「あー! 魔理沙さん、本はちゃんと貸し出しするから盗らないでって言ったじゃないですか!」
歩く音さえ響きそうなくらい静かな図書館の中に、私のそう叫ぶ声が高く響く。それと同時、本棚の影で何か布の包みに本を次々と入れていた白黒の魔法使いの手が止まり、本が一冊床に落ちた。それを見て私はまたあぁ、と声を上げる。床には柔らかい絨毯が敷いてはあるが、本が傷んでしまう。
私はいたずらがばれた子どものように顔を帽子をずり下げて隠す魔理沙さんに詰め寄った。自分の顔は見えないが、かなり怒っている表情をしていると思う、多分。
「なんで勝手に取るんですか! 借りたいなら借りたいって言ってくださいよ。本を盗られて文句を言われるのは私なんですよ!」
何度目かもう分からない台詞を私は言った。私を怒るのはメイド長の咲夜様だ。理由は様々だが大体館の破壊に関してである。ちなみに、とても怖い。
「そうはいってもだな、こぁ。こういうのは盗ってこそ価値あるものってもんだぜ」
帽子の下から上目遣いでこちらを見る魔理沙さんの顔は、子どもっぽい魅力に満ちた笑顔。一瞬その笑顔に負けそうになって、首を振って自分を取り戻した。今大事なのはこの白黒ネズミにしっかり罰を与えることだ。それでなければ怒られるのは私だ。
なるべく怒っているのがしっかり伝わるように、目を吊り上げて魔理沙さんをにらみつける。
「そんなわけないでしょうが! あと『こぁ』ってなんですか、そんな変な呼び方するのは魔理沙さんくらいですよ! ちゃんと名前で呼んでください」
「名前って?」
「小悪魔です」
胸を張って答えた。
「……名前なのか?」
「パチュリー様がそう呼んでいるのだからそれが名前でいいんです」
釈然としない表情で首をかしげる魔理沙さんが、そうしながらそっと箒で押して自分の後ろに包みを隠そうとしたのを私は見逃さなかった。首をつかむ勢いで詰め寄る。
こんなやり取りももう数え切れないほど繰り返していた。魔理沙さんが何を考えているかは手に取るように分かる。どうせこの後私を吹っ飛ばして本を持って逃げる気だ、このネズミは。
「それよりも魔理沙さん。……その後ろに隠そうとしている包みの中身! 返せ!」
「それは無理な相談だぜ!」
そう言うのが早いか、魔理沙さんは私の目の前で身を翻すと、無理矢理な体勢で包みをつかみ箒に跨った。私は体を張って魔理沙さんに飛び掛るが、見事にかわされて前のめりにつんのめる。飛び上がった魔理沙さんを止めようと弾幕を張るが、本を傷つけるわけにはいかないからどうしても甘い弾幕になってしまう。素早い動きで私の弾幕を避けながら魔理沙さんは図書館の天井近くまで上昇すると、私に向かって笑いかけた。
「じゃ、こぁ、死ぬまで借りてくぜ」
「ちょ、こらー! 返せー!」
私の叫びを無視して笑い声を上げながら、魔理沙さんは図書館の扉をぶち破って飛び出していった。
***
「で、今日も本を盗られていった、と」
「……すいません、パチュリー様。次こそは必ず止めて見せますから」
「ええ、期待してるわ小悪魔」
うなだれた私に、パチュリー様は紅茶と本を片手にこちらを見ずにそう言った。目線は常に本に固定されている。期待している、と言いながら全くそうは思われてなさそうなパチュリー様の態度に、私はさらに落ち込む。一応、私もこの図書館の司書を任されている身だ。本を奪われるのは心苦しい。その大半が私には分からない難しい本とはいえパチュリー様の集めた本、素晴らしい価値と魔力を持つ魔道書や魔術書ばかりである。しかも魔理沙さんはどこでその情報を仕入れているのか、パチュリー様が特に大事に扱うように私に言ったものばかりを奪っていく。本当に憎たらしいネズミである。
本棚から抜けていた本を、目録を見ながらパチュリー様に読み上げる。魔理沙さんに本を盗まれたときはまずどの本が抜けていたか報告するよう厳命されていた。20冊は下らないその羅列を読み上げながら、私は悔しさに顔を歪ませる。何を盗られたか報告するなんて、ようするに自分がどれだけ失敗したか再確認させられているようなものだ。本から目を離すことなくパチュリー様が頷いて私が読み上げるのを聞いているのが余計に、私の情けなさを酷くさせた。
「……以上、26冊。大半が魔道書か植物関係の事典です。タイミング的にきっと何か新しい魔法でも考えてるんだと思います」
「そう、分かったわ。ありがとう、あなたも自分の仕事に戻っていいわよ」
紅茶を持った手で器用にページをめくるパチュリー様を、私はじっと見つめた。まずさっきから見ていた本が『必見! 新妻のための今日のおかず』なことに気付いて突っ込むのを全力で抑え、そのあと本をめくっていく横顔を見る。どこか憂いた風なその少女の横顔は、自分の蔵書が盗まれたというのにそれでも平素と変わらない表情で淡々としている。
