏やかなものだ。
普段は余人立ち入り禁止の部屋で薬の調合をしていたり、輝夜と一緒に縁側で雑談して
いたりで、仕事らしい仕事をしている姿は見かけない。たまにてゐが何か書かれた紙を見
せると、メディスンには意味不明の数字を並べ立てて、再びのんびりとした生活に戻って
しまう。
てゐに確認したところ、永琳に見せているのは、永遠亭の畑では賄えない種類の食べ物
――主に輝夜の我侭のせいだ――に必要な予算であったり、商売をしている妖怪から仕入
れている雑品の決算だったりするらしい。永琳は、そういった頭の痛くなるものを一瞥し
ただけで全体を把握し、計算ならば答えの数字だけを。問題点があれば指示だけをてゐに
返しているのだという。
恐ろしく、頭の良い人らしい。
次に、鈴仙・優曇華院・イナバ。
彼女は、本名が『レイセン』。それを和名にして『鈴仙』。永琳につけられたあだ名が
『優曇華院』。それに、兎全般をイナバと呼ぶ輝夜の癖が混じって『イナバ』が末尾につ
けられているという。
理由を聞いて、メディスンはそれでどうして全部組み合わせて名乗る必要があるのかと
首を傾げたが、結局彼女の「師匠がそうしろって言ったから」で説明は終わってしまった。
長くて不便だな、と思う。
その鈴仙は、永遠亭の中では一番外に出る機会が多い。永琳が薬を作るのに使う材料を
集めるのがその外出のほとんどであるが、時々は神社での酒盛りに参加してもいるようだ。
胸を張って自慢げに、
「鳥を十羽平らげてやったわ。鍋にされた仲間の仇を討ったわ」
などと兎たちに意味不明のことを――たぶん、酔っていた――言っている彼女の本来の
仕事は、荒事が起きた時の戦闘要員だという。
「だから、あなたも大人しくしてなさい」
妖気を弾丸のように飛ばす人差し指をメディスンに向け、鈴仙はそう告げてきたが、メ
ディスンはべっと舌を出してその場を去った。
一人で歩いているとすぐに小言を言ってくる彼女であるが、その倍の数の小言を輝夜と
永琳に毎晩言われている。曰く「下っ端の親玉なんだから、部下の面倒はちゃんとみなさ
い」という、兎たちの尻拭いの小言が大半だ。
本人は蒐集やら盗人退治やらで真面目に働いていても、あまり報われてはいないようで
ある。
次に、因幡てゐ。
メディスンは、この嘘つき兎が働いている姿を見たことがない。だが、仕事を一番に仕
上げるのも彼女であり、その秘密は兎の扱いが誰よりも上手いということだ。
表面上は、永遠亭の兎の長は鈴仙ということになっているが、実質の長がてゐであるこ
とは周知の事実で、メディスンもすぐにそのことを理解した。何せ、兎たちは鈴仙の言う
ことをほとんど聞こうとしない――「てゐを呼んできて」と頼んだ鈴仙が、目の前で糞を
されて兎をブン投げるところを目撃した――からだ。
ともあれ、そんなてゐであるが、初日はともかく二日目からはメディスンにも友好的で、
以前身体を毒まみれにされたことも根に持っていないようだった。根に持つよりも、メデ
ィスンと共謀して鈴蘭畑を使った商売を企んでいるらしく、ことあるごとに毒を改良する
ことの素晴らしさを説いてくる。
鈴蘭畑の毒の強さを褒められることは気持ちよいので、おだてられるままにメディスン
は鈴蘭畑の一部改造権利をてゐに渡してしまったのだが、後になって不安になってきた。
「ねえ、あの鈴蘭畑なんだけど……」
「大丈夫大丈夫! 永琳様とか紅魔館のメイドとかに売りつけて、その売り上げでもっと
広い土地を手に入れる。そこであなたはもっとたくさんの鈴蘭を栽培して、さらにその鈴
蘭の売り上げで――って、いくらでも増える完璧な計画なんだから!」
明るく、てゐは笑う。笑って、いつもその話題をそこで打ち切るのだ。不安である。
そのような面々に加え、他数名の妖怪兎に、たくさんの兎というのが、永遠亭を構成す
る全てだ。
現在は、そこにメディスンという異分子が紛れ込んでいる状態である。もっとも、初日
以降は永琳が配布した解毒薬により、メディスンの毒で倒れる兎も――あまり――おらず、
メディスンの方でも人間ではない妖怪、動物と触れ合うのは悪い気分ではなかった。
何より、メディスンが感動したのは、
「ねえ」
と声をかけると、
「なに?」
と返事が返ることだった。
鈴蘭畑では、誰も声で応えてはくれない。鈴蘭は葉を震わせるだけだし、人形はもちろ
ん無言のままだ。
メディスンが他人に意思を伝えるのが苦手だったのは、当然かもしれない。何故なら、
彼女には言葉を交わす相手がいなかったのだから。鈴蘭畑にいたのは、何も言わずともメ
ディスンの心をわかってくれる鈴蘭と、そして物言わぬ人形だけだ。
「外も、そんなに悪くないかしら」
その日も、鈴蘭畑から永遠亭への道を飛びながら、メディスンはひとりごちた。眼下に
は緑の豊富な幻想郷の大地が見える。
四方を山に囲まれた盆地には、散り散りに暮らす多くの妖怪たちと、集まって暮らす少
数の人間たちが、それぞれの領分を守って生活している。メディスンは最近知ったことだ
が、幻想郷と呼ばれるこの土地は、『外』──世界の大部分のことらしい──とは隔離さ
れた場所であり、彼女を含む妖怪たちがのんびり暮らすことができる最後の楽園だという。
つまり、メディスンがいたのは、閉ざされた小さな楽園の内部にある、さらに小さな閉
ざされた鈴蘭畑にしか過ぎないのだ。
「世界は広いのね~」
まだまだ初心のメディスンには、狭いはずの幻想郷ですら広すぎる。いずれ、この緑の
大地が窮屈に感じる時が来るのだろうか。
「……あ」
魔法の森を避けて──絶対に森の上を通るなと鈴仙に言われた──飛んでいると、林の
中を縫うようにして移動している黒いものが目に入った。黒いものは、昼間の中でそこだ
け夜になったかのような闇の欠片で、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、不安定に
揺れ、ついには木の幹にぶつかって悲鳴を上げた。
「いったー! 鼻打った~!」
「うわ、いたたっ」
その激痛の声に、メディスンは自分も顔をしかめて小ぶりな鼻を押さえた。何かの術が
切れたのか、闇の中から鮮やかな金髪が覗き、その見知らぬ妖怪少女は見下ろすメディス
ンに気がついて、半分涙目のまま「えへへ」と照れ隠しの笑いを浮かべた。
「お気の毒~」
メディスンは手を振り返し、暗闇をまとって盲目で飛ぶという奇特な妖怪に別れを告げ
た。その妖怪に限らず、わずかな期間でメディスンが出会った妖怪たちは、どれも個性的
で面白い存在ばかりだ。
「今度、お名前聞いてみようかしら?」
そのくらいの興味を示せるくらい、メディスンは鈴蘭畑の外に慣れつつあった。
慣れは、余裕を生む。余裕は、心の判断時間に猶予を持たせる。困難な状況、判断に困
る状況に陥った際に、その猶予は大切なものだ。足りなければ、処理を不可能にした心は
毒の命ずるままに戦いに及ぶ。ほんの数日前のメディスンに足りなかったのは、その心の
思考時間の猶予であろう。
だから。
「うふふっ。いらっしゃい、メディスン。今日は、着せ替えごっこで遊びましょうね」
永遠亭に着くと同時に告げられた輝夜からの死刑宣告にも落ち着いて、
「嫌よ」
と応えることができたのである。
もっとも、それと、
「永琳、永琳、しまってあった昔の服を全部出してちょうだい。あ、イナバたちもメディ
スンが着れそうなものを見繕っておきなさい」
自分の意見が通るかは、別問題なのであるが。
※
「うん、やっぱり着物も似合うわね。永琳、どう? どう?」
「ええ、可愛いものですね。それと、姫様もよくお似合いですよ」
「こういうのも、久しぶりね」
そう笑って扇子で口元を隠すのは、春満開の着物姿の輝夜だった。未婚の証である濃紅
の袴の上に幾重もの袿を着込み、その上に白生地に桜花を散らした表着姿の彼女は、見事
に平安時代の豪族子女の普段着姿だ。
もともと着慣れているものなのか、子供では歩くのも辛い布の重量にも負けずに、ヒラ
リとその場で回ってみせる。優雅で、美しい立ち姿だ。
一方。
「おも……っ」
輝夜以上に着飾ったメディスンは、そのあまりの重さに一歩も動けない。
表着までは輝夜とお揃いでありながら、メディスンはその上にさらに唐衣を重ね、腰に
は自分の背丈よりも長い裳を小腰紐で止めて、床に垂らしている。
蜂蜜色の髪に桜の華やかな色合い、そして正装である唐衣の格式高さで完成されたのは、
まさに十二単(じゅうにひとえ)の和人形。頼りなげだった細い肩も、唐衣をまとえば自
然と広く丈夫なものに見え、可愛らしいメディスンに足りなかった威厳というものを補っ
てくれる。
そうしているだけで宮廷に相応しく、帝の前に出しても恥ずかしくない官女──輝夜が
褒め、永琳もうなずくだけはある姿だ。
閉口していたメディスンも「はい、どうぞ」と鏡の前に立たされると、反射的にピシリ
