*途中からオリキャラが出ます。ごめんなさい。
*ポカをした。ごめんなさい。
薄暗い部屋で二人の魔女は向かい合って本を読む。一人が席を立とうと一人が席に戻ろうと、それは空気の擦れる音だとお構いなしに本を読み、ただ、他方の筆が紙を擦る音には少しの苛立ちを感じた。
ふと、一人の魔女が口を開く。
「そろそろ帰るわ、ありがとう。おかげで作業が進んだわ」
筆を仕舞い、読んでいた本を人形に持たせると人形は命令も無く『あたかも』一人で考えたかのように本を元の位置に戻す。
ここからは外の光の加減がわからないが、それでも少し冷え込んだ部屋の空気で日が無いことを感じ取る。
「そう、それはよかったわ」
無愛想な魔女は顔も上げずにそのままで答える。
「今日はこの前と違って追い返したりしないから驚いたわ」
人形のような魔女が多少大げさに肩をすくめて言う。
「水心よ。この界隈の面子は魚心が間違ってる」
無愛想な魔女もそれにつられるように大げさに溜め息をつくと、かすかに紙が震えた。
「あなたは木行。水生木、木剋土。水で生まれ、土を剋つ。せいぜい力をつけて胡散臭いあの災いの元と相打ちでもしてくれると助かるわ」
「あなたらしい考え方ね」
でも、と人形のような魔女、アリスは付け加える。
「楽に剋つ生き方は得意じゃないの」
「水心が得たければそれなりにいらっしゃい。歓迎もしないけれど邪険にもしないわ」
無愛想な魔女、パチュリーは背中を向けたアリスにそう呟いた。
もう日が暮れて幾分経ったのだろうか、外に出ると十分に冷えた空気が肌を掠める。
夏のまとわりつく空気から身を切るような空気になるまでの中途半端なこの時期、図書館が内包されている紅魔館の庭園には見事な薔薇が咲き誇っていた。
ここの館は図書館以外、どうも心が落ち着かないのよね。
こういう毒々しい薔薇とか。
主人が主人だからかもしれないけれど。
背後に聳えるこの館の威圧感が堪らなくアリスは苦手だった。まるで館に自分が食われるのじゃないか、そう錯覚する事さえあったが、それでも図書館から得られる知識は自身が独自に調べるよりもはるかに手間も時間も短縮できる。
甚大な利益を得られるのならば、耐えられる損益は覚悟して望まねばならない。天秤は呆気なく傾いてしまうのだった。
アリスの体はふわりと、操り人形が糸に手繰られ中を浮くように空に浮く。
人間ですら飛べるこの幻想郷において、妖怪である自分が飛ぶ事に何の疑問を抱く事はない。けれどその度に得体の知れない恐怖に襲われ、心を蝕んで止まない。
空から門を越えると、門番に頭を下げる。彼女こそがパチュリーにアリスの魚心を伝えその扉を開かせてくれた、いわば恩人である。ならばこそ、下に降りて礼をするのが道理なのだろうが、門番は門を通った以上は客人、客人が帰路に立つのを邪魔するわけには行かないと、その行動を制止したのだった。
それ以降はこうやって飛び立つ際に頭を下げる。それに気づいた、この館の誰よりも人間くさい門番もまた、会釈でアリスを見送った。
知識は得られた、けれどこの身に纏う焦燥感は何だろう。
歩かない空の散歩。アリスは歩みをとめて、くるりと体を捻り仰向けになると、四肢を弛緩させてだらりと伸ばす。さながら奇術ショーのモルモットのように宙に漂う。
そして目を閉じ、頭の活動を緩やかにする。
纏う布の重さ、空気の流れが肌を掠める感覚、湖が風に煽られ静かに声をあげる。
誰もが自分のことを人形のようだと形容する。ならば自分は生きていないのか?そんな事はない、今だってこの感覚を味わえるのは生きているからだ。でも、そう思っているだけで、本当は自分は誰かに作られた人形で、それを認めたくないだけなんじゃないか。
ほら、あの頭が春の巫女も、形だけの魔法使いも、本当は
――栗の実がなる
栗の実が三つなって転がり落ちる♪
アリスはどこからとも無く聞こえた歌声に我にかえり目を見開く。
目の前には何時ぞやの、境界を操る妖怪が上半身だけをひょっこりと出して薄ら笑みを浮かべていた。
「何か、用かしら」
背中に不快な汗が一筋流れるのを感じながら、アリスは 平然を繕って 尋ねる。
「いいえ、歌を歌っていたらあなたが通りかかったのよ。 『七』 色の人形遣いさん」
「そう、それならお構いなく。私はあまり暇じゃないのよ」
