月世界
フキノトウが名残雪から顔を覗かせる。
鈴仙は永遠亭の縁側に足を投げ出すように腰掛け追憶していた。
夜空には爪で引っかいたような細い月が浮かんでいた。
思い出すことは辛いことばかり、もちろん楽しい思い出も無いわけじゃない。
それでも表情に出るウェイトは辛いことの方であったようだ。その秀麗な眉を歪め、まるで哀願するかの
ような――実際に哀願していたのかもしれない――顔つきで月を見つめていた。
「外は冷えるわよ」
突然、後ろから声をかけられたので思わず背筋を伸ばす形となった鈴仙。
品性の良さも伺えそうな足音が近づいてくる。
「はい、少しは温まりなさい」
差し出されたのは熱々のお茶だった。なんとなく覗きこむ湯飲みには・・・。
「あら残念、茶柱は立ってないわよ」
「――っ!?」息が詰まったような小さな呻き声を上げた。
その様子に笑みを漏らす彼女は永遠亭にこの人ありと言われる才女、八意 永琳である。
鈴仙の師であり、同時に姉のような存在と思っても差し支えないだろう。
厚い陶器越しにも感じられる温度は冷たい手で持つには熱すぎた。程なくして湯飲みは慎重に側へ置かれた。
「随分と熱心な月見ね。お酒のほうが良かったかしら」と小首を傾げる彼女、その仕草には年かさの余裕が見てとれた。
「また仲間達のことを考えていたの?」
「師匠は気にならないのですか?」
「気にはなるけどね、今は待つことしかできないから待っているだけよ」と妹を諭すような物言い。
「やっぱ師匠ですね。さすがの貫禄って感じです」と、どこか誇らしげに言った。
『私とは違うなぁ』と思う鈴仙とは裏腹に。
永琳はその言葉に対して無言で答える。それは本意とは違うという意味を図らずも示すものとなった。
「そう言えば、てゐは?」鈴仙は話題を変えたく、切り出したのがこの台詞だった。
「さぁ・・・いつもの悪巧みをしていると思うけど。何か用事でもあったの?」
「いえ、何となく」
そのまま二人は何をするわけでもなく、ただ黙々と月を見上げそれぞれの思考に耽る。しかし、二人とも考えることは一緒であろう。
「いつか気楽な月見ができるわよ」
「・・・・はい」
気楽な月見をするというは、月の仲間と一緒にいるときだろうか。それとも月の仲間を忘れたときだろうか。
真夜中と言って差し支えない時間になった。
不用意な冬眠をしている兎を見つけたのは永遠亭の主、蓬莱山 輝夜だった。
はじめ鈴仙を見たときは、あまりにも鮮麗な光景に息を飲んだ。
鈴仙の髪はそれ自体に光を帯びているかのように淡く輝き、まるで月からの視線を受けているようだった。
月に照らされて輝いているのではなく、月に選ばれて輝いている気がした。それは月に気に入られているからこそ可能な
芸当のようにも思えた。
はっとなった輝夜は、走るには向かない着物にも関わらず急いで鈴仙の側に寄った。
鈴仙の頬に当てた手からは体温はまるで感じられない、元々色白な肌が今は病的に青白い。とにかく事態は急を要することは確かであった。
冷え切った鈴仙をこのまま布団に押し込めても、いつまでたっても暖かくならないと考えた
輝夜はそのまま自分の床に連れて行くことにした。
輝夜は地上の兎の従者を呼び自室の床に運ぶように命じてから、視線を月に向けて言った。
正確には月に残っている兎達に向けてなのかもしれない。
「いい加減に返してもらうわね」その口調には月の姫たる響きがあった。
姫の言葉に従うかのように月も諦めたのか、玩具を取り上げられた童子のように恨めしく雲に隠れてしまった。
床に入るなり、いかに鈴仙が冷え切っていたのがよく分かった。
まるで雪だるまと添い寝しているような感覚だ。
輝夜は知っていた。鈴仙は地上に来てからも、片時も月にいる仲間達を想い続けていることを。
今夜は特にそれが酷かった。ここまで来ると一種の病にも思えたが、そんな鈴仙を輝夜達はむしろ好ましいと思っていた。
しかし、いつか想うことに疲れて厭世するのではないかと心配がつきまとっていた。
この子は、月にそのまま残していた方が幸せだったのかもしれない。
輝夜はそんなことを少なからず思いながら、小さな守護者を優しく、そして祈りながら抱きしめた。
「どうかその心まで冷たくなりませんように」
翌日、鈴仙は一転して高熱を出した。
「あら、やりすぎちゃったかしら?」
