薄暗い図書館に一人篭って、ほんの少しの灯りをランプに燈し少女は本を読んでいる。ページを捲る手と紙の擦れる乾いた音と、時折湿った小さな咳を交えながら、ただ、ただ。止まったように時間は流れていく。
扉の開かれた音を、パチュリーは気にしなかった。紳士的に扉から入って来てくれる相手など限られているから、どうということもない──しかし、視界に七色の鮮やかな羽が僅かにちらつくと、流石に彼女は読書を中断し顔を上げた。
「妹様?」
「あ、おはようパチュリー」
珍しい客が来たものだ。図書館への来訪者、その羽の持ち主、フランドールは気付いたように言葉を返す。この図書館の主は自分であるし、居るのも自分くらいなのは分かっているだろうに──それに、ランプも点いているし──とパチュリーは思うのだが、如何せん相手が相手なので、それは言わずにおいた。そんなことより問題は、彼女の目的だ。何か騒ぎを起こされては非常に困る。
「お姉様は?」
「もう寝たわ、夜も明けるし。貴方こそ、こんな時間にどうしたの」
「夜更かし夜更かし、十二時過ぎのシンデレラ」
フランドールはご機嫌な様子で微笑むと、聳え立つ本棚と本棚の間を歩き眺め始めた。
「パチュリーはどうして?」
「本を、読んでいるから」
彼女が興味を持つような本などあっただろうか?パチュリーは目を細め、フランドールの姿を眼で追う。実際は特に理由もない暇潰しなのだろうが、どうにも何か別の目的があるように思えてならない。彼女の笑顔は、とても可愛らしいのではあるが、パチュリーは不安で仕方がなかった。
「凄い本だね」
「何が?」
「量。あと一冊一冊が分厚いし重い」
そう言って、フランドールは本棚から適当に本を一冊抜き出すと、両の手で代わる代わる投げ渡すなどして玩んだ。彼女ほどの力があれば、本の重みなど些細なことに過ぎないのであろうが、本の大きさに比べ些か掌が小さいので時折勢い付いた本を床に落としてしまうのは、管理衛生上よろしくないとパチュリーは顔を顰めた。
「ああ、ごめん。大事なものだもんね」
「古い物だと乱暴に扱うとすぐにバラバラになってしまうようなのもあるから、気を付けてね」
「発酵寸前かー。納豆嫌い」
まあ、勝手に持っていったまま、なかなか返さないどこぞの泥棒猫に比べれば可愛いものだとパチュリーは密かに愚痴吐いたが、当の本人は此処には居ないし、例え面と向かって言ったとしても無駄である。彼女は小さな溜め息を吐いた。
「ねぇ、パチュリー」
「ん」
手を後ろで組みながら、フランドールはふとパチュリーの方へくるりと回るようにして向き直った。パチュリーとしては、彼女が何か些細な行動をする度に落ち着かない気分である。しかし、次に発せられたフランドールの言葉は、これまた彼女を悩ませた。
「怖い?」
「は?」
何の脈絡もなく、突然そんなことを聞かれても困る。
「とりあえず、主語とかその他諸々あまり省略しないでくれる?」
「さっきからずっとそわそわしてるよ」
全然聞いていない。ただ話はどんどん進む。
「私のこと、嫌い?」
極めて、回答に迷う質問だ。所々端折られたフランドールの言葉を話の流れから補完し、パチュリーは彼女の意を読み取った。つまりは、自分が妙にそわそわしているのを彼女に見抜かれたということ。これまでずっと館に閉じ込められ続けてきた少女は、皆にそう良く思われてないことも分かっている。どちらかといえばネガティブな方向に話が向いていることにパチュリーは親指の爪を噛んだ。どう転ぼうが被害を受けるのは自分なのだ、彼女を刺激するわけにはいかない。
「嫌いではないけれど」
「けど?」
差し障りのないような言葉で、本音を言ってみることにする。フランドールがどのような気持ちから問いを投げかけてきたのかは分からないが、少なくとも下手な嘘を吐くよりはずっと良いはずだ。
「好きでもない。あえて言うなら、そう、出来るだけ静かにしていてほしいというような感じかしら」
姉であるレミリアと同じように、我が儘を言う程度ならさほど問題は無い。しかし彼女は、その精神が常に情緒不安定であり、生まれ持った能力も危険極まりないものであるがために、館の外へ出ることを禁止されている、云わば要注意人物で、関わる者としては迷惑を掛けないでほしいとか恐ろしいというのが思うところである。レミリアとは親しい仲であるパチュリーも、フランドールの相手をするのは苦手であった。
「ふーん。そう、そうなんだ」