気味が悪い、それ以上にこの訳の判らない妖怪は出来るだけ関わりたくない。アリスは体勢を戻し、逃げるように紫に背を向ける。
「あらあら、残念ね」
アリスは判っていた。もしこの妖怪が本気を出して私を追いかけ襲えばひとたまりもないだろう事を。自分が木行だろうと、紫が土行だろうと相性では済まされない実力の差というのを理解しているのだ。
紫もまた、弱いアリスを今ここで襲う理由などない、むしろからかって遊ぶほうが、いい玩具になると考える。
アリスと紫との距離は次第に離れて行きその気配も薄まるが、何故か紫の歌声だけがしっかりとアリスを追いかけて、離さなかった。
――ひとつは
海へ転がる広い海♪
喉が渇く。体中の水分という水分が全て失われてしまったかのような感覚にアリスは陥っていた。無理も無い、事実嫌というほど汗をかいてしまったのだから。
耳にこびり付く声に頭を振り、ふわりと地に降り立つと、そこは博麗神社の石畳だった。
「霊夢、いる?いるでしょう」
何回も何回も、しつこく木戸をノックする。渇いた音はさらに自身の渇きを促していく。木戸を叩き、霊夢を呼ぶペースは焦りと共に加速していく。
「いるけれど、勝手に決め付けない!」
この博麗の巫女は、一方的かもしれないが友人と思っている巫女は。挑発すれば瞬時にのって来るが、それはあくまでのって来るだけでまたすぐにいつもの霊夢に戻るのだ。
誰も拒まない、誰も受け入れない、絶対の存在。だからこそ万人に好かれこうやって神社は保たれている。
そう、塞いでいるようで、取り入れていて、のんびりと自分のペースで動いている。周りもまたそれを大らかに包み込んでいる。
「夕飯は一人分しか用意してないわ。欲しかったらもう少し早く言いなさいよ」
夕餉だったのか、箸を片手にした霊夢が言う。
「だから私を物乞いと一緒にしないでよ。ねぇ、それより霊夢、水を一杯もらえる?喉が渇いてるの」
「ほら、物乞いじゃない」
苦笑いをしながら霊夢は廊下の奥に向かい姿を消すが、すぐにコップいっぱいに注がれた水を手に現れ戻ってくる。
「ほら、それを飲んだらすぐに帰りなさいよ。私だってご飯食べたいんだから」
その水を受け取ったアリスは、ぐっと飲み干す。喉を通り、胸を、体を冷やす。はぁ、と溜め息を吐く頃には体の隅々にまで水が廻っているような気がした。
「何だか知らないけれど、空を飛んでいたらものすごく喉が渇いたのよ」
ありがとう、と空になったコップを霊夢に手渡す。
「全く、まぁ水とお茶くらいなら気が向いていたらいつでも出してあげるわ」
「あらそう?なら今度はお茶でも飲みにこようかな」
「毎回は勘弁してよね」
――そうして、貝に成り果てた♪
用件という用件が無いアリスは渇きが癒せればそこに留まる理由もなく、またね、と手を振り博麗神社から飛び立つ。後は森に帰るだけ、そう思った矢先、自宅方面の魔法の森の上空が一際明るく輝いた。
――ひとつは
空へ行く広い空♪
光源の近くには無数の星の残骸が転がっていた。それはありとあらゆる色の光の粒となって、中心に立つ人物を照らしていた。
「いてて、これも失敗か」
墜ちてきた星の残骸を頭にコツンコツンと受け止めながらその暴発の犯人、魔理沙が独り言を言う。
「ちょっとちょっと、魔理沙!失敗するのはいいけれど、もう少し私の家から離れたところで失敗してよ」
落ち葉や木々の枝を踏みつけアリスは詰め寄る。いつもジメジメとしたこの森の落ち葉は踏んでも軽快な音を立てずぐにゃりとした感覚さえ感じる為好きではなかった。
「うげ、アリス。見つかったか」
「あんだけ派手にしておいて、見つからないも何もないでしょ。あーあ・・・この魔法の星・・・結構硬いわよ・・・屋根が壊れてなければいいけれど」
硬い、と言っても魔理沙の頭に落ちてもコブも出来ない程度の被害だ、人間の体よりも丈夫に出来ている屋根が傷つく事すらないが、大げさに言わなければこの子供じみた魔法使いはいずれ屋根どころか家を貫通するような失敗を起こしかねない。
指に摘んだ星は、時が経つにつれ雪のように形を失い、空気に溶けていく。
「もう少し高いところで破裂すれば、地表に落ちる前に溶けて安全になる予定だったんだよ」
魔理沙は悪びれた様子もなく、その結果を持ち合わせていた紙に書き殴っていた。