常々疑問だった。私が本を盗られても、パチュリー様は怒ることもなければ叱ることもない。ただ淡々といつものように、何を盗られたか聞いては頷いて、また読書に戻る。それだけだ。
初めは、私なんかに期待していないからだと思った。でもパチュリー様は私の報告に必ず次は期待していると言ってくれるし、期待してないなら自分で止めに来るはずだ。次は要らない本で別に盗られても困らないのかと思った。でもそれにしてはとられる本の大抵はパチュリー様が大事にしなさいといった本でそうとも思えない。魔理沙さんが好きだから盗りにきてくれるだけ嬉しいのかとも思ったが、だったら私が今日みたいに叫んだとき姿を見せてもいいはずだ。好きな人間が自分のものを持っているだけで幸せ、なんて感情を目の前のこの人が持っているとは、私には思えなかった。
そんなことを考えて立ちっぱなしでいたからだろう、パチュリー様はようやく顔を上げて、私のほうを見た。その顔も別に平素と変わらない。ただ私がどうして仕事に戻らないのか疑問に思っている、それだけが顔に浮かんでいるだけだ。
「? どうしたの小悪魔」
分からなければ聞いてみればいい。いい加減理由も分からないでいるのも居心地が悪いし。私は勇気を出して、その疑問を口にした。
「……あの、パチュリー様。私にはパチュリー様が本を盗られていても気にしていないように感じるのですが、それはどうしてですか?」
「……気にしていない風に見える?」
そう答えるパチュリー様の声を聞いてから、私はよく考えず質問したことに激しく後悔した。考えてみれば気にしていないなんて私の勝手な思い込みだ。本当はものすごく気にしているのに私の手前それを口に出してないだけかもしれない。
でも質問してしまったならもうしょうがない。私は躊躇いながらも毅然として答えた。
「私には、そう見えます」
「そうね、そう見えるかもしれないわね。……あなたには、説明してあげてもいいかしら」
気分を害してはいないようでほっとしながらも、やっぱり理由があったのかと説明もされていなかったことに少しだけ怒りを感じた。一応、司書と盗難防衛を任されている身だ。それを誇りにして今まで色々画策して魔理沙さんの暴挙を止めようとしてきたのに、それを気にしていないと言われれば、やはり怒りを覚えずにはいられない。
私のそんな内心の思いには気付かずに、パチュリー様は言葉少なに理由を述べた。
「まあどうしてかというと、あの子、別に返さないとは言ってないじゃない」
「でも死ぬまで借りていくって言ってるんですよ? 結局盗んでるのと同じじゃないですか」
「まあ普通そう思うわよね」パチュリー様は多少私の剣幕に押された風にしながらも続けた。「でもね、あの子は人間なのよ」
そう言って、パチュリー様は紅茶を口にした。私はその間にその言葉の意味を考える、が、どうしても私の中ではそれで納得できる理由にはならなかった。そう私が思ったことを見越してか、パチュリー様はカップを置くと再び言葉を口にする。
「魔理沙が例えどれだけ長生きしたって、せいぜい100年も持たないのよ。人間なんだからね。100年よ、たった100年。私やあなたやこの館の他の……まあ咲夜は同じ人間だからちょっと別だけれど、私たちやレミィにとって、100年が一体どれほどのものかしら。別に明日読まない本が100年先まで読めなかった所で、私にとってはたいした問題ではないのよ。
それに、魔理沙が盗んでいった本は大体全て暗記してるわ。司書のあなたは蔵書が揃ってないと納得できないかも知れないけれど、私にとってそこはどうでもいいことなのよ」
そういえばレミィも図書館には本がなければ、とか言ってたわね。パチュリー様がそう言うのを聞きながら、私は目の前の主人の凄さに驚いた。動かない大図書館と誰かが言っていたがよく言ったものだ。魔理沙が盗んでいった本の数は優に100冊を超えているし、しかもその大半は難解な魔道書ばかりである。それらを全て暗記しているとなれば、その知識の量は計り知れない。
しかし、と私は疑問に思うと同時に、ふつふつと自分の中に湧き上がってくる感情を感じていた。その感情がなにか分からないまま、私は質問を続ける。
「でも、暗記しているっていっても、あんなたくさんの本の細部までこまごま確実に覚えているんですか? 例えパチュリー様の記憶力が凄くても、細かいところとかは忘れてしまうと思うんですけど」