特に表情を変えることもなくフランドールは本棚の上に飛び上がると、そこへ腰掛け、小柄な足をぶらぶらと遊ばせる。とりあえず、彼女の機嫌を損ねることだけは避けられたようで、パチュリーは胸を撫で下ろす思いだった。
「パチュリーさぁ」
「うん?」
が、そんな安堵も束の間。
「ここにある本を壊されるのと自分を壊されるの、どっちが嫌?」
パチュリーはその細い目を僅かに見開き、その表情を凍りつかせた。何という風でもない、涼しい表情をしているフランドールを見る限りはそうは思えないし、思いたくもないのだが、自分は今とんでもない窮地に立たされているのかもしれない。何気なく掌を開閉しているのが、とても恐ろしい。きゅっとして、どかーん。
「どっちも、嫌よ」
それがフランドール特有の気まぐれであることを信じて、パチュリーは至極当然の答えを返した。自分はもちろんのこと、本を壊されるのも非常に困る。どちらか選べと言われても、彼女にとって選べるようなものではないのだ。
「あー、それはそうだよねぇ。どっちも嫌だよねぇ」
フランドールは妙に納得したように頷くと、ひょいっと本棚から飛び降り、机に座り本を広げているパチュリーの方へ、とことこと歩み寄っていった。
「よく飽きないね、毎日本読んでばかり」
「え、ええ、まあ」
相変わらず話題の急転換を繰り返すフランドール。ともかく、今度こそ危機は去ったようである。
「私も毎日本を読んでいられたらねぇ」
「読む?」
「すぐ飽きる」
フランドールは肩をすくめると、パチュリーの脇に跪き、その頭をパチュリーの上腿の上へ乗せた。自身の境遇に対する皮肉にも感じられる言葉だが、多分、彼女はそんなことは意識していないだろう。
「毎日、暇?」
「特にやることもないしねー」
ランプの光を受け、不気味ささえ感じられるほどの白を暗闇に浮かび上がらせる小さな手を、パチュリーはフランドールの頭の上にそっと置いた。
「外に出たい?」
「別にそういうわけじゃないんだけどさ」
彼女の華奢な指が、手繰るようにフランドールの髪を撫でると、フランドールはくすぐったそうに小さく頭を動かした。打って変わったように今度は突然甘えられるとは、なんとも難儀なことだ。
「でも、あいつのせいで気になるんだ。あいつばっかり、遊びに行って」
そう言って、フランドールはレミリアに毒づいた。紅霧異変が解決してからというもの、レミリアは度々、博麗神社へ遊びに行くようになった。永夜異変の時にも、彼女は動いている。姉がその様子では、フランドールがそう言うのも無理のないことだとパチュリーは思う。
「仕方が無いわ、レミィは我が儘だから」
「そう、分かってる。あいつはどうしようもなく我が儘、私とは大違い」
どちらも似たようなものだと思う、が勿論そんな言葉は発せられることなくパチュリーの心の奥底にしまい込まれた。真実を口にするのは、時に残酷なことである。
「外に出たって、中に居たって、同じよ」
「私はみんなに避けられてるから?」
「そういう意味じゃないわ」
頭を回しくるりと向けられたフランドールの大きな眸を、じっと見つめ返す。こうしている限りは、彼女に一片の狂いも見つけられないというのに。
「パチュリーも、外に出ないもんね」
「そう。出たくもないわ」
「でも、私には本は無いんだよ」
パチュリーは、言葉に詰まった。言ってしまえば、その通りだった。長く永く生きていても、彼女の精神はまだまだ幼い。遊びたいのに、遊べない。遊び相手が居ない、居てくれない、居なくなる。自分には本があった、レミィも居る。しかし、彼女には何も無い。誰も居ない。何も、誰も。
「ま、仕様が無いかな。こんなこと言っていても」
と、フランドールはその身を起こしパチュリーから離れる。パチュリーはその姿をじっと見つめ、離れていった彼女の重みと体温を感じていた。彼女は、またゆっくりと本棚の方へ歩き戻っていきその前に立つと、思うところもなく並べてある本の一列に手を這わせ、その中から適当なものを一冊抜き出した。
「これ、借りていっていい?」
「別にいい、けど、読めるのそれ」
「んー、どうだろうね。あー、ゲシュタルト崩壊。あーべーつぇーでー」
この図書館の大半のものは魔導書である。内容はかなり高度かつ複雑であるし、ましてや暇潰しになど向くはずもない。しかし、フランドールが読みたいというのであれば、それを止める気にはパチュリーはなれなかった。でも、なるべく壊さないでほしい。
「もうお日様も昇るし、寝ようかな」
