深い深い山の奥。
そびえ立つ竹たちの間から、一人の少女が月を眺めていた。
といっても月を愛でていたわけではない。
彼女はぎゅっと拳を握り締め、ただただ鋭い視線を月へと投げかけていた。
月そのものに恨みがあるわけではないのだが、月を見るとどうしても思い出してしまう顔がある。
今夜の客もそいつが寄越したものに違いなかった。
「あいつはいつもいつもいつもっ」
ぎりりと歯噛みする。
身体に力が籠もった為か、先ほどその「客」によって付けられた傷口から血が流れ出す。
だが少女はそんなことお構いなしに月を睨み付けた。
「自分で出て来いっつうの!
刺客なんかいくら殺しても気分の晴れようがないじゃない、私が殺したいのはあいつ本人なんだから」
「ずいぶんと物騒なことを言う」
「誰」
突然の声に少女は振り向いた。後ろに立っていたのは銀の髪の少女。
頭には奇妙な帽子をのせ、青の末広がりのドレスも印象的だ。
今夜は刺客のフルコースだろうかとも思ったが、銀髪の少女の目に殺気はなかった。
代わりにその目に映るのは、おそらくは同情。
「すごい怪我じゃないか、恨みを叫ぶより手当てが先だろう」
ゆっくりと近寄り、付近に散乱していた服の切れ端で止血しようとしてきた。
少女はその腕を押し留める。
「ほっときゃ治るわよ。どうせ痛みには慣れてるし」
「そんな程度の怪我じゃないだろう!」
突然怒り出した銀髪の少女に、少女はため息をつく。今日は厄日といったところだろうか。
「私の能力ならほっといても治るの。うるさいわよ、消えて」
「でも痛みはあるんだろう?少しでも和らげた方が」
なおも食い下がる彼女を少女はきっと睨み付けた。
「いいから消えて。今私がいい気分じゃないことくらい分かるでしょ?殺すわよ」
銀髪の少女は黙り込み、少女は心の中でいい気味だと呟いた。
同情なんていらなかった。
これは少女と「あいつ」の問題で、他の誰かが首をつっこむようなことではないのだ。
「私は上白沢慧音。ここから一番近い人里の者だ」
唐突に名乗った彼女を少女はいぶかしげに見つめた。
「また来る」
「もう来るな」
反対の言葉が同時に発せられる。
慧音は最後に気遣わしげな視線を向けた後、背を向けて去っていった。
その瞳は何故か少女を無性に苛立たせた。
何かを胸の奥から引きずり出されそうな気さえした。
*
慧音はその言葉通り、また少女の前に現れた。
何度拒んでも現れ、笑顔と気遣わしげな瞳を少女の胸に残して去ってゆく。
お節介。同情して優越感に浸っている。偽善者。
それなのに、なぜか胸の中で慧音は大きくなっていった。
いつしか少女は自分の名を教えていた―藤原妹紅、と。
一度妹紅は訊いたことがある。
「何故私なんかに構うの?」
そう言ってから妹紅は思わず口元を押さえた。
嫌味っぽい口調ではあったが、それは確かに本心だった。
心のどこかで慧音が来なくなるのを恐れている自分に苛立ち、鋭い口調で付け足す。
「どうせたいした理由じゃないんでしょ、もう来ないで」
慧音はそれに臆する様子もなく満面の笑みで答えた。
「人間が大好きなんだ」
「私が人間ですって?」
「人間だろう?違うのか」
本当に不思議そうに問い掛けてくる慧音に対する苛立ちは膨れ上がった。
慧音は妹紅の能力をまだ知らない。だからこれは不当な怒りなのかもしれなかった。
けれどそう考えても我慢できないほどのものが妹紅の中に渦を巻いていた。
大体、よく考えればこいつに遠慮して我慢することもないじゃないか。
「こんな人間がどこにいるって言うの、ふざけないで。こんな能力を持った人間なんていないわ!