と輝夜をまねして優雅な立ち振る舞いをまねしてしまう。
なんだかんだ言ったところで、着せ替えなどは好きな方なのである。綺麗な服を着るの
は人間や妖怪の少女だけではなく、人形の少女にとっても格別の贅沢で、その姿を褒めら
れれば平らな胸を押し出して誇らしげにもなってしまう。
「まあ私だし。可愛いのは当然かしら」
ただ、鏡の中で輝夜と並んで立つメディスンは、まるで自分の知らない他人のようで、
少し気恥ずかしい気もした。「一度くらい」と永琳に勧められるままに顔には化粧を施さ
れ、人形のように──当然なのだが──着飾った自分だ。
「服一つで、別の人形みたいでしょう? だから着せ替えは楽しいのよ」
満足げな輝夜の言葉が、正しいのだろう。
何故なら、鏡の中の自分は、どう見ても『鈴蘭畑の毒人形』ではなかった。髪の色は違
えど、誰もが言うだろう。『輝夜の姉妹人形』と。お揃いの着物を着た、一対の人形なの
だと。
続けて、メディスンは『永琳の幼少時』、『月の新米兎』、『永遠亭の小間使い兎』と
いう人形を立て続けに演じることになった。どれもそれまでの自分ではない、新しい自分
のようで、楽しいと同時に落ち着かない。
「永琳ちゃん」
と輝夜は呼んだ。扇子の後ろで彼女は堪えきれない笑いに肩を震わせていた。
「新米さん」
と鈴仙は呼んだ。輝夜の遊びに呆れたように、だけどどこか懐かしそうに。
「兎、兎、ぴょんぴょん跳ねてちょうだい」
と永琳は呼んだ。面白そうに、愛でる瞳でメディスンの頬をつつきながら。
どれも、別々の名前。それまでの自分が消えた、毒人形ではないメディスンへの呼びか
け。
でも、変わらないものがあることにも、メディスンは気がついた。
「じゃあ、このまま博麗神社まで行きましょう。春は宴会。あそこでは、毎日花見の宴を
催しているそうじゃない」
「飛び入りでかまいませんね。姫様、慌てて転ばないでくださいよ」
「誰にものを言っているの、永琳」
袿袴で艶やかな輝夜。鈴仙のブレザーに袖を通して慣れないネクタイをいじくっている
永琳。狩衣で烏帽子まで頭に乗せた従者然とした和装に誇らしげな鈴仙。だぶだぶの輝夜
の服で駆け回っているてゐ。
全員は、メディスンに呼びかけた。
「もちろんあなたも行くのよ、メディスン」
どのような人形でも、『メディスン・メランコリー』はそこにいたのだ。
※
「──で、なんであの毒人形があんたのところにいるわけ?」
「拾ったの。可愛いでしょう? あげないわよ」
「いらないわよ、あんなの」
博麗神社の巫女──博麗霊夢は、それだけ言った後は毒人形という珍しい客にも興味を
無くし、さらなる酒の杯を重ねた。十杯目となる飲み干しに、周りは「おお~」と拍手を
送る。
「次~!」
ほどよく酒の回った赤ら顔で霊夢が叫び、コロコロ鈴が鳴るように笑った隙間妖怪が手
ずからそこに酌をする。
「はい一気、一気!」
すでに、完全な酔っ払いとそれを煽る悪い大人の姿である。それをニコニコと眺めつつ、
同じように杯を重ねた輝夜は付け足すように言う。
「本当にいい拾いものをしたわ」
「姫様は、メディスンをお気に入りのようですね」
輝夜の酌をするのは、当然のように永琳だ。鈴仙は新聞屋の天狗とお互いの食に関する
議論を展開しているし、てゐは頭の弱そうな夜雀に怪しい商談を持ちかけている。メディ
スンも、毒が効かない冥界のお嬢様にお手玉でもするように翻弄されている。
「りゅりゅこさみゃからはなれりょ、げりょー!」
「な、何を言っているのかしら!? 被害者はこっちなのよ!?」
「くるくるくる~っと」
自分の従者を泥酔状態にした挙句、幽々子は危険な毒人形を頭上で回転させる。ヒラヒ
ラと十二単の裳が揺れる様は雅だったが、不可視の力で捕らわれて弄ばれるメディスンの
方はたまったものではない。毒を放っても、完全な霊体である幽々子には通用するはずも
なく、むしろそれはそよ風に乗って宴会の席を直撃したりするのだ。
途端に悲鳴やら誰かが倒れる音やらが続出し、輝夜はそれを見ては両手を叩いて喜んだ。
そのような輝夜の顔を見て。永琳も喜ぶ。こういうのも、久しぶりね、と。
「本当、いい拾いものだったみたいね」
ちなみに。
「ええい、うるさいっ。夢想封印ー!」
博麗の巫女の霊撃がメディスンを吹き飛ばしても、その微笑みは崩れることはなかった
のである。
※
「なによなによ、私は悪くないじゃない! あの紅白め~! 復讐してやるわ。毒殺かし
ら。毒殺かしら!?」
「やめときなさいって。あの巫女には関わらない方が身のためよ」
ケホケホと口から黒い煙を出しながらメディスンが戻ってくると、鈴仙は肩をすくめて
彼女に酒の杯を渡してやった。綺麗に整えた髪も美しい着物も一気にボロボロにされたメ
ディスンは、注がれた透明な液体で口の中をすすぎ、ペッと境内の桜に吐き捨てる。それ
だけでどす黒くなった液体は桜の太い根を焼き、嫌な匂いが辺りに満ち始める。
(さすがに慣れるものね……)
他の妖怪たちがあからさまに嫌な顔をする中、鈴仙は輝夜がメディスンを手招きしてそ
の顔の煤を布で拭ってやるのを無意識のうちに眺めていた。一週間も経てば、毒人形の扱
いにも慣れるものである。要は、致死量にはほど遠いのだからいちいち騒がないのが一番
なのだ。
「ほら、じっとして」
「う~っ」
最初はたかが人形相手に甲斐甲斐しく世話を焼く輝夜というものに抵抗を覚えたものだ
が、今はそれも微笑ましいものと思っていた。
(人形だしね)
鈴仙は思う。輝夜は、やはり遊ぶことに飢えていたのだろう。
輝夜は、千年以上の間いつ来るともわからない月の民から姿を隠し、極力外を出歩かな
いようにしてきた。永琳の術の施された永遠亭に閉じこもり、その憂さを晴らすものと言
えば兎たちの芸くらいの、閉鎖された退屈な毎日だ。
だから、数十年前に自分が永遠亭に転がり込んだ時に歓迎された理由もそこにあるのだ
ろうと、今なら思う。好奇心旺盛な彼女にとって、これまでの時間はどれほどに苦痛だっ
たことだろう。
(私が潜んでいたのはたった数十年。姫様は、その何十倍か……)
自由に遊べない辛さは、鈴仙も身にしみてわかっている。隠れ住むことの不自由さ。ど
れほど穏やかに、暢気に暮らせていても、いつかは『迎え』がやってくると、深層意識は
警戒を続けていた。
鈴仙がそうであったように、輝夜が本当の意味で緊張を解き、晴れ晴れとした気分で夜
空の満月を見上げられるようになったのは、つい最近のことなのだ。
そう、ほんの数ヶ月前の話。
(う……思い出した。いつの間にか流されてた……!)
不意に、現在の自分の主である輝夜と永琳が月の民であることをその際まで知らなかっ
たことを思い出し、鈴仙はカッと頬を赤らめた。
(いいけど。別にいいけど!)
自分の世話をしてくれる輝夜と永琳のことを、鈴仙は地上の民だと思い込んで数十年生
活していたのだ。それを思い出すと、顔から火が出るほどに恥ずかしい。まさか、月から
逃げた自分が、偶然にも元月の民のところに辿りついていたなど、想像の範疇外だ。
同時に、自分が永遠亭に転がりこんだことが輝夜の存在を月に知られる──かもしれな
い──きっかけになってしまい、当時そのことに彼女は罪悪感を覚えたものだ。
だからこそ、永琳の施した月と地上を遮断する密室の秘術の完成までの間、月の民が攻
めてきた際に迎撃する役目を与えられていた鈴仙は、死ぬ気で輝夜を守り抜く気でいた。
もっとも、その決意は結局月の民がやってこなかったことと、計算外の人妖の乱入によっ
て『真剣な弾幕ごっこ』という程度まで引き下げられてしまったのだが。
ともあれ、そういう経緯を踏まえ、鈴仙は不満もあるがメディスンの存在を受け入れる
ことにした。
(姫様が楽しいなら、それでいいじゃない。その方が平和だし)
最後の方は、少し自分可愛さが入っていたりするが。
「あ~あ、巫女も派手にやってくれたわね」
「うん。あ……着物、こんなになっちゃったけど、いいの?」
「いいわよ別に。いくらでもあるものだし」
着物がズタズタになったことを、メディスンは輝夜に確認する。その表情に悪気は無く、
ただ確認しただけだということがわかり、鈴仙はやっぱりとうなずく。
(やっぱり人形)
鈴仙とは違い、借り物を台無しにしたという罪悪感はメディスンには無い。謝罪が無い
ことがそれを証明している。彼女にとっては輝夜に着せられたものが、霊夢によって汚さ
れただけの話だ。着せられた事実にメディスンの自主性はなく、責任はメディスンが負う
べきものではない。
そのことを理解しているから、輝夜も眉をひそめることもなくメディスンを介抱してい
るのだろう。自分がその存在に対して圧倒的な優位を持つ故の、責任を所有者が負う付き
合い方だ。
と。
(う……姫様がこの前私を責めなかったのもそのせい!?)
