今日は、彼女が家にやってくる。
「こんにちは、ルナサさん! メルラン!」
「いらっしゃい、妖夢」
「妖夢ー!」
でも、いつでも彼女はこうなんだ。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
あたしの音は届かない。
彼女は、何にも気付いてくれないんだ――
あたしの幻想セレナーデ~Listen to My Melody
染みの浮かぶ天井。
ヒビのはいった壁。
冷たい隙間風があたしの髪を揺らす。
色あせた絨毯。
くすんだ窓ガラス。
ベッドに座り込んだあたしは、一つ小さなため息を漏らした。
ここは、廃洋館。
プリズムリバーという姓の騒霊三姉妹が住みついている、何の変哲もない古ぼけた館。
長女、ルナサ。通称、ルナ姉。
次女、メルラン。通称、メル姉。
三女、リリカ。通称、あたし。
つまり、あたしの名前はリリカ・プリズムリバー。
二人の姉は、今下の階で客人とライブの打ち合わせに興じている。
対してあたしは、あたしの部屋で一人ぼっち。
いわゆるのけものになっている。
――されているわけじゃない。自分からなっているんだ。
それもこれも、すべてはあの客人のせいだ。
騒霊は、手を触れずに物を動かせる。楽器だって、弾ける。
あたし達は、三姉妹で一つの楽団を構成しているんだ。
ルナ姉。ヴァイオリン他、弦楽器担当。
メル姉。トランペット他、管楽器担当。
あたし。キーボード他、なんでも担当。
そんな、プリズムリバー楽団のお得意様の一人。
白玉楼の庭師。あたしからの通称はまだない。
また一つ、隙間風が通り抜ける。
一人ぼっちの部屋にいて、遠く階下から甲高い声が聞こえた。
メル姉がはしゃいでいるに違いない。
迷惑かけてなければいいけど、なんて心配もしながら、心のどこかでその音が耳ざわりだった。
あたしはそっとキーボードに触れる。
ルナ姉は鬱の音を奏でる。メル姉は躁の音を奏でる。
二人の様な音は奏でられないけど、でも、あたしは二人をまとめるんだ。
あたしが奏でるのは、幻想の音。この世には存在しない、曖昧で、でも、確かにそこにある音。
そう、それはあたしで、そして――彼女なんだ。
キーボード――あたしの分身から、あたしの感情がこぼれ出る。
不格好な音が床に落ちて、そのままどこかへ転がっていった。
隙間風があたしの身を凍えさせる。
震える手で、あたしはゆっくりと鍵盤を触っていった。
初めに彼女と会ったのはいつのことだったか。
彼女という存在を一目見て、あたしは何かを感じた。心が強くひかれて、抑えられなくなりそうだった。
半分人間で、半分幽霊。半妖の類よりもさらに稀有な彼女は、一言でいえば幻想の存在である。
あたしの音と同じ。
あたしと、同じ。
初めに彼女の前で弾いてみた時、途中で気付いた。あたしは、彼女に焦がれている。
気付いてから、先は覚えていない。
あたし達が演奏したのは、一曲のセレナーデ。ゆったりとした曲調で、平易な曲だった。
特に、あたしのパートは二人よりも単純なものだった。
だというのに。あの時のあたしにとっては、どこまでも難解に感じられた。
まるで、上下の楽譜が一つに融合しているような感覚までも覚えて。
ミスはしなかった。だけれども、本当に危なかった。
曲が終って、彼女が拍手してくれる。
あたしは、そっと笑顔を返す。
まともに弾き終えられた、という安堵感にあたしは包まれていた。
「貴女の音が、一番好きです」
隙だらけの心に、彼女の言葉が突き刺さる。
焦がれは加速して、そして、そのまま燃え上がっていった。
もはや、彼女の顔を見る事すらもかなわない。
彼女が来てしまえば、あたしの調律はおかしくなってしまうから。
来ることを知って、ちゃんとチューニングしたのに。
それでも、今日もだめだった。
一人部屋に残るあたしは、でたらめにキーボードを叩いている。
不協和音が、内から外からあたしを包み込む。
でも、これで階下の喧噪も聞こえない。
耳障りな雑音が心地よい。何より、今のあたしに相応しいから。
部屋が段々と冷え込んでいく。
指を動かし、鍵盤を押していく。
あたしから、あたしから。
そう、きっとあたしからのけものになっているだけ。
――のけものにされるのが怖いなら、自分からのけものになってしまえばいい。
楽団のリーダーはルナ姉だ。
ライブの依頼は勿論ルナ姉を通さなければならない。
そして、そんな話をするのにこちらは三人も要らない。
お得意様の依頼だし、日程の不都合以外断る理由が無い。
だから、ルナ姉と彼女で話をすべきなんだ。
わたしやメル姉がいても邪魔になるだけ。
なのにメル姉があそこにいるのは、邪魔をしたいからに違いない。
全く、我儘なんだから。
あたしはそんな子供じゃない。
あたしはもっともっと大人だもの。
だから、あたしは一人で大丈夫。
ルナ姉と彼女の関係は良好だ。
