幻想郷に陽が昇る。
どこぞの冥界に集められていた春も顕界に戻り、今は少し遅めの早春といったところだ。
朝焼けに彩られながら、空を飛んでいく箒とそれにまたがる人の姿がある。人の名前は霧雨 魔理沙という。ちなみに箒の名前はわからない。
――むう~、なんか目が冴えるぜ。完徹すると眠気がなくなるんだよな。
そんな感じでふらふらと飛行しているうちに、前方に人らしき姿が浮かんでいるを見かけた魔理沙は、なんとなしにそこへ近づいていった。相手も魔理沙に気がついたようで、お互いに距離を縮めるかたちになる。相手の顔が見える距離まで接近したとき、同時に声があがった。
「なんだ、アリスか」
「魔理沙……、『なんだ』とはお言葉ね」
珍しく朝の散歩を楽しんでいたアリス・マーガトロイドの額に、シワが寄った。魔理沙とアリス、この二人は、共に蒐集家であることのライバル意識かそれとも単に性格が合わないのか、なんにせよ仲が悪い。
「まあいいわ。あんたに構ってもしょうがないしね」
対する魔理沙といえば、普通に飄々とした態度である。
「はっはっは。そこまで言うんなら構ってもらってやってもいいんだぜ?」
「冗談じゃないわ」と言って、あきれたのか強がっているのか判断するのに微妙な顔をすると、「今日は行くところがあるの。それじゃあね」
「なんだなんだ、構ってくれないのか。つれないぜ」
「私はそうそうつられないわよ」
そう言い捨てるとアリスは魔理沙から離れ、どこかへ行こうとする。
「つれないなら、つれるまで待ってみるぜ」
魔理沙と別れたアリスは、ある場所を目指して飛んでいた。
「ったく、余計な時間をくっちゃったわ」
上昇し、雲を突き抜けると、そこは白の絨毯と青の天蓋だけが支配する空間。
「やっぱり冷えるわね……」
アリスが行こうとしているのは幽界に通じる結界であった。昨夜、ふとあの結界のことを思い出したのだ。あの結界の向こうがわには死者の集う場所、白玉楼があるのは知っていた。白玉楼には珍しいものがあることだろう、なんせ幽霊ばかりなんだし、悪名高き西行妖も見られるかもしれない。……アリスは日が昇ったら行ってみようと思い、寝ることにした。なぜすぐに行こうとしなかったのかは、夜中に幽霊ばかりの場所に行くのが怖かったからではない。多分。
「そうよそうなのよ別に怖いわけじゃないのよ「怖い?」ただ探索は明るいほうがいいってなだけで別に暗い場所で幽霊に出くわすのが嫌「幽霊とな」ってわけじゃあない……」くるりと後ろを向き、「ちょっとそこの単色刷り」
「ん? 私か?」
青と白の空間に抵抗するかのように、そこには黒と白を主体にした少女がいた。もっとも、白の部分は景色と同化していたが。
「あんた以外に、いまここを飛んでいる白黒なんていないわよ」
「ていうか人影すらないぜ……」
「なんで魔理沙がついてくるのよ」
「そりゃあれだ。私の前をたまたまお前が飛んでいた……ってやつだな。んで、なにやらぶつぶつ言ってたようだが?」
「うっ、聞いてたの?」
「うんにゃ。聞いてなんかいないぜ」
「そう」と、魔理沙の耳に入らなかったことに安堵しかけると、
「聞いてはいないが、聞こえてはきたぜ」
「同じことじゃない!」
顔を赤らめながら憤慨するアリスを眺めつつ、魔理沙は語った。
「こっちの方角と『幽霊』……ということは、白玉楼に行くつもりなんだな?」
「ええそうよ……」
などと言い合っているうちに、遥か前方に幽世と現世を隔てる結界たる大扉が見えてきた。この結界、つい最近とある紅白巫女に破られてからというもの、開きっぱなしである。幻想郷に春が戻ってきた後、白玉楼の死人嬢の結界修復の要請を受けてもまったく動かずに三度寝を決め込んでいたスキマ妖怪に会いに行ったのは、他でもない魔理沙を含めた三人組だ。
「って、直ってないぜ。あの妖怪……また寝てるな?」
魔理沙は先日吶喊したときのままの結界を見て、呟いた。そのとき大扉の方から、ものすごい速さでこちらへ向かってくる『モノ』に、二人とも気がついた。その速さたるや、二百由旬をひと翔けする勢いである。あくまで喩えではあるが、もしかしたら……の可能性もある。なにしろ『モノ』の背後には白い円盤のようなものが発生していた。一般に「ソニックブーム」の名で知られる現象である。
「ち、ちょっと、ぶつか」「そんなこと言っとく前に避けようぜー、アリス」
アリスがうろたえているあいだに、魔理沙はちゃっかり退避していた。直撃はおろか衝撃波にも耐えられるくらいのところまで、しかも身を守る結界つき。
「な……いつのまに!?」
とアリスが言い放った瞬間、前方の未確認飛行庭師はアリスの存在に気付いたようで、急ブレーキをかけてきた。途端に高速移動していた『モノ』の後ろに追随していた衝撃波が辺りに拡散する。この場に居たのは二人半と半幽霊。半分人間半分幽霊の一人前は、当事者ということもあってか無意識的に自身に結界を張っていた。白黒の魔法使いは防御しつつ退避していた。
結果、無防備な人形遣いだけが吹っ飛ばされた。
「おー、景気良く飛んでったな。まあいいや。で……どうしたんだ妖夢? 楳図○ずおタッチの顔をしてたが」
「ぜっ……そんな……はぁ……顔…………はぁ……してない……っ」
「まぁ落ち着け。息を整えろ。気をつけろ。誰も信じるな。レーザーガンを手放すな!」
「なにワケのわからないこと言ってんのよ」
「おおアリス。心配したぜ」
「咄嗟に障壁を張ったけど、きわどかったわ。で、まあいいや……って、誰の台詞だったかしら?」
「犯人はこの中にいる!……にこやかに仏蘭西人形を取り出すのは勘弁な」
「英吉利人形なら犯人がわかるかしらね? まあいいわ。あの程度じゃ、私はどうってことないし」
「きわどかったんじゃないか?」
「外部の犯行ね。それで、さっきからここで必死に酸素吸ってるのは誰よ。あんたの知り合いなの?」
「おう。私の知ってる妖夢が双子だったり三つ子だったり分裂増殖してなかったりするんなら、こいつは魂魄 妖夢って名前のはずだが」
半分必要不可欠な呼吸がようやく半分落ち着き、妖夢は魔理沙とアリスに正対した。
「ふぅー……。ちょっと霧雨魔理沙! 私は分裂なんてしない……はふぅー」
「む、復活したか。して、なにをそんなに慌ててたんだ? お嬢さんの@マークがPとSに変わってたか?」
「そんなわけないでしょうが……! ち、ちょっと吃驚したのよ」
「ほうほうほほう。で、どうしたんだ?」
妖夢は話したものかどうか逡巡し、やがて意を決して口をひらいた。
「それが……。白玉楼の庭を掃除しようとしてたの、桜の花が散ったから。そしたら毛玉が……」
「毛玉? 庭師やってるんだから毛虫やら毛玉なんかにゃー慣れてるんじゃないのか? っていうか白玉楼だから毛玉の幽霊か」
「そりゃ慣れてる。じゃなくちゃ庭師なんて出来ない。……そうじゃなくて、でっかい毛玉が」
「でっかいって……どれくらい?」
思い出したくもないことを無理やりにでも記憶から引っ張り出し、妖夢は言った。
「西行妖より……少し大きいくらい」
それを聞いた魔理沙は『西行妖より少し大きい毛玉』を想像する。ちょっと鳥肌が立った。