普段本を読まず、そういう本だけ読んでいるというならまだ分かる。でも、パチュリー様は毎日全然違うジャンルの本を飽きることなく読み漁っている。今だって読んでいる本は『必見! 新妻のための今日のおかず』なのだ。そんな本の詳細まで覚えているとは、さすがに思えなかった。
確かにそうね、とパチュリー様は静かに答えた。
「でもね、本当は本の内容なんて別に忘れてしまっても良いのよ」
「? どういう意味ですか」
「一番大事なのはね、その本が訴えたかったことが自分の中でちゃんと血肉になっていること。それが心のどこかにでも残っていれば、別に内容を忘れてしまったとしても構いはしないのよ」
「……パチュリー様、『必見! 新妻のための今日のおかず』を持って言っても説得力がないです」
「そうかしら」
「そうですよ」
首をかしげて悪戯めいて笑うパチュリー様に、私は冷たく答えた。パチュリー様が料理をするとは思えないし、なにより格闘や運動に関する本だって読んでいることもある。しかしそれを実践しようとしたところなど見たこともなかったからだ。
パチュリー様は私から目を離し、本を閉じてその背を撫でた。そこにはエプロンを着てなぜか楽しげにおたまを掲げる若妻の写真が載っている。
「まあ確かに、この本を読んでも私はきっとすぐ忘れてしまうでしょうね。私自身がこれを読んで料理をしようとは思わないし」
やっぱり、と私が思った時、でもね、と続けながらパチュリー様は再び私のほうを見た。優しげに笑う。
「……いつかこの本の料理と同じ物を、あなたや咲夜が作ってくれるかもしれないわ。そしてその時、たまたま私はこの本を読んだことを思い出すかもしれない。その時例え詳細は思い出せなくても、あなたたちの料理にこの本にあるのと同じか、あるいはそれ以上の努力や配慮がされていることを知って、きっと感謝の一言でも言うと思うの。あなたたちは理由は分からなくとも多分それで喜んでくれるでしょう?
……私にとっては本を読む理由なんてそれで十分だわ」
そういえば、と思い出す。格闘術の本をパチュリー様が読んだ後、数日経って美鈴さんがちょっと嬉しそうな顔でその本を借りに来たことを。つまり、そういうことなのだろう。
主人のそんな皆へのちょっとした心配りが嬉しくて、でも釈然とせず私は唸った。湧き上がってくる感情がちらりと姿を見せて、私は思わず吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「……なんか煙に巻かれたような気がするんですが」
「気のせいよ。だから私は本が手元にあることにこだわらない」
それで説明終わり、と言わんばかりにパチュリー様は再び本を読む作業に戻った。肉じゃがのページを見ているから今度作ってあげよう、と私の中の暢気な私が思いながら、しかし現実の私は納得できない理由を問い質す。
そう、今の説明では私には納得できない部分があるのだ。
「でも、それじゃあなんで私に本を守りなさいと言ったんですか。暗記して、それに本が手元になくてもいいっていうなら、私に本を守れなんていう必要ないじゃないですか」
これまで魔理沙さんから本を奪われないために色々とやった。本を隠したりもした。魔法をかけて見えなくしたりもした。美鈴さんと協力して門で未然に侵入を防ごうとしたことも、大急ぎで司書の仕事をやって魔理沙さんが来るまで毎日扉を見張っていたこともある。
今日だってただ漫然と本の整理をしていて魔理沙さんを見つけたわけじゃない。大事な本のコーナーを見回るコースを決めていて、なおかつ警戒のトラップを幾重にも重ねた上で気付いたのだ。魔理沙さんはそれも超えて盗みに来てはいたけども。
「パチュリー様、私がいつもなにやってたか知ってますよね。今までどんなことをして本を守ろうとしてきたか。どれだけ苦労してきたか、分かってますよね」
それなのに、私が今までやってきたことが無駄だと言われた。本は暗記している。忘れてしまっても構わない。別に盗られてもいい。じゃあ図書館で私がいままでしてきた仕事はなんだったんだ。ただ別に守らなくてもいい本を必死に守って、奪われて。悔しさに何度も泣いた。
それでも、パチュリー様の期待しているの一言を支えにこれまで頑張ってきた。無理だと思って何度も諦めかけた。何度もうパチュリー様が魔理沙さんを止めてくださいと言おうと思ったか分からない。それでも自分の主人が頑張れというから、頑張ってこれた。ここまで戦ってこれた。
「今まで、何度も落ち込む私に頑張れ、期待してるって言ってくれたじゃないですか」
それなのに、今私の主人はそれが別にどうでもいいことだといったのだ。
