「あなたはだぁれ?」
今でも覚えている。今は答えてくれる?
幼い頃、母が毎日毎日繰り返し私に教えた事がある。
「物の怪、妖怪の類は人間に害悪しか与えない。だから博麗の血を引くあなたはそれを退治しなきゃいけないの」
博麗の神社はまだその頃はそれなりに参拝客もあり、里の中でもそれなりの力を持った一族として見られていた。
それは私の母、またはその先代、先々代。
つまりはご先祖様達の活躍によるもので、古い書物を見る限りでは、代を重ねる毎に本殿や拝殿は徐々に立派になっていったとある。
里の中には、博麗の巫女を現人神として祀ろうとする人までいる始末だ。
私は生まれながらにのんびりとした性格だったから、そうあったとしても別段気にはしていなかった。
いや、むしろ何も出来ない自分を崇める様に振舞う者に少しの嫌悪を抱いていた。
私は博麗霊夢、それ以外の何者でもない。
でも、こんな生活を続ければいずれ一族の中にも勘違いをする奴が出てくるだろう。
自分は特別な人間だ、と。
そう、母のように。
今になって思えば、母が特別、妖怪に強かったわけじゃない。
博麗大結界の都合上、強い妖怪達は母を襲えなかっただけだし、弱い妖怪に負けるほど弱くも無かっただけの話。
それだけでも強き者からは恐れられ、我らを襲う下等な物の怪を退治なさると、皆は口々に褒め称えた。
生きているだけで里の民の信仰は得られたのならば、母が天狗になるのもわけの無い事だった。
そして母が唯一の子である私に博麗の残す全ての術を継承させようとするものだから、私は同じくらいの年の子と遊ぶ事もなく、ただ博麗の子として祀られ、修行する毎日だった。
そんなある日、私は母からの使いで、里に下りた。
道具屋で数点、日用雑貨を買うだけのお使いだったけれども。
そこである女の子と出会った。
「あなたはだぁれ?」
ふわふわの金髪に明るい笑顔。琥珀色の瞳はビー玉みたいにキラキラ輝いていて、それとは対照的な自分を考えるのが嫌になるタイプの子供だった。
「こら、魔理沙。お前はあっちに行ってなさい」
店主の男性がその子供を諌めるが、その子、魔理沙と呼ばれた子は一歩も引く事は無く私に話しかけてくる。
「私は霧雨魔理沙。よろしくね」
容姿に相応しいほど眩しい笑顔で手を差し出し握手を求めてくる。
でも私は解っているのだ。
この子も明日には私を今のような目で見ないだろう。
この男性に、おそらく父親だろうけれど、こっぴどく説教されて、私を特別な存在だと教え込まれて終わりなんだから。
だから私は握手には答えない。
どうせその場限りの握手ならしてもしなくても同じだし、めんどくさい。
男性に必要最低限の会話をし、店を出る。
振り向きはしなかった。けれど背後から魔理沙と呼ばれた女の子の寂しそうな声は聞こえた。
「今度は遊ぼうね」
その翌日、母に言われた通り境内で霊気を操る、という修行をしていた。
それが一体何の役に立つのか、その辺はさっぱりわからなかった。
だからその修行に何の面白味も見出せなかったし、ただ苦痛なだけだった。
何もしないで突っ立っていると母は怒るし、もしかしたら境内の掃除が罰として与えられるかもしれない。あまりめんどくさいことはしたくないのだ。
仕方なく一人で「霊気霊気~」とブツブツ唸っていると、なんとなくだけれど、誰かがこっちに来ているような気がした。
「こんにちは、霊夢」
昨日、道具屋で会った女の子だった。
「名前、教えたっけ」
「有名人みたい、みんながそう言ってたわ」
みんなにそう言われたのなら、なぜこの少女はここに来たのだろう。
きっと「特別な子だから気安く話しかけてはいけない」と強く言われただろうに。
「何をしていたの?」
「修行よ」
「修行?」
無邪気なその女の子は、あまりにも無邪気すぎて私をイライラさせる。
可愛らしい服。よく手入れされた金色の髪の毛。細く小さく、そして弱い身体。
修行用の巫女服。動きやすいように切りそろえられた漆黒の髪。幾つもの擦り傷、汚れた身体。
何故、何故自分だけ……。
「あんた達里の人間を守るために修行しなきゃいけないの!」
声を荒げ、怒鳴りつけるように吐き捨てる。
あんた達が弱いから、あんた達が勝手に理想を押し付けるから、
どうして私は修行なんてしなきゃいけないの。
あんたみたいに、年相応に無邪気に笑えないのはどうして!