月からの使者が来ることに対して、輝夜は鈴仙を責めなかった。それは、すっかりペッ
ト扱いだったということなのだ。
「何を一人で百面相してるの。こっちで酌をしなさい」
「は、は~い」
座り込んで落ち込む暇も無く、鈴仙は永琳に呼ばれてそのそばに寄った。
そして。
「あれ、なんで師匠上着を……って、ああ!? 姫様、それ私の服じゃないですか!」
永琳が輝夜に渡した布というのが自分の上着であることを知って、さらに落ち込んだり
したのだ。
ついでに、輝夜が最高の笑顔で、
「はい、貸してもらったわよ、イナバ」
と毒々しい色合いに変わった上着を差し出してきてとどめを刺された鈴仙は、ガックリ
と肩を落として「いいんですけどね。いいんですけどね……!」と、ぶつぶつ呟きながら
永琳に酌をした。もちろん、すでに空になった輝夜の杯に注ぐのも忘れない。
「人形と一緒で、ペットも大変なのね」
「あなたが言わない、あなたがっ」
何故か同類を見る目のメディスンにそうつっこみを忘れないのも、鈴仙が持って生まれ
てきた気質というものだろう。
不機嫌に怒鳴られたメディスンが「きゃ~!」と笑って耳を押さえて逃げてしまうと、
鈴仙は主二人の間に挟まれて、ため息をつく。疲れる。
「ウドンゲ」
「イナバ」
「はいはい、わかってますよ。酌です、お酒です、私もいただきますよ、もう」
はるかに年長の二人の元月の民は、まるで水のように酒を飲む。それにつられるように
鈴仙も勢いよく杯を傾けた。そうすれば、先ほどの思い出し羞恥も現在の憤りも酒の朱に
混じって正体を無くすはずだ。
「あら、いい飲みっぷり。私を差し置いて」
「そうですね、姫様を差し置いて。ついでに私を差し置いて」
「でも、許すわ。ほら、永琳注いであげなさい」
「ええ。ウドンゲ、どんどん飲みなさい。今日は無礼講よ」
「あ、師匠……恐縮です」
酔いが回りつつあるとはいえ、さすがに永琳から酌をしてもらえるとは思わなかった鈴
仙が、礼儀とばかりに新しい杯を一気に飲み干す。酔いにしては少し目が回りすぎるとい
ぶかしんでいると、
「それ、さっきメディスンが使っていた杯よね、永琳」
「ええ。まあ、私は自殺も彼女の自主性に任せますので」
「止めてくださいってば!」
あっさりとした永琳の言葉に、鈴仙は思い切り勢いをつけて大の字にひっくり返った。
(……やっぱり、毒人形には早くいなくなって欲しい……)
切実にそう思った瞬間だ。
逆さになった視界の端で、無邪気に笑うメディスンが手を叩いて喜んでいた。
「?」
「復讐完了~」
「え? なにそれ? 巫女の話?」
「だって、あんた私を倒したでしょ」
「わ、忘れてた……」
それが鈴仙とメディスンの出会いだったはずだ。一週間の間に、すっかりメディスンへ
の警戒心が抜けていた鈴仙は、ささやかな報復にぐでっと耳まで脱力するはめになった。
輝くような笑顔を見るに、メディスンは予め鈴仙が使いそうな杯全てに毒を仕込んでいた
に違いない。
「油断した~……」
「見事よ、メディスン。さすがは私のお人形」
「えへへ~。って、別にあんたの人形じゃないでしょ。私はお勉強のために一緒にいるだ
けなんだから」
「情けないわね、ウドンゲ」
メディスンを褒めて抱きしめる輝夜と、情け容赦なく評する永琳。この待遇の差は何だ
ろうと、鈴仙でなくても思うところだろう。ペットの寵愛など、新しい人形への寵愛に比
べれば大したものではないのだ。
「いじけますよ」
「仕事さえこなすなら、いじけていてもいいわよ。それにしても、メディスンも成長した
わね。戦わずして勝つやり方を覚えたなら、後は応用次第よ」
「毒殺の天才を生み出さないでくださいっ」
思わず、鈴仙は無礼も構わずに永琳に怒鳴っていた。それがさらに面白いのか、主二人
は笑う。笑い上戸のように笑う。
──まるで、笑いに飢えていた時間を少しでも取り戻すかのように。
「あ~……もうっ」
脳裏を掠めたものに、鈴仙はそれ以上何も言えずに話題を変える。
「でも、メディスンが前と少し変わったのは確かですね」
「そう?」
鈴仙が半身を起こしながらうなずくと、輝夜の膝の上でメディスンが小首を傾げる。そ
ういう姿は確かに可愛いのに、と凶悪さを再確認した毒人形に告げる。
「あなたの波長は、前はとてつもなく短かった。短すぎて、他の人の波長には何も届けら
れないくらい。実際、あなたの声を聞いてくれる人はいなかったでしょう? でも、今の
あなたの波長は、少し長くなってる。それは、共感してもらえやすい波長を得たというこ
とよ」
長い波長は気の長い人。短い波長は気の短い人。長すぎても短すぎても他人とは波長が
合わない。
「わかる?」
「よくわからないけど……私が、少し賢くなったってことかしら?」
「そういうことね」
まだ、メディスンには鈴仙の言うことが理解できないらしいが、鈴仙は別にそれでも良
いと思った。鈴仙が教えようが教えまいが、メディスンが変わりつつあるのは事実だ。
その証拠に、メディスンは彼女に微笑む。
「そうなんだ。教えてくれてありがと!」
それはとても無垢な笑みで──。
「じゃあ、輝夜と永琳は?」
「……え? ああ、姫様は結構短めだったり、凄く長かったり切り替えが早すぎてよくわ
からない。で、師匠は長いんだけどかなり相手に合わせて融通効く感じ」
ふ~ん、と感心する毒人形との距離が、不思議と少し縮まったような気がした。
※
「あはっ。やっぱり、外に出たのは間違いじゃなかったのね! 大正解かしら、スーさん」
鈴仙から自らの成長を告げられ、メディスンは笑みにこぼれて落ちそうな頬を両手で包
み込んだ。
「こんなことなら、もっと早く出てくれば良かったわ!」
それは、その小さな毒花の咲く様を見ていた者たちがほうとため息をついてしまいそう
な、ただ単純に愛らしい姿だ。輝夜に着せられた服は霊夢に吹き飛ばされて見る影も無い
が、それでもメディスンはその姿さえも一つの形として、自らの名前としてしまう。
「負け犬姿だっていうのに、そんなに嬉しいの?」
「当たり前よ、強くなったのよ? もう少ししたら、あんたたちにだって負けないように
なるわ」
晴れ晴れとした笑顔の負け犬人形は、輝夜の膝の上で拳を振り上げた。
「そうしたら、永遠亭を乗っ取って、素敵な毒のお城を作るのよ。兎も毒兎かしら!」
「まあ、そんなことは永遠にあり得ないわけなんだけど」
「毒兎~! どっくうっさぎ~!」
「まあ、それは面白そうだから私がやるかもしれないわけなんだけど」
「きっと面白いわっ。黄色とか紫色とか斑模様の兎よ!」
振り上げた小さな手を、差し出された輝夜の手とパチンと張り合わせる。えいえいお~、
と調子付く彼女に、輝夜は惜しみない拍手を提供してくれた。
「退屈しない子ね~」
「それは私もかしら」
うなずいて、メディスンは永遠亭に通うようになってからの毎日を思った。誰かと会話
するということは、思った以上に刺激的だ。
意思には溢れるが言葉に乏しい鈴蘭畑。メディスンの声だけが広い空間を通り抜ける、
あの物足りなさ。
そう、メディスンが妖怪として意思に目覚めてからすでに数年。彼女は、すっかり退屈
していたのだ。花だけを愛で、その優しさの中でぬくぬくと過ごすだけの毎日は、育ち盛
りの彼女には刺激に乏しすぎた。そういう意味でも、今回の社会勉強は良い口実だったの
だろう。
だから、メディスンは言った。
「輝夜たちといると、退屈しないわ」
「言うわね。さすがは私のお人形」
「だ~か~ら、あんたの人形じゃないってば!」
言うことを聞くのは社会勉強のためなんだから、と力説しながら、彼女は永遠亭の皆を
見渡した。
メディスンの毒をくらって倒れているのは、小言が少しうるさい月の兎。
悪戯が祟って人間の魔法使いに耳を掴まれて悲鳴を上げているのは、言動に注意が必要
な詐欺兎。
それらを眺めて一人悠々と酒を進めているのは、妖怪より恐ろしい人間その一。
メディスンを膝の上に乗せているのは、妖怪より恐ろしい人間その二。