「あまり冗談をおっしゃらないでください」一体何をやりすぎたと言うのか!あまり穏やかでない想像を追い払うのに大変な永琳であった。
その日、輝夜はてゐを捕まえ鈴仙の容態を伝えると同時にこう付け加えた。
「自分じゃ気がついてない様だけど、普段からあなたの事を尋ねるわよ」
「きっと寂しいのよ」
「・・・・・」
「せめて夜にはちゃんと帰ってきなさい」月と途方も無いにらめっこをしている鈴仙の気を紛らわしたいために言った言葉だった。
合図なのかは定かではないが、てゐは耳をちょこんと下げた。
鈴仙はすっかり体調がよくなり、普段通りに過すある日。
「少し裏に回りません?」と、てゐは永遠亭の主な顔ぶれに呼びかけ一同は永遠亭の裏に向かった。
そこには大小様々な雪ウサギがそこら中にいた。
真っ白な雪ウサギ達はきちんと長い耳を備えていた。耳になっているのは竹の長細い葉、そして都合のいいことにここには
使い切れないほどの竹の葉がある。
てゐの話によると遊び相手となっている妖精に教わったらしい。実際に教えてもらったときは、中に蛙を入れ無理やり
冬眠させたり(すぐに冬眠が出来るわけが無く死んだ)爆竹を仕込んだり(もちろん火薬が濡れて発火しない)中に石を詰めたり(名も
無き妖精に投げつけた)と雪ウサギというより、何が入っているか分からない馬鹿げた代物であった。
月にいたころには雪というものが無いので当然、雪ウサギというもの知らない月の住人達はてゐから簡単な
手ほどきを受け、それぞれ雪ウサギ作りに没頭した。輝夜、永琳、鈴仙の3人はただ作るという行為のほかに
昔を思い出しながら丁寧に作り上げた。
ひとしきり作り終えた後、各々の雪ウサギ達を賞賛しあいながらも自分の作った雪ウサギの出来栄えを自慢することも忘れなかった。
すこし土が混じったために茶が差した雪ウサギを指し示しながらてゐが言った。
「あの雪ウサギが私だね」
「私は姫ですからね、目はちゃんとした宝石よ?」ウサギとは言い難い容姿の輝夜まで、目の部分に赤い小さな
宝石をあしらった雪ウサギを自分の分身として作っていた。
永琳も姫に倣って、自身となる雪ウサギに何か加えようと考えたがなかなかいい案が浮かばなかったようだが
考えた挙句手持ちの粉薬をふりかけた―――!!
しばらく輝夜、永琳、鈴仙は雪ウサギ達を眺めて楽しんだ。てゐは事情を知っているので何も喋らず
その場に身を任せた。輝夜はそっと、てゐに目配りを寄越し目線で礼をした。
「何日ぐらいは平気なんでしょうね・・・」鈴仙は分かっていても、いや分かっているからこそ無意識に口に出したのか
その言葉には出来ることならこのまま残しておきたいという一縷の願いがあったのは明白だった。
「姫、お願いが」と一言、永琳は佇まいを直し姫と称され、自分の主なる者に向き直った。
信頼する従者の短い言葉に込められた意味を正確に受け取った輝夜は笑みで答える。
「この雪ウサギ達に永遠の術をかけます」
幾日が過ぎた夜。今夜は満月だった。
鈴仙はいつものお月見に興じていた。それを見かけた永琳はいつものことだと思い、いつもの台詞を口にする。
「まだ冷えるから、もう上がりなさいよ」
顔を上げてこちらを見る鈴仙の顔には、依然あったような影は見えなかった。そして
「・・・・そうします。おやすみなさい」と軽くお辞儀をして答え、自室に向かうのであった。その潔さに目を見開く永琳、そして
自然と口元が緩み夜の太陽を見上げた。
「今夜は私の相手をしてくださる?兎に振られたお月さんや」鈴仙のいい傾向が見られて気分が弾む永琳であった。
少女はひとり月旅行する。
旅先は永遠亭の裏庭だ。そこに宇宙を思わせるひんやり冷たい空気に抱きすくめられた空間がある。
背の高い竹林を縫って差し込まれる幾条もの光、それを受けて競い合うように煌きあう雪ウサギ達。そんな光景が
永遠に変わることなく続き、いつでも少女を向かい入れる。
そこは幻想郷でもない月世界。
フキノトウが名残雪から顔を覗かせる。
鈴仙は永遠亭の縁側に足を投げ出すように腰掛け追憶していた。
夜空には爪で引っかいたような細い月が浮かんでいた。
思い出すことは辛いことばかり、もちろん楽しい思い出も無いわけじゃない。
それでも表情に出るウェイトは辛いことの方であったようだ。その秀麗な眉を歪め、まるで哀願するかの
ような――実際に哀願していたのかもしれない――顔つきで月を見つめていた。