どこか馬が合うんだと思う。
時には、二人で――ルナ姉と彼女の二人で飲みに行くこともある。
人生相談、と銘打ってはいるけれども。
ルナ姉の心情が全く読めない。
彼女の心情も同じく読めない。
ただ、あたしはどこか羨ましがっている。
メル姉と彼女の関係も良好だ。
彼女は、メル姉を可愛がっている。
抱きつくメル姉の頭を撫で、顎をくすぐり、膝に乗せて。
メル姉が、まるで小動物か何かみたいになる。
こっちは羨ましくない。
羨ましくなんか、ない。
……別に、羨ましくなんか。
鍵盤を叩く、叩く。
本当に我儘なのはあたしだ。そんなことは分かってる。
微かに聞こえるメル姉の声が、打ち合わせが続いている事を教えてくれる。
終わるときになれば、ルナ姉が呼びに来てくれるはず。
その時までに、この感情を抑えなければならないんだ。
歪な音が流れ出て、部屋が共鳴し始める。
曲なんかじゃない。ただの雑音。まとまりのない感情の奔流。
それは、恋なんだ。
淡い、淡い焦がれた感情を。頬を流れる涙とともに。
音が一つの曲にならない。
紡いだ先から、バラバラに崩れ去って、隙間風に乗って消えていく。
恋やら愛やらを綴った曲は、いくらでもあるんだ。
だけれども、そこで奏でられるのは純粋な恋ばかりなんだ。
倒錯した恋を綴る曲も、曲ならばそこに筋が通っている。
じゃあ、あたしの想いは?
到底、聞けるものじゃない。
がちゃがちゃ、がちゃがちゃと部屋を包む、耳触りな不協和音。
そう、今のあたしみたいなもの。
あたしは、一つの恋を奏でられるのか。
もし綺麗な恋ができたなら、この感情をもっと美しい曲にできるはず――
あたしには無理だ。
出来ない。出来ないよ。
それでもいいや。
当たり前、どうせ片想いなんだから。
それで、いいの。
そもそも、住む世界が違う。
歪な幻想の音を奏でたところで、美しい幻想の音には届かないんだ。
早くこの感情を押し殺さないと。
強く鍵盤を叩くと、悲鳴の様な音が鳴った。
部屋が、家具が小さく振動し始める。
涙が、また一筋こぼれた。
足音が聞こえて、あたしは腕をピタッと止めた。
メル姉とあたしは階段を飛び越える。几帳面に歩いて行き来するのはルナ姉くらいで――ああ、ようやく話し合いが終わったのか。
震える手で布団を掴み、顔をそっとぬぐう。
ベッドに腰掛け、鍵盤を指でなぞる。
チューニングをしていたように見せかけて、そしてルナ姉が扉を叩くのを待った。
足音が部屋の前で止まる。
いつも通り、ノックをして名前を呼んでから部屋に入ってくるはずだ。
あたしは今鍵盤を指でなぞっている。
この後の流れを、頭の中で組み立てるのだ。
まず、ルナ姉の呼びかけを聞く。
一声元気に返事を返して、鍵盤の白と黒を交互に押しながら、首をかしげる。
そして、入ってきたルナ姉に対して「あ、終わったの? 見送らなきゃね」って元気よく言って、部屋を元気よく出て、そこから、階段を飛んで下りて、玄関にいる彼女に一声かけて――
「あ、あの」
そんな計画はどこかに吹きとんでいった。
鍵盤を強く押して、変な音が部屋に響く。
ルナ姉でも、メル姉でもない。
彼女。そう、彼女が私の部屋の前にいる。
ドクン、と胸に強い衝撃が走って、体を冷たい何かが駆け巡る。
私の指がはりついたように鍵盤から動かなくなった。
「え、えーっと。入っても、いいですか?」
声が詰まって、すぐには言葉を返せなかった。
一呼吸おいて、私は彼女に許可を出した。
恐る恐る、といった風に彼女は扉を開ける
冷たい空気が肌を撫ぜた。
内から外から冷たい物に挟まれて、あたしの体に寒気が走る。
「……扉は閉めなくていいよ」
「え、あ、そ、そうですか?」
扉を閉めると、部屋に彼女と二人きりになる。
二人きりになりたい。
心のどこかで望んでいたが、だからこそあたしはあたしを拒絶する。
どうせ、何でもないんだから。
「で、何の用?」
「え、えっと、用は……なくて」
「え、ないの?」
あっけにとられた私に、立ちっぱなしの彼女が曖昧に笑いかける。
まぶしい笑顔だった。
あたしには釣り合わない、美しい幻想の貌。
顔をそむけながら、あたしは言う。
「とりあえずそこらへんに座れば?」
「あ、はい。お言葉に甘えさせていただきます」
彼女は素早く膝をつき、その場に正座した。
あたしから、四歩ほど離れた場所だった。
かしこまって、真剣な面持ちであたしの方を見つめてくるのだ。
まるで、切腹をする前の武士の様に。
正座じゃなくていいよとあたしが言うまで、彼女はずっとそのままでいた。
「……で。何? なんか、あるんでしょ?」
足を崩してもなお、彼女は真摯にあたしを見つめる。
視線が重い。
何故、彼女の視線は鋭くあたしを貫いているのか。
あたしにはさっぱりわからなかった。
「ええと、いえ、その……その!」
「……何もないなら――」
来ないで、くれる?