彼女に会話の楽しさを教えてくれた面々は、それぞれがそれぞれの様子で宴の中にいた。
騒がしく、まったりと、危険な力を秘めながら、平和に楽しくくつろいでいた。
メディスンが鈴蘭畑の外で学ぶのは、かつて戦った鈴仙やてゐが再び障害として現れた
際に勝利するための力を得るためだ。
いつか、彼女たちと妖力をぶつけ合う日はくるのだろうか。
(う~ん、でも強敵ね。それに、妖怪は嫌いじゃない。だから、兎たちは味方にできるか
も、かしら)
兎たちは永遠亭で結構重労働させられているので、人形とも苦労話で分かり合えるかも
しれない。
そういうことにしておく。
そして──。
(人間、かあ……)
ニコニコ笑顔の、輝夜と永琳。何故だかわからないが、鈴仙よりもてゐよりも強大な妖
気を身に宿した、恐ろしい人間。
彼女たちは、メディスンの憎む、身勝手で一方的な人間の典型なのだけれど……。
「なに?」
「……ううん。なんでもない」
視線に問いかける輝夜に、メディスンは誤魔化した。輝夜にそうするだけではなく、自
分の答えも保留した。
人間に着せ替えられる自分の姿。
人間の膝の上でくつろぐ自分の姿。
あまりに大きな力の差故に、許さざるを得ないこの待遇。
そういう待遇を何と言うのか、全ての者が知っている。メディスンも知っている。輝夜
たちに会って再確認させられた。
(私は……)
お人形。
メディスン・メランコリーは、お人形。生まれた時から、お人形。
では、お人形のメディスンは、輝夜たちをどうするのか。それを保留して、メディスン
は考えるのをやめた。
「……スーさん?」
キシリ、と全身が嫌な音を立てたのが鈴蘭の警告であることを彼女が知るのは、ほんの
数日後のことだ。
4
妖怪変われば変わるものだ、というのは、てゐの感想である。
メディスンが永遠亭に通うようになって十日。それだけの間で、輝夜と永琳はメディス
ンを骨抜きにしてしまった。
「というか、あれは毒抜きよね~」
今日も今日とて、永琳に誘われて調剤室に消えていくメディスンを廊下で見送ったてゐ
は、そこで行われている恐ろしい実験に「くわばらくわばら」と鳥肌の立った剥き出しの
腕をさする。
一度興味を持って覗いたところ、そこはこの世の悪魔二匹の和やかな会話で満ち溢れて
いた。
「わ~。凄い、毒がいっぱい! あ、これはスーさんかしら。あれは福禄寿で、あっちは
大豆の毒ね。わ、馬酔木まで!」
「ふふ、好きなだけ持っていっていいわよ。そうね、この辺り、あなたの身体に入れてみ
ても面白いかしら。私が改造した、妖怪もイチコロの罌粟(けし)。試してみない?」
「やるやる! スーさんで動きを止めて罌粟で言うことを効かせる。それで最強かしら!」
「そうね。てゐくらいなら、空中散布でも充分よ、きっと」
「あ、でもこっちのも面白いかしら。これって胡蔓藤でしょ?」
「あら、よく知ってるわね。ゲルセミウム・エレガンス。うふふ、人なら葉っぱ二枚で致
死量ね。鈴仙が無造作に引き抜いて持ってきて三日寝込んだのよ。あの子はまったく考え
なしで」
「見ればわかるのにね」
「わかるわよね?」
「あはは」
「うふふ」
「あはははははは」
「うふふふふふふ」
てゐは、その場から逃げた。まさに脱兎のごとく逃げた。そのまま荷物をまとめ、つい
でに月の秘宝が眠る倉庫から色々持ち出して永遠亭を飛び出そうかと思ったくらいだ。
(懐いちゃってまあ)
確かメディスンは人間に捨てられた恨みから『人形解放』を謳っていたはずだが、それ
は私の気のせいだったかな、とてゐは呆れてしまう。輝夜と永琳。永遠亭にいる二人の人
間にこそ、あの毒人形は一番懐いているのだ。
もちろん、伝説にも語られる蓬莱の薬を服用して不老不死になった──ついでに、地上
人とは一線を画す月の民である──二人が、正確な意味でメディスンの憎む人間に定義さ
れるかと問われると、てゐも首を傾げざるを得ない。彼女たちの身にまとう妖気は、並の
妖怪が束になっても及ばないくらい強大で、恐ろしいものなのだ。
(あれは人間じゃない。でも、妖怪でもないのよね)
そういうものを、何というのか。
蓬莱人、でよいのだろうか。
(でも、あの子ってば、そのこと知らないはずよね?)
輝夜は自らが元月の民であることを、一部の人妖を除いて口外していない。以前天狗が
取材にやってきた時も、自分の素性と不老不死に関しては誤魔化していたはずだ。
「ってことは、やっぱり『人間』に懐いてる。あ~あ、知~らないっと」
それは至近にやってくるだろう、とてゐは確信していた。
まだまだ新米とはいえ、妖怪の端くれである毒人形。まだまだ存在を他者──鈴蘭に依
存する歳若い彼女が辿る道が、先輩妖怪にはよく理解できる。
「まったく、幸運の足りない人形なんだから。人間だったら、私が幸運にしてあげられる
んだけどねぇ」
永遠亭。
そこに通うことを決めたことが、そもそも不運だったのだ。
そして──。
メディスンが倒れたのは、その日の夜のことであった。
※
「あれ?」
というのが、メディスンの最初の感想だった。何が起きたのかわからない。気がついた
時には、彼女の身体は板張りの廊下に倒れ付していた。
「あれ?」
というのが、二つ目に考えたことだった。思考が動かない。意識と感覚の間に白いカー
テンがかかったように、全てが『遠く』なる。
「あれ?」
とメディスンは口に出していた。三度目だということを、彼女は知らない。
周りで、誰かが騒いでいる。月の妖怪兎。
「誰か、師匠を呼んできて! ……って、てゐは、いないの!? いいわ、私が行く!」
「あれ?」
それでわかったことは、自分がいきなり足をもつれさせて転び、その後指先一つ動かし
ていないという事実だった。声だけが疑問を生み、その唇も実際には動いてはいない。自
分でそう理解できるだけで、実際には意味のある音になどなっていないのだ。
「……あれれ?」
だけれど、メディスンはそのことを深く考えることはなかった、ただ、正常な意識のあ
った最後に口にした言葉を繰り返すだけ。
(あ、これって……)
遠くから、幾つもの足音が聞こえてきた。勢いよく走っているのは、鈴仙だろう。小走
りに、極力音を立てないようにしているのが、永琳。そして、足音らしい足音のない、ゆ
ったりとしたすり足が、輝夜だ。
彼女たちが近づいてきて、だけれどメディスンの認識はそれらから遠ざかったままだっ
た。自分が囲まれていることはわかったが、身体がどういう姿勢になっているかもわから
ない。
だが、不思議と危機感はなかった。それとも、危機を感じる部分まで鈍くなったのか。
(スーさん、どうしたのかしら?)
自分の自律の根幹である体内の毒に語りかけるが、そこからの返事は無かった。いつで
も自分を助けてくれた『力』が、薄れていく意識でもわかるくらいに、希薄だ。
(あ~、そっか)
メディスンは、思い当たる。
危機感を感じないのも当然だ。それは、あるべき姿なのだから。
(私、ただの人形に戻ってしまったのね)
でもどうしてかしら? とのんびりと彼女は考えた。永琳の手が自分の額に当てられる
が、すでに肌が触れてもそれを感じることはできない。辛うじて、視界だけは確保されて
いるのが今の状況だ。
と、不意に視界が少し傾いた。覗き込んでくる美しい顔。輝夜が、メディスンの頭を膝
枕してくれていた。
「壊れたの?」
どうなのかしら、とメディスンはじっと輝夜を見る。口は動かないし、瞳も動くわけで
はないが、視線の生む表情だけはまだ生きている。
「永琳、どう?」
「人形は専門ではありませんが、妖気がほとんど感じられませんね。──はいっと」
メディスンの手が持ち上がり、輝夜の頬に触れた。上半身を起こし、動きを確認するよ
うに、小さな手を閉じたり開いたりする。
メディスンは、自分の意思と関係なしに動く身体に内心小首を傾げていたが、表情はや
はり勝手に満面の笑みを浮かべていた。
(?)