「うあ~キッツイなそれ」
「それが二つ――片方はかなり小さかったけど――それが――大きいほうに喰べられるように――二つが……ヒヒヒヒ一つフタツみっつヨッツツツ」
「落ち着け妖夢!」
「はっ!? あああ……幽々子様が帰ってくるまでになんとかしないと……」
「ゆゆちーいないのか」
「ゆゆちー言うな。昨日の宵口あたりから出かけてるんだけど……」
「紫にでも会いに行ったか? それはそうと、そのでか毛玉ってのを拝んでみようか、アリス」
「え!?」
アリスと妖夢の声が重なった。
「連れてってくれたら手伝うからさー」という一言で妖夢は、魔理沙となんだかんだで巨大毛玉に興味を示しているアリスの二人を先導しつつ冥府に入り、永遠に続くかのような階段を真下に臨みながらしばらく進んだ。辺りの桜は、花が半分ほどが葉になり、桜色と萌黄色の光彩が乱舞していた。
「暑ちー。ここは一足先に夏になってるな」
白玉楼に入り、二百由旬はあるという(死人嬢 談)庭をしばらく進む。あたり一面は桜の花が落ちて、桜色の絨毯が敷かれているような気すら起こさせるほどだった。
「あれだけの桜が咲いたんだから、こうもなるわな」
「片付けがね……はぁ……」
妖夢はかなり憂鬱そうだ。やはりこの時期は、あの大量の桜の後処理が大変なのだろう。
「ここらへんだったはず……いた!」
妖夢が指差した先は、毛だった。
ときおり表面の毛が波立ち、目に見えない風のカタチを見せてくれる。ただ冥界のこの場所・この時には、風などまったく吹いていないにもかかわらず。
また森の梢が葉のざわめきを、森の声を聞かせてくれるように、巨大毛玉からも何かの音が聞こえてくる。しかしそれはゴゴゴゴゴという轟きだったり、ギチギチギチなどという謎の声ではあったが。
唐突に毛玉が視界いっぱいに忌まわしく蠢く様を唐突に見せられたら、大抵の者は叫ぶか逃げるかしただろう。もっとも幻想郷には、そんなものなんぞに動揺しない人間(とその他)も居るだろうが、残念ながら魂魄妖夢はそういった類ではなかった。
「ほっほー良く育ってるぜ~。育ち過ぎの気もするが」
口を開けたのは魔理沙だけであった。アリスと妖夢は何かを喋ろうと口を開き、何も言わずに口を閉じた。
正しく、それは毛玉だった。まごうことなき毛玉。……ただし大きさが『西行妖の倍以上』でなければ、であるが。ショックから立ち直ったアリスが、魔理沙に続いた。
「誰か……旧支配者でも呼び出したりしたのかしら」
「いや、これはなんかのひみつ道具を使ったのではないかと……っと、妖夢ー帰ってこーい」
「はっ!?」
やはりさっきの衝撃が大きかったのか、妖夢はまた『あちら側』へ行きかけていた・
「はい集合ー。おいおいおいおいどうするよあれ」
「排除」
妖夢がにべ無く言い放つ。
「殺(や)る気だぜ妖夢……」
「他にも手はあるんじゃない?」
「おおアリス、都会派なところをみせてくれ」
「そうね、二つ三つ挙げると……
1、一旦撤退。再襲撃の予定は未定。以後放置
2、とりあえず世紀末予言かなにかのせいにして帰る。以後放置
3、そう かんけいないね
といったところかしら」
「どれを選んでも結果が同じ気がするのは、やっぱり気のせいなのか?」
「原因は……あの木のせいかしらねー?」
露骨に目を逸らしたアリスの目線の先にあるのは、ここより少し離れた場所にある西行妖。魔理沙が以前に見たときよりもその禍禍しさが薄れているのが、遠目からでもわかる。
魔理沙は西行妖と毛玉の群れを交互に観察し、あることに気がついた様子を見せた。
「そうかもしれないぜ。ついでに言うとあの毛だまり、他にも小さな妖精とか低級精霊なんかも混じってるな」
アリスがまたあの毛塊に注意を向ける。魔理沙の言うとおり、あのでかぶつは毛玉だけで成っているわけではなかった。毛玉以外にもさまざまな小さいモノたちが集まり、一つにまとまっている。しかし殆どが毛玉なため、やっぱり大毛玉にしか見えないのだが。
「ふー……ん、そうみたいね。それで?」
「あのカタマリって、少しづつ西行妖に近づいてるように見えないか」
さっきの魔理沙のように両方を観察するアリス。なるほどその言葉のとおり、カタマリが西行妖のほうへと移動しているように見えるかもしれない。
「さて、早速あの怪奇物体を間近で見てみようぜ」
と言い、魔理沙は進路を毛玉に向ける。その後に、もう帰ろっかなー的な雰囲気が全開のアリスと、腰がやや引け気味な妖夢が続いた。
遠目からではただ『毛玉のでかくなったもの』としか見えなかったが、近づいてみるとそれが『普通の毛玉が陣形を組んでいるもの』という様相を呈しているのがよくわかる。その周りを小さな妖精が一人、元気に飛び回っていた。
「おーし、みんなできるだけ今いる位置を維持してくれな! あんま長くはかからないだろうから、頼むよ!……ん?」
妖精の視界の端に、こちらへやってくる三人組が捉えられた。そちらに向き直る間に、三人組が妖精の正面へと到着した。
三人のうち、二振りの刀を携えた少女が口を開いた。左腰の一刀に、左手がさりげなく添えられている。
「『これ』は、あんたが指揮してるの?」
「そうよ。……ちょっと事情があってね」
妖精は巨大毛玉を見ながら答えた。
「なぜここに、こんな――ものを?」「これって……何かの陣かしら?」
妖夢の問いにアリスの声がかぶさる。妖精はどちらに返答したものか逡巡し、両者に答えればいいと判断した。
「この陣はね……中にいるものと構成しているものを同時に護る、立体魔方陣よ。それで、この中にいるものを保護するためにこれを造った――と。これでいいかしら?」
「立体で魔方陣を……」
たしかにこの巨大毛玉には、強固な壁という認識を与えるだけの威容がある――とアリスは感じた。
どうやら敵ではなさそうかな、と妖夢は判断し、左手を鞘から離す。
「しかし……なぜにこんな、ものものしい陣形を組んでまで、なにから防御してるんだ?」
先ほどから思案をめぐらしていた魔理沙が言う。その口調は問うているというより、確認をしているようだった。
「あのバケモノ桜よ」妖精は西行妖を指差し、「あれの妖気が、私の同族にとり憑いてね。仕方なくここで持久戦なんかをやってるのよ。もうちょっと辛抱すれば、あっちがへたれると思ったから」
「そんな……まさか」
妖夢は信じられないという表情で呟いた。
「あんたたちも気をつけなさいよ。ここらへんにもあいつの影響が届いてるんだから」
三人は西行妖のところへやってきた。直接そこまで飛んでは行かず、ある程度のところまで来たら徒歩に切り替える。
「ここらへんは、桜の花びらが片付けられてるな」
「西行妖はこの前全部散ったから、最初にやったの」
などと話しながら西行妖に近づく。変化に気付いたのは、白玉楼の庭師・妖夢だった。
「西行妖に……蕾!?」
それは近くで見ても発見できるかどうかわからないほどまばらに、春の訪れを知らせるのではなくむしろ春の残滓を必死につなぎ止めているかのように、ひっそりとしがみついていた。
「これはこれは……」
魔理沙も驚きを隠さずに呟いた。この中でただ一人蚊帳の外なのが、西行妖にまつわる事件の当事者ではないアリスだった。