話によると、来年の里の夏祭りで大きな花火を打ち上げて欲しいと珍しく魔理沙に依頼があったという。途中まで出来かかっていた魔法があったから、と魔理沙は即答したが思ったよりも作業が難航しているのだと。
「全く、もう少し後先を考えてから依頼を請けなさいよ」
「でもコレと類似した魔法はあるんだよ、見てろよ」
箒に跨った魔理沙はひゅっと目の前から空高く舞い上がる。ほんの一瞬の間に人間の目では闇夜に溶けてもう見えないだろうほどの高さまで昇ると、魔理沙を光源として球状に、小さな小さな星がキラキラと輝いて消える。
「な、これならいけるんだけれど、やっぱりもう少し大きくて派手な方がいいじゃないか」
戻ってきた魔理沙は満面の笑みを浮かべていた。
アリスは花火と言うのは見た目だけでなく近隣の空気を震わせて吠える音もなければならないのではないかと思ったが、口に出すのはやめた。魔理沙は夜に魔法を使う。花火の実験ならなおさらだろう。寝不足になるのは目に見えて明らかだったからだ。
「ま、屋根がどうこうなっていたらシャボン玉でも浮かべてやるよ」
魔理沙は歌う。
♪シャボン玉とんだ 屋根までとんだ屋根までとんで こわれて消えた
アリスはその意図を理解し、諦めのため息を吐く。
壊すならまだ直す事も考えられるが消されては屋根を用意する間どうしたらいいか困るじゃない。
努力家で負けず嫌いのこの隣人は、失敗を恐れない。厄介なのに、居なければいいなんて思う事もまたない。
「空の上で魔法使うのは構わないけれど、失敗に気をつけなさいよ」
「へぇへぇ。わかってるって」
――そうして
星に成り果てた♪
アリスの家はそこから大して離れておらず、光のないそれは夜の森に溶け込むようにひっそりと建っていた。
思っていた通り、屋根に損傷があるようには見えない。
錠を開け、家に入っても生きていると言えるものは一人。明りを灯してもそこには誰もいない。そのはずなのに、あの歌声はここまで届く。
――ひとつは
どこへ消えた♪
全く、酔狂な災いの元だわ。
判っててやってるんでしょう。
第三者に言われなくとも、私たちが一番判っている。
それは嫌ってほどに。
恐れてはいない、全員受け入れている。
だからこそ私は彼女らを「人間」と呼び、彼女らもまた私を「妖怪」と言う。
いずれ訪れる孤独に耐えられるかどうか、それは訪れてみなければ判らない。
仲良くする事に後悔も抵抗もない。
アリスは図書館で纏めた書を取り出す。
自立人形の為の研究、終わらない研究を明日も続けるだろう。
人形の原型はもう随分前に出来ているのだ。
私は妖怪。時間は十分にあるのだから、全てを克服してみせるわ。
良く晴れた秋空の下、里の広場には何人かの子供たちが元気良く遊んでいる。
「おい、きちんと『F』まで数えろよー」
「わかってるって、早く逃げろよ、もう数えるぞ」
いーちーにーさーん・・・
鬼さんこちら、手の鳴る方へ
あははは
「ねぇ、あの子も誘って遊んであげたら?」
「いいんだよ、アイツいつも人形遊びばかりしていて、誘っても入らないしつまらないんだ」
広場の端の木陰には人形を抱えた小さな女の子がいつも一人で座っていた。女の子も一人で居る事を苦痛に思ったりはしていなかった。ただ人形さえあれば良かった。人形は裏切らない、私を傷つけない。冷めた曇った目で遊ぶ子供たちを眺め、一人で人形遊びをしていた。
その時、白いシャツと黒いスカートをはいた一人の子供がその女の子に声をかけた。
「人形がそんなに好きなら、伝説の人形でも見に行ったらどうだ?」
「伝説の人形?」
「そうだよ、あの森の中に『栗の木』があって、その下には不思議な人形があるんだって聞いた事あるぜ」
「ふぅん・・・」
男勝りの口調でそうとだけ告げるとその子供は集団の輪に戻り、女の子もまた人形の手足を動かして遊ぶ事に興じた。
夜も更け、里の誰もが寝静まった頃に、地を蹴る音が聞こえた。胸には人形を抱き、肩の辺りまであるふわふわの金髪を揺らしながら女の子は走る。
伝説の人形
それがどんなものであるか、女の子は気になって仕様がなかった。里の大人たちはあの森には近づくな、と子供達を見張っていた為に日中にあの森へ行く事は叶わない。夜はちょっと怖いけれど、少しくらいなら平気だろう。根拠の無い決定を元に女の子は古道具屋を通り抜け森へ入った。