疑問の解答は、すぐだ。
「ああ、やっぱり動かすのに抵抗がありませんね。妖怪人形というより、これではただの
人形……なるほど。てゐがいないんだったわね。だったら問題ないわ」
「師匠、どういうことです?」
「要は、メディスンはまだ子供だっていうことよ。姫様、お茶にしましょうか」
「そうね。イナバ、用意しなさい」
「は、はい。ただ今」
先ほど寄って来た足音が、今度は遠ざかっていく。状況を把握していない同士がいなく
なってしまい、メディスンは心寂しく永琳のさらなる説明を期待したのだが、一人納得し
てしまった彼女はそれ以上言うつもりはないようだった。早々に立ち上がり、メディスン
の額を軽く突く。それだけで、人形の身体は逆らえずに廊下の端に移動する。
「でも永琳。廊下でお茶だなんて、お行儀が悪いわ」
「たまにはよいでしょう。もうすぐ新月ですから、星が綺麗に見えますよ」
言って、永琳は廊下の左右を挟む襖の一つを開いてみせた。すると、メディスンの視界
にも雲一つ無い夜空と、その空に無数の蛍のように輝く星々が飛び込んでくる。永琳が言
う通り、おりしも夜の世界は新月の直前。弓のように反った下弦の月が、大口で頬張られ
た饅頭の残りのように空に浮かんではいるが、その光はどうにも弱い。そのおかげで、落
ちてきそうな大量の星が楽しめるのだ。
「時は三月節。万物発して清浄明潔なれば、この芽は何の草としれるなり……新月が訪れ
れば、六十年目の自然回帰も終わります。欲しい花があるなら、今のうちに仰ってくださ
いね」
「早いわねえ、もう終わりなの。でもまあ、それなりに楽しめたわ」
永琳の言葉は難しすぎて、メディスンには少しもその意味がわからなかった。わからな
い以前に、だんだんと考えることすら億劫になってくる。
「何せ、おおっぴらに昼間に外を歩いて、満月の夜に竹の花を眺めて……何年ぶりだった
かしら。六十年前は、花一つ見るのにもこそこそとしていたのよね」
六十年前?
まだ十代も半ばにしか見えない輝夜の言葉に、メディスンは少しだけ意識を刺激された。
(人間は、歳というものをとるんじゃなかったかしら?)
記憶に残っている人間──あまり思い出したくない──は、とても幼い人間。だけれど、
その周りには大きな人間や、皺だらけの人間がいたものだ。時間を重ねることで、人間は
老いていく。そのくらいのことは、生まれたばかりのメディスンでも知っている。
「六十年後も、きっとそれなりに楽しめるでしょうね。それなりって大切だわ」
「全てが全てそれなりなら、争いも起きないでしょうにね」
「あら、永琳が説教臭いわ。この前顔を見せた閻魔みたい」
輝夜の言葉は、どこかからかうようなもの。
「滅相も無い。私は公平などという言葉からは一番遠い存在ですから。説教を垂れる資格
は無い。説教のまねごとをするだけです」
永琳の返事は、どこかそれを楽しみ、お芝居かかったもの。
「まねごとって大切だわ。楽しいし」
「それなりに、でしょう?」
「それなりに」
そうして、二人の人間は淡い星々の光に遠慮するかのように、小さく笑った。その時に
は、メディスンはすでに人間の年齢について考えるのはやめ、彼女たちの静かな会話のみ
に心を捕らわれていた。
(む~、楽しそう)
人払いをしたのか、兎一羽通らず、お茶の用意をしにいった鈴仙もまだ戻らない、二人
だけの時間。そのたわいのない会話で見せる輝夜の微笑みは、宴会の中で騒いでいた時と
同じくらい楽しそうだった。しかし、同じように楽しそうでも宴会の時とは少し違って見
えるのは、それが少女らしく隠すもののない、無防備な笑みだということだろう。
多くの兎たちの前では見せることのない、無垢や無邪気とはまた一線を画す、甘える笑
顔。常に他人の優位に立ち続ける輝夜が、主という顔を取り払った先にある、特別な笑顔。
永琳を信じきり、頼りきっている、そんな気持ちが表れた笑顔だ。
それを、何と言うのか。メディスンも、言葉だけでは知っている。
(信頼かしら?)
もちろん、輝夜は鈴仙やてゐ、他の兎たちのことも信用しているだろう。彼女たちは、
絶対に輝夜を裏切らない。妖怪たちに忠誠を誓わせるに充分な力を輝夜は持っているし、
永遠亭での安定した生活は兎たちにとっては楽園のようなものだ。
だが、永琳への信頼は、そうした信用とは違う。そもそも、信用と信頼では、意味が違
うのだ。
例えば、難題が目の前に迫った時、輝夜は永琳に意見を求めるだろう。そして、彼女が
出した答えを信じ、その道を選ぶことに躊躇いを覚えない。対して、鈴仙に意見を求める
かは、微妙だ。鈴仙の意見に、自分の破滅さえも引き換えにして身を任せるかどうかは、
さらに微妙だろう。
絶対の信頼という、絆。メディスンは、輝夜の笑顔からその目に見えない力の存在を確
かに感じ取ることができたのだ。
(あ……)
不意に、メディスンは鈴蘭畑に残してきた人形たちのことを思い出した。同時に、自ら
の身体を支えていた毒のことを思う。
そう、メディスンは、鈴蘭のことを信頼している。何があろうと毒だけは自分を裏切ら
ないと信じている。心細い時、毒たちに思いを浸し過ごす術を心得ている。
だというのに、どうだろう。メディスンは、人形たちに対してそこまでの思いを抱いて
いるだろうか。人形たちが自分を求めた時、毒がそうしてくれるように、絶対に裏切らな
いで彼らを救うために全力を尽くすだろうか。
答えは、否だ。
メディスンには、自らの存在をかけてまで人形たちを守る気概は無い。もちろん助けを
求められれば守りたいとは思うが、大妖怪を前にすればくじける程度の、同族という義理
が生む保護欲にしか過ぎない。
その程度でしかないくせに。
『まったく、誰のために人形解放をするのかわかってるのかしら?』
毎夜、人形たちを『もきもき』しながら呟いていた言葉を、今メディスンは恥ずかしく
思う。
誰のために?
誰のためだろう。物言わぬ人形たちのために、だろうか。
でも、どうしてそのようなことをしようと思ったかと言うのならだ。
(──復讐なのね)
自分を捨てた人間。
それへの、復讐の思い。
メディスン・メランコリーの根幹にある呪詛は、どろどろとした、毒の色をした感情だ。
美しい人の形に収められたそれは、同類である毒を呼び寄せ、その力を引き出してしまう
ほどに強い。
(人間が、大嫌い)
メディスンにとっては、それが全ての動機。存在を確立させる、唯一絶対の正義だ。
だが。
(でも、他の人形にとっては、どうなのかしら?)
そう考えた瞬間、メディスンは他の人形たちが自分に応えてくれない理由がわかった気
がした。
結局、メディスンは自分の都合で物事を考えるだけの、心の狭い人形にしか過ぎなかっ
た。狭い心のまま、狭い場所で暮らし、その心を広げる努力を怠ってきた。最初から結論
がありきで、考えるという行為が、『結論にとって都合の良い理由』を探す行為となって
いた。
なんて愚か。
なんて狭量。
他の答え、他人の意見を受け入れるつもりがないから、そうした自分だけの心の世界に
閉じこもる。自分の正義だけで物事を考える。
それはつまり、自分の意見だけを相手にぶつけ、相手の意見に耳を貸さないということ
だ。相手を、自分の色に染めることしかしようとしない。相手の都合など、お構い無しに。
しゃべることができない人形であることなど、お構い無しに。
(それは……嫌なヤツだわ)
とっても、とメディスンはため息をついた──つもりになった。身体は依然動かず、そ
ろそろ輝夜と永琳の会話すら耳に入らなくなってきている。妖怪人形としての自分が失わ
れつつあるのを、メディスンは自覚した。
(そんなことじゃ、駄目なのね)
メディスンが自分のことだけしか考えていないことを知れば、相手はメディスンをどう
思うだろう。少なくとも、メディスンの欲しがっている仲間などにはなってくれないはず
だ。
仲間──メディスンが信頼できる相手。そういう相手を得るには、まずはメディスンが
相手に信頼されるだけのものを示さなければならなかったはずなのに。
(あ~あ……嫌なことがわかっちゃったかしら)
永遠亭での毎日は楽しかったが、それはメディスンが彼女たちの凄さを見せ付けられた
だけのものだ。彼女は、ただ可愛がられていただけ。
信頼を得るためには、メディスンの凄さを見せなければならないのだと、ようやく理解
できた。
理解できたのだが。
(でも……もう、眠いな~)
最後に残っていた意識。それをメディスンが手放そうとした時。
──目の前に、手足の引きちぎられた無残なピエロの人形が差し出された。
(!)
がつん、と殴られるような衝撃がメディスンの意識を一気に覚醒にまで持っていく。
ピエロは、もとは糸のついた操り人形だった。木製の身体は可動式の関節のおかげであ
らゆるポーズを取ることができ、その踊りはさぞかし多くの子供たちを喜ばせてきたこと
だろう。
でも、今は……腕が無い。足が無い。それどころか、腰から下が無い。汚れ、朽ち果て
た姿で、ピエロは微笑んでいた。微笑んだ顔しか作ることができていなかった。
(そんなはずないのに!)