パチュリーに背を向けると、フランドールはぐっといっぱいに伸びをし、軽く振り返って手を振った。
「じゃあね、パチュリー」
「ええ」
フランドールは扉の方へ歩き出す。小さな足音が、だんだんと遠のいてゆく。読書に戻ろうと、ほとんど読んでもいないそのページを捲った。けれども、なんとなく気になって年季の入った扉の立てる乾いた音にパチュリーは声を上げる。
「フラン」
彼女に呼び止められ、扉を半分ほど開いたところで、フランドールの手が不自然に止まった。一瞬だけ、違和感が走る。それが何なのか、考えてみれば答えは簡単だった。
妹様と、フラン。
「なぁに?」
「あー、その」
フランドールのことをそう呼んだのは初めてで、パチュリーはささやかに緊張していた。とはいえ、特に理由などあったわけではなく、気分だ。指で机を軽く叩いたり、両手の指と指を組んだり、組み替えたりしながら、彼女はようやくそれだけ口にした。
「──おやすみ」
そう言った。
「ああ、うん」
半開きの扉の前に立ち尽くしたまま、フランドールは生返事を返す。彼女は扉の取っ手を掴んでいる自分の手に茫然と視線を注ぎながら、後ろの方に居るパチュリーを凝視していた。いつも『妹様』と、自分のことを呼んでいるパチュリーが『フラン』と呼び方を変えたのはとても奇妙なことで、その奇妙さの根本に何があるのか、フランドールには分からなかった。
「おやすみ」
ただ、悪くはない。そう思った。
「暇になったら」
「え?」
「また来ればいいわ。本の読み聞かせぐらいなら、してあげる」
まただ。また、奇妙なことを言う。私に関わるのは極力避けたいと思っているんじゃなかったか。だのに、そんなことを言う。全く可笑しくて、可笑しなことだと、フランドールは笑った。
「気が向いたら、ね」
「そう」
扉がゆっくりと開けられ、そして閉じられてゆく。最後に、フランドールは人差し指を顎に当て、何かを考えるように小さく唸ると、こう言ってから扉を閉じた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「──パチェ」
おわり
扉の開かれた音を、パチュリーは気にしなかった。紳士的に扉から入って来てくれる相手など限られているから、どうということもない──しかし、視界に七色の鮮やかな羽が僅かにちらつくと、流石に彼女は読書を中断し顔を上げた。
「妹様?」
「あ、おはようパチュリー」
珍しい客が来たものだ。図書館への来訪者、その羽の持ち主、フランドールは気付いたように言葉を返す。この図書館の主は自分であるし、居るのも自分くらいなのは分かっているだろうに──それに、ランプも点いているし──とパチュリーは思うのだが、如何せん相手が相手なので、それは言わずにおいた。そんなことより問題は、彼女の目的だ。何か騒ぎを起こされては非常に困る。
「お姉様は?」
「もう寝たわ、夜も明けるし。貴方こそ、こんな時間にどうしたの」
「夜更かし夜更かし、十二時過ぎのシンデレラ」
フランドールはご機嫌な様子で微笑むと、聳え立つ本棚と本棚の間を歩き眺め始めた。
「パチュリーはどうして?」
「本を、読んでいるから」
彼女が興味を持つような本などあっただろうか?パチュリーは目を細め、フランドールの姿を眼で追う。実際は特に理由もない暇潰しなのだろうが、どうにも何か別の目的があるように思えてならない。彼女の笑顔は、とても可愛らしいのではあるが、パチュリーは不安で仕方がなかった。
「凄い本だね」
「何が?」
「量。あと一冊一冊が分厚いし重い」
そう言って、フランドールは本棚から適当に本を一冊抜き出すと、両の手で代わる代わる投げ渡すなどして玩んだ。彼女ほどの力があれば、本の重みなど些細なことに過ぎないのであろうが、本の大きさに比べ些か掌が小さいので時折勢い付いた本を床に落としてしまうのは、管理衛生上よろしくないとパチュリーは顔を顰めた。
「ああ、ごめん。大事なものだもんね」
「古い物だと乱暴に扱うとすぐにバラバラになってしまうようなのもあるから、気を付けてね」
「発酵寸前かー。納豆嫌い」
まあ、勝手に持っていったまま、なかなか返さないどこぞの泥棒猫に比べれば可愛いものだとパチュリーは密かに愚痴吐いたが、当の本人は此処には居ないし、例え面と向かって言ったとしても無駄である。彼女は小さな溜め息を吐いた。
「ねぇ、パチュリー」
「ん」
