カチャリ、カランカラン……と店の入り口で音がしたので「いらっしゃいませ――」と霖之助は反射的に声をかけるが、そこにいたのは客ではなく、白と黒の魔法使い、霧雨魔理沙だった。普段ならもっと勢いよくバーンと、それこそ扉の蝶番が悲鳴を上げるくらいに力強く開けるので、たびたび注意をしているくらいなのだが。今の開け方はあまりにも弱々しかったから、きっと「常連」の類ではなく真っ当な客なのだろうと踏んだ応対をしてしまって、なんだか損をした気分である。
「……おう、香霖いたのか。まあ別にいなくても勝手に使わせてもらうんだが」
軽口は相変わらずだが、どうも声に覇気がない。音量がいつもの半分程度で、少しガラガラとしている。よく見えると顔に血が通ってなく、それでいて目がトロンとしている。
「風邪、それも結構重症だな。この寒い中よく来られたものだ。奥に布団は敷いてあるから。僕は卵酒を用意しよう」
言われなくてもそのつもりだったぜ、と魔理沙はふらふら歩きながら奥の間へと歩いていく。一方霖之助は台所に向かう。鍋に水を張り、火をつける。沸騰させたら火を止め、日本酒を注いだ徳利を浸し、少し待てば熱燗が出来上がる。その間に卵を割って砂糖を加えて混ぜておき、そこに酒を少しづつ注ぎながらかき混ぜる。そうすれば卵が凝固することを防げるからだ。かき混ぜながら最後に生姜を少々加えれば完成する。
卵酒の準備をしながら、奥の間で寝ている魔理沙に声をかける。
「それにしてもどうしてうちなんだ。他に行くところなんかいくらでもあるだろう。確か迷いの竹林に腕のいい医者がいると聞いているが」
ここ数年、魔理沙は霊夢とともにいくつかの異変を解決していく中で親しい友人(というと該当者達に抗議されそうだが)を何人も作っていったらしい。確かに魔理沙は人の物を勝手に取っていく悪い癖(本人いわく「借りてるだけ」)があるが、どちらかというと人に好かれるタイプの人間だろう。本人に悪気はないし(だからこそ余計に性質が悪いともいうが)。これは推測だが、周囲の人間(?)もそんな彼女の悪癖に悪態をつきつつも付き合ってくれているはずだ。魔理沙は人をそういう気にさせる天真爛漫なところを持っている。
「ああ、ちょうどそこへ行くところだったんだが……どうもそこまで持ちそうになくてな。一旦ここで休憩しようと思ったんだ」
確かに、ここは魔法の森の入口付近にある。途中で休むならここは中間地点として機能するだろう。だがどうもひっかかる。
「風邪なんて寝てれば治る」と豪語する人間がこんなに弱っていることも、わざわざここに休みに来ることも。今回は幸運にも卵を含めていくつかの食材はあるが、僕自身食事の必要があまりないせいで食べ物の貯蓄は最低限だ。布団だってそんなに質の良いものではない。もちろん香霖堂は休憩のための場所ではないから当然の話である。
*
卵酒は人肌程度の温度で、魔理沙はちびちびと口に含みつつも、一気に飲み干した。ゆっくりと頬が紅く染まっていく。だが目はうつろなままだ。
「さて、当分横になっているといい。もし調子が良くならないのなら、僕が里に下りて件の医者にここまで来てもらうようにしよう」
霖之助はそう言って立ち上がろうとする。が、魔理沙は袖を弱々しくも素早く掴んで離さない。
「……いいから傍にいてくれ」
困惑する霖之助を尻目に、魔理沙はぽつぽつと語りだす。
最近霊夢に弾幕勝負で負けが込んでいたこと。
研究に研究を重ねて「必勝の方法」を編み出したこと。
大勢の知り合いの前で勝負を申し込むも、あっさりとその「必勝法」を破られ一方的に惨敗したこと。
そのままショックで寝込んで、熱まで出てしまったこと。
「自分でもあんまり情けなくて、馬鹿らしいぜ」