その森のどこに栗の木があるかはわからない。教えてくれた子に聞けばよかったかもしれないけれど聞く方法がわからなかった。
平気よ、わからなければまた明日探しにくればいい。実に幼い考えではあったが、それが当然のように思えていたのだった。
そこは思っていたよりも鬱蒼としていて、光も無く、何か良くないものが空気を漂っているのか息をするのも苦しいほどだった。
失敗した、こんな所に来るんじゃなかった。そう思っても、もう来た道すら女の子はわからない。ひっく、ひっくとしゃくり上げながら前に進まざるを得なかった。
しかしどんなに気力を働かせても、人間の、しかも小さな女の子の体力ではそう長くは持つはずはなく、目標として歩いた木がどんなに歩いても届かず、それでいて遠かったはずの木の実は目前に現れる。もう右も左も、前に進んでいるのかも戻っているのかもわからない。
小さな女の子は途方にくれ、森の木の下に蹲るように倒れる。涙を出しつくし腫れた瞼を閉じ、この木の養分になろうとしたその矢先、女の子の抱えていた人形が一人でに動き出したのだ。
「え?どうして?」
わけもわからない女の子は、人形が導くままについていく。ふわりふわりと宙を漂い、出来るだけ歩きやすい箇所を見つけ飛んでゆく。
人形は古び、蔦に埋まった廃屋を過ぎ、ある開けた土地に辿り着くとそこで糸が切れたように音も無く落ちた。
「わ、何、何があったの?」
慌てて人形を抱きかかえ、目の前を見ると、そこには見た事も無いような大きな栗の木が聳え立ち、そしてその木の下には、女の子と同じくらいの大きさの2体の人形が、月明かりを受け踊るようにして遊んでいた。
「黒いのと、赤い、人形・・・?」
2体の人形は女の子に気が付くと動きを止め、その手を伸ばし女の子を誘い込む。
「別に、取って食べたりなんかしないわよ」
怯え戸惑っていると、背後から声がかかり首を回して正体を確かめようとする。
「ここには滅多に人間が来ないでしょ?だからあの人形も人間が来て喜んでるのよ。良かったら一緒に遊んであげてくれる?」
トン、と声の主は女の子の背中を押し、つんのめるようにして2体の人形の間に入っていく。
「え、あ、あなた、は」
「私?私は。 そう、私も人形。その二人と仲良しなのよ」
女の子が目を覚ますと、見慣れた自室の天井で、暖かな温もりが布団の偉大さを実感させてくれる。
夢だったのか、でもそれにしては現実的すぎる。何しろ足は棒のようになって痛むし、少し息苦しさも残っている。ぼんやりと天井を眺め、でもあんなのはありえないしきっと夢だったんだろう、何しろ生きてるのが不思議なくらいなんだから。そう纏めようとした時、手に握られた何かを意識は感じ取る。
目の前にそれを持ってくれば、見慣れないフリルのついた赤いリボン。私はこんなものを持っていなかったはずだ。
勢い良く女の子は布団を跳ね除け起き上がる。これはそう
伝説の人形はあったんだ!
女の子はいつも通り里の広場に行く。そしていつも通り、一人寂しく人形遊びをする。でももう薄暗い目で子供たちの輪を見たりはしない。
「あれ、今日はいつもより生き生きしてるな」
「うん。私ね、目標が出来たの」
「目標?なんだそれ」
「お人形をね、作るの。それもとびきり素敵なお人形」
一人で考え一人で動く、そう、自立人形を。
――三年後には芽を出した♪
「まだ歌っていたの?」
いつもの呆れ顔で胡散臭い笑みを浮かべた見知った顔に言う。
「敬意を表してるのよ」
紫は桃を隙間から取り出し、ぽい、と投げるようにアリスに渡す。
「木虚土侮は木剋土。桃であなたは退治できるかしら」
「ありがと、桃は好物よ。おいしくいただくわ」
「桃も栗も3年なのに、うちの桃は育たないのよ」
ぽんぽんぽん、と連続して紫は桃を投げつける。
「ちょ、ちょっと!三人でもこんなに食べられないわよ」
アリスは器用にそれを受け止める。
「後で紅魔館の面子に御裾分けでもするわ」
「水剋火まで身につけられちゃ、たまったもんじゃないわ」
「栗の木にしたのはあなたのような気もするけれどね」
――栗の実は大きな栗の木に成り果てた♪
赤いリボンで髪を留めた女の子の耳に微かにその歌声が届いた。
*ポカをした。ごめんなさい。
薄暗い部屋で二人の魔女は向かい合って本を読む。一人が席を立とうと一人が席に戻ろうと、それは空気の擦れる音だとお構いなしに本を読み、ただ、他方の筆が紙を擦る音には少しの苛立ちを感じた。
