妖怪の山。
もともとは私たち天狗や、河童のテリトリー。
鬼から受け継いだこの地は、他の無粋な妖怪はもとより、
人間が足を踏み入れることはなかった。
第一、麓の人里からこの山までくるのは人の手には余る険しさであり、
ときどき自分の力を見誤った妖怪ハンターが上ってくるくらいだった。
そして同時に、天狗も河童も、妖怪同士の決め事でもない限りは
麓に下りてくることは滅多になかった。
その日も新聞のネタを探してた私は、煮詰まっていたのだろう、
山の中腹地点まで下っていた。
中腹と言っても、既に傾斜は結構なもの。大の大人でもそうそう身動きが取れるものではない。
そんな中腹に、たまたま一人の人間が倒れていた。
ここ数年は、妖怪ハンターの来訪もなかった。
私は久々の人間に興味がわいた。そのまま誰にも告げず、近くの洞までその人間を運んだ。
洞の中で、私はその人間を観察した。
その人間は、短命な人間の中でもまだ若い様子だった。
人間ではそろそろ母親になっているころであろう年頃と見受けた。・・・・・・そう、その人間は女だった。
先にも触れたが、妖怪の山に人間が来るのは稀だが、更に稀なことに、
家出やら遊びやらで迷い込んだ童が山の中に紛れることもあった。
大抵の場合、麓の別の妖怪の馳走と変わるのだが。
しかし、その人間は、そのどちらでもないようだった。
人間の持ち物を検めてみたが、いわゆる退魔の類は持ち合わせておらず、
されど背負っていたた荷は明らかに山を登ろうという意図で用意したものであった。
そして何より、その出立ちは、まるで手折れた小枝のような弱弱しい姿だった。
荷を検め終えて、愛用の文花帖にそのことを記そうとしたとき、その人間は目覚めた。
「・・・・・・ん・・・・・・あ、あれ?こ・・・・・・こは?」
彼女は洞の暗がりに一瞬うろたえたようだが、すぐに状況を把握したようだ。
私の存在に気づくと深々と礼をしてきた。
どうやら私に警戒はしていないらしい。私は羽を見せていると言うのに。
「ところで、ここはどのあたりでしょうか?」
更に堂々とこんなことを訊いてきた。
この山で天狗に会うことは、命の危険が伴うことはいまや小童でも知っているのに。
私は脅すつもりで、ここを天狗の町の檻の中だと嘘を吐いた。
すると人間の女は驚かず、恐れず、噴出すではないか。
「荷物と一緒に牢に入れるなんて、お茶目な天狗さんですね」
人間にしては聡明だった。同時に中々の肝を持っている様子。
並みの妖怪ならこういう相手に恐れを抱かせたくなるのだが、私はこの人間に興味を持った。
元々私たち天狗も鬼の脅威の下にいた過去があり、
その鬼を結果的に駆逐した存在である人間のことを知りたくなるのは決して間違いではないと思う。
さて、そうなると記者の性、彼女になぜここに来たのかを取材することにした。
「私は、あなた達のことを八雲紫さんから伺っていました」
八雲紫といえば、天魔様とも面識のある妖怪である。その名が出たのに、少々驚きを覚えた。
彼女は妖怪としては正に「大妖怪」に相応しい力と知恵を兼ね備えてるが、天は妖怪にも二物を与えず、
どうも人の天敵としての妖怪の自尊心は低く、過去にも人間の死に涙したとの話もある。
この人間があのスキマ妖怪と関係があるのもおかしくはないだろう。
「とても優れた力と知恵をお持ちの方々と、彼女は仰っていました。
実は私、この幻想郷のことを纏める書を執筆していまして、
この山のことを、直に知りたいと思い、こうして参りました」
ここで彼女の稼業に気づけなかったのは、当時の私の認識不足であった。
私はこの話を聞いて、彼女のことを同業者と思った。
八雲紫との関係も記者と裏の情報源と思えば理解できたからだ。
しかし。
そうすると、その曇った目でもまだ違和感のある部分がある。いうなれば、
解せない。
彼女の話を聞いて、私は疑問に思った。
山の話をしたのがあのスキマ妖怪なら、この人間がこの山に来るのを止めるはず。