もう、すべてがめんどくさいよ!
――博麗なんてどうでもいいのに!
視界が滲む。言葉にしたくても出しちゃいけない言葉だとわかっている。
口をつぐみ、喉を閉じて、それでも出したい言葉は目から涙となって落ちる。
「霊夢は偉いのね」
魔理沙はハンカチを取り出して私の涙を拭う。
「でも、泣くほど嫌なら、今日くらい遊びましょうよ」
強引に、手を引いて鳥居の前の階段まで連れて行かれる。
「じゃんけんで、勝ったほうが階段を一段ずつ進めるのよ。知ってる?グーはね、……」
その日は修行もろくにせず、魔理沙と二人で遊んだ。
あまり同じくらいの子供と遊んだ事の無い私だったけれど、魔理沙は甲斐甲斐しく遊び方に説明を入れてくれたし、時折皮肉を言ったりして楽しく過ごす事が出来た。
おそらく魔理沙の性格なんだろうけれど、この子は誰かを巻き込むのが上手だと思う。
凄く強引なんだけれど、でも嫌な気はしない。
泣いていた事なんてすっかり忘れてしまっていた。何故泣いていたのかなんて記憶の隅にも無い。
頬が痛むくらいに笑い、喉が痛くなるくらい声を出して、あぁ、生まれて初めて今日が楽しいって思った一日だった。
日が傾き、二人の影が遥かに伸び、お互いの顔がオレンジ色に染まる頃、魔理沙はそろそろ里に戻らなければならないと私に告げた。
「今度遊びに来る時は店にあるおもちゃを持ってくるわ」と魔理沙は笑いながら言い、私も「期待してるわ」と素直に応えるくらいに打ち解けていた。
時間は万人に平等、というけれど、今日の私には不平等だったと思うくらい、あっという間に時は過ぎ去っていったと思う。
「また来るから」
出会った時からずっと見せているあの笑顔で手を振って、彼女は神社の長い階段を下っていく。
修行をサボった事がばれれば、母に叱られるかもしれない。
明日は境内の掃除を一人でさせられるかもしれないなぁ、 もし魔理沙が来たら明日は掃除の手伝いをしてもらおうかな。
うん……。あの子の為なら修行をしてもいいかな。
私は初めて手に入れた友達の事を想い、紺と橙のグラデーションの下、彼女と少しでも近くにいたくて少しだけ階段を下りた。
風に揺れる金色が完全に見えなくなるまで小さく手を振り続けた。
私はまだその頃本当に幼くて、自分の能力がうっすらとしか解らなかった。
階段から空を眺め、太陽が完全に姿を失おうとするその時。
深い深い闇が、絶望が、自分の心臓を食いつぶしてしまうんじゃないかと思うような感覚が、私の背に圧し掛かる。
「霊夢、一緒に遊んでいた子は?」
母の声に驚き、後ろを振り向く。階段を上ったすぐにある紅い鳥居の下に母は立っていた。
「里に、帰ったけれど」
しまった、遊んでいたことがばれていた。今の感覚はきっとこの母によるものじゃないか。
そう思い込もうとした時、
「宵闇には人食い妖怪が出るのだけれど、大丈夫かしらね」
瞬間、ぞわり、と音がするくらい毛穴という毛穴が逆立った。
鳥居の紅が、静かに黒へと変わってゆく。
階段を一気に駆け下りる。母が制止する叫び声が背後から聞こえる。
聞こえないフリをして私は走る。後でいくらでも罰をうけるから。
ごめんなさい、ごめんなさい、あの子を助けなければ。
たれそかれ
もう黄昏時と言うには暗すぎる。なぜ私の住む神社はこんなにも明かりがなく不便で危険な道を通らなければならないのだろう。
無事でいて、まだ叫び声も聞こえないから、大丈夫だよ。
もう、叫び声も聞こえない
不安な言葉に首を振り、全力で駆け抜ける。
あぁ、足がもう、ぴきぴきと悲鳴を上げているよ。
肺がもう休ませろとひゅーひゅーと叱咤しているよ。
ねぇ、どうしてみんな私を特別扱いするの。ほら、私はこんなにも人間らしいじゃない。
木々の枝が引っかかる。頬を裂く。
止まる事は許されない、痛い、苦しいなんて後でゆっくり味わうから、今だけは。
黒は私の視界を殆ど遮り、勘だけを頼りに道ならぬ道を走る。
ドン、と柔らかい何かに当たる。
「きゃぁ」
女の子の声。
「れ、霊夢?びっくりさせないでよ、どうしたの?」
姿は見えなくてもそれが魔理沙の声だっていうのはわかる。
「ま、 り……」