「……? 蕾くらいでなにを驚いてるのよ?」
「ん、ああ。そうか、アリスは知らないか。私も幽々子や紫がちらほら話したのを聞いただけなんで、断片的にしか知らないんだが……」
と、ここで一旦考えをまとめるように間をおいて、
「あの桜……あれが西行妖な。あれが咲くとどうやらスンゴイ事になるそうだ。で、ついこのあいだ満開になりかけたけど、結局は咲かず仕舞いだった。ていうか私たちが止めたんだがな。
んーと、たしか西行妖が『何か』を封印してるんだか、『何か』が西行妖を封印してるんだか覚えてないが、とにかく花が満開になると封印が解けるそうだ」
「西行妖は……」妖夢が付け加えるように切り出す。「西行妖は、人心を惑わす魅力を持ち、妖力を備え、かつて数多の人間をとこしえの眠りにいざなった……と」
「それなら、こんなに近づいて大丈夫なの? もっと離れたほうが……」
とアリス。西行妖にまつわる『いわく』を知ったためか、やや警戒しているようだ。
「うーん、でもまあ封印されてるし、いまんとこなんともないっぽいから大丈夫だろうとは思うぜ」
「その封印が解けかかってたり……しないわよね?」
「それなら心配はないはず」
妖夢は目の前の妖樹に意識を集中し、何かを探っているようだった。
「西行妖からは僅かに妖気を感じるけれど、それも増える様子が全然ない。むしろそれも、少しづつ減っている……?」
「ってーことは、あの蕾はたいして気にすることはない、のか……?」
唐突に、魔理沙の鼻先を何かが横切った。目で追うと、それは白に淡い桃色がかった――桜の花びら。
焦点を少し先へ伸ばすと、辺り一面には花が雨のように降っている。目くるめく桜花の乱舞に、魔理沙は虜となった。
更にその先には、桜を身に纏った西行妖が立っている。
――綺麗だ……
自分が自分でないような、頭の中にもやがかかったような気持ちで、魔理沙は西行妖へと歩いていく。
――いい気持ち……眠いな……
ちょうど良い場所にある木の窪みに魔理沙がうずくまろうとしたとき、だれかに肘を引っ張られた。
「魔理沙! あんたどうしたのよ!?」
――アリス……
反射的にその名前が浮かんだが、『アリス』というのが何なのか分からない。混濁した思考の中で、やがてその名前の意味も、名前のことすら消えていってしまった。
「ちょっと、ふざけてるの!? どうしちゃったのよ!」
肩を掴まれ、おもいきり揺さぶられる。また『アリス』という名前が浮かんだ。
「しかたないわ。ちょっと手荒にいくわよ」
頬に衝撃がくる。そのとき、さっきの単語が頭の中で反響した。さらに衝撃。こんどは逆側の頬だ。また『アリス』という名前が響き、強くなる。三度、四度……と繰り返されるうち、いつのまにか『アリス』という言葉で頭の中はいっぱいになっていった。
――痛い……
衝撃。
――痛いって……
衝撃。衝撃。
――痛いって、ありす……
衝撃。衝撃。衝撃。
「痛いぞアリス!」
いつのまにか、もやは晴れ、思考が澄み渡っていた。
「やっと気がついた……。ったく、しっかりしてよね?」
「……? そういやなんで私がビンタをくらってるんだ?」
「あんたねぇ……立ち尽くしたかと思うといきなり樹の根元に座り込むもんだから、どうしちゃったのかと驚いたわよ」
「私が……?」
「そうだ、あの子も様子が変なのよ」
そう言うアリスの目線の先に、妖夢が立っている。しかしその目の焦点は明らかに合っていない。
「お……おい、妖夢!」
魔理沙が妖夢の肩を掴む。その途端、目に光が戻った。
「あ……れ?」
今まさに夢から覚めた、という面持ちで妖夢は周囲を見まわす。
「なるほど、私もこんな様子だったわけだ」
「あんたの場合はもっと重症だったけどね」
「えーと、いったい何が?」
「どうやらこいつのせいみたいだぜ」
と言い、魔理沙は西行妖を指差す。
「ようやく、さっきのことを思い出しはじめたぜ。妖夢、意識がぼんやりしていくとき、なにが見えた?」
「見えたもの……桜……西行妖に、桜の花が咲いていたような」
「やっぱりか」
「? 何言ってるのよ。あの樹に花なんて咲いてないじゃない」
アリスの言葉どおり、西行妖には蕾こそあれ、花など一欠けらも付いてはいなかった。
「あーそれはな、アリスはあいつが花を咲かせてるところを見たことが無いだろ?」
「ええ……ここに来るのだって初めてなんだから」
「『呪』ってところか。あいつの花を見たことのあるやつはその想像がしやすいから、呪にかかりやすいんだろうな」
「樹が呪なんて……」
「ありゃただの妖樹じゃないぜ。いろんな人間の屍を養分にしてきてるんだからな」
魔理沙の言葉に、アリスはより一層警戒を強くしたようだ。
「っていうか、なんであいつがこんなに活動的になったんだ?」
「きっと、幽界と現世との結界が開いたままで、顕界の影響がここまできてるのでは」
妖夢の言に、魔理沙も同意する。
「そーか、そうかもしれないな」
三人はしばらく、西行妖に面と向かっていた。申し合わせたわけでもないのに、三つの声が重なった。
「とりあえずこうなった原因はさておき、こいつを先にどーにかしなきゃならない……よなぁ」
「面倒ねぇ……」
「これも庭師の勤めなれば」
妖夢は背の二刀を抜いて構え、アリスはどこからともなく人形たちを呼び出し、魔理沙は詠唱を始める。
巨大毛玉要塞の内部には、人間が一人いても窮屈しない程度の空洞が存在した。その空間では、春の妖精・リリーホワイトが持てる力のすべてを振り絞っていた。
幻想郷に陽が昇る少し前ごろ、彼女は雲海を枕にしながら星を眺めていた。そのとき、同じように雲の上を滑るように舞っていた、自分の手のひらに乗るほど小さな、妖精と知り合いになった。小さな妖精がリリーの朗らかさを慕い、リリーもまた妖精に親しみを抱くのに、時間はかからなかった。二人の妖精はまるで以前からの知己であったかのように、打ち解けあった。
東の空が紺色になりかけたその時、リリーは胸にざわめきを感じ、辺りを見回した。いつのまにやら、冥界の入り口である大扉の所まで来てしまっていた。ここから離れるべきだ――そう考えたリリーは、連れの妖精に話し掛けようとした。妖精もまた同じことを思って、双方の目があった瞬間、妖気が二人を捉えた。
背筋を得体の知れない『何か』がつたった。リリーは妖気を打ち払うことができたが、共に居た者はそうもいかなかった。リリーは友人の異常を、小さき身が何かにとり憑かれたことを、すぐさま察知した。目はうつろになり、引き寄せられるように冥界へと入っていく。
その後、妖精にまとわりつく気配を振り払おうとしたが、泥のようにこびりついてしまっていてキリがない。仕方なくリリーは、一直線にどこかへ行こうとする友を無理やり引き止め、その場から、少なくとも冥界からは離れようとした。しかしその小さな体を引くことはおろか、留めることすらできず、逆にリリーが引っ張られてしまうほどであった。おまけに滑って転んで石階段に頭をぶつけて痛くて涙目になりながらも、その手は離さない。