もし手を貸しているとしても、この人間を一人にしたりしないはずである。
私は更に尋ねた。命は惜しくないのかと。
すると、人とは思えない返答が帰ってきた。
「私の残された時間は、もうほとんどありませんから」
流石に驚いた。いくら人間が短命でも、その見かけでそんな発言はない。
病でも患っているのか、それとも麓の下賎な妖怪の贄にでもされるのか、はたまた術で歳を誤魔化してるのかと。
その問いに、その人間は年齢詐称なんて酷い、と笑いながらこう答えた。
「既に転生の儀も滞りなく済ませましたから、あとは残された時間を無駄にしたくないのです」
彼女が言うには、自分は先祖の記憶を持ち合わせており、更にそれを自分が生まれ変わるときに引き継ぐことが出来るらしい。
されどその代償に、長く生きられず、また同時に生前から儀式を数年にわたり執り行わなければいけないらしい。
とんでもない話である。いくら儀式を行うとはいえ、転生を意図的に行うのは妖怪でも例をみない。
ましてやその記憶を引き継ぐなんて。すぐ再生する妖精たちでも記憶までは怪しいものだ。
「そうですよね。妖精たちはすぐ自力で舞い戻れるんですよね。不公平ですよね」
その人間も妖精の生について理解しているらしい、不満を口にしていた。
私もつい、ですよねー、と返した。どちらからともなく笑みがこぼれた。
変わった人間だと思った。
鬼から伝え聞いた人間は、その短き生を守るために、手段も選ばず、ただ生きるためだけに生きている存在だと。
だが目の前の人間はどうだ。私たちの使役するカラスほどしか生きられないと言うのに、こんなことで笑えるのだ。
もし彼女が鬼が残っているうちに出会っていたら、あと100年は鬼が山に残っていたであろう。
「ところで、取材の報酬はもらえますか?もちろんあなたに迷惑をおかけしません」
その人間が切り出してきた。私の答えられる範囲で話を聞かせてほしいと。
私は彼女のそのときの顔が、非常に見慣れた表情であったのを覚えている。
私たち天狗が、新しいネタを嗅ぎ付けて、その関係者を射止めたときの顔である。
私は、その人間に、興味以上の親しみを感じた。
その日は、そのまま夜が更けるまで、語り明かした。
空が白む前、私は彼女を人里に送った。
幸い、まだ里の人間はほとんどが眠りに付いていた。
「では、このあたりで結構です。あなたも他の人に見つかると大変でしょうから」
この天狗が人間ごときに危険に晒されることはありえないのだが、余計な揉め事は確かに私も望んでいない。
別れ際に、もう一つだけ彼女に質問を受けた。
「最後に、お名前を伺っていませんでしたね、よろしければお教えくださいませんか?」
私はそこで持っていた文花帖の一頁に名前を書いて切り渡した。
ただ、その後の読み方を聞かれたときには「ふみ」と偽った。
今回は偶然と気まぐれで彼女を助け、情報を交換したが、今後もうまくいくわけではない。
しかし、この行為は鬼がいなくなったからこそできる芸当である。
つまりは嘘を吐くのもここ数百年滅多になかった。
こうも平気で嘘を吐いた自分は、多分どこかぎこちなかったであろう。
彼女は気づいていたのかいないのか分からないが、その名で礼を述べていた。
そして、彼女の屋敷の前で、彼女と別れた。
・・・・・・・私が初めて人間の里に下りた日である。
このことは記事にはしなかった。・・・・・・別に秘密にしたかったからではない。
肝心の記事を書いた紙が、彼女に名前を教えた頁そのものだったからである。
なんという不覚。
それから数日後、私はいつものネタ探しに飛んだ。
飛んだだけで、すぐ戻っていた。
なぜか面白くないのだ。代わり映えがあまりない。
私たち天狗の記事は、実際にある事件ををどれだけ面白い記事にするかが腕の見せ所である。
大げさに言えば、毎日が記事のネタではあるのだ。
しかし、もしその事件そのものがとんでもない愉快な事件だったら?