自分の主人に向ける言葉ではないのは分かっている。それでも、堰を切ってあふれ出した言葉は止まらない。涙目になるのが自分でも分かった。
「今まで私が頑張ってきたことは、一体なんだったんですか!」
せめてその顔を見られないようにと私はうつむいて叫ぶ。そしてしばらくの静寂の後、パチュリー様が席を立つ音が聞こえた。
「……小悪魔、私はそこまで説明しないといけないのかしら。……いえ、しておかなければならなかったのよね、きっと」
そうパチュリー様の声が聞こえたのと同時に、私の体が優しく抱きしめられた。私が顔を上げると、そこには紫の綺麗な髪がすぐ近くにあった。埃塗れの日陰の少女の、優しい匂いが私をくすぐる。
私の耳元で、パチュリー様の優しげな声が囁くように聞こえた。私の髪を優しく撫でる手が、酷く暖かくて涙が出そうになった。
「私はね、あなたに強くなって欲しかったの」
パチュリー様は小さくそう言う。意味が分からなくて私が何もいえないでいると、それを読み取ってくれたのか続けて言った。
「あなたが頑張っているのは知っているわ。私が一番知っている。あなたがどれだけ苦労して、それを私に見せないようにしているかも知っているわ。ごめんなさいね、全部知っているのよ。確かに成長したあなたを、私が手伝えば魔理沙なんかに本を盗まれることなんてないでしょう。でも、それじゃ意味がないのよ。あなたが一人で魔理沙を追い返せるようにならなければ、意味がないの」
私はすんと鼻をならして、パチュリー様に抱かれるまま身を預けた。
「あなたは私の使い魔なのよ。大事な使い魔が、強くなって欲しいと思うのは、間違っているかしら?」
「……いえ」
「大事な使い魔に、こんな期待をするのは重たい?」
「……いえ」
「じゃあ、明日からも頑張ってくれる? 期待しても構わない?」
「……はい」
華奢な主人の体を私は抱きしめ返した。小さくて華奢なその体からは、しかし何か安心する暖かさが感じられた。
私は涙声で、一言だけ言った。
「ただ今は……少しだけ、このままでいさせてもらってもいいですか?」
「ええ。……だってあなたは私の大事な使い魔だもの」
***
「……あれで誤魔化せたかしら」
小悪魔が仕事に戻ってしばらくした後、私は再び本を手に取りながら溜息を吐いた。
このところ小悪魔が色々溜め込んでいたのは知っていたが、あんな風に取り乱すまで溜め込んでいるとは思わなかった。とりあえず抱きしめてみたがそれで落ち着いてくれて正直助かったと思う。もしあのまま司書を辞めるなどと言い出したら本当に困るところだった。
幾許か前の小悪魔の報告を思い出す。今日盗まれた本は26冊。盗まれた本の内容は概ね予想通りだった。小悪魔が魔理沙を止められないのも無理はないわね、と私は微笑みながら思う。前回魔理沙の盗み出したのはトラップ系と監視系魔法を掻い潜るための戦術書が含まれていた。小悪魔が発案する程度の罠や警戒では太刀打ちできはしないだろう。もちろん、それより前の魔理沙なら確実に引っかかっていただろうが。
美鈴に格闘術の本を貸し与えるように差し向けて、小悪魔にも今日のそれで新たに罠から何からの本とヒントを少しばかり与えた。これでまた魔理沙がここまで来るには新たなハードルを越えてくる必要がある。もちろん、彼女はそれを超えてくるだろう。
「というより、超えてもらわなければ面白くないのよね」
私は浮かんでくる笑みを止められなかった。魔理沙は日増しに強くなっている。盗み取った本の知識は全て自分に吸収しているようだ。自分の知識によってどんどん成長していく魔法使いが近くにいる。これで期待し興奮しない魔女の方がどうかしている。
私は本を閉じ、目を閉じて思い浮かべた。彼女が始めてこの館の、この図書館に来たときの映像がまざまざと思い浮かぶ。使い魔である小悪魔を蹴散らし、拙いながらも私の放つ弾幕を乗り越えて私を倒した恋色の魔法使い。明らかな不利も大胆な動きと技で乗り越えてくる、あの時の感動は忘れられない。
今日の出来事で、小悪魔はまたしばらく頑張ってくれるだろう。そしてその小悪魔を乗り越えることで、魔理沙はまたさらに魔法使いとして完成していく。
成長した魔理沙は、きっと私にまた新しい弾幕と感動を与えてくれるだろう。それがいつの日のことになるかはわからないが、そう遠くない将来であることは間違いない。彼女は彼女の求め続ける限りきっと成長し続ける。それを私はそっと後押しするだけだ。
そしていつか、どのような形でも魔理沙が私を越えることになれば。
「それは、きっととても楽しいことよ。ねぇ、魔理沙」