あたしの意思と裏腹に言葉が吐きだされた。
同時に、後悔があたしの体を襲う。
違う、違うんだ。私が言いたいのはこんなことじゃないんだ。
「ははは、すいません」
「あたしね、キーボードのチューニングしてたの。だから、さ」
鍵盤に張り付いたままの指をじっと見下ろしながら、私は呟く。
違う。
止まって。
お願いだから。
こんなことが言いたかったんじゃないの。
けれども、私の口は気持ちの悪い不協和音を奏で続けるのだ。
「話し合いも終わったんでしょ。ほら、帰った……帰った」
言葉尻がどんどんと下がっていく。
視界の端に移る彼女の膝は、座り込んだまま身動き一つしなかった。
罪悪感が重くのしかかる。
閉じ込めた涙が溢れだしそうになってくる。
早く、帰ってほしい。
そうじゃないと、あたしは泣いてしまいそうだから。
あの日は機嫌が悪かったの。ごめんね。そう、いつか謝るための勇気を作る時間が欲しい。
「帰ってよ」
どうせ、あたしはあたしだ。
「正直邪魔だから」
今は機嫌が悪い末っ子を演じるんだ。
「早く、帰って」
どうせ、彼女何にも気付いてくれないんだから――
一筋の隙間風が通り抜ける。
「貴女は、何にも気づいてくれはしないのですね」
吹き抜けた隙間風が、あたしに刺さった。
聞こえてきたのは、掠れた声だった。
思わず声の方を向くと、彼女は大粒の涙を浮かべては落としていた。
「ちょ、ちょっと?」
「来ないでくださいっ!」
思わず腰を浮かして駆け寄ろうとしたあたしに、彼女の鋭い声が突き刺さった。
身動きを止めるあたしと、彼女。
一言もしゃべらないまま、場を沈黙が支配する。
「な、なんで……なんでよ!」
沈黙を突き破るように、私は叫んだ。
一歩踏み出して、彼女の方に近付いて行く。
「なんでもなにも! 貴女が……私を拒絶するからっ!」
浮かせた足が、凍りついた。
まるで、時が止まったよう。
思考回路が焼けついて、身動きが取れない。
彼女の流す涙のみが、この世界で動いていた。
「……忘れてください。戯言です」
涙を袖で拭い、彼女は懐に手を入れる。
くしゃり、という乾いた音があたしの耳に入ってきた。
「ちょ、ちょっとちょっと! 忘れろだなんて、そんな」
「いいから! 忘れろと、言っているんですよ!」
彼女の腕が、何かをあたしに向かって投げつける。
放物線を描きあたしの足元に転がったそれを拾い上げた。
「――手紙?」
封を止めていたのは、メル姉が好きそうなハート形のシール。
一体何なのか。問いかけようと私が顔を上げれば、そこには彼女の背中が――
「捨てておいてください。それは、もうゴミ……いえ、もう要らなくなりましたから」
近いはずなのに、その背中はどこまでも遠く。
そして、どこまでも小さく見えた。
「もう、帰りますね」
「ハート……?」
「――」
彼女の肩が、ピクリと跳ねた。
そして、大きく首を横に振る。
「中身を見ずに、捨てておいてください」
「やだ」
「っ……お願い、します」
彼女が震えた声でそう言ったときに、あたしはすでに便せんから手紙を取り出していた。
くしゃくしゃの手紙に、筆で一言だけ書いてある。
『好きです』
思わず、手紙を取り落とす。
ふわふわと落ちていくてがみと便せん。
抑えていた何かが決壊した。
「待って!」
顔を上げれば、彼女は部屋から去ろうとしていた。
あたしの言葉に小さく首を振って、今すぐにでも駆け出して行こうとする。
どうすれば止められるか。咄嗟に頭を働かせた。
「また来てね」
最後に残った平静さで、あたしはそう呼びかけて。そして、一歩踏み出す。
きっと、律儀な彼女ならばあたしの望むようにしてくれるはずだった。
"……ええ、では"
部屋を出る前に、彼女はもう一度こちらを振りかえる。
"失礼"
残りの距離は、飛び越えた。
"いたし"
きっとあたしも泣いていた。
"ま"
「ダメ」
最後まで言わせない。
あたしは彼女を思いきり抱きしめた。
たがいにそれ以上言葉を出すことなどできず。
無言のまま抱きあって、暫くの間は泣き続けていた。
なんとか落ち着きを取り戻し、ぐちゃぐちゃの顔で隣り合わせに座るあたし達。
会話は一つもなかった。
何かをしなきゃいけない。
何かを言わなきゃいけない。
でも、何を言えばいいのか分からない。
今までに開いた隙間と先程の一件が、あたしを縛りつける。
このままだと、妖夢が帰らなくちゃいけない時間が来ちゃう。
だけれども、気まずい。
うまく距離を測れない。
一体、どうすれば――
「……あの曲を、弾いていただけませんか?」
初めに口を開いたのは、彼女の方だった。
突然の申し出に、思わずあたしは身構えて、彼女の顔を見つめる。
涙痕が残る彼女の顔は、あたしを見てしどろもどろになっていた。
「え、えっと、その、急にごめんなさい」
「あ、いや、その。いいんだけど、いいんだけど、えっと……わ、わかった、やってみるね」
慌ててキーボードを手に取り、集中する。
あたし一人で弾くなら、メロディを弾かなくちゃいけない。
楽譜は頭の中に入っていた。けど、いざ弾こうとすれば思い出せない。