冥界の入り口でおきた予想外の事態にリリーが四苦八苦しているところへ、通りすがりの妖精が現れた。リリーが簡単に状況を説明し、対処に困っていることを伝えると、その妖精は応援を求めに飛び出していった。
友人をその場に止めようとリリーが奮戦し、幻想郷の夜が朝と交代しつつあるとき、応援が到着した。
天と雲の溶け合う線上に差す白光を背後に、黒い影の大群が押し寄せてきたとき、リリーは歓喜した。そしてその軍勢が毛玉だとわかったとき、リリーは絶望した。
リリーはどこかへ逃げようと本気で考えた。しかし友人を放っておくことはできないし連れていくことができるならそもそもこんな場所からはとっとと離れているし、どうすればいいんだ……といよいよ追い詰められた矢先に、目の前では先刻の妖精が手を振っていた。
妖精が連れてきた応援の中には、毛玉ではない精霊や小妖精も少しだが含まれていた。そうした者たちはリリーの友人を抑えるのに手を貸し、毛玉たちは少しでも呪縛の遮断になればと、周囲をかこんだ。リリーは皆が、というより毛玉たちが妖気に耐え切れるかどうか不安に思ったが、当の毛玉たちにおかしな様子は無い。もしかしたら群れて一つの個体になるのだろうか……などと考えているうちに、包囲は完成していた。
こうして、外からは巨大な毛玉にしか見えない物体が現れた。
それから、謎の爆風でみんな吹き飛ばされそうになったり、その直後に応援の第二陣が到着して体積が倍増したりしながらも、リリーは知り合ったばかりの友人を救うために、奮闘し続けた。
「まったく、意外にしぶといぜ」
西行妖の周囲で妖気が渦巻き、凝縮され、形を成して打ち出される。魔理沙は上下左右に舞いながらこれを避けた。
空中には魔理沙、地にはアリスと妖夢が西行妖とはやや離れたところで並んでいる。
「あーもーしつこいわねぇ。魔理沙! 奥の手があるんなら使っちゃいなさい」
「残念! 私のは奥の手じゃなくて切り札だぜ」
「同じなのでは……?」と妖夢。西行妖にむかって楼観剣と白楼剣を振るうが、瞬時に現れた障壁にはじかれ、仕方なく間合いをとる。「くっ……どこにこんな力を隠してたの!?」
「ほらスターダストレバニラとかいうのでもなんでもいいから」
「わざと間違えただろ……」
アリスを半眼で睨みつつ、高速で唱えた詠唱が完成した瞬間、魔理沙の周囲を六芒の魔方陣がいくつも駆け巡る。魔方陣からは星型の七色弾が一つ、二つ、四つ、八つ……と際限なく飛び出し、やがて魔理沙の周りは七色の弾雨で満ちる。
魔理沙を『目』とする弾幕の台風が、西行妖を直撃した。
西行妖の防御は攻撃される場所に先まわって障壁を形成する、いわば点での防御である。いまの枯れかけの西行妖には、これが最適であり、これで精一杯であった。
しかしランダムな動きをする大量の星屑を前にして、流石にこれではマズいと判断したのか、ここで初めて全身を防御することにしたようだ。
その隙を逃さず、星屑を回避しながら妖夢が西行妖に向かって加速する。一歩目で亜音速、二歩目で音速、三歩目で音速を超える。超音速で叩き込んだ妖夢の一撃で、西行妖を覆う障壁に大きな穴が開いた。そのまま妖夢は西行妖の脇を抜け退避する。
そこへトドメとばかりに、アリスが一条の光線を放つ。光は妖夢が開けた隙間に入り、西行妖を直撃した。しかし、アリスの安堵も一瞬で終わった。
西行妖の光撃もまた、アリスを狙っていた。しかしアリスは体制が追いつかず動けない。
「!!!」
アリスの目の前が真っ暗になる。やがてわが身を襲うだろう死に、目を瞑る。
だが昏い消滅は永遠にやってこない。かわりに、黒の救いがでしゃばってきた。
アリスの前に立ちはだかった霧雨魔理沙は、冷や汗をかきながらも、それでもなお顔には笑みが残したまま、両手を前に伸ばす。そのとき――瞬間を刹那で等分したうちの一コマの間に――紫電が収束し、雷光が辺りを埋め尽くさんばかりに薙ぎ払われた。
あまりの眩しさに目を閉じていたアリスと妖夢は、目を開けたときの景色が数瞬前とどれほど合致するのか想像しながら、見る。意外にも、地面に少し焦げ目がついているだけで他に景観が損なわれている様子は無い。
ただし、西行妖の蕾はもう存在していなかった。
「ふはー。かなりしんどかったぜ」
「魔理沙……あんな魔法、いつ創ったのよ」
「あー? 昨日、というか徹夜だから今日かもな、できたてほやほやだぜ」
「ぶっつけ本番だったのね……」
やや呆れ顔のアリスを尻目に、魔理沙は周囲を眺めまわす。毛玉たちはすっかりいなくなっていた。おそらく魔法の余波で散り散りに吹き飛ばされていったのだろう。かわりに、二人の、白くて大きい妖精と小さい妖精が残っていた。白い方はどこかで見たことがあるかな……と魔理沙の記憶にひっかかったが、その大きい方が見ているものまで嬉しくなってしまうほどの満面の笑みで、目を白黒させている小さい妖精を抱きしめているのを見て、どうでもよくなった。近くに寄ってみれば、白い妖精の目尻に涙がたまっているのがわかっただろう。
「なんかよくわからんが、善いことをした気分だぜ」
その嬉しさが伝播したのか笑顔の魔理沙に、アリスも続いた。
「そうね、悪い気はしないわ」
「あらあら、お客さま? それとも新顔かしら」
「幽々子様!」
いつの間にいたのか、三人の背後に白玉楼の主、西行寺 幽々子がふわふわ飛んでいた。
「幽々子様、いったいどちらへいらっしゃっていらしたんですか?」
「紫のところよ。たしか書置きを残していったはずだけど……」
「……存じませんが……?」
幽々子は袖の中や着ている服で物が入りそうな場所をあれこれまさぐり、あ、と声をあげた。
「きっとアレだ。書置きを自分で持って出かけていったんだろうな」
魔理沙のつっこみに、幽々子はホホホ、と慣れない笑いで誤魔化す。
「それでね、紫に早く結界を直してもらうようにせっついてきたのよ。彼女、夜にしか起きてないんだもの」
「それでどうして、一晩中いなくなるんですか……」
「ちょっとお酒が止まらなくてね、気づいたら夜が朝に変わっていたわ。びっくりね」
「ほほう、それであの大結界は直ったんだろうな?」
「ええ。これから寝るーとかいってたけど、強引に引っ張ってきたわ。直したらすぐに帰っちゃったけど」
幽々子のことだから、文字通り引っ張ってきたんだろうな……などと考えている魔理沙に、アリスが声をかける。
「まさかその結界って、ここの入り口のこと……だったりしないわよね?」
「だったりするぜ」
「ちょっと、帰りはどうするのよ!? まさかこのまま幽霊になれと?」
「あら新顔さんね。幽霊もなってみるといいものよ? 学校も試験もなんにも無いし」
「もともと無いから遠慮しておくわ……」
「そう、残念ね」
本当に残念そうな表情をしていた。アリスはアリスで、ここから脱出する方法を思案しているようだ。
「心配するなアリス。あの結界は下の地面を掘っていけば出られるぞ」
「刑務所から脱出するんじゃないんだから……」
その後、土まみれになりながら現世に帰ってきたアリスと、結界を上から飛び越えてきた魔理沙との間で、弾幕対決になったとかならなかったとか。
どこぞの冥界に集められていた春も顕界に戻り、今は少し遅めの早春といったところだ。