「外は冷えるわよ」
突然、後ろから声をかけられたので思わず背筋を伸ばす形となった鈴仙。
品性の良さも伺えそうな足音が近づいてくる。
「はい、少しは温まりなさい」
差し出されたのは熱々のお茶だった。なんとなく覗きこむ湯飲みには・・・。
「あら残念、茶柱は立ってないわよ」
「――っ!?」息が詰まったような小さな呻き声を上げた。
その様子に笑みを漏らす彼女は永遠亭にこの人ありと言われる才女、八意 永琳である。
鈴仙の師であり、同時に姉のような存在と思っても差し支えないだろう。
厚い陶器越しにも感じられる温度は冷たい手で持つには熱すぎた。程なくして湯飲みは慎重に側へ置かれた。
「随分と熱心な月見ね。お酒のほうが良かったかしら」と小首を傾げる彼女、その仕草には年かさの余裕が見てとれた。
「また仲間達のことを考えていたの?」
「師匠は気にならないのですか?」
「気にはなるけどね、今は待つことしかできないから待っているだけよ」と妹を諭すような物言い。
「やっぱ師匠ですね。さすがの貫禄って感じです」と、どこか誇らしげに言った。
『私とは違うなぁ』と思う鈴仙とは裏腹に。
永琳はその言葉に対して無言で答える。それは本意とは違うという意味を図らずも示すものとなった。
「そう言えば、てゐは?」鈴仙は話題を変えたく、切り出したのがこの台詞だった。
「さぁ・・・いつもの悪巧みをしていると思うけど。何か用事でもあったの?」
「いえ、何となく」
そのまま二人は何をするわけでもなく、ただ黙々と月を見上げそれぞれの思考に耽る。しかし、二人とも考えることは一緒であろう。
「いつか気楽な月見ができるわよ」
「・・・・はい」
気楽な月見をするというは、月の仲間と一緒にいるときだろうか。それとも月の仲間を忘れたときだろうか。
真夜中と言って差し支えない時間になった。
不用意な冬眠をしている兎を見つけたのは永遠亭の主、蓬莱山 輝夜だった。
はじめ鈴仙を見たときは、あまりにも鮮麗な光景に息を飲んだ。
鈴仙の髪はそれ自体に光を帯びているかのように淡く輝き、まるで月からの視線を受けているようだった。
月に照らされて輝いているのではなく、月に選ばれて輝いている気がした。それは月に気に入られているからこそ可能な
芸当のようにも思えた。
はっとなった輝夜は、走るには向かない着物にも関わらず急いで鈴仙の側に寄った。
鈴仙の頬に当てた手からは体温はまるで感じられない、元々色白な肌が今は病的に青白い。とにかく事態は急を要することは確かであった。
冷え切った鈴仙をこのまま布団に押し込めても、いつまでたっても暖かくならないと考えた
輝夜はそのまま自分の床に連れて行くことにした。
輝夜は地上の兎の従者を呼び自室の床に運ぶように命じてから、視線を月に向けて言った。
正確には月に残っている兎達に向けてなのかもしれない。
「いい加減に返してもらうわね」その口調には月の姫たる響きがあった。
姫の言葉に従うかのように月も諦めたのか、玩具を取り上げられた童子のように恨めしく雲に隠れてしまった。
床に入るなり、いかに鈴仙が冷え切っていたのがよく分かった。
まるで雪だるまと添い寝しているような感覚だ。
輝夜は知っていた。鈴仙は地上に来てからも、片時も月にいる仲間達を想い続けていることを。
今夜は特にそれが酷かった。ここまで来ると一種の病にも思えたが、そんな鈴仙を輝夜達はむしろ好ましいと思っていた。
しかし、いつか想うことに疲れて厭世するのではないかと心配がつきまとっていた。
この子は、月にそのまま残していた方が幸せだったのかもしれない。
輝夜はそんなことを少なからず思いながら、小さな守護者を優しく、そして祈りながら抱きしめた。
「どうかその心まで冷たくなりませんように」
翌日、鈴仙は一転して高熱を出した。
「あら、やりすぎちゃったかしら?」
「あまり冗談をおっしゃらないでください」一体何をやりすぎたと言うのか!あまり穏やかでない想像を追い払うのに大変な永琳であった。
その日、輝夜はてゐを捕まえ鈴仙の容態を伝えると同時にこう付け加えた。
「自分じゃ気がついてない様だけど、普段からあなたの事を尋ねるわよ」
「きっと寂しいのよ」
「・・・・・」
「せめて夜にはちゃんと帰ってきなさい」月と途方も無いにらめっこをしている鈴仙の気を紛らわしたいために言った言葉だった。