歩く音さえ響きそうなくらい静かな図書館の中に、私のそう叫ぶ声が高く響く。それと同時、本棚の影で何か布の包みに本を次々と入れていた白黒の魔法使いの手が止まり、本が一冊床に落ちた。それを見て私はまたあぁ、と声を上げる。床には柔らかい絨毯が敷いてはあるが、本が傷んでしまう。
私はいたずらがばれた子どものように顔を帽子をずり下げて隠す魔理沙さんに詰め寄った。自分の顔は見えないが、かなり怒っている表情をしていると思う、多分。
「なんで勝手に取るんですか! 借りたいなら借りたいって言ってくださいよ。本を盗られて文句を言われるのは私なんですよ!」
何度目かもう分からない台詞を私は言った。私を怒るのはメイド長の咲夜様だ。理由は様々だが大体館の破壊に関してである。ちなみに、とても怖い。
「そうはいってもだな、こぁ。こういうのは盗ってこそ価値あるものってもんだぜ」
帽子の下から上目遣いでこちらを見る魔理沙さんの顔は、子どもっぽい魅力に満ちた笑顔。一瞬その笑顔に負けそうになって、首を振って自分を取り戻した。今大事なのはこの白黒ネズミにしっかり罰を与えることだ。それでなければ怒られるのは私だ。
なるべく怒っているのがしっかり伝わるように、目を吊り上げて魔理沙さんをにらみつける。
「そんなわけないでしょうが! あと『こぁ』ってなんですか、そんな変な呼び方するのは魔理沙さんくらいですよ! ちゃんと名前で呼んでください」
「名前って?」
「小悪魔です」
胸を張って答えた。
「……名前なのか?」
「パチュリー様がそう呼んでいるのだからそれが名前でいいんです」
釈然としない表情で首をかしげる魔理沙さんが、そうしながらそっと箒で押して自分の後ろに包みを隠そうとしたのを私は見逃さなかった。首をつかむ勢いで詰め寄る。
こんなやり取りももう数え切れないほど繰り返していた。魔理沙さんが何を考えているかは手に取るように分かる。どうせこの後私を吹っ飛ばして本を持って逃げる気だ、このネズミは。
「それよりも魔理沙さん。……その後ろに隠そうとしている包みの中身! 返せ!」
「それは無理な相談だぜ!」
そう言うのが早いか、魔理沙さんは私の目の前で身を翻すと、無理矢理な体勢で包みをつかみ箒に跨った。私は体を張って魔理沙さんに飛び掛るが、見事にかわされて前のめりにつんのめる。飛び上がった魔理沙さんを止めようと弾幕を張るが、本を傷つけるわけにはいかないからどうしても甘い弾幕になってしまう。素早い動きで私の弾幕を避けながら魔理沙さんは図書館の天井近くまで上昇すると、私に向かって笑いかけた。
「じゃ、こぁ、死ぬまで借りてくぜ」
「ちょ、こらー! 返せー!」
私の叫びを無視して笑い声を上げながら、魔理沙さんは図書館の扉をぶち破って飛び出していった。
***
「で、今日も本を盗られていった、と」
「……すいません、パチュリー様。次こそは必ず止めて見せますから」
「ええ、期待してるわ小悪魔」
うなだれた私に、パチュリー様は紅茶と本を片手にこちらを見ずにそう言った。目線は常に本に固定されている。期待している、と言いながら全くそうは思われてなさそうなパチュリー様の態度に、私はさらに落ち込む。一応、私もこの図書館の司書を任されている身だ。本を奪われるのは心苦しい。その大半が私には分からない難しい本とはいえパチュリー様の集めた本、素晴らしい価値と魔力を持つ魔道書や魔術書ばかりである。しかも魔理沙さんはどこでその情報を仕入れているのか、パチュリー様が特に大事に扱うように私に言ったものばかりを奪っていく。本当に憎たらしいネズミである。
本棚から抜けていた本を、目録を見ながらパチュリー様に読み上げる。魔理沙さんに本を盗まれたときはまずどの本が抜けていたか報告するよう厳命されていた。20冊は下らないその羅列を読み上げながら、私は悔しさに顔を歪ませる。何を盗られたか報告するなんて、ようするに自分がどれだけ失敗したか再確認させられているようなものだ。本から目を離すことなくパチュリー様が頷いて私が読み上げるのを聞いているのが余計に、私の情けなさを酷くさせた。
「……以上、26冊。大半が魔道書か植物関係の事典です。タイミング的にきっと何か新しい魔法でも考えてるんだと思います」
「そう、分かったわ。ありがとう、あなたも自分の仕事に戻っていいわよ」
紅茶を持った手で器用にページをめくるパチュリー様を、私はじっと見つめた。まずさっきから見ていた本が『必見! 新妻のための今日のおかず』なことに気付いて突っ込むのを全力で抑え、そのあと本をめくっていく横顔を見る。どこか憂いた風なその少女の横顔は、自分の蔵書が盗まれたというのにそれでも平素と変わらない表情で淡々としている。