ふと、一人の魔女が口を開く。
「そろそろ帰るわ、ありがとう。おかげで作業が進んだわ」
筆を仕舞い、読んでいた本を人形に持たせると人形は命令も無く『あたかも』一人で考えたかのように本を元の位置に戻す。
ここからは外の光の加減がわからないが、それでも少し冷え込んだ部屋の空気で日が無いことを感じ取る。
「そう、それはよかったわ」
無愛想な魔女は顔も上げずにそのままで答える。
「今日はこの前と違って追い返したりしないから驚いたわ」
人形のような魔女が多少大げさに肩をすくめて言う。
「水心よ。この界隈の面子は魚心が間違ってる」
無愛想な魔女もそれにつられるように大げさに溜め息をつくと、かすかに紙が震えた。
「あなたは木行。水生木、木剋土。水で生まれ、土を剋つ。せいぜい力をつけて胡散臭いあの災いの元と相打ちでもしてくれると助かるわ」
「あなたらしい考え方ね」
でも、と人形のような魔女、アリスは付け加える。
「楽に剋つ生き方は得意じゃないの」
「水心が得たければそれなりにいらっしゃい。歓迎もしないけれど邪険にもしないわ」
無愛想な魔女、パチュリーは背中を向けたアリスにそう呟いた。
もう日が暮れて幾分経ったのだろうか、外に出ると十分に冷えた空気が肌を掠める。
夏のまとわりつく空気から身を切るような空気になるまでの中途半端なこの時期、図書館が内包されている紅魔館の庭園には見事な薔薇が咲き誇っていた。
ここの館は図書館以外、どうも心が落ち着かないのよね。
こういう毒々しい薔薇とか。
主人が主人だからかもしれないけれど。
背後に聳えるこの館の威圧感が堪らなくアリスは苦手だった。まるで館に自分が食われるのじゃないか、そう錯覚する事さえあったが、それでも図書館から得られる知識は自身が独自に調べるよりもはるかに手間も時間も短縮できる。
甚大な利益を得られるのならば、耐えられる損益は覚悟して望まねばならない。天秤は呆気なく傾いてしまうのだった。
アリスの体はふわりと、操り人形が糸に手繰られ中を浮くように空に浮く。
人間ですら飛べるこの幻想郷において、妖怪である自分が飛ぶ事に何の疑問を抱く事はない。けれどその度に得体の知れない恐怖に襲われ、心を蝕んで止まない。
空から門を越えると、門番に頭を下げる。彼女こそがパチュリーにアリスの魚心を伝えその扉を開かせてくれた、いわば恩人である。ならばこそ、下に降りて礼をするのが道理なのだろうが、門番は門を通った以上は客人、客人が帰路に立つのを邪魔するわけには行かないと、その行動を制止したのだった。
それ以降はこうやって飛び立つ際に頭を下げる。それに気づいた、この館の誰よりも人間くさい門番もまた、会釈でアリスを見送った。
知識は得られた、けれどこの身に纏う焦燥感は何だろう。
歩かない空の散歩。アリスは歩みをとめて、くるりと体を捻り仰向けになると、四肢を弛緩させてだらりと伸ばす。さながら奇術ショーのモルモットのように宙に漂う。
そして目を閉じ、頭の活動を緩やかにする。
纏う布の重さ、空気の流れが肌を掠める感覚、湖が風に煽られ静かに声をあげる。
誰もが自分のことを人形のようだと形容する。ならば自分は生きていないのか?そんな事はない、今だってこの感覚を味わえるのは生きているからだ。でも、そう思っているだけで、本当は自分は誰かに作られた人形で、それを認めたくないだけなんじゃないか。
ほら、あの頭が春の巫女も、形だけの魔法使いも、本当は
――栗の実がなる
栗の実が三つなって転がり落ちる♪
アリスはどこからとも無く聞こえた歌声に我にかえり目を見開く。
目の前には何時ぞやの、境界を操る妖怪が上半身だけをひょっこりと出して薄ら笑みを浮かべていた。
「何か、用かしら」
背中に不快な汗が一筋流れるのを感じながら、アリスは 平然を繕って 尋ねる。
「いいえ、歌を歌っていたらあなたが通りかかったのよ。 『七』 色の人形遣いさん」
「そう、それならお構いなく。私はあまり暇じゃないのよ」
気味が悪い、それ以上にこの訳の判らない妖怪は出来るだけ関わりたくない。アリスは体勢を戻し、逃げるように紫に背を向ける。
「あらあら、残念ね」