情けないのは必勝法を携えつつも負けたことなのか、それとも負けたショックで熱まで出したことか。きっと両方だろうと霖之助は思う。本を一冊書きあげる程の研究をしている魔理沙は実際は普通の人間で、幻想郷の結界に関わる程の才と責をもつ博麗の巫女と張り合うのは土台無理な話なのだ。だが、魔理沙は手を変え品を変え、それでも必死に喰らいついてきた。名のある神々や大妖怪に、弾幕勝負という特別なルールによる制限がありはしても、決して引けを取ることはなかった、というのは彼女のプライドだろう。だが、その魔理沙の常に一歩先には霊夢がいる。霊夢も自身と同じ人間なだけに、より比較対象としてその差がダイレクトに響くはずだ。この時期の人間の成長は早い、だが個人差も大きい。霖之助にとって思春期なるものはもはや記憶にすら残ってないが、ちょっとした違いで大きく悩むものなのだろう……と霖之助がつらつらと考えていると、魔理沙がぶるぶるっと身震いをする。半端に体が温まって来たので、逆に布団が冷たく感じてきたのだろう。
「ああ、気が利かなくてすまない、湯たんぽを用意しよう」
再び立ち上がろうとするが、霖之助を魔理沙の手が離してはくれない。
「ここにいてくれ」
「だがそのままだと魔理沙が寒い思いをするだろう」
「香霖が湯たんぽ代わりになればいい」
「えっ?」
「香霖が布団に入って、私を温めてくれ」
「僕は半妖としての性質なのか、体温が低いんだ。どちらかというと魔理沙の体温を奪うことに……」
「いいから早く」
相変わらず声は弱々しくガラガラだったが、魔理沙に鬼気迫るものを感じたので、霖之助はおずおずと布団に入った。やはり魔理沙の体温は高く、霖之助の体は相対的に冷たい。「手……」と魔理沙が小さな声でつぶやいたので、そっと小さな手を握る。少し汗ばんでいてそれでいて熱い。ほんの数秒で霖之助にも熱が伝わり、霖之助は体まで火照った感じがした。
霖之助の耳元で魔理沙がつぶやく。
「ずっと昔、霖之助とこうやって一緒に寝た記憶がある」
「さて、そうだったかな」
人間と半妖では時間に対する認識が異なる。ずっと昔、というのは何年前か何十年前か。霖之助は曖昧な記憶をたどるが答えは見つからない。
「霖之助はずっと変わらないな」
「あと数十年はこのままだろうね」
幻想郷においても半妖は珍しい存在だ。妖怪のように無限に近い時を生きるのか。はたまた人間より多少長い程度の時間で寿命を迎えてしまうのか。それは霖之助にはわからない。
「お願いだ霖之助、お前だけは変わらないでくれ。ここに居てくれ」
「変われと言われたってそう易々と変われないさ。それだけは安心してくれていい」
居るかどうかはわからないけど、と霖之助は心の中で付け足す。魔理沙の人生とは別に、霖之助にも自分自身の人生がある。そしてその目標として外の世界に行くことは既に決めている。それは魔理沙が人間としての生を全うした後かもしれないし、その前かもしれない。未来のことは霖之助にはわからない。
気がつくと魔理沙はすやすやと寝息を立てていた。ただ、霖之助を両手両足でがっしりとつかんで離さない。全く困ったものだ、と霖之助は苦笑しつつ、時間も時間だし、と灯りに手を伸ばして火を消す。暗闇の中で霖之助は魔理沙の髪を撫でる。魔理沙にいつか肉体年齢を追い越されることになる、というのが事実だとしてもなかなか受け入れられない。たとえこんな時期がわずかだとしても、いやだからこそ、一日一日を大切に過ごしていかなければならないことに変わりはない。この世に生を、あるいは死者としての存在を受けたとしても、毎日を少しずつ楽しくしていかなければならないのだから……
*
魔理沙が鍋がしゅんしゅんと出す音に気付き目を覚ますと、すでに太陽が顔を出していて、霖之助は朝食を作っていた。昨日の夜、香霖堂に来たことまでは覚えているが、そのあとの記憶があやふやだ。何か温かいものを飲んで、何か暖かいものにしがみついた気がするが、どうも思い出せない。朝食の雑炊をかき込みつつ、香霖に訊ねてみると、卵酒を飲ませて湯たんぽを用意したとのこと。面倒かけて悪いな、と言うとツケにしておくよ、と笑って返してきたので死ぬまでツケにしといてやる、と言い返したらなんだか複雑な表情をしていた。それはそうと、目が覚めたときに対霊夢の素晴らしい戦略を思いついたことを話すと、肩をすくめて「霊夢の勘は鋭いからね、せいぜい気をつけるといい」と笑ったので、私を舐めるなよ、普通に最強な魔法使いなんだぜ、と返した。それでも霖之助の笑いは止まらなかったが、論より証拠、次は霖之助の前で霊夢に勝ってやろう、と心に誓った。
*