それに私は『普通の人間』が大嫌いなの、あんたの里の人間なんかと一緒にしないでくれる?」
「妹紅、落ち着いて」
「ああ、やっぱり私はあんたが大っ嫌いよ。もう二度と来ないで!」
ひとしきり感情を吐き終えて慧音を見れば、彼女はひどく傷ついたような顔で押し黙っていた。
その表情に一瞬どきりとした自分を忘れようとまた何か言おうとした時。
「私は『普通の人間』ではない。でも、みんなは私を受け入れてくれた」
ぽつぽつと慧音が語りだし、妹紅は言葉を飲み込んだ。
「人間を好きになった自分を恨んだことだってある。
でも、それでもやっぱり私は人間が好きだ。彼らと共に過ごす時間が好きだ。
私は確かに『普通の人間』ではないけれど、逆にそれだからこそ人間が大好きなんだ」
その言葉は妹紅には理解できなかった。その慈愛に満ちたまなざしも理解できなかった。
「人間」としても、人間と妖怪の間に位置する者としても慧音を理解することができない。
そのことが妹紅の胸を締め付けた。その苦しさを妹紅は怒りだと思った。
慧音は自分の本性を知らないから傍にいるのだ。
とんだ茶番だ。本性を見せてやろう。その偽善者の皮をはいでやろう。
そう決意するのにそう長くはかからなかった。
*
「里に連れて行って」
ある日突然発せられた妹紅の言葉に、慧音は目を白黒させた。
「ほ、本当か?」
「耳が悪いの?里に連れて行ってと言ったのよ」
慧音はぱっと顔を輝かせ、妹紅の手を取った。
「そうか、そうか!」
そのまま踊りだしてしまいそうな慧音を、妹紅は心の中で笑った。
罠にかかったとも知らず喜ぶ愚かさ。
そう、もちろん何の裏もなくこんなことを言い出す妹紅ではなかった。
だが慧音は少しも疑わずにただただ喜んでいる。
そんな彼女の皮をはぐことができると思うと、妹紅の中にふつふつと黒いものが沸いて出た。
それは「あいつ」を殺したいと願う時の思いと、或いはそう変わらないものかもしれなかった。
慧音はその日のうちに妹紅を里へ連れて行った。
「いい里だろう」
その笑顔からは本当に慧音がこの里を大好きなことが察せられて、それがまた妹紅を苛立たせる。
「そうかもしれないわね。もっとも、これから最悪の場所に変わるけれど」
不穏な言葉に慧音が驚き、口を開く。だがそこから言葉が出てくる前に妹紅は空へ飛び上がった。
背中には燃える翼。両手には札。
「ねぇ、これでもまだ私が人間だと言うの?」
驚きの表情のまま固まった慧音がおかしくて、妹紅は高く笑った。
「私は死ねないの。妖怪よりもたちが悪いでしょう」
「妹紅、ヤケになるのはよせ。降りて来い」
「そうやって善人ぶって、私を好きですって?
あなたは人間が好きなんでしょう、私みたいな化け物じゃなくて」
妹紅は右手の札を高く掲げた。ただの札ではなく、スペルカードを。
「ここを火の海にすることだってあっという間にできるわよ」
「やめろ妹紅!」
慧音の表情がたちまち変わる。それを妹紅は満足げに見下ろした。
「人間が大事なのね。でも、あんたは私も人間だって言ったじゃない」
残酷な響きでくすくすと笑う。
「そんなに人間が大事なら、私を倒してみたらどう?あんたには死んでも無理だけど」
「そんな」
絶望に染まった慧音の声に妹紅は笑みを深くした。
「私は人間なんかじゃないもの。里を妖怪から守るのと何が違うの?」
「でも、妹紅は」
すがるような響きを突き放そうと、妹紅は声高く叫ぶ。
「あんたは人間が好きなのよね。じゃあ、人間が言ったことも信じるんでしょ?