アリスは判っていた。もしこの妖怪が本気を出して私を追いかけ襲えばひとたまりもないだろう事を。自分が木行だろうと、紫が土行だろうと相性では済まされない実力の差というのを理解しているのだ。
紫もまた、弱いアリスを今ここで襲う理由などない、むしろからかって遊ぶほうが、いい玩具になると考える。
アリスと紫との距離は次第に離れて行きその気配も薄まるが、何故か紫の歌声だけがしっかりとアリスを追いかけて、離さなかった。
――ひとつは
海へ転がる広い海♪
喉が渇く。体中の水分という水分が全て失われてしまったかのような感覚にアリスは陥っていた。無理も無い、事実嫌というほど汗をかいてしまったのだから。
耳にこびり付く声に頭を振り、ふわりと地に降り立つと、そこは博麗神社の石畳だった。
「霊夢、いる?いるでしょう」
何回も何回も、しつこく木戸をノックする。渇いた音はさらに自身の渇きを促していく。木戸を叩き、霊夢を呼ぶペースは焦りと共に加速していく。
「いるけれど、勝手に決め付けない!」
この博麗の巫女は、一方的かもしれないが友人と思っている巫女は。挑発すれば瞬時にのって来るが、それはあくまでのって来るだけでまたすぐにいつもの霊夢に戻るのだ。
誰も拒まない、誰も受け入れない、絶対の存在。だからこそ万人に好かれこうやって神社は保たれている。
そう、塞いでいるようで、取り入れていて、のんびりと自分のペースで動いている。周りもまたそれを大らかに包み込んでいる。
「夕飯は一人分しか用意してないわ。欲しかったらもう少し早く言いなさいよ」
夕餉だったのか、箸を片手にした霊夢が言う。
「だから私を物乞いと一緒にしないでよ。ねぇ、それより霊夢、水を一杯もらえる?喉が渇いてるの」
「ほら、物乞いじゃない」
苦笑いをしながら霊夢は廊下の奥に向かい姿を消すが、すぐにコップいっぱいに注がれた水を手に現れ戻ってくる。
「ほら、それを飲んだらすぐに帰りなさいよ。私だってご飯食べたいんだから」
その水を受け取ったアリスは、ぐっと飲み干す。喉を通り、胸を、体を冷やす。はぁ、と溜め息を吐く頃には体の隅々にまで水が廻っているような気がした。
「何だか知らないけれど、空を飛んでいたらものすごく喉が渇いたのよ」
ありがとう、と空になったコップを霊夢に手渡す。
「全く、まぁ水とお茶くらいなら気が向いていたらいつでも出してあげるわ」
「あらそう?なら今度はお茶でも飲みにこようかな」
「毎回は勘弁してよね」
――そうして、貝に成り果てた♪
用件という用件が無いアリスは渇きが癒せればそこに留まる理由もなく、またね、と手を振り博麗神社から飛び立つ。後は森に帰るだけ、そう思った矢先、自宅方面の魔法の森の上空が一際明るく輝いた。
――ひとつは
空へ行く広い空♪
光源の近くには無数の星の残骸が転がっていた。それはありとあらゆる色の光の粒となって、中心に立つ人物を照らしていた。
「いてて、これも失敗か」
墜ちてきた星の残骸を頭にコツンコツンと受け止めながらその暴発の犯人、魔理沙が独り言を言う。
「ちょっとちょっと、魔理沙!失敗するのはいいけれど、もう少し私の家から離れたところで失敗してよ」
落ち葉や木々の枝を踏みつけアリスは詰め寄る。いつもジメジメとしたこの森の落ち葉は踏んでも軽快な音を立てずぐにゃりとした感覚さえ感じる為好きではなかった。
「うげ、アリス。見つかったか」
「あんだけ派手にしておいて、見つからないも何もないでしょ。あーあ・・・この魔法の星・・・結構硬いわよ・・・屋根が壊れてなければいいけれど」
硬い、と言っても魔理沙の頭に落ちてもコブも出来ない程度の被害だ、人間の体よりも丈夫に出来ている屋根が傷つく事すらないが、大げさに言わなければこの子供じみた魔法使いはいずれ屋根どころか家を貫通するような失敗を起こしかねない。
指に摘んだ星は、時が経つにつれ雪のように形を失い、空気に溶けていく。
「もう少し高いところで破裂すれば、地表に落ちる前に溶けて安全になる予定だったんだよ」
魔理沙は悪びれた様子もなく、その結果を持ち合わせていた紙に書き殴っていた。
話によると、来年の里の夏祭りで大きな花火を打ち上げて欲しいと珍しく魔理沙に依頼があったという。途中まで出来かかっていた魔法があったから、と魔理沙は即答したが思ったよりも作業が難航しているのだと。
「全く、もう少し後先を考えてから依頼を請けなさいよ」