常々疑問だった。私が本を盗られても、パチュリー様は怒ることもなければ叱ることもない。ただ淡々といつものように、何を盗られたか聞いては頷いて、また読書に戻る。それだけだ。
初めは、私なんかに期待していないからだと思った。でもパチュリー様は私の報告に必ず次は期待していると言ってくれるし、期待してないなら自分で止めに来るはずだ。次は要らない本で別に盗られても困らないのかと思った。でもそれにしてはとられる本の大抵はパチュリー様が大事にしなさいといった本でそうとも思えない。魔理沙さんが好きだから盗りにきてくれるだけ嬉しいのかとも思ったが、だったら私が今日みたいに叫んだとき姿を見せてもいいはずだ。好きな人間が自分のものを持っているだけで幸せ、なんて感情を目の前のこの人が持っているとは、私には思えなかった。
そんなことを考えて立ちっぱなしでいたからだろう、パチュリー様はようやく顔を上げて、私のほうを見た。その顔も別に平素と変わらない。ただ私がどうして仕事に戻らないのか疑問に思っている、それだけが顔に浮かんでいるだけだ。
「? どうしたの小悪魔」
分からなければ聞いてみればいい。いい加減理由も分からないでいるのも居心地が悪いし。私は勇気を出して、その疑問を口にした。
「……あの、パチュリー様。私にはパチュリー様が本を盗られていても気にしていないように感じるのですが、それはどうしてですか?」
「……気にしていない風に見える?」
そう答えるパチュリー様の声を聞いてから、私はよく考えず質問したことに激しく後悔した。考えてみれば気にしていないなんて私の勝手な思い込みだ。本当はものすごく気にしているのに私の手前それを口に出してないだけかもしれない。
でも質問してしまったならもうしょうがない。私は躊躇いながらも毅然として答えた。
「私には、そう見えます」
「そうね、そう見えるかもしれないわね。……あなたには、説明してあげてもいいかしら」
気分を害してはいないようでほっとしながらも、やっぱり理由があったのかと説明もされていなかったことに少しだけ怒りを感じた。一応、司書と盗難防衛を任されている身だ。それを誇りにして今まで色々画策して魔理沙さんの暴挙を止めようとしてきたのに、それを気にしていないと言われれば、やはり怒りを覚えずにはいられない。
私のそんな内心の思いには気付かずに、パチュリー様は言葉少なに理由を述べた。
「まあどうしてかというと、あの子、別に返さないとは言ってないじゃない」
「でも死ぬまで借りていくって言ってるんですよ? 結局盗んでるのと同じじゃないですか」
「まあ普通そう思うわよね」パチュリー様は多少私の剣幕に押された風にしながらも続けた。「でもね、あの子は人間なのよ」
そう言って、パチュリー様は紅茶を口にした。私はその間にその言葉の意味を考える、が、どうしても私の中ではそれで納得できる理由にはならなかった。そう私が思ったことを見越してか、パチュリー様はカップを置くと再び言葉を口にする。
「魔理沙が例えどれだけ長生きしたって、せいぜい100年も持たないのよ。人間なんだからね。100年よ、たった100年。私やあなたやこの館の他の……まあ咲夜は同じ人間だからちょっと別だけれど、私たちやレミィにとって、100年が一体どれほどのものかしら。別に明日読まない本が100年先まで読めなかった所で、私にとってはたいした問題ではないのよ。
それに、魔理沙が盗んでいった本は大体全て暗記してるわ。司書のあなたは蔵書が揃ってないと納得できないかも知れないけれど、私にとってそこはどうでもいいことなのよ」
そういえばレミィも図書館には本がなければ、とか言ってたわね。パチュリー様がそう言うのを聞きながら、私は目の前の主人の凄さに驚いた。動かない大図書館と誰かが言っていたがよく言ったものだ。魔理沙が盗んでいった本の数は優に100冊を超えているし、しかもその大半は難解な魔道書ばかりである。それらを全て暗記しているとなれば、その知識の量は計り知れない。
しかし、と私は疑問に思うと同時に、ふつふつと自分の中に湧き上がってくる感情を感じていた。その感情がなにか分からないまま、私は質問を続ける。
「でも、暗記しているっていっても、あんなたくさんの本の細部までこまごま確実に覚えているんですか? 例えパチュリー様の記憶力が凄くても、細かいところとかは忘れてしまうと思うんですけど」
普段本を読まず、そういう本だけ読んでいるというならまだ分かる。でも、パチュリー様は毎日全然違うジャンルの本を飽きることなく読み漁っている。今だって読んでいる本は『必見! 新妻のための今日のおかず』なのだ。そんな本の詳細まで覚えているとは、さすがに思えなかった。
