私は今墜落の真っ最中だ。
体調不良で弾幕ごっこはするものじゃない。
頭が少しぼーっとする。
あたらなくてもいい弾に自分で突っ込んでしまうとは。
「ああ、だるいぜ…」
カラダが重くて仕方が無い。
休息がほしいが、飛行中、況や落下中に眠るわけにはいかない。
下は湖だから、落ちても大丈夫だろうが、物凄く痛いだろう。
湖面がどんどん近付いてくる。
―――ふっ、と懐かしい記憶が頭をよぎった。
そういえば昔、私はよくこうやって落ちていた。
◇
幼少、魔法を習いはじめて間もない頃、私は湖上で飛行の練習をはじめた。
魔法の才能が無いわけではない私は、しばらくすると辛うじて飛ぶことが出来た。
それでもやはり飛行の制御は拙く、落ちるときは落ちた。
制御を失った箒が下を向き、必死にそれを立て直そうとするけれど、結局湖面にぶつかる。
高さはそれ程で無くてもやはり痛く。
それでも飛行の爽快感と、飛ぶという行為の誘惑に負けて、
涙目になりながら何度も空を目指したものだ。
そのうちに落下は数えるほどになり、私は嬉々として空を飛び回った。
ただ、落下への恐怖は拭い去れず、あまり高くを飛ぼうとは思わなかった。
その日も私は箒を抱えて、いつもの湖へと向かった。
まだ、湖上以外の場所を飛ぶのには抵抗があった。
低く飛べばよいとは分かっているものの、どうにも不安だった。
湖には先客がいた。
私は思わず木陰に隠れた。昔から、他人に練習風景を見られるのが嫌いだった。
私と同じくらいの年だろうか。
黒髪に、御目出度い紅白の和装を身にまとったその先客は、
手桶を肩に担いで、やる気のなさそうな目で歩いていた。
この辺で人間を見るのは珍しいが、何より珍しかったのは、
彼女が水の上を歩いていた事だった。
無論、人が水の上を歩ける道理は無いので、歩くように飛んでいたのだろうが、
その歩みは、水の上を歩いているとしか表現出来ないほどに自然だった。
先客、紅白の彼女は、湖の真ん中あたりで立ち止まり、手桶に水を汲んでいた。
湖の真ん中あたりは氷精の仕業か、とても水が冷たい。
彼女はそれを求めてきたのだろう。
水を汲み終わった彼女は、再び水の上を歩いて戻り、そのまま森へと消えた。
水上と地上で、彼女の歩みは変わらなかった。
不思議な奴だ、と私は思った。
私の飛行は飛ぼうという明確な意思において飛んでいる。
彼女の飛行はまるで歩くことと同義であるかのようだった。
私は彼女に興味を覚えた。
数日後、彼女はまた湖に姿を現した。
姿を現したと言っても、物凄く遠目に見ただけだったが。
いや、先程の言い方には語弊がある。
彼女は遠くというよりは、物凄く高くに居た。
彼女は湖上を飛んでいる。
気の遠くなるような高さ。
胡麻つぶ程にしか見えない姿は、その紅白の衣装でやっと彼女と分かった。
最初に感じたのは恐怖。
あんな高さで飛んでいたら、万が一落ちたとき湖面といえども命を失う。
まず、あんな高さを飛ぶ理由が思いつかない。
ただ移動しているだけなら、あんな高さを飛ぶ必要は無いはずだ。
少なくとも、私はあんな高さを飛ぶなんてことは考えたくも無い。
彼女をじっと見てみる。
ゆらゆらゆっくり、浮くように飛ぶ彼女は、
私が感じたような恐れは微塵も感じていない様だった。
あの状態から飛ぶことを止めても、
木の葉のようにひらひらと降りて来るんじゃないかとさえ思えた。
ここでようやく納得する。
彼女は飛んでいるのではなく、歩いているのだ。
以前の湖面を歩いていた光景を思い出す。
私たちが道をたどって歩くように、彼女は空に沿って歩く。
彼女には高いとか、低いとかの概念は無いのだろう。
一括りにそれは空であり、路なのだから。
その日から、私は少しずつ高いところを飛ぶ練習をはじめた。
彼女のことを思い出すと不思議と恐怖感は消えた。
彼女ほど高くは飛べないし、飛ぶ心算は無い。
彼女ほど自然に飛べないし、飛ぶ必要は無い。
私は地に足をつける生き物だ。
飛ぶという行為において、彼女に勝るものなど、殆どいないに違いない。
それならば。
彼女ほど自然に、高く飛べないならば―――
◇
数日経って、再び彼女が飛んでいるのを見つけた。
前と違い、常識的な高さで。
私は後ろから、全速力ですぐ脇を追い抜いてやった。
急制動をかけて、後ろを振り向く。
突然のことで目を丸くした彼女の顔がある。
「そんなトロトロ飛んでると、跳ね飛ばすぜ?」
私はにやりと笑って、彼女に言った。
高さで勝てないなら、速さで勝ってやる。
彼女が私の頭上を飛ぶなら、私は彼女の前を飛ぶ。
「あら、そんなに急いでると、すぐ老けるわよ?」
彼女もまた、にやりと笑って言った。
話せる奴だ、と思った。
◇
落下をとめる為に体勢を立て直す。
頭を振って眠気を払い飛ばした。
あいつにキツイお灸を据えねばなるまい。
自慢の符を懐から取り出して、ぐっと相手を見上げる。
相手はこちらを見下ろしている。
その頭上ずっと高いところに、ゆらりと舞う、紅白の蝶を見た気がした。