朝焼けに彩られながら、空を飛んでいく箒とそれにまたがる人の姿がある。人の名前は霧雨 魔理沙という。ちなみに箒の名前はわからない。
――むう~、なんか目が冴えるぜ。完徹すると眠気がなくなるんだよな。
そんな感じでふらふらと飛行しているうちに、前方に人らしき姿が浮かんでいるを見かけた魔理沙は、なんとなしにそこへ近づいていった。相手も魔理沙に気がついたようで、お互いに距離を縮めるかたちになる。相手の顔が見える距離まで接近したとき、同時に声があがった。
「なんだ、アリスか」
「魔理沙……、『なんだ』とはお言葉ね」
珍しく朝の散歩を楽しんでいたアリス・マーガトロイドの額に、シワが寄った。魔理沙とアリス、この二人は、共に蒐集家であることのライバル意識かそれとも単に性格が合わないのか、なんにせよ仲が悪い。
「まあいいわ。あんたに構ってもしょうがないしね」
対する魔理沙といえば、普通に飄々とした態度である。
「はっはっは。そこまで言うんなら構ってもらってやってもいいんだぜ?」
「冗談じゃないわ」と言って、あきれたのか強がっているのか判断するのに微妙な顔をすると、「今日は行くところがあるの。それじゃあね」
「なんだなんだ、構ってくれないのか。つれないぜ」
「私はそうそうつられないわよ」
そう言い捨てるとアリスは魔理沙から離れ、どこかへ行こうとする。
「つれないなら、つれるまで待ってみるぜ」
魔理沙と別れたアリスは、ある場所を目指して飛んでいた。
「ったく、余計な時間をくっちゃったわ」
上昇し、雲を突き抜けると、そこは白の絨毯と青の天蓋だけが支配する空間。
「やっぱり冷えるわね……」
アリスが行こうとしているのは幽界に通じる結界であった。昨夜、ふとあの結界のことを思い出したのだ。あの結界の向こうがわには死者の集う場所、白玉楼があるのは知っていた。白玉楼には珍しいものがあることだろう、なんせ幽霊ばかりなんだし、悪名高き西行妖も見られるかもしれない。……アリスは日が昇ったら行ってみようと思い、寝ることにした。なぜすぐに行こうとしなかったのかは、夜中に幽霊ばかりの場所に行くのが怖かったからではない。多分。
「そうよそうなのよ別に怖いわけじゃないのよ「怖い?」ただ探索は明るいほうがいいってなだけで別に暗い場所で幽霊に出くわすのが嫌「幽霊とな」ってわけじゃあない……」くるりと後ろを向き、「ちょっとそこの単色刷り」
「ん? 私か?」
青と白の空間に抵抗するかのように、そこには黒と白を主体にした少女がいた。もっとも、白の部分は景色と同化していたが。
「あんた以外に、いまここを飛んでいる白黒なんていないわよ」
「ていうか人影すらないぜ……」
「なんで魔理沙がついてくるのよ」
「そりゃあれだ。私の前をたまたまお前が飛んでいた……ってやつだな。んで、なにやらぶつぶつ言ってたようだが?」
「うっ、聞いてたの?」
「うんにゃ。聞いてなんかいないぜ」
「そう」と、魔理沙の耳に入らなかったことに安堵しかけると、
「聞いてはいないが、聞こえてはきたぜ」
「同じことじゃない!」
顔を赤らめながら憤慨するアリスを眺めつつ、魔理沙は語った。
「こっちの方角と『幽霊』……ということは、白玉楼に行くつもりなんだな?」
「ええそうよ……」
などと言い合っているうちに、遥か前方に幽世と現世を隔てる結界たる大扉が見えてきた。この結界、つい最近とある紅白巫女に破られてからというもの、開きっぱなしである。幻想郷に春が戻ってきた後、白玉楼の死人嬢の結界修復の要請を受けてもまったく動かずに三度寝を決め込んでいたスキマ妖怪に会いに行ったのは、他でもない魔理沙を含めた三人組だ。
「って、直ってないぜ。あの妖怪……また寝てるな?」
魔理沙は先日吶喊したときのままの結界を見て、呟いた。そのとき大扉の方から、ものすごい速さでこちらへ向かってくる『モノ』に、二人とも気がついた。その速さたるや、二百由旬をひと翔けする勢いである。あくまで喩えではあるが、もしかしたら……の可能性もある。なにしろ『モノ』の背後には白い円盤のようなものが発生していた。一般に「ソニックブーム」の名で知られる現象である。
「ち、ちょっと、ぶつか」「そんなこと言っとく前に避けようぜー、アリス」
アリスがうろたえているあいだに、魔理沙はちゃっかり退避していた。直撃はおろか衝撃波にも耐えられるくらいのところまで、しかも身を守る結界つき。
「な……いつのまに!?」
とアリスが言い放った瞬間、前方の未確認飛行庭師はアリスの存在に気付いたようで、急ブレーキをかけてきた。途端に高速移動していた『モノ』の後ろに追随していた衝撃波が辺りに拡散する。この場に居たのは二人半と半幽霊。半分人間半分幽霊の一人前は、当事者ということもあってか無意識的に自身に結界を張っていた。白黒の魔法使いは防御しつつ退避していた。
結果、無防備な人形遣いだけが吹っ飛ばされた。
「おー、景気良く飛んでったな。まあいいや。で……どうしたんだ妖夢? 楳図○ずおタッチの顔をしてたが」
「ぜっ……そんな……はぁ……顔…………はぁ……してない……っ」
「まぁ落ち着け。息を整えろ。気をつけろ。誰も信じるな。レーザーガンを手放すな!」
「なにワケのわからないこと言ってんのよ」
「おおアリス。心配したぜ」
「咄嗟に障壁を張ったけど、きわどかったわ。で、まあいいや……って、誰の台詞だったかしら?」
「犯人はこの中にいる!……にこやかに仏蘭西人形を取り出すのは勘弁な」
「英吉利人形なら犯人がわかるかしらね? まあいいわ。あの程度じゃ、私はどうってことないし」
「きわどかったんじゃないか?」
「外部の犯行ね。それで、さっきからここで必死に酸素吸ってるのは誰よ。あんたの知り合いなの?」
「おう。私の知ってる妖夢が双子だったり三つ子だったり分裂増殖してなかったりするんなら、こいつは魂魄 妖夢って名前のはずだが」
半分必要不可欠な呼吸がようやく半分落ち着き、妖夢は魔理沙とアリスに正対した。
「ふぅー……。ちょっと霧雨魔理沙! 私は分裂なんてしない……はふぅー」
「む、復活したか。して、なにをそんなに慌ててたんだ? お嬢さんの@マークがPとSに変わってたか?」
「そんなわけないでしょうが……! ち、ちょっと吃驚したのよ」
「ほうほうほほう。で、どうしたんだ?」
妖夢は話したものかどうか逡巡し、やがて意を決して口をひらいた。
「それが……。白玉楼の庭を掃除しようとしてたの、桜の花が散ったから。そしたら毛玉が……」
「毛玉? 庭師やってるんだから毛虫やら毛玉なんかにゃー慣れてるんじゃないのか? っていうか白玉楼だから毛玉の幽霊か」
「そりゃ慣れてる。じゃなくちゃ庭師なんて出来ない。……そうじゃなくて、でっかい毛玉が」
「でっかいって……どれくらい?」
思い出したくもないことを無理やりにでも記憶から引っ張り出し、妖夢は言った。
「西行妖より……少し大きいくらい」
それを聞いた魔理沙は『西行妖より少し大きい毛玉』を想像する。ちょっと鳥肌が立った。
「うあ~キッツイなそれ」