手を後ろで組みながら、フランドールはふとパチュリーの方へくるりと回るようにして向き直った。パチュリーとしては、彼女が何か些細な行動をする度に落ち着かない気分である。しかし、次に発せられたフランドールの言葉は、これまた彼女を悩ませた。
「怖い?」
「は?」
何の脈絡もなく、突然そんなことを聞かれても困る。
「とりあえず、主語とかその他諸々あまり省略しないでくれる?」
「さっきからずっとそわそわしてるよ」
全然聞いていない。ただ話はどんどん進む。
「私のこと、嫌い?」
極めて、回答に迷う質問だ。所々端折られたフランドールの言葉を話の流れから補完し、パチュリーは彼女の意を読み取った。つまりは、自分が妙にそわそわしているのを彼女に見抜かれたということ。これまでずっと館に閉じ込められ続けてきた少女は、皆にそう良く思われてないことも分かっている。どちらかといえばネガティブな方向に話が向いていることにパチュリーは親指の爪を噛んだ。どう転ぼうが被害を受けるのは自分なのだ、彼女を刺激するわけにはいかない。
「嫌いではないけれど」
「けど?」
差し障りのないような言葉で、本音を言ってみることにする。フランドールがどのような気持ちから問いを投げかけてきたのかは分からないが、少なくとも下手な嘘を吐くよりはずっと良いはずだ。
「好きでもない。あえて言うなら、そう、出来るだけ静かにしていてほしいというような感じかしら」
姉であるレミリアと同じように、我が儘を言う程度ならさほど問題は無い。しかし彼女は、その精神が常に情緒不安定であり、生まれ持った能力も危険極まりないものであるがために、館の外へ出ることを禁止されている、云わば要注意人物で、関わる者としては迷惑を掛けないでほしいとか恐ろしいというのが思うところである。レミリアとは親しい仲であるパチュリーも、フランドールの相手をするのは苦手であった。
「ふーん。そう、そうなんだ」
特に表情を変えることもなくフランドールは本棚の上に飛び上がると、そこへ腰掛け、小柄な足をぶらぶらと遊ばせる。とりあえず、彼女の機嫌を損ねることだけは避けられたようで、パチュリーは胸を撫で下ろす思いだった。
「パチュリーさぁ」
「うん?」
が、そんな安堵も束の間。
「ここにある本を壊されるのと自分を壊されるの、どっちが嫌?」
パチュリーはその細い目を僅かに見開き、その表情を凍りつかせた。何という風でもない、涼しい表情をしているフランドールを見る限りはそうは思えないし、思いたくもないのだが、自分は今とんでもない窮地に立たされているのかもしれない。何気なく掌を開閉しているのが、とても恐ろしい。きゅっとして、どかーん。
「どっちも、嫌よ」
それがフランドール特有の気まぐれであることを信じて、パチュリーは至極当然の答えを返した。自分はもちろんのこと、本を壊されるのも非常に困る。どちらか選べと言われても、彼女にとって選べるようなものではないのだ。
「あー、それはそうだよねぇ。どっちも嫌だよねぇ」
フランドールは妙に納得したように頷くと、ひょいっと本棚から飛び降り、机に座り本を広げているパチュリーの方へ、とことこと歩み寄っていった。
「よく飽きないね、毎日本読んでばかり」
「え、ええ、まあ」
相変わらず話題の急転換を繰り返すフランドール。ともかく、今度こそ危機は去ったようである。
「私も毎日本を読んでいられたらねぇ」
「読む?」
「すぐ飽きる」
フランドールは肩をすくめると、パチュリーの脇に跪き、その頭をパチュリーの上腿の上へ乗せた。自身の境遇に対する皮肉にも感じられる言葉だが、多分、彼女はそんなことは意識していないだろう。
「毎日、暇?」
「特にやることもないしねー」
ランプの光を受け、不気味ささえ感じられるほどの白を暗闇に浮かび上がらせる小さな手を、パチュリーはフランドールの頭の上にそっと置いた。
「外に出たい?」
「別にそういうわけじゃないんだけどさ」
彼女の華奢な指が、手繰るようにフランドールの髪を撫でると、フランドールはくすぐったそうに小さく頭を動かした。打って変わったように今度は突然甘えられるとは、なんとも難儀なことだ。
「でも、あいつのせいで気になるんだ。あいつばっかり、遊びに行って」
そう言って、フランドールはレミリアに毒づいた。紅霧異変が解決してからというもの、レミリアは度々、博麗神社へ遊びに行くようになった。永夜異変の時にも、彼女は動いている。姉がその様子では、フランドールがそう言うのも無理のないことだとパチュリーは思う。
「仕方が無いわ、レミィは我が儘だから」