誰がこんなことを、とメディスンが思った矢先、その人形を手にした誰か──てゐが、
あっけらかんといつもの調子で言う。
「竹林で拾ってきてあげたわよ。ま、こんなものいくらでもあるんだけど。竹林って、背
の高い竹と背の低い竹が入り混じっていて、ものを隠すには最適でしょ? だから、こう
いうものを捨てる人間が多いのよ」
そうだ。誰がだなんて、決まってるのに。
「親がくれた人形を壊しちゃった子供とか、結構よく来るのよね~。今度、一緒に見に行
く? もちろん、案内料はただでいいですよ~。人形たちの教育にも力を貸すわ。それで
あなたの手にする労働力は十倍。私にはその一割を貸してくれるだけでいいわ。どう?」
「……とっても怪しいけど、考えておくわ」
そう呟き、メディスンは、立ち上がった。
知らないうちに、身体の自由は戻っていた。血の通わない全身に、代わりに毒が満ちて
いるのが感覚でわかる。失っていたものが、戻ってきている。
見れば、輝夜と永琳は鈴仙の用意した湯飲みで茶を啜っていた。星を見ていた時には無
かったものなので、意識が希薄な時間は意外なほど長かったらしい。
「はい、これはサービス」
てゐが手渡してくるピエロ人形を、メディスンは注意深く、これ以上なく慎重な手つき
で受け取った。もう、傷つけないように。欠片も、失わせないように。
(私だけの呪い? そんなはずないじゃない……!)
人間め、とメディスンは唇を引き結んだ。
人間め。
人間め……っ。
呪いは、そのまま力になる。メディスン・メランコリーを毒の塊にする。そうだ、と体
内の鈴蘭が同意するのをメディスンは聞いた。もっと、毒を濃くするのだ、と。心を侵す
毒に身を任せるのだと。
(うん……やっぱり、スーさんは頼りになるわ)
自分が生きる上で必要な、大切な存在。そういうものを、メディスンは最初から持って
いた。
これが、仲間だ。味方だ。
(こんな味方を増やさないと!)
知ったのは、自分の未熟。身勝手さ。狭量さ。信頼がいかに得がたいものか。
意欲を取り戻すメディスンに、それまでの彼女の存在存続の危機を無視していた輝夜が
声をかける。ごく普通に、いつものままで。
「それじゃあ、メディスンも一緒にお茶にしましょうか」
「う……うん」
返事がぎこちなくなってしまうのは仕方なかった。人間への怨念を新たにしたメディス
ンにとって、人間である輝夜は仇敵の一人だ。
チクリ、と胸が痛んだ。それは、身体の自由が利かなくなる前にも感じたもの。
と、その時てゐがメディスンの耳元で囁く。
「ん~。勘違いしてるみたいだから教えてあげるけど、姫様たち、普通の人間とは違うか
ら」
「?」
「人間なんだけど人間じゃない、幻想郷だと人妖ってやつ。──どう?」
てゐは、ニカッと白い歯を見せて笑い、掲げた手の親指と人差し指で円を作って見せた。
「これで、鈴蘭畑をもう少し。一割五分!」
「一割三分っ」
いつか鈴蘭畑全てがてゐのものになってしまうのではないか、とメディスンは思った。
5
そして。
「いい夜ね」
「いい夜ですね」
「そうですね~」
「ん~」
それぞれに夜空を眺めて和むのは、お茶を啜る輝夜と永琳、月見団子を縁側に置く鈴仙、
その団子をつまみ食いするてゐの四人。メディスンも、そんな彼女たちと並んで紫色の毒
茶をたしなんでいた。
思い返せば、本格的な飲み食いを覚えたのも、永遠亭に来てからだ。それまでは、集め
た毒を手のひらを器にして飲む程度がせいぜいだった。人形にはそれで充分だし、食べる
必要性も感じなかった。
(知るっていうのは……やっぱり大切ね)
うんうん、とメディスンは少し賢くなったつもりで一人うなずいた。知ることは、本当
に、楽しい。経験を積むことは、確実に自分を成長させている。
最初は、永琳だった。
彼女は鈴蘭畑で縮こまっていたメディスンに選択を促した。圧倒的な力を背景に決断を
迫られる経験は、意固地なメディスンにとって背中を押してもらったようなものだ。もし
あれが鈴仙からの問いかけであったなら、当時の毒人形は永遠亭に行きたいとは言えなか
っただろう。
次に、輝夜。
彼女はその力を隠しもせず、自然体でメディスンを己の所有物とした。妖怪人形である
メディスンを人形そのものとして扱い、その代わりに絶対の庇護を与えてくれた。メディ
スンが鈴蘭畑の外でも気軽に行動できるのは、輝夜の力という絶対的な保障があるからな
のは、メディスンも理解している。その一方的な寵愛は、古傷を刺激するけれど、だけれ
ど可愛がられて嫌な気がするわけもない。可愛がられるのは嬉しい。とても嬉しいのだ。
それから、鈴仙。
彼女は何かと自分を凶暴だの危険だの何か企んでいるだのと言ってくる──全部間違い
ではないのだが──ので、最初苦手だった。しかし、鈴仙は鈴仙なりの方法でメディスン
の成長を調べ、そして教えてくれた。自分がどの程度成長しているか、メディスンは不安
だった。選んだ道が間違っていたのでは、と。永遠亭に来ない方が良かったのではという
疑念を、彼女は払拭してくれた。メディスンが欲しかったのは、そうやって『認められる』
ことだったのだから。
最後に、てゐ。
なんだかんだ言って、この怪しい詐欺兎のことを、メディスンは嫌いではない。他の面
面と違って、同じ妖怪変化の類であるし、動物と人形の違いはあっても、どこか相通じる
ものがある。それに、利害が一致するうちは積極的に害になる相手でもないと思う。こう
いうのも、信用というのだろうか。もちろん、つい先ほど助けてもらったことも忘れては
いない。
月見ならぬ星見を楽しむ永遠亭の四人は、メディスンの一大事さえ、まるで日常の一コ
マとして消化しきっているようだった。彼女たちにとって、日常は退屈の連続で、少々の
騒動の方が刺激的で面白みのあるものなのかもしれない。
少なくとも、輝夜はそうなのだろう。
長い年月閉じこもっていたと、彼女は言った。自由に外を歩けなかったと。そういう意
味では、輝夜の幻想郷での知識はメディスンと五十歩百歩であろう。
メディスンは地名も知らず、輝夜は地名は知れど実際には行ったことがない。その程度
の差。
(あ、もしかして……)
ふと、輝夜が楽しめそうなことを思いつく。だが、それを口にするのをメディスンは躊
躇った。自分の言葉など、輝夜は聞くだろうか。メディスンを所有物する扱いする輝夜は、
彼女の都合で人形遊びすることはあっても、メディスンの抗議を聞き入れたことはない。
──人形の言葉なんて。
届くの、だろうか?