数日後、某天狗の新聞に「魔法使いの少女、道具屋と同衾!魔道具を融通か」とのゴシップ記事を書かれ、顔を真っ赤にした魔理沙が某天狗の討伐に向かうのはまた別の話。
「……おう、香霖いたのか。まあ別にいなくても勝手に使わせてもらうんだが」
軽口は相変わらずだが、どうも声に覇気がない。音量がいつもの半分程度で、少しガラガラとしている。よく見えると顔に血が通ってなく、それでいて目がトロンとしている。
「風邪、それも結構重症だな。この寒い中よく来られたものだ。奥に布団は敷いてあるから。僕は卵酒を用意しよう」
言われなくてもそのつもりだったぜ、と魔理沙はふらふら歩きながら奥の間へと歩いていく。一方霖之助は台所に向かう。鍋に水を張り、火をつける。沸騰させたら火を止め、日本酒を注いだ徳利を浸し、少し待てば熱燗が出来上がる。その間に卵を割って砂糖を加えて混ぜておき、そこに酒を少しづつ注ぎながらかき混ぜる。そうすれば卵が凝固することを防げるからだ。かき混ぜながら最後に生姜を少々加えれば完成する。
卵酒の準備をしながら、奥の間で寝ている魔理沙に声をかける。
「それにしてもどうしてうちなんだ。他に行くところなんかいくらでもあるだろう。確か迷いの竹林に腕のいい医者がいると聞いているが」
ここ数年、魔理沙は霊夢とともにいくつかの異変を解決していく中で親しい友人(というと該当者達に抗議されそうだが)を何人も作っていったらしい。確かに魔理沙は人の物を勝手に取っていく悪い癖(本人いわく「借りてるだけ」)があるが、どちらかというと人に好かれるタイプの人間だろう。本人に悪気はないし(だからこそ余計に性質が悪いともいうが)。これは推測だが、周囲の人間(?)もそんな彼女の悪癖に悪態をつきつつも付き合ってくれているはずだ。魔理沙は人をそういう気にさせる天真爛漫なところを持っている。
「ああ、ちょうどそこへ行くところだったんだが……どうもそこまで持ちそうになくてな。一旦ここで休憩しようと思ったんだ」
確かに、ここは魔法の森の入口付近にある。途中で休むならここは中間地点として機能するだろう。だがどうもひっかかる。
「風邪なんて寝てれば治る」と豪語する人間がこんなに弱っていることも、わざわざここに休みに来ることも。今回は幸運にも卵を含めていくつかの食材はあるが、僕自身食事の必要があまりないせいで食べ物の貯蓄は最低限だ。布団だってそんなに質の良いものではない。もちろん香霖堂は休憩のための場所ではないから当然の話である。
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卵酒は人肌程度の温度で、魔理沙はちびちびと口に含みつつも、一気に飲み干した。ゆっくりと頬が紅く染まっていく。だが目はうつろなままだ。
「さて、当分横になっているといい。もし調子が良くならないのなら、僕が里に下りて件の医者にここまで来てもらうようにしよう」
霖之助はそう言って立ち上がろうとする。が、魔理沙は袖を弱々しくも素早く掴んで離さない。
「……いいから傍にいてくれ」
困惑する霖之助を尻目に、魔理沙はぽつぽつと語りだす。
最近霊夢に弾幕勝負で負けが込んでいたこと。
研究に研究を重ねて「必勝の方法」を編み出したこと。
大勢の知り合いの前で勝負を申し込むも、あっさりとその「必勝法」を破られ一方的に惨敗したこと。
そのままショックで寝込んで、熱まで出てしまったこと。
「自分でもあんまり情けなくて、馬鹿らしいぜ」
情けないのは必勝法を携えつつも負けたことなのか、それとも負けたショックで熱まで出したことか。きっと両方だろうと霖之助は思う。本を一冊書きあげる程の研究をしている魔理沙は実際は普通の人間で、幻想郷の結界に関わる程の才と責をもつ博麗の巫女と張り合うのは土台無理な話なのだ。だが、魔理沙は手を変え品を変え、それでも必死に喰らいついてきた。名のある神々や大妖怪に、弾幕勝負という特別なルールによる制限がありはしても、決して引けを取ることはなかった、というのは彼女のプライドだろう。だが、その魔理沙の常に一歩先には霊夢がいる。霊夢も自身と同じ人間なだけに、より比較対象としてその差がダイレクトに響くはずだ。この時期の人間の成長は早い、だが個人差も大きい。霖之助にとって思春期なるものはもはや記憶にすら残ってないが、ちょっとした違いで大きく悩むものなのだろう……と霖之助がつらつらと考えていると、魔理沙がぶるぶるっと身震いをする。半端に体が温まって来たので、逆に布団が冷たく感じてきたのだろう。