「そう、分かってる。あいつはどうしようもなく我が儘、私とは大違い」
どちらも似たようなものだと思う、が勿論そんな言葉は発せられることなくパチュリーの心の奥底にしまい込まれた。真実を口にするのは、時に残酷なことである。
「外に出たって、中に居たって、同じよ」
「私はみんなに避けられてるから?」
「そういう意味じゃないわ」
頭を回しくるりと向けられたフランドールの大きな眸を、じっと見つめ返す。こうしている限りは、彼女に一片の狂いも見つけられないというのに。
「パチュリーも、外に出ないもんね」
「そう。出たくもないわ」
「でも、私には本は無いんだよ」
パチュリーは、言葉に詰まった。言ってしまえば、その通りだった。長く永く生きていても、彼女の精神はまだまだ幼い。遊びたいのに、遊べない。遊び相手が居ない、居てくれない、居なくなる。自分には本があった、レミィも居る。しかし、彼女には何も無い。誰も居ない。何も、誰も。
「ま、仕様が無いかな。こんなこと言っていても」
と、フランドールはその身を起こしパチュリーから離れる。パチュリーはその姿をじっと見つめ、離れていった彼女の重みと体温を感じていた。彼女は、またゆっくりと本棚の方へ歩き戻っていきその前に立つと、思うところもなく並べてある本の一列に手を這わせ、その中から適当なものを一冊抜き出した。
「これ、借りていっていい?」
「別にいい、けど、読めるのそれ」
「んー、どうだろうね。あー、ゲシュタルト崩壊。あーべーつぇーでー」
この図書館の大半のものは魔導書である。内容はかなり高度かつ複雑であるし、ましてや暇潰しになど向くはずもない。しかし、フランドールが読みたいというのであれば、それを止める気にはパチュリーはなれなかった。でも、なるべく壊さないでほしい。
「もうお日様も昇るし、寝ようかな」
パチュリーに背を向けると、フランドールはぐっといっぱいに伸びをし、軽く振り返って手を振った。
「じゃあね、パチュリー」
「ええ」
フランドールは扉の方へ歩き出す。小さな足音が、だんだんと遠のいてゆく。読書に戻ろうと、ほとんど読んでもいないそのページを捲った。けれども、なんとなく気になって年季の入った扉の立てる乾いた音にパチュリーは声を上げる。
「フラン」
彼女に呼び止められ、扉を半分ほど開いたところで、フランドールの手が不自然に止まった。一瞬だけ、違和感が走る。それが何なのか、考えてみれば答えは簡単だった。
妹様と、フラン。
「なぁに?」
「あー、その」
フランドールのことをそう呼んだのは初めてで、パチュリーはささやかに緊張していた。とはいえ、特に理由などあったわけではなく、気分だ。指で机を軽く叩いたり、両手の指と指を組んだり、組み替えたりしながら、彼女はようやくそれだけ口にした。
「──おやすみ」
そう言った。
「ああ、うん」
半開きの扉の前に立ち尽くしたまま、フランドールは生返事を返す。彼女は扉の取っ手を掴んでいる自分の手に茫然と視線を注ぎながら、後ろの方に居るパチュリーを凝視していた。いつも『妹様』と、自分のことを呼んでいるパチュリーが『フラン』と呼び方を変えたのはとても奇妙なことで、その奇妙さの根本に何があるのか、フランドールには分からなかった。
「おやすみ」
ただ、悪くはない。そう思った。
「暇になったら」
「え?」
「また来ればいいわ。本の読み聞かせぐらいなら、してあげる」
まただ。また、奇妙なことを言う。私に関わるのは極力避けたいと思っているんじゃなかったか。だのに、そんなことを言う。全く可笑しくて、可笑しなことだと、フランドールは笑った。
「気が向いたら、ね」
「そう」
扉がゆっくりと開けられ、そして閉じられてゆく。最後に、フランドールは人差し指を顎に当て、何かを考えるように小さく唸ると、こう言ってから扉を閉じた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「──パチェ」
おわり
まさにタイトル通り。
話は変わって、今行って来て確認しましたがゲー音の方のまーれおさんなんですね。
一度感想を書き込んだことがある程度ですが、着メロの妖魔夜行は愛用しております。
次回作のSSも着メロも楽しみにしています。
地の文が丁寧に書かれていて、パチュリーの感情がするすると伝わってきました。
ただ、個人的な意見を言わせて貰えば、雰囲気だけの作品だと思います。もう一ひねり欲しかった。