今まで私の能力を知った人間は、みんな私が人間なんかじゃないって言ってくれたわ。
私は化け物だ、って」
だから人間なんて嫌い。
ごくたまに優しく接してくれる人がいても、すぐに自分だけ死んでしまう。
結局どの人間も残酷なことをするのは同じなのだ。だからいっそ、人間なんかやめてしまえ。
――長い時を経て積み重なってきたものを、妹紅はすべて慧音にぶつけようとしていた。
「妹紅」
なにかを決意したようなその響きに、妹紅は勝利を確信した。
こうして彼女は「人間」を倒そうとして返り討ちにあうという悲惨な最期を迎えるのだ。
慧音は飛び上がり、まっすぐに妹紅へ向かってくる。
迎撃しようと身構えた妹紅だったが、彼女の予想は外れていた。
慧音は攻撃をくわえたりしなかった。彼女が代わりにしたことは。
「え?」
思考回路が止まる。妹紅はぎゅっと抱きしめられていた。
「妹紅、もうやめてくれ……」
涙混じりの声で懇願される。
「もうそんな妹紅を見ていられない。妹紅に、誰かを傷つけて欲しくないんだ」
全く予想外の言葉。妹紅は先ほどまでの感情の高ぶりも忘れ慧音をまじまじと見ていた。
「なんでそんなことを?」
「決まってるじゃないか。私は、妹紅が大好きなんだ」
慧音は涙を浮かべたままで精一杯の笑顔を見せた。
その笑顔から妹紅は目が離せなかった。今、彼女はなんと言った?
「妹紅はやっぱり人間だよ。ほら」
不意に目元を触られた。離れた慧音の指先はなぜか濡れている。
「こんなに暖かい涙を流すんだから」
「嘘、私、泣いてる……?」
もう長い長い間泣いたことなどなかった。
どんなに傷つけられても、何度死んでも、泣くことはなかった。
それなのに、どうして今涙が流れているのだろう?どうしてこんなに胸があたたかいのだろう?
「妹紅。すまなかった」
「私、私こそ、今まで散々っ」
今度は妹紅から慧音に抱きついた。慧音はそれを微笑んで抱き返す。
「慧音」
言葉になっているかどうかも怪しい声で、妹紅は名前を呼んだ。
「妹紅」
涙混じりながらも本当に暖かい声で、慧音も名前を呼んだ。
そして二人は強く抱き合った。
*
それから二人は本当に親しくなった。
人間の里に住まないかという慧音の申し出は断ったものの、妹紅は時々は里へ降りてくるようになった。
不死になってからこのかた、妹紅には受け入れてくる人などいなかった。
だから慧音が現れたときもどうしてよいか分からなかったのだ。
やっぱり信じ切れなかったし、自分の本性を知らないから傍に居てくれているのではないかと
不安で仕方なかった。
それに人間をやめる、という意地も手伝って本当にひどいことをしてしまった。
それなのに慧音は優しく自分を受け入れてくれている。それは確かに妹紅の心を解かし和らげたのだ。
そんな落ち着いた日々を送っている時。
ふと妹紅の気持ちは「あいつ」のことへと飛躍した。
ひょっとしたら、「あいつ」を殺したいと願うこの気持ちもまた素直になれない寂しさなのだろうか。
確かにひどく憎い相手ではあるけれど、それ以前に同じ「永遠」ではないか。
手に入らないから壊したいのではないか。素直になれないから傷つけたいのではないか。
けれど、そこまで考えてから妹紅はふるふると頭を振った。
まだこの問題を片付けるには早すぎる。
長い長い間殺し合ってきた関係は、そうそう簡単に瓦解するものではない。
それでも。妹紅は隣を見た。慧音が微笑んでくれる。そう、それでも。
「あいつ」と理解し合えるということが、決して不可能ではない気がした。
ゆっくりとゆっくりと、手を取っていけばいい。
今はまだ殺したいほど憎いけれど、それでもいつかは。
そう、私達には時間がそれこそ余るほどあるのだから。
自分の能力をプラスに捉えたことなど、今まで一度もなかった気がした。
それができたのもきっと、傍にいてくれる人のおかげ。
「慧音、ありがとう」
妹紅は随分久しぶりに、心から微笑んだ。
そびえ立つ竹たちの間から、一人の少女が月を眺めていた。
といっても月を愛でていたわけではない。
彼女はぎゅっと拳を握り締め、ただただ鋭い視線を月へと投げかけていた。
月そのものに恨みがあるわけではないのだが、月を見るとどうしても思い出してしまう顔がある。
今夜の客もそいつが寄越したものに違いなかった。
「あいつはいつもいつもいつもっ」
ぎりりと歯噛みする。
身体に力が籠もった為か、先ほどその「客」によって付けられた傷口から血が流れ出す。
だが少女はそんなことお構いなしに月を睨み付けた。
「自分で出て来いっつうの!