「それが二つ――片方はかなり小さかったけど――それが――大きいほうに喰べられるように――二つが……ヒヒヒヒ一つフタツみっつヨッツツツ」
「落ち着け妖夢!」
「はっ!? あああ……幽々子様が帰ってくるまでになんとかしないと……」
「ゆゆちーいないのか」
「ゆゆちー言うな。昨日の宵口あたりから出かけてるんだけど……」
「紫にでも会いに行ったか? それはそうと、そのでか毛玉ってのを拝んでみようか、アリス」
「え!?」
アリスと妖夢の声が重なった。
「連れてってくれたら手伝うからさー」という一言で妖夢は、魔理沙となんだかんだで巨大毛玉に興味を示しているアリスの二人を先導しつつ冥府に入り、永遠に続くかのような階段を真下に臨みながらしばらく進んだ。辺りの桜は、花が半分ほどが葉になり、桜色と萌黄色の光彩が乱舞していた。
「暑ちー。ここは一足先に夏になってるな」
白玉楼に入り、二百由旬はあるという(死人嬢 談)庭をしばらく進む。あたり一面は桜の花が落ちて、桜色の絨毯が敷かれているような気すら起こさせるほどだった。
「あれだけの桜が咲いたんだから、こうもなるわな」
「片付けがね……はぁ……」
妖夢はかなり憂鬱そうだ。やはりこの時期は、あの大量の桜の後処理が大変なのだろう。
「ここらへんだったはず……いた!」
妖夢が指差した先は、毛だった。
ときおり表面の毛が波立ち、目に見えない風のカタチを見せてくれる。ただ冥界のこの場所・この時には、風などまったく吹いていないにもかかわらず。
また森の梢が葉のざわめきを、森の声を聞かせてくれるように、巨大毛玉からも何かの音が聞こえてくる。しかしそれはゴゴゴゴゴという轟きだったり、ギチギチギチなどという謎の声ではあったが。
唐突に毛玉が視界いっぱいに忌まわしく蠢く様を唐突に見せられたら、大抵の者は叫ぶか逃げるかしただろう。もっとも幻想郷には、そんなものなんぞに動揺しない人間(とその他)も居るだろうが、残念ながら魂魄妖夢はそういった類ではなかった。
「ほっほー良く育ってるぜ~。育ち過ぎの気もするが」
口を開けたのは魔理沙だけであった。アリスと妖夢は何かを喋ろうと口を開き、何も言わずに口を閉じた。
正しく、それは毛玉だった。まごうことなき毛玉。……ただし大きさが『西行妖の倍以上』でなければ、であるが。ショックから立ち直ったアリスが、魔理沙に続いた。
「誰か……旧支配者でも呼び出したりしたのかしら」
「いや、これはなんかのひみつ道具を使ったのではないかと……っと、妖夢ー帰ってこーい」
「はっ!?」
やはりさっきの衝撃が大きかったのか、妖夢はまた『あちら側』へ行きかけていた・
「はい集合ー。おいおいおいおいどうするよあれ」
「排除」
妖夢がにべ無く言い放つ。
「殺(や)る気だぜ妖夢……」
「他にも手はあるんじゃない?」
「おおアリス、都会派なところをみせてくれ」
「そうね、二つ三つ挙げると……
1、一旦撤退。再襲撃の予定は未定。以後放置
2、とりあえず世紀末予言かなにかのせいにして帰る。以後放置
3、そう かんけいないね
といったところかしら」
「どれを選んでも結果が同じ気がするのは、やっぱり気のせいなのか?」
「原因は……あの木のせいかしらねー?」
露骨に目を逸らしたアリスの目線の先にあるのは、ここより少し離れた場所にある西行妖。魔理沙が以前に見たときよりもその禍禍しさが薄れているのが、遠目からでもわかる。
魔理沙は西行妖と毛玉の群れを交互に観察し、あることに気がついた様子を見せた。
「そうかもしれないぜ。ついでに言うとあの毛だまり、他にも小さな妖精とか低級精霊なんかも混じってるな」
アリスがまたあの毛塊に注意を向ける。魔理沙の言うとおり、あのでかぶつは毛玉だけで成っているわけではなかった。毛玉以外にもさまざまな小さいモノたちが集まり、一つにまとまっている。しかし殆どが毛玉なため、やっぱり大毛玉にしか見えないのだが。
「ふー……ん、そうみたいね。それで?」
「あのカタマリって、少しづつ西行妖に近づいてるように見えないか」
さっきの魔理沙のように両方を観察するアリス。なるほどその言葉のとおり、カタマリが西行妖のほうへと移動しているように見えるかもしれない。
「さて、早速あの怪奇物体を間近で見てみようぜ」
と言い、魔理沙は進路を毛玉に向ける。その後に、もう帰ろっかなー的な雰囲気が全開のアリスと、腰がやや引け気味な妖夢が続いた。
遠目からではただ『毛玉のでかくなったもの』としか見えなかったが、近づいてみるとそれが『普通の毛玉が陣形を組んでいるもの』という様相を呈しているのがよくわかる。その周りを小さな妖精が一人、元気に飛び回っていた。
「おーし、みんなできるだけ今いる位置を維持してくれな! あんま長くはかからないだろうから、頼むよ!……ん?」
妖精の視界の端に、こちらへやってくる三人組が捉えられた。そちらに向き直る間に、三人組が妖精の正面へと到着した。
三人のうち、二振りの刀を携えた少女が口を開いた。左腰の一刀に、左手がさりげなく添えられている。
「『これ』は、あんたが指揮してるの?」
「そうよ。……ちょっと事情があってね」
妖精は巨大毛玉を見ながら答えた。
「なぜここに、こんな――ものを?」「これって……何かの陣かしら?」
妖夢の問いにアリスの声がかぶさる。妖精はどちらに返答したものか逡巡し、両者に答えればいいと判断した。
「この陣はね……中にいるものと構成しているものを同時に護る、立体魔方陣よ。それで、この中にいるものを保護するためにこれを造った――と。これでいいかしら?」
「立体で魔方陣を……」
たしかにこの巨大毛玉には、強固な壁という認識を与えるだけの威容がある――とアリスは感じた。
どうやら敵ではなさそうかな、と妖夢は判断し、左手を鞘から離す。
「しかし……なぜにこんな、ものものしい陣形を組んでまで、なにから防御してるんだ?」
先ほどから思案をめぐらしていた魔理沙が言う。その口調は問うているというより、確認をしているようだった。
「あのバケモノ桜よ」妖精は西行妖を指差し、「あれの妖気が、私の同族にとり憑いてね。仕方なくここで持久戦なんかをやってるのよ。もうちょっと辛抱すれば、あっちがへたれると思ったから」
「そんな……まさか」
妖夢は信じられないという表情で呟いた。
「あんたたちも気をつけなさいよ。ここらへんにもあいつの影響が届いてるんだから」
三人は西行妖のところへやってきた。直接そこまで飛んでは行かず、ある程度のところまで来たら徒歩に切り替える。
「ここらへんは、桜の花びらが片付けられてるな」
「西行妖はこの前全部散ったから、最初にやったの」
などと話しながら西行妖に近づく。変化に気付いたのは、白玉楼の庭師・妖夢だった。
「西行妖に……蕾!?」
それは近くで見ても発見できるかどうかわからないほどまばらに、春の訪れを知らせるのではなくむしろ春の残滓を必死につなぎ止めているかのように、ひっそりとしがみついていた。
「これはこれは……」
魔理沙も驚きを隠さずに呟いた。この中でただ一人蚊帳の外なのが、西行妖にまつわる事件の当事者ではないアリスだった。
「……? 蕾くらいでなにを驚いてるのよ?」