五線譜が、音符が、休符が、頭の中でごちゃ混ぜに絡み合う。
指が震えて、鍵盤をうまく触れない。
深呼吸をして、されど落ち着かない事があたしをさらに苦しめる。
「あ、あの」
彼女の声が耳元をくすぐる。
勢い余って鍵盤を強く押してしまい、外れた妙な音が飛び出した。
「……ごめん、今のあたしには、ちょっと――」
「急がなくても、いいんですよ」
さえぎるように、彼女はそっと笑いかけてきた。
続く言葉をごもごもとかみ殺して、あたしもそっと笑い返す。
急がなくていい。
ゆっくりでいい。
ゆっくり、弾けばいい。
テンポを落として、曲の概要を軽く弾く。
「ああ、懐かしいなぁ」
彼女は眼を閉じて、音に身をゆだねていた。
テンポを少しずつ戻していく。
頭の中で絡まった楽譜を一つずつほどき、音にしていく。
「いつ聞いても、いい音ですよね。本当に、綺麗で」
彼女の呟きに、指を滑らせそうになる。
それでもなんとか持ち直して、音を紡ぐ。
音は小節を刻み、ぎこちないながら曲となる。
あの日のセレナーデを、想いをこめて――
「これで、なんとか諦められそうです」
終章を前に、彼女は呟いた。
思いきり音を外して、私の体が止まる。
「……あ、あれ。やめちゃうんですか?」
目をつぶったままの姿で彼女は言う。
どうしても気になったことを、あたしは尋ねた。
「諦める、って……?」
「貴女の事を、です。あの手紙、読みましたよね? 先程はすいません、つい憤ってしまって」
ふざけないで。
言葉が口からこぼれ出る前に、何とかとどまる。
そういえば、あたしの想いは言葉にはしていない。
まだ、彼女は気付いていないんだ。
「もうちょっと……もうちょっとだけ、目閉じてて」
「はい?」
律儀に目を閉じたまま、彼女は首をかしげる。
今度はあたしの番だ。
キーボードから手を離し、彼女の姿をこの瞳に映す。
手を伸ばして彼女の肩に触れると、小さく体の震えが感じられた。
「な、なんですか?」
返事をせずに、あたしはそのまま彼女に抱きついた。
彼女の色白の頬に小さく赤みが差し、鼓動が早まるのが聞こえる。
その頬に軽く口づけて、そして耳元で囁いた。
"あたしも、妖夢の事好きだから"
彼女の顔……いや、妖夢の顔が真っ赤に染まる。
「え、ちょっと、何を言ってるんでるんですかリリカさ――」
言葉は、無理やりふさいだ。
「……ちょ、ちょ、え、と、あ、え、う」
妖夢は、壊れかけの楽器の様に細切れの声を上げる。
そっと腕を解くと、妖夢はベッドに転がって身動きしなくなる。
「ずるいですよ……リリカさん」
「これで、あたしの想いは伝わった?」
「……っ!」
ようやく意味に気付いたのか、妖夢は手で顔を隠してしまった。
あたしだって、恥ずかしいのに。
だけど、伝わって良かった。
隙間風が、あたし達の隙間を暖かく埋めていく。
同時に、あたしの背中を押してくれる。
いまだ身動き一つしない妖夢に向かって、あたしは呼びかけた。
「妖夢」
「……な、なんですか」
「もう一回、あの曲を弾くよ」
今なら、一つの恋を綺麗な音にできる気がする。
あたしは、鍵盤に触れた。
あふれ出る想いを。
音に乗せて。
一つの曲を、奏でろ。
あたしの力があふれ出して家具へ部屋へと伝わり、しまいには洋館をも揺らすようになる。
キーボードだけじゃない。建物自体を一つの楽器の様に奏でるんだ。
「す、すごい」
彼女が息をのむのが聞こえた。
力がどんどんわいてきて、伝播していく。
セレナーデにしては、乱暴で、激しいけれども。
それでも、これがあたしの想いで、あたし自身なんだ。
風があたし達を包み込む。
階下から、ヴァイオリンとトランペットの音が聞こえ始めた。
ルナ姉とメル姉だ。
あたしの想いに二人の想いが混ざり込むのは、ちょっとだけ納得がいかないけど。
でも、二人がいなくちゃあたしじゃない。
あたしは、リリカ・プリズムリバーだから。
――あたしの音を、聞け。
「こんにちは、ルナサさん! メルラン!」
「いらっしゃい、妖夢」
「妖夢ー!」
でも、いつでも彼女はこうなんだ。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
あたしの音は届かない。
彼女は、何にも気付いてくれないんだ――
あたしの幻想セレナーデ~Listen to My Melody
染みの浮かぶ天井。
ヒビのはいった壁。
冷たい隙間風があたしの髪を揺らす。
色あせた絨毯。
くすんだ窓ガラス。
ベッドに座り込んだあたしは、一つ小さなため息を漏らした。
ここは、廃洋館。
プリズムリバーという姓の騒霊三姉妹が住みついている、何の変哲もない古ぼけた館。
長女、ルナサ。通称、ルナ姉。
次女、メルラン。通称、メル姉。
三女、リリカ。通称、あたし。
つまり、あたしの名前はリリカ・プリズムリバー。
二人の姉は、今下の階で客人とライブの打ち合わせに興じている。
対してあたしは、あたしの部屋で一人ぼっち。
いわゆるのけものになっている。
――されているわけじゃない。自分からなっているんだ。