「ねえ、輝夜」
「なに?」
おずおずと切り出したメディスンに、輝夜は視線も星空から動かさないで先を促した。
今は、人形よりも星優先なのだろう。そういう気分屋だ、彼女は。
それでも、返事はあった。鈴蘭畑では返らない返事。
だから、メディスンは勇気を振り絞って言うのだった。
「こんなにいい夜なんだから、外に出てみないかしら。私、まだ永遠亭しか知らないわ。
幻想郷の色々な場所を見てみたい……って思うんだけど?」
笑顔は満点。
明るい口調で、最後は愛らしく小首を傾げて提案一つ。
反応したのは、輝夜よりも周りの三人だった。三人が一斉に主に注目し、輝夜はそれに
振り返らずに、静かにひとこと。
「それは──楽しそうね」
直後、彼女は立ち上がって声を張り上げた。
「永琳、出かけるわよ。イナバ、用意しなさい!」
「は!」
まさに鶴の一声。輝夜の言葉が、静かな夜を一気に騒動へと変える。途端に弾かれたよ
うに動き出した永琳、鈴仙、てゐの姿に、メディスンは自分の出した提案の生んだ結果に
むしろ動揺してしまった。
「い、いいの?」
「あら、行きたいんでしょう? なら行きましょう。私もね、お人形と一緒にお散歩って
いうのには憧れるものがあるわ」
まだまだ若いから、と幻想郷でも最年長に近い少女は嘯く。その表情は、メディスンが
期待した通りに愉快そうで、毒人形はようやく胸を撫で下ろすことができた。
その様子に、輝夜は目を細めて頬を緩める。
「なかなか面白い提案だったわ。さすが、私の人形」
「だから、あんたの人形じゃ……もういいわ」
「あら、認めたわね。だったら、ご褒美にあなたの力を増す魔法の言葉を教えてあげるわ」
「え!? なにかしら? なにかしら!?」
思いがけない輝夜の言葉に、メディスンは我が耳を疑った。すると輝夜は、この世の秘
密を教えるかのように、そっと彼女の耳元で魔法の言葉を唱えた。
「──って」
「え~!? そんなこと、言えないわっ。それって妖怪としてどうなの!?」
「でも、言えたら強くなると思わない?」
「それは……うん、そうかしら?」
「ならいいのよ。これで最強。これで無敵。言えるなら、だけど。ああ、ちなみに私は言
ったことないわ」
「駄目じゃない」
「だから、今日は試してみようかと。お人形と一緒に合唱してみようかと」
どう? と誘われ、メディスンは腕を組んで考えた。
教えてもらった『魔法の言葉』。それは、確かに無敵に近い。どんなに考えても、それ
に抗える力を持った存在など、幻想郷には数えるほどしかいないはずだ。
(む、無敵……う~ん、でも、それって、それを言うことって……)
それは、メディスンにとって、これまで越えられなかった一線を越えることになる。
メディスンが欲しいもの。必要としているもの。それを、一発で得ることができる、こ
れ以上無い切り札的な言葉──魔法だ。
「あんたなら言えるんでしょうけど……」
いやいや、とメディスンが渋ると、
「ふうん? まだ、わかっていないみたいね。やっぱり、難題を解いておく?」
輝夜は、面白そうに人差し指を立てた。クルン、と回転させた指先は、彼女が機嫌の良
い証拠だ。
難題と言えば、メディスンは鉄の向日葵のことを思い出す。その際の質問は──。
「人形の地位向上のための、もっと簡単な方法?」
「そう。魔法の言葉は、その答えの一つよ。わからないんだったら、やっぱり実践ね。実
践って大切だわ」
クルクルクルクル、指先が回る。指先の勢いのまま、輝夜は言った。
「それじゃあ、出発よ!」
※
その夜の出来事は、多くの幻想郷の住人にとって降ってわいた災害のようなものだった
だろう。
紅魔館は、鈴蘭の花を手土産にやって来た永遠亭の面々を訝しがりながらも受け入れた
後、その後のティータイムでどういう挑発があったのか輝夜とレミリアが弾幕勝負をする
ことになり、結果美しい館内はボロボロ。メイド長が笑顔でメディスンたちを追い出すと
いう散々な目にあった。
「次は必ず勝つ」
というのは、短い時間では結着をつけられなかったレミリアの台詞だ。レミリアも輝夜
も綺麗な服がみっともなく煤けており、メディスンは改めて大妖怪同士のお遊びの激しさ
に戦慄を覚えたものだ。これが新月間近でなければ、輝夜ですら危ない勝負であっただろ
う。
博麗神社では、眠そうな顔をした巫女が、しかし手土産の酒瓶一つで機嫌良く迎えてく
れた。
「今こそ復讐の時かしら」
と、メディスンはお茶淹れ係を買って出て、思い切り濃い毒入り茶を霊夢に出したのだ
が、勘の良い彼女はそれには手をつけずに酒だけを呑み進めた。代わりにそれを飲んでし
まったのは、普段茶など飲まない子鬼の少女で、噴水のように盛大に吹いた彼女の逆襲は
分裂した分身たちによるくすぐり地獄という恐ろしいものであった。
「な、なんで私まで……あは、やめ、いやぁぁぁぁ!」
というのは、巻き込まれた鈴仙の悲鳴で、どのような攻撃をしてもまったく効かない鬼
に、永遠亭の面々は腹筋が痛くなるまで大爆笑を続けることとなった。
「ま、巨大化しないならなんでもいいわ」
一人被害を免れた巫女は、そう告げたりしていた。
冥界には、かつて訪れたことがあるという永琳の案内で侵入した。すぐに現れた妖夢が、
輝夜と永琳という卑怯極まりない二人掛かりで弾幕ごっこに敗北すると、輝夜はすっきり
とした笑顔で次のように言った。
「前はこっちが二人掛かりでやられたから、これでおあいこね」
「うう……結構前の話じゃない。幽々子さまなら、あなたたちに会わないわよ。蓬莱人は
苦手だって」
「残念ね。ああ、でも、来れないはずの場所に来るのは、不思議ね」
そう言って、輝夜は幽霊の漂う冥界を見渡した。笑顔だけれど真剣極まりないその瞳は、
自分には縁の無い世界を二度と忘れないよう、脳裏に焼き付けようとしているようにも見
えた。
他にも、妖怪道にある夜雀の屋台で月と地上の兎二匹が物凄い勢いで八目鰻を平らげる
勝負を繰り広げたり、メディスンが宵闇の妖怪と自己紹介をしあったり、その夜はメディ
スンの生きてきた中でもっとも様々なことが起きた夜となった。
そして、ひと通り幻想郷を回った彼女たちが最後に通りかかったのが、人間の里の近く
だ。人口──というものなのかは別として──のほとんどが妖怪で占められる幻想郷では、
人間の数など微々たるもので、メディスンは自分を捨てた世界とは、この程度のものかと
内心拍子抜けした。
(復讐してやれ!)
と思う心が無いわけではなかったが、それよりもその夜は遊びの楽しさの方が勝ってい
た。皆で笑いながら、星空の下の飛行を楽しんでいると、どこからかやってきた天狗が輝
夜に取材を始める。
「今日は、どのような目的でこんなことを? ずいぶんお楽しみのようですが?」
「あら、あなたそのくらいのこともわからないのかしら? これは、記事にならないと思
うわよ」
「どうしてですか?」
「だって、当たり前のことは、記事にならない。記事は事件を追うものでしょう?」
「う~ん、では、その理由とは?」
「今日はこんなにも良い夜だからよ。そう思わない?」
「思いますけど。思いますけど!」
不満げな天狗は、それでも彼女たちを一枚の写真に収めてくれた。きっと、それはこの
楽しさの余韻となり、後々も自分たちを楽しませてくれるのだろう。メディスンは、そう
考えると頬が弛んで仕方がなかった。
楽しい。
とても楽しかった。
なんだ、世界はこんなに狭いではないか。飛んですぐにいける距離。飛んでいけば、す
ぐに皆がいる距離。そのことを知ったことは、社会学習で一番の収穫かもしれなかった。
(ぜーんぶ、手が届くところにあるじゃない!)
焦ることはない。全て、準備が整ったら行動すれば良い。それで間に合う距離に、あら
ゆるものが存在するのだ。ゆったりと、時間を緩やかに使える、そんな場所──それが、
メディスンのいる幻想郷なのだ。
だから。
「あ~、お前ら、どういうつもりだ」
ことと次第によっては容赦しないぞという険しい表情で半人半獣の上白沢慧音が現れた
時も、メディスンは何も知らなかった頃のように気軽に言うことができた。
「世界征服のためにお勉強中よ。あんたも、毒の花を一輪いかがかしら?」
「……まだ子供じゃないか。早く帰って寝ろ」
戦いは、善戦した方だとメディスンも思う。毒を散布して慧音の移動を妨げ、そこを狙
い撃つ。慧音はメディスンよりも輝夜たちの方が気になるようで、チラチラとそちらに目
をやるため隙が大きく、何度かメディスンの勝ちもあるかと思われた。
だが、地力の差が出たのか、結局メディスンは撃ち落されて輝夜の腕の中に納まる。
「いたた~」
「他の奴らは……別にやる気はなさそうだな。里まで降りてくるなら、もっと静かに来い。
今日の夜は、少し騒々し過ぎる」
意外な苦戦に、慧音はずれ落ちかけた帽子を手で直しながら確認した。無論のこと、輝
夜たちに異存は無い。
異存は無いのだが、
「今夜負け越しは、良くないわよね」
輝夜の耳打ちに、メディスンはうなずいた。パンパンとスカートの汚れを払い、輝夜と
共に再び慧音の前に浮かぶ。
「まだやるのか?」
「ええ。でも、今度の私はさっきとは違うわよ」
「まあいい。それならお前が飽きるまで遊んでやるまでだっ」
そうして、慧音が無数の光線を周囲に放つ。夜気を切り裂く光の筋は一本一本が妖力の
束。夜空に太陽のように神々しく輝く慧音に、しかしメディスンと輝夜は顔を見合わせて
微笑んだ。
慧音がギクリとしたのは、それがいたずらっ子の笑みだったからだ。
「何を!?」
「せーのっ」
メディスンと輝夜は、幻想郷に響き渡る大声で叫んだ。
「たすけて、えいりーーーーーん!」
あれは卑怯だ、と後に慧音はふてくされた顔で語った。
※
「あはは! やった、勝ったわ。大勝利かしら!」
永琳の蜘蛛の巣もかくやという光糸結界の一撃をくらって慧音が地上に落ちていくのを
眺め、メディスンと輝夜は両手をパチンと叩き合わせて喜んだ。
「後で文句を言われても知りませんよ、姫様」
という永琳の言葉もどこ吹く風で、輝夜はメディスンに教える。
「ね、無敵でしょう? 三人がかりなら、負けることはまずないわ」
「本当。これで最強、無敵!」
同意しながら、メディスンはわかっていた。
助けを呼ぶこと。それ自体が重要だったのではない。重要だったのは、メディスンがそ
れまで越えることがなかった一線を越えたことだ。
誰かを、頼る、ということ。
結局のところ、メディスンは鈴蘭畑を出てからも、誰かを頼るということはなかった。
周りのものを凄いと感じ、そこから吸収できるものはないかと探しながら、積極的に教え
を請うことも、仲間として信頼することもなかった。
それは、自分の仲間を欲しがりながら、自分が仲間になることを拒んでいた、というこ
とだ。
では、仲間に自分があなたを信頼していると伝える方法は、何だろうか。自分が相手を
信じ、味方と思っていると、一発でわかってもらうには?