「ああ、気が利かなくてすまない、湯たんぽを用意しよう」
再び立ち上がろうとするが、霖之助を魔理沙の手が離してはくれない。
「ここにいてくれ」
「だがそのままだと魔理沙が寒い思いをするだろう」
「香霖が湯たんぽ代わりになればいい」
「えっ?」
「香霖が布団に入って、私を温めてくれ」
「僕は半妖としての性質なのか、体温が低いんだ。どちらかというと魔理沙の体温を奪うことに……」
「いいから早く」
相変わらず声は弱々しくガラガラだったが、魔理沙に鬼気迫るものを感じたので、霖之助はおずおずと布団に入った。やはり魔理沙の体温は高く、霖之助の体は相対的に冷たい。「手……」と魔理沙が小さな声でつぶやいたので、そっと小さな手を握る。少し汗ばんでいてそれでいて熱い。ほんの数秒で霖之助にも熱が伝わり、霖之助は体まで火照った感じがした。
霖之助の耳元で魔理沙がつぶやく。
「ずっと昔、霖之助とこうやって一緒に寝た記憶がある」
「さて、そうだったかな」
人間と半妖では時間に対する認識が異なる。ずっと昔、というのは何年前か何十年前か。霖之助は曖昧な記憶をたどるが答えは見つからない。
「霖之助はずっと変わらないな」
「あと数十年はこのままだろうね」
幻想郷においても半妖は珍しい存在だ。妖怪のように無限に近い時を生きるのか。はたまた人間より多少長い程度の時間で寿命を迎えてしまうのか。それは霖之助にはわからない。
「お願いだ霖之助、お前だけは変わらないでくれ。ここに居てくれ」
「変われと言われたってそう易々と変われないさ。それだけは安心してくれていい」
居るかどうかはわからないけど、と霖之助は心の中で付け足す。魔理沙の人生とは別に、霖之助にも自分自身の人生がある。そしてその目標として外の世界に行くことは既に決めている。それは魔理沙が人間としての生を全うした後かもしれないし、その前かもしれない。未来のことは霖之助にはわからない。
気がつくと魔理沙はすやすやと寝息を立てていた。ただ、霖之助を両手両足でがっしりとつかんで離さない。全く困ったものだ、と霖之助は苦笑しつつ、時間も時間だし、と灯りに手を伸ばして火を消す。暗闇の中で霖之助は魔理沙の髪を撫でる。魔理沙にいつか肉体年齢を追い越されることになる、というのが事実だとしてもなかなか受け入れられない。たとえこんな時期がわずかだとしても、いやだからこそ、一日一日を大切に過ごしていかなければならないことに変わりはない。この世に生を、あるいは死者としての存在を受けたとしても、毎日を少しずつ楽しくしていかなければならないのだから……
*
魔理沙が鍋がしゅんしゅんと出す音に気付き目を覚ますと、すでに太陽が顔を出していて、霖之助は朝食を作っていた。昨日の夜、香霖堂に来たことまでは覚えているが、そのあとの記憶があやふやだ。何か温かいものを飲んで、何か暖かいものにしがみついた気がするが、どうも思い出せない。朝食の雑炊をかき込みつつ、香霖に訊ねてみると、卵酒を飲ませて湯たんぽを用意したとのこと。面倒かけて悪いな、と言うとツケにしておくよ、と笑って返してきたので死ぬまでツケにしといてやる、と言い返したらなんだか複雑な表情をしていた。それはそうと、目が覚めたときに対霊夢の素晴らしい戦略を思いついたことを話すと、肩をすくめて「霊夢の勘は鋭いからね、せいぜい気をつけるといい」と笑ったので、私を舐めるなよ、普通に最強な魔法使いなんだぜ、と返した。それでも霖之助の笑いは止まらなかったが、論より証拠、次は霖之助の前で霊夢に勝ってやろう、と心に誓った。
*
数日後、某天狗の新聞に「魔法使いの少女、道具屋と同衾!魔道具を融通か」とのゴシップ記事を書かれ、顔を真っ赤にした魔理沙が某天狗の討伐に向かうのはまた別の話。
長さはいい感じで伸ばせてると思う、テーマによって適切な長さはかなり変わってくるので(掌編というジャンルもあるくらい)試行錯誤して頑張ってください
私も長く書くのが苦手です。