それもこれも、すべてはあの客人のせいだ。
騒霊は、手を触れずに物を動かせる。楽器だって、弾ける。
あたし達は、三姉妹で一つの楽団を構成しているんだ。
ルナ姉。ヴァイオリン他、弦楽器担当。
メル姉。トランペット他、管楽器担当。
あたし。キーボード他、なんでも担当。
そんな、プリズムリバー楽団のお得意様の一人。
白玉楼の庭師。あたしからの通称はまだない。
また一つ、隙間風が通り抜ける。
一人ぼっちの部屋にいて、遠く階下から甲高い声が聞こえた。
メル姉がはしゃいでいるに違いない。
迷惑かけてなければいいけど、なんて心配もしながら、心のどこかでその音が耳ざわりだった。
あたしはそっとキーボードに触れる。
ルナ姉は鬱の音を奏でる。メル姉は躁の音を奏でる。
二人の様な音は奏でられないけど、でも、あたしは二人をまとめるんだ。
あたしが奏でるのは、幻想の音。この世には存在しない、曖昧で、でも、確かにそこにある音。
そう、それはあたしで、そして――彼女なんだ。
キーボード――あたしの分身から、あたしの感情がこぼれ出る。
不格好な音が床に落ちて、そのままどこかへ転がっていった。
隙間風があたしの身を凍えさせる。
震える手で、あたしはゆっくりと鍵盤を触っていった。
初めに彼女と会ったのはいつのことだったか。
彼女という存在を一目見て、あたしは何かを感じた。心が強くひかれて、抑えられなくなりそうだった。
半分人間で、半分幽霊。半妖の類よりもさらに稀有な彼女は、一言でいえば幻想の存在である。
あたしの音と同じ。
あたしと、同じ。
初めに彼女の前で弾いてみた時、途中で気付いた。あたしは、彼女に焦がれている。
気付いてから、先は覚えていない。
あたし達が演奏したのは、一曲のセレナーデ。ゆったりとした曲調で、平易な曲だった。
特に、あたしのパートは二人よりも単純なものだった。
だというのに。あの時のあたしにとっては、どこまでも難解に感じられた。
まるで、上下の楽譜が一つに融合しているような感覚までも覚えて。
ミスはしなかった。だけれども、本当に危なかった。
曲が終って、彼女が拍手してくれる。
あたしは、そっと笑顔を返す。
まともに弾き終えられた、という安堵感にあたしは包まれていた。
「貴女の音が、一番好きです」
隙だらけの心に、彼女の言葉が突き刺さる。
焦がれは加速して、そして、そのまま燃え上がっていった。
もはや、彼女の顔を見る事すらもかなわない。
彼女が来てしまえば、あたしの調律はおかしくなってしまうから。
来ることを知って、ちゃんとチューニングしたのに。
それでも、今日もだめだった。
一人部屋に残るあたしは、でたらめにキーボードを叩いている。
不協和音が、内から外からあたしを包み込む。
でも、これで階下の喧噪も聞こえない。
耳障りな雑音が心地よい。何より、今のあたしに相応しいから。
部屋が段々と冷え込んでいく。
指を動かし、鍵盤を押していく。
あたしから、あたしから。
そう、きっとあたしからのけものになっているだけ。
――のけものにされるのが怖いなら、自分からのけものになってしまえばいい。
楽団のリーダーはルナ姉だ。
ライブの依頼は勿論ルナ姉を通さなければならない。
そして、そんな話をするのにこちらは三人も要らない。
お得意様の依頼だし、日程の不都合以外断る理由が無い。
だから、ルナ姉と彼女で話をすべきなんだ。
わたしやメル姉がいても邪魔になるだけ。
なのにメル姉があそこにいるのは、邪魔をしたいからに違いない。
全く、我儘なんだから。
あたしはそんな子供じゃない。
あたしはもっともっと大人だもの。
だから、あたしは一人で大丈夫。
ルナ姉と彼女の関係は良好だ。
どこか馬が合うんだと思う。
時には、二人で――ルナ姉と彼女の二人で飲みに行くこともある。
人生相談、と銘打ってはいるけれども。
ルナ姉の心情が全く読めない。
彼女の心情も同じく読めない。
ただ、あたしはどこか羨ましがっている。
メル姉と彼女の関係も良好だ。
彼女は、メル姉を可愛がっている。
抱きつくメル姉の頭を撫で、顎をくすぐり、膝に乗せて。
メル姉が、まるで小動物か何かみたいになる。
こっちは羨ましくない。
羨ましくなんか、ない。
……別に、羨ましくなんか。
鍵盤を叩く、叩く。
本当に我儘なのはあたしだ。そんなことは分かってる。
微かに聞こえるメル姉の声が、打ち合わせが続いている事を教えてくれる。
終わるときになれば、ルナ姉が呼びに来てくれるはず。
その時までに、この感情を抑えなければならないんだ。
歪な音が流れ出て、部屋が共鳴し始める。
曲なんかじゃない。ただの雑音。まとまりのない感情の奔流。
それは、恋なんだ。
淡い、淡い焦がれた感情を。頬を流れる涙とともに。
音が一つの曲にならない。
紡いだ先から、バラバラに崩れ去って、隙間風に乗って消えていく。
恋やら愛やらを綴った曲は、いくらでもあるんだ。
だけれども、そこで奏でられるのは純粋な恋ばかりなんだ。
倒錯した恋を綴る曲も、曲ならばそこに筋が通っている。
じゃあ、あたしの想いは?