確かにそうね、とパチュリー様は静かに答えた。
「でもね、本当は本の内容なんて別に忘れてしまっても良いのよ」
「? どういう意味ですか」
「一番大事なのはね、その本が訴えたかったことが自分の中でちゃんと血肉になっていること。それが心のどこかにでも残っていれば、別に内容を忘れてしまったとしても構いはしないのよ」
「……パチュリー様、『必見! 新妻のための今日のおかず』を持って言っても説得力がないです」
「そうかしら」
「そうですよ」
首をかしげて悪戯めいて笑うパチュリー様に、私は冷たく答えた。パチュリー様が料理をするとは思えないし、なにより格闘や運動に関する本だって読んでいることもある。しかしそれを実践しようとしたところなど見たこともなかったからだ。
パチュリー様は私から目を離し、本を閉じてその背を撫でた。そこにはエプロンを着てなぜか楽しげにおたまを掲げる若妻の写真が載っている。
「まあ確かに、この本を読んでも私はきっとすぐ忘れてしまうでしょうね。私自身がこれを読んで料理をしようとは思わないし」
やっぱり、と私が思った時、でもね、と続けながらパチュリー様は再び私のほうを見た。優しげに笑う。
「……いつかこの本の料理と同じ物を、あなたや咲夜が作ってくれるかもしれないわ。そしてその時、たまたま私はこの本を読んだことを思い出すかもしれない。その時例え詳細は思い出せなくても、あなたたちの料理にこの本にあるのと同じか、あるいはそれ以上の努力や配慮がされていることを知って、きっと感謝の一言でも言うと思うの。あなたたちは理由は分からなくとも多分それで喜んでくれるでしょう?
……私にとっては本を読む理由なんてそれで十分だわ」
そういえば、と思い出す。格闘術の本をパチュリー様が読んだ後、数日経って美鈴さんがちょっと嬉しそうな顔でその本を借りに来たことを。つまり、そういうことなのだろう。
主人のそんな皆へのちょっとした心配りが嬉しくて、でも釈然とせず私は唸った。湧き上がってくる感情がちらりと姿を見せて、私は思わず吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「……なんか煙に巻かれたような気がするんですが」
「気のせいよ。だから私は本が手元にあることにこだわらない」
それで説明終わり、と言わんばかりにパチュリー様は再び本を読む作業に戻った。肉じゃがのページを見ているから今度作ってあげよう、と私の中の暢気な私が思いながら、しかし現実の私は納得できない理由を問い質す。
そう、今の説明では私には納得できない部分があるのだ。
「でも、それじゃあなんで私に本を守りなさいと言ったんですか。暗記して、それに本が手元になくてもいいっていうなら、私に本を守れなんていう必要ないじゃないですか」
これまで魔理沙さんから本を奪われないために色々とやった。本を隠したりもした。魔法をかけて見えなくしたりもした。美鈴さんと協力して門で未然に侵入を防ごうとしたことも、大急ぎで司書の仕事をやって魔理沙さんが来るまで毎日扉を見張っていたこともある。
今日だってただ漫然と本の整理をしていて魔理沙さんを見つけたわけじゃない。大事な本のコーナーを見回るコースを決めていて、なおかつ警戒のトラップを幾重にも重ねた上で気付いたのだ。魔理沙さんはそれも超えて盗みに来てはいたけども。
「パチュリー様、私がいつもなにやってたか知ってますよね。今までどんなことをして本を守ろうとしてきたか。どれだけ苦労してきたか、分かってますよね」
それなのに、私が今までやってきたことが無駄だと言われた。本は暗記している。忘れてしまっても構わない。別に盗られてもいい。じゃあ図書館で私がいままでしてきた仕事はなんだったんだ。ただ別に守らなくてもいい本を必死に守って、奪われて。悔しさに何度も泣いた。
それでも、パチュリー様の期待しているの一言を支えにこれまで頑張ってきた。無理だと思って何度も諦めかけた。何度もうパチュリー様が魔理沙さんを止めてくださいと言おうと思ったか分からない。それでも自分の主人が頑張れというから、頑張ってこれた。ここまで戦ってこれた。
「今まで、何度も落ち込む私に頑張れ、期待してるって言ってくれたじゃないですか」
それなのに、今私の主人はそれが別にどうでもいいことだといったのだ。
自分の主人に向ける言葉ではないのは分かっている。それでも、堰を切ってあふれ出した言葉は止まらない。涙目になるのが自分でも分かった。
「今まで私が頑張ってきたことは、一体なんだったんですか!」