「ん、ああ。そうか、アリスは知らないか。私も幽々子や紫がちらほら話したのを聞いただけなんで、断片的にしか知らないんだが……」
と、ここで一旦考えをまとめるように間をおいて、
「あの桜……あれが西行妖な。あれが咲くとどうやらスンゴイ事になるそうだ。で、ついこのあいだ満開になりかけたけど、結局は咲かず仕舞いだった。ていうか私たちが止めたんだがな。
んーと、たしか西行妖が『何か』を封印してるんだか、『何か』が西行妖を封印してるんだか覚えてないが、とにかく花が満開になると封印が解けるそうだ」
「西行妖は……」妖夢が付け加えるように切り出す。「西行妖は、人心を惑わす魅力を持ち、妖力を備え、かつて数多の人間をとこしえの眠りにいざなった……と」
「それなら、こんなに近づいて大丈夫なの? もっと離れたほうが……」
とアリス。西行妖にまつわる『いわく』を知ったためか、やや警戒しているようだ。
「うーん、でもまあ封印されてるし、いまんとこなんともないっぽいから大丈夫だろうとは思うぜ」
「その封印が解けかかってたり……しないわよね?」
「それなら心配はないはず」
妖夢は目の前の妖樹に意識を集中し、何かを探っているようだった。
「西行妖からは僅かに妖気を感じるけれど、それも増える様子が全然ない。むしろそれも、少しづつ減っている……?」
「ってーことは、あの蕾はたいして気にすることはない、のか……?」
唐突に、魔理沙の鼻先を何かが横切った。目で追うと、それは白に淡い桃色がかった――桜の花びら。
焦点を少し先へ伸ばすと、辺り一面には花が雨のように降っている。目くるめく桜花の乱舞に、魔理沙は虜となった。
更にその先には、桜を身に纏った西行妖が立っている。
――綺麗だ……
自分が自分でないような、頭の中にもやがかかったような気持ちで、魔理沙は西行妖へと歩いていく。
――いい気持ち……眠いな……
ちょうど良い場所にある木の窪みに魔理沙がうずくまろうとしたとき、だれかに肘を引っ張られた。
「魔理沙! あんたどうしたのよ!?」
――アリス……
反射的にその名前が浮かんだが、『アリス』というのが何なのか分からない。混濁した思考の中で、やがてその名前の意味も、名前のことすら消えていってしまった。
「ちょっと、ふざけてるの!? どうしちゃったのよ!」
肩を掴まれ、おもいきり揺さぶられる。また『アリス』という名前が浮かんだ。
「しかたないわ。ちょっと手荒にいくわよ」
頬に衝撃がくる。そのとき、さっきの単語が頭の中で反響した。さらに衝撃。こんどは逆側の頬だ。また『アリス』という名前が響き、強くなる。三度、四度……と繰り返されるうち、いつのまにか『アリス』という言葉で頭の中はいっぱいになっていった。
――痛い……
衝撃。
――痛いって……
衝撃。衝撃。
――痛いって、ありす……
衝撃。衝撃。衝撃。
「痛いぞアリス!」
いつのまにか、もやは晴れ、思考が澄み渡っていた。
「やっと気がついた……。ったく、しっかりしてよね?」
「……? そういやなんで私がビンタをくらってるんだ?」
「あんたねぇ……立ち尽くしたかと思うといきなり樹の根元に座り込むもんだから、どうしちゃったのかと驚いたわよ」
「私が……?」
「そうだ、あの子も様子が変なのよ」
そう言うアリスの目線の先に、妖夢が立っている。しかしその目の焦点は明らかに合っていない。
「お……おい、妖夢!」
魔理沙が妖夢の肩を掴む。その途端、目に光が戻った。
「あ……れ?」
今まさに夢から覚めた、という面持ちで妖夢は周囲を見まわす。
「なるほど、私もこんな様子だったわけだ」
「あんたの場合はもっと重症だったけどね」
「えーと、いったい何が?」
「どうやらこいつのせいみたいだぜ」
と言い、魔理沙は西行妖を指差す。
「ようやく、さっきのことを思い出しはじめたぜ。妖夢、意識がぼんやりしていくとき、なにが見えた?」
「見えたもの……桜……西行妖に、桜の花が咲いていたような」
「やっぱりか」
「? 何言ってるのよ。あの樹に花なんて咲いてないじゃない」
アリスの言葉どおり、西行妖には蕾こそあれ、花など一欠けらも付いてはいなかった。
「あーそれはな、アリスはあいつが花を咲かせてるところを見たことが無いだろ?」
「ええ……ここに来るのだって初めてなんだから」
「『呪』ってところか。あいつの花を見たことのあるやつはその想像がしやすいから、呪にかかりやすいんだろうな」
「樹が呪なんて……」
「ありゃただの妖樹じゃないぜ。いろんな人間の屍を養分にしてきてるんだからな」
魔理沙の言葉に、アリスはより一層警戒を強くしたようだ。
「っていうか、なんであいつがこんなに活動的になったんだ?」
「きっと、幽界と現世との結界が開いたままで、顕界の影響がここまできてるのでは」
妖夢の言に、魔理沙も同意する。
「そーか、そうかもしれないな」
三人はしばらく、西行妖に面と向かっていた。申し合わせたわけでもないのに、三つの声が重なった。
「とりあえずこうなった原因はさておき、こいつを先にどーにかしなきゃならない……よなぁ」
「面倒ねぇ……」
「これも庭師の勤めなれば」
妖夢は背の二刀を抜いて構え、アリスはどこからともなく人形たちを呼び出し、魔理沙は詠唱を始める。
巨大毛玉要塞の内部には、人間が一人いても窮屈しない程度の空洞が存在した。その空間では、春の妖精・リリーホワイトが持てる力のすべてを振り絞っていた。
幻想郷に陽が昇る少し前ごろ、彼女は雲海を枕にしながら星を眺めていた。そのとき、同じように雲の上を滑るように舞っていた、自分の手のひらに乗るほど小さな、妖精と知り合いになった。小さな妖精がリリーの朗らかさを慕い、リリーもまた妖精に親しみを抱くのに、時間はかからなかった。二人の妖精はまるで以前からの知己であったかのように、打ち解けあった。
東の空が紺色になりかけたその時、リリーは胸にざわめきを感じ、辺りを見回した。いつのまにやら、冥界の入り口である大扉の所まで来てしまっていた。ここから離れるべきだ――そう考えたリリーは、連れの妖精に話し掛けようとした。妖精もまた同じことを思って、双方の目があった瞬間、妖気が二人を捉えた。
背筋を得体の知れない『何か』がつたった。リリーは妖気を打ち払うことができたが、共に居た者はそうもいかなかった。リリーは友人の異常を、小さき身が何かにとり憑かれたことを、すぐさま察知した。目はうつろになり、引き寄せられるように冥界へと入っていく。
その後、妖精にまとわりつく気配を振り払おうとしたが、泥のようにこびりついてしまっていてキリがない。仕方なくリリーは、一直線にどこかへ行こうとする友を無理やり引き止め、その場から、少なくとも冥界からは離れようとした。しかしその小さな体を引くことはおろか、留めることすらできず、逆にリリーが引っ張られてしまうほどであった。おまけに滑って転んで石階段に頭をぶつけて痛くて涙目になりながらも、その手は離さない。
冥界の入り口でおきた予想外の事態にリリーが四苦八苦しているところへ、通りすがりの妖精が現れた。リリーが簡単に状況を説明し、対処に困っていることを伝えると、その妖精は応援を求めに飛び出していった。