到底、聞けるものじゃない。
がちゃがちゃ、がちゃがちゃと部屋を包む、耳触りな不協和音。
そう、今のあたしみたいなもの。
あたしは、一つの恋を奏でられるのか。
もし綺麗な恋ができたなら、この感情をもっと美しい曲にできるはず――
あたしには無理だ。
出来ない。出来ないよ。
それでもいいや。
当たり前、どうせ片想いなんだから。
それで、いいの。
そもそも、住む世界が違う。
歪な幻想の音を奏でたところで、美しい幻想の音には届かないんだ。
早くこの感情を押し殺さないと。
強く鍵盤を叩くと、悲鳴の様な音が鳴った。
部屋が、家具が小さく振動し始める。
涙が、また一筋こぼれた。
足音が聞こえて、あたしは腕をピタッと止めた。
メル姉とあたしは階段を飛び越える。几帳面に歩いて行き来するのはルナ姉くらいで――ああ、ようやく話し合いが終わったのか。
震える手で布団を掴み、顔をそっとぬぐう。
ベッドに腰掛け、鍵盤を指でなぞる。
チューニングをしていたように見せかけて、そしてルナ姉が扉を叩くのを待った。
足音が部屋の前で止まる。
いつも通り、ノックをして名前を呼んでから部屋に入ってくるはずだ。
あたしは今鍵盤を指でなぞっている。
この後の流れを、頭の中で組み立てるのだ。
まず、ルナ姉の呼びかけを聞く。
一声元気に返事を返して、鍵盤の白と黒を交互に押しながら、首をかしげる。
そして、入ってきたルナ姉に対して「あ、終わったの? 見送らなきゃね」って元気よく言って、部屋を元気よく出て、そこから、階段を飛んで下りて、玄関にいる彼女に一声かけて――
「あ、あの」
そんな計画はどこかに吹きとんでいった。
鍵盤を強く押して、変な音が部屋に響く。
ルナ姉でも、メル姉でもない。
彼女。そう、彼女が私の部屋の前にいる。
ドクン、と胸に強い衝撃が走って、体を冷たい何かが駆け巡る。
私の指がはりついたように鍵盤から動かなくなった。
「え、えーっと。入っても、いいですか?」
声が詰まって、すぐには言葉を返せなかった。
一呼吸おいて、私は彼女に許可を出した。
恐る恐る、といった風に彼女は扉を開ける
冷たい空気が肌を撫ぜた。
内から外から冷たい物に挟まれて、あたしの体に寒気が走る。
「……扉は閉めなくていいよ」
「え、あ、そ、そうですか?」
扉を閉めると、部屋に彼女と二人きりになる。
二人きりになりたい。
心のどこかで望んでいたが、だからこそあたしはあたしを拒絶する。
どうせ、何でもないんだから。
「で、何の用?」
「え、えっと、用は……なくて」
「え、ないの?」
あっけにとられた私に、立ちっぱなしの彼女が曖昧に笑いかける。
まぶしい笑顔だった。
あたしには釣り合わない、美しい幻想の貌。
顔をそむけながら、あたしは言う。
「とりあえずそこらへんに座れば?」
「あ、はい。お言葉に甘えさせていただきます」
彼女は素早く膝をつき、その場に正座した。
あたしから、四歩ほど離れた場所だった。
かしこまって、真剣な面持ちであたしの方を見つめてくるのだ。
まるで、切腹をする前の武士の様に。
正座じゃなくていいよとあたしが言うまで、彼女はずっとそのままでいた。
「……で。何? なんか、あるんでしょ?」
足を崩してもなお、彼女は真摯にあたしを見つめる。
視線が重い。
何故、彼女の視線は鋭くあたしを貫いているのか。
あたしにはさっぱりわからなかった。
「ええと、いえ、その……その!」
「……何もないなら――」
来ないで、くれる?