その結論──それが、言葉、だ。
もっともな話だが、言葉にしなければ伝わらないものもある。言葉にしなくても伝わる
ものでも、言葉にした方が伝わりやすいものもある。
だから、輝夜は言ってみろ、と促したのだ。
『もしあなたが永琳を味方にしたいなら、永琳に助けてって言ってみればいいわ。それで
助けてくれるなら、永琳にも少しはそういうつもりがあるってことよ』
勇気を振り絞るのは、相手を試すことだから。自分の価値を知ってしまうことだから。
輝夜と一緒に言えば、助けてくれないことはないとわかっていたので、少し反則気味で
あったが、これはこれで一つの結果として喜んでおこう、とメディスンはうなずいた。
うなずいて、ようやくもう一つの答えを理解する。
「あ、そうなのかしら。輝夜は……言葉を使えって、言ったのかしら?」
「そう」
人形の地位向上のための、もっと簡単な方法。
「あなたみたいな可愛いお人形さんがしゃべるなら、人間も、他の人形を大事にするよう
になると思わない?」
「可愛いことこそ、人形の最大の力ですからね」
永琳の合いの手が入り、メディスンはなるほど、と何度も何度もうなずいた。
そうなのだ。
私は、お人形。お人形であることを武器に、人形解放をしても良い。
そういうことなのだ。
結
新月にほど近い月が山の向こうに消える頃、メディスン・メランコリーは自分の住処で
ある鈴蘭畑に佇んでいた。
スキップを踏んで秘密の場所に向かうのは、その胸に新人であるピエロ人形がいるから
だ。
「はい、みんな元気にしてたかしら? 今日は新しい仲間が加わるわよ」
鈴蘭の白い花弁を掻き分けた先にある、壊れた人形たちの寝所。そこにピエロ人形を並
べ、メディスンは静かに空へと手を伸ばした。
「コンパロ、コンパロ、毒よ集まれ~」
毒を操るのは、メディスンの持つ唯一にして最大の能力。それで集められた鈴蘭の毒は、
自然界に存在するあらゆる毒を超える濃度を持つ。それこそ、人形が動き出すくらいだ。
「今日も、やるわよ~」
端から人形を手にとって『もきもき』。
腕がもげた人形を『もきもき』。
足が外れた人形を『もきもき』。
焼け焦げた人形を『もきもき』。
最後に、ピエロの人形を『もきもき』。
丁寧に人形たちに毒を染み込ませ、一仕事終えたメディスンはその場でにっこり微笑ん
だ。いつもならば、人形解放を語る部分。だけれど、今夜は少し違う。
「早く、みんなとおしゃべりしたいわ。スーさん、お願いね」
最初の部分は、人形たちへ。終わりの部分は、鈴蘭たちに。
メディスンの言葉に、人形は応えず、鈴蘭は風に揺れて無言の意思を返してくれる。そ
れは、今までとまったく同じ。同じだけれど、メディスンにとっては少し違う。
(焦ってもしょうがない、のね)
幻想郷に流れる時間というものを、メディスンは知った。それは数年しか生きていない
メディスンからは信じられないほどゆっくりと、少しずつ流れる時間だ。
それ故に、メディスンはこれまでのように人形たちを急かさない。自分の意に沿わない
からといって非難したりもしない。
(そんな狭い心だと、誰も私を信頼してくれないから)
人間への復讐は、実際には人形の立場向上とはあまり関係が無い。それは、ただ単にメ
ディスンの自己満足にすぎない、呪いだ。それを他の人形に押し付けるのは、狭量の極み
であることをメディスンは知った。
狭い心からの言葉では、誰にも届いてはくれないから。
妖怪人形としてではなく、人形としての力で、人形の地位を向上させる道も見えてきた
のだから。
「ぐる~~~~~~っと!」
一回転。
東西南北、あらゆる方向。そのあらゆる方向に、メディスンは言葉をつけた。
「永遠亭、博麗神社、紅魔館、冥界の入り口、魔法の森、向日葵畑、無縁塚、人間の里!」
十日前には、知らなかった世界。
ほんの十日で、知った世界。
「スーさん、みんな、私少しは世界を見てきたわ。そこは結構楽しいところだから、今度
はみんなで行ってみたいの。どうかしら?」
かしら、かしら、とメディスンは歌うように繰り返した。
そして、明日からの楽しみに心を躍らせる。
東には何があるだろう。どんな妖怪がいて邪魔をしてきて、どんな人形がいてどんな言
葉なら説得できるだろう。
西ならば。
南ならば。
北ならば。
――そう。
「これからは『もきもき』してるだけじゃなくて、『もきもきも』するのよ。これまで通
りやりながら、少しずつゆっくり、世界征服を進めるの!」
それも一人では駄目だから。
仲間がいないと駄目だから
だから。
「ねえ、スーさん。私、もっとも~っとお勉強してみようと思うの。スーさんは……協力
してくれるかしら?」
ゆっくり進もう。
少しずつ信頼を得よう。
それが、メディスン・メランコリーが永遠亭で学んだ、大きな大きな第一歩なのであっ
た。
了
永遠亭編、ということは続きもあるのでしょうか。楽しみにしてます。
ほど良い妖怪分も合わせてゴチになりやした。
てかメディスンかあいいよ、かあいいよメディスン
各々のキャラが良く出ていてすんなり最後まで読めました。
この娘が世界征服をする日が、いつかやって来るのでしょうか?
メランコが非常に「らしく」書かれていて読んでいて気持ちがいいです。
しかも、原作エンドから得た教訓をさらに深く突っ込んだ話しで、彼女がきちんと成長しているというのが、また。
永遠亭の方々も、存在感がばっちりで、彼女たちを主役にしてもいいんでない?というくらいの印象を持ちました。輝夜とか、カリスマ満点で、もう。
惜しむらくは後半の、遊びに出るところがちょっと間延びしたと思います。行った、というのはともかく細かく描写するのは減らしても良かったかもしれませんね。あっちこっち行き過ぎて、彼女らは平気でしょうが、追いかけるこちらが少し疲れちゃいましたので。
1メランコスキーとして大変楽しませていただきました。ありがとうございます。
そしてこれがすごく良かった。
ニート呼ばわりで下落中のカリスマ分が補充されているのもグット。
いいよ、イイよ(^_-)-☆
つーか、
「たすけて、えいりーーん!!」
には吹いた。
読んでいて楽しかったです。
他にも色々ありますが、とにかくこの作品めちゃ好きです。GJ!
キャラが活きてました。もちろんメディも。
中盤のメディが復活するシーンが一番好きですね。
蛇足ですが確かに妹紅が絡まなかったのは残念かも……でも面白かったです(礼
メディスンはある意味現在の幻想郷で一番の(精神的に)成長株で、他の色々と突き抜けてる面子と比べるとまだまだ単純で、それだけにこんな感じで変わっていく様を見るのはとても興味深いものがあります。
メディの社会学習は果たしてどこへつづくのか。まったりと次を楽しみにしながら、このあたりで。
ところで、てゐってやっぱりどこか悪役になりきれないですよね。
偽悪者、って言うんでしたか、こういうのは。
人工衛星ひ○わり?
だとしたらコイツァ確かに難題だ
長い文章を投稿する際には「読んでもらえるかな」と不安でしたので、とにかくまずありがとうを。
自分がゲームや文花帖(書籍の方)で感じた輝夜や永琳たちの格好良さや可愛さを詰め込みたいと思いましたが、難しい……。
今回いただいたコメント・ワンポイントアドバイスは、次の機会(?)があればそこに反映させられるようにしたいと思います。
それにしても、メディスンが加わると、永遠亭の犯罪者度(犯罪者予備軍度)がさらに増すような気も?
追記1:
誤字修正前のものを読んだ方は、みょ~な部分で方言(?)を放つ鈴仙と慧音に読むリズムを崩されたりとかしてたら申し訳ないです。
追記2:
ラウスラデラ・ギボンデ・ルリカ・もきもき……って調べてしましました(笑)
ニョキニョキ。
この話が無ければ私は最後まで書ききれませんでした。
メディが生き生きと描かれている所に感服。
ありがとう。
堪能させていただきました。
メディスンがすてき!輝夜がすてき!
こんなに素敵なメディ作品が読めて幸せになりましたもきもきも
メディを毒人形という設定をいかしつつ可愛らしいキャラとして表現できてるのは凄いと思います。
永遠亭の面々も実に魅力的でした。我儘で愛らしい「お姫様」な輝夜、ややマッドだが威厳ある天才の永琳、
へたれでへにょりで女の子な優曇華等等、大変おいしゅうございました。
同じ設定の続編が是非読みたいです。
あとメディスンかわいい