或いは、正にその瞬間しか起こりえない事件だとすれば?
そんなことを考えては消え、たまに思い出しては忘れて、
やっと天狗らしくネタ探しに集中しようかと思っていた矢先だった。
その日、哨戒天狗の犬走から客人の知らせがあった。なんでも天魔様からの伝だ。
記事のネタに困っていたのもあり、早速向かうと、そこには、あのスキマ妖怪、八雲紫がいた。
二、三度彼女とは面を合わせたことはあるが、その日の彼女は、
普段のあの人を食ったような不敵な雰囲気はない、どこか重みのある表情だった。
「ごきげんいかが。今日は貴方に形見分けよ」
そういって彼女は包みを渡してきた。
私が怪訝な顔をしていると、彼女は自分のことを疑われてると思ったのであろう、
「大丈夫よ、他人の最後の願いを戯れに利用するほど暇でもないわ」
そういって私を促した。
果たしてその包みを開けてみると、中にあったのは2つの折本だった。
一冊には「幻想郷縁起」と銘打たれていた。
中身を見てみると、人間らしい見方で描かれた妖怪たちの話がちらほらとあった。
『妖怪の山については、物好きな天狗のお陰で、次回編纂時に纏められそうです』
文末にはこう描かれていた。物好きとは失礼な。
・・・・・・そしてもう1冊は、何も描いていない本だった。
間にこんな文が入っていた。
「貴方があの時私に下さった紙。おそらくは大事な原稿だったのでしょう。
お礼といっては何ですが、この手帖をお礼に差し上げます。
紫さんの伝であなた方のよく利用される紙を使って作りました。
次の転生の時には、ぜひ新しい話をお聞かせください。
私と同じ「あや」の天狗さんへ
稗田阿弥」
「それじゃ、確かに渡したわ。ほんと、こんな役目はもうこりごりよ」
「・・・・・・お役目ついでで、よろしいですか?」
「・・・・・・何かしら?」
「人間の里には、あなたほどの妖怪が飽きないほどの変わった話が、たくさんあるんですかね?」
「・・・・・・なぁブン屋?」
「はいはいなんですか?購読申し込みですか?」
「お前の新聞は購読しなくても送ってくるだろ。それより質問だ。
お前ら天狗ってほとんどが山にいるんだろ?何でお前だけこうも人里に降りてくるんだ?」
「何言ってるんですか。宴会の時には他の天狗もよくくるじゃないですか」
「飲むだけ飲んで帰るだけじゃない。参加費とお賽銭を要求するわよ?」
「あやややや、コレは手厳しい」
「でも魔理沙の言うのは私も気になるわ。何で私たちの記事なの?
天狗の山で賞をとってるのも、山の中の記事ばかりなんでしょ?」
「それについては、記者としての秘密保持の義務がありますので」
言えるわけないでしょうが。
私が興味をもったからって。貴方たち人間たちに。・・・・・・全く、因果な商売ですよ、記者って者は。
二人の出会いと送られた手帖というのは面白いと思いました。
結構スッキリ読めて良かったですよ。
淡白な文体も好みですがもう少し肉付けしてあると更に良かったかなと思いました。
なんとも人がましく愛らしく描かれていて素敵です。
様々な幻想郷の設定もうまく生かされていて、楽しく拝読させて頂きました。
えっと、誤字をひとつだけ‥、
「荷物と一緒に労に入れるなんて、お茶目な天狗さんですね」
は、
「荷物と一緒に牢に入れるなんて、お茶目な天狗さんですね」
ではないかと‥。
浅学なもので、あの同人誌の魚の話は結局分かりませんでした(涙