友人をその場に止めようとリリーが奮戦し、幻想郷の夜が朝と交代しつつあるとき、応援が到着した。
天と雲の溶け合う線上に差す白光を背後に、黒い影の大群が押し寄せてきたとき、リリーは歓喜した。そしてその軍勢が毛玉だとわかったとき、リリーは絶望した。
リリーはどこかへ逃げようと本気で考えた。しかし友人を放っておくことはできないし連れていくことができるならそもそもこんな場所からはとっとと離れているし、どうすればいいんだ……といよいよ追い詰められた矢先に、目の前では先刻の妖精が手を振っていた。
妖精が連れてきた応援の中には、毛玉ではない精霊や小妖精も少しだが含まれていた。そうした者たちはリリーの友人を抑えるのに手を貸し、毛玉たちは少しでも呪縛の遮断になればと、周囲をかこんだ。リリーは皆が、というより毛玉たちが妖気に耐え切れるかどうか不安に思ったが、当の毛玉たちにおかしな様子は無い。もしかしたら群れて一つの個体になるのだろうか……などと考えているうちに、包囲は完成していた。
こうして、外からは巨大な毛玉にしか見えない物体が現れた。
それから、謎の爆風でみんな吹き飛ばされそうになったり、その直後に応援の第二陣が到着して体積が倍増したりしながらも、リリーは知り合ったばかりの友人を救うために、奮闘し続けた。
「まったく、意外にしぶといぜ」
西行妖の周囲で妖気が渦巻き、凝縮され、形を成して打ち出される。魔理沙は上下左右に舞いながらこれを避けた。
空中には魔理沙、地にはアリスと妖夢が西行妖とはやや離れたところで並んでいる。
「あーもーしつこいわねぇ。魔理沙! 奥の手があるんなら使っちゃいなさい」
「残念! 私のは奥の手じゃなくて切り札だぜ」
「同じなのでは……?」と妖夢。西行妖にむかって楼観剣と白楼剣を振るうが、瞬時に現れた障壁にはじかれ、仕方なく間合いをとる。「くっ……どこにこんな力を隠してたの!?」
「ほらスターダストレバニラとかいうのでもなんでもいいから」
「わざと間違えただろ……」
アリスを半眼で睨みつつ、高速で唱えた詠唱が完成した瞬間、魔理沙の周囲を六芒の魔方陣がいくつも駆け巡る。魔方陣からは星型の七色弾が一つ、二つ、四つ、八つ……と際限なく飛び出し、やがて魔理沙の周りは七色の弾雨で満ちる。
魔理沙を『目』とする弾幕の台風が、西行妖を直撃した。
西行妖の防御は攻撃される場所に先まわって障壁を形成する、いわば点での防御である。いまの枯れかけの西行妖には、これが最適であり、これで精一杯であった。
しかしランダムな動きをする大量の星屑を前にして、流石にこれではマズいと判断したのか、ここで初めて全身を防御することにしたようだ。
その隙を逃さず、星屑を回避しながら妖夢が西行妖に向かって加速する。一歩目で亜音速、二歩目で音速、三歩目で音速を超える。超音速で叩き込んだ妖夢の一撃で、西行妖を覆う障壁に大きな穴が開いた。そのまま妖夢は西行妖の脇を抜け退避する。
そこへトドメとばかりに、アリスが一条の光線を放つ。光は妖夢が開けた隙間に入り、西行妖を直撃した。しかし、アリスの安堵も一瞬で終わった。
西行妖の光撃もまた、アリスを狙っていた。しかしアリスは体制が追いつかず動けない。
「!!!」
アリスの目の前が真っ暗になる。やがてわが身を襲うだろう死に、目を瞑る。
だが昏い消滅は永遠にやってこない。かわりに、黒の救いがでしゃばってきた。
アリスの前に立ちはだかった霧雨魔理沙は、冷や汗をかきながらも、それでもなお顔には笑みが残したまま、両手を前に伸ばす。そのとき――瞬間を刹那で等分したうちの一コマの間に――紫電が収束し、雷光が辺りを埋め尽くさんばかりに薙ぎ払われた。
あまりの眩しさに目を閉じていたアリスと妖夢は、目を開けたときの景色が数瞬前とどれほど合致するのか想像しながら、見る。意外にも、地面に少し焦げ目がついているだけで他に景観が損なわれている様子は無い。
ただし、西行妖の蕾はもう存在していなかった。
「ふはー。かなりしんどかったぜ」
「魔理沙……あんな魔法、いつ創ったのよ」
「あー? 昨日、というか徹夜だから今日かもな、できたてほやほやだぜ」
「ぶっつけ本番だったのね……」
やや呆れ顔のアリスを尻目に、魔理沙は周囲を眺めまわす。毛玉たちはすっかりいなくなっていた。おそらく魔法の余波で散り散りに吹き飛ばされていったのだろう。かわりに、二人の、白くて大きい妖精と小さい妖精が残っていた。白い方はどこかで見たことがあるかな……と魔理沙の記憶にひっかかったが、その大きい方が見ているものまで嬉しくなってしまうほどの満面の笑みで、目を白黒させている小さい妖精を抱きしめているのを見て、どうでもよくなった。近くに寄ってみれば、白い妖精の目尻に涙がたまっているのがわかっただろう。
「なんかよくわからんが、善いことをした気分だぜ」
その嬉しさが伝播したのか笑顔の魔理沙に、アリスも続いた。
「そうね、悪い気はしないわ」
「あらあら、お客さま? それとも新顔かしら」
「幽々子様!」
いつの間にいたのか、三人の背後に白玉楼の主、西行寺 幽々子がふわふわ飛んでいた。
「幽々子様、いったいどちらへいらっしゃっていらしたんですか?」
「紫のところよ。たしか書置きを残していったはずだけど……」
「……存じませんが……?」
幽々子は袖の中や着ている服で物が入りそうな場所をあれこれまさぐり、あ、と声をあげた。
「きっとアレだ。書置きを自分で持って出かけていったんだろうな」
魔理沙のつっこみに、幽々子はホホホ、と慣れない笑いで誤魔化す。
「それでね、紫に早く結界を直してもらうようにせっついてきたのよ。彼女、夜にしか起きてないんだもの」
「それでどうして、一晩中いなくなるんですか……」
「ちょっとお酒が止まらなくてね、気づいたら夜が朝に変わっていたわ。びっくりね」
「ほほう、それであの大結界は直ったんだろうな?」
「ええ。これから寝るーとかいってたけど、強引に引っ張ってきたわ。直したらすぐに帰っちゃったけど」
幽々子のことだから、文字通り引っ張ってきたんだろうな……などと考えている魔理沙に、アリスが声をかける。
「まさかその結界って、ここの入り口のこと……だったりしないわよね?」
「だったりするぜ」
「ちょっと、帰りはどうするのよ!? まさかこのまま幽霊になれと?」
「あら新顔さんね。幽霊もなってみるといいものよ? 学校も試験もなんにも無いし」
「もともと無いから遠慮しておくわ……」
「そう、残念ね」
本当に残念そうな表情をしていた。アリスはアリスで、ここから脱出する方法を思案しているようだ。
「心配するなアリス。あの結界は下の地面を掘っていけば出られるぞ」
「刑務所から脱出するんじゃないんだから……」
その後、土まみれになりながら現世に帰ってきたアリスと、結界を上から飛び越えてきた魔理沙との間で、弾幕対決になったとかならなかったとか。
思わず吹き出しました。某サイトでリリーと毛玉は仲が良さそうなイメージがあったんですが、そりゃやっぱ絶望しますよね(笑)
話も面白く、スムーズに読むことができました。