刺客なんかいくら殺しても気分の晴れようがないじゃない、私が殺したいのはあいつ本人なんだから」
「ずいぶんと物騒なことを言う」
「誰」
突然の声に少女は振り向いた。後ろに立っていたのは銀の髪の少女。
頭には奇妙な帽子をのせ、青の末広がりのドレスも印象的だ。
今夜は刺客のフルコースだろうかとも思ったが、銀髪の少女の目に殺気はなかった。
代わりにその目に映るのは、おそらくは同情。
「すごい怪我じゃないか、恨みを叫ぶより手当てが先だろう」
ゆっくりと近寄り、付近に散乱していた服の切れ端で止血しようとしてきた。
少女はその腕を押し留める。
「ほっときゃ治るわよ。どうせ痛みには慣れてるし」
「そんな程度の怪我じゃないだろう!」
突然怒り出した銀髪の少女に、少女はため息をつく。今日は厄日といったところだろうか。
「私の能力ならほっといても治るの。うるさいわよ、消えて」
「でも痛みはあるんだろう?少しでも和らげた方が」
なおも食い下がる彼女を少女はきっと睨み付けた。
「いいから消えて。今私がいい気分じゃないことくらい分かるでしょ?殺すわよ」
銀髪の少女は黙り込み、少女は心の中でいい気味だと呟いた。
同情なんていらなかった。
これは少女と「あいつ」の問題で、他の誰かが首をつっこむようなことではないのだ。
「私は上白沢慧音。ここから一番近い人里の者だ」
唐突に名乗った彼女を少女はいぶかしげに見つめた。
「また来る」
「もう来るな」
反対の言葉が同時に発せられる。
慧音は最後に気遣わしげな視線を向けた後、背を向けて去っていった。
その瞳は何故か少女を無性に苛立たせた。
何かを胸の奥から引きずり出されそうな気さえした。
*
慧音はその言葉通り、また少女の前に現れた。
何度拒んでも現れ、笑顔と気遣わしげな瞳を少女の胸に残して去ってゆく。
お節介。同情して優越感に浸っている。偽善者。
それなのに、なぜか胸の中で慧音は大きくなっていった。
いつしか少女は自分の名を教えていた―藤原妹紅、と。
一度妹紅は訊いたことがある。
「何故私なんかに構うの?」
そう言ってから妹紅は思わず口元を押さえた。
嫌味っぽい口調ではあったが、それは確かに本心だった。
心のどこかで慧音が来なくなるのを恐れている自分に苛立ち、鋭い口調で付け足す。
「どうせたいした理由じゃないんでしょ、もう来ないで」
慧音はそれに臆する様子もなく満面の笑みで答えた。
「人間が大好きなんだ」
「私が人間ですって?」
「人間だろう?違うのか」
本当に不思議そうに問い掛けてくる慧音に対する苛立ちは膨れ上がった。
慧音は妹紅の能力をまだ知らない。だからこれは不当な怒りなのかもしれなかった。
けれどそう考えても我慢できないほどのものが妹紅の中に渦を巻いていた。
大体、よく考えればこいつに遠慮して我慢することもないじゃないか。
「こんな人間がどこにいるって言うの、ふざけないで。こんな能力を持った人間なんていないわ!