「でもコレと類似した魔法はあるんだよ、見てろよ」
箒に跨った魔理沙はひゅっと目の前から空高く舞い上がる。ほんの一瞬の間に人間の目では闇夜に溶けてもう見えないだろうほどの高さまで昇ると、魔理沙を光源として球状に、小さな小さな星がキラキラと輝いて消える。
「な、これならいけるんだけれど、やっぱりもう少し大きくて派手な方がいいじゃないか」
戻ってきた魔理沙は満面の笑みを浮かべていた。
アリスは花火と言うのは見た目だけでなく近隣の空気を震わせて吠える音もなければならないのではないかと思ったが、口に出すのはやめた。魔理沙は夜に魔法を使う。花火の実験ならなおさらだろう。寝不足になるのは目に見えて明らかだったからだ。
「ま、屋根がどうこうなっていたらシャボン玉でも浮かべてやるよ」
魔理沙は歌う。
♪シャボン玉とんだ 屋根までとんだ屋根までとんで こわれて消えた
アリスはその意図を理解し、諦めのため息を吐く。
壊すならまだ直す事も考えられるが消されては屋根を用意する間どうしたらいいか困るじゃない。
努力家で負けず嫌いのこの隣人は、失敗を恐れない。厄介なのに、居なければいいなんて思う事もまたない。
「空の上で魔法使うのは構わないけれど、失敗に気をつけなさいよ」
「へぇへぇ。わかってるって」
――そうして
星に成り果てた♪
アリスの家はそこから大して離れておらず、光のないそれは夜の森に溶け込むようにひっそりと建っていた。
思っていた通り、屋根に損傷があるようには見えない。
錠を開け、家に入っても生きていると言えるものは一人。明りを灯してもそこには誰もいない。そのはずなのに、あの歌声はここまで届く。
――ひとつは
どこへ消えた♪
全く、酔狂な災いの元だわ。
判っててやってるんでしょう。
第三者に言われなくとも、私たちが一番判っている。
それは嫌ってほどに。
恐れてはいない、全員受け入れている。
だからこそ私は彼女らを「人間」と呼び、彼女らもまた私を「妖怪」と言う。
いずれ訪れる孤独に耐えられるかどうか、それは訪れてみなければ判らない。
仲良くする事に後悔も抵抗もない。
アリスは図書館で纏めた書を取り出す。
自立人形の為の研究、終わらない研究を明日も続けるだろう。
人形の原型はもう随分前に出来ているのだ。
私は妖怪。時間は十分にあるのだから、全てを克服してみせるわ。
良く晴れた秋空の下、里の広場には何人かの子供たちが元気良く遊んでいる。
「おい、きちんと『F』まで数えろよー」
「わかってるって、早く逃げろよ、もう数えるぞ」
いーちーにーさーん・・・
鬼さんこちら、手の鳴る方へ
あははは
「ねぇ、あの子も誘って遊んであげたら?」
「いいんだよ、アイツいつも人形遊びばかりしていて、誘っても入らないしつまらないんだ」
広場の端の木陰には人形を抱えた小さな女の子がいつも一人で座っていた。女の子も一人で居る事を苦痛に思ったりはしていなかった。ただ人形さえあれば良かった。人形は裏切らない、私を傷つけない。冷めた曇った目で遊ぶ子供たちを眺め、一人で人形遊びをしていた。
その時、白いシャツと黒いスカートをはいた一人の子供がその女の子に声をかけた。
「人形がそんなに好きなら、伝説の人形でも見に行ったらどうだ?」
「伝説の人形?」
「そうだよ、あの森の中に『栗の木』があって、その下には不思議な人形があるんだって聞いた事あるぜ」
「ふぅん・・・」
男勝りの口調でそうとだけ告げるとその子供は集団の輪に戻り、女の子もまた人形の手足を動かして遊ぶ事に興じた。
夜も更け、里の誰もが寝静まった頃に、地を蹴る音が聞こえた。胸には人形を抱き、肩の辺りまであるふわふわの金髪を揺らしながら女の子は走る。
伝説の人形
それがどんなものであるか、女の子は気になって仕様がなかった。里の大人たちはあの森には近づくな、と子供達を見張っていた為に日中にあの森へ行く事は叶わない。夜はちょっと怖いけれど、少しくらいなら平気だろう。根拠の無い決定を元に女の子は古道具屋を通り抜け森へ入った。
その森のどこに栗の木があるかはわからない。教えてくれた子に聞けばよかったかもしれないけれど聞く方法がわからなかった。
平気よ、わからなければまた明日探しにくればいい。実に幼い考えではあったが、それが当然のように思えていたのだった。