合図なのかは定かではないが、てゐは耳をちょこんと下げた。
鈴仙はすっかり体調がよくなり、普段通りに過すある日。
「少し裏に回りません?」と、てゐは永遠亭の主な顔ぶれに呼びかけ一同は永遠亭の裏に向かった。
そこには大小様々な雪ウサギがそこら中にいた。
真っ白な雪ウサギ達はきちんと長い耳を備えていた。耳になっているのは竹の長細い葉、そして都合のいいことにここには
使い切れないほどの竹の葉がある。
てゐの話によると遊び相手となっている妖精に教わったらしい。実際に教えてもらったときは、中に蛙を入れ無理やり
冬眠させたり(すぐに冬眠が出来るわけが無く死んだ)爆竹を仕込んだり(もちろん火薬が濡れて発火しない)中に石を詰めたり(名も
無き妖精に投げつけた)と雪ウサギというより、何が入っているか分からない馬鹿げた代物であった。
月にいたころには雪というものが無いので当然、雪ウサギというもの知らない月の住人達はてゐから簡単な
手ほどきを受け、それぞれ雪ウサギ作りに没頭した。輝夜、永琳、鈴仙の3人はただ作るという行為のほかに
昔を思い出しながら丁寧に作り上げた。
ひとしきり作り終えた後、各々の雪ウサギ達を賞賛しあいながらも自分の作った雪ウサギの出来栄えを自慢することも忘れなかった。
すこし土が混じったために茶が差した雪ウサギを指し示しながらてゐが言った。
「あの雪ウサギが私だね」
「私は姫ですからね、目はちゃんとした宝石よ?」ウサギとは言い難い容姿の輝夜まで、目の部分に赤い小さな
宝石をあしらった雪ウサギを自分の分身として作っていた。
永琳も姫に倣って、自身となる雪ウサギに何か加えようと考えたがなかなかいい案が浮かばなかったようだが
考えた挙句手持ちの粉薬をふりかけた―――!!
しばらく輝夜、永琳、鈴仙は雪ウサギ達を眺めて楽しんだ。てゐは事情を知っているので何も喋らず
その場に身を任せた。輝夜はそっと、てゐに目配りを寄越し目線で礼をした。
「何日ぐらいは平気なんでしょうね・・・」鈴仙は分かっていても、いや分かっているからこそ無意識に口に出したのか
その言葉には出来ることならこのまま残しておきたいという一縷の願いがあったのは明白だった。
「姫、お願いが」と一言、永琳は佇まいを直し姫と称され、自分の主なる者に向き直った。
信頼する従者の短い言葉に込められた意味を正確に受け取った輝夜は笑みで答える。
「この雪ウサギ達に永遠の術をかけます」
幾日が過ぎた夜。今夜は満月だった。
鈴仙はいつものお月見に興じていた。それを見かけた永琳はいつものことだと思い、いつもの台詞を口にする。
「まだ冷えるから、もう上がりなさいよ」
顔を上げてこちらを見る鈴仙の顔には、依然あったような影は見えなかった。そして
「・・・・そうします。おやすみなさい」と軽くお辞儀をして答え、自室に向かうのであった。その潔さに目を見開く永琳、そして
自然と口元が緩み夜の太陽を見上げた。
「今夜は私の相手をしてくださる?兎に振られたお月さんや」鈴仙のいい傾向が見られて気分が弾む永琳であった。
少女はひとり月旅行する。
旅先は永遠亭の裏庭だ。そこに宇宙を思わせるひんやり冷たい空気に抱きすくめられた空間がある。
背の高い竹林を縫って差し込まれる幾条もの光、それを受けて競い合うように煌きあう雪ウサギ達。そんな光景が
永遠に変わることなく続き、いつでも少女を向かい入れる。
そこは幻想郷でもない月世界。
会話文の「」の後に無改行で地の文を続けるのは、ちょっと適切でない気がします。部分的な特殊表現としてはアリかもしれませんが。あと「片時も月にいる仲間達を想い続けていることを」とありますが、これは日本語としておかしい。「片時も月にいる仲間達のことを忘れていないことを」というような用法になるかと思います。また同様に、「向かい入れる」は「迎え入れる」が正しいです。
お節介ばかりグダグダとすみません。温かみのあるストーリーはとても良かったです。鈴仙への愛を感じました。今後も活躍を期待してます。
え~と、最後に誤字を。「依然あったような」→「以前あったような」
月旅行する「少女」は、鈴仙とは限らないのかななどと思ったり。
穏やかな永遠を観せていただきました、ありがとうございます。
誤字はあえて直さずそのままにしておこうと思います。