それに私は『普通の人間』が大嫌いなの、あんたの里の人間なんかと一緒にしないでくれる?」
「妹紅、落ち着いて」
「ああ、やっぱり私はあんたが大っ嫌いよ。もう二度と来ないで!」
ひとしきり感情を吐き終えて慧音を見れば、彼女はひどく傷ついたような顔で押し黙っていた。
その表情に一瞬どきりとした自分を忘れようとまた何か言おうとした時。
「私は『普通の人間』ではない。でも、みんなは私を受け入れてくれた」
ぽつぽつと慧音が語りだし、妹紅は言葉を飲み込んだ。
「人間を好きになった自分を恨んだことだってある。
でも、それでもやっぱり私は人間が好きだ。彼らと共に過ごす時間が好きだ。
私は確かに『普通の人間』ではないけれど、逆にそれだからこそ人間が大好きなんだ」
その言葉は妹紅には理解できなかった。その慈愛に満ちたまなざしも理解できなかった。
「人間」としても、人間と妖怪の間に位置する者としても慧音を理解することができない。
そのことが妹紅の胸を締め付けた。その苦しさを妹紅は怒りだと思った。
慧音は自分の本性を知らないから傍にいるのだ。
とんだ茶番だ。本性を見せてやろう。その偽善者の皮をはいでやろう。
そう決意するのにそう長くはかからなかった。
*
「里に連れて行って」
ある日突然発せられた妹紅の言葉に、慧音は目を白黒させた。
「ほ、本当か?」
「耳が悪いの?里に連れて行ってと言ったのよ」
慧音はぱっと顔を輝かせ、妹紅の手を取った。
「そうか、そうか!」
そのまま踊りだしてしまいそうな慧音を、妹紅は心の中で笑った。
罠にかかったとも知らず喜ぶ愚かさ。
そう、もちろん何の裏もなくこんなことを言い出す妹紅ではなかった。
だが慧音は少しも疑わずにただただ喜んでいる。
そんな彼女の皮をはぐことができると思うと、妹紅の中にふつふつと黒いものが沸いて出た。
それは「あいつ」を殺したいと願う時の思いと、或いはそう変わらないものかもしれなかった。
慧音はその日のうちに妹紅を里へ連れて行った。
「いい里だろう」
その笑顔からは本当に慧音がこの里を大好きなことが察せられて、それがまた妹紅を苛立たせる。
「そうかもしれないわね。もっとも、これから最悪の場所に変わるけれど」
不穏な言葉に慧音が驚き、口を開く。だがそこから言葉が出てくる前に妹紅は空へ飛び上がった。
背中には燃える翼。両手には札。
「ねぇ、これでもまだ私が人間だと言うの?」
驚きの表情のまま固まった慧音がおかしくて、妹紅は高く笑った。
「私は死ねないの。妖怪よりもたちが悪いでしょう」
「妹紅、ヤケになるのはよせ。降りて来い」
「そうやって善人ぶって、私を好きですって?
あなたは人間が好きなんでしょう、私みたいな化け物じゃなくて」
妹紅は右手の札を高く掲げた。ただの札ではなく、スペルカードを。
「ここを火の海にすることだってあっという間にできるわよ」
「やめろ妹紅!」
慧音の表情がたちまち変わる。それを妹紅は満足げに見下ろした。
「人間が大事なのね。でも、あんたは私も人間だって言ったじゃない」
残酷な響きでくすくすと笑う。
「そんなに人間が大事なら、私を倒してみたらどう?あんたには死んでも無理だけど」
「そんな」
絶望に染まった慧音の声に妹紅は笑みを深くした。
「私は人間なんかじゃないもの。里を妖怪から守るのと何が違うの?」
「でも、妹紅は」
すがるような響きを突き放そうと、妹紅は声高く叫ぶ。
「あんたは人間が好きなのよね。じゃあ、人間が言ったことも信じるんでしょ?