せめてその顔を見られないようにと私はうつむいて叫ぶ。そしてしばらくの静寂の後、パチュリー様が席を立つ音が聞こえた。
「……小悪魔、私はそこまで説明しないといけないのかしら。……いえ、しておかなければならなかったのよね、きっと」
そうパチュリー様の声が聞こえたのと同時に、私の体が優しく抱きしめられた。私が顔を上げると、そこには紫の綺麗な髪がすぐ近くにあった。埃塗れの日陰の少女の、優しい匂いが私をくすぐる。
私の耳元で、パチュリー様の優しげな声が囁くように聞こえた。私の髪を優しく撫でる手が、酷く暖かくて涙が出そうになった。
「私はね、あなたに強くなって欲しかったの」
パチュリー様は小さくそう言う。意味が分からなくて私が何もいえないでいると、それを読み取ってくれたのか続けて言った。
「あなたが頑張っているのは知っているわ。私が一番知っている。あなたがどれだけ苦労して、それを私に見せないようにしているかも知っているわ。ごめんなさいね、全部知っているのよ。確かに成長したあなたを、私が手伝えば魔理沙なんかに本を盗まれることなんてないでしょう。でも、それじゃ意味がないのよ。あなたが一人で魔理沙を追い返せるようにならなければ、意味がないの」
私はすんと鼻をならして、パチュリー様に抱かれるまま身を預けた。
「あなたは私の使い魔なのよ。大事な使い魔が、強くなって欲しいと思うのは、間違っているかしら?」
「……いえ」
「大事な使い魔に、こんな期待をするのは重たい?」
「……いえ」
「じゃあ、明日からも頑張ってくれる? 期待しても構わない?」
「……はい」
華奢な主人の体を私は抱きしめ返した。小さくて華奢なその体からは、しかし何か安心する暖かさが感じられた。
私は涙声で、一言だけ言った。
「ただ今は……少しだけ、このままでいさせてもらってもいいですか?」
「ええ。……だってあなたは私の大事な使い魔だもの」
***
「……あれで誤魔化せたかしら」
小悪魔が仕事に戻ってしばらくした後、私は再び本を手に取りながら溜息を吐いた。
このところ小悪魔が色々溜め込んでいたのは知っていたが、あんな風に取り乱すまで溜め込んでいるとは思わなかった。とりあえず抱きしめてみたがそれで落ち着いてくれて正直助かったと思う。もしあのまま司書を辞めるなどと言い出したら本当に困るところだった。
幾許か前の小悪魔の報告を思い出す。今日盗まれた本は26冊。盗まれた本の内容は概ね予想通りだった。小悪魔が魔理沙を止められないのも無理はないわね、と私は微笑みながら思う。前回魔理沙の盗み出したのはトラップ系と監視系魔法を掻い潜るための戦術書が含まれていた。小悪魔が発案する程度の罠や警戒では太刀打ちできはしないだろう。もちろん、それより前の魔理沙なら確実に引っかかっていただろうが。
美鈴に格闘術の本を貸し与えるように差し向けて、小悪魔にも今日のそれで新たに罠から何からの本とヒントを少しばかり与えた。これでまた魔理沙がここまで来るには新たなハードルを越えてくる必要がある。もちろん、彼女はそれを超えてくるだろう。
「というより、超えてもらわなければ面白くないのよね」
私は浮かんでくる笑みを止められなかった。魔理沙は日増しに強くなっている。盗み取った本の知識は全て自分に吸収しているようだ。自分の知識によってどんどん成長していく魔法使いが近くにいる。これで期待し興奮しない魔女の方がどうかしている。
私は本を閉じ、目を閉じて思い浮かべた。彼女が始めてこの館の、この図書館に来たときの映像がまざまざと思い浮かぶ。使い魔である小悪魔を蹴散らし、拙いながらも私の放つ弾幕を乗り越えて私を倒した恋色の魔法使い。明らかな不利も大胆な動きと技で乗り越えてくる、あの時の感動は忘れられない。
今日の出来事で、小悪魔はまたしばらく頑張ってくれるだろう。そしてその小悪魔を乗り越えることで、魔理沙はまたさらに魔法使いとして完成していく。
成長した魔理沙は、きっと私にまた新しい弾幕と感動を与えてくれるだろう。それがいつの日のことになるかはわからないが、そう遠くない将来であることは間違いない。彼女は彼女の求め続ける限りきっと成長し続ける。それを私はそっと後押しするだけだ。
そしていつか、どのような形でも魔理沙が私を越えることになれば。
「それは、きっととても楽しいことよ。ねぇ、魔理沙」
パチュリー、もっと報いたれ
改めて、知識を貯める意味、本を読む意味を思い知らされました。
小悪魔の魔理沙への態度や、前触れもなくいきなりパチュリーが魔女らしくなるところなど、
全体的にややぎこちなさが見えるのがちょっともったいないように感じました。