体中の血液がけたたましく循環し、呼吸も落ち着かない状態ではその子の名前を呼ぶ事すらままならない。
「はぁ、はぁ、なんか、不安だったから。里まで、送るわよ」
んくっ、と言葉の途中途中で息を飲み、何とか日本語として通じる言葉を紡ぐ。
「わざわざその為に走って追いかけてきてくれたの?」
その声は少し驚いたような声で、まぁ確かにこんなに慌てて追いかけてきたら驚くのも無理はないかと思うけれど。
でも、少しだけ慣れて来た目に映ったのは、驚いたというよりは嬉しそうに微笑む魔理沙の顔だった。
それもつかの間、彼女の表情は怪訝そうな顔へと変化する。
「……あれ? 何か、おかしいわ」
「どう、したの、魔理沙」
肩で息をする私の先を見つめ、指を指す。
「ほら、あそこだけ、真っ暗」
振り向き見てみるが私には全部闇にしか見えない。
「え、真っ暗でなんだか解らないわ」
「えぇ、だって真っ暗だもの。他に比べて真っ暗」
母の言葉が頭に過ぎる。
『宵闇の妖怪は自身の周りを闇にするのよ』
考えるより先に巫女服の袖から数本の針を取り出していた。
あぁ、修行しておいてよかった。その針に霊力を込め、狙いをさだ……。
「魔理沙、それはどっちだったかしら」
「霊夢、本当に見えてないのね。あそこよ」
魔理沙が指す方向に狙いを定める。
針が青白い光を放ちながら真っ直ぐに飛び、魔理沙がいう「他より真っ暗」な場所から「いたー!」という叫び声と、「あんな乱暴なのたべられないよー」と涙ぐんだ声。
それはその場からどんどん遠ざかっていった。
「あれは何だったのかしら」
「人食い妖怪」
ひとまず安全、となったところで私の緊張は解け、今まで無理をしてきた足ががくがくと震えていた。
倒れそうになったところを魔理沙が抱きしめ支えてくれた。
「霊夢に助けられちゃったわね」
「いいのよ、その為に修行してるんだから」
「でも、そうはいかないわ」
追い払ったとは言え、妖怪に襲われかけたというのに、この子はどうして脅えた声を出さないのだろう。
「だって、その為の修行ばっかりしていたら私と遊べないじゃない」
随分わがままな理由だ、と私は可笑しくて声を上げて笑った。
あれから随分時が過ぎ、私は昔に願った通り、人から祀られる巫女という存在を消し去った。
参拝客もおかげ様で順調に減り、少しだけ頭を悩ませる元にはなったが、以前のような退屈さは欠片も無くなり毎日程よく平和に過ごす事が出来ている。
来客の大半が人間離れした者か、本当に人間じゃない者かのどちらかなのが、どうも選択方法を間違えたような気にさせるが、考えない事にする。
残念ながら怠惰な巫女には二兎は追えないようだ。
「またサボってるのか」
箒に跨った白黒の少女がふわりと境内に降り立つ。
「サボってるんじゃないの、休憩よ」
「昨日もおんなじ事を言ってたような気がするぜ」
呆れたような笑いを見せ、白黒の少女は鳥居のもとで休んでいる私の隣に腰掛ける。
「あそこに枯葉が落ちてるぜ」
魔理沙が着地した地点に数枚の木の葉があり、それを指差し掃除を促す。
「今あんたが降りた時に散ったのよ。ほら、あんたが掃除しなさい。その箒で」
「この箒で掃いたら木の葉が宙を飛ぶようになるからダメだ」
多少成長して背も伸びたし、以前のような綺麗な服ではなく白黒の質素な服に変わり、言葉遣いもなんだかすっかり男の子っぽくなってしまって、ついでに言えば性格もひねくれてしまったけれど。
それでも出会った頃から全く変わらない笑顔を彼女は私に向ける。
魔理沙は努力家だ。
何回も喧嘩したし、何回も弾幕ごっこを繰り返した。
その度に魔理沙は成長している事は何時も触れている私にはよくわかる。
私に助けられたあの日から、魔理沙は家を捨ててまで努力した。
相変わらず私と魔理沙は何から何まで対称的で比べるのが嫌になる。
「そんな馬鹿な事あるわけないでしょ、ほらさっさと掃いた掃いた」
しっし、と軽く手で追い払う動作をすると、どこか嬉々とした声で魔理沙は言う。
「見て驚くなよ」
「ホントにとんだ!?」
重力に逆らうどころか高速に飛び回る木の葉に、思わず口につけたお茶が霧飛沫になるところだったのをすんでの所で堪える。