あたしの意思と裏腹に言葉が吐きだされた。
同時に、後悔があたしの体を襲う。
違う、違うんだ。私が言いたいのはこんなことじゃないんだ。
「ははは、すいません」
「あたしね、キーボードのチューニングしてたの。だから、さ」
鍵盤に張り付いたままの指をじっと見下ろしながら、私は呟く。
違う。
止まって。
お願いだから。
こんなことが言いたかったんじゃないの。
けれども、私の口は気持ちの悪い不協和音を奏で続けるのだ。
「話し合いも終わったんでしょ。ほら、帰った……帰った」
言葉尻がどんどんと下がっていく。
視界の端に移る彼女の膝は、座り込んだまま身動き一つしなかった。
罪悪感が重くのしかかる。
閉じ込めた涙が溢れだしそうになってくる。
早く、帰ってほしい。
そうじゃないと、あたしは泣いてしまいそうだから。
あの日は機嫌が悪かったの。ごめんね。そう、いつか謝るための勇気を作る時間が欲しい。
「帰ってよ」
どうせ、あたしはあたしだ。
「正直邪魔だから」
今は機嫌が悪い末っ子を演じるんだ。
「早く、帰って」
どうせ、彼女何にも気付いてくれないんだから――
一筋の隙間風が通り抜ける。
「貴女は、何にも気づいてくれはしないのですね」
吹き抜けた隙間風が、あたしに刺さった。
聞こえてきたのは、掠れた声だった。
思わず声の方を向くと、彼女は大粒の涙を浮かべては落としていた。
「ちょ、ちょっと?」
「来ないでくださいっ!」
思わず腰を浮かして駆け寄ろうとしたあたしに、彼女の鋭い声が突き刺さった。
身動きを止めるあたしと、彼女。
一言もしゃべらないまま、場を沈黙が支配する。
「な、なんで……なんでよ!」
沈黙を突き破るように、私は叫んだ。
一歩踏み出して、彼女の方に近付いて行く。
「なんでもなにも! 貴女が……私を拒絶するからっ!」
浮かせた足が、凍りついた。
まるで、時が止まったよう。
思考回路が焼けついて、身動きが取れない。
彼女の流す涙のみが、この世界で動いていた。
「……忘れてください。戯言です」
涙を袖で拭い、彼女は懐に手を入れる。
くしゃり、という乾いた音があたしの耳に入ってきた。
「ちょ、ちょっとちょっと! 忘れろだなんて、そんな」
「いいから! 忘れろと、言っているんですよ!」
彼女の腕が、何かをあたしに向かって投げつける。
放物線を描きあたしの足元に転がったそれを拾い上げた。
「――手紙?」
封を止めていたのは、メル姉が好きそうなハート形のシール。
一体何なのか。問いかけようと私が顔を上げれば、そこには彼女の背中が――
「捨てておいてください。それは、もうゴミ……いえ、もう要らなくなりましたから」
近いはずなのに、その背中はどこまでも遠く。
そして、どこまでも小さく見えた。
「もう、帰りますね」
「ハート……?」
「――」
彼女の肩が、ピクリと跳ねた。
そして、大きく首を横に振る。
「中身を見ずに、捨てておいてください」
「やだ」
「っ……お願い、します」
彼女が震えた声でそう言ったときに、あたしはすでに便せんから手紙を取り出していた。
くしゃくしゃの手紙に、筆で一言だけ書いてある。
『好きです』
思わず、手紙を取り落とす。
ふわふわと落ちていくてがみと便せん。
抑えていた何かが決壊した。
「待って!」
顔を上げれば、彼女は部屋から去ろうとしていた。
あたしの言葉に小さく首を振って、今すぐにでも駆け出して行こうとする。
どうすれば止められるか。咄嗟に頭を働かせた。
「また来てね」
最後に残った平静さで、あたしはそう呼びかけて。そして、一歩踏み出す。
きっと、律儀な彼女ならばあたしの望むようにしてくれるはずだった。
"……ええ、では"
部屋を出る前に、彼女はもう一度こちらを振りかえる。
"失礼"
残りの距離は、飛び越えた。
"いたし"
きっとあたしも泣いていた。
"ま"
「ダメ」
最後まで言わせない。
あたしは彼女を思いきり抱きしめた。
たがいにそれ以上言葉を出すことなどできず。
無言のまま抱きあって、暫くの間は泣き続けていた。
なんとか落ち着きを取り戻し、ぐちゃぐちゃの顔で隣り合わせに座るあたし達。
会話は一つもなかった。
何かをしなきゃいけない。
何かを言わなきゃいけない。
でも、何を言えばいいのか分からない。
今までに開いた隙間と先程の一件が、あたしを縛りつける。
このままだと、妖夢が帰らなくちゃいけない時間が来ちゃう。
だけれども、気まずい。
うまく距離を測れない。
一体、どうすれば――
「……あの曲を、弾いていただけませんか?」