そこは思っていたよりも鬱蒼としていて、光も無く、何か良くないものが空気を漂っているのか息をするのも苦しいほどだった。
失敗した、こんな所に来るんじゃなかった。そう思っても、もう来た道すら女の子はわからない。ひっく、ひっくとしゃくり上げながら前に進まざるを得なかった。
しかしどんなに気力を働かせても、人間の、しかも小さな女の子の体力ではそう長くは持つはずはなく、目標として歩いた木がどんなに歩いても届かず、それでいて遠かったはずの木の実は目前に現れる。もう右も左も、前に進んでいるのかも戻っているのかもわからない。
小さな女の子は途方にくれ、森の木の下に蹲るように倒れる。涙を出しつくし腫れた瞼を閉じ、この木の養分になろうとしたその矢先、女の子の抱えていた人形が一人でに動き出したのだ。
「え?どうして?」
わけもわからない女の子は、人形が導くままについていく。ふわりふわりと宙を漂い、出来るだけ歩きやすい箇所を見つけ飛んでゆく。
人形は古び、蔦に埋まった廃屋を過ぎ、ある開けた土地に辿り着くとそこで糸が切れたように音も無く落ちた。
「わ、何、何があったの?」
慌てて人形を抱きかかえ、目の前を見ると、そこには見た事も無いような大きな栗の木が聳え立ち、そしてその木の下には、女の子と同じくらいの大きさの2体の人形が、月明かりを受け踊るようにして遊んでいた。
「黒いのと、赤い、人形・・・?」
2体の人形は女の子に気が付くと動きを止め、その手を伸ばし女の子を誘い込む。
「別に、取って食べたりなんかしないわよ」
怯え戸惑っていると、背後から声がかかり首を回して正体を確かめようとする。
「ここには滅多に人間が来ないでしょ?だからあの人形も人間が来て喜んでるのよ。良かったら一緒に遊んであげてくれる?」
トン、と声の主は女の子の背中を押し、つんのめるようにして2体の人形の間に入っていく。
「え、あ、あなた、は」
「私?私は。 そう、私も人形。その二人と仲良しなのよ」
女の子が目を覚ますと、見慣れた自室の天井で、暖かな温もりが布団の偉大さを実感させてくれる。
夢だったのか、でもそれにしては現実的すぎる。何しろ足は棒のようになって痛むし、少し息苦しさも残っている。ぼんやりと天井を眺め、でもあんなのはありえないしきっと夢だったんだろう、何しろ生きてるのが不思議なくらいなんだから。そう纏めようとした時、手に握られた何かを意識は感じ取る。
目の前にそれを持ってくれば、見慣れないフリルのついた赤いリボン。私はこんなものを持っていなかったはずだ。
勢い良く女の子は布団を跳ね除け起き上がる。これはそう
伝説の人形はあったんだ!
女の子はいつも通り里の広場に行く。そしていつも通り、一人寂しく人形遊びをする。でももう薄暗い目で子供たちの輪を見たりはしない。
「あれ、今日はいつもより生き生きしてるな」
「うん。私ね、目標が出来たの」
「目標?なんだそれ」
「お人形をね、作るの。それもとびきり素敵なお人形」
一人で考え一人で動く、そう、自立人形を。
――三年後には芽を出した♪
「まだ歌っていたの?」
いつもの呆れ顔で胡散臭い笑みを浮かべた見知った顔に言う。
「敬意を表してるのよ」
紫は桃を隙間から取り出し、ぽい、と投げるようにアリスに渡す。
「木虚土侮は木剋土。桃であなたは退治できるかしら」
「ありがと、桃は好物よ。おいしくいただくわ」
「桃も栗も3年なのに、うちの桃は育たないのよ」
ぽんぽんぽん、と連続して紫は桃を投げつける。
「ちょ、ちょっと!三人でもこんなに食べられないわよ」
アリスは器用にそれを受け止める。
「後で紅魔館の面子に御裾分けでもするわ」
「水剋火まで身につけられちゃ、たまったもんじゃないわ」
「栗の木にしたのはあなたのような気もするけれどね」
――栗の実は大きな栗の木に成り果てた♪
赤いリボンで髪を留めた女の子の耳に微かにその歌声が届いた。
>おい、きちんと『F』まで数えろよー
16進法で数えてる!?
二人と仲良し、と言うところで涙腺が緩みましたよ!
比喩的と言うか、何というか、色々と考えながら読めて面白いです。
いまいち理解できないところもあるんで、もう一度じっくりと読みなおそうと思います。
面白かったです
好みのツボにばっちりはまりました。ご馳走様。
×亭主 岐路 上部