今まで私の能力を知った人間は、みんな私が人間なんかじゃないって言ってくれたわ。
私は化け物だ、って」
だから人間なんて嫌い。
ごくたまに優しく接してくれる人がいても、すぐに自分だけ死んでしまう。
結局どの人間も残酷なことをするのは同じなのだ。だからいっそ、人間なんかやめてしまえ。
――長い時を経て積み重なってきたものを、妹紅はすべて慧音にぶつけようとしていた。
「妹紅」
なにかを決意したようなその響きに、妹紅は勝利を確信した。
こうして彼女は「人間」を倒そうとして返り討ちにあうという悲惨な最期を迎えるのだ。
慧音は飛び上がり、まっすぐに妹紅へ向かってくる。
迎撃しようと身構えた妹紅だったが、彼女の予想は外れていた。
慧音は攻撃をくわえたりしなかった。彼女が代わりにしたことは。
「え?」
思考回路が止まる。妹紅はぎゅっと抱きしめられていた。
「妹紅、もうやめてくれ……」
涙混じりの声で懇願される。
「もうそんな妹紅を見ていられない。妹紅に、誰かを傷つけて欲しくないんだ」
全く予想外の言葉。妹紅は先ほどまでの感情の高ぶりも忘れ慧音をまじまじと見ていた。
「なんでそんなことを?」
「決まってるじゃないか。私は、妹紅が大好きなんだ」
慧音は涙を浮かべたままで精一杯の笑顔を見せた。
その笑顔から妹紅は目が離せなかった。今、彼女はなんと言った?
「妹紅はやっぱり人間だよ。ほら」
不意に目元を触られた。離れた慧音の指先はなぜか濡れている。
「こんなに暖かい涙を流すんだから」
「嘘、私、泣いてる……?」
もう長い長い間泣いたことなどなかった。
どんなに傷つけられても、何度死んでも、泣くことはなかった。
それなのに、どうして今涙が流れているのだろう?どうしてこんなに胸があたたかいのだろう?
「妹紅。すまなかった」
「私、私こそ、今まで散々っ」
今度は妹紅から慧音に抱きついた。慧音はそれを微笑んで抱き返す。
「慧音」
言葉になっているかどうかも怪しい声で、妹紅は名前を呼んだ。
「妹紅」
涙混じりながらも本当に暖かい声で、慧音も名前を呼んだ。
そして二人は強く抱き合った。
*
それから二人は本当に親しくなった。
人間の里に住まないかという慧音の申し出は断ったものの、妹紅は時々は里へ降りてくるようになった。
不死になってからこのかた、妹紅には受け入れてくる人などいなかった。
だから慧音が現れたときもどうしてよいか分からなかったのだ。
やっぱり信じ切れなかったし、自分の本性を知らないから傍に居てくれているのではないかと
不安で仕方なかった。
それに人間をやめる、という意地も手伝って本当にひどいことをしてしまった。
それなのに慧音は優しく自分を受け入れてくれている。それは確かに妹紅の心を解かし和らげたのだ。
そんな落ち着いた日々を送っている時。
ふと妹紅の気持ちは「あいつ」のことへと飛躍した。
ひょっとしたら、「あいつ」を殺したいと願うこの気持ちもまた素直になれない寂しさなのだろうか。
確かにひどく憎い相手ではあるけれど、それ以前に同じ「永遠」ではないか。
手に入らないから壊したいのではないか。素直になれないから傷つけたいのではないか。
けれど、そこまで考えてから妹紅はふるふると頭を振った。
まだこの問題を片付けるには早すぎる。
長い長い間殺し合ってきた関係は、そうそう簡単に瓦解するものではない。
それでも。妹紅は隣を見た。慧音が微笑んでくれる。そう、それでも。
「あいつ」と理解し合えるということが、決して不可能ではない気がした。
ゆっくりとゆっくりと、手を取っていけばいい。
今はまだ殺したいほど憎いけれど、それでもいつかは。
そう、私達には時間がそれこそ余るほどあるのだから。
自分の能力をプラスに捉えたことなど、今まで一度もなかった気がした。
それができたのもきっと、傍にいてくれる人のおかげ。
「慧音、ありがとう」
妹紅は随分久しぶりに、心から微笑んだ。