魔法箒の力なのだろうか、それとも魔理沙が魔法でも使ったのか。
後者だったら本当に魔理沙は努力家すぎる。
わざわざこの為にその魔法を身につけたのならば。
おそらくそうなのだろう、驚いた私を見て魔理沙がケタケタと笑っていた。
「全く、相変わらずなんだから!」
袖の中から取り出した数枚のスペルカードと、パスウェイジョンニードルを構える。
「おっ、やるか!」
魔理沙も同じように数枚のスペルカードをスカートの中から取り出し、箒に跨るとふわりと空へ舞い上がった。
――スペルカードくらい、ポケットにいれればいいのに。
声高々に魔理沙は宣言する。
「魔符 スターダストレヴァリエ!! 」
「ねぇ、霊夢。家に面白いものがあったから持ってきたの」
「なにそれ」
「万華鏡。ほら覗いて見て」
ほら、太陽の光を受けて中の色紙がキラキラ輝きながら姿を変えるでしょう。
私、このおもちゃ大好きなの。だから霊夢にあげる。
大事にしてよね。
霊夢は多分だけれど、絶対に気がついていないんだ。
私と霊夢が会ったのは霊夢が実家に買い物に来た時じゃない。
その少し前。その年の例祭の時、霊夢はまるで空中に浮かんでるように踊っていたんだ。
ふわりふわり。何物にも縛られないと言わんばかりに、春に舞う桜の花弁のように。
父親はそれを見て、「あれが次の博麗の巫女だ」とあたかも自分達とは違う人種のように話した。
私はそれが気に入らなかったんだ。
そんな感情が霊夢をああさせてるんじゃないかって思えた。
誰も気づかないのか。
博麗の血なのか、そもそも霊夢自体の持つ力なのか、わからないけれど、特別視されるのも無理も無いと思うくらい才能に溢れていた。
だからかもしれない、初めて見た時霊夢の目は怖かった。
人間も妖怪も、きっとそこらにある食べ物も、同じような目で見てるんだろう。
霊夢は私を怖いもの知らずだと言うけれど、それは違う。
怖いと感じたのは霊夢ただ一人だけ。
あんなに怖い奴が傍にいるならば、妖怪だって怖いなんて思うことは無い。
今でも少し怖いが。
でも、それでいいんだ。
あの時試したそれは、霊夢が霧雨魔理沙をそこらのものと同一視させていないということを証明したのだから。
私は嘘吐きだ。出会ったときから、死に別れるその時までずっとな。
もし、私が先に果てたなら、万華鏡を覗きこんでくれ。
そして教えてくれ。
お前の目に映るそれは、どんな世界だったんだ?
くるくると目まぐるしく変わってくれただろうか。
もしそうであるなら、嬉しく思う。
今も昔も私との関係は変わらないのだから。
博麗霊夢は博麗の巫女じゃない。
私の『永遠の』友達だ。
空を仰いで思うのは、あの日魔理沙から貰った万華鏡の事。
あんたは白黒とか揶揄されてる割に、いつだって派手な色を好むわよね。
あんたが動けば弾幕は色を変えて姿を変えて、あぁ、あんたらしいわ。
私はそんなものはどうでもいい。弾幕はパワーでもブレインでもない。
弾幕は卑怯と何割かのめんどくさい、よ。
地味に陰陽弾を混ぜながらこちらも弾幕応戦していく。
そう、そういえば私は努力とかあんまり好きじゃない。
だからあんたの努力を認めるって事もあんまりしたくないけれど、一つだけ、認められる事があると思うわ。
あんたが命を懸けてまで、私の所まで遊びに来てくれた事。
それだけは、黙って墓の中まで連れて行ってあげるから。
くるくると目まぐるしく変わっていくわ。
随分と知人、友人が増えた。
それでも今も昔もあんたとの関係は変わっていない。
霧雨魔理沙は特別な友達じゃない。
私の『普通の』友達よ。
友達って良いものですよね。二人は永遠にマブダチであり続けるでしょう。
それが東方を形作ってるのだと思います。
ありがとうございました!
一番すごいと思った部分が評価点に100点しか並んでいないこと。小説以上にびっくり。(^^;
というか、オチが、とてもいい。
繰り返し読みたくなります。
すっと読めて、それでいて後々まで記憶に残るSSになりそうです
ま、もう一度読むから良いんですけどね!!
可愛くていいなあ、二人とも……
久しぶりに普通にいい友情話だった気がします。