初めに口を開いたのは、彼女の方だった。
突然の申し出に、思わずあたしは身構えて、彼女の顔を見つめる。
涙痕が残る彼女の顔は、あたしを見てしどろもどろになっていた。
「え、えっと、その、急にごめんなさい」
「あ、いや、その。いいんだけど、いいんだけど、えっと……わ、わかった、やってみるね」
慌ててキーボードを手に取り、集中する。
あたし一人で弾くなら、メロディを弾かなくちゃいけない。
楽譜は頭の中に入っていた。けど、いざ弾こうとすれば思い出せない。
五線譜が、音符が、休符が、頭の中でごちゃ混ぜに絡み合う。
指が震えて、鍵盤をうまく触れない。
深呼吸をして、されど落ち着かない事があたしをさらに苦しめる。
「あ、あの」
彼女の声が耳元をくすぐる。
勢い余って鍵盤を強く押してしまい、外れた妙な音が飛び出した。
「……ごめん、今のあたしには、ちょっと――」
「急がなくても、いいんですよ」
さえぎるように、彼女はそっと笑いかけてきた。
続く言葉をごもごもとかみ殺して、あたしもそっと笑い返す。
急がなくていい。
ゆっくりでいい。
ゆっくり、弾けばいい。
テンポを落として、曲の概要を軽く弾く。
「ああ、懐かしいなぁ」
彼女は眼を閉じて、音に身をゆだねていた。
テンポを少しずつ戻していく。
頭の中で絡まった楽譜を一つずつほどき、音にしていく。
「いつ聞いても、いい音ですよね。本当に、綺麗で」
彼女の呟きに、指を滑らせそうになる。
それでもなんとか持ち直して、音を紡ぐ。
音は小節を刻み、ぎこちないながら曲となる。
あの日のセレナーデを、想いをこめて――
「これで、なんとか諦められそうです」
終章を前に、彼女は呟いた。
思いきり音を外して、私の体が止まる。
「……あ、あれ。やめちゃうんですか?」
目をつぶったままの姿で彼女は言う。
どうしても気になったことを、あたしは尋ねた。
「諦める、って……?」
「貴女の事を、です。あの手紙、読みましたよね? 先程はすいません、つい憤ってしまって」
ふざけないで。
言葉が口からこぼれ出る前に、何とかとどまる。
そういえば、あたしの想いは言葉にはしていない。
まだ、彼女は気付いていないんだ。
「もうちょっと……もうちょっとだけ、目閉じてて」
「はい?」
律儀に目を閉じたまま、彼女は首をかしげる。
今度はあたしの番だ。
キーボードから手を離し、彼女の姿をこの瞳に映す。
手を伸ばして彼女の肩に触れると、小さく体の震えが感じられた。
「な、なんですか?」
返事をせずに、あたしはそのまま彼女に抱きついた。
彼女の色白の頬に小さく赤みが差し、鼓動が早まるのが聞こえる。
その頬に軽く口づけて、そして耳元で囁いた。
"あたしも、妖夢の事好きだから"
彼女の顔……いや、妖夢の顔が真っ赤に染まる。
「え、ちょっと、何を言ってるんでるんですかリリカさ――」
言葉は、無理やりふさいだ。
「……ちょ、ちょ、え、と、あ、え、う」
妖夢は、壊れかけの楽器の様に細切れの声を上げる。
そっと腕を解くと、妖夢はベッドに転がって身動きしなくなる。
「ずるいですよ……リリカさん」
「これで、あたしの想いは伝わった?」
「……っ!」
ようやく意味に気付いたのか、妖夢は手で顔を隠してしまった。
あたしだって、恥ずかしいのに。
だけど、伝わって良かった。
隙間風が、あたし達の隙間を暖かく埋めていく。
同時に、あたしの背中を押してくれる。
いまだ身動き一つしない妖夢に向かって、あたしは呼びかけた。
「妖夢」
「……な、なんですか」
「もう一回、あの曲を弾くよ」
今なら、一つの恋を綺麗な音にできる気がする。
あたしは、鍵盤に触れた。
あふれ出る想いを。
音に乗せて。
一つの曲を、奏でろ。
あたしの力があふれ出して家具へ部屋へと伝わり、しまいには洋館をも揺らすようになる。
キーボードだけじゃない。建物自体を一つの楽器の様に奏でるんだ。
「す、すごい」
彼女が息をのむのが聞こえた。
力がどんどんわいてきて、伝播していく。
セレナーデにしては、乱暴で、激しいけれども。
それでも、これがあたしの想いで、あたし自身なんだ。
風があたし達を包み込む。
階下から、ヴァイオリンとトランペットの音が聞こえ始めた。
ルナ姉とメル姉だ。
あたしの想いに二人の想いが混ざり込むのは、ちょっとだけ納得がいかないけど。
でも、二人がいなくちゃあたしじゃない。
あたしは、リリカ・プリズムリバーだから。
――あたしの音を、聞け。
というか立ち位置的にはルナサと変わらないわけで、もっとあってもおかしくないですよね。